信長の野望で過大過小されている武将95人目

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734名無し曰く、
秀吉が戦で強いか弱いかと言えば、強くはない
しかし戦が弱くとも強い家臣を適材適所で使う必要性を知っていたし
個々の戦術的勝利よりも大局の戦略的支配に目的を置いて政治外交経済を駆使したので天下人にまで上り詰めた。
それは信長然り、家康然り、劉邦や毛沢東も然り。

結論として天下を取れる人材とは決して戦が強い必要はなく
むしろ逆に弱いくらいで丁度良いのかも知れない
ただ大切なのは、その自覚。自分が弱いという劣等感を終生忘れないこと。

自分が弱いという自覚、劣等感があれば、人は他の何かで必死に補おうとする。
必死に鼻を効かせ、目を凝らし、耳を澄まし、空気を感じ、他人の有難みを心で知る。
それが戦国時代における謀略であり外交であり経済であり人心掌握であり運に生かされるのだ。

その必要性を戦国史上一番知っていたのが
乞食から這い上がった戦の弱い劣等感塗れの秀吉と、幼少期から中年期までずっと苦渋と挫折に塗れた傲慢でわがまま短気な家康だったのだ

仮に秀吉が天下無双の豪傑であったとしたら、決して自覚には目覚めなかったし有能な人材にも恵まれなかったであろう。
仮に家康が幼少期から何一つ苦労なく挫折もなく平々凡々と暮らしていれば天下など夢のまた夢だっただろう。

戦国時代とは、そんな劣等感や挫折こそが「人を成長させる原動力」であり
その苦労を乗り越えるチャンスを与えられた人間こそ真に上に立つべき人物として天命を与えられた特別な存在であると
子孫である我々日本人に教えてくれる大切な1世紀なのだよ。