信長の野望 烈風伝withPK 其の【陸拾陸】

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924名無し曰く、
>>家康が信長より上なんて変だわ。狸親父は強敵倒して領土拡張した事は無く全て味方当主没後のドサクサ紛れにつけいる乗っ取り屋だもの。
信長や秀吉が天下取れたのは100%棚ボタでしょ。そもそも天下など取っておらずあっけなく徳川に秒殺されるわけだが。
秀吉の場合は織田家臣だから当主の能力&恵まれた運や状況で織田家が膨張して大きく勢力拡張。山名&荒木&尼子残党&毛利の中途半端な介入で
ぐちゃぐちゃになってた播磨に運よく派遣されて戦わずして味方が多く集まって信長が光秀に殺されて光秀が主殺しの汚名負ったから味方が多く
あつまっただけ。毛利宇喜多上杉大友佐竹なども味方で対柴田戦でも勝家が雪に閉ざされて動けず佐々も対上杉で動けず
勝豊と勝家が不仲で信雄と信孝が不仲で稲葉が味方で前田や金森不破が戦の途中で兵を引いたから勝てただけ
秀吉の対戦相手なんて皆豪族国人連合の寄せ集め烏合の衆部隊の上に寡兵だもんなぁ
謀略・暗殺・家中の内紛による火事場泥棒ばかりで拡張し宇喜多南条始め寝返りばかりで
戦いのたびにドミノゲームのように勢力図の入れ替わるハリボテ西国大名毛利
前田・金森・不破が勝手に退却し稲葉らも美濃遠征で裏切りまくり結束力が0露呈した柴田
戦い当初から尾張では毛利、伊勢では神戸関信包田丸など離反の連鎖だった領国基盤ガタガタの信雄
徳政の連発・駿河も甲斐も南信濃も平定から時間がない上に領土安堵状を出すなど国人の自立統治を後押しする間接統治を行っただけで
譜代の石川ですら籠絡され木曽も離反し翌年小笠原も石川も水野も真田も離反するなど烏合の衆もいいところの徳川
まともな迎撃体勢すら整わずはなから離反の連鎖の応酬だった島津
わずか34500しかいない、戦意0で抗戦・主戦で割れていた北条
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)
佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、
松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
925名無し曰く、:2013/05/16(木) 18:14:20.03 ID:QvpHD+Ru
信長はチート立地条件なのに結局織田家を滅ぼしたアホだからね
自国の国力と周辺敵国の国力の比、弱体化してるかしてないかやそれらの配置状況や山間部、平野部の移動力の差やら石高当りの
領土面積の広さ、侵略先に援軍送ってきた事等諸条件が全く考慮されてないな。領土拡張率でいえば宇喜多直家や家康は信長より遥かに上
スタートでは毎年餓死者が続出する貧国甲斐と自立性高い国人から主導権を確保する所から始めた信玄に対し、豊な尾張で最強の弾正忠家を継いた織田
貧しい山国で自立性の高い国人で、毎年のように飢饉や水害が発生しまくる土壌が有りとかいわれてもな。織田なんざ異常に裕福な所を勢力にしてただろうが
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らとガチでぶつかり合い長尾山之内上杉も介入してくる
状況で攻略の難しいキツイ城ランキングトップクラスが立ち並ぶ信濃を取った点や国力で勝る北条との抗争で駿河を取った事、距離的に
さほど攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め、東美濃も侵略した事など見るにやはり軍略はピカイチだろう 負けがかなり少ないのも大きい
対吉良、今川戦で勝ちまくり姉川で大奮戦する最強武将家康が押されまくってる時点で武田の強さは証明されてる
兵力差を差し引いて考えても本拠地からの距離で考えたらさして侵略しやすいとはいえないのに
城落としまくりうまく城から釣り出し野戦で非常に軽微な被害で大勝し風前の灯火においこんだ
同時して恵那への侵攻もおこなってるくらい。強すぎる
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり村上、小笠原らと
ガチでぶつかり合い長尾も介入してくる 状況で信濃を取った点や北条との抗争で駿河を取った事、距離的にさほど攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め
、東美濃も侵略した事など見るにやはり軍略はピカイチだろう。負けがかなり少ないのも大きい。上田原も板垣の敵陣のど真ん中での首実験が原因だし逆にその状況から反撃して何人も討ち取っている。信長は大軍で
弱体化した小勢力に何回も負ける斉藤、本願寺、伊勢長島一向一揆。姉川でも大軍で寡兵の浅井に痛打を加えられず。 大良河原、14条、河野島、伊勢長島第一次、伊勢長島第2次、屈服した志賀の陣、800の敵に数万の兵で一門を10人殺された伊勢長島第3次。
戦は大した事ない。その分調略や政略でカバーしてる。版図拡張と言っても山間部出身で周りも強国、国も貧困で京への距離もある武田や関東出兵や武田との対戦を余儀なくされ国内も反乱やら蘆名の介入やらで大変、
武田以上に京まで遠く雪による制約も大きく関東、信濃、奥州、北陸多方面戦略を展開してた上杉とは条件が違いすぎる
信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を有していた信秀の子に生まれた。織田は美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。
北伊勢含めばもっと上がる。幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば思い立ったら上洛できる位置。西は木曽・揖斐川の大河に守られ東と
結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く戦死跡継ぎの氏真は暗愚松平家は独立 同盟で後方の安全を確保 斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた 三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者 織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅 足利義昭も信長の所に来た
926名無し曰く、:2013/05/16(木) 18:14:37.71 ID:QvpHD+Ru
>>斎藤龍興          →美濃60万石
美濃54万石だし幼君で分裂状態で大して抗戦もせず降っただけだから実質15万石くらいじゃね
頑強に排除されていた西美濃攻略を諦めて、東美濃攻略に変更した信長は内通で加治田城・黒田城織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城
城内で内通が出て開城が犬山城と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは東美濃の国人達が経済的に没落していて
戦いたくても戦えない、農民が他所へ逃げている欠落と農地が荒廃していた退転状態だった美濃の国情ゆえに武士階級も収入が無かっただけ
何せ国内でクーデターが起きるくらい極度に弱体化してたし東美濃でも西美濃三人衆でも抗戦せずに降ったしむしろ
その前には蹴散らされまくってるし
>>朝倉義景          →越前60万石
越前は54万石くらいじゃん。しかも信玄在世中は250万石もありながら浅井朝倉連合に押されまくり滅亡寸前の大ピンチwwww
結局信玄死んで朝倉方からボロボロ寝返りが出て勝てただけだしそうでなきゃ一生近江戦線で立ち往生してたのが信長。
>>三好義継          →阿波讃岐摂津に約50万石
分裂して統制が取れずバラバラ。しかも摂津阿波讃岐全土を安定して持ってたわけじゃなく浅井朝倉和賀甲賀衆などがこぞって参陣した
完全にお膳立ての上洛戦に敗れて後は残党が決起してただけ
>>北畠具教(お家完全に乗っ取り)→南伊勢40万石
木造の内訌で分裂してたし神戸家長野家などの内訌につけこんで信長が信雄信孝信包など送り込んで火事場泥棒しただけ。
しかも寡兵の北畠に対し大河内城攻めで大敗し将がこぞって戦死の大敗www
>>六角義賢(+浅井長政)    →足して近江ほぼ全域60万石
観音寺騒動と対浅井の敗戦で極度に弱体化。浅井の参戦を受けて一目散に逃げただけ
>>武田勝頼          →甲斐全部と信濃上野駿河一部、約90万石
甲江和与反故の騙まし討ちと運悪くおきた浅間山噴火と対北条徳川戦の疲弊と新府築城の失政自爆で
寝返りだらけになっただけ。火事場泥棒みたいなもん

