現代と古典

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1わたしはダリ?名無しさん?
理解するのに必要なのが感性と、比較的最近の社会情勢な現代美術、とくに抽象とかと。
一見して奇麗だけど宗教、神話、故事などの元ネタが分からないと本当の意味では楽しめない古典美術
どちらが難しいんでしょう?
2わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/19(火) 17:57
古典は勉強すればよろしい、
3わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/19(火) 23:33
現代美術派に対する煽り?それとも「古典はすばらしい」スレ?
4わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 02:35
どちらが難しいかで言うなら現代美術。
古典美術は、ほぼあらゆる人間が楽しめますから。
魅力が尽きないのも古典美術。
そんなの当たり前です。
でも、現代美術のすぐれたものには、そうする必然があるわけで、
どっちがすばらしいってのは言えない。
5わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 07:38
>4

僕は全く正反対の意見。

どちらが難しいでいったらそれは絶対古典の方が難しい。
古典美術がほぼ全ての人が楽しめるなんてウソ。
宗教、神話、故事などの元ネタが分からないと本当
の意味では楽しめないからだ。そんなこというと
「 そんなことわかんなくてもグラフィックが綺麗
ならそれだけで楽しめる。」なんていうと思うが
それなら現代美術の楽しみ方と変わらなくなって
しまうように思う。

ひとついえるのは古典美術というのはあくまでヨーロッパ
文化のひとつなわけでそれを理解したかったらそのときの
社会情勢、常識、価値観などを考えないと本当の意味で
楽しむことは出来ないと思う。でも現代美術というのは
国際的な共通文化だから全世界の人達が同じ語法をもって
純粋に自分を表現できる形態といえる。だからビジュアル
だけの勝負となるだけだから宗教、神話、故事などを覚
える必要もない。だからすばらしいし誰にでもできる
簡単なこと。一部の人にしか分からない古典美術とは
違うということ。

現代美術が一見とっつきにくそうに見えるのは「こう
やったら面白いだろう。」ってことだからあまり意味はない。
そんなことに対して深く考える必要はないし自分の感覚を
総動員して好きかどうかを判断すれば良い。

現代に生きていて「現代美術はわけわからん。古典
のほうが素晴らしい。」なんていうのはすごく不気味。
こういう人をみると本当に21世紀になったんだろう
かと考えてしまう。その人だけ18世紀に生きているって
ことなのか。ピカソのキュビズムだってもうそろそろ
100年前の話になるというのに相変わらずこういうひと
がいるのが怖い。

結論として素晴らしいということでいえばどちらも
素晴らしく結構なものだが、現代に生きているということを
考えればもっと現代美術に共感が集まってもいいと思う。
6goatsong:2001/06/20(水) 08:48
うん、同時代に生きているだけ、現代美術の方がわかり易い
とは思う。ただ、昔の美術は公共性があり、その為に一定の
約束事があるのに対し、現代では極めて私的な表出が出て
くるので、そのあたりも考えられるべきかも。
7わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 10:01
>昔の美術は公共性があり、その為に一定の
>約束事があるのに対し

別に茶々を入れるつもりじゃないけど昔の美術に
公共性はないよ。どちらかといえば現代美術の方が
余程、公共性があるとおもう。皆が出来る、参加すること
ができるという意味で。古典美術というのはあくまで
特権階級のものだった。王侯貴族や教会といったパトロン
がいてこそなりたったんだ。要するにパトロンに気に
入ってもらう必要があった。だから技術的にもそれに
答えられるだけの技量が必要だった。

でも現代美術に「こうしてはいけない」とか「こうす
るべき」なんてことはない。絵が下手でも結構。
自分自身がさらけだせるのなら。寧ろ味があって良い
といわれるかもしれない。だから簡単だし参加すべき。
もちろんコンセプチュアル・アートみたいなものもあるけど
それは作家本人の手から離れた時点でそのコンセプトとは
関係ないと思っても全然構わないと思う。発信者のない意味
不明のオブジェ(物体という意味ね)ということでいい。

だから現代美術は簡単だといえる。
8わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 10:37
古典美術がコンテストを知らないと楽しめないなんて言うのは、
本当に古典美術に接したことのない人間の言うこと。
(まあこれにはいろいろな立場があるだろうけど)

逆に現代美術から「現代」というコンテクストを外したら、
ほとんど理解不可能なものになってしまうことが多いのでは?
そしてその「現代」というコンテクストは極めて限られたもので、
誰かが言うように、決して現代を生きているすべての人が共有して
いるというものではない(そういう単純な「現代性」はむしろ一昔
前の幻想)。

現代美術と言うのはギャグみたいなもので、例えば、ダウンタウン
のギャグが日本のある種のコンテクストを知らないと楽しめないの
と一緒。
9わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 12:06
ていうかどっちが難しいってここで決めてどうするの?
自分のやってることを肯定したいだけでしょ。
10わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 12:56
>8

そうだろうか。古典美術には作者が画面の中にいろいろな
情報をいれている。それを解読できないと見ていて単なる
人物画であるとか異様に不自然な静物画になってしまうよ
うに思われる。例えば自然主義などの代表のひとりといわ
れるクールベの風景画なんかにしても、その社会的背景には
貴族社会と市民階級との闘争の歴史があったことを考えないと、
それは単なる綺麗な田園風景になってしまうのでは?。
でもその背景にはクールベ自身は絵画を特権階級だけでの
ものでなく市民階級のものにしようという激しい気持ちが
あったとすれば単に小奇麗なだけでは済まされなくなって
くるはず。おそらく作者自身もなんらかのメッセージを
封じ込め、それを理解してもらいたいと思っていたはず。
どう?>8

>逆に現代美術から「現代」というコンテクストを外したら、
>ほとんど理解不可能なものになってしまうことが多いのでは?

