三国志で過大過小評価されている武将 十二人目

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1名無し曰く、
2名無し曰く、:2007/11/13(火) 05:00:33 ID:0FL9cJYF
3名無し曰く、:2007/11/13(火) 05:33:29 ID:UR1v6duW
過去スレ

信長の野望・三国志で過大過小評価されている武将
ttp://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1120371373/
KOEIのシミュで過大過小評価されている武将 二人目
ttp://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1124356656/
お前らなら三国志の人物の能力どうする?
ttp://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1123874201/
三国志で過大過小評価されている武将 一人目
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1168159587/
三国志で過大過小評価されている武将 二人目
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1170920745/
三国志で過大過小評価されている武将 三人目
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1172563298/
三国志で過大過小評価されている武将 七人目
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1175223650/
三国志で過大過小評価されている武将 八人目
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1178452734/
三国志で過大過小評価されている武将 九人目
ttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1181409645/
三国志で過大過小評価されている武将 十人目
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1183739362/
4名無し曰く、:2007/11/13(火) 05:58:24 ID:8rTafM5Q
>>1
5名無し曰く、:2007/11/13(火) 07:26:55 ID:KRAMItwq
待ってたよ
6名無し曰く、:2007/11/13(火) 08:29:51 ID:JqKGZI8W
なんか久しぶりだな
さっそく関羽の話でもするか
7名無し曰く、:2007/11/13(火) 22:14:36 ID:eqvCc2pA
おまえらほんと蜀嫌いだよなw
8名無し曰く、:2007/11/13(火) 22:21:19 ID:wnC4lOfN
兄弟の力を借りても呂布を倒せなかったヘタレ関羽
9名無し曰く、:2007/11/13(火) 22:32:41 ID:BOKSSsCu
私たちの顔良を不意打ちで倒したからって調子のってる関羽
孫堅の手柄のハズの華雄殺しもちゃっかり横取りしてる関羽
なんか横浜とかにもいる関羽
算盤作ったとかイミフな伝説を持ってる関羽
紀霊になぜか勝てない関羽
塩の密売とかしてたのにやたらと強い関羽
呂布が乗っていたご老体の赤兎馬を死ぬまで使い倒す鬼畜関羽
10名無し曰く、:2007/11/13(火) 22:53:55 ID:XszbxGYR
>>9
ふいたw

さて過小評価されている武将に楽進を挙げたい。
そして過大評価されている関羽は楽進に打ち破られてんのーwぷげらwww
11名無し曰く、:2007/11/13(火) 23:48:34 ID:2/X9TjRS
魏は過小評価が多いよな
蜀武将を立てるための犠牲になっとる
12名無し曰く、:2007/11/13(火) 23:50:55 ID:FVTKZwT6
その魏の中にも過大は主要武将に多いがな
13名無し曰く、:2007/11/14(水) 00:26:12 ID:WJfsDbuU
張遼のことかー!
14名無し曰く、:2007/11/14(水) 00:48:57 ID:A176MQ+Y
魏は過大過小というより知名度で適当にランク付けしてるな
15名無し曰く、:2007/11/14(水) 03:43:55 ID:4dPLeYI2
張飛は入蜀前後でやると、なんか違う気がする。
将としてまったく成長して無くて(´・ω・`)
16名無し曰く、:2007/11/14(水) 06:11:41 ID:lCLbhqUQ
蒼天補正されまくっとるがな
17名無し曰く、:2007/11/14(水) 08:47:50 ID:nzqJmQxU
蒼天補正は夏侯惇の武力だけは認めてやっても良い。
魏では許・典に次ぎ、徐晃より上な感じで。
認められなくても勝手にエディットするから良いけど。
18名無し曰く、:2007/11/14(水) 10:28:32 ID:Jj2Ppv77
魏の武将をまともに数値化するとゲームにならんのだろう、強すぎで
19名無し曰く、:2007/11/14(水) 11:23:17 ID:OxbFV/XM
正史は曹操にしてからが成功を褒めすぎ、失敗は無視or軽視だからなあ。
当然魏将もその恩恵に預かってるはず。
蜀は薄いしろくに記述がないので全然たいしたことがないように思えるが、
魏に20年、呉に10年出遅れて三国の一角を占めた以上そう馬鹿に出来たものではないはずである。

他の時代の史書をろくに読まないやつほど正史の過剰賛美を鵜呑みにして評価に反映させる。
そもそも正史の印象そのままなら鼎立なんかする訳ないから。
20名無し曰く、:2007/11/14(水) 11:29:13 ID:A176MQ+Y
>>19
江南も蜀も守り固められると余程相手がバカじゃないとまともに攻められない地形です。はい終了
21名無し曰く、:2007/11/14(水) 12:45:32 ID:r/DH9E3d
例えそうであっても、統一の覇業を成し遂げた人物はその地形を突破してる奴も多いんだが。
22名無し曰く、:2007/11/14(水) 13:01:50 ID:A176MQ+Y
だからバカだと突破されるんだって。
特に末期の蜀呉は疲弊してまともに防戦できる状況じゃなかったしね
23名無し曰く、:2007/11/14(水) 13:08:38 ID:arvoDDIe
バカと疲弊をいっしょにするな
24名無し曰く、:2007/11/14(水) 13:10:25 ID:A176MQ+Y
ごめん。
25名無し曰く、:2007/11/14(水) 13:35:33 ID:EISHte27
ゲームだと李儒の知力90ぐらいだけどもっとあってもいいと思う
26名無し曰く、:2007/11/14(水) 13:51:30 ID:r/DH9E3d
>>25
三国志11では知力は93だったな。
27名無し曰く、:2007/11/14(水) 17:20:45 ID:QPqWRpV1
>>23
というか支配者が馬鹿だから国家が疲弊するんじゃないか?
酒色に耽って政治を混乱させた暗君・劉禅といい、
家臣も宮女も手当たり次第処刑しまくった暴君・孫皓といい。
28名無し曰く、:2007/11/14(水) 18:18:01 ID:T8K8w0RW
別に相手が馬鹿とか疲弊してたとかじゃなくても
あの状況ぐらいからなら普通に統一出来そうな奴らも居るけどな

>>27
蜀の場合は国内の厭戦ムード、呉の場合は蜀が落ちた時点でゲームセットだろ
この辺の国力の低下や状況の変化を全て為政者の無能に押し付けてしまうのはちと乱暴かなと思う
まぁ当然そいつらが優秀だったと言う事ではないが
29名無し曰く、:2007/11/14(水) 18:29:55 ID:0j2/iiwr
>>19
官渡の戦いの曹操軍一万人とかちょっと信じ難いよな。
部隊をいくつかに分けたうちの曹操軍本隊一万人とかなんだろうけど。
30名無し曰く、:2007/11/14(水) 18:30:47 ID:zd4RnBf2
益州の天然は要害といえども、人士は不順で安定させるのは容易ではない。
権力基盤が安定しないのなら山峡など平野も同じこと。
実際晋から梁までの諸王朝は造反や南征で度々この地を失陥し、
それでいて奪還している。出入りの激しい危険な所だよ。
31名無し曰く、:2007/11/14(水) 18:58:40 ID:OxbFV/XM
>>20>>22
貴方の論を別の見方で見ればこうなる。
「献帝と中原さえ押さえてしまえば余程自軍がバカじゃないかぎり天下統一です。はい終了」と。
ここに来るような連中はそれくらい分かってる。
無駄にエラぶるのはうぜーからやめろや。
32名無し曰く、:2007/11/14(水) 21:21:40 ID:0j2/iiwr
>>28
姜維が一生懸命戦ってたじゃん
33名無し曰く、:2007/11/14(水) 22:11:56 ID:T8K8w0RW
>>32
姜維は厭戦ムードを打ち消す様な戦果や成都での発言力無かったし
漢中で前線はってる組と成都の後方組の温度差は結構あったと思うよ
結局経済や国政の基盤は成都であってそこに厭戦ムードが漂っていた辺りで終
優秀だったとは言わない云々の事ならあくまで劉禅・孫皓辺りのいわゆるTOPの事だと思ってくれい
34名無し曰く、:2007/11/14(水) 22:28:52 ID:eo8EYXR9
>無駄にエラぶるのはうぜーからやめろや。

これも十分に偉そう
35名無し曰く、:2007/11/15(木) 09:15:43 ID:jYN2LQbx
子曰く、「何を以ってか徳に報いるのか?直を以って怨みに報い、徳には徳を報いる」と。
36名無し曰く、:2007/11/15(木) 11:39:16 ID:/qEuHE7s
>>33
厭戦ムード以前に、末期の蜀は総人口の15パーセントが兵士をやっている、
いつ崩壊してもおかしくない北朝鮮状態の国家だったんですが。
厭戦機運なんて関係ありません。
37名無し曰く、:2007/11/15(木) 13:30:03 ID:vLeLYtyo
総人口じゃなくて官民人口だな
38名無し曰く、:2007/11/15(木) 13:40:57 ID:vLeLYtyo
官民人口じゃなくて戸籍人口か
39名無し曰く、:2007/11/16(金) 01:18:57 ID:smPi8CNP
>>30
奪還したことってあったか?
北周の傀儡王朝の後梁でも数に入れるのか
40名無し曰く、:2007/11/16(金) 01:32:43 ID:7hg7S76k
今日、久しぶりにWの武将ファイル読んでたんだが、
趙雲のチートぶりに吹いた。

統96 武98 知85 政80 魅95

まともなのは武力だけじゃねえか!総合3位とか、なめとんのか!
さすがは過大武将の代名詞だぜ。
41名無し曰く、:2007/11/16(金) 02:09:26 ID:XkK6GeWv
武力がまとも?と思ったけど、演義ならまともか
42名無し曰く、:2007/11/16(金) 05:37:31 ID:tYE82ROO
これは酷いw

黄忠・魏延あたりより強いのは納得できないな。
43名無し曰く、:2007/11/16(金) 06:33:06 ID:2K6/o7qK
>>39
後梁は荊州でござりまするがな(´・ω・`)
そもそも成漢が十六国の内数少ない晋に滅ぼされた国であるし、
苻堅は寧州つまり南中までとはいかずとも梁益二州を切りそろえている。
桓玄の乱の後にはどさくさにまぎれて後蜀なんて国もできて、後秦と
結んだりして頑張ったが結局鎮められている。南北朝時代では、
どちらかと言えば蜀というより巴の方ではあるが、宇文泰が来るまで
土民を煽りつ煽られつ、土地を取りつ取られつしているはず。
特に後蜀は時期が時期とはいえ、他の地なら「起事不久敗死」などと
片付けられそうな反乱が拡大しているあたり益州って感じがするかと思われ。
44名無し曰く、:2007/11/16(金) 06:50:40 ID:smPi8CNP
だから、その中のどこが「奪還」なんだよ
奪還ってことは一度自国領だったものが奪われたあと取り返すってことだろうが
45名無し曰く、:2007/11/16(金) 07:26:24 ID:2K6/o7qK
>>44
??
晋領→テイの李某に奪われる→奪還→テイの苻某に奪われる→奪還→
よくわからん[言焦]某に(ry→奪還→元某に屡々・・・と書いたつもりだが、
他の何と読みとったんだね?てか奪還の主語を何だと思ったんだね?
46名無し曰く、:2007/11/16(金) 08:09:50 ID:YpOeEgU6
久しぶりに歴ゲ板来たらガラの悪さにフイタw
47名無し曰く、:2007/11/16(金) 08:22:44 ID:smPi8CNP
だっ‐かん〔‐クワン〕【奪還】
「だっかん」を大辞林でも検索する


[名]スル奪われたものを取り戻すこと。奪い返すこと。奪回。「陣地を―する」
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



何時李雄らが蜀を奪われたんだよ。元々晋領だったろう
何時苻堅が蜀を奪われたんだよ。元々成漢領だったろう
何時[言焦]縦が蜀を奪われたんだよ。元々前秦領だったろう
何時、劉裕が蜀を奪われたんだよ。元々後蜀領だったろう
何時、宇文泰が蜀を奪われたんだよ。元々梁領だったろう

日本語ちゃんと使えよ
48名無し曰く、:2007/11/16(金) 08:34:43 ID:LeVJBxR7
日本語でおk
49名無し曰く、:2007/11/16(金) 08:55:56 ID:L1Zba8qT
天下人候補たちにとって土地は他人にレンタルしてるだけで元々自分のもの。
それを切り取ることは奪還というに等しい。とでも言ってみた。
50名無し曰く、:2007/11/16(金) 08:57:09 ID:2K6/o7qK
>>47
本当に何を言っているんだ?>>30を見れば解るが失陥し、かつ奪還するの主語は
「晋から梁までの諸王朝」つまり晋宋斉梁だぞ?「前秦が晋に奪われしを
奪還した」ではなく、「晋が前秦に奪われしを奪還した」という話だぞ?
辞書までひきおってからに、ここまで書かな解らんのか?
51名無し曰く、:2007/11/16(金) 09:23:53 ID:smPi8CNP
>実際晋から梁までの諸王朝は造反や南征で度々この地を失陥し、
>それでいて奪還している。出入りの激しい危険な所だよ。

奪還は「奪い還す」と読んで字の如く「元々所領していたモノを奪われ、それを取り戻す」という意味だ。
その意味だと上の文は益州を各々の王朝がオセロゲームの如く失って取り戻して失ってを繰り返してたことになる。
実際は奪われたらそれっきりなので、その奪った政権を別の政権が奪うだけで「還した」訳ではない?
無理矢理「奪還」という日本語を使うならば、西晋〜梁までの王朝を一個の名詞にするという暴挙に出なければならないが
しかし「晋が前秦に奪われしを奪還した」……これでは主語が晋だよね?ああ、それとも西晋と東晋を同一視してるのか?
それならかろうじて「奪い還す」が成立するけど、今度は「諸王朝が」が成立しない。他の王朝は「奪い還した」ことなどないのだから。
52名無し曰く、:2007/11/16(金) 09:59:51 ID:L1Zba8qT
どうでもいいことで揉めるね。
いい加減スレ違いだから他所でやってくれ。
これ以上続けてもあまり旨味のない議題だろうし。
53名無し曰く、:2007/11/16(金) 10:04:57 ID:2K6/o7qK
>>51
奪われたっきりと書くあたり何か勘違いしてそうだが、領有の移動は
(西)晋→成漢→(東)晋→前秦→(東)晋→後蜀→(東)晋→宋…だ。
東西分けても奪還している。また>>43で「南北朝時代では…」と
他の王朝についても言及している。各王朝を無理矢理一つにしなきゃ意味が通らない
と言うあたり、取りつ取られつする関係を宋と斉と梁の間だと思っていそうだが、
「諸王朝」と益州につき「南征・造反」する相手、多くの場合北魏だ。
てかどうも>>47を見るに益州の領有の変遷を晋→成漢→前秦→後蜀→
宋…など直通している感じが。
54名無し曰く、:2007/11/16(金) 10:07:23 ID:smPi8CNP
だから、東晋しか「奪還」してないのになんで諸王朝が出てるんだよと
でもホント、スレ違いで御免
55名無し曰く、:2007/11/16(金) 10:08:01 ID:E7hzfFmg
スレ違いでも盛り上がってるのなら別にどうでもいいよ
56名無し曰く、:2007/11/16(金) 10:15:24 ID:2K6/o7qK
>>54
だから言及しているって。つまりは北魏は全域とはいかないが
東部くらいなら抜いているし、かつ南朝は奪還している。
てかお叱りを受けたのでこの辺にせんかい?
57名無し曰く、:2007/11/16(金) 10:31:25 ID:smPi8CNP
益州地域と言うべきだろ、ソレ。あるいは郡単位で呼称すべき
益州と単体で名称するならばそれは益州全域を指すのが日本語ってもんだ
58名無し曰く、:2007/11/16(金) 10:47:37 ID:L1Zba8qT
言葉なんて文脈次第でいくらでも変わるわ。
この時代は州が異常に増えるから同じ『益州』でも三国以前と同じ感覚で見ちゃいかんだろう。
適当な言葉を選ぶなら『四川』かな。
59名無し曰く、:2007/11/16(金) 11:03:25 ID:smPi8CNP
州が劇的に増えるのはもっと後だぞ
60名無し曰く、:2007/11/16(金) 11:19:19 ID:2K6/o7qK
>>59
南北朝時代後期にはだいぶ増えてるだろ。
まあ一部ないし全部と入れなかった点はまずったかなとは思ったが。
そこはお詫びして訂正いたしますわ。
61名無し曰く、:2007/11/16(金) 11:20:43 ID:L1Zba8qT
>>59
まあそうだが西晋の時点で細切れ化が始まってるのも確かだろう。
62名無し曰く、:2007/11/16(金) 11:43:39 ID:l4WSb2n9
唐〜宋までの間に名前までガラリと変わるけど
南北朝期は細かくなるだけだな
63名無し曰く、:2007/11/16(金) 13:43:32 ID:TrjKEbWF
なんかもう、言葉尻をとらえての揚げ足の取り合いwww
そんなにお前ら、自分が一番じゃないと気がすまんのか?
64名無し曰く、:2007/11/16(金) 13:46:39 ID:/qpm3Ihg
いい加減関係の無い話は余所でやれよ
65名無し曰く、:2007/11/16(金) 14:00:22 ID:2K6/o7qK
もう止んだつもりだったが
66名無し曰く、:2007/11/16(金) 17:09:33 ID:LeVJBxR7
そんな事より曹操の息子陣が強すぎな件について
67名無し曰く、:2007/11/16(金) 17:38:45 ID:F410er3l
>>66
逆に夏候淵の子孫たちは悲惨
68名無し曰く、:2007/11/16(金) 17:57:43 ID:Gu37zEgF
曹操の子らはあんなもんでいいよ
そんかわりシステムの方をいじってフル活用できないようにしたい
69名無し曰く、:2007/11/16(金) 18:26:12 ID:Gy18WCHL
>>66
関興・関索・張苞があの能力(統率70後半・武力80半ば)だし、
曹操の子らが特に強いって事は無いよな。
70名無し曰く、:2007/11/16(金) 18:49:29 ID:igxDgpF/
実際に曹操の子や孫は数値に値する活躍してるだろ
71名無し曰く、:2007/11/16(金) 20:20:53 ID:7hg7S76k
そんなことより、俺の大好きな張遼について語ろうぜ!
統92 武94 知79 政40 魅81 くらいでどう?
72名無し曰く、:2007/11/16(金) 20:29:54 ID:5HJiEiL1
てか現状がすでにそんな感じでしょ>張遼
政治がやや高めだが
73名無し曰く、:2007/11/16(金) 21:29:21 ID:l4WSb2n9
曹沖の活躍って一体…
74名無し曰く、:2007/11/16(金) 21:44:53 ID:hH46+k4G
将軍系の武将は政治低くしろよ。
関羽 統91武97知79政43魅94
孫策 統92武93知70政34魅90
夏候淳 統87武92知67政49魅74
張コウ 統90武89知74政32魅81
甘寧 統83武92知81政14魅73
張任 統88武87知83政61魅78
とか
75名無し曰く、:2007/11/16(金) 21:53:33 ID:5HJiEiL1
一応統治面で実績のある上3人はもうちょっと高くて良いだろ
むしろ張任が高い
76名無し曰く、:2007/11/16(金) 21:56:21 ID:E7hzfFmg
夏侯惇が低いのはネタか?
77名無し曰く、:2007/11/16(金) 23:12:55 ID:sETCrwZ/
関羽と夏候惇の政治が40台とかキチガイかお前

正史でも演義でもいいから読み返してこいよ
78名無し曰く、:2007/11/16(金) 23:56:25 ID:M982j1zQ
サックは配下の吸ってるわな
吸ってないというなら二張以下ムダに高い連中総下げにしろよ
79名無し曰く、:2007/11/17(土) 01:33:47 ID:h2PLzevj
>>67
夏侯玄は現状でも政治高いし、夏侯楙は正史だと演義より更に無能だぞ。
8079:2007/11/17(土) 01:34:52 ID:h2PLzevj
どっちも淵の系統じゃなかった
81名無し曰く、:2007/11/17(土) 07:52:32 ID:QZAhaQja
関羽はマイナス点がでかいから評価する人によっては40台もありえそうだけど
夏侯惇は無いな
82名無し曰く、:2007/11/17(土) 09:33:24 ID:bj9OTr2Q
外交を重視しても関羽四十台は無い
まあそもそも真中の五十がどういう基準なのかはっきりしないんだけどね
83名無し曰く、:2007/11/17(土) 12:45:35 ID:5OWotMoq
関羽と夏侯惇は似たようなもんだろ。まがりなりにも最前線を無難に治めた訳だし。
それに荊州失陥は政治力より知力と魅力の問題だと思うが。
魅力にしても士大夫と下っ端の区別がついてないからなあ。
84名無し曰く、:2007/11/17(土) 13:17:58 ID:so26664h
更に面倒になりそうだけど、兵科適性みたいに政治や計略でも得意・不得意を設定してくれるといいかもね。
85名無し曰く、:2007/11/17(土) 13:30:44 ID:Iq7HH2aJ
>>71
大した知の実績もない張遼の知力は過大。武力も文醜に負けてるしな…
正史の張遼の武力は最強クラスだろうけど。

>>74
張コウの知力はもっと高くていいと思う。張コウは兵法に通じ、どのような状況でも
的確に対処できたと言われているし、例の追撃の件に関しても張コウは反対してたみたい
だしな。

>>83
関羽の知力は、反乱軍や賊と結び魏を混乱させ、水害に的確に対処してウキン軍を
壊滅させてるんだから別に過大ではないと思うな。
86名無し曰く、:2007/11/17(土) 13:32:00 ID:5OWotMoq
つーか戦場と役所での知力、統率力は別物だし。細分化は無駄だから。
いっそ全部特技にしてABCの三段階でもいいような気がするがなあ。
87名無し曰く、:2007/11/17(土) 13:34:29 ID:5OWotMoq
>>85
>関羽の知力
まあ呂蒙と司馬仲達、蒋済を加点するのが妥当だろうね。

>張遼
陥陣営は長生きしてたら恐ろしい部将だったかもしれん。
88名無し曰く、:2007/11/17(土) 18:04:49 ID:n9ZFQQHT
史実惇
統30
武30
知30
政30
魅90
89名無し曰く、:2007/11/17(土) 20:27:09 ID:NdyLrTZG
なんとほおって置けないタイプのトン兄
90名無し曰く、:2007/11/18(日) 09:30:25 ID:QuQsuvb2
個人的には張遼(正史版)は戦術レベルの知力というか戦場での状況判断力はトップクラスと思っている。
知力80くらいはいけると思うけどなあ。
91名無し曰く、:2007/11/18(日) 15:11:29 ID:6ePVVxxY
知力(兵法・軍事戦術)と知力(計略・国家戦略)に分けるしかないな
92名無し曰く、:2007/11/18(日) 15:46:05 ID:5KthkttR
そもそも知力いらなくね?
計略は特技でいいし。
93名無し曰く、:2007/11/18(日) 15:59:00 ID:QbesZloo
同意。
兵法・戦術および経略は特技でおk。
統率も兵科適性でいいよな。
94名無し曰く、:2007/11/18(日) 18:54:34 ID:88ckGQNE
政治も武力もいらないな
95名無し曰く、:2007/11/18(日) 21:13:11 ID:QbesZloo
じゃ、魅力だけで良いよね。
96名無し曰く、:2007/11/18(日) 21:33:11 ID:5KthkttR
そこは魅力もいらない、でおk。
97名無し曰く、:2007/11/18(日) 22:14:56 ID:simCQKUE
ちょっとまて、判断に困るから軍師に聞いてみる!

ぐんしをよびますか? Y/N

ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''
諸葛亮 曰く
「そうてん すでに しす」


ちっきしょーわけわかんねーよ!
98名無し曰く、:2007/11/18(日) 22:40:51 ID:/3CUCpIL
呂布軍では、高順>>>>>張遼だったんかな?
99名無し曰く、:2007/11/18(日) 23:08:35 ID:Wif5JHiH
みたいだね、呂布も意見してるし
まだ若造だったから仕方ないんだろうけど
100名無し曰く、:2007/11/19(月) 10:42:21 ID:4DbpEU0W
実際、高順は結果だしてるからな。演義でも一騎打ちは強くないけど、軍隊指揮
は上手い武将として書かれてたし。

>>90
戦場での状況判断力は統率だろうな。知力は火計や伏兵や水計みたいな複雑な計略だな。
101名無し曰く、:2007/11/19(月) 10:45:19 ID:Gdz5BtXl
戦場計略攻撃→知力
戦場計略防御→統率

これで良くね?
102名無し曰く、:2007/11/19(月) 12:15:38 ID:4DbpEU0W
通常攻撃→武力
通常防御→武力と統率の高い方
戦場計略攻撃→知力
戦場計略防御→統率と知力の高い方
103名無し曰く、:2007/11/19(月) 12:41:22 ID:ScyLvUT4
武力は一騎打ち専用でいい
104名無し曰く、:2007/11/19(月) 13:01:46 ID:VAnn2ezo
戦闘系のステは攻撃・防御・機動・運営でどうよ?
105名無し曰く、:2007/11/19(月) 13:04:14 ID:4DbpEU0W
直接交戦する前線の武将は戦士としての能力の高い(武力の高い)のが多く
総大将は直接交戦する事は負けた時以外はほとんど無かったと思うけどな。
実際、正史でも関羽や呂蒙とか直接敵の大将を討ち取ってるし。
106名無し曰く、:2007/11/19(月) 14:22:49 ID:UGH/BEls
武力(一騎打ち、突撃系兵法に影響)
統率(指揮官適正・・・部隊の強さ、機動力など)
知力A(軍師適正・・・作戦立案、戦場での計略など)
知力B(謀臣適正・・・平時の計略、情勢判断)
政治A(宰相適正・・・国家運営、外交)
政治B(官僚適正・・・事務処理能力)
政治C(太守適正・・・異民族統治など)
魅力(orカリスマ・・・君主適正)

プラス兵法特技、政治特技、性格設定多数なカンジで。
たとえばトウガイなら知力Aは高め、知力Bはそれよりは低め、特技に農政は持ってるけど
政治Aなんかは特に低め。
楊儀なんかは軍師、官僚としては優秀だけど、宰相、謀臣には不向きとか。

または政治を政治A(国家運営、地方統治)と政治B(外交、事務処理)で分けたらどうだろう?
107名無し曰く、:2007/11/19(月) 14:44:47 ID:VAnn2ezo
それこそ基本値+適正でいいじゃないかw
知力90の軍師適正Aとか、謀臣適正Bとか作ればいいだけ。
108名無し曰く、:2007/11/19(月) 14:53:11 ID:21YZaKuu
陸遜は軍師としては程立以下
109名無し曰く、:2007/11/19(月) 15:02:25 ID:ilrJ6o0w
基本値が単なる印象値に落ちてるのがな…
データ不足のやつが多いし、あまり煩雑にすると有名人でも評定不可能になるから
>>106みたいにするのはゲーム的にキツイだろう。
となると特技とおおまかな適正だけにするしかない。

90代は異常な精度でああだこうだ言われる割にそっから下はかなりいい加減。
ほんとはそいつらのほとんどは60〜80くらいなんじゃないの?インフレしすぎ。
まあ10、20下回っても引き分けることが出来るくらいのシステムにしないことにはな。
110名無し曰く、:2007/11/19(月) 15:14:53 ID:w0bMBrVN
いっそステータスなんていらねーよ。
>>91-96の様に、全て特技や兵科適性でいいんじゃね?
111名無し曰く、:2007/11/20(火) 01:24:09 ID:7sMBZytg
冷泉とか何で今まで消えてたんだろう?
演義で劉障の先鋒として登場回数かなり多くて目立ってるのに。
112名無し曰く、:2007/11/20(火) 10:37:09 ID:NohlEtX2
三國志11の能力値の平均値(史実武将のみ)

統率 57.43
武力 55.04
知力 58.55
政治 56.41
魅力 59.35

平均すると思ったほどはインフレしてなかった。だいたい50台後半〜60弱。
昔のシリーズと比べると全体的に高いんだろうか?

ついでに11での兵科適正平均(S=4 A=3 B=2 C=1としたとき)

槍兵 1.61
戟兵 1.60
弩兵 1.62
騎兵 1.55
兵器 1.51
水軍 1.33

まあだいたいB-ってところ。水軍は呉専用なのか平均値が低い。
113名無し曰く、:2007/11/20(火) 10:53:14 ID:NohlEtX2
あ、少し計算ミスってた。
だいたいその数値に+0.1くらいして。
114名無し曰く、:2007/11/20(火) 11:38:16 ID:80xFpoil
平均ってのは一部の高ポイント者によって全体的に底上げされてしまうものだから
真の平均が50だとして計算上の平均60ってのは適切だと思う
115名無し曰く、:2007/11/21(水) 22:39:56 ID:OXLNWJZy
>>85
張遼の知力を示す話としては、長社の反乱を
未然にふせいだことかな。
個人的には張遼は冷静沈着な猛将だと思う。
116名無し曰く、:2007/11/21(水) 22:42:49 ID:K13UC3qH
演義で良いなら太史慈の策見破ったのも有る>張遼の知
117名無し曰く、:2007/11/21(水) 23:06:00 ID:OXLNWJZy
計略を防ぐ意味での知力は高いと思う>張遼

118名無し曰く、:2007/11/21(水) 23:35:02 ID:mc/Jsbvp
今後自勢力が取るべき指針とかは教えてくれそうもないけどなw>張遼
まあ甘寧、徐盛とか関羽、趙雲とかもそうだがw(知力の妙に高い武官達な)
119名無し曰く、:2007/11/21(水) 23:38:52 ID:fxaO4Nm5
計略攻撃能力と計略防御能力に分ければ済む・・・のか?
特技絡めれば実現できそうだが
120名無し曰く、:2007/11/21(水) 23:48:29 ID:OXLNWJZy
つ天下2分の計
甘寧
121名無し曰く、:2007/11/22(木) 06:16:28 ID:/rZ6LkHB
>>120
甘寧のあれは、劉表や黄祖を叩きのめしたいだけのように思えてしかたないw

内情を知ってて、荊州攻めるなら今ですぜ、みたいな献策で
荊州益州なら案内役として自分も活躍できます、という印象。
「天下二分の計」なんて大層な戦略じゃあないと思うがなあ。
122名無し曰く、:2007/11/22(木) 07:39:37 ID:6BEHOw2H
内情を知っているというのはあるにしても
荊州の重要性を十分に説明しているし
劉表や黄祖を叩きのめしたいだけということはないんじゃないか?

天下二分の計というほど大層なものではないのは同意だが
>>118があげている他の連中とはやはり違うと思う。
123名無し曰く、:2007/11/22(木) 07:50:47 ID:w2h0gC5e
演義ベースなら

張遼は貴重な計略看破エピソード持ちかつ、失態が無い
徐盛は曹丕の征呉軍を追い返したエピソード 既に陸遜が登場してたのに、わざわざ見せ場をもらってる
関羽は物語序盤から張飛と対比されるように知的 水攻めやったりね

別に事実無根の高知力なわけじゃない
たったこれだけのエピソードで?と思うかもしれないけど
他の有力な武官のことを考えてみると良い
少しでも知力にプラス補正が入りそうな武将ってほとんど居ない
124名無し曰く、:2007/11/22(木) 12:05:48 ID:lk1fNJmU
いやそこは天下の10年先の展望を読む能力と
戦場で敵の作戦を見破る力が同じ「知力」のカテゴリーにされてるって皮肉だろ?
125名無し曰く、:2007/11/22(木) 13:30:16 ID:16jY9Q7B
戦略と戦術を知力にまとめても構わんだろ
そもそも戦略を提案してる人物なんざ三国志の中でどのくらい居るのやら

新しいパラメータ作ったって評価できんよ
126名無し曰く、:2007/11/22(木) 16:21:47 ID:w2h0gC5e
今までの三國志のゲームシステムだと
「戦術を実行する能力値」は必要になるけど
「戦略を構築する能力値」はほとんど必要無い、というのも有る。
基本的に戦略はプレイヤー(orCOM君主)だけが考えるものであって
配下武将にそういう能力をあてがったところで役に立たない。
せいぜいマスクデータでCOMの頭レベルを数段階設定しておくのが関の山。
127名無し曰く、:2007/11/22(木) 18:03:32 ID:xktWchMp
850 :名無し曰く、:2007/11/04(日) 16:13:48 ID:drAL7UFR
戦争で総大将だけでなく参謀を任命させて欲しい。効用は総大将の統率と知力、参謀の知力が
高いと味方の全部隊が強くなる。この制度を作れば孔明とか優秀な参謀が加入した後の劉備軍の
強さを再現できると思う。


851 :名無し曰く、:2007/11/04(日) 17:05:33 ID:drAL7UFR
さらに詳しく考えてみた。効用は総大将の統率、参謀の知力が高いと味方の全部隊が
強くなり、総大将と参謀の高い方の知力が計略成功率に大きく影響する。実際に計略を
しかけるのは総大将(例えば劉備)や参謀(例えば孔明)じゃなくて実戦部隊(猛将たち)
の指揮官である事が多いので、個々の部隊の計略の成功判定は統率か知力の高い方の数値を
使う。そうすれば総大将と参謀と他の部隊の差別化が出来ると思う。
128名無し曰く、:2007/11/22(木) 23:23:59 ID:lRkAZPto
戦争はPS覇王の大陸でいいよ

知将、猛将大活躍
129名無し曰く、:2007/11/23(金) 11:15:28 ID:g4xfamqj
革新みたいに計略と内政の適正があれば楽なんだがなぁ
130名無し曰く、:2007/11/23(金) 11:18:53 ID:iSYOyo1e
今までの三國志に無かったと?
適正じゃないにしろ特技等の表現で表されてるよ。

革新の適正は技術革新と熟練度の成長率にしか関わらないから
武将の能力評価に使うにはやや都合が悪い。
131名無し曰く、:2007/11/23(金) 11:44:19 ID:cFOyzWMC
>>123
つ高順、張コウ
132名無し曰く、:2007/11/23(金) 12:03:17 ID:tdiONyOe
冷静な武官、というだけで知力が高くなる傾向があるな
趙雲とかその典型だろう
キレやすい関羽、張飛、馬超、魏延にくらべて
ただ普通というだけだったのではないかw
133名無し曰く、:2007/11/23(金) 14:34:28 ID:/Aua9oNi
とはいえあの武将は引き抜きできるかとか
袁紹にいくら積めば金受け取ってもらえるかとか聞かれても困るだろ
趙雲他知力高の武官どもは
134名無し曰く、:2007/11/23(金) 15:13:05 ID:iSYOyo1e
演義ベースでも趙雲はちょっと知力高いよな
失敗らしい失敗も全く無いわけでも無いし(劉備の護衛に失敗したり、北伐でちょっと窮地に陥ってたり)
特に計略を考えついたりしたエピソードが有るわけでも無し(空城の計もどきとかやってるけど)

>>133
いちおう呉を討とうする劉備をしっかり諫めてるエピソードが有るから
趙雲ならそこまで違和感は無いかもしれない
135名無し曰く、:2007/11/23(金) 15:59:14 ID:cFOyzWMC
空城の計は裴松之の注に採用されているから本当にあったかもな
136名無し曰く、:2007/11/23(金) 19:57:46 ID:feVmGwU2
「○○は我が陣営に来てくれるであろうか?」
「首に縄くくって引っ張ってくれば来るんじゃねえか?」

「○○にいくら渡せば友好関係を築けるであろうか?」
「○○なんざこの俺様が叩き潰してやるぜ!」

武官なめんな!
137名無し曰く、:2007/11/23(金) 20:01:03 ID:aNT34ulX
張飛w
138名無し曰く、:2007/11/23(金) 20:03:07 ID:EZ8Cc2HA
武官の知力って基本加点評価っしょ?
勝てば知力にプラスされるけど、負けた場合は負かした相手を評価した方が良いと思う
139名無し曰く、:2007/11/23(金) 21:57:23 ID:R+2OmN8a
イメージより知力が高い武将
趙雲、関羽、張遼、夏候淳、張コウ、徐晃、孫堅、孫策、甘寧、張任、文醜、孟獲、祝ユウ
イメージより知力が低い武将
馬超、張飛、李厳、リョウ化、夏候淵、ホウ徳、トウ卓、顔良、孟達
140名無し曰く、:2007/11/24(土) 01:00:27 ID:s96oXwhl
序盤、張飛の統率と知力は目を覆うほど低くても良いから、
晩年は結構良い感じに育ってくれると有り難い。
入蜀前後に劉備視点で「将として成長した」とか感慨に耽ってみたいぜ。
141名無し曰く、:2007/11/24(土) 13:25:23 ID:z1YsaZEi
>>140
そうなると、張飛にも「呉下の阿蒙」的なイベントがほしいな。
142名無し曰く、:2007/11/24(土) 17:48:51 ID:15rUKT/v
「燕人張飛」で208年以降の絶望的な撤退戦時に覚醒とか。
143名無し曰く、:2007/11/24(土) 18:09:27 ID:/XaLA+MN
長坂時はまだ覚醒してないイメージ
蜀攻めのあたりからだんだん…て感じだ
144名無し曰く、:2007/11/24(土) 18:53:51 ID:RC/WyeUq
荊州南部取ったころはまだ覚醒前?
145名無し曰く、:2007/11/24(土) 19:06:35 ID:15rUKT/v
二十余騎で五千騎にあたるとかほぼ自殺行為。
偽兵の計と威圧のどちらかに失敗してればただの脳筋馬鹿。
あの時点で知勇兼備といって差し支えないと思うけど。
146名無し曰く、:2007/11/24(土) 19:08:27 ID:th8XdOb+
吉川読者としては益州入りのときの
対厳顔戦で覚醒したって感じがする。
力攻め→無駄
挑発して誘い出し→効果無し
悩み悩んで策を思いつく
147名無し曰く、:2007/11/24(土) 19:40:02 ID:l3zHjFTM
>>139
李厳が知力低めって・・・
あいつこそ諸葛亮の「陸遜にも引けを取らない」発言のおかげで
オール80近くの能力を持ってる武将なのに・・・
148名無し曰く、:2007/11/24(土) 20:59:22 ID:801Axsg7
李厳は趙雲か魏延と一騎打ちして引き分けてなかったっけ

イメージとしてはカク峻とか孟達ぐらいと同格ってとこだが
孔明補正だな
149名無し曰く、:2007/11/24(土) 22:16:56 ID:vtTrh3uA
>>148
黄忠と引き分けてる

いくら孔明が「陸遜に匹敵する」とか言ってたって実績微妙な李厳の知力を今以上に高評価するのは難しいだろ
150名無し曰く、:2007/11/25(日) 00:25:00 ID:Is6FIL8H
>>139
曹操もイメージより知力が高い武将だよな。
なんとな〜く高水準になってる程度だと思うし。
まあ、もはや伝統だろうな。
151名無し曰く、:2007/11/25(日) 00:30:57 ID:3GZrGuV8
曹操は武力と無茶な機動で、知力面での誤差を何とかしてしまってる感じだ。
年をとるとそれを発揮出来なくなってる。
152名無し曰く、:2007/11/25(日) 01:18:58 ID:3rcF+/HA
関羽や張飛の統率が90後半なら、曹操は平気で300超えるだろ。
153名無し曰く、:2007/11/25(日) 01:34:37 ID:3sVhq2FK
>>152
頭の中身だけで見ればそうだけど、
統率の取り方は1種類じゃないからな

正面で戦って士気を底上げするタイプだってことを考えれば
演技重視だしまあ妥当
154名無し曰く、:2007/11/25(日) 01:34:54 ID:WR/KyF/8
曹操の統率が300?曹操って自分が率いた戦は勝率かなり悪いだろ
・反董卓連合で単独で攻めて大敗北
・陶謙攻めで住民大虐殺をするも陶謙を滅ぼせず
・張邈と陳宮に裏切られて大敗北
・張繍に奇襲されて大敗北、失った武将多数
・赤壁で(中略)大敗北
・漢中の劉備を攻めるが勝利できず撤退

かなりの戦争下手だと思う
結局、唯一の大きな勝利が官渡であることが幸いだったな
155名無し曰く、:2007/11/25(日) 01:37:10 ID:+8zWMeTe
>>149
そもそも諸葛亮が陸遜に勝てな(ry
156名無し曰く、:2007/11/25(日) 01:39:49 ID:+8zWMeTe
>>154
おまえ、そんな言い方すりゃ誰だって戦争下手の評価つけれるだろ。
157名無し曰く、:2007/11/25(日) 01:46:13 ID:KLA3bK41
曹操自身は超一流じゃないけど一流かな
配下の力もでかいからね
個人で見ると陸ソンとかのが統率は上だろう
158名無し曰く、:2007/11/25(日) 02:40:10 ID:YAd+UDAy
蒼天航路以降の曹操の過大評価は痛々しいな
159名無し曰く、:2007/11/25(日) 02:55:20 ID:l7DSnMm3
まあ後漢末三国志の中では屈指の存在なのは違いない
160名無し曰く、:2007/11/25(日) 03:26:37 ID:3rcF+/HA
>>158
今までの反動じゃないか?
魏の扱いは支那じゃかなり酷かったし(曹操だけじゃなくトウガイとか)。
それ言い出したら「演義以降の蜀の過大評価は酷い」
「羅漢中ってただの病的な蜀厨だろw」って言われるぞ。
161名無し曰く、:2007/11/25(日) 06:38:59 ID:vrj1fTV+
蜀将の過大評価はきれいな過大評価
162名無し曰く、:2007/11/25(日) 11:11:58 ID:9p5xf3Oq
曹操は初代三國志からかなりの高評価万能武将だろ。
なんでも無双補正だ蒼天補正って言うのは短絡的すぎる。

