952 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/04/14 15:01
>>940 それであってると思うよ〜
いろんな角度から見たモチーフを
同じ絵の中に入れたわけでした
キュビスムの分解は、目で見たものほど不確かなものはない、です
ピカソは、名前の長さがすごいです。
終了
ヨァ愛哀
ψψψψψψψψψψψψψψψψ
淫雨
怨炎液
潔血鶏
堕損村
ΨΩΗΦΥβδθΟΨ
怨宴園
雲運影
956 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/05/01 16:51
ピカソの花瓶がリサイクルショップにあった、1500円。
957 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/05/06 23:50
ピカソの絵・・・・$104 Million 記録更新
958 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/05/07 11:30
ピカソがいなかったら、ウォルト・ディズニーは、ミッキー・マウスを描けなかった。
ピカソは、現代美術の祖。
959 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/05/07 15:12
ピカソはわたしのお父様、
わたしはピカソのご落胤、
卑か粗かピカソかダリも知らない。
「パイプを持つ少年」を130億円で落札したのダリ?
961 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/02 21:31
久しぶりです。まだこのスレあったんだっ!!。最近はほかの板に
いってたんですけど人大杉で過疎板に行こうと思ってこちらにまた
帰ってきたわけですが(^^;。
なんか名指しされているみたいなので久々書き込みします。
>>935 >鑑賞者に
>とってはそうではないだろう。現代演劇作家が何をいおうが、
>シェークスピアを超えてる可能性は限りなくゼロだ。
なぜここでシェークスピアなのか?という疑問はおいといて。なぜ現代
の作家と比べてシェークスピアがいいといえるの?。確かに古典ですばらしい
ものはあるよ。でもシェークスピアが生きていた時代と今とは状況も価値観
も違うはず。それになぜ超えられないおもうのか?。それは一方でどうせ越え
られるわけないと思っているからじゃないの?。ここで大切なのは超えるか
超えないかというよりも超えようとしているということが大切なんだよ。
またそれは鑑賞者にも言える。俺は表現者であるけど一方では鑑賞者でも
あるわけ。で、俺は現代作品のなかには横っ面を思いっきりひっぱたかれる
ような知的衝撃があると思うわけ。その感動は俺にとって古典の優れた作品と
まったく等価なんだよ。価値観が違うんだから同じ尺度では測れない。でも
その感動に差はないわけよ。
962 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/02 21:32
それにもっと重要な点を。古典の優れた作品を一億出して一枚買うなら、
現代作家の優れた作品をウン十枚買うほうがよほどいいということ。
なぜなら感動に古典も現代も差がないからだ。古典を一枚買ってすばらしい
と陶酔するのと、「何でこれが芸術なんだ?!。」とガーンと何枚かで
くるのでは後者のほうがお得なんだよ。それがわからないのがなんとも
じれったい。間違ってはいけないのはピカソだって印象派だって認められ
る前は前衛だったんだよ。つまり後から世間一般の感性が追いついてきた
わけだ。今の現代美術に感性が追いつかないと思うかい?。
ここで折り紙の話をするけど折り鶴ってあるけど、なぜみんなあれを鶴
だと思うんだい?。幾何学的な物体でどこも鶴に見えないじゃん?。
でもあれを不思議だと思う人はいないよね?。近所の魚屋のおばちゃんや
八百屋のオヤジでもあれを鶴だという。翻ってなぜピカソの作品は難解
だと思うんだろう?。つまりピカソは折り鶴なんだと。そう思えば難しくも
何ともない。
>しかし、ピカソに同時代性を感じないという感性も、おかしくないか?
