1 :
こんにちは:
近代絵画の父とかいわれてるわりには、あまり話題にならないみたい。
わたしは大好きなんだけど、一方で難しい絵だなぁとも思う。
みんなはどうなんでしょうか。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/12(金) 15:27
美術史的には価値あると聞いた。
ピカソやブラックら、キュビスムの原型を作ったのが、セザンヌ。
でも個人的にはあまり彼の絵は好きじゃないけど。
3 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 17:30
4 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/13(土) 00:25
>>3 セザンヌはこういう林檎の絵を描いてたときから、立体のことを意識してたのかな。?
たしか、「あらゆるものは球と円柱と円錐の組み合わせで表現できる」という感じのことを
言ったような気がするが、この絵からはそういうのは感じられないなあ。
5 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/13(土) 23:04
>4
この絵というのがどの絵のことなのかよくわからないよ
え?これは写真でしょ? それとも違うとこ見てんのかな?
はっはっはっ。
写真だな。バカだった。
9 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 18:18
10 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/15(月) 23:55
セザンヌ大好きです。初めてセザンヌ展で、本物観て泣いた。自分に
ビビッタ。(笑)
確かに遠近感は無い。彼の考え、キャンバスは平面だということ。
11 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 00:17
絵を見て泣くということが本当にあるんですか。すごいな。僕には
想像もつきません。
12 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 00:51
>>11 泣いたことはないけど、動けなくなったことはあったな。
たしかピカビア展だったと思う。
昔見たときは気持ち悪いと思ったけど、
そのときは留年決まったところで、ダダイストの絵に心を貫かれて動けなくなってしまった...
誰でも、そのときの心にぴったり合った絵に出会うと、泣いたり動けなくなったり、
大きな衝撃を受けることがあると思うよ。
私も10さんのように、いい衝撃を受けてみたいです...
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 11:05
>>9 この作品けっこう好きです。安田火災にいくといつもゴッホよりも
こちらの方に眼が引きよせられます。絵具に厚みがあってタッチが
モザイクのように置かれているけれど、それでいて決して平面的で
はない。 とくに果物の間に感じられる空気感はすごいと思う。
14 :
空耳:2001/01/17(水) 01:53
セザンヌの静物画には重力をあまり感じない。
独特の浮遊感を感じさせる。
だから好き。
15 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 00:20
セザンヌがたくさん見れるサイト教えてください。
16 :
名無しさん@一周年:2001/01/21(日) 19:17
セザンヌは本当の「画家」だと思う。
平面だとは思わないな。
うわっつらにまどわされず、核心を書いた。
その対象に不可欠なものがなにか見える画家だった。
最高。←独断と偏見承知。
日本の芸術に通じる精神を持っていたと思うよ。画道、というかさ。
17 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 20:06
みなさんできれば好きな作品とかを具体的にあげていただけると話
が展開すると思うのですが。
18 :
空耳:2001/01/22(月) 00:22
19 :
666dig666:2001/01/22(月) 00:35
福田美蘭がBTの表紙でセザンヌの絵採点してたのが面白かったな。
B-だったかな。
20 :
15です:2001/01/22(月) 22:47
>>空耳さん
あ、いいサイトです。ありがたいです。
セザンヌの静物画の浮遊感についてすこし話してもらえたらと思います。
うろ覚えですが、たしかリルケもそのようなことを言っていたと思います。
>>666dig666さん
福田美蘭はどのような採点をしているのですか?
21 :
空耳:2001/01/23(火) 01:40
えーリルケも同じ事言ってたの?
困っちゃうなあ。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/cezanne/p-cezanne18.htm 例えばこの絵は壷の口の向きと皿の向きが違いますよね。
重力の法則があったらこんな風にはならないわけで。
だから浮いてる感じがするんじゃないかなあ。
ボナールなんかもそういう感じ。
このサイトには良い例が無いので引用しません。
今じゃあこういう書き方をする人はいっぱいいるけど
セザンヌが初めにやったのかな。
多分彼は物の形を大事にしたから
重力の法則とか目に見える実際を無視したんだと思います。
皿も壷も林檎もそれぞれ一番魅力的な向きで描かれている。
と、思いまーす。
リルケは何故そう言ったのかな。
22 :
15:2001/01/25(木) 01:21
ごめんなさい。リルケは私のかんちがいだったみたいです(やっぱりうろ覚えはよくないな・・・)。
リルケが言っていたのは、セザンヌの静物では物どうしが密接な会話を交わし
ているように見えるということ、そして、その会話は完全に絵画の中で自己完
している、というような話でした。
まあ、おそらく、それも空耳さんの言ってることとは全く無関係でもないと思うのですが(と言い訳)。
さて、たしかに重力ということでは、セザンヌは不思議な感じの静物が多いみたいですね。
空耳さんの言うように、リンゴの乗っている皿やとくに中央の白い陶器の器は、
なんだか斜面の上に、重力に逆らって存在しているように見える。
ちょっと眼が回る感じです。
われわれがそこに重力を想定してしまうことと、それを裏切られることの間に「浮遊感」の
ようなものが生まれる。
でも、これがある意味、逆に絵の中で重力を感じさせる秘けつにもなっているんじゃないかな。
私はこの絵の中に重力の存在を強く感じてしまいます。
これは空耳さんの見方と矛盾するのだろうか。
セザンヌのヴォリュームの描き方にも、同じようなことが言えるのではと思いました。
23 :
空耳:2001/01/25(木) 01:33
私も、この静物画がよりそっているように見えるよ。
なんだかお互いに暖めあっているような印象を受ける。
22さんは重力を感じるとおっしゃっていますが、
私も求心力みたいなものは感じます。
ものの傾き方も画面中心にむかっている。
例えれば宇宙に浮かんでいる地球?
(ちょっと大げさか)
リルケの完結しているという印象は、
同時にこれらが孤立しているということにつながるのかな。
ものたちは親密だけど、同時にとても孤独かもしれない。
新潟の長岡でかれのスティール・ライフはじめて観た。オレは美術家ではな
いが、一緒にいった連れが絵描きだったのでオレに予備知識を与えてくれ、
解説つきで面白かった。40になって注目されるまでよく親のスネかじって甘
えん坊だったんだなぁ、羨ましいなぁと思いながら バランスについて考え
させられた。
25 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 01:35
絵を描く人に「セザンヌすごい」って言う人が多いような気がする。
わたしは、「大勢の人がすごいと言うのだから、すごいんだろうな」と思いながら、
どこがすごいのか余りよく分らずにいつも観ています。なんだかね・・・。
26 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 02:23
>>25 実は私も。絵を描いてる人なんだけども。
>>2さんの言ってる事が正解でしょう。
美術史的に見て重要だという事。
趣味嗜好的に見る人ではないんだよ。
27 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 10:48
「モーリス・メルロ=ポンティ[眼と精神]を読んでから語れ。」あげ。
28 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/01(金) 08:40
goatsongさんもセザンヌはよくわからないと言ってたような・・・。
君達、マニプランダ!
30 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 14:34
セザンヌ分かる人語ってみてくださいな。
31 :
catt@g036029.ppp.asahi-net.or.jp:2001/06/02(土) 21:43
>>30セザンヌを分かるって意味が分からないですが
18歳の時ブリジストン美術館の常設展示で「セント・ビクトワール山」の
実物を見たときは30分ほど見入っていた覚えがあります
その時はセザンヌが絵筆を走らせた音や勢いが生で伝わり続けてくる静かな感動に
満ちあふれていましたね・・<自分 「眼と精神」読んだのはそれから数年後
でしたけど、読後感は「ポンティはセザンヌが理解できてない」でした(笑
人 々
ミ@Д@彡
わーい、cattさんだ。
相変わらず煽りすれすれレスですね(藁
33 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 21:53
本当は「cattはポンティが理解できてない」でした(笑
>>31 >ポンティはセザンヌが理解できてない
オレもそう思う。
35 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 22:06
そううえば現象学的宣言はどうなったんだよ。
31-33
独りで、やっていてツラクないか?
37 :
36:2001/06/02(土) 22:07
+35
38 :
35:2001/06/02(土) 22:19
39 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/02(土) 22:31
>>catt
>その時はセザンヌが絵筆を走らせた音や勢いが生で伝わり続けてくる静かな感動に
>満ちあふれていましたね
おまえは小林秀雄か(笑
>ポンティはセザンヌを理解できてない
具体的に論じてみてよ
41 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 05:47
age
42 :
39:2001/06/03(日) 08:26
>>40catt
たしかに俺には理解できないかもしれん。
でも、他の人には理解できてためになるかもしれないので、
具体的に論じてみてよ。
ちなみにポンティは「目と精神」読んだけど、よくわからんな、あれ。
>>40 「Merleau-Ponty 和文研究文献」
これってメルロ=ポンティの著作の目録じゃなくて、日本語で書か
れたメルロ=ポンティに関する本の目録と思われ。
あまり慣れないことはしないほうがいいですな(笑
44 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/04(月) 21:19
しっかし、
cattの馬鹿自慢には、ウンザリだ。
団体展の会友が主催する絵画教室に通うおばさんのメンタリティじゃねえか?
**会が、現代美術になってるだけの話だぜ!けっ!
45 :
セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/06(水) 00:59
セザンヌは絵が下手なのである。
彼の絵を見ていると悲しくなる。
自分の絵の下手さがわかっていながら、それでも
俺は絵が好きだから描かずにいられない、
そんな叫びが伝わってくるからである。
セザンヌ=アンリ・ルソーと書いたが、
これはちと違うと今反省している。
ルソーは、自分が絵が下手だとは微塵も
思いもしなかった(というより気づかなかった)
からである。
自分の下手さに気づいていたという点で、
セザンヌは明晰な頭脳を持っている。
しかし、その程度の明晰さである。
その程度の明晰さを、何か美術史全体に影響を
与えるような明晰さと誤解してしまった研究者たちは
馬鹿だったのか?
そうともいえるが、よくいえば、誤解させてしまうほどに
セザンヌのパワーがすごかったとも考えられる。
セザンヌの作品ににもし価値があるとすれば、
決してclariteがあるからではなく、そのような
puissanceがあるからである。
46 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/06(水) 21:44
精神主義的解釈ばかりではとてもセザンヌを捉えることはできないなろう。
47 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/06(水) 22:11
>精神主義的解釈=文学的解釈?
48 :
セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/06(水) 23:09
セザンヌはアンリ・ルソーと並ぶ
歴史的ヘタウマだから、
精神論的解釈を経なければ、
その本質には到達しがたい。
49 :
ぷ:2001/06/07(木) 19:41
つーか、セザンヌはpop音楽で言うビートルズみたいなもんなんだよね。
絵の大きな要素として構成、グラデーション、事物などがあるけどそれらが全て
彼の作風(個性)と完全にマッチしている。いわば絵画の中の絵画。
抽象画や写実のように中途半端な所は一切無い。つっこむところが一つも無い。
ピカソも似たようなとこがあるけど。
だからセザンヌの絵にはどんな絵もかなわない。
福田美欄がBTでセザンヌはモンドリアンになるべきだったなんて言ってたけど
人や物を描くなって事?そりゃ間違いだ。
50 :
ぷ:2001/06/07(木) 19:43
で、僕はセザンヌを見て絵をやめようかと思った。
51 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/07(木) 20:12
>>49-50
わけわからんが、まあ良し。
でも、ツッコミどころは満載だと思うが、セザンヌの絵。
だからこそ、その後の絵画に多大な影響を与えたわけでしょ。
ピカソをはじめ、みんながみんなセザンヌを自分なりに(いい意味
で)誤読して、自分の進むべき方向を抽出することができた、みたいな。
しかも、そのどれ一つとして実は正解ではないような。
今でも多くのわけのわかんない矛盾というか、謎というか、が詰まってる感じがする。
ある意味近代絵画最大の「ボケ」(←いい意味でね)だと言えるのでは?
52 :
セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/07(木) 23:34
51の意見は私の意見に近いと思うが。
悲しむべきは、突っ込みどころは満載なのに
どういうわけかセザンヌが神格化されて
しまっていることである。
51の表現を借りれば、セザンヌはアンリ・ルソー
と並ぶ(あるいはルソーを超える)
近代絵画最大の「ボケ」なのだ。
53 :
ぷ:2001/06/10(日) 12:40
一般的に考えて絵画というのは音楽や文学に比べて優雅ではなく、
もっと不器用な形式だと思う。なぜならそこに時間は無く、
形(色、モノトーン)と画面における構成だけがあるから。
セザンヌもその制作スタイルで物の形と画面の構成を強く意識して
いるのがわかる。のちにそれはキュビズムと呼ばれる形式だった。
芸術作品は精神内容で判断されるものだけど、彼は形式においてどんな
巨匠のものより優れていると僕は思う。
55 :
セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/10(日) 17:33
53の言っていることは、一見、もっともらしいが、
よく読むと今ひとつ意味がわからない。
54が一部指摘したように、
「なぜなら」以下の文章が、「〜優雅ではな」い
ことの説明になっていない。
また、セザンヌが「形式において〜優れている」のなら、
少なくともセザンヌの絵画は優雅なのではという感じが
してしまう。
つまり、53が挙げた論拠を無視すれば、俺なんぞは
「絵画というのは音楽や文学に比べて優雅ではない」
という文章に接したとき、その理由として
「音楽や文学は形式を重視するが、絵画は必ずしも
そうではないからである」という文を予想
するからである。
いずれにしろ、俺の見るところ、セザンヌは全く優雅ではない。
ところで、「芸術作品は精神内容で判断されるものだけど」
という見方は、一面的で浅薄なものであろう。
56 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 02:00
ぷってピカソスレでもぼけたレスつけてるね
>芸術作品は精神内容で判断されるものだけど
おいおい、、いつの時代に生きてるの?
現代美術はどうなる、、ミニマリズムは?
↑句読点入れてくれ。読みづらい。
>55 、56、57
飽きない人だねーー。
59 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 22:03
一概には言えないが、ミニマリズムは、セザンヌの作品に比べて劣っているちゅうことやね。
意外とそう思っている人多いと思うぞ。
60 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 22:13
劣ってるって、何が?
言葉はもう少し厳密に使え。
>>59
61 :
意図不明ですが(w):2001/06/11(月) 22:29
〜〜すでに出来あがった観念を別の形で結び付け、すでに見られた形式でこれを提示することによって、
人を楽しませるものを作り出す事は出来る。こうした二次的な絵画や言葉が、一般に文化と呼ばれる。
しかしバルザックやセザンヌの理解する芸術家は、教養のある動物である事では満足しない。
芸術家は最初から文化を引き受け、これを新たに基礎付ける。芸術家は、最初の人間が話したように話
、まだ誰も絵というものを書いた事がないかのように、絵を描く。
この場合には表現とは、すでに明確になっている思想を翻訳することではありえない。
明確な思想とは、自分で、あるいは、他人がすでに語ったような思想であるからである。
「構想」が「思想」に先立つことはできない。表現するまえには、ぼんやりとした熱のようなものが存在するだけである。
芸術家とは、そのことを意識するために無言で孤独な経験の土壌に立ち戻ったものだ。
文化や観念の交換、この土壌の上に構築される。〜〜
ポンティ”セザンヌの疑い”より適当にコピペ。
たとえばセザンヌの絵は幼児にも分かるんじゃないかと思います
物を見て平面にその在り方を定着させるセザンヌの術は
理論的というより直感的なものだと言えます
人 々
ミ@Д@彡
63 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/11(月) 23:20
↑この人は無視でおねがいします。
ふうううん
65 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 03:28
どう思う。嫌がられてるみたいだね。
66 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 08:06
cattの突っ込みはわりと好きだ。
67 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 08:48
>>61 セザンヌの捉え方として正しいかどうかは別にして、
メルロ=ポンティの言葉ってなかなかいいね。
68 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/12(火) 23:32
シャピロの編集した画集はいいと思う。
69 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/13(水) 03:12
ルソーは激好きだがセザンヌは嫌いだ。
というかどーでもいい。
70 :
セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/06/13(水) 20:47
>>69 おれと意見が合うね。
「セザンヌ=アンリ・ルソー」というHNを使っているが、
正直言って、セザンヌよりルソーが上だと思っている。
俺にとってはこの2人は同ジャンルなのだ。
71 :
ぷ:2001/06/14(木) 11:59
>56
現代美術にせよ何にせよ美術の本質は精神(中身)にあると思うよ。
でもそれについて書かれた書物になんてお目にかかったこと無い?
だって僕らが議論できるのは形式(表面)についてだけ。だから絵画論において
絵画の形式を体現したセザンヌは重要視されてるわけだ。
現代美術においても様ざまなスタイルの作品があるけれど
そこに作家の深い精神性が反映されている事が必要だ。
なかなかいい作品が生まれないのもそれが欠如してる事にある。
>54
これは一般論だし精神論だけど優雅といわれるマチスやデュヒイの絵を見て
時間性を感じないか。実際彼らは音楽やダンスをテーマにした作品を作っている。
優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う。
ひねくれた見方をしないかぎり。
72 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 16:08
初心者多い?ここ
何でレス番号引用しないんだよ!
読みづらいんだよ!!!
>変換して>>が出るように自分で辞書登録しろよっったく!
73 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 17:57
>>71 精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって、そう簡単に形式と内容が区別されるものではないよ。
それと、セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い。
あと、絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。もうちょっと、自分の使ってる言葉をよく考えて使っ
たほうがいいよ。
74 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 17:57
>>71 精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって、そう簡単に形式と内容が区別されるものではないよ。
それと、セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い。
あと、絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。もうちょっと、自分の使ってる言葉をよく考えて使っ
たほうがいいよ。
75 :
74:2001/06/14(木) 17:58
二度打っちゃった。
76 :
74:2001/06/14(木) 17:58
二度打っちゃった。
77 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:11
落ち着きなされ
78 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:11
落ち着きなされ
79 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/14(木) 18:12
あれ?
>>80 >優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う
意味がわかりません。
81 :
ぷ:2001/06/15(金) 01:04
≫73
精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって
―既に形式と内容を区別している。
セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い
―≫53を参照してくれ
絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。
―僕の言う形式は見えるもの、つまり絵画の表面の事。時間性は
それを見た上で生じるもの。これが内容。
≫80
優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う
意味がわかりません。
―これは一般論だし精神論だけど優雅といわれるマチスやデュヒイの絵を見て
時間性を感じないか。実際彼らは音楽やダンスをテーマにした作品を作っている。
82 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/15(金) 03:15
初心者多い?ここ
何でレス番号引用しないんだよ!
読みづらいんだよ!!!
>変換して>>が出るように自分で辞書登録しろよっったく!
>ぷ
それじゃダメじゃん!
83 :
ぷ:2001/06/15(金) 11:32
>>73 精神内容といっても芸術の場合、あくまでも形式を通じて把握される内容で
あって
―既に形式と内容を区別している。
セザンヌにおける形式の強調といっても具体的にどのような形式な
のかを述べないとあまり意味が無い
―
>>53を参照してくれ
絵画における時間性は必ずしも精神論というわけでもない。むしろそ
れだって形式でしょ。
―僕の言う形式は見えるもの、つまり絵画の表面の事。時間性は
それを見た上で生じるもの。これが内容。
>>80 優雅さを感じる絵には時間はつき物だと思う
意味がわかりません。
―これは一般論だし精神論だけど優雅といわれるマチスやデュヒイの絵を見て
時間性を感じないか。実際彼らは音楽やダンスをテーマにした作品を作っている。
84 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/15(金) 14:12
>>ぷ
よくできました
85 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 04:59
age
86 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/23(土) 20:57
kt
87 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 18:05
静物画はいいと思うが、人物、風景画は全くイイと思わんなぁ。
実力以上の評判と名声が轟いている。
でも、当時の画壇には貢献したんだっけ???
それとも、迫害されたのかなぁ??
88 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 18:32
あのジイさんがいなきゃピカソも出てこなかったろうし
いいんじゃない?
89 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 23:46
一昨年、横浜でセザンヌ展を観たよ。
確かに静物画にはグッときた。
ほかは、あんまし良く無かったね。
ま、後進に影響を与えたと言うことで
よしとしようか。
90 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/28(木) 00:40
あの展覧会は業界(研究者、学芸員など)の間では、
「失敗」と言われているね。
当初予定していた作品が、思うように集まらなかったようだ。
(途中を省いて結論付ければ)
あれほどセザンヌの絵の下手さがクローズアップされた
展覧会を、私は見たことがない。
91 :
its:2001/06/28(木) 00:53
>>90 たしか副題が「セザンヌと日本」でしたっけ。
会場(横浜)の最後の方に、展示ケースに飾られた「白樺」などの
雑誌類がなんともさびしく見えた。
図録の論文は力はいってるのに・・・。
作品が集まらなかったのは、同時期に西美で「オルセー美術館展」が
開催されていたせいもあるらしい。
あの展覧会で一番気に入った作品が、横浜美術館所蔵の
「サント・ヴィクトワール山」だった。これにはさすがにがっくりときた。
92 :
空耳:2001/06/28(木) 01:01
あの展覧会失敗だったんだ・・・
ちょっと複雑な気分。
私はセザンヌの静物画が一番好きですが、
肖像画も好きですよ。
93 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 13:03
なるほど。失敗展覧会か〜。
セザンヌとはなんてつまらない画家なんだろうって
思っちまったよ。でも、セザンヌのりんごは好きだな。
果物だけ描いてればいいのに。
94 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 14:05
え、そおなの?
人物画、わりと好きだけどな。
なんか、トランプやってる男2人を描いているのって
この人じゃなかったっけ?
95 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 14:50
う〜ん
思うんだけど日本人には理解しがたいタイプの画家なんじゃないか。
向こうはロゴスの文化だけど
日本は基本的に情緒で動く国だからね。
理念がどうたら言われても本当は(゚Д゚)ハァ? なんじゃないか
きれいか/きれいくないか(W
「心」に訴えるものでないと反応鈍い。
セザンヌはそういうところにいないロジスティックな作家
96 :
its:2001/06/28(木) 15:37
セザンヌにそれほどたいそうな理念が合ったとは思えないけど。。。
既出だけど、彼は結局のところ3次元の物体を2次元にどのよう
に還元するかという問題に苦心しただけであって、ルネサンス
以降の西洋美術に通底する問題をあえてこの時代に表面化し
直しただけではないでしょうか。
その程度の理念ならば、ベクトルの違いこそあれ、ゴッホ、
ゴーギャン等ポスト印象派の画家も多かれ少なかれ抱いていた
ような気がします。
セザンヌ(+ゴーギャン)=理論派の画家、ゴッホ=近代画家神話
の筆頭者、等という構図があまりにも幅を利かせすぎているので
はないでしょうか。
問題は、ゴッホにしても、セザンヌにしても、作品とそれ以外の
コンテクストをどう切り離して鑑賞するかという点にかかってくるのでは。
これだけ情報に毒された我々には今さらそのようなことは非常に
困難ではありますが。。。
97 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/28(木) 21:53
>セザンヌ(+ゴーギャン)=理論派の画家、ゴッホ=近代画家神話
>の筆頭者、
し、知らなかった……。がーん。
WEEZERのスザンヌ
99 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/30(土) 20:18
>>96 「セザンヌ(+ゴーギャン)=理論派の画家、ゴッホ=近代画家神話
の筆頭者、等という構図があまりにも幅を利かせすぎているので
はないでしょうか。
問題は、ゴッホにしても、セザンヌにしても、作品とそれ以外の
コンテクストをどう切り離して鑑賞するかという点にかかってくるのでは。
これだけ情報に毒された我々には今さらそのようなことは非常に
困難ではありますが。。。 」
で、あなたはセザンヌをどのような画家であるとお考えでしょうか。
私も一応、美学美術史を専攻した身であり、さまざまな知識からは
自由ではありません。
しかし、少なくとも自分では、近頃、
そうした知識をいわば放下して、
直感的に絵を見ることができるようになったと思えるのです。
そのきっかけを与えてくれたのが、横浜美術館でのセザンヌの
展覧会でした。
私はレス90であり、また以前、(検索が面倒なので記憶だけで書きますが)
「セザンヌは、自分で絵が下手なことがわかっていながら、自分は
絵が好きで好きでしようがない、そのことをわかってほしい、と
暑苦しいまでに表現している画家だ」
というようなことを書きました。
そういう考えがひらめいたのが、横浜での展覧会でした。
オカルトめいていますが、私は同展覧会で、セザンヌが
諸作品を通して、上記のようなこと、つまり
「そりゃ、自分が絵が下手なのがわかっている。
でも、俺は絵を描くことが大好きなんだ。
お願いだ、それだけはわかってくれ。
絵が好きなことだけは誰にも負けない」
そんなことを語りかけてくるのを
感じました。
今は私にとっては、セザンヌとは
そういう情念一本槍の画家です。
陳腐ですね。ある意味で、セザンヌとは
陳腐な画家なのかもしれません。
セザンヌをわかりにくくしているのは、文章は
確かに知的であるということです。
多くの人は、これほど知的な文章を書くのだから
絵画にも知的なメッセージがあるにちがいない
と思ってしまうでしょう。
そこがわかりにくさであり、陥穽であると思うのです。
なかなか難しいことですが、一度、余計な知識を
捨てて、虚心にセザンヌの作品を眺めてみませんか。
そうすると、私のいっていることを実感できるかも
しれません。
100 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/30(土) 20:22
99ですが、書いているうちに、96さんへではなく、
それ以外の方へのメッセージになってしまいました。
おそらく、99さんは、私の書いているようなことを
感じていらっしゃる方だと思います。
失礼しました。
101 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/06/30(土) 23:58
↑「99さんは」を「96さんは」にあらためます。
102 :
ナナシノ:2001/07/01(日) 00:06
99さんに倣って僕も私的セザンヌ観を。
子供の頃、図工の時間では、絵のうまい下手はともかく、画用紙全体に元気いっ
ぱい、力強い絵を描けば、そこそこ評価高かったりした記憶無いですか?画面の
中央に小さく描くなんてのは「元気がない」いわんや画用紙に「塗り残し」があるな
んてもってのほか。
それはともかく平面作品で、しかもオーソドックスな油彩作品なんかだと、「塗り残し」
は観る者に結構強い印象を残します。そこだけ穴が空いてるような気持ち悪さを感
じるし、何よりも「塗り残し」がそのまま「未完成品」のしるしにすら見えたり。
でもセザンヌはやるんですよね。平然と。必然性を持って。
2年くらい前にセザンヌの風景画、都美館で3枚くらい観たけど、すごいと思ったです。
なんか無茶苦茶カッコいい。セザンヌのかかってるその壁だけクール極まりない場を
生成してたです。「描く」と「描かない」の境界線上に立つ画家セザンヌ。唐突ながら
轟音ノイズの果てに静寂を聴いちゃったような感じを受けます。
103 :
空耳:2001/07/01(日) 01:07
へーみんなおもしろいこと考えるものだね
104 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/01(日) 02:14
塗り残しと思ってよく見たらなんとホワイトをわざとおいてあった。
戦慄を感じた。
永遠の未完・・・・すなわちこれ完成なり
105 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/07/01(日) 03:19
>>104 そういうあざとさが、私がセザンヌが嫌いな理由のひとつです。
106 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/01(日) 23:18
>>105
あざとさ・・・・(笑)
というよりもそのタブローで最大限の美しく強い画面効果を得るための彼なりの
手段だと思った。
題名は忘れたがパリで見た水浴図だった。
107 :
its:2001/07/03(火) 21:37
>>99さん、
結局僕は色々な知識から自由にはなれなません。
とりわけセザンヌという画家については。
それを断った上で、セザンヌについて語ってみたい。
僕は、セザンヌに対しては距離をとった鑑賞しか出来ない。
なぜなら、自分にとってセザンヌは感情移入を拒否する画家だから。
セザンヌのやりたかったことはよくわかる。
それを否定するつもりはないが、結局彼の試みは自己完結にしか
みえない。彼の作品の軌跡は、自分の設定したテーマに対して
煩悶し、それなりの結論を出してみせた論文の集積にしかみえない。
論文は納得することはあれ、共感や感動を呼ぶということはない。
そして論文は一定の読み方しか要求しない。誤読は許されない。
そのような厳格な姿勢をセザンヌの作品からどうしても読み取ってしまう。
それはどうにも僕にとって息苦しく、「感じる」というよりは一歩引いて
「理解する」という立場しか僕にはとりようがない。
セザンヌのいくつかの作品には、はっとさせるものもある。
(それが
>>91にあげた「サント・ヴィクトワール」山)
でもその感情はやがて知識によって補填され、頭の中で解決され、
霧消してゆく。
そのような画家がセザンヌである。
感受性の乏しい奴と思われても構わない。
けれどそれが嘘偽りない正直な感想です。
108 :
99:2001/07/04(水) 02:09
>>107 いや、あなたはむしろ感受性の豊かな方でしょう。
世の中の多くの人(美術史研究者、愛好者を含めて)は
感受性が乏しく、それゆえ研究者の作り上げたセザンヌ像を
通してしかセザンヌの作品を見ることしかできない、
つまり見る前から「すばらしい作品を見る」という
態度で臨むことしかできないために、あなたのような
率直な意見を持つことができないのでしょう。
あるいは、あなたと同様の感性を持ちながら、
それに自信を持つことができないために、
自分が感じたことをそのまま表現できない人々が
大多数といっていいのかもしれません。
109 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/04(水) 10:33
>>107 たしかにセザンヌは彼独特の目標をもって絵画の制作をしていたと
いう感じはします。
でも私は彼の絵が実際に「一定の読み方しか要求しない。誤読は許
されない。」ものであるとは思えません。
実際にどのような読み方をしていいのかいまだにわからないからです。
私にとってセザンヌの絵画はいまだに謎に満ちたものです。
セザンヌに関するさまざまな論文もそのような近づくことの困難な
何ものかを巡ってのさまざまな誤読の集積に思えてなりません。
いままで私はセザンヌについて書かれた文章を読んで「これが正解
だ」と思ったことは一度もありません。かといって私がその正解を
持っているというわけではもちろんありません。
itsさんの言う「一定の読み方」とはどのようなものなのでしょうか?