だったらなおさらいいでしょう(w)。自分の現代生活の
なかで「なんだこれは?!。」っていう意味不明の物体が
あるってことが大切なんだと思う。もし「なんだそうか
これはこういうものなんだ。」って分かってしまった時点で
それはまったく芸術でなくなって自分の生活の一部に埋没
しちゃうんだよ。一般的には理解不能なものってないだろう?。
難しいものはあっても理解できないってものはないんだよ。
またその理解不能なものがあるんだったらそれを残しておく
ということに意義があるとおもう。だから感じるということが
必要なわけだ。

だから俺はだから皆にコンテクストがあるという話をして
いるんじゃないんだよね。誰でも参加できるってことを
いっただけ。

>9

おれは現代美術の擁護派だけど現代美術のほうが簡単だと
いってるぜ。べつに自分のやっていることを肯定している
わけではない。寧ろ技術的には古典美術の人のほうが段違い
にあると思う。
11わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 15:40
古典とは違うけど、茶道具の類いは全く分からん。
長次郎の黒楽、とか言われても黒くて歪んだ器状のものにしか見えない。
あれはやっぱ茶道を経験してみないと分からないものなんだろうか?
12 :2001/06/20(水) 17:11
>国際的な共通文化だから全世界の人達が同じ語法をもって
>純粋に自分を表現できる形態といえる
こんなの現代人の幻想に過ぎないと感じるのは俺だけ?
13わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 20:21
それじゃ日本人はロックやクラシックはできないわけ?。
一生雅楽や民謡の類しかできないの?。
そうじゃないでしょ?。国際的な共通文化だから全世界の
人達が同じ語法をもって純粋に自分を表現できるってのは
そういうことよ。
14わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 20:24
>長次郎の黒楽、とか言われても黒くて歪んだ器状のものに
>しか見えない

えーでもあれって渋くてよくない?。
まあ俺の好みだけど。
15空耳:2001/06/20(水) 23:35
よく知らないけど、
ミニマリスムってよく批判されたりするらしいけど、
それって思想的なもののつめが甘いとかそういう話なんですか?
私は目で見る限りでは結構おもしろく見れるんだけど。

現代美術は美術作品が一見おもしろそうでも、
その作者の美術作品に対する分析とか、
美に対する分析が甘いと非難されそう。
つまり、作品の評価が、作品以外の領域にまで及んでいるというか。

現代美術の方がエリート主義的で排他的な印象がある。
(あくまで印象ね)
確かに古典はエピソードを知ってないとわけわからないけど、
それは当時の人間にとってはかちかち山みたいなものでしょ?
排他的ではないと思う。
現代の人も普通に本でも読むみたいにすればすぐわかる話しだし。
いわゆる現代美術はちょっと思考することを求められるし、
作品に対して批判的であることが求められる気がする。
168:2001/06/21(木) 01:25
>>10
古典的な絵画はいわゆるアレゴリーやイコノロジーを抜きにしても
絵画として現代の作品よりもはるかに複雑であったりする。
社会的背景や作者の込めた隠れたメッセージがわからないからと言
って、それが単なる「小奇麗な」作品になってしまうわけではない。というかその時点でただの「小奇麗な」絵になってしまうよう
なものは歴史的資料ではあるかもしれないけど、芸術としてはたい
したことがないというだけのこと。そういう作品としての判断がで
きない人間が「古典的作品はコンテクストを知らないと楽しめない」
なんてことを言う。
必ずしも、作者の意図を読み取ることや作品の背景を知ること=作
品の理解、ではない。

後半の文章について。 一方であなたは古典的絵画がコンテクストを知らない人には楽しめない、ということを否定的に述べておきながら、私が、むしろそれは現代の作品こそそうなのでは?と述べると、理解不能性の意味をスライドさせ、突如として、理解不能な作
品こそ素晴らしい! みたいなことを主張しはじめる。
なんか同じ論方で古典的絵画も擁護できそうだけど(笑)。
178:2001/06/21(木) 01:26
うわー、ひどい改行だ。ごめんね。
18goatsong:2001/06/21(木) 01:37
>>7
>古典美術というのはあくまで特権階級のものだった。

これはあまり正確とは言えないが(例えば、古代ギリシア、
共和制ローマ、中世後期から15世紀にかけてのフィレン
ツェ、フランドル、17世紀のオランダ等々)、美術制作の
保護者が特権階級であった時代・地域に限定したところ
で、その美術が公共性を欠いていた、などとはことは、多
くの場合、全くないけど。

美術が特権階級によって依頼され、それが僧院内部だと
か、貴族の寝室に飾られて、ただその内輪のみで楽しま
れていたのなら、話は別だが、実際にはそんなことはない
わけで。一方で、彼らは美術を、民衆に対する一種のプロ
パガンダとして、巧みに使っていた(権力・財力の誇示・視
覚化、共同体意識の昂揚、民衆の教化等)。その際、当
然のことながら、無知蒙昧な民衆にも容易にわかるような
表現が求められるわけで、そのために案出された約束事
が公共性を有していたわけ(最も典型的なものは、西欧の
中世、カトリック圏のバロック)。
19goatsong:2001/06/21(木) 01:38
翻って現代美術には、そういう約束事が、全くないとは言
えないが。必要条件ではないでしょ? 例えば、現代の作
家が「愛」を描く時、裸の女性も、多くの持物も描く必要は
全くないわけで、自分で考えた図像でも良いし、なんとな
れば抽象でも一向に構わない。そういう意味で、そこには
かつて程の公共性がないと思うけど。

>皆が出来る、参加することができるという意味

この「参加」が何を意味するのかわからないけど、一回の
展覧会で、数百人、おおくて数万人の「参加」のインスタレ
ーションなりパフォーマンスなりと、数千万、数億の人間が
「参加」したシャルトルの大聖堂を比して、後者の方が遥か
に公共性を持っていると思うのは、私だけ?
20わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 02:38
>>19
「必要条件」の意味が全くわかっていない。「必要」と「必要条件」は全く違う。
論理学か高校の数学の教科書でも読んで勉強すること。
21わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 02:56
害虫に居座られて、ついに、こんな駄スレまでたったか。

この板には、もう、現代美術のフィールドからマトモなレスをつけ
てやろうというような奇特な御仁は、とっくに居ないのでは?

