信長の野望・創造 5作目

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178名無し曰く、
>>斎藤龍興          →美濃60万石
美濃54万石だし幼君で分裂状態で大して抗戦もせず降っただけだから実質15万石くらいじゃね
頑強に排除されていた西美濃攻略を諦めて、東美濃攻略に変更した信長は内通で加治田城・黒田城織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城
城内で内通が出て開城が犬山城と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは東美濃の国人達が経済的に没落していて
戦いたくても戦えない、農民が他所へ逃げている欠落と農地が荒廃していた退転状態だった美濃の国情ゆえに武士階級も収入が無かっただけ
何せ国内でクーデターが起きるくらい極度に弱体化してたし東美濃でも西美濃三人衆でも抗戦せずに降ったしむしろ
その前には蹴散らされまくってるし
>>朝倉義景          →越前60万石
越前は54万石くらいじゃん。しかも信玄在世中は250万石もありながら浅井朝倉連合に押されまくり滅亡寸前の大ピンチwwww
結局信玄死んで朝倉方からボロボロ寝返りが出て勝てただけだしそうでなきゃ一生近江戦線で立ち往生してたのが信長。
>>三好義継          →阿波讃岐摂津に約50万石
分裂して統制が取れずバラバラ。しかも摂津阿波讃岐全土を安定して持ってたわけじゃなく浅井朝倉和賀甲賀衆などがこぞって参陣した
完全にお膳立ての上洛戦に敗れて後は残党が決起してただけ
>>北畠具教(お家完全に乗っ取り)→南伊勢40万石
木造の内訌で分裂してたし神戸家長野家などの内訌につけこんで信長が信雄信孝信包など送り込んで火事場泥棒しただけ。
しかも寡兵の北畠に対し大河内城攻めで大敗し将がこぞって戦死の大敗www
>>六角義賢(+浅井長政)    →足して近江ほぼ全域60万石
観音寺騒動と対浅井の敗戦で極度に弱体化。浅井の参戦を受けて一目散に逃げただけ
>>武田勝頼          →甲斐全部と信濃上野駿河一部、約90万石
甲江和与反故の騙まし討ちと運悪くおきた浅間山噴火と対北条徳川戦の疲弊と新府築城の失政自爆で
寝返りだらけになっただけ。火事場泥棒みたいなもん

一方の信玄は8万の大軍を8000で大破できる北条氏康に勝った。三増峠で北条の大軍撃破して駿河奪取
織田を瞬殺した謙信にも負けず信濃や上野きり取った。自国の2倍もある信濃を長尾や両上杉が援軍派遣してくる状況で切り取った
山之内上杉の大軍を数千で大破した。信長から東美濃攻防や上村合戦で大勝して東美濃きり取った
信長より遥かに戦上手の家康+織田家で最も大身の佐久間と武闘派滝川や平手林水野など総勢20000はいるであろう織田徳川連合を瞬殺した
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り
同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り
同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末