1 :
わたしはダリ?名無しさん? :
2001/06/06(水) 21:58 どういう風に鑑賞すればいいのでか。 私には子供の落書きと見分けがつきませんが。
2 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 21:59
>>1 君のような凡人にわからないところがすごい。
3 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 22:00
子供の落書きの方がすばらしい。
4 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 22:10
>>次々と新たなスタイルを生み出し、 その全てで成功をおさめたからだと思います。 絵そのものは理解できなくてもこういう生き方はみなが憧れる事でしょう。
>4 ピカソの絵はどうすれば理解できるのですか。
6 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 22:36
何が描かれているかを、観察するのではなく 感じましょう。 セックスと同じように。感じなければ、ピカソもマチィスも あなたとは、無縁のものでしょう。理解しなければ 生きていけない、と言うほどのものでは、ないのでしょうから。
>6さん え、本当ですか。 ピカソはか描かれている物を考えながら観察するものだと 思いますが。
8 :
ピカ :2001/06/06(水) 23:10
ピカソのすごいところは、 「ものすごく絵がうまい」 ということであり、それに尽きる。
9 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 23:14
「表現」というものの幅を広げてるから好きだな。 泣く女とか、膝抱えた怖い目の女とか、写実的に描かなくとも 被写体の風情というか精神がいっそう浮揚して感ぜられる。 しかもあの鮮やかな色彩感覚。 面白い絵を書く人だと思うが。
10 :
初心者 :2001/06/06(水) 23:22
>ピカ そのとうりだけど、伝わりにくいなそれ。
11 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 23:29
あのパワーじゃない? 計算すると毎日何枚もの絵を描いてたっていうけど普通出来ないよ。 そんなにアイデアがない(W 一枚一枚の絵がどうっていうより、ピカソの存在そのものが驚異的なのでは。 そんな人ってあんまりいないでしょ? 、、といいつつ絵自体は中くらいの好きさだな。
12 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/06(水) 23:59
ピカソのキュビズムは、ブラックの成果のパクリ。 ピカソの成果はカーンワイラーの力による所が大きい。 ピカソって・・・?
13 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 02:02
ピカソの子供の時のデッサンが載ってる画集を探して見てみればわかる。 自分は美大予備校時代にたまたまそれ見て凄く荒んだ…鬱だ氏のうレベルなまでに…
14 :
∵ :2001/06/07(木) 02:11
ティム・ロビンスの「カウガールブルース」で美術マニアの整形外科医 が患者の鼻をピカソ風に完璧に整形して免許とりあげられるっていう のがでてくるけど、あれ笑ったな。
初期の絵の方が好きな私は邪道ですか?
16 :
:2001/06/07(木) 21:24
最近、ピカソに強く興味を持ちました。 「人形を抱くマヤ」がお気に入りです。 ピカソのまとまった画集を買いたいと思いますがどれがいいかわかりません。 オススメがあったら教えて下さい。お願いします。
17 :
1 :2001/06/07(木) 21:42
落書きと見間違う、絵のどこがすばらしいのか教えてほしいのだ!
18 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 21:50
落書きに見えるのならそれでいいんじゃない. あんたの眼はそんなもんよ. あっ,頭もね.
19 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 21:57
>18 落書きに見えないなら、そのすばらしさを説明してほしいのよ。
>17 絵は、人に説明されて理解できるものかなあ? 私はピカソの「アビニヨンの娘たち」を見たとき 暫らくフリーズして動けなかった。 ブランクーシーの彫刻も、そうだった。 その時の感情、感動を言葉に置き換えれば、むなしい 言葉の山が築かれるだけ。「百聞は一見に...」なんて 言葉があるけど、「見て感じる」以外にない、と思うよ。
21 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 22:41
>>19 結局のところ、誰も語れないということです。
22 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 23:01
なにを、期待してるの?
23 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 23:20
>22 抽象画はいかにして鑑賞すればいいのか。 どこに感動するのか。 例えばゲルニカなどで
24 :
プロ :2001/06/07(木) 23:23
>ピカソはどこがすごいの 箇条書きにして教えてあげよう。 ・大金持ちになった。結婚も数え切れないほどした。 ・そのつきあった女性は自殺してしまうものも多数いた。 ・巨匠として世界中で知らない人はいない。 ・美術史を確実に動かした。20世紀を象徴する画家となった。 ・画風をカメレオンのように換え、常に破壊と創造を繰り返した。 ・いまでもまともなアーチストならば誰もピカソを否定しない。 ・絵が凄くうまい。絵画の何たるかを良く知っている。 ・頭がいい。言ってることも結構いい。 ・結構おおらかな絵も描いたり、凄く綺麗な絵もかいたりし心憎い。 馬鹿ものでは金持ちにはなれないし、名声を博すこともない。 それ程世の中甘くない。やっぱ絵が凄い。 ピカソはかように凄い人なのです。
ピカソは天才だ!巨匠だ! だが、芸術家ではない
26 :
ピカ :2001/06/07(木) 23:31
落書きにしか見えないという人は、 とりあえずブリヂストン美術館で 『サルタンバンク』でも観てみれば?
27 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 23:43
>26 ネットで検索したら出てきました。 赤いズボンをはいた若者が腕組みしてるものですか。 うううー。 なにを感じれば鑑賞できたことになるのでしょうか。
28 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/07(木) 23:52
>23 >「いかに鑑賞すればいいか」 人に教えてもらうべきものではなく、自分の体で 知るべきもの。と、何度も言ってるでしょう。 これ以上、しつこく聞くと、お父さん、怒るよ。
29 :
さや(偽) :2001/06/08(金) 03:52
どうして付き合った女性たちは自殺したのでしょうか、、、 それが知りたいです。。。
30 :
マジレス :2001/06/08(金) 06:50
1はネタでなく本気のようです. 小学生か中学生(出来れば女子)のふりをしてヤフーの掲示板に書き込むことをお勧めします. きっと親切な人が教ええくれますよ.
31 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/08(金) 06:58
>30 ありがとう。 ヤフーへいってみます。
30〜32 Yahoo!の工作員発見!! ヤフ〜には、そんなことに答えられる住人なんて、いね〜ゾ。 そんなに、ユーザ獲得したいのか? 専門領域で、レベルの高いカキコできる奴を、数人雇えばすぐ実現できるのにな。 インターフェイスもダサいし、コミュニティの作り方も、まるで素人だな。 ヨソに手入れて掻き回してるんじゃね〜よ。
34 :
マジレス :2001/06/08(金) 12:32
>>33 30はもっとレベルが低いとこに池って言ってるわけだから
むしろYahooをけなしてるとおもうのだが・・・・
35 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/08(金) 22:32
真面目なヤフーより2chの方がレベル高いってのが良いなー。
36 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/08(金) 23:15
ピカソ? 歴史上の画家を見渡してみると、屈指のレイアウト感覚の持ち主で、 非常にバランスのとれた画面をつくる作家です。 筆を走らせると言う技術面においても、同様の事が言えると思います。 日本の画家ではあの宮本武蔵がずば抜けています。 しかしながら 大変な数の作品を生みだしたことが有名ですが、 果たしてどれだけが後の名声に耐えうるものであるのかは疑問の限りです。 わたしの考えではそのうちの数十点に限られます。
37 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/08(金) 23:34
ところで、 何点ぐらい作品を残したのかなあ。 版画では、ブロック最後の番号が2017点だけど 油絵、ドローイング、彫刻など、すごい数だろうね。 ゼルブス、何点ぐらいか、知ってる人いる?
38 :
プロ :2001/06/09(土) 03:23
36がわけのわからないこと言ってるな。 この有名な言葉を贈ろう。 「天才とは何か。… 多作であることだ。」
39 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/09(土) 03:40
シャレですか?
40 :
こっちもプロ :2001/06/09(土) 05:12
41 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/09(土) 08:52
ミロ などの抽象画はどういうふうに、鑑賞すればいいのですか。
42 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/09(土) 22:24
>私には子供の落書きと見分けがつきませんが。 目の付け所がいいね。 この世には子供の落書きほど純粋なアートは無いからね。
43 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/09(土) 23:42
子供が「ピカソって絵が下手なんだよね」って言ってた。マジ
44 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/10(日) 00:41
>43 別にいいんだよ。その子にとってピカソがとにかく絵がうまい なんてのはそれほど重要なことじゃないんだから。
45 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/10(日) 02:14
>>43 できればあなたが子どもに「絵ってのは上手いか下手かじゃないんだよ、
面白いかツマンないかなんだ」と教えてあげてね。
46 :
ぷ :2001/06/10(日) 12:14
>45わけわからんが、まあ良し。 ピカソは彼自身の精神、そして絵における形式で誰よりも卓越してい たと言えるんでないかな。 精神においては誰よりも深く、 形式においては形や構造を強く引き出す描き方で絵画の持つ性質を最大限に引き出し ている。
47 :
43 :2001/06/11(月) 01:55
>>46 あ、わかんない?別にイイですよ(w
評論家じゃないし、絵を描けば描くほど
そう思いますね〜。
もちろん面白いっていう意味は
funnyじゃなくexcitingのニュアンスだけどね。
ピカソなど人類史に残るほどのレベルの人のことは私には分かりませ〜〜ん
そんな大天才じゃなし。
人々にエモ−ショナルな興奮や感激(感動)を与えられれば言う事はないでしょう。
でそれはね、上手い下手じゃないんだよって言ったわけ
子どもに教える事としてはとっても上等でしょ??(藁
48 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/06/11(月) 02:05
上野の国立博物館と西洋美術館をはしごするとピカソのすごさはよく分かると思う。
49 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 05:37
なににでも評論家という人たちがいるのだから、美術評論家もいて、そのうちには絵画評論家もいると思うが、その人たちはピカソを見て言葉では表現できないけど素晴らしいなどと言ってたら商売にならないはずだから、例えばその感動をどう言葉表現して説明するのでしょうか。ピカソの絵画の評論家っていますか。どんなことを言ってますか。
50 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 06:23
展開が期待できそうな、レスですねー。すご〜く楽しみ。
51 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 07:44
>>49 この板にはそんなに高度なことできる人はいないんだって。
「言葉では表現できない」って言えば済むと思っている人たちなんだからさ。
52 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 08:40
>51 だから、あなたに期待してるのよ、みんな。
53 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 08:46
してねーよ
54 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 08:52
待ってるヨーーーン
55 :
51 :2001/06/11(月) 09:35
>>52 いえいえ、僕もそんな高度なことできませんよ。
僕にもっと能力があればとっくにやってます。
56 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 12:40
ピカソなんて天才でもなんでもない。ただ盗作がうまいだけの 画家だよ。 評価の対象になるのは青の時代、赤の時代、キュビズムの初期 だろうけど(それ以後はほんとに落書き。かれのパフォーマン スにみんなだまされてる)、要は情緒的なエコール・ド・パリ のひとりにすぎなかった。 美術史的に評価されるのはキュビズムの創始者としてなんだろ けど、それにしたってセザンヌがいてこそ成立したものだし、 ブラックやデュシャンのほうが理論的だった。 ほんとにみんな誤解してるけど、ピカソにはオリジナリティ がかけらもないんだよ。 だいたい、ピカソって彼以後の画家にぜんぜん影響を与えて ないでしょ? 現在の美術は基本的にはいまだにデュシャンの影響下にある。 あと100年もすれば、美術史家たちは、20世紀最高の画 家はマティスとデュシャンって言うようになるよ。ピカソは、 まあ無視はされないだろけど、特異な画家としてあつかわれる だろうね。
57 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 12:53
当たらずとも、遠からず。 「特異な画家として扱われる」? 難しい、表現だね。
58 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/11(月) 17:58
ピカソが抽象画を描いてるという甚だしい誤解をしてるヤツがいるな。 「ゲルニカ」(ひでー絵)なんかももちろん抽象画じゃなく、具象画。 泣き叫ぶ女とかウシとか、ちゃんと“なにか”が描いてあるでしょ? それは具象。 抽象画っつーのは、モンドリアンとかカンディンスキーとかクレー の、現実に存在しないものを描いた作品のことを言う。
クレーは間の子だね。
60 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 13:23
>>56 やっぱり評論家きどりのアホがでてくるんだよねー。
頭でっかちの感性ゼロのクズには芸術を語るしかくはなし!
お前はピカソどころか三流画家の足元にも及ばない脳なし(笑
頭で語るな、感性で語れクズが
>>60 しょうがないよ、才能のない凡人は感性で分析することが
できないから、どうしても頭でっかちになってしまう。
そんな連中美大に行けばゴロゴロいるよ?知識だけで芸術
を語ってなにも生み出すことのできない人間が。
というかここに偉そうに書き込んでるやつらは大した才能もなく
絶対に歴史に名が残る人間じゃないので芸術の事なんて教科書
どおりにしか話せない凡人共(もちろんオレモナー)
だからピカソの事なんて最初から誰も理解すらできないんだよ
62 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 13:48
芸術というのは、天賦の才能がないと理解出来ないものですか。 それとも、訓練次第で、凡人でも理解できるようになるものでしょうか。 例えば、最初から水泳が出来る人はいないと思いますが、練習すれば大概は誰でも泳げるようになりますが、芸術も同じでしょうか。 それとも、非凡な才能がないと永遠に理解できないのですか。
私の学校にもいるよ 絵は書けないくせにやたらと理屈で絵画を 語る馬鹿が。屁理屈を言う暇があるんだったら 絵の練習をしろっつーの 本当口ばっかの奴って駄目だね。
あぼーん
65 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 14:37
というか、ピカソに限らず高名な画家を否定している やつらって自分の力量がワカッテいない勘違い馬鹿か、 ピカソ以上の天才か、のどちらかだろう?まぁここで否定している 人間はまちがいなく前者だろうけどね。つまり「ピカソは過大評価されすぎ、 そんなに大した画家じゃない」と言うことで「俺は他の人間とは違うんだぜ〜」 といいたがってる典型的な才能のない凡人のざれごとだな。 いつの時代も特別になりたがる凡人ってのは多いもんだね
66 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 14:39
>>64 確かに青の時代やその前後に見られるデッサン力はすごいね。
68 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 15:08
70 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 15:42
>>69 氏ね
それと直リンは規約違反だよ〜ん
活躍もそこんとこわきまえた方が宜しいかとホホホ
>>60 -63
自作自演ぽいね。
この板の状況を踏まえてした方がいいよ。
>本当口ばっかの奴って駄目だね。 ここは掲示板。 言葉で語り合う場所。 自分の絵を見せてからならわかるが、 口で語る場所で口で語れず、 「絵を描け」とわめくお前が一番邪魔。
73 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 17:26
いいからピカソの話をしろよ
74 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 17:34
くだらねぇ、ここは画家きどりのカス共のたまり場か? ごちゃごちゃ言ってないで自分の言葉で話せや
75 :
63 :2001/06/13(水) 17:49
>>72 別にあんたにむかって言ったんじゃないよ?
ただ61のカキコで私の近くにいる人間の事を思い出しただけ、
口ばっかの人間が駄目なのはどの世界でも一緒でしょ
ネットでしか人と話せない引き篭りに「邪魔」なんて言われたくないです
画家きどりは、二言めには「絵を描かなきゃわからない」と言うが、 だったら絵を描いてみてわかったことを書いてみろよ。 それがみんなを納得させるものだったら、 その時初めて、あんたが正しいってもんだろ。 言語化できない人間は、掲示板に書き込む資格なし!
>口ばっかの人間 じゃあ、あんたが口ばっかじゃない証拠を見せて。 掲示板では、実生活なんか関係ない、言葉のみが通用すんの。 あんたが如何に有名な大画家だろうと、言語化できなきゃ、邪魔なだけ。 >ネットでしか人と話せない引き篭りに 出た、「引きこもり」。 どこの板でま、言葉につまるとこれしかでない馬鹿多いね。
78 :
63 :2001/06/13(水) 18:03
79 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 18:05
なんか荒れてきたなぁ、ようするにどっちも駄目ってことだろ?
80 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 18:07
81 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/13(水) 18:20
まぁまぁ、お互い美術が好きな人間同士なんだから 中良くマ〜タリいきましょうや
では、話をピカソに戻そうか。
83 :
63 :2001/06/13(水) 18:36
私は今美術の専門学校で絵の勉強をしています。 中学生の時に彼氏と一緒にたまたま近くでやっていた、 ゴッホの展示会を見に行ったのがキッカケで真剣に絵の 勉強をしたいなぁと思ってこの道でがんばってます。 もちろん画家になれるかなんてわからないけど・・・ これが私が絵に興味をもった簡単な理由です。まぁここまで 書いたところで、いろんなへ理屈をつけながら罵倒するんでしょうけど
84 :
63 :2001/06/13(水) 18:36
私は今美術の専門学校で絵の勉強をしています。 中学生の時に彼氏と一緒にたまたま近くでやっていた、 ゴッホの展示会を見に行ったのがキッカケで真剣に絵の 勉強をしたいなぁと思ってこの道でがんばってます。 もちろん画家になれるかなんてわからないけど・・・ これが私が絵に興味をもった簡単な理由です。まぁここまで 書いたところで、いろんなへ理屈をつけながら罵倒するんでしょうけど
85 :
63 :2001/06/13(水) 18:36
私は今美術の専門学校で絵の勉強をしています。 中学生の時に彼氏と一緒にたまたま近くでやっていた、 ゴッホの展示会を見に行ったのがキッカケで真剣に絵の 勉強をしたいなぁと思ってこの道でがんばってます。 もちろん画家になれるかなんてわからないけど・・・ これが私が絵に興味をもった簡単な理由です。まぁここまで 書いたところで、いろんなへ理屈をつけながら罵倒するんでしょうけど
86 :
63 :2001/06/13(水) 18:38
すいません、三重カキコしてしまいました
>>63 お嬢ちゃんの気持ちはわかったから、煽り返すのは
やめよう。相手もムキになるだけだから。
それにここはピカソを語るスレッドです、だからピカソを
語りましょう。じゃあ、いつか画家になれるといいね。
その時は応援するよ。
90 :
ぷ :2001/06/14(木) 11:26
軽井沢のピカソの陶磁器展見てきました. ピカソが陶磁器?とはじめは思っていたけど 彼が陶磁器特有の艶を消すのに必死になっている のがうかがえました。それによって材質感が 増すんですよね。
91 :
イギー :2001/06/14(木) 14:25
変態だな
92 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/14(木) 16:10
初心者多い?ここ 何でレス番号引用しないんだよ! 読みづらいんだよ!!! >変換して>>が出るように自分で辞書登録しろよっったく! >ぷ おめー初心者だろ。
94 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/14(木) 20:45
ピカソはちんちんがすごかったらしい
95 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/14(木) 22:35
>>90 ピカソの場合、そのほとんどがMadouraの
陶器と思いますが、
誰か、陶磁器の説明してくださ〜い。
96 :
オタ@初台 :2001/06/16(土) 02:53
♪まっしろなーとうーじきをー ながめてはーあきもせずー って陶器か磁器かはっきりせんかい!
97 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/16(土) 02:57
陶器にきまっとるやろうが、このヨタが! 酒の酔い醒まして、出直せ!!
98 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 00:46
ピカソってなぜ凄いかって言うと(これはキュビズム以降の話) 「絵なんて結局点と線の集合体だろ?。」と言ってしまったこ とだと思う。だからそれだったら何を書くかではなくてどう 書くかってことにこだわり始めたと思う。でもピカソはそれを ブラックとやり始めて徹底的に絵を点と線に解体しつくしてし まった。これがいわゆる分析的キュビズムの頃の事。 そうすると今度は解体しつくしてしまうと再構築に興味が 移ってくる。つまり点と線でバラバラになった対象を今度は 自分の感性で再構築するってことだ。これが総合的キュビズム の頃の話。 僕はピカソのキュビズム寸前の習作を見たとき胸が高鳴った。 ピカソはキュビズム以前に物凄いスランプに陥っていたと思う が、その時ちょうどヨーロッパで注目され始めたイベリア彫刻 やアフリカの原始彫刻のようなものにインパクトを受けた。お そらくそこにピカソは自分の進むべき道を見たんだろう。それ からピカソはくる日もくる日もアフリカの面をデッサンし始め る。最初はコピーがやっとだったけどそのうちただ単にコピー をするのではなくて、そこに自分の主観が入ってくる。要する に「この面は口がこうなっているけど俺ならこうする」ってこ とだ。そのうちそれを続けていくうちにあることに気がつき始 める。「これはセザンヌがやっていた対象を幾何学的形態に起 きかえる」ってことと同質なんではないかと。ピカソはそこで 考えた。「確かに幾何学的に事物を置き換える事はできるが 対象を正確に写すと言うことにどれほど価値があるのか。俺は 絵描きであくまで事物はきっかけに過ぎないわけで、本当は事物 を写しているんではなくて自分の心の中の心象を写しているの ではないか。」とそうなるとますます絵が自由奔放に分解されて くる。そのうち分解しているうちにある恐ろしい考えが芽生えて くる。それは「結局、絵というものは点と線の集合体でしかない のではないか」ということだ。もうそうなるとピカソの絵一枚 一枚がアフリカの未開の奥地に踏み込むようなギリギリの緊張感 と叫びが聞こえる「自分の前には道はない。俺が切り開いて道を 開くしかないんだ。」と言う風にだ。 その頃の習作がじつはかなり残されているのだけれど、その一枚一枚 は本当に凄い。一枚絵を仕上げると次の絵はその前の絵より何か一つ 余計な線と点が無くなっている。まさに絵との戦いだった。ピカソは 一枚仕上げるたびに賢くなってくる。どうやって対象を解体していけば よいかが分かってくる。 ちなみに「アビニョンの娘達」はその変遷がみてとれる。真中にはまだ イベリア彫刻などの影響が見て取れるが左側から右側に移るともうその 解体が始まっている。右側になるとピカソの体内にイベリア彫刻の影響 は完全に消化されつくしてピカソ本人の心象しかみえない。
99 :
<っ :2001/06/17(日) 00:55
なんかすごく勉強になるって感じなんですけど、やっぱ後から理由聞かないとすごさがわかんないってのはありますよね。それとも眼が肥えてくると一瞬で見抜けるもんなんでしょうか。
100 :
ヒーさま :2001/06/17(日) 00:56
>>98 自分に酔わずに、実証的に論を展開しなさい。
101 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 01:18
ピカソの絵はそれ単体で楽しもうとすると気が狂います。 その絵が描かれた背景を探って「ああ、ピカソはその事象をこう表現したのか」 という楽しみ方がいちばん精神に優しいと思います。 20世紀抽象絵画ってあまりにも独り善がりすぎて・・・ 本人は自覚して描いたんだからいいけど、「市場」に流れてるのはどうかと思う。売るなそんなもん(笑 J.ポロックまでいっちゃうともう、どう感銘を受ければいいのかわかりません。 オーガニック彫刻の鑑賞でもしてきます。
102 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 02:20
イヤ98はイイよ。 ピカソになった大川隆法もここまでかけないだろ
103 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 02:33
>100 別によっちゃいないよ。俺はそういう風に考えていると言うこと。 >99 どうしても書いていることがわかんないといけないんじゃないかな と言う感じはありますよね。でもピカソから始まる現代美術な流れ ってのは極めてシンプルなものなんですよ。わかるわかんないでは なくて好きかどうか、何を感じるかのみなんです。もちろんなにも 感じなくてもいいんです。それも逆説的ですが何も感じないという ことを感じたということなのですから。でも不思議なもので「なんだろ こんな変な絵!。」と昼間思っていたはずなのに夜になるとなぜか 変に気になるというか、なぜか美術書をひっぱりだして見ていると いうことはないですか?。これはわかんないのではなくてもう 無意識的には理解しているのです。気持ちの奥底ではおもしろがって けらけらわらっているということなんです。 僕にとっては現代美術などからくらべるといわゆる古典的な絵画の ほうがずっと難解です。例えば「最後の晩餐」と言う絵がありますが あれはちゃんと聖書の知識がないと全く意味がない絵なんですね。 例えば真中にいるのがキリストだというのがわかっても、まわりにいる のが誰かというのが分からないと意味ないし、キリストから離れてコソコソ はなしているのがいるがなぜかとかその他いろいろ画面から膨大な情報を とっていかなければならないので逆に難しいのです。でもピカソから始まる 現代美術の流れというのは「結局絵というのは点と線の集合体である」という 極めて即物的な態度から出発しているのです。だから絵から何かつかもう と思ってもそもそも最初から意味がないのですから、掴み取る必要もないのです。 たとえば「泣く女」と言う絵を例にあげてピカソになんでこんな風に顔が 歪んでいるのかと聞いてもおそらく「わからん。書きたいから書いたまで だ。」と言われるだけでしょう。 分かる意味なんてまったくないのです。11面観音はなぜ顔が11面あるのか なんて考えたことありますか?。千手観音はなぜ1000本手があるのか なんて考えたことありますか?。仮に意味を知ったところで「あっそ。」 で終わりでしょ?。知ってから猛烈に感動して帰依してしまったなんて 人いないでしょ?。全くその程度ですよ。 そんなことより純粋に絵としてどうか。点と線のバランス具合はどうか。 自分なら同じ対象をどう書くかってとこを注意してみるとそれはそれで 純粋に楽しいのです。 その面白さがわかれば現代美術なんて簡単だし誰にでもすぐに出来る ものだと思いますよ
104 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 02:46
なるほど。まあまあ好みはありますので。
105 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 02:57
>>100 >>104 ーウザイー
106 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 07:56
107 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 09:21
>103 簡単にわかりやすく書いたつもりだったんですけど。 >104 それでいいんですよ。どんな絵でも好みはあるでしょ?。 それを探していけばいいんです。 翻ってそこから結論としてなぜピカソが凄いか。 それはピカソにこれはやってはいけないということがないからなんです。 つまり完全な自由を手にいれたということ。正直この境地に至ったのは ピカソが始めてでした。どういうことかというとピカソ以前の画家いう のはダビンチであれルノワール、ゴッホでさえ「うまく書こう」と言う 気持ちがあったはずなんです(それが良い悪いは別にして)。 でもピカソは自分のスタイルを確立してから「上手かろうと下手で あろうと、綺麗であろうと汚かろうとどうでもかまわない」と 言いきれたことなんです。そこにピカソの本当の凄さがある。 もちろんその境地にピカソが至ったのはもともとピカソが天才的に 絵がうまかったということなんですが、彼はそれさえも超越して しまったということなんです。例えば最初に子供の絵が素晴らしい と言い始めたのはピカソが最初でした。自分の感性の赴くままに 自由に線を走らせることが出来たのがピカソが最初だったのです。 晩年の作品になるともう本当に凄い。完全に子供の絵と変わりない。 天衣無縫とはまさにピカソの為にあるような言葉さえしてきます。 確かにピカソの後は誰も後継者がいなかった。それは当然で彼の 後にはもう何も残ってないからなんです。あれだけの自由で書か れてしまうともう具象画に未来はなく、結局抽象画しか我々には 残されていなかったということですね。
108 :
107 :2001/06/17(日) 09:32
参考までに僕の大好きな岡本太郎の「青春ピカソ」からの一節 を抜き出しておきます。 「技術的にもっとも驚かされたのは、(ピカソの)画面の徹 底的な汚さだった。名人の無造作な趣というものではない。 本当に子供か馬鹿が下手にペンキいたずらした程度の塗り方で、 下の生地は丸出しだし、大事な箇所に塗った色の滴がぽたぽた 不用意に垂れこぼれている。が、拭きもしないでそのままで ある。まったくそばによると見るに耐えないガサツな画面が、 やや退いて見ると、突然戦慄的に生きて来るのである。 もう一つ。モダンに隅から隅までディスプレイされた会場の、 麗麗しく飾られている作品の中に、細かい、あかっぽい泥が 一面にはねあがった画面があった。ピカソのアトリエは倉庫か 、悪く言えば馬小屋のような雑な田舎家だから、雨も洩る だろうし、立てかけてあった作品に永い間、床の泥土がはねて いたのだろう。ちょうどそんな汚れ方だった。だがこの細心に 構成された会場でどうして泥つきのまま出陳したのだろう。 おそらくピカソ自身が、こりゃあ面白いじゃないか、もったい ないからこのまま出そう、とでもいったに違いない。いずれに してもこの状態で出品するふてぶてしさには呆れるばかりである。 故意に絵の具を垂らしたわけではないし、また雨漏りまで 計算にいれるはずはもちろんないだろう。凝り性の日本人 たちはこれも名人芸だと考えたがるかもしれないが、そうで はない。よかろうが悪かろうが、どうでも構わないのである。 もし効果だとしたらちっとも凄みではないのだ。口惜しいが、 私(岡本太郎)だったらきっと拭き取ってしまうに違いない。 まことに残念である。私は痛いほどわが身をたたいた。しみが 口惜しいんじゃない。ただ己にも他にもすべて許されている という彼ならばこその凄みが芸術の根本問題としてこのしみを 通して堂々と見せつけられるからである。」
109 :
1 :2001/06/17(日) 16:45
>108 私が子供の絵と見間違っても、別に可笑しくはないわけですね。 岡本太郎もそういってるのだったら。
110 :
107 :2001/06/17(日) 22:48
>109 そうです。でも子供の絵と馬鹿にするかもしれませんが いざあんな風に書いてみろといわれてもなかなかあんな風に 書けませんよ。ましてや観客がいるという前提で、それなりに 社会的地位がある人だったらなおさらです。でもピカソは それができる「人がどう思うと関係ない。俺は自由に書きたい と思うものを書きたいように書くだけだ。」といっているよう です。上記の泥はねした絵のところでもそうなんですが、もしか したら作品にとって単にマイナスの要素でしかないものを 平気に喜んでやってしまう。誰だって自分の書いた作品に泥 はねしてたらふき取ってしまうでしょう。けして効果にはなら なくて単に印象を悪くするだけかもしれないのに。もしこんな ことをしたら今の自分の地位が危うくなるかもしれないのにです。 でもピカソはそれが全くなかった。まさしく子供のままで そんな計算や思いこみはなかった。だから素晴らしい。 だからうたれるんです。 だから>1さんの思っているようにまったく子供の絵に 見えたのならなおさら素晴らしいってことです。
111 :
107 :2001/06/17(日) 22:49
>109 そうです。でも子供の絵と馬鹿にするかもしれませんが いざあんな風に書いてみろといわれてもなかなかあんな風に 書けませんよ。ましてや観客がいるという前提で、それなりに 社会的地位がある人だったらなおさらです。でもピカソは それができる「人がどう思うと関係ない。俺は自由に書きたい と思うものを書きたいように書くだけだ。」といっているよう です。上記の泥はねした絵のところでもそうなんですが、もしか したら作品にとって単にマイナスの要素でしかないものを 平気に喜んでやってしまう。誰だって自分の書いた作品に泥 はねしてたらふき取ってしまうでしょう。けして効果にはなら なくて単に印象を悪くするだけかもしれないのに。もしこんな ことをしたら今の自分の地位が危うくなるかもしれないのにです。 でもピカソはそれが全くなかった。まさしく子供のままで そんな計算や思いこみはなかった。だから素晴らしい。 だからうたれるんです。 だから>1さんの思っているようにまったく子供の絵に 見えたのならなおさら素晴らしいってことです。
112 :
107 :2001/06/17(日) 22:50
おあ、二重カキコしてしまった。スマソ
113 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/17(日) 23:52
若い頃のピカソの、エピソードの1つにこんな話があります。 画商が作品を見に来る少し前、ドローイングを床に無造作に置き 一番いいと思われる作品を破り、これも、見え隠れするように 無造作に積んでおく。 やって来た画商(当時はカーンワイラーではない)は、この 無造作に?破られたドローイングを見過ごすはずもない。 「この絵は、いいじゃないか、なぜ?破り捨てるの?」 ピカソは、いかにも興味なさそうに、、、、そして、目を輝かせ 「次に描ける絵は、もっと良いもんなんだよ、」 当然、この画商はピカソに対して、今まで以上の興味と期待をした。 107さんの、”思い”に対して異論をとなえようとは 思いませんが、偉大な芸術家は(も)偉大な、ビジネスマンだ。 と言う側面もあり、、「個」で生きる作家、芸術家なら許されも しましょうが、激しい思い込みだけで、理解を試みられるのも いいのでしょうが、もう一歩、引いて見ると、別のピカソが、 発見できるかもよ。
114 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/18(月) 07:51
>113 たしかにそんなことがあったのかもしれませんが (でも上のエピソードがそのままピカソが偉大なるビジネス マンだという側面を証明するには至らない)もしピカソが 本当に商売だけを考えているのならなにもあんなに自己変遷 を繰り返したりはしないでしょう。今でもピカソの作品は 「青の時代」が一番高くてキュビズム以降は主幹となる作品 以外は意外に安いそうです。だったら存命中に成功をおさめて のだから何も市場価値のわざわざ低い絵を書かないで誰でも 分かりやすい絵を書いていてもよかったのでは?。 確かに僕も偉大なビジネスマンであったことを否定するような 幼稚な思いこみでピカソを語っていることではないことを 申し上げておきます。ただしピカソの芸術性を語るときに 異常な女性遍歴をあげたり、ケチであったとかそういったことを 語ることはピカソの芸術に対してまったく関係のないことであり 単なるゴシップであったりピカソのカリスマ性を上げるだけの 代物でしかないことも申し上げておきます。 それから僕が激しい思い込みで書いているというのなら>113 もまた激しい思い込みで書いていると言うことにはならないですか? 大体別のピカソってのはどういうピカソなんでしょうか?。 のべつまくなし女性をとっかえひっかえビジネスに対して シビアな小男が偉大な芸術家であるという、そんなこと ピカソの芸術の前ではどうでもいいことでは?。 要は素晴らしい作品を残したかどうかと言うことだけでは?。
115 :
113 :2001/06/18(月) 09:56
>114 よけいなこと書いて ごめんね。
116 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/18(月) 14:08
>115 単なる煽りかと思った。まさか謝ってくるとは思わなかった。 別にあやまんなくってもいいですよ。
117 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/18(月) 15:51
114さん。 美術史におけるピカソの偉大さは少し分かるような気がした。 私は美術に疎い者で、しかし、 ピカソの絵には何か感じるものがある人間だ。 特に『ドラ・マールの肖像』という作品には 色気と幸福と陶酔が燦然と輝いているような気がして好きだ。 だが、この絵の素晴らしさを 論理立てて言葉で表わすすべを知らない。 参考までに、114さんのような熱い人に あの絵の魅力を語ってはもらえまいか。 絵画の感動を言葉に移す、 その不毛は承知だが、君のような人の言葉で聞いて 見たいという気がする。 暇だったらでいいのだが。 宜しく。
118 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/18(月) 22:14
>特に『ドラ・マールの肖像』という作品には >色気と幸福と陶酔が燦然と輝いているような気がして好きだ。 >だが、この絵の素晴らしさを論理立てて言葉で表わすすべを知らない。 んー難しい要望ですねー。まあ僕なりに頑張って書いてみます。 確かに『ドラ・マールの肖像』という絵は117さんのおっしゃるように 素晴らしい絵ですね。僕も好きな絵です。でもこの絵でおもしろい事実が わかります。それは117さんのおっしゃることと同じなんですが 1、女性だということがわかる。それも美しい女性 2、非常に聡明でなおかつ魅力的。セクシーなイメージ 3、非常に都会的で洗練された感じ まあこの中には僕の思いこみ、印象がはいっているので 皆さんが全く同じ感想を抱くとは思えないんですが (でも117さんは多分同じような人物イメージをもっている ように思われる)でもそれって凄く面白いことだと思いませんか?。 なぜなら『ドラ・マールの肖像』に出てくるような人間は現実には いないのに(いたら化け物)なぜかあの奇怪な画面を見て 「凄く魅力的な女性だな。」と思えることなんです。これは なぜなんでしょうか?。ドラ・マールという人に対して なにか予備知識があるわけでもない。ましてや知り合いでも ない。それなのにドラ・マールという人に対していいイメー ジを抱く。 人間がある人の評価をするときというのは断片的な情報を総合的に 判断して評価するということなんですね。つまりあの絵を実は全体 的な情報だけでみているのではなくて目をみたり、手をみたり、 髪をみたり、乳房を見たりしている。つまり部分を凝視してみると これはけっこうまともに書かれているということがわかります。 それでその各部分のイメージからこのドラ・マールと言う人の印象が 出来あがります。それならピカソがイメージした印象と観客がほぼ 同じイメージを抱くことが出きるのなら何も写実的に描かなくても いいはずです。結果的には同じですから。だったら思いっきりメチャ クチャに構図を分解して各部分からくる印象と全体的なイメージに ギャップがあった方がおもしろくありませんか?。なんだかピカソの 悪戯っぽい笑顔が見て取れるようです。まるで観客が「なんなんだ! これは?!。」といってるのをニヤニヤ見ているようです。 まああくまでこれは僕の考え方です。そんな考え方は不純だ という人がいてもおかしくないでしょう。まあ参考までに。
119 :
117 :2001/06/19(火) 00:27
丁寧なレスありがとうございます。 その答えには納得のいくものが多く、 たしかに、 >1、女性だということがわかる。それも美しい女性 >2、非常に聡明でなおかつ魅力的。セクシーなイメージ >3、非常に都会的で洗練された感じ これと同様の印象を私も受けた。 さらに、作者がとても彼女に魅力を感じているという視線も 幸福感の横溢した色彩の中に感ぜられる気がする。 だが、やはり引っ掛かる、と言うより素朴な疑問として 考えざるをえないのは、 「ピカソがイメージした印象と観客がほぼ同じイメージを抱くことが 出きるのなら、何も写実的に描かなくてもいいはずです。 だったら思いっきりメチャクチャに構図を分解して各部分からくる 印象と全体的なイメージにギャップがあった方がおもしろくありませんか?」 という部分。 面白い、と言うのは理解できなくも無いが、 たとえば表現効果の問題として、 ストレートにこの幸福感を描くことを拒否し、 現・ドラ・マールのように、解体され再構築された 一種不条理な絵画として描いたことに、ピカソは 一体何の意味を見出していたか、 ということである。 「意味なんかない」 というのが答えのような気もしなくはないが、 単に客の様子を見て笑う戯れだけが目的ではあるまい。 手法の違いだけでは「結果は同じではない」ような気がする。 ピカソはきっと何らかの戦略、或いは独自の感性で 現行の手段を選択したのではないか。 ドラ・マールでなくとも、 泣く女にしろ膝を抱えた鋭い目付きの女の絵にも 同様のものを感じる。 彼がこうした手法を選択したのは、 なぜなのだろう?
120 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/19(火) 07:19
>彼がこうした手法を選択したのは、 >なぜなのだろう? それはまったく素朴に考えて画家として、ひとりの 芸術家として新しい表現を確立したい人がやらないこと をやりたいという表現欲から来ていると思います。 要するにドラ・マールをキュビズム風に書きたかっただけ ということだけではないでしょうか?。「ドラ・マールの 肖像」については写実的な作品もあるようですから。 ただこんなことを書いていてもピカソにとってキュビズム風 に書くのも写実的にかくことも大した違いはなかったと思います。 でなければキュビズム時代の後にくる「新古典時代」の説明が つきません。ピカソにとってはもしかするとどんな風に表現 するかなんてことは単に筆のふるえの違いでしかったんじゃない でしょうか?。 どうもこういう表現をするとなにかピカソはものすごく深遠で 僕達の理解が及びもつかないような思考をめぐらし絵を書いていた ように考えられますが、実際ピカソというひとはまったく感覚的な人で その手の技術論的な話をするのは滅多になかったようです。岡本太郎 がその手の話をしようとすると見事なくらい鮮やかに話しをそらされて しまうと書いています。それはキュビズムのような主知的な画法と されるものでも同様であったようです。ということはおそらく ピカソになぜこんな風に書いたのかと質問をしたとこで「書きた かったからさ。」とはぐらかされてしまうように思います。 考える前に感じろということなんでしょう。
121 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/19(火) 08:10
上記に対して補足します。 おそらくピカソはドラ・マールのいくつかの肖像を書いていますが これはおそらくドラ・マールを着せ替え人形のように(現代的には コスプレかw)様々な画法で描きたかったということなんでしょう。 写実的には古風で静謐な感じを醸し出して、キュビズム風には活動 的で洗練された感じを出したかったということなんでしょう。 おそらくそこに深い意味はなく本当にコスプレ的というかドラ・マール を愛しているがゆえに書いたとしか感じられません。 どうでしょう?。
122 :
117 :2001/06/19(火) 11:41
納得いたしました。 確かに他の、目論見が先立って目に飛び込むような 作品群に比して、”愛情”というものが技術を超えて 迸っている感がある。個人的にそこに感応する。 確かに表現の動機とは、複雑に見えてそのじつ単純なもの なのかもしれない。 丁寧なレスありがとうございました。
123 :
イギー :2001/06/20(水) 12:41
金持ちのバカと国が価値を上げすぎている。 みんなが思ってるほどたいしたことないって。
124 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/20(水) 12:57
>123 はいはいそうね。
125 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/20(水) 21:42
金持ちも国も、あなたにバカと言われるほど バカとも思えないが。 あなたが思ってるほど、 あなたは”りこう”でもないよ。
>125 はいはいそうね。
127 :
中 :2001/06/21(木) 11:21
天才かどうかは、生涯エネルギーの総量で決まるようなとこがあるので、 ピカソはその点で天才ですね。 人の出来ないようなほど絵を描いて、スタイルを作った。 ひとつひとつの質はともかくとしてもです。 「天才とは多作であることだ」というのも、単にそういうこと。
128 :
太郎 :2001/06/21(木) 14:00
なるほど。 いっぱい絵描けばそれなりに上達するからね。 「天才とは多作であることだ」 まんざら嘘でも無いね。
129 :
:2001/06/22(金) 00:16
名前が凄い
このドテカボチャ
131 :
名無しの笛の踊り :2001/06/22(金) 11:36
そのドテカボチャってのもすごいな(藁)
132 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/22(金) 11:48
ttttttttttt
133 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/22(金) 12:19
T
134 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/22(金) 17:32
人は何故量に圧倒されるのだ。 本当の感動は質にしかもたらされないと思うが。 確かにピカソのように生産し続けるのは 怪物のようなエネルギーがなければ不可能だろう。 では、天才とは怪物とイコールなのか? 自分は違うと思う。 少なくとも=ではなく≧だ。 量を過大評価するのはな。。
135 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/22(金) 18:27
質と量はどっちが大事というものではなく どちらも大事だろう 寡作なアーチストでもすばらしい評価が得られるのは、それが むしろ例外的だからで、いっぱんに絵画芸術において寡作で ありすぎることはマイナスだろう > 本当の感動は質にしかもたらされないと思うが これは言い過ぎ 感動は量や継続によってもたらされることもある。 質による感動と明確には分離できないし、優劣も無い
136 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/25(月) 17:58
ピカソのフルネーム教えて、 あのジュゲムジュゲムみたいなの、
137 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/25(月) 18:32
ヨハネス・クリソトムス・ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト ↑ これはモーツアルト
138 :
たか :2001/06/29(金) 06:54
色々読ましてもらいました ぼくはピカソの絵は好きではありません がこれだけ評価されてるのはなぜだろう? という興味はあります、そしてピカソに感じられる 人がうらやましいです、ピカソが僕の大好きなチョコレイトだったら おいしさをしらずに食べる事もせず死ぬのだから
139 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/29(金) 08:18
岡本太郎の「青春ピカソ」を読んでみましょう。そうすると 何気に分かるかも。というより>138さんはこんなスレ に書きこむぐらいだからものすごく興味がある、というより もう無意識的には理解しているんだと思う。嫌いだとは いっているけど。おそらくピカソの絵が持つものすごい 「押し付けがましさ」に反発をかんじるんじゃないかな?。 だから嫌いなのかな?。 不思議なもので僕の知り合いのジャズ・ミュージシャンの 殆どがピカソ好きが多いです。なぜかジャズとピカソの 表現には似通ったものがあるよう気がします。 その中の一人で今まで絵を見にいったことがないという ピアニストがいたんですけど彼を去年か一昨年にやった ピカソ展に連れていったらすごく感動して「これは ジャズだね。」と名言をはきました。ぜんぜん絵の 素養のある人ではなかったのですが。それからの彼は 時間を見つけては美術館に足繁く通っているようです。 どちらにしても>138さんはそこまで興味があるのなら もう少しピカソの絵に接することが出来たなら大好きに なるタイプのような気がします。
>>139 面白い意見ですね。
ピカソの多作癖=即興性は、ジャズのインプロヴィゼーション
にも通じるところがあるのでしょうか。
確かピカソは
「私は小鳥が囀るように絵を描く」といったような記憶があるの
ですが、彼の自然体(を装った)姿勢に共感されたのでしょうか。
its さんは管理人ですか。なんだか指導教員みたい。
>>141 単なる暇人です。言い方偉そうだったらごめん。
143 :
139 :2001/06/29(金) 11:26
いや別に偉そうではないよ。
144 :
たか :2001/06/30(土) 02:27
>>139さん ジャズも良く解らないです 分かりやすいカンディンスキーとかなら おんがくが伝わってくるのですが 僕の感性だと、、 嫌いではないですよ、解んないだけです も少し接してみますね!
145 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/30(土) 04:01
>>144 キュビスム以前やいわゆる新古典主義期の絵なんかもだめですか?
後者はシカゴ美術館の「母子像」とか。
カンディンスキーはあなたの言葉を聞いたらよろこぶでしょう。
「音楽のような絵」が彼の無対象絵画の目標のひとつでしたから。
146 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/30(土) 04:12
たか さん、レスついてよかったね。
絵って解る解らないなのか? 右脳だっけ? そちらで鑑賞したら? 心の琴線に触れるかどうかだと思うけど、だから音楽に通じるんじゃないか。
148 :
太郎 :2001/06/30(土) 12:51
>>140 「私は小鳥が囀るように絵を描く」と言ったのはモネでは?
モネの画集に書いてありますよ。
149 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/30(土) 13:47
ヘンリー・ミラーの小説って絵画的だよな
150 :
its :2001/06/30(土) 16:07
>>148 うろ覚えだったのですいません。
こっちが正しいのかな
「私は他の人々が自伝を書くように絵を描く。私の画布は・・・私の日記の1ページであり、
その限りにおいて意味があるのだ。」
もう一つピカソの言葉・・・
「絵は、あらかじめ構想されても固定されてもいない。
それは制作の過程で、画家の思考の変化に添って変貌するものなのだ。
そして完成した後も、それを見る人の精神状態によってなお変わり続ける。
一枚の絵は生き物のように自らの生を生き、毎日の生活で私たちが
味わう変化をも経験するのだ。それは、絵画作品が見る人によって
初めて生命を与えられるのだから、当然のことだろう。」
鑑賞という行為さえピカソにおいては自明だったのだろうか。
さらにもう一つ「ゲルニカ」についての言葉・・・
「ゲルニカ」(部分)
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/picasso/p-picasso23.htm 「だが、この牝牛は牝牛、この馬は馬だ。鶏だか鳩だか、鳥のようなものもいる。
私はテーブルの上に何があったか記憶していない。そしてこの鶏は鶏だ。
確かに、それらはシンボルだ。でもシンボルを創造するのが画家の仕事ではない。
そうでなければ画家はそれらを描く代わりに多くの言葉で書けばよいことになるだろう。
絵を見る人たちは、馬や牝牛に、彼らが理解するままに解釈するシンボルを認めている。
いくつかの動物がいる。これらは動物だが、虐殺された動物だ。
それがすべてだ、私に関す限りは。
鑑賞者は結局見たいように見ればよいのだ。」
絵画の「視覚性」に非常に自覚的だった画家だということがわかります。
151 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/30(土) 21:28
例えば、まったく同じものを描いたとしても、ピカソが描けば芸術になって、 素人が描けば落書きと見られることはありますか。
152 :
ナナシノ :2001/06/30(土) 23:35
>>151 ある。いかなる事態もありえる。場合によってはピカソの方が落書き扱いされる
可能性すらある。結局、151的問いの周囲を堂々めぐりせざるを得ないってのが
「現代美術」のひとつの特徴だと思う。シミュレーショニズム華やかなりし頃、マイ
ク・ビドロが「これはピカソではない」というタイトルで、ピカソ作品の「模写」を発
表してましたね。
153 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/30(土) 23:49
シェリー レビン、はどうなのかなあー?
154 :
たか :2001/07/01(日) 00:19
>>145 今日本屋で立ち読みして来たのですが 母子像って母の肖像ですか?14さいの頃書いた、、、 本屋でしか見る事を知らないのですみませんが、、、 でも観ている内になんかマ、ジョリとか泣く女とかブラック〜 とか、、なんか音楽というかリズムは感じました ほんとうは解りたいのでは無くて 感じたいのですが、見た目解らないのって 理解しようとしたいじゃ無いですか! そんな感じです、 抽象的ですみません。
155 :
太郎 :2001/07/01(日) 00:50
画集見たり、展覧会に足を運んだりして努力すれば分かるようになるよ。多分。
156 :
たか :2001/07/01(日) 01:01
>>太郎 それはそうですが そこまでの過程って楽しいじゃないですか!
157 :
ピカツ :2001/07/01(日) 13:38
娘(5才)「おかぁさん、私の絵飾ってもいいよ。私のは色も ついてるしね。」 ある時、部屋中にピカソの単色リトグラフを飾ってた時に言 われました。子供は正直だぁね。 バルセロナ大学で哲学を学んでる為か?難解かもしれないが、 飾って長く楽しめる絵じゃないかな。見る側が気持ちの遊びが 出来ます。
158 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/02(月) 16:26
>154 >ほんとうは解りたいのでは無くて >感じたいのですが、見た目解らないのって >理解しようとしたいじゃ無いですか! おそらく充分判っていると思われ。だってマ・ジョリに リズムを感じたなんてなかなかはけませんよ。 おそらくもっと突っ込んだ意味を知りたいってことなんだと 思いますが>150さんのところでもピカソ自身「私に関す限りは 鑑賞者は結局見たいように見ればよいのだ」ともいってるじゃないですか。 おそらく>154さんは充分過ぎるほどピカソを理解していて 心の中ではピカソに対する共感でいっぱいなんですよ。 だからもっと知りたいしピカソの絵にひかれるんですよ。 もしそう言った意味でピカソの意義を知りたいのであれば 20世紀初頭の社会背景なんかを調べてみてはいかがですか?。 強力に面白いですよ。確かキュビズムが始まったのが1906年 頃でそのころ音楽界でもシェーンベルクが無調を始めているし (多少年号は前後しているが)、共産主義なんて考えかたが 出始めていますね。全てのことをいっしょくたにするのは乱暴だと 思いますがどこかに時代的な気分というか雰囲気があったように 思います。世紀末が終わって新時代を迎える新鮮な雰囲気ってこ とでしょうか?。そんなことを考えながら見ていけばまたそれは それで面白いと思いますよ。 それからとりあえず言っておくけどあくまでこれは僕個人的な見方 と言うか考えであるから、それに普遍性があってそうでなければ いけないということでは決してないから、へんな煽りはやめてね。 せっかくマターリとした良いスレに成長したのに壊したくないから。 こんなこというとかえって逆効果か?。
159 :
たか :2001/07/03(火) 04:01
>>158さん あなたは僕より 知識が有って良く解ってると思います そしてあなたに優しさを感じます 素敵な人だと思います だからもすこしピカソに 接したいとも思います、素直に 有難うございます 僕みたいなひとを もっと導いて下さい ぜえんぜん逆効果じゃないです あなたの心が素敵です ちょっと酔ってるのですみません!! くさ かったら!!