>100年前という数字に騙されているんじゃないか。
>ピカソの描いた不安も恐怖も、そして快楽や罪もみな現代人が共有できるものだ。
共有できた時点で過去のものなんだよ。作家の感性は先に行こうとする。今まで
みんなが拘ってたものから一つ一つ剪定するように余計な線が省かれ新しい
表現が加わる。それを見て過去の作品をみんな見てるから変だという。そうじゃ
なくてなぜ作家がそのような行動にでたかを知るべきなんだ。それがわかれば
作家の気持ちを共有できる。なぜそうならなければいけなかったのか?。
それがわかるとものすごい知的衝撃がやってくる。俺はそれをみんなに知って
もらいたいよ。
そろそろこのスレおわしちゃおうよ。
963 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/02 21:51
>940
>時間の観念
よくピカソのキュビズムを説明するときそんなこといわれるね。確か
大川某にピカソが乗り移ったときも同じことを言っていた。でも俺から
すればそれは後付けの理論だよ。なぜならいくつかの理由がある。
まずアビニョンの娘達がいきなり書かれたものではなくあれが書かれるに
あたっていくつかの習作がある。その習作はすべてイベリア彫刻やアフリカ
彫刻の模写から始まっている。オリジナルを見てもわかると思うが向かって
左側の表現は明らかにイベリア彫刻やアフリカ彫刻の影響がみてとれるね。
でもそのまんまだと面白くないしピカソはその大胆なデフォルメに影響されて
ひとつひとつ余計な線を無くしていって結局ピカソ自身の表現にたどりついた
という見方が俺は自然だと思う。
どうしても鑑賞者というのはこういう枝葉の部分に目がいきがちだ。パピエ・
コレだってこうやったら面白いんじゃないか?その程度のことだよ。絵画的な
効果を純粋に考えてやったにすぎないよ。でも大切なのは時間の観念が云々
なんてことじゃなくて「こんなことやっても許されるんだ」ということが
よほど大切だということ。
画面に単なる気まぐれで張った新聞紙がやがて巨大化し画面からボトンと
落ちて、あるときは便器になったり、腐ったうどんになったり。もっと
マクロな見方をしないといけないと思うよ。
>>961 こんなに遅れてレスがついたのにはびっくりだ。
まあ、黒木氏の自作自演と思われないように書いた部分なわけだが、
歴史的にみて、どんな分野でも、偉大な業績がそうそう達成される
ものではないのは事実だと思う。
その時代の作家にしか生み出されえない衝撃のある作品というのは、
いつの時代にも存在し続けるし、それゆえに、芸術には存在理由が
あるといってもよい。しかし、時代を超えた普遍性というものを持ちうる
作品は、ほんの一握りしか存在しない。そうした作品を「唾棄」すべき
ものと考えるのは、やはり鑑賞者が一般にとるべき立場ではない。
創造する側であっても、古典の価値を認めない作家の作品が、「人間」
になんらかの「衝撃」を与えうるのかは疑問だが。
それは、人類の歴史に対する冒涜だと思う。
演劇の例を出したのは、現代作品と鑑賞者の乖離がもっとも少ない芸術分野
だと考えているからだ。ラシーヌやチェーホフだってよいのだが、シェークスピアなら
誰でも知っているだろうから例示に使っただけだが、演劇の最高峰という意味
では、ふさわしい例だと思う。そういう場合(つまり、一般大衆が、最新作品に
大きな興味を持ち、パトロンとなりうる分野)ですら、古典を超える作品はめった
に存在しない。多くの人々が現代作品を楽しみ、そこから多くのものを得ている
分野ですら、それ以上の感銘を与える古典作品が存在し、しかも鑑賞者の
多くもそれを認めている。
音楽と視覚芸術(あえて絵画と呼ばないが、映画を含まないつもりだ)の分野
では、乖離が著しい。そうした分野で、現代作品の重要性を主張すること自体
は、共感しうるが、「古典」を捨てるとの主張には同調できないということだ。
