信長の野望・創造 13作目

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503名無し曰く、
>土地に縛られない専業傭兵主体だからこそ尾張は弱兵と言われたんだよ。
>分の悪い戦いに運命共同体的な意識で参加しなくていいのが銭で雇われた兵なんだし。

大嘘だな。鎌倉期の西遷御家人などを見ても解るように、武士はむしろ流動性が高いし、武士自身、遠くに移ることは
むしろ当然だと考えていた。例えば武田信玄の家臣に、遠隔地の軍役を申し付けられたため、その地域に所領を移してほしい、
といった信玄宛の書状なども残っている。

また百姓も、領主の政治に不満があれば村ごと集団で逃亡し、他の戦国大名などと交渉し、条件が良ければそちらに集団移住するなど
普通に行われていた。

戦国期は武士も百姓もむしろ流動性が高く、近世の統一性権の課題はむしろ、この社会の安定性を損なう
流動性の高さを止めることが課題だった。