556 名前: 名前が無い@ただの名無しのようだ [sage] 投稿日: 2009/01/30(金) 15:06:51 ID:BlPn9N6o0
実際にスレタイ通りの結論を
>>1の言う条件を守って導出しようとすれば、何が必要だろうか。
まず悪とは倫理・道徳に対する違反のことだ。
だからまずDQ4世界でどういう倫理・道徳が存在してるのか明らかにしなきゃいけない。
そして単なる個人の価値観と倫理・道徳の違いは、簡単にいえば権勢の差だ。
その社会の中で支配的なパワーを振るっている価値観が倫理・道徳と言える。
つまり「DQ4世界の魔族社会で支配的な倫理・道徳」の内容を立証しなきゃいけない。
単に2、3名の登場人物がピサロに反対しているというだけでは勿論、この条件を満たさない。
この時点でかなり絶望的だ。
悪党派が「登場人物の判断なぞ信用しない」という先例をテンプレに掲げてしまっているのが
絶望に拍車をかける。これでは登場人物がおよそ何を言っても却下できてしまうわけで、
この条件下で作中の倫理道徳の内容を「立証」するなどおよそ不可能だ。
さらに、悪と思われる行為が、
作中確実にピサロがおこなった行為であることを立証しなければならない。
このスレでも頻繁に戦わされていた「作中の魔物はピサロが暴れさせていたのか」
「エスタークは人間以外をも滅ぼすのか」「灯台タイガーはピサロの配下か」といった議論だ。
これが意外と難事であることはこのスレを読んでも分かる。
何しろ作中でさえ「魔物が活発化したのはエスターク復活の前兆」という、非ピサロ説が
出ているし、一方ピサロのせいだという根拠は何もない。
この両方を立証し、なおかつ突き合わせて、違反していると結論できたときに、
「デスピサロは同情の余地なき悪党」であると議論することが可能になるわけだ。
>まず悪とは倫理・道徳に対する違反のことだ。
>だからまずDQ4世界でどういう倫理・道徳が存在してるのか明らかにしなきゃいけない。
>そして単なる個人の価値観と倫理・道徳の違いは、簡単にいえば権勢の差だ。
>その社会の中で支配的なパワーを振るっている価値観が倫理・道徳と言える。
>つまり「DQ4世界の魔族社会で支配的な倫理・道徳」の内容を立証しなきゃいけない。
これってかなり正論だと思うんだよね。
蚊やテロリストとの違いも説明できる。蚊には社会も価値観もない。
テロリストも「ホモ・テロリスト」「テロリスト族」「テロリストの国」なんてものがあるわけじゃなく、一般的な社会の中にテロリストがいるわけだ。
だからテロリスト個人の価値観とは別に「そのテロリストが属する社会の一般的な価値観」をみて、それをテロリストに適用することができる。
ではピサロにとっての「ピサロが属する社会」ってなにかっつーと、魔物社会なんだよな。
向こうのおかしな理論その1
>Q.作中の登場人物、そして私もピサロに同情しています。同情する者が一人でも居る以上、それは
> 同情の余地があるという事ではないのですか?
>A.一般的に「同情の余地」とは、同情する人が居るかどうかとは無関係な使われ方をしています。
個々部分事実と違いますね。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%90%8C%E6%83%85&dtype=0&dname=0ss&stype=1&pagenume=1 によると
【同情】…他人の苦しみ・悲しみ・不幸などを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと。
とある。
【余地】…
1 余っている土地。あいている場所。「満員で立錐の―がない」
2 物事をさらに行いうるゆとり。余裕。「再考の―を残しておく」「同情の―はない」
同情で、一番分かりやすいのは、「可哀想に思うこと」
余地では、「ゆとり・余裕」でしょうか。
つまり、同情の余地は「可哀想に思えるか」ということができます。
こでは、個人の主観で決まる問題です。
>同情するしないは個人の自由ですが、「同情の余地」が有るか否かは
>あくまでも酌量の差し引きによって(一般的な意味で)客観的に決めるという考え方をします。
辞書を見る限り、どう考えてもこのような解釈にはなりません。
Q.デスピサロは同情の余地なき悪党というスレッドがありますが、デスピサロには同情の余地がないのでしょうか?
A.同情の余地は個人の主観によって決まります。
甲が「同情する」と言い、乙が「同情の余地がない」と言ったら、甲と乙の価値観が異なるわけです。
しかし、向こうのスレッドでは、それを「甲が主観で乙が客観」に論点をすり替えています。
本当はどちらも主観でしかなく、乙が客観だという根拠など何一つありません。
よって、客観的にデスピサロに同情の余地がないという根拠はどこにもありません。