110 :
its:2001/07/05(木) 00:15
>>108 ありがたいレスです。
>>109 論文を例にあげて「一定の読み方しか要求しない。誤読は許されない。」と
書いたのは、「自分にとってセザンヌは感情移入を拒否する画家」であり、
そのようなセザンヌの「厳格な姿勢」に対して感じる拒否反応を、ストレートに
表現できなかったため、比喩的に表現しただけのことです。
決してセザンヌの作品自体に対して用いたのではありません。
少し言葉が足りなかったかもしれませんが、僕がセザンヌに対して抱いている
知識は、このスレに書かれている以上(いや、それ以下かもしれません)ではなく、
>>96に書いた通りのありきたりなステロタイプ化されたそれです。
セザンヌに対して、記号学的、心理学的等様々な解釈があることは知っている
つもりです。(後者のアプローチはシャピロをはじめあまりにも有名です)
僕自身セザンヌの作品を一瞥して目に入ってくるのは、まず色彩の場合もあり、
モチーフの配置、あるいは構図全体の場合もあります。しかし、結局のところ
ステロタイプな知識を通した鑑賞にしかたどり着かざるを得ず、それはくどいよう
ですが、僕の場合、「感じる」というよりも「理解する」という姿勢によって得られる
です。
自分でも書いていることがわからなくなってきた。意味不明だったらすいません。
111 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/05(木) 09:29
なんかセザンヌって突然変異って感じがする。
特に「サント・ヴィクトワール」って絵を見るとそう感じる。
なんかそれまでの絵画の流れから断絶しているというか、なんか
孤高の存在というか、どうしてそうなったかというのが分からない。
それに比べるとゴッホはそれ以前の手法でなんとなく説明つきそう
だし、ピカソのキュビズムも明らかにセザンヌの影響が見て取れる。
いろいろ理屈はあるだろうけどなんかどれも、あっそうって感じ
。だけど分かっていても普通やらねえだろこんなことって感じが
します。なにかそこにセザンヌの常軌を逸した闇というか異質者
ということがクローズアップされそうです。
確かに嫌いな人がいてもっともだと思う。
112 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/05(木) 09:46
>99
セザンヌが下手だといっているのは岡本太郎も同じ事を
いってるよね。余りに下手でかわいそうなぐらいだとまで
いっている。
113 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 21:33
>>99の「絵がうまい」と言うのも何をもって上手いとしているかですね。
アカデミックな教育を確実にこなせたところで、それが何?って感じで、
「絵が大好き」で仕方がないと言う点に99が本質を見るのは大賛成です。
なぜなら彼にしてみれば、作らなければならない俺の人生やってられん!
って感じで、表象に満ちたこの世界をどう乗り越えていくかと言う切迫感の
中で制作していたと思う。
それは山の表象イメージそのままを絵にするのでなく、
モネが試みていた刻々と変化する世界、物質としての光の渦を絵画と言う
方法を通してイメージの運動へと導いていったと思う。
繰り返すけど、セザンヌの絵の下手さを問うのは意味がないのでは。
114 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 22:30
>113
んーでもこの場合セザンヌが下手だったというのは結構重要
な要素かもよ。確かに昔の巨匠と比べるとかわいそうなぐらい
下手だった。そして不幸にも(幸運にも?)それを知っていた。
だからこそセザンヌがセザンヌでありえたってことにはなら
ないかな?。多分セザンヌの絵がうまかったらああはなって
なかったでしょう。なにしろセザンヌの友人にも「お前は
独創性はあるんだからあとは絵が上手ければどうにかなる
んだから。」といわれ続けていたらしい。あんまり言われすぎて
セザンヌがキレて殴り合いの喧嘩になったらしいw。
だからセザンヌはああいう風になるしかなかったんじゃ
ないのかな?。理屈ではどうとも言えるけど問題はもっと
深いところにある様な気がするな。
115 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/06(金) 23:02
実際にセザンヌが下手であれなんであれ、それを彼の作品の特徴と
して繰り返し指摘するだけだとしたら、やはりたいして重要ではな
いと思う。むしろ重要なのはその後の話でしょ? 実際にセザンヌ
の作品がどのようになっているか、ということ。上手いとか下手と
かというレヴェルを超えて実際にセザンヌの絵をどのように捉える
か、ということ。
私は別にセザンヌが下手であるという主張にことさら反論するつも
りはないけど、話がそこで終わってしまうのならやはりたいして意
味のない主張だと思う。できれば話をそこからさらに展開させて欲
しいと思います。
116 :
114:2001/07/07(土) 12:16
>115
勿論そういうつもりで書いたつもりだけど。
正直言ってセザンヌを理解しようとする時いわゆる伝統的な意味での
絵のうまさがどうこうってのは確かに意味が無いんだよね。なるように
なるしかならなかったけど、その結果新しい価値観を生むことに
なったんだから。だからセザンヌは異質者であり突然変異ってこと
なんだよな。
117 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/13(金) 19:16
agw
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄( ゚Д゚) ̄ ̄| < ではまた明日な
|\⌒⌒⌒⌒⌒⌒\ \
| \ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ |⌒⌒⌒⌒⌒⌒|
\ |_______|
初めて書き込みます。
セザンヌの絵が上手いか下手か、ということについて考えてみました。
申し訳ありません、駄文でしかも長くなります。m(_ _;)m
唐突ですが、ゴッホのドローイングをUPします。ゴッホは独学だったそうですね。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/7217/index.html 左がヌエネンで、右が2年後にハーグで描いたものだそうです。
ついでに伊藤廉の文章を無断転載。
「大工」のデッサンは、比例におかしいところがあります。右手が大きかったり、
左腕が短かったりしています。-中略-ゴッホは、あるいは西洋人一般は、こういう
歪みが気になるのです。-中略-ハーグへきてからかいたものは、そういう変なところ
がありません。
ゴッホは努力の人だったのね、ということを言いたいのではなくて、
色彩においてあれほど自由であったゴッホが、両腕の長さが違うことをかなり
気にして解剖学的正確さを目指していたらしい、つまり物体の形については
案外保守的で「アカデミックな常識」に縛られていたのではないかということです。
19世紀のヨーロッパ美術界ではアカデミーの力がまだ強かったはずですから、
作品中の人物を現実の人間の様に描けなきゃまともな画家じゃない、なんて
雰囲気も当然あったでしょう。
また無断転載、セザンヌの学生時代(20代初め)のドローイングです。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/7217/index2.html 当時のアカデミーの基準、例えばアングルなどに比べると不器用かもしれませんが、
所謂「普通」の絵は描ける人だったようです。
歪んでいない机の上に宙に浮いていないリンゴを描くことはできたでしょう。
人物についても、当時の学校では美術解剖学は必須ですから両腕の長さが違えば
当然分かるし直すこともできたはずです。
印象派の画家達は戸外で実際の風景を見ながら描くことが多かったそうですね。
昔の画家のようにアトリエ内で絵の約束事に従って絵を組み立てるのではなく、
自分の目で見えた様に描いていく。影の中にも色があるし、光の色も時間とともに
変化します。現実の色は絵の中より遙かに豊かです。
もしかしたらセザンヌは色だけではなく、物の形に対しても自分の目を優先させよう
としたのではないでしょうか。
人間の目は2つですから、物の輪郭は決して一本の線には見えませんね。
見えたように何本も輪郭線を引く、それを優柔不断と言った人もいるそうですが、
そうは思いません。むしろジャコメッティとの共通性を感じます。
121 :
119:2001/07/15(日) 01:57
セザンヌは、学校で習った描き方では自然を自分が見たように描けない、
自分には別な手法が必要だと思ったかもしれません。
しかし参考にすべきものが当時あったかどうか。
周囲の印象派の画家達に触発されることはもちろんあったでしょう。
しかし(不勉強なので間違っているかもしれませんが)ピカソにとっての
セザンヌという意味での、影響されるべき手法を持った人は、いなかった
のではないでしょうか。
絵の基本である色面を従来の手法によらずに作ろうとすれば、当然試行錯誤
の連続だったでしょうし彼にとっての失敗作も多かったと思います。直感に
も随分頼ったはずです。
しかしそれを指して「セザンヌは下手」とは決して言えないでしょう。
誰もやらないことをやろうとしたのですから。
物の形について従来の考え方と距離をおく、この点でセザンヌとゴッホは対照
的だと思います。ゴッホが色について自由になれたのは、形についての基準を
自分の外(アカデミックな方法)に置いたからではないでしょうか。
セザンヌは色、形とも現実の物体から離れることはありませんでしたが、基準を
自分の中に置こうとしたのだと思います。
セザンヌの作品は、「自分にとっての自然」を描こうとした彼の様々な試行の
軌跡という気がします。
今気付いたのですが最後のレスは一週間前・・・あげるかさげるか迷いますな。
あげてみるか。
122 :
ナナシノ:2001/07/15(日) 02:31
>>119 セザンヌにしろゴッホにしろ、その作品を観ると、
描かれている内容や手段以前に、アカデミックな
「回答」に対する拘りを捨てきれていないのでは。。
と思わせるところがあるのかも。そこが「下手」って
いうイメージを簡単に呼び起こすんだろうね。初めて
の「疑問符」に価値があるのは周知だけど、こんな
「過程」としての絵画に果たして価値があるのか。
とは素朴な疑問として思うよね。
我々鑑賞者はそこから拾うべき何かを拾うしか無いね。
既知の評価とは無縁に。
123 :
でも:2001/07/15(日) 09:02
岡本太郎「今日の芸術」にこんなことがかいてあるよ。
長いから要約するけど、セザンヌはかわいそうなぐらい
下手糞だといっている。ドローイングをしても「すわっている
裸婦を正面から描いたものですが、前にでているはずの膝小僧
が下腹にめりこんでしまって、きのどくなほど不手際でした
(このときいっしょにいった日本人画家がこれを見て、「
さすがセザンヌ、うまいもんだ」と奇妙に関心してみせるので、
バカバカしい気がし。」たそうだ。つまり>120であげている
ものも当時の画家のデッサン力からくらべるとけして高いもの
ではないということになる。おまけに「人によってはセザンヌが
当時から自覚してそういう描き方をしたのだと強弁するかもしれ
ませんが、その当時、彼が尊敬し心酔していた画家というのは
、アリー・シェールという俗悪な官展の大家だったのだから、お
どろくべき。」ともいっている。
ただし、セザンヌの名誉の為にいっておくけどだからダメだと
いっているのではなくてだから素晴らしいといっている。
もっといってしまうとセザンヌの絵はもっと技術的にうまい
とか下手なんてことは本質的にあんまり関係ないっていうこと
ではないかと思うな。
124 :
:2001/07/15(日) 14:36
岡本太郎はゴッホも下手って言ってるね。
125 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 15:12
岡本太郎はセザンヌを理解できていたのでしょうか?
126 :
119:2001/07/15(日) 16:32
セザンヌは長い間サロン(官設展覧会)に応募し続けたそうです。
しかも当選したのは1回だったとか。今から見れば、セザンヌ程の
画家が、なぜそこまでサロンに拘るのか?と思ってしまいますが。
「紅白に出場して初めて一人前の歌手」といった状況でも想像すれば
いいのでしょうか。
昔のアカデミーは大変厳格だったらしくて、うろ覚えですがレンブラント
も「間違った描き方をしている」なんて言われたそうですね。
セザンヌの頃だと、スーラも美術学校での成績は良くなかったそうです。
http://www.clair-obscur.com/air/seurat/index.htm これで下手なら、おまえらどんな絵描いとるんじゃい!と思って調べると
ヴィーナスの誕生/アレクサンドル・カバネル 1863
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/cabanel/venus.jpg カバネルは仏国立美術学校の教授で、この作品は当時大人気だったそうです。
セザンヌとカバネル、「今」見ると上手下手どころか異種格闘技の世界ですね。
もう笑っちゃうぐらい比較しようがない。何が上手くて何が下手なんだか・・・。
>>123 >技術的にうまいとか下手なんてことは本質的にあんまり関係ない
そう考えた方がいいですね。その方が絵を楽しめると思います。
>>122 >我々鑑賞者はそこから拾うべき何かを拾うしか無いね。
>既知の評価とは無縁に。
そう思います。「キュビズムを通過した眼がラ・トゥールを発掘した」ような
可能性はいつでも、誰にでもあるでしょうから。
127 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 21:36
セザンヌの作品は僕はほんとにすばらしいと思います。
けれども、いざ、どこかすばらしいのか、と考えると、答えるのが
むずかしいですよね、彼の作品。
128 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 22:24
それは誰の絵でも難しい、と思うなあ。
絵画について語るのって観念的な話しになりやすいこともあって100パーセント共有できることってないと思うし。
得に非文学的な絵についてはね。
129 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/15(日) 22:33
↑そのとおり。
130 :
Victoire:2001/07/21(土) 02:57
だけどセザンヌって同じ絵ばっか描いてるね。果物の絵、トランプをする人たち、
サント・ヴィクトワール山、ブサイクな奥さんの絵、水浴・・・アメリカの美術館に
いやになるほどたくさんある。
131 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:17
>>121 セザンヌって葛飾北斎の影響受けまくりだよ。
画面構成まんまパクリみたいのまであるよ。
132 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:43
>>131 それってホントかな?
こないだのセザンヌ展のカタログにもそういうこと書いてあったけ
けど、ちょっと説得力がない感じがした。
133 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/21(土) 22:48
>セザンヌって葛飾北斎の影響受けまくりだよ。
>画面構成まんまパクリみたいのまであるよ。
オレもそう思う。四角い画面もパクリだと思うよ。絶対に!
134 :
くるくる:2001/07/21(土) 22:48
名前が歴史に残ったんだから、それなりにすごいんじゃないか。
セザンヌにもいい絵も悪い絵もあるし。うまいへたなんてことより。
136 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 01:04
>>134 この人はゴッホのところでも書いてたけど、とてつもなく
アホだね〜。んじゃ名前が残ってりゃ誰でも凄いのかい?。
そりゃ結果的に名前が残ったってだけで、それは後付け
の価値観だろ?。なんでセザンヌが凄いかっていう理由
にはならんだろう。それに君にはセザンヌのどの絵が良くて
悪いが解るのかい?。後学の為に教えてくれよ。ただし
反面狂師としてだがなプ。
>>111 結局本当の凄さってこういうことだと思うよ。
要するにセザンヌは異端者なんだよ。あまり前後の文脈
と関係ない絵を書いたってことだよ。セザンヌ自身は大変に
画壇に興味があったにもかかわらず、ああいう絵を描いたってこと。
そこが凄いし解らないってこと。ピカソだってゴッホだって
裏が見えるのにセザンヌにはそれが見えないって事だな。
どこをどうやったら「サント・ヴィクトワール」山みたいな
絵を描けるんだろう。普通、思ってもそんなことは絶対やらない
って(もしかしてヤケクソ?w)。当時の画壇はものすごい
保守的だったから存在を抹殺されるよ。
137 :
catt@ e140119.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 01:21
>>136さん
セザンヌはエル・グレコをきっちり解釈していると思われます
138 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 01:42
それではその影響からどうして「サント・ヴィクトワール」みたいに
なっていったのかを説明してよ。
139 :
catt@ e140119.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 01:52
>>138さん 私見ですが、セザンヌは「支持体」と「描画の痕跡」の関わりに
気が付いた時点で、いくつかの時代を統合した制作に踏み込んだのだと思います。
近代、それ以前、そして現代。「聖ヴィクトワール山」をよく見てください。
そこには西洋と東洋の描画技法に共通した最大の要素が隠されています。
>>131 北斎とセザンヌを比較すると、絵画空間の捉え方(特に光の扱い方)
が大きく違うように見えるのですが。
詳しく説明して頂けると嬉しいです。
>>133 >四角い画面もパクリ
って何でしょ?
>>137cattさん
エル・グレコについては殆ど知らないので、セザンヌとの関わりを
是非聞いてみたいです。
訂正
>ゴッホは独学だったそうですね→削除
調べたら、学校行ってますね。思いっきり、二度も。
>左がヌエネンで、右が2年後にハーグで描いたものだそうです。
伊藤廉の文章に拠ったのですが、ハーグ時代は1881年末〜1883年、
ニューネン(ヌエネン)時代は1883年末〜1885年ですから、もしか
したら左がハーグ時代なのかも知れません。
(画像の制作年については特定できず。)
142 :
catt@ e140119.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 02:14
143 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 08:59
>>139 いやそういう理屈じゃなくて、なんで彼は「聖ヴィクトワール山」
を描かなければならなかったかということよ。別にグレコや東洋から
の影響を否定するきもちは毛頭ない訳よ。ただそれらの影響を
全て認めた上で、なぜあのような絵を描いたかって事なのよ。例えば
ピカソのキュビズムは明らかにセザンヌの影響とイベリア彫刻、
アフリカ彫刻からの影響を脈々と感じることが出来るわけ。
でもセザンヌにはその直接的な影響、必然性がわからないから突然変異
と思うわけ。もっと詳しく説明してくれよ。
144 :
catt@ f077028.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/22(日) 11:47
>>149さん
>ピカソのキュビズムは明らかにセザンヌの影響とイベリア彫刻、
アフリカ彫刻からの影響を脈々と感じることが出来るわけ。
でもセザンヌにはその直接的な影響、必然性がわからないから突然変異
と思うわけ。もっと詳しく説明してくれよ。
これがよく分からないんですが、習作があるかどうかってことでしょうか?
145 :
くるくる:2001/07/22(日) 11:48
>>136 あなたは文脈の表面しか捉えられない人ですね。
名前が残ったから偉いんじゃなくて、残るからにはそれなりの
ものがあるということなんですよ。
例えば、今売れている先生がたですが、今は売れてますが、
歴史に名を残すかどうかは疑問です。
わかりましたか?こんな幼稚園にするような説明をしなけりゃ
いけないんですか。この板の人は。疲れますね・・・
それと、どの絵が良いか悪いかなんて、言ってみても、それは私に
取っての良い絵・悪い絵であって、あなたには意味ないでしょう。
くだらんことばかりいわないでください。
146 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:16
>>144 そういった意味も含めてだね。グレコと東洋の影響からなぜあんなに
「聖ヴィクトワール山」みたいに幾何学的形態の絵になったことを
説明してほしい。
147 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:21
>>145 ほうらやっぱりリアル厨房の証明!!。
>名前が残ったから偉いんじゃなくて、残るからにはそれなりの
>ものがあるということなんですよ
だからそれを聞いているのさね。
>それと、どの絵が良いか悪いかなんて、言ってみても、それは私に
>取っての良い絵・悪い絵であって、あなたには意味ないでしょう
だから意味なくても聞かせてみろといってるの。
わかる?。「くるくるパー」くんプププ。
148 :
くるくる:2001/07/22(日) 12:26
どうせあんたは聞く耳を持たんからいってもしょうがないでしょ。
批判する耳は持ってるけど。だいたい名前が残るからにはそれなりのものが
あるかないかに対しての意見なら聞くが、またまたおかしなことしか言ってこない。
やはり、小学生の頭しかない人だ。絵がどうのという以前の問題だ。
礼儀とか勉強してからいいなさい。
149 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:28
オレには、147のほうが「くるくるパー」に見えるが。
もしや、また一人漫才か?まあいいや。
150 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:30
どうせ一人芝居だろ?。閑だからって止めろよ。
151 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:32
>150
意味不明だ。言葉が足りないよ。
152 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 12:40
>>148 だから逃げるなよ。きちんと証明して見せろよ。
きちんと聞いていてあげるからよ。そうやって逃げる
から厨房呼ばわりされるんじゃされるんじゃないの?。
まあ洗礼を受けたわけだw。
153 :
くるくる:2001/07/22(日) 12:52
意味わからん。何を証明するのか?
第一、セザンヌのどの絵が良いとか悪いとかそんなこと知るか!
残るにはそれなりのものがあるからだろうという一般論を言ってるだけで、
個別にこれがいいあれが悪いという話じゃないし。別にセザンヌじゃなくても、
言えることを言ってるだけだ。それが何でこういうバカ話になるのか・・・
そんなことにいちいち絡まれても困る。
それに、良い絵とか悪い絵自体どうでもいい。好きな絵ならわかるが。
好きな絵をあんたに語って、あんたそれでどうしたいんだ。
この板は学者級にセザンヌを知らなければ、語ってはいけないのか?
一人漫才はウザイからやめれ。
155 :
くるくる:2001/07/22(日) 13:00
156 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:03
もう来ないでね。
157 :
くるくる:2001/07/22(日) 13:10
まあそう言わないで下さい。また気が向いたら来ますよ。
でもこの板はちょっと終わったようなので、しばらく様子見かな・・
158 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:21
>でもこの板はちょっと終わったようなので
ゴラァ!それは、おまえの所為だろが!
とぼけて名前を変えて出てくるんじゃねえよ。空耳。
159 :
くるくる:2001/07/22(日) 13:27
>>158 この板は、勝手にひとり芝居だとか、空耳とかに勘違いしてくれる
ので、すごく楽です。そう思ってくれるとありがたい。
これで何を言っても、空耳さんのせいになります。
気持ちが楽になります。ありがとう。
160 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:27
対話になっていない発言は無視。それが正しい読み方。
161 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:31
>気持ちが楽になります。ありがとう。
それが「羊」の役割。
162 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:33
対話になっていない発言は無視。それが正しい読み方。
163 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:35
>>161 羊かぁ。よっぽどここ人がいないんですね。
かわいそうだから、羊役になりましょう。
それであなたは「ブタ」役?
164 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:41
ボケるなよ(藁
goatsong
↑
羊
165 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 13:48
166 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:03
>165
エサに釣られて出てきたな、死にぞこない!