160 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/03(火) 04:46
ピカソは別にたいしてすごくないんですよ。 だから、たかさんのいうことはもっともです。 ピカソは若いころのだけが良いのでは? ある意味すごい才能だとは思うけど。 {アーティストとはなにか?」という問いに影響力を及ぼしたと思うけど。 作品はたいしたことない。 モダンの犠牲者なのでは?
161 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/03(火) 08:59
私は絵画の素養はないし、あまり詳しくはないんだけど、、、 学生の頃はピカソの青の時代の絵が好きでした。 その後、興味があったので画集を買って 茶色と黒で一面を覆い、暗号のようなものだけが書いてある絵を見た時、 なんてつまらない、美しいものとはおよそ対極な絵を描く人なの!? ・・・とショックを受けてその後ピカソに興味を持たなくなり数年後、 コートダジュールへ旅行に出かけた際に立ち寄ったピカソ美術館で 晩年のピカソの作品と出会いました。 絵よりも陶器や彫刻が多かったのですが 一つ一つの作品に触れるうちに、うきうきしてきて なぜか笑顔がこぼれて、最後にはスキップしてしまいたいような 不思議な体験をして、絵でこんな気持ちになるのー!?と また新しいショックを受けました。 それ以来ピカソに対する認識が変わり、晩年のピカソが大好きです。 一番、理解できなかったピカソが今では大好きです。 「夢」を毎日眺めながら、ドラマールも飾っています。
162 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/03(火) 19:40
>161 んーいいですねー。御意にございます。多分学生の頃に すでに理解は出来ていたんだと思いますよ。ただ経験が なかっただけで。だから共感するにはそれなりの年月が 必要だったということでしょう。 ピカソの晩年は完全に方法論が消化されきって、キュビズム の頃は方法論が目的化していたように思うのですがそういったもの に惑わされなくなったということでしょうか。だからどんなに デフォルメされた絵でもなにかを感ずることは出来るということ ですね。 >茶色と黒で一面を覆い、暗号のようなものだけが書いてある絵を見た時、 >なんてつまらない、美しいものとはおよそ対極な絵を描く人なの!? これはおそらく161さんが絵というものに対してロマンティック なものを持っていたということなんでしょう。おそらくそんな即物 的なこというなよってことだったのでしょう。ピカソはそういう ロマンティシズムとは縁の無い人なのではないかと思ったのでは?。 でも晩年のピカソにその要素を発見した。それもかなり形の変わった 方法で。だから大好きになったんでしょう。 でも僕の意見ではピカソのキュビズムの頃はそういったロマンテ ィシズムを否定したように一見見えますが、実はその奥の方では ピカソはものすごいロマンティストだったように思います。 だからあそこまで徹底的に解体できたんだと思います。 僕は晩年も好きですが、分析的キュビズムといわれるキュビズム の初期も大好きです。一見徹底的にロマンティシズムを排除 したように見える画面ですが、熱い思いが冷めた画面から伝わって くるからです。要するにロマンティシズムが無いのではなくて 隠しているということなんです。まあ晩年に比べるとどうしても 青臭いところがありますけど、それも若さならではということで お許し下さい。 でもまったりとした良いスレになりましたなあ。
163 :
its :2001/07/03(火) 20:53
グラン・パレのピカソのポートレイト展のこと思い出した。 あの中で、オルガやマリー・テレーズなどの肖像がたくさん あったんだけど、なんというかピカソの愛情があふれているようで 涙が出てきた。特に写実的なオルガの肖像が好き。 ピカソがロマンティストというのはまったく同意。 単なる女たらしという意見もあるんだろうけど、ピカソはとにかく 人が好きで好きでたまらなかったんだろと思う。 青の時代から一貫して。 「ゲルニカ」制作の動機も、政治的なことよりも人間に対する 深い深い愛情にあると思いたい。
164 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/04(水) 08:54
>163 まったく同意です。特に晩年はピカソの私的生活を題材にしているもの が多く、いかに家族思いであったか子供思いであったかが偲ばれます。
165 :
161 :2001/07/04(水) 09:29
162>>さん、お返事ありがとうございます。 そうですか。共感するのに年月が必要だったのですね。 「ピカソに興味を無くした」はちょっと言い過ぎで そのとき、その「ロマンチズム」の対極を描けるという事は それをよく理解している人なんでしょうね。。。と頭で考えたのですが 私には理解不能。。。としてピカソとの対話を放り投げちゃったんです。 私にとって絵はただの絵であって、心地よさをもたらすものとして ちょっと自己中心的な見方をしていたかもしれません。 一枚の絵との出逢いも人との関わりと同じなんですね。 162さんのレスを読んで、また新しい気づきが得られました(^^) キュビズムの作品にももう少し興味を持って鑑賞してみますね。 第一印象で判断してはもったいない気がしてきました。 これも人との関わりと同じですね(^^) >>itsさん、はじめまして。 時を越えて人の心に触れ、涙が溢れるなんてすばらしいですね。 私も、そんな豊かな体験をしてみたいです。 人が好きでたまらないってわかります。 私はそんなピカソがかわいくっていとおしくて笑顔がこぼれてくるようです。 「ゲルニカ」への理解はまだ私にとっては難しいものなのですが 鑑賞できるきかいがあったら、itsさんの書き込みを思い出して 今までより寛容な気持ちで作品に触れられそうです。
166 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/04(水) 17:51
こんにちは>165さん。 >私にとって絵はただの絵であって、心地よさをもたらすものとして >ちょっと自己中心的な見方をしていたかもしれません。 >一枚の絵との出逢いも人との関わりと同じなんですね。 >162さんのレスを読んで、また新しい気づきが得られました(^^) 絵も人と同じですよ。一見とっつき辛い人に付き合ってみると 意外に味のある人物であるということを確認できたりなんてこと がありますが、あれと同じです。僕は実はモンドリアンなんて 画家が好きだったりするんですが、最初はやっぱりわかんないと いうか納得できなかったんですけど、彼の言いたい事がなんんとなく 判って来る様になると、あんな縦線、横線しかない絵でも、好きに なってくるんですね。モンドリアンで最も好きな絵は林檎の木 をどんどん分解していくやつがあるのですがあれがスリリングと いうか、具象絵画から抽象絵画に移っていく過程を見ているようで たまりません。ピカソは一生涯、具象絵画にこだわった訳ですが それさえも捨て去ったモンドリアンはなにを考えていたのかが 興味があります。非常に単純な絵なのに極上の楽しみを与えて くれる。そんな感じです。モンドリアンもアメリカに渡ってからは かなり楽しい絵を書いています。>165さんぐらい鑑識眼を お持ちならきっと楽しんでいただけると思います。というより もう好きだったりして(笑)。
167 :
続く :2001/07/04(水) 18:16
>「ゲルニカ」への理解はまだ私にとっては難しいものなのですが >鑑賞できるきかいがあったら、itsさんの書き込みを思い出して >今までより寛容な気持ちで作品に触れられそうです。 ゲルニカですか。これはピカソの作品のなかでも最高傑作だ と言われる事の多い作品ですが、僕なりの考えを参考までに 書いてみます。 確かこの頃のピカソは手元に資料がないのでいつ頃作られたかが 判らないのでうろ覚えですが、確かピカソの創作活動の中でも 比較的写実的な時期の作品だったと思います。それなのになぜ あんな風にキュビズム的に書いたかと言う事なんですが、それは 多分あのての流血して惨たらしい状況を書くと、痛ましさが先に たって、本当にピカソが言いたかった事が判らないと、ピカソ自身 思ったんじゃないですかね?。つまり物事の真実に迫ろうとする時 写実的に書いてしまうと、その絵の表面的な美しさやショックに 惑わされることがあるんではないかと思うんです。このスレの ドラ・マールのあたりでもいってましたが、キュビズムであれば こそ、ドラ・マールの別の面が描き出せていたのではないかと 思います。 つまりピカソが「ゲルニカ」でいいたかったことは戦争の残酷さ 、無意味さをなによりも言いたかったためあえてキュビズム風に 書いたのではないでしょうか。そしてそのピカソの目論見は成功 しているように思います。画面から漂ってくる惨たらしさより、 ピカソのメッセージが出てきているように思います。ここら辺の 意見はまったく>163さんと同意です。 でもある意味この絵はピカソの作品のなかでは異質なほうですね。 このようなメッセージ性をもったということで。良いか悪いか は別として。
168 :
its :2001/07/04(水) 23:12
>>161 さんレスありがとう。
僕が見た作品はたぶん1920年のころの作品だったと思います。
キュビスム時代の作品が並んでいる中で、ぽつんと置かれていた
オルガの写実的な肖像に、彼女を美しく描いてあげたいという
ピカソの強烈な愛情を見たように感じたのでした。そこで思わず
ホロリと(もちろん心の中で)。
>>167 さん。
「ゲルニカ」の解釈まったく同意です。
付け足しのようですが、「ゲルニカ」がピカソの最高傑作として
紹介されたのは、1939-40年にNYで開催された展覧会だそうです。
反ファシズム、反戦の時代。いかにも時代を感じさせます。作品の
解釈が時代と結びついた顕著な例だと思います。
169 :
161 :2001/07/05(木) 09:25
>>167 さん、こんにちは。
「モンドリアン」の絵を検索してみました。ピカソのキュビズムの作品を
理解できる手がかりができたようです。
色の少ない、「立体派」?の絵なのになんだか好きと思えました「木々のある風景」。
アメリカでの作品「ブロードウェー=ブギ=ウギ」は明るいだけじゃなくてこれも不思議。。。
直線なのに、曲線の優しさを感じるし、、、なんだろう
普段目に見える世界は、実は光がゆれてるだけなんだって感じたのかしら。
うふふ♪ スキップというより自由なリズムを感じます。気に入りました☆
この方はピカソに会うためにパリへ向かったのだそうですね。
ピカソを理解するためには、同じ時期に影響を受けあった作家の作品を
みるのもよいのですね。
「ゲルニカ」に対してですがやはりあの絵はその時代背景を頭において
置くことが重要なんですね。
あと、気づいたのはお二人ともおっしゃっている、
描き方の変化にも目を向けてその作者の心の変化を感じること。
これらは基本なんでしょうけれど、ただ一枚の絵を見て
「好き」「嫌い」といっていた私にはお勉強になります。
170 :
167 :2001/07/05(木) 10:06
>169さん、お待ちしておりました。 >アメリカでの作品「ブロードウェー=ブギ=ウギ」 >は明るいだけじゃなくてこれも不思議。。。 多分気に入っていただけるんじゃないかと思っておりました。 でも不思議ですね。モンドリアンの絵は完全に抽象作品なのに >169さんはスキップというより自由なリズムを感じるわけです。 >169さんはもう完全に現代美術を理解しておられます。 ちゃんとした審美眼をお持ちです。自信を持ってください。 >これらは基本なんでしょうけれど、ただ一枚の絵を見て >「好き」「嫌い」といっていた私にはお勉強になります。 僕は一枚の絵を見て好き嫌いってのはあまりないんですね。 ピカソが好きなら全部好きなんです。でもキュビズム以前は 余り好きじゃないかなw。その人全部が好きになっちゃうと いうかんじです。だからカンディンスキーやミロはあんまり 好きじゃないな。なんか生理的にダメって感じです。クレー なんかも好きですね。>169さんにも気に入ってもらえ そうです。 おっとピカソのスレだったw。
171 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/05(木) 12:28
>>170 さん、こんにちは。
>169さんはもう完全に現代美術を理解しておられます。
なんだか、心地よい不協和音や自由なリズムを感じる、
そんなちょっと変な感覚でした。これでいいんでしょうか?
実物と対面してみたいですねぇ。
私は本当に芸術には疎いんですが、
パウルクレーは好感の持てる作家ですね、そして
確かにミロは私もなぜだか興味がわかないのです。。
また年を取ったら変わるのでしょうね。
172 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/08(日) 00:42
大学の週間美術館作ってる先生が、ピカソの偉大なところは 「こんな絵ならわたしでも描ける」とみんなに思わせたところ だと思うと言って笑ってました。 「ピカソもウォーホルもほんとに良い作品は数少ない。 みんなにはそれを見分ける力をつけて欲しい。」っていってました。 私自身は力不足でよくわからん!
173 :
its :2001/07/08(日) 01:18
>>169 >あと、気づいたのはお二人ともおっしゃっている、
>描き方の変化にも目を向けてその作者の心の変化を感じること。
>これらは基本なんでしょうけれど、ただ一枚の絵を見て
>「好き」「嫌い」といっていた私にはお勉強になります。
でも、日本の展覧会だと、名品展とかで1点だけぽつんと置かれてる場合が
多いですよね。だから作者の心の変化を感じるのって、大きな個展を見るか
画集などで補わないと難しい。
たまたま安田火災の「色彩の歓び」展にも青の時代の作品がありましたが、
あれだけでピカソについて感じるのってよっぽどの人でないと無理です><
>>171 クレーでしたら、「色彩の歓び」展是非行ってみてください。
5点くらいあったと思います。どれもいい作品でした。
(ちなみにこの展覧会、フォーヴィスムと表現主義がすごく充実してました。
僕はクレーとノルデの水彩画にうたれた)
ああ、ピカソスレなのに。。。
クレーの水彩画はすばらしいの一言に尽きます。
175 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/08(日) 01:31
ピカソもウォーホルもホントにすばらしい 誰もが知っている 複製などを適当な部屋にも飾れる インテリア絵画として良く機能する ルネッサンスやバロックなどの絵画が好きで 複製を購入し部屋に飾ると、1人で過ごすときには 良いかもしれない。 でもあなたが外交的でいろんな人を家に招いたときに 話題にされる確率でいうと雲泥の差がある そして(これは本当にそうなんだけど)部屋でなごんで もらうための1要素となりうる確率も高い。 ピカソやウォーホルなら各種の世代の各種の人種、 背景の違う人にネタ振りできる要素がある。 という総合的な役目を含めてピカソもウォーホルも ホントにすばらしい
クレーの展覧会行って感動したな・・・ いつだったかな 庭園美術館だったかな?
177 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/08(日) 01:46
ゲルニカを最近みに行きましたが とにかく大きいのです 巨大な空間と呼ぶべきなのかもしれない 普通ならサイズの大きな絵はどこか気の抜けた部分、間ができるのですが 画面の隅まで緊張感が張り詰めているのは驚きでした 絵の主題そのものや、描かれたモチーフの悲惨さもあるのでしょうが 絵として、どうして力があるかと考えると やはり、ピカソの天才的な構成力のにあると思います それぞれの配置に隙がなく、動かしがたいのです 圧倒的な絵という事に尽きると思います 良いと言われるものは良いのです(笑 観客がみな息をとめるのをみるのも面白いものです キュビズムについてですが やはり、キュビズムに対しての理解は、ピカソがさかんにキュビズムを 描いていた時にはあまり理解されず、そのうちにキュビズムを封印していました 「ゲルニカ」を描く時にを解いたのですが キュビズム以外の手法で描かれた「ゲルニカ」を想像する事が 私にはできません。
178 :
空耳 :2001/07/08(日) 18:30
関係無くて悪いんだけど、私も色彩の喜び行ってきたよ。 クレー一番よかった。 印象派はいいものがきていませんでしたね。 ピカソは良かった。 フォーヴィズムについて少し理解したような気がする。 マティスはよく分かりませんでしたが、 ブラックなどが特別気に入りました。 ミロの絵も良かった。 カンデインスキーの心の動きはちょっとだけ分かるかな? エルンストなんかも来ていましたね。
179 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/08(日) 21:38
なんかピカソ好きにはクレー好きが多いのだろうか?。 なんか似た所があるというか、何気に現代絵画という ともすれば難解と思われる所にあって親しみやすいと いうかリラックスしたようなところがあるから好かれ るんだろうな。でもクレー自身はあのバウハウスの教授 ということもあってかなり絵画理論なんかに精通していた とおもうんだけど、実際書いている絵なんかともすれば カワイイとまでおもえるのがあるものな。要するに熱い んだろうな。 >色彩の喜び 結構行ってるな。僕もいったけど個人収蔵のものだから どうかとおもったけど(もちろん好みに偏向はあるが) けっこういいものが集まったよね。収蔵家はなかなか 金の使い方を分かっているというか、いいセンスして いるね。印象派の有名画家のどうでもいいい習作一枚 買ってくるより、この辺のピカソ以降の作家のいい作品 2、3枚買ってくるほうが賢いよね。感動に差はないん だから。
180 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/08(日) 21:57
>177 >良いと言われるものは良いのです(笑 >観客がみな息をとめるのをみるのも面白いものです 結果的にそうであるということはあるが僕は作品の 良し悪しを決めるのは自分だと思うから、ちょっと素直には 同意にはならないな。現にピカソが一番評価される時期は 現在でもキュビズム以前ということになっているが,僕は どうもピカソ前という感じがしてあまり重要とは思えないな。 人がどう思うかより自分がどう思うかじゃない?。 >キュビズムについてですが >やはり、キュビズムに対しての理解は、ピカソがさかんに」 >キュビズムを描いていた時にはあまり理解されず、そのうち >にキュビズムを封印していました これは正確じゃないな。キュビズム風に描く事はけして止めて いなかったよ。ただしこの頃のピカソの興味が分解、再構築 ってことではなくて、キュビズムみたいな主知的な画法を 通った自分が伝統的な具象絵画を書いたら何か新しい発見が あるかどうか、キュビズムで得た「何を書いてもいいんだ」 という発見を具象絵画にフィードバックさせたってことでは ないかな。この頃は「新古典主義」っていわれるけどもしか すると商売ってことで理解しやすい絵ということもあるかも しれない。でもそれが全てではないと思う。やっぱりピカソ を理解しない人には相変わらず下手糞だと思われていたよう だし。
181 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/08(日) 22:15
>172 >大学の週間美術館作ってる先生が、ピカソの偉大なところは >「こんな絵ならわたしでも描ける」とみんなに思わせたところ >だと思うと言って笑ってました。 これはまったく御意。僕もそう思うし岡本太郎 もそう思っている。 >「ピカソもウォーホルもほんとに良い作品は数少ない。 >みんなにはそれを見分ける力をつけて欲しい。」っていってました。 言葉は悪いけど所詮、教授や評論家の類はそんなもの。 絵に良い悪いなんて存在しない。好きか嫌いかそれだけ。
>>181 この人この板にずっといるけど、迷惑だよな。
わかってるよ、この一件の犯人だってこと。
バカはロムってればいいんだって。
変に発言しようとするから鉄拳くらって壊れるんだよ。
何の事いってるんだ? マターリとした スレの流れを壊す お前の方が迷惑
184 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/09(月) 00:53
私は分析的キュビスム期に興味があります。 ルネサンスからの遠近法ではなく、独自の三次元を二次元に解体する手法で 描いたところがいいですよね。 「絵画の還元不可能な要素である平面」に新しい試みを挑んだ人って言うのかな?
185 :
太郎 :2001/07/09(月) 02:46
>>183 マターリしすぎるのも閉鎖的でどうかと思いますぜ?
>>180 ただしこの頃のピカソの興味が分解、再構築
ってことではなくて、キュビズムみたいな主知的な画法を
通った自分が伝統的な具象絵画を書いたら何か新しい発見が
あるかどうか、キュビズムで得た「何を書いてもいいんだ」
という発見を具象絵画にフィードバックさせたってことでは
ないかな。
全く同意です。
ピカソが人の顔色を伺って画風を変える方がむしろ不自然に思われ。
186 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/09(月) 15:18
まあ適当に煽りが入ったほうが緊張感があっていいかw。
>>185 ますぜ?
お前はギャラリーフェイクの藤田か?!
ご希望通り煽りを入れて差し上げました(ワラ
しぶといのが特徴
189 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/10(火) 02:10
ピカソ。
190 :
太郎 :2001/07/10(火) 02:25
>>187 ばれたか。藤田です。
ちなみに俺は煽れとは言って無い。
死ね。
結局煽りが出たら荒れるんじゃん 俺は183だが 皆さん それで本望? ピカソスレならピカソスレらしく話をすすめるのが筋じゃない? マターリをどう解釈するかは人によるが 少なくとも185までのスレの流れの方が 俺には健全に見えるよ 所詮不特定多数の人間が書き込む掲示板だから 一個人の見解として受け止めてくだされ......
緊張感が合っていいという意見もあるが 普通はスレの趣旨に即して 自分の意見や反論をしていけばいいことだし 個々人の意見のやり取りの中から生まれる緊張感のほうが見ていて気持ちいい 煽りなどまったく必要ない 煽りによって生じる抑圧は 真面目に書き込んだ人の意見を抹殺するだけであって それは緊張感などとは無縁のものだ 荒らしは所詮自分の意見を持っていない人であり そんな奴は書き込まずにROMに徹していればよい 少なくとも俺はそう思うのだが 関係ない話題で申し訳ない ピカソの話題続けてください........
なんかドキュメンタリー映画、レーザーディスクで持ってたな。。 かなり昔の話だけど 当時の女にレーザーディスクプレーヤごと取られたけど いまでもあるのかな? VHSやDVDで
194 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/10(火) 13:44
>193 たしか伝記物があったよね。木場の現代美術館に あったとおもうな。
195 :
太郎 :2001/07/10(火) 15:50
ウォーホルは一枚の絵が分かれば他の絵全部理解出来るような所あるけどピカソはバリーエーションが一杯あって画集開くたびに何か発見があるようで楽しい。
分かりにくいというのも絵画に於いての魅力の一つだね。
誰か言ってたけど理解するまでの過程って楽しいし見ごたえあるし。
ピカソはキュビズムという一見滅茶苦茶に見える絵を描いた訳だけど構図、構成等を見るとちゃんと過去の作品を剽窃してる事が良く分かる。
>>185 は違った意見を持つ人が書き込んでもいいんじゃないの、と言ったまでで煽れとは言って無い。
196 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/10(火) 17:46
>ピカソはキュビズムという一見滅茶苦茶に見える絵を描いた >訳だけど構図、構成等を見るとちゃんと過去の作品を剽窃 >してる事が良く分かる。 ピカソがあれだけ表現できたのはいい意味で他のものから いろんな要素を抽出して自己消化できたからだよね。 でもそれが出来たのはひとえに量が膨大だったからという こともいえるな。とにかくやってみるって前向きな姿勢 からきているということだよな。 なにか表現ということをしているひとにとってピカソの その姿勢はまったく驚異的というしかない。本当に うらやましい限り。大体どんな表現者でも煮詰まりと いうものがあってしかりなのに、ピカソにはそれを振り 切ってしまうようにとにかく前に進んでしまう。まったく 驚異に値する。 これは僕の意見だけどピカソとブラックは「分析的キュビズム」 の頃はまるで一卵性双生児みたいだったけど、ブラックは 結局そこから抜けられなかった。ピカソにとってはあくまで 単なる経過地点に過ぎなかったわけだけど、ブラックにとって は「絵なんて結局、点と線の集合体でしかない」といった時点 で終わっちゃった。ブラックのデッサン力はものすごく洗練 されたものがあったから結局その最終地点としてキュビズムが くるのは理解できる。だけどピカソはそれだけでは清算でき ない「何か」があったと思う。おそらくそれは「ロマンティ シズム」だったんではないかと僕は思うのだけど、ブラック のほうがよほど即物主義者ではなかったかと思う。
197 :
太郎 :2001/07/10(火) 20:09
当たり前だけどやっぱ過去の人達が積み重ねて来た物って偉大だと思う。 逆に剽窃の無い作品は駄目なんじゃん?と個人的に思います。 >ピカソはそれだけでは清算でき >ない「何か」があったと思う。おそらくそれは「ロマンティ >シズム」だったんではないかと僕は思うのだけど、 自分の趣味嗜好を押し出した画家って何時の時代にも新鮮に受けいれられる傾向があると思います。
198 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/10(火) 23:03
>197 >自分の趣味嗜好を押し出した画家って何時の時代にも新鮮に >受けいれられる傾向があると思います。 ん?そうかな?。そうとも限らないと思うけど なぜそうおもうの?。
199 :
太郎 :2001/07/11(水) 01:25
>198 個性派の多い印象派って人気あるじゃん。
200 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/11(水) 01:49
太郎=分裂病。 いつも支離滅裂だなあ。
201 :
139 :2001/07/11(水) 10:20
>200 煽るなよw。 >199 でもそれでは答えになってないような気がするんだが?。
なんかほんとに太郎ってCAttぽいな。 彼は突っ込まれると何も言えなくなる人なので、 みなさん、どうかそっとしておいてあげましょうね。
203 :
太郎 :2001/07/11(水) 13:13
頭で整理して結論だけ言ってしまう癖があるのでスマソ。 こういう人間がHEY!HEY!HEY!なんか出たら滅茶苦茶突っ込まれるんだろな。 例えばルノワールは幸福で人に好かれる絵を描きたい見たいな事を言っていたらしい。 そういうロマンティシズムって何時の時代にも共感する人がいて普遍的な物なんじゃない?と思う訳。 なんとか技法だけでは100年後の人達は感動しないと思うんだわさ。
204 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/16(月) 19:33
Itsさん、色彩の歓び展行ってきました♪ クレー、よかったです。。童心に返ることのできる作品でした。 ノルデの水彩。。。私もひまわりに見とれていました。 ピカソのあの切なさもよかったです。 ブラックは子供の頃、好きだったので初対面でドキドキしました。 満足感たっぷりの展覧会でした♪ ここでご紹介いただかなかったら、行かなかったかも。どうもありがとう。
205 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/16(月) 20:12
>>204 なかなかあのコレクションの持ち主は
金の使い方わかっているでしょ?。
206 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/16(月) 22:40
↑いちばん良かったのは、 シャガールの『律法を持つユダヤ人』とミロの『希望』。 おもろい!!
>>204 展覧会行かれたんですね。満足感の得られる展覧会でほんとに
よかったです。僕自身も美術館で感動したモノの一つでした。
208 :
206 :2001/07/17(火) 02:36
its、お前なんで女の相手して俺の相手しないんだよ〜。
>>208 すんません。シャガールは記憶にないけど(ゴメン)、ミロは
良かったよ、たしかに。僕もミロ大好きでございます。
210 :
204 :2001/07/17(火) 08:55
>>206 私もシャガール好きなんですよ。
そうそう、ノルデの作品てケシの花?
間違えて書いてしまいました。ごめんなさい。
211 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/17(火) 16:43
当方美大生。 ピカソを理解するのに、文章読んだって頭ではわかるけど、中々 感覚としてわかりません。 絵を本気で描いてみると、彼の凄さは分かります。 見えてこなかったものが見えてきます。 ピカソに限らずそうだけど、ピカソがとくにそのギャップが大きいもんね。
212 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/17(火) 17:18
美大あがりは沢山このスレにいると思われ。 描かないとわからんのか。
213 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/17(火) 20:07
>描かないとわからんのか。 んなことはないが、模写をすると、よりよくわかることもあるよ〜ん。 文章でも、人の文体を真似るときには、 まずその人の文章を機械的に書き写してみると、文章に センスのない人でも、ただ読んでいるだけのときより、 多くのことに気がつく、ということと同じ。
214 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/17(火) 20:29
名前だろ
215 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/17(火) 22:30
大丈夫、絵描きじゃなくてもピカソの良さはわかるから。 それはピカソの良さのほんの一部ですもの。
216 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/23(月) 05:26
リアリズムじゃない絵は素晴らしくもなんともない。 私達一般人がパッと観ていいと思えないもん。 美術は大衆に奉仕すべき物じゃないの?
217 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/23(月) 09:16
>>216 それは難しいと自分が定義付けるものから単に逃げているだけで
しょう。美術だっていろいろです。一発で解る解りやすい絵も
あれば、なんかわかんないけど気になる。家に帰って考えても
よくわからない。でもある日誰かの話を聞いた途端、まるで
閃いたように解る。それから大好きって芸術があってもいい
わけです。甘口の芸術もあれば辛口の芸術もあるってこと
ですな。そんでここでピカソの書きこみしてる人ってのは間違い
なく、上記のようなことを皆経験してるんですよ。つまり絵画
鑑賞も絵という事物からなにかを掴み取っていくって点で創作
活動とまではいかないが、製作者と鑑賞者の間で戦いともいえる
葛藤があるわけです。自分を一般人だといって低きに甘えている
のは自由だと思いますが、そういったスタンスで見ているのは
打ち震えるような感動とか、吹き飛ばされるような知的衝撃とも
縁がないんじゃないでしょうか。結構もったいないと思います
がねえ。
218 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/23(月) 19:10
ゲルニカはどう鑑賞すればすばらしいと思えますか。 牛のばけもの、人間のばけもの、電球、戦車などが描いてありますが。
219 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/23(月) 20:31
とりあえず図像学って知ってる?
220 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/23(月) 22:43
牛の化け物などは、彼自身の心の中に潜んだサド的な願望があるのでは、 究極のSMを表現している。歪んだ?変体的エロジジイかな。
221 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/23(月) 23:57
>>218 すでに既出だよ。
>>220 牛は生涯にわたって出つづけたテーマです。よく心理学的には
ピカソ自身ではないかといわれますが、あまり意味がのあるやり取り
は言えませんね。要するに「描きたいから描いただけ」ということ
でしょう。
222 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 01:51
抽象画家なんて皆社会からは変人と思われてる気違いの集まり。 誰も無理して理解する必要なんてない。 何で皆素直に「こんなの美しくも何ともない」と言えずいろんな理屈付けようとするの? 結局はピカソという権威に盲従してるだけなんだよ。
223 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 08:14
>>222 あーはいはい。偉い偉い。死んでね。
なんかこいつ「くるくる」臭いぞ?。
224 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 09:41
>222 なぜ具象的だと美しくて、抽象的だと美しくないんだ? 日本語は美しくて、韓国語は美しくないのか? おまえがわからないことばをしゃべる連中はみんな気違い・・だって か? 具象的絵画表現という過半数の権威に盲目的に従ってるだけのおまえ から見ればピカソの絵を感覚的に理解することすら不可能だろう。 絵画の表現手法は、平面上に色彩を用いて表現する視覚的言語だと 言える。絵画の世界にもいろんな言葉がある。 おまえでも、観てれば「わかる」時がくる。 ピカソの絵を一枚部屋に張ってみればいい。まったく努力しなくても 一年で「わかる」。 美しい夕日を観た時と同じような「わかる」瞬間がくる。
225 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 09:57
「大衆」って何? 「美術」って何? そしてその「美術」とやらが「大衆」とやらに奉仕すべきだという理由は何?
226 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 10:04
大衆に奉仕しないと、お金が入ってこない。 美術家も需要と供給の関係の中で大衆に食わせてもらってる。 大衆に注目されなければ絵を描いてる変わった貧乏人でしかない。 ただし美術家の権威主義的体質が「奉仕」という立場を許さない。 美術とは「芸」だよ。美術家は芸人。
227 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 10:15
じゃあお金が別に欲しくなければ大衆に奉仕する必要は皆無なわけね。
228 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 12:26
美術だけはベラスケスの時代に戻って欲しいよ。 あの頃には真の芸術があった。
229 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 12:41
>227 美術家は大衆に奉仕すべきだ・・なんていったい誰が言ったの? そんなこと、聞いたこともないし誰も強要していない。 表現者それぞれに享受者との関わり方があるだけだよ。
230 :
わたしはダリ?名無しさん? :2001/07/24(火) 13:00
>>223 死ねはお前。
知恵遅れ在日逝ってよし。
美術館等で、いきなりピカソの個性的な絵を 一枚だけ眺めても実際のところ、わからないと思います。 (私もそうでした。ピカソは馬鹿にしていました) もし彼の絵をわかりたいのでしたら、 とにかく沢山のピカソを見ると良いと思います。 (それには画集が良いと思います。 それもピカソの画集で知らない本はないぞってくらい、片っ端から) 結局、個人的な好き嫌いはあると思いますが、 その方法で私はピカソの絵のファンになってしまいました。 (ちなみに私は晩年の作品が好きです。) 最近、この人の絵を見て私が思うのは、 一本一本の線が、本当に、もの凄いです。 確かに「ラインの画家」とか言われるだけあると思います。 ドローイング、エッチングなどを見て思うのですが、 彼の線は恐ろしいほどシャープで、力強くて、正確です。 また、曲がり方など、予想がつかない変化の仕方をしています。 あと、既出ですが、信じられないくらいのバランス感覚・・・。 本当に信じられません。 一見、どんなにめちゃくちゃに見えても、 絵として決して壊れていません。 まるで糸で繋がったようなきっちりとした釣り合いが取れていて、 そういった意味での特殊な緊張感があります。 素人や、いろいろなアーティストが ピカソを気取った絵・ピカソ風の絵・ピカソに習った絵を見た時の 不快さ・違和感・不釣り合い感を全く感じさせないです。
232 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/04 07:27
MOMA展に小2の息子を付き合わせました。別に教えたわけでもないのに、 「俺はピカソが見たいんだよぉ、ピカソが」という息子。な、なぜ? 理屈抜きに、消防にも名前知られているところが、まず凄い。 多作なところが凄い、何年か前にデッサンを集めたピカソ展をみたけど、 やっぱり画力はもの凄い。「精力家」だと思う。 難しいことは分からないけど、キュビズム作品はリズムを感じる。色鮮やかなのが好き。ゲルニカはあまり好きではない。
233 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/04 18:52
>>232 ゲルニカが暗いのは仕方ないよ。
内戦の悲劇を書いたんだから、色鮮やかだと逆に怖い。
234 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/05 10:48
このスレ、勉強になります。
235 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/06 11:01
>232 どうもお久しぶりです。 息子さんはもう解っているんですね。 子供さんはよほど理屈をこねくり回してどうしてもわかん ないからピカソは大した事ないって言ってしまうおバカさん よりよほど鋭い感性をしていますよ。 自分のことを言えば確か小学校6年生ぐらいのとき ピカソソの絵がわかんなくって「どうしてあんな不快な 絵を書くんだろうと思っていていたけど、なぜか 強烈に引き付けられた思い出があります。 なんか嫌なんだけどどうしてもひきつけられちゃう。 まさにそこがピカソの凄いところでしょう。 子供の純粋な視線が羨ましい。 まさにピカソ自身もそこにひかれていたんでしょうなあ。
236 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/06 16:13
ゲルニカは生で見ましたが、アゴが床に着いてしまうくらい迫力がありました。 長ったらしくて安っぽい言葉を並べた解説など入りませんでした。
237 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/06 19:57
ピカソの凄さは「凄い!!」って感じた人間にしか解らん。 「凄い!!」ッて感じた人間が沢山いるから世界的に凄いと認められているのでしょうね。
238 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/07 14:34
それは答えになってないと思われ。 なぜ凄いのかを説明してみよ。
239 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/07 17:28
言葉で説明出来るような陳腐な物では無いと言う事。 それを説明せよと言う貧しい感覚の持ち主にはピカソどころか芸術は一生解らんだろう。
>>238 新しいっていうことかな
今まで無かった表現を初めてしたっていうのは
価値あることだと思います
241 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/07 20:17
きっとピカソ自身も説明できないと思う。
242 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/07 20:58
カーンワイラーだけが知っている。
243 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/07 23:15
自分で一回描いたらわかるよ
244 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/08 01:13
凄いと思うけどそれと好きかどうかはまた別だったりして。 好きな画家?と聞かれてパッと出る事はないな−。 でも、凄いよ。 何がってパワーがね。まあ怪物的。
245 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/08 03:54
「凄い」ってのは誰でも言える
246 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/08 10:17
たしかに『好きな画家』にはならないな〜。 それに、解らなければそれでもいいのでは? 『解ってほしい』って人の声を聞いて 『理解できなきゃねぇ』って人の声は無視!
247 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/08 13:01
>239 なぜ言葉にすること事すらできないのに 凄いといえるのか。結局その程度でしか 分からないのに凄いという。その実何故 凄いかは感じなければ分からないという。 結局それは分かった振りをしているだけだろう。 その程度の芸術論を振られても笑われるだけ。
248 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/08 20:09
なんで言葉にしないといけないんだろう。 右脳で感じるものを左脳に渡して言語化するのも、それはそれで尊い作業だけど、 言語化してもなお、他人と共有できないものってあるよ。 ピカソにはプリミティブなエネルギーを感じるし、余計、言葉にするのだけが すべてだとは思えない。評論家じゃないんだし。
249 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/08 21:23
>>247 言葉って言うのは、確かで分かりやすい物と思ってるようだが、
実はただの共同幻想でしか無いんだよ。
248の言っているように感性って言う物は完全に共有するのは不可能なんだ。
他人の事を完全に理解することなんてできないでしょ。
それを言葉で完全に表す事だって多少的を得た事を言う事が出来ても完全には表現出来ない。
メモリーにたとえるなら「凄い」って感覚は言葉というソフトには1ビット位の容量しかないのに
感性の「凄い」って感覚では1ギガでは足りないくらいの容量の大きさが有る。
しかも、個人個人の間でマックとウィンドウズ位の違いが有る。
こんなの伝える事できるわけないでしょ。
250 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 00:04
何でも言葉にできるならこの世に芸術は要らないのに この板を覗くような人がそんな事も分からないんだろうか。
251 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 00:17
>1 とりあえず「形」の面白さに気が付いてから、ピカソの絵は良いと思いました。 よく観察すると「三角形」がいろいろな所に散りばめられているのが分かります。 「三角形を使っているからだから何だ?」 と言われてしまえばそこまでだけど、たとえていうなら、、 「細いボールペンの線と太いマジックペンの線は同じに見えない」と言うこと、上手く 言えないけどそれらを組み合わせる事で独特の緊張感を生み出しているような気がする。
252 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 01:58
>251えらい!そうなんだよピカソは一生形の面白さに ぞっこんだった人なんだよ。普通様式とかに走るのにね さいごまで生まれたまんまの目にかえろうとした人だよ ある意味凡人には無理だよね。色気がでる。 晩年の絵なんか様式も観ている我々も眼中にないもん そこが偉大
253 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 05:54
個人的には、ピカソの絵を観るとき、感性的に「興奮」することもさることながら、 それ以上に「知的」に興奮してしまいます。あの四方八方に視点を散りばめたような 絵に、ピカソは何と多くの目を持ち、何と深く物事を見ているんだ、と。 と言いつつ、只今、ピカソの青の時代「自画像」のポスターを探しています。 売っているところ知っている人いましたら、教えて下さい。
254 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 11:38
ピカソの凄さって西欧絵画を順序立てて見ていくと わかり易いと思う。あと、ピカソの作品を徹底的に 見まくる。もちろん、ひとつの作品でも語れるけど、 現状で全然ピンと来ないのであれば、これが一番 いいかと。具体的にはスペインに行ってプラド美術館 を1日見た後、バルセロナのピカソ美術館に行く。 これでも、ちっともピカソがいいと思わないので あれば、性に合わないか、しばらくは無理かな。 この時点でスペインなんかに行けるかというので あれば、それは本当に知りたいとは思っていないと 思う。情報ってこんなところでちょっと聞いて手に 入るものじゃないしね。そういう情報は血肉には ならない。 あと、言葉で説明出来ないものはたいした物じゃないって いう人がいるけど、言葉ってそんなに万能は表現 方法ではないと思う。自分が感動したことを 文章にして、それを他人が読んだとき、同じように は感動させられないでしょ?かなりもどかしい表現だと 思う。 あと、ずっと前のレスで「ピカソはジャズ」っていう 発言があったけど、私も激しく同意。様式美を 疑って破壊し、構築し直す姿勢は非常に 共感出来る。まぁ、ピカソがそれまでの西欧美術に 与えたインパクトはプラド美術館とピカソ美術館の はしごで簡単にわかると思う。
256 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/12 19:26
でもスゴイって言うのは簡単じゃん。食い物の 番組でこれ美味いって連発するヤツはボキャブラリー が少ない感じがするけど、美味いなんて答えじゃなくて どう思ったんだかもっと他の言葉で表せとは思わないか?。 例えばピカソもゴッホもすごいとしてその凄さって同質なのか?。 全く同じって事は無いだろう。だったらどう凄いかって事は ある程度言葉で表現できるんじゃないのかな?。 それはいいとしてピカソのキュビズムからそろそろ100年経とうと してるんだよな。それなのにどうして相変わらずピカソなんてクソ なんていうヤツがいるんだろう?。現代美術がわかんないというのは 仕方ないとして、相変わらずピカソがわかんないヤツってのは体だ けは21世紀に在りながら、アタマは19世紀ロマン主義の霧の中 にあるってことなのか?。 どうよ?。諸君。
257 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/12 19:30
でもここいいスレだな。応援age
258 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/12 22:08
とりあえず知名度は凄い。
縄文土器にわくわくする俺って・・・。
260 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/13 08:27
>>257 >でもスゴイって言うのは簡単じゃん。
どのあたりに感動したかを言葉で表現する事はできるが感動を表すにはやっぱり「凄い」が適切なんじゃ無いの?
うまいも同様、後は眼に映った映像で感じるのが言葉で伝えるより手っ取り早い
それ以上説明すると良い物なら良い物程陳腐になってしまうでしょう。
マンガ等の芸術物や料理物でやたらと説明が多いのは、
ビジュアルによって得る情報量が漫画家等の描いた絵だと情報量が乏しいせいだろうね。
>相変わらずピカソなんてクソなんていうヤツ
芸術をドラックにたとえるならそれを摂取して快楽を感じる人間も多いが
バットトリップする人間もいるってこともある。
感動するってことは、それだけショックが大きいってことも考えられる。
後、感性って言う物は遺伝では無く個人個人が育った環境によって育まれる物なので
19世紀ロマン主義に感動し抽象表現にピンとこない環境に育った人間もいるだろうし
感性が育まれない環境で育った人には、やっぱり芸術はわからないだろうね。
261 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/13 13:00
それでは美術評論は全て、「凄い」、「普通」、「最低」ですむという事ですね。
262 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/13 13:06
凄い、とか素晴しいとかいう言葉を使わない方が より適切な表現が出来るしその方が作家も喜ぶでしょう。 苦心して作った作品が「凄い」等という安易な言葉ですまされるのは嫌でしょ。
263 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/13 13:50
264 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/13 16:08
>>261 ちゃんと文章読めよ
>どのあたりに感動したかを言葉で表現する事はできるが
265 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/13 23:15
「凄い」と一口に言っても、どのような意味が含まれているかは人によりけりなので 他人の「凄い」の一言にはどうとも言えない気がする。 言語行為論とか言うのと照らし合わせて考えると分かるような分からないような。
266 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/15 10:02
この前テレビでやっていたけど作家の開高健食物の評論を するとき、絶対に美味いとは言わないで他の表現に変えて たらしい。作家が評論する時に美味いと言う表現で済まし たら。負けだと思っていたらしい。ちなみに最近食物を 表現するとき「まったり」といった言葉が使われることが 多いが、これの初出は開高が始めてらしい。 ピカソの作品はそんな危うさを秘めているような気がする。 とにかく分かっても分からなくても「凄い」といっておけば 間違いないというような輩が多いような気がしてしまう。
267 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/15 12:53
開高健はプロの文章家なんだから、その態度は当然過ぎるくらい当然だと思うけど、 文章で食ってる奴がピカソを「凄い」のひとことで片づけている例ってあるの?
268 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/16 08:45
それは議論のすりかえだろ?。 だれもプロの作家が凄いで済ましているなんて話はしてないよ。 ところで開高健は「ピカソかほんまに天才か」って本を 残しているね。開高先生ともあろうお方がとおもうけど。
269 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/16 09:04
????????? 議論のすり替え?????267がかい? 266の前半後半のつながりがよくわからないし、マジで論旨が理解 できないんだけど、ピカソそのものについて話しているのか、 ピカソ論について話しているのか、ピカソを「凄い」と評する人 (プロアマ問わず?)について話しているのか、どれなんだろう?
270 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/16 09:09
そもそも、このスレ自体は
>>1 を読む限り、ピカソそのものとその鑑賞法について
話すスレだと思って参加してたんだけど・・・。
時代背景が要素還元主義の時代で突き詰めていったら 真っ白なキャンバスで十分なのを発見したので、 絵描きさん止めようかどうしようか一生悩んで、 毎日絵の具と戯れて人の作品マネしたりして、 落書き程度の事しか残さなかった。 つまり、ピカソがマネした作品こそ20世紀の偉大な作品。 ・・・って誰それ??
272 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/16 12:28
266の文はわかる人にしかわかりません。
ピカソのどこが凄かったは、美術史の本に書いてありますよ。 キュビズムの発明等によって絵画に対する固まった考え方を 打破した所なんかも凄い所の一つですよね。 しかしそれはピカソの絵が発表された当時の話なんです。 つまり「ピカソが凄かった」のと「ピカソが今、凄い」のは違う。 これらをごっちゃにしてはいけない。 ピカソが、今、凄いかどうかは、現代の人が現代の目をもって 現在残っているあらゆる美術作品・芸術作品、ひいては現在起こっている すべての現象と、同一平面上で照らし合わせながら、判断すべきなんです。 ちょっと話がわかりにくくなってきたので説明します。 勘違いしてる人が多いかもしれませんが、芸術の最も重要な要素は 実は美的価値ではなく、社会との深い関わりなんです。 政治家のように直接的ではないですが、芸術は社会に対してなんらかの アプローチをします。その手段として美的価値をまとっているにすぎません。 このように社会と切っても切れない関係を持つ芸術ですが 社会は常に変化しますよね?だったらそれに対応して芸術も 変化しなくちゃいけない。 既存の芸術に対する考え方も、新しくしていかなければいけない。 だから、古い名作も今日の若手作家の作品の隣に置いて もう一度評価すべきなんです。 うまく説明できたでしょうか? ですから、ピカソは確かに凄かった、凄かったけど今現在彼の作品は どうだろうか?って考え方が大事なんですね。 最後に、じゃあ具体的にどのようにピカソを鑑賞すればよいか? ピカソの作品だけをみるのではなく、最近の現代美術の作家 例えば村上隆とかアンディ・ウォーホルとか ゲルハルト・リヒターなんかと、比べてみてはどうでしょうか? 僕なりのアドバイスです。
今見てもアビニョンは凄いよ(笑 何が凄いって、作品が矛盾してるんだよ いろいろとね よく見ればわかるよ。 それに、 あまりにも作品が膨大で紹介されてない優れた作品も多いんだよ。 落書き風な作品も、構図、色の妙を考えてるね。 天才ではないと思うね。かなりの努力家、勉強家 小さい頃に親に神童と刷り込まれたけど、 パリみたいな都会に来たら、 流行から100年遅れてたのに気づいたんだろね。 自分は神童だと刷り込まれてるから、 周りにいたトガッたヤツをどんどん取り込んで天才になろうとしたんだろうね。 でも、ルソーなんかも評価してるところが面白いね。 ルソーって天才かもね。
275 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/16 21:37
天然ボケ?? えっと・・・ミロかな。 初期の風景画って分裂病か?
277 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 06:43
>>273 芸術において、美よりも社会との関係が重要とは、いやはや恐れ入った。
君はアホか?
芸術における美を二次的要素に貶めて、時代考証のために芸術を用いるなんざ、
美術史のフィールドだけで語られていればよいことであって、
作品を目の前にしたときにはそんなこと関係ないだろ。
もちろんそうした知識を鑑賞時にもっていれば有意義なこともあろうし、
ピカソなんかは特にそのような面があるかもしれない。
しかし、結局はそんなの学者連中もしくはそれ気取りに任せとけば良いんだよ。
陳腐ではあるが、美を美として楽しむことが芸術との付き合いにおいて、
最も基本的かつ重要なことなんじゃないの?
芸術は頭よりも心で付き合う方がずっと楽しいと思うけどね。
人間の最も純粋な感情とは何か?そのことについて考えてみる。 普通、感情とは「喜怒哀楽」を含意しているが、ここに「感動」を加えてみよう。 そうしたとき、感動こそが最も純粋な感情と考えられないだろうか? 例えば、喜んでいるときにも哀しみが払拭されない場合がないだろうか? あるいはその逆はないだろうか?元来、喜怒哀楽なんてものは、 すっぱと断面できるものではなく、実はさまざまな表情がまとわりついた 複雑なものなのである。しかし、感動はどうであろう? われわれは感動の最中に余計なことに気を回す余裕があるであろうか? 感動は純粋に感動としてそこにあるものではないだろうか? 美とはそうした人間経験の最も純粋な側面である「感動」を与えてくれる ものだと思う。われわれは美と接し感動する。その際、媒介となるものの 一つが芸術だ。話を単純化している恐れはある。しかし、感動が多い人生は 豊かな人生であるとは普通一般に考えられていることであり、 簡単には否定できないことだ。そのことだけでも、芸術の第一義的要素とは 「美」であると言えないであろうか?
タッシェンの画集買った人います? 自分にはちと高めだけどオルカラーだし
280 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 09:35
>278 もはやピカソとはズレズレだ。
282 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 14:31
絵を見て感動しますか?
283 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 16:26
でもね277.278はいい事言ってると思う4。 みんな作家まで評論家にならなきゃいけないという勘違いが覆ってるよこの国を。
284 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 17:45
みんな全然わかってないね。 ピカソを本当に理解するということはピカソが全然すごくないという ことを理解するということだよ。 ピカソがすごいなんて言ってるうちは全然わかってないってこと。
285 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 20:50
ピカソはただ上手いだけ、ホントにスゴイのはセザンヌ。 ピカソはセザンヌみたいなスゴイ絵が描きたくて、ワザとヘタに 描いたり、アフリカの仮面を引用したり、いろいろ策を弄したん だけど、結局セザンヌのレベルに及ばなかったんだねえ。
あなた絵描いてる人?ばっかじゃない! セザンヌはいいけどピカソをセザンヌの影響だけで 語るのは中学や高校の教科書だけ! ほんとしったかぶり君はうっとおしい! ほんとこの板はまだまだましだったから発言あまり しなかったけど、こんな「しったかぶり君」は見すごせない!
287 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 22:01
ピカソなんていい加減な絵でしょ!
288 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 22:25
>287ほらでた、観るだけの人ってそうなんだよな287=285? あなた達のように絵なんか横目でみて洋服選ぶみたいな見方 している人にセザンヌもピカソも語ってほしくないね あんたにはヒロヤマガタがお似合いです(ひさしぶりに怒ったから ちょっと言い方きつかったかな)
289 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 23:24
>アウトサイダー・アート あんまりにも切実な表現で迫力あり過ぎ 2度と見たくないものばかりで恐い、ダークだね。 こういう表現にゲイジュツカは負けるな。 常人を越えた特殊な才能なら、それを芸術と呼ぶのか?
291 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/19 23:42
>288
まあまったりやろうや。
>>257 でもいってるけど未だにピカソのことをこんな風に言うやつが
いるんだよ。もうこれはどうしょもないのさ。彼にとっての芸術
とはこんなもんじゃないんだよ。いまだにレンブラントやダビンチが
最高と思っている人もいるんだよ。わかったからあっちにいってくれ
でいいんだよ。
>297さんほんとですか?そんなんが絵とか彫刻とか鑑賞したり あまつさえ自分でつくってるんですか? 感性がマヒしてるかなにか変な宗教にでも騙されているのでしょうか? 心配です!
293 :
285はぼくだけ :01/11/19 23:58
>>288 すいません。
ちょっと過激な言い方かな?と思ったけど、ホントの最近そう思っ
たんで書きました。
ぼくは芸術家ですが、いまは絵を描いていません。
別の表現手段で制作しています。
芸術の歴史を振り返ってみて、自分は何をすべきかと言うことを考
えると、今は絵を描いている場合ではないと判断したからです。
そう考えると先駆者としてのセザンヌの功績は比類が無く、それと
較べればピカソでさえも霞んでしまうような気がしたのです。
もちろんピカソは偉大な芸術家には違いないし、そこから学ぶべき
事はたくさんあると思います。
>293さん率直な意見ありがとう 僕は反対に今だからこそ絵を自分の絵を 描こうと思います。 ただ過去の絵描きや美術家だけど作家を 別の作家と比較しわるくいうのは あなた自身に何も得るところがないので お止めになられたほうが懸命です。 今自分になにも共感をもたらさない作家も これからどんなふうに自分の創作活動に 必要になるか?(例え絵を描いてなかってもね!)