今回のレスで、君がいうように、古典と等価であるという主張であるならば、
私も全く同感である。私が君の主張を読み間違っていたのか、あるいは
君のレトリックだったのか定かではないが。
ピカソの同時代性についての意見には納得していない。
100年前は「現代」の範疇だと私は考えている。
人間も社会も、完全に連続した状況の中にある。
その「現代」の中で傑出した表現者であったピカソに関して、
「古さ」を感じたことは一度もない。
今日の創造者の作品に比べてもということだ。
スレのついては、
確かに、「どこがすごい」なんて論じるスレはお遊びにしかならないが、
すごいものを「すごい」といい続けてもいいだろう。
こういうスレを立てる奴がいる限り、ピカソは「現代」の画家だといってよい
と思うがね。
レスしてくれたことに感謝する。
まともな論客に滅多に出会わないから、面白かったよ。
966 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/03 14:51
>こんなに遅れてレスがついたのにはびっくりだ。
ここが過疎板でなければレスがつかなかったでしょうねw。過疎板であることを感謝です(ヲイ)。
>そうした作品を「唾棄」すべき
>ものと考えるのは、やはり鑑賞者が一般にとるべき立場ではない。
この言葉は一表現者としての言葉ですね。で、ここからが微妙なんですけど表現者というのは
唾棄すべきだとはいっても同時に非常に愛して恐れおののいているもんなんですよ。その気持ちは
500戦無敗の偉大なチャンピオンに向かっていくぽっと出の挑戦者のような気分です。つまり
誰よりもそのすごさ、怖さというのはわかっているものです。でも戦う前にチャンピオンを「すごいすごい
俺なんかが勝てるわけない。」とはいわないでしょ?。「あんな屁たれ俺の左ストレートで軽くのしてやる。
その時間一分だ。」というでしょ?。そういうものですよ。
967 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/03 14:53
ピカソはそりゃすごいですよ。一表現者として考えるととんでもないパワー、そして完全無欠の自由です。
それを凌駕がするなんて一歳のあかんぼが一人でエベレスト登頂に向かうようなもんです。でも超えよう
としなければ何も起こらないのです。
つまり鑑賞者と表現者では埋めきれない溝があるということなんですが、でも鑑賞者でもその距離を
縮めることはできると思うのです。でも縮めようとしなければ永遠に縮まることはしない。ピカソが素晴らしい
と思うのはあなたがすでにピカソを理解したということなんでしょう。ちょうど身の丈になったということ
なんでしょう。すでにあなたはピカソと親友なわけです。しかし一方であなたの近くで奇妙な行動を取る
奴がいる。どうも不気味です。何を考えているか皆目わからない。その人たちを近づけようとしようと
すまいと彼らはあなたの近くにいつもちょこんといる。あなたに声をかけてもらえるかどうかを待っている。
表現者が同時に鑑賞者の場合物事は簡単です。気軽にそいつらに声をかけて「何してんの?。」で
友達になることができる。「お前なかなか面白いじゃん。」で友達になれる。でもそれはなかなか勇気が
いる行為なわけです。
ピカソと友達になれるあなたはなかなか教養と感性が同居している洗練された人なのだろうと思います。
でもその感性をお持ちならあなたの間近にいるもっといろんな人と友達になることができるのにとも
同時に思いますね。
968 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/03 15:14
なんか前から気になってたことなんですけどこの際書いておきます。
解ったということと理解したということは全然別種のものと考えます。わかったというのは
頭の中で解ったということで実感が伴わないもののこと。理解するというのは、それも
