>>589 普通は漢字を開くが、漢字のままでも誤りはない。それにしても、なぜ朝っぱら
からそのようなテンションで頭の悪い書き込みをすることになったのか、興味の
尽きないところである。一般におちゃらけは発言態度の真面目さを損なうもので
ある。このことから、発言内容が誤りであった場合に「真剣にそう思って言った
わけではないんですよ」ということにして自尊心に傷が付かないようにするため
に、わざと発言の文面を真面目なものではなくすことがある。また、これには指
摘する行為そのものの姿勢をやわらかいものにする効果がある。それにより指摘
の受け手に与える心理的負荷は小さいものになり、円滑なコミュニケーションの
一助となるのである。だが、今回の発言内容についてそこまでして予防線を張る
必要はあったのだろうか。結果的には誤った指摘ではあったが、だからどうした
というものではなく、誤りを指摘した側も、その指摘がさらに誤りであることを
指摘した側も、皆等しくスレ違いの阿呆であることには違いないのである。単に
誤りを指摘したかっただけならば、それが勘違いだったのなら勘違いで大した問
題はないはずであろう。その謎を解くに当たって、今回の指摘内容はごく些細で
スレ違いな、しかもすでに賞味期限切れの事項についてであったことに注目した
い。賞味期限切れゆえに、本来そのような指摘はスレの内容からもスレの流れか
らも出てくるはずのないものであったのだ。このようなあまり意味のない指摘を
するためには、何か誤りの指摘以外の動機が必要である。ひとつの手がかりは
578にある。ここで彼は577での特に意味の取りづらい誤りについて訂正をしてい
る。気づくべき点はその訂正行為自体ではなく、その態度が謙虚なものであった
ことである。ある種の人間には、いじめられっこをいじめるという習性がある。
それは自分の行為やそれにより齎されるはずの優越感、満たされるはずの虚栄心
について、期待を裏切ることがないからである。これはそれを習性と言ってよい
ほどに無意識に働く心理である。これは世の中からいじめはなくなり得ないとい
う真理から分かる。いじめられっこといじめっこがいればいじめは不可避なので
ある。このことから、人間はこと自尊心に関わるリスクを本能的に避けたがると
いうことが分かる。そしてこれは今回の指摘者の行為に関しても言える。無意識
の内に保険を掛けていたのである。これは逆に言うと、彼の行為が虚栄心から出
たものだということの証左に他ならない。彼自身はそのことに無自覚ではあろうが。