信長の野望・創造 12作目

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681名無し曰く、
第二次木津川口の戦い自体は兵糧搬入成功している以上勝利だからね
毛利側にも本願寺側にも証拠がある

毛利家文書834 小早川隆景書状写
「去六日至木津諸警固乗入、大坂衆申談候、
敵船雖罷出候、舟軍等勿論此方得勝利候」

毛利家文書832 下間頼廉書状写
「諸警固一昨日六日木津浦御着岸候、当寺大慶此事候」

「兵粮両度被入 信長公より九鬼大隅守に被命以大船 川口被塞 雖然打破り 兵粮を入る」
毛利家日記より

討ち取られた武将もいない

野田福島の戦いでは京へ撤退しようとする信長
江口川は水量が多く、水勢もすさまじいものがあり
船でしか渡れない場所なのに、信長は徒歩で渡れる始末。
しかも翌日からはまた徒歩でわたれなくなり
地元民が奇跡だと言い合う。これにより三好軍と本願寺からの
追撃を免れたなどとバカな妄想を書く公記。
他にも道三が討死した報を聞き退却しようとした織田軍であったが
義龍の軍勢が追撃しようとしたところを、
信長が鉄砲を撃っただけで、信長公の勢いに飲まれて追撃する気がなくなるなど
くだらん話が散見されるのが妄想軍記信長公記のウケを狙ったガチなギャグである。