中国のこの手の掲示板の名将ランクでもいちおう名前が挙げられる程度の認知度では有る。
トータルの戦績と兵法書の注釈者って部分が高評価らしい。
163名無し曰く、:2007/11/25(日) 11:50:29 ID:Is6FIL8H
曹操の評価は全体的になんとなく高めなんだよな。
実際にそこまで飛びぬけてるという印象は受けない。
ただ、最近の三国志関係の本までもがやたら過度な曹操ヨイショに
走ってる部分もあるから勘違いしやすい人も増えたのかもな。
164名無し曰く、:2007/11/25(日) 12:18:24 ID:EROwoDwk
でも曹操はあんなもんじゃね?
他の武将の数値と比べての相対評価って意味でさ、曹操下げるなら他のも下げないと。
165名無し曰く、:2007/11/25(日) 14:05:14 ID:YekmQgxJ
曹操は主人公枠劉備のライバル兼ラスボス枠に近いからなんぼ強くてもいいよ
最近は微妙に主人公枠寄りになったせいか統率一位から転落したが
166名無し曰く、:2007/11/25(日) 14:07:18 ID:VowN0prw
統率といえば4の関羽統率100は謎だった
167名無し曰く、:2007/11/25(日) 14:59:08 ID:HyChI5bv
主人公補正と言えばこいつらだろ
趙雲…多田野武将が知力70オーバー、統率80オーバー。武力95オーバー。50代にして青年顔
陸遜…過大評価のオンパレード。司馬イより武力を上げる事によって無理矢理総合3位に食い込ませる
孫策…統率、武力、魅力が90越え。顔グラは活躍年齢が20代だからまだ納得できるが、過大評価しすぎ
周ユ…諸葛亮に翻弄されまくった癖に総合2位というあからさまな贔屓。こんな奴上げるよりホウ統、徐庶の知力上げろ
168名無し曰く、:2007/11/25(日) 15:00:21 ID:EROwoDwk
>>167
その議論過去スレで山ほどやってるから秋田。
もう少しマイナーな武将を頼む
169名無し曰く、:2007/11/25(日) 15:31:20 ID:Am9E2HpB
>>167
顔グラなんてどうでもいいだろw

マイナーではないが徐盛なんかは作品によっては過大。
統率80後半はありえん。
偽の城壁作って成功したけど、それだけで知力80以上はない。
武力84、統率80、知力75くらい。

それより朱然を・・・
一時期評価が改善されてきていたのに、最近また悪化してないか?
170名無し曰く、:2007/11/25(日) 15:33:05 ID:3GZrGuV8
勝率8割で過大評価か…
切り取った領土を考えても正面決戦で渡り合えたのは周ユ(赤壁)、呂蒙(濡須)、劉備(漢中)くらいじゃん。
あと詭計込みで呂布と張繍も入るか。
曹操と戦えるか否かで一次元は他と差が出来る。
171名無し曰く、:2007/11/25(日) 15:56:42 ID:BbFo9Wej
>>169
戦績見ると朱然も使われて何ぼって感じだけどな。
172名無し曰く、:2007/11/25(日) 16:01:54 ID:buoIJes2
呉将は全部過大
173名無し曰く、:2007/11/25(日) 16:44:10 ID:0n0+MTqs
出師の表(笑) 馬謖(笑) 雷薄(笑) 成宜(笑) 糜竺(笑) 徐盛の鬱(笑) 伊籍系(笑)
マイナス尹黙(笑) Wハッピー呉班(笑) 朶思大王(笑) 閻宇(笑) 傅士仁(笑)
専用胡車児(笑) ナチュラル出師の表(笑) 夏色胡車児(笑) 秋色武安国(笑)
レディース呉蘭(笑) アメニティ雷薄(笑) 自分らしさを袁術(笑) 賈華的お店(笑)
マイ文醜(笑) 若い徐盛に人気(笑) 思い切って蔡陽(笑) デキる徐盛(笑)
がんばった自分への皇甫嵩(笑) 高級武安国ショップ(笑)
董相国の自分(笑) くつろぎ尹大目(笑) 常に于吉遣い(笑) 愛され昌奇(笑)
さぁ自分磨き諸葛亮!(笑) 魯粛(笑) スロー普浄(笑) 丁封ックス(笑)
ダメージ費観(笑) 納豆で郭奕サラサラ(笑) 歩隲成分配合(笑) ふわモテ関羽(笑)
小悪魔迷当大王(笑) 自立した大人の徐盛(笑) そんな彼女の普段の顔良(笑)
ハッピースピリチュアルメイクアップアド馬超(笑) スロー雷薄(笑) ガーリッ周瑜(笑)
アダルトな徐晃バー(笑)  流行に金環三結(笑) キラキラ王葬(笑) 詰め忙牙長(笑)
モテ華佗(笑) ピラ程普(笑) ホット楊懐(笑) ハリウッドスターにも太史慈(笑)
兀突骨体操(笑) くつろぎの王允宿(笑) ツンデレ系で関平の気を引いちゃえ!(笑) 艶王粲(笑)
許緒なサーフガール(笑) 酸素馬宇(笑) 華佗いい(笑)
Lady nano程c(笑) シバイ(笑) 魏平(笑) ほっこ陸遜(笑)  馬良トラップ(笑)
女だけで、帯来洞主。(笑) 新定番(ニュースタンダード)張允(笑)
春色フルーツカラー裴緒レッスン(笑) ヲター徐庶(笑) ワーキング麋芳(笑)
ワザあり!司馬徽(笑) 着回し陳武レス(笑) 真似したい公孫讃(笑) 女陳蘭(笑)
ケータイ焦伯(笑) おやすみ、満寵。(笑) 郭奕ジェンヌ(笑) 美肌の夏侯蘭(笑)
馬騰フルストーリー(笑) ちょいワル馬岱ニティー(笑) ○○譚雄(笑) 左慈○○(笑)
キャンパス田豊(笑) ○○を文虎デュース(笑) 恋愛徐質(笑) 左慈うつ(笑)
大人華佗いい(笑) いい女華佗イイ(笑) オトナマッ虞翻(笑) 雷同ースジャケット(笑)
司馬師の流儀(笑)



曹操は大きな負けばかり強調されるけどほとんどの戦いに勝利してる
実際袁一族に勝ったってだけで評価されていいほどの実績なんだけどな
っていうか歌って踊れる4番でピッチャー兼監督みたいなスーパーマン
174名無し曰く、:2007/11/25(日) 17:34:48 ID:z8PlC2uo
張遼と夏候淵の武力高すぎるような
張遼武力90〜92くらいでいいと思う


夏候淵は89か90くらいだと思う


この二人が夏候惇より上はないと思う
175名無し曰く、:2007/11/25(日) 18:13:24 ID:x+bGuQP1
>>167
まぁ趙雲の知力・統率と孫策の武力・統率は不思議だよな。
孫策なんて他の有名所(張飛やキョチョ)で良く見る個人武勇の戦績ないもんな・・
短期間で領土拡大した功績を武力と統率に還元されてもw


176名無し曰く、:2007/11/25(日) 18:37:32 ID:KLA3bK41
張遼と互角な大史慈と互角なんだから武力は高いだろ孫策
太史慈より1低いぐらいでいいんじゃね
177名無し曰く、:2007/11/25(日) 19:08:25 ID:buoIJes2
張遼の武力は80代だと思う
178名無し曰く、:2007/11/25(日) 19:57:01 ID:KLA3bK41
80代だと文醜に殺されてないか
179名無し曰く、:2007/11/25(日) 20:09:40 ID:uU6Z0/k0
顔良でしょ
180名無し曰く、:2007/11/25(日) 20:29:08 ID:9kVOQ16g
そこで、年代で能力値が変わるシステムを張遼にも導入ですよ
181名無し曰く、:2007/11/25(日) 20:40:24 ID:YekmQgxJ
>>178
武力80代で関羽から生き延びてる紀霊や数十合以上打ち合った管亥が居るから大丈夫
182名無し曰く、:2007/11/25(日) 20:57:14 ID:BakgF3E0
官渡時の張遼に比べ合肥時の張遼は年取って経験重ねて成長してるんだろうな
まぁここらへんは成長の度合いに差があるだけで大体の武将に当てはまるんだろうけどさ

年齢での成長経験踏まえての成果とか考えると
あの年であれだけの成果挙げた孫策は大した物なんだなって思うわ
183名無し曰く、:2007/11/25(日) 21:43:32 ID:3GZrGuV8
劉備って夷陵前に死んでれば孫策以上の評価を受けても不思議ではないよな。
184名無し曰く、:2007/11/25(日) 22:44:06 ID:V9WJKCtY
>>175
演義だと太史慈と一騎討ちで引き分けたような
185名無し曰く、:2007/11/26(月) 03:56:18 ID:IiyG77d3
大史慈・孫策の武力は張遼に左右される(大史慈と張遼は互角)
この2者は呉のトップ3に入るレベルだし上であった張遼の武力80代を採用するなら呉で武力90台は誰もいなくなるぞw
186名無し曰く、:2007/11/26(月) 04:35:21 ID:WvY7cJRD
三國志10に関してだけど鳳鄒とまで言われたのに死に方が呆気ないからか知らないが特技が孔明より少ない

あ、スレタイの逆だったか
187名無し曰く、:2007/11/26(月) 04:39:24 ID:WvY7cJRD
>>147
もっと低くていいよな
孔明が良いとこまで行ってたのに嘘の手紙送って戻したからな
188名無し曰く、:2007/11/26(月) 04:43:45 ID:j23wkfLR
>>183
大事なのは時期ではなく、法正がいるかいないかだろうな
法正込みでいいなら孫策より上だろうな
単独では厳しいだろう
189名無し曰く、:2007/11/26(月) 11:34:28 ID:2ksjsCIX
法正が漢中戦にどこまで影響したかは不明瞭じゃね?
と言うか単独でも結構な戦績持ちな気がするが
190名無し曰く、:2007/11/26(月) 13:15:42 ID:0SnX4YkV
劉備は圧倒的不利を除けば、三国志屈指の名将にしか負けてない
しかも法正付きとは言え曹操に勝っている

統率90はやれると思う
191名無し曰く、:2007/11/26(月) 14:15:37 ID:+pAGVIhP
>>190
でも劉備は勝ってる戦争でも一戦にかける期間がやたら長いんだよな、漢中の時も劉循囲んでる時も一年以上かかってるし。長期戦を続けられる統率力があるのか、ただ単に戦が上手くないのかの判断が難しいところ
192名無し曰く、:2007/11/26(月) 15:06:21 ID:LtpR2PHZ
減点2

ひとつ 夷陵が戦略的にも戦術的にも致命的であるということ
ふたつ 曹操は圧倒的不利を跳ね返して勝利していること
193名無し曰く、:2007/11/26(月) 15:33:38 ID:IBvG98Oj
減点2

ひとつ 赤壁と漢中が戦略的にも戦術的にも致命的であるということ
ふたつ 劉邦は大敗の後からでも圧倒的不利を跳ね返して勝利していること
194名無し曰く、:2007/11/26(月) 16:05:17 ID:UBCJXGE4
曹操曰く「策を思いつくのがおそい人」だからな>劉備
195名無し曰く、:2007/11/26(月) 16:08:53 ID:+pAGVIhP
>>192
夷陵攻めは間違っちゃいないと思うぞ。陸遜が相手だったから負けた、それだけのこと。あの時の蜀軍はまさに破竹の勢いだったし他の呉将達なんかはそれを早いうちに打開策を講じるべきだと言っていたがその通りにしていたら蹂躙されてただろう
196名無し曰く、:2007/11/26(月) 16:25:31 ID:2ksjsCIX
まぁ劉備は主人公だしそれプラス儒教補正で魅力以外オール70代でも違和感無いけどな
197名無し曰く、:2007/11/26(月) 16:35:05 ID:2BSM0fgv
>>184それしかないよな。ぶっちゃけシジと互角だから高武力ってのもなw1戦だけで90オーバーとか、君主補正働きまくりな気がする。
198名無し曰く、:2007/11/26(月) 16:39:08 ID:hIJ7g9YQ
>>175
>短期間で領土拡大した功績を武力と統率に還元されてもw

じゃあ、短期間で領土拡大した功績を何に反映させろと?
199名無し曰く、:2007/11/26(月) 17:53:55 ID:IBvG98Oj
暗殺される魅力のなさに反映すればいいじゃないかな
200名無し曰く、:2007/11/26(月) 18:06:50 ID:g+bTL3Sg
>>184,>>197
太史慈と孫策の一騎打ちは演義じゃなくて正史な

こいつらと呂布と郭シの四人は、演義の様な作り話じゃなく史実で一騎打ちをやったんだから武力に加点あっても良いんじゃね?
武力は一騎打ち用だし90オーバーで良いと思うがな

呂布と一騎打ちした郭シの能力はなー、董卓配下は郭シだけじゃなく全体的にもうちょい能力上がって良いと思うわ
201名無し曰く、:2007/11/26(月) 18:19:41 ID:mV6WsSch
その太史慈と孫策の両名が他の一流どころと比較すると一歩劣るからねぇ・・
太史慈もキョチョクラスとやってれば孫策の90超も違和感ないんだけど・・
こいつらで90超えないと他に適任者がいないのが呉将の痛いとこだが(汗)

孫策の領土拡大に関しては、統率のみでいいだろう、武力に大幅還元するのはさすがにおかしい。
202名無し曰く、:2007/11/26(月) 20:48:11 ID:R9+Eo5Pe
>>193
赤壁と漢中での敗戦はそれほど致命的でな無いと思うなあ


夷陵での敗戦のインパクトが強いけど、劉備は統率85位はいくんでない?
むしろ、陸遜が過大評価されてるような・・・
203名無し曰く、:2007/11/26(月) 20:51:02 ID:NZyL6h1d
他国を裏切って劉蜀軍に寝返った(ごはん、ちんけい、ちんとう、きょうい、おうへい、かこうは、蜀の軍人全て)奴らの義理値が高くて、
劉蜀を裏切った(ふしじん、びほう、はんきょう、ちょうたつ、もうたつ、しんたん、しんぎ、そうせい、こうあん)武将の義理値が総じて低い件。
例外はじょしょくらいじゃねーの?
204名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:04:37 ID:onnVt+m3
>>201
違和感って…そんなのお前の勝手な違和感じゃないの?
見方を変えれば、閻行に殺されかかった馬超、その馬超と互角の許チョ、とかなるし。
不意打ち疑惑はあるものの関羽に瞬殺された顔良が90オーバーで良いのか、とか。
205名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:09:12 ID:UBCJXGE4
>>202
致命的だろ。赤壁の敗戦で統一が不可能になった。
さらに漢中を維持すれば対蜀は容易になり、蜀が取れれば上流からも呉を狙える
206名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:23:37 ID:hIJ7g9YQ
>>203
蜀から寝返るのは汚い寝返り、蜀に寝返るのは綺麗な寝返り。
姜維最高や!麋芳は最初からいらんかったんや!
207名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:30:18 ID:R9+Eo5Pe
>>205
もちろん戦術、戦略的に大きな敗戦ではあるけど、ただ「致命的」って言うほどの被害は魏軍には無いし

漢中で失った重要武将は夏侯淵位だし
赤壁なんか戦う以前に、軍に病が蔓延してたからサッサと退いただけとも言えるし

ちなみに、エンショウの官渡での敗戦も致命的だとは思わないなあ。むしろ後継者をちゃんと決めなかったのが致命的な失敗だよな。
208名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:40:35 ID:J7Wx8ggK
>>203
要はイメージの問題なんだよ。
209名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:53:10 ID:UBCJXGE4
だから戦略的に致命的な被害ですよ。兵隊の引き算だけが被害とは言わない

西方の司令官の淵さん失ったことは以降の支配力を低下させたし
そもそも赤壁で疫病が蔓延するような地形に陣取らなきゃいけなかったのは
周瑜が機を制して自軍を配備した為だし

どちらも曹操の戦略的ミスだよ。漢中で撤退を選んだことも(望蜀なんて言ってるが、
当の光武帝は馮異が陣没し、岑彭が暗殺されても呉漢をして蜀を滅ぼしている)
漢中の守将に淵を選んだコトも、周瑜にしてやられたことも
全て魏の成立を遅らせる要因であり、敵対国家をつくることはその守備の為に常備軍を辺境に
用意しなきゃならないのだから国庫を圧迫するし、反乱の際は後ろ盾にされてしまう。
210名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:53:20 ID:rSNFpNli
劉備は地位も財も無いのに、有能だが人の下に付かないようなプライド高い奴らを
何人も従えて、対立をなだめつつ使いこなせたのが凄い
この辺は数値で表せられんな
211名無し曰く、:2007/11/26(月) 21:56:51 ID:R9+Eo5Pe
長い間、劉備の下で苦難に堪えてたビボウは悪い奴では無いと思うわ
212名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:00:25 ID:2ksjsCIX
赤壁→致命的
漢中→鶏肋的

と言う印象
漢中は確かに蜀に取られたく無い土地だが
魏側にとってはすでに西域の住民を中原に移民済みと言うのもあって死守ポイントかどうかは微妙
まぁ負けは負けだがな
戦略的には死守ポイントで無くても対外的にも内部的にも痛い敗戦なのは確かだし

>>203
そいつら裏切った時の情勢も事情もかなり違わね
比較するには無理がある気がする
213名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:08:52 ID:mV6WsSch
>>204
馬超はガキの時にエンコウに殺られかけたんじゃなかったか?w
キョチョと互角にやり合った時は全盛期だから正当な評価に足るだろう。
顔良は少なくとも関羽と正面からやり合った話は聞いたことないから知らない、不意打ちに関しては講談レベルの話だろ?
それに顔良は個人武勇でそれなりに評価されてる武将だろ。

214名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:20:36 ID:vyCGuEft
武力談義は演義と正史で分けてください、わかりにくいので。
215名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:26:58 ID:dLfpRzHc
誰か高順に張遼以上の評価を下さい。
お願いするでやんす。
216名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:26:58 ID:rdFORvBi
曹操最大のミスは劉備を逃がしすぎた事とか言ってみる
217名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:29:38 ID:fJZshd+d
そろそろ田豊の知力について語ろうぜ!
218名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:35:39 ID:UBCJXGE4
曹操の敵は老いだったと思うけどね。
漢中の撤退とか精彩を欠いてらしくない。まあ官渡でも散々撤退しようか?なんて手紙送ってたから
本質的には詩人らしくナイーブな面も持ち合わせてたんだろうけど
後年の曹操には若かった時に持っていた果断さ苛烈さが失われている。
色々後のコトが気になりだしたんだろうな。その原因は赤壁にあるが
219名無し曰く、:2007/11/26(月) 22:43:33 ID:R9+Eo5Pe
>>209
曹操のミスだと思うし、戦略的に大きなマイナスだったと思うけど
魏軍に大きな被害が無かったという一点だけでも致命的とは思えないなあ。

曹操の天下統一失敗の致命的要因と言われれば同意するけど
魏国にとっては致命的とまでは言えないんじゃないと思うんだがどうかな?
220名無し曰く、:2007/11/26(月) 23:01:07 ID:aP9nupGm
>>209
蜀にとってぶっちゃけて言えば夏侯淵なんていてもいなくても変わらないよ。
定軍山では張合βの方が宿敵だったし。
221名無し曰く、:2007/11/26(月) 23:09:56 ID:R9+Eo5Pe
関羽と引き分けた紀霊は90でも良いのでは?

それと
陳泰≧姜維
郭ワイ≧姜維
トウガイ≧姜維
高順≧姜維
陳登≧姜維
だろうね
222名無し曰く、:2007/11/26(月) 23:12:51 ID:kj+RYmUb
>>220
お前馬鹿だな
223名無し曰く、:2007/11/26(月) 23:41:09 ID:2ksjsCIX
>>221
何について≧なのかはっきり書いてくれないと困る
こっちもエスパーじゃ無いんだから
224名無し曰く、:2007/11/27(火) 00:04:02 ID:IBvG98Oj
司馬炎>>>>>>>>>曹操

こうですか?わかりません><
225名無し曰く、:2007/11/27(火) 00:16:37 ID:uQz+5nE6
>>223
ああ、ゴメン
統率力等の総合的な軍事的能力で姜維より上だと(個人的武勇は姜維が一番だと思うが)
226名無し曰く、:2007/11/27(火) 00:21:51 ID:SRvRVh8N
袁術の配下ってたくさんいるのにろくなのいないな
袁渙、呉景は有能だったようだが
227名無し曰く、:2007/11/27(火) 00:34:20 ID:i5O6TuMz
>>226
劉曄
228名無し曰く、:2007/11/27(火) 00:50:59 ID:YeHK7We6
>>226
そこで某一騎当千で脇役とはいえ、有名人の中で脇役張ってる楽就さんですよ
229名無し曰く、:2007/11/27(火) 01:08:45 ID:M2LqBGzN
陳登は統率力80以上の理由とされてきた孫策撃退の信憑性が疑われ始めて、最新作の11ではついに統率79まで落ちたのに、末期蜀で長年前線張ってた姜維より上だっていうのか?
230名無し曰く、:2007/11/27(火) 01:45:35 ID:1+z+ss8I
孫策じゃなくても孫権を退けてるからおk
231名無し曰く、:2007/11/27(火) 02:45:07 ID:n5erZSM3
>>225
トウ艾・陳泰以下は有り得るが他は無いかな、と思うが
純粋に軍事的な手腕だけ見るなら結構なもんだし>姜維
とは言え同時代に生きた人間としか比較しようが無い気はするんだがな
232名無し曰く、:2007/11/27(火) 05:13:02 ID:RV+NN2k5
正史のキョウイって、何回も闘ってるのに戦果が一つしかないよな。
しかも、仲間と示し合わせて自軍が不利になったら普通に蜀に投降してるし。
司馬のせがれとの陣立勝負なんてなかったし。

正直、雑魚。
233名無し曰く、:2007/11/27(火) 05:43:49 ID:dYZ08FJ3
というか姜維と、対戦した魏将の立場を逆に考えるといい
戦果1つしかないってのは確かに一流とは言えないかもしれんが、一人の将として見た場合陳泰らと比較して確実に劣っているとは思えない
まあ現状は過大っぽいが、知力を下げればいんじゃね?
11だと陳泰トウガイが80台後半だから厳しくみて83、おおめにみて86が妥当かな
234名無し曰く、:2007/11/27(火) 06:17:00 ID:1+z+ss8I
生姜にも陳ケの仕事は出来るが、その逆は誰がやっても無理。
ツテとコネがあればの話だが…
235名無し曰く、:2007/11/27(火) 08:44:07 ID:2wZRMG6x
孔明の弟子って時点で雑魚決定だろ
236名無し曰く、:2007/11/27(火) 09:19:02 ID:zxptknh/
正史姜維については外様の彼があそこまで出世した事実を評価してやるべき
237名無し曰く、:2007/11/27(火) 09:35:21 ID:xFZuHjJq
>>232
戦果が一つ?

雑魚はおまえだw
238名無し曰く、:2007/11/27(火) 11:55:17 ID:OqkzXq74
姜維は戦においては超一流の部類に入るだろ。トウ艾以外にはほとんど敗北してない
239名無し曰く、:2007/11/27(火) 11:56:34 ID:zxptknh/
議論する人は正史の話なのか演義の話なのかはっきりしてくれ
240名無し曰く、:2007/11/27(火) 12:39:33 ID:xFZuHjJq
>>213
正史では大軍の真っ只中で顔良を刺し、顔良の首を斬りとって帰ってきた事に
なってたような。袁紹の諸将で関羽の相手になれる者はいなかったとも書かれてるな。
241名無し曰く、:2007/11/27(火) 13:35:15 ID:3wT6EVgI
>>239
正史も演義も読んでない人間が大多数だから無理。

>>240
乱戦の際敵陣に自ら斬り込んで顔良を殺したってあるよね
242名無し曰く、:2007/11/27(火) 13:43:00 ID:zxptknh/
>>241
自分がどっち基準のつもりで語ってるかくらいはっきりしてくれってことだよ。
243名無し曰く、:2007/11/27(火) 13:49:14 ID:n5erZSM3
そもそもこのスレの場合、演義・正史両方を考慮して能力議論する形なんだよな
244名無し曰く、:2007/11/27(火) 14:07:48 ID:1+z+ss8I
演義基準なら魏将が少し過大。
正史基準なら全部過大。まとめて10ぐらい下げれば、ちょうどいい。
両方込みなら今のでもまあおk。
自分の納得いくようにしたいならエディタ使う。議論不要。

要するにここは雑談するスレ
245名無し曰く、:2007/11/27(火) 14:27:39 ID:zxptknh/
いや、そういう話じゃなくて
「こいつはこういう功績が有るから〜とか言うときに
それが演義なのか正史なのかくらいはっきり書いてくれってことだよ。
246名無し曰く、:2007/11/27(火) 14:52:34 ID:EbprxLbG
>>245
お前も相当しつこいな。
正史も演義も読んでない人間が大多数だから無理。
と、すでに答えがでてるじゃないか。

両方読んでりゃ、どっちの話してるか大体見当つくし、別に困らない。
そんな粘着するほどのことでもない。

つまり、各々好きに語ってろ。
247名無し曰く、:2007/11/27(火) 15:38:45 ID:2rHM0ceT
正史限定で武力となると子義さんが一気に最強候補の一角に食い込んでくる件について
関・張・許チョ・典イ・張遼らは正史でもその武勇は充分凄いが、後は演義でのイメージで武力を評価されてるのが多いからな
馬超とか一気に評価が下がるのも少なくない
248名無し曰く、:2007/11/27(火) 16:14:13 ID:zxptknh/
自分が語ってるエピソードが
演義や小説で見たものなのか正史で見たものなのかくらい分かるだろうが……
249名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:11:52 ID:Zbq1aBsF
>>248
何で見たか分からなくても頭に入ってるってこともあるんじゃない?
250名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:15:20 ID:cohuuRic
陳泰、朱然、廖化の三者をもって「三国地味強守将」と呼びたい。
251名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:26:41 ID:xFZuHjJq
裴松之の注を信じれば、諸葛亮>司馬懿>朱然
252名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:42:18 ID:cohuuRic
>>251
一口に「裴松之の注」と言っても色々あるぜよ。
中には「司馬懿が陣地に籠もった諸葛亮をボコボコに撃破しました」みたいなものも。
253名無し曰く、:2007/11/27(火) 17:59:12 ID:6hyrp4J8
>>250
特にゲームの中だと、あんま地味に感じない
254名無し曰く、:2007/11/27(火) 18:51:46 ID:dOKR6bUs
うんこ
255名無し曰く、:2007/11/27(火) 19:39:02 ID:uQz+5nE6
上手く説明できないんだが
大局的な孔明、局地的な仲達という印象が有る
孔明が総大将で仲達が前線指揮官というのは有っても、その逆は無いような
256名無し曰く、:2007/11/27(火) 19:52:54 ID:1+z+ss8I
速攻の仲達と遅攻の孔明という感じなんだが。
257名無し曰く、:2007/11/27(火) 23:37:39 ID:WxF/u+sX
華雄って知力低いけどあんなもんなの?
なんか文武両道ってイメージがあるが
孫堅破ってるし

あと、程普の知力低すぎない?
258名無し曰く、:2007/11/27(火) 23:53:26 ID:dYZ08FJ3
今のままでじゅうぶん高くないか
むしろ太史慈とやりあった武力を評価してほしい
259名無し曰く、:2007/11/28(水) 00:23:35 ID:nULJnbnk
え?
華雄って太史慈と戦ったけ?
260名無し曰く、:2007/11/28(水) 02:26:01 ID:7Oyl5aSi
華雄は正史なら平凡、演義なら顔良文醜系の武力バカでいいだろ。
兵糧尽きた孫堅が自滅しただけだのにわざわざ高い知力は必要ない。

黄蓋程普韓当の議論は前スレあたりでされてた気がする
261名無し曰く、:2007/11/28(水) 02:29:50 ID:QUYfa2M1
最近のやってなくて9の話になるんだけど、
宋憲、侯成、魏続の中で、侯成だけかなり優遇されてるんだが、
寝返りの首謀補正か何かついてんのかな?
性格も冷静だし、得意兵法も多いし、政治も雑魚文官並みにあるし、
何でそこまで二人と差がついてるのか、よくわからない
呂布スキーとしては重宝してますが
262名無し曰く、:2007/11/28(水) 03:01:07 ID:jmdsnZtr
>>255
そんなことはないよ
むしろ大局的に考え、徹底的に持久戦にもちこんだのは司馬懿の方
政治手腕も、のちに司馬家が実権を握ったことでもわかるように、諸葛亮よりむしろ上
諸葛亮は性格や業績を鑑みても、本来は内地派であり、それも政治家というより官僚としての能力が高い人間
軍人としては言うまでもなく司馬慰のが上
263名無し曰く、:2007/11/28(水) 03:09:58 ID:Ui22dqR1
黄祖の話は既出?

勢いつきすぎてどうしようもなかった孫堅を殺したんだから
もっと評価が高くていいとおもう

劉表軍の中でもトップレベルの優秀な軍人だったと思われるから
ギエンコウチュウくらいのステータスにしてもいいのでは
264名無し曰く、:2007/11/28(水) 03:50:57 ID:8DJSnskX
統率・武力80ちょっとは与えてやりたいな
劉表軍団弱いし…
サイボウ文ペイぐらいか?
265名無し曰く、:2007/11/28(水) 04:22:21 ID:jzXgcJau
マンチョウの武力と劉ヨウの知力をもっと高くしてほすい。
あと10くらい。
266名無し曰く、:2007/11/28(水) 09:52:11 ID:8DJSnskX
満チョウの武力は70前後かな
劉ヨウの知力に10足したら100こえるぞw
267名無し曰く、:2007/11/28(水) 10:31:33 ID:ywcz7/30
ナムコ三國志で劉エンと雛靖がかなり強かった・・・

という思い出話
268名無し曰く、:2007/11/28(水) 11:44:27 ID:7Oyl5aSi
>>263
それも前スレでやった。
269名無し曰く、:2007/11/28(水) 12:09:12 ID:Qo4jW94H
>>266
俺はもう一方の劉ヨウだと思ったのだが
270名無し曰く、:2007/11/28(水) 12:51:35 ID:DGRPVgME
>>262
裴松之の意見では孔明>>司馬懿だったと思う。
国力の差を考えても、また孔明が事実上の国のトップとして全部自前で用意していたのを考えても、
所詮は与えられた軍隊を使って守るばかりだった司馬懿を、
そんな簡単に孔明より高評価して良いものだろうか。
271名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:15:36 ID:NVF5pd6X
>>270
孟達、王凌、公孫淵の反乱を鎮圧した功績を考えれば守るだけだったなどとは発言できんはずだが
272名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:23:20 ID:woYEwraY
>>270
その守勢に徹したのは、単に戦略的なものだけではなく
蜀に勝利して潰してしまうことで、自分の政治生命を失うことを防ぐために
わざと蜀に攻勢をかけなかったという説もあり、これに同調してるひとも結構いる
諸葛亮は、質も装備も劣る小勢なのに、正攻法の正面作戦しかとらなかったことでも
軍人としての資質が少なかったことを伺わせる
劉備集団がよく機能しているときは、軍事は劉備、後方支援は諸葛亮のコンビであり
諸葛亮はあくまで後方の人であることがわかる
それが劉備死後、にわかに軍事でもトップになったことにより、魏延らの優秀な軍人と確執を生むことにもなった
俯瞰してみれば、経験も才能も薄い諸葛亮には、大国の魏との決戦ができるような人材ではなかったといえる
273名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:31:13 ID:NVF5pd6X
>>272
こりゃ、荒れるぞ
274名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:32:10 ID:CnGl487X
>>272
後半は結構同意できるけど
>蜀に勝利して潰してしまうことで、自分の政治生命を失うことを防ぐために
これはどうか?
彼の死後私財がほとんど残ってなかった、ということは記録されてるわけだし
財産を作ることもなく、ただ権力を握りつづけていたかった、なんて変わった人間は想定しづらいんだけど。
275名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:38:46 ID:CnGl487X
ああ、ごめん読み違えた。
276名無し曰く、:2007/11/28(水) 13:41:50 ID:jT1/NtRv
>>272
蜀軍の装備は魏より良かったという話は良く聞くけどな。
それに魏延と呉懿が、郭淮と後将軍の費曜に勝ってるし、武将の質は西部方面の魏より
蜀の方が上なんじゃないか?
それと負けるより勝った方が重宝されると思うけど。北伐が始まった時点で相当出世してるし
対呉戦で結果を出してるから孔明に勝っても政治生命は失わないと思うけど。
277名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:12:37 ID:5sn5xjw7
>質も装備も劣る小勢なのに、正攻法の正面作戦しかとらなかった
質も装備も優れた大軍で引き分けるのがやっとということは指揮官の実力差が天地の差だろうに。
278名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:25:38 ID:7Oyl5aSi
というかそもそも皆、長安を攻め落とした馬超がどうなったか忘れてるんだよな。
あの顛末を知れば長安攻めるなんて考えつかないだろうに。
279名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:40:54 ID:TfcRhy5X
>>272
>魏延らの優秀な軍人と確執
魏延「ら」って誰よ?
あと、魏延にしたって自分の提案が受け入れられないことに不満はあったにしても、
諸葛亮の存命中に軍令違反も利敵行為もしていないわけで、何の問題があろう。

>>271
孟達は自分の城を見て「これは劉封も申耽も守りきれなかった」と嘆いたし、
だいたい孟達撃破は情報戦の勝利のようなもの。
貴君がいみじくも書いたように、司馬懿の功績は「反乱」の鎮圧レベルとも言える。
280名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:46:17 ID:TtqXRHH7
>>272
そりゃ戦歴豊富な劉備が出陣してりゃ孔明出番無いわな
TOP二人がどっちも蜀をカラにする訳もなく
そもそも軍部と対立してたってそれどこの脳内妄想?
281名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:49:38 ID:v6EO7+AW
功績のある軍才のある重臣が平和になったら排除されるなんてのは漢の韓信らの例を出す迄もなくよくある事ではある
諸葛亮死後の魏の気のゆるみ方を見ても派閥争いを見ても司馬懿の立ち回り方が難しいのは確か
でも、そういうのはあまり関係ないんじゃ?
速攻が得意な司馬懿が要所を抑え守勢に撤したのは諸葛亮を一流の指揮官とみなしたからだろうし、だからこそ曹叡も諸葛亮死後は気がゆるんだはず
諸葛亮は軍略はともかく、指揮官としては優秀なはず
司馬懿より上かは置いといて
282名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:51:05 ID:pVzPt9Fy
実際、蜀だと一番だろうね
283名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:57:02 ID:RobQ+049
曹仁の武力統率80超えとか過大評価されすぎだろ
ボロクソに負けてばっかじゃんwww
284名無し曰く、:2007/11/28(水) 14:58:22 ID:jT1/NtRv
曹叡時代に関しては呉より蜀のほうがはるかに怖かっただろう。
当時は中国で1、2を争う実績を残し、孔明の第1次北伐を挫折させた張コウと
王双を討ち取り、郭淮、費曜に連勝し、司馬懿との直接対決にも勝利したみたいだし
曹真時代もなんだかんだいって二郡を征服してるからな。
285名無し曰く、:2007/11/28(水) 15:05:43 ID:jT1/NtRv
それでいて蜀側の負けらしい負け(勝てなかったではなく)は馬謖が張コウに負けたくらい
286名無し曰く、:2007/11/28(水) 15:15:29 ID:8XxFlzV3
ただ負けちゃいけないとこだったけどな
287名無し曰く、:2007/11/28(水) 15:23:24 ID:NVF5pd6X
>>279
公孫淵の反乱を甘く見すぎだろ、規模を見れば一時的とはいえ間違いなく蜀、呉なんかよりも驚異的な存在になったわけだからな。
司馬懿の電撃的な動きがあったから魏の威信失墜を免れたと言ってもいい
288名無し曰く、:2007/11/28(水) 15:44:14 ID:0kLTZLmt
>>279
> 孟達は自分の城を見て「これは劉封も申耽も守りきれなかった」と嘆いたし、

なんか勘違いしてない?
「達初入新城、登白馬塞、歎曰『劉封、申耽、據金城千里而失之乎!』」(明帝紀注)
金城っていうのは堅固な城のこと。
つまり「劉封や申耽はこれだけ堅固な城・広い土地に拠しながら敗れてしまった」と言ってる訳。
289名無し曰く、:2007/11/28(水) 16:28:09 ID:ZDRLNtDi
>>286
初撃を外したからなあ、その後は半ばお役所仕事のようになっちゃった
290名無し曰く、:2007/11/28(水) 17:30:16 ID:8PWEjjtj
一番の過大は敗戦の常連代表の夏侯惇
291名無し曰く、:2007/11/28(水) 17:37:15 ID:TtqXRHH7
公孫淵の反乱鎮圧、スピードは買うけどそれ以外に司馬懿を評価出来る要素あるか?
292名無し曰く、:2007/11/28(水) 18:25:46 ID:mXmCI+lk
>>291
           . ィ
._ .......、._    _ /:/l!
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _   またまた ご冗談を
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _〜:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙
293名無し曰く、:2007/11/28(水) 19:06:58 ID:vTYB4YbJ
>>291
この際wikiでもいいから最低限の知識は持っておけ
294名無し曰く、:2007/11/28(水) 20:53:53 ID:KAwu9DLQ
>>290
惇の能力は現状の能力値制だと表現不能だからその代わりの高能力じゃねえの?
295名無し曰く、:2007/11/29(木) 02:26:02 ID:kK81pVTC
いや、十分表現可能だろw
演義補正で武力高、知力低め
正史から統率やや低め、政治は高め
これで何の文句もないが
296名無し曰く、:2007/11/29(木) 02:31:59 ID:ZJsO/sz4
要約すると
武力91〜95
統率81〜85
知力55〜65
政治70〜75
魅力85〜90
ぐらいか?
297名無し曰く、:2007/11/29(木) 02:41:44 ID:cAHYVctI
>>296
それじゃ、優秀すぎるだろ。
魅力だけは高めでもいいが。
298名無し曰く、:2007/11/29(木) 04:32:56 ID:kK81pVTC
統率83(負けは多いがなんだかんだで長い間戦い続けた)
武力94(演義より、関羽&趙雲とも槍を交える)
知力57(演義は脳筋だが人並み以上はあげたい)
政治70(正史より)
魅力81

横光の悪役面だけど憎めない猛将なイメージがでかいなあ
蜀贔屓だが夏侯惇に限らずやっぱり魏将はそれなりに優秀だよ
299名無し曰く、:2007/11/29(木) 04:38:17 ID:+0AyNarQ
夏侯惇は演義基準でも正史基準でも現状の統率89は高すぎだね
5-6くらい引いてやって80台前半くらいにしてやれば具合が良いと思う
後は大体妥当じゃないかな
完全に演義基準だと政治が、正史基準だと武力が過大かもしれないが
人気キャラだから良いとこどりのちゃんぽん査定もアリでしょ
300名無し曰く、:2007/11/29(木) 05:23:46 ID:cAHYVctI
夏侯惇

統率78(負け戦が多く、劉備にも負ける)
武力88(高順に競り勝つ程度)
知力62(短慮のイメージ)
政治70(土木工事などにも実績あり)
魅力92(清廉で人望あり)

低すぎるかな?

