モナリザの良さを教えてください。

このエントリーをはてなブックマークに追加
1わたしはダリ?名無しさん?
確かに絵の技術は優れていると思います。
しかし全然名画だとは思いません。ブスだし。
それに比べルノアールの「アンリオ夫人」は可愛くて好き。
2わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/28(木) 03:21
>>1
モナリザって眉毛剃ってないか?
3わたしはダリ?ベンゼン中尉:2000/12/29(金) 16:07
モナリザはダビンチの遺品だったそうです。死ぬまで絵に加筆していたようです。
彼の存命中から、ダビンチの名誉は諸国に知れ渡り、彼はパトロンを求め放浪していたとのこと。
個人的には名画ですよ。あの絵にダビンチの技法が凝縮されているのが感じられるはずです。
4わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/29(金) 17:04
>>3
知ったかぶりをするんじゃねーよ。ダビンチの技法ってなんだ?
説明しやがれ厨房。
5空耳:2000/12/29(金) 17:32
ミステリアスでレオナルドらしいですよね。
人物像の背景がどうみてもおかしいし、??がいっぱい。
でも、マギの礼拝の方が全然すごいと思う。
最後の晩餐も素晴らしいけど、やっぱりマギだな。
個人的にレオナルドらしさ全開だから。
技法も雰囲気も。
モナリザが有名なのは、
エピソードによるものが大きいのでは無いかしら。
ただ、やっぱりルノワールとかよりは全くすごい絵だと思う。
(ごめん)
人を捕らえて離さない魅力があると思う。
目からビームが出ている。
ただ、すごい目垢がついていることは確か・・・
6わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/29(金) 21:02
ブスでしょう?
でも憎めないでしょう?
女のこずるい自信というか、男ドモがいくら馬鹿なことやってても
ああいう女というもののおかげで人類は生き続けていけるという寓
意画として良くできてる(w

7わたしはダリ?ベンゼン中尉:2000/12/29(金) 21:44
4>
馬鹿は相手にしないのでよろしく。
8わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/30(土) 02:42
>>7
(失笑)
9goatsong:2000/12/30(土) 16:48
レオナルドという画家は見たままに描いた画家では決して
なく、一本の草を描くのでさえ、(見たままに一本の草を
描いたのはファン・アイクであり、クールベである)なん
らかの思想が込められている。そういう意味では、「神経
の芸術」である江戸美術から、感覚への絶対の信頼の美術、
印象主義を経て、西欧絵画に触れた日本人には、少々合わ
ないのかもしれない、と思った。

例えば、モナリザは単なる肖像画ではないし、背景も単に
現実の周囲に広がるものではない。モナリザの背景の峨々
たる山々と合間を流れる河川のイメージは、「岩窟の聖母」、
「聖アンナと聖母子」のそれと酷似する。或いはレオナルド
の生涯の関心事であった地質学と彼の宇宙論を合わせて、
もう一度、絵画に向かえば、それが、前景の人物と背景の
自然、大宇宙と小宇宙(人間は大宇宙に解消され、大宇宙は
人体を象るところの類比!)に関する彼の想念のあり方が
見えてくるはず。

レオナルドに限らず、ルネサンス人にとって、宇宙論や宇宙
生成論は最大の関心であり、そしてそれは、大自然の推移は
もとより、人間の性格、感情まで、あらゆる日常的世界と切
っては切り離せないものだった。もちろん、絵画も例外では
ない。遠近法、人体比例、色彩、構図・・・・・
10goatsong:2000/12/30(土) 16:48
(ところで、モナリザは19世紀、ファム・ファタルと結び
付けられ様々に語られたけど、ユイスマンスか誰かが、モナ
リザを世界の初めから世を見つめる「原初の女」と言って
いたのは面白かった。とすれば、背後に広がるのは世界の
原初か!)

どうでもいいが、モナリザが不美人だから名画ではない、
というのはいかがなものか?(モデルとして)美しいものが
描かれた絵画=美しい絵画ではないし、まして、優れた絵画
というものでもないだろう。(例えば、テオドル・ジェリコー
は醜い精神病患者を描いたが、その絵画的表現は美しいし、
優れている。逆に美しいモデル使ったであろうが、絵画表現
として美しくもなく、優れてもいない絵画などは、そこら中
に散見される)
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/gericaul/p-gericau5.htm
11わたしはダリ?名無しさん?:2000/12/30(土) 17:32
>10
おかえりなさい 、 goatsong さん。
なんのかんのと言いつつも、
goatsong 節がなと、ものたらないね。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/30(土) 17:53
>1
普遍性。
じゃないのかな?