167 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:04
対話になっていない発言は無視。それが正しい読み方。
168 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:26
169 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:27
170 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:31
171 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:32
172 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:32
173 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:33
174 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:38
>>164 >goatsong
>↑
>羊
さらしage
175 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:40
176 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 14:40
177 :
セザンヌ=アンリ・ルソー:2001/07/22(日) 14:48
セザンヌというのは、既存のタイプの画家に
なることを夢見つつ、結局、自分のめざずタイプの画家には
なれず、いわばその副作用あるいは反作用として、
後世の人々から新しいタイプの画家として認知されてしまった
人といえるね。
178 :
164:2001/07/22(日) 14:53
ワリィワリイ、
表記方法がよくなかったな。
goatsong(空耳・いるす)=羊
羊=この板に潜む「魔」への生贄
はやく成仏してください。
南無妙法蓮華経。
180 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:03
181 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:04
182 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 15:04
南無妙法蓮華経じゃだめか?では、
南無阿弥陀仏。
アベマリア。
アーメン。
184 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 21:58
>>142cattさん
確かにかなり共通点はありそうですね。
風景もそうですが、
「ラオコーン」
http://www21.freeweb.ne.jp/art/j-miki/E/ElGreco/el13.jpg 人物の形態は、画面構成のための人物に見える程変形されていますし、両端の
人物なんて完全に背景と密着している。右端の群像は前後の隙間が殆どありません。
このような圧縮された絵画空間はセザンヌの作品にも顕著ですね。
「大水浴図」
http://www.artchive.com/artchive/C/cezanne/brnsbath.jpg.html セザンヌ本人はドラクロアを賞賛していたそうですし、きっとルーブルに通って
古典作品にも親しんでいたのでしょう。
もしかしたらセザンヌの作品には、様々な画家達から受けた影響が見え隠れして
いるのかもしれませんね。素人にはこれ以上わかりませんが。
また訂正。
>>121 誤 周囲の印象派の画家達に触発されることはもちろんあったでしょう。
しかし(不勉強なので間違っているかもしれませんが)ピカソにとっての
セザンヌという意味での、影響されるべき手法を持った人は、いなかった
のではないでしょうか。
正 周囲の印象派の画家達に触発されることはもちろん、過去の様々な画家の影響
もあったでしょう。しかし(不勉強なので間違っているかもしれませんが)
一目で分かるほどの影響力を与えた画家は、いなかったのではないでしょうか。
>>177さん
死んだあとで本人が一番驚いてたりして。w)
>>146さん
絵画の強度を保つために、画面の中の対象物に幾何形態を内在させるのはセザンヌ
以前から行われていましたね。アングルでさえ、画面構成に人体を合わせるために、
背骨を追加していました。ただ、あからさまな見せ方をした画家はセザンヌ以前に
あまりいなかったようですが。(エル・グレコがいたのか・・・ぉ)
個人的に、セザンヌが「聖ヴィクトワール山」のような作品を描けたのは、実際に対象
を見ながら直描きで制作をすることが多かったせいではないかと思います。
チューブ絵具が発明されたのは19世紀中頃ですから、 印象派以前の画家達は戸外での
スケッチを元にして、あるいは記憶に拠って描くことが多かったはずです。
18世紀までの絵画制作は非常にシステマチックなもので、最初に決定された形を修正するのは
簡単ではなかった。フランドル絵画等は殆ど工芸品を創るようだったと聞きます。
勝手な想像ですが、そのおかげで様式が時代ごとに比較的明確に現れているのだという気もします。
時間と共に移り変わる自然の中に幾何学的構造を見出していくことは、思ったよりも困難な事
なのかも知れません。目が見ていく形と画面が要求する形、その違いを直接画面に色を置きながら
その都度修正していく、その行為の集積があのような構造むき出しの絵になるのはそれほど不思議
なことではないように思います。うまく言えませんが。
187 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 09:44
>>186 おっ?!ちょっと面白い説だな。
>個人的に、セザンヌが「聖ヴィクトワール山」のような作品を
>描けたのは、実際に対象を見ながら直描きで制作をすることが
>多かったせいではないかと思います。
つまり必要に迫られてって訳?。
正直いって画面の中の対象物に幾何形態を内在させる云々とか
って話は建前論であって、なんであんな絵を描いたって動議付けに
ならないと思ったけどこれはなんとなく理解できそう。
つまり戸外で製作することが多くて。ということは比較的短時間
で製作することが多くて、その短時間でのインスピレーションを
画面に留めておくにはああいった方法が最適だったということ
なのだろうか。
そういう風に考えをめぐらしていけば>185の「周囲の印象派の
画家達に触発されることはもちろん、過去の様々な画家の影響も
あったでしょう。しかし一目で分かるほどの影響力を与えた画家は、
いなかったのではないでしょうか。」ってものの答えになるよね。
つまりいろんなところから影響は受けたが絵を描いて行く上での必要性
に迫られてああ言う画法を選択せざるをえなかった。それがきっかけに
なっていろいろと絵画の別な面を見出すに至ったってことかな?。
正しいかどうかはあくまで憶測の域をでないが結構そんなものかも
しれないね。
188 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 22:23
セザンヌが生きている頃から、
グレコとの類似を指摘する人はいたようですが、
セザンヌ自身は、グレコの絵は見たことがなかった、
そのグレコとやらの絵を一度見てみたいものだと語っていたと言う話を何処かで読みました。
また、前の方で引用されていたポンテは、この二人、グレコとセザンヌを、分裂病質の画家として括っていました。
>>187さん
>画面の中の対象物に幾何形態を内在させる云々とか
>って話は建前論
というか・・・人間の眼は対象に幾何形態を要求しますから。
絵に限らず人間が何かを見る時には、不定形の形よりも直線、円など幾何学的
な形の方がわかりやすいし、整って見えますね。ゴミが散らかった部屋で
まず目にはいるのはTV、机等大きくて、幾何学的な形。脱ぎ捨てられた
服や丸めたゴミより目立つしきれいです。ごく当たり前のことです。
ですから彫刻や、絵に描かれた対象を幾何形態に沿わせることは、それこそ
大昔から行われていたし必須の事でもあります。昔のアカデミーでは知識として
教えますし、アンリ・ルソーは美術館の絵や周りの画家達から学んだはず。
ルソーが素人画家と区別される理由の一つは、このことです。
>つまりいろんなところから影響は受けたが絵を描いて行く上での必要性
>に迫られてああ言う画法を選択せざるをえなかった。それがきっかけに
>なっていろいろと絵画の別な面を見出すに至ったってことかな?。
必要に迫られたのは、確かだと思います。ただし長い試行錯誤の末にですが。
本格的に絵を描き始めたのが1859年、手元の画集を見る限りでは有名な
「片ぼかし」は1870年代半ばから散見されます。この頃はまだ様々な手法
を試していたらしく、セザンヌらしからぬ作品もあるようです。
レニングラードの「聖ヴィクトワール山」が描かれたのは1896-8年、
1900年代はいわゆる、セザンヌの絵を描いています。
ですから、手法によって別の面を見出したというよりも、自分が見出した形
を描くために、様々な手法を試した末「片ぼかし」を選択したと考えるべき
でしょう。
今思い出したのですが、セザンヌの言葉に「自然の中でプッサンをやり直す」
というのがあると、誰かから聞いたことがあります。事実かどうかは、現在
調べようがないのですが、不自然な言葉とは思えません。
私にとってセザンヌは、
子供の頃誰かに言われた「もっとよく見て描きなさい」という言葉と、
学校や美術館で学んだ事を、愚直なまでに両立させようとした人
のように思われます。
>>188さん
>セザンヌ自身は、グレコの絵は見たことがなかった
そうですか・・・。なにやら「個体発生は〜」
等という言葉が頭に浮かびますが。w)
美術史の知識は殆どないので、お手上げです。
19世紀のフランスに詳しい方、情報お願いします。
「眼と精神」ですか。
哲学関係の知識もほぼ皆無でございます。
手に入れて読んでみたいとは思いますが、
どうなることやら。
191 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 04:32
このスレ読んで田能村竹田を思い出した。
「自分は中国の画家よりも下手糞だ。でも自分が中国の画家より有利な
ところがあるとしたらその下手糞なところにこそあると思う。」
みたいなことを竹田は言ってたと思う。
192 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/24(火) 13:07
191氏の言うことにほぼ同意。
セザンヌのデッサン力の低さがなけりゃ、平面を意図的に構成するという発想
へは至らなかったと思われる。
193 :
catt@ e142115.ppp.asahi-net.or.jp:2001/07/27(金) 00:35
>>191-192さん
すみませんが、後学のために「上手な絵描き」ってのは誰みたいなのを指すのか
2〜3人教えていただければありがたいです・・
194 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/27(金) 09:51
下手って言われるのがそんなに嫌なの?
ムキになって煽らなくてもいいじゃん。
セザンヌの偉大さは誰も否定してないのに。
195 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/27(金) 18:42
196 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/27(金) 23:45
>>191-192
同じようなことを何度も書き込まないでください。
そこから話を先に進めてください。
>>196 俺はスレを読んだ感想を書いただけなんだが?
それも駄目なのか?
198 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/04(土) 01:45
>188
>セザンヌが生きている頃から、
>グレコとの類似を指摘する人はいたようですが、
想像も付かない。どんなところが似ているんだろう。(大水浴?)
>>142 の「トレド風景」と似ているセザンヌの絵とは何 ?
>>197 >俺はスレを読んだ感想を書いただけなんだが?
いいんじゃない?
200 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/08/05(日) 20:20
>>191 竹田は、セザンヌとは比較にならぬほど「うまい」。
だから、その竹田の言葉は、この文脈ではあまり意味を
もたないと思う。
201 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/06(月) 13:07
セザンヌは絵が下手とか言ってる人たちは、彼の絵からそれ以上の情報を読み
とることができない人たちなんだろうな。
いとあわれ。
202 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/06(月) 22:21
203 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/08/06(月) 23:35
>>201 セザンヌが絵が下手だということを認めたくない人たちというのは、
彼の絵から下手な絵以上のものを無理に読み取ろうとしている
人たちなんだろうな。
いとおかし。
結局
>>192 の
>セザンヌのデッサン力の低さがなけりゃ、
>平面を意図的に構成するという発想へは至らなかったと思われる。
という(これだけでは)安易な決め付けに
ミンナ反応してるだけだけだと想うの。
「上手い下手」の話は、
時代的・個人的な価値観の差異について踏まえて読み・発言しよー。
・・・ぃゃ、大抵の人は踏まえているようだけど。
205 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/09(木) 06:57
セザンヌの風景画は、今の人が描いたらまず売れません。
どうみても、あまりうまい絵ではありません。
当時は新しい作風が評価されただけです。
しかし、それでも大変なことだ。
206 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/09(木) 12:47
>>205 「風景画」って、どれのこと ?
まさか、「首馘りの家」とかの「野外」且つ「非人物」画を
指しているわけではないよね ?
セザンヌのあの手の絵は、原物と画集の落差がことに大きい。
現在の写真・印刷技術では捉え切れない力があると思う。
(逆にマグリットなんかは、絵自体が写真複製向き)。
207 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/10(金) 05:04
セザンヌの山の絵、セント・ビクトノアール山だっけ
あれはほんと下手。
当時はほとんど売れなかったらしい。
晩年、ようやく新しい画風が評価されて
売れ始めたころ、画商ボラールが、セザンヌから絵を貰って所有している人に
絵を買いにいったところ、二階から投げられたという。
ただの下手な絵としか、しろうとには思えなかったらしい。
たしかに、新しい画風がなければ、ただの下手な絵にしか見えない。
いま、あの絵を書いてもまず、ほとんど売れないでしょう。
しかし、あのおおざっぱな絵を発明したのは、やはり天才と言うしかない。
208 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/10(金) 10:34
やっぱ2chってこの程度か。
いつまでたっても上手/下手という価値観から離れられない人ばっかり。
トホホ。
209 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/10(金) 18:02
>>208 そう悲観するなって。参加者の95%はそうでもないと思う。
数人の阿呆が目立っているだけだからかっこばく
210 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/10(金) 21:09
211 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/11(土) 00:01
セザンヌは新しい画風を発明しただけ。
絵はへたくそ。
いまの人が、あのような山の絵を描いたらきみは買うかい?
おれは買わないよ。
あの山の絵は、水墨画かなにかの影響を受けている。
「セント・ビクトノワール山」とは恐れ入りました(藁
>>212 おれは「水墨画かなにかの影響」のがうけました。
214 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/11(土) 03:48
セザンヌの山の絵は何山だ?
サント・ビクトワール
216 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/08/11(土) 18:55
La Sainte Victoire
でいいのかな?
217 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/11(土) 20:16
>>216 固有名詞に冠詞附けるのは変だけど、附けるとしたらleでしょ。
展覧会カタログに拠れば、
サント・ヴィクトワール山
La Montagne Sainte-Victoire
221 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/08/15(水) 23:48
>>218 フランス語を知らない人だね。
フランス語には定冠詞がついていたり、
冠詞をつけなければならない固有名詞は結構ある。
le Havreとかla Seine
とかね。
山や川の場合、定冠詞をつけることが多いね。
>附けるとしたらleでしょ。
vicroireは女性名詞だぜ。
あんた、知ったかぶりもほどほどにな。
222 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/08/15(水) 23:53
220のURLに飛ぶと、
La Sainte-Victoire という表記もあるし、
La Montagne Sainte-Victoire という表記もあることがわかるね。
223 :
わたしはダリ? 名無しさん?:2001/08/16(木) 00:03
>>221 あんたのいうとおり。
218はフランス語知ったかぶりか?
日本はle Japon だし、フランスはla France だもんな。
224 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/16(木) 00:33
>>223 というか、218はフランス語は全くできないのでは?
英語かなんかの感覚をそのまま持ち込んだのでは?
225 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/16(木) 01:54
>>215-224
フランス語講座も勉強になるけどさ、そろそろセザンヌの話に戻ろうよ。
セザンヌってアングルのこと貶してたけど、自分はサロンに応募し続けたでしょ?
何か変だよね。自分の絵がアングルみたいな絵の隣に並ぶのを望んでいたのかな?
226 :
ナナシノ:2001/08/16(木) 02:28
今、世田谷に展示されてる福田美蘭の作品でセザンヌ静物画の
「デッサンの狂い」を直接「指導」する書き込みが加えられてるのがある。
やれ布の描き方が悪いだの、正中線が狂ってるだの、笑うくらいベタな
書き込みされて、端には「b+」の評価が。。
227 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/16(木) 02:59
>>225 そのへんの勘違いが、俺にはアンリ・ルソーに似ていると思える。
228 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/16(木) 05:01
セザンヌって、どこか間抜けな気がして笑えるし、
憎めないところがあるね。
229 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/16(木) 22:17
>>226 美蘭ちゃんは同級生だったんだが昔から変だったよ
超スレ違いなのだけど、あの世田谷で、福田美蘭が出品作品
全てに「解説」を付けた理由は何故なのだろう。。
どこまでも、美術の「意味」をリセットし続ける執拗さ。オヤジ
がツマルトコロ「粋」を目指すかのように見えるのと対照的だ。
231 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/17(金) 11:58
>>229 そんな君は、セザンヌのことはどう思ってるの?
232 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/17(金) 18:26
こないだ画集をみました。
セザンヌの描き方の移り変わりがあったのですが
一つは恐ろしく気合の入った、これでもか、とでもいいたげの、
力強い、ものものしい青リンゴの絵。
もう一つは、ものものしさが失われて、画面全体の調和が取られた、
淡いタッチの落ち着いた静物画。
調和が取られている静物画の方が後の時期の作品だそうで、
確かによりセザンヌらしいものに近づいています。
その画集ではそちらの方を評価していました。
自分は前者の、ものものしいほうが好きなのですが、
皆さんはどうですか?
233 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/18(土) 01:11
>>232 私は前者のほうがセザンヌらしいと思う
(「前者が好きだ」とは言っていないことに、ご注意)。
過去の研究者を含めて、みなさんセザンヌについて大変な
誤解をしている。
セザンヌは知的な画家などではない。
絵は下手だが、絵が好きなことは誰にも負けへんでえ
というような
花登筐の船場物も真っ青な、
絵筆1本晒しに巻いて〜の
ド根性男なのである。
よって、前者のほうがセザンヌらしい。
俺は嫌いだが。
234 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/18(土) 14:46
>>234 たぶん同一人物が同じこと懲りもせず書いてると思われ。
めちゃめちゃベタな意見なのに、ものすごく独創的な主張かなんか
だと思ってるらしいです。
まあ、こういう人はそっとしておいてあげましょう(藁
236 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 10:53
ところで、
234、235は前者と後者、どちらが好きですか?
237 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 22:12
>>234、235
233です。私は以前「セザンヌ=アンリ・ルソー」という
コテハンで書いていました。
私の主張は、セザンヌは「ナイーフ」だということなのですが、
もし、235のいう「ベタな意見」というのが、
「ごく普通の意見」という意味なら
(ものすごく独創的な主張……という記述から、そう解釈できます)、
私と同様の見地に立った美術史研究者の論文など(岡本太郎のような
人がセザンヌが絵が下手だと書いている例は知っています。
しかし、研究者でこの観点から書いている人を私はまだ知りません)
の例をいくつか挙げていただけないでしょうか。
確かに、私は自分の意見を多少オリジナルだと思っており、
セザンヌを「ナイーフ」の観点から捉えなおそうと
しています。
ですから、真面目な問合せと受け取ってくだされば幸いです。
>>237 「ベタな意見」というのは「研究者によるオーゾドックスな意見」
という意味ではなく、「一般にありがちな意見」というような意味
で述べられております。
オーゾドックス→オーソドックスね
240 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 23:50
>>238 なぜ「一般にありがちな意見」と思うのですか?
そして、この意見が「一般にありがちな意見」であるとして
これを正面から学問的に深めていった研究者は皆無なのでしょうか?
241 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/19(日) 23:55
>>238 補足として。
私はセザンヌを単に「下手な画家」と捉えているのではありません。
「ナイーフ」という言葉は不適当だったかもしれません。
アンリ・ルソーの芸術も現在使われているような意味においての
「ナイーフ」ではないからです。
言いたいのは、私は、セザンヌの芸術はアンリ・ルソーの
芸術と非常に近いものとして捉えられるのではないかということです。
242 :
235:2001/08/20(月) 10:02
>>240-240
セザンヌの芸術がアンリ・ルソーの芸術に近いとして、あなたはた
だそれを同語反復的に繰り返すだけで、より具体的な論述へと一向
に進まないようです。
それだけでは、「このテーブルの形ちょっと歪んでるねー。下手く
そだなあ。」とか「なんだこの人物、腕が長すぎ。デッサンがなっ
てないなあ。」といった美術館などでよくささやかれる素朴な感想
とそれほど大差ないと思われても仕方ないのでは?
あなたがこのような素朴な意見よりさらに突っ込んでセザンヌ芸術
とルソー芸術との共通点についての深い見解をもっておられるなら
それをここで述べればよいし、であるならば、それに関して私は何
の異存もありません。
そもそも、セザンヌの人間性のもつ素朴な側面については、彼の手
紙や、ベルナールなどによって伝えらるおもしろおかしいエピソー
ドなどからすでに明らかです。そんなこと指摘するまでもない。ま
たセザンヌのそういう側面を否定している研究者もほとんどいない
ことでしょう。
さて、あなたの独創的な主張がこれから展開されることを期待して
おります。では。
244 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/20(月) 12:24
板違いかもしれへんけど、
俺はルソーの良さはよく分かりません。
セザンヌとの共通点は多いんでしょうか?
245 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/20(月) 23:14
>>242 >あなたはた
だそれを同語反復的に繰り返すだけで、より具体的な論述へと一向
に進まないようです。
↑その通りですね。
この作業は、非常に大変なようです。
もう2ちゃんねるなどに関わりあうことはやめて、
もっと真剣にセザンヌについて考えてゆくことにしましょう。
> ま たセザンヌのそういう側面を否定している研究者もほとんどいない
ことでしょう。
↑単に否定していないという状態と、積極的に捉えるかには
ずいぶんと隔たりがあると思います。
積極的に捉えている研究者は、ほとんどいないでしょう。
Adieu.
246 :
作家:2001/08/21(火) 03:43
評論する人間の考え方は解らないけど、作家としては
やっぱりセザンヌは偉大だぜ。
なんでも出尽くした現代でもまだ神秘的な魅力を
残してる数少ない画家の独りだな。
特に直線ということを突き詰めると誰でも必ず
ゼザンヌに行き当たる。
このことはル・コルビュジェも言ってるな。
セザンヌほどタブローが軟体動物的な装飾に
堕落しない方法を具体的に示した人はいないぜ。
247 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/23(木) 20:39
>>201 そう。「下手だ」「ナイーフ」という感想は、あの絵に惹かれた
ことがない人のものだと思う。絵の前で棒立ちになって動けなくなった
経験があると、「どう見ても変なデッサンなのに、どうしてああも…」
とかいう言い方になるんじゃないだろうか。実作者の方は、私のような
素人とは、又別の見方があるのだろうけれど。
どんな画家でもそうだろうけど、殊にセザンヌは、画集では生彩を欠く。
原物をみないと。又、駄作も少なくないのは事実と思う。(1998だったか
のロンドンでのセザンヌ大展覧会での実感では、打率3割位か)。
248 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/23(木) 21:50
何度も実物を見たことがあるが、
どうしてもセザンヌの絵には魅力を感じない。
こんな人もいるということをわかってほしい。
(わかってるかもしれませんね)。
>打率3割位
名作と呼べるものが、3割くらいということでしょうか?
いわゆる巨匠としては打率が低すぎだと思います。
別に名作が3割という意味ではないのでしょうが、
野球のアナロジーとしても凡庸な感じがします。
249 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/23(木) 21:51
248の訂正です。
>打率3割位
別に名作が3割という意味ではないのでしょうが、
野球のアナロジーとしても凡庸な感じがします。
250 :
247:2001/08/23(木) 23:06
>>248 魅力を感じない方もあるのだろうと思います。
私はただの素人ですが、たとえば、ルーベンス、クールベ、
マティスは、何がいいのやら分かりません。クールベを評価
する方からは、哀れな奴と思われるかも知れない。
あと「3割」は、自分が惹かれた作品数を出展総数で割った
数なので、出展されなかった作品を分母にすると、もっと
下がると思います。もっとも、上記のロンドン・ナショナル
ギャラリー展は、かなりの数が出展されていましたが。
251 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/08/24(金) 00:28
>あと「3割」は、自分が惹かれた作品数を出展総数で割った
数なので、出展されなかった作品を分母にすると、もっと
下がると思います。
「絵の前で棒立ちになって動けなくなった
経験がある」とおっしゃる割には、
「惹かれた」作品が少ないように思えますが。
まあ、比率は少ないけれど、「棒立ちになって
動けなくな」るような経験をさせてくれた
画家だからすごい、とおっしゃているのですかね。
252 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/08 20:56
あげるよ!
253 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/09 03:48
セザンヌは、これは、という傑作があまりないと思う。
セザンヌは印象派や伝統に対する造形の問題であり、
西欧が請け負った問題であります。
要するに、光が無くてもモノは存在することです。
だから、人物も風景もすべて同じ世界なのです。
255 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/10 09:08
>>247 それって言い方を変えただけじゃありませんか?
>セザンヌは印象派や伝統に対する造形の問題であり、
西欧が請け負った問題であります。
↑意味不明。
セザンヌ=問題、ということになるが……。
>セザンヌ=問題、ということになるが……。????
西欧人は、ある一つの形式を見つけると古いものは簡単に見棄てます。
あきらかに日本とは違います。
セザンヌは新しい形式を追求しましたが、それは印象派に対する反動でしょう。
光なんて曖昧です、光が無ければ何も見えません(印象派の悪口ではありません)
セザンヌもモネの目には驚いてます。
光が無くても、モノは存在します、それにセザンヌはやはり西欧の絵画の問題を
一人で追求してます、ある意味で遠近法や明暗法は誤魔化しです。
絵画は平面です、絵は目の錯覚でしょう。
リルケがセザンヌの絵を見て言ってます、私はこれまで風景など見ていなかったと、
西欧人には、新しい見方です。水墨画には、多くの視点なら昔からありますけど。
セザンヌの絵がつまらないのは美の問題より造形の問題なのだからです。
風景も美しさより、地球を描いています。
やはり、セザンヌは偉大です。美なんて、くそくらえです。
258 :
しょうちゃん:01/09/10 23:11
セザンヌが「動いて見える絵」のはしりだとききました。
まだ動画のない時代に木の葉っぱが風に揺れてる
ことを表現するなんてちょっとすごいと思うんですが
彼の絵が後の「運動」を表現した画家たちへ
受け継がれて動く絵(アニメや漫画の表現など)となったんでしょうか。
・・・わけ知ってる方、誰か教えてください。
259 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/10 23:15
>セザンヌが「動いて見える絵」のはしりだとききました。
・・・わけ知ってる方、誰か教えてください。
教えるというより、感想みたいなものです。
私が思うには、セザンヌは印象派のようなうつろいやすい世界ではなく、
永遠に変わらぬものを絵画の世界で捉えたかったのだとと思います。
造形に対する問題でしょう、だからリンゴも人物も風景も同じ世界です。
現代で動きを描いたのは、フランシス・ベーコンと思います。
アニメ、漫画は日本独自のモノがありますね、絵巻や浮世絵などの影響がある
のかなと思ってます。
>日本語が不得意ですか?
はい、そうです。努力しますのでよろしく。
262 :
わたしはダリ?名無しさん? :01/09/11 00:42
セザンヌの不幸は、
たとえば257のような語り方で、過剰に語られてしまうことにあると
思う。
その語りの多くは、畢竟、絶賛である。
それに誘われて、いざ絵を見てみると、下手だったりするから、
そのギャップが大きすぎて、セザンヌ嫌いが増えてしまうのではないか。
「セザンヌは下手だけど、やっぱりいい」
セザンヌ好きの人は、
こういう視点から説得する努力をしなければ
セザンヌ嫌いをセザンヌ好きにすることはできないし、
上記のような理由でセザンヌ嫌いを増やしてしまうのではないか。
263 :
しょうちゃん:01/09/11 00:49
>>260 動きのある絵=動画って極端に考えすぎてました。
なるほど。
絵を教わっている先生が「洋画家ならば誰しもがセザンヌにぶつかる」
と言っていたのですが最初は何のことだかさっぱりわからなかったのです。
そんでわからなくてつまらないなぁと思いながらセザンヌの画集を
見ていました。そばにあったラファエロの画集の方がよっぽど上手い絵だ
と思いながら見比べていたんですけど離れて見たときにセザンヌの絵が
ぼやけないことに気がつきました。遠くから見たらラファエロはモヤ〜
ッとして小さい絵なんか何描いてあんのかわからなくなるのにセザンヌは
わりとくっきりしてるんですよね。・・・だからってそれでセザンヌの絵が
わかったわけじゃないんですけれど・・・まぁ凡人のあたしには遠すぎる存在
であることにかわりないですわ。とほほ。
>絵を教わっている先生が「洋画家ならば誰しもがセザンヌにぶつかる」
一昔前の、絵描きの流行語みたいなものです。
セザンヌには西欧の遠近法や明暗も視点などの過去の方法が何も無い、
ほとんど自分で創りだしてます。
伝統的な美しさはありません、それと絵を見ることは、創ることと同じくらい
難しいと思います。
265 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/11 03:54
セザンヌほど、認めている人と認めていない人の落差が大きい画家も少ない
と思うね。
ある意味、評価の定まっていない(認めている人は、何を今さらと言うかも
しれないけど)、これから研究のしがいのある画家なのかもしれない。
266 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/13 01:06
>ある意味、評価の定まっていない(認めている人は、何を今さらと言うかも
>しれないけど)、これから研究のしがいのある画家なのかもしれない。
同意。何年か前のユリイカのセザンヌ特集を読んだことあるけど、セザンヌ研
究というのはまだやっと始まったばかりなのかという印象を受けました。
よくわからないけど、まだまだいろんな見方のできる作家だと思います。
>まだまだいろんな見方のできる作家だと思います。
少し意見が違いますが、もう残っているものは無いと思います。
話は少し変わりますが、セザンヌとの出会いのことで、
面白かったのは ディエゴです。
ディエゴがパリに着いた日に、ボラールの画廊で偶然にセザンヌの
絵と出会い、一日中画廊の前で立ちすくし翌日には熱を出して
浮かされてしまう始末、こういう出会いはなかなかありません。
パリの二十世紀の初頭にはセザンヌに捕らえられた画家や芸術家は、
沢山います、あらゆる人々が通り過ぎた後には何も残ってないと
思ってます。
268 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/13 23:39
>>267 通り過ぎたのが間抜けばかりだった場合、まだまだいろいろ収穫があるはずだよ。
通り過ぎた人、ピカソ、デュシャン、マチス、、、、沢山います。
270 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/14 05:18
影響を受けた人が沢山いると何も残らないという論理は変じゃない?
