【滅菌】ひぐらしのなく頃に Part195【開始】
109 :
テンプレ:
> 「仲間の暴走と原因」「富竹・鷹野の死と大災害」「村のキモい雰囲気」
> これらが共通項であることはみりゃ分かるのだが、「ルール」だのなんだのという曖昧極まる概念で括って更にそこから思考を発展させる、なんてのは無理だろう。
> 誰もが分かってると言えば分かってたわけだが、だからといって物語の真相に近づけるわけでもなく、「ダカラナニ?」というレベルである。
と、適切な指摘をしている。
USAや魔王14才のブログのコメントでも間接的に言及されていたが、
世界ルールを推理させたいのなら、なぜ「犯人」「トリック」を隠すことで物語を引っ張ったの?
という問題点がある。
つまり、通常の推理とは違うことをやりたいのなら、通常の推理で引っ張らなければいい。
ここで引っ張った以上、作者の言う3種のルールがわかっていても、だからといって真相には近づけない、と言われてしまうわけだ。
いっそ、推理物の「犯人」「トリック」を求心力として隠蔽する技法を使わずに、はじめから世界ルールの推理をやればいいのにね。
これをやっていない(+提示すらできていない)から、後付けとして推理物→新しい推理だったんだ、
とこじつけたとみなされても文句言えなくなっているわけだから。
110 :
テンプレ:2006/02/08(水) 18:26:30 ID:TYNsCxrX
ハゲはNHK(つかテレビ)に顔を出すべきじゃなかった。
まじめな話、母親から精神的に自立できていないのが
作中の人間関係にも反映されてると思うよ。
キャラ同士の距離感がすごく極端で気持ち悪い。
111 :
テンプレ:2006/02/08(水) 18:27:07 ID:TYNsCxrX
説得力も無く、妄想と変わらない程度のものを真相として提示する姿勢は、
言わば「俺の作品なんだから、作中での検証可能性などにさらされることなく、
俺の作品の真実は俺が書けば正しい」と言っているのと同じことになる。
魔王14才やsimulaをはじめとして、作者の言う推理とは、
一定限のオープンさを備えたミステリ的推理とは違って、設定考察物なんだとする立場は、
要するに考察において作者の恣意がトップダウンで降りてくる構造を許容したと同じことになる
(その意味でも、インタヴューでの作者発言が「直接に真実である指示」として重視されるわけだ)。
この姿勢の構造は、作者の描く仲間関係や人間関係でも同じ反復が見られる。
結局は作者の恣意から逃れられない(後期クイーン問題の不可避性)としても、
その説得プロセス、交渉プロセスをどの程度重視するかによってリアリティのようなものが生じるのだろうが、
ここでも「俺が提示したんだから、リアリティが無くても作品内の真実だ(これが仲間だ)」と言っているに等しい。
要するに、感感俺俺ならぬ、最最俺俺(俺世界で俺最強)なんだろう。
オープンには推理できないが、トップダウンで俺が差し出すルールのもとでお前ら踊れよ(設定考察せよ)、
と言ってるんだろうな、と最近思いつつある。当人はその独善性、その閉鎖性に気付いていないようだが。