983 :
名無し曰く、:
以下埋め立てを兼ねた、チラシの裏的長文。ソースはない。妄想なので読み飛ばし推奨。
たまに「コーエーが三國志にしろ信長の野望にしろ、過去の作品のいいとこ取りをしたものを
作らないのは、そうすると最新作以外が売れなくなって不良在庫を抱えることになるから」
という意見があるけど果たしてそれは本当だろうか、と疑問に思う。
以前の作品をベースに改良していく方が毎回1から作り直すより開発費は掛からないはず。
(あくまで「はず」、先入観なので、シミュレーションゲームのシステム改良は
新規開発するよりもかえって開発費が掛かる、とするデータがあるのかもしれない。
もしあれば教えて欲しい。)開発費が掛からないのは何よりもコーエー自体に悪いことではない。
作品の価格も抑えることができる。加えてバグの防止や発見も容易になる。
不良在庫のリスクを考えても得。だいたい過去作の在庫処分方法なんていくらでもあるはず。
ではなぜそれをしないのか。「コーエーはそういう非効率的な企業なんだ」で
終わらせることもできるけれどもう少し合理的な理由を考えてみることにする。
984 :
名無し曰く、:2007/01/21(日) 22:40:03 ID:DwyCqmie
歴史ゲームを初めてやる人に要求されるのは何か、を考える。まずは題材となっている時代、
例えば三国志、例えば戦国時代の知識。それとゲームシステムの理解。
新しく始める人の中にはもちろん、歴史関係の知識もない、シミュレーションも初めてと
いう人もいる。そういう人たちは両方を0から覚えないといけない。
そして覚えることが多過ぎるとやらない人も出てくる。
従って歴史の知識とゲームシステムのどちらか、あるいは両方のレベルを抑えないといけない。
自分はここにシステムを毎回リセットする理由があるように思う。
毎回システムを新しくするのは、新しく始める人も前作からの人も対等にするため。
更に新要素を売りにすることもできる。半面、好評だった要素は受け継がれない。
思考ルーチンは進化しない。バグも取り切れない。時代考証的におかしい部分も出てくる。以下略。
985 :
名無し曰く、:2007/01/21(日) 22:41:11 ID:DwyCqmie
外国のメーカーの作った歴史ゲームはコーエーよりも作り込んである、とよく言われる。
でも洋歴史ゲーは全般的にコーエーゲーと比較して歴史の要素が少ない。
少ないという言い方が悪ければ、少なくとも人物中心の取り上げ方ではないから
ゲームに出てこない部分の知識は必ずしもいらないようになっている。
システムと歴史の要素をうまく一体化させてあるという言い方もできる。
だからゲームシステムを作り込んでもユーザーへの要求レベルはさほど高くならない。
仮に要求レベルが高くなってもチュートリアルを充実させたり体験版で慣らしたり
すればいいことで、それ以上はユーザー側が努力すべきことだと思っている、ような気がする。
仮説要約:洋ゲー各社とコーエーとでは考え方が根本的に違う。
洋ゲー各社はシステムを作り込んで行けば自ずとプレイヤーが増えると思っている。
コーエーは作品毎にシステムを変えることが新規プレイヤー獲得に欠かせないと思っている。