109 :
K.T.:
>>81 超詳細な解説をカキコしようと思ったが
「おなかいっぱい」という意見もあるので、手短に。。
>ミロのヴィーナスがローマン・コピーであるか否かだけ、言っ
>て。
はい。ローマン・コピーではありません。
そういった誤解をされる恐れがあるので、わざわざ、
「頭と体が別様式を摸した彫刻」である、とカキコしました。
「〜様式を模した彫刻」と「摸刻」は、同じ意味ではないでしょ?
そもそも、最初の書きこみについては、四肢のないトルソの一
般的な「通説」の紹介のためのもので、「ミロのビーナス」の具
体的な事例には触れたものではありません。(キッパリ。)
それよりも、今、
別の、「重大なテーマ」が「発現」しているような気がします。
私が爆睡していた今日未明に、当スレで話題になっていたのは
「ミロのビーナス」の話を飛び越えて、「美術批評のあり方」とい
う、まったく今日的な問題のような気がしますが、いかがでしょう
か。
美術批評は、「知識の量を競争するもの」なのか。
それは、蒙昧な権威主義に繋がるのではないか。
110 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 16:40
「それは、蒙昧な権威主義に繋がるのではないか。」
むしろ、
その多くの知識を利用して、「新たな角度からの作品の見方」を
発見し、伝達するのが、「美術批評の意義」ではないでしょうか
いまの、美術批評の不在は、そのような権威主義的な競争に
執心している、お馬鹿な関係者に「問題の根本」があるように思
えてなりません。
私は、GS氏のような、
「大文字の美術史」の中に、「ミロのビーナスというパッケージ化
された美術作品」、を秩序付け、
「(通俗化した)一般の視点」を、いたづらに虐げる批判には、ま
ったく同意できない。(たとえば、以下のような)
>余談だが、日本の一般的レヴェルでは、ミロのヴィーナス、サ
>モト ラケのニケ、ラオコーン群像あたりが、ギリシア美術の代
>表として 認知されているけど、これは真に不幸だと思う。
それは、知の階層化を呼び起こし、蒙昧な権威志向を発生させ
るだけだからね。
だからこそ、私は、
「頭部と体部が別様式で、コラージュ(乱暴承知)されていたもの
だった、」という、ミロのビーナスの「一般にはあまり知られてい
ない鑑賞の視点」をに具体的に紹介した。(写真鑑賞でも可)
作品を鑑賞し、上記の事実を「感覚」することが出来れば、
それこそ、ここでGS氏が作り上げたような「ペダンティック
なミロのビーナス」像など、ガラガラと音を立てて崩れ去る。
111 :
K.T.:2001/06/02(土) 16:44
そして、いうまでもなく、GS氏が、この板で駆使する「大文字の
歴史」という装置は、権威主義者達の道具として、1980年代に(
ヘーゲル的歴史観の死として)遺棄することが、呼びかけられ
ていたものではなかったのか。
我々(GS氏も含)、暇人が、そのようなことをして権威主義者供
の片棒を担ぐことは全くナンセンスで不要なことと思いますが、
いかがでしょうか。
あまり場外乱闘も何なんで、この件についての、続きは、「美術
批評への批評」というようなスレがあれば、そちらで。
※ 推敲してないので、細かいところのツッコミは勘弁。
最後に、
確かに、私はSomuaS35とか、日本模型界ではマイナーな仏戦
車が好きだが、「ペダンチック」などと評される謂れはない。
政治的には、反ナショナルフロント、自由フランス・バンザイだ。
※ ちなみに、ルイ18世が「ミロの〜」の命名者なのは事実。
(
>>110は、拙カキコ。私の理由は、「クッキー嫌い」なんで。)