あえて、古典と現代というダサダサのテーマに即して言うが、美
術には、書物の森と同時代の森という二つのフィールドがある。
もちろん、古典は書物のフィールドの中に多くあり、現代美術は
同時代のフィールドの中に多くあるということを、テーマに即して
モデル化したものなんだけど。

そんでね、極端な話。コンテンポラリーの森は人と人とが利害
丸出しで絡み合う「人間の森」。そこに身体を晒してをフィールド
ワークしないと分からないことが多いわけ。それに対して古典は
「書物の森」にヒキコもって居るだけでも活動できる。

だから、コピペ屋さんのモチーフはいつも「古典」。

この板でコピペ屋さんの活動が目立つようになれば、2chは「現
場の人間の情報交換を場」=「同時代のフィールド」という印象
は薄まり、コンテンポラリー寄りのユーザの関心は減る。そして
使えない板として廃棄される。そして現場の生な書き込みは、ど
んどん減る。そりゃ当然だよね。

コピペでも情報量が増えて良いという判断があるのかもしれな
いけれど、コピペをありがたがるのは、自分で史料を手繰るの
が面倒な怠け者だけでしょ。それによって、生な書きこみが減
る実害の方が問題じゃないかな。
オレが言うことじゃないことはわかっているけど、、
この板の運営観、いいかげんに考え直した方がいいよ。
22goatsong:2001/06/21(木) 03:01
>>20

>ひつよう-じょうけん ―えうでう― 【必要条件】

>ある事柄が成り立つために、必ずなくてはならない条件。
>「 p ならば q 」という命題が真であるとき、q は p の必要
>条件という。⇔十分条件

ある事柄が美術、必ず無くてはならない条件が伝統的イコ
ノグラフィー。
2321:2001/06/21(木) 03:09
>>20
おお、なんと、おやさしいこと。無料で添削ですか?
でも、某の問題は、その文章にあるのではなく、
参加の動機にあるので、そのような指摘は無駄ではないでしょうか。
24わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 03:48
>>23
そうそう古典のすばらしさを知れ!
っていってるだけだからね。
押し付けがましさと超然とした態度が人を引かせてるんでしょ。
別に知識披露は構わないけど、時々まちがってるよね。
現代美術への意識もすご〜く希薄で何言ってるのかよくわかんないし。
25わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 04:28
goatsongさんでもアゲ荒らししちゅんですね。。。。
26わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 04:30
>>22
>>ある事柄が成り立つために、必ずなくてはならない条件。
>>「 p ならば q 」という命題が真であるとき、q は p の必要
>>条件という。⇔十分条件
>
>ある事柄が美術、必ず無くてはならない条件が伝統的イコ
>ノグラフィー。

どこからコピペしたかしらないが、完全な間違い。もっと論理学を勉強すること。
必要条件というのは、「ある事柄が成り立つために、必ずなくてはならない条件」
ではなくて、その下の2行が正式な定義。

つまり「 p は q の一部」つまり「 p は q の部分集合」ということなの。

「必要条件」=「必要な条件」じゃないんだよね。条件という字句が入っていて
まぎらわしいけどね。正しい定義を知らずに、生半可な知識で畑違いの専門用語
(っても高校で習った筈だが)を使うと、いつものように恥かくだけだよ。

美術は「伝統的イコノグラフィー」の一部(部分集合)かな?
よ〜く、考えてみよう。
27わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 05:00
いつも思うんだが、goatsongの書き込みって、ただの荒らしにしか見えない。
実際、goatsongが書き込むと、どんなにいいスレでも、どんどん壊れていくし。
迷惑っていうか、辟易してる。
28中庸と極端どっちでもよし!:2001/06/21(木) 05:10
まあお互い様だろうね。
29わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 05:11
K.T.の発言は放置の方向でお願いします。
30偽善:2001/06/21(木) 05:12
敵対するな!
31わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 05:43
>>27
荒らしだと思うなら、削除依頼だせばいいじゃん。
ってゆうかこのスレが荒れた直接の原因は、どう見ても>>21だろ。
goatsongだけを糾弾するあたりは、自作自演もいいとこ。
32>>31:2001/06/21(木) 05:52
K.T.の発言は放置の方向でお願いします。
33わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 06:17
>>31
goatsongが書き込むと、いつもアンチと擁護派のバトルになって
(このスレもそうだよね。)本筋からどんどん外れていってしまう。
だからイヤなの。それがわかっていてgoatsongは書き込んでいるんでしょ。
確信犯じゃない。
34わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 06:28
いや時々本人もかきこんでるよ。
3510:2001/06/21(木) 07:31

>16

>古典的な絵画はいわゆるアレゴリーやイコノロジーを抜きにしても
>絵画として現代の作品よりもはるかに複雑であったりする。

それについては具体例をあげて議論しましょう。

>社会的背景や作者の込めた隠れたメッセージがわからないからと言
>って、それが単なる「小奇麗な」作品になってしまうわけではない。
>というかその時点でただの「小奇麗な」絵になってしまうよう
>なものは歴史的資料ではあるかもしれないけど、芸術としてはたい
>したことがないというだけのこと。

でもそれはラーメン屋にいって俺はここのラーメンが好きだけど
俺は麺食いだからスープを残すといっているようなものでしょ?。
確かにそんなことは個人の自由なんだからあってもいいと思うけど
そんなひとを本当のラーメン好きといえる?。たぶんそこの
オヤジはスープが凄い手間がかかってんだから全部飲んでもらいたい
と思っているはずだよ。確かに古典美術のビジュアルはけっこうなもの
だと思うけどでもそれはあくまで本質に至る取っ掛かりに過ぎないの
では?。

>そういう作品としての判断がで
>きない人間が「古典的作品はコンテクストを知らないと楽しめない」
>なんてことを言う。 必ずしも、作者の意図を読み取ることや作品の
>背景を知ること=作品の理解、ではない。

なるほどそれでスープを残しちゃうわけだ。一番おいしいところ
が詰まっているとこなのにもったいないな。
3610:2001/06/21(木) 07:57
>17

>美術が特権階級によって依頼され、それが僧院内部だと
>か、貴族の寝室に飾られて、ただその内輪のみで楽しま
>れていたのなら、話は別だが、実際にはそんなことはない
>わけで。一方で、彼らは美術を、民衆に対する一種のプロ
>パガンダとして、巧みに使っていた

んーだけど全てがそうだとはいえないでしょ?。それはあくまで
僧院の中だけではないかと思うんだけど。あくまで古典画家と
いうのは殆どの場合いわゆるおかかえ画家で肖像画家であったといえる
とおもう。まあでも一理あるとこもあるな。

>19

>この「参加」が何を意味するのかわからないけど、一回の
>展覧会で、数百人、おおくて数万人の「参加」のインスタレ
>ーションなりパフォーマンスなりと、数千万、数億の人間が
>「参加」したシャルトルの大聖堂を比して、後者の方が遥か
>に公共性を持っていると思うのは、私だけ?

