信長の野望・創造 7作目

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910名無し曰く、
甲斐は徳川時代やその後の浅野入封で飛躍的に石高が上がったからな
信玄時代は飢饉が例年のように発生してたし
大して信長のいた尾張は規格外の国力があったのは信秀の朝廷への献金額やチート津島みなとの交易収入でわかる

看羊録によると尾張国は地が厚く、土地が肥えていて
種を蒔くだけで放置してても1000倍を得ることができ
里の多さでも日本国でも抜群に優れており大上国であると
尾張国のチートぶりを超絶賛!
(ちなみに三河国は土の層が浅く一尺ばかりしかないので
五穀があまり熟さないので下下の小国と書いているので
信玄が三河占領に興味が無かった理由もわかる)

また天正壬午の乱の時甲斐に入った家康が真っ先に甲斐の人々に約束したのは
勝頼の菩提寺の建立&恵林寺の再興
強豪である武田旧臣を味方につけたい願望とともに
完全に織田の悪政を完全否定してますね。
信長を否定し、武田を肯定することで
家康は翼が生えた獅子のように強くなった。
武田家の神格化しその擁護を表明したこと。これが天下統一の足掛かりとなった。

また尾張の信長が東国には目もくれず西日本にばかり勢力拡張しようとしてたのも
畿内や西日本の圧倒的経済力を示しているといえる