>>298
関羽とは一騎打ちして張遼が止めた記憶はあるんだけど、趙雲と一騎打ちしたっけ?
301名無し曰く、:2007/11/29(木) 06:39:25 ID:JM5UbvHH
>>300
正史基準だとそのぐらいだろうね。魅力90越えは高すぎるかも。。。
302名無し曰く、:2007/11/29(木) 09:35:04 ID:t0psXzLE
戦に勝った事が統率に関係あるのか?
能力と結果は必ずしも矛盾しないと言えるのかね?よくわからんなぁ
303名無し曰く、:2007/11/29(木) 10:02:52 ID:UbvoXtrc
光栄基準の統率なんだからそりゃ関係あるでしょw
一般的な意味でというか、平時での兵の統率力は高いと思うんだけどね
304名無し曰く、:2007/11/29(木) 12:16:22 ID:kK81pVTC
そこらへん曖昧だよね
例えば三国志11なら部隊の防御力に関わる=防衛得意な武将ほど高いかと言われるとそうでもない
結局数々の戦に勝って実績残した武将ほど高く設定されてる
統率、武力、知力、政治、魅力の5つしかないから武将をいまいち表現しきれてないんだよな
そこは特技が補ってるのかもしれんが1こしかないからそれでもきつい
305名無し曰く、:2007/11/29(木) 12:34:33 ID:lgtNV/TV
ただこれ以上能力増やしても記述が少ない武将を扱えなくというオチ
306名無し曰く、:2007/11/29(木) 12:40:46 ID:Gnk/X887
もう能力値は
・体力
・武力
・知力
・人徳
・胆力

でいいよ
307名無し曰く、:2007/11/29(木) 13:13:41 ID:hASI/67Z
個人的には 劉封が初期の作品で「大して強くもないがそんなにバカでもない」キャラに
なってるのが理解できない。三国演義ではどうみても「劉備好みの脳筋野郎」なのだが。
308名無し曰く、:2007/11/29(木) 13:25:48 ID:Fe9hQVht
>>303
平時での兵の統率力は趙儼でもできるからな。
平時での兵の統率力は魅力によるところが大きいと思う。
張飛は戦争は強いけど、平時での兵の統率力は低いな。
309名無し曰く、:2007/11/29(木) 13:30:25 ID:Fe9hQVht
平時での兵の統率力は統率、知力、政治、魅力すべて重要な気がするし
武力も無関係ではないと気がする。
310名無し曰く、:2007/11/29(木) 13:31:27 ID:bp0JQIJn
徴兵とかも魅力の高い低いが結果に関わってくるしな。
11だと名門に徴兵できる兵士数五割増の特技「名声」付いてるしね。
311名無し曰く、:2007/11/29(木) 14:32:16 ID:JIGgnmQe
いっそのこと能力値無くして特技だけにしちまったらどうだ?
部隊指揮LV○とか一騎打ちLV○とかにそれっぽい名前つけて
312名無し曰く、:2007/11/29(木) 15:57:47 ID:KJ6n0ZIo
それすると今度は特技の数が半端じゃないくらい増加しそうだぜ。
ステの便利なところは、あらゆる判定に使い回せる所だし。

とりあえず、ステ+特技(適正)の現状でいいや。
313_:2007/11/29(木) 18:53:57 ID:1EFvE96o
実際は90代とか80代は最初から強い天才はほとんどなく
訓練や実戦で揉まれて伸びるもんだよな
314名無し曰く、:2007/11/29(木) 20:40:29 ID:sKAFRnS3
惇さんは魏の重鎮ってだけで特に功績が無いよね。
ランクを付けると
仁>淵>惇>純>洪って感じになるかな?
315_:2007/11/29(木) 21:27:27 ID:1EFvE96o
俺的には惇>仁>淵>洪>純かな。
エン州が完全に陥落してたら
呂布vs劉備vs袁術の三竦みかな。
で北方をまとめた公孫サンか袁紹が一人勝ち、と。
316名無し曰く、:2007/11/29(木) 22:34:00 ID:sKAFRnS3
小覇王をお忘れなく
317名無し曰く、:2007/11/30(金) 00:35:44 ID:6/r7iLPY
劉備死後、孔明が軍権をも握ったせいで、軍部との確執はあったとは思うよ
ただ劉備の遺訓や、劉ゼンからの信頼絶大だったせいもあってか、孔明の生存中に顕在化しなかっただけで
制服組と背広組との裏での対立なんて古今東西どこにでもあることだし
孔明は北伐時の人事や作戦で、武将達の意見とは違う自分の考えを押し通して、結果的には失敗もしたしね

318名無し曰く、:2007/11/30(金) 00:40:31 ID:lQJq+CiF
何だいきなりw
319名無し曰く、:2007/11/30(金) 01:53:26 ID:kKkYdQDV
曹洪がいなきゃ曹操、台頭する前に死んじまうんだぜ?
そんな英雄が武力80〜84って扱い酷くないか?
似たような君主救出キャラの周泰は毎回90オーバーなのに・・・
しかも、ずっと魏のもとで働き続けたのに義理が低めだしさぁ
(お金貸さなかったからなのだろうか?)
320名無し曰く、:2007/11/30(金) 02:08:36 ID:H8bKm+6n
>>317
そんな想像力豊か過ぎる事言われても困る

>>319
曹洪、あんまり活躍して無いからなぁ
曹操を助ける為に敵兵を斬って斬って斬りまくるような獅子奮迅の働きしてたら武力90貰えたかも知れないが
そんな一騎当千な話でも無いし
321名無し曰く、:2007/11/30(金) 02:17:46 ID:LZjHY5ms
曹洪は撞関の戦いで恥さらしてるからな
322名無し曰く、:2007/11/30(金) 03:09:21 ID:xVT6e0bM
満虎って過小じゃね?
満虎の活躍がなかったら人類は生きてねぇし
323名無し曰く、:2007/11/30(金) 03:43:51 ID:4ypUDLwP
初代三国志の曹洪の能力値のあまりの酷さに比べたら
今なんてかなり優遇されてるだろ
性格設定は相変わらずひどいけど
324名無し曰く、:2007/11/30(金) 07:32:43 ID:g+jRVum0
曹仁とか他の重鎮に比べて1人だけしょぼいもんな
活躍が地味だからしょうがないけど、不遇武将好きとしてせめて統率、武力は上げてやりたい
官渡・漢中での防衛、馬超との一騎打ちはかなりポイント高いよね
統率84・武力86ぐらいかな
325名無し曰く、:2007/11/30(金) 07:49:03 ID:gQgha4K8
>>319
昔の周泰は80台だったけどね。
ま、昔の呉の武将はみんなこんなもんだったけど。
326名無し曰く、:2007/11/30(金) 09:09:04 ID:1MgdjNUj
>>324
上げてやりたいと仰っていますが、11で統率89・武力86なんですが・・・・・
327名無し曰く、:2007/11/30(金) 09:26:31 ID:DPNH46+9
>>319
曹洪は金に汚なかったという逸話の他に、
演義で玉璽を守る役人を切り捨てたりと狼藉を働いてるのが
マイナスになってると思われ
他にも曹真の容姿をからかったりとなんか人間的に微妙な感じ
正直これだけマイナス要素有る割りに意外と魅力とか高いなというのが正直な感想なんだが

>>326
>>324が「上げてやりたい」のは曹仁じゃなくて曹洪なんじゃないか?
ちょっと一行目がややこしいが、後半の馬超との一騎打ちや漢中防衛なんかで曹洪だとわかる
328名無し曰く、:2007/11/30(金) 09:42:12 ID:1MgdjNUj
>>327
ほんとだ、文盲だった。
曹仁は周泰とぐらいしか一騎打ちしてないわな。
正直、スマンかった。
吊ってくる。
329名無し曰く、:2007/11/30(金) 10:09:28 ID:PbrOIhcF
武功に関しては淵>洪仁純>惇だろ
330名無し曰く、:2007/11/30(金) 10:18:22 ID:JoCwgypq
演義ならともかく、史実で他よりワンランク落ちる感じだからな、曹洪
331名無し曰く、:2007/11/30(金) 12:43:45 ID:gQgha4K8
トンは相手が悪かったような。
劉備にしろ高順にしろ、かなりの戦上手だぞ。
332名無し曰く、:2007/11/30(金) 13:23:28 ID:pnFFC89C
そもそも夏侯惇は軍功が殆ど記述されていないと言っても過言ではないほど軍功が少ない、つーか無い。
あえて言うならば濮陽の守備、河北平定の際の後詰、居巣での総司令官など
曹操の後方を固める仕事を謀臣等と任されてはいるものの、
それらも具体的な功績としての記述はなく、逆に呂布に人質にされるわ
劉備に撃破されるわと将としては−点の方が目立つ。
夏侯惇が評価されるのは曹操からの信頼を受けつつも謙虚な態度を保ち、
韓浩の対応を認めれるような度量の広さという点。
しかしながら、じゃあ特筆するような政治力・知力を示すエピソードがあるか?
っていえばそれも乏しいんで80・90を付けられるようなもんでもない。
だから今の夏侯惇は演義&正史を織り交た能力に、少し過大評価された能力値だと思うな。
333名無し曰く、:2007/11/30(金) 13:33:59 ID:Qa78h+TI
dは能力より信頼とか忠誠心の方が評価されてるわな。
334名無し曰く、:2007/11/30(金) 13:38:42 ID:tI3o3IIf
でも、ゲームでは能力的に高くないと使えないしなぁ
335名無し曰く、:2007/11/30(金) 14:12:00 ID:8LplOcIo
でも夏侯惇は曹操があんなに信頼してたんだから
やっぱそれなりの能力はあったんだろう
14で人殺して出奔したりしてるわけで。。。
336名無し曰く、:2007/11/30(金) 14:12:54 ID:Qa78h+TI
裏切る確立を増やせばいいんじゃない。
捕虜になれば数ヶ月で登用とか。
それ以前に戦死率が相当高くするとか。
337名無し曰く、:2007/11/30(金) 15:06:36 ID:M1sA84xI
>>335
淵だって身代わりになって罪を被るぐらいの忠臣ぶりだぜ
338名無し曰く、:2007/11/30(金) 16:14:28 ID:gQgha4K8
>>332
んなこといったら、曹操の謀臣ズなんて、明確な功績残している奴なんて、
いないだろ。
だけど曹操が重用したってんで、高い数値が割り振られてる。
339名無し曰く、:2007/11/30(金) 18:44:38 ID:WKGnGMZs
日本で弥生時代の頃の記録から「明確な」ものを読み取るなんて無理
340名無し曰く、:2007/11/30(金) 18:45:47 ID:WKGnGMZs
>>338
曹操の謀臣連中は皆演義での活躍も有るんだぞ。
341名無し曰く、:2007/11/30(金) 18:45:52 ID:AwiepYDw
>>338
まあそうなんだよな。
そうなんだが俺も特に夏侯惇がよくわからない。
各国のバランスとるための補正もあるだろうけど。
342名無し曰く、:2007/11/30(金) 19:04:48 ID:3vDYblO/
結論は眼帯=カッコいい
343名無し曰く、:2007/11/30(金) 19:20:19 ID:kKkYdQDV
夏侯惇は能力低くてイイけど
防衛線とかで城にいたら、防御力上がるとか
兵の士気が下がりにくい見たいな効果持ちだとイイのだが
344名無し曰く、:2007/11/30(金) 19:58:10 ID:gQgha4K8
>>340
つっても一言二言レベルだしなあ。
ここでの突っ込みも正史基準での突っ込みだし。
袁家の謀臣よりも低いとは思えない。
345名無し曰く、:2007/11/30(金) 20:35:49 ID:0UgDTq5A
ところでここで言う曹操の謀臣ズって具体的にどいつらを指してるわけ?
一般に謀臣として知られる魏書十四の奴らは(過大過小はともかく)十分明確な功績残していると言っていいと思うけど。
346名無し曰く、:2007/11/30(金) 21:12:07 ID:WKGnGMZs
>>344
一言二言レベルって……。
主役級の文官連中の活躍をそれで片付けたら
演義で活躍してるのって関羽張飛諸葛亮くらいになるぞ。

荀ケ
劉備と呂布の仲を裂くために「二虎競食」「駆虎呑狼」を献策
劉備の危険性を曹操に説く
袁紹軍の脆弱性を説いて孔融を論破
官渡で弱気の曹操を励ます
袁家残党を残したままの南征を思い留まらせる
諸葛亮の危険性を説いて夏侯惇の出征を諫める(曹操は聞かず、結果夏侯惇は博望で大敗)

パッと探してもこれくらい。
演義でこんだけ出番と実績の有る軍師格ってそうそう居ない。失態もほとんど無いし。
347名無し曰く、:2007/11/30(金) 21:23:51 ID:7vAGwf3B
弱気の曹操を励ますってそれも功績に入るのかよ
348名無し曰く、:2007/11/30(金) 21:46:43 ID:Qa78h+TI
もし官渡を引き払ってたら烏巣まで届かなかった可能性がある。
そうなった場合あぼん。刺客と手紙は使い様。
349名無し曰く、:2007/11/30(金) 22:00:06 ID:4odVsIEq
やっぱ孔明の功績に比べるとショボいな
350名無し曰く、:2007/11/30(金) 23:05:03 ID:gQgha4K8
>>344
は高いとは思えないね。
>>345
低くても80、高いと90後半。
これが適正だと思うか?
沮授田豊なんて、昔は80後半から、90
呉の都督クラスでも90前後、
ぶっちゃけ沮授や都督にクラスには、遠く及ばないと思うがネエ。
>>346
その仲には失敗している計略もあるんだが。

荀攸も微妙かなあ、自分で陳宮以下っていっているし。(だいたい80台で、たまに90前後)

まあ短期間でクーデターを成功させた陳宮と、
いいようにやられて、三郡しか守れなかった荀ケと荀攸では天地の差があるようなきがするがね。
351名無し曰く、:2007/11/30(金) 23:24:37 ID:Qa78h+TI
三郡とほぼ一州では確かに天地の差があるが、
それは二ジュンと陳宮の差というよりエン州における夏侯惇と呂布の戦力差じゃないだろうか。
曹操が帰ってくればどうにでもなるし。事実徐州に追い散らされた。
352名無し曰く、:2007/11/30(金) 23:26:34 ID:rZWEfUCk
まあカクには関係の無い議論か、正史だと演義よりも更に強くなるし。
張繍が大敗した直後に敗残兵で再戦させて勝つとか吹く
353名無し曰く、:2007/11/30(金) 23:58:26 ID:0UgDTq5A
>>350
だから最初に過大過小は別にして、と言ったわけ。

ただ「明確な功績残している奴なんていない」わけでも、
「一言二言レベル」でもないじゃないのってだけでさ。

例えば程cは知力90の評価を受けていているけど、
これが袁家の奴らや呉の都督連中と比べてどうなのかって話しと、
「程cは明確な功績がなく演義でも一言二言レベル」って話しは別物じゃん。

>>338>>344を読んで、気になったのは後者。
354名無し曰く、:2007/12/01(土) 00:04:48 ID:Z9fY1idj
呂蒙なんて緻密な策を沢山立案して
戦略面でも呉をリードしてるのに何故か80代だよな
謎い
355名無し曰く、:2007/12/01(土) 00:13:53 ID:3iMDM777
>>350
> まあ短期間でクーデターを成功させた陳宮と、
> いいようにやられて、三郡しか守れなかった荀ケと荀攸では天地の差があるようなきがするがね。

この言い分はムチャすぎ。
信長より本能寺の変を成功させた光秀の方が優秀なのか?
356名無し曰く、:2007/12/01(土) 02:42:21 ID:tvVuJLyR
荀ケって「我が死亡」と言われてるわりには
やってる事、消火なんだよな

死亡っぽいのはカクカかな
沈ペイがカク
357名無し曰く、:2007/12/01(土) 04:19:29 ID:66Wgy3mT
呉の都督陣は統率分に割り振られてるんじゃね
田豊にしろ祖授にしろそう大した軍功も無く統率にも割り振られてる訳で
そもそも都督陣はともかく田豊辺りが演義・正史織り混ぜた上で知力互角がそれに次ぐ程行くとは思えんが
358名無し曰く、:2007/12/01(土) 05:58:36 ID:g5tZYUuQ
>田豊にしろ祖授にしろそう大した軍功も無く統率にも割り振られてる訳で

田豊はともかく、祖授がたいした軍功もないって、、、、
359名無し曰く、:2007/12/01(土) 07:07:40 ID:ji9yx7to
郭図って功績有ったっけ?
360名無し曰く、:2007/12/01(土) 07:45:39 ID:y2jdzWhS
正史では荀攸は官渡だけで4つはあったな。
顔文討ちも荀攸の計略。
361名無し曰く、:2007/12/01(土) 08:23:34 ID:2PnQZMU8
どちらかというと荀攸は戦術、荀ケは戦略寄りだな
荀攸がその策を綴った著作とやらが、鍾ヨウが死ぬ前に編纂されて
後世に残っていればよかったんだが
362名無し曰く、:2007/12/01(土) 12:07:40 ID:ZS7QL8UM
>>358
沮授は袁紹の戦略に異を唱えることはあっても、実際に
成功した軍功はせいぜいが顔良死後の白馬攻略のみ。

これに限らず袁家の連中は具体的な記述がろくにない困ったちゃんばかりで、
田豊も正史では功績があったとはあるんだけど、肝心の功績がなんなのかわからない。
363名無し曰く、:2007/12/01(土) 12:20:15 ID:tvVuJLyR
正史三国志成立の70年前だからな
364名無し曰く、:2007/12/01(土) 12:31:27 ID:ZS7QL8UM
そう考えると納得がいくなあ。
逆に時期が悪すぎて三国志ではなく晋書扱いになって記述が無い羅憲とかも悲惨だが
365名無し曰く、:2007/12/01(土) 12:52:11 ID:hN7O98Nt
>>364
羅憲は晋書に立伝されてんだから全然悲惨ではない。
閻宇とかならともかく。
むしろ孫呉の初代丞相であるのに立伝されてない孫邵の方が悲惨。
366名無し曰く、:2007/12/01(土) 13:00:38 ID:Gar4KMng
>>362
沮授って白馬戦に参加してたっけ?
先陣の部将の顔良が戦死した後、
都督の郭図・淳于瓊コンビが関羽・張遼コンビを追い返したようだけど。

沮授の統率に関しては、官渡前(対公孫サン戦辺り?)では袁紹軍の総司令官だった訳だし、
それなりに評価されて良いと思う。
その後に権限削られていくからゲーム的数値はともかく、政治力は低そうだ。
367名無し曰く、:2007/12/01(土) 13:32:39 ID:ZS7QL8UM
>>366
記述が分かれてるそうな。
白馬の際袁紹の元にいた説と、白馬で直接指揮を執っていた説。
368名無し曰く、:2007/12/01(土) 14:44:52 ID:97xODaPe
>>365
ゲームでは十分優秀な能力値に設定されてるしなぁ。
369名無し曰く、:2007/12/01(土) 19:15:49 ID:g5tZYUuQ
>>362
というか官渡前までは、全軍の総司令官で、
精強な公孫賛を打ち破っているわけだから、
その功績は計り知れないと思うのだが、
正史の公孫賛は洒落にならんくらい強いぞ。
370名無し曰く、:2007/12/01(土) 23:18:07 ID:66Wgy3mT
つまり公孫讃>>>>呂布
371名無し曰く、:2007/12/01(土) 23:33:43 ID:83yO6ZWk
>>365
晋書そのものが悲惨な扱いですからというオチ
372名無し曰く、:2007/12/02(日) 00:39:39 ID:zQpwNWiw
おまえら馬鹿だな
袁家が滅びたから曹家が書きたい放題なんだよ
公孫の血は滅びてなかったし
いない袁家が正義のヒーローみたいにならぬよう曹家もしくは司馬家が画策した
だから滅びた家は弱く設定されてるだろ 実はそれなりの武将がいてたに違いない
簡単いえば夏侯一族曹一族強く書きすぎだね
夏侯淳なんて一騎で有名武将討ち取ってないし
ただの目玉たべただけ
これの話も嘘ぽいね
矢の先はするどいのに抜いたら矢先に目玉もついてたなんて しかも矢はするどいのに そのままたべたなんて おかしすぎる
曹昂も曹操に馬を渡して討ち死にと書いているが
おそらく曹昂はただの討ち死にと思う 名誉の戦死みたいに書かないでほしい
373名無し曰く、:2007/12/02(日) 01:25:26 ID:AiN9jKZS
>>372
釣りがあからさますぎ、もっと頑張りましょう
374名無し曰く、:2007/12/02(日) 01:25:48 ID:9Fo1lgq3
>>372
袁家は幹部クラスのステ高いぞ
375名無し曰く、:2007/12/02(日) 04:53:18 ID:ErfzGEok
徐晃と張遼って強さ過大評価されすぎじゃないか?
376名無し曰く、:2007/12/02(日) 05:17:09 ID:Yd6kQq7S
張遼の子はもっと評価されても良いくらいだ
まあ名家の御曹子がヘタレる率は限りなく高いんだけどよ
377名無し曰く、:2007/12/02(日) 08:38:44 ID:MTU3IYGy
本初さんの事?公路さんの事?
378名無し曰く、:2007/12/02(日) 10:25:35 ID:zQpwNWiw
だから俺がいいたいのは 曹家や孫家や劉家がいいふうに書きすぎ バトウとかただの馬民族に書きすぎ
騎馬最強はバトウ一族やのに
379名無し曰く、:2007/12/02(日) 10:32:22 ID:BuHhsvc1
まて、あわてるな
これは許靖の罠だ
380:2007/12/02(日) 10:35:16 ID:N6Txf+RI
ぶっちゃけ関興、張包は史実では武将としての才能は平均以上はあったのかなぁ?
381名無し曰く、:2007/12/02(日) 11:09:00 ID:gIoPMUVY
>>380
親の七光でおk
382名無し曰く、:2007/12/02(日) 11:48:10 ID:9AcpLvF7
若死にしたことしか書かれていない張苞はともかく、
評判高く二十歳にして侍中・中監軍にまで昇った関興はそれなりでしょ
383名無し曰く、:2007/12/02(日) 12:56:38 ID:qnz6iok6
関興が荊州派閥に与していれば当然実力以上に重用されるからなぁ。
平均以上ではあっても精々60台が適当だろう。
光栄式だと戦死でもない限り早死にした人物は武力が低くなるから、
自動的に20〜30辺りに落ち着くかな。
384名無し曰く、:2007/12/02(日) 14:04:09 ID:saiOsAvC
>>383
何言ってんだお前
385名無し曰く、:2007/12/03(月) 09:01:31 ID:qk6LAGWz
いいかげん荊州派閥とかやめようぜ。
386名無し曰く、:2007/12/03(月) 10:33:59 ID:cabkm2vC
そもそも名士でも荊州人でも無い関羽が荊州閥に属してる訳もなく
その息子の関興がいきなり荊州組の重鎮扱いなんてされない罠
387名無し曰く、:2007/12/03(月) 10:36:41 ID:qg10dN2x
亀だが
>>362
三国志じゃなくて後漢書とかのほうにも載ってないの?
388名無し曰く、:2007/12/03(月) 12:39:57 ID:psf1NpJ7
韓馥配下の耿武や閔純の殺害なんかは三国志本文には載ってないけど、
後漢書(の注)で拾われてるね>田豊
軍事方面での実績がよくわからないっつうのはその通り
公孫サン討伐で従軍してたことはわかるんだが、それくらいかな
389名無し曰く、:2007/12/03(月) 14:12:30 ID:gSyW6/iw
ふと思ったんだが
いつからかわからんが耿武があまり登場しなくなってるような
11は知らんが
390名無し曰く、:2007/12/03(月) 17:56:42 ID:UxLaSU3W
田豊はまあ妥当な統率かとは思うがソジュが低いよなー
軍権郭図に分配されるまでは任されてるし、公孫サン破ったのもでかい
最低80前半はあるよ
袁家は負けたからって全体的に評価低い武将が多い
実際配下の質は曹軍とたいして変わらんだろ
ただでさえ裏切りやすい、仲悪い武将多いのに能力も低いから11なんか曹軍と戦う前に公孫サンにやられるぞ
391名無し曰く、:2007/12/03(月) 19:12:22 ID:h9+TBQwi
ていうか武将の質でも袁>曹だと思うんだけど。

ただ派閥対立が激しく、それに後継者争いまでからんで、
足の引っ張り合いをしていたのが痛い。

袁家が発展したのは、炎症が、配下を信頼し、
優秀な人材に絶大な権限を与えて、仕事を任せてその結果、急成長したわけだけど、
その反面、炎症ですら、配下を十分に統御できなかった、
炎症が死んだらもうどうしようもなくなった。

曹操の場合は逆だよな。
曹操のワンマン経営だから、配下にはたいした権限も与えず、
全て自分でやってた。
ただ、曹操がいないと、結構失敗が多い。
曹操が赤壁の直後に死んでたら、袁家の二の舞になったのは間違いない。
392名無し曰く、:2007/12/03(月) 20:00:33 ID:n6S7AlRl
鍾ヨウあたりは例外っぽくもある
393名無し曰く、:2007/12/03(月) 23:11:16 ID:cabkm2vC
と言っても結局残ってる史料上の功績量が曹>袁な上勝ったのは曹操側なんで
能力上曹家家臣団の方が上になるのは当然かと

この辺は推察が混じってしまう面倒な話になりそうなのでそんくらい割り切った方が良さげ
394名無し曰く、:2007/12/03(月) 23:16:53 ID:/ZCPYztX
袁紹が群雄として指導力を発揮出来たのは189〜202の十年そこそこ。
曹操の場合は189〜219の三十年。この差だろうな。
晩期の十年では劉備の挽回と孫権の飛躍を許したものの結局勝ち逃げに成功してるし。
395名無し曰く、:2007/12/04(火) 02:02:38 ID:3qZmDAZ/
>>391
人材を活用してるように見えて、一方の派閥を最悪のタイミングで粛清してるけどな。
官渡戦の前後じゃなくて最中に冀州派閥の雄を排除するとかアホすぎる。
396名無し曰く、:2007/12/04(火) 05:12:12 ID:qWPNAqOq
>>395
そこがねえ。
官渡前までは完璧だったんだけどなあ。
官渡の後だったら、普通に祖授なら勝ってただろうし。
寝返りについても、曹操軍にもかなり痛そうだしな。
長期戦やっとけば、国力差と、裏工作で崩壊させられたのに。
いや、そもそも曹操が徐州に出兵したときに、、、、
397名無し曰く、:2007/12/04(火) 09:26:23 ID:mjaLKAwK
>>396
別に短期決戦が愚策だったわけじゃないだろ、すでに曹操軍は壊滅寸前で普通にやれば間違いなく勝っていたんだしな
というか献策が取り上げられなかったからといってあの状況下で裏切った許ユウが異常
398名無し曰く、:2007/12/04(火) 11:26:54 ID:utXwFSkN
>>397
許ユウは曹操と幼なじみだったとか、袁紹に叔父の横領がバレたとかもあったような
399名無し曰く、:2007/12/04(火) 11:59:55 ID:3qZmDAZ/
政敵の審配に身内の横領を咎められて逃げてきたんだっかな。
400名無し曰く、:2007/12/04(火) 12:36:35 ID:tEFWb5Ln
ぼっちゃんで、配下を統率できてないという点では炎症=安倍晋三
401名無し曰く、:2007/12/04(火) 19:21:59 ID:qWPNAqOq
ぼっちゃんつっても、本家ついでないから、
自力で勢力を作り上げたんだぞ。完全なぼっちゃんの安部とは違う。
初期なんて、食い詰めの浮浪者軍団みたいなもんだったのに、
のっとりで州を奪い、その後は自力で勢力を拡大している。

また安倍にしても、継承したものは確かにあるが、
自力で人脈を作り上げ、幹事長時代に党内改革で辣腕を振るっており、
そのときは上手く人をつかった。
首相になってもそれはかわらんぞ。
ただ、配下の前科で責められただけで。

ていうかあれおかしな話なんだよね。
任命責任ってのは、任命したことによって、
もしくはその職を利用して、何らかの犯罪や問題を起こした場合に被るものであって、
任命する前の問題で、任命責任で攻めるってマスゴミのミスリードじゃないのか?
それも大半は、当時では合法というか、問題なかったものばかりで、
野党にもごろごろ同じ問題の人間がいたのに。

曹操や劉備が、前科で人の雇用を決めず、あくまで適正で決めたように、
安倍も凄く全うな人事をしたと思うのだが。
402名無し曰く、:2007/12/04(火) 19:56:33 ID:Pee6fxMn
安部の代わりが麻生でもなく福田じゃな…
泰然自若としてるので大物かと思ったが、何の事はない。
ただの無責任男じゃねーか。

日本のマスコミは政治力100を越えてる(マイナス方面に)
403名無し曰く、:2007/12/04(火) 21:39:41 ID:qMP+Jf3H
麻生(笑)

袁紹はどうも人材運用面でのアラが目立つ気がするな
404名無し曰く、:2007/12/04(火) 22:05:33 ID:YblaR1x5
その無責任さが安倍には足りなかったのよ
405名無し曰く、:2007/12/04(火) 22:38:28 ID:BU6C24Ze
エンショウ系の話題で盛り上がってるけど、俺の麹義なんかの武官系の評価はどんな感じよ
406名無し曰く、:2007/12/04(火) 22:51:50 ID:utXwFSkN
麹義は統率91くらい
407名無し曰く、:2007/12/05(水) 00:05:43 ID:bqbXwy9/
>>405
顔良文醜より上だろう
408名無し曰く、:2007/12/05(水) 01:10:44 ID:HeMpYOHK
紀霊の方が上
409名無し曰く、:2007/12/05(水) 02:39:01 ID:AQvJRaTw
>>405
公孫さん戦は麹義の功績大
正史にも特筆されてる
それで増長して粛清されたがな
410名無し曰く、:2007/12/05(水) 06:04:40 ID:slfqyK7b
公孫家を潰した袁家
袁家を潰した曹家
その曹家を少ない兵力で赤壁や燭進行で破った劉備孫権
やはり曹家には知略武力に長けてる武将はすくなかったんだろ
曹一族夏侯一族よく書きすぎなんだよ
411名無し曰く、:2007/12/05(水) 06:27:28 ID:8bV5M0Da
袁家三兄弟の能力付けに悩む
412名無し曰く、:2007/12/05(水) 07:24:25 ID:xMumKKoG
担がれてなんぼな三人だから、今のまんまでいいだろうな
413名無し曰く、:2007/12/05(水) 08:43:52 ID:yYa/NtGg
曹操が泣きを入れるほど抵抗が激しかったっぽい。
簡単にひねることができるほど弱いと萎える
414名無し曰く、:2007/12/05(水) 15:25:51 ID:04s8b4iv
微妙な弱さの現状でちょうどいいとは思うけど、袁譚・袁尚と空気袁煕には差をつけてほしいな。
415名無し曰く、:2007/12/05(水) 19:00:34 ID:xVMXiO1+
袁譚はなー、こいつに高い能力振るのは難しいだろ。
こいつの武器って人脈だけのような。
袁尚も大分アレだけどさ。
416名無し曰く、:2007/12/05(水) 19:17:01 ID:xMumKKoG
袁尚は演義で史換をまぐれで討ち取ったぐらいかな
417名無し曰く、:2007/12/05(水) 20:08:26 ID:IgaP25Od
いつまで経っても登場してくれない史渙…
418名無し曰く、:2007/12/05(水) 20:17:36 ID:HeMpYOHK
蒼天の三兄弟は好きだな。特に長男
419名無し曰く、:2007/12/05(水) 20:30:30 ID:5xVgFEba
袁尚は初代では武力が85くらいあったよなw
だからエディットでそれくらいの武力を与えてやってる。
袁家の若獅子ってカンジで。

過少評価と言えば高幹じゃないか。
結局は敗者だから仕方ないけど…

ところで蒋義渠(漢字自信なし)って正史(ちくまの索引)にはいないんだが
後漢書とかには出てくるのかな?
420名無し曰く、:2007/12/05(水) 20:39:18 ID:9btyf9JG
後漢書に載ってるらしい ソースはウィキペディアだが
421名無し曰く、:2007/12/05(水) 20:58:24 ID:5xVgFEba
ありがとう。
今度読んで見る。
演義では官渡で敗北した後、敗残兵を取りまとめて袁紹軍を立て直したんだっけ?
後漢書でも活躍してるのかなぁ。
422名無し曰く、:2007/12/05(水) 21:01:45 ID:+ag65a5d
袁譚 74 67 54 22
袁尚 73 72 44 41
袁煕 34 27 41 48
おk
423名無し曰く、:2007/12/06(木) 06:20:23 ID:4Tr2vItk
袁尚は誰かと一騎打ちしてたから武力高めなのか
誰だったっけ
424:2007/12/06(木) 08:25:38 ID:LwbPCbET
425名無し曰く、:2007/12/06(木) 08:26:22 ID:H5D9mEUl
>>422
馬鹿兄弟にはその知力でも過大だろ、官渡の敗北後も袁紹が存命中の間は手出しさせなかった華北の地を兄弟喧嘩なんて下らん理由で曹操にとられてるんだから。まあ、四州を息子達に任せようなんて考えた袁紹もあれだが…。
後継者を決めてくれればよかったんだが恐らく急死したせいで決まらなかったんだろうな、もう少し袁紹に病魔と戦う時間があったら息子達の未来も変わっていたんだろうか
426名無し曰く、:2007/12/06(木) 08:27:24 ID:J389G0Zc
紀霊・黄祖・史煥は早く正当な評価されて欲しい。

そう言えば、昔管亥の武力が95とかあったような・・・
427名無し曰く、:2007/12/06(木) 10:30:22 ID:yuMqdki7
>>425
兄弟喧嘩って大抵家臣側にも責任があるんじゃね?
428名無し曰く、:2007/12/06(木) 11:00:26 ID:kIy3tPpr
紀霊の正当な評価って…
武力をあげろってこと?
袁術軍なら、張勲と橋ズイをトップ能力にして
紀霊はその下の部将(武力90/統率70くらい)扱いにして欲しい。
429名無し曰く、:2007/12/06(木) 11:41:16 ID:rjlH+dMc
ナムコ三国のギランについて所見を述べよ↓
430名無し曰く、:2007/12/06(木) 12:48:47 ID:J389G0Zc
知力低すぎ
431名無し曰く、:2007/12/06(木) 17:28:14 ID:rjlH+dMc
ちくしょう!
432名無し曰く、:2007/12/06(木) 17:31:34 ID:7gjXmnKg
>>427
冀州閥と豫州閥の争いだな
433名無し曰く、:2007/12/06(木) 19:17:13 ID:xAI3lMHy
楽進っていつも攻城能力がトップクラスだけど
それらしき事何かした?
434名無し曰く、:2007/12/06(木) 19:39:56 ID:gI3n2s7H
蜀の小粒武将どもももっと能力低くてもいいんじゃないか?
435名無し曰く、:2007/12/06(木) 19:56:42 ID:cZY1vM2+
>>434
どこらへんだ?
廖化とか張嶷、張翼、馬忠あたりか?
436名無し曰く、:2007/12/06(木) 20:26:15 ID:gI3n2s7H
>>434
うんあと王平と高翔
437名無し曰く、:2007/12/06(木) 20:48:24 ID:HUS6om5J
たしかに底上げされている感もあるけど、王平、馬忠はそこまで下げる必要が
あるとも思えないけどな

守勢でしか発揮されていないとはいえ、戦術レベルでの洞察力と用兵は蜀の
指揮官群の中でも傑出している王平
純粋な軍人としての能力は王平には及ばないにせよ、王平よりも均整がとれた
優れた司令官として評価できる馬忠

この二人は劉備死後の蜀でも古参を除けば貴重なうえに優秀という評価を
下してもいい人材に思うな

張嶷は一段下がる感じ
高翔、廖化、張翼の三人は戦歴や現役の長さで数値を甘めに付けられてはいる
気もするけど、後期から末期の層の薄さを考慮した評価なんだろうね
438名無し曰く、:2007/12/06(木) 22:59:13 ID:rLTr7SMD
王平は張コウを二度防いで、
ソウソウの大軍も防いでいる。
優秀な将軍だと思うぞ。

守勢だと意味ないってんなら、司馬イだって評価が大幅に下がるしな。
439名無し曰く、:2007/12/06(木) 23:02:30 ID:E3cXI3nP
王平、ジョコウの失敗なしで
あのまま魏にいたら
100人隊長で人生終わるんだろうな
440名無し曰く、:2007/12/06(木) 23:41:04 ID:kYMH6QNA
司馬懿は公孫討伐あるだろ
441名無し曰く、:2007/12/06(木) 23:59:31 ID:yuMqdki7
演義でも完全に諸葛亮の裏をかいたことあるしな。
味方が足を引っ張ったとか抜きに、完全に諸葛亮を出し抜いたのって
初登場の姜維と渭水での戦いの司馬懿くらいじゃないか。
442名無し曰く、:2007/12/07(金) 00:00:48 ID:LjGdJcrI
張嶷って落ち度が無い希有な人物だと思うんだけどな
全能力75前後ってのは過大ではないと思ってる
443名無し曰く、:2007/12/07(金) 00:24:24 ID:WxoDXRlw
>>438
司馬懿の評価下がるとか気が狂っとる
444名無し曰く、:2007/12/07(金) 05:25:38 ID:c+lO872m
馬鹿が!馬鹿めが!!
445名無し曰く、:2007/12/07(金) 06:36:11 ID:inaiIm+C
>>442
それは過大評価だ
蜀志にしては珍しく記述が詳細なだけ。同じような実績を上げた武将はいくらでもいる
陳寿が本人に逢ったことがあるってのが大きなアドバンテージだったんだと思うね
事実、論を補強しているのはほとんど『益部耆旧伝』だし
446名無し曰く、:2007/12/07(金) 08:04:54 ID:2MF0iO9t
張嶷は好きだけど
明らかに生姜救出死補正だと思う
447名無し曰く、:2007/12/07(金) 09:44:17 ID:0V9dl3kU
トウガイは武力と知力高いけど、鐘会は知力だけだけど
こんなもんなの?
448名無し曰く、:2007/12/07(金) 11:30:37 ID:7wLFNUNX
>>447
演義でケ艾は何度か一騎討ちして良い戦績を残してるとか。(姜維と引き分けたり)
ケ艾が将軍っぽく扱われてるのに対して、鍾会は司馬師の参謀っぽく出てくるとか。
鍾会の方が名士っぽいからとか。
449名無し曰く、:2007/12/07(金) 12:29:57 ID:CcnnNCve
ほんとおまえら蜀将には厳しいなw
まあ五虎将は張飛以外過大だと思うが張疑だの馬忠だの王平とかは今のままでいいと思うぜ
魏延なんか絶対評価なら一流の将軍だよ
袁家にしろ蜀にしろ、負け組だからといって軒並み能力下げるのはやりすぎだろ
特に袁家は現状じゃ曹軍と戦う以前にやられてる
450名無し曰く、:2007/12/07(金) 12:31:02 ID:1gdo3lb/
嵆康を訪ねたとき、嵆康は刀鍛冶に熱中していた。
鍾会は近づいていき、ただ待っていたがいつまで待っても声をかけてもらえず、
立ち去ろうとしたときに「何を聞いて来たのか。何を見て去るのか。」と聞かれこう答えた。
「聞くことを聞いたから来ただけだし、見たことを見たので帰るだけだ」

ヤンデレというやつでしょうかこれは
451名無し曰く、:2007/12/07(金) 12:39:29 ID:xKZt5xtX
その後、鍾会の讒言で殺される
452名無し曰く、:2007/12/07(金) 15:40:43 ID:i/gdNScr
>>449
袁家が曹操と戦う前に負けるとしたら能力以外の要因が大きいでしょ、
現状袁家の配下は曹家を除く他の周辺勢力を質量共に圧倒してんだから。

顔文田沮を筆頭に高い奴は十分高い。張コウとかがこの時点で超一流な能力なのはゲームならでは。
453名無し曰く、:2007/12/07(金) 15:52:58 ID:7wLFNUNX
てか最近のでそんなに袁家って滅びやすかった?
9あたりだとかなり強いし、10、11でもそんなにあっさり滅んでた記憶は無いけど。

昔は結構悲惨だったけどさ。
454名無し曰く、:2007/12/07(金) 19:30:12 ID:INpXDpTK
8だと開始早々自滅することが多かったな

確か
兵数>必要な食料数

だから攻撃し続ければ弱小勢力でも勝利できる
455名無し曰く、:2007/12/07(金) 19:30:21 ID:50OKmqAH
その土地の元来の国力、や政の比重を大きくすればいい。
兵や軍糧の確保では袁>曹
優秀な人材では曹>袁
456名無し曰く、:2007/12/07(金) 19:46:22 ID:CcnnNCve
11での袁は公孫サンに滅ぼされるレベルだぞ
配下の仲が悪いのは仕方ないとして、能力がおそまつすぎるんだよ ほんと上であげてるやつらぐらいだよ使えるの
張コウなんかすぐ曹軍につくからいないも同然だし
まあどの都市も似たりよったりなのをちゃんと特色つければ豊かな河北が表現できるんだろうけど
457名無し曰く、:2007/12/07(金) 19:59:05 ID:CL5pePfd
>>440
だけど、防戦を無視すると、確実に諸葛亮以下になるよ。
一度も勝てなかったし、追撃してはやられて将軍討ち取られる。
この繰り返し。
曹真と張コウぐらいだよ、北伐で互角に戦っていたのは。
司馬イなんてお荷物。
458名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:01:14 ID:HCgdWWEv
>>456
実際、それぐらいの勢いを誇っていた時期もあるから問題ない
むしろ、今まで白馬将軍とまで言われた男を過小評価し過ぎ
459名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:21:56 ID:CL5pePfd
>>456
ぶっちゃけ公孫賛は後漢でも最高クラスの戦上手だと思うけど。
数百人で何万を倒したとか、もうそれは流石にないだろ、ってレベルの話が何度かある。

ただ人格がねえ、魅力はほんと20か30でいいかなと。
名士層にきついだけならいいけど、平の兵士も平気で見捨ててるしなあ。
理由はわからなくもないが。
460名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:22:19 ID:ikJNQzkS
>>456
11のPS2PKやってたけどそんなに袁家弱かった記憶無いんだけどなあ
461名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:25:27 ID:WxoDXRlw
>>457
釣り針がよく見える
462名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:39:53 ID:5HMLqZ7E
>>459
たしかに
公孫サン自身の腕っ節も絶品なうえ、率いる軍勢も無敵といっていいほど強く、
雑号将軍の身で三州に刺史に置く威勢を誇り、界橋で敗れるまでは最も天下に
近い群雄だったといってもいいくらいだ