これは言葉が足りなかったな?。参加するということはもっと
能動的な意味で全ての人が芸術家になれる。また、なるべき
ということなんです。何度もいうように難しいということで
いえば古典美術のほうが技術的には余程難しいわけで、現代美術
というのはもうそんな難しいものではないんで本当にその気に
なれば今日から行動を起こすことが出来るということですね。
ちょうど厨房が楽器屋にいってギターを買ってくるというのと
同じもの。つまり誰にでもすぐにできるという意味でよほど
公共性があるという意味だったんです。

僕は正直どちらが素晴らしいかなんてことをいうつもりは
毛頭ないですけど、現代に生きて開かれた美術形式である
芸術があるのならもっと理解があってもいいんじゃないかな
と思うわけです。もっとも殆どの場合現代美術を小難しく
してしまうのは作者ではなく観客の方ではないかと思うわけ
ですが。
37:2001/06/21(木) 11:06
古典美術は、価値の体系が出来てた時代のものであって、
そういう意味で、「分かりやすい」読めばいいんだもん。
現代美術のむずかしさってのは、価値の体系の無い時代、
なにがいいのかもわからないし、そういう意味で読みえないってことだと思うんですね。
まあ、ある意味、割り切って読めば、読みきれちゃうとこに弱さもあり。

私はおおむね、古典美術は豊かであり、現代美術は貧しいと思いますよ。

でも、現代において、古典技法で、宗教画やら静物画やら真面目に書いてる作家を、
クローズアップする気にはなれないでしょ?
388:2001/06/21(木) 11:35
>>10
例えば、これなんかどう?
ジョルジョーネ(現在ではティツィアーノとされる)の「田園の奏楽」
http://www.kfki.hu/~arthp/art/g/giorgion/concert.jpg
ジョルジョーネやティツィアーノ、概してヴェネツィア派の絵画は、
当時からしてすでにその図像学的な意味が分からなかったことで有名。
だからといって、この絵画が当時の他の図像的意味が明らかな凡百の
作品より劣るなどということはない。むしろ、その空間構造、形態関係、
色彩の豊かさ、などは、同時代の他の作品をはるかに凌駕している。
あなたは古典的作品のもっともおいしい部分が図像解釈にあると
述べられているようだ。だとしたら、逆にそのような作品を具体的
に示して古典的絵画にとって最もおいしい部分であるという、
その図像的解釈とやらについて論じてみていただきたい。
私に言わせれば、図像解釈によって作品の理解が深まることはあっても、
それによって、美術的にとるにたらない作品がすぐれた作品に転換する
などということは、ありえない。

いずれにしても、この手のスレッドって、過去の作品に実際にろくに
接したことのない人間が、単純な先入観だけで、いたずらに批判的な
意見を述べているだけに見える。別に現代美術を評価するのはいいけど、
だからといって、たいして経験したこともない過去の美術を引き合いに
出してきて、先入観だけで批判しても意味ないよ。
39わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 15:31
元ネタが分からないと面白くない古典の、かなり極端な例を挙げると。
ピーテル・ブリューゲルの「ネーデルランドの諺」小田急で(子)のほうを見た。
あれは元々教科書みたいな側面が強いのだろうが、
画面に描かれているのが膨大な諺である事、1つ1つの諺の意味が分からないと、
ただの賑々しい絵、または主人公の居ない「ウォーリーを探せ」になってしまう。

あと現代美術でも作品だけ見るんじゃなくて、
その作家の人生や人柄、人間関係などを知っていればまた違った見方が出来るようになると思う、
40わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 16:44
>いずれにしても、この手のスレッドって、過去の作品に実際に
>ろくに 接したことのない人間が、単純な先入観だけで、いたず
>らに批判的な 意見を述べているだけに見える。

1さんの書きこみを読めば、そういう展開にしかなり得ないこと
はあらかじめ決まっているようなもの。それに苦言を呈してどう
する。1さんはあえて、対立しそうなポイントを提示して、盛り下
がったこの板を盛り上げたいわけよ。それはいいのよ。美術を
ネタにして、煽りあって、みんなで楽しみたいという動機がある
から。そして、その対立のなかから漏れほとばしる、自分が知り
得ないような知識情報を、得たいという動機も同意できる。が、

>先入観だけで批判しても意味ないよ。
そうかなあ。先入観だけの批評(印象・感想)に意味はないのか
なあ。私は、ここに参加しているの方々が、どのような先入観で
美術を見ているのか興味があるので、皆さんの自由闊達な書
きこみは、いつも面白く拝見させていただいています。でもね、

それらに対して、古典絵画を援用して「無意味の烙印」を押し付
けることはないでしょう。8さんのその表現の動機こそ、美術文
化にとって無意味、否、むしろ害毒ではなないでしょうか。38の
書きこみに関しては、最後の段落がなく、参考文献一覧がつい
ているならば、板への情報提供として評価することもできますが
、現状では、あーた、作品を権威主義的主張の「道具」にしてま
すよ。それは、古典美術への愛ではない。ただの冒涜。

私は、古典vs現代っていうのは、ナンダか燃えないなあ。しいて
言えば、何が古典美術で、何が現代美術なのか、まずそのフレ
ームを、きっちり立てないことには、1さんが求めるような「対決
のリング」も成り立たないのでは?>1
4140:2001/06/21(木) 16:47
一般的な結論から言えば、どちらも難しいし、どちらも容易い。
そして、好き嫌いが主張できるものでもないし、優劣の序列が
つけられるものでもない。男と女のどちらが偉大か?という愚問
に似て、その一般解はない。こんな駄スレにレスを入れるのは
それに気がついていない厨房か、それをわかった上で対話を
楽しむオトナだけだと思う。

しかし、現状のレスの内容は、ほぼオトナのそれではないよな。

39さんも、その辺りをナニゲに指摘しているのだと思うが。
42わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 17:12
>38

>ジョルジョーネやティツィアーノ、概してヴェネツィア派の絵画は、
>当時からしてすでにその図像学的な意味が分からなかったことで有名。

これの意味がなかったっていうの?。それは簡単に納得いかないな。
充分に当時としては衝撃的じゃないの?。まず裸の女性が男性二人の
前にいる。しかも男性は洋服を着ている。当時としては極めて不道徳な
絵じゃないの?。おまけにその男性の一人はリュートを弾いている
(でも不思議なのは完全に描き切れてないということ。製作途中だった
のか?)おそらく吟遊詩人なのかな?。だとするといわゆる流れ者の
類か?。なぜそんな連中とこの裸婦は一緒にそれも和やかに話をしている
のか?。そんな疑問もこの画面から掴み取れないのかな?。とても
この絵を見て意味がないでは通用しないと思うが。確かに今の感覚
ではそんなに不道徳ということではない。どちらかというと微笑ましく
さえある。でもできた当時はとても意味がないではすまなかったと思うが。
それほど衝撃的であるし、不道徳でさえある。下手すれば風俗紊乱罪と
いうことで捕まりかねなかったんじゃないのかな?。なぜそんな危険を
犯してまでこの作者はこのような絵を書いたんだろうか?。>38
43わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 17:20
>41

