信長の野望・創造 7作目

このエントリーをはてなブックマークに追加
718名無し曰く、
ゲームでは下記の事情が全く反映されてないからな
自国の国力と周辺敵国の国力の比、弱体化してるかしてないかやそれらの配置状況や山間部、平野部の移動力の差やら石高当りの
領土面積の広さ、侵略先に援軍送ってきた事等諸条件が全く考慮されてないな。領土拡張率でいえば宇喜多直家や家康は信長より遥かに上
スタートでは毎年餓死者が続出する貧国甲斐と自立性高い国人から主導権を確保する所から始めた信玄に対し、豊な尾張で最強の弾正忠家を継いた織田
貧しい山国で自立性の高い国人で、毎年のように飢饉や水害が発生しまくる土壌が有りとかいわれてもな。織田なんざ異常に裕福な所を勢力にしてただろうが
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らとガチでぶつかり合い長尾山之内上杉も介入してくる
状況で攻略の難しいキツイ城ランキングトップクラスが立ち並ぶ信濃を取った点や国力で勝る北条との抗争で駿河を取った事、距離的に
さほど攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め、東美濃も侵略した事など見るにやはり軍略はピカイチだろう 負けがかなり少ないのも大きい
対吉良、今川戦で勝ちまくり姉川で大奮戦する最強武将家康が押されまくってる時点で武田の強さは証明されてる
兵力差を差し引いて考えても本拠地からの距離で考えたらさして侵略しやすいとはいえないのに
城落としまくりうまく城から釣り出し野戦で非常に軽微な被害で大勝し風前の灯火においこんだ
同時して恵那への侵攻もおこなってるくらい。強すぎる
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らと
ガチでぶつかり合い長尾も介入してくる 状況で信濃を取った点や北条との抗争で駿河を取った事、距離的にさほど攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め
、東美濃も侵略した事など見るにやはり軍略はピカイチだろう。負けがかなり少ないのも大きい。上田原も板垣の敵陣のど真ん中での首実験が原因だし逆にその状況から反撃して何人も討ち取っている。信長は大軍で
弱体化した小勢力に何回も負ける斉藤、本願寺、伊勢長島一向一揆。姉川でも大軍で寡兵の浅井に痛打を加えられず。 大良河原、14条、河野島、伊勢長島第一次、伊勢長島第2次、屈服した志賀の陣、800の敵に数万の兵で一門を10人殺された伊勢長島第3次。
戦は大した事ない。その分調略や政略でカバーしてる。版図拡張と言っても山間部出身で周りも強国、国も貧困で京への距離もある武田や関東出兵や武田との対戦を余儀なくされ国内も反乱やら蘆名の介入やらで大変、
武田以上に京まで遠く雪による制約も大きく関東、信濃、奥州、北陸多方面戦略を展開してた上杉とは条件が違いすぎる
信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を有していた信秀の子に生まれた。織田は美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。
北伊勢含めばもっと上がる。幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば思い立ったら上洛できる位置。西は木曽・揖斐川の大河に守られ東と
結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く戦死跡継ぎの氏真は暗愚松平家は独立 同盟で後方の安全を確保 斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた 三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者 織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅 足利義昭も信長の所に来た