【始末屋】死体蹴りスレ【自演乙】XXVI

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758俺より強い名無しに会いにいく
今更ながらのスポーツの道義を論じた私に対して、罰ゲームのある遊びの存在が反証として提出された。
「羽根突き(羽子板?)の墨塗り」だ。

今頃そんなことやってる奴見たことねーぜ? よくないことだから誰もやらなくなったんだよ!
なーんてレベルの低い反論は、ここの肯定派・否定派諸君ともどもがやりそうだが、私はナイスガイなのでそんなつまらない反論はしない。

私の答えは2つある。本当の答えは後者であり、前者はどっちかというと説得テクニック的見解だ。これで納得してしまえるDQNが間引かれればという願いを込めた反論である。

1つは、羽根付きで墨を塗るのは基本仲間内であり、そしてそこにはコミュニケーションがあるが、格闘ゲームはその点で違うということである。
この考え方からすれば、死体蹴りも仲間内で楽しくやる分はよいということになる。この辺りは、ここにいる阿保な否定派すら認めていたように私は読み取っており、肯定派の間でも議論の焦点にはなっていなかったように思う。

そして私の真の回答は、「そう、それもよくないこと」だ。羽根付きで負けた側に墨を塗って楽しむというのは、人間の快楽としては下衆なものだ。
少なくとも私は自分の息子たちにはそれはさせない。もし私が学校の先生ならクラスでそれをするのは禁止する。
ただし、死体蹴りのシステムを肯定し、やる人間の自由は尊重されるべきとする私は、羽子板についても同様に考える。
つまり、それを法律で禁止したりすべきではない。人の顔に墨を塗って楽しいと思う人間もまた大事な個であり、自由が保証されるべきだ。

これに近い話が、テレビの「芸人イジメ番組」である。彼らは別に法律に違反しているわけではない。イジメられる方は、仕事として契約に基づいてそれをやっている。
しかしそれはやはり「よくないこと」である。

羽子板の墨という反証は、議論としては面白かった。しかし今回の私の回答を通して、私の考え方、つまり存在や法律の問題と「よいこと悪いこと」の議論を切り離している私の考え方を理解してくれれば嬉しく思う。
よって、同系統の反論は、面倒くさいだけなので、今後なるだけ避けて頂くと嬉しい。

ちなみに私の考え方を突き詰めると、最終的には「格闘ゲーム不道徳論」に行き着く。
それについては、今後少しずつ書かせて頂こうと思っているので、乞うご期待だ。