でもそれをいっちゃおしめーよって感じじゃない?。
意外にわかっていると思うよ。その程度のことは
それをわかったうえで熱く論じているってことじゃないの?。
でないと端から終了、終了って感じでしょ。
44わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 17:31
>>43
>>40-41はkt
45わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 17:55
>43
いや、わかってないでしょ。
43さんは、わかっているかも知れぬが、ここのレスを見る
限り、レスつけている人は、ほぼわかっていないよ。
レスの他に何を見て判断できるの?
少なくとも42さんは、このスレのテーマがまるで見えていない。
まだ、続きがあるのかもしれんが、現状では残念ながらその
ようにしか見えないのよ。
468:2001/06/21(木) 18:59
>>42
ふむふむ。全然問題ないと思いますよ。
あなたが何の予備知識もなしに実際にティツィアーノの絵を楽しむことが
できるということを証明してくれたわけですよね。ありがとう。
当時のヴァザーリとかも、あなたと同じようにいろいろな推測を巡らし
ながらこの作品を楽しんでたんじゃないかな。
(この作品がソースとなっているマネの「オランピア」と同じようなセ
ンセーショナルな意味を当時この作品が持っていたかは疑問だけど。)

ところで、このような立場のどこが「権威主義的」なのかな?>>40
478:2001/06/21(木) 19:04
訂正
「オランピア」→「草上の昼食」でした。ごめん。
48わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 19:11
久しぶりに見に来たので、今更...、というレスかもしれませんが...。

古典美術に親しみを感じている者としては、
>一見して奇麗だけど宗教、神話、故事などの元ネタが分からないと本当の意味では
>楽しめない
と言うのは、逆に言えば元ネタさえ分かれば綺麗な絵が楽しめるという事で、
調べさえすれば、大概の人は楽しめるものだという事ではないでしょうか。

それに対して、現代美術では、
>理解するのに必要なのが感性と、比較的最近の社会情勢
となると、特に感性に関しては、簡単には手に入れることが出来ません。
ただし、元々感性の豊か(?鋭い?)な人にとっては、絵そのものさえあれば
楽しめるので、元ネタを調べるなどという手間も必要無く、楽しみ易いという
事になるのではないでしょうか。

うーん、自分に感性が無い事を暴露しているだけのようですね。
49いるす:2001/06/21(木) 20:17
>>26
論理学を勉強していながらprinciple of charityを知らないんですか?
http://www.susx.ac.uk/Units/philosophy/ugpage/phlanglec10.html
もし、知らないのならとりあえずここか他に自分で探して読んでくださ
い。
自然言語なんて結構いい加減なもので、記号と比べると論理的厳密さを
保つのは難しいわけだし、議論や会話において互いに記号論理学的な厳
密さを求めて話しが停滞するよりも、語用論的にみて強く否定するだけ
の十分な理由がないのなら、他者の発言が真となるように読み取ったほ
うが議論が進むという観点からみると有益な点が多いですよね。
積極的にこれを使ってくる人は疑った方が良いとは思いますし、解釈す
る側がそう解釈するのが難しいのに後から都合のいいように敷衍するこ
とを意図してこの法則を不当に使う場合や論外ですが、goatsongさんが
書いた文章を語用論的にみた場合、この法則を適用して「美術」と「美
術においての伝統的イコノロジー」と解釈しても重大な問題はないのだ
から、そう読み取って話しを進めるのが良いと思います。
これからもしつこそうなので無視をするつもりだったのにレスをしてし
まいましたが、次から同じようなレスをしてきた場合は、悪質ないいが
かりとみなし、無視した方が良いでしょうね。
まあ、他の人もそういう感じことを書いてますが。
同一人物が書いているだろうことも歴然としてますしね。
50わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 22:19
>>49
いるす=goatsong説が根強いんだよね。goatsongが出て来ない時は、こいつが
出てきて、かならずgoatasongを弁護する。しかも、全く同じような強烈な悪文
を書くんだよね。これほど言語障害的悪文を書く人間が、そうそう何人もいる
とは思えないんだよね。

お前の文章、なに言ってんだか、全然わからないぞ。もう一度、良く読み直し
てみろ。”principle of charity”だかなんだか知らないが、technical term
は良く意味を理解して正確に使え、なんてのは当たり前すぎるぐらい当たり前
のことじゃないか。それとも、雰囲気でわかればいいんだからテキトーに使え、
とでも言いたいのか。お前、どういう教育受けてきたんだ。お前、他分野の専
門用語は言うに及ばず、美術関係の専門用語も意味もわからず、適当に使って
んのか?
51わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 22:25
>>49
K.T.の発言は放置の方向でお願いします。
52>K.T.と、その手下へお願い:2001/06/21(木) 22:49

>51、何をあせってるのか知りませんが、
K.T.を名のろうと、何のコテハンを使うのも結構だけれど、
この板だけで、遊んでてよ。(あなたの博識は認知されました。)
あなたと、あなたの手下の自作自演は、疲れる。
53わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 23:22
コンテクストがどうのという議論の場合、
本を読む前と読んだ後の印象を比べてみたらいいんじゃない?
54空耳:2001/06/22(金) 00:32
>>50
根強いのは残念ながらあんたの頭の中だけじゃないの?
かわいそう(涙)

>>48
同じ意見だなあ。私も。
そういう意味では現代美術はエリート的だと思うんだよねえ。
私の意見黙殺されちゃったけど。
55わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 02:49
>>49
私の趣味の一つは悪文の収集です。いろんなジャンルの悪文を集めています。

このいるすさんの文章、素晴らしいです。特に5行目の「自然言語」から始ま
るセンテンス。その次の10行目の「積極的に」から始まるセンテンスは、
素晴らしくて文句のつけようがない。日頃、悪文に慣れ親しんでいる私でも、
めったにお目にかかれない、堂々たる悪文です。