最近のシリーズではそれなりに勢力としても強く設定されてるけど、ひと昔は
袁紹どころか劉備でスタートするプレイヤーのカモでしかなかったのは泣ける
463名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:44:27 ID:QGGvWKKy
つまり麹義が過小評価されてるということでよろしいですね
464名無し曰く、:2007/12/07(金) 20:56:51 ID:0Wep6h/E
歴史の世界においてはAがBの軍を破ったからといって必ずしもA>Bにはなるわけではない
465名無し曰く、:2007/12/07(金) 22:30:31 ID:escf9xsF
武将の存在が決定的なゲームシステムで
武将不足な公孫サン陣営が冷遇されるのはやむをえまいて
演義じゃ趙雲のほかには越と厳綱しかでてないし
466名無し曰く、:2007/12/08(土) 00:10:56 ID:8wpJpalH
三国志2は趙雲と殺された公孫越しかいなかったような。
いや趙雲だけだったっけ?
あれはひどかった。
467名無し曰く、:2007/12/08(土) 02:14:52 ID:tpDvkqVU
まあ魏、蜀が過大気味なのを直してくれれば文句はない
468名無し曰く、:2007/12/08(土) 02:38:16 ID:b1ndfx2v
だな
呉の武将は過小評価すぎる
469名無し曰く、:2007/12/08(土) 05:39:33 ID:Yvj22bpp
しかし蜀将の過大評価をやめると、PCが劉備を担当した場合すぐに滅んでしまうからな。
他の勢力を担当した場合でも、劉備がすぐに滅んで欲しくは無いだろ?
470名無し曰く、:2007/12/08(土) 05:55:11 ID:8wpJpalH
劉備はもっとあってもいいと思うんだが、
あれ低すぎだろう。

逆に孫権は高すぎ。
471名無し曰く、:2007/12/08(土) 09:47:17 ID:oFJa5O3/
関羽と張飛を下げて劉備の能力10づつ上げようぜ!
と思ったが関羽も張飛も微妙に下げにくいな…

張飛の知力はもう少し上げてもいい気がするし
下げるとしたら関羽の政治と知力位かな?
472名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:00:37 ID:Da5wOpyt
関羽の政治力だが、事績で判断するなら政治的事績の一切無い他の武将の政治をまず下げなきゃいけない
官で判断するなら実質都督までいったんだから別に過大と言うにはって感じ
張飛だって単純に知力=判断能力とするなら少しと言わずにもっと上げていいし
教養やらとするなら現状で妥当
どっちにしろ判断基準が意味不明なのがコーエーのよく分かんないところ
473名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:01:51 ID:eFjj6y/c
そして、全体的に使えない武将ばかりになるわけだ
474名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:04:35 ID:Da5wOpyt
そっちの方が面白くないか?
どいつでも簡単に代用が利くんなら縛りプレイも面白くないし優秀な武将も引き立たない
475名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:17:27 ID:iUPcuP+N
関羽の政治を下げるとしたら「事績無し」という点じゃなくて
麋芳、士人とかの連中に離反された「マイナス事績」じゃないかな。

張飛は演義で後半成長型だから、時々そこらへんが反映されてたりする。
7とか8で知力の伸びしろが他の武力馬鹿より高かったり。
ただ結局自分の短慮で寝首かかれてるっていう致命的なマイナス事績と
オツムが足りない熱血漢っていう「愛すべき」キャラクターのために知力が低くなってるな。
その分統率が向上してるけど。
476名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:28:22 ID:eFjj6y/c
>>474
面白くねぇんだよボケ
477名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:31:15 ID:Da5wOpyt
それって俺いつも思うんだけどさ、麋芳と士人の降伏って関羽のマイナス事績になりうる?
張バクらの反乱も高覧、張コウの降伏も曹操や袁紹の能力の否定にはならないじゃん。
ましてや君主でもなんでもない関羽がそいつらの降伏の責を負うのも無茶だと思うんだよね
これって呉に対する関羽の態度で政治マイナスっていうのにも言えるんだけどさ
478名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:33:43 ID:oFJa5O3/
コーエー的イメージやらキャラクター付けやらが
有名武将にはあるんだよな、困ったことに

確かに能力設定の基準もよく分からんな
たとえばそれぞれの分野の能力100の人物を決めた後そこからの減点方式とか
それでも事績不明の人物がよく分からんことには変わりないが
479名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:34:35 ID:tpDvkqVU
魏、蜀
・有名どころを下げる
・地味系を上げる


・有名どころは現状維持
・地味系を全体的に上げる
その他
・全体的に上げる

魏は能力的には強すぎず弱すぎず、人材の多さと物量で勝ってればいい
蜀は人材、物量少ないけど有能な武将がそこそこいる呉は中間で
480名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:37:29 ID:iUPcuP+N
>>477
袁紹のはマイナスになってるんじゃないの?優柔不断で部下の讒言を信じやすいってことで。

関羽は「知識人階級に厳しい」って評価と、
実際に麋芳、士人を恫喝するような言動行ってる以上(戦が終わったら覚えてろよ、みたいなこと言ってなかった?)
関羽のマイナス事績になると思うよ。
481名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:45:37 ID:FoEuoNwO
>>479
でも北伐で孔明が武将の質の低さに嘆いてるから
地味武将は上げる必要ねーんじゃね?
482名無し曰く、:2007/12/08(土) 10:53:45 ID:Da5wOpyt
>>480
部下の讒言って郭図の事?
沮授らの権力を潰したり反乱分子を潰したりするために郭図の進言を取り入れたというのは失敗だろうか?
まあ実際失敗してるからマイナスになるんだろうけどその時点でこの対応はあながち間違いでもないとだと俺は思ってるんだけど
それにゲーム内でも能力高いからそう評価されてるもんだと思ってたけど違うん?
麋芳らへの恫喝はそもそも重要な任務にあたっていながらその責務を十分全うしなかった時点で罰は受けて当然で
処分する都度を伝えるのも弛緩しきった軍を引き締めるためと見て取れるし。
483名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:00:49 ID:iUPcuP+N
>>482
張コウ、高覧のは完全に失敗でしょ。少なくとも演義じゃ完全に失敗。

関羽は「知識人に辛く当たる」っていう短所のせいで死に至った、
という陳寿の筋書きから考えれば、麋芳士人の件は失態だと思うよ。
484名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:01:50 ID:iUPcuP+N
>>481
むしろ五虎将と諸葛亮だけエース級にして
地味武将をやや他二国より弱めにしたほうがらしいかな。
485名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:17:42 ID:Da5wOpyt
>>483
もちろん正史を普通に読めばそうなるが、
張コウ、高覧の降伏は立場の危うい冀州人士であるっていう側面があるし
冀州人士の権力分散は必要不可欠。結果だけ見れば失敗でもこういう状況で袁紹の対応を見ればそこそこの評価は上げていいんじゃないか、という
麋芳、士人らは知識人ではない気が
486名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:32:11 ID:iUPcuP+N
少なくとも関羽が可愛がる「部下」側の人間では無いような
487名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:37:24 ID:w4BBUnC1
関羽は現状維持でも問題ないとは思うけどな。演義ならこれくらい強くて
当たり前だし、正史でも頭悪いわけじゃないし。
488名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:43:16 ID:iUPcuP+N
いや、別に現状維持で構わないよ。
仮に政治を下げるとしたら「事績無し」が理由じゃなくて「マイナス事績」が有るからだろうな、というだけで。
と、いう>>472へのレスだった。
489名無し曰く、:2007/12/08(土) 11:54:31 ID:Da5wOpyt
そもそも麋芳って部下って言えるほど格下なのだろうか。
元有力豪族で古くから付き従い劉備の援助をしてきて、さらに外戚という身分でありながら地方の(要所とはいえ)一太守でしかない
こうなるとそもそも関羽ではなく劉備に思うところがあったんじゃないかと俺は思っちゃったりするけどね
490名無し曰く、:2007/12/08(土) 12:15:11 ID:jwlNH0Dp
当主はビジクだからそんなもんだろう。
491名無し曰く、:2007/12/08(土) 12:19:08 ID:jwlNH0Dp
関羽張飛はあんなもんじゃね。
魏呉でも名将として有名だったし。
492名無し曰く、:2007/12/08(土) 12:20:01 ID:GZXPqaG+
>>477
三者が同じ経緯で背かれたわけではないにしろ、調整能力が高ければ
致命的な離叛は回避できるもんだよ

関羽の場合なら不問に伏して挽回の機会を与えるなり
劉備に裁断を仰ぐなりしていればあそこまで酷い離叛は防げた可能性も
ないわけじゃない

関羽の場合はやっている事が恫喝に近いし、信賞必罰も場合によりけりとも
いえるわけで
493名無し曰く、:2007/12/08(土) 13:00:56 ID:sJRKMHuT
これから気合入れて魏の正面玄関にデカイ軍団をぶち込もうと言う時に
不景気な不始末をしでかすのは緒戦で負けるのと同じくらいの罪。
関羽の感覚からすれば直ぐに処刑しないだけバランス感覚を発揮してるつもりなんだろう。

それにしても関羽アンチの関羽への執着心は異常。
この手の話題を何年続ける気なのだろうか?
関羽討伐スレの頃から全然変わってないんだが…
494名無し曰く、:2007/12/08(土) 14:03:43 ID:tpDvkqVU
というか今までの鬱憤ばらしか、不当に蜀将は評価されがちになってる
魏将は確かに有能な人材多いけど…
呉はあんまり変わらないw
495名無し曰く、:2007/12/08(土) 14:08:36 ID:iUPcuP+N
能力値って単純な能力評価だけじゃなくて、その武将の性格とかも表すからね。
武力99 知力32 なんて武将なら「ああ、猪武者なんだろうな」って感じがするし。

そういう意味じゃ関羽は政治がちょっと低いほうが「らしい」気がするんだけどね。
統率武力知力全部高いけど政治が50くらいとちょっと低め。
496名無し曰く、:2007/12/08(土) 14:45:05 ID:DseYqwTV
呉は現状でも充分評価されてると思うんだぜ
497名無し曰く、:2007/12/08(土) 17:28:46 ID:eFjj6y/c
呉はオールマイティな武将がかなり揃ってるしな
498名無し曰く、:2007/12/08(土) 18:43:31 ID:bLvq3nZE
どうでもいい武将でも無駄に水軍がついていたり
499名無し曰く、:2007/12/08(土) 18:44:51 ID:mUuO8PWb
>>493
アンチは必要以上の過小評価に走るからな。
毛嫌いしすぎで、逆に何も見えていない感が強いんだよなあ。
まあ、過小過大評価を決めるスレにおいては
それだけ盛り上がれる逸材ともいえるんだろうけどね、関羽という英雄は。
500名無し曰く、:2007/12/08(土) 19:12:54 ID:0kBUcX65
呉の一流どころはオールマイティ過ぎて能力被り過ぎ。
特に周瑜・陸遜と孫堅・孫策。

もうちょっとメリハリつけて欲しい。
501名無し曰く、:2007/12/08(土) 19:45:24 ID:KRVDlV4K
>>500
正直、孫策は知力が60代前半か50代後半ぐらいでいいと思うんだが。政治力もそのぐらいで。
502名無し曰く、:2007/12/08(土) 19:50:44 ID:8wpJpalH
>>471
10ずつ?
劉備の政治は90台でも違和感ないんだけどなあ。
あれだけののっとりを何度も成功させているし、
人材抜擢もやり、それも結構当たっている。

新野なんて事実上清野作戦したってのに、
なぜか民から嫌われてないし、
地元の豪族や名士とも関係も良好だ。

孫権なんて、指導力がないからってんで、地元の有力者を招聘したら、
連合政権みたいになって、君主の権限が魏、蜀に比べ弱かったうえに、
後に深刻な派閥対立に発展してしまったんだが。
劉備の場合は独裁体制を作っている。

若いころ(中年になってもだけどw)
諸侯を渡り歩いている、連戦連敗とまでは言わないけど、
曹操には負けまくりなのに、信頼されているところをみると、
取り入る才能も抜群だと思うんだよね。
503名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:05:55 ID:SCk1K7w+
>>502
11の劉備に+10すると(武力以外)

【統率】85
【知力】84
【政治】88

妥当じゃないか?これに武力73、魅力99が加わるんだから、総合ランクベスト10入りは余裕だろう
やっぱこれくらいのほうが傭兵隊長から一国の君主になった劉備のすごさが出てるよな

504名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:17:44 ID:sJRKMHuT
魅力:劉備≧曹操
それ以外:劉備<曹操

こんな感じにするとらしい気がする。
孫策と孫権は足して2で割ると微妙に曹操を下回るくらいで丁度いい。
なんだかんだ言ってこの四人と袁紹はそれなり以上の評価が付いても不思議ではない。
505名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:18:33 ID:Da5wOpyt
つかさ、そもそも劉備曹操と比されるべきは孫策だと俺思うわ
劉備 86 71 90 91 99
曹操 98 77 92 94 72
孫策 97 91 51 67 90
こんなもんっしょ
506名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:25:48 ID:tpDvkqVU
傭兵隊長として長年バリバリ戦ってきた劉備が曹操より武力下なわけがねーよ
507名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:27:22 ID:0kBUcX65
>>501
孫策は知力は65、政治力は50前後が俺のイメージ。

孫策にはカリスマ性はあるんだけど、気に入らない奴を怒りに任せて粛清する癖があるんで、
呉夫人らが居なければ本人の命だけじゃ済まなかった可能性もあるからなぁ…

戦に関してはキレ者なんで知力が多少高めなのは判るけど、
政治は50でも穏当な評価だと思う。

親父の孫堅は魅力が高過ぎかな。
あと戦上手は疑いないが、統率・武力共に90オーバーは流石に強すぎるかも。

>>502
孫権はあの若さで譲り受けた二代目(三代目)だから、
政治的にはバリバリの創業者とは違った難しさがあるのも考慮すべきだと思う。

あえて蜀でいうなら劉禅時代に相当するんだから、
むしろあれだけのリーダーシップを発揮できたのは特異な例じゃなかろうか?

それに蜀漢政権も孫呉と言うほど変わらず、在地名士の影響を強く受けた地方豪族政権だよ。
あの時代、強権的に独裁を敷こうとすると反対に大きく反発を受けて潰れちゃうし、
むしろそういった配慮ができるのも政治力じゃないかな(孫策とか関羽はコレができない)。
508名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:28:25 ID:8wpJpalH
確かに曹操の武力は高すぎるよな。
高いのは統率にすべきだ。
孔明みたいな感じでいいんじゃね。
つか孔明でも60台あるからな、なぜか知らんけど。
509名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:32:03 ID:iUPcuP+N
統率が無かったころの名残かな
曹操とか諸葛亮とか周瑜は戦争ができるように武力高めだったから
510名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:33:58 ID:sJRKMHuT
曹操は初陣や袁術への一方的な攻勢や烏巣の突撃とか考えると兵法を極めた猛将という感じがするんだが。
あまりにもマルチすぎるから分かり辛いが基本軍人だろ。
呂布とか超一流には知力面で勝つしかないが、ほかのは考えなしでも十分蹴散らせる武力。
用兵も出来る知将である孔明とかとは一線を画すと思う。
511名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:36:58 ID:Da5wOpyt
孔明の武力が低いっていうの何なの?
別に病弱とか全くないしそりゃ寒門出身と比べりゃ個人武勇は劣るかも知れんけど
実軍指揮を幾度となく経験してるんだから軍を率いたこともない文官とは差別化されてしかるべき
512名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:38:48 ID:iUPcuP+N
あくまでも「武力」であって「武勇」じゃない、と解釈すれば問題ないか
513名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:39:36 ID:SCk1K7w+
>>511
武力を高く(50〜60くらい?)にすると曹操を超えて総合1位になってしまうから。ゲームバランス調整だろ
514名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:42:54 ID:Da5wOpyt
>>513
いや、ゲームバランスとるのはもちろん構わないんだが
バランスとる上で過大過小になる武将の本来の評価を語るのがこのスレだろ?
せっかく適正評価ができてきてるのにバランスとかで評価をゲームの状態に戻すのはよろしくないよ
515名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:45:48 ID:SCk1K7w+
>>514
「なぜゲームにおいて孔明の武力は低く設定されてるのか」という問いと受け取っての答えだったんだが
516名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:48:47 ID:Da5wOpyt
ああ、俺は>>508が孔明の武力を低く見てると思ったから>>508にレスったつもりだったんだよね
まぎらわしくてすまん
517名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:50:00 ID:8wpJpalH
>>507
>それに蜀漢政権も孫呉と言うほど変わらず、在地名士の影響を強く受けた地方豪族政権だよ。

劉備は言うに及ばず、
諸葛亮や、その後の宰相にいたっても、かなり独裁的な権限もっているぞ。
地元の名士の影響は無視できる、だからこそあんなに北伐を何度も慣行できたんだけど。
地元の豪族や名士に政権運営が影響受けたって話も聞かない品。
蜀はよくもわるくも、魏以上に皇帝(それを支える宰相)に権力が集中したワンマン体制だよ。
地元の益州人士にそこまで権力志向の有力者がいなかったからだけどさ。

というか魏はそんなに皇帝に権力ないだろ。
組織がでかすぎるし、一門衆がそんなに力もってなかったから(曹否が削ったからだけど)
司馬イにのっとられたわけだし。
>>511
鎧着て、前線でバリバリ戦っている奴等よりも高いのはどうかと思う。
518名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:52:26 ID:0kBUcX65
特に逸話が無いやつは、

前線叩き上げ(70以上)>軍人(60前後)>上級指揮官(50前後)>文化人(30〜40)>特殊(20以下)
このぐらいのイメージでいいんじゃない?

陳到>麋芳>費禕>簡雍>劉禅みたいな。
519名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:55:30 ID:SCk1K7w+
>>518
わかりやすいな

そうすると周瑜は軍人レベル、陸遜は上級指揮官レベルになりそうだ
520名無し曰く、:2007/12/08(土) 20:58:24 ID:iUPcuP+N
>>517
11の諸葛亮の武力28とかになってる 10でも30台
司馬懿や周瑜は60〜70あたりなのに
521名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:00:35 ID:1cI3MDIT
諸葛亮は四輪車に乗ってるイメージが駄目なんだろうな
武力があんまり高くないのは
武勇に優れてなくても馬に乗ってる指揮官なんて山ほどいるのに
522名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:11:50 ID:8wpJpalH
>>520
そんなに下がってたのか、知らなかった。
俺9までしかやったことなくて。
523名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:18:14 ID:sJRKMHuT
攻撃力という意味の武力なら低そうなイメージはある。
異常に統率(防御力)が高い訳だし。妥当と言えば妥当。
524名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:24:43 ID:0kBUcX65
>>517
>劉備は言うに及ばず、諸葛亮や、その後の宰相にいたっても、かなり独裁的な権限もっているぞ。

そうかな?
少なくとも劉備の人事は反抗的で疎遠だが一流の名士、高名な新規参入者、
転向してきた在地有力者などを厚遇しているし、反発を押し切って独裁的に更迭したりもしない。
下からの要求もかなり柔軟に取り入れるバランス型の指導者でしょ。

他の指導者と比べてみても、劉備の強権発動は殆ど見られないと思うんだけど、
そんなに言うほどのことがどれだけあったっけ?

貴方の言う「その後の宰相たち」の政権運用なんかは独裁的とは程遠い、
士大夫層のパワーゲームそのものだし。

諸葛亮は確かに独裁的な面が無きにしも非ずだが、
これも名士層での絶対的地位を確保した上でのものだし、
そもそも諸葛亮は担ぐ側だから豪族連合的性格に違いはないしね。
525名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:32:20 ID:Da5wOpyt
つか結局武力の判断の難しさって判断基準の曖昧さだよな。
曹否やらの比較的詳しく史書にのってる奴の「武芸に勤しむ」「狩を好む」「弓馬に優れる」っていうのをそいつらにだけ適応するから
訳わかんなくなる。そもそもこの時代名士なら名士で武芸の鍛錬は学芸と同様のポテンシャルなわけで。それを評価するなら他の名士層だって同じだし、
それがダメならその程度の武力評価は無視すべき。どっちつかずは一番訳わかんなくなる
叩き上げの軍人はもちろん部やら曲やらの指揮官がいいとこだろうから武力が必要なのはわかる。
その名士層のたしなみである武と実践での武の違いを明確にできないのも曖昧さの一つだよな。
526名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:44:20 ID:8wpJpalH
劉備は抜擢人事に、更迭なんてやりまくりなんだけど。
地元の名士だからってんで、要職につけたりしないし、
逆に話して、こいつは使えると思ったら、いきなりぽんと要職につけてる。
なんか問題起こしたら、すぐに左遷。
名士厚遇というより、曹操みたいに人材コレクターというか、
適材適所というか、そんな感じだな。
またイリョウのように、蜀の国力ではきつい外征を反対を押し切って、強引に行っているし、
呉なんて、北伐しようものなら、ぶーたれるものばかりだし、
将軍などみな、地元の有力者ばかり。
たたき上げの人や、抜擢された人なんてほとんどいない。

>これも名士層での絶対的地位を確保した上でのものだし、

いつ確保したんだ。
彼は益州人士ではないし、史実では益州では無名だったろう。
当時の席次においても、上位にはいない。
戦争でデビューしたのも南進からだし、
これで名声を得て、絶対的な地位を獲得したというのは無理があろう。

彼は劉備が作ったシステムを有効に活用しただけだろう。
北伐を何度か行ったあとなら別だが。
劉備が崩御したあとですら、かなり独善的な人事を慣行している。
527名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:47:14 ID:0kBUcX65
>>525
演義での一騎打ちの強さと、実際の前線指揮官としての優秀さを同一項目で判断しなきゃいかんからね。

例えば張昭は幾度も参謀として従軍してるし、指揮官として軍を率いたことも何度かあるけど、
一騎打ちやらせたら弱くなくちゃ演義での人物像に合わない気がする…

だから統率高め、武力低めにしてるんだろう。
528名無し曰く、:2007/12/08(土) 21:47:21 ID:8wpJpalH
>>525
ビ竺は武芸に非常に優れていたという記述があるし、
(統率は下手糞だったらしい)
彼の子供みな、そっちで達者だったという。
だから結構武力は高いはずなんだか、20とか30くらいしかいつもない。

そういや陶謙はもっと武闘派なんだけど、
なぜか文官タイプだよな。
529名無し曰く、:2007/12/08(土) 22:22:03 ID:eFjj6y/c
>>528
戦場で八面六臂の活躍ってイメージが無いからな
530名無し曰く、:2007/12/08(土) 22:54:34 ID:0kBUcX65
>>526
>抜擢人事に、更迭なんてやりまくり
>地元の名士だからってんで、要職につけたりしない

例えば劉備は許靖の不義を嫌っていたが、虚名とはいえ厚遇しなければ人心を失うとの進言を受けて厚遇したし、
劉巴は劉備に対して非常に反抗的な態度を取り続け、帰順してからも問題はあったがやはり厚遇した。

名士だから厚遇してる好例。
そもそも先主伝に様々な勢力に配慮して人事を行ったことが明記されてるし、
劉備時代の法正や諸葛亮の動きを追えば(過剰に言われすぎててあまり使いたくないが)
所謂荊州閥・益州閥と呼ばれるような豪族勢力が劉備に与えた影響は窺えるでしょ?
だから「蜀漢政権も孫呉と言うほど変わらない」と言ったわけ。

夷陵で劉備の独裁性が保障されるなら、赤壁やら遼東征伐を強行した孫権はどうなの?
「北伐しようものなら、ぶーたれるものばかりだし」ってこの時ぐらいしか思い浮かばないんだが、
他にもあった?

呉の将軍に叩き上げや抜擢が居ないって…呉書の10巻なんてまさにそういった人間達の巻でしょうに。

というかここまでの議論、本当に具体的な事例を頭に浮かべて比較しながら言ってる?

諸葛亮がいつ絶対的地位をいつ確保したって、まず出仕時点から荊州の代表的名士だし、
入蜀時点こそ法正の後塵を拝した形だが、この頃も多くの益州名士と親交を深めているし、
当然蜀漢の中でも代表的な名士だよ。

例えば龐統は呉の名士にも交友があるように、元々著名人は国境や郷里を越えた親交があるものだし、
「史実では益州では無名」なんて有り得る?凄く不自然だと思うんだけど根拠でもあるの?
531名無し曰く、:2007/12/08(土) 23:38:08 ID:sJRKMHuT
>>530
弱権的態度を取ったら即「強権的ではない」、と言い切れるのかな…?
俺には良く分からんのでそこら辺の説明をkwsk
532名無し曰く、:2007/12/08(土) 23:55:24 ID:0kBUcX65
>>531
まずこちらとID:8wpJpalH氏のやり取りに全部目を通しました?
通したならどこら辺の主張を指して『弱権的態度を取ったから即「強権的ではない」、と言い切った』と読んだわけで?
533名無し曰く、:2007/12/09(日) 00:15:01 ID:Rblonv0e
劉備も色々気を使ってたっていうのは同意だけど
劉巴に関してはただ有能だったから使ってただけでしょ
534名無し曰く、:2007/12/09(日) 00:34:56 ID:n38nbEil
>>532
>それに蜀漢政権も孫呉と言うほど変わらず、在地名士の影響を強く受けた地方豪族政権だよ。
>少なくとも劉備の人事は反抗的で疎遠だが一流の名士、高名な新規参入者、
>転向してきた在地有力者などを厚遇しているし、反発を押し切って独裁的に更迭したりもしない。
>下からの要求もかなり柔軟に取り入れるバランス型の指導者でしょ。
>他の指導者と比べてみても、劉備の強権発動は殆ど見られないと思うんだけど、
>そんなに言うほどのことがどれだけあったっけ?
>諸葛亮は確かに独裁的な面が無きにしも非ずだが、
>これも名士層での絶対的地位を確保した上でのものだし、
>そもそも諸葛亮は担ぐ側だから豪族連合的性格に違いはないしね。

ここら辺かな。呉の方が魏蜀より名分の点で明らかに不利。
また、劉備は漢中王即位や蜀帝即位、東征で結構無体な粛清をしてる。
諸葛亮にしても君主の権威が確立していた蜀漢だからこそ
あそこまでの独裁が出来た面があるだろう。
許靖は自勢力の宣伝という効果を期待されてのものだし、劉巴は計略に長けていたから登用された。
自分のパトロンである荊州閥以外の人材を起用することがそれほど「豪族連合的」とは思えない。
呉における土着名士は公認された世襲的兵権を持ってた。
発言力に行動が伴いうる呉の名士と蜀の名士を一緒くたに並べるのは無理があると思うが。
535名無し曰く、:2007/12/09(日) 05:22:08 ID:2lwTycJW
張巍、李恢、馬忠、トウシ、王平が過小評価だと思う。ショクがあそこまで保ったのは、こいつらが
国内を万全の状態にしといたからギや呉もちょっかい出せなかった。
逆に過大評価なのは馬岱と張包と関羽の息子達、張翼。
536名無し曰く、:2007/12/09(日) 08:19:40 ID:UZnYfr1R
>>525
陳式、高翔、呉班あたりは過大の面々に吸われたんだろうね
昔が酷過ぎたって感じでもあるけど
537名無し曰く、:2007/12/09(日) 08:26:12 ID:VjnRcnew
三国志6の高翔
統41武40知38政55魅38
538名無し曰く、:2007/12/09(日) 11:00:33 ID:pndIL319
>>537
それくらいでいいと思うよ
あとここで名前が挙がってる
ほかの、職の地味武将も
539名無し曰く、:2007/12/09(日) 11:58:10 ID:QlfKA3ub
>>535
王平 83 79 76 58 51
張嶷 79 72 74 77 76
李恢 79 65 78 77 80
馬忠 78 72 68 78 79
ケ芝 73 52 81 85 88

現在この程度の値だけど、どの程度の能力を望んでるんだ?

関興 76 86 62 58 75
張苞 75 87 48 46 68
この二人は演義のスターだけど比較的落ち着いた能力。
540名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:06:17 ID:QlfKA3ub
いちおう平均値は>>112程度らしい
541名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:10:46 ID:N/RB8NOa
王平 84 77 42 35 51 洞察
張嶷 77 83 81 77 76
李恢 79 71 84 77 63
馬忠 77 76 61 83 81
ケ芝 74 67 78 86 72
おk
542名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:13:18 ID:9xJ5Zzme
高すぎだろう
543名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:15:56 ID:N/RB8NOa
誰と比べて?
544名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:20:18 ID:9xJ5Zzme
誰とも比べてないが
545名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:22:55 ID:N/RB8NOa
じゃあ何で高すぎって言えるの?
546名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:28:35 ID:rTK2V8yr
何で誰かと比べないといけないんだよ?
547名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:30:07 ID:N/RB8NOa
能力の比較なくして適性な評価判断ができないからさ
548名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:33:01 ID:QlfKA3ub
>>539と比べて誤差レベルの差しかなくね?
549名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:33:17 ID:rTK2V8yr
そう思ってるのはお前だけだ
550名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:37:44 ID:N/RB8NOa
はあ?
武将の数が700にもなるのに絶対評価で成り立つわけないだろ。
単純に優劣の比較はできなくとも功績の差からおおよその能力の差を測るのは至極当然のこと。
551名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:39:22 ID:QlfKA3ub
>>550
ttp://www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/19.html
ここの武将データと比べれば?
552名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:41:21 ID:rTK2V8yr
>>550
何をそんなにむきになってんだよ
別にいいじゃんかよ
人それぞれ何だから

こまったチェエリーボーイだな
553名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:42:19 ID:N/RB8NOa
いや、お前の論の穴を指摘しただけで必死とか意味が分からないんだが。
554名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:44:00 ID:rTK2V8yr
あっそう

だからいってんだろうおこちゃま
人それぞれだって
わかった?
555名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:44:48 ID:rTK2V8yr
に     やですか?
556名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:49:15 ID:q+lF+lXj
また永久とか結界でいやがらせですか?
たかがゲームに
557名無し曰く、:2007/12/09(日) 12:50:22 ID:8tAENojK
馬鹿二人いいかげんにしろ
558名無し曰く、:2007/12/09(日) 13:05:06 ID:2d73nQew
>>539
実際は呉班、高翔が関興、張苞のようなポジションだったんだろうな
559名無し曰く、:2007/12/09(日) 13:12:42 ID:Se2esdez
近作はプレイしてないが蜀の桟道とか絶対的に攻めづらい地形とか再現されてる?
これがされない限り蜀将の過大評価はやむないよ
すぐ滅ぼされるから
560名無し曰く、:2007/12/09(日) 13:16:09 ID:QlfKA3ub
都市間の繋がり的には結構有利だけど
呉の長江の天険並の地形効果は無いかな
561名無し曰く、:2007/12/09(日) 13:25:13 ID:N/RB8NOa
蜀がらみでならまず再現してほしいのは漢中経由からの魏へまたは魏からの侵攻路の不整備具合、益州−荊州間の進軍の困難さ
これ実現すると益州と荊州を同一保持することの困難さとそれでも荊州を保持して侵攻路を確保しなきゃいけないジレンマが面白そう
562名無し曰く、:2007/12/09(日) 13:29:05 ID:QlfKA3ub
そういうのは8以前の都市間で攻め込める場所が限定されてたころのほうが表現しやすかった。
1都市からしか攻め込めないと一度に攻め込める部隊数が限られたりするし。

9以降の一枚マップだとそういうのはあんま感じないな。
563名無し曰く、:2007/12/09(日) 14:02:09 ID:oGIpG2S3
蜀の場合は
・漢中側から攻めると桟道で墜落により兵が自動減少(技巧「難所行軍」、特技「踏破」で回避)。
・成都までの道には岩を落とせる崖があり、岩を落として巻き込まれると2000近く削られる。

っていう風に三国志11ではなってる。だから多少は攻めづらくなってる。
564名無し曰く、:2007/12/09(日) 14:05:48 ID:q+lF+lXj
マップ、地形話題はスレ違いじゃないか?
565名無し曰く、:2007/12/09(日) 14:13:29 ID:n38nbEil
蜀将は穴熊補正がなければ国防もまともに出来ない雑魚、という話題
566名無し曰く、:2007/12/09(日) 15:54:24 ID:XQIGB0pz
別に地形だけでどうにかなってた訳じゃないけどな。
蜀の地は蜀の地なりに治めるのは大変だ。
567名無し曰く、:2007/12/09(日) 16:59:05 ID:QlfKA3ub
人物の能力よりは純粋な国力の問題のほうが大きいしな。
568名無し曰く、:2007/12/09(日) 17:54:09 ID:lV0XYejX
いつも「なるほど」と関心して読ましてもらってるんだが
たまに自分の意見、思想を押し付ける奴が沸くな

俺的には董卓の将(李、郭など)が過小気味だと感じるのでPKでの修正必須
569名無し曰く、:2007/12/09(日) 18:16:55 ID:QkchUmDh
例えばどういうところが過小気味?
570名無し曰く、:2007/12/09(日) 18:17:57 ID:XQIGB0pz
全体的にじゃないか
571名無し曰く、:2007/12/09(日) 18:22:36 ID:eCZQnXVO
董卓の政治も低すぎるけど
キャラゲーとしてはわかりやすくていいのかなとも思う
572名無し曰く、:2007/12/09(日) 18:42:13 ID:QkchUmDh
李儒の知力は97くらいあってもいいと思うが
573名無し曰く、:2007/12/09(日) 19:45:29 ID:87W+s8Rb
李儒そこまではなあ、正史はそもそも後漢書に名前しか出てねーし。
97だとシリーズによってはカクを上回る
574名無し曰く、:2007/12/09(日) 19:58:14 ID:XQIGB0pz
李儒は十分な評価だろ
575名無し曰く、:2007/12/09(日) 23:03:55 ID:HFiN8XE0
>>530
どちらも蜀の豪族でも名家でも、名士でもありません。
例として不適当。
あげるとするなら厳顔とか、あの富豪のなんつったっけ、、、度忘れした。
左遷だと費詩、正論言っただけなのにネエ。

許靖は劉備は重く用いる気はなかったが、
劉巴最初から、厚遇する気まんまんだったろうが、入蜀のときから、
目をつけてたし、劉巴が劉備を嫌っていただけだ。劉備は好んでいる。
能力も高く評価している、厚遇して当たり前。
つか能力があるなら、普通に厚遇するだろ。

>所謂荊州閥・益州閥と呼ばれるような豪族勢力が劉備に与えた影響は窺えるでしょ?

だからそんなもんはない、あっても、微々たるもの。
劉備にはほとんど影響を与えていない。
もちろん劉備は聞く耳を持たない人間というわけではないし、
公孫賛のように、名士を嫌っているわけでもないから、
有能であれば使うけど、有力な豪族とか名士、名家ってだけで、
要職につける呉とは違うよ。
劉備のお眼鏡にかなうかどうかが一番大事。
かなえば、即座に太守クラスに抜擢。

>呉の将軍に叩き上げや抜擢が居ないって…呉書の10巻なんてまさにそういった人間達の巻でしょうに。

「ほとんど」いない、蜀や魏に比べても少なすぎる。

>諸葛亮がいつ絶対的地位をいつ確保したって、まず出仕時点から荊州の代表的名士だし、

だから益州の有力者でも、名士でも豪族でもないと、何度言ったら。
益州では全くの無名。別の地域で影響力を駆使するのは困難だよ。
あくまで同郷のものも重視する。
確かに州を越えて、漢全土へのネットワークを持つ広範囲のつながりのある集団もいるが、
諸葛亮が属していたのはそういうものではない。

>夷陵で劉備の独裁性が保障されるなら、赤壁やら遼東征伐を強行した孫権はどうなの?

赤壁では楊州で絶大な影響力持つ、豪族の周愉が賛同した。、
だからできただけ。
遼東のは、張紹以外の有力者が反対したっけ?
576名無し曰く、:2007/12/10(月) 04:18:15 ID:jopVzyTc
age
577568:2007/12/10(月) 04:59:11 ID:WT9jL8hg
李80 75 50 45 40
郭75 85 20 15 20

能力値はおおざっぱにだけど統、武、知、政、魅の順ね
最近の徐栄は正当な評価を受けつつあるけどこの両名は酷杉。
あと董旻も
578名無し曰く、:2007/12/10(月) 05:54:53 ID:XCub9J53
李厳の能力は正当だろうか?正史を読むと231年までは反乱を寡兵で鎮めたり、呉との最前線の永安を任されたり、凄い優秀そうなんだが。
最後の嘘でなあ。
579名無し曰く、:2007/12/10(月) 05:59:40 ID:2AlL6yfV
>>577
政治はもっと低くてもいいと思う。
ただし、統率は90台でも違和感ないよな。
馬騰、劉エン、徐栄、呂布、そうそうたるメンバーを倒している。
ただ、徐栄、呂布はカクの助言もあったようだから、
その分は割り引くべきかと。
580名無し曰く、:2007/12/10(月) 08:03:06 ID:OQT7MACP
李厳は普通に一流、控えめに評価しても一流半だろう。
超一流ではないだろうけど。
581名無し曰く、:2007/12/10(月) 08:06:11 ID:OQT7MACP
ただ魏とかにだったら、李厳クラスはそれこそゴロゴロいそうだからなぁ。
なんだかんだ言ってやっぱり魏は人材の宝庫だよね。
まあそういう事情もあって、全体のバランス的に李厳の能力が決められているのでは。
582名無し曰く、:2007/12/10(月) 09:07:01 ID:0p0ATW+8
>>575
おいおいw
呉が抜擢が少ないって冗談ですか?
新参の魯粛には周瑜のあとを継いで荊州方面のナンバーワンにしてるし
降将の潘濬にもいきなり厚遇。
呂蒙なんかほとんど寒人に近い人物が軍事上のトップ。
224年の徐盛なんかもそうだな。
逆に劉備の太守クラスに抜擢っていっても魏延の時は漢中に劉備自身も
いたし、位はともかく実質の権力は小さい。
劉備が抜擢で要所と権力を両方を与えた事あったか?
583名無し曰く、:2007/12/10(月) 09:32:18 ID:A0mfqYds
劉備の抜擢といえば諸葛孔明が居るじゃないですか
584名無し曰く、:2007/12/10(月) 09:57:12 ID:0p0ATW+8
>>583
うん、いるね。
でも諸葛亮場合は権力だけで要所の守りは与えなれてないね。
585名無し曰く、:2007/12/10(月) 10:18:30 ID:p2IFoYFL
そりゃ劉備存命時は内政を主にしてたからな
586名無し曰く、:2007/12/10(月) 10:19:11 ID:A0mfqYds
劉備が漢中攻めてた際の成都でのお留守番(兵站の整備や内治の充実)なんか要所の守りじゃないの?>孔明
武官の最大の活躍の場が敵と戦う最前線なら、
文官の能力の見せ場は後方の生産拠点の維持&運営でしょ
仕官前から声望が高かったとは言え、数年前までぷーやってた若造を相手とは思えないくらいの大抜擢だ




587名無し曰く、:2007/12/10(月) 10:27:15 ID:0p0ATW+8
漢中まで来ると諸葛亮は抜擢ではなく充分に地位が高くないか?
少なくとも、抜擢人事ではないはずだが。
588名無し曰く、:2007/12/10(月) 10:31:21 ID:TTtvOr/q
諸葛亮が抜擢ってのは何時のこと?
三顧の礼から荊南支配の頃は他に大した面子がいなかったし
益州入り後は既に実績があるから抜擢というほどでもないと思う。
589名無し曰く、:2007/12/10(月) 11:31:18 ID:A0mfqYds
徐州時代や旗揚げ時点から付き従っていた麋竺や簡雍みたいな老臣を差し置いて
益州の留守政権を任されたのはかなりの抜擢人事でしょ>孔明
漢中の時点で十分に地位が高いつうけど、上で例として挙げてもらった魯粛も呂蒙も徐盛も
軍団長扱いになる前に長年功績を重ねてきて出世していってるわけで、諸葛亮の例と変わらないと思うケド

>>588
諸葛亮が仕官してから劉備が死ぬまで、諸葛亮の出世は抜擢人事の連続みたいな感じ
ちょっと前まで畑を耕してた男が仕官していきなり参謀の筆頭扱いみたいになって
戦略から外交まで助言しまくり、劉備が荊南を得ると占領地の軍政を担当、
劉備が益州を攻め始めると今度は軍を率いさせて功績を立てさせる
劉備が皇帝になると宰相になって名実共に蜀漢のNo.2、この間僅か十数年だというから大したもの
590名無し曰く、:2007/12/10(月) 11:49:30 ID:3oKmQq0y
劉備
591名無し曰く、:2007/12/10(月) 12:09:46 ID:0p0ATW+8
魯粛が長年功績を重ねて?
呂蒙も出世のスピードが尋常じゃあない。
だいたい、麋竺や簡雍なんて地位だけが高くて、別に要職についていたり
してるわけではなく、権力は貰っていないし。
地位と権力の二つをきちんと劉備から貰った諸葛亮が留守を守るのは
抜擢ではなく普通の人事だな。
諸葛亮の抜擢は孫権の使者ぐらいじゃね。
一つ一つの功が大きいから、官位がすぐに高くなってる。
権力は荊州方面を纏めてるからそれも手にいれられてるし。
592名無し曰く、:2007/12/10(月) 13:16:38 ID:2AlL6yfV
>>582
魯粛は大豪族で大富豪なんですが・・・
当時の有名武将とのつながりも深く、思いっきり名士だよ。

呂蒙は孫家の重臣と姻戚関係があったから若くして、重用されてたんだけど。
いきなり抜擢されたわけでもなんでもない。(もちろん高祖討伐あたりから功績があるからだけど)
寒人ってのは明らかな間違いだろ。
ま、どっちかというと、たたき上げの部類だろうがな。

潘濬は荊州の名士、向こうじゃ、諸葛亮並に著名な人。
だから当所嫌がっていたのを無理やり拉致ってきたわけでしょ。

224年の徐盛ってことは、魏の大軍を追い払ったときかな?
けど、これって抜擢じゃなくて、志願だったような?
593名無し曰く、:2007/12/10(月) 13:20:45 ID:A0mfqYds
ん、普通に功績多いでしょ>魯粛
仕官前には孫策のところに向かう周瑜を気前良く援助してるし、
仕官してからは孫権の側近として孫呉の戦略を示し、
曹操が南下した際には劉備との同盟をとりまとめ(まあこれは半ば独断専行だったようだが結果オーライ)、
赤壁では周瑜の参謀として従軍、その後も劉備との外交折衝に努めるなど・・・立派なものじゃん
周瑜の死後彼の後釜になったのは抜擢といって良いと思うけど、
それ以前の功績がなければ孫権もこんな思い切った人事はしなかっただろう
呂蒙の出世のスピードが凄いっつうのは同感だけど、それも彼が出世するたびに功績を立てたからでしょ
呂蒙が荊州方面の司令官になったのは抜擢人事で、
諸葛亮が益州の留守居役になるのは普通の人事ってのはよくわかんないな
ここんとこちゃんと指摘願う
地位に関しても入蜀以前の孔明の肩書きである軍師中郎将なんて
劉備が勝手にこしらえたもので権威もへったくれも無い
そんな卑官がいきなり荊南三郡の軍政を任されたり、
益州入りの司令官として軍を率いるようになったのは十分抜擢と言って良いと思うが
どっちもそれまでの諸葛亮の活躍とは違った分野での仕事を与えられてるわけだし

594名無し曰く、:2007/12/10(月) 13:35:58 ID:2AlL6yfV
>>582
>劉備が抜擢で要所と権力を両方を与えた事あったか?