含めて、何も言葉もいわないでも泣けてきたり呆然としたり考えさせられたりということです。
多くの場合、後者の理解というのはなかなかされません。この場合は真の友達になるというより
「俺は俺、お前はお前。存在は認めるが俺には関係ない。」と宣言するものです。それは理解
したということではないのです。
どうも自分自身解かった、理解したと書くとなんかうそ臭いというか俺の内なる声で「そんな
簡単に理解できるものか。」という声がしてしまい言葉の表現に苦しみました。
ピカソは俺はそろそろ理解されても当然と思います。相変わらず解かったという実感が
伴わない理解が多くて閉口します。少なくても>935さんは同時代的な実感を感じている
ようですからもっとこのような方が増えれば良いと思うのですが。
ま、俺はそれを見越した上でピカソは過去の人だといってるんですけどね。いまだ現在にも
至らないという人が多いというのは嘆くべきです。
>>黒の騎士殿
レスどうもありがとう。
これほど丁寧なレスを2ちゃんでしてもらうことがあるとは、
恐縮です。
いままで、幾分揶揄して「黒木氏」と書いていた点について
ここで謝罪しておきます。
なお、誤解を招いたかもしれませんが、
私は「現代美術」の鑑賞者のつもりで「も」おります。
(コレクションしていないので、よいパトロンではない。)
今後も多くの現代作家の「お友達」でいたいと思います。
今後のご活躍をお祈りいたします。
970 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/05 05:49
>解ったということと理解したということは全然別種のものと考えます。わかったというのは
頭の中で解ったということで実感が伴わないもののこと。理解するというのは、それも
含めて、何も言葉もいわないでも泣けてきたり呆然としたり考えさせられたりということです。
「解る」と「理解」。その解釈、普通は逆じゃないのかな。
971 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/06 22:32
私はこれから芸術に深く関わっていきたいと思う者ですが、
今までピカソのゲルニカには何か圧倒されるものがあって、
「海辺を走る2人の女」のような自由な解放感に満ち溢れた作品もすごく
好きなのですが、泣く女のような平面的な作品にはどのような意図が
あってピカソが描いたのか想像しても理解できなくて、周りですばらしい
というのだからすばらしいのだろうと考えてもわからないくせに思いこんでました。
でもどう考えても理解できませんでした。
このスレを見ていたら、ピカソに少し近ずけた気がします。
黒の騎士さんの意見もわかりやすく、自分の、ピカソの絵の見方がこれから変わって
展開していけそうです。このことから自分の芸術も展開していけ
たらいいのですけれど。。私も黒の騎士さんのご活躍をぜひ願いたい
です。
初心者なものでスレ違いな所も多々あったと思いますがぜひここで言いたかった。
文章力もないものでご勘弁をお願いします。
972 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/07 06:58
>ピカソと友達になれるあなたは
なかなか教養と感性が同居している
洗練された人なのだろうと思います
973 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/07 13:44
>971
>泣く女のような平面的な作品にはどのような意図が
>あってピカソが描いたのか想像しても理解できなくて、周りですばらしい
>というのだからすばらしいのだろうと考えてもわからないくせに思いこんでました。
>でもどう考えても理解できませんでした。
前にも書きましたがこういう人というのは自分では気がつかないですけど
すでにもう理解はしているんですよ。でもそれっておかしいんじゃないかな?
