サブカルチャーと呼ばれるもの全てに言えることではあるが、コンピューターゲームもまた、
現実社会での劣等感を肩代わりするための救済システムの一つであり、同時に、
クリエイターと一般大衆(プレイヤー)の距離が限りなく近いという幻想が発生しやすい場所で
ある。
一般大衆が必要としているのは、作品のオリジナリティや完成度などではなく、
背後にあるクリエイター自身のサクセスストーリー、クリエイター神話なのだ。
かつて、ゲームが熱烈に支持された理由の一つとして、意図的かどうかは分からないが、
ゲーム大会などに製作者が積極的に現れて、クリエイター神話というニーズに応えていたこと
がある。
クリエイターとなることができない一般大衆の自意識は、クリエイター神話に帰属し、
自分がクリエイターのサポーターであるかのような錯覚に陥ることで救済される構造
になっていたのだ。
しかし、ある時期から、あるいは製作者が沈黙し、あるいは製作者が「商売人」の仲間入りを
果たしてしまったことで、神話は中断してしまい、その神話を引き継ぐ者がいなかったことが、
現在の日本のゲームファンの潜在的な飢餓感となっている。
自分の好きな作品を他人に熱心に勧める人間や、作品の分類方法、また、自分が
属している訳でもない「『業界』の行く末」を本気で案じ語る人間がゲーム界隈に多いのは
このためである。