うみねこのなく頃に part852

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8名無しさん@お腹いっぱい。
11:従僕を犯人として選んではならない。
これは高尚な問題を低俗におとしめることである。それはあまりに安易な解決である。
犯人は絶対に高貴な人物―普通なら嫌疑がかからない人物でなければならない。

12:犯人は1人でなければならない。
これはどれだけ多くの殺人が実行されようとも守らなければならない。もちろん、彼が端役の協力者や共犯者を持っていても構わない。
しかし、全責任は1人の人物の双肩にかからなければならない。読者の憎悪がただ1人の邪悪な性質の持ち主に集中するようにしなければならない。

13:カモラ党やマフィアのような秘密結社を探偵小説に置く場所などない。
魅力ある、真に美しい殺人が、秘密結社が持つ有罪性によって、償いきれないくらい汚される。
たしかに、探偵小説の中での殺人者は正々堂々とチャンスを与えられるべきである。しかし、避難場所として秘密結社を認めるのは行き過ぎである。
第一級の、自尊心を持つ殺人者の中に、秘密結社の助けを得たがるものはいない。

14:殺人の方法、およびそれを探偵する手段は合理的かつ科学的でなければならない。
つまり、似非科学、純粋な想像の産物、投機的な手法は、roman policier(探偵小説)では許されない。
いったん作者が、ジュール・ヴェルヌ式の空想世界にはまりこめば、それは探偵小説の領域を超えて、野放図もない冒険小説となってしまう。

15:問題の答えは始めから終わりまで明白でなければならない―読者がそれを見破ることができるくらい鋭敏である必要はある。
このことは、もし読者が犯罪の真相を知った後に本を読み返してみた場合に、その解答が、
ある意味では読者の目の前に転がっていたこと―すべての手がかりが事実上犯人を指していたこと―や、
もしも読者が探偵と同じくらい頭が良ければ、最終章へ至る前に彼自身の手で謎を解決できたと悟ることを意味する。
賢明な読者はよく、解決を言われる前に問題を解くものだ。

16:探偵小説には、長たらしい叙景の章節や枝葉末節に関する文学的饒舌、精緻を極めた性格分析、過剰な”雰囲気”の記述が含まれるべきではない。
そのような事柄は、犯罪を記録したり推理するのには重要ではない。また、筋の運びを邪魔してしまい、筋違いな問題を導入する。
探偵小説の主目的は、問題を提出し、それを分析し、成功裏に結論に導くことである。もちろん、適切な背景説明と性格描写は、小説に真実性を与えるためには必要である。

17:職業的犯罪者に探偵小説の中で行われた犯罪の責任を負わせてはならない。
押し入り強盗や山賊による犯罪は警察の領分であり、作家や明敏な素人探偵が扱う分野ではない。
真に魅力ある犯罪は、教会の重鎮とか、慈善事業を行うことがよく知られているオールドミスによって実行されたものである。

18:探偵小説の中で行われる犯罪は、決して事故や自殺でまとめてはならない。
長編推理活劇を、このような、最後が劇的でない方法で終わらせることは、読者の信頼を裏切る詐欺行為である。

19:探偵小説における犯罪の動機は個人的なものであるべきだろう。
国際的陰謀や国家戦略は、違った種類の小説―たとえばスパイ小説など―に属するものである。
殺人物語にはいわばGemutich[uの上に点2つ](心情)とでもいうべきものがこもっていなければならない。
読者の日々の経験を反映しなければならないし、読者自身の抑制された欲求と感情に対してある程度のはけ口を与えなければならない。

20:そして(私の”信条”を20個にするために)私はここに、自尊心のある探偵小説作家ならば、現在では決して使うことをしなくなった手法をここに掲げる。
これらはあまりに使われすぎて、犯罪小説の愛好家にとってはすでにおなじみとなっている。以下の手法を使うことは、作者の無能と独創性の欠如をあらわにすることである。
(a)犯罪の現場に残されていた煙草の吸いさしを、容疑者が吹かしている煙草の銘柄と比較して、犯人の正体を決定する。
(b)似非降霊術で犯人を脅して自供させる。
(c)偽の指紋。
(d)替え玉によるアリバイ。
(e)犬が吠えないので、侵入者が犬にとってなじみの人物であることが分かる。
(f)確実に容疑がかかっているけれども無実の人間の、双子とかよく似ている近親者を最後に犯人とする。
(g)皮下注射器や即効性の毒薬。(h)警官が踏み込んだ後で密室殺人計画を実行する。
(i)言葉の連想反応実験による犯人の指摘。
(j)文字または数字による暗号(最後に探偵が解読したもののことを指す)。

[注1]ギリシャ劇で、混乱した筋を解決するため登場する神。