とか共感する人を探さずにはいられないもんなんですよ。最初から関心なかった
ら「ふーん。」で終わりですもんね。>971さんはこれから芸術に深くたずさ
わっていくとのことですが、そうなればなるほどピカソの凄さと言うのが
身にしみて分かると思います。何故あんなふうにキュビズムで平面的な作品
を書かなければならなかったのか。なぜ自分は自分でなければいけないのかと
いう疑問を絶えず考えていけばピカソの考えることはより共感するはずです。
けして時間の観念がどうとかいろんなところを物体を見たことをひとつに
盛り込んだと言うことではないのです。それは白くて舐めると甘いから
これは砂糖であるというのと同じです。それは何も言ってないことに変わら
ないと言うことです。なぜピカソはいつもピカソでありつづけたのか、なぜ
自分を絶えず変革していかなければならなかったのかは自分が表現者になった
とき同じように突きつけられる問題だと思います。
頑張って下さい。
974 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/07 18:51
レス不要ですが、
黒の棋士氏、あなたは柔軟性というものがまるで欠けてるね。
もうずいぶん長くあなたの書き込みは見ているが、他者の影響というものを
受けることが全くないようだ。それは、信念ではないのだよ。
柔軟性がないと、一見強く見えるがそれは本当の強さとは何の関係もないもので、
いずれは遅かれ早かれ行き詰まるのだよ。
再度、レスは要らない。ただ自問自答してください
975 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/07 21:29
結論が出たようだな
976 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/08 13:55
>974
>もうずいぶん長くあなたの書き込みは見ているが、他者の影響というものを
>受けることが全くないようだ。それは、信念ではないのだよ。
いや俺だってそれなりの意見からは影響を受けることあるよ。このスレ
のなかのいくつかにそれは面白い意見だねとも言っている。影響と言うのは
どの程度のことを言うのかな?。別に人格からすべて変わらなければいけない
というものではないでしょうに。
というか俺は君に逆に聞きたいのだけど結局君は何がいいたいの?。
一方的に君は言うばかりで人から影響を受けないからズルイということを
いいたいわけか?。いい意見だったら取り入れるしそうではない意見なら
取り入れない。誰にとってもそれはあたりまえのことじゃない?。
>黒の騎士
974はレス不要と言っている、2回も念を押してね。
自問自答しろと。
それなのに君は平然といつも通りにレスを返して質問などしている。
そういうところが、君の「ダメ」なとこなんだ。
きみの書くことからは葛藤ってもんが見えないね。
右往左往する姿は辛くかっこわるくイヤなことなので、すぐ虚勢を張るんだろう。
すぐに相手に答えを要求したり面白いと思う意見しか受け付けなかったりするのも、
虚勢の一種だ。言っとくが、それはあなたに能力があるからじゃない、むしろ
器が小さいことの証拠だな。視野がものすごく狭いんだよ。
978 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/08 17:11
まんこ
979 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/08 17:14
977はわざわざ匿名なんて書いてるよ、バカだねー。
>>979 ご自由に想像してください
書かなければ書かないで、どうせ974=977だろうとか言われるんだしさ。
否定も肯定もしない、だから匿名。考えてやってるんだけど,分からないだろうなあ,,,
>>980 「分からないだろうなあ」といっちゃった時点で、
黒の騎士とよりひどい思い上がりだ。
匿名掲示板なんだから、レスの内容だけが
勝負なんだよな。わかりますか?(わからないだろうとはいわないよ、俺は)
フムフム
983 :
影踏み遊び:04/06/09 00:48
ここに一枚の絵があるわけさ。この絵は見るものの心を揺り動かすって作者は思ってる(藁
この作家さん、自分の中にあるどす黒いものを必死にカンヴァスにぶつけるような作風なんだ。
胸糞が悪くなるような絵なんだよ。でも、はっきり言って、駄作。テクなし、センスなしの駄作。
「感想は言わなくていいよ」って言ってくれたのがせめてもの救い(藁
よくある話だろ。
なんだかな〜
985 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/09 05:24
>>983 うまいこと言いますね。
それも作者名が無いものだから、絵を見ること全体に嫌気がさしていたところでした。
986 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/09 05:37
朝一番のお言葉 「死ね」
987 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/09 06:55
黒の騎士って、誰なの?
