信長の野望・創造 3作目

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320名無し曰く、
>>296
革新を魔法ゲーとか言ってる奴は当時を知らないアホだろ
戦術が勝敗を分けるのはいつの時代の戦争でも同じ

当時の戦は「槍」と「弓」が主流
そこに出てきた「騎馬」
有名なのは上杉と武田
特に越後流軍学で有名な上杉家軍師・宇佐美定満が考案した
「車懸り」は移動の負担を馬に任せられるから
騎馬隊との相性が良く、猛威を奮った
川中島では武田の軍師・山本勘助の考案した「啄木鳥戦法」の采配ミスにより辛勝

次に出てきたのが「鉄砲」
有名なのは織田と島津
鉄砲が日本で広まったキッカケを作ったのが
種子島にいる鉄砲職人のおかげだ
南蛮から入った鉄砲を分解して
真似して作ってみたら成功しちゃった
島津は早期から安く鉄砲を入手できたため
九州をほぼ制圧するくらいの戦力を得た
秀吉と家康が最も恐れたのは島津である
島津義久が考案した「釣り野伏せ」は
相手の意表を突くため戦術的にも強かった

織田は資金力を活かして当時世界最高の鉄砲数を所持していた
長篠の戦い以前の戦国最強と言われた武田騎馬隊を
長篠の戦いでボロクソに破った織田信長の「三段構え」は
戦術レベルでも異次元だった
武田の重臣クラスも死にまくってることから
武田は何が何だかわからないうちに討ち死にしたのだろう
高性能戦闘機を作って自惚れてた日本に原爆を落としたくらい
当時の人間には想像できない攻撃だったに違いない
武田軍とは次元が違うくらい強かったのが織田信長
鉄砲数と戦術の両面を見ても
当時の織田軍は世界最強軍隊だったのは間違いない

その「騎馬」と「鉄砲」の良い面を合わせたのが「騎馬鉄砲隊」
騎馬鉄砲で有名なのは伊達政宗
破竹の勢いで領土を広げまくって敵無し状態だった
これだけ短期間に戦で領土を広げまくったのは織田信長か伊達政宗と言える
秀吉が国内を平定したため正宗の野望は途中で終わったが
正宗の生まれる時期がもう少し早かったら
天下人になってたと言われるほどである
幼少期に顔が気持ち悪いからと実母に暗殺されそうになった正宗が
死ぬ時には「伊達男」という名が付いてることからも
正宗の人生がどんだけ偉大なものだったかがわかるはずだ
前田慶次とか創作だらけのケツの穴の小さい下っ端の能力を上げるくらいなら
能力値は戦国三傑がトップ3は仕方ないにしても
4位は正宗にするべきである

その伊達政宗に完勝した男がいる
それが大阪の陣の真田幸村だ
つまり戦において最も重要な要素は兵科ではなく
死に物狂いで戦う「士気」である

この様に戦は数と兵科の戦いだけではなく
戦術や士気など色々なものが噛み合わさって結果に繋がるのである
革新を魔法ゲーと言うなら
信長、秀吉、義弘、正宗、元就などの名大将や
宇佐美、官兵衛などの名軍師を魔法使いと言ってるようなものだガハハハハハハハハハハハ