>>294 すいません、ちょっと口が悪くなってしまったけど、いろいろな作家(自分も含め)
の良し悪し、上手い下手を比較して考えるのは、普通のことなのではないかと。
そしてもちろん自分がダメだと思っている作家でも、その良さが後になってから
分かるかも知れない可能性はゼロではありません。
でも現時点で「これはダメ」としか言えないモノについては、そう言うしかありません。
ピカソはずっと前からスゴイと思っていたけれど、セザンヌについては意味が
ぜんぜん分かりませんでした。(すごくイヤーな絵だと思っていた。)
でも最近セザンヌの本当のスゴさが、急にわかってきたような気がしたのです。
結局ピカソをはじめとする、あの時代のどの画家もセザンヌを目標にして、
果たせなかったのではないかと、そんな風に思うのです。
>>101 (プク
キガクルイナサイデモアナタワクルワナイデショウセイシンニヤサシイノガオスキナラサウナニイキナサイ
シジョウヲシリタイノナラダレカ20セイキノサクヒンヲカイナサイ
オーガニックチョウコクッテナンデスカ?
(微苦笑)
このスレ、何でほとんど名無しなんですか。内容的に ハンドルネーム付けた方がいいと思うんですけど。 ぱっとしない美術オタクが集うのはしょうがないけど、どいつが何を言っているかせめて 背番号だけどもつけた方がいいかと
299 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/20 02:16
>>298 =老人
おじいちゃんは死ぬ前に、何か自分の痕跡を残したいんだね?
301 :
ぢゅはよせない :01/11/20 02:19
>296さんセザンヌは偉大ですよ。一度(絵はやめたと言われましたが) スケッチブックをもって風景を描きにいってみては。 彼の孤独な思索は21世紀をになっても我々創作者を刺激してやまない でもピカソも違う道からアプローチしなおかつ「絵」が好きで好きで たまらなかったんだと思います。 順列はいいじゃないですか。今あなたがセザンヌに興味がある!って事を ご自分の創作活動にどうリンクするか!楽しみですね よい結果を祈りますBY294
302 :
おじいちゃん@ぢゅ :01/11/20 02:42
>>299 コンセキッテナンデショウ、ビジュツフアンノカタ
(微苦笑)
ぴかその絵の良さを知るには、ミステリアスピカソという映画を観ましょう
ピカソの絵は自然との直接的な関係です。 土人の仮面や彫刻は呪術であり、 私たちにはわかり難い自然との直接な付き合いがあります。 ピカソが土人の仮面や彫刻に惹かれたのは美や芸術の世界ではなく、 一つの自然にたいする考え方と思います。 ピカソがわかり難いというのは、西欧人が背負った問題が多くあります。 ピカソについてこれほど多く語られるのは絵が生きてることでしょう。 この先、ピカソの絵がどのように成長するのか楽しみです。 それと、ピカソを知ることはスペインの血を知ることです。 闘牛、フラメンコ、ゴヤ、ベラスケス、、、、、の血を知ることでしょうか?
305 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/11/30 21:25
ピカソのヤギの彫刻作品が好き。 キュビズムの頃も好き。パキパキ感(?)が気持ちいい。 既出だけど, ピカソを知ることによって改めてセザンヌの偉大さが感じられる。
セザンヌのような自然のとらえ方した人はいません、 日本なら雪舟、中国なら氾寛でしょうか。
ピカソ美術館に行きたい。 ピカソでもキュビズムではなく、普通の絵が好き。 ‘母と子'にはかんどうしたよーーー。
セザンヌで思い出すのは ディエゴがパリに着いた日に、 セザンヌの絵をボラールの画廊ではじめて見て、 そのまま一日中絵の前で立ち尽くして熱を出して寝込んでしまったことです。 個人的には、ディエゴよりフリーダが好きですが、 このような絵との出会いは、人のことでも感動します。
パリのピカソ美術館で初めて絵を鑑賞するおもしろさを知りました。 それまでは全然興味なし。 何故?・・・それはマンドリンを表現している作品で、そこら辺に落ちている 木の固まりが絵と解け合い、ただの木がピカソの手によって命が吹き込まれた ように感じたからです。その時の心の変革はすごいものでしたよ。
310 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/12/10 00:38
ピカソでマターリしたいね 開高さん
311 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/12/10 01:27
フリーダは好き。 あの人ほど痛みや描ける人は少ないと思う。 胎児の絵を見るとお腹がいたくなってくるし。 ピカソは、写実の頃の絵でも、見てると心が8℃くらいに 冷え込んでくる。すくいがたい冷たさ。 絶賛する人もいるけど、早熟なだけでそこまでうまくない。 と思うのね。
ピカソはやっぱりキュビズムでしょ。 プラドで散々絵を見た後、ピカソのキュビズムに出会うと ぶっ飛ぶよ。ひとりで違う世界に飛んでいってしまっている。 芸術そのものに価値があるということを最大限に押し広げたところが すごいと思うのだが。おれは嬉しくってニヤついちゃったけどな。
ピカソの絵は前衛です。彼の絵を理解するためにはあの頃 最先端の芸術だったダダやシュール、キュビズムなどを 理解せねばならないと思う。
314 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/12/22 13:39
>313 ハア?前衛というのはわかるにしてもダダやシュールはピカソのキュビズム 以降に出ているから同時代じゃないぞ。 どうもピカソのことを余計な付加価値をつけて必要以上にすごいといってみたり 詐欺師、ペテン師の類という奴らが多いけど彼をもっと等身大に評価する必要 があるとおもうな。俺もどちらかというと信者の部類に入るけど今の視点から みるとモネやゴッホといわれる巨匠のひとりでしかないとおもうな。 だからピカソは破壊されるべきものと思う(象徴的な意味でな)。 もういいかげんピカソが分かる分からないなんてやめようや。 そろそろキュビズム絵画だって100年経つんだからわかって 当然なんだよ。分かってない奴ってのは本当はわかっている んだけど反近代思考のやつなんだよ。未だに絵画のまわりに ロマン主義って妖怪がうろうろしてるんだよ。それでも わかんないやつはダビンチだろうがレンブラントだろうが みてろってこった。
>>314 とか
もっとさぁ、具体的に喋ってよ。
作品をしめしながら、ここがこう、だとかさ。
いっつも抽象的で、言葉が一人歩きしてる。
316 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/12/22 16:23
絵は音楽とちがって自分が良いと思えばいいんだよ。 だからフェイクなんかが売れる。音楽だとだめでしょ。 でも絵は絵で勉強するとよさがわかってくるんじゃないかな。 構図、色彩とかまあいってもしょーがないか。 ピカソって子供の絵だけどなぜ世界中で有名なのか考えなよ。 誰もしなかったことをしたからじゃないの? 子供の絵で金持ちピカソになれるなら 世界中の子供がピカソだよね。文句いう前に自分で考えろ!
317 :
60'sフリーク :01/12/23 18:01
ピカソの晩年は明らかに駄作が多い。でも、あの形を崩した絵は凄いんだけどね・・。 ああいう絵を書き始めてから彼の作品には衰えが見られる。つまり、失敗作か そうじゃないかうまくごまかしたんじゃないかな・・ そこが凄いんだと思う。
318 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/26 09:23
ピカソ=マツタケ+うに÷さざえ×銀杏
319 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/26 09:42
人少ないね。
320 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/26 17:35
ピカソの絵、幼い頃は何でこんな絵が良いと言われるのか分らなかった。 (キュピズムの絵についてだけど) でも今は良いと思う。 上手い下手というより感性(センス)がものすごくある人だなぁと。 形の捉え方、色使いにオリジナリティがある。 ルネッサンスで神から人を描き、印象派で光を描き、 ピカソで絵に描かれているものではなく絵そのものを描くようになった。 後世の画家に与えた影響も大きいと思う。
321 :
ベジタブル :02/01/26 18:44
センスなんて言葉通り過ぎてるよね・・ 天才。
322 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/27 06:10
ピカソには「前衛」の革新や生々しい生の肯定と同時に古典的永遠性っていう のかなプラトニックな指向も強くあったんじゃないかな。矛盾しがちなそれら を力技でねじふせた巨人って感じがする。
ピカソの絵は、今でもどこがいいのかわからんが、彼自身がすごいということは バルセロナのピカソ美術館で、一連の作品の流れを観て始めてわかった。 表現方法の推移、多数の習作などから、さらなる表現方法を求めるパワー みたいなのがビンビン伝わってきた。
324 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/28 12:08
俺も映画や音楽や舞踏とかは大概の物を理解(感じる)事が出来るが、 いまいち美術関係が良く分からん。色が綺麗、形が良い、バランスが 取れている、等々美術以外の分野ではそれらは表現の手段でしかない のだが、上の話を聞くと美術ではそれらが本質になる様に聞こえる。 確かに音楽でもフリー等はそうだが、あれは寧ろ「表現」等していない。 音による現象そのものであるのだが、美術もそう言う事なのか?
説明もなにもないと思うぞ。 感じ取れないんだったら、 気にせず好きな画家を捜しなさい。
326 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/28 17:19
説明によって開かれる感性もあると思うよ。
327 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/28 20:19
ピカソは世間で言われるほどの画家ではないよ。 美大なんかいけばこの程度の「前衛」やるやつなんて腐るほどいる。 たまたまその腐るほどいるやつの中でメジャーになったのが ピカソ。そういう意味で凡庸だな。 前衛的な才能なら寺山修二の足元にも及ばない。
328 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/28 23:53
メランコリーが欲しいのかな。
329 :
ベジタブル :02/01/29 18:06
330 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/29 18:26
331 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/29 19:37
前に書いてあったらごめんなさい。 彼の絵が子供の書くような絵になったのは、 彼がこの世の中で一番絵が上手いのは無知な子供が書いた絵だと 考え、彼は同じように書けないだろうかと追求し続けたのが、 ピカソの絵が変わった理由だ。 と私は授業で習いました。それを知ってなんか凄く納得して ちょっと見る目が変わりました。 ちなみに私の好きなピカソの絵は CubismのLes Demoiselles d'Avignonです。
ピカソは有名ですね… セザンヌも… デュシャンだって… 有名なものを見る時の眼は、 だれでも多かれ少なかれ真剣なもんですね。 たいしたもんです。 同じ眼でテーブルのシミを見たら、 どんなにすごいことが起こるんだろう。
>>332 あ、それって赤瀬川原平の「超芸術トマソン」の発想ですよ。
知ってます?
334 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/01/30 16:11
あるいはデュシャン。
335 :
PARCO :02/01/31 23:22
芸術の評価基準に先天的な価値を見いだそうとするなら形而上学になりますし、現に誰も明確にピカソのすごさを提示できていません。 芸術作品が感動をもたらす状況に「理解」という言葉を使うのは、自己を偉大視させようとする芸術家の罠にすぎないと思います。 ピカソがつまらなければ「わからない」ではなく「同調できない」といってそっぽを向けばいいのではないでしょうか?
336 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/02/20 23:43
コントラスト のつけかた ピカソうまい パッとしたメリハリでは一番
337 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/03/03 22:50
ゲルニカを見たい。 前にどこかのスレで誰かが圧倒されたと言っていた。 見て圧倒される絵。 深い感動を憶える絵(「母と子」) なんでこうできたか分からないがすごい「アビニヨンの娘(達?)」 青の時代の「見ているのに見られている絵」 ピカソをすごいとまだ感じないか...!?
338 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/03/03 23:32
>>1 素人にもあれがピカソの絵だってわかるだろ?それが一番凄いところだ。
だけど晩年の絵は、普通の人が見ても感動はしないだろうね。
今は時代も違うからなあ。
幼少の頃の絵、青の時代の絵から始めれば、少しはわかるかもよ。
絶倫
340 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/03/09 17:03
えをみているとデムパがぎゅんぎゅんつたわってくるのです。 だからすごいのです。
デムパデムパピピピピピ
342 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/05/09 16:16
343 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/05/10 21:54
オレも誕生日にアビニョってくれ→Google
344 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/05/24 04:50
結果的にピカソはすごくないと言うことで。おしまい。
345 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/05/24 04:54
岡本太郎とピカソは1930年代のパリで飲み仲間。
346 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/05/24 23:47
アビニョンの娘達はどう思う?NYのMOMAで実際に見たときは感動した。
347 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/05/26 01:35
芸術家の凄い凄くないは、時代背景が一番関わってくる。 その時その時での新しい表現等を発見して実行するところが評価される。 今ピカソの真似をしたって駄目です。今現在考えられない新しい表現を見つけ功績を残すことができたら ピカソの様になれますよお前ら。
誰でもピカちゅ
349 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/06/05 02:11
350 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/06/06 10:42
そうそう
351 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/06/06 14:17
彫刻の森美術館のピカソ館観てきました!
どうだった?
353 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/08 18:29
考えずに感じろって言われても 理解だろうと感性だろうととにかく何が良いのやら 考えず正直に感じた場合、なにやら根性の悪い幼稚園児が書いた絵みたいで気持ち悪い。としか・・ だったら見るなあきらめろって言われたら。尚更気になるなぁ・・ かといってここで聞くのも変だろとは思う
354 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/08 18:34
>ピカソがつまらなければ「わからない」ではなく「同調できない」といってそっぽを向けばいいのではないでしょうか? そう言うの流行ってはいるけど。感性に普遍性なんて唯の一つたりとも無いんだ自分の感じたものだけ信じろってなことで、 皆が皆自分が好きか嫌いかだけで全てを断じなきゃいけないの? 世間の大勢が素晴らしいーとか騒いでたらそんなに言うなら自分は分からないけど 何かあるのかねー分かりたいものだぐらい思ったって別に良いのでは?
355 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/08 21:39
凄い
>353 >なにやら根性の悪い幼稚園児が書いた絵みたいで気持ち悪い。としか・・ >だったら見るなあきらめろって言われたら。尚更気になるなぁ・・ 立派に分かってるじゃないかよ。おまけにその気持ち悪い絵に惹かれてるじゃないかよ。 もうおまえさん分かっているんだよ。だから気になってしょうがないんだ。 俺はピカソの絵を気持ち悪いなんて評価したらそれは最高の評価だとおもうよ。 もしピカソ自身まだ生きていたら君のことを抱き上げてキスの雨を降らすだろう。 多分君の中に絵はこういうもんだと思う固定観念があるんじゃないのか?。 例えば睡蓮が静かに浮いていたり全裸の美女がこちらを向いてほほえんでたり 林檎やワインボトルが妙な関係で置かれていたり・・・。そういう固定観念と ピカソの絵が激しくぶつかり合って君の中で激しく格闘しているんだろう。 それで君はもっともっと理解したくてたまらない。ピカソの絵を見られず には居られないんだ。だから君の中はとっくの昔にもう理解して無意識のうちに 面白がって惹きつけられているんだ。ただまだ理解はしているけど戦いの真っ最中 だから「絵とはこんなはずではない。」ということで理解はしているけど 共感はまだなんだよ。共感はもう数を見るしかない。そうなればきっとピカソ はなんでも無いと思うはずだ。
ちょっと話しがそれるけど俺は現代美術を擁護するものだ。正直なことを いえば、ピカソの絵が理解できないと言うのは現代人ではない。平成の世 にいても頭の中はずっと遅れている。未開人だとおもう。ピカソなんて理解 できて当然なのだ。俺にとってピカソはルノワールやゴッホなどとまったく 変わらない。現代においては唾棄するべき存在とまでおもう。ただピカソ を理解する事はその後の芸術の有り方の理解の糸口になるとおもう。いって しまえば現代美術の父なのだ。だからピカソを理解出来る人がどんどん増え てもっと現代美術に関心が増えていけばいいと思う。そうすれば自分の 身近に素晴らしい芸術がこんなにあったんだとおもうはずだから。もっと みんなピカソを好きになればいいとおもう。楽しいゾこっちの世界はw。
358 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/09 00:15
>黒騎士 ピカソやルノワールがもう唾棄すべき存在なら、今は誰等が素晴らしい芸術?
359 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/09 00:35
結局ピカソを評価するのってさ、 デッサンがずば抜けて上手かったり、 かなりの数絵を書いていたりって事なんだよ。 つまり「結果」ではなく「過程」を交えての評価。 人々はピカソの「絵自体」を評価してるわけじゃない。 絵というものは過程や人格・人柄・歴史・言葉を交えて観るものでは 無いと思うんだが、実際はそうでは無いのだ。
360 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/09 19:05
あの大きなゲルニカ(実物)を観た途端に気持ち悪くなり、 実際に描かれた当時の色彩を想像して更に吐きそうに なりました。 ピカソの本当の凄さなど私には分りませんが 卓越したデッサン力が基礎にあるにも関わらず、時間の 変化を絵の中に取り入れたりしようと、当時考えること そのものが凄いのでしょうか、、、。
361 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/09 19:10
きっとゴッポの絵も今観るから観れるけど、画かれた直後には 絵の具の色がギトギトの感情剥き出しだったんだろうね。
362 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/09 19:20
右脳にギンギンくる。 それだけ。
363 :
まぐりっと :02/07/09 19:29
俺は絵画っーのは世界のフレーミングを形成するテクノロジーだと思う訳ね。 だから,理解っーよりも人間の実存が絵画に反映されていると思うわけ。 だって,シュールもキュビスムも第一次世界大戦と同時期に立ち上がったもの でしょ? だからピカソの絵っつーのは,20世紀の人間の実存をテーマにしているような 気がするわけ。 いうなれば,今日の我々の実存そのものがピカソ的っつー感じ。 俺はそういう気がしている。
364 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/09 21:36
>363 すごいコメントですね。でもなんとなく分かるような 気もいたします。
>358 今目的意識があってと表現をし無ければと切迫した意識をもっているひと なら誰だってピカソよりすばらしい。絵が売れようが売れまいがまるで 空気を吸うように表現せずにはいられない人なら誰だって素晴らしい。 ピカソやルノアールなんかよりももっと素晴らしい。 >359 違うな。圧倒的な自由だ。これが分からなければピカソを感じてない。 左脳でピカソを認識しているだけだ。上手くても下手でもどちらでもいい。 俺は自分の感じたままを表現するのみだということが一番素晴らしい。 だからこの絵は素晴らしいが、この絵はよくないなんて評論は愚劣の極みだ。 ピカソはよかろうとまずかろうとピカソだ。それが全く素晴らしい。 >360 >359などよりよほど分かっているよ。観念的に捉えてはダメだ。 >361 だから画壇に叩かれたし無視されまくった。だから当時わかる人には 恐らく震えがくるほど素晴らしかったんだろう。 >363 ちょっと観念的だけどい言いたいことは分かる。間違ってないと思う。 禿同だ。
>>黒の騎士 ちょっとまて。 俺のいってるのはあくまで一般的な見方だという事。 自分自身はそう感じてない。誤解されては困る。 >俺は自分の感じたままを表現するのみだということが一番素晴らしい。 >だからこの絵は素晴らしいが、この絵はよくないなんて評論は愚劣の極みだ。 全く同意。 だがな、周りを見てみろ? 絵を批評するという事が現実にあるんだよ。 他人の絵にアドバイスするという事が現実にあるんだよ。 本来絵というものは自己満足だと考えている。 それに他人があーだこーだと理屈をこねる。 現実を観ろ。
>366 >絵を批評するという事が現実にあるんだよ。 >他人の絵にアドバイスするという事が現実にあるんだよ。 >本来絵というものは自己満足だと考えている。 >それに他人があーだこーだと理屈をこねる。 >現実を観ろ。 そんなの簡単。最初から無視だ。何故そんなに分かっていながらそんなことに 振りまわされるかが不思議でならない。自分をアーティストだと思うのなら そんな意見が出た段階で「こんなこともわからないのか。こいつは。」でいいんだ。 何故自己満足と言っておきながらこんなことをいうのだろう?。自己満足なら 何も気にする事はないだろう(ちなみに自己満足という意見は否定しない)。 人にピカソのことを理解させるのに時代背景などを説明する事などは俺は 反対しない。むしろ必要なこととは思う。だからといってその行いが即 左脳で感じると言うことにはならないと思う。寧ろそのような価値観を 知っていたほうが感覚的に感じることの手助けになることもあると思う。 ただし、得てしてそのような見方を覚えると時代背景やピカソの作風の 移り変わりを覚えたことを、そのまま「ピカソを理解した。」と勘違い する輩が大勢いると言うこと上げておく。時代背景を覚えたからといって も何もならないのだ。よりよく深く理解する為のスパイスでしかないからだ。 ピカソの絵には弾き飛ばされるような知的衝撃と自分が空間に放りこまれる ような自由がある。そんな風に感じなかったら左脳で理解するのみで、感性は いまだにダビンチの頃から抜け出ていない古典的なものといえるだろう。
ま、つまりピカソはテクの人だったと。
>368 だから言ってるじゃんか。絵画は「テクノロジー」だって。 でも,いわゆる「理解」ってなんだろうね? 俺は2種類あるとおもっている。 ひとつは対象から意味を斟酌するもの。 そして同じく対象から「強度」をくみ取る方法と。 後者については言葉では語りにくい。宮台的にいえば,「えもいわれぬ,すごいもの」 だろ? んで,まず,理論的評価に先立って,ピカソのなにがすごいかっていうと,まず「己の 名前を世界に知らしめた」という点だな。 みんなデュシャンは知らずともピカソは知っている。 次に,あのオッサンは常に20世紀絵画を牽引していた。(1970年頃までだが) 普通そういうことが個人として可能な人間は少ない。特に20世紀においてはな。
370 :
シルバーナイト :02/07/11 22:43
>黒の騎士様、 本当にあなたは凄いと素直に思います。 アカデミックな知識(左脳)がベースにありながらも 感性(右脳)の重要さも説かれていらっしゃいます。 「絵画鑑賞なんて主観の問題、感じればいいのよ」なんて 簡単にいうベースの無い不勉強な方々とは「感じればいいのよ」 のレベルが全く違うのがよく分かりますし、左脳で分析のみを されるにわか評論家とも違う。 冗談抜きに黒の騎士さんは 凄いと思いますよ。 それに360さん、あなたも相当ベースがある方でしょう? 画家の精神性を伴わない絵はたとえ完璧な模写であったと してもただそれだけのことです。ですから自己満足という 言葉だけでは結論付けられないと思いますが、、、。 たとえピカソが自分自身の押さえ切れない感情に誘導されて 書かれた、いわゆるここで言うところの自己満足の絵であったと してもそこにはピカソの噴き出る精神が入り込んでしまって いるわけですから、観る人に吐き気や寒気、歓喜の嵐を呼び 起こす力が包含されてしまうのではないでしょうか。それは もう自己満足を超えたメッセージに他ならないのですね。 ゲルニカの本物を私も観ました、そして、360さんと類似する 体験をしました。あの絵が単なる画家の自己満足とは思えま せん。 オブストラクト的要素を多少なりとも表現の手法と して用いた画家達は、丁度、砂糖を大量に呑んでキャンバスに 向かった画家のように、誰一人として平穏平凡な精神状態で 楽しんで描いた者はいなかったと思います。 倒錯と混沌の中、現状と常識をすべて否定するところから 創作活動がアートそのものではないのでしょうか。模写は いくら完璧でも模写、ポスター画家はあくまでもポスター 画家、ピカソや岡本太郎とは完全に異質の観点から楽しむ べきでしょうな。 ちなみにピカソを「楽しく」観れた経験はありません。 異論、反論、よろしくお願い致します。 是非勉強させてください。
371 :
画家76才 :02/07/12 08:01
息子にここを教えてもらい、年甲斐もなく投稿させて 頂きます。 >シルバーナイト
372 :
画家76才 :02/07/12 08:29
シルバーナイトさんや黒の騎士さんのような絵の 観方をご存知の方々ばかりだと素晴らしいですね。 まず自分でお描きになり楽しむことが最初のステップ かもしれませんが、やはりある段階にくると知識欲が 発芽するようでしょうから、美術哲学史についても 自然とお勉強されるはずです。 なんの知識もなく 感覚のみで楽しみ評論をされるのも、それはそれで 宜しいでしょう。 しかしながら、それでは(良い例では ないかもしれませんが)学歴のない方が学歴社会を否定する ようなもので、東京大学卒業の方が学歴社会を否定するのに 比べると説得力に欠ける。 美は学歴とは直接的には関係ありませんが、それでも 基礎となる知識や技術は必要かと、、、、、油彩を 描いたことのない方にさすがにゴッホを評論できない でしょう。 その基礎の先にあるのが感覚、感性の 世界でしょうから、基礎を飛ばしてそこへはいけない でしょうね。 余命少ない私の50年前の良い思い出に自由美術への入選 がございます。二科展や日展はどうしてもコネのない私 には無理でした。 私の年代の画家達が皆そうだったように 私も看板屋で映画看板などを画きながら華のパリを夢みて いましたね。 ただオブストラクトそのものが日常的な精神 状態とは相反する位置に存在しているため、体力のなかった私 では続けられず、あえなく脱落したのですね。 ピカソは完全に解き放たれた精神なのでしょうね。 そうでなければあんなに長生きはできるはずもない。 シルバーナイトさんや黒の騎士さん、これからも 若い世代へ美の探究の楽しさ、難しさを伝えてあげて くださいませ。 私の今の楽しみは孫へ絵を教えることです。 もう 色の楽しさは憶えてくれたようですから、次は色の ない石膏デッサンですかね。 まだまだ基礎は続きます。 石膏の質感はもとより、あのひんやりした温度や臭い まで表現できなければ基礎は出来ませんものね。 皆様のご健勝をお祈り致します。
373 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/12 17:46
感性をカンパスに消化させるのではなく、昇華させる?(なんちゃって) ピカソは生涯男であり続けたのも長生きの秘訣かも?
>107より 翻ってそこから結論としてなぜピカソが凄いか。 それはピカソにこれはやってはいけないということがないからなんです。 つまり完全な自由を手にいれたということ。正直この境地に至ったのは ピカソが始めてでした。どういうことかというとピカソ以前の画家いう のはダビンチであれルノワール、ゴッホでさえ「うまく書こう」と言う 気持ちがあったはずなんです(それが良い悪いは別にして)。 でもピカソは自分のスタイルを確立してから「上手かろうと下手で あろうと、綺麗であろうと汚かろうとどうでもかまわない」と 言いきれたことなんです。そこにピカソの本当の凄さがある。 もちろんその境地にピカソが至ったのはもともとピカソが天才的に 絵がうまかったということなんですが、彼はそれさえも超越して しまったということなんです。例えば最初に子供の絵が素晴らしい と言い始めたのはピカソが最初でした。自分の感性の赴くままに 自由に線を走らせることが出来たのがピカソが最初だったのです。 晩年の作品になるともう本当に凄い。完全に子供の絵と変わりない。 天衣無縫とはまさにピカソの為にあるような言葉さえしてきます。 確かにピカソの後は誰も後継者がいなかった。それは当然で彼の 後にはもう何も残ってないからなんです。あれだけの自由で書か れてしまうともう具象画に未来はなく、結局抽象画しか我々には 残されていなかったということですね。
>108より 参考までに僕の大好きな岡本太郎の「青春ピカソ」からの一節 を抜き出しておきます。 「技術的にもっとも驚かされたのは、(ピカソの)画面の徹 底的な汚さだった。名人の無造作な趣というものではない。 本当に子供か馬鹿が下手にペンキいたずらした程度の塗り方で、 下の生地は丸出しだし、大事な箇所に塗った色の滴がぽたぽた 不用意に垂れこぼれている。が、拭きもしないでそのままで ある。まったくそばによると見るに耐えないガサツな画面が、 やや退いて見ると、突然戦慄的に生きて来るのである。 もう一つ。モダンに隅から隅までディスプレイされた会場の、 麗麗しく飾られている作品の中に、細かい、あかっぽい泥が 一面にはねあがった画面があった。ピカソのアトリエは倉庫か 、悪く言えば馬小屋のような雑な田舎家だから、雨も洩る だろうし、立てかけてあった作品に永い間、床の泥土がはねて いたのだろう。ちょうどそんな汚れ方だった。だがこの細心に 構成された会場でどうして泥つきのまま出陳したのだろう。 おそらくピカソ自身が、こりゃあ面白いじゃないか、もったい ないからこのまま出そう、とでもいったに違いない。いずれに してもこの状態で出品するふてぶてしさには呆れるばかりである。 故意に絵の具を垂らしたわけではないし、また雨漏りまで 計算にいれるはずはもちろんないだろう。凝り性の日本人 たちはこれも名人芸だと考えたがるかもしれないが、そうで はない。よかろうが悪かろうが、どうでも構わないのである。 もし効果だとしたらちっとも凄みではないのだ。口惜しいが、 私(岡本太郎)だったらきっと拭き取ってしまうに違いない。 まことに残念である。私は痛いほどわが身をたたいた。しみが 口惜しいんじゃない。ただ己にも他にもすべて許されている という彼ならばこその凄みが芸術の根本問題としてこのしみを 通して堂々と見せつけられるからである。」
376 :
シルバーナイト :02/07/12 22:02
>黒の騎士 さすがですね。 岡本太郎氏をピカソのコピーなどと簡単に 知ったようなことを言う輩(ヤカラ)とは貴方は全く違う。 貴方は左脳的理解(系統だった勉強に基づく美への理解)と 右脳的理解(左脳的理解のベースを基にそれを超越する感性 上の理解)の両方を兼ね備えた方のコメントは読んでいて 安心する。 おそらく貴方以上のコメントを残せる方はこのスレでは 現れないでしょうね。 私を含め、このスレを読む機会に恵まれた方々は ある意味、ラッキーだと思います。 絵画鑑賞は、何も勉強せずに「感じるものがあれば いいのよ」とか「個人の好き好きだからパッと見で」 なんて簡単に理解できるものではないのです。 私自身もまだまだ勉強不足ですが、黒の騎士さんや 画家76歳さんが仰るとおり、アカデミィックな知識が あってこそ、感性も生きるというものです。 頑張りましょうね。 皆さんも
とはいいつつも俺はピカソを否定する。 それこそ最高の敬意の表し方だと思うし,ピカソの意思を汲み取ろうと すれば常に前進していかねばならないからだ。ピカソを否定しピカソ の表現を超えなければいけないのだ。 現代美術にもっと関心をもってもらいたい。ピカソの絵は素晴らしいが もう100年近く前の絵なので、同時代的な感動などと言うものは得られるはず はない。同時代的な感動と言うものは美しいとか綺麗とかそんなもので はなくて、絵の前に立った瞬間、横っ面を思いっきりひっぱたかれたような 激しさがある。良いとか悪いとかではなくて、なんだか解らないけど 「なんだこれは?!。」と立ち尽くして見入ってしまうようなものだ。 共感というより不安が立ってくる。「俺は一体このままでいいのだろうか?。」 というような感じである。恐らく最初に「アビニョンの娘たち」を同時代 で見た連中は同じ感じを受けたはずだ。あのブラックでさえピカソに「 この絵はガソリンでも飲んで描いた絵か?。」と聞いている。本当に 新しいものというのはおいそれと理解できるものではない。寧ろ非常に 嫌なもの苦いくるしいものとして映るであろう。だからこそ共感がえられ た時は打ち震える感動がある。おまけに同時代の作品というのは安い。 ピカソの絵を1枚買う金があるなら、その感動にも引けを取らない作品を 大量に買う事が出来る。感動する事にどちらが尊いかなどと言うものはな いからだ。もっと皆にピカソが良いと思ったのならもっと最近の作品を どんどん見てもらいたい。そうすればきっと実りの多い生活になると思う。
378 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/15 01:07
ピカソの絶筆を説明して下さい?
トーマス・マンは「芸術家は詐欺師である」と言った。 この言葉ににやりとしないのは、ど素人の証だと思ってるよ。 ピカソなど誰よりも笑うと思うね。 神は死んだ(ニーチェ)。だからもう芸術家は詐欺師になるしかない。神がまだいると錯覚させることに成功すればしめたもの。 神の代用品よろしくある芸術家を基準点に思考し始めるのがその代表的な症例だ。これこそ詐欺が大成功したことの証。 未だにアートビジネスの詐欺にまんまと引っかかって、引っかかってる自覚症状もない人が大量にいる。 まあ一般の人ってたいていそうなんだけど。
test
tt
382 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/15 04:33
本名がすごい パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・ パウラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・ レメディオス・クリスピン・クリスピニアノ・デ・ ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ブラスコ・ピカソ
テスト
本名がすごい パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・ パウラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・ レメディオス・クリスピン・クリスピニアノ・デ・ ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ブラスコ・ピカソ
本名がすごい パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・ パウラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・ レメディオス・クリスピン・クリスピニアノ・デ・ ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ブラスコ・ピカソ
386 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/15 07:13
>>379 別に否定しないけどだからといってピカソの芸術を貶める理由には
ならないと思うけどな。未だにアートビジネスの詐欺にまんまと引っかかって、
引っかかってる自覚症状もない人が大量にいるといっているけど 、じゃ逆に
なぜピカソの絵をそうおもうわけ?。言葉を変えれば大したことないと
いってるわけだろうけど、なぜそうおもうわけ?。あなたは何か表現行為
をしていてピカソのアンチテーゼとしていっているの?。単なる評論家と
してなら随分鈍い感性をしているなとおもう。理解できないものを即
商売だ、騙されているに結び付けているんだからね。そうでないんだったら
ピカソが大したことがないという客観的な証拠を示して欲しい。
388 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/15 10:51
商売上手な画商とくんだことがすごい
389 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/15 13:47
俺等のがすごいぞ! ⊂~ヽ ∧_∧ \\ ( ;´Д`) / jjjj _ / `l / タヽ∧_∧ {!!! _ ヽ、 l |⊂_ヽ、 ( ̄) ,/ ノ| |( ;´Д`) ~ `、 \/ /__ノ | \\ ΛΛ ∧_∧ || ∧_`、 `ヽ. ∧_∧ , ‐'`/ /∧_∧| | \ ( ;´Д`) ( ;´Д` ) ヽ \( ;´Д`..\ `ヽ( ;´Д`)" .ノ/ / ( ;´Д`/ .//⌒つ > ⌒/⌒ \ \ ∧_∧.._ヽ. ``Y" r 'ノ/ /_ ∧_∧∧_∧ / へ \ Д \ ( ;´Д` )( ..) .. `、 ⊂二ノ\(´Д`;)( ;´Д` ) / / ...∩\ \ / .. ヽ ̄ `、.` -‐´;`ー イ ∩_ )_ ( / \ (⌒∧_∧ ..| | \_つ | .∧__(_) .∧_∧ ∧_∧ ∧) ∧ ∧_∧\_/ ( ;´Д` )// | | ( ;´Д` )_( ;´Д` )_( ;´Д` )( ;´Д`.. ) ( ;´Д` )/ /∧_∧_∧∧_∧ ./つ | | (/ ヽ / ヽ、 (_) _\ │( ;´Д` )Д`( ;´Д` ) / / ..∧_/| | | | \ | ∧_∧| | ⌒ヽ∧_∧.| |∧ (⌒) _ (⌒)/ ( ;´Д` | | ヽヽ ∧_∧ | ( ;´Д` ) |. y .( ;´Д` ).| | ) / , ..//.. ヽ / ヽ | |∧_∧ヽ( ´Д.∧_∧ (___) . / / /⌒ヽ ( ( ∬( \ノ i /∧_∧ ∧_∧ / | ( ;´Д` )∪ .( ;´Д` ) . /⊂__//⌒/⌒/ / |__⊂===⊃_ /( ;´Д` ) ( ;´Д` ) | | (_/ ヽ | |_/ (⌒\___/ / | |_|_/ / | ..ヽ....:::::::ノ \∧_∧ / ヽ ヽ ヽ | ヽ、\| | .~\ . ノ .ノ. ⊂__/ |\ ~~~~~ \Д`) || ∧__(_) (_)__| |ヽ、二⌒) ̄ ̄ ̄ ̄ \...\. ..| | |___/\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||( ;´Д` ) |\ .| ヽ\..|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||.\|| ̄/ / ( . ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \───⌒ ヽ| .|. | (⌒)、__ .|| ̄ ̄ ∧_∧ ̄ || .. ||.(_(_ /... ̄ ̄ ̄|| \__\\/\__ノ . //\ \i ⌒ヾ( ;´Д` ) . ||.. || \/||∧_∧ ∧_∧ ∧_∧\_ ∧_∧ | |∧_∧  ̄ ̄ ̄| | i\\ ∧_∧ ∧_∧ | ""( ;´Д`)( ;´Д` ) ( ;´Д`)" ( ;´Д` )  ̄ ̄ ̄( ;´Д`) ノ / \_( ;´Д`) ( ;´Д` )| ∧_∧ ____ノ⌒ヽ / ヽ -∧_∧\___ ∧_∧ ( ̄) \\ /⌒)(⌒\ (二二(´Д` ) ____ / .| | | ..( ;´Д` )\____(⌒( ;´Д`)../ / \\ ̄  ̄\ (二二二_ノ───\ (⌒\|__./ ./ / ⌒\ \ .../⌒ ̄ ⌒ヽ\ \_.∧_∧U、 .∧_∧..∩____ ∧_/|,.\ . ~\_____ノ| | .\ \ \ / /し /| |::::::\ \(´Д` )::::゙( ;´Д` ):::| |::::∧_∧(二二( ;´Д`/ \ \│ | |\ v' ))../ く_| |::::::∧_∧ /つ ヽ:/⌒ ヽl. l:::( ;´Д` ..)::(二二二_| ,. i \______\ (⌒) | /⌒ー'‖(∵(___⊂ ⌒ヽ( ;´Д` )| | /| | ..| |\ (  ̄ ̄'' - 、 | /.| |\||____||~// | / イ || | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ ∧_∧ . | | | || ||/
390 :
通りすがり :02/07/15 14:44
以下、コピペ 小学校の絵の先生が来てるんですけど、その人が言ってました。 小学生の絵も、1年、2年、3年生あたりまでは面白い。あるがままに、本体論的な絵を描く。 ところが、4年生あたりから、上手になって面白くなくなるんだそうです。それなんかもそう。 歩くことを意識してしまうのと同じように、描く絵を意識する。 意識してうまく描くように、絵のテクニックを覚えていく。教育の悪い面がそこに出ているんです。 だけど、これも教育に限りませんよね。しつけもそうです。 経験の悪い面が出て、経験に縛られてしまうんです。経験は、必ずしも良い面だけじゃない。 本体論的なものは経験が要らない。経験に基づいてやったら本体論的にならない。そこら辺の区別ですね、 経験が役立つ面と役に立たない面との区別をはっきりさせないと・・・・
ピカソを貶めてはいない そうではなく製作者自身の質が問われている。 芸術家にあまり過大な幻想を持つのはお手軽な現実逃避の方法に過ぎない。 ここに書いている人が一般の一美術愛好家なら私の書いたことは厳しすぎるかも知れない。 アートビジネスにとってはむしろそのような人々が財布のヒモを緩めてくれる事こそが必要で、 批評がましい客などあっちにいってほしいのだ。 私は招かれざる客で退散しよう。 魅力的な詐欺師になら、例え分かっていても自ら進んで騙されたがる人間を一般人と呼ぶとしたら、 自ら制作する人間がそのような状態に甘んじていてはいけないと言うことも分かるでしょう。 仮にも創造する側の人間なら、芸術を取り巻く今日の現実を冷めた目で見据えることが出来なければ、 自分の作品に対する一般人の愛好者を獲得することはかなり難しいと言わなければならない。
392 :
シルバーナイト :02/07/15 17:46
>379/391 資本主義経済、自由主義経済そのものが POSITIVE にも NEGATIVE にも商売という名の元にある意味では、詐欺的行為を 推奨・強要するシステムなのですから仕方ありませんが、あなた のおっしゃっていることは、丁度我々のようなサラリーマンや 公務員が商売人のことや商売という言葉そのものをヤッカミで 悪く言っているのとさほど変わりないように聞こえますよ。 その理論では、物作りをするすべての人に当て嵌まってしまう。 機械でも、介護用品でも、文房具でも、要は自由主義経済の 大義名分を話されている。そのような話は駅の構内でローンを 組ませてシルクスクリーン作品を売っている画廊とそこが取扱う ポスター画家?の作品ではなく商品には当て嵌まるかもしれ ませんが、それを、いきなりピカソに当て嵌めようとするのは、 あまりにも短絡ではないでしょうか? 腕の良い画廊と組もうが、生前に自分の作品を高く売ろうが、 それはピカソそのものとは全く関係がなかったと思いますよ。 そこを「黒の騎士」さんが説明してくれているのだと思いま すよ。 あなたが言うような「是非論」なんてものを超越した、 というか、全く違った世界に意識を開放してしまっていたのが ピカソであり、その精神の面白さをこのスレでは楽しみながら 読んでいるのですよ。 あなたは恐らく絵を描かれないでしょう。また、かといって アートビジネスでボロ儲けされたこともないでしょう。 中途半端な論法では、アカデミックな(左脳)面でも、感性的な (右脳)面でも、「黒の騎士」さんを論破することはできないと 思いますよ。 でも、頑張ってくださいね。 前向きなディベートはとても 面白いですし、私もそのうち「黒の騎士」さんをギャフンと 言わせてみたいと思ってます。 相手を批判中傷し過ぎること なく、心を遊ばせながら、、、。
たとえアーチストと呼ばれる人や自称する人が金もうけのために ある作品をつくってもそれが鑑賞者にとって面白ければいいと思います。 (ダリだってお金があったほうが生活する上で便利だから。) ただ鑑賞者の感性や経験による情報量によってその嗜好性が様々であるのは 当たり前だろう。 ラッセン好きな人と加山又造好きな人の間には互換性が(多分)ないので 話し合っても無駄だし芸術に高い金を払うことをぶつくさいってもいみない。 たしかに美術品は高いけどそれらの価格は美術的価値を判断する尺度には 必ずしもなっていない。
394 :
画家76才 :02/07/15 18:28
>390通りすがり そうですね、4年生ぐらいになったらテクニックも 憶えるでしょうね。 でも、それはそれでいいのですね。 知識やテクニックは絶対条件ですよ。ピカソだって そう。デッサン力は具象画家のそれです。 だから 子供に知識と技術を教えるのは必要だと思います。 但し画家を目指すのであれば、知識と技術のその先に 応用、その先にオリジナリティー、またその先に感性と 混沌があることまで教えてあげることでしょうね。 ピカソはその先の先の遥か先まで精神が行っちゃった みたいですから、子供の絵とピカソの絵を似てますし、 精神性にも類似点を見ますが、実際には全く違うわけ ですよ。 子供の自由は無知の自由、ピカソの自由は 超自由ですものね。 常識を知らずに無作法をするのは「非常識」、常識を知って いるのに自分の流儀で振舞うのは「常識破り」、ピカソの 場合は、そのどちらにも当て嵌まらない全部通り越して しまった「超識」でしょうか(笑)? 我々のような凡人 ではせいぜい「常識破り」まででしょうね。
ピカソはどこが凄いのかと言うスレタイトルに違反するとは思いませんが、 話の流れを無視したキライはあったかも知れません。その点お詫びします。 私は絵描きです。 銀座や青山でグループ展以外にもう10回くらい個展を開いています。 ぼろ儲けや名声ともあまり縁はありませんが、自戒を込めていっているのです。 つい、作家は自己満足に陥りがちです。狭い世界で誉められて悦に入ることも含みます。 それらの生き方は非常に安易です 作家は生涯、自己の世界と現実との接点をぎりぎりで探し続け、綱渡りをせねばならないそれは厳しい生き方でもあるのです。 何故そういう視点がこちらでは欠落しているのか、そのことの方が私にはよほど不思議でなりません 何度も言いますが、素人の美術愛好家ならむべなるかなですが、作家(芸術家でも良いですが)たるもの もっと目覚めなければ、とても今を生きているとは言えない。 ピカソは最高に彼の時代の今を生き尽くした人でしょう >腕の良い画廊と組もうが、生前に自分の作品を高く売ろうが、 それはピカソそのものとは全く関係がなかったと思いますよ。 こういった考えこそがいけないのです。ピカソそのものとは何ですか? 「腕の良い画廊と組み、生前に自分の作品を高く売った」画家。 それもまぎれもないピカソの真実の姿なのです。 逆に言えば腕の悪い画廊は相手にしなかったし、生前から(と言うことは 自分の営業努力で)自作を高く売れるだけのビジネスマンであったということです。 特に画家として地位を確立するまでは、大変な努力で自分を積極的に売り込んだはずです。 平たく言えば、自分を買えば如何に相手が得するかを作品のみでなく行動力で表現尽くしたはずです。 そうでなければ、何故ピカソが同時代の誰よりも高く上り詰めたか説明はできません。 絵そのものは説明を退けるものですが、ピカソの成功は世俗的成功と言う側面からみれば 他の職業と基本的に同じなのです。 先にも言った様に余りに芸術家をイノセントなものと看做したりするのは間違っています。 これらをまるでタブーであるかの様に看做す態度こそが、芸術家自身の首を絞めているのです。
追記 私はピカソのビジネスマンの側面を貶めたりはしません。 貶めたり理想化したりするものではないです。 そういうことは素人美術愛好家にお任せする。 すべてあるがままに。 また作品世界に関しては、私は最晩年の絵は醜いと思っています。 気分を害される方もおられるかも知れませんが。。 老人の手慰みに堕し、あれがピカソのものでなかったら一顧だにされないと思います 好きなのはやはり青の時代のころですね。 それとキュビスムに移行してからも幸せな家庭生活を忍ばせる穏やかな色調の佳品が多い。 常に刺激的な存在であることは間違いない、ピカソ。
397 :
シルバーナイト :02/07/15 21:52
>395/396 あなたは明らかに絵描きとビジネスマンとを同じ土俵の上に乗せ「芸術家は こうあるべきだ」とか「こうではいけない」とか「自戒を含めて、、、」など という自分自身の左脳的社会規範と物差しで、論理の展開してる、、、悲しい ことです。 だから言っているでしょ、ピカソはそんな部分には清もなく濁もなく、良いも 悪いもない、、、、超えちゃってるわけですよ。なんでもあり、なんにもなし。 だから、ピカソなんでしょ。 画廊と組もうが、作品を高く売ろうが、関係が ないわけよ。 あなたが絵描きであれば、敢えて書きますが、あなたの言う「芸術家はこうで なければならない」という、その社会通念的、一般常識的な意識そのものが、 邪魔してないですか?あるいは限界を作っていないですか? あなたの芸術家 としての成長そのものを。 画家76歳とやらが言ってる通りだと思うよ。 儲ける前に儲かった人のことを否定しちゃだめよ。学歴論と同じジャン。 ただ一点、あなたのコメントの中で「醜い」という表現にはちょっと嬉しい。 そう吐き気とか寒気とか武者震いさせてくれなきゃね。「綺麗ねぇー、ホッと する絵だわぁー」なんて言われちゃー終わりよ。一般常識や既成概念、固定観念、 社会理念をひていするところがスタートラインでしょ。 >あれがピカソのものでなかったら一顧だにされない... もちろんですよ。 ピカソだから意味があるんですよ。 >キュビスムに移行してからも幸せな家庭生活を忍ばせる穏やかな色調の佳品が多い。 家庭生活とか穏やかな色調だからとかは全く関係ない。それらを超えた部分に 意味があるんでしょ。
ピカソだからすごいんだよ
>396 >また作品世界に関しては、私は最晩年の絵は醜いと思っています。 >気分を害される方もおられるかも知れませんが。。 >老人の手慰みに堕し、あれがピカソのものでなかったら一顧だにされないと思います これは半分同意で半分違うな。老人の手慰みというのはやや同意だけど 完成度としては凄いものがある。いってみれば自分の前に立ちはだかる 巨大な山脈みたいなものでピカソの芸術至高の存在だ。若い芸術家がやがて 超えなければいけない墓標だ。多分俺自身ピカソが生きていたとしたら ピカソに向かって「あんなもの老人の手慰みだ。」と唾棄すると思う。 でも>396は同じことをピカソにいったとしてもけして同じ内容では いってないだろう。>396はピカソに対して真摯に向き合ってない気がする。 つまり戦いを挑んで無い様な気がする。俺も創造的行為に携わるものだから 分かるが、妙に物分りがよいというか変に画家であると公言している割り には評論家的であるというか、極めてプチブル的でもある。そのような 安全な立場から発した言葉はきっと誰のことも揺さぶることはないだろう。 それどころかもしピカソが生きていたとして>396に晩年の絵に言葉を 求めたらきっと素晴らしいという言葉をはきそうな気がするが。 >396あなたも絵書きとしてならピカソに戦いを挑んでいるか?。 >好きなのはやはり青の時代のころですね。 >それとキュビスムに移行してからも幸せな家庭生活を忍ばせる穏やかな色調の佳品が多い。 >常に刺激的な存在であることは間違いない、ピカソ。 人の好みだからなんともいえないけど、青の時代はプレ・ピカソである。 ピカソがピカソたり得たのはキュビズム以降である。それから基本的に >396は余りピカソが好きだとは思えない。キュビズム云々といっているが キュビズムにしても作風の移行があって穏やかでない色調のものも沢山 あるし、パピエ・コレやコラージュなどの実験なども多く>396が指摘 するような幸せな家庭生活を忍ばせる物は寧ろキュビズム以降が多く、 最も家庭生活をクローズアップしているのは晩年に多いということを指摘 しておく。つまり>396が最も嫌いなものに多いということだ。逆に俺など はそういうところが唾棄すべきところとおもっているのだ。つまりピカソは もう若い頃のように戦っていないということにだ。しかし皮肉なもので ピカソが戦っていない(つまり円熟したときに)時こそため息が出るほど 素晴らしいのが口惜しい。素晴らしいからこそ否定するのだ。
400 :
シルバーナイト :02/07/15 23:28
>395/396の画家さんへ、 先程はちょっと語調が強すぎたみたいで失礼致しました。 決して、あなたの画家としてのスタンスを誹謗中傷する つもりはございません。申し訳ありませんでした。 ただ私が言うたかったのは、ピカソ本人はその行動が 「結果的に」どうであったとしてもまるでこの世の 諸行無常を楽しむかのように、うつろいゆく時間の中で 自分自身の精神を解き放ってしまったのではないか、と いうことです。だから、なんでもあり、なんにもなし、 ある時は黒、ある時は青、暴利を貪ったかと思うと、 極貧に遊ぶ、自由自在。 これが商業主義の駅売りポスター画家とも違うし、所謂 世間一般的な清貧に甘じ芸術家としての誇りと自己満足的な 精神論を拠り所としている売れない画家先生とも違う。 ただゲルニカを間近で観る時、観る側の精神にも異常を 起たし、溢れ出る感情を継続的な時間の流れにおいても 誘発させる精神性が絵の中に包含されているのは、誰もが 認めざるを得ない、、、ということです。 そこには、
ここはピカソに体現される現代の美術家は どうあるべきか、、と言うことを冷静に話す場ではなかったようで。 なんでもあり、それはピカソだから、、 それじゃ話にならないよ(w しかもそれが画家の言葉なんだから何をか言わんや、、自称でしょ? 言葉の使い方も粗雑だし、、商業主義の駅売りポスター画家って どういうの?では現在の画家で商業主義と無縁なプロの画家を言えますか? そういう視点自体が時代遅れというか、一体何の影響なのか私も日頃考え込むことが多いけど、 (間違った学校教育かも)芸術家を社会から疎外する考え方。 好むと好まざるとに関わらず我々は高度な資本主義社会を生き抜くしかない。 そこで戦うべき相手は、ピカソなんかじゃない。ところでもし今ピカソが生きていたら、 間違いなく駅張りポスターを手掛けるはずです(w。 画家個人の内面の問題と社会的に向けての問題を完全にごっちゃにしている人もいますね。 内面の問題は時代を超えて不変。どれだけ時代が変っても人間の本質はさほど変化しないことと同じこと。 結局のところ画家本人が苦しみ悶えて乗り越えていくしか方法はない。 そんなの勝手に悩めってことです。 私が話してきたことはそういうことじゃないんです。 帰ってくるのはどうでも良い独り言な話か、現実認識に欠けた教科書調な話で、 どうも時間のムダでした。 ここには現実に日々社会と格闘している画家はいないんですか。
>401 あのね。>好むと好まざるとに関わらず我々は高度な資本主義社会を 生き抜くしかないといってるけどなんでそんなこといわないかというと そんな事当たり前のことだからいわないだけだよ。なんかそんなことを いうのはたんなる露悪趣味のような気もするな。確かに高度な資本主義 社会に生きていく以上そこから逃げることはできないわけ。だからあなたの いうようにビジネスマンとしての側面を否定する事は出来ないと思うよ。 でもそれはピカソに限っての話なの?。それなら逆に商業的に成功した ものは全てアーティストだという暴論にも繋がりかねないよ。 俺やシルバーナイトさんいってるのはそれを認めた上でピカソはそれを 超越しているってことをいっているの。もし商売だけをピカソが考えて いたらピカソは一生青の時代から逃げなかったはずだよ。なぜならピカソ は生前から成功を収めていてキュビズム以降の作品と青の時代では青の時代 の方が売れる金額が違うということを知っていたはずなんだ。だったら なぜ売れない絵をわざわざ彼は描いていたというの?。あなたの論法では 説明つかないよ。だから俺とシルバーナイトさんはそれを超越してると いってるの。 しかしあなた本当に画家なの?。今の時代において絵を描くという行為は どちらかというと報われない無駄な行為のほうが多いと思うよ。でも それでも描かずにはいられないという人達が沢山いるということを考えた ことはないの?。それにここには現実に日々社会と格闘している画家は いないんですかといってるけど、戦ってない人なんていないとおもうよ。 画家として生業を持ちたいという人はそれこそ死ぬような努力をしていると おもうよ。なんか自分に理解できない話を露悪的に貶めているように しかみえないけどな。
台風7号は16日午前7時現在、静岡県・御前崎の南西120キロの 海上を時速約55キロで東北東へ進んでいる。北陸から東海、近畿地 方で激しい雨が降っており、同日午前に伊豆半島から関東沿岸に上陸 の恐れがある。
台風7号は16日午前7時現在、静岡県・御前崎の南西120キロの 海上を時速約55キロで東北東へ進んでいる。北陸から東海、近畿地 方で激しい雨が降っており、同日午前に伊豆半島から関東沿岸に上陸 の恐れがある。
405 :
シルバーナイト :02/07/16 23:42
>395・401 社会と格闘し苦しみ悶えるのは、画家でもビジネスマンでも 公務員でも同じでしょう。 但し、貴方が芸術家として悶え 苦しむ対象は形而上学的に更に深い部分にあってしかるべきで あり、そうであるべきなのです。 その宿命を背負うのが 創造者としての画家であり、当然といえば当然でしょう。 そう、独りで悩み戦うしかないのです、、、貴方が画家であれば。 共に悩むことが許されるはずがないのです。 その苦しみや 悩みを同じ画家仲間、あるいは第三者と共有しようとしたその 瞬間に画家としての精神的なスタンスに論理の崩壊が起こる はずです。ゴッホもゴーギャンもそうだったではないですか。 ピカソもまた同じ悩みをプロセスとして持ったと思いますよ。 ただ結果として突き抜けた、ということではないでしょうか。 私のいう駅売り商業主義一辺倒のポスター現代画家とは、 お察しの通りオリンピックポスターなどを手掛けるヤ○ガタや 海中を描くラ○センのような画家連を意味します。 決して悪いと いっているわけではなく、アートビジネスの成功者ではありますが、 やはりポスター画家はポスター画家「まあ綺麗!」と小金を持った 方々がローンで購入、部屋に掛けて鑑賞するにもポスター感覚で しか観れない、ということです。 万が一、ピカソが現代に出てきて、駅売りをしたとしましょう。 ピカソのことですから、洒落でやるかもしれませんよね。 でも売れるかどうかは疑問、なぜなら、彼の絵は安心や平穏、 心地良さや爽快さを売り物にしたポスターではないからです。 ヤ○ガタやラ○センは明らかに買う側を意識した心地良い 作品作り、即ち、精神性を鑑賞者のレベルに合わせてくれた 作品づくりに心掛けているのは分かるでしょ。これが私の 言うところの商業主義であり、いくら貴方がピカソが商業主義 だったと、主張されても、また、万が一、そうであったと しても、商業主義の前段にある精神性はポスター画家の それとは全く違ったということぐらいはご理解いただけますよね。 是非論ではなく、、、。 貴方の文章を読んでいると、何に悩み、何を欲しているのかすら よく分からない。 画家としての名声や経済的な充足なのか? それとも、自分の画家としてのスタンスを理解してくれる賛同者が 欲しいのか? 学校教育にまで話が行っておりますが、全くもって 「美」の探究とは関係ゼロだと思いますが、、、、また、「芸術家を 社会から疎外する考え方」などと仰っていますが、本来、一般社会 すなわち一般常識や既成概念とは対極にある部分の探求が芸術家には 必要不可欠なのではないのですか? 疎外されるべき精神性が「美の 探究」には必要不可欠なのではないのですか? 他に認められたいと いう精神性そのものが悲しすぎる。 商業主義でもいい、孤高の石でもいい、他人の評価など気にせずに 何を表現したいのかを明確にして頂きたいものです。
406 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/17 05:58
シルバーナイト 黒の騎士 画家76才 いや 通りすがりのもんだけど あんたたち素晴らしい感じだね?素晴らしさがプンプン臭ってくるよ!