988 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/09 07:10
どこにでもいる普通の美術学生だと思いますが。
ここではどういった理由で珍しい存在なのかがわからない。
989 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/09 13:57
>974
>974はレス不要と言っている、2回も念を押してね。
>自問自答しろと。
大きなお世話だね俺は書きたいものに書くし書きたくないものには
書かない。何の権利があってそういうのか?。
>983
>この作家さん、自分の中にあるどす黒いものを必死にカンヴァスにぶつけるような作風なんだ。
>胸糞が悪くなるような絵なんだよ。でも、はっきり言って、駄作。テクなし、センスなしの駄作。
だとしたらこれはそれなりの絵だと思うよ。吐き気がするというのも見方を
変えればそれだけ気持ちを動かされたと言うことなんだから。テクがあるとか
ないとかも関係ないよ。モンドリアンの抽象画やドナルド・ジャッドみたいな
ミニマル・アーティストの作品に技術が必要か?。ようはそういう作品を作ろう
かどうかという衝動のみでしょ?。技術は作品に関する評価とはあまり関係ないと
と思うよ。関係があったのは画家が貴族のお抱え絵師の頃まででしょ。
俺がそういう吐き気のする作品作ったらヤッタなあと思うよ。作家にとって
一番答えるのは「きれいですねー。」で済まされること。これが一番キツイ。
以前作家名は忘れたけどニューヨーク在住の前衛アーティストの作品で
でっかい水槽に自分の小便をなみなみとみたしてそれに十字架を沈めている
作品というのがあったけど、俺はやられたと思ったね。知的衝撃をうけたよ。
人によっては吐き気どころか殺意まで沸くんじゃないかと思うけどそういう
表現せずにはいられない作家の精神というのはなかなか分かったもらえないの
かなと思う。
990 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/06/09 15:13
>>989 モンドリアンやジャッドみたいな「現代美術」には、何の技術も必要ないと?
とんでもないなあ。
言うなれば「思考の技術」が必須。それまでの美術と根本的に違うのはそこな訳で。
技術の指す中身が変っただけで、技術不要のクリエーティブなんてあり得ないよ。
アレだね,建築を例にとるといいのかな。設計図なしで建物を建てることが不可能なように,
現代の美術は,思考の設計図を組み立てないと作れない。少なくともあなたが例に出した
モンドリアンとかジャッドはそれを徹底させ得た人たち。思考の設計図とは言い換えれば概念=コンセプトだね。
だから,コンセプチュアルアートというわけだ。モンドリアンのような抽象画は,コンセプチュアリズムの
1ジャンルだし。それと、見た目の衝撃なんて一時的なものだし,イカにもなものには押し付けがましさや逆に浅さを感じることだって普通にある。ダミアンハーストのサメのホルマリン付けは
凄い作品だけど,モランディの地味地味な絵も素晴らしい。較べること自体出来ない。世の中には,
作品の価値をその衝撃度に過度に置く人というのがいる。そういう人は,自分が衝撃を受けた作品の作者の心を
考えたことがあるのだろうかと思う。受けてる自分のことしか眼中にないんじゃないか。私は、そういう作品を
作る作者というのは,ものすごく知的であると思う。(注:タダの作者ではなく,評価の高い作者だが)
991 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/09 15:42
>990
>言うなれば「思考の技術」が必須。
そういうのを屁理屈という。ちなみに俺は熱心な現代アート擁護だと
いうことで。大体十字架を小便に漬け込むのに技術がいるかどうか
というのは問題じゃないでしょ?。
現代アートというのはそういう技術とは関係ないところで誰でも
勝負できるからすばらしいんだよ。現代アートが最も優れている
ところはその気になりさえすれば近所の魚屋のオヤジや八百屋の
おばちゃんでも芸術家に今日からなれるということ。やるかどうか
の差だけでしかない。自由な精神になれるかどうかの差だけだよ。
ピカソがやったというのに伝統的な意味での技術の頂点にいって
