信長の野望・創造 2作目

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260名無し曰く、
>>個人的には信長と秀吉はチートだと思ってる 水攻め3連チャンで成功とかありえんw
水攻めなんてやたらと資金・人材・手間がかかるし雨が降ってなかったら失敗するだけの愚作でしかない
しかもその直前の攻防で秀吉は清水4000ごときに敗走させられて危機に陥る始末w 美作でも補井田元清にボコられ、宇喜多単体で優勢に進めてきた備前・美作戦線は大きく後退w
>>チートキャラの信長と秀吉以外で天下取りに近かった大名っているか?
まず信長や秀吉は天下統一なんてしてないし(秀吉は一時的に諸大名と同盟関係結んだだけで徳川に瞬殺されただけの雑魚でしかない)
家康は天下取ったし信玄も謙信も天下取る直前で病死しただけ。三好もそうだがな
>>地方ごとにその土地を良く知る大名がいて、他所からきた者が簡単に治められるような世界じゃあ恐らくなかったと思うんだ
意味がわからん。ソースはなんだ?
>>経済原理から言っても土地に根を張った者を使うのが一番合理的だし、史実でもそうなってる
土地に根を張ったもの使ってない事例なんていくらでもあるわアホ。戦国大名なんてよそからよそへ侵略したり逆に国取られたりしたりするのが普通なのに
土着性なんてあるわけねーだろアホ
>>国替えみたいなことは信長と秀吉がチート発動しまくって国内ほぼ統一したからこそ政権が磐石になって可能になったんだし
信長や秀吉は単に棚ボタで畿内に雑魚しかいなかったから国力と相手の分裂・内訌・混乱に乗じて棚ボタ的に火事場泥棒しただけだし
それ以前の歴史でも土地から土地への移動なんてしょっちゅうありまくるだろうがアホ

最大石高なんて自国の周辺国が弱体化・分裂してたり自国の国力に比べて弱小かどうかってだけの話じゃん
なんで比べる基準が「最初〜最後までの結果」あるいは「最初から最後まで経過や状況考慮した個々の戦闘や外交や内政などの考察」
ではなく「最初から最後までのある特定時点での比較(経過・状況等も無論無視)」なのか意味不明
そんなんがありなら本能寺時点で広範な領土があった織田家は信長が殺され結果的に大きく版図が減少したから
一代で失った石高ランキングでダントツトップだからダントツ最下位クラスだなw
まあ最大石高なんてある一時点での考察にすぎないし結果だけでみるなら光秀に殺されて死に織田家を木っ端微塵にされた信長は能力0だしな
領土の広さってそれ程関係ないんだよ
カナダやカザフスタンは日本より広いけどどっちも大したことない
戦国時代も同じで例えば毛利輝元や大友宗麟や大内義隆や豊臣秀吉や織田信長や北条氏康は広かったけど弱かった
相馬なんか伊達の5分の1程度の領土で半世紀も互角に戦ったし
田村清顕なんて周辺諸大名がこぞって敵対する状況ですら敢闘して撃退してる。
織田や北条や豊臣や毛利は領土広くても将が無能だから里見や信雄や宇喜多や浅井朝倉武田などに翻弄されたし
信長なんか北畠に大河内城で撃退されたり一揆勢相手に餓死寸前のところを数万の大軍で騙まし討ちにして一門10人以上殺されたりしたわけ。
織田みたいな光秀ごときに滅ぼされた雑魚大名と自国の2倍もある信濃を切り取ったり
大国北条今川連合に打ち勝って駿河とったり織田徳川連合に打ち勝って東美濃三河遠州を多く奪った
徳川時代軍学でも最強とされた大名を比較する事自体が間違い。
織田と比べるなら大友宗麟・伊達政宗・北条氏康・長宗我部元親あたりがちょうどいい。
それでも戦闘でいえばダントツで信長が最下位だろうけど

光秀に殺されて死んだ信長w

最貧国甲斐から上杉北条織田徳川など国力に勝る相手に領土切り取りまくり150万石まで広げた信玄w
結果でいえば信長は能力0だからなぁ
経過をちゃんと考慮して石高なんぞで比べず状況や運やら地理条件考慮するってのならわかるが