要所?
蜀の要所あんて、漢中と荊州、のちに巴蜀つーか白帝城くらいしかないんだが、
魏延はかなり低い身分からの登用であるし、
劉備自身は、成都や、東征の為に離れることも多かったから、
権限が小さいとは思わんけどなあ。
関羽は荊州とも益州とも関係ないけど、まあ諸国にもっとも名の知られた名将だから、
派閥とか関係ないし。
李厳は荊州の人間で、益州とは関係ないからなあ。
名家でも名士でも豪族でも富豪でもないな。
まあ益州でも使えていたけどさ。どこでも重用されたことを考えれば、
非常に有能な人物なのは間違いなかろう。

南方の方も要地とするなら、李恢、馬忠か。
どちらも劉備の抜擢のような気がするが。
李恢は親族に豪族がいるけど、馬忠は思いっきり抜擢だと思われ。(南方に配置したのは彼ではないが)

要地ではない、太守クラスなら何人もあげられるけど。
軍権をいえば、イリョウで指揮を執っていた人達とか、みな抜擢だと思われ。
黄権もフウ習も。
劉章時代は、黄権は全軍の軍権まで預けられてなかったし。
595名無し曰く、:2007/12/10(月) 15:45:53 ID:0p0ATW+8
魯粛は大富豪ではあるけど大豪族ではないな。
有名武将との繋がりが名士と呼ぶのならそうだが、
それなら許靖や劉巴も名士だよな。

>呂蒙は孫家の重臣と姻戚関係
これはマジで知らんかったが、ケ当のことじゃないよね。
一応、「貧賤難可居」と、かなりの貧乏だったけど。

潘濬はいくら名士で著名な人でも降将としての扱いは別格。

>軍師中郎将
張飛でさえ、征虜将軍だし決して低いとは思わないが。

ID:2AlL6yfVは徐州人の魯粛を名士にするが李厳とかは名士ではない
とする根拠を教えてほいしな。
596名無し曰く、:2007/12/10(月) 16:08:45 ID:jopVzyTc
劉備も孫権も可能な限り適材適所の人事しかやってないだろ。
情実人事でミスしたのは関羽に分不相応な専断権を与えたのと二宮の変くらいだろう。
いつまで瑣末な解釈の違いで揉めるつもりなのかね?
597名無し曰く、:2007/12/10(月) 16:26:20 ID:2AlL6yfV
大豪族は大豪族だぞ、徐州のだけどさ。
大はひょっとしたら付かないかもしれないけど、並の豪族じゃねえ。
だからこそ大富豪やってたんだし。

ていうか李厳って、名士なのか?
使えるときに、地元の有力者などに推挙されたって話もきかんし。
荊州の人脈を使ったというのもなあ。

それがなかったから、あっさり益州に移ったと思ったんだが。

あとケ当のことだよ。
そして彼の死後、彼の軍勢を受け継いで、
さらに借金までして、出世街道をひた走った。
生まれも育ちも貧しいけど、途中で莫大な遺産が入った人。
598名無し曰く、:2007/12/10(月) 16:34:59 ID:ImaOpOdC
>>505なんで呉の統治期間の短い孫策が2人と比肩されるの?普通に孫権だろ。あと武力も90オーバーとかw
599名無し曰く、:2007/12/10(月) 16:45:58 ID:0p0ATW+8
豪族としての私兵や土地に根ずいてないし、別に魯一族が大きいわけでもない。
魯粛は良く考察してる呉書見聞を見てもらったほういいな。

ケ当が孫家の重臣?
600名無し曰く、:2007/12/10(月) 16:46:40 ID:0DYRit3S
正史の張任って具体的な功績が書かれてるわけでもないのに、やたら評価が高い。
評価が高いといえば諸葛亮の劉巴評がありえないくらい高い。

陸遜親子も呉郡の大豪族だし、周瑜も名家の生まれだな。
601名無し曰く、:2007/12/10(月) 17:06:00 ID:STjGSgHB
張任は横山三国志でえらくかっこよかったから強くてもしょうがないな
602名無し曰く、:2007/12/10(月) 17:35:36 ID:n82EoNw2
>張任
吉川でも劉璋配下の将軍の中でも頭一つ抜けてる名将扱いだしね。(原典の演義は読んだことないけど)
ホウ統殺す、わざわざ諸葛亮が捕らえる策を立てる、等々……

それでも初期三國志と比べると能力落ちてる気がする。昔はもっと武力高かったような。
603名無し曰く、:2007/12/10(月) 18:53:34 ID:2AlL6yfV
孫策の側近というべきかな。
孫策の創業を助けた一人。
ある程度の私兵をもっていたことを考えると、
それなりの力をもった豪族かと思われ。
604名無し曰く、:2007/12/10(月) 18:58:33 ID:Wty2CVEJ
ビジクみたいな奴じゃないの?>魯粛
605名無し曰く、:2007/12/10(月) 19:22:05 ID:0p0ATW+8
>>603
呂蒙伝をきちんと読んだ?
ケ当がかなり豪族なんてどこを読んでも理解しかねるが。
606名無し曰く、:2007/12/10(月) 20:26:12 ID:8fC8X6o2
張任より黄権の方が上だと思う俺は徐々に黄権が評価高くなってきて嬉しい
607名無し曰く、:2007/12/10(月) 20:26:24 ID:2AlL6yfV
呼んでなくて、なんであんな呉オタでもないと知らないようなドマイナー武将がでてくるかいな。
とりあえず、謁見がかなうような立場であり、それなりの数の私兵をもっており、
装備整えるほどの借金ができるほどの信用があったってことだよ。

呂蒙本人はともかく、あにきの遺産を受け取ってからは、
貧乏人じゃないぞ。
あにきはそれなりの力をもった豪族であることは間違いない。
608名無し曰く、:2007/12/10(月) 22:14:58 ID:zTFDDXoW
ある程度の私兵なら当時の任侠集団や武装農民程度でも持ってましたが・・・
許チョが豪族だったとでも?
609名無し曰く、:2007/12/10(月) 23:36:02 ID:YVOQJT9R
>>608
許チョは豪族だったとしてもさほどおかしくないと思うけど。
若者+一家数千を養っていた訳だし、自身の砦に篭って一万程の賊と戦争してたりするあたりを見るに
根拠地を持って独立してた勢力なんじゃねーかと。
また曹操に軍勢をあげて降伏すると曹操自ら会見してくれて、官職を貰い、
配下共々親衛隊にするとか一介の任侠集団であるとはとても思えん。

610名無し曰く、:2007/12/11(火) 00:13:08 ID:VPjCxH2S
>>609
豪族だったらどっかの太守にされるとか、独立した軍として重宝されるよ
曹仁とかゾウ覇とか李通とか

この時代自衛のために農民ですら武装してたのに
私兵持ってただけで豪族だったとか無茶過ぎる
611名無し曰く、:2007/12/11(火) 00:23:50 ID:bbPOv4/Q
武装農民と私兵の間には大きな差があるんだが。
武装農民はあくまで、有事に武器を取ることもあるだけで、
普通の農民、国が治安を守ってくれないし、食べ物がなければどこか襲わんといかんw

私兵の場合は専業。(もしくはメイン)
養うのは相当なコストがかかる。
専用の装備も調達していたようだし、それなりの数をそろえているとしたら、
かなりの財産か土地をもっていないと難しかろう。

あとぞう覇は独立勢力というか、群雄の一人だろう。
612名無し曰く、:2007/12/11(火) 00:45:58 ID:VPjCxH2S
>611
許チョの場合、一族郎党親衛隊に取りたてられたとはいえ
自軍に組み込んでも問題ない程度の存在だった訳で、
その程度の集団を豪族と称するのかね?

曹仁、ゾウ覇、李通はそれぞれ独立した軍として別動隊を任されるほど重宝されてた。
(ゾウ覇は数千家を要する独立集団で、曹仁、李通と大差ない)
許チョとは扱いも位も天と地ほどの差がある
呉をみれば判るとおり、豪族集団は影響力があって容易には解体出来ないのだよ。
613名無し曰く、:2007/12/11(火) 00:54:59 ID:tme5Qz7h
>呉をみれば判るとおり、豪族集団は影響力があって容易には解体出来ないのだよ。
じゃあ、やっぱりケ当は豪族集団には入らないな。
呂蒙伝にハッキリ書いてあると。
614名無し曰く、:2007/12/11(火) 01:08:16 ID:TmeQlWwK
>>610
でもないでしょうよ。
李通は当初辺境に駐屯させられただけで太守としては任命されてないし
曹操の配下に入った当初も別部司馬でしかないし、臧霸にしたって初期は騎都尉だよ。
そもそも豪族ってだけでいきなり太守や独立した軍として扱われる人物なんて
極々稀な大豪族しかいないでしょう、李典の一族だって徐々に昇進していったしね。

許チョに関して言えば私兵を持ってるだけというよりは、
曹操以前に何処かの勢力に属した記録が無いことや、
砦に篭って一万(誇張はあるだろうが)という大軍の賊相手に
戦争を行っているという点を見るに、私兵を率いて何処かの勢力に属してた侠客や
単なる農民兵の親玉とは一線を画しており、自前の兵力を養う土地や経済力を有していた勢力、
つまり豪族あるいはそれに準ずるだと考えたほうが妥当でしょう。

>>612
組み込んだってっても許チョは兵を取り上げられた訳ではなく、
官位を与えられて曹操の配下として遇される様になっただけ。
別に許チョの私兵が解体された訳でも何でもないんだけど。
615名無し曰く、:2007/12/11(火) 09:40:58 ID:9nYCIZgq
豪族と言ってもピンからキリまである気がするな
正史読むと、当時は豪族による反乱が結構あったみたいだけど、そいつらは氷山の一角なんだろう
616名無し曰く、:2007/12/11(火) 09:55:09 ID:7bzuATxI
黄権のあの高い官職の理由はなんだろう?
よっぽど有能じゃないと降将があそこまで行くのはきついと思うが
617名無し曰く、:2007/12/11(火) 10:29:04 ID:VzZGurk8
よっぽど有能だったんだろう
618名無し曰く、:2007/12/11(火) 11:39:12 ID:I6wHAkE2
その割に魏に降ってから○○の戦いで戦功を立てたとか、
××の軍勢を打ち破ったとかいう事跡が正史に記されていないのが不思議>黄権
本人の人柄の高潔さと、降将を優遇することで
他陣営への宣伝とするみたいな政治的事情が大きい気がする
619名無し曰く、:2007/12/11(火) 16:50:15 ID:9nYCIZgq
豪族と言っても村一つを支配下に置く小さな豪族から、万単位の人間を支配下に置く
大豪族までいたんだろうな。正史に豪族として紹介されてる奴らは主に後者だろう。
620名無し曰く、:2007/12/11(火) 21:47:05 ID:bbPOv4/Q
たとえ豪族じゃなくても、
数千クラスの兵をもっているのは、
地域の有力者が、大規模な盗賊クラスだろ。
十分な影響力をもち、無視し得ない力を持つ。

これが豪族であるか、大富豪であるか、
大地主であるか、傭兵くずれであるか、盗賊であるか、
なんてなんか違いがあるのか?

ちなみにキョチョはそれなりの豪族ではないかと、
盗賊だったら、正規兵にはなれんだろ。
621名無し曰く、:2007/12/11(火) 22:37:23 ID:VPjCxH2S
>>620
それなりの豪族ならもっと高い位についてる
中国は血縁地縁が全てといってよい
そしてそれが固まって生活してる
ちょっとした集団なら千は楽に集まるが、その程度なら豪族とは言わん
それなりの格のある出自なら出世してる
許チョは個人的に曹操と深く結び付いてるが、位は高くないし一軍も任されたことがない。
それが全てだ。

格が高くなくとも戦力があればそれなりの待遇を受けて一軍を任される
先にあげた曹仁、ゾウ覇、李通(曹仁は親族でもあったが)に張繍、張燕、劉勳で
兵力を持ったまま曹操に投じてそれぞれ一軍を任されてる。
劉勳は孫策に敗れて軍を失ったが、この手の帰参者で兵力を解体されたのは張魯ぐらいなもの。
同じ降将でも殆ど身一つで曹操に身を寄せた徐晃、張コウは一軍を任されず常に誰かの副将としての地位しか貰えなかった。
許チョは・・・というと、属する親衛隊は曹休、曹真、曹純、曹操の指揮下にあって、許チョ自身には指揮権はなかった。
許チョの集団は、青州兵みたいなもので個人的に曹操と結びついてるが、母体としてはたいした出自出なかったということになる。
622名無し曰く、:2007/12/11(火) 22:57:49 ID:bfc4zroT
>張繍、張燕、劉勳で兵力を持ったまま曹操に投じてそれぞれ一軍を任されてる。

こういった面子は豪族というよりも軍閥というべき。
623名無し曰く、:2007/12/12(水) 00:16:15 ID:nTG8f3mU
確か五井直弘という学者は許チョも豪族と見なしてた。
まあ学者さんによって豪族の定義は違うけど。
624名無し曰く、:2007/12/12(水) 00:25:48 ID:hhYaya/g
群雄というべきだろうな。
天下を争うライバルだろう。

一軍を任されていないのは、ただ器ではなかっただけだろう。
個人的に(小隊レベル)強くても、大軍を動かすには不向きだったのだろうな。
ビ竺は武芸達者だったが、兵を率いるのが苦手ってことで、
安漢将軍に任じられているが、兵を率いたことはない、
曹操は劉備と似たような人間。
その人にその能力があれば使うだろう。

そして張遼はどうなんだ、思いっきり新参の降将なのに、
要地でしかも、最高司令官の一人だぞ、
李典と楽進らともにな。(誰が主将かはよくわからんが)
それとも張遼は降伏したときに、呂布の軍勢を引き入れたりしたんか?

あと1000も集まれば、十分豪族だぞ。
大豪族といってよい。それだけ集めて養うには、その10倍近い人の支えがいる、
常備軍ならそのまた何倍も。

あとキョチョが豪族(もしくは有力者)ってのを否定する理由にはなってないんだが。
現地の有力者だからってんで、必ずしも出世するものではないぞ。
625名無し曰く、:2007/12/12(水) 00:49:37 ID:nRXrkNTg
>>624
張遼は最初は夏侯淵の副将でしたよ
一軍任されたのは梅成討伐あたりから。張コウは張遼の副将でした。
626名無し曰く、:2007/12/12(水) 01:04:52 ID:nRXrkNTg
出自と家柄がものをいう時代で
際立った戦功と手柄がありながら、低い地位に甘んじてたということは
家柄が他より劣ってたとしか考えられないでしょ

許チョは地域の代表者だったかもしれないが、村レベルで中央になんのコネもなかったと考えられるが
定義の問題で豪族ではないと自分は考える。
当時は豪族同士でコミュニティがあって官職を斡旋しあってたからね
627名無し曰く、:2007/12/12(水) 01:54:09 ID:FjebeEva
高い家柄や中央へのコネを持つものは「豪族」というより「貴族」と呼ばれるんじゃないかな。
「豪族」とはただ単に多数の血縁集団や奴婢賓客等を抱えている連中のことを指すんだと思うんだけど。
628名無し曰く、:2007/12/12(水) 08:24:12 ID:Yp4G24x4
豪族=マフィア
629名無し曰く、:2007/12/12(水) 10:50:12 ID:K0RILFk4
まだ貴族の時代じゃないだろ
630名無し曰く、:2007/12/12(水) 10:55:50 ID:sfixLnA1
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%B1%AA%E6%97%8F&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=06378206119600

家柄やコネは関係ないみたいだな。

>>618
能力も評価されてたと思うよ。劉備時代は漢中戦勝利の立役者の一人だしね。
俺は黄権は法正級の逸材だったと思う。
631名無し曰く、:2007/12/12(水) 15:04:24 ID:umNMlzE9
孟達って、劉封を手玉に取り徐晃も討ち取ったのに統率、武力も70代だし
見た目も良かったらしいのに魅力も低い

これは明らかに過小評価だよね?
632名無し曰く、:2007/12/12(水) 16:27:30 ID:YSORCFNn
それを言うなら張飛を討ち取った二人、孫策に重症を負わせた牢人、てんいやたいしじを射殺した兵士、
張遼を殺した丁奉や、甘寧、黄忠、鳳雛を殺したry
奴らも評価上げろよ
633名無し曰く、:2007/12/12(水) 16:27:55 ID:/WkkgDaa
徐晃が逆に過大評価されすぎだと思う
634名無し曰く、:2007/12/12(水) 18:06:33 ID:YDPlbg+O
>>631
魅力が低いのは悪役ポジだからだよ。
むしろイケメンじゃなけりゃもっと低くなってる。
635名無し曰く、:2007/12/12(水) 18:37:30 ID:NccXDopJ
孟達は小劉備という感じなんだが
やってることに不釣合いなまでの群雄たちの評価の高さが。
636名無し曰く、:2007/12/12(水) 20:16:22 ID:mXZszdmB
>>633
徐晃は非の打ち様のない戦績を誇る正史での分の補正
敗戦と呼べるのは周瑜に追っ払われたぐらいだし、さすがに周瑜は負けても仕方がない相手だしな
11とか猛獲の七回捕らえて七回解放するって例のアレを平然と否定してるからね、あの会社
以前みたいに演義だけで評価はないと思われる
637名無し曰く、:2007/12/13(木) 02:40:53 ID:+U7g6qBb
>>636
正史基準だと徐晃は知将
演義基準の猛将と正史基準の知将が合わさった感じで
明らかに過大評価
638名無し曰く、:2007/12/13(木) 06:04:19 ID:FklAbt3D
負けも少ないけど、勝ちといえるのもそんなになあ、
それも大軍で寡兵に勝ちました、○○の指揮下でってのばかりだし。
関羽にしても、食料がきれた関羽が、一戦して破れたので、
引いただけって説もあるしなあ。

日本の戦国時代なんか、負けなしの名将が何人かいるけど、
みな、90ないしなあ。(謙信のぞく)
639名無し曰く、:2007/12/13(木) 09:58:01 ID:iJlqx7xl
だから異名が「負けずの徐晃」なんだよな。
640名無し曰く、:2007/12/13(木) 10:03:06 ID:ArrJQymZ
蒼天自重
641名無し曰く、:2007/12/13(木) 10:27:25 ID:BXTYGdtE
横山三国志での特徴的な外見のお陰で目立った分初期から強かったな>徐晃
まぁ基本的に全員正史と演義のいいとこどりで良いんじゃねーの
642名無し曰く、:2007/12/13(木) 10:42:07 ID:Z9j9kkKa
楽進無敗説ってたまに聞くけど、正史で楽進が負けたって記述はあるの?
643名無し曰く、:2007/12/13(木) 10:53:07 ID:Z9j9kkKa
>>635
劉備は曹操や董卓や李カクみたいな虐殺者や袁術のような暴君に比べれば評価が高くて
当然だろう。暴政を行わず、統治能力もそれなりに高く、戦争もそこそこ強い劉備は理想に
近い君主と言えるだろう。
失点が少ないイメージがある孫権も忠臣と言われる陸遜を死に追いやり、劉備を二度に
わたって裏切り荊州を奪い荊州の実質的な統治者である関羽を殺すなど、それほど善良とも
義理堅いとも言えないだろう。
現代的な感覚で考えると、最近評価が下がってる孔融なんか優れた君主だと思う。
644名無し曰く、:2007/12/13(木) 12:38:44 ID:Z9j9kkKa
よく考えてみると、現代的な感覚で考えても、孔融は優れた君主じゃないな…
孔融は詩人や評論家みたいな文化人としては優れていたが、当時治安が最高レベルに
悪かった青州を統治できるほど政治や軍事に優れてはいなかったんだろうな。
645名無し曰く、:2007/12/13(木) 13:05:16 ID:QUA6Z7ws
>>642
無い、真の無敗将軍は彼かもね
ただ楽進周辺の戦いは記述が簡潔すぎてよく分からないのが欠点か
646名無し曰く、:2007/12/13(木) 14:22:51 ID:C3bzO18C
臧覇は魏の5将軍に次ぐ実力あるよな?
楽進や于禁と比べても遜色ない
647名無し曰く、:2007/12/13(木) 16:10:43 ID:AD/6VLil
>>646
それは誰もが認めるところ
どちらが上かは置いといて、大差ない
648名無し曰く、:2007/12/13(木) 16:20:51 ID:AY8xafY7
>>643
孫権の劉備攻撃を非難するなら、劉備の劉璋騙まし討ちや孫権との約束反故も挙げとかんと公平性にかけるだろ〜
その論法なら劉備も「それほど善良とも義理堅いとも言えない」となるんじゃね?

前半部分は当たってると思うけどね、劉備も意識してそう振舞っていたと思しき節もあるし。
649名無し曰く、:2007/12/13(木) 16:57:32 ID:AD/6VLil
案外、袁紹が理想の君主かもね
民からの評判の高さはガチ、異民族も上手く対応している
晩年の家臣同士の権力闘争と後継者問題さえなければイメージはもっといいのだが
650名無し曰く、:2007/12/13(木) 17:48:19 ID:C+yXfnFW
袁紹と孔明の評価は統治でも用兵でも似てる。
ただ一方は群雄である為に過小気味で一方は群雄の代理人である為に過大気味になってる
651名無し曰く、:2007/12/13(木) 17:49:29 ID:1EQQ75s2
652名無し曰く、:2007/12/13(木) 18:00:52 ID:zarmMojr
俺の好きな満寵の最近の評価はいかがですか?
653名無し曰く、:2007/12/13(木) 18:35:24 ID:Z9j9kkKa
>>648
劉備も「それほど善良とも義理堅いとも言えない」だろうね。
有名どころの有力君主は現代人の感覚からはろくでもない奴ばっかりかもな。
孫権との荊州租借問題の経緯がいまいち分からないんだよな。荊州南部の四郡は劉備が
自ら降伏させたのに、なんで孫権に返さなくてはいけないんだろう?
654名無し曰く、:2007/12/13(木) 18:52:03 ID:C+yXfnFW
210年の周ユの病死前後に益州を攻め取るはずが劉備に脅迫されて止められたからじゃね?
それで自身は抜け駆けして騙し取った訳だし。
益州の件は不問に付すから荊州寄越せ、と。
実際呉に取れたかどうかは知らん。
655名無し曰く、:2007/12/13(木) 18:56:31 ID:AY8xafY7
>>653
可能性1:兵士を借りたから

曹操追撃に当たって張飛と兵1000を呉の兵2000と交換したという逸話が残っているように、
当時放浪状態だった劉備は孫権の大きなバックアップを受けて行動していたとも考えられる。
援助を受ける条件に「落としたら共同統治ね」とでもあったのかもしれない。


可能性2:江陵を譲り受けたから

南荊州の目玉はなんと言っても江陵。ここがないと満足に外に打ってでることも出来ない重要拠点。
ココと荊南四郡でも交換する条件だったんじゃないかという説もある。


可能性3:足元を見られたから

そういったことに関係なく、まだ劉備の立場が圧倒的に弱かった初期に
ジャイアニズム全開な不平等条約を結ばせたのかもしれない。


何れにしろ、どこにもはっきりとは書いてないから推測の域はでないけどねー
656名無し曰く、:2007/12/13(木) 19:16:01 ID:6N/1NCof
いやぁ、やっぱりゾウ覇と5将の差はあると思う…
というか役割がだいぶ違うと思うし。
657名無し曰く、:2007/12/13(木) 20:16:57 ID:0kTodBBw
孔融が袁術からも袁紹からも独立しようとして劉備を徐州の主に据えたのに
その劉備は袁譚を孝廉に推挙したりしてあっさり袁紹にすりより始めた


そこで立ちあがったのが 真の憂国の士  曹豹である
658名無し曰く、:2007/12/13(木) 21:56:03 ID:FklAbt3D
>>648
劉章はわかるし、曹操を裏切ったのもかなり酷いと思うが
(かなり厚遇されてたしな)
孫権のは劉備が攻められるような問題か、これ。
孫権の言いがかりとしか思えないんだが。
孫家が血を流した、江陵をよこせってのならわかるが(劉備も流しているけどさ)
南部四郡は劉備が独力でとったものだし、返せってのは筋が違うだろ。

孫権にとっては、劉備は自軍に属する一武将みたいな感覚だったのかもしれんけど、
劉備にとっては、利害が一致したから、一致した間付き合っただけだろうし。

劉表における新野が、江陵みたいなもんだろ。
>>655
その一は交換条件だろ、
つかそれって、共同で曹仁を打ち破ったというのを示すものではないのか?
張飛と劉備で後方を遮断して、撤退させたって話だろ。
それも進言したのは劉備。
659名無し曰く、:2007/12/13(木) 22:39:32 ID:AY8xafY7
>>658
どういう訳か、それでも返す約束になっていたから>655みたいな理由があったんじゃないの、という話し。

例えばその一は言ってみれば「張飛貸す代わりに兵を千貸して」という要求。
(こういった話が残っているように)兵を借りていたの『かもね』と。

一応どれも推測の域はでない、と断ってあるし、あくまで『可能性その1』と題し、
語調も考えられる、かもしれない、説もあると断定は避けたつもりだった。


江陵戦後に劉備が「今の所領だと手狭で足りない」ということで新たに所領を借り受ける話しもあり、
どうにもあの辺りは色々と謎が多くてはっきりしない。

南部四郡全てを劉備が自力で落としてるとしたら、何で新たに所領が必要なのか?
また、その貸し出した所領は何処から出てきたのか、とかね。

個人的には、荊南制圧後の初期段階では、
何らかの理由で劉備は四郡の領有権を主張できる状態になかったのかな〜とか考えたりもする。
660名無し曰く、:2007/12/13(木) 22:56:53 ID:FklAbt3D
手狭ってのは、劉表臣下が、劉備のところに基準したからじゃないのか?
官吏や兵士がかなり逃げたとある。
劉備下って、逃げてきた民もいるようだし。

もっともなんでそこまで慕われたのかはよくわかりませんが、
平原時代から、ずっと現地の民には慕われているんだよね。
治安がよく、酷使せず、威張らず、というくらいしか残ってないのに。

>江陵戦後に劉備が「今の所領だと手狭で足りない」ということで新たに所領を借り受ける話しもあり、

これは四郡陥落前じゃないのか?
661名無し曰く、:2007/12/13(木) 22:57:25 ID:nBnY228R
楽進の11での能力は統80武85だったかな。

しかし彼は武勇より、軍を指揮する統率の力のほうが上のような気がする。
小さかったみたいだし。楽進伝以外に一騎討ちの記述とかある?
662名無し曰く、:2007/12/13(木) 22:58:20 ID:ArrJQymZ
大義だ不義だを今の価値観で語るんなら双方の価値観の違い分話がずれていくのが目に見えてる
663名無し曰く、:2007/12/13(木) 23:19:03 ID:C+yXfnFW
>>660
乱世に治安がよくて徴発が良心的というだけで既に神だろw
664名無し曰く、:2007/12/13(木) 23:19:52 ID:AY8xafY7
>>660
四郡陥落の前なのか後なのか、やはりはっきりとした決め手はないんだけど、
「(周瑜から貰った土地では足りないので)孫権に頼んだ」
「数郡を借り受けた」とある辺りからすると、

やはり四郡陥落の後、ずばり京城会見で荊州の統治を認めさせたことを指すんじゃないかと思うんだ。
他にそれだけの土地を呉側が譲り渡す機会が見当たらない。

手狭になった原因は貴方があげたことにほぼ間違いないだろうけど、
同時にそれで手狭になってしまうくらい、その当時の劉備の支配権が狭くなくちゃいけない。
その辺りが色々複雑だ…
665名無し曰く、:2007/12/14(金) 09:06:03 ID:gpUd5+cb
演義では臧覇と互角に打ち合ったり成廉射殺したりと地味に活躍してるね>楽進
曹操軍では許チョ典韋張遼徐晃張コウ夏侯惇夏侯淵曹仁曹洪の次、李典と同じくらいの腕っ節かな
武力は80台前半くらいにして代わりに少し統率上げてほしい感じ
666名無し曰く、:2007/12/14(金) 15:35:23 ID:9Eur5YTE
呉にとっての荊州ってのは劉備にとっての蜀みたいなものだからな
当時の領有権の問題は分からないが、絶対に手に入れたかったんだろう
ただでさえ、呉をはじめとする劉備以外が魏と戦っていたおかげで劉備は犠牲はあったが、蜀を手にしたわけで
孫権も魏と蜀が争い、簡単に荊州が手に入る好機を見過ごせなかったんだろう
呉にとって蜀に味方するメリットが全くない状況で関羽が火に油注ぐ事言うしするし・・
667名無し曰く、:2007/12/14(金) 20:22:04 ID:5UtxFSC3
当時の呉は漢中攻略に失敗した蜀だからな
蜀みたいに赤壁から樊城まで連戦連勝なら夢を見られただろうが
逆に合肥でコテンパンにされてしまった
周瑜以外に兵法達者がいるか、陸遜がもっと早く出てきていればね
668名無し曰く、:2007/12/15(土) 01:25:18 ID:xdfs2Ft8
>>667
魏の曹操や蜀の諸葛亮に対抗できるだけのスケールのある人物は呉では周瑜だけだったかも
実際、呉で魏に攻勢をしかけられたのは周瑜ぐらいで、結局魏相手では勝ち目が薄いから蜀から領土を奪うしかなかったと自分は思ってるんだけど
呂蒙や陸遜も普通のレベルならかなりの名将ではあるけど、魏は人材が豊富だから
669名無し曰く、:2007/12/15(土) 01:34:31 ID:jILe6ljb
というか魏にも周瑜ほどの人物は居ない
劉秀における呉漢、李淵・世民における李靖のように君主とは独立して巨大な兵力を預けえる信頼
かつ突出した司令官としての才能をもつ武将は曹操陣営に相当する人物はいない
故に曹操本人が東奔西走しなければならなかった訳だし
もっとも孫権に軍才の無いから意味無いが。孫策だったらねぇ・・・
670名無し曰く、:2007/12/15(土) 02:07:25 ID:j8MHcV1n
つまりまとめると周倉最強と言うことです
671名無し曰く、:2007/12/15(土) 03:43:16 ID:+ixbVd37
政治家としてなら正史魯粛のスケールは周楡を凌ぐと思うが
672名無し曰く、:2007/12/15(土) 05:21:05 ID:xdfs2Ft8
>>669
まぁ、そういう意味では曹操と周瑜が総合一位争いしてるのは妥当ですな
孫権が戦下手だから全権任せてもらえるってメリットもあるけど、負けまくりだからなあの人・・・
呉の天下とかなると、結局孫策や周瑜が長生きしてとかいう前提でないと厳しいね
>>671
魯粛はスケール感はあるんだけど、いかんせん軍事の才が四都督の中では一番見劣りするので存在無視してました・・スマソ
673名無し曰く、:2007/12/15(土) 07:03:09 ID:bKr+s0mO
周ユが長生きしてたらなあ、というのが呉ヲタならずとも一度は思うことだな。
周ユの案を孫権が完全に採用したらという前提なら、
劉備は呉内部にそれなりの領土と美女美酒を与えて、実質拘禁状態。
彼の武将を間接的に使って、諸国を併呑って奴かな。

劉備を独立させずに、彼の優秀な将軍だけを上手く使うことができるかもしれん。
そして蜀を併呑すれば、国力なら、魏に匹敵するだろう。
関張がいるなら、人材も負けていない。曹操がおっちねば、十分勝ち目がある。
いや曹操がいても、荊州からは関羽、関中からは張飛、(出来れば涼州から馬超も)徐州には周ユ自らが攻め込めば、
曹操一人では対処できなくなる。

もっとも劉備だから、結構簡単に蜀を併呑できた面もあるから、
そこまで簡単ではなかろう。
蜀に眠る優秀な将軍や参謀を、呉が発掘(転用)できたか疑問だ。
>>669
蜀でいえば、関羽か、見事に不の面が出てきたが、
周ユにも同じ間違いをしそうな気がある。
実力がある、自信がある、
また非常に好戦的で、敵を増やす傾向がある。

ただ孫権の晩年を考えると、周ユに大してよからず讒言をするやからがでてきて、
彼の軍権を殺ぐくらいはやりそうだし、疑うこともあるかもしれん
その結果、反乱なんてシナリオはありそうだな。
彼はしなくても、彼の後継者あたりが。
674名無し曰く、:2007/12/15(土) 07:17:41 ID:uYct9WPn
>>673
ゲーム的にはそれで充分だが、
現実的には中原>>>>(越えられない壁)>>>>辺境
自分の領地持ってるわけでもない武将の一人や二人でそう状況は変わらないわな
675名無し曰く、:2007/12/15(土) 07:31:25 ID:bKr+s0mO
いや当時の中原はかなり荒れ果ててるから、
むしろ辺境はあれていない分、国力は温存できてる。
国力で圧倒しだしたのは、何十年も後の話、
ゲームじゃないんだから、そうそう簡単に国力は増えない。
676名無し曰く、:2007/12/15(土) 09:14:08 ID:AM0PDxPn
>>672
魯粛は後方を押さえつつ、大戦略を考えるタイプだと思う。
魏での荀イクとか、劉備存命中の諸葛亮とか。

その大戦略で周瑜を動かせれば、一番よかったんだけどね。
677名無し曰く、:2007/12/15(土) 09:34:00 ID:rtkvo447
人物を人物で比するののなんと無駄なことか
678名無し曰く、:2007/12/15(土) 09:38:50 ID:csSGnRfo
このスレ、三戦の理不尽スレと合流してくれないか?
679名無し曰く、:2007/12/15(土) 12:03:48 ID:Qgra14HF
呂蒙『ぶっちゃけ長江越えて進撃したって、敵が騎兵を増援に出せばこっちの戦線瓦解して終了』

とか正史でいってなかったっけ?
680名無し曰く、:2007/12/15(土) 12:11:19 ID:/7cJGxzg
基本は演技で、それに正史が付け加えられる

でないと呂布の武力90代前半
681名無し曰く、:2007/12/15(土) 13:24:56 ID:xdfs2Ft8
>>676
ここでは、周瑜と互いの意見が全く食い違った上に孫権が中途半端な対応してしまったのが何とも・・
大体、ここで荊州の所有の認可を劉備が孫権に求めてて許可したのが後の軋轢にもなるしね
一応、周瑜が蜀遠征となると参謀にホウ統が必ずつくからまた例の三策出すならおそらく一気に急襲する策でもとるのかなとは思う
682名無し曰く、:2007/12/15(土) 13:34:40 ID:xdfs2Ft8
>>679
呂蒙の見解はそんな感じ
曹仁戦の時も馬が邪魔だから進路妨害して馬を捨てさせる策を周瑜に献策してたはず
>>680
一応、呂布は一握りしかいない一騎打ちの経験者で、弓においては百発百中ぐらい凄かったらしいからそれなりに高いのでは?弓は太史慈には負けるかも知れないが
683名無し曰く、:2007/12/15(土) 14:28:25 ID:jILe6ljb
荊州所有許可あの時点ではしょうがない。
赤壁で負けた後に曹操は即座に合肥方面から圧力をかけている
が為に孫権は震撼し、気を制して合肥方面に出兵をした。
この兵力は元々周瑜が赤壁後の後詰めの荊州制圧に要請していた兵力。
その為に周瑜は手持ちの兵力だけで荊州を制圧し始めた。ここが周瑜の非凡な所。
本来なら無傷の劉備軍が悠々と荊州全土を制圧する予定が、周瑜一人によって阻まれたと見るべき
684名無し曰く、:2007/12/15(土) 14:59:09 ID:wCDHWmk3
>>665
楽進は郭図も射殺してるね。演義の楽進は密かに弓矢の名手だな

演義では弓矢の名手は矢にあたって死ぬ奴が多い気がする
685名無し曰く、:2007/12/15(土) 15:05:33 ID:DZf9FT1y
正史じゃ戦死って少ないような(演義に比べてだが)。

演義では勇将は結構な頻度で戦死させられてるよな。
将は戦場で死ぬべきって美学が作者にあるのだろう。

そのせいで能力を低く付けるのは勘弁な。
686名無し曰く、:2007/12/15(土) 15:38:00 ID:xdfs2Ft8
>>683
確かに曹操という存在がある以上、劉備を盾にするのが現実的ではある
ただ、周瑜は諸葛亮じゃないけど奇策を用いる軍師ではなく、即座に的確な状況判断を行える最高クラスの指揮官って印象だし勝算がない事をやるとは思えないんだよね
もっとも、亡くなった後は仕方ないけど
687名無し曰く、:2007/12/15(土) 16:58:00 ID:bKr+s0mO
つか周愉が荊州攻略につぎ込んだ兵力って6000くらいで、
劉備よりもしょぼい可能性があるからな。
(劉奇から最低一万+、手持ちの兵と刑州からの降伏兵)
>>681
曹仁撃破にも劉備軍の活躍が少し触れられているし、
張飛と一緒に周ユが動いたから、その後の関張絶賛につながっているわけなんだから、
何もいていないわけじゃない。
だから劉備軍の領有権を否定するのは難しかろう。
だから周ユも苦労してとったコウリョウの半分を譲らざるを得なかったわけだし。
688名無し曰く、:2007/12/15(土) 19:53:29 ID:xdfs2Ft8
>>687
公安や劉備が自力で獲得した南郡はともかく、劉備に荊州を任せるみたいにして肝心の広陵を軽々しく譲り渡したのがね、江夏はキープしたみたいだけど
後で、荊州を返せっていう時に互いに一番譲れなかったのがこの地になるわけで
周瑜がいなくなって一方面を完全に任せれてかつ防衛できる程の将がいなかったからかもしれないけど、そこだけはどうかなと思うんだ
689名無し曰く、:2007/12/15(土) 20:20:03 ID:aLxshmCv
>>672
孫策は早死にする運命だった。
従わない士大夫殺しまくってたからな。
早死にしないシナリオを想定すると、士大夫の懐柔を図って勢力拡大も遅々として進まず、
曹操に水を開けられて赤壁あたりで降伏・・・ってなことも考えられる。
孫権だからこそあの呉を纏められた。
その辺過小評価してほしくないね。
690名無し曰く、:2007/12/15(土) 21:13:50 ID:bKr+s0mO
まとめたのか?
みんな降伏主張してたやん。
周愉と魯粛がひっくり返しただけでさ。

孫策が存命だったら、その場で反対する人間の首きって、
主戦論で一致させてる。
そもそもそんなことでもめるとも思えない。
完全な上位下達の組織にしてるよ。
魏や呉みたいに君主に絶大な権限があるね。

孫権は懐柔をはかったというより、
まだ若く、また実績がなく、
なにより孫策のような実力とカリスマがなかったから、
士大夫層を取り込んだり、名士などを任官させて求心力を維持したに過ぎない。
691名無し曰く、:2007/12/15(土) 21:54:55 ID:aLxshmCv
>>690
>孫策が存命だったら、その場で反対する人間の首きって、
>主戦論で一致させてる。
それで勝てるの?
長生きするシナリオの場合、呉の領域は揚州の半分ぐらい
残りの半分が曹操と劉表で分け合って、劉表が降伏したら
呉に全くと言っていいぐらい勝ち目がないんだけど・・・