しまったということがある。おそらく今後伝統的な意味での絵画的な
技術とかでピカソを凌駕する人はなかなか出てこないんじゃないかと
思う。しかし反面ピカソのこれまた偉大なところで「もう伝統的な技術
を使って表現するのは古い」ともいってしまったということがある。
つまりモンドリアンの抽象画などやミニマル・アートなどの作品を
模倣することなんて特に難しいことじゃない。モンドリアンの抽象画は
線引きを使って線をひいていって最後に刷毛後が出ないように注意して
塗ればそっくりなのができる。こんなこと小学生でもできる。刷毛後が
できたら削ればいいんだし。ドナルド・ジャッドの作品はもっと簡単。
寸法を測ってそのまま鉄工所に板切れを注文すればできる。でもなぜ
それをやらないか?。
それは技術なんてものを最初から考えてないし、模倣したところで
意味がないからだ。それを思考の技術といってるんだろうけどそれは
言葉のレトリックでしかないよ。
992 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/09 15:48
ところで篠原ウシオなんかはその模倣を逆手にとってデュシャン
の作品とそっくりなもの(というより同じもの)を作って模倣の
アートだとかいってたよね。作家の想像力というのは際限がない
んだね。
993 :
影踏み遊び:04/06/09 17:07
タブーを用いさえすれば、なにがしかの不快感を与えることなどは容易だと思う。
坂本龍一説(藁)によれば、あらゆる芸術表現の中で、音楽が一番「反動的」らしい
のだけれど、雑音や不協和音によって不快感を与えることなど、尚更容易だろう。
常識人の心をおびやかし、不安を抱かせるなど、造作もないことじゃないか。
それに創造行為・表現行為っていうものは、ひとり芸術家だけがするのではないから、
芸術家の創造行為だけを特別ありがたいものとも思わない。
>自分の中にあるどす黒いものを必死にカンヴァスにぶつけるような作風
それが本当の意味でひとの気持ちを動かすなら、確かにそれなりの作品だね。
>>991 >やるかどうか
の差だけでしかない。
違うよ,全然。
それを持続させられなければ「モンドリアン」も「ジャッド」も存在していない。
そして一発屋なら思いつきで過激なことをやればその時は人目をひくだろうが,持続させるには
思考の技術なしでは不可能だということが分からないか?
音楽でも一発屋がいるだろ?その一曲は永遠に残るけれど,
ミュージシャン自身は消えてしまう。あなたは作る側にいるんだろうから
聞きたいが,それでも良いわけ?私は嫌だね。
それと私の書き込みが不快だと言うのはどうかなあ。
真っ当なことを書いたつもり。
その点では,黒の騎士氏の
>>989のレスは意外に(失礼?)マトモで好感。
ただ,不快なものを過大評価していないか
きれいですねというのが最低の評だとか書いてるけど,浅いって。
きれいで何が悪い??
きれいなだけですねと言われたらそりゃ最低でしょう。
しかし,きれいですねと言われなかったといって,良いものであることとは
全く,なんの関係もないよ。もっと言えば,一見汚い絵だって(例として篠原ウシオでもいいや)
きっと間違いなくウシオ氏は描いてる時「きれいだ」と思いながら描いてるよ。
「汚いものを描いてやろう」なんて思っていない。本人がキレイだと心底思えなくちゃ
だれがそこに美を見いだすだろう。反美も美の一種だからね,言うまでもないだろうが。
破滅的美というヤツ。
995 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/10 14:27
>常識人の心をおびやかし、不安を抱かせるなど、
>造作もないことじゃないか。
ところがそうじゃない。100人全部に気持ち悪い吐き気がする
と言わせることは並大抵じゃない。どんな不協和音や雑音を
使っても音楽的に聞こえる瞬間はあるよ。楽器板に60秒の
ノイズミュージックをうpするスレというのがあるからそこに
聞きにいってごらんよ。
>それを持続させられなければ「モンドリアン」も「ジャッド」も存在していない。
>そして一発屋なら思いつきで過激なことをやればその時は人目をひくだろうが,
>持続させるには思考の技術なしでは不可能だということが分からないか?
