信長の野望・創造 13作目

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527名無し曰く、
農民兵が農繁期にも出兵できることを上杉家の川中島の戦いをネタに論証するよ。

第一次
上杉 旧暦9月1日 出陣   9月20日引き上げ
※時期的には収穫後の脱穀や乾燥の頃 新暦では10月

第二次
上杉 旧暦4月 出陣   10月15日和睦して撤兵
※田植えから脱穀のシーズンまで

第三次
上杉 旧暦4月18日出陣  8月29日交戦  9月引き上げ
※田植えから収穫時まで

第四次
上杉 旧暦8月出陣 15日に着陣  9月10日決戦
※収穫時期

第五次
上杉 旧暦8月出陣  10月撤退
※収穫から脱穀
528名無し曰く、:2013/08/06(火) 12:31:06.42 ID:CNKfLEva
「農民兵は農繁期に戦えない。」
と、言うのが間違い。実際に戦国の戦争の出兵から開戦の期間を調べてごらん。
ちなみに農繁期とは新暦の4・5・6・7・9・10月。ピークは6月と9月。
特に武田と上杉は、旧暦の8月新暦の9月の出兵が多い。たぶん、敵地の刈り取りで
食料の一部を得ていたのだろう。
当時の農家は大規模経営なので、一家から数人が出兵しても農業は可能だ。

兵農分離の目的は、教科書通りに、秀吉による身分制の秩序。その成果として、関ヶ原の
戦いにおいて、家臣単位の裏切りは激減している。城下町に住まわせられたら裏切りにくい。