信長の野望 天道 144里

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63名無し曰く、
越中にしたって御館の乱とその後の混乱の中で
織田軍はそれに乗じて占領もできず
河田長親が病没するまで見事に一進一退だったし
その後に越中方面の総指揮官になって越中三大山城のひとつである
松倉城に入って越中方面を指揮していた須田満親が篭城してたからなぁ。
平城の魚津城は所詮、松倉城の支城でしかないんだわ。


・御館の乱で国中が二分し武田北条葦名伊達が敵方で越後侵攻してきた状態で見事勝利
・80年までの内乱や平定戦で国はボロボロ。その頃には本願寺と織田の和議がなり
越中や能登の衆も次々織田方に従い下越で新発田が乱を起こす等絶望的な状況で圧倒的兵力で迫り来る織田相手に
越中中部〜魚津・松倉間で2年も食い止めた
・信長死後の信濃で家康の誘いに乗って寝返った屋代氏や塩崎氏ら信濃衆を瞬殺(天正11年・12年)
・83,84年二回とも麻績・青柳の戦い小笠原、青柳、仁科衆ら4000に大勝し、
徳川の北信方面への進出を完全に頭打ちにさせる
(小笠原貞慶は笠系大成や岩岡家記でその能力や器量を賞賛される程の武将で1582年に家康の支援を得て府中に入って以来安曇・筑摩を北部を残し統一し
小県の領主も多く従え諏訪の一部も領有出来た程有能な武将)
・真田とともに信濃で徳川、上野で北条(ともに大軍)を撃退した
・新発田との八幡表の戦いに見事勝利(天正11年)
・赤谷・津川の戦いで新発田を援助してた葦名に勝ち輸送物資を大量に強奪 
・佐渡平定戦
・本庄に援軍送り出羽庄内を奪った十五里が原の戦いで大勝
・小田原合戦で国境を守る松井田城を撃破
・北条氏邦が籠もる絶対死守の5000の鉢形城で血で血を洗う激戦を制する
・北条が小田原侵入を許すため最終絶対防衛とした八王子城をわずか1日で落城させる
・大阪の陣の今福・鴨野の戦いで豊臣方の大軍を破る