一理あります、ゆっくり考えてみます。
272 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/15 00:14
273 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/15 03:41
274 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/16 10:54
デュシャンはどういう点でセザンヌの影響を受けてるの?
もし、セザンヌを知らなかったら、
あそこまで進んでいなかったかもしれません。
それと、モノに対する孤独です。
これでは、何を言ってるのか、わからんと言われそうですが
私には、これ以上言語化できません。
276 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/17 01:47
今日でも、デュシャンが何を言いたいのかわかりますか?
もしわかるなら説明してください。
278 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/17 10:32
>>277 はあ?
あなたはそのようにデュシャンのこともよくわからないのに、どう
してセザンヌからの影響を主張するの?
>>278 デュシャンが解らないのではなく言語化のことです。
あれは、西欧人の問題です。
ただ、デュシャンの孤独が好きなだけです。
↑この人の言ってること理解できるひといます?
なんか会話か成立してません。
たとえば、マルローの東洋への理解はとても深いですね、
そのマルローが、私は「書」は解らないと言ってます。
マルローは謙遜ではなく、ほんとうに「書」は解らないのでしょう。
やはり、デュシャンは西欧の問題です。
うまく説明できません、終わりにしませんか。
282 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/18 00:33
>>281 君の言語能力では、確かにこれ以上は無理だ。
俺は終わりにすることに同意する。
283 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/19 15:32
もっとまともな論者の方おねがいします
284 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/19 16:37
>ヒロさん
こういうとこでは感覚的な物言いする人は
単なる電波、厨房と言われてしまうのです。
ここでは言葉が全てだから。
でも皆さん芸術家か愛好家ですよね?
芸術家なら作品が良ければ良いわけだし、
愛好家も評論家じゃないんだから。
つまり何が言いたいかと言うと、
ここで偉そうなこと言ってる奴は単なる半端もんですよ。
多分愛好家よりは画家崩れでしょうね。
現実で常に侵食されているなけなしのプライドを回復する
オアシスなのです、ここが彼等の様なひとにとっては。
285 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/19 16:47
↑御自分のことでしょうか?
286 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/19 17:18
イエイエ多分あなたの方が
>>281 書って東洋的なものなんでしょうか?
私には純粋に形を楽しむ芸術としてもっともとっつきやすい
ものの一つだと思えるんだけど。
書は内容がわからなくても楽しめるし。
つまらないものはつまらないし。
ダリさん
>多分愛好家よりは画家崩れでしょうね。
手厳しいですね、私は日曜画家です。
空耳さん
書は生活と繋がってます。
デュシャンは生活です。
こんなこと言えばわからないと言われそうですが、
良い言葉が浮かびません。
289 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/20 13:31
セザンヌの水彩すばらしすぎ。
でもあまり本物が見れないのが残念。
290 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/21 06:59
>>288 >多分愛好家よりは画家崩れでしょうね。
は、あなたのことを言っているのではなくて、
>ここで偉そうなこと言ってる奴
のことを言っているんだと思いますが。
291 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/27 01:57
岡本太郎は初めてセザンヌを見たときは稲妻に打たれたように感動した
涙がとまらなくなった
しかし・・・二度目にみた時は何も感じなかった
これが全てだと思う
セザンヌについていつまでもうだうだいってるのは時代錯誤
ジオットの模写でもしてろ
292 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/27 03:10
293 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/27 20:01
岡本ちゃんはセザンヌのこと本当に分かってたのか疑問です。
294 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/09/27 23:22
>岡本太郎は初めてセザンヌを見たときは稲妻に打たれたように感動した
>涙がとまらなくなった
>しかし・・・二度目にみた時は何も感じなかった
>これが全てだと思う
これが全てって、何が全てなの?
この手の感傷的批評の方がよっぽど時代錯誤だと思うけど。
295 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/10/02 12:34
MOMA展期待age!
296 :
球の美さん:01/10/05 10:12
セザンヌは りんごとかに はっきりとした
輪郭を与えなかったり、色彩が オレンジ系で いいと
思います。
297 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/10/08 13:24
セザンヌいいです。
彼の絵をみるといつもちょっとした驚きがあります。
ものを見るということのもつ不思議さが彼の絵にはあります。
でもそれが彼の絵のどこからやってくるのかよくわかりません。
だからずっと見続けてしまうのだと思います。
298 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/10/08 16:14
セザンヌは天才だyo!
私は彼の絵がわからない(なんかぼよぼよしてるなー位にしか見えない・・・)んですが、どういう点が好きなのですか?
300 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/10/08 21:57
よくわからないところだyo!
301 :
わたしはダリ?名無しさん?:01/10/09 22:41
セザンヌは単なる下手の横好きだyo!
/ ̄ ̄\
/ / )
/ θ
?P( θ ノ) <あらまあ、こんなに良いスレッドがあったのね・・・
?P ?Q /
?j ?j
ノ∪ \
 ̄∪∪ ̄
>>99>>108>>111のレスがいいと思ったの。
/ ̄ ̄\
ワタシもセザンヌがずっと嫌いだったけど、画集なんかに ( \ \
載ってる解説が、アテにならないって思った瞬間から、 φ \
セザンヌの良さがわかったような気がしたの… (へ φ )?Q
セザンヌはものすごく「変な絵」で、そこがたまらない \ ?P ?Q
魅力なのネッって、思ってるワ。 ?j ?j
ノ ∪\
 ̄∪∪ ̄
304 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/02/05 03:09
セザンヌは好きとか嫌いとかではなく、
近代絵画では、マネに続く重要人物だと思います。
彼は要するに目に見える以上の、物体の”量感”みたいなものを
どうやって2次元上に表すか、という問題に取り組んだ画家だと思います。
よくその「素朴な味わい」でセザンヌを誉める人がいますが、それはどうかと思う。
思いっきりラジカルですよ。
305 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/02/05 03:23
セザンヌ=ナイーブ派という意見を見ましたが、どうなんでしょ、僕もよくわかりません。
つーか、素朴派って言われる人で、名が知られているのってルソーだけですよね。
要するに下手糞だけど、何か気になる絵を書く人のことの総称。
あんまり意味のない分類のような。
セザンヌがうまいのか、下手のなのかってのはよくわかんないです。ていうか、
そういうことを考える意味はあまりないような。
そもそもルソーって、ピカソとかが持ち上げなかったら、歴史から消えてましたよね?
セザンヌを最初に認めたのって誰なんですか? ゴーギャンとかですか?
306 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/02/05 03:49
セザンヌをナイーフとして捉える感じ方、考え方は、
非常にラジカルだと思う。
ここに21世紀のセザンヌ感の基本があるのでは?
304のような捉え方は、所詮、20世紀的限界の内の
ものでしかないという気がする。
307 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/02/05 12:58
308 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/02/05 17:38
静物はいい。人物もまあまあ。
風景はダメ。
309 :
■■友達の間ではやってるサイト■■:02/02/06 17:39
310 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/02/06 20:19
311 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/04/04 09:44
ルソーはいいね!
312 :
長沼智恵子:02/04/10 21:11
ええほんとセザンヌもよろしゅうございますねぇ。
313 :
長沼智恵子:02/04/10 21:13
好きなのは…ゴーギャンのです
セザンヌの「サントビクトワール山」の一枚、理屈でなく美しかった。
そのタッチをキュビズムなどにからめて理論つけられていたりするが、
私の見た「サントビクトワール山」はただただ透明でしかも堅固で美しかった。
美しいものは理論は超えるのではないのでしょうか。
例えばルオーの絵なんかも理屈ではありませんよね。
底の底から響あって光る色はもう、美しいとしか形容出来ない。
後は好悪があるだけ。そのように思います。
http://www2.odn.ne.jp/~chz34020
315 :
MOG@デリバティブ ◆nLVlFQrA :02/04/24 16:56
絵が好きになってから、最も分かりにくかった画家がセザンヌ。
だってリンゴだぜ、それもヘンなカタチと色でさ。
もうね、アホかと、バカかと。
そんな私の見方が一変したのが数年前のオランジェリー展。
セザンヌが突然分かりました。感じることが出来るようになったのです。
それから一時期はセザンヌに飢えたようになり、今まで見逃していた分を取り戻
そうとするがごとく、目についたセザンヌは時間をかけて見ていました。
316 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/17 23:06
水浴だけど なんで裸の男が多いの?
317 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/17 23:55
女性恐怖症だったから
(ただしヘテロ)
童貞の時にレイープの絵を描いているよ
318 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/18 05:48
そのレイープの絵は残っているの?
319 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/18 19:01
ふーん、結婚してたの? それか対人恐怖症?
ヒッキーなの?
320 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/28 08:07
agege
321 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/12 02:47
横浜美術館でセザンヌ展開催時に赤瀬川源平の講演やってたんだけど、
面白かったYO!氏はセザンヌのタッチを「サクサク」と表現していた。
322 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/13 17:27
一般的に考えて絵画というのは音楽や文学に比べて優雅ではなく、
もっと不器用な形式だと思う。なぜならそこに時間は無く、
形(色、モノトーン)と画面における構成だけがあるから。
セザンヌもその制作スタイルで物の形と画面の構成を強く意識して
いるのがわかる。のちにそれはキュビズムと呼ばれる形式だった。
芸術作品は精神内容で判断されるものだけど、彼は形式においてどんな
巨匠のものより優れていると僕は思う。
りんごが腐ってる。
324 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/16 14:05
美術史的には価値あると聞いた。
ピカソやブラックら、キュビスムの原型を作ったのが、セザンヌ。
325 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/16 14:05
近代絵画の父
326 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/16 14:06
セザンヌは天才だyo
327 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/16 14:06
ブリジストン美術館に見に行ってみな
328 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/16 14:07
セザンヌの水彩すばらしい。
329 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/16 14:08
セザンヌは印象派や伝統に対する造形の問題であり、
西欧が請け負った問題であります。
要するに、光が無くてもモノは存在することです。
だから、人物も風景もすべて同じ世界なのです。
330 :
2チャンネルで超有名:02/10/16 14:12
331 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/17 18:00
332 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/18 11:06
333 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/18 11:10
334 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/21 17:16
レイープ
335 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/22 07:31
デッサンは下手っていうか
適当とすら感じるんだけど
絵具の扱い方が抜群に上手いから
モノの質感とかが出て来る
(^^)
(^^)
339 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/17 13:21
セザンヌの静物画の構想は
日本の昔の浮世絵を思い出させるような構成だから
日本人には珍しくもないのでしょう。
欧米の人々にとっては、平面で淡々と描かれる構図は珍しかったのです。
逆に日本人が油絵という技術を知ったときに
奥行きや重みを表現できると知ったときの様に。
340 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/17 17:30
セザンヌは構図に関しては凄腕ですが、絵の具の使い方等に関しては素人だったそうです。
乾いていない絵の具の上に平気で上塗りしたり、水彩絵の具の上に油で描いたりしていたそうです。
まあ・そんなことはどうでもよいことです。
個人的にはセザンヌは嫌い。非人間的で過ぎる。
非人間的
いいじゃないか
342 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/17 20:13
セザンヌはハゲ。
343 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/18 07:55
ピカソもハゲ
345 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/19 01:39
>>340 言葉の意味を教えて下さい。
非人間的とは物語性がないということ?
345 道徳もないようなダメ人間ってことだろ。しかも人様の金で生活してたっていうから
ろくな人間じゃない。
347 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/19 02:42
絵の話じゃないのね。
ああ、非人間的って抽象的すぎるタッチって思ったのか!
あぼーん
あぼーん
351 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/19 13:54
抽象的すぎるタッチ?
また分からん。
あぼーん
抽象的なタッチ?その言葉自体が抽象的だ。
気持ちがこもってないと言うか、醒めている。
人間はまるで生きている石膏像のようで、
一つのプロセスを守るために機械的に処理されているように感じる。
既出かもしれないが、セザンヌじいさんの絵ってのは
ちまたに言われるような理屈ぽい絵でないよねぇ。
実物見た人いる?
ひたすら感覚で見る絵なのよ実は
上手い?下手?そんなもの描写の次元なんよね
まず実物見ようよ、みなさん鳥肌たつよ!とくに晩年はね。
あぼーん
356 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/20 23:07
なぜこんなにセザンヌは狙われるのだろうか?
セザンヌが僕らを無視するんで、たまらなくなって後ろから罵声を浴びせているんだ。
358 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/20 23:29
セザンヌは誰だ?
359 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/21 20:02
自分が理解できないものに対するイラダチ。
あぼーん
361 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/22 18:36
何も考えたくないか?
362 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/08 19:54
セザンヌは漫画好きには理解できないだろうな。
363 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/09 01:32
水、空、岩、家、木、人、空気。
364 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/09 03:53
365 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/09 12:17
漫画は輪郭線で形をつくる。セザンヌは筆の、色の置き方で存在を捉える。
セザンヌのオレンジはうまそうだ
367 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/12 18:02
人間だけが線を引く、自然に線は無い
といったのはブレイクだったかな?
もしその言が正しいなら、セザンヌはより自然の
側に近かったのかな?
(^^)
(^^)
370 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/17 23:47
>>354 Je suis vachement pour vous.
371 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/18 10:21
セザンヌは体験の部分まで絵にしてる。
372 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/19 03:08
>>370 Je suis vachement contre vous.
もうこのスレに書き込むな!
374 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/20 00:02
何故?
接触恐怖だったのよー
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
377 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/21 22:19
画集は何が良いだろう?
378 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/21 23:15
「近代絵画の父」と言われる先駆性にとどまらない天才が確かにあるな。比べてルノワールは凡庸(貶してない)かと。
379 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/22 00:12
楽しきかな、あの凡庸さ。
良きかな、その非凡な凡庸さ。
最近、乾2朗出てこないな・・・
381 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/23 19:57
1さん・・・セザンヌ=ルソーまた聞かせてくれよ・・
382 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/24 00:47
383 :
セザンヌ=アンリ・ルソー :03/04/26 00:58
まだあったか、このスレ。
>>381 俺は1じゃないよ。
384 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/26 14:00
>>340 セザンヌが技術的に下手だったのは最初の頃だけでしょ、
乾いていない絵の具のうえに塗り重ねるのは、
ウエット&ウエットっていうごく基礎的な油絵の
技法だし、水彩の上に油絵の具のせるのもセオリーどおりだね。
成熟期のセザンヌの筆はまさに神業、凄い!
かのバーンズコレクションを観て震え上がったよ。
迫力満点。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
386 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/05/30 00:41
セザンヌとゴーギャンどっちがつおいの?
387 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/08 17:23
よいしょっと。
388 :
名無しさん@3周年:03/06/08 18:26
だから、
セザンヌ=アンリ・ルソー
だって。
389 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/08 19:21
390 :
名無しさん@3周年:03/06/08 20:54
>>389 >おしい。
>でも、ぜんぜん違う。
矛盾してるね。
お前は馬鹿?
391 :
名無しさん@3周年:03/06/08 21:08
ま、今日のセザンヌ研究は、
セザンヌ=アンリ・ルソー
という地点から始めなければならない
ということだね。
392 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/08 21:50
なぜなんだよ!ちゃんと答えてくれ。
画面構築にポイントがあるのか?
いや、むしろ
セザンヌ=ヴァン・ゴッホだろう。
セザンヌ=ジミー大西ってのはどう?
395 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/09 00:21
新説! セザンヌはタマちゃんだった!
タマちゃん、ありがとう!
396 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/09 01:53
いずれにせよ、セザンヌは絵が下手だということで。
397 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/11 23:37
絵が下手とは、つきつめて考えてから、
教えてね。
398 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 00:08
>>397 日本語がおかしいね。
バカ?\(^O^)/
399 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 00:12
400 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 00:16
元へ、
セザンヌがへただったと言われるのなら、
絵の上手、へたの判断がなにによってなされるのか
教えてね、と言いたかったのですが、、、
401 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 00:52
>>400 といわれても客観的に説明するのは困難なのだが、
セザンヌを最初見たときに「下手だ」と思い、
20数年間セザンヌを見つづけて、この印象を
覆滅させてくれる新しい発見はないだろうか
と注意しつづけたのだが、そんなものはなく、
やはり下手だといわざるをえない、
というところかな。
あんただって、本当は下手だと思ってるんじゃない?
いいや、彼は、感じる事に素直だった。
空白の必要を理解できたこと、また色彩を構成で表現した。
当時の描き方からすれば落第だが、線は線 色彩は色彩 とし
分離-統合が出来た数少ない画家のため、尊敬された。
ディュフィーなどは完全にそれがなされている。
彼の絵は、記号の様でありながら、その様を生き生きと語っている。
人物の会話が聞こえてくるよう。そのような絵画の始まりに位置する
画家なので、今でも尊敬される。また構成で表現できることが、
ピカソなどに影響を与えた。
403 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:00
>>402 悪いが、まるで説得力というものがない。
これは失礼。403はかわいそうですね。
でもこれだけは仕方がありません。
20数年間セザンヌを見つづけないと下手だとわからなかったそうですから。
でも道化役はばっちり、みんなを笑わせていますから。
私はいやだなぁこんな間抜けなこと言って笑われるのは。
405 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:26
>>404 あんた、バカか?
401をちゃんと読んでみなさい。
>20数年間セザンヌを見つづけないと下手だとわからなかった
どこにそんなことが書いてある?
406 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:30
西洋近代美術における三大ヘタ
宗教的ヘタ=セザンヌ→ヘタであるにもかかわらず、自身の能書き、
一部の熱狂的信奉者によっていまだに崇拝者を生み出しつづけている
恐るべきヘタ。崇拝者の中にはヘタだとわかってそれでも拝み続けている
者も少なくないが、中にはこれほど崇拝されているからヘタではない
に違いないと思い込んでしまう間抜けな信者もいる。
精神病理的ヘタ=ゴッホ→説明省略
素朴的ヘタ=アンリ・ルソー→説明省略
セザンヌを最初見たときに「下手だ」と思い、
20数年間セザンヌを見つづけて、
やはり下手だといわざるをえない、と言いたいのですね。
それは重症ですね、
私はいやだなぁこんな間抜けなこと言ってもっと笑われるのは。
408 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:32
セザンヌを最初見たときに「下手だ」と思い、
20数年間セザンヌを見つづけて、
やはり下手だといわざるをえない、と言いたいのですね。
それは重症ですね、
私はいやだなぁこんな間抜けなこと言ってもっと笑われるのは。
と言うのですね。
それは重症ですね、
私はいやだなぁこんな間抜けなこと言ってもっと笑われるのは。
アホらしくなってきた。
ま、セザンヌはヘタだということで。
御自身の馬鹿を相手にしたからですよ。何でそんなに下手が気になるのですか?
410 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:39
>>409 >何でそんなに下手が気になるのですか?
わからん。
セザンヌを見るたびに下手だなあ、と思う。
気色悪い言い方をすれば、セザンヌの作品を見るたびに、
「わかってるよ。俺が絵が下手だというのはわかっている。
でも、俺は絵が好きなんや。下手と笑われてもええさかい、
俺の絵を見たってくれー!」
という悲痛な叫びが聞こえてくるような気がして、
何かいたたまれなくなってくるのだ。
こういう風に思っている奴は多いのではないかと思うのだが、
違うか?
411 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:40
下手か上手かという形で論をたてているん?
412 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:41
なら、
413 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:43
?????
???????????????
414 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:43
>>411 というより、俺の主張は、
セザンヌ=アンリ・ルソーだから、
そこから出発しなきゃ話にならんわけだ。
415 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:44
まあ、ともかくセザンヌの絵は暑苦しいなあ。
アンリ・ルソーより暑苦しい。
そこがちょっと嫌。
ルソーは好き。
416 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:44
くだらん!お前らの言うことはくだらん!
417 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:47
あと、なぜセザンヌが嫌かというと、
信奉者がセクトの信者に似ているからだ。
418 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:48
ちょっと客観的にセザンヌの作品を見てみなよ。
俺の言うことがあながち間違っていないことに気づくから。
419 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:49
くだらん!お前らの言うことはくだらん!
なんらセザンヌと関係なし!
420 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:50
421 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:51
哀れなり。
セザンヌ信者。
422 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:53
おぬし〜 何を別れといわしゃるか〜
423 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:54
ベン ベン
424 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:54
>>422 ま、とりあえずは、
セザンヌ=アンリ・ルソー
ということを理解しろや。
そうすれば、蒙が啓かれる。
425 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 02:58
哀れセンちゃん〜!
哀れアンチたん〜!
ベンのベンベン!!
セザンヌ・モディリアニ・モランディで絵を描いています。
427 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 11:20
「写実」が絵画表現の一面に過ぎないのはラスコー以来なのだが。ルソー、ゴッホも素晴らしいがセザンヌは先駆性だけで既に天才だよ。
428 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 18:12
うーん、セザンヌ=アンリ・ルソー面白いのですが、
「セザンヌはヘタ」がよく分かりません。
どこらへんの作品のどういうところがヘタだと思いますか?
429 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 18:23
430 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 18:37
431 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 19:39
セザンヌが下手かどうかとか言ってる人間には
20年どころかこの先永遠にセザンヌはわからないよ。
ご愁傷さまです。
432 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 22:01
というか、
上手下手の判断基準も立てられないような者の
意見なんぞにまじレスしてもな〜
433 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 22:53
俺はセザンヌ結構好きだけどな
写真のような絵を描いていなくても新しい表現方法を編み出したんだから
やっぱり凄い画家だ
434 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/12 23:48
>>431 確かに俺にはわからない。
本当にわからない。
セザンヌの絵のどこがいいのか、なぜこんなに評価されるのか
本当にわからない。
435 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/13 00:01
オレにはわかる。
晩年のセザンヌの絵のように景色が見える。
目の前の机のコップもセザンヌの静物のように見える。
436 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/13 14:57
>>435 >晩年のセザンヌの絵のように景色が見える。
>目の前の机のコップもセザンヌの静物のように見える。
セザンヌには百害あって一利なし、ということだな。
437 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/13 15:27
セザンヌ=アンリ・ルソー ともに独自な遠近法ということでしょうか?
438 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/13 15:31
439 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/13 16:40
>>437 それも要素のひとつ。
独自な遠近法=3次元空間の描き方が変、
ともいえるわけだが。
440 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 04:12
ピカソの言に騙されてるんだね。
441 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 04:14
つまり、リアルであることの追求が
写実を突き破るとか、、、
442 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 09:16
>>440 その通り。
ピカソはセザンヌをからかっただけなんだよね。
それに気づけよ、みんな。
443 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 10:58
セザンヌはピカソ以上に謎が多いわ。
ピカソの場合、手が饒舌すぎてゆっくり見てないでしょ。
444 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 11:30
>>443 ま、謎と思う奴は謎と思うし、
単なる下手と思う奴はそう思う。
それがセザンヌ。
445 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 14:22
セザンヌは間違いなく天才。彼の絵の美しさがわからん奴は、不幸としか
言いようがない。ピカソなど彼の絵から無様なキュビズムを発展させただけ。
マティスもジャコメティもセザンヌは私達みんなの先生。と語っている。
セザンヌは、自分の母親が死んだとき他の画家の所へ駆け込んで
「僕はデッサンが出来ないんだ」と叫び、
その死に顔を描いてくれるよう依頼した
447 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/16 15:15
>>446 セザンヌのデッサンがまるでダメなのは、
そんなエピソードを聞かなくてもわかる。
デッサンになんか法則性がないんだよね。
見ていてクラクラする、
というか、腹が立ってくる。
448 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/17 02:26
96年の芸術新潮にセザンヌのアカデミックなデッサンがのってて、
これくらいのデッサン力では芸大に入れない。とか書いてあったけど
おれもそお思った。しかし、セザンヌの絵の魅力はデッサン力うんぬんじゃない。
むしろ、それまでのアカデミックな絵画の手法を捨てさって、独自の手法、独自の
感覚によって対象を見つめ、知覚をとおして対象の美をキャンバスにうつしとる事に
成功したところにある。彼にとっては机が曲がってようが起きてようが、大した事じゃ
なかったでしょう。
449 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/17 02:35
>>448 君はセザンヌに関する書物を全く読まずに、
>しかし、セザンヌの絵の魅力はデッサン力うんぬんじゃない。
むしろ、それまでのアカデミックな絵画の手法を捨てさって、独自の手法、独自の
感覚によって対象を見つめ、知覚をとおして対象の美をキャンバスにうつしとる事に
成功したところにある。
という思考をすることができた?
450 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/17 03:08
>>449
全くということはないが、自分も絵を描いていて、ある時からセザンヌの絵に
惹かれるようになった。他の画家とは何か違うと思うようになった。そして彼の
絵のみずみずしさ、色彩、独特の形体感は誰のまねでもないもので、彼の才能、
つまり独自のものの見方、感じかたを追求した結果得られたものだろうと思うように
なった。
基礎テクニックの面では明らかにヘタだったが、
ヘタなので必死で自分なりの描き方を編み出した。
折しも時代的には写真機が登場し、絵画は写実以外の意義を必要としていた。
ってなことでよろしいのですかね?