>士大夫層を取り込んだり、名士などを任官させて求心力を維持したに過ぎない。
それが結果的に功を奏したんだよ
従わない士大夫だけならまだしも、家臣まで粛清しまくったら呉の晩年と同じじゃん。
それに曹操だって絶対的な権限もってても実際に行使したのはごく僅か
実際は士大夫の取り込みに腐心してた。
あんまりにも孫策が暴君すぎる。

結果論として孫策で一気に領土拡大して、いい頃合で孫権にバトンタッチしたのが
最後まで呉が生き残れたんだと思う。
692名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:03:47 ID:jILe6ljb
孫策の戦いって後ろを見ないことだろ?
ぶっちゃけ躓けばどこまでも瓦解してくのは了承してた上でやってたと思うぞ
負けなけりゃいいっていう博打的な要素で。信長みたいなもんでしょ?
その危うさからいつか転ぶぞ、いつか転ぶぞと散々言われてた。それでも彼は天下取りあと一歩までいってしまった訳だし
やり方自体がいききってしまえば大逆転なifはアリだと思うぞ。だって曹操が官渡やってる間に膨張し続けてるんだから。
周瑜が居るから二方面作戦が可能。前提として荊州を飲み込んで人口に厚みを持たせる必要があるが
693名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:05:48 ID:BXRGDgRu
やっぱ周瑜が若死にしたのが痛恨だよなぁ
もし周瑜が長生きしてて、劉備陣営の取り込みにも成功していたら・・・
694名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:08:19 ID:jILe6ljb
別に取り込む必要はないだろ。ってか手間暇かけて取り込む程の人材は居るのかよ
695名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:22:58 ID:bKr+s0mO
>>691
普通に孫権よりも早くに、黄祖打ち破って、荊州にいるだろ、
徐州はあいつが寄生虫で死ぬまでは厳しいかもしれんけど。
孫権が求心力を得る為に費やした無駄な時間分、早めに攻勢にでれる。

>それが結果的に功を奏したんだよ

いやむしろそれが後の派閥対立などになった。
主君の権限が小さいから、統制しきれない、
またやばくなったら、なだれをうって降伏して、一瞬で瓦解してしまう。
孫家はただの同盟国の盟主に過ぎない。
それを中央集権国家に改めようとしたのが孫策。
日本でも、豪族の集まりから、戦国大名へと脱皮を遂げたものが何人かいるが、
孫策は後者の途中で亡くなったものであり、孫権は前者どまりが限界。

>実際は士大夫の取り込みに腐心してた。

そんなのはヤクザもどきの劉備だってしてる。
問題なのは、そいつらとの力関係。
696名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:31:41 ID:aLxshmCv
.>>692
孫策の死は突発的な事故というよりは
あらかじめ仕組まれてた罠のようにみえる
郭嘉の預言&陳登の提言・・・裏で糸引いてたのはこいつらだろ?
許貢の刺客が失敗してとしても第二第三の罠が待ち構えてる
恨みを持つものはゴマンといたし、元々江東は陳氏の勢力圏だからな・・・
697名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:32:53 ID:RDivYZbi
孫権がどうだったかはともかく、
>それを中央集権国家に改めようとしたのが孫策。
これは多分に推測を含みすぎじゃないかと。
698名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:38:06 ID:aLxshmCv
>>695
中央集権化は図るには中国は巨大過ぎるし早過ぎる
今だって出来てないしw
当時の呉はあれが限界
699名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:42:26 ID:ZR6hBPKS
そもそも

>孫策が存命だったら、その場で反対する人間の首きって、
主戦論で一致させてる。


何人斬らないといけなくなるんだろうね。
求心力の低下どころか崩壊するだろ、こんなことやらかしたら。
700名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:43:45 ID:Qgra14HF
孫権が黄祖に勝てたのは劉表の援軍が間に合わなかったから。
つまり、当時の黄祖と劉表には呉を退けられるだけの力があったのよ。

孫策でも劉表が間に合えば無理
701名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:47:11 ID:jILe6ljb
中国が曲がりなりにも中央集権国家になったのは隋唐まで待たなきゃならんだろう
完全な独裁制まで至れたのは明の時代
702名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:49:25 ID:bKr+s0mO
>>697
正しくは、君主に権限を集中させた国家というべきかな。
反抗的な配下のものも権力を削って、自らの権力を増やすのは上等手段といってよかろう、
むしろしない奴が問題。
>>698
秦も漢も中央集権国家といってよいだろう。
>>699
多くの場合は目の前で一人切り殺すだけですむよ。
昔から、こういう場合日和見主義者を殺して、一致団結するのが妥当な手段。
悲観論や敗北主義者は最初に抹殺されます。
そしてそれに同調する世論を消す。
それができずに、広げた時点で孫権は無能といってよかろう。
703名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:51:52 ID:bKr+s0mO
ただし漢の場合は、当然初期は除く。
最初は一族の王や功臣に権力与えすぎてた。
呉楚七国の乱をへてやっと、ある程度進んだ。
704名無し曰く、:2007/12/15(土) 22:58:51 ID:jILe6ljb
>君主に権限を集中させた国家

これは独裁制。独裁制と中央集権は違う。全く持って違う。
そして独裁制は巧緻な統治機構を作らないと機能しない。
当たり前だが、通常は何人かが分担して裁量するものを独裁者の一声で全てを動かすんだから。
孫策にそういう構成能力自体ないよ。無いって言うかそういう政治性を発揮する前に死んだんだから
705名無し曰く、:2007/12/15(土) 23:11:31 ID:bKr+s0mO
それは専制政治。
独裁政治とは、あくまで多数の支持を背景として全体主義に近いものだよ。

まあ、俺の言葉が悪かったのもあるけど、
具体的な言葉が見つからんのだ。
706名無し曰く、:2007/12/15(土) 23:17:01 ID:Qgra14HF
というか、孫策が一人斬った程度で個人個人が自分の兵力を持っている
揚州纏められるの?
全一族降伏の経緯とかを見れば、あいつらが一族単位で部隊を編成してるのがよくわかる。
707名無し曰く、:2007/12/15(土) 23:19:48 ID:bKr+s0mO
それを再編成して、君主の直轄の軍にしたかったんでしょ。
実際孫権も似たようなことしてる。
家単位で豪族が私兵もっているから、戸別で動くし、
小勢が多いからってんで、これを集合させてちゃんとした軍にしようとした。
まあ、孫権ができたのは、多少一軍の規模を大きくするまでだったけど。
708名無し曰く、:2007/12/15(土) 23:22:08 ID:Qgra14HF
>>707
孫策がやったからって結果はかわらんと思うけどね。
決断するのは孫策だけど、実行する配下は孫権と一緒だから。
709名無し曰く、:2007/12/15(土) 23:25:09 ID:bKr+s0mO
この間接統治というか、この中間者の影響力を殺がんとどうしようもない。
だから、防衛戦ではなんとかなっても、やる気のない外征するといつも負ける。
710名無し曰く、:2007/12/15(土) 23:58:30 ID:ZR6hBPKS
>>702
なんかアホらしい質問だが、じゃあ誰斬るの?まさか張昭の偏屈爺さんでも斬るのか?
711名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:04:54 ID:6da5IFMA
周瑜の天下二分を見てて思うのは、その間魏は何をしているの?
って部分が抜け落ちてることかな。相手が何かアクションを起こして、例えば
周瑜が益州に入ってる間に揚州と荊州圧迫されたらどうするのかとか。
712名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:20:45 ID:iCUVfFHx
だからこその関張の取り込みだろう
実際漢中で淵は斬られ、曹操は敗退し、樊城で曹仁と満寵は押し込められ、于禁は虜にされた
唯一土をつけた徐晃も呂蒙の背後強襲と、司馬懿の撹乱策あってのものだ
少なくとも孫権が自分で率いて、なんてのよりはよほど信頼できよう
713名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:32:44 ID:6da5IFMA
そんだけ負けた魏があっさり増援して関羽叩き返した時点でもうだめ。
なんか天下二分計を信じてる人は一回も呉が負けないと思ってるように見える。
一回でも負ければ豪族連合で士気の低い呉軍はそれで瓦解するのに
714名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:34:18 ID:6da5IFMA
加えて益州攻略にした所で、軍の主力であった楊懐・高沛がいきなり死んだにも関わらず
劉璋は一年以上劉備相手に持ちこたえている。
益州攻略すらおぼつかんと思うがな
715名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:37:47 ID:i1Qgiw/U
何が話の論題なのかさっぱり
716名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:42:28 ID:Vjkki2oh
>>715
ようは孫策周瑜は過大評価されてるってことじゃない?

>>714
綿竹関から騙し討ちスタートの劉備と、外から蜀攻めの周瑜・・・
あんまりにも無謀過ぎるな
717名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:53:40 ID:ULrqlEm2
>>712
張飛の将器がその時点で完成していたのかが疑問だな。
ケチつけたいわけじゃないが、関羽も水の力を得て荊州戦を有利に進めていたんじゃないか。もちろん関羽自身の力もあっただろうけれど。

その二将は欠点もあるし、総大将として曹操の大軍を受け止められるのか?
関羽は同僚に傲慢、張飛は部下に暴力、だから呉軍を完全に掌握することは難しい。
抑止力があるかどうかは言うまでもないな。
718名無し曰く、:2007/12/16(日) 00:56:13 ID:Kf0gSaGJ
>>711
周瑜が蜀責め提案時期は曹操が馬超らとやり合ってて蜀は漢中と険悪な時期なので
蜀入りした劉備に比べて難しいってコトはない。ただし劉備の動向が一番の問題
719名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:00:18 ID:i1Qgiw/U
荊州−益州の進軍路の困難さを鑑みればおおよそ本気じゃないことぐらい推測がつく
720名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:13:21 ID:6da5IFMA
陸抗が3万で攻めたら、たった2千相手に足止め喰らってどうしようもなくなって撤退って
結末が60年後にあるからなあ……
加えて馬超や韓遂がやられてからじゃ二分の計破綻するし
721名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:23:41 ID:5QXsml8U
イナゴの被害は過大評価されすぎ
722名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:30:47 ID:Kf0gSaGJ
>>720
そらまああわよくば掠め取ろう作戦だから
モタモタしてると魏軍が来て本格的に戦闘になってしまう
723名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:33:54 ID:6da5IFMA
>>722
そこで陸抗が費やした期間が半年。
じゃあ、万全の劉璋軍が相手なら何年かかると思う?
724名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:36:53 ID:mhStI9WA
荊州攻めに関しては周瑜軍にはホウ統がいたし、
内応者がでることも言っているからなあ。
白帝城は当時、劉璋は漢中に目を向けていてがら空きらしいし。

>711
周瑜伝にそこら辺のことは書いてあるが?
725724:2007/12/16(日) 01:40:25 ID:mhStI9WA
>荊州攻め
でなくて益州攻め
726名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:54:30 ID:Kf0gSaGJ
だから万全じゃねーっての
漢中との険悪化と勝手気ままの東州兵の劉璋軍
曹操は涼州軍閥との対峙で動けず、取り敢えず本国は大丈夫
呉は赤壁の立役者で、荊州攻略の名将・周瑜を筆頭に
天下二分という国家戦略を抱えて本気で侵略する

のと

鍾会の乱の後とはいえ、揉まれた精鋭の蜀兵は健在・魏の兵も駐留中
国力が回復して常に北から魏の圧力を本国が常に受けてる状況(実際に魏の援軍が来たため撤退)
対外戦闘は諸葛誕の乱の際に戦闘を経験した程度の陸抗が
どさくさ紛れに美味しいところをあるいは長江上流の防衛を安定させたい
という戦略目的で進軍した


同列に語れるか?
727名無し曰く、:2007/12/16(日) 01:59:17 ID:pHtwBCld
あと、道案内に甘寧がいるというのもあるな
荊州から陸路で快進撃を見せた張飛が使えるならかなり大きいが
728名無し曰く、:2007/12/16(日) 02:07:30 ID:xT5XA5TQ
時の流れは残酷だねぇ。黙ってるだけで魏(中原)が有利だ
南に逃げた人も北に帰っていってしまうしね
「今しか無い!」って思ってたんだろうな周瑜も
孫策もかもな。義兄弟だし。そういうところでも相通じていたか
729名無し曰く、:2007/12/16(日) 11:07:35 ID:ymWkStXX
>周瑜の二分論への議論
議論すべきなのは人物の能力じゃなくて純粋に国力的な問題だろ。
「関羽張飛を取り込む」ってのも関羽張飛の将軍としての力に期待してるんじゃなくて
劉備軍団を戦力として使うってだけの意味なんだし。
730名無し曰く、:2007/12/16(日) 12:39:07 ID:idiktNeA
「三国志で過大過小評価されている武将」とは、ほぼ無関係な内容になってないか?
三国板で語れば?
731名無し曰く、:2007/12/16(日) 14:04:52 ID:TOquLMRB
関張(というか劉備陣営)は自分の基盤を持ってるからな。
取り込むにしても、呉の豪族みたいな扱いだろう。才能だけが目的じゃない。
732名無し曰く、:2007/12/16(日) 16:26:53 ID:HkRYF0cP
そもそも関・張及びに劉備勢力の取り込み自体不可能だと思うんだけど。
周瑜の提言した劉備の扱いってのは軟禁&拉致みたいなもんでしょ、
荊州牧として荊州四郡+αを治めてる劉備にそんな扱いをすれば大問題だし
劉備本人や配下が黙ってる訳がない。
下手すりゃ争いが勃発して、そこを曹操に突かれてどっちも滅亡するかもね。
まあだからこそ孫権は却下したんだろうけど。

あと724が言ってるような蜀の内応者に関してはホウ統や周瑜は言及してない、
そこらへんを予想してたのは諸葛亮だし、
727が言う甘寧は益州へのネットワークとしては弱く(少なくとも張松よりはね)
道案内としては?だし、仮に劉備勢力の取り込みに成功しても
その状況下で張飛が呉の為に力を振るうとは思えんね。
733名無し曰く、:2007/12/16(日) 17:31:20 ID:Vjkki2oh
>726
おいおい
劉備の侵攻に最後まで激しく抵抗したのが東州兵だぞ
マイナス要因になりゃしない
漢中の存在はたいして影響力が無かったのは劉備の入蜀戦で証明済み
入蜀戦は劉備だから成功した要素が多い
表に曹操という大敵の居る孫権・周瑜にゃ無理が多過ぎる

蜀は一気呵成に攻められる土地じゃないから時間をかければかけるほど
曹操に隙を与えることになる
その点劉備はとことん孫権を盾にしてたからな
734名無し曰く、:2007/12/16(日) 19:31:33 ID:Kf0gSaGJ
だから東州兵は劉璋の言うこと聞かない兵力として算出できない
対して蜀兵は一応は魏軍に組み込まれて動いている。

劉備の時の漢中は曹操が涼州を制圧をしたことに対して緊張感を持ってる
馬超を迎え入れて高位につけてるのもこの牽制であり、目は蜀じゃなくて北に向いてる。

曹操のネックは自分の分身が無いってコトだと言ったろ?
曹操が涼州に言ってる間、曹操の変わりの司令官として孫権の本拠をつけない。
曹操が行動してる間はひとまず安心なんだよ。官渡後の烏丸討伐や袁氏討伐を見るように
曹操は二面作戦を採らず、常に戦力を一方に割いてる。それはもう一人の曹操が居なかったから
735名無し曰く、:2007/12/16(日) 19:43:58 ID:zNVG8u2w
>>720
張飛は連戦連勝で、短期間にその道を駆け上がっていったんだけど。。。

呉は関張とりこまんと厳しいかなあ。

まあ当時の周ユにはホウ統が参謀としているだろうし、
それなりに上手くいくんじゃないかなあ。
劉備に頼み込んで将軍を借りてもいいし。
736名無し曰く、:2007/12/16(日) 20:36:59 ID:xT5XA5TQ
別に関張はいらんだろ。確かに天下に響いた軍人といえ
呉軍にも生え抜きの軍人がいるのだから必須ではない
劉備と個人的に結び付いた劉備傭兵団は無理だよ
それよりも馬良らのような荊州人士
737名無し曰く、:2007/12/16(日) 23:58:14 ID:HkRYF0cP
>>735
ホウ統がいるから何とかなるってのは流石に過大評価かと。
それよりも張松や法正といった蜀内部の人間との結びつきの方が
重要だと思うよ、だから周瑜の益州攻めはホウ統が居た所で相当厳しい
のは間違い無いし、劉備よりもかなり厳しい条件の上でこれだから
成功の見込みは相当に低いと思うよ。
また劉備に頼んだって将兵をまともに貸してくれるとも思えんけど、
だって天下三分の要を自ら捨てるようなマネになるんだし。
738名無し曰く、:2007/12/17(月) 00:26:16 ID:E4D0lRh3
つまり結論としては天下二分の計を言い出しちゃう甘寧プギャーでよろしいか
知力やや下げか
739名無し曰く、:2007/12/17(月) 00:35:11 ID:SkFTvSpP
だから一慨に劉備より厳しいとは言えないっての
大体張松の謀反は失敗してるし
740名無し曰く、:2007/12/17(月) 00:48:54 ID:qHPaL5Fw
>>738
そこまではやり過ぎじゃねーかと。
荊州・益州の価値は理解できてたと言う点で知力↑だけども、
戦略に実現性・具体性が無いっていう事で知力に上限がかかるって感じの方が
しっくりくる。
60・70はあるだろうけど決して80・90になる事は無い、みたいな。

>>739
いや流石によっぽど贔屓目に見ない限りは周瑜の方が劉備よりも有利とは言えないと思うよ
それなら具体的にはどういう風に劉備よりも有利なの?
また謀反に失敗し立ってもそれは張松個人の話。
全体的に見れば、劉備を蜀内部に招いたという点は何より大きく、
兵・軍需物資・土地なんかを提供してもらった上に内部で人脈まで作る時間もあったんだから、
劉備が受けた利益はとてつもなく大きいよ。
741名無し曰く、:2007/12/17(月) 00:56:17 ID:NaAIRw8y
210年次の年齢

50代:張昭、劉備、関羽?
40代:張飛、魯粛
30代:周瑜、法正、孫瑜、呂蒙、龐統、諸葛亮
20代:孫権、朱然、陸遜
742名無し曰く、:2007/12/17(月) 01:05:57 ID:SkFTvSpP
>>740
劉璋政権が漢中と険悪化してるため、軍を全て侵攻軍には向けれず、対張魯用に軍隊を割かねばならない点
曹操が涼州に出張っている為に安心して全力を注げる点

だと何度言えば。
ぶっちゃけホウ統や関張が居ようが居まいが関係ない。そんなのは枝葉の話
周瑜が進めたのは進めるだけの時勢があったってことだ。そういう時勢とそれに沿った戦略のプランニングを立てて
それに沿って軍隊を動かせるから周瑜は優れてるの。後漢末でコレが出来るのは曹操と周瑜のみと言っていい。
743名無し曰く、:2007/12/17(月) 01:32:23 ID:02DeN33A
曹操が動けなくても劉備が


あ、だから劉備を抑留しろって言ったのか
抜け目無いな周瑜
744名無し曰く、:2007/12/17(月) 01:33:24 ID:NaAIRw8y
>>742
その二人が総合力で首席と次席を占めるのは分かるが、その評価は過大だろう。

曹操のプランニングって郭嘉頼みじゃないだろうか?
208年以降は幕僚の言うことを聞かなくなってから失敗か不成功ばっかな印象。
上手くやったのは馬超戦と関羽戦くらいだ。孫権戦と劉備戦は完璧に本人の判断ミス。

周瑜の場合は兵を動かしてさえいないし時勢に沿ってるとも思わないんだけど。
成否が劉備の動向次第だし、同族を助けるとかふざけた大義名分で挙兵し、囲魏救趙の状況で主力全滅になりかねない。
せこい騙まし討ちで天険をすり抜け、こすく兵站を確保した劉備でも三年かかったのだから
馬鹿正直な力押しの正攻法では周瑜といえども多分無理。
勝つには勝つだろうが実を結ぶようなものにはならないと思われる。
745名無し曰く、:2007/12/17(月) 01:38:22 ID:qHPaL5Fw
>>742
劉璋と漢中との仲が険悪なのは劉備の時も同じ。
曹操が涼州と対立したのは211年の3月ごろ、
周瑜が益州へと侵攻しようとして病死したのが210年、
周瑜が出兵しようとした時期は曹操は涼州へと出張ってはいない。
つーか周瑜が全力を注げば間違いなく漢中よりは荊・楊州を狙うと思うけど。

大前提として蜀攻めが失敗するか、成功するか実際には不明だが、
具体的な周瑜の戦略プランニングなんか伝わっておらず、
不安要素も予想できるのに、周瑜は優れてるから成功できる、
っていうのは単なる強弁であり、一種の信仰に過ぎないよ。
また曹操と周瑜とでは実行・企画した戦略に差があり過ぎる、
そこまで評価すればもはや過大評価だね。
周瑜は「彼が実行思ったとすれば実行できる」って断言できる程には
優れた戦略家・司令官ではないでしょうよ。
746名無し曰く、:2007/12/17(月) 01:50:33 ID:fF29ta+U
>>745
むしろ、戦略性や読みの凄さが周瑜の恐ろしいとこだと思うが
赤壁の際にも勝てる根拠を正確に分析し、周瑜が読んだ通りに疫病で戦える状況じゃなくなってる
747名無し曰く、:2007/12/17(月) 02:10:15 ID:E4D0lRh3
地元ではそうだが遠い益州で同じ様な読みが出来るかは疑問
極論だが曹操、劉備とは違って楊・荊州以外での戦歴薄いし
曹操も不馴れな赤壁では負けてる訳であって

ま、早死にしたり志半ばで死んだ奴には何かと期待したくなるよな
郭嘉とか曹沖とか馬謖とか
748名無し曰く、:2007/12/17(月) 02:21:26 ID:qHPaL5Fw
>>746
いや読みの鋭さや戦略性は否定してないよ。
ただ同じく曹操の不利を孫権に説いた諸葛亮、
劉備との同盟を提言した魯粛など、赤壁の時点でも周瑜に
引けをとらない読みと戦略性を見せた人物はおり
「曹操と周瑜だけ」なんて言われるほど隔絶した人物ではないし、
江陵戦でも呂蒙の提言を受けたり、荊州の南部四郡を劉備に掠め取られたり、
あまり現実性の無い劉備拘留案を孫権に提言し、却下されたりと穴もある。
742が言う程に完璧な戦略プランニングを持ってる人物ではないと思うね。
また747も言ってるが、赤壁では地元での読みを活かせたが益州では未知数
749名無し曰く、:2007/12/17(月) 03:04:11 ID:fF29ta+U
>>748
曹操と周瑜だけの人とは見解が違うから何とも・・
むしろ、曹操よりは諸葛亮に近いと考えてるし
大局で物事を考える事はできるけれど、臨機応変な軍略は必ずしも得意じゃない点で
だから、呂蒙を重宝したりホウ統を側に置いてたと思う
750名無し曰く、:2007/12/17(月) 03:31:59 ID:SkFTvSpP
>>745
険悪でも劉備の頃は漢中の目が曹操にいっている。馬超を都講祭酒にまでしてるのは
明らかに涼州に対して影響力のある馬超を牽制に使ってる証左

周瑜は「読みの鋭さや戦略性」と「司令官としての軍事能力」を併せ持っているから優れてるんだよ
それぞれ片方だけなら持ってる人物はいるけど、両方が居ないから「曹操と周瑜だけ」な訳。
ゲーム的に言えば軍団長として非常に優秀なCOMで、プレイヤーの第一軍団に合わせて
自分の第二軍団を動かしてくれるの。朱元璋における徐達・湯和・李文忠のような存在。
まあ孫権が軍事的に優秀じゃないし、呉の国力的にも二方面作戦をする余力が無いんだけど。

赤壁では曹操軍の動きを予測して、先んじて対岸に陣を敷き前哨戦に勝利することにより
曹操は烏林に陣を敷かざる得なくなり、風土病に悩ませざるえなくなった。
「疫病で相手を撤退させるプラン」を考えて「疫病にならざる得ない状況」を軍事的に作り出した。
劉備はこの点遅いんだ。「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」と曹操が言ってる様に。

更に言えば、同じ一年の攻城戦でも、潤沢な荊州兵を率いて劉循相手の劉備と、
赤壁で疲労した軍そのままで曹仁を相手の周瑜ではどちらの軍事手腕が上が火を見るより明らか。
ちなみに荊州は周瑜の地元ではないよね。
751749:2007/12/17(月) 03:32:57 ID:fF29ta+U
ただ、周瑜は袁術から孫策が独立した際の見事な逃亡の手際といい情報の収集能力に優れていて先を予見する能力に長けていると思う
だから、益州に何か付け入る根拠なり目処があったとは思うが
劉備の抑留に関しては情報が少ないから何とも言えないけど、宮殿立てて美女与えて財宝与えてと凄い待遇で迎えるつもりだったから軟禁よりかは反曹操の象徴にでも祭り上げるのかとでも思った
752名無し曰く、:2007/12/17(月) 06:11:09 ID:YFtiRI9n
袁紹―劉虞みたいに
孫権―劉備か
753名無し曰く、:2007/12/17(月) 09:59:40 ID:fF29ta+U
>>752
そんな感じ
当時の無力な劉備でさえ、万単位の投降兵が出たりして劉備に対する支持力は凄かったから特に荊州はそうでもしないと治まらないかなと
754名無し曰く、:2007/12/17(月) 11:22:55 ID:NaAIRw8y
>>750
ラク城:敵の勢力圏のほぼ中心
江陵:攻勢限界を越えた敵の突出帯

はっきり言って難易度が違いすぎると思うが。
無理に状況が違う戦例を比べて、敵が戦歴的に曹仁>劉循で、連戦で兵站が不利だから周瑜>劉備だとしても(それ自体はまあ否定しないけど)
「だから素晴らしい戦術手腕を持った周瑜の入蜀は成功する」という結論に導くには無理がありすぎだろ。

そもそも劉備は曹操、周瑜、陸遜あたりの最強候補には勝てなくても十分一流のレベルだ。
劉備が三峡から詐欺なしで喧嘩を売って勝てると思わんし、周瑜だって一緒。
劉備がラッキーにもやれた潤沢な戦力の保持と人心収攬で地元の指示なしにどうやって攻め取るのだろうか。
その辺の具体性が微妙すぎる。周瑜ならきっと、とかそんな希望的観測だけじゃ説得力不足だ。
あまりにもリアリティに欠けた非常識な冒険で失敗する光景しか思いつかないが。

劉ショウは劉備だから客人として玄関開いたのであって、
周瑜が征服欲丸出しでノコノコやって来る分にはふつーに侵略者への対応を取ると思うぞ。
個人同士では周瑜の方が上でも、集団同士の状況となると劉備軍団の方が圧倒的に有利。
周瑜が凄いのは分かるが夭折したことで過大評価しすぎじゃないか?
長く生きればその分ボロが出るものだ
755名無し曰く、:2007/12/17(月) 13:06:14 ID:INwrQD8R
周瑜の一番の難しさは、周瑜自身が国のトップじゃないこと。
756名無し曰く、:2007/12/17(月) 15:34:23 ID:02DeN33A
長く生きてればボロがでるも何の根拠もない主張だと思う

そして劉備は一流半が精々だと思うな
757名無し曰く、:2007/12/17(月) 16:20:52 ID:NaAIRw8y
そうかあ?
劉備を抑留も討伐もせずに一段飛ばしで遠征するのは危険にもほどがあるだろう。
そんな遠征が成功したのは聞いたことがないが。
ボロが出かねないチャレンジの直前に死んだだけで、
やはり焦りが出ているようにしか思えないが。

あと一流だろうが一流半だろうが
篭城する相手にできることはたかが知れてるし、格下だろうが梃子摺るものだ。
陸戦では同格以上の曹操を度外視した遠征が成功する主張こそ、何のロジカルな根拠もない。
758名無し曰く、:2007/12/17(月) 16:28:11 ID:9TUp+Jdk
劉璋が周瑜の脅威に対抗するために劉備に救援を求めました。
とかあったら終わるしなあ…
759名無し曰く、:2007/12/17(月) 16:43:35 ID:02DeN33A
760名無し曰く、:2007/12/17(月) 17:26:23 ID:5kMgqwYP
つか抑留っつったって実際できてないわけで。
761名無し曰く、:2007/12/17(月) 17:32:14 ID:NaAIRw8y
>曹操が動けなくても劉備が
>あ、だから劉備を抑留しろって言ったのか
>抜け目無いな周瑜

仮に抑留出来ても荊州が従うとは限らないだろうが。
劉備はくたばるだろうが諸葛亮ら荊州名士たちが幼い劉禅を立てて孫権と伍するのは別に不思議でもなく、
そのような暴挙を行うことによる不利益は計り知れない。
どっちにしろその時点で全面戦争になれば魏に食われて共倒れだろう
762名無し曰く、:2007/12/17(月) 17:42:48 ID:02DeN33A
周瑜の手紙を額通りに荊州を従わせるとか関張を駒にするとか受け取らなくてもいいじゃない
抑留することで荊州をマヒさせれば取り敢えず遠征の間は混乱して動けないってことでしょ?
劉備死後ですらあれだけ混乱したのに、荊州が一致団結して劉禅擁立はそれこそ、ちょっと無いシナリオだと思うけど
荊州人はそこまで劉備に思い入れ無いし、劉備軍団はやっぱり劉備大事だし
763名無し曰く、:2007/12/17(月) 18:15:14 ID:SkFTvSpP
篭城する相手にできることはたかが知れてるとはまた随分ミクロな視点にシフトしたもんだ。
しかもそのミクロな視点においても、格下だろうが梃子摺るものだなんて、それこそ何のロジカルな根拠もない話をしだすとは。
攻城戦にだって上手下手はある。籠城側も常に城に籠もってる訳でなし。
周瑜は江陵で敵の兵力を引きずり出し二分割して攻めるという戦術的手腕を見せた。
劉備は野戦は兎も角、拠点を意識した軍事手腕は甚だ疑問が残る訳だが。
大体、件のラク城戦でもホウ統を失うような布陣を敷いたのが謎だ。なんで虎の子のホウ統が矢雨に当たるような
陣に置かれてたのやら。夷陵でも勝利毎の度に柵を立てたせいで退却が上手くいかずに甚大な被害出してる。
この辺りの才能が無かったから(諸葛亮にはあった)、晩年まで劉備は流れ者の傭兵だったと言わざる得ない。
764名無し曰く、:2007/12/17(月) 18:41:08 ID:E4D0lRh3
そろそろ「三戦でやれ」とか「信者きめええぇ!」とか「そんな事より関羽の髭を称えようぜ」とかを言うべきか
765名無し曰く、:2007/12/17(月) 18:59:38 ID:L/6CmY8b
流れ矢なんだから仕方ないだろw
無茶苦茶だぞそれは、。
んなこといったら、下手したら、周ユだって、当たり所が悪ければ即死していたわけで、
それをもって、周ユは馬鹿、とかいうようなもんだぞ。
また柵にしても、敵の攻勢を支える為に、柵を立てることだってあるよ。
結果的に失敗に終わったものを取り上げて叩くのはどうかと思うが。
766名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:03:03 ID:NaAIRw8y
>>763
ロジカルでないなら歴史的な経験則だ。
野戦で話にならないような雑魚でも、陣地戦では別物。
周瑜の方が用兵で上なのは分かるが劉備以上のスピードで勝てる根拠を示せと言ってる。
個人の判断力や決断力がものを言うステージ以前の問題だ。
767名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:17:14 ID:02DeN33A
なんかスレからズレた流れのままヒートアップしてきてるなぁ
赤壁の時は周瑜三万、孫権三万で、劉璋戦も劉備三万、関羽三万だから本国の守りに兵力を残しても
遠征を可能にする兵力はあると思うけど(守将が孫権なのは少しアレだが守るには守ってるし)



纏めると

●周瑜の遠征は無理だよ派
実際に劉備の遠征において
・内地から入って、内応者がいた(張松は失敗)
・攻め手は一流の劉備
・曹操は孫権と戦っている
という条件ですら三年(駱城を抜くのに一年)かかったという状況的経験を第一にして
「周瑜はコケる」という結果を導きだしたという事で桶?
周瑜だって人間だから躓くさ〜ってことではないんだな?つまり人為的要因無しに誰がやろうとコケる計画と

一方の
○周瑜の遠征はできるよ派
周瑜立案当時の情勢をして
・漢中と益州が劉備の時に比べてより悪い
・劉備は宴会漬けにでもして荊州をマヒ
・道案内には甘寧がいるし、率いるのは超一流の周瑜
というのは決して劉備の遠征に比べて不利ではない→同等・僅差なら劉備がコケなかったので周瑜がコケないのは有り
意見の相違てして出来ない派に比べて劉備の評価が低く周瑜の評価が高い
つまり劉備・周瑜の実績的経験を第一にして成り立たせてる訳だね
状況の多少の不利は周瑜の能力でカバーできるからプラマイゼロと
あと不確定要素として
・史実では涼州に(張魯征伐の名目)動いた曹操がどう動くか
・周瑜も益州人士に工作をしてるのではないか?(これまでの周瑜のやり方から。
あるいは法・張・孟らが“劉備じゃなきゃダメ”なのか“劉璋じゃなければ誰でもよい”のかによっても)
768名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:18:44 ID:6uPQoZOM
>>763
夷稜の敗戦は地形上そうせざるを得なかった・・・と陸遜の孫が弁明してる訳だが、
その一件を持って才能がないとは曹丕レベルの見解だ
曹操自身自分と同等と認めるぐらいの才能はあったんだぜ、劉備は。
でなきゃ曹操陣営に居た時、幕僚からあれほど警戒されてないよ。

個人の才能の話はいいから具体的な周瑜の作戦が劉備より有利な根拠を示してくれ
769名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:23:53 ID:02DeN33A
>>765
流れ矢って日本語のソレとは違うぞ?
770名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:33:02 ID:L/6CmY8b
>>769
意味がよくわからんが、
矢の射程距離から考えれば、陣地うんぬんの話じゃなかろう。
>>768
ていうか曹操からありえないくらい厚遇されてるからな。
なのに裏切るからねえ、あの男は。
袁家にいっても、最初かなり手厚くもてなされたらしいし。
当時は、これといってそこまでの実績があるとは思えないのだが、
みなに高く評価されていたのが謎。
771名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:35:11 ID:WR26FFFH
そもそも劉備を招いたのは本来張魯に対抗するためだったように、
周瑜が西進を考えた時は後の情勢以上に益州・漢中情勢がひっ迫していたことは間違いない。

張魯と曹操の間にはまだまだ総勢10万を超える兵を有する関中勢力が存在していたし、
張魯が自分の家族を軒並み殺した劉璋に復讐する気があったとしたら、
呉の侵攻に合わせて本格的に侵攻を開始してもおかしくは無い。

当時益州の防備というのは緊張が続く北からの脅威に対するためのもので、
劉備が苦戦したのもその北から攻めたためであり、
後に東から来た張飛らが快進撃を見せたのは防備の薄い東からだからというのもある。
勿論項羽と劉邦の例と同様、初めに攻めてきた方に戦力を集中した面もあるだろうけど。

劉備の成功要因の一つに劉璋の求心力の低さと内応者の多さもあるが、
これより以前龐義と共に益州で権勢を誇った李異が(経緯は謎だが)孫権に帰順していたりと、
呉の場合でも転ぶ人間は出てくるだろう。
(劉備は速攻によって家族を人質にとって帰順を促したりもしてるので、当然差は出てくるだろうが)
何より張松・法正ら側近が不忠者揃いなのは大きい。適切な判断を誤るから。

総じて言えるのは、多分に張魯の出方次第ということ。
張魯が本腰を入れて侵攻してくれば、あるいはビビった劉璋が早期に呉に降ってでも
命を永らえようとすることすらあり得るし、(母親や一族の仇でもあるので彼に負ければ命が危うい)

一方史書を見るに保守的傾向の強い張魯が日和見を決め込み、あるいは万一劉璋との講和に応じたりして、
劉璋に防衛体制をしき直す時間が得られれば呉を退けることも十分可能。
体制さえ整えば守備側が有利なのは基本中の基本。
特に劉備の時はあっさり抜かれた感のある江州までの道のりが、
本来は最も困難な道のりのはずで、巴東でキッチリ防ぐことが出来るかどうかが一つの山場。
772名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:37:55 ID:02DeN33A
流れ矢ってのは文字通り流れるように矢を繰り返し雨の様に放つ戦術
日本語のどっからか飛んできた矢っていう意味じゃないってこと
ホウ統さん陣頭指揮でもしてたんだろうかねぇ
773名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:43:34 ID:L/6CmY8b
つかさ、李異って同一人物なのか?
774名無し曰く、:2007/12/17(月) 19:51:51 ID:WR26FFFH
>>773
別人の可能性もあるけど、俺は
「甘寧と並んで劉璋への脅しに使われているんだから同一人物の可能性が高い」
という説を支持するよ。

それまで呉人としては名前も聞こえぬ李異をわざわざ挙げる理由が他にない。
775名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:00:50 ID:NaAIRw8y
>>767
劉備の実力がどうこう以前に兵站線が長すぎる。
ただでさえ不利なのに江陵周辺の不安要素が多すぎるのも状況をシビアにする。
>状況の多少の不利は周瑜の能力でカバーできるからプラマイゼロと
その為に↑が掣肘される状況になるのは明らかだろう。
遠交近攻の基本を無視してるのも否めない。
殺しにかかるなら荊州の劉備勢が先。
776名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:07:30 ID:WR26FFFH
>>767
細かいことかもしれないが、劉備が劉璋と敵対したのは、
212年の10月に起きた曹操の孫権侵攻に当たって孫権から劉備に送られた救援要請に対する対処を巡っての争いの後、
終わったのが214年の夏(旧暦4〜6月)のことだから、大体1年半ぐらい(内1年が駱城攻略)のハズでは?
777名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:08:12 ID:L/6CmY8b
>>774
それもわかるんだけど、
ならなぜ、呉にまでいったのかがわからんのよね。
謀反を疑われた(本当に計画していた可能性もある)から逃げたとしても、
普通となりの劉表でしょう。縁もゆかりもない孫権のとこまでいくか?

>>775
途中で劉備が裏切ったら、確実に周ユは軍勢ごと終わるな。
そのまま劉備が楊州にまで手を伸ばしそうだ。
778724:2007/12/17(月) 20:11:57 ID:20lpTio7
劉備が三年かかったのは兵力の少なさの為、荊州で増強の時間が必要だったはず。
周瑜の場合、最初から劉備以上の兵力とホウ統の上策の成都を選ぶはずだし。
どうも、周瑜は益州、涼州の情勢にも明るかった可能性が高い。
馬騰や韓遂ではなく、馬超と同盟を組むなんてある程度の情報は得ていたんだろ。
779名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:19:29 ID:L/6CmY8b
周ユの立場じゃ上策はとれんだろ。
780名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:20:00 ID:WR26FFFH
>>777
それこそ縁やゆかりがあったのかも知れず(甘寧の紹介とかねw)
時期が不明だから劉表死後、呉の荊州入りの後かもしれない。

実際に益州の武将、襲粛は軍勢を率いて帰順したことも史書に明記されてるし、
特に不思議がることでもないんじゃない?

ついでにそんなことしたら周瑜が終わる前に劉備が終わってしまうがな…
781名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:23:28 ID:02DeN33A
しかし荊州だって赤壁の際に劉備についていったアンチ曹操組によって
構成されてて曹操と結べないのに孫権と事を構えたら泥沼化しかないのはわかることだろう
劉備の益州進攻を孫権が(曹操と戦っていたとはいえさ)みすみすさせてしまったように
ある種益州は手を出したもん勝ちな部分もあるだろう
782名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:26:23 ID:QpjhtMmx
孫呉政権ってのは元々孫策が袁術の楊州討伐の名目で兵を借りて出陣したのが
独立して成立したんだよな
そういう前例があるのに孫権は周ユを信頼しきれるかね?一応孫権の一族を連れて
行くとは言ってるが遠征先でどうなるかわかったもんじゃないし
783名無し曰く、:2007/12/17(月) 20:53:02 ID:WR26FFFH
>>779
横槍をさして申し訳ないが、所謂龐統の上・中・下策の中に、
「会合の時に捕らえてしまう」は入ってないんだけど、コレと勘違いしてない?

