シナリオが曲がり角を曲がるだったから曲がったのと、自分のフィーリングでただ曲がっただけとは違う
予定通り曲がっても、予定通りどう考えているかは分からない
作っている側は、ここで主人公は曲がり角を慎重に曲がってると意識してそのシーンを作る
今までの作者の作った話の流れも、全て作者の頭の中で展開されたどきどきするシーン
一言で言うと、作者は主人公に感情移入してシナリオを作る
でも実際は、曲がり角を曲がって返り討ちにあったみたいな恐怖を感じているのは作者で
やっている人の心理は別にある
やっている人は曲がらざるえない場所だから曲がっただけで本当なら別の場所に向かいたかったかもしれない
やってる人の気持ちが反映されていないと、やっている人間の気持ち的な面はさめる
残るのはどうやったら突破できるかだからゲーム的な難易度の部分だけ残る
普通のゲームはそれでいいけれど、心理を問題にするゲームでは肝心な部分が無い
作っている人の描いている恐怖を再現する程、やっている人の状態と離れる
やっている人は感情移入できない事の方が多い
やってる側の立場に何とか受身にどうすればいいかを基に作ったり、心理的に誘導している訳ではないのなら
「曲がれ」という命令がプレイヤーを動かしているだけでプレイヤーはどきどきして道を曲がっているのではない
主人公がどきどきするというのは作者の設定
曲がるしか選択肢がないとしても曲がったきっかけが自分の意思に由来するなら大丈夫