あぼーん
408 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/17 14:31
ピカソがすごい理由。 自分の価値観を作っては壊し、 作っては壊し、 作っては壊し 作っては壊し ・・・を何度もやったところ。 離婚も結婚も何度もして、 生きながらに死んでまた生きて・・・・ っていう風に 一回の人生を何度も生きたことがすごいと思います。 普通の人にはできないでしょ。
409 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/17 16:17
上記の意見はいいとして下の理由は直接ピカソの芸術が素晴らしい ことと何も関係がないのでは?。
俺の尊敬する小説家で開高健という人がいるけど、彼はこういう創造的行為に たずさわるとありとあらゆる嫌な事が降りかかってくるといった。もちろん 作品の売れ行きも心配しなければいけないだろうし、制作とは関係のないこと でいろいろ悩まなければいけなかったりとか。もうボロボロになるまで陵辱 されきってもなおかつ制作に取り組んでいられるのは、純粋に物を作ることが 好きだということしか理由がないといっていた。ピカソにしてもそうだろう。 ピカソだから凄いといっているのではなくて、あらゆる問題の種を自分から率先 して背負い込んで。なおかつ、前に進みつづけるということだ。 >395は芸術家云々といっていたけど、芸術家はけして飯だけのために動いてない ことも事実なんだよ。もちろん食えなければ死ぬわけだから、食うためにはいろ いろな努力をするわけだけど、それでも芸術家というのは「おそらくこれは誰も 買わんだろうなw。」という作品を描いてしまうもんだよ。で、そんな作品を描 いた裏側では「餓え死するかもしれん。」という危機感ももってるもんなんだ。 それはもう運命というか、諦めというか持って生まれた業のようなもんなんだ。 これも一種の才能なんだ。もしかしたら一日二日、飯を食えないことがあるかも しれないけどそれはそれでいいと実行してしまう才能なんだ。芸術家というのは そのような業をしょっているとおもう。でなければそれは芸術家でないよ。 翻ってピカソにもそういう気持ちというのはどこかにあったはずだ。いつか 俺はほされてしまうかもしれないという不安があったはずだ。しかし偶々 食えていたので前面にはでなかったけど。だから前に進むことが出来たんだ。 描かずにはいられない。表現せずにはいられないという衝動というものが なければそれは芸術家ではないよ。それはデザイナーだ。
411 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/17 18:26
>>410 でも開高はピカソが良いとは思えなかったと。
409 まあ、それはそうですね・・・。 実はわたしは作品どうこうよりも、 (もちろんそれ自体も好きだけど) その画家の人生がどうであったか、 人生が作風にどのように影響を及ぼしているかを 楽しむのが好きなんです・・。 作品の素晴らしさについては・・・。 晩年の作品は見ていて楽しくて気分が良い、 そんな気持ちにさせてくれるところかな。 だからピカソを良いと思えない人は、 気持ちを開放できないタイプの人って気がする。
413 :
シルバーナイト :02/07/17 21:46
>
>>408 決してコメントにケチを付けるわけではありませんが
確信犯で、、、408さんに反論しちゃおー、っかな。
>412の「晩年の作品は見ていて楽しくて気分が良い」の下り。
ピカソの晩年の作品を観て「楽しくて気分が良くなる」と簡単に
言い切るような人は、ピカソについて「黒の騎士さん」の
ような系統だった知識をベースとして、その先の感性で捉える
ところまで達していないと言わざるえない。
要するにピカソの絵を小学生の絵と単純比較してコメントを
するのにちょっと毛の生えた程度の知識をベースにし、あとの
99%はアカデミックさに欠ける感覚のみの素人コメントである。
それを最下段の文章>「だからピカソを良いと思えない人は、
気持ちを開放できないタイプの人って気がする。」と言う
コメントが完全に裏付けている。 心を開放できないとピカソ
を良いと思えない?、そりゃ違うでしょ。 閉塞感と不条理
とはざ間で毎日躁鬱と嘔吐を繰り返すような人間ほどピカソ
の絵を見た途端に涙を流すのです。
平穏無事で明るく楽しい気分の人、あるいは系統だった知識も
なく感覚のみで美を観ようとする人には決してピカソの本質は
分からないはず、、、。 あなたがピカソそのものでない限り。
>413 まあ反論するわけではないですけどね。毎日躁鬱と嘔吐を繰り返すような 人間のみが晩年の作品は見ていて楽しくて気分が良い、そんな気持ちに させてくれるほうより理解できているというのはないですよ。前にも言い ましたが、ピカソはもうゴッホやルノアールのような巨匠と全く変わりな いんです。いくら前衛と気取ったところでもう同時代的な感動というのは ないんです。だからほのぼのと楽しく感じるものがあってもおかしくないと 思います。実際俺自身そういう激しい衝動的な波動を受けるものもあり ますが、陶磁器などの作品の中には自然と笑みが出てしまうようなもの もあります。だからどちらが上というのはありませんよ。 シルバーナイトさんはパウル・クレー、モンドリアンなどは どうおもわれますか?。
415 :
シルバーナイト :02/07/18 18:07
>414黒の騎士さんへ、 自虐的になるのはマッピラですが、貴殿のコメントは是非論を問わず、 また誰がどのように批評しようとも、小生はゴクリと呑みこませて頂き たく存じます。無論、貴方への敬意という意味も無きにしも非ずですが、 基本的には小生の自己満足、自己の知識の層積みのためですが(笑)。 さて、モンドリアン。 ハーグ派そのものに対してはさほど興味を そそられなかったのですが、モンドリアンに対しては素直に最も 感じる画家の一人です。 オランダっていう国はカルビニズム において純粋性を好むにも関わらず今も昔も国際的なんですよね。 オランダの幾何学的な地形が彼の純粋抽象にどのように影響を 与えたかは一般的な理解でよいと思うのですが、小生の個人的な 趣味である古美術・骨董蒐集の分野、中国古陶磁の釉薬色、あるいは 日本の茶陶の造形美ひいては小堀遠州の桂離宮に見られる削ぎ落と された宇宙美、普遍的な単純性が洋の東西を越え、例えそれがコ・ インシデントであったとしても、ヒシヒシを伝わり、自然科学を 愛する者としても原子核から爪の中の宇宙を観るようで小生の嗜好に 合ってしまいます。南宋砧青磁や清朝官窯の紅釉の釉層をルーぺで 覗くのと同じ感覚とでも言いましょうか。 まだまだ感じ方がある でしょうから、ご教示頂ければ幸いです。
>415 さすがです。モンドリアンあたりになるとピカソなどから比べ より一層絵画に余計な要素が削ぎ取られていきます。俺自身 現代の幾何学抽象の父はモンドリアンだと思っているのですが 本当に素晴らしいです。 モンドリアンのスレでも書いたことなんですが、モンドリアンは ピカソでも出来なかったことをやり遂げたというのが素晴らしい です。モンドリアンの絵の中には脈々とピカソに通じるものがあ ります。ピカソはキュビズムのころに絵画を解体し尽くしてしまい 結論として「絵画というものは点と線の集合体である。」という 結論を出しました。しかしその結論を出した結果、ピカソは自分 が画家であるということを再確認する為に、逆にロマンティックで あること、具象であることを捨てられなかったということです。 つまりピカソにとって絵画を点と線であるとは言えないほどロマン ティックな存在であったのです。それをモンドリアンはあっさり と何事も無かったかのように捨て去ってしまった。 。
モンドリアンの習作に林檎の木の主題があるのですが、これがまた 息を呑むほど素晴らしい。モンドリアンは抽象に向かうにあたって ピカソと同じように林檎の木のデッサンを段々と抽象化していきま した。ピカソは黒人彫刻やイベリア彫刻を主題として分解していった のですが、それと同じように具象絵画を分解していきました。ピカソ はどんなに分解してもその背景を必ず感じることが出来ました。 不思議なことにあれほど分解すれば抽象という考え方が出てくるはず なのに、けしてピカソは抽象には行きませんでした。そこにピカソ が絵画をどのように捉えているかがわかります。しかしモンドリアン はそうではありませんでした。彼は絵画を純粋に点と線に分解すること に興味がありました。その結果林檎の木の最終デッサンではピカソの ような対象を裏側に感じることが出来なくなっていました。それが 本当に凄い!!。あんなにピカソが苦しんでやってたことをいとも 簡単にやり遂げている!!。その瞬間、絵画を本当に点と線で分解し 尽くしたのでした。これはピカソも完成しなかったことです。その結果、 これこそ新しい美といえるものを彼は生み出したのでした。それは 物語性やロマン、文学性などから完全に分離した美、つまり「純粋に 点と線のみの美しさ」を生み出したのでした。 一連のコンポジションという作品はいかに点と線のみで純粋に美しい 作品を作れるかという試みをおこなっています。よく言われることですが モンドリアンは線の配分などに黄金分割などの概念なども導入して います。その背景には「いかに点と線のみで美しい作品が作れるか」と いう背景を感じることが出来ます。 モンドリアンはピカソがいなければ存在しえなかったのではないかと 思います。ただしその作品自体はピカソの作品と比べても退けを とるものではないと思います。その後モンドリアンが残した思想は 幾何学的抽象の元祖としてミニマリズムなどの考え方に影響を与えて いったということです
418 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/18 22:35
ピカソはたとえ青の時代で終わったとしても後世に残る画家だったでしょう。 95才の時の自画像を見ていると ああこれを描く為に 数万という画業があったのかと納得してしまう。
よく「作品の意味が分からない」とか「自分にはこーゆーのわからない」とか言う人多いけど、 分かるとか分からないとかを問題にしてることが一番分かってない。 好きか嫌いか、でしょ。 ちなみにオレはピカソ、嫌いだけど。
>419 俺もそう思うね。分かる分からないではなくて好きか嫌いかだとおもう。 俺はクレーとかも好きだけど(バウハウスの教職を勤めたこともある バリバリの理論家のくせに描いている絵は正反対だから)カンディンスキー やミロは嫌い。特に理由はないんだけど。 でもその好きという理由のなかには共感という感じを抱くことも多々 あるとおもう。俺はある絵の前で泣いたことがあるけど、好きと言う 理由だけで果たして人間そこまでゆすぶられるもんかな?。まあでも 大概は好き、嫌いと言う理由で分けられるとは思うけど。
421 :
シルバーナイト :02/07/21 00:42
>419/420 tapi様がどれほど絵画に造詣が深くあられるのかは存じ上げませんが、 少なくとも黒の騎士様、貴方が、もし420の発言を読まれる方が誤解を されても構わないという前提で単に「鑑賞のポイントは好きか嫌いか」 という発言をされているのであれば、一向に問題ないのですが、貴方の ように絵画に関してアカデミックな知識をべースに左脳的分析が可能な方が、 右脳的に「好きか嫌いか」という判断をされることと、単純に絵の知識が ない方が「好きか嫌いか」を発言されるのとは大きな違い(優劣論ではなく) があることはお分かりでしょ。ちょうど子供の絵とピカソの絵が似て非なる ものであるように。 そこまで深刻に考えるな、と言われればそれまでですが、今回の貴兄の 発言は419に迎合するような軽はずみな発言ととられても仕方がないような 気も致しますね。 ちなみにtapi様に質問ですが、貴方のおっしゃっていることは実に的を 捉えておりますが、じゃーピカソのどこが嫌いなのかをお教えいただけ ないでしょうか?「パッと見が嫌い」などという稚拙な評論ではなく、 具体的な何が嫌いなのか、そして、逆に誰の絵が好きなのか、を知りたい ものです。
「鑑賞のポイントは好きか嫌いか」? 好きか嫌いかは、個人の問題であって絵とは関係ないように思います。 モンドリアンは絵画の抽象を問題にしてますが、ピカソは西欧の歴史には なかった世界を現していると思います。
>シルバーナイトさん えー、すごくまともなレスがきたので驚いてます(笑)。 僕がピカソが嫌いな理由は、実際見たときにあんまり物質的に魅力を感じないってとこですかね。肌に合わない質感なんですよ。 好きなアーティストは、ジャコメッティ(絵のほうね)、ロスコー、キーファー、それから国内の作家で言うと中村一美ってとこですかね。 ちなみにピカソ以外に肌に合わないのは、セザンヌ、マティス、レジェ、ステラ、などです。 ま、個人的な好みですね。理屈では残念ながらうまく説明できません。 で、僕が好きか嫌いかでしょと言ったのは、自分の周りには美術は分からんと言って食わず嫌いして、美術家=変態というレッテルをはっている人がたくさんいて、 いーかげんうんざりしているからで、絵は別に分からなきゃいけないもんじゃねーだろと、言いたかったわけです。(ま、確かに分からなきゃいけない作品もあるけど。) 日本という国で現代美術がなかなか市民権を得ないのはそういうふうに分からんと拒絶反応を起こしている人が多いからだと痛切に感じているわけです。ちょっと話がそれましたが。
>日本という国で現代美術がなかなか市民権を得ない 横レスで申し訳ないですが、日本には現代美術の必要性が無いことでしょうか やはり、昨今でも欧米の問題と思ってます。
>424 意味が分かりません。
426 :
シルバーナイト :02/07/21 09:31
>>
>>423 tapiさま、
ご返答有難うございます。
>>>>自分の周りには美術は分からんと・・・・
なるほど、そういうことであれば仰る意味わかりました。
>>>好きな画家は、、、、
実は私もジャコメッティ好きです(笑)。
>424 >横レスで申し訳ないですが、日本には現代美術の必要性が無いことでしょうか >やはり、昨今でも欧米の問題と思ってます。 いやそんな事はないと思うな。それに世界で日本の美術で浮世絵以外 評価されているものは現代美術だけでしょ。特にネオダダあたりの連中は 世界中で回顧展開かれたりしてるじゃない。でもそのような評価をしている のはきまって海外で、せいぜい日本での評価というのは一部をのぞけば赤瀬川 原平あたりがニセ札を作ってつかまったとか、その程度の認識でしかない よね。それは必要性がないということではなくて、はなから「あれは美術 ではない。」としかとされているだけだとおもう。しかし現代において 現代美術というものは基本的に開かれたものものだとおもうんだ。ただし 日本の場合は必要以上に難解なもの、困難なものと言うイメージで囚われ 過ぎてダメにしてしまったような気がする。美術界のシステムもそうなっ ているし。だからネオダダ以降これと言った世界で評価される作家が 出ていないということだな。だけど本来現代美術というものは難しいもの でも何でも無いから、きちんとやる気があり才能がある作家を擁護して いけば必ず世界に評価されるようになるとおもうな。発想や閃きは そんなに悪くないけど、やっぱり金にならないから長続きしないんだよね。 それが残念だな。
>427 黒の騎士さん このスレの論点からそれるんだけど、それ、賛成ですね。 日本で現代美術がなかなか評価されないのは、(現代美術家がやっていけないのは、)もちろん美術と言う表現形式の歴史が浅いからというのもあると思うし、 いやそれだけでなく他の分野(映画や音楽)でも同様に「シリアスに評価する」という文化的土台は育っていないと思うな。 その代わり日本では欧米と違ってマスメディアという庶民的な媒体が重要性を持っていて、 残念ながら(僕は少なくとも残念なのですが、)その媒体を通してでないと一般に認知されにくい現状がある。(誰ピカや北野たけしが良い例) しょせん舶来品ってことなんだよね。 すみませんスレ違いで。
429 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/07/21 22:42
素人的な意見でとても申し訳ないのですが、日本の現代美術に関しては、現在 活躍されていらっしゃる、芸術家が中心になってよい物を区別する必要性がある のではないかと思います。日本の学芸員は、本物を見る目というものをもって いるのでしょうか?そこに問題が隠されているような気もするのですが。。。。
Art is a manifestation of emotion
431 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/01 12:57
ピカソの絵が一番笑えるでしょ それが重要 笑い=いい作品
432 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/02 21:04
age
>431 ちょっと極端な意見だとはおもうけど同意できる部分はあるかな?。 後期の陶器なんかの作品はけっこうほのぼのと笑えるよね。
これは直接ピカソには関係ないけどピカソと同時代の関わり方とピカソが得た 結論がどのような形で現代美術に発展していたかということではひとつの意見 だと思うから、わざわざカンディンスキーのスレからコピぺしときます。 >104 >シェーンベルクの音楽の世界も不思議だけど >何であんなもん出来たのかほんと不思議〜 それは調性内の音をずっと拡大させていった結果、結局調性内には 収まりつかなくなって「無調で歌わせることができる音楽」を求めた 結果だと思うよ。シェ−ンベルクが無調に飛び出していったのが19 08年で所謂現代美術のきっかけになったピカソの「アビニョンの 娘達」が確か1906年(うろ覚え。間違ったらスマソ)だったから 同時代的な気分として「既成概念を壊す」というのがあったんだと おもうよ。多分モダニズム至上主義みたいなのがあったんじゃないかな?。 恐らくその時代にいたら、とても昂揚した雰囲気にあったと思う。 ピカソのキュビズムはそれほど革命的であったんだけど、それを受け継いだ 形で未来派という連中がいろいろ実験しているんだ。そのひとつのテーマ として今まで絵画に表すことが出来なかったテーマを扱うというのがある。 例えば自動車を描くことはそんなに難しいことではなかったと思うんだけど その自動車が動くスピードであるとか自動車が動く質感というのはあまりに 曖昧過ぎて描けなかったと思うんだけど、これらをなんとか表現しようと したんだ。キュビズムの成果によって。ここら辺の感じというのはこれは 俺個人の感想なんだけど、抽象でも具象でもない半抽象という感じがする。 物事の捉え方、見方は非常に具象的なんだけど、手法が非常に抽象的な 感じがする。恐らくカンディンスキーもそんな事を考えていたかもしれ ない。 否。違うな。恐らく一連の「コンポジション」の作品群は題名は単に 符丁、または作品を区別する為の符号でしかなかったとおもうよ。 恐らくカンディンスキーは「絵画の題名に音楽用語を使ったら面白い かも。」と思ったんじゃないかな?。得てして現代美術の作品にとって 題名というのは無用の存在でしかない場合があるからね。コンポジション には構図という意味があることはあるけど、この場合音楽用語の「作曲」 と捉えた方がより実体に則してはいると思う。とはいえカンディンスキー もまったくコンポジションという題名にしばられていなかったとも思えない。 おそらく半々だったんじゃないかな?。そんな気がするよ。 つまりコンポジションという絵画群は実際に今まで具象だけでは表現でき なかった物を純粋に表現しようとする衝動とそんなことはまったく関係なく 単に「題名として面白い。」という気持ちと、本当は無題でも構わないんだ けど、それでは区別がつき辛いので便詮上題名をつけたという気持ちが 半々あったのではないかと。
435 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/05 15:13
age
436 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/05 21:41
ピカソは私達の知ってるような絵だけを書いてたわけじゃないんだよ。 人間なんて指の先からでも描ける天才画家。 私もよくわからなかったけど(関心も持てなかった)、スペイン内戦 の勉強をしてゲルニカ爆撃のところに載っていた大作「ゲルニカ」はかなりの 衝撃があった。一人の人間が多くの人間に見える。ピカソはゲルニカを通して 戦争の悲劇を見事に世に残してる。
確かにゲルニカは傑作だと思うけどなぜかそればかり言われる傾向 にあるな。ゲルニカに関して言えばあれはピカソ芸術でも特殊な もんなんだよ。ああ言うメッセージ性を持つものはピカソの意図 するところでは無かったように思う。本来ピカソはああ言う絵画 以外のところに含みを持たせるのが嫌いだったんだと思う。そういう 意味で言えばゲルニカは>436で指摘しているように戦争の悲劇を 見事に世に残してるというところに鑑賞者への分かりやすさという のがあるとおもう。だからゲルニカのみを上げてピカソを理解した みたいな言い方は早計に過ぎると思うよ
438 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/06 09:50
解説書読んで分かった気になる人多いな。
439 :
シルバーナイト :02/08/06 11:02
久し振りに覗かせて頂いております。 黒の騎士さん、お久しぶりです。 投稿の数はあまり増えていないけど、みなさんの紳士的な 書き込みと議論は読んでみてなんだか嬉しいですね。 私はと言えば、俗世間の資本主義経済のどっぷり首まで 浸かり、家族や企業という現実的に守らなければならない 存在とともに、日々の暮らしの喜びと悲しみに心泳がせて おります。 生きてりゃいいさ、、、、喜びも悲しみを立ち止まりは しない、巡り巡って行くのさ、、、誰かの詩だったかな。 さて、まずはピカソ。 本当に幼稚園児からご老人に至る まで、あるいは、知識の深浅に合わせて、これほど誰でも 話題にできる画家も少ないですよね(笑)。 黄泉の世界 で我々の議論をもしピカソが聞いていたら「その通りじゃ」 とか「違ーう!」とか、それとも「まあ、ワシを酒の肴に 自由に楽しみなさい。」と言っているのでしょうか。 私もゲルニカの現物を目前にして吐き気をもよおした人間 の一人として436さんのことを敢えて否定はしませんが、 やはり黒の騎士さんが437でカウンターコメントされて いる内容に賛同せざるを得ません。でも436さんも、 もっとピカソに接っする機会さえ増えれば、ピカソの超自由 について分っていかれると思いますし、ましてや、観賞感覚も これが正解と思った時点で、一直線に不正解ベクトルへと進み はじめるような気も致しますので、基本的には左脳・右脳を バランス良く使って一生楽しみたいものです。
あぼーん
441 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/06 11:24
このスレちょこっと覗いただけで、 自分の無知さ、未熟さに気づきました。
442 :
シルバーナイト :02/08/06 12:01
>>441 さんへ、
2チャンネラーにしてはなんと謙虚な方でしょう。
一緒に仲良くやりましょうよ。 利害関係も無いし。
黒の騎士さんの話とか結構面白いし勉強になるでしょ。
匿名だから、茶化してしまう(ほとんどのスレがそう)
のはとても簡単だけど、正面突破で論破していくのは
もっと楽しいはずですよね。
このままでは黒の騎士さん自体の成長が望めない。
なんとか、みんなで力合わせて黒の騎士さんを論破
して、ギャフンと言わせましょうよ! 覚悟してね。
黒の騎士さん、シルバーナイトさんのレスを もっと読みたいです。 他にはどのスレに書き込まれてますか?
444 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/07 04:11
>>447 ,449
スペイン内戦でかかれたピカソの絵はゲルニカだけではありませんよ。
大作はゲルニカですが、その前にもファシストのフランコ「フランコの夢と嘘1.2」
など45点描いておられます。
「ゲルニカ」の“追伸”として描かれた「泣く女」なんかも有名ですよね。
皆さんが言う、ピカソの子供の落書きのような絵は、スペイン内戦中期1937年(ゲルニカ爆撃の年)
に描きだされたものです。「ゲルニカ」がピカソの評価になるのは、スペインで最も
最悪な時代を生きた彼の心の闇が見事に表されている作品の一つだからだと考えられるでしょう。
ゲルニカを理解するにはスペイン内戦を知る必要があると思います。ゲルニカを破壊され、ビルバオを
攻撃され、バスク地方はフランコの手に落ち、バスク語を禁止され、そのときのピカソの怒りは
「ゲルニカ」を見るだけで、十分に伝わります。
445 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/07 04:15
ふん?
446 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/07 04:16
吉野さんという人がやっている美容院をご存知でしょうか・・ お店とおうちがつながってると思うのですが 心当たりのある方是非教えてください おねがいします・・ セブンイレブンが近くにあり 30分以内ぐらいあるいたところにコジマがあります
>444 >スペイン内戦でかかれたピカソの絵はゲルニカだけではありませんよ。 >大作はゲルニカですが、その前にもファシストのフランコ「フランコの夢と嘘1.2」 >など45点描いておられます それをいうならピカソの主要となる作品は皆習作がありましたよ。 アビニョンもしかりだし。別にゲルニカに始まったことじゃないですよ。 それにフランコが書かれたのは恐らく寓意を持たせたものではなくて 単に題材としておもしろかったからでしょう。 >皆さんが言う、ピカソの子供の落書きのような絵は、スペイン内戦中期 >1937年(ゲルニカ爆撃の年)に描きだされたものです。 これはいっている意味がわからないです。こう言うアブストラクトな絵を 書いたという意味ですか?。 >。「ゲルニカ」がピカソの評価になるのは、スペインで最も最悪な >時代を生きた彼の心の闇が見事に表されている作品の一つだからだと >考えられるでしょう。 これは同意できないな。ゲルニカが評価されるのは彼の心の闇が 表現されているということではなくて、純粋に絵として素晴らしいから 評価されているんだよ。それにピカソはスペイン人といっても 実際評価されたのはフランスからだったわけだからことさらスペイン を強調するのはどうかとおもうよ。もちろんスペイン人としての アイデンティティーはあったかもしれないけど、それをいうならピカソ は新古典主義時代などにギリシャ彫刻を題材にしたりキュビズム時代 にはアフリカやイベリアの彫刻が題材にされている。それが説明が つかなくなって来る。つまりピカソは放浪者なんだよ。ゲルニカに ついては戦争に対する怒りが動機になったとは考えられるけど、ピカソは 本来そう言うものとは無関係であったことを知るべきだ。もしピカソが ゲルニカにもっと特別な意味を持たせているのなら、もっとそれに関連 する作品は多かったでしょう。でも数枚の習作を残すのみでゲルニカが 作られていることを考えると、ピカソにとってはその他多くの自分の作品の 1枚しか過ぎないんじゃないかと思うよ。それを傑作だといっているのは ピカソでも何でもなくて自分達が勝手にいってるに過ぎないとおもう。 それからピカソはあれほどサイズの大きな作品はそれほどないというのも 理由のひとつになるかも。 これは暴論かもしれないけどピカソは戦争の悲惨さというのは題材に とったかもしれないけど、特にスペイン内戦に限ったものではないような 気がするけど。もっと普遍的な意味での戦争の悲惨さを描いたんじゃ ないかな?。第2次世界大戦の数年前ということもあってこの頃の ヨーロッパはどこも不安定な状況であったのは確かだろうから。つまり スペイン内戦に限った話ではないとおもうよ。解説書なんかにはスペイン 内戦のことが書かれているけれどそんなもんではないとおもうな。
448 :
シルバーナイト :02/08/07 12:31
うーん、いつもながら黒の騎士さんのピカソ論は正道ですね。 誰かいらっしゃいませんかねぇー、彼を論破してくれる人が、、、。 さて、ゲルニカですが、やはりピカソの人生において(その時点では) 迸(ほとばし)る感情を抑えられずに描かれた「力作」であることは 間違いないし、第三者が評価すれば代表作のひとつに挙げざるを得ない ことも事実だと思います、、、大きいし、、、、でも、もしも黄泉の国 のピカソ自身にゲルニカのことを聞く事ができるとしたら、きっと彼は 「あっ、アレね。あの時は本当にちょっと感情的になっちゃってね、 あんな絵を描いちゃったのよ、それがどうかしました?」と答えるか どうかは別として、いづれにしても、その時の感情をひきずったまま、 その後に影響を及ぼしたとも考えられないし、ましてや、代表作なんて いうのは他人が決めることだから、どうでもよいと考えるのではないで しょうか。 特にゲルニカの場合は、ピカソの中でも対象となった具体的 テーマが確然として存在していたわけだから、ある意味ではポスター(ゴメン ナサイ)すなわち分りやすい作品である一方、ピカソの本質を理解しようと する上では、ちょっと意を異にする作品であるような気もします。無論 プロセスの一部としては否定しませんが、、、。 ヒッチコックの NEXT ONE 同様、ピカソのように混沌の中に心泳がせた 芸術家にとってはすべてが代表作であり、すべてが過去の遺物でもある のではないでしょうか。 また、そこが魅力であり、万人を深く浅く 楽しませてくれるわけですね。 だから、コレだ!となにか一つの作品を 例にあげて決め付けた瞬間にピカソが遠のくような気がします。 無論、どの作家についても体系的な考察は絶対必要条件であると私は 考えますし、ろくに勉強もしないで浅はかな自己満足的矮小な個人の 感覚だけの評論には説得力もありません。 但し徹底的な体系的考察の末 ころっと次元を変えて感覚だけで判断することがピカソには求められると いうことではないでしょうか。
449 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/07 15:18
なぜつまらないんですか?。
451 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/07 17:04
な〜るほどね〜。ここにいるといろんな意見が聞けてうれしいです。 もしかしたらゲルニカが有名になったのは、ゲルニカを描き、国外へ 追放されたピカソが絵と友にスペインへ帰れなかった皮肉からかも わからんですね。フランコが死ぬ前にピカソが死んじゃったから。 でも彼は91歳まで生きたわけだし、他の戦争で若く死んでいった 正規軍や民兵に比べるとまだまだ幸せではないのかと思いますが、 決して自分が戦争時代を生きたわけではないので、あまり言えませんがね。 映画を見るだけじゃ戦争を語れないって言うし。 だからといって、戦争時代を生きた祖父らも決して戦争を語ろうとはしませんしね。 やはり、話したくない事実もたくさんあるでしょうし、こちらから聞いても ショックを受けそうで恐いものです。 やはり絵を通して語ったピカソはいいですね。
452 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/08 18:48
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ブラスコ・ピカソ
>451 ゲルニカっ書いた頃ってスペインにいましたっけ?。どうも そうじゃなかったような気がするんですが。確かスペイン国外 で事実を知って憤慨したと聞いたような気がするんですが。 まあ手元に資料がないので調べようがありませんが。おまけに スペインから追放になったんでしたっけ?。そうではなかった 気がするんですが?。 とにかくピカソ自身はあまりスパニッシュであるということに あまりこだわりはなかったような気がするんですよね。確かに 後年ピカソはギリシャ神話の世界を書いたりするのですがその ときによく雄牛を書くんですが、これはピカソ自身の投影だと 言われますがどうなんでしょうか?。よく言われるようにギリシャ の牛頭の神(名前ど忘れ)と闘牛の雄牛を重ね合わせたものなの でしょうか?。だとしてもピカソのスパニッシュのアイデンティ ティーであるということの証明にはならない気がするんですが。 おまけに後年でもギリシャ神話の世界なんか書いているわけですから いよいよもってピカソは放浪者という感がいたします。
454 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/08 19:40
単純に闘牛がすきだったとか?
>黒の騎士さま 突然のレスで申し訳無いです。是非にご意見を聞きたく、 不躾ながら書き込み致しました。 美術を真剣に見ようと思い立ってから5年ほど経ちました新米です。 初めてピカソの作品で戦慄を覚えたのは、パリのピカソ美術館にあるOXでした。 あの自転車のサドルとハンドルを組み合わせただけのヤツです。 正直度肝を抜かれました。あれは晩年の作でしたかね? でも管見ながら、全般的には後期の作よりも前期の作が好きです。 晩年のノホホンとしたものよりも、 青の時代や若い頃やともすれば幼い頃ののデッサンに見られるような 緊張感の漂う絵の方がずっとずっと惹かれるものがあります。 青の時代から薔薇色の時代を経てアビニヨンに至る迄が 一つのピークではないかと思います。 作の時代は関係無く、ピカソはその全てが素晴らしいとする 黒の騎士さまのご意見には今一つ賛同できないのです。 他のご意見が素晴らしいだけに、それだけが引っかかります。 ああっ、長くなってしまった・・・ごみんなさい。
456 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/09 00:19
で、結局ピカソってどれくらいすごいの?
457 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/09 02:30
はい、どうぞ、
458 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/09 02:36
>458 素晴らしいではないですかw。俺もそんな作品を作って見たいですよ。 >455 >作の時代は関係無く、ピカソはその全てが素晴らしいとする >黒の騎士さまのご意見には今一つ賛同できないのです。 >他のご意見が素晴らしいだけに、それだけが引っかかります。 俺が思うにこの作品は素晴らしくてこの作品は良くないという意見 に対して無意味だと思うのは、良かろうが悪かろうがその作品自体が ピカソ自体であるからなのです。だいたい人をを好きになるときと 言うのはあの人のここはいい、ここは嫌いとなりますか?。まあ長く 深く付き合えばそういうところもありましょうが、絵画などの表現 のみでピカソ自身を知りきることは不可能ですから、ピカソの自由の 有りかたを考えるときどの作品に対しても底に流れる自由を感じる のです。その自由が堪らなくいい。その自由を知ったときにはこの 作品はいい、悪いとはならないような気がするのです。もちろん好み は有ります。俺自身ピカソのキュビズム以前にはあまり関心はあり ません。でも青の時代の絵が質的に劣るかと言えばそうも思いません。 より幅広い自由を感じさせてくれる作品が好きだと言うだけです。 それにつねづねおもうのですがこの作品は良いから好き、この作品は 良くないから嫌いというのは逆だろうとも思うのです。得てして嫌だ と思うものの中にこそ自分の知らない価値観であるとか既成概念の 破壊であるとかが含まれている場合が多いのです。>若造さんはこんな 経験はありませんか?。なんだろ?。この絵はなんか嫌ったらしい。 見るだけで何故かむかついて来る。吐き気がする。などの感情です。 しかし夜になってひとりなってみるとそれが気になって気になって 仕方ない。あんなに嫌な絵が気になって仕方ないということはあり ませんか?。でもそれはもう既にその絵を理解していることなのです。 理解をして面白いとは思うんだけど、自分の中の価値観とその絵が 激しく戦っていて、絵に自分が否定されているような気持ちになるから なんです。でも面白いとおもうから気になって仕方がないんです。 俺も子供のときにありました。あんな嫌な絵はないとおもっておりました。 そこで親父(親父も絵を書いておりました)になんであんな絵をピカソ は描くんだろ?と質問したことがありました。なんと親父が答えたか は覚えてないんですけどでも、それからずっと嫌いなはずの絵が気になって 気になって仕方なくて堪らなかったのを覚えています。本当に嫌いだったら 気持ちは動かされないはずなんです。「どうでもいいよ。こんな絵。」と なるはずです。思い当たる節はありませんか?。
460 :
シルバーナイト :02/08/09 13:33
>>455 若造様、
いいですねぇー、黒の騎士さんへのツッコミ楽しく読ませて頂き
ました、、、、、でも、やっぱり黒の騎士さんが言っていること
の方が私には説得力があるように聞こえますね。
>作の時代は関係無く、ピカソはその全てが素晴らしい。
黒の騎士さんの補足説明になるかもしれませんが、以下のような
ことも言えるのではないでしょうか。
ピカソの称して「突き抜けた自由」とか「超自由」とかいう
表現を以前に使わせて頂いておりますが、これに関連して、
「豹変する自由」という表現も当て嵌まると思うのですね。
どういうことかといいますと、他の画家の場合、時代を経てゆく
プロセスが画風から分るでしょ、それに充実期は生涯一回か
ニ回、またその間には変換期、言わば成長期とも言える未完成
な部分が明確にあるでしょ。 と、ところが、ピカソには
それが無い(全くないとは勿論言いませんよ、)というか、
分り難い。 まるで、TVチャンネルをCNNからBBCに
切り替えるように豹変するでしょ。しかもケーブルテレビの
ように多チャンネルで、出てきた瞬間から完成度と専門性が
非常に高い(無論これにも例外はありますが、未成熟な部分を
観る側に感じさせない)。 まさに諸行無常。 これは、
それまでの画家たちのスタンスは「創造」のみが優先される
中にあって、ピカソは「創造と破壊」を確信犯で、繰り返し
行なったのではないか、と私は思うわけです、、、、、、、
、、、、だから突き抜けた自由。
ゆえに、もちろん、時代に対する嗜好(好き嫌い)は勿論
個人個人であるのは当然ですよね。 でも、自分の変化に
合わせて観る番組も変わっていくように、ピカソの絵に
ついても、10年前にはピンとこなかった時代の絵が、
今は面白い、となることがあるのではないでしょうか?
好き嫌いは観る側の自由ですが、それぞれが完成されて
質の高い専門番組になっている以上、優劣論へは
持ち込めないのではないでしょうか。
ご存知のように19世紀末以降、視覚的表現方法の多様化が
ある意味出尽くした時代にあって、それを更にやってのけた
ピカソが素晴らしいということではないでしょうか。
こんな画家はあんまりいないでしょ、素直にそう思うのです。
ピカソがケーブルテレビ専門多チャンネル化を超躍する自由な
精神でやってのけた人とするならば、モンドリアンは試行錯誤の
末にテレビそのものをブラウン管から液晶に替えた人かも知れ
ませんね(笑)。 楽しみましょうね、お互いに。
461 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/09 16:27
彼(黒い騎士)さんはきっと舌上手なんですね(変な意味に取らないで下さい)。 うらやましいです。
>461 自分を芸術家だとおもって日々表現について思いいたして いればこんなこと誰でもできます。 もっとも俺は現代美術の擁護者だからある程度理論武装 しているところがあるのかも。それほど現代美術については ほんーーーーと理解ないからねー。 ハァー・・・。ルノワールやピカソ買う金があるんだったら その金で若い作家の意欲的な作品を100点買ったほうがよほど 実りになるとおもうんだけどなー。
ここに関係あることなのでついでにこれもコピペしておきます。 スレタイトルは「芸術ってなんだ?」です。 >8 >ただ、誰もが芸術家だとすると、 >評価される芸術、評価されない芸術って何の差があるのでしょうか? >そこがわかりません。 評価されるかどうかなんて他人が決めること。芸術家にとって 作品なんて 表現をした後の残り滓みたいなもの。だから 評価されたいと思った瞬間にその作品は芸術ではなくて産業物に なる。産業物は産業物として意義があるが、芸術なんて物は あってもなくても良いもの。寧ろ存在そのものが無駄であるもの なんだ。だから素晴らしい。 >芸術の様式は時代と共に変わっていくものだから、 >過去の名作は美術史における一つの点に過ぎず、 >今の時代に何の芸術的価値もないってことですかね? そのとうり。いくらダビンチやルノワール、ピカソが 素晴らしいといってももう同時代的な感動なんてものは ないんだ。同時代的な感動というものは良いも悪いもなくて 存在そのものが謎に満ちていて、いったいなんだこれは?! と惹きつけられる物である。じっとみているとなんだか 不安になってくる。まるで自分の存在を問われているような 感じである。つまり作品と自分の戦いなんである。いくら ダビンチやルノワール、ピカソが素晴らしいといってももう このような感動などはない。寧ろ微笑ましくほのぼのと なってくる。このようなものはやはり素晴らしいものであるが 自分の存在を問われているような激しさはない。だから 同時代的な作品は理解できたときに(というより共感できた ときに)それこそ吹っ飛ばされるような知的衝撃と感動がある。 >1よ。飯を食うように、糞をするように表現しろ。なぜ 自分がこの世に生まれたかが分かるときが来るはずだから。
>黒の騎士さま >シルバーナイトさま 脈絡のない横槍レスに丁寧なご返答、有難う御座いました。 ここは他のスレに比べてオアシスのようなとこですね。 ご指摘にあったように自分個人の好き嫌いと優劣論を ごっちゃにして考えていたようです。目から鱗ですね。 仰られる様にピカソの根底にあるその自由を感じられれば どれがどうという見方は全く無意味になりますね。 頭では理解できましたが、心からはまだ賛同できてはいません。 頑固で申し訳無いですが、気を悪くされないで下さいね。 といいますのも、自分にはそもそも現代美術に対して不信感があります。 厳密に言うと現代美術を志す人々の甘さが許せません。 描きたいものを描きたいように描くなどと言い、 またその評価を見る側の自由などとぬかし、感じたいように感じろと言う。 そのくせ碌な技術を持ち合わせていない。 作り手として実に無責任です。自分の作品を守る為の戦いを放棄しています。 そんな無責任な自由のシンボルがピカソになってはいないでしょうか。 でもその可能性を信じて待ち続けているのも事実なのです。 ピカソのアビニヨンやデュシャンの泉からじつに100年が経ちます。 カンディンスキーのコンポジションから90年、 モンドリアンのコンポジションから見ても80年です。 それなのにあの呪縛から未だ解き放たれないでいる現況に歯痒さすら感じます。 なんか大幅に話が反れてしまいましたが、そんな事でもうちょっとの間、 ピカソの全てを受け入れるのには抵抗していこうと思います。 ああっ、またしても長々と・・・申し訳無い。
>描きたいものを描きたいように描くなどと言い、 >またその評価を見る側の自由などとぬかし、感じたいように感じろと言う。 >そのくせ碌な技術を持ち合わせていない。 >作り手として実に無責任です。自分の作品を守る為の戦いを放棄しています。 >そんな無責任な自由のシンボルがピカソになってはいないでしょうか。 俺はまったく逆に考えております。碌な技術を持ち合わせていない。 まったくそのとうりです。またその評価を見る側の自由などとぬかし、 感じたいように感じろと言う。これも同意です。だから素晴らしいん です。特別な技術がいらない芸術だから子供から老人まですべて 横一線で評価できる。そのひとに本当に自由な気持ちが有りさえすれば 評価できる。だから素晴らしいんです。技術のことを考えれば残念ながら 結果はみえています。若造さんはどう頑張ったところでピカソより 技術的にうまくなるはずはありません。ピカソの本来持っている技術の 高さというのは我々がどんなに頑張ったところで凌駕することができない ものです。しかしピカソはそんなところで勝負することを止めてしまった んです。ピカソは私たちに誰でもできる芸術の価値観というのを生み出して くれたんです。モンドリアンの絵だってその気になればそっくりに書くこと ができます。でもそれは意味がない。それはなぜかというとモンドリアン の視点や自由な精神にこそ新しい芸術の価値があるからなんです。 だから誰だって自由な精神さえあれば芸術家になれるのです。技術だって 本来の意味でリアルな物を書いていこうと思えば写真には到底かなわない。 スーパーリアリズムという絵画運動も有りましたが上田薫などの何名かの 作家を除いて殆ど空虚なものとなっています。つまりそう言う意味の技術 というのはとっくの昔にほかの技術とかわっているのです。つまりその作品 をなぜ作らなければならなかったか。その一点のみにこそ新しい芸術の 価値があるということなのです。
おおっ、早速のお返事、恐悦です。 現代美術論に発展してしまうと趣旨から外れてしまいますので、 ここではピカソに戻りますね。 こっちが勝手に振っておいて申し訳ないです。 黒の騎士さまはピカソが芸術を掘り下げたとお考えなのですね。 自分は逆に、確信犯的に高みに持っていってしまったと思っています。 自由であると言い切った事が素晴らしい、といわれる事は 確かにそのとおりであると思います。 でも事実、彼は神懸り的な技術や感性を持ち、惜しげも無く披露している。 それを散々に見せつけた後に、自由にやっていいんだよ、 と言い残して自分は去っていく。 残された人間は、改めてピカソにあって自分たちに無いものを 思い知らされる、というカラクリ。 実に狡猾な手口ではないでしょうか。 彼が示したものは解答であり、ピリオドにもおもえます。
467 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/10 03:46
>>ピカソは私たちに誰でもできる芸術の価値観というのを生み出して くれたんです。モンドリアンの絵だってその気になればそっくりに書くこと ができます。 自信満々でウソ書くなっての!お前のレベルはもうわかった。できねえんだよ、お前じゃ。 本当のすごさがわかんねえんじゃなにやってもおもしろくあんめえな。 ま、だからこんなとこきて「ジコシュチョー」しちゃってんだよな。 いいからもっといろいろ見てまわって来いよ。 ただ、頼むから無知と自由を取り違えないでくれ。言いたいことはそれだけだ。
468 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/10 04:02
>つまりその作品 をなぜ作らなければならなかったか。その一点のみにこそ新しい芸術の 価値があるということなのです。 だから。ピカソは20世紀なかば「迄」の画家なのです。その点確認。 いまはいつですか?ここはどこ? なんかピカソスレって過去を懐かしむだけの筆記ーの巣窟みたいじゃない。
469 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/10 08:54
>>466 頼む、頼むからその批評家風の口のききかたやめてくれ。
君が何か作品作って蔭で人にそんなふうに言われたらどう思う?
ここに書いてるほとんどの人達に言えることだけど、思いやりがなさ過ぎるよ、とにかく。ピカソをリアルに感じてないでしょ、誰も。
悪口言っちゃいけないってんじゃないよ。批判は大切だからね。
ただ、発言の自由といい加減なことを言うこととは違うんだよ。
君たちだって勝手な噂流されたら怒るだろ?しかもあたかも事実ででもあるかのように自信もって言われたらどんな気がする?