452 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/17 03:47
>>451 必死で編み出したというより、彼には自然に他人とは違う美を感じとる能力がそなわ
っていた、そしてそれを表現する能力も。そして自分の才能を信じていたことも、
りんごひとつでサロンの連中をあっと言わせてやるとかなんとか言ったことからも
わかる。
453 :
セザッンヌゥ!:03/07/12 19:49
セザンヌねぇ〜なんかサムライに切られたような音だねぇ〜
454 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/07/12 20:19
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__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
459 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/07/31 10:10
セザンヌの絵を見て、美大いくことにした自分としては
ここ読んでて凹みまくりなわけですが・・・w。
思うに、セザンヌのすげぇなぁっていうところは
視覚誘導に於ける工夫だとおもう。
彼の絵を見るとどうやって、見てる人間を絵の中に引き込むか、
それをよく考えてると思うですが。シカゴ美術館の2階の大広間に飾られてる
川と橋とダム(?)が描いてある絵(これを見て、自分は
絵をやろうと思ったんですが、)をみてこの人のcompositionを見て驚いた。
川の流れと、橋の上手い配置がいい具合にeye-movementを作ってる。
しかもそれが非常に複雑だったので、背筋が寒くなった。
同じようにリンゴの静物画では、机の淵をわざと崩したりとか・・・。
上の方でもありましたが、人体のルールを無視したものを
描いたりしたんだとおもうんですよね。
んなことわかってるよ、とおっしゃる向きもあるかもしれませんが、
そういったある意味、強引な客引きのような工夫が、彼の魅力だと思うんですが。
どうでしょうか?
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
461 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/02 06:41
ボルジョワってニュー束とかにいるヤシか?
462 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/03 15:29
視覚の融合とかなんとか言うけど、正直それ初めて知った時
上手く描けない餓鬼のお粗末な考えにしか聞こえんかった・・・・
463 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/03 15:36
>>462がどんなの描いてるか見てみたいな。
視覚効果って絵を描く時、最重要だと思うけど?
(もちろんデッサンとか描けて初めてそういうことが云えるのだろうが。)
464 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/03 16:06
>463
たいがいの普通の人には、100年前の絵さえそれのどこが新しいのか
理解するのは難しい。ということで>462を理解してあげましょう。
465 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/04 00:27
そりゃあ、似顔絵画家のようなデッサン力はないがな。
彼は表面をなぞろうとはしていないのだから。そんな
役割には写真が一番ヨ
水彩とか、フワーっとしてて、光みたいで良かったです
467 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/04 05:10
日本の感覚ではセザンヌは高い評価はなくて
仕方ないですよ。平面的に描かれているものは、
日本人にとって馴染深い。浮世絵や
版画もそうでしょ。でも、ヨーロッパでは
革命的な技法だったんですよ。
×革命的な技法だったんですよ。 斬新な発想。
×日本の感覚ではセザンヌは高い評価はなくて仕方ないですよ。
事実上セザンヌは高い評価を得ている。日本の洋画史でもセザンヌの影響は大。
日本画家も影響を受けた者がいる。また今日でもその雰囲気を生かす画家が多い。
過去のセザンヌに関する資料を数編でも目を通した方が良い。
当時はリアルな陰影などに技術習得に夢中になっていた日本の留学生や教師+洋画家が多く、
仏蘭西など絵画の近代解釈を始めた印象派前後の絵画が同時に文化輸入される中で、セザンヌ
の見方に対し尊敬と賞賛が日本でも起こった、平面的な扱いに慣れていたはずの日本の画家は
逆にセザンヌ等に絵画を学ぶこととなる。
セザンヌは好みが分かれるので気持ちはよくわかる。
実際展覧会でも、入場者数はあまり稼げないからね。アカデミックな作品と比べても、印象派の
インパクトからしても一見下手だから特に素人受けはしない、ヨーロッパで残った作品を、学芸員が
高値であさってきて、無理やり好きになれ!という部分で大嫌いになる向きもある。
たいがいの普通の人には、100年前の絵さえそれのどこが新しいのか
理解するのは難しい。と実にいいことを言った、けれど創り込んだ展覧会絵画
とは異なる趣があり、現代の風景画家は製作態度を参考にして製作をする人が多い。
創り込んだ展覧会用絵画を見て、ビクトワールの絵画などを見ると
誰も描くことのないただの山、けれど敬謙な気持ちを描いたセザンヌが好きになるかも。ちなみに
ビクトワール山は美術板の住人なら当然知ってるよね。下手といわれた?画家の
描いた山にしてフランスで大変有名な、しかし元々はほとんど無名?な石灰の山。
毎年世界中から観光客が押し寄せるのはセザンヌのせい。(どくろとか林檎は
個人的には好きじゃない、セザンヌ信者ではないので心配しないでよい。)
人人人
/ \ _____________
/ /=ヽ \ /
| ・ ・ | < ageだおめーら
| )●( | \
\ ー ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\____/
lニニニニニl=====⊂/\__〕 ノ
/丶2 |m; ブィーン
/ //7ゝ〇 ノ\ ブィーン
/ (_///⌒γノ/___)
/ /// ///ノ//
// |/ ///◎) パラリラ
/ / / // パラリラ
// V ノ
俺のセザンヌの作品の好きな理由は、単純に彼の感性、みずみずしさ。
マティスが「一見独創的と見られる作品は画家が、何ができないかを
表している。」と言っている。この言葉は、セザンヌにあてはまると思う。
彼の作品は、最初はアカデミックな物を目指していたとおもう。
その頃の作品を見て、セザンヌはへただ。と言う人が多くいるとおもう。
しかし彼は、アカデミックなものを捨て去って、だれのまねでもない
独自の感性による美を追求したんじゃないかなあ。
471続き
彼は、彼自身追求するべき独自の美を確信していただろう。
かれはただ目に映るものをなぞるだけでなく、彼の感じた美を
キャンバスに納めるため、苦心し続けていた。そこは
ジャコメッティーと通じるものがあるだろう。二人共イコジで
かこいい人だとおもう。
473 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/09 15:33
ai
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
475 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/21 19:06
476 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/22 22:44
絵画による現象学
メルロー・ポンチーを読みたまえ。
「眼と精神」
477 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/25 09:28
それあきた
478 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/25 09:36
なかなかカッコいいおっさんだったと思うよ
人見知りっぽいとことか。かわいいでしょ
彼の絵はしびれるー。何故あんなに魅力的なんだろう。
480 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/25 18:02
セザンヌの水浴図なんかは、幾何学的構成で、
なんとなく、スーラなんかも使用していた
黄金分割を彷彿とさせるのですが・・・
彼が描いた妻の作品を見ると、あまりにも即物的すぎて、
まるでモノとして見ているようです、愛が感じられない
悪妻で有名、大嫌いだったのよ
482 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/26 03:00
少々の金持ちで
何もせずに生きて行けたら
いいな〜
そんなヤシがいい仕事しやがる
483 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/26 03:02
ほんとうの孤独を知っていたのだろうな〜
そんなヤシがいい仕事しやあがる
484 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/26 05:47
いきなりこのスレ復活しましたね、それにしてもジャコメとセザンヌの絵は
しびれるー。予備知識なしに感動しました。純粋に自然の美を追い求める
人は、すばらしいですね。理屈など必要ない。
>>480 セザンヌが人物を描いていて、モデルがうごいたとき、「動くな、りんごは
動かない」と言った話は有名ですよね、おれも美大出身で主に人体を
描いてましたが、この言葉は画家がいかに熱心にかれの求めていた美を
探求してたかがわかりますね。思うに、彼は愛によって対象をみつめていたのでは
ない、ある意味人を人として見つめていたのではない、己の感覚の美のみを
信じて描いていた画家だと思います。ストイックで、ある意味冷徹ともとれる
制作態度。隠喩や、物語性を排除した(晩年)すばらしい画家。やはり天才です。
こざいくなし、真っ向勝負。かっこいい。
487 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/28 02:55
うんこジャコメ
poi
>487
知らないんなら書かなくていいよ。
490 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/29 02:36
セザンヌの展覧会やってくれよ!
セザンヌ=みかんが好きな人?
492 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/29 20:47
リンゴが好きな人だよね。
493 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/29 21:09
>490
横浜でけっこう前やってたなあ。
樹木に光があたり、輝くような色彩がとても美しかった。
ジャ・ド・ブーファンの大きな樹木だったか。
大阪の万博の常設展示の初期のものは全然だが。
495 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/30 14:19
彼の言葉で絵を解説している本があったな。
多色印刷のすばらしい本。
496 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/30 20:35
クソがアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああ!!
絶対に一生見ないと決めていた蓮画像うっかりふんじまったあああああ!!
貼ったやつブン殴り手えええええええええええええええええええ!!!
クリックしちまった自分にも腹が立つ雨うううううううううううううううううう!!!
これだから2ちゃんは嫌何ダヨおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
ちきしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
>>496 まあ落ち着けよ、セザンヌの風景画でもみて。
嫌いならしょうがないが。
アントニー・バラブレ−グの肖像、なかなかよろしいなあ。
499 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/01 02:52
>>495 分からんのよ。今度本屋で見てくる。
待ってね。
500 :
セザちゃん:03/09/01 06:01
セザンヌすごいに決まってるじゃないの。
遠近法の無視でしょ?
キュビズムの父!
カサカサした画面が好きだよ。
501 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/01 09:07
>>495 まさか返事がくるとは思わなかった。
見つかったらおしえてね。
セザンヌの絵は理屈でどうこう言うよりまず感覚だね。
彼の作品にも良し悪しがあるけど。
美しいと感じられる人は幸せ。わからない人にはわからない。
俺みたいに、最初はわからなかったが、だんだん気になりだして、
いつのまにか一番好きな画家になってたって人もいるかもしれないが。
502 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/01 11:47
>>501 感覚かなあ。感覚的に見たらわけわかんなくなると思うが。
つーか、これだけスレが続いていて誰一人として
セザンヌの本質を述べているヤツがいないのは驚異的。
ここ本当に美術鑑賞スレか?
>>502 みんな自分が感じるセザンヌの本質を述べているわけだろう。
君自身そういう言い方する前に自分の感じるあるいは考える
セザンヌの本質とやらを述べてみたらどうかね?
セザンヌは、
古典絵画の構図を研究するうちに、構図だけで絵が成り立つことを発見した。
普通、モチーフや主題を描くのが絵と思われていたが、それら無しでも絵は成立する、と。
それでも本人は死ぬまでモチーフや主題から決別できなかったが、
後進の画家たちが、絵を「現実の模倣」から完全に解き放った。
つまり、やはり近代絵画の父であるわけだ。
彼の絵に木が描かれていても、それは木じゃない。構図を構成するのに必要な
ただの線だ。山も山じゃないし、果物もしかり。
セザンヌの絵を印象派の親戚みたいに見ても、何も無いよ。空っぽ。ヘタだし。
構図の幾何学的構成の妙を鑑賞するべきものなんだ。
・・・というのがオレが理解しているセザンヌの本質だが、どうよ。
505 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/01 17:39
ホ!しろうと臭くないイイレスだよ>504
>502ここは美術は感情や感覚だけのもの、みたいな
低レベル(&前時代的)な人が凄く多いから
>>503禿同
>>505 あなたはセザンヌの希有な才能を否定するのですか?おれは誰にも
負けない簡潔な美、彼自身が追いもとめ、試行錯誤した結果得られた美
こそ最高の人類の宝だとおもうが、あなたにはその才能を理解できない
のですね。結局なにか本で読んだ知識しか持ち合わせていない。
>しろうと臭くないイイレスだよ などという実際絵を描いた事の無いような(お粗末な)
アマチュアまるだしのコメントしかできないミーハーなオバカさんですね。
絵画にとって、構図を構成することなど初歩的な、あたりまえのことでしかない。
セザンヌのもとめていたものはそんなもんではない。セザンヌの作品から影響
をうけた作家は数多いが、彼以上の作品を作りあげた人はいない。あえて言うなら
ジャコメッティーぐらい。ピカソやブラックのキュビズムなどとるにたらない。
セザンヌの作品をイノコロジーなどで検証しないでくれ。最後に、低レベルなのは
あなただから。下らない現代美術(あんた向きの)でもおっかけてたら?
セザンヌは時代の先駆者であり、天才だから、理屈で分析しようと
思えばいくらでもできるよ、ただ、作品から感動して入るより、
理屈から入るやつが多いんだよなー。
そんな奴は、一通り文章をよんで、セザンヌのみりょくを理解したきでいる。
こう言う奴は、セザンヌを論じないでほしい。
509 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/01 21:51
>506
なに?イの頃爺って。
イコノロジーなら知ってるけど。
セザンヌの発見した事は言うなれば
フランス革命や産業革命にも匹敵する
美術の一大革命。
>502氏の書いた点はソレをさしてると思うんだけどね
当然根源的に重要なtermなのは言うまでもなし。
あとは各自好きに語りなされ。
で、もちろん描く側の人間ですが?
趣味でナインなら、この程度の認識がなくてどうするっていうの。
>>509 ちょっと間違えただけじゃない。そんなに目くじらたてんでも。
511 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/01 22:27
>>502,504
もしただの幾何学的構成だけが彼にとって重要なのだとしたら、
彼が何故ゴーギャンなどの分割主義をあれほど激しく批判したのか
君には理解できないことでしょう。
セザンヌの世界はもっと複雑ですよ。
現在の美大や美校には暗黙の了解みたいな物がある。
教授が学生に向かって
「絵画は塗り絵ではない。君の絵は塗り絵だよ」
すると学生は何糞と腹を立てるが、家に帰って
セザンヌの画集を何度も何度も見直す。
>>509 あなた505?だからそんなに必死なの?
514 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/02 00:50
>511
>504をよく読めよ。
セザンヌ自身はモチーフや主題から自由になれなかったんだよ
ゴーギャンを批判したのも、彼の意識はいまだ前時代に片足を
突っ込んだままだったからではないか?
天才ならではの矛盾ともいえるが。
一人の人間だけが現代美術の門戸を全て開け放ったわけではない
けれど彼がその門戸の在り処を見つけだしたんだ。
>>514 >けれど彼がその門戸の在り処を見つけだしたんだ。
確かにそのとおりだとおもいます、キュビズムだけでなく、
マティスやモンドリアンにも彼の作品は影響をあたえました。
彼なくして美術史は語れません。
しかし何故このように多くの画家が彼の絵にインスピレーションを
うけたのか、俺は504さんの言うように、
絵を現実の模倣から完全にときはなったからだとはおもいません。
彼は独自の視点、知覚によって、アカデミックでない彼自身、独自の美を
追求したから新しい美、彼の感覚による美がうまれたのだと思います。
もちろん構図の幾何学的構成も画期的なものだったとは思いますが、
それのみを彼の業績と考えるのは、的外れだと思います。
実際、彼以降の画家で、彼を凌ぐ魅力をもった画家を俺は知りません。
彼は沢山枝分かれして行く美術のちょうど分かれ目にいる人物だとおもいます。
彼の作品にはいろんな魅力があるとおもいますが、俺は彼の絵のみずみずしさ
物を見つめることで、すくい取られた美こそ最大の魅力だとおもいます。
長文になってしまいましたが、506の失礼な発言、この文章と矛盾する点お詫びします。
>>505 新ければいいという問題ではない。そういう考えが美術の衰退を生む。
感覚使わずにどうやって作品見るの?屁理屈こきの、ばか女っぽいね。
(前時代的)プッ あなたは新時代ですか?
502です。セザンヌも年齢とともに意識の移り変わりがあって、
一概には言えないだろうけど、一般に代表作とされるような作品然とした作品群は、
立派な絵画らしいものを描かなくては、という焦りを感じる。
晩年に無数に描かれた、一見何が描いてあるかわからない乱暴でぐちゃぐちゃな絵は
旧来の視点で見ると、絵画作品としてはそれほど魅力的ではない。
これらは、作品をものにすることはどうでもよくなって
構図・構成の追及だけに彼の興味が移ったと考えられる。そして、これらのぐちゃぐちゃな作品が
オレみたいな描き手にもわかる、刺激をくれるんだ。あああ、オレならこう発展・展開させたい!
という刺激をね。当時の画家たちが受けた刺激を実感できるよ。
セザンヌは惜しいところまで行ったんだ。ヒントを山ほど与えてくれたのに
古い絵画観が足かせになって、完全抽象まで到達できなかったんだよ。
モンドリアンの風景画から完全抽象への変遷は実に感動的だが、これがセザンヌが
到達すべき延長線上にあったのは間違いないだろう。
作品が、描写する対象から開放され、独立した価値を持つようになったという点で、
絵画に限らず現代アートへの扉を開けたのも、彼だと思う。
>>502 いやあ盛り上がってますね。いいことだ。
そういう意味で502さんに感謝です。
502さんにとってはセザンヌというのは抽象絵画の先駆けとしての価値しかないのかな?
だとしたらセザンヌよりもゴーギャン、ゴーギャンよりもカンディンスキーや
モンドリアンの方が作品としてのよりすばらしいということになるの?
これって単純で危険な歴史主義のようにしか見えませんよ。
抽象へのターニングポイントだからセザンヌは 偉いというのは、
わたしには、セザンヌ自身の作品を作品として理解できないことへのエクスキューズ
としか聞こえません。
(ピカソのキュビスムを理解できない人が彼の若いころの写実的な作品を見てキュビスムを
へのエクスキューズとするように)
セザンヌの絵は幾何学的抽象への先駆であり、彼の絵の価値は幾何学的構成にある、
というのであれば実際すっきりするし、そうなれば、セザンヌの絵にはなんの謎も、
難解さもきれいさっぱりなくなってめでたしめでたしだと思います。
でも、そうなると少なくともわたしにとっては彼の絵画の魅力も半減してしまうような気がします。
まあ504さんが本当にそう感じているのなら仕方ないけど、セザンヌにとって、というよりも
セザンヌの絵にとって、「モチーフ」というものは決して可能ならば捨て去った方が良い、
というようなネガティヴなものとして機能しているわけではないと思うんだけど。
(上より続く)
このスレッドのテーマにもなっている彼の絵の難しさのようなもの、
彼の絵の不可思議さというのは、その後の抽象が持ちえないような豊かさを
なぜ彼の絵がいまだに持っているのか、というところでもある思います。
少なくともわたしにとってはそういう側面に触れていないセザンヌ論は
どこか的外れな気がいつもしてしまいます。
>>511 >502さんにとってはセザンヌというのは抽象絵画の先駆けとしての価値しかないのかな?
>だとしたらセザンヌよりもゴーギャン、ゴーギャンよりもカンディンスキーや
>モンドリアンの方が作品としてのよりすばらしいということになるの?
>これって単純で危険な歴史主義のようにしか見えませんよ。
>抽象へのターニングポイントだからセザンヌは 偉いというのは、
>わたしには、セザンヌ自身の作品を作品として理解できないことへのエクスキューズ
>としか聞こえません。
同感です。俺もそう感じます。セザンヌは、美術史に大きな影響をあたえましたが、
彼は純粋に独自の美を追求していただけだとおもいます。彼自身独自の感覚(サンサシオン)
によって、美しい公式(ベル・フォルミュール)を手にいれることが理想だと語って
います。彼は、新しいものを求めたのではなく、彼が求めたものが前人未到の、
新しいものだったのだと思います。故に彼の作品は、今でも新しく、描き手に多くの
ヒントや、インスピレーションをあたえるのだとおもいます。
最後に502さんが言うように、
>モンドリアンの風景画から完全抽象への変遷は実に感動的だが、これがセザンヌが
>到達すべき延長線上にあったのは間違いないだろう。
とは俺は思いません。
522 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/03 22:38
さがるのずいぶん早いな
大学では美術を専攻してたんだけど、学生や教員の前で
肯定的にせよ、否定的にせよ、「セザンヌをわからない」って発言するのには勇気がいった。
>>523 それだけ奥深いって事ですよ。7年絵描いてるおれだって彼の絵の魅力
を説明せよと言われれば自分の感じる部分でしか語れない。
セザンヌの魅力ははかりしれない。人によってあらゆる解釈ができるでしょう。
>>517 >晩年に無数に描かれた、一見何が描いてあるかわからない乱暴でぐちゃぐちゃな絵は
>旧来の視点で見ると、絵画作品としてはそれほど魅力的ではない。
それは、サント・ビクトワール山より後に描かれたものですか?
よければ題名(あれば)教えて下さい。
526 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/05 19:01
つーか少なすぎるよな、日本で見れるセザンヌ。
国立西洋美術館に良さそうな水彩があるの見たことある人いる?
527 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/07 04:18
>>501 セザンヌ 絶対の探求者
山梨俊夫(編・訳)
二玄社
販売価:\2,800(税別)
でした。いわゆる立派な画集じゃないけれど。
>>87 静物画でいいと思ったのは、ピカソの描いた静物画と、
ダリの「生きている静物画」ぐらいだったけど?
普通に描かれた静物画には、全然魅力を感じません。
>>527 サンクス サンクス 今度書店でさがしてみるよ。
530 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/08 10:52
>>528 普通ってなんじゃ?
