信長の野望・創造 13作目

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539名無し曰く、
取り敢えず武田は史実では織田に負けまくりのうんこ武将wwwwwwww
540名無し曰く、:2013/08/06(火) 12:44:57.15 ID:PZX6kqxF
・兵農分離→兵農分離は前時代から先進地域において始まっていた傾向であり、信長はたまたまその地域を
支配したので、それに対応せざるを得なかったに過ぎない。信長が政策的にそうしたものでもない。
それに信長の軍隊も、中心は領主により動員された農村からの兵。

・鉄砲の集中運用→信長の軍が火力において他の軍勢より割合として多かった証拠はない。むしろ機内での戦闘などでは
火力負けしているものも多い。

・楽市楽座などの先進施策→六角や今川などの先進大名の政策を真似したに過ぎない。また、検地や農民の直接把握
などの、近世的施策は先進大名からは遥かに遅れて、信長の晩年に、しかも部分的に実施されたに過ぎない。

・無神論→無神論はフロイスの与太話。実態はむしろ寺社の保護を積極的に行い、その自治も認め、
寺社勢力の権威を最大限認めた政策を取っている。

・古い権威の否定→信長は古い権威に密着して勢力を大きくしている。将軍権威を利用できなくなると、すぐに
朝廷権威にすりよった。信長への家臣からの呼び方が「殿」から「上様」に代わるのは、右近衛大将に任官してから。