複製でも感動するか?

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78わたしはダリ?名無しさん?
完璧な複製ができるアートにおいての感動や価値

CDを考えてみよう。
いまや音的に言えばほぼ100%のコピーが瞬時に格安で作れる。
ライブやコンサートは違う。
しかしCDで感動する人はけた違いに多く、価値もある

純粋に鼓膜・網膜刺激で成り立つ感動
背後関係、状況との絡みで増幅された感動
周辺・流通産業によるプロモーション

ふふ。完全な複製が簡単にでき、数万枚単位で流通したときに
かならず質的な評価も変わると思うね。感動しなくなるやつもいる

大衆性と質の相関関係は美学の本質なのさ
79わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 03:20
ちょっとも変わらんもんが何枚もでけて、2万か3万で

買えるようになったら、誰もビックリせんようになる。

絵は1枚しかないさかい、えらい。

いっぱい作られる、CD聞いてビックリするんと根本の違うとこや。

と、言いたいんやろ。

どや、わしも賢いやろ。
80ナナシノ:2001/06/16(土) 03:32
>>79
そやけど音楽に関しては別の方面から考える必要もあるやろ。
オリジナルへ限りなく近づくことを目的として録音技術を
向上させるベクトルがある一方で、スタジオ再生を「オリ
ジナル」と定義する音楽活動も仰山あるで。「複製」される
ことに自覚的な連中を忘れたらあかんで。
81わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 03:36
ふん
これだから事の本質に迫ろうとしない奴らは困る

CDと(大量完全複製が可能になった)絵は根本的に同じさ

表現というもの(ま、アートといってもいい)の魅力とは、
なにをもって美しい、すばらしいと考えるか、とは、
大衆性というファクタは避けてとおれない、むしろもっとも
重要ってことなのさ

フェティッシュに愛玩するものだって大事だけど、
そこには行き詰まりがあり、質の崩壊が待ち受けている。
退廃の美学かな。

それもいいけど、事の本質は広がりと(価値観)の消費にあるのさ
ま、美に永遠の価値なんて求めないことだね。あはは
鑑賞されるべきものは、価値ではなく、価値の変遷なのさ。わははは