ピカソもダリャも普通。
532 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/11 00:28
セザンヌの場合、光は外部からやってくるのではなく、絵画の内部から現れる。
セザンヌにとって根源的なものは色彩である。
少し前にニューヨークのメトロポリタン美術館でレオナルドの素描展が開かれてま
した。この展覧会では有名な素描がいくつも展示されていましたが、何と言っても
素晴らしかったのは、「聖ヒエロニムス」の未完成の絵でした。
画集なんかでみると黄褐色の下絵ですが、本物をみると、さらに、灰緑色でライオ
ンの顔や毛並みなどが書き込まれています。レオナルドの優品と言われるだけあっ
て、画面全体が引き締まり、弛みがありません。
この展覧会場を出て、印象派の展示場に入ってゴッホの「アルルの女」などをみる
と、画面が弛緩しています。
ゴーガンの作品も残念ながら、ぬるく見えてしまいます。ただ、「聖ヒエロニム
ス」に対抗できるのは、セザンヌの未完成の「セザンヌ夫人」だけです。
この「セザンヌ夫人」をみると、この評がなるほどと思えてきます。メルロー・ポ
ンティも「セザンヌの作品を見てから、他の画家の作品を見ると、弛みを生じる」
と述べていますが、セザンヌの作品は、こうした画面全体の張り、充実感、豊かさ
などなかなかコトバでは表現しにくい良さがあると思います。
そして、たとえば、ロサンゼルスのゲティ美術館のひじをついた婦人像など、手を
伸ばせば、この夫人の衣服や顔に触れることができるとさえ思えて来ます。この作
品にかぎらず、フィラデルフィアのバーンズ・コレクションの髑髏の静物や、大水
浴図もすばらしいものです。ワシントンDCのフィリップ・コレクションの大きな松
のあるサン・ビクトワール山を描いた風景がからは、さぁーという風の音や木々の
匂いが伝わってきます。さらに、ロンドンのナショナル・ギャラリーの風景画は、
コトバがでないくらい驚倒しました。
こうしたセザンヌの優品・名作をみると、近代美術史上もっとも重要な画家である
ことが納得させられます(ただし、セザンヌにも、凡作・駄作は多いですが)。
私がセザンヌの作品を初めて見たのは、京都で開かれた「ソ連美術館所蔵 西洋絵
画名品展」というようなタイトルの展覧会でした。30年以上も前のことです。ここ
には、きらきらとした夕方の光が美しいモネの「エトルタの海」や、ルノワールの
たぶん1870年代初期の青系色が美しいカップルを描いた優品、ゴッホのオーベー
ル時代の風景画(ロシアのゴッホのコレクションはオーベール時代の作品だけで
す)。これは、川の急流の中に投げ込まれたときのような、自分の体が回転するよ
うな体験を味わいました。そして、第一次タヒチ時代のゴーガンの作品。これは、
丘の上の大きな神像を描いたもので、私が決して知ることさえもできない異教と異
境の不思議な光景のように感じました。
この展覧会には、遠くにサン・ビクトワール山が見える松の林を描いた風景画が展
示されていましたが、最初は、私には平凡な絵にしか見えませんでした。ゴッホな
どの作品から立ち去りがたい思いがして、何回も繰り返しみているうちに、このセ
ザンヌの作品が、目立たないけれど、しっかりして、もっとも内容が豊かなものに
思えてきて、誰が何と言おうと「セザンヌが一番いい」と考えるようになりまし
た。そして、この考えはいまなお変っていません。
ついでに、ゴーガンはセザンヌを「画聖」と呼びましたが、彼が所有し、もっとも
好んでいたセザンヌの中期の静物画がニューヨークの個人コレクションにありま
す。この絵は、シカゴ美術館のゴーガンの作品の背後に登場します。このセザンヌの静物は将来に、ニューヨークの近代美術館に寄贈されることになっています。
ニューヨークに住んでいて良かったと思うのは、こうした絵をみることができるこ
とです。ついでに、有名な洗濯女がいるアルルの跳ね橋を反対方向から描いた作品
も見ることができました。これは、時間観念が消えて、「永遠」を感じさせてくれ
ました。
(次の文章は、533と534の間に入ります)
1995年に初めて開かれたセザンヌ展は批評家のあいだでさんざんな不評・酷評を
被ったのですが、モーリス・ドニであったか、エミール・ベルナールであったか忘
れましたが、「現代のレオナルド・ダビンチ」という評を残しています。
537 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/12 10:07
>>534 >メルロー・ポンティも「セザンヌの作品を見てから、他の画家の作品を見ると、
>弛みを生じる」と述べています
なんてゆう本ですか。メルロ=ポンティわりと好きです。
思想家としては今ではけっこう評判わるいけど、少なくともこのスレで彼のこと
をバカにしてる人が彼の本をちゃんと読んでいるかかなり疑問です。
「意味と無意味」(モーリス・メルロー=ポンティ著 永田多喜雄訳 国文社)の
「セザンヌの疑惑」という章の28ページです。次のように書かれています。
>セザンヌの絵から離れて、ほかの画家の作品を見に行くならば、恰(あたか)も
葬送の後で復活された会話が、その絶対的な新事実を被いかくし、生きている人た
ちの手に、かれらの鞏固さを返還するように、緊張の弛みが生じる。
「鞏固さを返還する」とはどんなことなのかよく分かりませんが、葬送という厳粛
な儀式が終わった後に、人々が日常的な会話を開始すると、葬送の緊張した雰囲気
が緩み、その会話が空々しく聞こえるというほどの意味でしょう。そして、これと
同様に、セザンヌの作品を見た後に他の画家の作品を見ると、緩んだもの、鈍いも
の、あるいは、粗雑なものに見えてしまうということをメルロー=ポンティは言い
たいのだと思います。
私は何回となく同様な体験をしていますので、「あぁ、その通りだなぁ」と思いま
す。
ちなみに、「目と精神」はポンティの絵画論、この「セザンヌの疑惑」はセザンヌ
論です。
>>NYさん
どうもありがとうございます。
その文章読んだことがあるのにその一節はすっかり忘れてました。
ちょっと本棚から探してその一節を読み直してみました。
僕のはみすず書房のなので少し訳が違っていますが「鞏固さを返還する」
は「堅固さを返し与える」とほぼ同じように訳されています。
これは前の箇所で語られている「習慣を定かならぬものとし、
人間がその上に置かれている非人間的な自然という根底をあらわにする」
ということとの関連で語られているようです。
セザンヌによって掘り返されて定かならぬものとされた人間的習慣の鞏固さが
再び他の画家を見ることによって回復されるというような意味かなと思います。
この一節は僕にはちょっと難しすぎる感じですが、その直後の
「だがしかしまさしくひとりの人間だけが、構成された人間性の手前で、
ものの根元にまで入り込むこのような視覚を行使することができる」
という一節はちょっといいですね。
いわゆる思想家、哲学者などのなかで絵画を理解できるのはメルロー=ポンティだ
けですね。サルトルは、ジャコメッティおよびその周辺ならOKですが、セザンヌ
になるとだめでしょう。フーコーの絵画理解は絵解きの一種、レヴィ・ストロース
のフォンテンブロー派の絵画論は稚拙、彼の理論とは関係があるとは思えません。
どうも、フランスの文化人は絵画を語ることが教養の一種と考えているようで、そ
のためにレヴィ・ストロースも絵画の知識を披露したものとしか思えません。ちな
みに、日本の仏文系文学者も、絵画を理解していないのに絵画を語らなきゃ、と考
える傾向があるように思います。
>>515,
>>521ですが、私は文章や、美術史などで知るまえに、
セザンヌの作品に惹かれその豊かで堅牢で、みずみずしく言葉では
言い表せないほかに類を見ない魅力に感動し、今に至るわけですが、
はずかしながら、セザンヌについて書かれた文章をほとんど
読んだことがありません。538に書かれている本是非読んでみたいと
おもいます。あと、おこがましいですが、私の過去のレスにコメントや
アドバイスがあれば、よろしくお願いします。ちなみに私は、描く側の人間です。
つまらん書き込みをしてしまった。
543 :
RE: NYさんへ By NY:03/09/14 17:44
>541さんへ
515と521を読ませていただきました。いちおう、私が考えていることを述べたいと思います。
まず引用されているセザンヌの言葉ですが、こうした言葉はこの画家の固有の意味を表していると
考えられますので、それを探ろうとするためには、彼がつくりだした画面を見る必要があると思い
ます。
セザンヌの初期の作品を見ると、彼がいわゆるアカデミックな絵画を学んだ痕跡さえも見いだすこ
とができず、いわば激情のおもむくままに描いているように感じられます。たとえば彼とともに
第一回印象派展に加わったモネやルノワール、あるいはドガなどは、それぞれ画塾などで当時の
美術教育を受け、しかも優秀な成績を残していたと考えられます。たとえばドガは「アングルの後を
継ぐ者」と呼ばれるほどの秀才ぶりを発揮し、ルノワールの初期の古典的あるは写実的な作品を
見ると、この画家はまっすぐ進めば当代一流の人気画家になるだろうと思わせられます。また、
モネにしても技術的にすぐれた手腕を見せています。
ところがセザンヌの場合は、2年つづけて美術学校の試験に落ち、さらに官展(サロン)には、
審査員が侮辱されたと考えて、怒り出すほどの当時からすれば異様な作品を出していました。
たしか、当時のフランスの美術界のいわば重鎮であったブーグローは、特にセザンヌだけは許せないと
述べたという記録があるはずです。また、鉄砲の銃口に絵の具を詰めて発射した作品などと揶揄した
評も残されています。
彼が美術学校の試験に提出した作品やサロンに出した作品は特定されていないようですが、
当時の彼の作品は、古典的な技法とは全く無縁の、絵の具を非常に荒々しく、塗り付けた作品が多く、
しかも、「強姦」とか「殺人」などの禍々しい題材が描かれています。そのうちでも、「昼餐」と
名付けられた作品は、ギラギラするような原色の激しい作品で、まさに常軌を完全に逸脱した類型が
ないものです。敢えて類似した作品を探そうとするなら、ナチスによって弾圧されたドイツ表現派の
原色の作品に近いといえるでしょう。
こうした途方もない作品は、彼が自己制御が出来ない極端なタイプの性格であったことと、さらに、
空想的な主題から、想像力が豊かな性格であったこともうかがうことができます。
544 :
RE?F NY?3?n?O?N?@?@By NY:03/09/14 17:47
初期のセザンヌの性格についてあまり多くは語られていないようですが、ルノワールは「ゴッホは
暴れ者だったが、セザンヌは拘束服が必要だった」と述べています。また、晩年には彼は相当に有名に
なったために、人物評もいくつか残されていますが、「軽度の精神障害を被っている」と述べる者が
多く、ルノワールの述べたことからも、そして初期の作品からも、彼が青年期からこうした問題を
抱えていたことは間違いないと考えられます。ちなみにメルロー=ポンティーは、およらく分裂病の
前段階という意味で、「分裂症」であったと述べています。
ついでにいえば、晩年にセザンヌを訪問したエミール・ベルナールは、セザンヌの後を子供たちが
つけ歩いて、石を投げ付ける光景を目撃しています。このようにセザンヌは故郷のエクスにおいても、
狂人・変人として見られていました。
ただ初期のセザンヌは、モンチセリの作品からある程度の影響を受けていたことは間違いなく、
まるで溶き油に重油でも使ったのではないかと思えるような、泥臭さが感じられます。シカゴ美術館
では、セザンヌの作品の横にモンチセリの作品を置いて展示してあり、モンチセリの影響が見てとれ
ます。
印象派の画家が、写実主義や新古典主義から出発して、ついでマネの影響を受け、彼らの習い覚えた
絵画の基準から徐々に、あるいは時には急激に抜け出して行ったことと対照的に、セザンヌにはそう
した基準が存在しなかったと言えると思います。
そして、ピサロと知り合い、印象派の影響を受けて画面が明るくなってきます。セザンヌは後年に、
「自分はピサロによって初めて絵を習った」と述べているように、印象派は彼にとって非常に重要な
意味をもっており、画面の変化とともに、題材も空想的な主題が影を潜めます。
545 :
RE?F NYさんへ-3 By NY:03/09/14 17:48
印象派時代のセザンヌは、他の印象派の画家からも高く評価されていたようで、第一回印象派展では
彼の作品がもっともよい場所に展示され、ピサロ自身が逆にセザンヌから影響を受けるように
なり、あるいは、ゴーガンがピサロに、セザンヌの絵の「処方せん」を教えてくれるようにと
頼んだ手紙も残されています。
一方では、この時代の作品を見ると、セザンヌのスタイルは確立されておらず、泥臭さが抜けきれて
いません。しかし同時に、しばしばconstructive(建築的)と評されるような力強さが現れてい
ます。印象派が輝く光の美しさを描こうとしたことに対して、セザンヌは、画面が印象派のように
明るいけれど、対象の枝葉末節の部分を切り落として、その対象のもつ構造を単純な形態として描き
出そうとするため、こうした力強さが現れたのだと思います。
後年にセザンヌは「事物は球と円柱、円錐によって組み合わされている」などという言葉を残して
いますが、事物の存在感を描き出すには、事物の表面的な輝きや属性を取り払い、こうした単純な
構成要素に還元した見方をすることが必要であったと考えられます。彼の絵画がconstructiveと
評されることと、この言葉には密接な関係があると思います。
(今日はこのあたりで終わりにします)
RE、NYさんへ
時代を追った、丁寧な解説、ありがとうございます。私が、大々的な、
セザンヌの展覧会を見たのは、1999年9月に横浜美術館で開かれた
「セザンヌ展」が、最初ですが、私がまず惹かれたのは、1866年
に描かれた、髑髏徒燭台のある静物です。初期の作品ですが、遠目から
見ても、張りがあり、そこに一種異様な空間と髑髏が存在してるかのようでした。
色は、大まかに三色しかつかっていませんが、とてもひきつけられる、
魅力的な作品でした。この頃から、天才の片鱗がみてとれます。
風景画では「マンシーの橋」1879−80や、「ジャド・ブーファンの
大きな樹木」1885−87(この絵が一番美しかった。)など、沢山の
秀作がみれました。
何か展覧会評のようになってしまいましたが、セザンヌについて語るのは、
とてもエネルギーがいりますね。あと521で引用した言葉ですが、あまり
軽々しくつかうべきではありませんね。例の本読みながら、また書き込みたい
と思います。T
REはいらなかった。
548 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/15 19:37
>>541 購入系でないスレはすぐ下がるのでどんどんageでいきましょう
了解
うーむ早く例の本を手にいれたいが、バイト代が入るまで
後二週間。長いなー。
551 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/16 10:12
>>551 どうもです。しかし3000円でも今のおれにはイタイ。
あと本はあまり読むほうじゃないので、あなた達の会話に
ついていけるかどうか。まあ興味だけはあるので、思った事少しずつ
書こうとおもいます。
553 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/17 22:56
モンチセリってだれ?作家なの?
554 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/19 17:28
>>553 「モンティセリ」のほうが一般的。
Adolphe Joseph Thomas Monticelli(1824-1886)
ブリヂストンで数年前に展覧会やってた。
もうすでにあの時代にこんな画家がいたのかとちょっと驚いた覚えあり。
555 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/19 22:32
>モンチセリ
ゴッホの手紙を読んでると出てくる名前だね。
ブリジストンの展覧会もいったけど、
西洋美術館になかったけ?
板に油絵の具で描いていたりする人だったような。
556 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/20 14:41
ある人の楽園はすぐに他の人の地獄になり得る。
レス読み返したところ、俺の意見は、>>520さんと同意するところが、
多いようにおもいます。
俺は、好きな作家は誰かと聞かれれば、セザンヌとジャコメッティとこたえます。
それは何故かというと、自然の美を追求しているからだとおもいます。
オーガニックという言葉が、彼らの作品の一つの魅力ではないでしょうか。
子供の時ザリガニとったことや、バッタをとって感動したみずみずしさとにたものを
彼らの作品にはかんじます。もう一つの魅力には、彼らがそれを追求しつずけた
ことにあります。彼らの魅力を語る時そこが原点だとおもいます。
後彼らの才能を語るとき、つい感覚という言葉をつかってしまいます。これには
反論多いとおもいますが、よりふさわしい言葉ないでしょうか?
酔った勢いでわけのわからない事
書いてしまいました。無視してください。
スイマセン。
559 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/21 12:39
俺は感覚は使えると思うな。感性はいやだ。
どちらにしても無自覚で使うのはどうかと思う。
560 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/21 12:40
セザンヌの水彩が好きだ。
561 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/21 14:12
あえて、ばかなレスするけど、
セザンヌの絵は、
やはりあのスタイル(描き方)に評価があるのだろうか?
空間概念に対する一つの考えに評価があるのだろうか?
あの時代の絵は、主題で、絵の評価が決まるわけではないけれど。
っていうのも、現代のポピュラーな作家は、「空間」や、「構図」
より、主題の斬新さ?今っぽさ?で評価されてる気がするから。
562 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/21 23:46
完全な絵描きの一人。
・・ピカソもかな?
563 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/22 00:47
>561
現代はまずコンセプトありきだと思う
どんなに上手くても一見魅力的でも、
コンセプトは?と聞かれて何も言えないような
画家はどうもダメなんじゃないでしょうか
564 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/22 10:27
>>557 僕の場合ジャコメッティってあまり「感覚」という感じはしませんね。
ジャコメッティにおける「感覚」ってどういうものなんでしょうか。
うる覚えで申し訳ないが、みすず書房の矢内原伊作著の「ジャコメッティ」に
モデルのに向かうと、あたかも幾千ものかみそりがこちらへむかってくるように
見える。と彼が発言している一節があったようにおもう。彼はそのかみそり
のように見える一つ一つの線をとらえようとしたのではないだろうか、
感覚なしには捕らえられない仕事だとおもうが。
何よりおれは、彼の絵を初めてをみたとき、脳天を貫かれたような衝撃をうけた。
これこそ俺の捜し求めていた作家だと思った。こんな作家がいてくれて、ありがとう
と言う気になった。以上。
「製作」って小説、どんな内容だか誰か知ってる?
567 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/23 21:42
>>566 ゾラがセザンヌをモデルにして書いたといわれるやつでしょ。
といっても実際に登場する画家はマネその他いろいろな画家のアマルガムといった感じ。
小説としては駄作だと思う。
この小説がきっかけで二人の関係が途絶えたといわれるけど実際のところははっきりとは
わからないらしい。
書き込み止まってるね、そろそろ例の本探しにいこうかなーと思ってます。
難しそうな本だけど、書き込みたいと思ってます。
569 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/27 14:02
セザンヌ展昔見に行ったが、第一印象はこの時代としては 暗いなあ
と思った。難解だと言われるが 案外カンディンスキーに近いところ
にいたのかもしれない。
ただやはりこの時代の絵画としては 冒険心にあふれた 希有の作家
だろう。
セザンヌ=>カンディンスキー=>ピカソ=>デュシャン
の現代芸術の流れは誰もが認めるところだろう。
570 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/27 16:47
デュシャンまではまだ発展し続けてるイメージがあったけど
そのあとは?
デュシャン=>ウォーホル=>??
571 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 00:21
>>570 デュシャンで終わり ウォーホルからは商業主義ARTに脱線。現在も進行中
572 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 01:09
ある意味当然だけどね>商業主義アート
だって資本主義だから。
といってマンセーしてるのではないよ
難しいね
573 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 17:49
受験の油絵だと、必ずセザンヌみたいなの描く時期があるんだけどね。
誰も続けないのは、やっぱりつまらないからだろ。
574 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 18:03
作業自体が意外と大変だから、
沢山描いて、その中でいいのはほんの少しになりかねない上、下手糞呼ばわりされたりするし、
ある意味、古典技法みたいな方が楽かもしれない。
575 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 21:56
576 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 22:42
>>573 あんた絵やめたほうがいい。というかセンスなさすぎ
予備校生にセザンヌのような絵描けるわけないだろ。
彼の絵の魅力が理解できないとは不幸としか言いようがない。
セザンヌの絵にかぎらず。絵画はうまいへたではなく、魅力があるかないかだ。
うまい=価値が高いなら、写真で十分だ。
NYさんあたりの討論してた方がた消えたの?復活してくださいよ。
577 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/28 23:53
セザンヌの絵は、ヘンとしか言い様がないけどな・・
578 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/09/29 11:14
魅力があるかないかというなら
セザンヌの絵に魅力を感じたことは一度も無いな
563>レスどうも。
あまり、更新されないので、週に1回くらいしかのぞかないもので。
これは、誰に言うわけではないけれど、自問自答な意味でコメントしてるんですが、
コンセプトって、例えば、人にわかりやすく言うべきか?
わかることだけいうべきか?
理解されなくてもいいから、自分の正直なことをいうべきか?
っていうのは、
今ある日本でのポップな日本現代アートって、商品という姿をかぶった、コンセプトアートという
受け止められ方では、現実的にされてないと思う。
商品として流通しちゃってると考えれば、
セザンヌの絵も、今流のコンセプト(というより、宣伝コピーに近い)で
かざりたてれば、見方ががらりとかわるかもしれない。
しかし、本来のセザンヌの意図は、たぶん一般には、理解されない。
(ビトン、フィギュアの村上氏のように)
むしろ、本来のコンセプト自体一般概念からすれば、理解以前に
どうでもよかったりする。
580 :
561の続き:03/09/29 11:58
コンセプト自体が、作品の意図をうやむやにするならば、
ただ、自分流にセザンヌが描いた緑が素敵!でもいいかもしれない。
だが、セザンヌの価値は別のところにある!と言える人は、
それなりの教養がないと、セザンヌのかかえていた問題意識自体が
伝わらない。
といって、その教養というものも自分流だったりするから、
お互いが別々のセザンヌの見方を言ってたりする。
本当にセザンヌを正確に、理解しているか?といわれてもその判断基準が
むずかしいように、
結局は、現代ポップ的なアートのように好き嫌いで持論を展開するレベルと
どれだけセザンヌの魅力に迫れるかは、比べられなかったりするんじゃないか、、。
つきつめていけば、セザンヌや、村上フィギュアや、ラッセン、を
同一線上で、イラストを見るように、鑑賞する事は、本質的に間違いではないんじゃないか、、。
と
いろいろとりとめのなくクルクルまわってしまうアカデミック経験者なのです。
581 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/10/04 05:17
結局難や!はっきり背〜
582 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/10/04 05:40
584 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/10/15 17:47
あげ!
あぼーん
586 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/11/04 22:18
セザンヌ好きです。あの不思議な色感がなんともいえない。
なんか光があるようなないような。
きれいな色というのとは違う中身のある色というか。
587 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/11/05 07:13
セザンヌがわからないというのは「絵心」がないに等しい。
588 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/11/06 02:10
なんかセザンヌの絵ばっかみてたら、街の木々も
セザンヌぽく見えるんですけど。立体的っていうか
なんていうか。
589 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/11/06 11:43
みんなそう
なんでセザンヌがえらいって言われてるのか
ちょっとわかったような気がしました
あぼーん
593 :
わたしはダリ?名無しさん? :03/12/21 18:07
594 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/12/26 02:43
実際油絵やってみたらセザンヌのすごさが少しわかった気がした。
ある種の集中力がないと描けない絵だと思う
595 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/12/26 14:15
aaa
596 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 21:46
今のヘタレ現代美術よりセザンヌのほうが
すすんでいると思うんですけど、素人考えですか?
597 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 22:15
すすんでいる」の定義の仕方によるね。
彼が到達した境地は他の人が引き続き
すすめられる技術面および絵画理念と
そうは出来ないところ、個性がある。
後者が彼の天才である。
598 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 22:17
進んでるかはわからないけどセザンヌのが好き。
599 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/01/04 02:19
NHK観てセザンヌが好きになった。
リンゴサイコー。
しかし展開のないスレだな
すべりまくり〜〜〜
セントヴィクトワール山
最高
603 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/03 23:18
現実の山を見ながら画布に絵の具で人間(セザンヌ)にとって
等価なものを現出させる。何をもって?自然の構造?つまり
「存在」を定着させるその方法は?その時絵を画くとはとの
根本的な問いが改めて発せられたのだ。個人が時代の絵画上の
問題の先端に意図せず達していたのだ。時代の転換点に立って
いたのだ。アートとは?
604 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/12 23:27
そして、写実は越えられたんやね。
アートの自立なんやね。
605 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/13 04:15
アングルは?この人も構図優先だし、ずっと前の人だし。
606 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/14 23:28
地方に転勤して友達もできないので
休みに山歩きしながら水彩を描いているが、
2,3日何もしゃべらないでいると、外界がへんな存在感をもって向かって来ることがある。
そんな時セザンヌもこうして向かい合っていたのかと考えたりする・・・・・・・・・・・・・・
607 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/15 02:31
>>605
写真が登場してアングルの価値は下がったんじゃないの。その点セザンヌは
写真とは程遠い独自のリアリティーをもっている。
608 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/16 17:48
609 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/16 17:52
「有名な画家を挙げていけ,同じの書くなよ」スレッドでやべーことなってるぞ
おまえら行け!!!セザンヌ
610 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/16 17:52
まずはセザンヌだ
611 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/16 19:19
とにかくセザンヌ
612 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/17 19:49
「有名な画家を挙げていけ,同じの書くなよ」の1よ、
最後の1000ゲットはしくじったのか?
こんな終わり方って・・・(号泣)
613 :
むこうの635:04/02/17 19:54
>>612 ほんとだよ。約束破ってまで付き合ってやったのに。
999の飛び込みが意外だったんだろうな。
疲れてて注意力がなかったんだろう。
まあ、面白かったけどね。バイバイ。
614 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/17 19:59
せっかく応援してたのに
こりゃ や り な お し だな。
1
>>612 すまんかった横合いから誰かかきこんだもんで。俺にあいたくなったら
美術デザイン板の美大出てからなにしてますかファイン系の方々パート2に
きてくれ。そのパート1たてたん俺やねん前1として書き込んでるから。すまん。
616 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/17 20:01
613ほんとにすまんむこう1
617 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/17 21:00
夜2時から朝5時まで付きやってやったぞ。
もう、こりごり。呼ぶな。根本より1へ。
618 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/17 22:57
セザンヌ セザンヌ セザンヌ
/ / }
_/ノ.. /、
/ < }
ry、 {k_ _/`;, ノノ セザンヌ セザンヌ セザンヌ
/ / } ;' `i、
_/ノ../、 _/ 入/ / `ヽ, ノノ
/ r;ァ }''i" ̄.  ̄r'_ノ"'ヽ.i ) ―☆
{k_ _/,,.' ;. :. l、 ノ
\ ` 、 ,i. .:, :, ' / / \
,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/ ☆
セザンヌ セザンヌ セザンヌ
>>618 お前は盛りすぎなんだよ!
おれはこんなAAはらねーよ!
おれはあのスレのおかげでセザンヌのすごさを再確認したんだよ!
620 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 01:28
ていうか一言いわしてくれ
セザンヌ
621 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 02:08
Part2ないのぉ..チンチン(AA省略)
622 :
むこうの1:04/02/18 02:42
協力してくれたみんなありがとう。とくにむこうの635さんと968さん
最後までつきあってくれてありがとう。なんかおもろい3日間でした。
2ちゃんねらーがこんなに優しくなるとはほんと以外。またよかったら
上に書いたスレに書き込んでくれ。最後に。
セザンヌさいこーーーーー。
623 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 03:15
>>俺達の1よ おまえセザンヌに肩並べたぜ!!!セザンヌ!!
ちょっ! ちょっと待て! 1に協力してきた私だが、
よくよく考えたら セザンヌ より マティス が最強なのに気がついた。
これからは マティス で行こう!マティス
誤解を招くといけないので、私と624は別人ですよ。
>>624 それならマチス板にいってくれよ。
むこうは、ほとんど意味のないレスばかりだから、何か語ってくれ。
(私の中では「レンブラント」最高)
すでに彼は語ってるよ。
627 :
むこうの1:04/02/18 10:51
とても大事な画家アントニオ・ロペスを忘れてた。今更ながら。
この人を苦し紛れに書いたラッセンの替わりということでここに記す。
>>625おれもレンブラントは大好き。何ヶ月か前京都に回顧展
見にいってきた。初期の作品も素晴らしいが、晩年の荒い筆使いの
自画像などとても魅力的だ。後例のスレに返事書いといたのでよろしく。
うまく説明できませんが、セザンヌの絵はより美しい素顔に見えるように
丁寧に化粧された顔のような印象があります。
629 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 16:49
キャッンバスに描いた絵一般の
説明ですな。
630 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 18:39
まあ、パンク・ロックに譬えてみれば、セザンヌはセックス・ピストルズ。
下手糞だが、ああこういうやり方もあるんだ、こんなことをやってもいいんだ
というのを示した。
が、セックス・ピストルズは所詮下手。
音楽性の面でパンクを完成させたのは、例えばクラッシュだ。
そう考えれば、下記の例題の( )内にどういう画家の名前を入れればいいか
わかるね。
セックス・ピストルズ=ポール・セザンヌ
クラッシュ=( )
631 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 18:58
セザンヌは神ピストルズなどとんでもない。
632 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 19:08
ごっちゃまぜやね。
やったことの意味を自分一人
に取っての意味だけで考えてない?
ピスは誰かに神で、誰かにカス。
セじじいの仕事の意味を分かってる?
633 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 19:15
セザンヌは洋楽にはたとえられん。ビートルズって野も違うし。
634 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 19:23
そら仕方ない。やっぱクラシックだよ。
ウェーベルン(?)とか。
635 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/02/18 20:13
>ピスは誰かに神で、誰かにカス。
セじじいの仕事の意味を分かってる?
だから、
セザンヌも誰かにとっては神で、誰かにとっては merde de putain de bordel
なわけだよ。
636 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 21:33
まあ俺にとっては神だけど。魅力のわからんやつは、美的センスがないとしか
いいようがない。巨匠といわれるひと達で、セザンヌを尊敬こそすれ、
批判している奴がいるか?
637 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:04
けっこうたくさんいる
例えば?
639 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:12
えらそうに
640 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:14
挙げられんわけね。
641 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:20
>>638 Par exemple, c'est moi.
642 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:25
沢山かいてよ有名な人、巨匠と呼ばれるような。
643 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:32
自分が書けばいいだろ?前1。こいつ最近美術/芸デ板のあちこちで見るんだが…ウザスギル
644 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:42
なぜそんな子供のフランス語で書くの?
645 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 22:45
「それ、僕」だとか、
>やったことの意味を自分一人
に取っての意味だけで考えてない?
646 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:33
>>644 Tu ne compreds pas le français du tout.
Sinon tu vas écrire le français des adultes.
647 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:38
俺はフランス語知らんよ。
でも、おれに書けとはチュとワイ絵で
言わない方がいいんでは?
648 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:40
>>647 Pourquoi ?
Je te tutoi parce que tu es merdeux.
649 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:42
どちらにしても話をすり変えるのに
しょぼいフランス語を持ち出すとはね。
ちゃんとセザンヌを批判した巨匠を言えば
いいものを。
650 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:45
>tu es merdeu
なんじゃ、これ。
初心者は急いでカキコしないこと。
651 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:48
>>648 お前にどういうフランス語がしょぼいかしょぼくないかわかるわけはないが、
言っておけば俺は630だが、637ではない。
大体どんな巨匠がセザンヌを批判したか、セザンヌを批判した巨匠がいない
からセザンヌが偉大なのだなどということを言おうとしているのだとしたら、
お前の頭がしょぼいということになる。
自分の眼で見てみろ。
自分の眼で考えろ。
セザンヌは単なる下手うま(うまくはないが)じゃないか。
652 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:50
>>650 >>tu es merdeu
なんじゃ、これ。
初心者は急いでカキコしないこと。
imbécile ?