こんな場所でもさ、一応公の発言ではあるんだよ。
どんなにしょうもない噂話でもいちおうは「批評」なの。
まだ値段の話でもしてるほうがかわいいよ。
無知は無知なりに質問から始めなよ。そっちの方がずっと面白くなるはずだ。
470 :
画家76歳 :02/08/10 11:07
>>467 &469
久しぶりの書き込みでございます。 ちょっと気になる発言がありましたので
敢えて投稿しております。
せっかく黒の騎士VSシルバーナイトVS若造さんのとても興味深い意見交換会を観客として
楽しんでいたのに「467さん」と「469さん」の横槍が入り、ちょっと悲しい気分ですね。
ここはピカソについて、いろいろ自由に語り合う掲示板でしょ。 ですから多面的な
ピカソ論や芸術論のぶつかり合いが面白いわけです、観客としても。
あなた方(467と469)も独自のピカソ論もお持ちなのであれば、そのピカソ論や芸術論
を媒体として黒の騎士さん達に戦いを挑みなさい。 最近登場した勇気ある若造さんの
ごとく。 彼らの見所は自論を持って討議を交わす心の余裕があるところです。
あなた方(467と469)にも是非そうであって欲しい。 発言者そのものを誹謗中傷する前に
まず自論を展開してみなさい。もしそれが出来ないのであれば、彼らに軍配が上がって
しまうことは誰もが認めるところでしょう。 頑張りなさい、頑張りなさい、前を向いて。
>466 >でも事実、彼は神懸り的な技術や感性を持ち、惜しげも無く披露している。 >それを散々に見せつけた後に、自由にやっていいんだよ、 >と言い残して自分は去っていく。 >残された人間は、改めてピカソにあって自分たちに無いものを >思い知らされる、というカラクリ。 そうでしょうか?。だったらなおさらピカソに挑むことこそ 意味があるように思いますが。確かにピカソは我々の前に 高くそびえる山々のようです。この峰を越えなければいけない とおもうと、まったく絶望的でさえあります。でもできないわけ ではない。それでなければピカソ以降の芸術はまったく発展して ないことになってしまう。でも実際は違う。今現在でも世界中の どこかでピカソと肩を並べる天才が(もしかするとピカソをも 凌駕する)新しい芸術を生み出しているのです。若造さんは ややペシミスティックに過ぎると思います。そして若造というハン ドルでありながらまるで年寄りのような発言だとおもいます。 しかしピカソに対する発言は非常に激しく攻撃的であります。 おそらく本来は製作に向かうべきベクトルがピカソや現代美術 に向かっているということではないでしょうか?。その意味では 充分に若い感性をお持ちなのに、その発言はどこかの画壇のオヤジ 達のように暗く保守的であります。 ピカソを超えることは大変なことです。もしかするとその道程の 途中で費えるやも知れません。でも我々若い世代はピカソを父と して理解し、そして完全に否定しなければならないのです。
なんか荒らしてしまいましたかね。 折角いい雰囲気で続いていたのに申し訳無いです。 >469 えーと、先ずは気に障るような表現がありましたら素直に誤ります。 ごめんなさい。確かに知ったような口を聞いて、十把一からげにした言い方をしたのは 無責任な発言にとられても仕方ないですね。その点は反省します。 ですが思いやりが必要なほど、製作とはナイーブなものですか? こういう匿名の掲示板での発言という事で陰口、と取られたのかもしれませんが、 決してそんなつもりはありません。自分も現代美術には非常に興味を持っています。 ですが、自分の作品が批判に晒された時に、それを守るために 敢然と戦う姿勢を見た事が無いので失望しかけているのです。 ですが可能性は信じていますので、まだ見続けようとも思っています。 ですから探しているものに出会えたときは喜んで考えを改めさせて頂きます。
473 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/10 21:24
>画家76歳さま ああ、有難い応援のお言葉、感謝致します。 なんか到底敵いっこなさそうですけど、もうちょっと頑張ってみます。 >黒の騎士さま 実に温かい目で芸術に触れられる方ですね。 そして今までもずっとそうだったんでしょうね。 ご指摘にあったジジむささは、自分の見方が 恐らく感性よりも観念が先行してしまっているからですね。 それは自分でも、このままではいけないなーと思っている事です。 でもそれを言っても今この時にはどうしようもないので、 今言える事に終始したいと思います。 もし前後の発言の不一致などがありましても、 それは自分でも内心揺れている、という事でお察し下さい。 今までのお話を伺う限り、作品に対しての姿勢の違いがあるようですね。 自分は今までに二度、絵を見て泣いた事があります。 一度はシーレの抱擁、でしたかね(題名わからないです、ごめんなさい) そしてもう一度はピカソのアルルカンのうちの一枚です。 双方とも実物ではなく、図録でした。でも全身に鳥肌が立ちました。 ピカソは他にもあの牡牛やヴォラール氏の肖像でも ビシビシきた覚えがあります。 でもその後の作品にはそういった震えがありません。 もしピカソがキュビズムのすぐ後に夭折していたら、 そこから数多の可能性が生まれてきてたのではないかとも思うのです。 ピカソが名を成して、その全てがクローズアップされた事で、 一気に時計の針をすすめてしまったのではないかという気がしています。 ただここまで言っておいてですが、 正直ピカソ以降の流れを十分に把握しているとも言えないのです。 ですからその辺りも踏まえてご教授頂けたらと思います。
>>467 はモンドリアンの絵を観た事があるのだろうか…
>>468 ここは2ちゃんねるだから、何でもアリアリ
>>469 自信があるかのように読んでしまうのは、受けとり方が原因。
自分のピカソ論としては、昔、今、世界の各地、心の健康な人、
心の病んでる人、あらゆる状況に対応する情報として絵画を自立させる。
それでいて、モチーフなど描き手のフィルターを通過させる。
すると、ピカソでなくともあんな感じの絵画が結論として出て来ると思われ。
475 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/11 00:24
どうせあらし扱いされることはわかってました。 でも、やっぱり悲しいね。 君らとは現実に顔をあわせる日を楽しみにしているよ。
478 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/11 00:38
こんなの描けないです。 だから天才と思います。
>475 それはあなたの説がまずいというより文章表現が駄目だから 厨房扱いされるのです。批判されることは大いに結構だけど きちんとあなたの説を真っ向からぶつけてこないと誰も まともに相手にしてくれないよ。
>473 >今までのお話を伺う限り、作品に対しての姿勢の違いがあるようですね。 >自分は今までに二度、絵を見て泣いた事があります。 そのような感受性をお持ちなら現代美術に触れても分からないはずは ありません。どんどん分からないこそ現代美術に接していくことです。 どうしてある人たちは現代美術にいかざるを得ないのかが分からない と言うことであれば、岡本太郎著「今日の芸術」、赤瀬川原平著 「東京ミキサー計画」、「反芸術アンパン」などをご覧いただくと いいとおもいます。どれも文庫本ででています。
481 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/12 14:00
>>黒の騎士 >自分を芸術家だとおもって日々表現について思いいたして いればこんなこと誰でもできます。 でも私に芸術評論は無理。私は趣味で絵を描いたり、曲を作ったり 小説を書いたり、自己満足でやってますから。自分の絵を評価されることは ありません。絵が一筋なわけじゃないので、私は評論する舌を持っていません。 でも黒の騎士さんの言葉はいろいろ理解できて光栄です。
483 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/13 12:19
マニュファクチュアとマニフェスト。 ふつうどんなにボケてても間違えないよな。 厨房以外は。
484 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/13 18:05
絵の事はわからないが始めてピカソの絵を見た時に勃起した 精子は飛び出なかったけど興奮した そんな絵にピカソ以外お目にかかってないのよ ほんま凄い人だと思った
485 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/13 23:11
486 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/14 04:35
漏れにとって理解出来るモノは凄くない。 理解できないから凄いんだな。
487 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/14 04:48
未だに現代美術っていうと「ピカソとかの抽象画ってわからんよ」とか 言われちゃうんだよな。ピカソは現代でも抽象でもないってのに。
>>486 なかなか面白いじゃないか。
もちょっとはなしをすすめるとだな。
理解できないのに凄いと思わせるものとは何なのだ?
たぶん批評家の直観とはこういう問いのことなのだ。
おぼえろ、クロノキシー。
>486 同意。 >488 それは理解できているんだよ多分。でも己の既成概念と戦っているから まだ共感がないということじゃないかな?。
自作自演
申し訳無い。ちょっと場違いな話・・・。 最近思うのだけどなんで人間って表現行為をするんだろうとよくおもう。 それも何故か不思議でストレスが多いほど表現しようとするんだよなあ。 やれ借金だらけだとか、女と分かれたと生活費に困っているとか、ろくでも 無い時にこそ、なにか表現をしたくなる。いや表現をせざるを得ない状況に なってくる。表現欲って実はかなり根深く根源的なもんじゃないのかな?。 もちろんその苦しさを表に出すと言うことは俺はしないけど。 今となってゴッホがなぜあんなにシカトされながらも絵を書きつづけていたか あの不条理的ともいえる情念的なタッチの意味が分かってきたような気がする。 つまりああならざるを得なかったんだな。言葉ではわかっていたけど共感は 無かった。でも今にしてみれば分かる。 親父も絵を描いていて最近はボケてしまったけど何時も孤独であった。誰からも 気に留められることなく、何時も部屋にポツンといてテレビを見ていた。 ちょっと鬱病の気があったんじゃないかとおもう。でも、数年前に止めていた 絵をまた描き始めていた。お袋からは仕事もせずにそんなことばかりともう ボロクソだった。実際俺も親父のことをダメな親父と思っていた。しかし今に して思えば、親父の絵は拙いもんだったけど、なんとか必死に叫んでいたん だなと思う。誰かにこの思いを伝えたかったんだなとおもう。でも誰も分から なかった。親父はボケて絵だけが残った。正直下手な絵だとおもう。でも親父の 絵をみると心底冷え冷えとする。芸術とはなんと残酷なもんなんだろうと。 でも親父が、ゴッホが描かざるをえなかった気持ちは痛いほど分かる。そして 俺もまた描きつづける。絵が売れるとか売れないなんて問題ではない。描かざる をえないのだ。なぜなんだと言う理由などない。苦しい気持ちを表現しようとは 思わない。でもなぜか描かなければいけないんだ。 スレ違いで申し訳無い。
492 :
シルバーナイト :02/08/16 16:50
>>492 黒の騎士さん、お久しぶりです。 相変わらずエネルギーが
あるのですね。そのエネルギーこそ創作活動に必要なもの、闘い
続けることです。
さて、話題提供ありがとうございます。 実はウチの父親もかなり
の部分に共通点があります。オブストラクトの方でしたが、、、やはり
年取ってからはうつ病になりました。表現者はそのエネルギーが尽きる時、
「何かしなければ」と思う精神と「思うようにできなくなる」肉体との
ジレンマに陥り、しばしばうつ病になるようです。 そして達観した時
再度エネルギーのない絵を描きます。
>なんで人間って表現行為をするんだろうとよくおもう。
そうですね、やはり人間が動物の一種類である以上、他への「アピール」
というのはある意味、第一次欲求、即ち性欲みたいなもので、だれもが
避けては通れないものではないでしょうか。 高等哺乳類になればなる
ほど、その表現方法は複雑になり、人間に至っては肉欲を精神欲へと
すり替えながら表現していかざるを得ない。 いわゆる動物として
背負った「性(さが)」に他ならない。 迸るエネルギーを抑えることは
できないのですね。
ピカソのことを好色だという人は多いですが、まさしくその動物的
エネルギーこそがピカソ芸術の創作活動そのものを支えたガソリンの
ようなものであったことは言うまでもありません。 その意味では
作品として出来上がってしまったものは、表現者の残した足跡で
ある一方、排泄物のようなカスでもあるわけです。 だから表現者自身は
出来上がった作品は過去の遺物として忘れ去るもの、、、そして評論家は
その排泄物を棒でつつきながら、ああでもない、こうでもない、と作者の
ことを調査研究する検便検査の保健所職員のようなものでしょうか。
オスがメスをめぐって、あるいはメスがオスをめぐって闘うように、表現
するためにはエネルギーが必要です。 そして表現することそのものが
イコール生きて行くことなのです。
私も話が逸れました。 文章中、読まれる方が気分を害されるような
不適切な表現がもしありましたらお許し下さいませ。
493 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/19 23:55
スレ違いどころか板違い。意味わかるよね?
おあつらえ向きの板があるな。確かに。
495 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/20 02:47
>黒い騎士さん スレ違いついでに、ゴッホの話が出たので他のスレにあったのをコピぺします。 不条理とも言える情念的なタッチというのは、どうやら過った印象のようですよ。 >ゴッホ 自由な色で自分を表現した画家 世界で一番有名な画家かも知れないゴッホは、典型的な芸術家のイメージの一つだ。 彼を語るとき、あまりにドラマチックな人生のため、作品だけを独立させて冷静に語るのが難しくもなっている。 (ここにもいますね〜@転載者) 確かに、彼の人生は、あまりの悲惨の連続で、涙するどころか笑うしかなくなってしまうくらいだ。 彼のファンは実に多い。(以下略) 「スーティンは大した絵描きだが、ゴッホには到底及ばない。 デッサンをやらないからだ。 ゴッホの絵はどれも卓越した画法に支えられている。 二人の違いはそれだけだが、何という違いか。」 (シャガール) ★絵に関する限り、ゴッホは常に理路整然としていたのです。 「何もない部屋を描くのは楽しかった。平面的に色を見て、 厚い絵の具と太い筆使いで描いた。多様な色彩で、絶対の安息が描けるか試みたんだ。」 (『ゴッホの部屋』について、ゴッホ。エミール・ベルナールへの手紙) 「新印象主義に影響を受けていた頃のゴッホは、黄色に紫を対比させたようなものばかりでした。 私の助言を受け入れてからは、『種蒔く人』のように黄色の地に黄色の太陽を描いたりしました。 一つの色調からもあらゆる色調のオーケストレーションが派生することを知ったのです。」 (ゴーギャン) ★ゴッホは激しい感情のまま、黄色の絵具をてんこもりにした、などということはありません。 実は、とても計画的に描き、絵具も意外と薄塗りです。
>黒の騎士さん ちらちらとしか読んでないですがとても面白いです。 重複スレがあって、そちらに書き込んでしまった後にこちらを 見つけてしまいました。 きっと、ピカソに愛情を持ってしまってるんですね。 俺もピカソはかなり好きです。時期とかべつに関係ないです。 が、どちらかというと、絵に共通して独特の熱が 見えだしたころからが好きです。だから子供の時のとかは そんなに愛着ないかな・・・。 俺はピカソは、漫画「ピンポン」のペコ的キャラだと思っています。
497 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/20 10:32
498 :
黒の騎士 ◆n9agln22 :02/08/20 17:42
>495 ゴッホに関してはあなたが言うように理路整然と描いていたことに 疑いを持つことはありません。むしろ極めて同意に近い印象です。 人によってはゴッホは精神病でなければあんな絵は描けなかった という人がいますが、これはまったく同意しかねます。ただゴッホ がなぜあんなにも認められずに、それでも絵を描き続けなければ ならなかったかという背景が俺には見えてしまうのです。おなじ ドキュソとしてw。絵から離れると何も無い自分。焼け付くような 焦燥感。そして自虐。だから描かずにはいられないというものを 感じてしまうのです。もちろん理路整然と制作活動を行っていた でしょう。誰も買ってくれないかもしれない。それでも描かずには 居られない自分。絵をどう描いてあったかというのは理屈でしかあり ません。そしてそれらは理解するうえで重要な事柄です。でも充分 条件ではない。 >496 >きっと、ピカソに愛情を持ってしまってるんですね ?ちょっと意味が解らないけど、信者ということですか?。 だとするとそれはnoですよ。好きな画家ではあるけれど 以前のレスにもかいてあるけど、俺はどちらかというと今は ピカソを、もうルノアールやゴッホなどと変わらない唾棄 すべき存在だといっています。むしろ一連のミニマル・アート などの作家などのほうに共感はあります。なぜならいくら ピカソが偉大だとはいってもそろそろキュビズムのころから では100年は経つから同時代的な感動というのは持ちにくく なっているからです。
>黒の騎士さん いや、信者と言っている訳ではないのです。 なんだかんだと細かいことでは気になるところは あるけれども、総合的に肯定しているな、と思い、そう言ったんです。 唾棄すべき存在、とレスしたところは読んでいませんでした。 確かに、同時代的な感動というのは持ちにくくなっているかも しれませんね。 でも彼の絵は何かいいものを俺の心に運んでくれてます。 その感動は俺にもよく分かりませんが、 同時代的とかそういうのを抜きにしても、とても嬉しいものです。 もしかしたら俺の方が信者に近いかもしれません。
遅レスで申し訳ないが
>>488 >理解できないのに凄いと思わせるものとは何なのだ?
漏れにとって、「理解できる」=「同等の質を再現できる」ということだな。
逆立ちしても自分の力では出来ないモノは凄い。
501 :
みなしごハッチ :02/08/21 01:14
502 :
ルノワールとボイザック :02/08/24 00:29
スレ違いなのですが、2ch.初心者なもので、どうしても適当な板を私の能力では探すことが できませんでしたので、真面目な方が多そうなこの板にてご質問させてください。 ルノワールとそのエッチングの刷り師ボイザックについてもっと知りたいのです。 適当なスレのURLをご存知であればお教えください、そちらに移動します。 もし 適当なスレがない場合には、どなたかお詳しい方、ボイザックという刷り師について お教え頂けますでしょうか? 失礼いたしました。
503 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/08/26 06:48
保守
504 :
まったくスレ違い :02/08/27 19:45
ゴッホはアブサン中毒だったそうで・・・。 耳を切り取って娼婦に手渡した話は有名
505 :
できやよい :02/08/30 06:09
そんなんあほやとおもう
506 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/19 12:50
507 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/19 21:01
もうすぐピカソ展始まるね
今回は青の時代やそれ以前のものに作品が集中するみたいね。ピカソが 理解できないという人ならいってみるといいかも。
509 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/21 17:35
ピカソを知りたきゃ、行くべきだね。晩年を知ってる人は多いかもしれないけど、 本当のピカソはそんなものじゃ語れないと思うね。ぜひ、今回行ってみて欲しい。 絶対に良いと思うはずだよ。508さんの話が本当ならね。
510 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/21 20:02
そういえば『ピエレットの婚礼』って結局どこ行っちゃったん? 知ってる人いる?
511 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/21 23:54
私もピカソは「青の時代」が好きです。 ピカソの絵の凄さはデッサンと描写に尽きると思うのです。 人の悲しみや苦しみ・・ ため息さえも時代を超えて伝わってくる卓越した描写力 後期の作品とは違ったピカソを感じられると思います。
512 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/24 16:36
ピカソ展逝って来たYO 「初聖体拝領」って凄いね あんなモン14歳で描いてたなんて デッサンも巧かったなァ 「髪を束ねた女」は良かったけど 照明がガラスに映って少し観にくカッタ
513 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/25 02:27
京都のメット展にもピカソ来てるね
514 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/25 02:32
子供の頃のデッサンが上手いからいい絵を描けるわけじゃないんだよ。
515 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/29 02:57
上野の森のピカソ展、、、。 カ ネ を か い せ 〜!!!! あんなもんで1300円も取るのか〜!!!! 見るもんなんか2点しかねーぞ!ゴルア!!! せめて半額にしろ!! アニータになめられてから、日本はカモにされたんだよ!!! ○ん十億出してあれしか借りれないのか?! 阿呆かー!!!!!!!!! ふざけんのもいいかげんにしろスペイン語圏!!!! カネ取る事しか考えてないのかよ!!!酷すぎだー!!!!!
516 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/29 03:05
ピカソが14歳の時かいたやつさ、上手いけど感動なんて湧かないよ。 正直印刷で十分だと思うよ。 じじいのヌードデッサンはよかったけど正直予備校レベルだと思う。 あとは数合わせの糞作品オンリー。 ピカソのイイ作品見るんだったらやっぱり海外の方がいいね、、。 この人良いのもあるけど、悪いのも圧倒的にあるからさ、、。
517 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/29 03:05
日本は国が分化面で金出さないから仕方ないの。 結局海外からいい作品を呼べない最大の理由は保険料。 確か評価額の1%だったかな? だから一展覧会で目玉をそれこそ1、2点だけ入れて後はどーでもいいのを 寄せ集めて体裁を取り繕うのが精一杯なんよ。 フランスなんかだとこの保険料を国が出してくれる。 この差は大きいよね。 だから向うが出さないんじゃなくて、こっちが呼べないのが現状。
518 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/29 18:03
>>515 はげしくどういー。
「科学と恩寵」も習作だけしか置いてなかったぞ。なんやあれ。
519 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/29 23:02
>>517 そうなんだー、保険料1%てことは一億の絵でも百万かあ
上野の森ってフジサンケイがついてるよね、それでも
予算的にきつかったのかな。
なんか批判が多いので期待せずに見に行くことにする。w
520 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/30 05:16
hakone
521 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/30 12:01
14歳で描いた絵の保険料が1億7000万。これ+貸出し料が約1億 計2億7000万 今回の展覧会、会場のレイアウト代含めて合計が約4億
522 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/09/30 20:58
おお
523 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/03 20:34
上野の森行って来たよ。 ヤパーリ天才だよ。14才であれだよ。あとは崩すしか無いわけだよ。 青いの見て涙が出そうになったよ。 でもヒドいよ。あれで1300円かよ。 「科学と慈愛」は何処にあんだよ。 禿しくバルセロナヘ行きたくなったよ。くそー。
524 :
2チャンネルで超有名 :02/10/03 20:38
ピカソなんて天才でもなんでもない。ただ盗作がうまいだけの 画家だよ。 評価の対象になるのは青の時代、赤の時代、キュビズムの初期 だろうけど(それ以後はほんとに落書き。かれのパフォーマン スにみんなだまされてる)、要は情緒的なエコール・ド・パリ のひとりにすぎなかった。 美術史的に評価されるのはキュビズムの創始者としてなんだろ けど、それにしたってセザンヌがいてこそ成立したものだし、 ブラックやデュシャンのほうが理論的だった。 ほんとにみんな誤解してるけど、ピカソにはオリジナリティ がかけらもないんだよ。 だいたい、ピカソって彼以後の画家にぜんぜん影響を与えて ないでしょ? 現在の美術は基本的にはいまだにデュシャンの影響下にある。 あと100年もすれば、美術史家たちは、20世紀最高の画 家はマティスとデュシャンって言うようになるよ。ピカソは、 まあ無視はされないだろけど、特異な画家としてあつかわれる だろうね。
526 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/06 11:11
ピカソは色がいいね。 綺麗だと思いますよ。
527 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/06 16:07
ゲルニカ一枚だけを見ても天才と言わざるを得ないんじゃ なかろうか。
528 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/06 19:15
ゲルニカは凡作でしょう・・
529 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/06 19:19
530 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/10 04:55
ピカソ展だめなのか。
531 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/11 07:02
漏れはピカソが好きで、パリの美術館に絵を見に行ったり、 この前はニューヨークまで行ってきた。その立場でお前らに 質問したいのだが、ピカソは結局、ヲタクなんだろうか? そして、ピカソの信奉者も結局、ヲタクか?
532 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/11 08:55
ピカソなんて近代西洋美術という小さな村社会のひとつの末路に過ぎない。 「帰結」かもしれないけど「始まり」ではない。 もう忘れろよ。
おまえら真面目にやれよ!!! アニヲタの自覚あんのかよ!! ラムが基本なんだよ!すべてはここから始まるんだよ!! 原作を完読しれっ!!TVシリーズを10日で全部見ろっ!! 亜空間アルバイトの回やつるつるセッケンの回をキャプしろっ!!! 口付け宅急便の扉絵を涎と精液でドロドロにしろっ!!! 話 は そ れ か ら な ん だ よ !!! 他のキャラに走るのはラムが卒業できてからなんだよ!!! たとえ卒業できなくたって構やしねぇんだよっ!!! 原点なんだよ!!!伝説なんだよ!!!神話なんだよ!!! ラム語れねぇヤシが偉そうな口たたくんじゃねぇよっ!!! 卒業できねぇヤシが『本気ラム』なんだよっ!! もう一回言うぞっ!!! おまいら真面目にやれよっっっ!!!!
534 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/13 17:30
ピカソはうんこー。
535 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/13 19:58
後年のピカソの作品は 類のない個性があるから 売れたんだと思うが 違うかな
536 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/14 16:33
ピカソは天才。 みんな好きなこと言ってるが、キュビズムをつくったのは彼だし、 青の時代なんて、もう涙が出るね。 そこんとこヨロシク
ピカソには興味が涌かない。
私素人なんだけどキュビズムってなんで凄いの?
539 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/16 14:21
>>536 キュビスムを作ったのはブラックじゃなかったっけ?
それにキュビスムの原点はセザンヌ。
ブラック最高 ピカソは・・う〜ん。。 好きでもないし嫌いでも無かと
541 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/17 18:01
542 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/17 23:01
ピカソ展、めちゃくちゃ良かった… ある意味物凄く役に立った。 才能ってものについてより深く考えることが出来た。
543 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/17 23:10
ピカソについては 岡本太郎著の「青春ピカソ」 を読むとかなりわかります。 名前が先走って良し悪しを 判断するのは間違ってるし、 先入観からピカソをみてしまうのは仕方が無いけど。 子供の落書きほど純粋なものはない。
544 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/17 23:50
>子供の落書きほど純粋なものはない。 こりゃ飽きた。 チンパンジーに書かせりゃいいじゃんよ。
545 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/17 23:50
そうだね。
546 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/18 07:44
>>539 どっちかっていうと、これが正しい。 でも考え方次第では
>>536 も正しい。
キュビズムを世間が認めたというか、広めた事実をどう捉えるかでは無いだろうか?
ピカソの凄さはヒントがあったにせよ 実現させたところじゃないでしょうか?
548 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/18 10:12
>>542 ピカソ展、良かったけど若い時の絵ばっかりで、もっと晩年の絵が見たかった。でも、ピカソ13才のデッサンにはビビった。上手すぎ。
549 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/18 10:20
ピカソはすごいぞ
550 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/18 10:22
>>548 今回の展覧会はテーマが「天才の誕生」だから仕方ない。
焦点はピカソの初期の頃。
でも来年はピカソの後期に焦点をあてた続編をやる。
551 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/18 10:23
553 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/20 20:40
天下とれば何やっても許されるし残る。 潰せるビッグが出てこないんだな。
ピカソ展自体はいいけどさ、サンケイが出しゃばるのはどうなの? ピカソにとってもマイナス・イメージじゃん
産気居サイアク
556 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/21 17:10
_____________ || || || 珊瑚を傷つけた 。 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ || K.Yって誰だ? \ (@∀@-)< 林彪は死んでいません || ⊂ 朝⊂ ) .| 日本刀一本で百人を斬れます  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄| | 朝銀は破綻していません .∧ ∧ .∧ ∧ .∧ ∧ .|____| \_____________ (・,, ∧ ∧ ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ 〜(_( ∧ ∧ __( ∧ ∧__ミ・д・∧ ∧ 〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ 〜(__(,,・∀・)〜(_( ,,)〜(_( ,,) @(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ / は〜い、先生。 \
557 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/21 17:11
,.、,、,..,、、.,、,、、..,_,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ ´゙:..`.゙:‐'゙`.゙ヾ:゚`.゙:`.゙:`.゙:`.゙:`.ヾ゙: ゚`.゙: ゚''.`.゙:..`.゙:;゚.`.゙:` ´.: ,.゚ `.゙::、`___:;.:.:.:゚..____゙:`.゙::゚゙:::_ ヾ''. ''. ヾ''.`:.;:.;:..゙ヾ:゚.゚`.゙:.゙゙:` ´,..`.゙::: '゙.`::.゚| |゚、. / /.゙:.゙::く\゙::_ `.゙.゙/^>'゙:'.`.゙;.;;゚.;.;;゚.;.;;゚..゙:` ´: ゚..: ''.`゚.,:. :.、| |:/ /`.゙`.゙`.゙:..\ \:/ /'゚ ''.`.゙:_;. ''..:.;.;;゚..:` ´;: .゚.: ,:. :、.',: '゙ .| く''.`.゙::_`.゙:`.゙:;.`.\ /`..゙:`.ヾ゙:`.゙:;.`.:.:.゙:` ´;: ゚...: ,:. ゚ ''.: '゙゙| |.\ \.、.:',.'..゙.:.゙.:゙ :.| |`.゚゙:'.ヾ`.゙:;.゚`.゙:.`.゙` `;: ...: ヾ'.`.゙,:. ''|____|.゙..゚\/''.`.゙.:゙.: :.゚、.:|____|' :.゚ヾ、.,:. :゚.、:,:..、゚ .;` `: .゚..: ,゚: '゙. ゚゚ ''.`.゙:.:.、゚`゙:`.ヾ ゙:`.'.`.゙.:',.: .::_.:''`゙゚ .::_''゚`゙.: ''.`.: .` `: ゚''.`.゙:゚`.゙:..`.゙:‐'ヾ゙`.゙:゚`.゙:`ヾ゚Д゚.ヾ゙`.゙:`.゙: ゚`.゙: ゚''.`.゙:゚`.゙`.:` `゙:゚`.゙:..`.゙:‐'゙Copyright 1989.4.20 AsahiShimbun.`
559 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/26 02:22
>>551 誤差があるんだよ・・・その情報に騙されたよ
560 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/26 07:30
そうか、ピカソ展だったのか。
Googleがピカソになってた(
>>558 )からなんだろうと思った。
561 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/26 11:36
ピカソ日本1!!
日本じゃあ、2番目だ。
右翼のくせして平和主義者でがっぽり儲けようって腹か、おめでてーな!
564 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/10/27 19:09
やれやれ。これではピカソもうかばれんな・・・。
ピカソはセンスある。 上野のピカソ展いってきた。 激コミ。ほとんど見れなかったから来週朝一でもう一度行ってみる。
>564 おお、こんなところに黒の騎士が。
567 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/29 20:43
明日上野に見に行きまつ。平日でも混んでるかな?
568 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/29 23:10
>>567 平日も混んでるよ。オバさん連中や中高生とか来てる。
通路も狭い部分があったりして、全体的に窮屈。
金曜の5時以降に行った方がすいてるかも。
569 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/10/30 09:39
ピカソ展なんて、行っても見れねーよ。猫も杓子も見に来て最悪。
絵って小難しいこと考えながら見なきゃならんのね。 あたしゃ遠慮しとくよ。
>568 ご忠告有難う。でも昨日見に行っちゃったよ。 激混みではなかった。 見応えは正直なかったけど、まあ幼少時から抜群に 上手かったんだな、ということが分かりました。
サンケイがスポンサーじゃなければいいのに
573 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/06 15:43
ちょっと古いけど、525がいってることがおおよそで正解。 さらに付け足すと。 彼は遅れてきた芸術家であって、本来職人だった。物真似は 上手いけど、オリジナリティという観念が欠けている。 彼がとった方法は、とにかくスタイルを変えつづけること。 個性と新たな創造を良しとする二十世紀アートで、彼が生き残る道は それしかなかった。 ピカソと対極の姿勢を示したのは、ピカソが見出したバルテュスだね。 ピカソが自覚的に二十世紀美術を演じたピエロだったとしたら、 バルテュスは反時代的にその職人気質を貫いて絵を描いた、偉い人。 それでポストモダン芸術の先駆者となりえた。 なんでピカソって、こんなに評価高いのかな。以前、NHKの「新日曜 美術館」見てたら、マチス対ピカソみたいのやってて、専門家みたいな 人が、マチスは好きなことを悠々と書いていて想像性がなく、ピカソは 苦心した芸術の破壊性を持っているとか何とか、デタラメなこといってた。 俺も青の時代の絵は凄く好きだけど。
574 :
青の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/06 16:14
わからないという人には何を言っても無理だな・・・。もっとも 価値観を変えようとも思わないけど。 で、ピカソがわからないという人はハンで押したように青の時代 はいい、もしくはまあマシだというよね。でも俺から言わせれば すばらしいことはすばらしいけどあの時代はプレ・ピカソなんだよ。 なぜそれ以降をすばらしいという人がいるのになぜなんだろうか? とは思わないんだろうな?。もちろん>573が思っているように 価値観が退廃しているのかもしれない。でもあなたの価値観も ピカソを評価している人達とズレているとはおもわない?。客観的に 見た場合その確率は半々とは思わない?。だったらキュビズム以降 を調べてみようとは思わない?。 ピカソをペテン師扱いするのは結構だとおもう。でも擁護者がどこに 価値を見出しているかを知ることは大切なことだと思うよ。
今度は別名義。
576 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/06 20:37
うひゃひゃ
>574 擁護者がどこに価値を見出しているか じゃあ、ひとつ解説して。煽りじゃないよ。 俺がピカソいいなあって思うのって、書いたけど、スタイルを変え つづけたその姿勢と、芸術を広めた貢献度。同時代、そんな画家は彼 以外いなかったし。つまり反芸術家としてのそのオリジナリティのな さに感心してるわけ。絵は余り感心しないんだよ。 破壊のアートとして見るのなら、ブラックやデュシャンのほうが衝撃 性があるし、純粋さっていうなら、ルソーのほうがとんでもないよ。 そのスタイルじゃなくて、絵そのものがいいの? 要は、異端としてのピカソは素晴らしいって思うんだけど、なぜか 彼は二十世紀最大の芸術家ってことになってる。これがよくわかんない。
578 :
PURE-GOLD :02/11/07 12:57
579 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/07 18:08
>>543 青春ピカソ 新潮文庫
岡本 太郎 (著)
詠みました、わかったようなわからないような。
580 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/07 18:55
>577
>>374-375 を見てくれ。話はそれからだ。
>破壊のアートとして見るのなら、ブラックやデュシャンのほうが衝撃
ひとついえるのは認められるようなアートというのは底が浅いんだよ。
ピカソの凄さのひとつはもうキュビズムのころからそろそろ100年経とう
というのに相変わらず分からないと言う人がいること。開高健もブラック
はいいけどピカソは嫌だと言ってた。なんか押し付けがましくて、未消化
な不協和音に反感を覚えるとかいていたよ。おそらく>577とそんなに
違わない意見だと思う。実はこれは反感ではなくて立派にピカソを理解し
評価していることなんだけど、得てして人はそれを気がつかないことが
多いw。アートと言うのは生まれた当時は認められないものだよ。それは
歴史を見れば分かる事だよね。印象派だってそうだし。あなたの書いている
ルソーも一般人には理解されなかった。つまり表現が強く突き詰めたもので
激しければ激しいものほど、その同時代では理解されないんだ。ピカソの
素晴らしさはまさにここにある。同時代の人達ではなくても震えがくるほど
嫌らしいおぞましさを感じさせる。過去の絵画であるはずなのに同時代的な
といっていいほどの感動を催させるということだ。ブラックはその点美しい。
調和が取れていて見ていて和む。でもその感覚は同時代的な感動とは程遠いんだよ。
絵があなたに戦いを挑んでないわけ。でもピカソは「おまえに俺が理解でき
るか?。おまえはいったい何物なんだ?。」と言う問いを今でも問いつづけ
る嫌らしさがある。だから素晴らしい。
本当にピカソを理解できたらあんなに微笑ましい絵もないんだよ。あんな
楽しい絵はないよ。
>実はこれは反感ではなくて立派にピカソを理解し 評価していることなんだけど、得てして人はそれを気がつかないことが 多いw 「評価」という言葉それ自体には、良いも悪いもない。あるのは良い評価や悪い評価。 だから、どんなひとでも何に対しても評価というのは、ある。 無関心も、立派な評価ですよ。 また当然ですが、反感も一つの立派な評価ですよ。 どうもあなたは、以前から読んでいて、言葉の定義がいささか独善的です。 「黒の騎士語」で語り倒しているという点に、もう少し意識的になった方がいい。 意見を一にする人とはそれなりに会話が成立する様ですが、少し対立するともうダメだ。 黒の騎士にしか分からない解釈で一方的に終わる。 だからいつも掲示板が独り言の場になってしまう。 その原因に、上記にあげた言葉の定義の不正確さがある。 あなた一人の王国を守りたいだけなら、こんなところに書く意味は余りないと思うが。 しかしもしもピカソのすごさを人にも分かってもらいたいと思っているんなら、 あるいはピカソという触媒を通して自身の美術に対する意識を深めたいというのでも、 今のままではダメでしょう。 あなたの心は閉じているからね。
後もちろん理解についても同じです すべてのものを理解する必要はないし、また不可能ですよね。 それなのにあなたは、理解できない、嫌いだ、という態度表明を 本人が気付いていないだけだと決めつけていますね。 そんな押し付けがましい、無神経な態度が、なぜピカソに関してだけは許されると 『あなた』は考えるのか。
583 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 01:25
picassoの価値は17歳で終わっている。彼の最高の作品はバルセロナ時代 だ。ただし、ピカソには伝統を継承し、それを発展させる能力がなかった。 彼は終生根無し草の流浪を続けた。年をとるにつれて新鮮味を失い駄作を つづけた。従来の価値観、宗教観を失った西欧美術界は模索を続けピカソ を担ぎ出し、体裁を繕った。しかし、西欧はその駄作に気がつき始めている あと20年もすれば、美術史の解説以外に登場することはなくなるだろう。
584 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 01:44
>583 駄作って言うのはなあ、、。 言いたい事も分かるが、伝承を継承し、それを発展させるだけが芸術じゃないでしょ。(w 絵具の発達も絵画表現の発展につながってるしね。
585 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 02:03
ピカソ程度がわからん奴は創造をやめろ!今すぐとっとと。 自分の頭の悪さが創造に向かないと気がつけ、ナンデ未だにピカソを?
586 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 02:12
黒の騎士ハッケソ! 自称ゴッホに匹敵する才能の持ち主 黒の騎士マンセー! みなさんGSの次は黒の騎士をヲチしよう!
587 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 02:32
588 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 02:34
ここは?言葉でアートを語る場所?
>586 ヲチは飽きたよー
590 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 08:31
真面目に書きます。 ピカソは「眼」が画家というより彫刻家なのでは。 ゴリゴリした立体表現や描写には 「カタチをこの画面から抉り出してやる!」という 意図を感じます(←で、「展開図」という発想になった)。 ブラック等との関係も、彼等にインスピレーションを 与えた存在という程度の物なのではないでしょうか。 ピカソ自体はノンジャンルの異端児だと考えています。 (両者にはセザンヌとゴーギャン程のギャップがある) キーワードは、ずばり「カタチ」への異様なまでの こだわりでしょう(**イズムとかは抜きで)。
>>581 >>577 で解説してくれよというから解説したら今度は独善的だと言う。
ならどう解説すればよいのか?。端からわかろうと思ってない人には
何を話しても無駄だ。最初から突っ込む事が目的だったんでしょう。
ここで俺は議論するつもりもないし、最初からアンチを肯定派に
かえようと思っていないと言う事は
>>574 で言った。
別に独善的でもかまわないだろう。ほっとけよと言う感じ。
分かってもらうつもりもないし、理解してもらいたいとも思わない。
でもいまどきピカソがどうのと言っているようじゃ笑われるよという
こと。
>591 ちょっと混乱させたみたいで悪かったね。でも、俺は581じゃないからさ。 別の人。 確かにね。ピカソは偉いと思うけど。 最近中学校の頃の美術の先生に会ってね、俺はピカソなんて眼もくれ ちゃいなかったんだけど、その先生、ピカソはやはりイイっていうんだよ。 セザンヌもブランクーシもマチスもイイけど、ピカソもイイよって。 だからちょっとね、観直してみようかなって、思ったの。感心してる人 の意見訊ければなあ、と。 たださ、レスしてくれたものに答えると、 >つまり表現が強く突き詰めたもので激しければ激しいものほど、その同 時代では理解されないんだ。ピカソの素晴らしさはまさにここにある。 同時代の人達ではなくても震えがくるほど嫌らしいおぞましさを感じさせる。 これ、質問の答えになってなくて。ピカソは理解されてないどころかさ、 評価され過ぎてるじゃん。だからどうしてだ、って訊いたんだけど。 わからないから嫌いなんじゃないよ。確かにイイと思うし、偉いと思うんだ けど、何か西欧を代表する画家になり過ぎちゃってるから、不思議だって思 うの。不当な評価を与えられてる画家なら、もっといるしさ。 >西欧美術界は模索を続けピカソを担ぎ出し、体裁を繕った。 だからこういう意見が出てくるのも、俺にはわかるんだよね。 一度、自分の鑑賞眼が置かれている状況を疑ってみてかかると、 また作品は違って見える。そんな風にピカソをもう一度観てみようかなって 思ったの。 ちょっとは参考になった。スマソ。
私は577ではありません。 初めて書き込んだ。 放っといて欲しいならなんで書き込む? 本気でそう思ってるんなら、自分のHPでも作れば良いのでは。 分かってもらうつもりもないし、理解してもらいたいとも思わない、というのは 自己欺瞞だな。ウソ。 本当はオレの言うことを聞けよと思っている。 そして理解できないお前等は愚民と優越感に浸りたいんだろうね。 何てバカなやつなんだ。。。 大体いまどきピカソがどうのと言っているようじゃ笑われるよだなんて、 あなた自分は放っといてほしいのになんで人にはおせっかい焼くんですかね。 押し付けとか傲慢さというより、自分を客観視出来ないバカだな。 ピカソは自分をとてつもなく客観視出来る人だったと思うぞ。 自分をアートの媒介物と見て、アートの可能性を実現するために自分を無にして生きたという風に考えてみれ。 あなたとは絶望的なほど異質だぞ。
594 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 16:40
正直、子供の頃から「ピカソってすごいんだぞ!」というのが 根底に植え付けられているから、素直な気持ちで見れない。 他の巨匠の作品は自分の観点で直感だったり、 今まで勉強した結果で分析できたりするんだけどなぜかピカソだけはだめ。 なんでかなあ。 デッサンとか青年期あたりの作品見てもちろん技術や描写力やセンスが すごいなあうまいなあ、と思うんだけど、、、 どこがすごいの?と疑問持つ人も「ピカソってすごいし」という先入観が邪魔して 素直に見れるべきところを「すごいらしい。でもどこがすごいのだろう」と 屈折した観点で見てしまうのかも。 あぁぁぁだめだ。言葉にできないや。(´・ω・`)
595 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/08 19:00
>592 ごめんごめん。てっきり質問した人が煽ったのかと思ってたよ。で、 冷静に考えてみる。 >評価され過ぎてるじゃん。だからどうしてだ、って訊いたんだけど。 そうかなあ?。どちらかというと評価されてないと思うよ。値段のことを いうと現在でも青の時代とキュビズム以降では明らかにキュビズムのほうが 安いよ。 >何か西欧を代表する画家になり過ぎちゃってるから、不思議だって思 >うの。不当な評価を与えられてる画家なら、もっといるしさ。 なるほど。こう言うことならわかるよ。でもそれは個人の考えの違い ではないかな?。俺が思うにピカソはアバンギャルドの旗頭、象徴として 評価されているとおもうから、まだアバンギャルド自体がまだ完全に評価 評価されていないという現状から考えてまだ評価されてないんじゃないかな? と思わずにはいられない。つまりピカソという名前に盲目な人たちばかり ではないかなと。
596 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/08 19:02
>593 ご意見ありがとう。精進します。
597 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/08 19:06
_、_ ( , ノ` ) \,; シュボッ (), |E| _、_ ( ,_ノ` )y━・~~~大人になったな、黒の騎士、、
598 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/09 16:18
>>594 前にもいいましたけど理解はできているけど共感はないんでしょうね。
で、正直いうと俺もピカソは前から唾棄すべき存在と申し上げております。
俺もへそ曲がりですから、みんなにピカソって凄いといわれると、ついそんな
ことねーよといってしまいます。まあ偉大な親父に反発する屁たれ息子と
いったところでしょうか。
正直言うと俺はピカソに芸術の在り方というか根本的な部分で芸術とは
なにかということを教えられたような気がします。それは一言でいうと
良くても悪くてもどうでも構わない。作品というのはその時点で自分が
生きている証拠というか証明であると。だからそもそも良い悪いという
のは存在しないのだということを。まあ後半はかなり脚色というか自説
が入っておりますけど、そんなことをピカソから学んだような気がします。
だから俺でも表現行為ができるし、続けることが出来るんだとおもいます。
でもあんなふうに自由になりきることはこの世では不可能なんだろうな
とおもいます。でも自分を偽りなく表現することという大切さはいまでも
表現する都度噛締めております。なかなか出来ることではないんですが。
でもね、ピカソの本心なんて誰にも分からない。 ピカソでなくとも人間はそうでしょう、他人のことは結局、分からないのです。 だから、ピカソが実際あなたが思うほど自由だったという確証はない。 すべてあなたの印象に過ぎないのです。 つまり実体ではなく、壁に映った影絵のような一種の幻影です。 その影絵を、あなたはいつまでも一心に見つめている。 楽しいから見ているんではなくて、単に囚われているんです。 そんなこと、どうだってイイではないですか。 あなたがピカソを過剰に意識するのは、もしかしてそのへんのことが関係あるのかな。 自由になれない自分というコンプレックス。 それは一種の身勝手な欲望ですよ。 悪あがきは止めたらどうでしょう。 もっと無心になれれば、自由に近付けるでしょう、どこまで近付けるかは運とか色んなことが関係しますけど。。 もちろん完璧な自由というのは、影絵です。影絵の最大のものなんでしょうね。
600 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/09 22:25
ピカソ展バイトやりましたが 土日なら5時くらいに来るのがオススメです。 6時までだからちょっとあせるかもしれないけど、 見れる程度には空いてます。 ちなみにVTRの上映は6:40まで。 ご参考までに。 でもあの混雑ぶりには参るね。 行った人、ごくろうさま。
↑ごめん VTRは5:40までです。 なにげに600ゲト☆
602 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/09 23:11
>>601 土日の朝イチはどうですか??
オープン前からかなり並んで待つ状態なのでしょうか??
603 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/10 11:11
>599 それではあなたの論拠も俺がピカソの幻想に囚われている。ピカソ自身 どうだったかわからないというんだったらあなたの言葉もすべてピカソ 自身はどうだったかわからないという点ですべて瓦解しますよ。 正直言えばピカソ自身がどうだったかというのは俺も謎です。でも 人は決してこの世の中の事物すべてを客観的に見ることなど不可能なのです。 それは自己というフィルターがあるからです。つまりあなたも私も自己 というフィルターを通して事物を見つめている限り、客観的に事物を 見ることなど不可能なのです。であるならば主観的な事物と全て割り切り 己の考えを公表することこそ必要なのではと思います。だから私は以前から 自分は信者を増やそうであるとか自分の考え方こそ正しいとは申し上げて いないし、そんなことはどうでもいいことと申し上げているのです。 しかしピカソのなかに自由を感じたということは自分のなかでは真実で あることです。またあなたの中でピカソに自由を感じないというのも これもあなたというフィルターを通した世界ではこれまた真実なので しょう。ですから否定はしませんが、あなたもピカソに自由を感じて いるものがいるという事実を認められたらいかがですか?。 人はどこまでは主観的にしか生きられないというのはこれは宿命的 ともいえるものです。つまりこの世の中の人の数だけ真実と世界が あるということなのです。その点をもう一度お考えになられてみては いかがでしょうか?。
604 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/10 18:09
ピカソ以降の美術(美術って言葉は明治以降に使われ始めた)は 確実に樹状的発達を遂げている。デュシャンもそうなんだが 彼らは美術集合の枠を広げたのだよ。もちろん理論武装を伴って。 コロンブスの卵もそうなんだが、以上の事から 「始めにやった」ということがピカソが評価される理由なのであって、 「アビニョンの娘達」以前のピカソはただの絵が上手な 画学生に過ぎないと思う。
605 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/10 19:59
ピカソの絵を生で見ると、ばばばーーーん!!っていう圧力をよく感じる。 無知な人間なので、絵を見てから「あ、これピカソだったんだ」もよくあり 先入観ではナイと思う。 しかし、その圧力が好ましいものかというと、そうでもない。 鏡の女でしたっけ、あれも結構生々しくて苦手だ。 >>黒の騎士さん ピカソの、まるでシヴァ神のような破壊と再生を評して「自由」とは言い得て妙ですね。
>>602 さん
土日は朝からけっこう並んでます。
早い人は9時前から並んでるし。
でもお待たせするぶん、ふだんより10〜15分早くオープンしますよ。
>>603 いや、私の言葉は、ピカソ自身には関係ない部分です。
瓦解などしません。
ピカソに関しては、自由自在に絵画表現を行った、やはり天才であろうと思います。
ピカソに限らず私は、画家の作品のみに目を向けるのが正しい姿勢だと考えます。
それ以外の生き方とかそんなものはほとんどどうだって良いことではないでしょうか。
むしろ純粋に作品を鑑賞するさまたげですよ。
だから、彼の内面などどうだって良いのです。
というか、作品に現われなかったものは取るにたらない面です。
あなたが、具体的なピカソの作品をあげて、かれの内面や生き方を
話題にするなら、それは別に良いと思います。でもそうではないですよね。
なにか根拠も示さず漠然とした印象論にいつまでもいつまでも留まっている。
それでは、主観的な意見というものにすら到達していませんよ。
せめて具体的な作品に即して語るべきでしょうが、
あなたのは単なるつぶやきだと、そういうことですか?
いやきっとそうなのでしょう。
そう考えれば、あなたがちょっと批判されるとすぐ怒るのも分かると言うものです。。
だって、タダのつぶやきにケチなんてつける方が悪いんですからね。
609 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/11 07:25
>>608 >画家の作品のみに目を向けるのが正しい姿勢だと考えます。
>それ以外の生き方とかそんなものはほとんどどうだって良いことではないでしょうか。
ちょっと気になりました。私個人も鑑賞の際は作品のみを見て付随情報は排除する性質ですが、
貴方の説が本当なら、展覧会で作者の年表や当時の環境などを展示するんですか?
ピカソのゲルニカだって、どうして教科書で爆撃について必ず説明しているんですか?