一方の信玄は8万の大軍を8000で大破できる北条氏康に勝った。三増峠で北条の大軍撃破して駿河奪取
織田を瞬殺した謙信にも負けず信濃や上野きり取った。自国の2倍もある信濃を長尾や両上杉が援軍派遣してくる状況で切り取った
山之内上杉の大軍を数千で大破した。信長から東美濃攻防や上村合戦で大勝して東美濃きり取った
信長より遥かに戦上手の家康+織田家で最も大身の佐久間と武闘派滝川や平手林水野など総勢20000はいるであろう織田徳川連合を瞬殺した
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り
同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り
同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末
927名無し曰く、:2013/05/16(木) 18:15:05.72 ID:QvpHD+Ru
史実での交戦結果は以下の通り
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50〜60倍以上なら被害差も50〜60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50〜60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利
928名無し曰く、:2013/05/16(木) 18:15:25.58 ID:QvpHD+Ru
これらをもとに能力をつける 
 天下人の家臣団 
   政治  統率  知略 
家康  110 114 108
本多  77 105 80 
酒井  87 95 93
井伊  85 94 93
榊原  50 94 70
大久保 47 83 76
氏康  120 105 108
氏政 96 83 84
政宗  107 97 96
盛氏 86 99 95
元就 96 107 120
小笠原 73 78 60
依田 47 82 86
大須賀 58 82 64
天下人を苦しめた武田家臣団
信玄 97 110 96
馬場 80 93 79
山県 70 99 74
香坂 78 96 85
内藤 79 88 85
秋山 58 85 83
仁科 60 88 69
そのライバル上杉
謙信 87 120 76
景勝 83 100 86
本庄 70 99 59
斉藤 82 93 85
柿崎 30 97 12
須田 78 82 85
山浦 50 86 70
天下人の踏み台にされた雑魚共

       政治  統率  知略
信長(笑)    90 71 86 
秀吉(大 爆 笑)89 13 89
光秀       85 79 80
滝川       70 77 83
柴田       60 83 52

贔屓目にみてもこんなもん
他の連中はこれ以下のカス
織田厨の大好きな
信忠(笑)   50 28 30
蒲生(笑)   60 55 68
丹羽(笑)   70 15 67

カス武将の集まり織田軍