653 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:53
分かった。分かった。
フランス語がしょぼいことも
頭が悪いことも。で、
何故、匿名なのに熱くなるんやろうね?
それ分かる?
654 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:53
>>652 確かに、650は何を言いたいんだろう?
655 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:54
656 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:54
煽られてるの?
657 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:56
そうか、煽り合いか。
こりゃ〜面白い。
658 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:58
まあ、繰り返して言うが、
俺は630に書いたことが最も的を射ているのだと思うよ。
659 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:59
書いたものをフラ語辞書で確かめなさい。
そして、赤面しなさい。
660 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 23:59
661 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:02
確かめてから言いなさい。
662 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:02
650は何を言いたかったんだ?
663 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:02
おそらくこういうことだと思う
セザンヌ!
664 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:03
>>659 ちゃんと具体的に指摘しなさい。
当てずっぽうで言っているのが見え見えだよ。
665 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:03
666 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:03
クソ
667 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:04
650は全くフランス語ができないのか?
それともとんでもない粗忽者か?
668 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:04
2ちゃんねるの香具師と同じ。
669 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:05
まあ一番アホなのは650ということで、
今日はおやすみ。
670 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:06
誰も出来ないと思っていたのでは?
671 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:07
>>670 >誰も出来ないと思っていたのでは?
意味不明な文だなあ……。
頭の程度が知れる。
672 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:09
何だか書いている奴のレベルが低いな、ここ。
その中でもバカなのが650ということで、
本当におやすみ。
673 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:15
種明かし
>>648 tu es merdeux.は間違い
tu est merde.が正しいフラ語。
674 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:17
もっと適切な言い方があるが
それは教えない。
ほんとに寝たのか?
では、
tu es un merdeux.でしたね。
676 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:37
650は本当にフランス語がわかっていない。
677 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:45
ここはフランス語のスレ?
678 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:49
下記の表現の( )内を他の語に言い換えなさい。
a (bout) de souffle
679 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 00:55
せざんぬスキーのレベルがしれるスレ
680 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 01:00
>>643 かわいそうなやつ。セザンヌ支持してるおれが何故書かないといけないの?
俺は巨匠といわれるやつで批判してる奴いるか?って聞いたの。
たしかに643の発言はおかしいね。いないと思って質問してる相手に
自分で書けてw
書き方同じでつよ
683 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 01:37
>>678 ゴダールとセザンヌか。なにか欠けていない?
こじつけるなら
セザンヌ=>マラルメ=>ランボー=>ゴダール
のつながりかな。
色で勝負するのはフランス人の得意とする所だね。
684 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 04:03
トゥオンブリはどこに入る?
>>682 おれ680じゃないよ。彼は他スレでセザンヌと肩並べた人。
686 :
わたしはダリ?名無しさん? :04/02/19 08:13
低レベルな奴らが集まった糞スレだな。
セザンヌもこんな奴らから、神とあがめられてもちっともうれしくないだろう。
687 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 09:07
>>686
お前はどこら辺が高レベルなの?聞かせてくれ。
みんな落ち着け。
入門者レベルのフランス語文法はどうでもいい。
スレタイが「どう思いますか」なんだから
印象批評OKなんだろう。
写真に匹敵するようなリアリティーを平面に写し取るよりも、
人が物体の形象をどう把握しているかを表現した「絵画」
が、意図的なものか、そうでないかで、どうしても評価はわかれる。
しかし、偉大な「テキスト」は、誤解されることにより、社会的意義
を持つものだ。聖書も論語もマルクスもフロイトも、そして生きている
チョムスキーさえそうだ。絵画においても、ファン・エイクやレオナルド
など、枚挙にいとまがないだろう。セザンヌの意図はともかく、
美術史上の「グレートアーチスト」であることは間違いない。
問題は、そのテキストをどう読むのかという、需要する側にあるのだ。
↑
需要は受容の誤記です。
なお、妙なコテハンは消し忘れなので、気にしないでくれ。
690 :
名無しさん@3周年:04/02/19 10:03
>>688 印象批評にもなっていない。
>セザンヌの意図はともかく、
美術史上の「グレートアーチスト」であることは間違いない。
という間違った思い込みを開陳しているにすぎない。
691 :
名無しさん@3周年:04/02/19 10:05
しかし、
>>688は本当に日本語というものを勉強し直したほうがいい。
692 :
名無しさん@3周年:04/02/19 10:07
>>688 は、ひょっとして短い文は初級フランス語だと思っている語学音痴か?
693 :
名無しさん@3周年:04/02/19 10:08
>>688 印象批評って、普通、個別の作品に対して行うものでは?
かように低レベルな奴らばかりなのであった(俺を除く)。
694 :
名無しさん@3周年:04/02/19 10:42
ここは、
素人ちゃんたちが、ただひたすら
「セザンヌはすごい」
「セザンヌは神である」
というお題目を唱え続けるだけのスレだな。
確かにレベルが低い。
>>691>>693 けなすのは簡単だな。お前らも何か意見言ってみろよ。
おれは難しいことは言えんので、あくまで絵を書いてる者の意見としてだけ
聞いていただきたい。思うにかれの優れたところは、印象派の発見した色は光だ
ということ、対象は色彩、光によって映しだされるというところを踏み台にして、
彼独自の感覚によってさらに物のリアルな形態感をとらえようとし、それを
実現しながら追及し続けたところにある。色彩によって空間と物体を、彫りあげる
ような仕事。そこに彼の作品独自のリアリティ、魅力が生まれたのだと思う。
やろうとした事も新しいし、できた作品もまた新しい。彼の感覚、絵画にたいする
貪欲さ、これらを含めてかれの才能と言えるとおもうが、それによって、
新しく、魅力的な作品ができ、後の芸術家に大いにえいきょうをあたえた。
セザンヌは今でも新しい。
696 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 11:33
セザンヌは「そんなんどうでもええんとちゃいまっか。」と
語ったとか。かくて、ひたすら独り言をぶつぶつ呟きながら、
画きに画いた。仲間内の馴れ合いが嫌いだった。
2ちゃんねるはもっと嫌いだったとか。
そんなにオレの日本語はわかりづらいのだろうか?
まあ、しばらく君達の書き込みを見て勉強させてもらうよ。
>>690,693
印象批評をするという宣言をしたのではなく、印象批評がされても
文句をいうな(そういう書き込みがしばしばあるので)という趣旨だ。
オレの書いている内容が印象批評でないのは誰でもわかるだろう。
>>692 es やら est の問題は初級ではないのか?
いずれにしてもスレ違いなので、「どうでもいい」
作者が意図していなくとも、誤読されることによって後に続く
ものに影響を与えた人物をもってカッコつきの
「グレートアーチスト」と定義しているので、間違った思い込み
といわれても困る。
セザンヌの意図がどこにあったかを解明することは困難だろう。
それなら、受容する側が、どう誤読(正しくかも知れない)したのか
という文脈だけで論じるほうが、位置づけがしやすいということだ。
技術的に稚拙な部分があったことは間違いないが、それを意図的
に表現に生かしたとも受け取れるし、そういうふうにしか描けなかった
とも考えうる。
テキスト論も理解できないのが多いようなので、
確かにみんな低レベルなんだろう。(オレも含めてだ。)
一般論よりも個別の作品についての燃料投下が欲しいね。
悪い、今わかったが、690〜693は、同一人物なのか。
マジでレスするような相手じゃなさそうだな。
釣られちまったようなので、逝ってくるよ。
699 :
名無しさん@3周年:04/02/19 12:51
>>697 >es やら est の問題は初級ではないのか?
いずれにしてもスレ違いなので、「どうでもいい」
tu est merde はさすがにネタでしょう。
700 :
名無しさん@3周年:04/02/19 12:52
>>698 そのとおり。
今気づくとは、なるほど頭が悪い。
701 :
名無しさん@3周年:04/02/19 12:54
694も俺だよ。
俺は番号は忘れたが、
セザンヌ=セックス・ピストルズ説の提唱者さ。
ねえ、みんなクラッシュに相当するのは誰だと思う?
702 :
名無しさん@3周年:04/02/19 12:57
なあ、みんな。
セザンヌの絵を前にして、「破壊的だなあ」と思ったことはないのか?
俺は、小学校5年生のときに初めてちゃんと画集でセザンヌの
絵を見て、
「うわっ、ヘタクソ。なんかめちゃくちゃ。こんなんで画家なんだ」
と思ったぜ。
今は単なるヘタクソではなくて、セックス・ピストルズ程度の
価値はあると思っている。
たまにまあ美術館でセザンヌの絵を観るが、
「破壊的だなあ」の感想は年々強くなってゆくばかりだ。
703 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:05
>>688 >作者が意図していなくとも、誤読されることによって後に続く
ものに影響を与えた人物をもってカッコつきの
「グレートアーチスト」と定義しているので、間違った思い込み
といわれても困る。
セザンヌの意図がどこにあったかを解明することは困難だろう。
それなら、受容する側が、どう誤読(正しくかも知れない)したのか
という文脈だけで論じるほうが、位置づけがしやすいということだ。
技術的に稚拙な部分があったことは間違いないが、それを意図的
に表現に生かしたとも受け取れるし、そういうふうにしか描けなかった
とも考えうる。
ああ、書き換えたな。
>カッコつきの
「グレートアーチスト」と定義しているので、
間違った思い込みといわれても困る。
それならわかる。
たださ、688よ。
世上、「グレートアーチスト」とされているからといって、
そこから逃れられないのは、
あまりにもナイーフ(お前が女ならナイーヴ)だぜ。
こういう精神のあり方って、セザンヌのやろうとしたことから
最も遠くないか?
そういう奴にセザンヌがわかるのだろうか?
704 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:10
>>688=697
>技術的に稚拙な部分があったことは間違いないが、それを意図的
に表現に生かしたとも受け取れるし、そういうふうにしか描けなかった
とも考えうる。
この部分は論じても仕方がないのだよ。
わざと稚拙に描いたという主張は、立証が極めて難しい。
それはセザンヌが技術的に高度といえる作品を全く残していないからだよ。
もし一点でもそうした作品を残していれば、上記のような
両義的な考え方も受け入れられるが、残念ながらそうではない。
セザンヌは技術的に稚拙な絵しか描けなかったのだよ。
まあ、多少迎合すれば、だからこそセザンヌは後に続く者に
影響を与え、美術史上に一定の位置を占めるようになったわけだ。
705 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:16
まあ、このスレでは、
688=697のような素人ちゃんたちが
「セザンヌはすごい!」
と、ただそれだけを言い合っていればいいさ。
ただ、お前らには、セザンヌが何を言おうとしているか、
永遠にわからないだろう。
お前らには、セザンヌの絵が発している魂の叫びを
聞くことは絶対にできないだろう。
>>703 世上の問題ではなく、影響力の大きさから、
「グレートアーチスト」に該たると「オレ」が考えているんだ。
「セザンヌのやろうとしたこと」が何か確定するのが困難
なので、19世紀から20世紀にかけての美術全体の中
で、位置づけようといっているのだが・・・。
「セザンヌがわかる」とは何か。
個々人がセザンヌを自分の中でどう位置づけるかのみが、
その人間にとっての「わかる」ということではないのか。
とりあえず、オレは自分でセザンヌがわかっているとは思わない
ので、君の疑問は正しいだろう。
そこで、君の考える「セザンヌのやろうとしたこと」を、できるだけ
客観性のある(できるだけという限定付だ。不可能を求めては
いない。)形で提示していただけると、ありがたい。
ちなみに、「ナイーフ」と形容されると、別のスレで「頭が悪い」
といわれた以上に頭にくる程度にオレはナイーフだ。
>>704 ???
だからオレもそれを論じても仕方がないから、受容した側から
とらえようといっているのだが。
同意を得たと思っておく。
>>705 一言も「セザンヌ」はすごいなどといっていないが???
まあ、代表扱いしてもらってありがとうといっておこう。
「セザンヌの絵の発している魂の叫び」なんていう奴のことを
普通は「素人ちゃん」というんではないのかな。
もう少し具体的に何か書いたほうがいじりやすいんだけどな。
709 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:27
>>707 いや、だからさ、技術的な稚拙さに関しては、
>セザンヌの意図がどこにあったかを解明することは困難だろう。
ということではなくて、意図以前の問題なので、
解明できるか否か、どう受容するかということは全く問題にならない、
と言っているのだ。
710 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:28
セザンヌがやろうとしたことは、
「絵が下手な俺が画家として認められるには、どうしたらいいか?」
これに尽きる。
まあ、成功したわけだ。
711 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:30
>「セザンヌの絵の発している魂の叫び」なんていう奴のことを
普通は「素人ちゃん」というんではないのかな。
違うんだなあ。
素人は、セザンヌの絵を見て、なかなか「魂の叫び」という
ところまで行けないんだ。
ゴッホのなら行けるんだが。
だから、
>「セザンヌの絵の発している魂の叫び」なんていう奴のことを
普通は「素人ちゃん」というんではないのかな。
という疑問を呈するお前は典型的な素人ちゃんなわけだ。
712 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:31
>>708 >一言も「セザンヌ」はすごいなどといっていないが???
まあ、代表扱いしてもらってありがとうといっておこう。
まあ、こういうところにお前の馬鹿さ加減が露呈しているわけだよ。
713 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:34
688のようなアホを相手にしていてもむなしいなあ。
もっと頭のいい骨のある奴は出てこんのか?
>>709 うーん。技術が稚拙であることは、ほぼ間違いないだろう。
その技術の及びうる範疇で、表現できることを模索したところまでは
同意してもらえると思う。
その結果としての「作品」を、われわれが受容する際に感じるもの
が、セザンヌの意図(技術の及ぶ範囲内で何が表現できるか)
と同じものなのか、それとも意図さざるものを受け取っているのか
は、解明できないといっているんだ。
「わざと稚拙に書いた」可能性は全くないと私も思う。
ルソーと異なり、セザンヌの場合はそれを逆手に取っていた可能性
があることを「意図」といっているんだ。自分にはこれしかできないから、
その範囲で、効果のあがる表現を模索しようという「意図」を持っていた
かも知れない。
しかし、この推論の確証は不可能だろうと思うといっているんだ。
それこそ、オレの表現が稚拙で、誤解を招いて申し訳ないが
なんとか、イメージを伝えられないかと、長文になった。
715 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 13:42
お前の頭に骨刺さってないか?
717 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 13:43
718 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:46
>うーん。技術が稚拙であることは、ほぼ間違いないだろう。
その技術の及びうる範疇で、表現できることを模索したところまでは
同意してもらえると思う。
上記同意します。
が、
>その結果としての「作品」を、われわれが受容する際に感じるもの
が、セザンヌの意図(技術の及ぶ範囲内で何が表現できるか)
と同じものなのか、それとも意図さざるものを受け取っているのか
は、解明できないといっているんだ。
>ルソーと異なり、セザンヌの場合はそれを逆手に取っていた可能性
があることを「意図」といっているんだ。自分にはこれしかできないから、
その範囲で、効果のあがる表現を模索しようという「意図」を持っていた
かも知れない。
ここはちょっと意味がわからない。
1.「意図」的に下手に描いたか否か
2.下手さを「意図」的に利用しようとしたか否か
ふたつの「意図」がお前の中で混乱し、整理できていないのだと思う。
>>718 オレの「意図」というのは、すべて
君のいう2の意味で使っている。
1の意味では使っていないので、混乱はしていないと思うが。
720 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:51
>オレの「意図」というのは、すべて
君のいう2の意味で使っている。
失礼。
確かにそうだな。
セザンヌの絵がへただとかどうとか言ってる人に言いたいが、芸術は、うまいか
へたかが問題ではないだろう。魅力があるかないかだ。彫刻にしてもそうだ。
たとえばジャコメッティーの彫刻が、ミケランジェロよりへただとして、
ジャコメッティーの作品の魅力が無いわけではない。絵画でも同じように、
ジャコメッティーの絵画にアングルのような魅力を求めて比較することは、
無意味だ。ジャコメッティーは、知覚を通して対象を捕らえようと、絵画、
彫刻において独自の感覚で仕事をし続けたひとだ。セザンヌに比較的近い
作家だと俺はおもってる。セザンヌにしても、作品に独自の魅力があるから
評価されるのであって、うまいかへたかなどという狭い範囲で評価しないでほしい。
722 :
名無しさん@3周年:04/02/19 13:55
>セザンヌの絵がへただとかどうとか言ってる人に言いたいが、芸術は、うまいか
へたかが問題ではないだろう。魅力があるかないかだ。彫刻にしてもそうだ。
それを言い出すと出発点に戻るような。
セザンヌの場合、彼の下手さから出発しないと、彼の芸術の意味はわからないのでは。
723 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:00
デュシャンは本当にへただった。
しかし、セザンヌをへたとはね。
あの世界を切り開く幅と厚みのある色を
キャンバスに置くその力を『ヘタ』の
一語で言い切っていいものだろうか?
724 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:01
>キャンバスに置くその力を『ヘタ』の
一語で言い切っていいものだろうか?
言い切ってよし。
そしてそこから始めなさい。
725 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:02
まず、へたとうまいの定義をしなさい。
>>720 セザンヌの意図を探求してもかなわないことだから、
そこから何をメッセージとして受け取ってきたかを中心に
論じようということで、納得してもらえるだろうか。
>>721 全面的に同意する。技術的な問題で評価すべきでは
ないからこそ、こうした議論をしている。
そこから我々が「何」を受け取るかのみが重要なのだ。
だからピカソもルソーも作品から受ける「メッセージ」
のみが作品の生命であり、こういうふうにしか描けない
のでも、可能な表現の中からそれを選んだのでも、どちら
でもかまわないのだ。
しかし、作り手の側にいるにも関わらず、技術以外の評価
をしているというのは、逆に面白いな。
727 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:04
なあみんな君たちナイーヴな頭をしているのに、なぜ
「セザンヌはこんなに絵が下手なのに、後世に大きな影響を与え、
こんなに評価されているのだろう」
と素朴に考えないのかな。
ああ、ナイーフ(ナイーヴ)であるがゆえに、
セザンヌをめぐる種々の言説をそのまま受け入れ、
それに影響されて素朴に見つめることができないという
ことなのかもしれないね。
へたとうまいの定義おれが思うにそう言っている人は写真に近いかどうかで
判断してるようにおもう。
729 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:06
>>725 >まず、へたとうまいの定義をしなさい。
ヴィトゲンシュタインのゲーム理論を援用しよう。
「これがセザンヌの絵だ。これが下手な絵というものだ」
これで下手の定義はできた。
730 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:07
>>728 >へたとうまいの定義おれが思うにそう言っている人は写真に近いかどうかで
判断してるようにおもう。
これまたナイーフ(ナイーヴ)な。
>>723 その通りだね。画家の技術はデッサン力を中心に考える
というアカデミー以来の悪癖に染まっている表現をしてしまい
もうしわけない。
画面を構成し、色彩を操る技術は、他の追随を許さない。
そのアンバランスさが、セザンヌをセザンヌたらしめている
魅力の源泉かもしれない。
732 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:08
>画面を構成し、色彩を操る技術は、他の追随を許さない。
あららら、矛盾していやしないか?
733 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:09
>>727 はいはい。セザンヌはセックスピストルです。
クラッシュは具体です。
俺ばかなんでナイーブの意味おしえて。
735 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:10
ナイーフ(ナイーヴ)ちゃんたち、また遊んであげるね。
736 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:12
もろ刃のナイフでしょ。
737 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:16
>あの世界を切り開く幅と厚みのある色を
キャンバスに置くその力
なんか雰囲気だけの表現だねえ。
738 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:17
お前、フォンタナ?
>>727 そう素直に考えているんだが・・・
やっぱりオレの日本語はわかりずらいのか?
>>729 トートロジーそのもの、却下。
>>730 言い方はナイーフでも、セザンヌについては比較的正確だろう。
デッサン力が、他の力に比べて極端に貧弱に思えるのだから。
>>731 矛盾してるか?
個々の物を写実する力がないので、「稚拙」と書いたので、
あらゆる点がダメだとはいっていない。
しかし、セザンヌに対して、どういう評価をしても文句がでるんだが
オレは別にセザンヌ信者でもアンチでもないので、誤解がないように。
(まあ、2ちゃんだからどうでもいいのか)
セザンヌ評価するひとは、何を評価するかあげればいい。
おれはまず独自のみずみずしさ。色彩によってつくりあげられた形態感
筆跡のかっこよさ豪快さ(描いてない人には伝わりにくいニュアンス
その計り知れない才能(これはもっとわかりにくい。
しかしそこにひかれる。器の大きさというか。
741 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:22
ゴーギャンがセザンヌについて「中国風な描き方で・・」と書いているが、
セザンヌ自身そういう意図はあったのだろうか?
742 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:23
>>739 気になって出てきた。俺だ。
>トートロジーそのもの、却下。
これをトトロジと言っているから、ナイーフ(ナイーヴ)だと
言いたくなるんだ。
743 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:24
>>740 雰囲気だけのお前の言葉は無視するよ。
>>741 ゴーギャンは、罪つくりだからなあ。
いろいろ理屈をつけて、セザンヌを評価したかったんだよ。
>>743
雰囲気だけと言われてもなあ、俺描いてる人間だから、こんな風にしか
表現できんのよ。
745 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:29
決めつけはナイフよりだめな頑固だよ。
>>742=743?
はいはい。その前におれは「素直」だといっただろ。
(かまってもらってうれしいか?ボクちゃん)
ゴーギャンについては、いい線ついてるね。
中国風がなんたるかなんて考えてたようには思えないからな。
もっとうまくあおってくれないとな。
(もっと釣ってくれよ。さっきみたいに釣られてあげるから)
747 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:32
ヴィットちゃんはちゃんと言葉を話せなかった子供
の不可知論者。
748 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:34
>>746 まあ、この場合のナイーフは、「素直」より相当否定的な言葉だが。
749 :
名無しさん@3周年:04/02/19 14:36
なこと書いてる場合じゃない。
仕事しなきゃ。
また遊んであげるよ、688をはじめとするお馬鹿ちゃんたち。
>>749 あれ、こっちが遊んであげてたつもりだったのにな
また遊んであげるから、コテハンつけてよ。すぐわかるように
バイバイ
751 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 14:40
いや、ちょっとバカし哲学かじったつもりだったんだ。
おー! ミンナ昔の鑑賞板のようだね。こんな真面目な雰囲気がよかったよ。
相変わらずオラにはサッパリわからんので、ロムに徹するしかないのだが。
>.>744=むこうの1=前1
こんなところで語ってないで、いい絵を描けよ。
ここの連中はオレを筆頭に口先ばかりで、何も作れないんだ。
じゃあな(ここにはなるべく書かないようにしよう)
688またあえてうれしいよ。そろそろ制作はじめるかな。よゆうはあるんだけどね。
あそうそうパートの面接明日になった。祝ジーコジャパン勝利ってことでまたね。
あ、最後にマティスの言葉。「しばしば独創的と呼ばれるものは、その作家が
なにをできないかをあらわしている。」
756 :
名無しさん@3周年:04/02/19 15:02
>「しばしば独創的と呼ばれるものは、その作家が
なにをできないかをあらわしている。」
今となっては凡庸なセリフだが、当時は斬新な指摘だったのだろうか?
あ、いなくなったナイーフ君(君がナイーフなんじゃなくて、
ナイーフを連発するから仮称だよ。)
もしもどってきたらと思って書いとくよ。
ずっと張り付いて煽るんだったら、ストーリー性がないと
それこそ「稚拙」だから。
やはり、煽られた相手が最後にやられたって納得できる
あおりが、気持ちよくていいよね。
お互い、一流のあおりを目指そうね。
(だからお前はナイーフだっていわれそうだね。)
758 :
名無しさん@3周年:04/02/19 15:47
>>757 ストーリー性のある煽りって、どういう煽りですか?
759 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 15:47
ナイーフ君はセザンヌの本物を
一度も見たこと無いんだろうね/。
760 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 15:56
761 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:05
>>759 そういう低級な煽りはやめたほうが……。
762 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:08
あおりじゃ無いんだが。 ナイーブな疑問でした。
>>758 ナイーフ君は、あおりなのかマジなのか一貫性がないんだよね。
おじさん、以外と若者(かな?まあオレよりは年下だろう。)には
評価が甘いんだけど、かなりの切れ者なのに、扱いづらいんだ。
人を罵倒しながら、急に論理的になったりするからね。
どっちを中心にレス返していいかわからないから、消化不良に
なって楽しめないんだよね。
まあ波長があわないっていうことなんだろうけど。
でも、相当、面白い奴には違いないと思うよ。
セザンヌ観はしっかりもってるみたいだけど、それに「レベル」が
あると思っているようじゃ、美術初心者だね。
(どんな趣味でも最初のうちは、自分のレベルがあがって見方が
変わったと思うんだけど、錯覚なんだよね。そのうち、元に戻ったり
するから。類似の現象を他の世界に求めるのも幼稚だしね。)
764 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:16
何もが中途半端な奴じゃ無い?
セザンヌ=セクスピストルズのナイーフ君、
セクスピストルズ=パンクロックという、
受け売りの一般的な見方でしか捉えてないないようだ。
よく勉強するけど才能ないタイプだな。
766 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:21
彼がセザンヌのことについて何を言った?
何も無い。だから、セザンヌ知らんヤシやと
思ったのよ。
767 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:24
フランス語で煽られたから、
ああなったのかも。
しかし、人、大杉じゃないの。
こんなに美術板に人がいるのみたのは久しぶり。
実質何人いるのかわからないけど。
もしナイーフ君が、765や767になりすましていたら
君は神!!
769 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:38
セザンヌ=セックスピストルズ、
俺には受けた。
が、
>セクスピストルズ=パンクロック
ではないの?
765はセックスピストルズをどうとらえているの?
セザンヌ=パンクロック?ものすごくずれてる気がする。セザンヌはとても
ストイックだ。あんないいかげんな奴ラじゃない。時代を無視したという意味
では共通してるかもしれんが。彼は外へむけてより、ある意味自分の発見した
サンセシオンそれを信じて描き続けた孤独な画家だ。俺はやはり洋楽には
あてはまらないと思う。(休憩中。
771 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:42
>>770 セザンヌは、結構周囲を気にしい、だよ。
絵の具かわくまでしばし傍観。
>>680 また来たのか?
セザンヌについて俺達と語っても何もうるところはないと思うがな。
>>766 702で破壊的だと語っているが具体性はないね。
このスレも昔は、相当突っ込んだ議論があったんだけど、
どうもセザンヌについてよく知ってる奴が減ってる感じだな。
>>セクスピストルズ=パンクロック
>ではないの?