また、具体的に個々の作品を見た感想でないからといって、
木を見て森を見ずの例えをあげれば、
森を見る人を否定するのはどうでしょうか・・・木が主体とはいえ。
それこそ、ピカソという歴史的に有名な大作家ならば、その生き方もある意味「鑑賞」
されうると思います。
610 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/11 10:30
>608 言っちゃ悪いけど批判するための批判になっているね。 よく内容を読んでみた方がいいよ。すでに貴方に言う 反論はすべて>603でいわれているよ。 でもうひとついうと俺は貴方が言った。 >私は、画家の作品のみに目を向けるのが正しい姿勢だと考えます。 >それ以外の生き方とかそんなものはほとんどどうだって良いことではないでしょうか。 >むしろ純粋に作品を鑑賞するさまたげですよ。 これに関しては同意するもんだといっておくよ。
611 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/11 10:46
>609 そこらへんは難しい問題を含んでいると思うんだけど、俺的には >ピカソのゲルニカだって、どうして教科書で爆撃について必ず説明しているんですか? ということは客観的な判断(まああくまで自分の中だけど)の妨げに ならないとおもうんですよね。爆撃があったという事実だけでイコール 戦争の悲惨さ惨たらしさとはならないと。まあ見方を分かっている人なら の話ですが。でも一方ではそのような意味付けをしてあげないと納得 出来ない人もいるとおもうんですよ。 で、もうひとつピカソの特殊性をいうとピカソというのは現代美術と 近代美術の橋渡しであったひとでもあるので、モンドリアンなんかと 比べると寓意性が完全に排除できるかといえばそうではないんではないか ともおもうわけです。幾分ロマンを引きずっていると。だから俺は 彼は抽象絵画にはいかなかったとおもうんですよね。まあ印象派の 連中なんかと比べるとずいぶん寓意性は排除されているとは思うん ですが。またそれこそピカソがピカソたりえた部分というか魅力に なっているところではないかとおもうわけです。一見即物的な画面 から漂ってくるほのかなロマンの香りというか。それは一番即物的 であった分析的キュビズムのころでもかわりなかったとおもいます。
批判のための批判ではないです。
>>611 のレスなどは、客観的事実に即しての話なので良いな。
こういうレスなら納得ができる。
しかし例えば
>>603 の
>しかしピカソのなかに自由を感じたということは自分のなかでは真実で
あることです。またあなたの中でピカソに自由を感じないというのも
これもあなたというフィルターを通した世界ではこれまた真実なので
しょう。ですから否定はしませんが、あなたもピカソに自由を感じて
いるものがいるという事実を認められたらいかがですか?。
人はどこまでは主観的にしか生きられないというのはこれは宿命的
ともいえるものです。つまりこの世の中の人の数だけ真実と世界が
あるということなのです。その点をもう一度お考えになられてみては
いかがでしょうか?。
このあたりのことは人は結局主観に従っていきるしかないという言わずもがなの当たり前のことと、
その点私がピカソは自由でなかったとか人の主観を認めないかのように書いてるけど、
全く違う。あなた自身無意識なのかもしれないが、あまりにもピカソを
特別視する「だけ」の視点から動こうとしないからではないか。
そういう人と話をする場合、こちらにはバランス感覚が働いて、あえて反対のことを強調するよね。
それが健全な議論(あまりハイレベルではないけど)のあり方だろう。
しかし、あなたはこれだけピカソを特別視しこだわりながら、実は好きではないんだってね。
何かトラウマがあるんだろうけど、それはこういうところで何か書き散らすことによってではなく、
実際に体を動かし何かを作り結果を出すことによってしか乗り越えられないものだと言うことを、
老婆心ながら御忠告申し上げる。
613 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/11 14:24
>612 やれやれ。えらい人に絡まれちゃったなw。何度も言うようだけど 議論はすべて>603で終わっているよ。で、何度も申し上げるようだけど 俺のスタンスはすでに>603で終わっているから何も申し上げること はないよ。いくら君が>批判のための批判ではないですといっても俺は 結論出しちゃったし、いくらムキになっても君と議論をしようとは思って ないからいくら引きずっても無意味だよ。 >あなたはこれだけピカソを特別視しこだわりながら、実は好きではないんだってね。 やっぱりあなた読解力ないよ。以前のスレを見てくれ。俺は好き嫌いで 言ったらピカソは大好きだよ。なんでピカソを唾棄すべき存在といったの には理由があるから。
614 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/11 16:44
ピカソがどうとかいってるが、 ピカソ本人と10年くらい一緒に生活して、 死ぬほど話して、制作現場を見て、彼の裏の裏の裏を読み取って やっと6割くらい作品を理解できる、そんなもんだと思うな。 死んだ人間を外側からいくら語ったってどれも真実ではないのさ。
こっちもやれやれですな〜 そんなに自己完結してるんなら何でこういうとこに、、って 結局また振り出しに戻ってしまうんだよ。 それとやっぱり言葉の定義を正しくしてほしいものです。 唾棄すべきって、、なんか違うんじゃないの?w きみはルール違反してるんですよ。 上げて書くのはやめてほしいな。 自分の考えを人に聞いてほしいだけなら、やめてほしい。 そういう風にトップに明記してる板もあるし。 下げ進行で心ゆくまで語ってよ。 それがこういう場での最低限のルールだろ、黒騎士クン。
あいかわらず自己完結してるぞ。 ∧_∧ ∧_∧ (´<_` ) そうだな兄者。 ( ´_ゝ`) / ⌒i / \ | | / / ̄ ̄ ̄ ̄/ | __(__ニつ/ FMV / .| .|____ \/ / (u ⊃  ̄ ̄ ̄ ̄
>>608 井の中の蛙に、井の外から人間が語りかけてるって感じですな。w
この人(黒騎士)にマトモに議論を吹っかけても無駄でしょう。
すぐ論点を捻じ曲げて逃げるからね。
あんたががどんなにきちんと理論立てて論を展開しても、
話が自分にとって都合の悪い方向へ行きそうになると
「自分の中では終わったこと」と勝手な理由を付けて強制終了させてしまう。
これじゃ話にならないよ。
言っちゃ悪いが、こんなとこでちやほやされていい気になってる
(本人はそんなつもりは無いんだろうけど)人が、実社会の中で
どんな困難に見舞われるか想像が付くだろう。
そういった困難を本人が乗り越えて行くなかで、本人自身がおのずと
自分の問題に気付いて視野を広げていくしかないんだと思います。
だから今周りが何を言っても無駄。
話通じてないもん全然。
618 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/14 09:01
>615>617 そそ。俺偏屈者だからほおって置いていて頂戴。俺なんか相手にしても 何の役にも立たないよw。
>>606 情報ありがとうです!ホーッ!けっこう早くから並んでいたりするのですね。
>黒の騎士 ◆q6n9agln22 オマエ目立ちたガリだな(ワラ
621 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/16 20:33
今日(土曜日)午前中に上野に見に行ってきました.入り口は並んでいるほどではありませんでしたが,上野の森美術館は造りが悪くて中で全然人が流れません.デッサンが多いので人の後ろからはよく見えません.家で図録をゆっくり鑑賞します.
622 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/16 21:10
ピカソの名前に騙されて絵を見に行く奴、アホまるだし。 明らかに手抜きの駄目な絵だ。欧米の評価は、文明の退廃期特有の 価値観の混乱と捕らえたほうがいい。美術は基本的の職人技術の延長 の上に立つ奇抜なアイデアでなくては駄目だ
623 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/24 18:20
>>621 私も行ってきました。
開館時間ちょうどに行ったらもう並んでた。
中も大混雑で最悪だった。
624 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/24 18:27
学校でゲルニカ見た感想書けっていう宿題が出たんですけど どんなこと書けばいいと思います?
625 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/25 00:39
ポーラ美術館にもピカソが数枚あるよ。 ピエロのやつと、青いおばさんが子どもだいてるやつと、 なんだかよくわからないのとで数枚。 ピカソも変なの書く前は、イイ絵かいてたんだけどね〜。
626 :
tonga ◆nLqs7MgabM :02/11/25 01:31
変なのもいい絵だ
>>617 ちやほやというより、生暖かくヲチしてる人の方が多い。
628 :
シルバーナイト :02/11/28 16:50
(370〜450前後に結構参加しておりました者です)。 うーん、久々に寄ってみたのですが、黒の騎士さんへの誹謗中傷の コメントにちょっとショックですね。 是非論は別として少しでも 絵画にご興味のあられる方であれば、黒の騎士さんのコメントは とても参考になるはずですよ。 客観的な立場からコメントさせて頂けるのであれば、黒の騎士さんを 誹謗中傷されていらっしゃる方々のコメントは超えられない壁に 向かって唾を吐いているようにしか読めませんが、、、。 黒の騎士さんを擁護するつもりはないのですが、以前(370〜450)は、 「画家76才」という方もいらっしゃって、ディベートを闘わせながらも 紳士的に楽しめる会話をする方が多かった。 黒の騎士さんをなんとか したい、と思っていらっしゃる方々、私もその一人(笑)として助言いたし ますが、もっと心を緩やかにして、彼からのコメントをもっと引き出し、 自分のものして楽しみましょうよ。 ピカソ論は画一的に語るのは土台無理な話ではありますが、共通の思いを 公約数として、知らなかった部分を吸収しつつ、ディベートとして楽しもう ではないですか! ねっ、笑いながら。 さて、黒の騎士さんに質問です。 スペインの現代画家にホアキン・トレンツ・ リャドというパーソナリティーオブザイヤーを生前に受賞した写実画家が いるのですが、彼の絵についてどう思いますか? ちなみに、彼のリトグラフは ヤマガタやラッセンなどを扱う商業主義の画廊によって売買されております。 どんなコメントが来るか楽しみです。 尚、コメントはなるべく短めに 端的に要点を突いて頂ければ幸いです。
629 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/28 20:40
>シルバーナイトさま
お久しぶりです。>ホアキン・トレンツ・リャド
不勉強のため初めて知りました。
http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/llado.htm 技術的にはむちゃくちゃうまいですこの人。でも一言
であらわせといわれれば
「饒舌なゆえに本意が見えない」
ということでしょうか?。まああくまで俺の意見なので
一般的な話ではないということを指摘しておきます。
ちなみに俺の作品はこれらとはまったく正反対ですね。
630 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/28 20:55
でもひとつ付け加えるとすれば 「本当にこの人この絵を描きたくて書いてるんだろうか?。」 という気はします。饒舌なる色彩の中からまったく違った ものを感じます。それは苦くくすんだものなんですがやや弱い ながらも感じる。それがいったい何かはわからないのですが。
631 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/28 21:09
この人は数年前にエイズで死にましたよね。 初めてみた時は、嗚呼ゴヤやベラスケスを産んだ国スペインの人だなあと。 ほとんど色を使わない重々しい肖像画も描くようです それはまさにカラヴァッジョであり、ベラスケスであります つまりこの人は卓越した技量の持ち主で、技術的には不可能はないのでは。 しかし結局真の芸術家にはなれず終わりましたね それも、不運とかそう言った理由ではない。
632 :
シルバーナイト :02/11/28 21:46
黒の騎士様ならびに631の方、 コメントありがとうございます。十分に納得しました、というか お二人とも素晴らしい直感ですよね。 黒の騎士さんのいう苦く くすんだ陰というのはジャパニーズマネーだったかもしれません。 日本の画廊による発掘が早過ぎた、、、?。 しかもヤマガタや ラッセンと同列の紹介がされてしまった。 私の質問の意図は、この人のデッサン力をどう思われるかなぁー? ということだけで、その点においてお二人のコメントは十分過ぎる ものでした。 また、更に私が言いたかったのは、最近の(注目される) 画家連(全員とは言いませんが)はタッチや色、構図、手法などに指向を 凝らすのは結構なことですが、それを意識するがあまり基本的なデッサン力 の確かさが多少感じられないような気がしたからです。 以前、画家76歳さんがおっしゃっていたように全ての基礎はデッサン力に あると私も思うのですね。だからリャドなる画家に久しぶりにその片鱗を 観た気がしたのです。 これからの変貌が楽しみだっただけに彼の他界は 残念かもしれませんね。その意味では、確かに631さんのおっしゃるように 真の画家になる前に他界したのですね。 さて、ピカソ。 言わずと知れたデッサン力の高さでしたね。 彼だって 初等コース、中等コース、高等コースを経たわけですね。 そんでもって 修士課程も博士課程を終えたかと思ったら、それ以上の枠が見つからず 自由に踏み出し、その自由という枠すら超越しちゃった超自由(笑)。 楽しい会話を期待してますよ、皆さん。
633 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/29 13:45
>631 >つまりこの人は卓越した技量の持ち主で、技術的には不可能はないのでは。 >しかし結局真の芸術家にはなれず終わりましたね >それも、不運とかそう言った理由ではない。 同意です。でも本人がもしゴヤやベラスケスになることを欲したのなら それでよかったんじゃないかと思います。パトロンが王侯貴族から 企業に変わっただけですからね。それならパトロンが気に入るように 絵を描くのは当然のことですからね。
リャドって100年遅く生まれてきたサージェントみたいな画家だな 上手すぎてどこか空虚なとこがそっくりだ
超えられない壁・・・(ワラ 勝手にやってろ
自分は
>>634 の意見に同意です。
○○美術館展なんていうのに行くと必ずある、メインの展示から少し外れた場所に
ある、物凄くテクニックがあって写真みたいなんだけど表面だけな感じのする絵。
昔からそういう絵は素人受けしたんだろうね。
ハッキリ言ってそれ以上でもそれ以下でもない人だと思いますね。
長生きしても、これだけ上手ければ喰うにも困らず、このままの人だったと思いますよ。
>>632
637 :
シルバーナイト :02/11/29 19:16
なるほど、皆さんそれぞれの観方で読んでいて楽しいですね。 さて、多少チェンジオブペースが出来たところで本題のピカソ、、、 おっとその前に、ピカソやダリ、ミロ、それにリャド(笑)を 生んだ国、スペイン。 どうしてこんなに多種多彩な芸術家を 出すんでしょうね、スペインは。 国と芸術家に関して、 どなたか独自の理論をお持ちであれば聞いてみたいですね。 オランダとモンドリアン、スイスとジャコメッティなんかも 引用しつつ、、。 一般論ではなく個人偏重型独自極論も 大歓迎ですよ。 でも出きれば、あまり政治経済とか資本主義と 商業主義とかには結びつけない方法でお願いします。卑屈になり そうですから。 むしろ歴史とか風土とか文化人類学的観点から ユニークなご意見お願いします。
638 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/29 19:18
オランダはなにげに隠れた芸術大国ですよね 芸術と言うか、絵画のほうかな。 ゴッホ、フェルメールもそうですしね スイスはかなり下ってH・R・ギーガーもそうです(笑。 ジャコメッティと並べてみると、色彩重視より形体重視、原理原則を 打ち立て、厳しくそれを守る、そんな共通点を感じます。
640 :
ベラ ◆ozOtJW9BFA :02/11/30 00:27
上野の森美術館に行ってきた。 私は難聴なんで、一緒に行った人に音声ガイドを聞いてもらって説明を お願いしたのだが、その説明の下手っぷりに愕然としてしまった。 私が 「彼の絵はもっとダイナミックな感じだと思っていたけれども、 バルセロナで絵を描いていた彼の絵は線が細かく、繊細に書かれて いるね。」 というと音声ガイドを身に着けた彼は 「ね、今ユサイって言ってたんだけどユサイって何?」 と言った。 (油彩だろーゴルァ) 「線の事だけど、り・・・なんとかリズムで大きく変わったとかいってたよ」 (そんな説明で何を理解しろと?) 説明してくれた人には悪いのだが、自分が難聴で音声ガイドを聞き取れない 事をうらんだよ。 彼の絵はすばらしい。 どこがすごいのか? それはバラバラに描かれた絵に感情が感じられる所だろう。 感情を感じる事ができるのは彼の鋭い観察力からきていると思う。 若かった頃のピカソの絵をみてみよう。 筋肉の動き一つにもぬかりない。 「手を沢山デッサンしろ。手をうまくかけるかどうかで画家の裁量が図られる。」 そうピカソに教え続けた画家である父の教えの賜物ではなかったか?
641 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/30 00:36
初年時代のピカソの絵のうまさと、後のピカソは別物だよ。
642 :
ベラ ◆ozOtJW9BFA :02/11/30 00:52
鋭い観察感を持っているところは一緒だと思うよ。 ゲルニカは一体一体に感情を感じる。
643 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/30 00:54
ゲルニカは政治的なんで好かんな。
>>643 政治的でもいいじゃn。それが芸術の力になってれば。
645 :
ベラ ◆ozOtJW9BFA :02/11/30 01:09
政治的背景、それを見たピカソの感想、戦争の渦中にあった人の描写。 絵を見ると戦争の醜さ、ピカソの感情、戦争の渦中にあった人の悲痛な 叫びが聞こえてくるよう。 それは写真を超えていて素晴らしい。
646 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/30 01:50
政治的不満は政治活動でやるべき。あんな絵何枚かいても 誰の命も救えない。戦争の根底にある怒りや憎しみをメインに 表現するならわかるが題名からしてゲルニカじゃ話にならん。 偽善もいいとこ。非戦とか言ってる坂本が格好良いか? 俺的にはアレと同レベル。最低だね。ピカソも坂本も結構 好きだがゲルニカも非戦も馬鹿。マスコミや政治家に利用されてるだけ。
俺にはゲルニカの一体一体は、怒りや悲しみの記号にしか見えない むしろピカソは戦争が起これば市民一人一人の感情は豊かさなど 無くして、この人は怒りとかこの人は悲しみとかそういう単純でつまらないものに なるってことを描いてるのかと思った
648 :
ベラ ◆ozOtJW9BFA :02/11/30 12:27
私のハンドルネームはマルクシャガールが人生でもっとも愛した最愛の 妻ベラから来ているのだが・・・ 646は彼の戦争の絵も政治的不満は政治活動でやるべきだというのかね? 彼はユダヤ人であったために迫害され、ニューヨーク近代美術館に 講師として亡命する事で迫害から逃れようとした。 しかし、その亡命は彼をかえって苦しめた。 なぜなら、最愛の妻ベラが当時はじまった第二次世界大戦でなくなって しまったのだから。 ベラを失った後にかかれる女の人の色は青い。 別な人と結婚しても生涯ベラを愛し続けたマルクシャガールの気持ちが 色に表れていると思う。 戦争のない現代に生まれて、戦争の悲痛さを感じ取ることのできない 多くの人たちは646と同じ感想を持つだろうと思う。 ニュースであたり前の事のように殺人事件が報道されているから、命の尊さ を忘れてしまうと思う。 646は愛する人を失った事はないだろうか? そしてやり場のない悲しみにくれなかったか? 芸術家にとってやり場のない悲しみを向ける矛先は白いキャンバスなのだ。
649 :
シルバーナイト :02/11/30 12:55
>>646 >政治的不満は政治活動でやるべき。あんな絵何枚かいても
誰の命も救えない。
うーん、そうですねぇー。それはそうだと思います。 但し、
ピカソ自身が反戦とか命の尊さとかを「政治的に」絵を通じて
訴えようとしたのかどうか、については疑問が残りますね。
溢れ出て押さえきれない感情を作品として具現化したことは
間違いないと思いますが、その作品をアンチテーゼやプロパガンダ
として使おうなどと思いながら描いたのでしょうか????、
ましてやそれが政治的に何らかの効果や意味を持ったかどうか
なんてことは、第三者が勝手に評論するだけのことで、、、、、。
政治的な意味や効果は別のものとして、あの大作「ゲルニカ」を
正面から観た時、観る側の自律神経を狂わせてしまうほどの
絵の持つ力を体感できる、、、、、そんな絵を描いた画家が
ピカソである、ということだけで十分なのではないでしょうか。
最初からメッセージや目的を込めて描く画家と、結果的にメッセージ
や問いかけとなるような絵となる、というのには大きな相違点が
ありますし、ピカソに関して言えば、少なくとも前者ではない、と
思いますが如何でしょうか。
>>646 ゲルニカを非戦と一緒にするなよw。単純だな。
それ、ゲルニカが反戦絵画だからつまんないってこと??
あー、クサるほど聞いたねその主張。それ自体がもう解釈を限定してるんだよ。
いつまで古クサーい教授から影響されてんの?w
単純に時代を作品に表現することが悪い?
お花畑やら山やらなんかわからん人間の内面やら表現するものだけが芸術では
ないんだよ。もっと素直に観ようね。
651 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/30 16:33
ここで書くことは俺の思ったことでまるで普遍性のない意見だと しておきます。 ピカソが反戦の意識がなかったか?ですが、おそらく若干はあったんでは ないですかねえ。なぜそういうことが言えるのかといえば彼の存在自体が 具象から抽象に至る作家と言うことで一見抽象的な画面でも寓意性を 完全に排除はしてないんじゃないかと思うわけです。だから「分析的 キュビズム」の頃のような極めて即物的な画面でもきちんと「マ・ジョリ」 だの対象があったということを明記しているんだとおもいます。これが おそらくモンドリアンなんかであったとすれば「無題」みたいに対象が 分からないようにするんではないかとおもうわけです。 ピカソの芸術を俯瞰して眺めるとピカソの特殊性がみえます。即物的な 画面でありながらロマンティックであるということです。その点で 考えればあれだけストレートな題名とそれを彷彿させる内容なら反戦性 を完全に否定することは困難だと思います。しかし比較論でいえば他の エコール・ド・パリの画家などが同じモチーフで描いたらもっとストレートで 反戦性を前面に出したものとなっていたような気がするのです。まあ 彼らはおそらく無粋なこととしてそんなことに手を出したりはしなかった でしょうが。 まあそんな無粋なことをあえてやってしまうところもピカソらしいとは いえるんですが。でも其れを描いた後はすっきりしているというか、 「あの絵と俺は何も関係ない。」と飄々としていると思うんですよね。 下手すれば後年「俺もそういうときがあったのよw。」なんて言い出し そうです。 即物的でありながら同時にロマンティック。そこがピカソのピカソ たるところなんではないかと。 長文失礼しました。
652 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/30 16:35
>>647 ついでに。面白い見方ですね。
ピカソ自身「俺のことを言う限りどのような見方をしてもいいのだ。」
といってます。その見解も当然ありでしょう。
653 :
シルバーナイト :02/11/30 17:55
>>651 黒の騎士さん、
>でも其れを描いた後はすっきりしているというか、
「あの絵と俺は何も関係ない。」と飄々としていると
思うんですよね。
の部分に強く同意。
但し、画題の命名については、意識して、ではなく、
パッと思い浮かべてそれ、程度だった可能性も有り。
654 :
ベラ ◆ozOtJW9BFA :02/11/30 17:59
黒の騎士さん、こんにちは。 あなたの意見には芸術に対する冷静さを感じます。 画商の方か、或いはご自分も芸術をたしなみ、その上でご自身と 芸術家を比較されている人なのではないかと思うのですがいかが ですか。 私が芸術を語ろうとするとき、一つの言葉が常に頭の片隅にあり ます。 「精神病に冒された人はとてもすばらしい絵をかくけれど、 病から開放された時、全く才能を感じないものになってしまう。」 絵を描くきっかけは精神的な何かを求める行動なのだと思う。 優れた芸術は金銭的なものを求めるものからは生まれない。 彼も例外ではなかったと思う。 ピカソの話から少しそれるが、私はピカソの絵に高額な値段が つき、個人や団体の資産や財産といわれる事をなげかわしく思っている。 優れた芸術や技術は人類全体の財産であるべきだと思うのだ。
655 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/11/30 19:03
そういえば、学校で自分の事を天才だって言っているエロ男子が、何故 ピカソが凄いのかっていってた。 私は、思った。 ピカソは、ただ一生懸命絵に情熱があっただけの事で、何かを言いたかった だけじゃないかと・・・。
656 :
シルバーナイト :02/11/30 20:46
>>655 当たらずとも遠からず。 一応賛同ですね。
ただ、「情熱」というよりも「衝動」の方が近いかも。
しかもそれが豹変しながら、自由奔放に、是も無く非も無く。
657 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/30 23:54
>654 俺は一応自分で言うのもなんですが芸術家の端くれです。 ベラさんは芸術に対して何か深遠なもの高尚なもの素晴らしい ものと考えているようですね。でも何がしかの表現をしている ものの考えでは芸術ってそれを生み出す人にとっては毎日行う 食事や排泄行為と何も変わらないのです。 とにかくしなければ!という感じなんですよ。およそそこに 理屈や哲学なんてものはないんです。芸術をしなければいられない という感じです。だからその表現行為はよりいっそう自分が今現在 生きているという実感がするし、生きる手ごたえを感じているのです。 つまり芸術家は普通の人たちがパチンコに行くように、芸術をするの です。だから当然その作品に良い、悪いなんて存在しないし極端な 話、作品というのは表現をした残りかすみたいなものであるといえ ます。
658 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/11/30 23:54
だから本当は作品さえもなければよいと思います。大切なのは今 生きているという実感を表現する行為で、終わってしまえばどうでも いいという感じがします。作品なんてなければいいとおもう。でも それが無いと芸術というもので飯を食えませんからね。 おそらくピカソもそんな感じだったんではないかなとおもいます。 毎日飯を食うように表現する。それが芸術ではないかと考えます。 それから芸術品は唾棄されてこそ本当です。優れた芸術や技術は人類全体 の財産であるべきというご意見をもたれているようですが、そのような 作品はすでに芸術として命を全うしたものだとおもいます。破られ踏み にじられてこそ芸術です。
659 :
シルバーナイト :02/12/01 00:51
>>658 、黒の騎士さんへ、
花は散るから美しい、、、、と日本では言い、Art is temporalと言った
アメリカのモダンアーティストがいましたね。原則論はそうですよね。
>だから本当は作品さえもなければよいと思います。
>それから芸術品は唾棄されてこそ本当です。
確かに貴方の言うことはある意味、真実であるかもしれません。
しかし、その排泄物が化石としてでも残っていてくれないと
芸術が進化しないのも事実、路傍の芸術家たちの排泄物をしゃがみ込んで
ルーペで覗き込みながら棒でつついて、あーでもない、こーでもないと
調べ上げようとしているのが美術評論家たちなのです。 しかし、それも
必要かもね。 なぜなら時代時代の芸術家たちは過去から現在までの芸術を
否定し形骸化させることによって初めて新しい展開への道を切り開いていく
運命を辿るわけですからね。 ものも無ければ評論も無い、何にも残らな
ければ否定するものすらない。これでは芸術家魂には火が点かないでしょう。
少なくとも99%の芸術家たちは。 やはり芸術とは自己の精神の表現行為
である一方、あくまでも相対的な存在でもあると思いますからね。
ですから絵画に限らず美術品というものは、たとえ作品そのものが主体的な命を
全うしたとしても、否定され、踏み台となり礎となるためにも、次世代に残されて
いくべき存在だと私は思いますね。 特に時代時代のオリジナル性が高いものは。
模倣品や精神性が反映されていないもの、あるいは稚拙な精神性しか反映されて
いないものは、どうなっても構いませんが。
660 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/01 03:07
>それから芸術品は唾棄されてこそ本当です。優れた芸術や技術は人類全体 の財産であるべきというご意見をもたれているようですが、そのような 作品はすでに芸術として命を全うしたものだとおもいます。破られ踏み にじられてこそ芸術です。 そうは思いません。 優れた芸術作品には、永遠の命があると思います。 この意見は、受け手の存在を無視しているように読めます。 確かに、作り手にとっては絵が自分の手を離れてしまえば無意味なものとなると いうのも、まあ分かります。お金のことを除けばね。 しかし、作り手にとっても過去の作品が残らなければ、恥も無くなり、磨かれもしなくなるのです。 残るのは、はかない花火のような「思い」だけではないのですか? 卑しくも芸術家なら、、思いを定着出来てこそその名に値するのです。 容赦ない他者の視線に時に傷付き、時に喜びを弾けさせ、そういう事なしには 芸術家は成長もしませんよね。
661 :
ベラ ◆ozOtJW9BFA :02/12/01 11:30
黒の騎士さんの芸術観を聞いて非常に残念です。 私は芸術では食べていけないと、プログラマーを兼任している 画家ですが、芸術は自分を支えてくれる精神だと思っています。 思いのたけを絵にぶつけて、そしてそれを見てくれる人が 少しでも何かを感じ取ってくれればそれだけでいいのです。 後で自分の絵をみてその時の気持ちに浸る事もまたよいと思って ます。
662 :
ダリ?ダレ? :02/12/01 12:05
15、16歳頃のデッサンを見るにつけ、天才とは こういう人だと思う。 キュウーブにまで大胆にデフォルメする才覚は 並みの人間ではない。 好きか嫌いかは別。要はどうでもよい。 明日から「私は画家だ」と言えば「画家」だ。 ピカソは別の意味で画家だろう。
663 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/12/01 17:44
>659 >ものも無ければ評論も無い、何にも残らな >ければ否定するものすらない。 芸術のいのちとははかないものです。芸術を残したいと思った時点で それは芸術ではなくなるのです。 日本のネオダダの一人に篠原ウシオ(ごめんなさい。漢字を失念しました) という人が居ます。この人は読売アンデパンダンに出品したとき会期が 終わった時は作品を全て処分したそうです。俺は衝撃を受けました。作品 を残す事でさえ、彼にとってはどうでもいいことであったらしいのです。 芸術とは作品を残すことではなくてその瞬間の生き様なんだと言われた ような気がしました。 評論なんか出ないほどあれ?と思うもの。人がアレは芸術らしいよと 言わないうちに通り過ぎるものこそ生々しく芸術であるような気がします。 おそらくピカソも書くまでは異様な集中力があったと思いますが、それ 以降はあっけないほど作品に対して執着が無かったのではとおもいます。 でなければ以前書いたものにドロはねをしている状況なんて考えられま せん。そのこだわりの無さに岡本太郎は悔しいといっているのです。 自由だといっているのです。 作品はあっても構わないとおもいますが芸術家にとって執着すべきもの ではないと思います。
664 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/12/01 18:01
>661 >思いのたけを絵にぶつけて、そしてそれを見てくれる人が >少しでも何かを感じ取ってくれればそれだけでいいのです。 それは作品が無くても出来ることだと思いますよ。例えばパフォー マンスの類をやっても何かを感じてはくれますし、場合によっては 間接的でなく直接的に観客に対して思いのたけをアピールすることが 出来ます。表現とはなにか物を残さなければいけないのですか?。 物を残すことが表現であるならばパフォーマンスの類は何になるの ですか?。要は物を残すか残さないかではなく、観客にどのように 伝えるかなのではないでしょうか。 とはいいつつも俺も物は残します。でも慎重に出来るだけ思わせぶり な要素は排除しています。でないとそれを見た人が「どうもアレは 芸術らしいよ。」などと言われ始め、「なんだなんだ!!。そうか!! アレは芸術だったんだ!!。なーんだびっくりさせやがって・・・。」 なんていわれます。で、下手すれば綺麗な額に飾り付けられ「最初は なんだかなあと思ったけどこうしてみれば、なかなかどうして・・・。」 なんて戯けた事をいわれます。それが我慢ならないのです。 芸術とは生き様です。それが額で飾られ応接部屋などに飾られ 訳知り顔のオヤジになぶりものにされるなんておぞましいです。 俺はいつまでも観客にとってじっとしていられない不安を与え 続けるものでありたいです。 で、あるからこそ美しいと申しておきましょう。
絵はうんこ 悪いうんこ 良いうんこ ぽっくり逝くまで良いうんこを出したいね
666 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/01 18:25
前からうっすら思ってたんですが、、、 黒い騎士さんって、絵より舞台芸術とかそっちの方が適性あるんじゃないのかなあ。 篠原有司男とかのハプニング全盛の時代は、両者が一番幸せな形で 接近したのかもしれないね。
>芸術とは生き様です。それが額で飾られ応接部屋などに飾られ 訳知り顔のオヤジになぶりものにされるなんておぞましいです。 黒い騎士さん、、、意外と被害者意識強い?? ゴメンなさい。 でもオヤジなんかに分かるわけないんです、普通の日本のお偉いオヤジにはね。 だからこんなこと杞憂ですよ。 もっと良いイメージを描けないんですか? 例えば若くても年取っててもいいんですが、精神が若々しい人の部屋になら、 自分は飾られたいですね。貧乏か大金持ちか、そんなことも関係なし。 >俺はいつまでも観客にとってじっとしていられない不安を与え 続けるものでありたいです。 で、あるからこそ美しいと申しておきましょう。 これも同意なんです。でも何かひっかかる、、、。 多分それは、黒い騎士さんが、不安を与えようと意気込んでいらっしゃるように読めるから。 それもそんな風に意識してはかえってダメなものなんです、そう思う。 もしその人に本当にその素質があって表現するなら、例え一見どんなに明るい 絵であろうとも、どうしても滲み出てきてしまうのです。 それこそが本物で、押し付けがましさも感じられないはずです。 黒い騎士さんは、申し上げにくいですが、ややそのあたり不自然さを感じてしまうのです。
668 :
◆Ho.M3UgAgc :02/12/01 19:26
=660=666=667 申し遅れましたがトリップつけました。 よろしく御願いします。
あ、初めてなんでヘンになった(笑 もう一度! 今度は上手くいきますように、、
670 :
シルバーナイト :02/12/01 20:37
>>664 ,黒の騎士さん、
まあ、貴兄の発言が少なからず対峙者を挑発し、そこまで思っても
いないのに確信犯的に極論を投掛けていることは百も承知の上で、
私も議論を投げかけてみましょう。
>芸術とは生き様です。それが額で飾られ応接部屋などに飾られ
訳知り顔のオヤジになぶりものにされるなんておぞましいです。
俺はいつまでも観客にとってじっとしていられない不安を与え
続けるものでありたいです。で、あるからこそ美しいと申して
おきましょう。
このような拘りやポリシーじみた思考はピカソには無かったでしょうね。
作品が残ろうが葬り去られようが、好きなようにして!という感じだった
でしょうね。 ましてや作品に対し大枚をはたいて買い上げてくれる
親父がいたとしたら、それはそれでOKなわけで、そのお金で恋人と
晩餐でも楽しんだのかもしれませんし、絵具を買ったかもしれない。
要は押さえ切れない「描く」という行為を継続させる為に、それ以外の
ものに対しては余計な価値を付加しなかった、無頓着だったのでは
ないだろうか。 ましてや作品が消されるべきか、残されるべきか、
などということには全く興味を持っていなかったのではないだろうか。
貴兄はこのスレとの出会いによってご自身の思考がいかにピカソと
乖離しているのかを気付き始めているのではないでしょうか。
益々のご健闘をお祈りします。
>>666 、
>黒い騎士さんって、絵より舞台芸術とかそっちの方が
適性あるんじゃないのかなあ。
うーん、鋭いかもしれない。
671 :
a.k.a.UCCELLO ◆Ho.M3UgAgc :02/12/01 21:04
>>670 シルバーナイトさんこんにちは、初めまして!
そうそう、そうなんですよ。
ぼくも
>>667 でああ書いたけど、自分自身は実は、ホントに誰が買ってくれてもいい。
気に入ってくれたんならそれでいい。
お偉いさん大歓迎だし(笑!
貧乏でも金持ちでも何でも良くて、意味があるのはただ一点、
僕の作品を好きになってくれたというその事実だけです。
672 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/01 23:44
今上野でやってる若い頃展、みんなえらくデッサン力を誉めるね。 素人目にはそんなに凄く見えるんかね。そりゃ確かに上手いけど 技術ばっか誉める人を見ると何か違うな〜っと思っちゃうよ。 上手さだけならせいぜい上の中だ。それだけでトッププロになれる レベルじゃない。ピカソの凄さはあのパワー感だろ。それが ぶわーっと暴走してる凄い絵は「わからない」とか言うんだよな。 解る解らないって何?って感じ。何も感じないならハッキリ つまんねーって言えばいいじゃんと思う。巨匠だって駄作は いくらでもあるし結局は好み以外に判断基準なんて無い。
673 :
シルバーナイト :02/12/01 23:46
>>671 a.k.a.UCCELLO様、
うーん、同意は嬉しいのですが、私の言いたかったこととは
ちょっと違うのです。 気を悪くなさらないで聞いて頂きたいのですが、
私は「絵描き」としての在り方は黒の騎士さんの意見に100%賛成ですし、
自分の書いた絵を誰かが気に入って(即ち認めて)くれれば良い、という
考え方は絵描きではない、と思うのですね。 なぜなら、それがいつしか
潜在意識に影響を及ぼし「湧き出る衝動による絵」ではなく「誰かが認めて
くれるような絵」を描いてしまうことになるのですよ。そうなるとクリエーター
ではなくプロデューサーになっちゃう。
私が言いたかったことは、単に黒の騎士さんが芸術家としての肯定している
ピカソの思考とと黒の騎士さんのそれとは、拘り、という点において、
かなりの乖離を見るのではないか、ということなのですよ。 ピカソは
彼の絵を誰かが好きになってくれたらいいな、とか認めてくれたらいいな、
とかは決して思っていなかったはずです。 描き終わった瞬間にその絵
は過去の遺物となり、絵そのものの目的は達成されていた、と思います。
その絵を誰が観ようが、評価しようが、捨てられようがピカソ自身は
お構いなし、「お好きにどうぞ」ってところじゃないかな。 ただ、私と
しては、ピカソがどう思おうと、排泄物であったとしても、それを否定し、
駆逐し、破壊し、礎とするであろう次世代の画家たちの踏み台としての
役割はあるのではないか、ということです。 その意味で残す価値がある
ものは残すべきだ、ということです。
a.k.a.UCCELLO様、ゴメンなさいね、ちょっと否定しちゃって。でも本意は
伝えとかなきゃね。 異論、反論、お願いします。
674 :
シルバーナイト :02/12/01 23:49
>>672 そのデッサンからは温度や臭いは伝わりましたか?
次回の機会には気を付けて観てみてください。
675 :
a.k.a.UCCELLO ??Ho.M3UgAgc :02/12/02 01:40
>シルバーナイト様 そうでしたか。 では僕ももう少し補足してみます。 エル・グレコしかり、ヴェラスケスしかり、 昔の画家はほとんど貴族のお抱えだったので、注文を承けて描いていたと思われます。 彼等は「湧き出る衝動による絵」だけを描いたでしょうか? エルグレコの沸き立つような絵はいかにも衝動的に描いたように見えますが、 練られた構図といい一貫した筆致といい、冷静に「自分の絵」を見ていたと思います。 またヴェラスケスの描く肖像画は、おそらく多少の美化をしていたかもしれませんが、 そこに小賢しさやおもねりがあるでしょうか。 彼等の作品は王侯貴族の依頼を承けて描いたものですが、作品は純粋に素晴らしい人間の真実の 姿を表現していると思います。 一方ゴヤなどは、あまりに冷徹な肖像画を描いたので貴族達に嫌われても、 自分の心に従って、醜い顔つきの女王などを描き続けました。 ベラスケスとゴヤとエル・グレコ三者3様です。優劣が付けられるでしょうか。 誰かに認められたいと考える時、問題なのはその気持ちと、イヤ自分は誰が見ようともこう表現したいのだ、という 意志とのバランスというか、、上手く言えないんですが、僕は言いなりになるなんてあり得ないし、 衝動だけで描きあげることも同じくらいあり得ないのです、僕は。 そんな単純なものではないという実感があるのです。 生意気いってゴメンなさい。でもそう言うしかない。 続きます。
676 :
a.k.a.UCCELLO ◆Ho.M3UgAgc :02/12/02 01:42
続き 僕は誰かに認められたいと思うのは、人間ならごく自然に抱く思いだと思っています。 内面から湧き出る衝動のみで他者をも納得させる素晴らしいものができる人もいます。 ここで肝心なのは、その状態をずっと続けられる、ということです。 たまたま一作出来た、というようなのは除かなければなりません。 自己のうちに何かのナビゲーターがある(意識下にです)。 そういう人を天才というのですよね。天才とは、自己のうちに同時に他者を住まわせることので来ている人 と言えるかもしれません。 衝動的に表現しつつ、ひとりよがりに陥ってしまわないとは、口でいうほど簡単ではないはずです。 僕は残念だけど天才ではないようなので(笑)、 行き詰まったり、右往左往したり、自分を見失いそうになったりいろいろです。 でもいつも、最後に信じるのは自分の心に耳をすまして聞こえてきた自分のことばです。 続きます。
677 :
a.k.a.UCCELLO ◆Ho.M3UgAgc :02/12/02 01:43
続き@2 「誠実に描こう」と本心から思った時、単純に誰かが認めてくれるような絵など描けるはずもないのです。 それは自分と、そして本物の芸術に対する裏切りに過ぎません。 僕は、少しずつ自分の理想と思う世界に近付いてきました。 天才ピカソの心の中など、分かるはずもありません。 僕は僕、世界に唯一の存在として、これからも表現し続けるだけです。 ちょっとカッコ良すぎかな(w。 少しといいつつ随分長くなっていますが、もう少し。 だから、さっき僕の作品を好きになってくれればそれでいいと書いたけど、 僕はもともと他人におもねって描いたものなどないので、気に入ってくれた=僕(の一部かもしれないけど)を 理解してくれた。というふうに感じるからです。僕(というか誰でも)には色んな面があるのだから。 ただまあ、自分で自分の作品を見て、これの方がこっちよりこれから深めたい方向の 絵だなというのと、そうでなく自分の中では終わったものとはあります。 終わった方を気に入られると痛し痒しですね。 こういう時には雑念が入り込みやすいので充分気を付けます。 つまり、シルバーナイトさんの仰る『「誰かが認めてくれるような絵」を描いてしまう』危険性です。 そういうところに安住することは停滞=死を意味しますよね?表現者としての。 僕はまだまだ生きますから、好きになってくれたことには喜びを感じつつも、 目先のことに囚われないよう気を付けています。 心の目線は常に自分自身の内面の、より高い方へ、、そう信じ続けられれば、 小さなことには一喜一憂しなくなるはずですよね。 なかなかそこまで到達できませんが。 日々自分との対峙です(笑。 長くなって失礼しました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
679 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/02 02:08
いまさらピカソを語るのもどうかと思うが。 いまだに語られるピカソもスゴイと言える。
680 :
シルバーナイト :02/12/02 12:13
>>675 ,676,677, a.k.a.UCCELLO様
貴殿の芸術に対する真摯な態度が良く分りました。諒解です。
>誰かに認められたいと思うのは、人間ならごく自然に抱く思いだと思っています。
確かにその通りですよね。ましてや、この資本主義経済の元、芸術家と言えども
霞を食って生きてはいけないわけですから、売らなければ、あるいは売れなければ
ダメ、という論理もあってしかるべきです。副業では出来ないですからね、絵は。
681 :
シルバーナイト :02/12/02 12:28
a.k.a.UCCELLO様、 実は私の父親が「絵描き」です、というか、でした。 オブストラクトです。 彼も戦前の画家志望者の多くがそうであったように映画看板屋をしながら 巴里を夢みて絵を描いていたわけです。若くして抽象に入り、入選を繰り返し ましたが、精神を具現化しなければならない破壊と創造の繰り返しに精神的、 体力的な限界に至り、突然絵筆を取るのを放棄しました。 幸運にもその後、 事業で成功を納めましたが、ピカソの絵を前にしてポロポロと涙を流す彼を観て、 絵描きという職業は精神を削りながらやる普通の精神状態では描けないもの なんだなぁー、とよく思っていたものです。 その後も多くの方から美術評論や絵画教室の依頼がきていたようですが、一切 出来ないと断っていたようです。 もちろん絵筆を触ろうともしませんでした。 分野が分野だったからかもしれませんが、彼の中の絵描きは日常とは全く 相反する次元にあるべき職業だったようです。 ピカソを「豹変する自由だね」 と表現してサワリを説明してくれたことがありました。 岡本太郎やモンドリアン を好きだったようです。 私にとって絵とは感情そのものであり、観賞する対象というよりは画家が 創造するプロセスそのものであり、それ以降は黒の騎士さんのいう通りの ような気がします。 でも、もったいないから、いい絵は残して欲しい(笑)。
ここの板にしては珍しくレスが伸びていますね。
>>666 正直に告白致します。自分は画家ではありません。絵も描きますが
パフォーマンスもやるし、楽器も演奏もします。俺にとって演奏する事も
絵を描くこともたいした違いはないのです。何故か自分の身の回りでは
楽器を演奏する人たちは作曲などで物を残したがりますし、また純粋に
絵を描く人たちは演奏などで観客と直接触れ合いたがります。だから
俺にとってはここら辺のことはむしろどうでもいい事と考えております。
>>667 >不安を与えようと意気込んでいらっしゃるように読めるから。
実際はそうありたいと願うだけで製作の段階ではそのようなことは
考えておりません。むしろひたすら無心に線を引くだけです。
ただ偉大と言われる芸術は何時いかなる時も人々に不安を与える
ものであったという事実がありますから自分もそうありたいと常日頃
考えていると言うわけです。
>>670 >貴兄はこのスレとの出会いによってご自身の思考がいかにピカソと
>乖離しているのかを気付き始めているのではないでしょうか。
むしろ当然の事です。ピカソだって最初から完全なる自由を手に入れた
わけではありません。青の時代や初期キュビズムの頃は認めてもらえない
葛藤や自分の中で拘っている部分、独断と偏見に満ちた部分はあったと
思います。恐らく俺以上に、です。人に聞いた話ですが仏教の中の考え方
に「欲の船に乗り悟りの境地へと到る」と言う考え方があるそうです。
つまり本当に悟ろうと思った時、何もない状態では悟る事が出来ない。
比較のない状態では真実が見えないと言う事らしいです。であるなら、
俺も今の段階ではまだピカソの境地へ到る事など経済的にも知名的にも
到底無理といえましょう。偉大なる父親に反抗するへタレ息子と言った
ところです。ピカソの境地に到るにはまだまだピカソを否定し尽くさ
なければなりません。それには拘りや阿りといったものは必要不可欠と
考えます。
>>677 >僕は僕、世界に唯一の存在として、これからも表現し続けるだけです
それに関しては認めてもらおうとなかろうと同じ考えです。認めて
もらえてうれしくない筈はありません。抱きしめてキスの雨を降らせたい
ぐらいうれしいに決まってます。でもそれとこれとは別な気がします。
なぜならいい絵を描くことと人に認めてもらうとは別の事だからです。
逆にもし作品を人に見せる場合、自分が納得できないようなものだったら
ほめられても、人に作品が買われようとちっともうれしくありません。
というより売りませんけど。そんなものは。
正直売れてほしいとはおもいます。それで少しは牛丼におしんこや
卵を悩まず付けられるような身分になりたいです。でもそれとこれとは
別です。
続きます・・・。
685 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :02/12/03 13:26
続けられませんでしたw。以上です。
test
あのフェラ落描きは美術館に掛けておいて良いものなのでしょうか? あんなものはartではない カタルーニャ人の考えてることは全く分からん
688 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/06 21:02
今、シドニーに住んでるんだが、こないだ晩年のピカソ展みてきました。 自画像あったんだが、あれって・・?
>>687 みんな神妙な顔して見てるんだもん、笑っちゃうよ
690 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/06 22:27
薫2もあるねハアハア
691 :
わたしはダリ?名無しさん? :02/12/07 18:53
>>687 個人的にはあれはあんな所に飾られるべきモノではないよ。
「作品」とすら呼べないものがたんまりとあったからな、今回は。
(^^)
694 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/19 00:38
フェラ落書きage
695 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/19 01:21
クンニage
696 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/20 19:40
たしかパイプと少年って絵があったけど、それがかなりだいぶ非常に好きですね。
697 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/21 00:37
こんなに物事などが細分化された世の中で、 次に「新しい」とされる絵画ってどんなだろう? 今そういう評価されてる画家さんって誰かいますか?
698 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/21 23:28
この前ナマで見てきたけど、 14歳?のピカソが書いた教会?の絵は相当なもんだと思う 天才の中の天才しか書けない様な感じ 後期の絵は普通の人には理解できないだろうなー
699 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/22 03:26
以前読んだ本で、ピカソの解説で納得したのですが、 ひとつの絵にひとつの視点 この法則をやぶって、ひとつの絵にいくつもの視点を描き込んだ。 だから目や鼻がいくつもある絵になった。 それは、アインシュタインの相対性理論と同じ根底だ。 というのにちょっと納得。既出だったらゴメソ
700 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/22 11:15
700げと
>699 なんか大川某も似たような事言ってましたね。ご自身がピカソ になられて。 でもピカソ自身に聞いたことが無いから何ともいえませんが あんまりそこのところは考えてなかったんじゃないでしょうかね?。 ただ面白いからいくつか書いたと。ひとつの絵にいくつもの視点を 描き込むというのは全然考えてなかったとは思いませんが、でも 単なる筆のふるえでしかなかったように自分には思われます。 ましてやアインシュタインの相対性理論なんてことは全然考えて なかったと思いますよ。その本はなんて本ですか?。 まあでもそういう見方があってもいいとはおもいますけどね。 やっぱりどうしても皆理屈をつけたがるなー。俺的にはこんな感じで 解釈しています。 続く
人間がある人の評価をするときというのは断片的な情報を総合的に
判断して評価するということなんですね。つまりあの絵を実は全体
的な情報だけでみているのではなくて目をみたり、手をみたり、
髪をみたり、乳房を見たりしている。つまり部分を凝視してみると
これはけっこうまともに書かれているということがわかります。
それでその各部分のイメージからこのドラ・マールと言う人の印象が
出来あがります。それならピカソがイメージした印象と観客がほぼ
同じイメージを抱くことが出きるのなら何も写実的に描かなくても
いいはずです。結果的には同じですから。だったら思いっきりメチャ
クチャに構図を分解して各部分からくる印象と全体的なイメージに
ギャップがあった方がおもしろくありませんか?。なんだかピカソの
悪戯っぽい笑顔が見て取れるようです。まるで観客が「なんなんだ!
これは?!。」といってるのをニヤニヤ見ているようです。
まああくまでこれは僕の考え方です。そんな考え方は不純だ
という人がいてもおかしくないでしょう。まあ参考までに。
その結果は
>>119 にかかれています。
>>117 さんの問いから受けてのレス
118 :わたしはダリ?名無しさん? :2001/06/18(月) 22:14
>特に『ドラ・マールの肖像』という作品には
>色気と幸福と陶酔が燦然と輝いているような気がして好きだ。
>だが、この絵の素晴らしさを論理立てて言葉で表わすすべを知らない。
んー難しい要望ですねー。まあ僕なりに頑張って書いてみます。
確かに『ドラ・マールの肖像』という絵は117さんのおっしゃるように
素晴らしい絵ですね。僕も好きな絵です。でもこの絵でおもしろい事実が
わかります。それは117さんのおっしゃることと同じなんですが
1、女性だということがわかる。それも美しい女性
2、非常に聡明でなおかつ魅力的。セクシーなイメージ
3、非常に都会的で洗練された感じ
まあこの中には僕の思いこみ、印象がはいっているので
皆さんが全く同じ感想を抱くとは思えないんですが
(でも117さんは多分同じような人物イメージをもっている
ように思われる)でもそれって凄く面白いことだと思いませんか?。
なぜなら『ドラ・マールの肖像』に出てくるような人間は現実には
いないのに(いたら化け物)なぜかあの奇怪な画面を見て
「凄く魅力的な女性だな。」と思えることなんです。これは
なぜなんでしょうか?。ドラ・マールという人に対して
なにか予備知識があるわけでもない。ましてや知り合いでも
ない。それなのにドラ・マールという人に対していいイメー
ジを抱く。
704 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :03/01/23 10:51
ごめんなさい。>702と>703が逆になってしまった。 恐らくこんなこともピカソはどうでもいいことではないか とはおもうのですが、もし俺がピカソになって自分の絵を 説明しなければいけない状況になったらこんな感じで言うと おもいます。
705 :
世直し一揆 :03/01/28 15:58
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され るな!) ●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い) ●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心) ●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に はたいてい、内面的・実質的に負けている) ●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK) ●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本 の常識は世界の非常識) ●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者に弱く 、弱い者には強い) ●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす) ●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗) ●一人では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ) ●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量) ●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険) ●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい) ●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「世間体命」、「〜みたい 」とよく言う) ●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度 も言ってキモイ) ●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は 個性・アク強い) ●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う) ●自ら好んでストイックな生活をし、ストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬 する(不合理な馬鹿) ●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ) ●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷) ●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男 前やのに、なんでや!(あいつの足を引っ張ってやる!!)」)
あのさ、芸術新潮におんなじようなタイトルで特集してたよね。 まずそれ読んでよ。それとちょっくら金いるけど スペイン旅行してプラド美術舘別館にいってよ (いまもあったっけ?)それからピカソ美術館にいってくれ ついでに画集(ちゃんとしたやつ)2・3冊と回顧展(どっかの国でやってないか?) みたらわかるよ、あのおっさんがいかに、もの凄いか。 ただ>黒騎士さん同意なんですが、かのおっさんは同時に同時代のあらゆるものの 影響はうけてるね。多視点と言う意味ではセザンヌなんかの影響もあるし プリミティブなもの、日本美術そういったものの消化したものが彼の絵画じゃなかろうか 単なる破壊者じゃなくね。ただ、あなたのいうような「なんだかピカソの 悪戯っぽい笑顔が見て取れるようです。まるで観客が「なんなんだ! これは?!。」といってるのをニヤニヤ見ているようです。」はスペインの ピカソ美術館に子供のころの教科書の作者の写真の落書きからも見て取れますネ 最後まで絵描きであり大きな子供であったのではないでしょうか。あの背の低い 眼光がするどい男は
708 :
シルバーナイト :03/01/29 18:33
結果的にではありますが、時間を絵に描き込んでしまった、ということも 聞いたことありますよね。 目を描いて次に鼻を描こうと思ったらモデルが よそを見ていたのでそのまま描いちゃったとか、幾つも描いちゃったとか。 視点を変えたというよりもモデルが動いちゃったと考える方が納得しやすい ですよね。その意味では多視点とも時差ともとれますね。いづれも正解、 いづれも誤解、、、、深読み。 いづれにしても黒の騎士さんがおっしゃるように、ピカソが最初から意図 してやったとは思えず、敢えて言うなら「思わずやっちゃった」とか「試し に悪戯で」という程度のところからが発端となり、後日確信犯になって いったのではないかと私も思いますね。 後の美術評論は評論家のマスター べーションでいろいろな観方があって大いに結構ですよ。
お前ら全員コテハンの趣味悪すぎ
710 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/01/29 23:01
観察でもなく、分析でもなく、感覚でもなく、直観だろう。 純粋に精神的な理念が、何故芸術作品として具象化 され得るのかという理由は、直観を通して体験するしかない。
>711同意。このスレッドのみんな あのスペイン人のおっさんに笑われてるよw 議論するより絵描くほうが面白いのにねw
オレ最近、ピカソのゲルニカを壁に描いたよ。 バスキアよろしくグラフィティだけどね。 黄色と青の平和色でみんなでサッカーしてる絵にパロってんだけど、 仲間10人くらいと夜3:00ぐらいに集まって楽しかったなぁ・・・
716 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/24 06:12
自分「3人の音楽士」好きです。 何故か身ってしまい、部屋にもポスター飾ってあります。 音が感じられて、これだけで、最低10曲は出来そう。 作ってきます。
717 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/25 12:03
718 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/26 07:35
>716 何故か身ってしまい 何だこりゃ。
719 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/26 13:17
数年前のピカソ展で晩年のピカソの写真のハガキ(作品ではなく本人が写っているモノ) を買ったのですが引越で無くしてしまいました。 もう一度手に入れたいのですが、東京だとどこで入手できるでしょうか? ご存知の方、ぜひ教えて下さい。お願いします。
真っ白と黒のゲルニカにたくさん色みたいから
721 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/29 01:34
>>673 美術史を勉強したことが無いのか?
