【空気の読めない】高木順一朗part1【高木社長】
480 :
SS:
765プロダクションの社長の高木だ。皆、元気にしているかね?
日曜の朝から、私は会社に来ているわけだが――え? また書類を溜め込んで、音無君や律子君に
絞られているんじゃないかって?
バカを言っちゃいかんよ、君。
今日でなければならない理由が、ちゃんとあるのだよ。
我が事務所に所属する天海春香君が、先日おこなわれたドームでのラストコンサートをもって活動停止
したというのは知っているだろう?
天海君の活動停止から、今日で一週間になる。
そこで、天海君の気持ちが落ち着いてくる頃合いを見計らって、面談の機会を設けることにしたわけだ。
トップアイドルの座を勝ち得た天海君が、今後どうしていきたいのか。それをしっかりと聞いたうえで、
会社として彼女をどのようにバックアップしていくかを考えんといかんからな。
さて、もうすぐ天海君と約束した時間になるわけだが――
「おはようございます」
うむ、時間通りにやってきたようだな。結構結構。
「おはよう、天海君」
「おはようございます、社長。……あの、今日はどんな話をするんですか?」
「そんなに構えることはないよ。まぁ、掛けたまえ」
と、天海君に応接スペースのソファに座るよう勧める。
今日は休日で、他に出勤している社員もいないため、会議室は使わないことにした。なるべくリラックス
した雰囲気の中で、天海君と話をしたかったからね。
「でも……」
「まぁ、気にするなと言っても難しいかな。端的に言えば、君のこれからのことだ」
「はい」
緊張気味な表情を浮かべる天海君と向かい合う席に、私も腰を下ろす。
「先週、天海君はアイドルとしての活動を一旦停止したわけだが。回りくどいのは止めにして、単刀直入に
聞きたいと思う。今後もアイドルを続けていくつもりはあるかね? それとも、正式に引退を表明して
芸能界から身を引くかね? 今すぐに答えるのは難しいかもしr――」
「私、アイドルを続けたいです。続けさせてください」
天海君は、私をまっすぐに見据えて、そう言った。
力強い眼差しだった。
「……ふむ」
「そう約束したんです。プロデューサーさんと」
「そうか……。その決意は固いのかね?」
「はい」
と、頷く天海君の表情を窺いつつ、私は本題に入ることにした。
「実はね、君の元プロデューサーから、相談されていたことがあるんだよ」
「……?」
「ラストコンサート終了後に、彼と交わした会話を覚えているだろう? そのことについてなのだが」
そこまで言うと、天海君の顔色がさっと変わった。
「!」
私は彼女の変化に気付かぬ振りをして、話を続けた。
「彼はね、天海君に申し訳ないことをしたと言っていたよ。自分が未熟なばかりに、デリカシーに欠ける
言葉を投げかけて、君を傷付けてしまったのではないか……とね」
「そんな……。プロデューサーさんは悪くありません! 私が、私が身の程知らずだっただけなんですから」
「では、彼への想いは断ち切ったということかね?」
そう訊ねると、天海君はゆっくりと首を振った。
「ただ、考えないようにしただけです」
「それで大丈夫なのかね?」
「わかりません……。でも、プロデューサーさんと一緒に活動することはできない以上、どこかで折り合いを
つけないといけないんだと思いますから」
「そうか……。それに、約束したのだったね? いつの日か君が引退するときに――。いや、これ以上を
私の口から言うのは野暮というものだな。ちょっと待っていてくれたまえよ」
そう言って私は席を立ち、お茶を淹れるために給湯室へ向かった。
いつもは音無君にやってもらっているお茶汲みだが、今日は彼女もいない。まさか天海君にさせるわけにも
いかないから、畢竟自分でやるしかなかった。
481 :
SS:2008/04/24(木) 22:58:55 ID:+XXYRhTW0
お湯を沸かし、熱いお茶を淹れてから、私は再び天海君の待つ応接スペースへと戻った。
「よかったら飲みたまえ。ただし、熱いから気を付けるようにね」
「はい」
そっと湯飲みに口を付ける天海君に、私は訊ねた。
「ときに天海君――君は、何のために歌うのかね?」
「何の、ために……ですか?」
「そうだ。誰のために、と言った方がいいのかな。天海君は、自分の歌を誰に届けたいのかね?」
「勿論、ファンのみんなのために」
「プロデューサーのためではなくて?」
「……きっと、それはプロデューサーさんの望むところではないと思います」
「ふむ」
「さっきの話に戻りますけど、この間のプロデューサーさんの言葉は、きっとそういうことだったと
思うんです。アイドルを続けていく上で、何が大切なのかという」
「うん」
「私がプロデューサーさんのことを好きな気持ちは変わりません。だけど、それが前面に出てきてしまったら、
私はファンのみんなのために歌うことができなくなってしまうんじゃないか……。そう、思います」
「なるほど。そこまでわかっているのなら、この件について私から付け加えることはないのだが……」
「だが……、何でしょう?」
「できれば、君にお願いしたいことがあるのだよ」
「私に、ですか?」
小首を傾げる天海君に、私は頷きを返した。
「うむ。今後、君のプロデューサー――正確には、元プロデューサーだな――には、我が社に所属する
アイドル候補生をプロデュースしてもらうことになるだろう。まだデビューしていない子たちが何人もいるからね」
「はぁ」
「そこでだ。私はね、天海君に、これからデビューするであろうアイドル候補生の、ひいては君の
元プロデューサーの、一番強力なライバルになって欲しいと思っているんだよ」
「どういうことですか?」
「つまり、オーディションで彼らと競い合い、アイドルの厳しさを身をもって教えてやって欲しい――とでも
言えばいいのかな」
「でも、同じ765プロダクション同士でつぶし合うのは……、その、あまりよくないんじゃないですか?」
天海君の懸念はもっともだが、私の狙いは別のところにあった。
「同じプロダクションに籍を置く仲間であっても、頂点を目指す以上はライバル同士となることを避けられんよ。
つぶし合うというよりも、むしろ切磋琢磨することで互いにレベルアップしていく――そういう効果を
期待しとるんだがね。それに、ライバルとして常に彼の前に立ち続けていれば、彼が君のことを忘れる
こともないだろう」
「あ」
「もっとも、これは私が勝手に考えていることだから、別に断ってもらっても構わないのだが――」
「いえ、やります! やらせてください!」
「おお、引き受けてくれるかね」
「はいっ。私、これからもアイドルとして一生懸命に頑張りますっ!」
「うむ。まぁ、彼のことが気になるのはわかるが、あまり気負い過ぎんようにな」
「そ、そうですよね……」
「何でもかんでも一人で抱え込む必要はない。私――では話しにくければ、音無君もいるし、律子君や
如月君でもいいだろう。人と話すことで、解決の糸口が掴めることは少なくないのだから、遠慮なく
相談するといい。……と、これはちょっとお節介だったかな」
「いえ……。お気遣い、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね、社長」
「うむ。こちらこそ、これからもよろしく頼むよ。しっかりやってくれたまえ」
「はい!」
そう元気よく返事をする天海君の表情には、もはや一点の曇りもなかった。
きっと、これなら大丈夫だろう。
一人の少女としての天海君には辛い思いをさせてしまったけれども、これを糧にして一回りも二回りも
成長してくれるに違いない。そう信じられる何かを見出すことができた。
それだけで、今日の面談は実りあるものになったと言えるだろう。うむ。
さて、そろそろ私も家に帰るとするかな。
諸君らも体には気を付けたまえよ。