どういう修行を積めば、このような素晴らしい悪文が書けるようになるのか、
教えていただきたいほどです。もうここまでくれば立派な一つの才能でしょう。

これからもどんどん、その才能を伸ばしていっていただきたいものです。
そうすれば、きっと、あなたの文章を読んでくれる人は(私を除いて)限りな
くゼロに近づくでしょう。

いるすさんの文章をもっと読んでみたくなりました。他スレを探してみます。
56わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 04:21
いるす=居留守だもん。ilsって書いてたけどダブルミーニング
だってトリプルだっていーわけで。
べつにばれてもいいって感じなんでない?
57わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 04:38
てかilsって読み方「いる」だけとね。
リエゾンしてね。
58わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 05:33

>>55
なんだか、病的な欲求不満だね、こりゃーー。
しかし、この人も「悪文」て、言葉がすきだナー

他にも一人いたなアー。「悪文」を連発する人が。
59わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 09:19
しかし、擁護派(親衛隊?)はご本人も含めて、
そろいもそろって稀代の悪文家ぞろいだから、
アンチは攻めやすいよな。どこからでも攻められる。
60わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 14:22
悪文かどうかはしらないけど個人的にはいるすの文章が一番意味不明。
61わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/22(金) 15:18
悪文

へたで読みにくい文章。文脈が混乱したりして、わかりにくく、
意味のとりにくい文章。

(『日本国語大辞典』初版)
62わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 16:19
>>56
オレも、別それはかまわないと思う。

ただし、それを使って行われていることが、
鑑賞板の私的独占ということであれば、話は別。

擁護派がしている事は、ktをスケープゴートにした
ファッショじゃん。

オレの書き込みまでktってことにされたし。
「鑑賞板のために」ってなんだよ(藁
おめーらの方がよっぽど鑑賞板のためになっていないよ。

不都合な意見に続々とktのレッテルを張り、同時にアゲ荒ししている
ところを見るともう、こんな板に書き込みする気は失せるよ。どうせ
それが狙いなんだろ。

今、最もアクチュアルな対立の構図は「現代と古典」ではなくて、
「美術をダシにしたファシズムと、それに対するリベラリズム」。

擁護派は、陳腐な対立構図で問題の本質を隠蔽しようとする。>>54
まさに親衛隊、Hitler-goatsong-Jugendだね。
63プップクプー:2001/06/22(金) 16:27
ヴぁかかこいつ↑ プ
くだらなさ大爆発 ププ
64わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 17:07
えーと、一番最初の書き込みについて
まず「現代と古典」という問題の立て方がまずいですね。
どんな古典のことを指しているのかわからないなあ。
古典といってしまうと、なにか定義が必要になりそうだし。
だから古典と言わずに、単に古いものと我々との関係を考えてみると、
その古いものが現れた当時の背景はほとんど失われているわけだから、
いまここにいる我々の気分と知識をその背景とするしかないでしょ?
それは結果として読み替えになるはず。厳密な考証を試みても
せいぜい恐竜の想像模型のような感じにしかならないのでないかな。

それから、どちらが難しいかという問いですが、
難しさというものは、縁の遠さということであって、
考えや見方が進んでいくと、難しさはどこかに消えてしまう。

だから「難しいもの」ってのは、
現時点での「わたし」には縁がないものってことになるじゃない?
エベレストのような難物を征服するのが、
あなたの喜びだと言うならば話は別だけど、
それがなんなのかしら。
それよりも、気が付いたらいつのまにか頂上に立っていた、
という事態の方がすてきだし、それも道の途中にすぎないんだから。
65ZZZ:2001/06/22(金) 17:11
あー、それから上のレスですが、
どうせ叩き潰されることになるんだろうから、
コテハン付けときます。
64=ZZZです。
66わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 17:46
>>62
俺は結構、同意しちゃったりする。
goatsongさえいなければ、この板もまともになりそうだしね。
goatsongの書き込みのあるスレは全て結果的に壊れているし。
67わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 20:05
基礎的な事で疑問を持っています。(>>64と絡む?)

描きたいから描いた、という、元ネタ無しの古典(的手法?)絵画と
元ネタがあるけど作者が元ネタを公表していない現代(的手法?)絵画が
あった場合、これらの解釈はどのようになるのでしょうか?

また、1枚の絵があるだけの場合、それが、元ネタを持っているのか、
持っていないのかは、どのようにして判断できるのでしょうか?

ここで言う古典と現代は、どのように区別されるのでしょうか。
68kitty:2001/06/22(金) 22:18
その状況は匿名掲示板なのですから、アタリマエで、非難されること
ではありません。

ここでは、まず、掲示板にカキコをする人の動機を考えたい。
掲示板に「逃避」を求めるのか、それとも「他者」を求めるのか

逃避を求めるひとは、現実での「他者の支配」からの逃避があるので
はないでしょうか。だからこそ、「自分の支配」できる世界が欲しい。
だが、その結果板の中で起き得ることは、罵倒家たちによる、「形を
変えた政治の継続にすぎない」わけです。罵倒家は、式神=複数ハン
ドルを駆使し、板のコントロールすることを至上目的に活動する。

他者を求める人は、自分たちとは異なる新しい血=知の発見を求め
て掲示板に参加してくる。複数ハンドルを使っていては、他者の存
在が薄まるので、「式神」は使わない。

※ もちろん、
逃避先を求める人のすべてが、「式神使い」とは限りません。

逃避を求める傾向が多ければ、荒れて衰退しますし(ex.学芸員スレ
)、他者を求める傾向が多ければ、内容は豊かになる。

現実の「美術」にも、
「逃避を求める傾向」と、「他者を求める傾向」、ありませんか?


さてさて、ファシストはだれだろう。
69わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 22:35
>>68

やめとけ、やめとけ、
そいつは、ガイキチのSAP野郎だ。
70kitty:2001/06/22(金) 22:47
そして、いうまでもなく、GS氏が、この板で駆使する「大文字の
歴史」という装置は、権威主義者達の道具として、1980年代に(
ヘーゲル的歴史観の死として)遺棄することが、呼びかけられ
ていたものではなかったのか。
71わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/22(金) 23:02

>59〜>68
K.T.が来るまで、こんなまとまった理路整然とした
名文?の書き込みがあっただろうか?