ピカソはセルフプロデュースの達人だよ。
毎日のように社交界に出ていたんだよ
723 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/29 16:14
ではセルフプロデュースの達人が社交界に毎日のように出て、あのような 絵を描くようになったのか関連性を簡潔に述べよ。
社交界に出たからあのような絵を描くようになったわけじゃないだろ
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[email protected] グローバル探偵事務局
726 :
ikhjig :03/03/29 17:32
727 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/29 17:33
>ピカソは >彼の絵を誰かが好きになってくれたらいいな、とか認めてくれたらいいな、 >とかは決して思っていなかったはずです。 描き終わった瞬間にその絵 >は過去の遺物となり、絵そのものの目的は達成されていた、と思います。 >その絵を誰が観ようが、評価しようが、捨てられようがピカソ自身は >お構いなし、「お好きにどうぞ」ってところじゃないかな。 これがあまりにも適当な主観だからピカソは強烈に他人に認められようとしていたと言ったんだよ。 大体、売れない時期に画廊に足繁く通い、「ピカソって画家しりませんか?」って吹聴し、自演していたのは 周知の事実。 >723はいとも的外れ
728 :
ななしさんですが・・・ ◆CAlNi6B3g. :03/03/29 17:53
729 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/29 17:56
セルフプロデュースというのは知らなかったけど、 数年前のピカソ展では激しく感動した。
730 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/29 18:00
ピカソでいい絵はゲルニカだけだ。
731 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/29 18:12
そうか? 私がみにいったときはゲルニカが最後に展示してあって、 そこへ至るまでの展示物で感動しまくり、 ゲルニカはデザートみたな感じだった。
732 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/30 04:22
>731 なにで感動したのか、詳細に書いてくれ。 キュブズムなのか、古典回帰なのか。私はピカソはゲルニカ以外みとめられないのだよ
733 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/30 06:30
また4月1日から さいたまでピカソ展やるみたいだねぇ
734 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/30 12:28
>732 そういう分類とは無関係に感動したんだよ。 今なら美術史もちょっとかじってるから、 そんな分類を気にしながら絵を鑑賞するかもしれないけど。 美術史の知識がゼロだったあの頃に戻りたい。
735 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/30 13:36
>734 ピカソのどんな絵で感動したの?って聞いたんですYO
736 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/30 14:54
>735 だから分類とか、特にこの絵って感動じゃなかったんだけど。 印象に残っているのは数々のデッサン。
737 :
出会いNO1 :03/03/30 14:58
738 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/03/30 15:00
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743 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/04/21 11:17
わかんないとこがすごいらしい
抽象画はいろんな経験の集大成ですから、ピカソの歴史に興味がない人には 価値がないかも知れません。絵としての価値のない、つまり装飾品にならな いドアホウな絵をすごいと素直に喜ぶ人はいないでしょう。ですが描く人の 歴史がつまっており、描き手にとっては自分の抽象画(自分が発明したオリ ジナルのデザインで、この世には二つとない)ほど価値のある物はないのです。 他人でも分からないことはないんですが、要は単なるデザインですから装飾品 としては・・・???でしょう。
747 :
動画直リン :03/04/28 13:11
748 :
,,,,,,,,,,, :03/04/28 14:19
>>1 ピカソは凄くないです。
ひえろにむす・ぼす のほうが凄いです。
750 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/05/06 23:39
>>749 ピカソを凄くないといえるアナタが凄い。
比べてどうすんじゃい。しっかりせーよぉ。
すごいと言われてるからすごいんであって すごいと言われてなければすごくないんです。
753 :
一言主の命 :03/05/07 02:41
おそらく平山郁夫さんは正直、ピカソの絵は本音では気にいっておられないと思いますよ。 あれがホンとにいいという人は少ないでしょう、特に日本人にはね。 箱根の森で見たんだが、あの線は日本人には出せない線だと思った。 ただし、絵描きじゃなくて、円覚寺の昔の坊さんが書いた 書 にはあんなテイスト の線が有ったような気がした。(但し中国生まれの坊さんの可能性が高い)
754 :
一言主の命 :03/05/07 02:48
日本人はどうしても繊細なものに美を感じてしまうのだ、綺麗に整って ないと気が済まないのだ。 しかしあの奔放で書きなぐったとしか思えない線は、浮世の憂さを忘れさせる 爽快感とカタルシスを感じさせずにはおかない。ようするにガキの頃やった落書きや 泥んこ遊びを思い出させる何かがあるんですよ。
755 :
一言主の命 :03/05/07 02:52
結論:子供の落書きというのはそのとおりです。そこを狙ってるんですから。
あいかわらず論理性が欠落してるね
なんでピカソスレ2つあるんだよ
758 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/05/08 03:20
1よ、 ピカソがすごいと思ったのか? それとも誰かがすごいと言っていたのか? だれだ?すごいって言ってたのは。 だれも言っていないのなら、1自身がそう思ったのか? それならそれで、いいじゃないか。 おわり
760 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :03/05/08 14:00
>>756 おいおい勘違いするなよ。俺は他のコテハンでここに書いた事はないんだ。
もともと常駐しているのは別の板なんだから。
>>749 なぜボスと比較になるのが理解できないけどボスが凄いというのは
認める。あれはどうみてもシュールレアリズムだよね。
それから他のスレだったと思うけどなぜ俺がピカソにこだわっているか
と言うことだけど、(まあ本音言えばそんな気はさらさら無いんだけど)
まずピカソは大好きな画家と言うことが1点と、それとは逆にこれからの
アーティストはピカソの芸術をを越えなければいけないという思いから
ということと。ピカソの芸術に現代芸術の抱える諸問題を見るからだ。
ひさしぶりだな黒の騎士。 >ピカソの芸術に現代芸術の抱える諸問題を見るからだ 詳しく語ってくれ。個人的には現代芸術(現代美術)でいまさら ピカソでもないと思うんだが
762 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/05/08 16:41
バルセロナのピカソ博物館に行った? タフなエロオヤジのイメージなんだが・・・ 対照的なのがゴッホ.(もちろん,私的印象)
763 :
黒の騎士 ◆q6n9agln22 :03/05/08 16:50
>761 もちろん今更なんだけど。ピカソでさえもわからないという連中が あまりに多いということだな。現代美術を非常に観念的に捉える ことしかできない奴とか、あんなもの芸術でないというものまで。 いい加減ピカソはもう生誕して100年以上も経っているんだから わかんないなんていうことはおかしいということ。 つまり現代美術の見方や価値観とかがわからないということだ。 俺はピカソを通して語ることでもっと現代美術が広まればいい と思っている。まあなかなかできないけど。
764 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/05/08 17:05
芸術とは各々の感性で感じるものであって、みんながみんなピカソがすごい って言い出したらそれはなんか芸術とは違うと思う。 すごいって思わなくてもいいと思う。 今評価されている画家も存命中は認められなかったりしたし、 現代美術の見方とあまりに感性が一致しているっていうのもどうかと… ただピカソのデッサンとか見たら、見方変わる人もいると思うし 他のも見てみたらどうかな。 芸術は共有のものである必要はない。
767 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/05/09 01:38
浮き世の憂さを忘れさせるって? エッチしてるシーンや、爺になっちゃった自画像が? 論理性の欠如に一票、だな。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
俺としては、芸術は共有のものです。感性の普遍性としての意味で。
771 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/10 00:56
わたしはピカソの絵(キュービズム)を難解と言いました。 すると美大生は難解は存在せず意味を考えるすなわち絵を見てない。と説きました。 わたしはキュービズムの創造という背景無しにゲルニカを感じれるのかと言いました。 皆さんは絵をみて素直に感動か否か。それ以外は無いと思いますか?
>771 難解って… >皆さんは絵をみて素直に感動か否か。それ以外は無いと思いますか? 何かを感じるからこそ自己の内面に問うものが存在する訳で、 なにやらこの問い掛けはかなりの粗雑さですな。 自身の意識の中に感動が無くて何が始まると言うの。 それとも、何処そこの大センセイの解説があって初めて納得と言う 雑学で理解したい貧相な芸術論? ゲルニカの素晴らしい芸術性の一つにヒトラーに向けた憎悪を この作品を見る多くの人にその存在を生むに至った事を 意識せずにはいられないことと思います。
773 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/10 16:08
ゲルニカはスペイン内乱の様子を描いてるのでヒトラーとは 関係ないだろがよ。>772知障?。
>773 ゲルニカはドイツ空軍の爆撃に抗議するために描かれたのよ。 その後ピカソはヒトラーと会った時ゲルニカについてヒトラーから 随分な厭味を言われたのは有名な逸話。 そんな事も知らないの? フフッ
>>ロックス ゲルニカに何の予備知識も無く触れたのですか? 意味を知らずしてそのような感想を得たのではないですよね?
絵っていちいち予備知識がないと鑑賞できないものですか
何も知らずにダビンチの最後の晩餐見るのとじゃ訳が違ってくると思うのです
ピカソは昔は全然分からなかったがゲルニカを見て印象が変わったよ。 左端の子どもを抱く母親の声が本当に聞こえてきそうだとマジで思った。 でもやっぱりあの絵に関する背景を知らなかったらあそこまで 感動しなかったと思う。 知らなくても素晴らしく、知ってるとより素晴らしく 一粒で二度オイシイ的なものがあるよな、やっぱり。 知ってたほうがお得。 ところでこの前、ミレー三大名画展に行ったら ピカソが13歳の頃描いた人物画があった。 絵描きを目指す14歳として少し自己嫌悪に陥った。
「予備知識」というより>771>772の 日本語がわっかんね〜
>777 「ダビンチ」っていうより「レオナルド」でいこうよ それじゃただの村だもん
そうだけど何か?
親日チョンなら許す
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
788 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/15 13:28
ところでこの前、ミレー三大名画展に行ったら マチスが14歳の頃描いた風景画があった。 正直絵描きを目指す14歳として少し自己嫌悪に陥った。
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mamiko
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ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
明後日にプレゼンを控えているアメリカの美大学生です。 20世紀ヨーロピアンアート、というクラスなのですが、 デュシャンをピカソと比較して述べると先生に逝ってきました このスレ大変参考になりました。デュシャンは好きで本も読んだし 実物も見にいきましたが、ピカソとの比較をどう押していけばいいのか正直迷ってて。 私は、ピカソは確かに偉大ですが終世を二次元(タブロー)に 閉じこもっていた人だと思います。あれほど多作で雄弁な人なのに。 一方デュシャンは寡作で無口ですが、にもかかわらず後世に示唆的でした。 アーティストとしてはピカソが断然上。しかし、フォロワ−が皆無ですよね。 デュシャンは後年をほとんど隠とんしていたのに、ダダイストのメンターに 祭り上げられました。ピカソはアートをテクニックの上で他を凌駕し、 彼の島に彼の王国を建てましたが、デュシャンはモダンアート大陸に種をまいた男です。 言い換えれば、ピカソは視覚的なテクニックでもって最高峰にそびえたってますが、 デュシャンはアートへの知覚的なアプローチとは何かと人々に訴えている、 この点においてはデュシャンの方が重要な人物であると思います。 ってプレゼンしようと思います。長くてごめんなさい。 もし、異論や反論や突っ込みなどありましたら、どうぞおながいします。
793 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/07/22 10:41
こんにちは。 >アーティストとしてはピカソが断然上。しかし、フォロワ−が皆無ですよね。 結局ピカソになぜフォロワーがいないかといえばやっぱり超絶的に 絵が上手かったんだと思います。で、すべて自己完結してしまって ピカソの後はぺんぺん草も生えないということでしょう。 つまりピカソはそれまでのある意味ロマンティックともいえる絵画 を描くという行為をすべておわしちゃったんではないだろうかと思う わけです。だからピカソの後の人たちというのはピカソとはまったく違う ことをやることしかなかった。芸術という行為を考えるときに新しい、 新鮮であることというのはある意味宿命だから、もうピカソの後には 何も残らなかったんだよねえ。 でもピカソ以降の人たちというのは多かれ少なかれピカソの血というのは 入っているはずなんだよね。ピカソを完全に無視したとしてもだけど。 それはデュシャンでさえもそう。
わー、素早いレスをありがとうございます。 私より勉強が出来る友だちに先ほどアウトラインを見せたところ、 同じこと(影響)をいわれ、かつフォロワ−がまるでいないなんて極論過ぎ、 きっとみんなに物凄く殺られるよ、とけちょんけちょんにいわれました。 レディメイドとピカソのキュービズムの手法を強引にインスタレーションを 介して説明したかったのですが、それも全然なってないみたい。 ピカソはテクニック、スキル、視覚的、という三つ、 デュシャンはテクニックなし、メディウム(インスタレーション介在)、知覚的という 三つでまとめたいのですが…数だけ揃えてもな(哀) しかし、デュシャンすら影響を受けたというところ、恥ずかしいですが 考えてもみませんでした。時代からいって当然ですね。 お互いが影響を受け合ったとは言えないでしょうか。ちょっと調べてみます。
自己レスですが、テクニックとスキルはかぶるなー。 それから、著作権についても考えています。コンセプトの著作権。 極端から極端へ走るので、デュシャン以降のモダンアートは 全部彼のレプリカじゃないかとすら思っちゃって。でもピカソの 模倣をしてるって人も結構いますよね。確かこのスレにも既出だったような。
すみません、デュシャンは最後の絵画作品「階段を下りる裸婦」で キュービズムの影響をもろ受けてますね。忘れてました。 先鋭的で当時の批評家たちに嫌われたようですが。これを見て 映画「メトロポリタン」を思い出してしまうのです。 …微妙にスレ違いになってきましたが。
798 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/07/22 11:55
>レディメイドとピカソのキュービズムの手法を強引にインスタレーションを >介して説明したかったのですが、それも全然なってないみたい。 結局ピカソの凄いところってのはピカソ以前の画家が「それやっちゃあ まずいだろ。」ってのをやっちゃったってことだと思うんです。プロの 画家として考えた場合、もし依頼者から肖像画を描いてくれっていわれて 口と鼻をさかさまに描いたらよほど奇特な依頼者で無い限りぶん殴られる わけですw。それをピカソは始めてやっちゃったということ。 つまり「自分の描きたいことを描きたいように描く」という一点だけを 徹底したということなんだけど、これがなかなかできるもんじゃない。 この意識というのはその後も現代美術の作家の中で培われたもんじゃ ないかな?。
799 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/07/22 11:55
>デュシャンはテクニックなし、メディウム(インスタレーション介在)、知覚的という >三つでまとめたいのですが…数だけ揃えてもな いや俺は目の付け所はいいとおもうよ。つまりデュシャンはピカソに 比べたら限りなくアマチュア的なんだよ。技術もないしへたくそだし。 でもだからこそ、ピカソに比肩する仕事が出来たということでしょう。 つまりピカソのような技術であるとか古い意味での画家としての意識 はピカソで全部終わってしまってそれ以降はそれとはまったく関係ない もので勝負する必要が出てきたということだよ。つまり近所の魚屋の おじさんや八百屋の奥さんみたいな普通の人誰でもが、芸術に参加 できるようになったんだよ。で、自由な精神を持っていさえすれば 誰でも天才になれる時代が来たということじゃないかな?。 俺は現代美術の最もすばらしいところというのはこの誰でも参加 出来て誰でも天才になりえるというところではないかと思うんだ。 だからその点から考えてもデュシャンの作品は評価されてしかる べきだしピカソ以後の現代美術の方向のひとつを示したというと ころでも偉大な芸術家ということには変わりないんだよ
なるほどー!私はネガティブにすべてがレプリカになる、なんて 思っちゃってたけど、誰でも天才になりえる、といった方がワクワクするね。 その可能性を示唆してくれた、ってことだね。同じく偉大で、対極と。メモメモ デュシャンは混沌だけ残して去っていってしまった…って感傷に浸ってた。 よし、やる気が出てきました。ありがとうございました。
801 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/07/22 12:13
>デュシャン以降のモダンアートは >全部彼のレプリカじゃないかとすら思っちゃって。 んーこれはいろいろ意見があるところなんだけど、俺はちょっと この意見は暴論に近いとおもうんだ。つまりその作品の本当に 言いたいことというのを見ていないんじゃないかと思う。 また一方で最近の作品ってのはある意味、昔はキュービズムだわ レディーメイドだわ、インスタレーションだわって結構違いが はっきりしてたんだけど、最近のアーティストの考え方ってのは 上手くいえないんだけど凄く小さい範囲で表現しているんじゃない かな?。上手くいえないからちょっと例えを出すけど漫才とかで 人を笑わすときってネタがあるわけだけど、昔の人っていろんなネタ (例えば地下鉄ネタとか剣道ネタとか)を用意していろいろ話題を 変えていきながら笑わせていたわけだけど、最近の芸人って(まあ ずいぶん下世話な例えだけどw)剣道ネタとかだったら凄くディテール にこだわるわけ。感じとしてはひとつのネタをやっても凄く微細的に やる感じ。昔の芸人が100m走るけど今の人は10m走ることで 目的を達成する感じといえばいいのかな?。
802 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/07/22 12:14
時代がどんどんすすんでいくといろんな情報が錯綜してくるわけで 自然と大多数のアーティストがその影響下にいやがおうにも入らな ければならないわけ。でもその微視的な見方をすればそのアーティ ストのいいたいことや個性というのは見えてくるわけ。それをどう 思うかじゃないかな?。物まねと一刀で切り捨てるのは簡単だけど 逆にその場合ってのはアーティストが本当に言いたいことや表現 したいと思っていることに対して見えてないということになると思う。 俺は一応表現者としての端くれだけど今でも現代美術展の類に いくとぶっ飛ばされるような感動に出会うことあるよ。その感動には ピカソであってもデュシャンであっても全く等価なんだよ。たとえ それが魚屋のおじさんの作品であってもだ。そういう見方すれば なかなか最近のものでも捨てたモンじゃないよ。微視的な見方を すればよろし。
極論ってのは我ながら思うんですよね。 でも頭が固いのか、思い込んじゃうと方向転換がなかなか出来なくて。 数年前にMOMAみにいったけど、あまりにも熱心に見て疲れちゃって、 単なる非常口も作品に思えてしまって、友だちに笑われますた。 あの頃の私ならば、「泉」にもデュシャンの痕跡を探したことでしょう というわけで、美術史のクラスもうすぐ終わりですが、見方はちょっと変わりました。 微視的な見方も前よりは抵抗ないんじゃないかな、と期待してます。
805 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/23 02:55
誰にでも出来ることをやったら天才とは言われない気がしますが 現代美術は馴れ合いの場ですか
806 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/23 03:29
先に思いついて先にやったもの勝ちです 後から真似して俺もできると言ってもダメよ
807 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/23 08:08
ピカソが子供の頃の絵は俺でも凄いと解かる。 でも俺の眼力ではピカソのメジャーな絵は片岡鶴太郎画伯と 大差無いようにしか見えん。 ごく一部の、本当に絵がわかる人を除いては 偉い人が言えば下らない言葉でも金言に聞こえるというような 催眠術のようなものに掛かってるんじゃないの?
808 :
www.get-dvd.com :03/07/23 08:47
811 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/23 14:24
801>暴論かな?? 結構賛成だったりするんですけどねぇ。 デュシャンが「今の絵画だって突き詰めればレディメイドじゃないか。」 みたいな発言してたらしいし。でも、彼の考え方からすれば 現在、作られてる絵画作品(特に洋画)は、レディメイドなんじゃない? そんで、「レディメイド」=「デュシャン」って認識がやっぱり強いでしょ? 「全部がデュシャンのレプリカ」って考え方になってもしょうがないかと・・・。 でもあくまでも形式上の問題であって、 「つまりその作品の本当に言いたいことというのを見ていないんじゃないかと思う。」 ってのは、その通りだと思うけどさん♪ すまん。ピカソスレなのにデュシャン語っちった。
812 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/07/26 10:57
ピカソは知名度がすごい。
昨年新宿で火事がありました。 風俗店で働いていた汚れた人間や、腐った客が何人も焼け死にました。 不要な人間が少しでも日本から消えたのは喜ばしい事だと思います。 (飲食店やマージャンの店に居た人は除く) しかし夕方のニュースでは、その汚れた人間を過剰に美化して報道しています。 「将来の夢を持った有望な若者が〜」と。はっきり言って反吐が出ます。 しかも、何と言う店で働いていたのか、店の名前を言わないのが不自然です。 よく強盗に入られたスーパーの名前は実名で流しています。この区別は一体なんでしょうか? 「セクハラクリニックで働いていた女性が〜」と流せば良いでしょう。 この名は映像で看板に書いてあった名前です。おそらくここらへんで働いてたのでしょう。
814 :
無料動画直リン :03/07/26 11:35
∧_∧ ∧_∧ ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕 = ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
816 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/08/09 21:33
ピカソの子供時代の絵を見て、天才だと思った。 完璧なものを自分流に崩していった人。 色彩の美しさは、ジミーちゃんも負けてないゾ。
817 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/08/09 21:34
本当に街で見かける女子校生っぽいファッションの少女です。
スレンダーな体つきに黒い下着がセクシーです。
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818 :
アソパソマソ :03/08/09 21:39
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ピカソは裸の王様。
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
821 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/09/25 05:39
ピカソ ピピカッソ ピピピピカッソ ピッカッソッ
当時の流れから行けば明らかに革新であったんだろうが、 現代の眼からは、チープさもシュールさもすべてが中途半端なレベル。 ピカソというのは時代が仕立て上げた英雄像じゃないのでしょうか。 あと立ち回りが巧かったとか。
ピカソは過大評価されていると思う。先入観なしにあの絵を見て、感動する人がいるとはおもえない。 美術教育の弊害じゃないでしょうか。
824 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/09 15:44
>>822-823 確かに。
本当の傑作といえる作品はどれだろう、
というふうに考えるとあまり思い浮かばないということはありますね。
825 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/12 10:00
>822 君はアホか。 >当時の流れから行けば明らかに革新であったんだろうが、 >現代の眼からは、チープさもシュールさもすべてが中途半端なレベル。 これはモーツァルトも現代音楽なんかもある現代の状況から見ると子供の 作った作品と変わらないと言ってるのと同じ。作品を評価するんだったら 原題の視点から見ることは無意味だよ。この絵画が当時登場したことを 考えてどれほど衝撃的であったかを考えなければ意味がない。 なんでもありの現在の視点から考えれば中途半端に見えるのは仕方ない だろう。というより中途半端なのは当たり前。ひとつひとつの表現に 先駆けるものがないんだから。すべてピカソがオリジナルなんだから。 中途半端という表現は当てはまらないし、もうすこし芸術家の精神活動 というものを考えたほうがいい。
826 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/12 10:12
>824 >本当の傑作といえる作品はどれだろう そもそも傑作はなにかなんて考えるほうがおかしいのです。 作品と言うものは全て作家がその瞬間に全力投球して作ったものです。 その瞬間にはたとえ0号程度の作品もゲルニカのような作品でも作家 にとっては全く等価なんです。つまりそこに生きた瞬間の証明なわけ です。と言うことを考えた場合、「あの瞬間のピカソは傑作であの瞬間の ピカソはつまらない。」といっているのと同じです。滑稽極まりない。 確かに作品によって好き嫌いはあるでしょう。それを普遍的な価値に 同化しようとする行為はどうかと思います。ピカソはピカソ。何を 描いても何を作ってもピカソなんです。もっと言えばよかろうと悪か ろうとピカソはピカソなんですよ。逆にピカソの生を生々しく感じた いのなら傑作などと言うものではなく、習作や殴り書きに近いものの 方がより濃厚に感じられることがあります。傑作かどうかなんてのは 画廊の商売上の戦略だけですよ。我々には関係ない話だと思う。
>>826 あなたみたいのを作家中心主義っていうのかな。
>作品と言うものは全て作家がその瞬間に全力投球して作ったものです。
>その瞬間にはたとえ0号程度の作品もゲルニカのような作品でも作家
>にとっては全く等価なんです。つまりそこに生きた瞬間の証明なわけ
>です。
これこそ我々には関係のないことのように思われます。
そんなこと言ってたら作品の評価も批判も成立しない。
例えばラッセンやヤマガタの作品もあなたとまったく
同じような言い方で正当化され作品として批判できなくなりますよ。
例えばあなたの
>>826 の書き込みの「ピカソ」をすべて「ラッセン」に
置き換えてみればいい。あなたは言いたいのはそういうこと?
作家というのはすぐれた作品を作ることによってはじめて作家たりえる
のだと思います。
828 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 01:01
>827 ではお聞きするが・・・ >作家というのはすぐれた作品を作ることによってはじめて作家たりえる >のだと思います。 そもそもなにをして優れた作品なのかを教えていただきたい。売れるものが 優れた作品なのか?。ではその伝でいうとピカソは青の時代の作品が最高で キュビズム意向はクズと言うことになるよ。いくら作家がこれは優れている と思ったところで、それがすべての人にとって優れていることにはならないだ ろう。ゴッホだってそうだ。ゴッホ的には自分なりに考えてこれは傑作だ と思っていても、生前は一枚も作品が売れなかった。つまりこれは優れている と言う感覚は極めて個人的なもので、普遍性は全くないものといえる。
829 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 01:02
>あなたみたいのを作家中心主義っていうのかな 俺はこれを否定するよ。ピカソもそこらへんは全く無頓着だったと 言っていいだろう。ピカソは作品を書いている間は全力投球だけど それ以降は本当に拍子抜けするほど無頓着だった。その作品を人が どのような評価をしても関係ないと思っているようだった。つまり 自分の側を離れた作品に関しては、お好きにどうぞということだね。 これは自分で何がしかの創造的な行為をするものはわかると思うけど 古い作品と新しい作品では必ずしも作家の思い入れなんかは等価では ないんだよ。なんだか自分から親離れした子供のような存在だったり するんだ。だから昔の作品をほめられると、なんだかこそばゆい感じが する。人から認められるんだからうれしくはなくないけど、なんだか 居心地の悪い感じがする。言葉は悪いけど、自分の抜け殻みたいな感じが するもんだ。その抜け殻に対してはお好きにどうぞという感じか。もち ろんピカソのビジネスマン的な要素というは否定しない。寧ろピカソは そこはあくまでもドライに商売として携わっていたかもしれない。そこは 営業マンとしての感覚としてだけど。でもそこには同時期の作品と同じ だけの愛情はなかったかもしれない。ましてやあれだけスタイルを変えて いった人だから、その気持ちは普通の人よりか作品に対しては無頓着で 極めてドライに商売として割り切ることができたのかもしれない。
830 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 01:02
結論としては作家が作る作品とそれを商品として見る人たちの間には 深い溝がある。どちらが上ということではなくて、作家はどのような作品 でも全力投球だし、新しい作品と古い作品では必ずしも価値が等価では なくて、どれが傑作でどれが駄作なんてのはない。駄作ができれば作家の 感覚として、それは自分で納得のできないものだから、それは当然破り 捨てられるか、燃やされる。つまりどれも傑作なんだ。ただしそれを商売に する人たちは違う。作品に上下をつけなければ商売として成り立たない。 0号程度の作品と巨大な作品で同じ価値では商売として成り立たないのだ。 つまりそこでこれは傑作で駄作と言うふるいにかけられるのだ。でもそれは 商売をする側の理屈だから、本当にピカソが好きならそんな理屈に惑わされる 必要なないと考えられる。どんな作品だろうがいいものはいいし、もし気に 入ったものを大事にしてくれさえすれば、それがその人にとって傑作になるの ではないか?。どんな作家だってそう思うはずだ。
831 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/13 02:17
はじめまして。 先日までイギリス行ってたんですが、そのときにテートモダンで 数点ピカソの絵に触れる機会がありました。 1さん同様これまでピカソの何がすごいのかわからなかったのですが、 見た瞬間やっぱピカソってすごいなと思いました。特に赤いドレスを 着た女性と、裸の女性が重なりあった絵が感動しました。書くと理屈っぽく なるんですが、目に飛び込んできた瞬間女の人と物語というか時間の変遷が 一瞬で頭にインプットされるというか。 でも、「泣く女」とかは感動しなかった(^^;)ピカソはいやらしい絵の方が 生き生きしている気がする。さすが、子どもの絵がかけなかった作家だー と一人で盛り上がっていました(^^;) お邪魔しました。
832 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/13 02:18
833 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/13 05:01
>黒騎士 ここは美術鑑賞板なんだから,ピカソの人物評はもういいよ。 イヤ、やりたければやってもいいけど,ここにはもっと作品そのものに付いて 語りたい人もいるんだよね。 あなたもその辺もう少し理解する必要があるよ。公共の掲示板なんだから。 どうも,ずっと読んでてそこの区別が全然付いてないみたいだ。 ピカソがどんな人だろうと,駄作をやぶり捨てようが知らんぷりして画商に渡そうが, そんなことはどうだっていいんだよ。 ゴシップ的なレベルの話だ。ゴシップというのは素人が好むもの。 ところがあなたはいっぱしの芸術家を気取るようなことも良く書く。 おそらくあなたはピカソに自分を重ねあわせているんだろうが, そういう客観性の欠如を情熱に溢れてるからだとか勘違いしてるんじゃないかな。 いい絵を描くには、実は自分を客観的に捉えられる能力が欠かせないんだよね 要するに頭が悪くちゃダメだってこと。 ピカソは非常に頭の良い人だったろう。 世間では芸術家は頭が良くなくても才能があれば良いんだとか言うけれど これほどの欺瞞はないんだよ。芸術家も頭が悪くちゃダメなの。 ゴッホだって性格は破綻してたけど芸術に関しての残された言葉などを読むと, 驚くほどクールだよ。実に客観的に見ることのできる人だったわけ。 少し自分を顧みたらどう?
834 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 07:18
>ここは美術鑑賞板なんだから,ピカソの人物評はもういいよ。 いや俺は彼の人物評なんてしていないよ。そんなことどうだっていいことだ。 俺にとって感動させてくれればいいことだ。 >ここにはもっと作品そのものに付いて >語りたい人もいるんだよね。 作品そのものったっておそらく話にならないよ。これは駄作だ、傑作だ っていったってその感覚も極めて主観的なものだし、まとまる話もまとまらない。 大体何を話せというわけ?。この作品はキュビズムの頃のものでヴァイオリン をモチーフとして書かれている。なぜここでヴァイオリンを彼はかいたのか? とかこの作品は傑作か否か?ということを語りたいわけ?。 いままでのレスのつき具合を見るとそんな話には到底ならないんだよ。 ピカソがわかるとかわからないとか、商売人だとか助平だとか作品云々 の話には到底ならない。俺が別にしないわけではない。作品について 語るんだったらしてもいいでしょう。現に何回かはしているから。 別に否定していない。でもそれ以前の話になってるのを見ていれば判るだろう。 あいかわらず、ピカソは天才だとか営業マンだとか言われているレベル なんだから。別に俺のせいではないよ。 >実は自分を客観的に捉えられる能力が欠かせないんだよね 要するに頭が悪くちゃダメだってこと。 >ピカソは非常に頭の良い人だったろう。 >世間では芸術家は頭が良くなくても才能があれば良いんだとか言うけれど >これほどの欺瞞はないんだよ
835 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 07:20
それは同意するよ。俺は基本的に客観的だよ。あなたは俺のことどう 思っているのか知らないけど、基本的に俺はかなり客観的。前にも 書いたけどピカソなんてもう100年前の時代に生きた人なんだし、 理解できて当たり前と思っている。俺はピカソには同時代性という のは感じてないよ。だから本来はものすごい分析的にピカソをとらえ ているし、過去の作家としてとらえている。でも客観的に物事を とらえてないような意見を見るとムズムズ書きたくなっちゃうw。 >ところがあなたはいっぱしの芸術家を気取るようなことも良く書く。 だって芸術家ですものw。 >おそらくあなたはピカソに自分を重ねあわせているんだろうが, そんな馬鹿なことしないよ。なぜならすでに過去の作家だし俺と 彼とでは境遇が違いすぎる。俺はよく作品分類を何の時代かで 区切るけど(例えばこれは青の時代だとか、新古典だとか)本来 はこれもかなりバカバカしいわけ。そんな時代なんかピカソには 存在してないんだから。でも俺は物事を客観的に整理する為に 使っている。そのほうが作品の傾向をとらえやすいので便利だから。 結論として俺はピカソに対して本当にいいたいことは言ってない。 言わせてもらってないよ。なぜならその前段階でとまっているから。 まあつまりはあなたもその1人なんだけど。作品批評をしたいなら どうぞご自由に。それぐらいこのスレもレベルが高くなればもっと たのしいんだけどね。
なんか馬鹿みたいなことで気が引けるのですが、 上の方に優劣はつけがたい、みたいに書かれているのですが、 ピカソの絵って、一枚一枚違う絵ですよね? 違う以上は優劣はあるんじゃないでしょうか?
>>833 同感です。
作家の生涯や言葉についてはものすごい雄弁さと詳細さで語るのに作品については
一言も語れないという人多いですよね。
確かに作品について語るというのは作家のエピソードについて
語るよりもはるかに難しいものであるので、話がエピソード的なものに傾きがちなのも
理解できなくもないんですよね。
一方は本を読めばそこに即物的データとして記載されているものですが、
この、作品を見ると言う経験は何ものかに依存してできることではない。
誰かの言うみたいに個人的主観的な経験からしか始まらないことですからね。
でも、だからといって、それ無しで済ませられるというものでは全くない。
個人的主観的だからそんなことについて語るのは無駄だ、なんてことにはならない。
むしろ最初から本を読めば載っているようなことについてあれこれ語ることの方が
どちらかといえば意味のないことでは?と言いたくなる。
(そういうことがすべて無意味だとは僕も思いませんけどね)
むしろ芸術においてすべてはそのような個人的主観的な経験からしか始まらない。
それをいかに開いたものにしていくか、ということからしか始まらないわけです。
>>828 黒の騎士さん
何をして優れた作品なのか?
確かにそれに対しての僕の答えを言うとすれば、根源的には
作品を見た時の個人的主観的な感覚から出発するしかない、
ということになるでしょう。
黒の騎士さんは個人的なものだからその議論は意味がないと言ってるのかな?
それには僕はむしろそれが個人的主観的なものからしか始まらないもの
だからこそ、議論することに意味がある、と答えよう。
確かにそれは個人的主観的な感覚でしかないかもしれない。
でもその判断は決して閉じられていない。そこが芸術の面白いところ。
芸術作品を最初から客観的か主観的のどちらかに分類するなんてナンセンス。
そんな世界観であなたは本当に芸術を見たり作ったりしてるの?
もし芸術についての感覚が全く個人的で個々に閉じられているのだとしたら、
そもそもあなたがピカソの作品に共感することが自体が不可能でしょ?
つまり個人的主観的感覚と思われるものにも実は開かれていく可能性がある。
そこに「芸術の普遍性」という胡散臭い言葉の本当の意味があるわけ。
(上より続く) あなたは言っていますよね。作家も駄作を作ると。 しかし駄作は作家が破り捨てたのだと。だから残ったものは傑作だと。 でもあなたのその判断はどこに由来するの? 本に書いてあるから? 美術館に飾ってあるから?「ピカソの作品だから」それは傑作なの? それが「ピカソの作品」であるとどうやって判断するの? ピカソのサインがあるから? 贋作の可能性は? あるいはピカソみたいにポピュラーで膨大な資料が残っている 近代の作家ならともかく、歴史的には作品しか残っていないような 美術作品というものがたくさんあるよね。 その場合、あなたはその作品をどうやって判断する? それは作家が捨てた駄作なのか、それとも捨てずに残した傑作なのか、 それともだれかがその作家を真似した模倣品なのか?
(上より続く) 根源的には個々のピカソの作品を見てあなたが感覚するしかない。 そしてその感覚に関してはあなたが私にした問いをそのまま あなた自身にしなければならない。 「その感覚は主観的個人的なものでは?」とね。 ところが個人的主観的であるかどうかは本当の問題じゃないわけ。 それをいかに開かれたものにできるかどうかということ。 結局あなたの議論は作家というものがすでに特定されていて、 しかもその権威が美術館や資料などに保証されている場合のみに かろうじて成り立つような議論なんですよ。 僕があなたのことを「作家中心主義」(というよりも「作家至上主義」かな) と呼ぶ所以はそこにあるわけ。
841 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/13 15:29
俺敵には「ゲルニカ」って、夜中に盆踊りして騒いでる村の住人を 表現してるようにしか見えん。
842 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 17:00
まず俺から一言言わせていただくと美術、芸術の類を言葉で弄するのは 好きじゃない。いやもっと言い方をかえると美術や芸術を語ることは 構わないけど、それを題材とした言論の為の言論をすることは好きじゃ ない。つまり揚げ足取りのような議論は好まないということだ。そこを 踏まえたうえで・・・。 >それには僕はむしろそれが個人的主観的なものからしか始まらないもの >だからこそ、議論することに意味がある、と答えよう。 だったら話して御覧なさい。俺は前のスレから全然そのことに対して 否定してないですよ。いつもその前の段階で終わるといってます。 >芸術作品を最初から客観的か主観的の >どちらかに分類するなんてナンセンス。 それはあなたの議論のすり替えでしょ?。あなたが最初もう少し 客観的になったら如何?といわれるから俺が俺はどちらかというと 客観的だと返したら今度は上記のような答えでしょ。これは議論の すり替え、つまり議論の為の議論にしようとする態度が見て取れるよ。 俺はそういう話ならレスはしないよ。第一全然客観性のない議論に なっているよ。
843 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 17:01
>しかし駄作は作家が破り捨てたのだと。だから残ったものは傑作だと それは俺の書いたものをきちんと理解してないよ。俺はそもそも作家に 傑作も駄作もないのだと書いている。そこをきちんと理解してないから・・・ >でもあなたのその判断はどこに由来するの? 本に書いてあるから? >美術館に飾ってあるから?「ピカソの作品だから」それは傑作なの? >それが「ピカソの作品」であるとどうやって判断するの? >ピカソのサインがあるから? 贋作の可能性は? なんて言葉が出る。そもそもこれは屁理屈だし俺が今まで書いてきたことを きちんと理解していればこんな意見は出てこない。何度も言うがピカソ芸術 に対しての言葉ではないね。ここであなたは俺に議論の為の議論を振ろうと しているね。俺はそれには一切興味がないのでレスはつけないよ。 でもこんなレベルの議論が出てくるレベルでピカソの作品を本当に 語れるのかい?。揚げ足取りと屁理屈の応酬でしょう。そのために ピカソの作品が使われるのは彼がかわいそうだ。 まあ逃げたと思われて全く差し支えない。それが俺は君が最初の レスにつけた「賢さからくるもの」だといえるから。何度も言う ようだけど作品に対する話をしたいなら望むところだよ。どうぞ ご自由に。
844 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 17:08
>>836 >ピカソの絵って、一枚一枚違う絵ですよね?
>違う以上は優劣はあるんじゃないでしょうか?
作品というものは作家にとっては子供のような存在です。自分の
かわいい子供たちに優劣はつけられますか?。もちろんある子は
勉強ができるけど、こちらの子はできないということはあるでしょう。
でもその子はその子でその勉強ができる子に負けないだけのいいものを
持っているはず。勉強はできないけどスポーツはできるとかね。
つまりそういうことですよ。それは優劣ではなくて個性というもの
です。
>>黒の騎士さん 基本的に議論する能力がないのなら最初から書き込まないことをお勧めします(笑 こっちもバカらしくなってくるから。 >あなたが最初もう少し >客観的になったら如何?といわれるから俺が俺はどちらかというと >客観的だと返したら今度は上記のような答えでしょ。 誰かと勘違いしてない? どこにそんなこと書いてあるの? 僕は少なくとも一度として今までの書き込みで誰かのことを それって主観的じゃんとか客観的になれよとかなんて書いてないよ。 読み返してごらん。 むしろ一義的に主観的とか客観的なんていうことはナンセンスだよって言ってる。 それで議論の摺り替えって言われても困ります(笑 そっちが勝手に誰かの書き込みと僕の書き込みを摺り替えてるだけ(笑
>>しかし駄作は作家が破り捨てたのだと。だから残ったものは傑作だと
>それは俺の書いたものをきちんと理解してないよ。俺はそもそも作家に
>傑作も駄作もないのだと書いている。そこをきちんと理解してないから・・・
自分のか書いたこともよく読み返してみてね。 (
>>830 とか)
>駄作ができれば作家の
>感覚として、それは自分で納得のできないものだから、それは当然破り
>捨てられるか、燃やされる。つまりどれも傑作なんだ。
これって?(笑
847 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/13 17:51
いやいいよあなたと議論しても何も得られないから。 逃げたで結構よ。
>>847 >いやいいよあなたと議論しても何も得られないから。
>逃げたで結構よ。
よくあるパターンみたい。
了解しました(笑
>黒の騎士 またいつものパターンやってるね。 都合が悪くなると相手のせいにして逃げるだけ。 まあこういうところだから簡単にできるからw。 そんな逃げ方するくらいなら熱く語るなよ。。。ミットもねえw。
850 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/14 02:19
7colors先生のように別スレ立ててやってくれんか >黒の騎士
>>824 には悪いけど、回りから見ててちょっと議論の為の議論で中身が無いように見えるねぇ。黒騎士からするとその程度の視点なんてとっくの昔に超えてて相手するのも面倒だと思うよ。
傑作とか駄作とか表面・下層・好き嫌いレベルではそりゃ、あるよ。
自分は駄作だと思って破りすてても回りからしたら傑作にしか見えなかったということだってあり得るわけで。
そこの判断は、気に入ったか気に入らなかったか、つまり好き嫌いレベルでしかない。
で、ピカソはどう考えてもその程度の思想レベルを超えてきた創作をしてる。作ってる側が傑作駄作という軸を超えた表現をしている訳です。
そこから踏み込んだ話をしようとしてるのにレベルを下げて話をしてどうするよ?って感じ。
>>824 は残された逸話で判断するな、絵で判断しろっていいたいんだと思ってますが、
作ってる人の視点で言えば、絵で語る所と言えば面積比とか色の内容とか、そこに物理的に置かれているモノしか語る事がないんですよ。ホントはね。
こういう意味で書いたにちがいない、このモチーフには普遍的な物を感じる・・・等の言い回しを見る人はしがちですけど、それって結局、見てる人の個人的な体験の世界、思いこみです。
で、黒騎士は回りの状況、時代等をそぎ落として、書いてる人をモデリングしてアプローチしないことには、より深く知ることは出来ないだろ?って思ってるんだと思います。
まぁ、どっちからアプローチ掛けようが、本人じゃないんだからわかりっこないんですけどね。本人でも分からないと思いますけどね。
前提としてわかりっこないのに深い話をしてるんだから、いがみ合わなくても良いと思いますが。
深さ勝負なら、今のところ
>>824 より黒騎士の方が上ですね。
まぁ長々書くより、ピカソくらいの人がなんの説明もせずに、一言「これは面白いね」っていう方が深いと思いますけどw
>>851 深さ勝負って何?
そんな勝負した覚えないけど (笑
まあどうでもいいけどさ、
別の人の書き込みと僕の書き込み勘違いしたり、
自分が実際に書いたことを都合が悪くなると否定したり、
せめて逃げる前にそういう過ちはちゃんと認めて
「ごめんなさい」ぐらい言うのが最低限のマナーでしょ?
そんな最低限のレスのマナーも守れない人の
書き込みを深いとか深くないって言っても
正直しょうがないと思うけどね(笑
黒騎士=851なのはバレバレなんで, >ピカソはどう考えてもその程度の思想レベルを超えてきた創作をしてる とか >ピカソくらいの人がなんの説明もせずに、一言「これは面白いね」っていう方が深い とかの言い回し。今までのこの人のレスでもこのての言いまわしがしょっちゅう出て来てたけど, みんながそう思って当然と思い込んでるのがあなたの最大のイタさかな。 なんて素朴な頭の持ち主なんだ(笑。 別スレ立ててくれと今まで何度お願いされても何度でも出てくる神経も, それに通じてるのかもなあ。 前に客観性を持てと書いたのは,別にあなたが思ったような理由じゃなく 今書いたような事なんだよ。
あの、全然別人なんですけど・・・ 妄想で、他人のカキコを黒騎士のカキコと勘違いしてる。 どっちがマナー違反だよ。どっちがイタいんだ? もっというとアフォですね。 そりゃだれでも、呆れるわ。
別人かよ!それはそれで驚きですなあ(笑 凄く似てるって自分でも思うだろう?(笑
似てるんじゃなくて、相手の考えをモデリングして理解して、発言してる。 あの程度で似てるとかいってると・・・ちょっと。 表面しかみてないんだなとしか思われないですよ。
ヒマなんですねえ
>>833 黒とその分身は相手にしない方がいいよー。
黒が登場してからずっとこの調子だかんね。
黒に誰かが文句つけ始めるとかならず分身さんが登場、
黒さんはすばらしい、とか、やっぱレベルが違いますね、
とか言いはじめて、ひたすら異論の排除に奉仕するってパターン。
どうやらそういうレトリックでしか議論ができない人みたい。
黒とその分身が実際に複数であろうと単数であろうと結局は同じこと。
内容的にはまったく脳内対話と変わんないから。
このスレッド最初から目を通してみたんだけど(俺は暇すぎか?) 300番台半ばあたりまではわりと面白いんだよね。みんな自由に発言してて。 とりとめないっていえばそれまでだけどそれ以降よりはずっとまし。 少なくとも対話が成立している。 暇な人は読んでみて。 で、そのへんの雰囲気からまた話始められないかなあ。 もし無理ならこのスレも900近いし新しいスレに移ってもいいかも。 「ピカソの絵はどこがすごいの?」みたいな題にして作品を中心にしてもいいし 作品中心じゃなくてもいいけどとにかく脳内対話にはもううんざりだから。
860 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/16 00:33
>859 異議なし。
>858 シルバーナイトとかいう?な人もいたっけ〜 あと「画家76才」だっけ? 別スレ立てても来るんだろうなあ。 あんまり鬱陶しいのでつい、レスしてしまうけど 次からはあぼ〜んするよう努力します(笑。
そうか,タイトルをピカソの作品はどこがすごいの? にすればいいんだ(少ないけど彫刻とかもあるから,絵じゃなくて作品)
863 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/16 10:19
>862
でもそれって>851で・・・
>作ってる人の視点で言えば、絵で語る所と言えば面積比とか色の内容とか、
>そこに物理的に置かれているモノしか語る事がないんですよ。
っていわれてますけど。確かにこんなことことしか作品について語ることないん
ですよ。なるべく恣意性を排除した客観的な意見を載せるというのはなかなか
難しい。俺的に一番バカバカしいなとおもうのはなぜ「この絵のこの人物はなぜ
鼻が逆さまに描かれているのか?とか「なぜ目と鼻が逆に描かれているのか」とか
そういうことを議論するのが一番ばかばかしいと思う。いやそういうことが大切
なのだというかもしれないが、そんなことを知ったからどうだというのだろうか?。
だいたいピカソ自身もあまり深く考えてないかも知れないのに、だ。今までの
レスのつき具合を見ていると俺がピカソの人物評であるとか、逸話の類ばかりを
話しているという書き込みをみるが、よくよく過去のレスを見てみるとその
ような話は俺は殆どしていない。俺的には基本的にそういうゴシップ系の話
は嫌いだし、ピカソの芸術と何の係わり合いもないと思っている。ただし
ピカソのようにスタイルをどんどん変えていったような場合は、ある程度
系統だった知識は必要かと思われる。
>300あたりまで(最初は名無しで出ていたが)
>>117 −122のやりとりとか
みるとだいたいどのような話をしていたのかが理解してもらえると思う。
まあ普遍性のない主観的な意見だということをきちんと理解してもらって
その上で自分の意見を言っているのだが。ちょうど>352あたりから今の
コテハン使い出すようになり、それからそのコテハンに敏感に反応する輩が
出てきたということでしょう。俺的にはコテハン使う以外何も変わっていない。
できれば純粋に即物的にピカソの芸術について語りたいとおもっている。
まあでも正直難しいと思うが・・・。
黒は放置でいきます。
865 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/17 10:35
そういや昨日笑っていいともにどちらが駄作かというコーナーがあって どちらがそうかということを当てるコーナーがあったな。でも普通の人には 判らないレベルで、作者の主観でどちらかを駄作としたら墨で×をつけたり 瀬戸物だったら割ったりしてるよね?。つまり作家の気持ちの中には駄作は ないわけだ。全て傑作。まあこんな言い方をするから誤解をされるんで、 そもそも駄作がないんだから傑作なんて在りようははないんだ。まあちょうど いい具合に客観的資料といえるものがあったので一度皆には見てもらいたいな。 テレビをみるとみんな処分する際は「もったいなーい。」とか「そっちも いいじゃん。」とかいってるけど、作者が納得できない作品が自分の作品 として世に出るほど辛いことはないんだということを知ってもらいたい。 それは場末の絵描きでもピカソでも同じことよ。
作品について話をしようという案がでてるが、 作品についての話を振る奴が出てこない事には始まらないですぞ。 じゃ、鼻が逆さまをネタにして行きますか(笑) 鼻が逆さまなのは、自身の歪んだ性欲が表現として書かれたものである。 幼少時の母の記憶が鮮明に描かれた。それが鼻である。 ピカソは良く鼻を曲げて書く、ピカソの反社会性に他ならない。 構図がいいね、構図が。 緊張感があるね。形としての対比と、色の対比が鮮やかで非凡な物を感じさせる。 同時代の作家の中で明らかにこのモチーフは異質でピカソそのものだ。 鼻の大きな人はチンチンがデカイそうですね。ピカソ、デカかったからあんなに結婚できたんですね。 えっと、こんな感じでいいですか?(・∀・)アハハ
867 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/17 14:50
>>866 んー?なかなかあなた洒落のわかる人みたいねw。では俺も加わるか。
>じゃ、鼻が逆さまをネタにして行きますか(笑)
俺は鼻が逆さまというのは彼の性欲というのはあっていると思うけど
女性器の象徴だと思うよ。だって開いた形が似ているし穴も開いているw。
米国の著名な心理学者のアレクサンダー・ルービンシュタイン博士に
よれば鼻というのは子供のときの性的なトラウマが原因で一般的に
性器の幼年的関心がそのまま変質した形で出ることが多いんだって。
ピカソの絵というのはこういう鼻が曲がったり逆さまだったりする
ことが多いけど、全てこれは彼の絵画のモチーフとしてよく出てくる
のは幼年期のトラウマが原因らしい。まあ単純にいって母親とやれな
かったということですかw。
またキュビズムのころマンドリンやギターの類がよく出てくるのは
この鼻の解釈と殆ど変わらないらしい。つまりどちらの楽器も女性器
の象徴なのだ。もっといえば母親のものかもしれないが・・・。
あえて説明しなくてもいいでしょう。まあ俺からすると鼻が逆さま説
=ちんOん象徴説というより、おOこ象徴説(母親の)の方に
分があると思うけどw。
>>866 に負けず劣らずの説だと思うがなw。
868 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/17 19:00
議論のきっかけとしてこれなんかどうですか。
>>251 :わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 00:17
>とりあえず「形」の面白さに気が付いてから、ピカソの絵は良いと思いました。
>よく観察すると「三角形」がいろいろな所に散りばめられているのが分かります。
>「三角形を使っているからだから何だ?」
>と言われてしまえばそこまでだけど、たとえていうなら、、
>「細いボールペンの線と太いマジックペンの線は同じに見えない」と言うこと、上手く
>言えないけどそれらを組み合わせる事で独特の緊張感を生み出しているような気がする。
>>252 :わたしはダリ?名無しさん? :01/11/09 01:58
>えらい!そうなんだよピカソは一生形の面白さに
>ぞっこんだった人なんだよ。普通様式とかに走るのにね
>さいごまで生まれたまんまの目にかえろうとした人だよ
>ある意味凡人には無理だよね。色気がでる。
>晩年の絵なんか様式も観ている我々も眼中にないもん
>そこが偉大
869 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/17 22:48
ピカソは生涯目まぐるしく様式を変えた人だけど 形態の多様な組み合わせへの執拗なまでの関心という点では 晩年に至るまで一貫している。 ピカソにとって様式というは様々な形態の実験を行うための 道具箱のようなものでしかなかったと。 でもそれがピカソの非凡さであると同時に限界でもあったのではないか。 形態の多様な組み合わせを追いもとめるあまり絵画空間の探究は キュビスム以降はなおざりにされていくように思える。 たとえばマチスの開放的な空間は戦後にアメリカの抽象表現主義 なんかに大きな影響を与えたりもするわけだけど。 キュビスム自体は近代の絵画空間の一大事件であったことは否定できない。 でもピカソの空間への関心はそこで尽きてしまっているように見えなくもない。 そしてこのことはそもそもキュビスム自体のなかにすでに潜んでいたのかもしれない。 (つづく…かな)
この屁理屈コキが黒の騎士かw
871 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/17 23:14
______ \| (___ . ♪ |\ `ヽ、 ♪| \ \ ♪ ∧_∧ | \ 〉 ( ・∀・) | ♪ \ / ‖( つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ ‖( 匚______ζ--ー―ーrー´ 〓〓) ) ‖ || .|| ‖ (__)‖) ◎ .|| . ◎ .◎
こら凄いな! ぜ〜んぶ自演やないかww
7colorsも、相当な自演の遣い手やったけどなw
874 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/17 23:21
>>869 少しはまともなはなしになりそうかな?。
>ピカソにとって様式というは様々な形態の実験を行うための
>道具箱のようなものでしかなかったと
同意。
>でもそれがピカソの非凡さであると同時に限界でもあったのではないか
面白い意見だね。
875 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/17 23:21
>でもピカソの空間への関心はそこで尽きてしまっているように >見えなくもない。 俺はある意味この分析的キュビズムのころというのは極限的な ある種ミニマリズムともいえる結論を導いてしまったんでは ないかと思う。つまり「結局絵なんて点と線の集合体だろ。」 と言ってしまったとこにあるのではないかと思う。ここが 面白いところで、ブラックはこの結論を導いた後はもう何も 彼に動機となるものはなかったといえる。でもピカソはそう にはならなかった。つまりもっと彼にとって表現とはもっと 個人的なもので、そのような極限的な客観的解釈で収まる ようなものではなく、もっと彼にとって芸術とはロマン ティックな存在だったのではないかと思う。 芸術のシンクロニシティーということを考えると音楽でもウエー ベルンの方法論が戦後の芸術の主流となることなども考え、芸術を 客観視するという流れが潮流としてあったのではないかとおもう。 それは戦後芸術の流れを見てもわかることだけど。でもピカソは 彼にとってそれでは収まらない個人的なもの、主観的なもので あったと思うんだよなあ。特に晩年の作品をみているとその感が ひしひしと伝わってくる。 まあいろんな意味でピカソ前とピカソ後では変わったんではないかな?。 その過渡期の作家だと思うよ。
876 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/18 18:17
質問スレが見当たらないのでここで質問します お返事があれば幸いです ピカソのデッサンの絵ばかりを集めた画集を探しています デッサンのみでなくてもかまいません デッサンを中心にした画集を知っている方、本の名前と 出版社を教えてください
>>875 つまらない意見ですね。
変なおじさんにからまれてるだけじゃつまらないので
他の人なにか書いて下さい。
>>876 講談社「世界の素描32 ピカソ」
画集ってほどじゃないけどこれくらいしか知りません。これはとても薄い本です。
純粋な素描だけでなはく幅広くパピエ・コレなんかも含まれていた記憶が。
洋書なら探せばたくさんありそうですね。
よかったらピカソのどのようなデッサンに興味があるのか教えて下さい。
878 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/19 20:45
「ピカソ・クラシック1914−1925(上野の森美術館)」の 他の人の感想を聞きたいのですが、皆さん行かれました? 見所とか、この美術館について、何でも教えてください。 ちなみに当方、美術的知識は皆無です。 見てみて、惹かれるか惹かれないかでしか判断できません。 でも高校生頃に、ピカソのデッサンを見て驚嘆した記憶があり、 一度見てみようかなと。
879 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/23 17:44
今まで見えなかったものが見えてくると だんだんオモシロクなってくるから それまでガンガレ ピカソだけでなく普段から画廊なんぞ覗いてみるのもよいと思う 好き嫌いだけで決めてしまうことほど保守的でくだらないことはなし!