尾張は全国トップクラスの好立地&チート国力 斉藤は幼君で極度に弱体化 義元は運よく突発事故で戦死
六角も観音寺騒動で弱体化 三好は統率が取れずバラバラ 北畠は内紛で分裂 上杉は内紛で極度に弱体化
武田は勝頼が発狂失政自爆&徳川北条戦で疲弊しきり抗戦したのは仁科だけ 浅井はわずか10万石そこそこで織田領国の20分の1か30分の1くらいの国力
朝倉・毛利は大チャンスでも本国にヘタレ退却するアホが当主

こんな弱体化した雑魚相手の火事場泥棒戦争ばっかやってるのに負けまくり蹴散らされまくる信長の無能さは異常レベル。
ある意味戦国最強クラス
261名無し曰く、:2013/05/20(月) 10:58:02.32 ID:+I47jLYE
信長はチート立地条件なのに結局織田家を滅ぼしたアホだからね
自国の国力と周辺敵国の国力の比、弱体化してるかしてないかやそれらの配置状況や山間部、平野部の移動力の差やら石高当りの
領土面積の広さ、侵略先に援軍送ってきた事等諸条件が全く考慮されてないな。領土拡張率でいえば宇喜多直家や家康は信長より遥かに上
スタートでは毎年餓死者が続出する貧国甲斐と自立性高い国人から主導権を確保する所から始めた信玄に対し、豊な尾張で最強の弾正忠家を継いた織田
貧しい山国で自立性の高い国人で、毎年のように飢饉や水害が発生しまくる土壌が有りとかいわれてもな。織田なんざ異常に裕福な所を勢力にしてただろうが
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らとガチでぶつかり合い長尾山之内上杉も介入してくる
状況で攻略の難しいキツイ城ランキングトップクラスが立ち並ぶ信濃を取った点や国力で勝る北条との抗争で駿河を取った事、距離的に
さほど攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め、東美濃も侵略した事など見るにやはり軍略はピカイチだろう 負けがかなり少ないのも大きい
対吉良、今川戦で勝ちまくり姉川で大奮戦する最強武将家康が押されまくってる時点で武田の強さは証明されてる
兵力差を差し引いて考えても本拠地からの距離で考えたらさして侵略しやすいとはいえないのに
城落としまくりうまく城から釣り出し野戦で非常に軽微な被害で大勝し風前の灯火においこんだ
同時して恵那への侵攻もおこなってるくらい。強すぎる
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らと
ガチでぶつかり合い長尾も介入してくる 状況で信濃を取った点や北条との抗争で駿河を取った事、距離的にさほど攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め
、東美濃も侵略した事など見るにやはり軍略はピカイチだろう。負けがかなり少ないのも大きい。上田原も板垣の敵陣のど真ん中での首実験が原因だし逆にその状況から反撃して何人も討ち取っている。信長は大軍で
弱体化した小勢力に何回も負ける斉藤、本願寺、伊勢長島一向一揆。姉川でも大軍で寡兵の浅井に痛打を加えられず。 大良河原、14条、河野島、伊勢長島第一次、伊勢長島第2次、屈服した志賀の陣、800の敵に数万の兵で一門を10人殺された伊勢長島第3次。
戦は大した事ない。その分調略や政略でカバーしてる。版図拡張と言っても山間部出身で周りも強国、国も貧困で京への距離もある武田や関東出兵や武田との対戦を余儀なくされ国内も反乱やら蘆名の介入やらで大変、
武田以上に京まで遠く雪による制約も大きく関東、信濃、奥州、北陸多方面戦略を展開してた上杉とは条件が違いすぎる
信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を有していた信秀の子に生まれた。織田は美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。
北伊勢含めばもっと上がる。幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば思い立ったら上洛できる位置。西は木曽・揖斐川の大河に守られ東と
結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く戦死跡継ぎの氏真は暗愚松平家は独立 同盟で後方の安全を確保 斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた 三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者 織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅 足利義昭も信長の所に来た