上・中・下策はコレを断って漢中に赴いた後の劉備に対して、
「昼夜兼行の強攻策で防備の整う前に一気に成都まで迫る」
「帰還するフリをして騙まし討ちで高ハイらを捕らえる」
「実際に帰りながら手段を講じる」
この三つを指す。

これをそのまま使って周瑜の時にも上策かと言われれば俺も甚だ疑問だと思うが、
(江陵からそんな奇策を打っても成都に着く前に間違いなく引っ掛かるだろうし)
防備の整う前に速攻をかけるという基本は間違いじゃないと思う。

>>782
一応信頼したからGOサインを出したんだろうね。嫌ならこの提案を蹴ることもできたハズだから。
他の件では周瑜の提案に乗らないこともあったし。

周瑜と孫権の信頼関係については、多分母親の呉夫人の存在がデカイ。
親に「周瑜はわが子同然だから、貴方も兄と思って接しなさい」とまで言われると、
もう当時の倫理観的に無下にはできない。(特に呉は母親の影響力が大きい)

後に周瑜が語った「表面的には君臣の間柄でも、内面的には肉親と変わらぬ恩義を結び〜」には、
こういった事情が反映されてるのだと思われる。
784名無し曰く、:2007/12/17(月) 23:31:59 ID:SkFTvSpP
>>766
>野戦で話にならないような雑魚でも、陣地戦では別物。
これの歴史的な経験則を挙げていただきたい。野戦で話にならないよう把握力・機微の無さなら
尚更陣地戦を理解できるとは思えない訳ですが。籠城戦なんて三倍の兵があれば〜なんて単純なものでなく
守将の能力によっては何年も持たせれるのに、高い防衛機能を持っていても愚将が率いればあっという間に落ちるものだ。
そして俺が何時、劉備以上のスピードで勝てると言ったのだろう?
785名無し曰く、:2007/12/18(火) 00:36:30 ID:e0X2OC9F
>>784
>そして俺が何時、劉備以上のスピードで勝てると言ったのだろう?

違うと言うのか?
万一成功するなら相手の戦備がろくに整わないうちの強襲しかないだろう。
わき腹に獅子身中の虫を抱え続けて長期間戦えるほど荊州の情勢は甘くない。
劉備と同じ以上の時間を掛けて入蜀が成功出来るとでも?

なんか劉ショウvs張魯の対立を大げさに書き立てて敵を弱く印象操作してるが、
何故、孫呉の不利を無視しすぎでいかにもダブルスタンダード。
敵も味方も第三勢力も全て利害を勘定しなければ中立的でも論理的でも現実的でもない。
786名無し曰く、:2007/12/18(火) 01:02:28 ID:sQHOReGf
当時の呉の状況で考えられる現実的な案では、張魯と手を組み同時に攻めるとかか?それなら、なんとかなりそうだが
その場合、それなりの見返りと五斗米道を認める事が必要になるが
その辺の交渉は、周瑜より魯粛の見せ場だけれども
787名無し曰く、:2007/12/18(火) 01:12:31 ID:RQsVYf9a
相手の論の穴を探して言い負かそうとしあうのは議論ですらないただの喧嘩だって事を自覚しろ
788名無し曰く、:2007/12/18(火) 01:23:25 ID:h3ZMpp5S
三国志って実は作り話じゃねえの?
789名無し曰く、:2007/12/18(火) 02:41:05 ID:6U9dI71C
赤壁の時もし降伏してたら後の世で「勝てるわけないだろ、馬鹿か周ユは」って感じになるだろうし、実行されてないものの是非なんてわかるわけないよ
790名無し曰く、:2007/12/18(火) 02:54:47 ID:HUIp0/oz
>>785
そもそもが>>737劉備よりもかなり厳しい条件の上
に対して>>739だから一慨に劉備より厳しいとは言えない
って話であることを忘れてないか?別に周瑜の方が劉備より早く出来るって話ではない。

進行ルートとしては劉備の場合は?城を始めとした南下山嶮のルートになるが、
周瑜は建平を抜けれるかか鍵の西進ルート。ココを抜ければ成都まで進軍が易い上、撤退も(劉備よりは)易い。

そもそも劉備の益州遠征だって孫権という獅子身中の虫を背中に抱えたままで劉璋に招かれた訳だよ?
しかも曹操が孫権と戦ってる内に行動したはいいが、当の曹操・孫権は和睦して今度は孫権が荊州奪取に動き出した。
そういう史実があるのだよ?そういう不利を越えて劉備は益州を取ったことを無視しすぎていかにも劉備の頃が楽だったと
印象操作しているが、そこはどうなんですか?結局、周瑜の頃だろうと劉備の頃だろうと、劉・孫は互いに腹の探り合いをしてるのだから
条件は変わらないのだよ。それなら周瑜は劉備と同じ時間以下なら益州獲れるでしょうと単純にすればそういう話。

そして野戦で話にならないような雑魚でも、陣地戦では別物の歴史的経験則を挙げてくれ、はやく
791名無し曰く、:2007/12/18(火) 03:14:54 ID:H9Zb8ZSj
>周瑜は建平を抜けれるかか鍵の西進ルート。ココを抜ければ成都まで進軍が易い上、
これの地形を基にした解説頼む
792名無し曰く、:2007/12/18(火) 03:29:19 ID:09Us5/p8
>>790
いい加減中英でやれカス
せめて「だから周瑜の知力と統率は100になるお!」とか無理矢理にでもスレの主旨に沿わせろ

そんな事より張宝・張梁は強すぎじゃないかい?
793名無し曰く、:2007/12/18(火) 03:51:53 ID:Gs1M9/98
>>750
曹操が荊州に侵攻した時点で「曹操に漢中が平定された」と益州が震撼したりと、
劉備以前に張魯が曹操に目を向けなければいけない状況は始まっており、
実際周瑜が死去した翌211年3月には漢中出兵はなされてたりとそうそう状況は変わらんよ。

司馬イや陸遜・トウガイ、ともすれば陸抗や諸葛亮なんかもその2つを持ちあせてると言えるでしょう、
少なくとも曹操と周瑜だけって言えるほど、周瑜は彼等と隔絶した功績を持ってる訳じゃ無いし、
その2つを持ち合わせたところで戦略構想が必ず実現するとは限らない、
実際に曹操は漢中攻めで敗退してるし、ちょこちょこ敗戦もある。
だから「周瑜が企画したから成功するだろう」っていうのは推測ではなく一種の信仰。

赤壁での周瑜の功績は否定しないが、劉備に関しては曹操が条件付にせよ自分と同等と認めてる部分を、
同等と認められた事の無い周瑜を持ち上げるために曲解して引用するのは感心しないね。
また烏林に陣をひいた事と風土病には直接の関連性はないでしょう。
赤壁で疲労したのは曹仁側も一緒、
それ無視して火を見るよりも明らかもどうもないよ。
んでもって曹操よりは地元でしょう、少なくとも長江付近には詳しいだろうしね。

益州に付け入る根拠があったかどうか、それは分からんとしか言いようがないが、
劉備抑留に関してはいくら凄い待遇であっても、結局は拉致・軟禁状態には変わりないので
劉備側が納得しないでしょう。
794名無し曰く、:2007/12/18(火) 03:59:10 ID:2bgxGtgm
>>792
張宝と張梁、というより黄巾党自体微妙にネタキャラになっている気がする
ゲームバランスやキャラクター付けもあるんだろうが
795名無し曰く、:2007/12/18(火) 04:06:42 ID:sQHOReGf
>>792
そこまで言う事はないと思うよ
個人的には俺は出来る派だけど、資料が少ないから根拠は最終的に周瑜だからってなってしまうしね
だから、ある程度根拠を持って持論を展開してるのは凄いと思うし
ただ、みんな周瑜は現状の能力は過大ってしてるわけじゃないからスレ違いっぽいから話題転換には賛成
黄布は、その二人の能力を下げたら曹操ら精鋭揃いの官軍に勝てなくなるから仕方ないんじゃね
796名無し曰く、:2007/12/18(火) 11:02:18 ID:e0X2OC9F
>>785
>そもそもが>>737劉備よりもかなり厳しい条件の上
>に対して>>739だから一慨に劉備より厳しいとは言えない
>って話であることを忘れてないか?別に周瑜の方が劉備より早く出来るって話ではない。

で?
張松の内応は結局失敗した、ということだけじゃ、
「劉備より厳しいとは言えない」という状況の根拠に全然なってないだろ。
自論に都合のいい部分だけクローズアップして不利な部分は無視するせこい印象操作をやめろと言っている。

>進行ルートとしては劉備の場合は?城を始めとした南下山嶮のルートになるが、
>周瑜は建平を抜けれるかか鍵の西進ルート。ココを抜ければ成都まで進軍が易い上、撤退も(劉備よりは)易い。

周瑜死後の出兵で劉備が妨害したのはどうなってるんだ?
貴方の脳みその中では劉備は周瑜信者なのか?周瑜が生きていれば何でも解決すると?

>そもそも劉備の益州遠征だって孫権という獅子身中の虫を背中に抱えたままで劉璋に招かれた訳だよ?
>しかも曹操が孫権と戦ってる内に行動したはいいが、当の曹操・孫権は和睦して今度は孫権が荊州奪取に動き出した。
>そういう史実があるのだよ?

俺は劉備が取れたのは実力だけではなくラッキーな部分が多かったと言ってる。
劉備の入蜀時は周瑜はいなかったが、周瑜の時は劉備がいるということがすっぽ抜けてるんだよ。
これは実力でどうにかなる問題じゃないだろう。

>そういう不利を越えて劉備は益州を取ったことを無視しすぎていかにも劉備の頃が楽だったと
>印象操作しているが、そこはどうなんですか?
>結局、周瑜の頃だろうと劉備の頃だろうと、劉・孫は互いに腹の探り合いをしてるのだから
>条件は変わらないのだよ。それなら周瑜は劉備と同じ時間以下なら益州獲れるでしょうと単純にすればそういう話。

劉備は近く、孫権は遠い。
江陵は周瑜の実力で押さえているようなもので入蜀で動けば危うい。
地理上の単純な条件を無視して何が「条件は変わらない」だ。

>そして野戦で話にならないような雑魚でも、陣地戦では別物の歴史的経験則を挙げてくれ、はやく

挙げる義務などないし、スレ違いな話になるのは「火を見るよりも明らか」な訳だが。
自分で調べろ。
797名無し曰く、:2007/12/18(火) 11:39:46 ID:t+tK4qaB
いい加減長文ウゼエ
798名無し曰く、:2007/12/18(火) 12:40:17 ID:RQsVYf9a
スレ違いの長文書いておきながら肝心要の要所を挙げる義務がないなんて言っちゃうなら単なるスレ違いのウザイ奴だな
799名無し曰く、:2007/12/18(火) 13:43:06 ID:sQHOReGf
他の話題提供してみる
馬超の統率ってどうかな?11だと88で過小とも過大とも言える微妙な数字なんだが
ちなみに近いところでは淵が87、惇が89、徐晃が88、黄忠と甘寧が86
800名無し曰く、:2007/12/18(火) 13:49:06 ID:RQsVYf9a
馬超も荒れるんだよ
結局のところ正史によれば〜だからとか演技だと〜だからとか言い合うくせに基準がないから結局まとまらない
Aに比べて過大とか過小とか。んでそうするとAがそもそも過小なんだBに比べれば
以下ループ
ほんとに決める気があんならそこをはっきりするべき
801名無し曰く、:2007/12/18(火) 13:58:12 ID:sQHOReGf
そういえば、そうだね
比較的誰でも入りやすい話題かなと思ったけど、地雷っぽいからやめた方がよさそう
夏侯淵はどうかな?特に正史なら功績の数なら事欠かないけど、最後が曹操の危惧した通りの死に方で評価下げてる感があるが
802801:2007/12/18(火) 14:07:12 ID:sQHOReGf
他の武将は気にしないで、現状の能力がって事で
演義で武力を決めて正史で統率をはかるのがいいんじゃないかなと思うけど、これは俺の一案に過ぎないから
さっき挙げた奴らはともかく、張任の88とかカクショウの89とか挙げだしたらキリがないし
調べたら淵は
統率87
武力91
知力54
政治61
魅力80
803名無し曰く、:2007/12/18(火) 14:08:58 ID:RQsVYf9a
夏侯淵だってそうだろ。
まずその功績だけを見れば統率はいくらになるのかが分からん。90?95?
次に死に方やらなんやらのマイナス要素でいくらひかれんのかも分からん。5?10?
でとりあえずその場で結論が出ても今度は張コウに比べてとか関羽に比べて低すぎるとか高すぎるとか
でもその〜の評価にに比べて低すぎる高すぎるってのの「評価」がどこのかって言うと元々過大過小を指摘する対象である最新コーエーゲーなわけで。
これじゃあ話がまとまるわけがない。
804名無し曰く、:2007/12/18(火) 14:27:41 ID:e0X2OC9F
>ID:RQsVYf9a
>スレ違いの長文書いておきながら肝心要の要所を挙げる義務がないなんて言っちゃうなら単なるスレ違いのウザイ奴だな

はあ!?
おまえも公正ではない。ふざけた野郎に仕切られるのは不愉快だから失せろ。
そいつは人の指弾をする前に周瑜の作戦が劉備より有利な具体的な根拠を示さない
自分の義務を怠るくせに他人にはそれ以上の苦労を要求している。
そんな輩に付き合いきれるか。
805名無し曰く、:2007/12/18(火) 14:30:36 ID:eYlSkAeW
ID:e0X2OC9F(失笑)
806名無し曰く、:2007/12/18(火) 14:48:00 ID:sQHOReGf
>>803
言っている事は分かるんだけどさ、厳密に拘りだしたらこのスレ成り立たなくね?
光栄が中途半端に正史と演義を混ぜて評価してるから余計収集がつかないってのもあるのだけれど
807名無し曰く、:2007/12/18(火) 14:56:30 ID:RQsVYf9a
>>806
まあ確かに。このスレって数値出すよりも出す過程で語り合うのがメインっぽい気はする。
するけどそれにしたってこのスレでの基準は一応作っておいた方が語りやすいと思うんだけど。
そもそも統率武力知力政治魅力の定義が各々違ってる現状じゃまともに語り合うこともできんのではないかと。
808名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:01:49 ID:UNE2gtkI
>>804
その文で重要なのは
>スレ違い
の部分だと思うぞ

そんだけ盛り上がれるんならスレ立ててそこでやりゃいいじゃんってことだろ
809名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:24:18 ID:sQHOReGf
>>807
過程で語り合うのがメインってのは分かるわ
能力の中でも『魅力』
これだけはもう主観の問題になってしまうと思うんだ、これは語るのは難しい

他の能力を演義か正史かどちらか中心で判断するなら
政治は現状でも正史を中心に判断しているっぽい
武力は演義でないと細かく評価できないかなと思うし、統率は逆に将の武勇と計略だけでほとんど戦の勝敗が決まる演義よりかは正史の方が適当かなと思う
知力はどっちがいいのかね?
正史と演義で別に能力付けるって手もある、趙雲とか特に
正史と演義のいいとことりってのもあるがインフレ化するだけだし、難しいね
810名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:33:07 ID:52LEqXJ4
ぶっちゃけただ武将の能力について語り合うんなら
三戦板なり中英板なりにスレ立てて語ってほしい。

コーエー三國志シリーズでの能力値について語るから歴ゲー板にスレ立ててるんだし。
あくまでもゲームでどう表現するかを主体に。
811名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:44:46 ID:52LEqXJ4
>>809
>趙雲の知力
11での趙雲の知力は76
それに対して張遼、張任が78 甘寧が同じ76

これは正史、演義どちらで考えてもそんなに過大でもなく過小でもないと思う。
昔の知力80台の趙雲ならともかく、今の趙雲なら比較的インフレ無しの能力値と言えると思う。
政治も60台とそんなに高いわけでもないし。
812名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:51:33 ID:N+ttOBfi
甘寧高いな
知力も統率も
813名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:52:59 ID:52LEqXJ4
11における知力の一番重要な役割は
戦場での計略(混乱、偽報など)の成功率と回避率
先を見通す戦略的能力じゃなくて、その場の戦場での戦術的能力としての役割が大きいから
実戦の指揮官の知力が高めになるんだと思う
814名無し曰く、:2007/12/18(火) 15:56:36 ID:52LEqXJ4
ただ、趙雲が76だと
張コウ(69)とか朱霊(67)とか文聘(66)とかが正史基準で少し低いと感じるかもしれない
815名無し曰く、:2007/12/18(火) 16:26:05 ID:ao3PgmBJ
というか趙雲76は正史なら過大だろ。演義なら納得する
816名無し曰く、:2007/12/18(火) 16:28:52 ID:RQsVYf9a
>>809
うんうん。でも多くは結局結着つかずに別に流れてくんだよな。
魅力だけど、まず当時の価値観で判断するのかそれとも後世の価値観で判断するのか。
名声や宗教的なものも魅力の定義に含まれるのか。
個人レベルでの仲違いやトラブルも魅力マイナス査定に含むか。
人物や民から多くの支持を集めた人物には魅力プラスを与えていいのか。
ここらへんが定まってくれば個人で多少の相違はあっても大体は決まると思うんだよね。

政治に関しては大方同意。今でもある程度適正ではあると思うしこれに関しては史書以外から判断は難しいと思う。
ただ政治的事績の全く残っていない武将の扱いが少しぞんざいな気がする。例えば武安国や胡車児などは明らかにイメージで政治を下げられていると思う。
事績が残っていないのを低い理由にするならば他の大多数も同じ理由で下げられるべきだと思うし、
ゲーム上個性を出すということでこうしているのは大いに分かるけどそういったゲーム的理由を取り払って評価するのがこのスレだと思うので。
あとは群雄たちと武将たちの政治評価が同じというのはとても気になる。
厳白虎や劉ヨウ、呂布あたりが顕著だと思う。政治に関しては政争的なことを鑑みてもどの地位にまで上り詰めたかというのが重要な判断材料になると思う。

武力に関してはほぼ異議なし。ただ付け加えれば演技と正史を混合しないのが重要だと思う。
例えば馬超と閻行。演技で高評価の馬超を正史で一騎打ちで倒したという記述があったとしても、
それは正史馬超<閻行というふうには取れても最終的な評価で必ずしも馬超<閻行にはなりえない、ということをはっきりしとかなきゃいけないと思う。
演技の方が武力評価しやすいのは確かだけど一方で正史でも武力を示すような記述はあるわけで。これをどうするか。
もう一つは演技で判断できない連中の戦に精通しない文人、参謀として従軍するぐらいの文官、実軍指揮経験のある軍人、寒門出の軍人。
これらの差別ラインをどのくらいに引くか。また弓馬を嗜んだという記述をどの程度信用するか。このあたりだと思う
817名無し曰く、:2007/12/18(火) 16:30:24 ID:RQsVYf9a
統率は難しいと思う。まず一番抽象的に言えば戦に勝ったか負けたか。演技でしか存在しない戦では勝ち負けで判断するしかないね。
でも正史で武将の能力について判断するのにおいて肝心なのが戦の考察だよね。どの状況においてどう行動したのか。
その結果何が起こったのか。他に取れる行動はなかったのか。これは各々のケースでそれぞれ考えていくしかないね。
統率の難しいのは他にも「異民族や反乱討伐で功を挙げた」とか「〜に従って功を上げた」などの詳細のない記述や
「〜をよく治めた」というふうな政治評価にしたらいいのか微妙なものの多さがあるよね。
これに関してはある程度線引きして考えるのがよろしいと思う。反乱討伐で功を上げたなら60近辺、とかそんな感じで。
後よくある〜に負けたからAはBより下、って言う考えは棄てて考えるのが重要だと思う。

知力はどっちも加味して判断するのが一番いいと思う。
ただこれも定義がすごい難しいと思う。戦の考察において間違った行動、例えば馬ショクの山岳布陣とか。
これが間違っていたか間違っていないかは今度するとして、実際敗北した馬ショクは文人としては知力高評価をもらってしかるべきな人物で。
でも少なくとも結果だけにおいては教養などないに等しい王平の判断が正しかったわけで。
戦での状況判断能力、各国の情勢を伺う能力、弁舌や教養など。これらを一緒くたに知力とするとどうしても矛盾が起きる。これをどうするかだよね。

あと全体では陳寿とかの人物評をどうするか。、信憑性の無い史書の扱いをどうするか。
これをはっきりさせれば議論も決着がつくようになると思う。
818名無し曰く、:2007/12/18(火) 16:51:14 ID:0tMaZxMX
いや、別に議論を決着させるためのスレじゃないから。
そもそも演義基準である以上、正史なんて必要以上に語るに及ばんだろ。
5行以上の長文は三戦板でやってくれ。
過疎ってるスレあるんだから。

ってか、なんで三戦板の理不尽スレや中英板の名将スレが廃れたか分かってんの?
それが分からないなら、このスレにはもう書き込まないでくれ。
このスレまで正史厨の食い物にされたらたまらんよ。
819名無し曰く、:2007/12/18(火) 17:21:05 ID:/hyjIFmV
三國志は演技基準なので問題なし
820名無し曰く、:2007/12/18(火) 17:23:00 ID:ao3PgmBJ
とりあえず五行以上読めない上に、正史厨とかいってるお前がもう書き込まないでくれ。
後、演義のみでやりたいならそういうスレを自分でたてればいいだろ
821名無し曰く、:2007/12/18(火) 17:24:34 ID:UwapPf5T
>>804
なんだこいつwwwwwwwwwww
822名無し曰く、:2007/12/18(火) 17:26:53 ID:5UqSjXNd
別に最早、演義基準じゃないだろ。
正史にしか出てこない武将が何人も登場してるし、
演義で超人的活躍をした武将の能力は抑えられるようになり、
演義で割りをくった武将の能力は正史の活躍に応じて引き上げられてる。
光栄の武将ファイルでも正史での事跡を多く紹介してる。
823名無し曰く、:2007/12/18(火) 19:24:50 ID:09Us5/p8
甘寧の知力は戦果分プラス件の天下二分で査定入ってるからな
統率はアレだ、甘寧でこれ以下の評価だと他の呉将も下がって四大都督以外の統率が悲惨な事になるから
その代わり政治の低さ辺りでバランス調整と
824名無し曰く、:2007/12/18(火) 19:47:58 ID:LUbaR/MT
とりあえず細かい数値は後回しにして、演技+正史でランキング形式にするのはどう?


武力@呂布
825名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:15:46 ID:sQHOReGf
>>817
そういったTPOまではまるで考えてなかったwでも、真面目に検証しようとするとそうなるね
細かい考察、乙!
馬超は扱いが難しいなぁ・・
>>824
まぁ、呂布関羽張飛に許チョと典イでいいんじゃない?
ホウ徳も捨てがたい
826名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:21:47 ID:IJBLkhdx
>>815
正史を読む限り、低いようには見えんぞ。
作戦や助言も正確だと思うのだが。
70台なら妥当なラインだろう。

ただ政治は高いな。30台でいいと思う。
827名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:29:14 ID:lWAkB64S
趙雲別伝を参考にするなら政治も50くらいはあって良いと思うが
知力は難しいが70前後が限界かと
828名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:36:00 ID:cUAZDzys
>>826
趙雲別伝こみだと妥当だが
正史のみだとそこまでいく?
趙雲は後の皇帝を救ったことで劉禅の時代に過剰に持ち上げられて
それを陳寿が過剰な部分を削ったっぽい
829名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:38:49 ID:ao3PgmBJ
>>826
列伝こみなら70なら妥当といってもいいけど、正史のみなら70台はありえない
830名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:39:20 ID:ao3PgmBJ
列伝ってなんだよ…。別伝ね
831名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:42:02 ID:pWRElUBe
>>828
裴松之の注に用いられて
しかも特にツッコミが無い以上はそれなりに尊重できる記事でしょう>別伝
特に理由もなく資料価値を貶めるのはややフェアではないかと。
832名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:56:10 ID:lWAkB64S
裴松之のツッコミはけっこう好き嫌いでやってる感があるからなんとも
だいぶ後の時代につくられて著者も分からない(子孫が書いたと言われてるが)以上
正史に比べ信憑性が低いと言われるのは仕方ない。
ただでさえ史料が少ない劉備時代の蜀将にあって、
特に重要という程でもない趙雲にだけあれだけ詳細な史料が残ってるというのもなあ
833名無し曰く、:2007/12/18(火) 20:56:15 ID:IJBLkhdx
ちょいまて、別伝も一応正史だろうが。
というか正史って、いろんな話の集合体だよ。
だから伝ごとに矛盾した内容だって入っているし、
裴松之が否定しているのだってある。
834名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:11:24 ID:pWRElUBe
裴松之の注は正史とされてはいないのかな?
正史扱いされてるのは陳寿の本文だけで。
いちおう裴松之は南朝の皇帝の命で注釈を施してはいるけども。

とはいえ、だ。
積極的に記述を否定する材料が出て来ないなら
一応は評価基準として使えると思うが。
835名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:11:32 ID:/viyURnm
>>833
その通りだけど正史に記載がない分は基本的に陳寿が信憑性に欠けると判断した分だよ
だから参考にするなってわけじゃないけど出典によって扱いは分けるべきでしょ
836名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:14:46 ID:lWAkB64S
>>834
もちろん評価基準には使って良いと思うよ
ただ本伝の記述とは分けるべきだと言ってるだけで
別伝込み基準と本伝のみ基準でつくるとか
837名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:15:35 ID:pWRElUBe
>>835
そういう意味では陳寿の判断基準自体もある程度疑ってかからないといけないんじゃ。

要はさ、「注にしか無いから信用できない」ってだけの判断基準じゃフェアじゃないでしょう、と。
838名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:30:41 ID:/viyURnm
陳寿の正史=史実なんだから判断基準疑ってもしょうがないでしょ、矛盾してる部分はともかくね。
注と一言言っても色々あるわけで、それらは本伝とは分けるべきだし出典によっても分けるべきと言ってるだけ、俺はね
839名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:33:52 ID:5UqSjXNd
全ての注に疑義を唱えるならともかく、趙雲別伝ばかりにケチつけるのもどうか。
仮りにそれが子孫の手によるものだとしても、
まったく架空の話と推定してよいものかどうか。
ある程度脚色されたものとしたら、どう能力値に反映させるべきか。
だいたい別伝の内容にしたって演義並みの大活躍をしてるわけじゃないし、
否定しにかかるほど不自然な内容じゃない。
陳寿の取捨選択の話なら、真偽が怪しいと思って捨てたのでなく、
その情報/書物に辿り着けなかった可能性もある。
陳到や呉懿などの名臣に関してすらロクな記述がないんだから。
840名無し曰く、:2007/12/18(火) 21:45:07 ID:lWAkB64S
誰も全くの架空の話なんて言ってないわけだが…
>>838も言ってるように注と言っても出典によって色々あるわけだし
評価に入れる事自体も否定してないぞ
>ある程度脚色されたものとしたら、どう能力値に反映させるべきか。
まさにここが問題なわけだけど、こんなもん話し合っても結論なんか出ないし
841名無し曰く、:2007/12/18(火) 22:01:12 ID:IJBLkhdx
別に矛盾する話ではないし、
当時の趙雲の立場から考えれば、不可能なことをしたわけでもない。
これといって否定する材料はないと思うのだが。
842名無し曰く、:2007/12/19(水) 09:59:19 ID:yY0cVcaY
>>838
正史だから信憑性が高いわけじゃないぞ。評価が低い正史だって有る。
陳寿の三国志が評価高いってだけだ。

裴松之には趙雲別伝を積極的に否定する方法を見つけられなかった、ということだけが分かってる。
843名無し曰く、:2007/12/19(水) 13:45:47 ID:tkyvmEEd
ぶっちゃけ趙雲の話題はもういいよ、荒れるから
844名無し曰く、:2007/12/19(水) 15:21:12 ID:PUhRi8pi
では、夏侯楙を正史からでも演義からでもどうにかして高評価してみるとかは?
845名無し曰く、:2007/12/19(水) 15:26:45 ID:8xITYRM5
夏侯楙は『良い人』だったんだよ
戦とか苦手で才能とかもアレだったけど
とても良い人だったんだよ
846名無し曰く、:2007/12/19(水) 15:55:43 ID:/XDLMwSh
一応趙雲に勝ちかけた
程武の策とはいえ、ゲーム中である程度統率がないと策も意味がない
また程武の知力があまり高くない分夏侯楙の統率に反映したい
847名無し曰く、:2007/12/19(水) 16:05:47 ID:PUhRi8pi
>>845
全く評価してねぇw
しいて言うなら魅力うp?
>>846
そ れ だ !
これで次はライバルの劉禅に勝てる!
848名無し曰く、:2007/12/19(水) 17:11:32 ID:ej/YVhtI
楙は人柄は最悪じゃなかったか。
849名無し曰く、:2007/12/19(水) 17:51:53 ID:L8J/9EOx
そんな事より沙摩可について語ろうぜ!
850名無し曰く、:2007/12/19(水) 18:50:31 ID:/zCKtb7C
そんなことよりこのスレもうネタ尽きてるだろ。
次スレいるのか?
851名無し曰く、:2007/12/19(水) 19:08:22 ID:hJhyX4wz
武安国って武力87くらいあってよくね?
852名無し曰く、:2007/12/19(水) 21:36:35 ID:yY0cVcaY
武安国程度の鳴り物入りで出てくる武将は演義にワラワラ居るから無理
853名無し曰く、:2007/12/19(水) 21:40:55 ID:RkI+JNOj
結局お前らは実のない論議を延々繰り返すだけなんだな
854名無し曰く、:2007/12/19(水) 22:06:06 ID:yY0cVcaY
自分の考えが受けいられないからって変に粘着するのは感心しない


ここは議論スレじゃなくて雑談スレだからな
855名無し曰く、:2007/12/19(水) 22:14:08 ID:RkI+JNOj
いやいや。否定はしない。
ただなんかいい流れに向かってたっぽいところをリアルでロムってたものだから残念なだけ。
856名無し曰く、:2007/12/19(水) 22:21:29 ID:c0Srkco1
本来のスレの目的に戻っただけだろ。
スレ違いの長文が良かったなら、三戦板に行け。
857名無し曰く、:2007/12/19(水) 22:56:53 ID:RkI+JNOj
いや、スレの目的って延々と結論のない話をし続けることじゃないでしょ?
語り合うのが目的だとしてもこんなの議論ですらないと俺は思うよ
858名無し曰く、:2007/12/19(水) 23:11:41 ID:ej/YVhtI
>>857
長文議論も結論はねぇよボケ
859名無し曰く、:2007/12/19(水) 23:17:32 ID:RkI+JNOj
少なくとも今のやり取りより得るものがあるだろう
860名無し曰く、:2007/12/19(水) 23:20:05 ID:7QyMbmyv
そんなことより木鹿大王の能力について語ろうぜ

10しか知らないけど、政治力一桁はないと思うんだ。
仮にも一軍を率いる身だし、天候を操るんだから軍師級扱いでもいいんじゃね?
861名無し曰く、:2007/12/20(木) 00:02:21 ID:+geUkVd+
>>859
だから他所でやれ
862名無し曰く、:2007/12/20(木) 00:28:49 ID:9Mi2cU+3
>>860
低知力妖術持ちでいいと思う
863名無し曰く、:2007/12/20(木) 03:31:32 ID:Tv0wO4wx
そもそも、基礎能力を評価して決めつけるのは問題だと思う…

例えば、王平なんかもメチャメチャ勉強させれば軍師クラスになるとかな…
864名無し曰く、:2007/12/20(木) 07:56:02 ID:uOTxOYWS
>>863
7、8、10、11なら育成可能。王平に限ったことじゃないが。
初代でもいちおう可能。

6の年齢である程度能力変動するシステムを
個人プレイ作品に搭載してくれれば一番そういうのは楽しめそうなんだがな。
865名無し曰く、:2007/12/20(木) 08:45:35 ID:uOTxOYWS
統率
98 司馬懿
97 周瑜
96 陸遜 曹操
95 関羽
94 ケ艾
93 張遼 孫堅
92 諸葛亮 孫策
91 呂蒙 陸抗 趙雲
90 姜維 羊コ 張コウ
89 カク昭 韓遂 夏侯惇 曹仁
88 張任 徐晃 馬超
87 郭淮 徐盛 皇甫嵩 曹真 夏侯淵 呂布
86 賈ク 張角 盧植 甘寧 文聘 黄忠
85 杜預 羅憲 高順 張飛
84 徐庶 陳泰 審配 満寵 程普 朱桓 于禁 公孫サン
83 張宝 王平 李厳 賀斉 呉懿
82 法正 鍾会 呂岱 太史慈 張燕 麹義 馬騰 曹彰
81 王濬 諸葛誕 丁奉 袁紹 華雄 馬岱 雍ガイ 呂玲綺
80 司馬師 魯粛 田予 孫韶 霍峻 孫桓 ホウ徳 張繍 徐栄 楽進

武力
100 呂布
98 張飛
97 関羽 馬超
96 趙雲 許チョ
95 典韋
94 甘寧 ホウ徳 文醜
93 黄忠 太史慈 顔良 魏延
92 張遼 孫策 華雄
91 夏侯淵 文鴦 周泰
90 孫堅 夏侯惇 徐晃 曹彰
89 姜維 張コウ 呂玲綺 凌統
88 馬雲リョク 関索 王双
87 ケ艾 孟獲 張苞 董卓 陳武
86 曹仁 高順 関興 孫尚香 兀突骨
85 馬岱 韓当 祝融 傳僉 ケ忠 董襲 周旨
84 張任 李厳 楽進 夏侯覇 蒋欽 閻行 周倉 沙摩柯
83 公孫サン 厳顔 黄蓋 紀霊 文欽 鮑三娘 徐質 武安国
82 朱桓 関平 高覧 冷苞 管亥 花鬘 顎煥 胡車児
81 呂蒙 徐盛 張燕 曹洪 孫礼 凌操 李通 張曼成
80 文聘 馬騰 丁奉 張梁 潘璋 方悦 呉蘭 刑道栄
866名無し曰く、:2007/12/20(木) 08:46:32 ID:uOTxOYWS
知力
100 諸葛亮
98 郭嘉
97 賈ク ホウ統
96 司馬懿 周瑜
95 陸遜 荀ケ
94 法正 荀攸
93 徐庶 田豊 李儒
92 劉曄 魯粛
91 鍾会 曹操
90 諸葛恪 程c 姜維 沮授
89 陳宮 呂蒙 賈充 ケ艾
88 黄月英 戯志才 司馬師 張松 カイ良
87 司馬昭 馬謖 陸抗 婁圭
86 虞翻 張角 張紘 陳泰
85 蒋済 曹沖 杜預 馬良
84 逢紀 蒋エン 辛憲英 張昭 歩隲 羊コ 賈逵
83 審配 曹丕 費イ 楊修 楊阜 カン沢
82 王異 華キン 郭図 曹叡 陳珪 満寵 楊儀 盧植 閻圃 ?越
81 郭淮 諸葛瑾 曹植 張宝 陳登 傳カ 貂蝉 鮑信 ケ芝
80 伊籍 黄権 許攸 顧雍 周魴 徐氏 成公英 孫権 張悌 田予 董昭 劉焉

政治
98 荀ケ
97 張昭
96 陳羣
95 諸葛亮 張紘
94 曹操
93 司馬懿 蒋エン
92 夏侯玄 費イ
91 鍾ヨウ 董允
90 顧雍 馬良 魯粛
89 諸葛瑾 孫権 沮授
88 司馬昭 張既 荀攸 カイ越
87 黄月英 韓浩 田豊 杜畿 董和 羊コ 陸遜 劉馥 梁習
86 伊籍 温恢 国淵 周瑜 曹丕 歩隲 カン沢
85 高堂隆 陸凱 陸抗 盧植 賈充 賈逵 賈ク ケ芝 ホウ統
84 郭嘉 厳o 孫乾 満寵
83 華キン 陳宮 陳矯 崔エン 袁渙 麋竺
82 王凌 司馬師 司馬朗 徐バク 曹叡 張松 董昭 傳カ 潘濬 カイ良
81 王朗 虞翻 劉巴 劉表 劉焉 ケ艾
80 王允 王累 王粲 諸葛恪 徐庶 孫登 張角 陳登 杜預 蔡ヨウ 薛綜
867名無し曰く、:2007/12/20(木) 08:47:08 ID:uOTxOYWS
統率+武力+知力+政治
353 曹操
351 ケ艾
350 司馬懿 周瑜
347 陸遜
339 呂蒙
336 姜維
330 孫堅
329 関羽
328 趙雲
326 陸抗
325 羊コ
323 孫策
321 郭淮 徐庶 張遼 陳泰
318 魯粛
316 賈ク 程普 李厳 盧植
315 諸葛亮
314 満寵 司馬師
312 孫権
311 徐盛
310 田予 曹丕

ワースト
21 劉禅
42 黄皓
48 岑昏
52 夏侯楙
59 全尚
66 韓玄
68 劉璋
69 楊松
73 馬バク
78 孫晧
79 曹訓
83 曹芳
88 鄒氏
92 何植
97 尹大目
868名無し曰く、:2007/12/20(木) 08:48:52 ID:uOTxOYWS
>>1のwikiを参考に11の能力値をまとめてみた。
やっぱり昔のシリーズと結構違うな。

とりあえず、武安国の武力が83も有ることに驚いた。
あと陳武の武力87と雍ガイの統率80台。
869名無し曰く、:2007/12/20(木) 09:11:59 ID:Spq511yf
どうでもいい
870名無し曰く、:2007/12/20(木) 22:27:25 ID:geQeqGSk
ビボウをもう少し評価してあげて
871:2007/12/20(木) 22:54:29 ID:P62RurmV
最近の三国志のパラメータは余り不満がなかったりする。
ただ陳登は一回り強くていいな。
あと大男で若い頃はバリバリの実戦派だったテイイクはもう少し武力や統率力を上げて欲しい。
872名無し曰く、:2007/12/21(金) 01:01:37 ID:iSnTq7N+
殷署と朱蓋に夏侯惇・張遼並みの能力をやりたいんですがかまいませんね!?
873名無し曰く、:2007/12/21(金) 01:18:29 ID:SPOZJbT4
>>872
では、雷銅と呉蘭は関羽と張飛並だな
874名無し曰く、:2007/12/21(金) 02:09:49 ID:PzgDnbhX
>>871
裏切り系武将のパラが軒並み低いのを除けばね・・・
軍師や指揮官系武将の武力はもっと下げていい
司馬懿とか陸遜とか
875名無し曰く、:2007/12/21(金) 08:49:38 ID:rTP3JIyz
>>874
陸遜を下げる意味がわからない
876名無し曰く、:2007/12/21(金) 10:08:50 ID:g62qc4V0
戦争での統率と武力の価値が 統率>武力なシリーズなら良いんだろうけど、
価値があまり変わらないシリーズだと
統率90 武力30 の武将と 統率70 武力70の武将が同レベルの戦闘力になるが……。
877名無し曰く、:2007/12/21(金) 10:46:55 ID:y00cQ1zl
武力の判定を一騎打ちと戦法の一部、治安あたりに絞れば差は出るんだがな
革新の武勇高い奴みたいなあつかいにすれば
ただそうなると武力特化型が持て余されるかな
878名無し曰く、:2007/12/21(金) 11:19:30 ID:g62qc4V0
信長なら武勇をオマケ程度の価値にされても良いけど
三國志でそうされると、演義の豪傑みたいなの活躍が無くなるからな。難しいところ。
879名無し曰く、:2007/12/21(金) 14:50:52 ID:2FXcLThR
一軍(ユニット)=一将だと極端になるからな。

銀英伝5みたいに、
一ユニットが複数の将で構成されて、
役職によって求められる能力値を分ければいいかと。

総大将=統率・知略
参謀=知略
前線指揮官=武力・統率
みたいに。
880名無し曰く、:2007/12/21(金) 15:17:05 ID:QIFvqgQf
芝居が統率トップは違和感あるんだけどどうだろう
881名無し曰く、:2007/12/21(金) 15:19:44 ID:KeKBOSjx
明帝の分を吸収してる感がある。
単独で孔明を払える。
882名無し曰く、:2007/12/21(金) 16:55:57 ID:re3nusSb
ゴイ、呉蘭、雷同、張任、厳顔が好きな俺は異端

蜀の2軍は他の2軍よりも気に入った奴が多い。
張任がそのまま蜀に残ってればまた変わってたのかなー
883名無し曰く、:2007/12/21(金) 17:07:35 ID:rXCMr2hN
もしくは宣帝紀バージョンの司馬懿って感じ。
まぁ11の孔明には反則特技『神算』があるので、決して単独では勝てないから演義との兼ね合いは取れてる。
884名無し曰く、:2007/12/21(金) 17:19:40 ID:rXCMr2hN
>>882
張任は蜀には残ってないから歴史に名前を残したんでしょーが…

あっさり呉に降伏しちゃったら傅トウの魅力が台無しなのと同様、
素直に蜀に降伏するよう奴だったなら、わざわざ惜しむ程の人材ではないよ。
885名無し曰く、:2007/12/21(金) 17:58:19 ID:g/f2n1Mv
呉蘭、雷同って正史では劉ショウの部下あがりって記述なかったよね?
魏延なんかと同じ、荊州の人士かな。
886名無し曰く、:2007/12/22(土) 00:55:07 ID:rj0iQa+Y
劉備 84 75 77 82 99
関羽 92 97 75 66 85
張飛 82 98 58 25 56
孔明 89 51 92 97 90
趙雲 85 94 74 60 88
魏延 87 91 68 59 52
887名無し曰く、:2007/12/22(土) 01:36:30 ID:/e/SD1GL
劉備の荀イクとかからの謀略看破とかはあまり知力に還元されてないよな
888名無し曰く、:2007/12/22(土) 02:17:55 ID:WoLb8Ac7
くそげーつまらん
889名無し曰く、:2007/12/22(土) 07:16:00 ID:oCRMlsWp
劉備は過小、五虎は張飛以外過大かと
890名無し曰く、:2007/12/22(土) 08:29:15 ID:YOqyJkP0
11データ
張飛 85 98 30 22 45
馬超 88 97 44 26 82
関羽 95 97 75 62 93
趙雲 91 96 76 65 81
黄忠 86 93 60 52 75
劉備 75 73 74 78 99