>>877 レスどうもありがとうございます。
そして本の紹介重ねてありがとうございます。
初めてピカソのデッサンを見たのは石膏デッサンでした。何歳のころのデッサンなのか、
詳しく覚えていないのですが、10代に描いたものではないかと思います。
私は彼の「光」を描くデッサンに興味があります。
もともとデッサンは「線」で描くのではなく「影」と「光」で物をとらえて描く技術だと
聞きました。最初に見たあの石膏のデッサンは男性の上半身のデッサンだったと
思いますが、体のゆるやかな曲線をとても美しく描かれていました。
背景は黒でしたがそれにも部屋の奥行きがわかるような、黒い色の中にかすかに
光が混じっているような、彼がデッサンした「その日」の空間をそのまま描いている
ようでした。
返事のレスがとても遅くなって申し訳ありません。
881 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/29 02:03
私は彼の「光」を描くデッサンに興味があります。 版画に光を扱った物が多いですね、リノリウムの電球とか あとは 神話あたり
882 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/10/30 13:10
ピカソっていうのは ゴッホのようになりたくても なれなかった男が 別の道を暗中模索した結果 世界に認められた存在って 事じゃないの? この時期のこの作品が どうというより 創作活動総体で見て 良さが分かる人だと思うぞ。
883 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/31 08:11
結局作品で語りたいといっても何も語ることができないよねえ。 いくらでもすればいいとおもって静観してても何もできないんじゃ ないの?。傑作、駄作の話はどうしたのよ?。ピカソの傑作 ってなによ?。駄作って何よ?。実例を挙げてくれ。
884 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/10/31 08:12
>>881 >私は彼の「光」を描くデッサンに興味があります。
おもしろいね。何に惹かれるの?。
>>876 ピカソと光ですか。私には思いもよらない視点です。
伝統的なデッサンでは光と影による表現というのはあたりまえのことだけど、
少なくともキュビズム以降の彼のデッサンには、表現媒体としての光というのは
直接的にはあまり感じないんですよね。
例えばいま上野でやってる「ピカソ・クラシック」というキュビズムの
後の古典回帰の時期の非常にヴォリューム感のある表現にしても
むしろそれは画家というよりも彫刻家のデッサンに近いものを感じます。
それは光と影の表現というよりもヴォリューム感のある形をいかに組織するか、
ということに関心が置かれているような描き方になっているようでした。
でも「ピカソと光」ということをあらためて言われてみると
あのゲルニカも非常に効果的な光の表現があるなあ、とか、
後期のピカソの作品に一貫して感じられる地中海的な光っていうのもあるなあって
考えたりしていました。
それにしてもその石膏デッサンっていうの見てみたいなあ。
変なおじさんがうるさいけどあまり気にしないで
こんなふうにマイペースでゆっくりやってゆくことにしましょう。
>>883 のおじさん
ほんと内容のないことしか書けないんだね。
誰かに相手してもらいたいなら
実際にピカソ・クラシック展とかでも見て
具体的な作品の感想でも書いてみたら。
内容によってレスしてあげるよ。
まあ無理だろうけど。
デッサンするようになってから、すごさがわかった デッサン力あるから、崩せるんだなと
889 :
kamome :03/11/02 06:09
尋常じゃなく売れたのが凄いんだよね。
890 :
黒の騎士 ◆OFYDhZ.qY. :03/11/02 07:59
>>887 すんまそん(^^;。
まあでも光の視点というのは面白いというか西洋美術の流れ
というのを俯瞰してみてみると「光の視点」というのは
ずっとあったはずなんだよね。でもピカソの場合は形態の
おもしろさとかそちらのほうばかり強調されることが多かった
ので寧ろ伝統的なものの見方なんだけど、新しく感じるという
のはあるかも。
まあピカソ自身がどう考えていたかは定かではないんだけど。
でも鑑賞という行為自体極めてパーソナルなものなんだから
こういう見方があってもいいとおもうけど。
「ピカソと光」なんていう企画展があると面白いかもね。
また自作自演か トホホ
>>887 書いている内容に対する実質的な批判とかならともかく、
レスのペースについて他人から普通だとか普通でないとか言われる筋合いはないなあ(呆)
あなたみたいに毎日コンピュータに齧りついてるほどヒマじゃないっていうだけのこと。
そんなこと観察してるヒマがあるならピカソの作品でも観察してぜひ何か書いてくださいね。
いちいち反論するオマエもな。
教育実習(美術)の時、指導教員に『ピカソのどこが良いのかさっぱり解らない のですが』と言ったところ あなたはあの作品達のみなぎるパワーを感じないの?ピカソの作品を目の前 にすると限り無い生命パワーがわきでてくるわ! 等々ハイテンションで返されてげんなり、以来ピカソ好きと教員を敬遠してます。 ピカソじたいは嫌じゃないけど。
さてと、ひさびさに上げよっと。 ピカソの作品で一番好きなのはキュビスムのパピエ・コレのシリーズかな。 このパピエ・コレから始まるいわゆるコラージュの技法というのがそれ自体 20世紀の美術のなかで相当大きな発明だったと思う今日この頃。 もっとも、最初にパピエ・コレを始めたのはブラックの方だったみたいだけど。
896 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/11/13 20:01
コラージュならシュヴィッターズのほうがいいと思う
897 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/11/13 20:43
ひねくれてんのよピカソって。 とにかく。 そのくせ友だちは欲しがってるんだwww
>>896 シュヴィタースですか、渋いですね。
シュヴィタースのコラージュはあまり真剣に見たことがないので自信ないけど、
ダダ的な反芸術性や素材の多様性など、ピカソよりもはるかにラディカルな志向性を
持っていたにもかかわらす、最終的にはあまりにも装飾的なものに近づいてしまった
という印象を受けます。よかったら解説お願いします。
899 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/11/17 21:38
晩年に一筆書きをよく描いていたということを聞いたことがあるのですが、 どこかのホームページでその頃の作品を見れるところありませんか? 図書館等で探してもそのような絵は全然見つからなかったので、、。
900 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/11/17 21:51
>>899 晩年ではないけどピカソ・クラシック展にも何点か一筆描きが何点か来てましたよ。
901 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/11/20 22:45
>>900 そうですか!しかしなかなか簡単に行けるわけでもないので、、、。
ハイビジョンでやってる迷宮美術館でピカソの一筆書きを見たとき、
やっぱり天才なんだなぁと衝撃を受けたのでまた見てみたいです。
902 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/11/24 00:02
ウシャシャシャシャ
hoshu
904 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/07 03:02
>>1 初心者は、まずゴッホを見るような見方をすると良いかも。
傑作は画面の緊張感が尋常じゃなかったよ。
906 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/07 10:33
てすと
907 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/07 10:57
>>899 一筆書きはこんな本が出ています。
Picasso`s ONEーLINERS INTRODUCTION BY SUSAN GRACE GALASSI
中表紙にジョン ミリの撮った ペンライトによる 牡牛の
一筆書き、いいよ。
ISBN 1-885183-78-X シンガポールの出版みたい。
なんでほとんど同じ名前のスレが二つあんだよ
age
910 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/11 03:07
______ \| (___ . ♪ |\ `ヽ、 ♪| \ \ ♪ ∧_∧ | \ 〉 ( ・∀・) | ♪ \ / ‖( つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ ‖( 匚______ζ--ー―ーrー´ 〓〓) ) ‖ || .|| ‖ (__)‖) ◎ .|| . ◎ .◎
911 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/12 07:01
ピカソの非凡さは限界を知らなかった事にあり、その上表現する為の実力(技術) も十分に持ち合わせたいた事にあるんじゃないかなあ。 尽きない情熱と子供のような自由奔放さ(フレキシブルで権威や経験に囚われない 感性)と子供には到底持ち合わせない表現力(天才的なデッサン力と勉強や模倣に より如何様にも描ける絵画技法)を二つ同時に持ち合わせていたという事はすごい よ。ピカソ以外に完全に近い子供と大人の仮面を、意図的に使い分けた画家さんっ ている?すごくセルフコントロール出来ている人だと思う。理性と感性、職人と 芸術家の使い分け、使いこなしが天才的ですよ、ピカソは。しかも拘りが無い。
912 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/01/16 17:54
>911 おっしゃるとおりですね。
913 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/16 18:56
914 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/16 23:11
>>913 結構盛り上がりそうな話題なんですけどねえ。。
916 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/17 06:51
>>915 N速の人はあんまり興味なさそうですねw
もしかしたら史上最高額が出るかもしれないというのと、
誰が落札するのかに興味あります。
でも、君もどんな作品が出るのかとか 作品自体の質とかには関心がいかないみたいだねw 2chの典型みたいなレス。そういうのは購入スレでやってくれ。
そりゃ悪かった。本当に申し訳ない。スマンコ。
919 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/17 22:43
ピカソの絵を観る時は、「ピカソはこう感じていたんかなあ」 と想像しながら観ます。 この観方はピカソに限ったことではないんだけれど、 ピカソの場合は「感じ方」の部分をストレートに絵に表現しているように 思うので、ダイレクトに伝わってくるような気がする。 育った環境に恵まれていてのびのび表現する才能もあったからじゃないかと 思う。青の時代の絵も当時の心境がストレートに出てるし、 晩年のもそうだと思う。 観る人にどう思われるとか、好かれる絵にしたいとか、評価を気にしたりとか そういうことに惑わされない強さと自身を感じるから好き。 人気があるのは、そうありたいと心の中で感じている人が多いからだと思う。 それから、 他の人に誰かを無視するように言ったり変なとこで笑ってみたりしているのって 皆と群れていなくちゃ不安になったり正しいって評価がないと不安になる自分に 目を瞑ろうとしているってことで、それこそ、ピカソのことどうこう語っても 面白い書き込み期待できないように思う。
なんとまあ凡庸な書き込み。 そういう精神論はいつもワンパターンで耳にタコだよ。 あなたもふくめて面白い書き込みは期待できなさそうだね。
921 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/17 23:59
>>920 まずはお前が面白い書き込みの手本を示せ。話はそれからだ。
つーか、だれか作品語れるやついないのか、ここ?
皆、だいたいは同じようなもんなんよねー。 面白いことなんかめったにない。 私も面白いことを思いついたから書いたわけでもなく、 ただ、ピカソの絵好きだからこういうふうに観るよって書いただけ。 非凡を目指してもいない。 他人の絵についてを語るって かなりまぬけなことだから、誠意ある人ほど 語るのは遠慮すると思う。 ピカソが、生きていたら、爺だとしてもなんぱされてみたい。
924 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/18 09:43
ピカソはナチスに抵抗して描いたから評価されたんでしょ?絵はたいしたこと無いけど・・・。 やっぱり強運なんだね。 突然、ごめん!
才能に運がついてきてるんじゃない。
927 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/19 12:10
さあさあ。 自分で絵でも描こうっと。
928 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/19 12:11
うーん。 やる気がおこらない・・。
929 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/19 12:16
平和だ。
930 :
井出らっきょ :04/01/19 18:43
写実的に現実に忠実に絵を描いてきた時代があったわけだ、そこであんなへんてこな絵でも人の顔とか空とか抽象的なのが評価されてきたわけだ。 そういう流れの先に今があって、アクションペインティングの様なシミとかをアートにした奴や、ミニマルテイストな絵画などがモダンアートに取り込まれてきて、今だとどうなんだろうね。 インスタレーションとか色々手法も変わってきてるから。 絵画としての味はこのまま存在するけど、周りの評価はまた変わってくるのかね。
931 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/19 18:59
何かのフィルムでガラスにキュビ牛を描いてるのを観た事がある 今も現存しているのかな?
932 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/22 18:57
それ、ビデオ出てるかも。もしかして。
933 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/01/26 19:05
ポーラ美術館の題は忘れたけど母と子と紅い花の絵は良かったよ。全体に青みがかっていて悲しくなるような絵だった。
934 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/03/17 11:07
俺はピエロの絵が好きだな。 赤いタイツと背景が調和してるんだよね。
突然、あがったから、何かあったのかと思ったよ。 黒木氏が何か書いてないかと思ってきちゃったじゃないか。 美術板に残ってる数少ない論客(内容がいいか悪いかは別) なんだから、大事にしてやろうぜ。 けっこう面白いと思うがな。 オレ自身は、どんな画家も時代を反映しているという点よりも おなじ視覚装置を備えた人類であるということ、つまり作品の 普遍性、恒常性のほうに関心があるから、現代以外の作家の 作品に興味が強いけどね。 たしかに作家は古典を唾棄すべきかも知れないが、鑑賞者に とってはそうではないだろう。現代演劇作家が何をいおうが、 シェークスピアを超えてる可能性は限りなくゼロだ。 同様にレオナルドやレンブラントを現代画家が超えている可能性 も・・・だ。 しかし、ピカソに同時代性を感じないという感性も、おかしくないか? 100年前という数字に騙されているんじゃないか。 ピカソの描いた不安も恐怖も、そして快楽や罪もみな現代人が共有できるものだ。 (一応、批判を書いておかないと、自作自演扱いされるからな。)
オナニー野郎が約一人いるな。純粋になれよ。
簡単に言えばピカソの凄さってーのは魂が込め られてるってことでしょう。その強さだよね。 ゲルニカを見れば圧倒されるだろう。 体の奥底から出てきた慟哭がそのまま表現されてる。 ピカソの激情に引き込まれていくんだよ。
>>936 あなたも脳内自己完結? 何いってるのかわからない。
>>937 ピカソの作品に対する集中力はすごい。
その力が見る者をひきつけて離さないんだろうね。
ただ、代表作といわれていても、ゲルニカが特殊な文脈の中に
ある作品であることは否定できない。
いつも思うのは、ピカソのすごさは、1つの作品からではなく、
何点かの作品群を見たときに、実感できるのではないかと思う。
造形や色彩に対する探究心が、ひしひしと感じられる。どんどん
突き詰めていく突進力がそこにはある。
このスレで何かいうと、けなされて終わりになるのは、お約束?
まあ、重複スレもあるので、語りっぱなしでもいいのか。
大した議論ができるわけでもなさそうだし。(オレモナー)
もしゲルニカがなかったら一頭抜けた存在にはなってなかったでしょう。 凄い作品は多いでしょうが、ちょっと意味が違う。 ゲルニカには理性を奪ってしまうような凄さがあるでしょう。 これで理性を奪われてるから、他の作品も凄く感じるんだと思う。 凄いは凄いでもちょっと違うんだよね。
突然幼稚なレベルの話だが、オレが中坊の時の美術の時間に受けたピカソの解説はこんな感じ。 「人の顔」、とりわけ「鼻」の表現が業界内では焦点になっていたとさ。 肖像画は真横が主流だったわけで、正面から描くと陰影で表現するしかない。陰影ってのはある瞬間を切り取ったことになる。 そこで、ピカソは時間という概念を無くし(と言うことは、アッチコッチから見ていいわけだ)そこにある「カタチ」をいっぺんに盛り込んで描くことを思いついたとさ。 中坊としてはわりと納得できる説明で「へ〜」と思った。これって本当に合ってるの?
941 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/03/26 09:55
なんかダビンチと混合されてるような。 ダビンチが最初に正面(横顔以外)から描き始めたって、 この前テレビでやってたよ。 でもその説明はなるほどですね。
942 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/03/26 16:26
>>940 納得出来る説明だね
その美術のせんせ、優秀じゃんw
時間の概念をなくすというのは、コラージュなんかもそうかもしれないね
ピカソもパピエコレとかやってたし、そっから自然につながったのかもね
943 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/04/13 14:38
ピカソの青いハトを模写して部屋に飾ろうと思ってるのですが紙はどんな紙 をつかっていたのでしょうか?随分まえから模写しようと思っていたんですが そのときは検索したらでてきたのですが今は出てこない・・・・。 それとあの色はクレヨン?それとも炭?? 優しい人教えてください・・・。
944 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/04/13 17:28
>>943 なに寝ぼけてんだ!
画集に書いてあんだろ!
模写スンナら画集くらい探せやヴォケ!!
945 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/04/13 18:39
946 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/04/13 18:46
さあ 殺せ
947 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/04/13 19:47
>>946 ほう、じゃ住所と電話番号かきこめや。
それができねーならハッタリかますなw
>優しい人教えてください・・・。 >殺すぞ。 >それができねーならハッタリかますなw ((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
950 :
まったり俺のとーじょー :04/04/14 12:30
アイドル出身者は強いよねーーーー!
951 :
まったり俺のとーじょー :04/04/14 12:32
実力+調子のいい奴=ピカソ
952 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/04/14 15:01
>>940 それであってると思うよ〜
いろんな角度から見たモチーフを
同じ絵の中に入れたわけでした
キュビスムの分解は、目で見たものほど不確かなものはない、です
ピカソは、名前の長さがすごいです。 終了
ヨァ愛哀 ψψψψψψψψψψψψψψψψ 淫雨 怨炎液
潔血鶏 堕損村 ΨΩΗΦΥβδθΟΨ 怨宴園 雲運影
956 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/05/01 16:51
ピカソの花瓶がリサイクルショップにあった、1500円。
957 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/05/06 23:50
ピカソの絵・・・・$104 Million 記録更新
958 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/05/07 11:30
ピカソがいなかったら、ウォルト・ディズニーは、ミッキー・マウスを描けなかった。 ピカソは、現代美術の祖。
959 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/05/07 15:12
ピカソはわたしのお父様、 わたしはピカソのご落胤、 卑か粗かピカソかダリも知らない。
「パイプを持つ少年」を130億円で落札したのダリ?
961 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/02 21:31
久しぶりです。まだこのスレあったんだっ!!。最近はほかの板に
いってたんですけど人大杉で過疎板に行こうと思ってこちらにまた
帰ってきたわけですが(^^;。
なんか名指しされているみたいなので久々書き込みします。
>>935 >鑑賞者に
>とってはそうではないだろう。現代演劇作家が何をいおうが、
>シェークスピアを超えてる可能性は限りなくゼロだ。
なぜここでシェークスピアなのか?という疑問はおいといて。なぜ現代
の作家と比べてシェークスピアがいいといえるの?。確かに古典ですばらしい
ものはあるよ。でもシェークスピアが生きていた時代と今とは状況も価値観
も違うはず。それになぜ超えられないおもうのか?。それは一方でどうせ越え
られるわけないと思っているからじゃないの?。ここで大切なのは超えるか
超えないかというよりも超えようとしているということが大切なんだよ。
またそれは鑑賞者にも言える。俺は表現者であるけど一方では鑑賞者でも
あるわけ。で、俺は現代作品のなかには横っ面を思いっきりひっぱたかれる
ような知的衝撃があると思うわけ。その感動は俺にとって古典の優れた作品と
まったく等価なんだよ。価値観が違うんだから同じ尺度では測れない。でも
その感動に差はないわけよ。
962 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/02 21:32
それにもっと重要な点を。古典の優れた作品を一億出して一枚買うなら、 現代作家の優れた作品をウン十枚買うほうがよほどいいということ。 なぜなら感動に古典も現代も差がないからだ。古典を一枚買ってすばらしい と陶酔するのと、「何でこれが芸術なんだ?!。」とガーンと何枚かで くるのでは後者のほうがお得なんだよ。それがわからないのがなんとも じれったい。間違ってはいけないのはピカソだって印象派だって認められ る前は前衛だったんだよ。つまり後から世間一般の感性が追いついてきた わけだ。今の現代美術に感性が追いつかないと思うかい?。 ここで折り紙の話をするけど折り鶴ってあるけど、なぜみんなあれを鶴 だと思うんだい?。幾何学的な物体でどこも鶴に見えないじゃん?。 でもあれを不思議だと思う人はいないよね?。近所の魚屋のおばちゃんや 八百屋のオヤジでもあれを鶴だという。翻ってなぜピカソの作品は難解 だと思うんだろう?。つまりピカソは折り鶴なんだと。そう思えば難しくも 何ともない。 >しかし、ピカソに同時代性を感じないという感性も、おかしくないか? >100年前という数字に騙されているんじゃないか。 >ピカソの描いた不安も恐怖も、そして快楽や罪もみな現代人が共有できるものだ。 共有できた時点で過去のものなんだよ。作家の感性は先に行こうとする。今まで みんなが拘ってたものから一つ一つ剪定するように余計な線が省かれ新しい 表現が加わる。それを見て過去の作品をみんな見てるから変だという。そうじゃ なくてなぜ作家がそのような行動にでたかを知るべきなんだ。それがわかれば 作家の気持ちを共有できる。なぜそうならなければいけなかったのか?。 それがわかるとものすごい知的衝撃がやってくる。俺はそれをみんなに知って もらいたいよ。 そろそろこのスレおわしちゃおうよ。
963 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/02 21:51
>940 >時間の観念 よくピカソのキュビズムを説明するときそんなこといわれるね。確か 大川某にピカソが乗り移ったときも同じことを言っていた。でも俺から すればそれは後付けの理論だよ。なぜならいくつかの理由がある。 まずアビニョンの娘達がいきなり書かれたものではなくあれが書かれるに あたっていくつかの習作がある。その習作はすべてイベリア彫刻やアフリカ 彫刻の模写から始まっている。オリジナルを見てもわかると思うが向かって 左側の表現は明らかにイベリア彫刻やアフリカ彫刻の影響がみてとれるね。 でもそのまんまだと面白くないしピカソはその大胆なデフォルメに影響されて ひとつひとつ余計な線を無くしていって結局ピカソ自身の表現にたどりついた という見方が俺は自然だと思う。 どうしても鑑賞者というのはこういう枝葉の部分に目がいきがちだ。パピエ・ コレだってこうやったら面白いんじゃないか?その程度のことだよ。絵画的な 効果を純粋に考えてやったにすぎないよ。でも大切なのは時間の観念が云々 なんてことじゃなくて「こんなことやっても許されるんだ」ということが よほど大切だということ。 画面に単なる気まぐれで張った新聞紙がやがて巨大化し画面からボトンと 落ちて、あるときは便器になったり、腐ったうどんになったり。もっと マクロな見方をしないといけないと思うよ。
>>961 こんなに遅れてレスがついたのにはびっくりだ。
まあ、黒木氏の自作自演と思われないように書いた部分なわけだが、
歴史的にみて、どんな分野でも、偉大な業績がそうそう達成される
ものではないのは事実だと思う。
その時代の作家にしか生み出されえない衝撃のある作品というのは、
いつの時代にも存在し続けるし、それゆえに、芸術には存在理由が
あるといってもよい。しかし、時代を超えた普遍性というものを持ちうる
作品は、ほんの一握りしか存在しない。そうした作品を「唾棄」すべき
ものと考えるのは、やはり鑑賞者が一般にとるべき立場ではない。
創造する側であっても、古典の価値を認めない作家の作品が、「人間」
になんらかの「衝撃」を与えうるのかは疑問だが。
それは、人類の歴史に対する冒涜だと思う。
演劇の例を出したのは、現代作品と鑑賞者の乖離がもっとも少ない芸術分野
だと考えているからだ。ラシーヌやチェーホフだってよいのだが、シェークスピアなら
誰でも知っているだろうから例示に使っただけだが、演劇の最高峰という意味
では、ふさわしい例だと思う。そういう場合(つまり、一般大衆が、最新作品に
大きな興味を持ち、パトロンとなりうる分野)ですら、古典を超える作品はめった
に存在しない。多くの人々が現代作品を楽しみ、そこから多くのものを得ている
分野ですら、それ以上の感銘を与える古典作品が存在し、しかも鑑賞者の
多くもそれを認めている。
音楽と視覚芸術(あえて絵画と呼ばないが、映画を含まないつもりだ)の分野
では、乖離が著しい。そうした分野で、現代作品の重要性を主張すること自体
は、共感しうるが、「古典」を捨てるとの主張には同調できないということだ。
今回のレスで、君がいうように、古典と等価であるという主張であるならば、 私も全く同感である。私が君の主張を読み間違っていたのか、あるいは 君のレトリックだったのか定かではないが。 ピカソの同時代性についての意見には納得していない。 100年前は「現代」の範疇だと私は考えている。 人間も社会も、完全に連続した状況の中にある。 その「現代」の中で傑出した表現者であったピカソに関して、 「古さ」を感じたことは一度もない。 今日の創造者の作品に比べてもということだ。 スレのついては、 確かに、「どこがすごい」なんて論じるスレはお遊びにしかならないが、 すごいものを「すごい」といい続けてもいいだろう。 こういうスレを立てる奴がいる限り、ピカソは「現代」の画家だといってよい と思うがね。 レスしてくれたことに感謝する。 まともな論客に滅多に出会わないから、面白かったよ。
966 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/03 14:51
>こんなに遅れてレスがついたのにはびっくりだ。 ここが過疎板でなければレスがつかなかったでしょうねw。過疎板であることを感謝です(ヲイ)。 >そうした作品を「唾棄」すべき >ものと考えるのは、やはり鑑賞者が一般にとるべき立場ではない。 この言葉は一表現者としての言葉ですね。で、ここからが微妙なんですけど表現者というのは 唾棄すべきだとはいっても同時に非常に愛して恐れおののいているもんなんですよ。その気持ちは 500戦無敗の偉大なチャンピオンに向かっていくぽっと出の挑戦者のような気分です。つまり 誰よりもそのすごさ、怖さというのはわかっているものです。でも戦う前にチャンピオンを「すごいすごい 俺なんかが勝てるわけない。」とはいわないでしょ?。「あんな屁たれ俺の左ストレートで軽くのしてやる。 その時間一分だ。」というでしょ?。そういうものですよ。
967 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/03 14:53
ピカソはそりゃすごいですよ。一表現者として考えるととんでもないパワー、そして完全無欠の自由です。 それを凌駕がするなんて一歳のあかんぼが一人でエベレスト登頂に向かうようなもんです。でも超えよう としなければ何も起こらないのです。 つまり鑑賞者と表現者では埋めきれない溝があるということなんですが、でも鑑賞者でもその距離を 縮めることはできると思うのです。でも縮めようとしなければ永遠に縮まることはしない。ピカソが素晴らしい と思うのはあなたがすでにピカソを理解したということなんでしょう。ちょうど身の丈になったということ なんでしょう。すでにあなたはピカソと親友なわけです。しかし一方であなたの近くで奇妙な行動を取る 奴がいる。どうも不気味です。何を考えているか皆目わからない。その人たちを近づけようとしようと すまいと彼らはあなたの近くにいつもちょこんといる。あなたに声をかけてもらえるかどうかを待っている。 表現者が同時に鑑賞者の場合物事は簡単です。気軽にそいつらに声をかけて「何してんの?。」で 友達になることができる。「お前なかなか面白いじゃん。」で友達になれる。でもそれはなかなか勇気が いる行為なわけです。 ピカソと友達になれるあなたはなかなか教養と感性が同居している洗練された人なのだろうと思います。 でもその感性をお持ちならあなたの間近にいるもっといろんな人と友達になることができるのにとも 同時に思いますね。
968 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/03 15:14
なんか前から気になってたことなんですけどこの際書いておきます。 解ったということと理解したということは全然別種のものと考えます。わかったというのは 頭の中で解ったということで実感が伴わないもののこと。理解するというのは、それも 含めて、何も言葉もいわないでも泣けてきたり呆然としたり考えさせられたりということです。 多くの場合、後者の理解というのはなかなかされません。この場合は真の友達になるというより 「俺は俺、お前はお前。存在は認めるが俺には関係ない。」と宣言するものです。それは理解 したということではないのです。 どうも自分自身解かった、理解したと書くとなんかうそ臭いというか俺の内なる声で「そんな 簡単に理解できるものか。」という声がしてしまい言葉の表現に苦しみました。 ピカソは俺はそろそろ理解されても当然と思います。相変わらず解かったという実感が 伴わない理解が多くて閉口します。少なくても>935さんは同時代的な実感を感じている ようですからもっとこのような方が増えれば良いと思うのですが。 ま、俺はそれを見越した上でピカソは過去の人だといってるんですけどね。いまだ現在にも 至らないという人が多いというのは嘆くべきです。
>>黒の騎士殿 レスどうもありがとう。 これほど丁寧なレスを2ちゃんでしてもらうことがあるとは、 恐縮です。 いままで、幾分揶揄して「黒木氏」と書いていた点について ここで謝罪しておきます。 なお、誤解を招いたかもしれませんが、 私は「現代美術」の鑑賞者のつもりで「も」おります。 (コレクションしていないので、よいパトロンではない。) 今後も多くの現代作家の「お友達」でいたいと思います。 今後のご活躍をお祈りいたします。
970 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/05 05:49
>解ったということと理解したということは全然別種のものと考えます。わかったというのは 頭の中で解ったということで実感が伴わないもののこと。理解するというのは、それも 含めて、何も言葉もいわないでも泣けてきたり呆然としたり考えさせられたりということです。 「解る」と「理解」。その解釈、普通は逆じゃないのかな。
971 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/06 22:32
私はこれから芸術に深く関わっていきたいと思う者ですが、 今までピカソのゲルニカには何か圧倒されるものがあって、 「海辺を走る2人の女」のような自由な解放感に満ち溢れた作品もすごく 好きなのですが、泣く女のような平面的な作品にはどのような意図が あってピカソが描いたのか想像しても理解できなくて、周りですばらしい というのだからすばらしいのだろうと考えてもわからないくせに思いこんでました。 でもどう考えても理解できませんでした。 このスレを見ていたら、ピカソに少し近ずけた気がします。 黒の騎士さんの意見もわかりやすく、自分の、ピカソの絵の見方がこれから変わって 展開していけそうです。このことから自分の芸術も展開していけ たらいいのですけれど。。私も黒の騎士さんのご活躍をぜひ願いたい です。 初心者なものでスレ違いな所も多々あったと思いますがぜひここで言いたかった。 文章力もないものでご勘弁をお願いします。
972 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/07 06:58
>ピカソと友達になれるあなたは なかなか教養と感性が同居している 洗練された人なのだろうと思います
973 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/07 13:44
>971 >泣く女のような平面的な作品にはどのような意図が >あってピカソが描いたのか想像しても理解できなくて、周りですばらしい >というのだからすばらしいのだろうと考えてもわからないくせに思いこんでました。 >でもどう考えても理解できませんでした。 前にも書きましたがこういう人というのは自分では気がつかないですけど すでにもう理解はしているんですよ。でもそれっておかしいんじゃないかな? とか共感する人を探さずにはいられないもんなんですよ。最初から関心なかった ら「ふーん。」で終わりですもんね。>971さんはこれから芸術に深くたずさ わっていくとのことですが、そうなればなるほどピカソの凄さと言うのが 身にしみて分かると思います。何故あんなふうにキュビズムで平面的な作品 を書かなければならなかったのか。なぜ自分は自分でなければいけないのかと いう疑問を絶えず考えていけばピカソの考えることはより共感するはずです。 けして時間の観念がどうとかいろんなところを物体を見たことをひとつに 盛り込んだと言うことではないのです。それは白くて舐めると甘いから これは砂糖であるというのと同じです。それは何も言ってないことに変わら ないと言うことです。なぜピカソはいつもピカソでありつづけたのか、なぜ 自分を絶えず変革していかなければならなかったのかは自分が表現者になった とき同じように突きつけられる問題だと思います。 頑張って下さい。
974 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/07 18:51
レス不要ですが、 黒の棋士氏、あなたは柔軟性というものがまるで欠けてるね。 もうずいぶん長くあなたの書き込みは見ているが、他者の影響というものを 受けることが全くないようだ。それは、信念ではないのだよ。 柔軟性がないと、一見強く見えるがそれは本当の強さとは何の関係もないもので、 いずれは遅かれ早かれ行き詰まるのだよ。 再度、レスは要らない。ただ自問自答してください
975 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/07 21:29
結論が出たようだな
976 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/08 13:55
>974 >もうずいぶん長くあなたの書き込みは見ているが、他者の影響というものを >受けることが全くないようだ。それは、信念ではないのだよ。 いや俺だってそれなりの意見からは影響を受けることあるよ。このスレ のなかのいくつかにそれは面白い意見だねとも言っている。影響と言うのは どの程度のことを言うのかな?。別に人格からすべて変わらなければいけない というものではないでしょうに。 というか俺は君に逆に聞きたいのだけど結局君は何がいいたいの?。 一方的に君は言うばかりで人から影響を受けないからズルイということを いいたいわけか?。いい意見だったら取り入れるしそうではない意見なら 取り入れない。誰にとってもそれはあたりまえのことじゃない?。
>黒の騎士 974はレス不要と言っている、2回も念を押してね。 自問自答しろと。 それなのに君は平然といつも通りにレスを返して質問などしている。 そういうところが、君の「ダメ」なとこなんだ。 きみの書くことからは葛藤ってもんが見えないね。 右往左往する姿は辛くかっこわるくイヤなことなので、すぐ虚勢を張るんだろう。 すぐに相手に答えを要求したり面白いと思う意見しか受け付けなかったりするのも、 虚勢の一種だ。言っとくが、それはあなたに能力があるからじゃない、むしろ 器が小さいことの証拠だな。視野がものすごく狭いんだよ。
978 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/08 17:11
まんこ
979 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/08 17:14
977はわざわざ匿名なんて書いてるよ、バカだねー。
>>979 ご自由に想像してください
書かなければ書かないで、どうせ974=977だろうとか言われるんだしさ。
否定も肯定もしない、だから匿名。考えてやってるんだけど,分からないだろうなあ,,,
>>980 「分からないだろうなあ」といっちゃった時点で、
黒の騎士とよりひどい思い上がりだ。
匿名掲示板なんだから、レスの内容だけが
勝負なんだよな。わかりますか?(わからないだろうとはいわないよ、俺は)
フムフム
983 :
影踏み遊び :04/06/09 00:48
ここに一枚の絵があるわけさ。この絵は見るものの心を揺り動かすって作者は思ってる(藁 この作家さん、自分の中にあるどす黒いものを必死にカンヴァスにぶつけるような作風なんだ。 胸糞が悪くなるような絵なんだよ。でも、はっきり言って、駄作。テクなし、センスなしの駄作。 「感想は言わなくていいよ」って言ってくれたのがせめてもの救い(藁 よくある話だろ。
なんだかな〜
985 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/09 05:24
>>983 うまいこと言いますね。
それも作者名が無いものだから、絵を見ること全体に嫌気がさしていたところでした。
986 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/09 05:37
朝一番のお言葉 「死ね」
987 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/09 06:55
黒の騎士って、誰なの?
988 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/09 07:10
どこにでもいる普通の美術学生だと思いますが。 ここではどういった理由で珍しい存在なのかがわからない。
989 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/09 13:57
>974 >974はレス不要と言っている、2回も念を押してね。 >自問自答しろと。 大きなお世話だね俺は書きたいものに書くし書きたくないものには 書かない。何の権利があってそういうのか?。 >983 >この作家さん、自分の中にあるどす黒いものを必死にカンヴァスにぶつけるような作風なんだ。 >胸糞が悪くなるような絵なんだよ。でも、はっきり言って、駄作。テクなし、センスなしの駄作。 だとしたらこれはそれなりの絵だと思うよ。吐き気がするというのも見方を 変えればそれだけ気持ちを動かされたと言うことなんだから。テクがあるとか ないとかも関係ないよ。モンドリアンの抽象画やドナルド・ジャッドみたいな ミニマル・アーティストの作品に技術が必要か?。ようはそういう作品を作ろう かどうかという衝動のみでしょ?。技術は作品に関する評価とはあまり関係ないと と思うよ。関係があったのは画家が貴族のお抱え絵師の頃まででしょ。 俺がそういう吐き気のする作品作ったらヤッタなあと思うよ。作家にとって 一番答えるのは「きれいですねー。」で済まされること。これが一番キツイ。 以前作家名は忘れたけどニューヨーク在住の前衛アーティストの作品で でっかい水槽に自分の小便をなみなみとみたしてそれに十字架を沈めている 作品というのがあったけど、俺はやられたと思ったね。知的衝撃をうけたよ。 人によっては吐き気どころか殺意まで沸くんじゃないかと思うけどそういう 表現せずにはいられない作家の精神というのはなかなか分かったもらえないの かなと思う。
990 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/06/09 15:13
>>989 モンドリアンやジャッドみたいな「現代美術」には、何の技術も必要ないと?
とんでもないなあ。
言うなれば「思考の技術」が必須。それまでの美術と根本的に違うのはそこな訳で。
技術の指す中身が変っただけで、技術不要のクリエーティブなんてあり得ないよ。
アレだね,建築を例にとるといいのかな。設計図なしで建物を建てることが不可能なように,
現代の美術は,思考の設計図を組み立てないと作れない。少なくともあなたが例に出した
モンドリアンとかジャッドはそれを徹底させ得た人たち。思考の設計図とは言い換えれば概念=コンセプトだね。
だから,コンセプチュアルアートというわけだ。モンドリアンのような抽象画は,コンセプチュアリズムの
1ジャンルだし。それと、見た目の衝撃なんて一時的なものだし,イカにもなものには押し付けがましさや逆に浅さを感じることだって普通にある。ダミアンハーストのサメのホルマリン付けは
凄い作品だけど,モランディの地味地味な絵も素晴らしい。較べること自体出来ない。世の中には,
作品の価値をその衝撃度に過度に置く人というのがいる。そういう人は,自分が衝撃を受けた作品の作者の心を
考えたことがあるのだろうかと思う。受けてる自分のことしか眼中にないんじゃないか。私は、そういう作品を
作る作者というのは,ものすごく知的であると思う。(注:タダの作者ではなく,評価の高い作者だが)
991 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/09 15:42
>990 >言うなれば「思考の技術」が必須。 そういうのを屁理屈という。ちなみに俺は熱心な現代アート擁護だと いうことで。大体十字架を小便に漬け込むのに技術がいるかどうか というのは問題じゃないでしょ?。 現代アートというのはそういう技術とは関係ないところで誰でも 勝負できるからすばらしいんだよ。現代アートが最も優れている ところはその気になりさえすれば近所の魚屋のオヤジや八百屋の おばちゃんでも芸術家に今日からなれるということ。やるかどうか の差だけでしかない。自由な精神になれるかどうかの差だけだよ。 ピカソがやったというのに伝統的な意味での技術の頂点にいって しまったということがある。おそらく今後伝統的な意味での絵画的な 技術とかでピカソを凌駕する人はなかなか出てこないんじゃないかと 思う。しかし反面ピカソのこれまた偉大なところで「もう伝統的な技術 を使って表現するのは古い」ともいってしまったということがある。 つまりモンドリアンの抽象画などやミニマル・アートなどの作品を 模倣することなんて特に難しいことじゃない。モンドリアンの抽象画は 線引きを使って線をひいていって最後に刷毛後が出ないように注意して 塗ればそっくりなのができる。こんなこと小学生でもできる。刷毛後が できたら削ればいいんだし。ドナルド・ジャッドの作品はもっと簡単。 寸法を測ってそのまま鉄工所に板切れを注文すればできる。でもなぜ それをやらないか?。 それは技術なんてものを最初から考えてないし、模倣したところで 意味がないからだ。それを思考の技術といってるんだろうけどそれは 言葉のレトリックでしかないよ。
992 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/09 15:48
ところで篠原ウシオなんかはその模倣を逆手にとってデュシャン の作品とそっくりなもの(というより同じもの)を作って模倣の アートだとかいってたよね。作家の想像力というのは際限がない んだね。
993 :
影踏み遊び :04/06/09 17:07
タブーを用いさえすれば、なにがしかの不快感を与えることなどは容易だと思う。 坂本龍一説(藁)によれば、あらゆる芸術表現の中で、音楽が一番「反動的」らしい のだけれど、雑音や不協和音によって不快感を与えることなど、尚更容易だろう。 常識人の心をおびやかし、不安を抱かせるなど、造作もないことじゃないか。 それに創造行為・表現行為っていうものは、ひとり芸術家だけがするのではないから、 芸術家の創造行為だけを特別ありがたいものとも思わない。 >自分の中にあるどす黒いものを必死にカンヴァスにぶつけるような作風 それが本当の意味でひとの気持ちを動かすなら、確かにそれなりの作品だね。
>>991 >やるかどうか
の差だけでしかない。
違うよ,全然。
それを持続させられなければ「モンドリアン」も「ジャッド」も存在していない。
そして一発屋なら思いつきで過激なことをやればその時は人目をひくだろうが,持続させるには
思考の技術なしでは不可能だということが分からないか?
音楽でも一発屋がいるだろ?その一曲は永遠に残るけれど,
ミュージシャン自身は消えてしまう。あなたは作る側にいるんだろうから
聞きたいが,それでも良いわけ?私は嫌だね。
それと私の書き込みが不快だと言うのはどうかなあ。
真っ当なことを書いたつもり。
その点では,黒の騎士氏の
>>989 のレスは意外に(失礼?)マトモで好感。
ただ,不快なものを過大評価していないか
きれいですねというのが最低の評だとか書いてるけど,浅いって。
きれいで何が悪い??
きれいなだけですねと言われたらそりゃ最低でしょう。
しかし,きれいですねと言われなかったといって,良いものであることとは
全く,なんの関係もないよ。もっと言えば,一見汚い絵だって(例として篠原ウシオでもいいや)
きっと間違いなくウシオ氏は描いてる時「きれいだ」と思いながら描いてるよ。
「汚いものを描いてやろう」なんて思っていない。本人がキレイだと心底思えなくちゃ
だれがそこに美を見いだすだろう。反美も美の一種だからね,言うまでもないだろうが。
破滅的美というヤツ。
995 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/10 14:27
>常識人の心をおびやかし、不安を抱かせるなど、 >造作もないことじゃないか。 ところがそうじゃない。100人全部に気持ち悪い吐き気がする と言わせることは並大抵じゃない。どんな不協和音や雑音を 使っても音楽的に聞こえる瞬間はあるよ。楽器板に60秒の ノイズミュージックをうpするスレというのがあるからそこに 聞きにいってごらんよ。 >それを持続させられなければ「モンドリアン」も「ジャッド」も存在していない。 >そして一発屋なら思いつきで過激なことをやればその時は人目をひくだろうが, >持続させるには思考の技術なしでは不可能だということが分からないか? やるかどうかがの決断ができれば持続はとりあえずできるよ。モチーフが 尽きるまでね。そんな難しいことではない。そこになぜ思考の技術なんて 言葉が出るかが分からない。だから俺はやるかどうかと言ってるだけよ。
996 :
黒の騎士 ◆i1t6KILdkI :04/06/10 14:27
>汚いものを描いてやろう」なんて思っていない。 >本人がキレイだと心底思えなくちゃ だから俺はそれが屁理屈に思えるんだよ。少なくても俺は作品を きれいに作ろうとは思ってないよ。逆にいえば汚くも作ろうとは思って ないけど。作家にとって一番重要なのはその作品を通して他者にとって 何らかの影響を与えられるかどうかだよ。欲を言えば俺なんかはその人の 人生を脅かしたいとまで思ってるもの。それに結果的にできたものをみて 俺自身がきたねえなあと思うことなどいくらでもある。でも芸術をしている 瞬間こそが俺にとっては一番大切なんで汚かったらそれが俺なんだから隠し ようがない。第一俺が汚いと思っているものをきれいですねと言われれば やめてくれよと思う。いっそのこと胸糞悪い破り捨てたいと言われたほうが 俺は救われるよ。 つまり芸術家は皆きれいなものを作ろうとしているわけではないと思った ほうがいいよ。それから俺はマジレスを返す人に不快だと思ったことはない。 俺の表現がきついだけかもしれない。それは謝る。しかし意見は意見だ。 それこそが議論なのだから。
>>996 まああなたとは基本的なスタンスに相容れないものがあるね
>作家にとって一番重要なのはその作品を通して他者にとって
何らかの影響を与えられるかどうかだよ。欲を言えば俺なんかはその人の
人生を脅かしたいとまで思ってるもの。
この部分に反対するもの。
そんなの、意図的にやることじゃないだろ。
傲慢かつおせっかい。第一、狙ってやったことが思惑通りの結果を生んで、
それで嬉しいのか。そんな傾向と対策みたいな姿勢でものを作ってるのか、あなたは、、。
ツマランと思うがな。
それに人間、狙ってやると
そこに必ず「媚び」を含む。媚びはイヤらしい。それで大概上手く行かないんだよ。
でも本人は、なんでこれほど狙ってるのに上手く行かないんだ、、なんて
あさっての方向を向いてるのさ。
ロバを水飲み場に連れて行くことは出来るが水を飲むのを決めるのはロバ自身なんだ。
あなたがどれだけ飲ませようと必死になろうと、
飲みたいときは飲むし飲みたくないときは見向きもしない。
独りよがりもいい加減にしろ。
きれいか汚いかなんて、だから些末な趣味し好レベルの話でしかないんだよ。
あなたがしつこく言い募る「ピカソのすごさ」も、そのほとんどがあなたの個人的趣味に
依拠したものでしかないから、他の人たちはうんざりするんだけど。
一見きれいなものに静かな破壊力があることもある。こけ脅しの「衝撃的作品」の
多くが瞬時に忘れ去られていく。
そんなところにしがみつくあなたは、案外小さい。
>やるかどうかがの決断ができれば持続はとりあえずできるよ。モチーフが 尽きるまでね。そんな難しいことではない。そこになぜ思考の技術なんて 言葉が出るかが分からない。 モチーフを手を替え品を替え、かい? それは基本的に間違った考えだぞ。 あなたがイラストレーターならそれでイイだろう。 しかし画家なら、モチーフなんて一つで十分なんだよ。 その立った一つのものを探し出すことが至難なんじゃないか。 そのために、思考の技術が必要ということだ。
ついでに
>>991 に亀レスするけど、
黒の騎士氏、あなた思考の技術の意味が分かってないよね。
タダの手先の技術と区別してないもの。
>大体十字架を小便に漬け込むのに技術がいるかどうか
というのは問題じゃないでしょ?。
これ、手先の技術と勘違いしたレスだよね。
>現代アートが最も優れている
ところはその気になりさえすれば近所の魚屋のオヤジや八百屋の
おばちゃんでも芸術家に今日からなれるということ。
それは、その人たちが思考の技術を獲得してるからで、彼らの職業がなんであろうと
いっさい関係ないね。一生を職業沖仲仕として肉体労働に従事した哲学者、エリック・ホッファーみたいな
人だっているよ。
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