1 :
優しい名無しさん:
あのめちゃくちゃに筆をはしらせたやつ。
あんなのが芸術なのか?
はっきり言って糞だと思う。やってるやつは詐欺師と言ってもいい。
2 :
七誌:2001/06/22(金) 16:38
メンタルヘルス板から出張ですか?→優しい名無しさん
3 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 16:53
一世代目の前衛書道はかっこいいよ。
4 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 17:09
具体と前衛書道の関連とか、調べてみると面白そうだね。
どちらが先に出現したのか、とか、人的交流の痕跡とか。
5 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 17:15
前衛書。
時々すごくいいのがある。
ところでめちゃくちゃも悪いことではない。
中途半端な了見と技術を見せつけられるよりましだな。
6 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 17:33
>前衛書。
>時々すごくいいのがある。
例えば誰?
前衛書道には疎いので、
教えていただければ幸いです。>5
比田井南谷とか上田桑鳩とか森田子龍とか
ピエール・アレシンスキーやジョアン・ミロの作品も前衛書みたいなのが
あります。
8 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 13:07
この辺りは、戦後の日本美術史を見ていく中で、
実は結構面白いものを多く含んでいる。
井上有一展示問題にも繋がっているし。
9 :
書は難しい?:2001/08/01(水) 14:17
要はしっかりとした鍛錬に裏づけられた基礎があって「前衛」をやってるのと、
単なる「メチャクチャ」は全く別物という事?
それにしても南谷は天来の息子なのにどうしてああなっちゃたのかなー
書道について触れるのがここしかなかったので
書き込んでみました
10 :
catt@ g038127.ppp.asahi-net.or.jp:2001/08/06(月) 00:52
井上有一氏の仕事は好きです 糞ではないと思います。
11 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/06(月) 01:08
前衛って言葉がよくない
私も前衛書家はいいと思います
>>9さんが言っているように基礎があるのとメチャクチャは違います
一緒にすると超現実主義もメチャクチャになります
個人的には石川九陽さんがお勧めですね
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/06(月) 09:45
マザウェルほか西洋現代美術に影響を与えたのは事実で、日本が世界に
誇れる“オリジナルな実”がある。
14 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/22(水) 09:50
でも「基礎」がある人それと「単なる無茶苦茶」との価値上の差異があらかじめ
存在するかのように信じ込むのも退屈な権威主義だと思うんですけど、、
どうなんでしょうね?ってか書家はその辺どう考えてるんだろ。
15 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/07 14:53
さる名書家が臨終の折りに、
色紙と筆を所望したので手渡すと、
震える手でなにか書き付けた。
絶筆となったその書は恭しく飾られたのですが、
達筆すぎて誰にも読めない。
ところがある日、その書を見た小学生が、
「水をくれ」って書いてあるよと
解読してしまった。こんな笑い話しを
石川 九陽か誰かが書いていたな。
ちょっと正確じゃないんだけど。
なんかゲーテの「もっと光を」のパクリ臭いが
前衛書道って井上さんもそうだけど、
なんかクスクスって笑っちゃう感じが
どこかにあるよね。
>>7 アレシンスキーの制作風景ビデオを見たことあります。
天井付近から撮ってたみたいですけど、床に3〜4m
四方の紙を広げて筆ですらすら描いてました。
紙を全部埋めたので、完成したのかと思ったら、
バケツで水をぶちまけた。
そのあとホースの水で墨をほとんど洗い流して・・・
乾いたらくるくる丸めて運んで行ったんですけど
豪快な人だと思いました。
皆さんの目から見て、岡本光平ってどうですか?
私は好きじゃないけど、最近一生懸命やってるんじゃないでしょうか。
石川九楊は、作品は子供だましだと思う。
彼の文章もそういった感は否めないが、こちらの文章はひねくれていながらも、自分の言葉で書いてあり、書道界で唯一新鮮味を感じさせてくれるからそれはそれでいいとおもう。
私が好きなのは、上田桑鳩あたりかな。
創作はいまいちだけど、臨書は見る価値があると思う。
彼の創作も飛躍しすぎていて、子供だましのように見える。
でも、臨書は必死に新しい理論を取り入れようとしていた面が伺え、かえってこっちの方に熱が入っていたように思う。
いわば彼は下仕事にその価値を見出された人物と言っていいのではないか。
前衛って言葉はもう使わないほうがいいと思うけど、
私は彼らを輩出した昭和期というのは非常に意義深い
ものであったと思う。
日本が中国という絶対的権威から抜け出し、
独自の表現形式を追求していったと言う意味では。
韓国なんかは意外とスムーズにこういった表現形式を
受け入れている傾向が見られるが、中国は相変わらず
頑固に否定しつづけている。亜流文化の日本が
何はみだしたことしてんだ、といった感じである。
私はそういう中国を尻目に、日本の書道はどんどん新しいことに
挑戦していけばいいと思う。メチャクチャやれという意味ではないが。
いろいろごちゃ混ぜにして、必死で新しいものを創りだしていく、
これこそ亜流文化・日本コンプレックスの真髄ではないだろうか。
篠田桃紅!
たとえば心象を描く人が、なぜ書家を名乗り続けるのかがわからない。
画家が絵描きであるように、書家は字書きであるべきだとおもうのだけれど。
それが堅苦しくて嫌なら、アーチストとかって名乗ればいい。
ところで武士桑風とかってどう?
ってか、前衛書の書展まで、同じような作品が並ぶの、
どうにかして欲しい。
なんか気味悪くなってくる。
>>22 いやはやまったく。
でも、ほんとに革新的なものなんてそうは出てこないし、いったんそういう
ものができて神格化されちゃうと、もうみんなそれを真似するしかなくなっちゃ
うんですよね。
私は前衛書に限らず、日本の作家はもっと真剣にバカやっていいと
思う。それでこそ光ると思う、日本の文化は。
25 :
わたしはダリ?名無しさん?:
実話ですが、某K星会のお偉い先生曰く。
「今の前衛書は次の時代には古典となり、臨書もされるであろう。」
この話を聞いた時この分野もう終わりだなって私おもいました。