関羽、趙雲の知力がやや高め
張飛は知力は完全に演義前半のスペック
馬超の知力は微妙 張飛並な気もするけど
黄忠の知力は演義だとプラスマイナス両方あるからこんなものか

劉備はなんか能力を80台にしちゃいけない縛りがある感じだなw
891名無し曰く、:2007/12/22(土) 09:58:42 ID:MHa7wDw2
俺の場合は11ではこんな感じだなぁ。

劉備 85 73 79 63 99 統率は晩成。他は維持型。
関羽 88 99 70 26 93 関羽の統率は晩成・短。関羽の武力は早熟・短で、219年には92まで落ちる。
張飛 75 97 30 45 23 武力は晩成。統率、政治は覚醒型。211年時で統率は90、政治は50を超える。
馬超 93 87 64 26 87 全能力早熟・短。劉備軍に加入した段階で既に能力はかなり落ちている。
趙雲 81 91 66 60 76 全能力持続・短。
黄忠 83 90 57 52 69 全能力晩成・長。
孔明 87 43 95 100 92 全能力晩成・短。

曹操 99 72 88 94 96 能力は全て普通・短。211年以降メリメリ下がる。特技は虚実→精妙
曹丕 65 71 78 96 87
トン 84 85 63 75 81 特技は騎将→補佐
淵 92 86 54 61 81 特技は急襲→強行
仁 74 71 56 46 66 全能力覚醒型。211時で武力・統率は90台に、知力は70台突入する。
洪 79 81 44 60 54 全能力維持・長。特技は連戦→血路。また、辛ピ、曹休と親密にしてある。
張遼 88 97 68 48 73 統率・武力は晩成型。呂布軍時には、それぞれ80台前半と後半。
張コウ 93 86 69 32 71武力は晩成。知力は覚醒型で北伐時は80台後半。義理は一段階低め。
徐晃 90 88 74 53 66 適性は兵器A→S (関羽の陣を全て破壊した事による
楽進 85 84 62 56 65 全能力普通→維持・短
于禁 84 78 70 57 67 特技は規律→捕縛(官渡で袁紹軍の残党を大量に捕らえた事から
カク 63 28 100 85 77 特技は反計ではなく虚実。統率、武力大幅減は伝でのカク自身の言による。

孫堅 98 90 79 68 86 世紀末覇者。義理低く、野望はMAXの漢室重視。
孫策 92 92 69 79 92 騎兵S→A 兵器A→S
孫権 66 77 80 89 95 特技は指導→造船。 正史に唯一名の載る旗艦を建造している事から。
周瑜 97 81 96 76 93 特技は火神→水神。
魯粛 70 71 92 90 84 武力増は格の記述から。特技は富豪→論客。ゲーム中最高知力の論客。
陸遜 91 74 95 92 85 特技は深謀→火神。夷陵でのそれ。政治増は社稷の臣から。
周泰 76 91 48 38 60 特技は水神→護衛。
凌統 79 87 55 65 71 特技は掃討→護衛。彼の統治はそれなりの物だったとか。
留賛 78 75 64 57 62 特技は推進→楽奏。彼が髪を振り乱し、太鼓を叩いて歌うと不敗だった事から。
潘濬 81 38 82 87 61

袁紹 86 74 75 78 95 適性は槍A→C 騎兵C→A。袁紹軍は全体的に騎兵と弓兵特化に変更。
司馬懿 98 68 91 73 87 特技は深謀ではなく看破。政治大幅減はそちらで功績が無い事から。
892名無し曰く、:2007/12/22(土) 10:03:57 ID:BZ7Fdb6J
正史?演技?
893名無し曰く、:2007/12/22(土) 10:06:40 ID:MHa7wDw2
基本は正史準拠で、演義もある程度表現できるように…って感じだなぁ。
894名無し曰く、:2007/12/22(土) 10:34:09 ID:BZ7Fdb6J
>>891が考え抜いたのはすごく分かるんだがやっぱゲーム上妥協してる感は否めないな。
ここでまたいちいち○○の統率は過大とか書き込んでも話全く進展しないし・・・難しい
演技だけの武将や正史だけの武将はどうしてるの?各能力の平均はどのぐらいなの?
895名無し曰く、:2007/12/22(土) 10:40:03 ID:YOqyJkP0
>>891
コメント付きだと俺能力値も結構面白いな。
その仕様だと諸葛亮は賈ク、周瑜、陸遜には勝てないけど司馬懿には勝てるのか。

>司馬懿
司馬懿の政治って曹爽へのクーデーター等で権力握った業績でプラス補正できないかな。
896名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:02:38 ID:DqcqG1U2
しかし孫堅の統率が98のままなのは…
同じ時代じゃ皇甫嵩のほうが上だろうに
897名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:08:22 ID:MHa7wDw2
>>894
三国志の武将の能力分布平均値は、KOEIデフォだと66〜70なんだよね。結構高い。
で、ゲーム的には政治70と80で建築日数が激減する事から、この値は非常に価値が高い。

潘濬見て分かる通り、正史だけの人物はもうほとんど以下のような感じ。
とても優秀な人物を80以上、そこに及ばない人物を70以上、それ以外は60以下
なおかつ正史で独立伝が立っていて良い諡号のついてる人物から高い評価をつけてる。
演義でも正史でも、名前だけ出て即死亡してるようなのは殆ど落としてるなぁ。

>>895
諸葛亮の知力はこれでも過大だと思わないでもないというか、
むしろ正史諸葛亮の
「二十四年と少しだけ前から仕えてる
十余年過ぎてからちょっと寂しくなった。
一人だけになった後でも 戦える
(でも) 皆を失ったその日から 臣の胸からは空白が消えない」
的な哀愁ただよう最後が大好きです。

>司馬懿の政治って
アレはむしろ曹爽に痛快なまでにやりこめられた末の反逆なんで、プラス要素にはならないと思う。
息子達がアレな事をしたせいで、野心家とか不忠者とか幼子から国を奪ったとか言われてるけど、
三国志でも晋書ともに、政治の実務・政略・野望ともに司馬懿は息子達に及ばず、
読む限り無骨で法に忠実な軍人、丁度ローマのベリサリウスのようなイメージに思える。
898名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:09:59 ID:MHa7wDw2
>>896
すんません。
皇甫嵩だけは個人的に好きになれない理由があって、どうしても高く評価できない。
899名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:11:29 ID:p5SpWzun
>>897
司馬懿の就いた役職って軍事系以外にある? 主簿とか尚書とか
900名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:15:34 ID:DqcqG1U2
>>898
なるほど…出来れば呂蒙の能力も聞いてみたいな
俺は統率は周瑜の下
知力は周瑜の下、陸遜の上
政治は陸遜の下、周瑜の上
魅力は陸遜の上
弩兵B→S(濡須の功績から)

にしているんだけど
901名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:25:48 ID:MHa7wDw2
>>899
一応、文学エンと尚書僕射にはなってますね。
いつの事かはハッキリしないし、どこからそっちのコースから外れたのかも分からないけれど。

>>900
呂蒙は「イジると刮目イベントが起こらない」から弄ってないんですが、
つけるなら、デフォのそれに知力、政治に+5、魅力に+10、弩兵A→S
親密武将に周瑜、甘寧、張昭、蒋欽、孫コウ、陸遜
嫌悪武将にトウ当、劉備って感じですね。
>>900さんとほとんど同じです。
902名無し曰く、:2007/12/22(土) 11:56:04 ID:BZ7Fdb6J
ほおー
じゃあ逆に能力の低い連中の判断はどうしてる?
黄皓やら陳砥やらのいわゆる民を治める政治とは違う政治に優れてる奴とか。
あと田豊を筆頭に政治的理由で史書で持ち上げられた人物。
記述をを鵜呑みに高く設定する?それともそれを考慮して多少正確性を書いても低く設定する?
903名無し曰く、:2007/12/22(土) 12:07:11 ID:BZ7Fdb6J
田豊は筆頭でもないか、陶謙とかに置き換えて。不適切でした。
904名無し曰く、:2007/12/22(土) 12:13:47 ID:Fn5q1/ZQ
陶謙はそんなに能力は高くないな
905名無し曰く、:2007/12/22(土) 12:51:23 ID:MHa7wDw2
陳祇の政治は普通に70代後半としてるな。
黄皓も諸葛センらを騙せる程度の知力にはしてある。
ただ、彼は実務能力があったわけじゃないので、政治は悲惨な数値のまま据え置いてる。
双方とも、親密と嫌悪で派閥作ってるんで、ありとあらゆる方面で能率が悪くなってる。
諸葛センらも同様。派閥関係で相当ギクシャクした事になってる。

どのような場合でも、能力と別に親密・嫌悪を設定する事でかなり活躍の幅が減る。
たとえば黄皓の場合、統率の高い人達の多くと仲が悪いので、折角の知力が殆ど生かされない。
だから、悪い奴だからと言って点を辛くつけたりはしないなぁ。

田豊に限った事じゃないけど、記述が乏しい武将はちょっと抑え目にしてるな。
分からんものは分からんものとして扱ってる。
良く分からん人より分かってる人の方がキャラ立てしやすいし、愛着も湧く。

陶謙は、各伝での登場回数が多いので相当詳しい所まで分かる。
能力については早熟・短にしておけば、黄巾時には将軍としてバリバリはたらいていても、
194年には「昏乱して憂死する」状態を表現できる。
嫌悪に孫堅、孫策、張c、張温、義理:低め/野望:高いとしてるな。
906名無し曰く、:2007/12/22(土) 15:11:20 ID:+47jU0d4
呉の地味な連中に70、60、70、70、70みたいなのが多過ぎで笑えるよな
個性も出せないような連中ならそもそも70三つ四つとかやるなよなあ
907名無し曰く、:2007/12/22(土) 17:20:07 ID:YOqyJkP0
>>897
まあ多少自己正当化が入ってるにしても
正当防衛っぽく描かれてるからか>司馬懿

>能力の平均値
昔、11のだけ調べたら(>>112)能力の平均値自体は意外とおとなしめだった。
でも能力値の分布自体だと70台付近は結構多いか
908名無し曰く、:2007/12/22(土) 18:38:12 ID:78FKB1rC
>>891
乙。かなり良いんじゃない。
気になる点もあるけど細かい事は置いといて
成長型や人間関係まで及んでいて好感がもてるし
地雷とされる11にも少しだけ興味が出た。
909名無し曰く、:2007/12/22(土) 19:17:38 ID:BZ7Fdb6J
>>905
なるほど。確かに知力換算なら違和感ないし早熟晩成を入れればうまく表現できる。
親密嫌悪って言うと袁家と呉をどうしてるか気になる。
とりあえず呉は詳しくないので割合するけど袁軍の大まかな線引きは
沮授田豊審配張コウ呂曠呂翔高覧 袁尚
郭図逢紀淳于瓊許攸荀シン王脩辛評孟岱 袁譚
ざっと考えてもこれだけの対立がある上に逢紀が袁尚に鞍替えしたり。
ここら辺はどう表現してる?
910名無し曰く、:2007/12/22(土) 19:38:26 ID:p5SpWzun
>>909
逢紀は元々審配と一緒の袁尚派だぞ。袁譚の所にいたのは袁尚が放った目付け役。
尤も袁譚に殺された後、仲の悪かった審配に逆臣扱いされ、殺害を賞賛されてるがな。
911名無し曰く、:2007/12/22(土) 19:46:34 ID:BZ7Fdb6J
袁尚派というか、元々朝廷の官で袁紹が落ち延びるときに付き従ってきた=冀州での権力を持たない
となれば郭図らと共に袁譚を推すのが道理のはずなのに、袁尚支持に回った
という意味で鞍替えという言葉を使ったのだけど分かりづらくて申し訳ない
912名無し曰く、:2007/12/22(土) 19:54:43 ID:p5SpWzun
>>911
袁紹に付き従っていたなら、主君の寵愛を受けている三男を推すのが普通じゃない?

まあ、逢紀は袁紹に好意を持っていてもいいかもしれない。
袁尚の方はどうだろうかな、審配に二股かけていたような非難を死後受けてるから、
好意は持たせずに相性を今の110(袁紹・袁尚は101、袁譚86)から96ぐらいにしておくとか。
913名無し曰く、:2007/12/22(土) 19:56:02 ID:YOqyJkP0
相性が良いもの同士で仕事させると効率が良い、とか
3、4あたりで有った気がする。
10で¥には勢力別相性以外に出自(?)相性が有ったりしたから
そういうの組み合わせれば表現できるな。
914名無し曰く、:2007/12/22(土) 20:29:16 ID:BZ7Fdb6J
>>912
普通に考えればそうなんだけど、袁紹に身一つで従ってきたのにも関わらず官は無く、
冀州、審配ら冀州土着の権力者らには比べられないほどの軍権がある。当然不満も危機感もあったろう。
そこで同じく食客の郭図は兵権分散を献策し冀州豪族沮授の軍権を分割させそのほとんどを取り入れた。
また官渡を経て逢紀は土着豪族である田豊の殺害を献策し実行させた。
袁紹死後は土着豪族は審配を筆頭とし寵愛を理由に袁尚を推した。
それに対し郭図らは年長者という大義名分があり袁軍主力である青州兵らの本拠青州の刺史袁譚を推した。
ここで土着豪族である田豊の殺害を献策し実行させた逢紀は郭図らに同調するのがまず道理のはずなのに、
袁尚を推した、ということは鞍替えかなと個人的には思うんです。
915名無し曰く、:2007/12/22(土) 21:53:20 ID:+gObaeLv
>>896
>同じ時代じゃ皇甫嵩のほうが上だろうに
そりゃメインの活躍時期が違うからでしょうよ。

皇甫嵩の活躍は黄巾の乱までがピークで、その後の西方鎮圧中に(逆恨みで)失脚して一線から退いてる。

孫堅は逆に黄巾の乱で名を上げて、皇甫嵩失脚後の西方鎮圧の功で長沙太守となり、
一軍の頭領として破竹の快進撃を見せるのは対董卓戦線において。
皇甫嵩の時代には彼の同僚の朱儁の部下だから、そりゃ皇甫嵩の方が上だよ。
916名無し曰く、:2007/12/22(土) 22:00:40 ID:p5SpWzun
>>914
袁尚も「袁紹の遺言」という大義名分があるんだけどなぁ
そっちも大義名分としては立派なものじゃないの?
917名無し曰く、:2007/12/22(土) 22:32:24 ID:BZ7Fdb6J
>>916
もちろんそれも大義でしょう。当時の価値観は何にしても儒。とすれば年長者というのはそれだけで大義
=遺言となればそれは考、つまり大義名分になりえる。利のない看板は誰も掲げないということですわ
何にせよ豪族を排除しようとした側であると推測できる逢紀が豪族側に付くのは筋ではないと思わない?
こう見るとうまく兵を得た郭図に対抗しようと有力者の審配を弁護して抱え込んだと見れなくもない
郭図−逢紀 は険悪でいいかもね。 審配−逢紀 はどうしたもんか微妙だけど。
郭図−沮授 逢紀−田豊 郭図−張コウ も険悪で 郭図−淳于瓊−袁紹 袁紹−逢紀 は親愛
当時の袁紹の辛さが出てきていい感じかも
918名無し曰く、:2007/12/22(土) 23:12:56 ID:iYoSyxTm
豪族の発言力を削いでいって最後に残った審配に粉々にされるあたり、因果応報。
919905:2007/12/23(日) 01:55:26 ID:mgZqoDeR
>>909
袁家の御家対立はイベントで割れちゃうから、実はそこまで厳密に考えなくても成立するんだよね。
新武将なら袁紹死亡時に青州にいれば袁譚派、それ以外にいれば袁尚派になる。
個人的にはあくまで兄弟対立は巨魁・袁紹が死んだ後に表面化した物だと思ってる。
だから、デフォで親密・嫌悪関係を加えておく事はあまりしないなぁ。

袁紹生前に表面化したのはむしろ、ソ授らと袁紹&幕僚らとの間での主導権争いだよね。
そうすると、>>917みたいなのが良いかも。
自分は蒋義渠を蒋奇であると仮定して、ソ授-蒋義渠-張コウ-高覧を親密とし、
郭図、審配の両軸と対立させてる。

袁兄弟の対立も面白いけど、新武将で魯王・孫覇を作り、二宮の変を再現するのも面白い。
920名無し曰く、:2007/12/23(日) 22:09:27 ID:S+LcfuSM
関羽の魅力は高すぎ、85位が妥当
921名無し曰く、:2007/12/23(日) 23:38:25 ID:M/0h+Qs7
高ぇな64くらいでいい
922名無し曰く、:2007/12/23(日) 23:41:31 ID:8ONAmcnH
魅力って人材登用に関する能力だろゲーム的に
だったら関羽は50代でもいいぐらいだ
923名無し曰く、:2007/12/23(日) 23:42:34 ID:ns++FpAz
じゃあ朱桓は?
924名無し曰く、:2007/12/23(日) 23:58:41 ID:mgZqoDeR
魅力って殆ど意味の無いパラなんだよな。
募兵は作ってでも名声持ちにやらせるのが良いし、登用だのは論戦かませばOKだし。
人間関係を表現するなら、親密嫌悪だけで十分いけるし。で。
925名無し曰く、:2007/12/24(月) 00:05:38 ID:q6PXRZqg
>>920ー922
お前らは関羽の髭を過小評価している
926名無し曰く、:2007/12/24(月) 00:10:26 ID:EQcpsMWR
魅力は処断のされやすさに影響を与えてる
関羽は結局処刑されたんだし魅力15くらいでいい
927名無し曰く、:2007/12/24(月) 01:20:28 ID:Po4Miz6s
曹操の魅力は30代でじゅうぶん
928名無し曰く、:2007/12/24(月) 01:52:02 ID:ORzvLrGp
>>927
曹操の交友関係めっちゃくちゃ広いぞ
初期曹操軍団はそれこそ劉備並みに諸侯諸将に担がれていたことをお忘れなく
929名無し曰く、:2007/12/24(月) 05:52:23 ID:WxVqIWMk
嫌ってる奴もすごく多いが心酔してしまってる奴も多いという結構極端なのが曹操だと思うんだ

曹操の魅力自体はは据え置きで相性悪い奴を増やせば良いかと
930名無し曰く、:2007/12/24(月) 06:55:38 ID:SHhuM+BM
>>926
つ 劉虞
931名無し曰く、:2007/12/24(月) 10:31:41 ID:WxVqIWMk
>>930
劉虞は袁紹とかから皇帝に担ぎあげられそうになったくらいだから据え置きでいいんでは??

まぁただ単に利用しようとしただけだろうが

関羽に関しては魅力50〜70でいいかも
932名無し曰く、:2007/12/24(月) 10:42:42 ID:XAQNh+TE
>>929
それは関羽にも言えるな。
まあ、関羽の場合嫌ってる奴の方が少ないが。
魅力は据え置きでいいだろう。
ある意味、単なるオマケみたいなもんだし。
933名無し曰く、:2007/12/24(月) 10:48:30 ID:wnU09aJl
演義的に言えば関羽の魅力は高いと思うぞ。
曹操がその人格にも惚れ込み、山賊連中から敬愛され(寥化、周倉)
そこらの名士から息子を養子にしてくれと頼み込まれ(関平)
934名無し曰く、:2007/12/24(月) 11:43:40 ID:4//VUll9
嫌ってる奴が多くてもそれ以上に慕われてれば、魅力が高いなら孫策はもっと高くていいな
935名無し曰く、:2007/12/24(月) 11:49:48 ID:SHhuM+BM
良いんじゃないかなぁ。
劉備なんか凄まじい数から「胡散臭い男」と嫌われてるのに、99だし。
936名無し曰く、:2007/12/24(月) 12:06:21 ID:ORzvLrGp
>>934
孫策は慕われてる者より嫌ってた奴のほうがはるかに多かったと思うぞ
正史読めば判る(魏や呉の各伝)
ただ陳寿が孫権嫌ってた所為で孫策にフィルター掛かってたけどな
937名無し曰く、:2007/12/24(月) 12:15:43 ID:n4DUggHo
劉備が支持を得ていたのは法家思想の持ち主である曹操とまだ儒教に依存している社会という側面があるわけで
軍をもって国の基礎を建てその野心疑う所のない孫策が江南豪族や士大夫達の反感を買わないわけがない
938名無し曰く、:2007/12/24(月) 12:26:23 ID:wnU09aJl
>>935
劉備の99は演義準拠だろ。
あとは正史の「高祖っぽい」補正か。

11の孫策の魅力は92なんだけど十分じゃないの?95くらい欲しいとかそういう微妙なレベルの話?
知力や政治が昔より落ちてるからそっちで表現してる気がする>恨み
939名無し曰く、:2007/12/24(月) 12:35:23 ID:SHhuM+BM
>>938
俺はまぁ「92で不満な人は上げても良いんじゃないの」という考え方だな。
940名無し曰く、:2007/12/24(月) 12:36:47 ID:Apc6uHkr
>>935
正史での他者の劉備評はそれ以上に高評価なのが多いよ。
941名無し曰く、:2007/12/24(月) 12:46:09 ID:SHhuM+BM
どちらかを持ち上げて貶める意図は無いです。念のため。
942名無し曰く、:2007/12/24(月) 13:38:15 ID:4//VUll9
孫策の場合、政治的な難しさの−は知力や政治に出てる気がする
曹操はともかく、関羽も性格面での−政治に反映されてるっぽいし(潘濬の功績かもしれないが、荊州の統治が良かった割に政治が高くはならない件)
だから、孫策も弟ぐらいでと思ったんだが・・
上位のランキング見て気が変わった
95ぐらいだと思って周瑜が孫策と同じで、周瑜より上は違和感があるなと自分で思い直した
943名無し曰く、:2007/12/24(月) 16:14:01 ID:yj4d1/m6
カリスマ性は孫策の方が上じゃない?
944名無し曰く、:2007/12/24(月) 16:32:06 ID:ORzvLrGp
>>943
孫策伝を額面通り受け取ると・・・だが
あれは主君につけられる定例文句に満ち溢れてる
その辺は割り引かないと
普通に周の若様の方が上だろ
945名無し曰く、:2007/12/24(月) 16:41:44 ID:4//VUll9
孫策のカリスマ性も特筆すべきもの・・だけど
やはり周氏の影響を含む周瑜の存在の大きさと万人に慕われた周瑜は呉では魅力が一番じゃないかなと思う
顔がいいからとかじゃなかてねw
946名無し曰く、:2007/12/24(月) 17:25:38 ID:X7Xl0WgA
孫策の魅力って
体育会系運動部の主将程度にしか感じない
その魅力はクラブのメンバーだけで他には通じないだろ
947名無し曰く、:2007/12/24(月) 18:30:16 ID:NgQU3U0T
キレイの武力は90あっていいだろ
948名無し曰く、:2007/12/24(月) 18:53:59 ID:HUAzmJXa
孫策のカリスマ性は、周瑜が従っているって事によって大きく強化されてると思う。
また父の時代から従っている部将らが持ち上げてくれた事も小さくない。
孫策個人だけでは呂布のダウングレード版ってイメージがあるな。
949名無し曰く、:2007/12/24(月) 18:56:49 ID:URLfIwzl
魅力は策>瑜だろー。
二張にしろ虞翻にしろ、孫策の求心力は凄い。
周瑜が孫策の代わりに江南で旗揚げしたとして、
孫策以上に人士を糾合出来たかは疑問だ。
950名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:15:59 ID:I8lprrcb
堅の倅って部分が一番大きいと思うけどな

旗揚げした策を知って惹かれた人間もいるだろうけど
まず旗揚げ自体が堅の遺徳みたいなもんじゃね
951名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:18:18 ID:ORzvLrGp
>>949
稀なケースで求心力は凄い。・・・と言われても
求心力なら孫権の方が上。
孫策の時代にどれだけの人材が北に逃げたか、隠棲したか知ってて言ってるのか?
952名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:23:27 ID:YTLM/Gq9
実際孫策がおっちんだときには、権じゃ人心が離れ、
家臣が離散しつつあったから、
地元の名士や豪族を次々に招聘して、権力基盤を補強したくらいだからな。
つまりそれだけやってやっと五分。
周瑜がいち早くひざを屈して、立ててあげたのにねえ。
>>948
正直呂布の魅力は低すぎると思う。
放浪軍を維持してきたわけなんだから、それなりの魅力はあってもいい。
最後裏切られたわけだけど、裏切りくらいはみなあっているし、
そこまでさげんでも、
曹操が呂布に討ち取られていたら、曹操も魅力があんな感じだったのかもしれん。
>>920
いまだに非常に人気があるわけなんだから、
それなりの高い数字になるのは当然かと。
基本ヤクザな人なんで、(昔のヤクザです)人気のある人が限られているというか、
民には慕われても、支配層からは嫌われるというか、民、兵からの人心掌握には長けているが。
登用だと微妙。
ゲームだと、民忠と兵士の士気が高くなるという感じで。
ていうかのぶやぼみたいに出自を作って、それで登用の成否を決めればいいんじゃないかなあ。
953名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:27:39 ID:ORzvLrGp
>>952
>実際孫策がおっちんだときには、権じゃ人心が離れ、
策の苛政の反動とかと
生前から燻ってたし
その後立て直したのは権の器量だよ。無論周瑜のバックアップあってこそだが
954名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:30:12 ID:ZvSxF0PA
>>952
呂布の魅力の低さは個性って奴だよ
955名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:40:26 ID:YTLM/Gq9
>>953
それがカリスマなんじゃないの?
燻ってても、表面化せずに、統治しているんだから。
>>951
といっても、権にかわって、人が離れた、
だから近隣の著名人を集めたというのは正史にも触れられているし。

内閣でいえば、最初は支持率があるから首相のイエスマンや若手のやり手で固めた、
支持率落ちてきら、派閥のボスもいれて、党内融和に心がけました。
前者が策で、後者が権なのはあきらか。

稀なケースとするのは間違いでないかな?
策はワンマンでありながら、そういった有名人が集まってきたんだからね。
956名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:42:27 ID:n4DUggHo
暗殺されたのを表面化と取らないのならそうだろうな。
957名無し曰く、:2007/12/24(月) 19:58:57 ID:YTLM/Gq9
だって暗殺したのって、許貢のところの食客だろ。
たった数人に怨まれて暗殺計画をねって、それがたまたま成功しただけで、
表面化というのは間違いだろ。
958名無し曰く、:2007/12/24(月) 20:00:17 ID:NjuJr5+y
>>955
人心掌握には本人の器だけでなくてそれまでの実績の影響も大きいんだから、
政権交代時のバタバタを一個人の器の差に結論付けるのは無理があるでしょ
孫策だって旗揚げ即この陣容になったわけじゃない
その上なんらかの段取りを踏んでの政権交代でなく、当主の急死によるものなんだし

むしろこのケースは孫策+実績=孫権+融和策で、孫権の卓越した統治手腕が評価されんじゃないか
959名無し曰く、:2007/12/24(月) 20:03:12 ID:wnU09aJl
1人の許貢の後ろには100人の許貢が居たと考えていいんじゃね?
表面化と言うほどじゃないにしろ、孫策に対する不満が燻ってなかったら起きなかった事件だろう。
ただし、それはあくまでも政治的な問題で有って
孫策個人のリーダーとしての魅力とはほとんど関係無い部分だと思う。
960名無し曰く、:2007/12/24(月) 20:18:28 ID:YTLM/Gq9
>>958
周はもちろんのこと、二張やらも楊州制覇前じゃなかったっけ?
陳武、凌操も制覇前。
旗揚げと同時に集まった人材も結構いたと思うけど、
もちろん実績を上げてから集まってきた人もいたのは否定しないけど、
旗揚げ当時から、かなりの人間が集まっていたよ。

>>959
不満っていっても、許貢の食客が策を怨むのは当然だろ。
それと、楊州全体の不満を同一視するのは暴論だろう。
そりゃ侵略者なんだから、多少怨まれているのはあるだろうがな。
961名無し曰く、:2007/12/24(月) 20:40:00 ID:caK99jeK
孫策の場合、短期間で膨張したせいもあって地元の有力者や名士連中に
阿るわけにもいかなかったろうな
創業者ということもあって、不穏分子は粛正していく方が早いし
北には曹操と袁紹の二大勢力

問題は身辺警護を軽視したことに尽きるとも
962名無し曰く、:2007/12/24(月) 20:42:09 ID:ORzvLrGp
>>960
>陳武、凌操も制覇前。
武官はこの際含めない方がいい
政治的にはあんまり関係ないし
策を嫌ってあえて仕官せず、権の時代に初めて仕官したと書かれている家臣の多さを考えると
許貢の食客の一件は氷山の一角に過ぎないと見ることが出来る。
実際に北に逃げて曹操に仕えた者も多い。
963名無し曰く、:2007/12/24(月) 20:48:25 ID:SHhuM+BM
ニ張に周瑜がいてなお江東の人士を従えられなかったのが孫策の限界であり、
やってのけた孫権の凄い所なんだろうな。
964名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:05:57 ID:wnU09aJl
>>960
いや、しっかり同時代人に「殺しすぎた」って言われてるじゃないか。
たまたま暗殺計画が上手く行った許貢(というか食客だけど)一人だけが孫策に恨みを抱いてわけじゃないだろ?
965名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:08:08 ID:wnU09aJl
ええとね、実際に殺されちゃったのは>>961も言うように
単に身辺警護を怠った短慮が原因だろうけども、
それを「孫策に不満を抱いていたのは許貢の食客ら数人だけ」っていう風に取るのは間違いだろう、と。
966名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:20:24 ID:YTLM/Gq9
>>962
だけどその後呉で活躍した奴って、たいてい策が集めた人材だぞ、。
権があつめたのって、徐盛とかくらいしか思いつかん。
呂蒙は微妙だなあ。
どっちかというと、策のほうが集めているだろ。
>>964
一人とは思わんが、明確な理由がある食客たちを氷山の一角とするのは無理がある。
どのような統治をしようと怨まれることはあるんだから、
怨まれることはある、だがそれ以上に慕われていたから、あれだけ人が集まったんだろ。

それに権だって、些細なことで罰を与えたり、殺したりしたといわれているぞ、
それで酷評されていたりする。
967名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:23:48 ID:LD/LoUSM
つまりは孫策の知力下げようぜってことだな。
968名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:27:35 ID:FUumAQqz
「孫策に不満を抱いていたのは許貢の食客ら数人だけ」っていうことはないだろうけど
短期間に支配から外征してる割に反乱もないし江東の統治は上手くいっているでしょう。

許貢の件だって身辺警護を怠らず孫策が殺されなければそこで終わりだっただろうしね。
969名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:30:20 ID:wnU09aJl
>>966
俺はそもそも魅力じゃなくて政治関係の能力についての話つもりだったんだ。(>>959)

最近だと孫策は知力政治が低めになってるし、
孫権も前半生と後半生の落差のせいか能力値がおとなしめになってるし。
970名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:40:19 ID:ORzvLrGp
>>966
諸葛謹、魯粛・・・ニ張に周瑜を別格にすれば圧倒的に権時代の人材が多い
朱氏は親父の代からだしな・・・
971名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:41:43 ID:YTLM/Gq9
魯粛は策が独立したときに、周ユがつれてきたんだけど。
972名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:48:33 ID:jJZcJZyj
>>966
孫権が新たに招いた代表格というと、諸葛瑾・歩隲・顧雍・陸遜あたりかねぇ…
特に揚州南部(呉郡や会稽郡あたり)の有力豪族を抱え込むのに成功したのは孫権の功績。
周瑜は同じ揚州でも北部の人間だから、どっちかというと江・淮地域の人間だし。

人材面で言えば孫堅・孫策・孫権と三代に渡って段階的に集めているんで、
どの時期も同じくらい重要で、孫策だけがということもないでしょう。

孫権政権が孫策の多大な恩恵で成り立っていることも事実だが、
さらに孫策も父孫堅の武名の影響無しには語れない。

勿論孫策には孫堅時代にはないものを沢山持ってるし、
それは孫権にも言えるはず。
973名無し曰く、:2007/12/24(月) 21:50:26 ID:4//VUll9
>>971
正確には分からないが、策に仕えるつもりだったのにあっさり死んだから呉を見限って北へ行くつもりのとこを周瑜が説得したという流れだった様な
策でないとしても、権ではなく周瑜だな
974名無し曰く、:2007/12/24(月) 22:03:02 ID:Oyknd56L
孫策の人材だってたいてい周ユが集めたのかも知れんがな
975名無し曰く、:2007/12/24(月) 22:23:58 ID:YTLM/Gq9
周ユは孫策だから忠誠を誓ったわけだが。
976名無し曰く、:2007/12/24(月) 22:42:22 ID:4//VUll9
周瑜がいたから呉に仕えたっぽいのは魯粛とホウ統ぐらいで、後は断言は出来ないな
前者はむしろ策と馬が合いそう過激派だが、それを使いこなす権の度量があったこそだけど
977名無し曰く、:2007/12/24(月) 22:44:25 ID:jJZcJZyj
>>974
張紘を引き入れた時とかを見るに、
独立直後ぐらいまでは孫策本人の力が大きかったのは間違いないんじゃない?

例えば二張クラスになると世の並居る大物や名士に招かれても応じないような、ちょっとした隠者だから、
いくら名家とはいえ、若い周瑜がちょっと話を通したぐらいでホイホイ着いてくるような人間ではないし。

あの逆境にあって尚人を惹きつけることができる、一種のカリスマ性を窺うことのできる好例だと思う。



これが揚州平定〜になると、本人の魅力以上にその軍事勢力に靡いた層が多いそうだし、
(周瑜もそうだが)張昭の影響が無視できない。
978名無し曰く、:2007/12/24(月) 22:52:00 ID:BUfvJ9ML
孫輔とか李術なんて、策が死んだとたん謀反おこしてたしな
979名無し曰く、:2007/12/24(月) 23:00:20 ID:FUumAQqz
>>972
呉郡の豪族だと客分として陸績が末席にいたし有力とまではいかないが全柔もいる。
会稽に関しては虞翻や賀斉など孫策の代に有力豪族が揃ってるね。
豪族への対応は呉夫人がかなり気を遣ってたっぽい。

>>973
韋昭の呉書だと孫策に目通りし認められてるみたい。
元々関係があったのは周瑜だし策死後に説得したのも周瑜だね。

>>974
周瑜はすぐに孫策の元から離れてて戻ってきたのが198年だから…

>>976
龐統は上の人間が変わればそのまま付いていくんじゃないかな。
980名無し曰く、:2007/12/24(月) 23:14:04 ID:4//VUll9
>>979
そういや、そうだ
叔父の関係で立場的には袁術の将の一人のはずだからね、それまでは
だから、孫策と別行動とったし

ホウ統は周瑜が死んだらあっさり劉備についたからねぇ
荊州の支配者が劉備に変わったからかね?
981名無し曰く、:2007/12/24(月) 23:21:54 ID:jJZcJZyj
>>979
周瑜と張昭の関しては、
「この二人が居たために孫呉には多様な人材が集まった」と弁亡論などに書かれるくらいだから、
人事面ですこぶる大きな影響があったことは疑いないハズ。
982名無し曰く、:2007/12/25(火) 00:00:07 ID:EIohhVgl
>>980
反曹操だったら劉備の下にいるだろうし襄陽から南郡にきた経緯が分からないけど
南郡の支配者なら誰でもいいような気が…潘濬みたいなものかと

>>981
弁亡論を引用するなら孫策は名士を礼遇し傑物と交流し配下にしたという箇所も入れて欲しかった。
もちろんその二人の影響は大きかったと思うけどね。
983名無し曰く、:2007/12/25(火) 01:05:11 ID:wo6xIKr2
>>951
孫策の時代にどれだけの人物が北に逃げたか、隠棲したか教えてくれないかな。
ただし、揚州制圧の戦乱を回避したと見なせそうな人物と、
孫策と因縁浅からぬ劉ヨウ、陸康の一党は除いて。

あと許貢は周グを殺害してるような人物だし、
彼をもってして孫策に反感を持った揚州名士の代表と考えたくはない。

それと孫権も盛憲のような名望家を殺しているし、
孫策と孫権の行いを正反対にとらえるのもどうか。

劉ヨウ、陸康の一族も結局は孫家に仕えることとなるし、
孫権の時代に仕官することになった人物群の存在というのは、
孫策と孫権の施策の違いを起因とするというよりは、
急激な地域制圧により生じた、仕官のタイムラグ的なものもあったんじゃないか。
孫策がそのまま死なずにおれば普通に仕官したようにも思えるんだが。
984名無し曰く、:2007/12/25(火) 03:38:00 ID:hi1DW4fM
>>983
孫策の任用を避け北へ逃げ帰った人
徐エキ、王朗、陳矯、徐宣

孫策を恐れて彼から逃げた人
許靖

孫策に殺害された名士
高岱、ウ吉

孫策につけ狙われた人
盛憲(殺したのは孫権だけど)

孫策に危うく殺されそうになって呉夫人に助けられた人
魏トウ

ざっと調べてこれぐらい居る

郭嘉伝で孫策の殺した連中は英雄(この場合は名士層を意味する)豪傑ばかり、
盛憲の箇所で名声ある人物を妬んで殺害してた件があり、
状況的に孫策に進んで仕えにくい。
戦わず孫策に下った華キンも隠者の恰好で孫策を出迎えたところをみると
孫策に仕えたのは本意ではなさそう。死後さっさと北へ帰ったし。

>孫策がそのまま死なずにおれば普通に仕官したようにも思えるんだが。

・・・はいったい何を根拠にして言ってるのだろうか?
985名無し曰く、:2007/12/25(火) 04:47:04 ID:PCJcSg2O
ウ吉なんて単なる怪しいおっさんでしょ
986名無し曰く、:2007/12/25(火) 05:34:00 ID:RVlImKq9
>孫策に仕えたのは本意ではなさそう。死後さっさと北へ帰ったし。

孫策だから使えたんであって、孫権にはその器量がないと見限っただけだろう。
987名無し曰く、:2007/12/25(火) 05:55:46 ID:ZHWRApVW
まあ、ものは言いようだな。
988名無し曰く、:2007/12/25(火) 08:16:40 ID:FA/+Zn3d
華キン、王朗が曹操の下に行ったのは、他ならぬ曹操本人からのお呼び出しがかかったからなんだよな。
それに王朗は逃げたわけでもなく、呼び出しかかるまで失業状態で貧乏してたって話だぞ。
989名無し曰く、:2007/12/25(火) 10:35:46 ID:y+3/24ZR
>>988
>呼び出しかかるまで
この呼び出しって孫策からの?曹操からの?
後者なら「孫策を避けて北へ逃げた」と解釈もできると思うけど。

あと前の周瑜論もそうなんだが、今の議論って孫策らのどの能力について話してるかはっきりしてくれよ。
そして具体的にどの程度の値にしたいのか方向性くらいはっきりしてくれよ。

孫策 92 92 69 70 92
周瑜 97 71 96 86 93
孫権 76 67 80 89 95
990名無し曰く、:2007/12/25(火) 10:38:02 ID:y+3/24ZR
真面目に考察だけ語りたいならこっちのスレにネタ提供しに来てくれよ
【三国志】呉総合スレ6
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1171017047/
周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 陸抗 呉の軍師を語るスレ 6
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1172851980/
あんまり人居ないけど面白いネタがでたら食いつくから
991名無し曰く、:2007/12/25(火) 11:55:10 ID:lSbjvexh
人を殺すのが大好きな孫兄弟に魅力90↑なんてありえないな
70−75くらいで十分
992名無し曰く、:2007/12/25(火) 12:02:21 ID:uj4Lc1sv
>>985
中国の宗教史ではかなり有名。
妖術とかじゃなくて、歴史的に有名。
993名無し曰く、:2007/12/25(火) 12:02:44 ID:i4OO7i0Q
曹操も大好きですが
994名無し曰く、:2007/12/25(火) 12:07:52 ID:vXBXHs0s
埋まる前に次スレ頼む
995名無し曰く、:2007/12/25(火) 12:56:44 ID:y+3/24ZR
次スレ建てた
三国志で過大過小評価されている武将 十三人目
http://game13.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1198554951/
996名無し曰く、:2007/12/25(火) 13:36:36 ID:4VvRHfcJ
太平道開祖のウ吉とは別人じゃ?
997名無し曰く、:2007/12/25(火) 14:11:25 ID:i4OO7i0Q
ume
998名無し曰く、:2007/12/25(火) 14:35:38 ID:MCTgRfMW
孫堅策の過大評価にはいつもうんざり
999名無し曰く、:2007/12/25(火) 15:37:21 ID:lqAEhIsC
>>1000は目前よ!急げ急げぇー!
1000名無し曰く、:2007/12/25(火) 15:56:49 ID:36NYuxvk
1000ならコーエー三国志打ち切り
10011001
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