 まさに、コテハンを巧みに使い分けgoatsongを執拗に
落とそうとする、KTと彼自身が操るレスの企みに思えて
しかたがない。文章の形、改行、そして思考形態を
注意してみると、まったく同じじゃないか?
(>63 なんて、自作自演を見せる最たるもの。)
ファシストなんてもんじゃないだろう。単なる
   一人の我がままだよ。

なぜgoatsongの悪文?に、そこまでこだわるんだ?
goatsongが落ちるようなことになれば、それこそ
ファシストだよ。(goatsongさん、の敬称略)

名文のレスが楽しみだ
72わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 00:57
goatsongネタはもうつまらないよ。
そんなにムキになって相手にする玉か?どうでもいいよ、こんな奴。
どうせ奴のカキコなんて親衛隊以外は誰も読まないんだし。
確かに目障りな奴だから、親衛隊と一緒にどこかのもっとマニアックな
掲示板にでも逝ってくれれば、平和は訪れるだろうけどね。
73わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 01:06

>>72
お前が、逝けばいいだけのこと。
あんたの、goatsong 叩きは見ずらい。

何でなんだ?そこまで?
74わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 01:27

>>73

なんでそんなにマジになってんの?
たかが2chの煽りにマジに反応するなよ。
75 :2001/06/23(土) 01:43
76 :2001/06/23(土) 01:45
77〜′ ̄( ゚Д゚) < カコイイ:2001/06/23(土) 02:04
煽り・叩きどこふく風
goatsong カコイイ (・∀・)!

右往左往するやつら まとめて逝って良し!
78わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 02:22
>>77
このままずっと、煽り・叩きどこふく風で寝ていてくれるといいね。
79わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 02:29
goatsongあいかわらず大人気だね
80>>GSにたかるハエども:2001/06/23(土) 02:30
    / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
  /  / ̄\  ヽ
 /   /  \  ヽ、、、ヽ
 |  /  (・)   (・)| |
 |  |      つ  | |
 |  |    ___  | |  ぺっ
 |  |    \__/≡        ゚◯
 ゝ‐イ\.   ・   /ノ
  /   ̄ ̄ ̄ ̄\
81わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 02:59


もう少し、頭のいいヤツかと
思ってたがなあ。K.T.よ。


(時間を見ろよ。自作自演、バレバレよ。)
この時間にレスするのは、わしと、おまえしか
いないだろうが。情けないヤツじゃノー。
8280保田ですが:2001/06/23(土) 03:44
>>81 おまえともKTとかってやつも知らん
83わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 04:47

ばかたれ!

 この板で、KTを知らんやつが、おるか?
 KTを知らんと言えるのは、KTだけじゃ!

 ちっとは、頭をつかえ!
 
84わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 04:51
KTネタならこちらへ移動してください。
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=993217745&ls=50

そろそろ、本題に戻りませんか?
85わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 05:10

 なかなか

 もう少し、遊ばせてよ。
 時間は無制限なんだからサ。
 あわてること、ないじゃない。
86わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 12:30
age
87わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 12:31
a
88わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 12:49
古典美術を現代美術の様に鑑賞すると、意味が無くなってしまうの
しょうか。
89わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 15:35
>>88
美術作品の意味が「無くなる」ということはありません。価値とは異なり、
意味は害虫のように、感覚がある以上、叩いても叩いても出てくるものです。

しかし、恣意的な鑑賞によって、既存の意味が「失われる」危険性はあります。
それは、古典美術でも現代美術でも同じです。
ちなみに、超平滑論が、既存の美術屋から腐されるのもその辺りが原因。
「超平滑論は、娯楽としては面白い」ということだけゆうときまひょか。
90わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 15:55
古典好きは過去への権威づけに逃げ込みたいだけじゃないの?
大本を自分で価値判断できないからでしょ。
凄いものと定義されてしまったものを「何故凄いのか」
っていう作業に収斂するだけ。
「死んでから評価が下る」のを待ってる人が何ゆえに尊大な態度?
91わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 16:25
>>90
あのー、古典版画や絵画が好きですが、それは、人物などが理想的に
とても美しく描かれているからです。単純ですが...。
恐らく、美術に非常に親しんでいる人達には、既に飽きられている
のでしょうね。

古典版画を収集(という程でも無いですが)してもいますが、原画
(がある場合が多いです)の作者も知らずに購入したりしています。
キリスト教に関連した一場面を取り上げているものなどは、その場で
何の場面か分からなくても、調べれば大抵わかりますし、その過程で
他の作者の同じ場面の作品なども知ることが出来るので、その過程も
楽しんでいます。

古典絵画も持っていますが、サインなど入っておらず、古い物かどうか
も怪しかったりします。それでも購入するのは、そこに描かれた天使
の美しさに惹かれるからです。

確かに、印象派などの熱烈な支持者の中には、単に権威に依存している
としか思えない人達もいますが、そうでない人間もいますので、一纏め
での判断ではなく、もう少し細かい分析をお願いします。
92空耳:2001/06/23(土) 16:36
全然飽きられてないって!古典は。
>>90の考察はあまりにもいい加減すぎだと思う。
評価する為に美術に接しているの?
93わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 17:31
>>89
何の知識もなく、初めてミケランジェロのピエタを(写真で)見たとき
には、深い悲しみを感じて感動したものです。たとえコピーであったと
しても、立体の像を見たとしたら、もっと感激したと思います。
しかし、後であれがマリアとイエスであると知ったとき、”マリア若過
ぎだろっ!”などと、つまらない感情が混じってしまいました。

勝手な想像で、ミケランジェロは悲しみを表現したかったとします。
その場合、マリアとイエスである必要も、その年齢がその場面に
合っている必要もありません。
マリアとイエスが対象として選ばれたのは、その背景が悲しみの深さ
を表現する事に向いていたのと、その情景を多くの人が想像し易かった
為、と考えてみます。
そうすると、必ずしも使われている場面の意味は必要では無いのかも
しれない、とも思えます。

まあ、都合のいい解釈をしているのですが、例えだと思って下さい。

もしかすると、”既存の意味”は失われるのかもしれませんが、作品の
意味はしっかり残りそうです(意味は失われない、と既に指摘されてい
ますが)。
また、”元ネタ”自体もどれほど意味があるのか疑問です。
”元ネタ”の意味が失われるとしたら、古典美術と現代美術を分ける
(このスレ上での)指標が失われてしまいますね。

