三國志で過大過小評価されている武将 四十四人目

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451名無し曰く、
≫443‐446
後漢書の董卓伝には陽人の戦いの後、董卓自ら軍を率いて孫堅と戦い敗れるともあり、
陽人に限らずとも孫堅の大功は確かで、局地戦ばかりとも言えないんでは。

それに大きく見れば孫堅が袁術陣営の一人と見なされるのは全く正当だと思うけど、
「袁術の一将軍に過ぎないし」って若干言い過ぎじゃないかと思うんだけど、どうかな。
袁術伝に「孫堅に撃たせた」とあるくらい間違いなく袁術上位の力関係ではあるけど、
後漢書の劉表伝によれば、「袁紹が劉表と手を結んだ(のに対抗し)、袁術と孫堅は合従して当たった」
諸侯同士の協力体制のような表現もある。

元々烏程侯・長沙太守という官職・根拠地(袁術とは別の)を持った存在で、
推挙されて破虜将軍、豫州刺史だから単なる部下には収まらないと思う。

まぁ「単なる一将軍に過ぎない」と能力落とされるのかという議論もありうるだろうし、
(周瑜他の群雄以外の名将は上位に値しないのかとか)、
そもそも独立性云々自体が無意味な議論かもしれないけど。

(http://uni.2ch.net/test/read.cgi/operatex/1360503162/433-434代行)