>765はセックスピストルズをどうとらえているの?
いやオレはただ単にCDを聴いた限りでは
ピストルズはヘタだとかパンクロックとかいう事なんか一切なかった。
これほどの音のクォリティをどうやったら作り出せるのかと驚いただけだ。
775 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:56
ナイーブがヴィット君をあのような誤った形で
使ったので、勉強したてだとわかったヨ。
776 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 16:59
いや、あれは道徳破壊者集団だとして
売ったんじゃ無い。金持ちのどら息子を。
777 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:01
だから、単純にしろうとが有名になったと
両者を同じに見たのだろうね。
778 :
C'EST VOUS QUI ETES NAIFS.:04/02/19 17:03
J'arrive. Je ne reste ici que pour un instant.
俺の嫌いな雰囲気だけの表現のほうがお前らにはわかりやすだろうから、
次のことを書いてみる。
セザンヌは、情念と呪詛の画家だ。
絵に対する情熱と同時に絵に対する呪詛を視覚化した。
セザンヌの評価すべき点は、主として上記のような拮抗から生れるダイナミズム
にあるだろう。
多少、セザンヌ好きの馬鹿どもに譲歩してみたつもりだが。
では、
a la prochaine.
779 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:04
>>776-777 ご免。777を取りたくてあわてた。
セックスとセザンヌの共通点に関する
ことでした。
ピストルズ=ビートルズでEMIを語るのが定説
>>778 お帰り!!!
待ってたよ。
オレは雰囲気だけでない表現のほうが「大好き」なんで、そっちも頼むよ。
ちなみに、「セザンヌ」を他の誰かに変えても、その表現は成立するよね。
せっかくわからせてくれるつもりなら、セザンヌにしかあてはまらない表現
が欲しいな。
もしかして、本当にナイーフなんじゃないか?
782 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:13
>>782 まあまあ。ゆっくり待たないと釣れる物も釣れなくなるだろ?
すぐ追い払っちゃだめだよ。
784 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:18
イカルス星人
785 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:21
786 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:26
釣りは難しいですなーー。
>>C'EST VOUS QUI ETES NAIFS
早速、コテハンつけてくれるところなんかは、結構いい奴だな。
というわけで、スレ違いの話題に間違いがあっても、
スルーしてあげるから、思う存分語ってくれよ。
言語ゲーム理論なんて持ち出さなくてもいいからがんばってね。
788 :
C'EST VOUS QUI ETES NAIFS.:04/02/19 17:28
789 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:29
それにしても単純なフラ文ばかりやな。
ナイーブちゃん、ちゃんと全文フラにしなさい。
今や、翻訳機もよくなったから困りはせんしよ。
いまいち盛り上がりに欠けるな。変なやつはいるけど。
>>788 いや、逆だと思うんだけど。戻ってくるように書いたんだけど?
まあいいや。よろしく頼むよ。
792 :
C'EST VOUS QUI ETES NAIFS.:04/02/19 17:30
688は馬鹿だなあ……。
そこは「ナイーフ」だなあって書くところだろ。
やり直し!!!
他のところで遊んでこよ。
688はナイーフだなあ・・・・・・。
っていってくれないのか。バラしちゃったかな。大物だったのに。
ちなみに795は t がないので、オレだから(って当然なんだけど)
逃がした魚は大きいね。
では、またね。
いや、いないフリしてみたけど、本当にバラしちゃったみたいね。
観客のみなさん。ごめんね。
798 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:53
うーん、688って本当にナイーフかも?
>798
Thank you !!
800 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 17:57
自虐趣味?
>>800 桐板おめでとう。
ちがうって、ここでは、「ナイーフ」っていってもらうのが
ほめ言葉なんだよ。
802 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 18:01
688はイッちゃってるね。
803 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 18:02
セザンヌはナイーフ派じゃないぞー。
>>802 それもホメ言葉だな。もう一ひねり。やり直し!!!
688そろそろ絵の具かわいたので制作にもどるよ。ダンマルつかってるんでね。
快ゲキシン期待してます。じゃあね。
>>680 おう!!がんばれよ。
セザンヌスレのおかげで、変な知り合いになったな。
807 :
C'EST VOUS QUI ETES NAIFS:04/02/19 18:15
688は偉大だなあ・・・。
809 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 18:16
こんなことで時間浪費するんは
やはり自虐的やで。俺もいこー。
快進撃の間違いでした。ポライウォーロがわすれられん>688
じゃセザンヌで。
812 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 02:05
ていうか
セザンヌ
813 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 10:29
ああ、セザンヌは確かにデッサンは狂っているし、色彩感覚も
ちょっと変。
まあ一般的な感覚でセザンヌの絵を「うまい」という時代は
おそらくやってこないだろうなあ。
だが、何かがいいのだよ。
そこを解明しなきゃならないのだが、セザンヌ研究者に才能がないのか、
努力が足りないのか。
>>813 ある表現が「何をいいたいのか」を確定できると考えること自体が
誤りでは?
自分のやったことだって、自分で説明できないほうが多いだろう
と思う。
研究者の才能や努力の問題ではないと思う。
セザンヌを見る人間がそれぞれ、彼のメッセージをどう受け取るかは
セザンヌ自身にも想像がつかないことだろう。
きのうのわけのわからない人のことばを借りれば、
解明できると思うとは「ナイーフ」なのかもしれない。
でも、何かがいいのは間違いないね。激しく同意する。
815 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 11:08
>>814 別に「『何をいいたいのか』を確定」しなければならないとは言っていない。
「解明」である。
その解答が研究者それぞれによって異なっていてもかまわない。
だが、見るかぎり、ここに至っている研究はないと思う。
>セザンヌを見る人間がそれぞれ、彼のメッセージをどう受け取るかは
セザンヌ自身にも想像がつかないことだろう。
これは放棄であり、またナイーヴな考え方である。
>
>>815 まや所詮2ちゃんだから、レベルが低いやね。
美術史を多少やった奴がいてもよさそうなもんだが。
817 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 11:19
>>688 見る人がどういうメッセージを受け取るかが重要とかいいながら、
結局、そっこから先にちっとも進んでいないじゃん。
それになんだかんだ言って結局うまい/へたの軸で議論進めようとしてる
みたいだし、ちょっとがっかりです。
>>817 これから書くんだってば。
しばらくまっててくれよ。
まとめてるから。
>>817 ちなみに、うまい/へた の軸ですすめる気はありませんよ。
通常用いられる文脈での「デッサン力」がないのは事実ですが、
それを、どうこういっても仕方がないと言う点を説明していたら、
いろいろ絡んでこられる方がいて、議論が進まなくなったわけです。
なにぶんにも、課題がでかいので、数日ではまとまらないかもしれません。
(書くまでこのスレが残っているかな?Part2はあるのか?)
>>815 主旨は了解。
だが、すべての「セザンヌ」論は、君のいう「解明」を目的としたものだろう。
ただ、君がそれに「納得」出来ていないのだと思う。
ちなみに、私も「納得」する「解明」をみたことがない。
でも、それはセザンヌに限ったことではないと思う。
すべての画家について、「納得」できる「解明」を見たことがない。
ただ、セザンヌにはそうした一般論を超えた「衝撃」がある。
人間が、眼を通して脳に投影している画像を、全く別の形で再構成する
ことを、平面上においてやってのけたという「衝撃」が。
「へたくそ」と思ったのもつかの間、そこに、写実とは違ったリアリティー
を見てとることができるのは、なぜなのだろうか。
ここのところが、なかなか言葉で説明がつかないのだろう。
なお、色彩感覚については、どう変だと思うのかな?
(これも説明が難しいだろうけれどね。)
822 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 11:52
688=819=820か?
>なにぶんにも、課題がでかいので、数日ではまとまらないかもしれません。
あんたの文章力では、何十年経ってもこの課題に答えるちゃんとした文章を書くのは無理だろう。
他の頭のいい人に任せない。
あんたの文章を読んでいると、確かに俺も絡みたくなってくる。
823 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 11:58
688=819=820=821かな。
>でも、それはセザンヌに限ったことではないと思う。
すべての画家について、「納得」できる「解明」を見たことがない。
こういうところにこいつの頭の悪さが出ている。
他の画家の多くについては、ここでいう意味での「解明」は必要ではない。
ただ、セザンヌについては解明が必要だと言っているのだ。
なんだ813もナイーフ様でしたか。
ちなみに私は688ではないので、お間違いないように。
レスして損したよ。
813=815=816=818=821=822=823=ナイーフ様
688=819=820
814=821(これは匿名じゃないから当然)
で、817はどうなのかな。
ナイーフ様以外は688と私しかいないと仮定するならこれも
ナイーフ様ですね。
ややこしいな。
まあ688もナイーフ様もたいした文章を書けないDQNと思います。
目くそ鼻くその争いは醜いので、やめてください。
本当は、昨日からこのスレには2人しかいないという
驚愕の事実を、誰かナイーフ君と688の双方に教えて
やるべきだろう。
お互い相手をあおっているつもりのようだが。
いや、もしかすると、全部が自作自演なのか。
おそらく彼(彼女)は分裂症なのだろう。
826 :
VOUS ETES IMBECILES:04/02/20 12:19
>>824 まあ、俺が書いたものではないものもの俺のものだと同定してしまっている
ところはあるが、まあ大体正解。
>まあ688もナイーフ様もたいした文章を書けないDQNと思います。
俺は、世間的にはdqnからはほど遠い思われるような職業、地位についているかも
しれんが、俺のようなのが真のdqnかもしれないと思うことがある。
なにせ性格が悪い。人間のクズとは俺様のような者のことをいうのだろうな。
>>826 ナイーフ様は、真のDQNだったんですね。
おとこらしい宣言です。
では、688を倒すまで戦い続けてください。
813もナイーフ様なのかはっきり教えてください。
813に対して発言しただけなので、688やその他の
ナイーフ様のレスには興味がありません。
>>828 >813もナイーフ様なのかはっきり教えてください。
そういうことを想像する楽しみが、お前にはわからないのか?
言わずもがなだが、お前はdqnにも及ばない、まあひとつのmerdeだな。
830 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 12:32
セザンヌが一番嫌った
心理劇のような推理劇のような
子供の頃のゾラのような、
セザンヌを裏切るお遊び
のスレになっている。
>>819-820 そうですか。
期待してます。
でも別にまとめるなんてダイソレタことしなくても、
ちょっとづつ語ってけばいいんじゃない?
ここは論文発表する学会のような場所とは違うんだからさ。
>>829 だから、私はナイーフ様や688の遊びにつきあうつもりはないんですよ。
ただ、ナイーフ様が813なら、814以下の私のレスは無意味ですから、
知りたかっただけです。
勝手に二人であそんでいてください。
>>831 いや、前後に矛盾があると、また彼がしつこいからね。
仕方がないんだ。
834 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 12:34
ネタはセザンヌでも誰でも
よかったのだ。真のDQNより。
835 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 12:35
>>830 セザンヌが本当はゾラが大好きだったこともわからないのか。
まあ、頭の悪いお前らしい発想だな。
836 :
jesuischrist:04/02/20 12:37
時間つぶしだよ〜ン。
>>834 いやネタとしてはセザンヌが最高。
これほどいじりがいのあるネタはない。
さすがは「グレート・アーティスト」だ!
>>835 お前のレスが、ここしばらくの間で、最も頭の悪いレスだ。
839 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 12:41
>>835 あほっ!
意図的にボケかましたんか
それとも、付け焼き刃か
こいつ 835は!
そうなんだよな。
セザンヌは本当にいじりがいがある。
だから、ついつい書いちゃうのだ。
罪つくりな、ポール・セザンヌさん。
841 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 12:42
>>837以降
どうかな。おれは上に書いてあるが
レンブラントが専門なんだ。
もうすこし、具体性があったネタのほうが、遊びやすくないか。
所詮、二人きりなんだし。
じゃあ、飯くってくるよ。
ちなみに680は実在するようだ。
842 :
jesuischrist :04/02/20 12:44
昼飯食った後だよ〜ン。
843 :
jesuischrist :04/02/20 12:46
時に飽いた。
血彼旅〜
844 :
jesuischrist :04/02/20 12:49
所詮、二人きりなんだし。おれは上に書いてあるが
レンブラントが専門なんだポール・セザンヌさん。
>所詮、二人きりなんだし。
こいつナイーフ(ヴ)だよな。
>>844 On va parler en hollandais ?
847 :
jesuischrist :04/02/20 12:52
さすがは「グレート・アーティスト」だ!
こいつナイーフ(ヴ)だよな
ちなみに680は実在するようだ
間違えた。
>>841 On va parler en hollandais ?
849 :
jesuischrist :04/02/20 12:55
ちなみに680は実在するようだ
On va parler en hollandais ?
VOUS ETES IMBECILES?
850 :
jesuischrist :04/02/20 13:00
もし、紙がキャンバスがあのような物でなかったのなら
人は、草で絵を書き、星を書籍に飛ばしていたであろうか
さすれば、人はVOUS ETES IMBECILESのことを、さすがは
「グレート・アーティスト」だ!と呼んだであろうか
とーーーー
851 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:02
飯食って帰ってきたら一人あらしですか。
ご苦労様でした。
1時30分より第3会議室にて会議のため(モバイル持込不可)
失礼いたします。
時節柄、くれぐれもご自愛ください。(発狂しないでね。)
852 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:04
アッホー
853 :
jesuischrist:04/02/20 13:06
854 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:09
でも、彼は本当にセザンヌが嫌いなようだ。
しょうに合わないのだろうて、レンブラント研究家
だと言っていたな。
855 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:16
>>851 >1時30分より第3会議室にて会議のため(モバイル持込不可)
失礼いたします。
本当かな?
オランダ語ができないので、逃げたかな……。
856 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:16
>>850 俺、レンブラントが銅板の上に油で描いて小品を見たが
あれはそうだったのだろうか?
もし、その方向で彼が色々な材料に挑戦していたら、
絵画がまるきり別の方向に?
と「たら」を考えるとね(ワラ
レンブラントっていうのは素人ちゃんだよ。
つづりはMでも、レイブラントって発音するんだ。
フランス語だけじゃなくてオランダ語も出来ないんだね。
ヤシは、やっぱり頭が悪いんだね。
858 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:20
一時二十分からラジオ・フランス語講座が
始まるからじゃあない?
>>854 セザンヌとレンブラントって合わないの?
両方好きだけど。なんとなく
>>858
仏語講座を聞くほど、勉強しているようには思えねえよ。
しょせん、馬鹿なんだから。
861 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:24
↑
誤爆ばっか。
お前ら頭悪いね。
↑
オマエモナー
863 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:26
↑
オマエモナー
一番上にあったから来て見たけど、なんなんだこのスレ
だれか状況を説明してくれよ。
865 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:29
>>857 ファン・ラインとファン・レイン、
どちらの表記がオランダ語での発音に近いと思う?
866 :
jesuischrist:04/02/20 13:30
どちら向いても良いことがないな。
去るわ。
867 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:31
レイ・ブライアント
ブライアント最高!!!
よくわかった。俺が悪かった。
もう勘弁してくれ。
といってみる。(TEST)
870 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:40
このスレも終わったな。
といってみる。(TEST2)
871 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:44
>>866 あんた、キャラめちゃくちゃだよ。
アディオス!!
「現代社会の犯罪と警察」
現代のような高度に発達した資本主義社会における犯罪事象は、基本的には階級対立の顕われである。
したがって、犯罪事象は、個々の犯罪者の認識の有無に関わらず、革命の前兆として捉えるべきであり、
その増加などの現象面のみを捉えて評価を下すのは、大きな誤りである。警察は、実質的には、犯罪を
作り出している存在であり、現代社会の犯罪問題を解決するためには、無力というよりも有害な存在である。
私は、警察を弱体化し、革命を早期に実現することのみが、現代社会の犯罪問題を解決する唯一の方策
であると考える。以下、理由を述べる。
犯罪を政府の行為や刑罰によって防止しようとする立場は、個人の改善や、他者に与える刑罰の影響力を
その有効性の根拠とする。これらの論者は、警察活動や刑罰が、犯罪対策として有効という前提に立っている。
しかし、すでに歴史の科学的研究によってあきらかにされているように、人類の歴史は階級闘争の歴史にほか
ならない。犯罪者は、自らの行為の意味を知らずとも、抑圧され搾取された結果として犯罪を実行するもので
あり、そこには、人類の歴史的行為としての革命への参加といった側面がある。彼らは名も無き革命の英雄として、
正当に扱われなければならない。したがって、個々の犯罪行為に対して刑罰を加え、犯罪を抑止しようとする
立場は、どのような理論に基づくものであっても、反革命行為であり、とうてい容認できるものではない。
また、階級闘争の一環として犯罪現象が現れる以上、刑罰等によって犯罪を抑止することは不可能であり、
革命により階級のない社会を実現することのみが、犯罪を根絶する唯一の方策である。
さらに、警察は階級抑圧のための最大の暴力装置であり、警察の存在自体が、直接・間接に犯罪を引き起
こす原因として作用している。犯罪行為とされる多くの行為は、実際には、支配階級の都合で「犯罪」としての
レッテルを貼られているものである。たとえば、財産犯罪とは、搾取した価値の保有を正当化するものである。
支配階級の不正な利益保持のために警察権力が行使され、本来は革命家として賞賛されるべき人物が、
「窃盗犯」とされてしまっているのである。もちろん、支配階級間での財産犯罪はどうなのかという議論もありうる
だろうが、彼らも、実のところ、その認識の有無に関わらず、階級社会の犠牲者に過ぎないのである。
また、警察の活動によって一旦「犯罪者」の烙印(スティグマ)を押された者は、社会生活において疎外され、
資本主義の下で経済的に困窮し、累ねて犯罪を行わざるをえない状況に追い込まれる。警察の活動により、
間接的に犯罪が拡大再生産されているのである。
以上であきらかになったように、革命こそが、犯罪問題解決の唯一の手段であり、そのためには、反革命の
中核的存在である警察の弱体化が喫緊の課題である。
警察に対する接近工作、内部への潜入破壊活動等のあらゆる手段を講じて、警察権力を無力化すること
は、「犯罪者」を作り、犯罪を拡大再生産させることをやめさせることにつながる。さらに、支配階級が自らの
支配を容易に手放すことはないという歴史の教訓に鑑みて、暴力革命はおそらく不可避である。その際に、
最大の障壁となる警察権力との戦いは、革命を通じて犯罪の撲滅を図るために不可欠のものである。
現代社会の犯罪問題は、すべてが、警察権力を無力化し、革命を早期に実現することによってのみ解決さ
れる。革命の前衛たらんとする者は、命をかけて、この歴史的事業に取り組んでいかなければならないのである。
(以上)
↑
警察板より転載しました。
労働者よ、団結して権力と戦おう。
877 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:51
ナイーフ様も688も、お願いだからもうやめてください。
878 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:55
879 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:56
BBSを釣り場と考えているのか!
880 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:58
1よ。なんとかせ〜1
881 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:59
>BBSを釣り場と考えているのか!
だね。
最初はたくさん釣れてうれしかったが、
こうも雑魚(=馬鹿)ばかりだとかえって邪魔になるなあ。
882 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 13:59
>>879
釣り場じゃなかったらなんなんだ。
ところで、いまどきBBSだなんて(爆
883 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:00
ブライアン・ジョーンズ
>>881
たくさんじゃないってば、2人でつりあってるんだから
馬鹿じゃないの?
885 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:01
BBSは何の略だったっけ?
886 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:02
だから、688もナイーフ様もやめてください。
888 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:03
そんなもんかな〜
>>886 そこってどこだよ。
指示形容詞を多用するのが馬鹿の証拠だな。
890 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:03
892 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:04
ヤ^メナサ〜イイイイ。
893 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:04
893をげとしたい!
894 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:05
メジロブライアンあげ
895 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:05
ああ、げとできたーーーーーーーーっ!
うでちーーーーーーーーーーーーーーーーーーいいいいいいいいっっっっっ!!!!!!!!!!!
896 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:06
777も888も俺取ったよ。
897 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:06
>>893 お前は神か?
それとも預言者か?
さて、ナザレ人イエスはどちらでしょう。
アリウス派でいこう!!!
898 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:07
899 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:07
900ゲットだ。
900 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:08
喃喃巣か、このスレ。
もう終わりですね。
しまった。
902 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:09
903 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:09
901げっとだ〜
904 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:09
>>900 おめでとう。
そういわずにゆっくりしていけ。
ところで、セザンヌはどうだ?
905 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:10
セザヌなんかどでもよろし。
906 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:10
2番の遅れ
>>902
次はがんばります。
908 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:10
ここは、おフラーンスのセザーヌのスレざああんす。
いつまで2人で変なことやってるんだ。
910 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:11
土踏まずがカユイ
911 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:11
次スレは立てるなよ。
くだらんから。
オレは無実だといっているだろう。
奴らが誰でも関係ない。
913 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:12
頭の中が痒い。
914 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:13
>>911
くだらんスレに書込みする馬鹿でつか?
915 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:14
痒い痒いって書くなよ。
俺も痒くなってきたじゃねーか。
917 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:14
688は1か?
>>914=911
ならあったほうがいいじゃんか。
919 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:15
インキンじゃないのに、たまにキン○マが痒くなる。
絶対にインキンではない。
920 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:15
おれは1じゃない。
大体3年も前のスレの面倒をみる律儀な1がいるのか?
922 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:16
イビイボイボイボイボイボ
イビイボイボイボイボイ
923 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:16
クラミジアでもないのに、たまにオメ○がかゆくなります。
どうしてでしょうか、先生。
しかし、本当に2人しかいないんだったら、すげー馬鹿だな。
925 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:17
かゆいかゆいというなといっておろー
926 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:17
927 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:17
ボボが、かいー。
928 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:18
セザンヌひとり
AV板からきました。
>>923 それは当然、「毛ジラミ」です。
薬局で専用シャンプーが売っていますので、しっかり直してください。
そるだけではダメですよ。
>>926 いや、時間制限と連続書込み制限に引っかかるだろう。
931 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:20
トイレ行く
これからは、ここでも大暴れするぜ。よろしうな。
933 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:21
>>929 >>930 ここに来てマジレスかこわるーい。
ところで、私のオ○コの痒さは、ここに何かを入れてもらうと
治ると思われます。
あなた、どう?
いくなよ。一人じゃつまらねーよ。688の馬鹿。
935 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:22
>>930 だから、ひとりだとしたら天才といっておろうが。
936 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:22
お前等
何しくさる?
>>933 AV板に比べれば、たいしたことはない。
938 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:23
セザンヌ祭りじゃ。
939 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:23
ポールさんも一緒に、ドドンガドン。
実際、何人いるんだろう。t手をあげてくれよ。
ハイ、一人。
941 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:24
早く終ってくらはい。
942 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:24
パブロさんも一緒に、チチンがチン。
943 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:24
一人で、2台のパソコンに鬼のように打ち込んでるんだ。凄すぎ
944 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:25
ねー。みんなは三位一体についてどう思うの。
945 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:25
946 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:26
2ちゃんの醍醐味が、こんなところで味わえるとは!
このままいくと、数分後には1000いくのでは?
次スレは本当に不要だな。
948 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:26
>>944 TRINITAS EST PERFECTIO.
祭り板に報告しなくてもいいのでしょうか。
950 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:27
そんなプレーしてみたい。
951 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:27
リック・ウェイクマンみたいに、自分の周りにPCをバーッと並べてさあ。
>>948 じゃあ、イエスは救世主にして神なんだね。
イスラム教原理主義者に殺されてしまえ!!!
953 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:28
954 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:29
1=ナイーフ=ナイーブ=688
=セザンヌ
1人で5台ぐらい操ってるんだ。
もしかして、プログラムで自動文章生成しているのか。
凄すぎる。
956 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:30
すげーっ!
957 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:30
けつに腕突っ込むの。
いたそう!!!
960 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:31
とたまに他の板にも書いたりしてな。
961 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:31
うんこ食べな!
962 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:31
963 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:32
自分で腕を突っ込んでるやつ。
964 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:32
MERDE
965 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:32
一人で書いてるとすると、こうして書いてる俺は
「シュール」スレかよここは。
それともほんとはオカルト板なのか。
967 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:34
966=俺
ナイーフ君おされぎみ。
ガンガレ
うわあ、誰が誰なのかわからねー。
こえー。
970 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:35
971 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:36
こえーなあ。こえーから、おもしれえんだよおっ!
972 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:36
お前が俺で、俺がお前で、お前が俺。
973 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:36
ねえねえ、神は実は低級なデーミーウルゴスなんだ。
人間は奴によって肉体の中に閉じ込められたのさ。
974 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:37
ていうか、書き込みの時間制限なんてねえじゃん。
どんどん書き込める。
975 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:37
>>970
いや、ほとんどの書込みは俺だからわかるよ。
976 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:37
てことはやはり全部俺がひとりで書いていたんだ!
977 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:38
>>974 お前の打つスピードが遅すぎるんだ。俺は引っかかりまくりだ。
978 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:38
そうだ、全部俺が書いてる。
979 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:38
私があなたで、あなたが私で、私があなた、おほほほほほほほ。
980 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:38
ちがう、俺が一人で書いているんだ。
981 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:39
ていうか、俺は時間制限にひっかからないように変えたから。
982 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:39
もういい。わかったからやめてくれ。688よ。
983 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:39
次、一文字ずつ書いていくね。
984 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:40
985 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:40
a
986 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:41
.悔い改めなさい。
裁きの日は近い。
987 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:41
もしかして書いてる俺は多重人格なのか。
ビリーミリガンなみか。
もうかけません。
1日10回が限界です。
長谷川京子がやらしてくれるならまだいけるかも
989 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:43
というわけで、完全に俺一人だということがわかった。
990 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:43
マリガン
991 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:44
てめーら何か書けよ。連続書込みに引っかかるじゃねーか。
992 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:44
俺も、全部俺ひとりで書いているということがわかった。
ビリー座キッド
994 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:45
アフガン
いや、気をしっかりもつんだ。俺以外にも誰かいるぞ。
996 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:45
爆風銃(バップガン)
1000採り狙うぜ。
998 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:46
サガン
うわー何か書けよ。
急にやめるな。
1000 :
わたしはダリ?名無しさん?:04/02/20 14:46
ドガーーーーーーーーーーーン!!!!!!
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