いかん、何を書いてるのか分からなくなってきた。

”超平滑論”は、恥ずかしながら初耳です。勉強してみます。
94わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 17:44
「誤読」こそ、美術鑑賞の醍醐味。
しかし、誤読を「誤読」として愉しむためには、
何が「誤読」なのか分らないことにはできないんだよなあ。
95わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 18:06
『「誤読」であると知らされる』
でしょ。後付け。
もう本意を知ってしまったらそこから抜け出すなんて容易ではない。
もともと自分が誤読したものを修正するか執着するか、それだけでしょ。
96わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 18:11
>>94
正誤の判断は、どのようにして可能なのでしょうか。
作品の意味は、それを描いた人にしか分からない様に思えますが...。
9794:2001/06/23(土) 18:30
レスどうも。>>95
いやいや、私がいっているのは、
「定説⇔誤読」ですよ。
定説を知らなければ誤読もないわけで、
定説を知っていれば、より深く作品を味わえるし、
それで会話もより愉しめるというもの。
ただ作品を眺めるだけじゃなくてね。
美術鑑賞は、お勉強じゃあなんだからさ(笑。
9897:2001/06/23(土) 18:39
ゴメン。マチガイ。
美術鑑賞は、お勉強じゃあないんだからさ(笑。
「ない」の「い」が抜けた。鬱だ詩嚢。
99わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 19:58
>>94
あなたが>>96の素朴な疑問にきちんと答えられるかどうか、とても
心配でなりません(笑
100わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/24(日) 01:56
>>97
「定説」に合わない解釈は、「誤読」なのでしょうか。
正確なことを知らないので、的はずれな事を書いてしまうかもしれませんが、
「定説」って、有力な評論家の解説とか、最大公約数的な(多くの人が納得出来る)
ものだと思っていました。
もしそうだとしても、その作品に詳しい人の解説は、より深く作品を味わう助けに
なるでしょうし、最大公約数的な解釈も、それを知っていれば共通の話題として、
会話を楽しめるのも事実だとは思います。

しかし、「定説」は、作者の意図を反映したものなのでしょうか。
101わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/24(日) 07:20
「定説」というと、どうしてもライフスペースを思い出してしまう。
「定説」も当時、大流行語になったな。
102いるす:2001/06/24(日) 15:26
http://www.bradshaw-foundation.com/
http://www.bradshaw-foundation.com/oldsite/early.htm
http://www.bradshaw-foundation.com/oldsite/index.htm
Bradshawという名前の人が発見したオーストラリア北西地方の壁画

http://www.bradshaw-foundation.com/savethegiraffe/contents2.html
http://www.bradshaw-foundation.com/coso/bigpet-canyon1.htm
http://www.bradshaw-foundation.com/africa/libya.htm
アフリカの壁画とかいろいろ

web見てたら偶々オーストラリアの壁画を見つけて面白いとおもったのです
が、こういうのも美術で研究されているのですか?
美術史のガイドブックのような本では早くてもメソポタミアあたりの政治が
機能しているような時代から書かれていることが多い気がなんとなくするの
ですが。
どちらかというと考古学に入ってしまうのかな。
103わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/24(日) 15:53
>>102
いわゆるアボリジニとは系列がちがうんでしょうかね?
アボリジニの砂絵はまるで抽象絵画みたいでおもしろいですよね。
104わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/24(日) 16:32
アボリジニの絵もおもしろいですね。
どことなく、雰囲気が似てるかな。
アフリカとはちょっと違う感じがして。
アフリカの方がどちらかというと写実的?
歴史は疎くて詳しくしらないのですが、銃・病原菌・鉄などを見る
と、オーストラリアは他の大陸と関わりが少なかった、というよう
なことが書いてあったりするので、もしかするとアボリジニの祖先
が描いた絵かもしれませんね。
http://www.bradshaw.dk/pages/kimb_map/kimb_map.html
もしそうだとすると、地理的にはこの辺りの祖先かな。
105いるす:2001/06/24(日) 16:33
>>104は私でした。
106わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 01:23
古典か現代かの区別は、制作者にしか意味の無いものではないでしょうか。
そして、それは難しいか易しいかとは無関係な物だと思います。

現在創作活動をしている人が、評論家に”古典”であると判断されると、
それは、過去の模倣でり、オリジナリティーの欠落した作品という烙印を
押された事になるため、古典的手法を避けているのではないでしょうか。

しかし、鑑賞者にとっては、その作品が自分に何らかの感情を湧き起こさせる
かどうかが全てであり、それ以外の情報は不要に思います。

また、難しい、易しいの判断は、正解が存在しており、正解に到達することが
困難な物を難しい、容易に正解に到達する事が出来る物を易しい、と呼ぶはず
ですから、正解に到達することを目的としていない芸術とは無縁のものだと
思います。
107わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 02:51
>>106
>過去の模倣でり、オリジナリティーの欠落した作品という烙印を
>押された事になるため、古典的手法を避けているのではないでしょうか。

こんなのどうよ? John Currin

http://www.carnegieinternational.org/html/art/currin.htm
108わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 23:17
>>107
これ、古典的手法ですかね。
現代的に見えますが。
109わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/21(火) 00:29
ラファエル前派みたいに、古典的手法で新しい表現を
獲得している例もあるよ。
??
111誘導:01/12/24 11:21
古典の延長線上に現代があるって考えると、
その区別は「いま」を生きる私たちには難しいことだと思う。
それよりも人の視点が時間を超えることの方が私には魅力的に見えます。
そのトリガーかな、ここでの議論。go ahead.
113わたしはダリ?名無しさん?:01/12/27 13:48
age
114わたしはダリ?名無しさん?:02/02/12 17:35
ageru
115わたしはダリ?名無しさん?:02/02/25 18:06
動物的な生き方
しか
もう
現代性
というのは
ないといってた人が
いたんじゃなかったかしら

条件反射で生きているだけで
反省しない
だから歴史も当然古典もない 
ほんとうかしら?
116わたしはダリ?名無しさん?:02/02/25 18:43
カリンみたいのももう飽きたな、
なんていうか、その前の時代にてタブーになってたものを持ってくるのね。
それも2順もしてくるとウンザリする。

っていうか、ポップの頃にパンツ女のケツだけクローズアップして描いてる人いたけど、
あれとそう変わらないような気がするな。

117わたしはダリ?名無しさん?:02/04/15 06:51
そろそろまとめ
保守
119わたしはダリ?名無しさん?:02/10/22 20:00
まとめ
120わたしはダリ?名無しさん?:02/10/26 18:09
既存の技術を使うのが古典。

何しろ新しいというのが現代。
121山崎渉:03/01/08 23:17
(^^)
122山崎渉
(^^)