やるかどうかがの決断ができれば持続はとりあえずできるよ。モチーフが
尽きるまでね。そんな難しいことではない。そこになぜ思考の技術なんて
言葉が出るかが分からない。だから俺はやるかどうかと言ってるだけよ。
996 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/10 14:27
>汚いものを描いてやろう」なんて思っていない。
>本人がキレイだと心底思えなくちゃ
だから俺はそれが屁理屈に思えるんだよ。少なくても俺は作品を
きれいに作ろうとは思ってないよ。逆にいえば汚くも作ろうとは思って
ないけど。作家にとって一番重要なのはその作品を通して他者にとって
何らかの影響を与えられるかどうかだよ。欲を言えば俺なんかはその人の
人生を脅かしたいとまで思ってるもの。それに結果的にできたものをみて
俺自身がきたねえなあと思うことなどいくらでもある。でも芸術をしている
瞬間こそが俺にとっては一番大切なんで汚かったらそれが俺なんだから隠し
ようがない。第一俺が汚いと思っているものをきれいですねと言われれば
やめてくれよと思う。いっそのこと胸糞悪い破り捨てたいと言われたほうが
俺は救われるよ。
つまり芸術家は皆きれいなものを作ろうとしているわけではないと思った
ほうがいいよ。それから俺はマジレスを返す人に不快だと思ったことはない。
俺の表現がきついだけかもしれない。それは謝る。しかし意見は意見だ。
それこそが議論なのだから。
>>996 まああなたとは基本的なスタンスに相容れないものがあるね
>作家にとって一番重要なのはその作品を通して他者にとって
何らかの影響を与えられるかどうかだよ。欲を言えば俺なんかはその人の
人生を脅かしたいとまで思ってるもの。
この部分に反対するもの。
そんなの、意図的にやることじゃないだろ。
傲慢かつおせっかい。第一、狙ってやったことが思惑通りの結果を生んで、
それで嬉しいのか。そんな傾向と対策みたいな姿勢でものを作ってるのか、あなたは、、。
ツマランと思うがな。
それに人間、狙ってやると
そこに必ず「媚び」を含む。媚びはイヤらしい。それで大概上手く行かないんだよ。
でも本人は、なんでこれほど狙ってるのに上手く行かないんだ、、なんて
あさっての方向を向いてるのさ。
ロバを水飲み場に連れて行くことは出来るが水を飲むのを決めるのはロバ自身なんだ。
あなたがどれだけ飲ませようと必死になろうと、
飲みたいときは飲むし飲みたくないときは見向きもしない。
独りよがりもいい加減にしろ。
きれいか汚いかなんて、だから些末な趣味し好レベルの話でしかないんだよ。
あなたがしつこく言い募る「ピカソのすごさ」も、そのほとんどがあなたの個人的趣味に
依拠したものでしかないから、他の人たちはうんざりするんだけど。
一見きれいなものに静かな破壊力があることもある。こけ脅しの「衝撃的作品」の
多くが瞬時に忘れ去られていく。
そんなところにしがみつくあなたは、案外小さい。
>やるかどうかがの決断ができれば持続はとりあえずできるよ。モチーフが
尽きるまでね。そんな難しいことではない。そこになぜ思考の技術なんて
言葉が出るかが分からない。
モチーフを手を替え品を替え、かい?
それは基本的に間違った考えだぞ。
あなたがイラストレーターならそれでイイだろう。
しかし画家なら、モチーフなんて一つで十分なんだよ。
その立った一つのものを探し出すことが至難なんじゃないか。
そのために、思考の技術が必要ということだ。
ついでに
>>991に亀レスするけど、
黒の騎士氏、あなた思考の技術の意味が分かってないよね。
タダの手先の技術と区別してないもの。
>大体十字架を小便に漬け込むのに技術がいるかどうか
というのは問題じゃないでしょ?。
これ、手先の技術と勘違いしたレスだよね。
>現代アートが最も優れている
ところはその気になりさえすれば近所の魚屋のオヤジや八百屋の
おばちゃんでも芸術家に今日からなれるということ。
それは、その人たちが思考の技術を獲得してるからで、彼らの職業がなんであろうと
いっさい関係ないね。一生を職業沖仲仕として肉体労働に従事した哲学者、エリック・ホッファーみたいな
人だっているよ。
もひとつついでに
1000ゲッツ♪
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。