136:2000/12/30(土) 23:46
女なんてあんなものだというのを良く表してると思う。
皆、普遍性とかこむずかしいこといってるが(w

未来にもあの絵だけ残るのはしょうもない事実。他の絵は消えても。
だって女なんてあんなものだもの(w
14空耳:2000/12/31(日) 00:50
背景に関するお話おもしろかったです。
原始の図ではないかという話は私も聞いたことあります。
すごい唐突なんですよね、あの背景。

レオナルドがすごいと思うのは、
彼の描く人間達のまるでリンパ腺まで浮き出てくるような気すらする
精密さ。
これにはミケランジェロの筋肉もとうてい及ばない気がする。
なんか書きかけの(大概のものがそうだけど)
しゃがみこんでる人の絵がありましたよね。
あれはすごい。
人間が筋でできているというのがよく理解できる。
15goatsong:2000/12/31(日) 17:36
>>11
別に出かけていたわけではないのだけど(笑)

>>13
コジ・ファン・トゥッテ!

>空耳氏

レオナルドとミケランジェロという西欧美術至上、最高
の高みを比較するのは、本当に飽きがこないというか、
興味をそそるところです。

レオナルドの芸術は、ミケランジェロのような、強靭な
人体に欠ける。ミケランジェロの芸術は、レオナルドの
ような自然に対する関心と絵画的完成度に欠ける。両者
は全く異なる方向を極めたわけだから、当然、このよう
な逆方向の極端な欠落が起こってしまうんだけど、同時
に相互補完的であり、この両者によって支えられるとこ
ろの、ルネサンスのシンメトリックな至高の高みこそ、
私には好ましく思われます。

ラファエロは、文字通り、両者を融合させたルネサンス
美術の完成者であるけれど、正にそれゆえに彼の芸術は
一段劣る。
16goatsong:2000/12/31(日) 17:37
(ところで、レオナルドとミケランジェロの技術(技法)
は彼らの思想から生まれた。然るに、ラファエロは、その
母胎である思想を採らず、技術のみを採った。これが、
ラファエロ芸術の弱さの一つの理由だと私は思っている。
ラファエロがその後の絵画の規範とされたのは、当然
のこと)
17メロン王子:2001/01/03(水) 03:04


   __∧ ∧_     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 /\ ( ゚д゚)\ <  小学校にあったモナリザは、チャイムが鳴ると手が動くと、その時の友達が言ってました
 \/| ̄ ̄ ̄ ̄|\ \_____________
   \|____|〜


18メロン王子:2001/01/03(水) 03:05


   __∧ ∧_     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 /\ ( ゚д゚)\ <  でもオレは、動いた所を見ることは出来ませんでした
 \/| ̄ ̄ ̄ ̄|\ \_____________
   \|____|〜


19無党派さん:2001/01/03(水) 15:24
riiizua
yaseyano
20鼻鼻:2001/01/04(木) 02:24
ゴッホの技法はソフマートだよ。
ここに行って勉強すれば?
名画のことがいろいろ分かるよ。
美の巨人たちと同じくらいためになるよ。
http://incubus0.tripod.co.jp/

21空耳:2001/01/04(木) 03:15
ミケランジェロは人体のつかみ方が大雑把な気がする。
でもそれが人間の激しい感情を表現するのに適していると思う。
それが人をとても感傷的な気分にさせるんだと思う。
レオナルドの絵の登場人物は概してあまり感情が無いですね。
とても控えめな。
人に与えるものも、どちらかというとインテリジェンスな喜び
なのでしょうか。
例外もあるけど。
モナリザもユーモラスな印象です。

言われてみれば、goatsongさんのおっしゃる通りだ。
全く同感。
いつもどこかでこの二人を比べていた気がする。
ラファエロがなんでアカデミズムの源流なのかわからなかったけど、
そういう理由が。
ラファエロはひたすら優しい。そして美しい。
母性的ですね。(男だけど)
二人はとても男性的な画家だと思われます。
22わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/04(木) 03:40
ミケランジェロは人体のつかみ方が大雑把って・・・
どうやったらそんな感想が出てくるんだ。
23空耳:2001/01/04(木) 03:54
>22
ごめんなさい、言葉が足りなかったですね。
レオナルドに比べたらってことです。
というか、人体に対する取り組み方が大分違うような。
レオナルドは神経質なくらい人体に固執していますが、
ミケランジェロはもっと楽天的に取り組んでいる気がする。
レオナルドが点だとすると、ミケランジェロは面というか。
一般レベルのものと比べたら勿論レベルが違うと思います。
しかしこれは私の印象なので、どうぞ流してください。
24よっちゃん:2001/01/04(木) 04:47
>王子
    ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜´ ( ・д・)<うちの小学校はバッハのズラが少しずれる、とゆう噂だった
  uu u u   \_______
25無党派さん:2001/01/05(金) 13:49
美嚢のゴリは何場派ぞ
26わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/07(日) 22:05
硝子ごしにみなくちゃイケナイのが、ちょっとやだった。
モナリザ男説って、そういえばどうなったのか。
27こんたけ:2001/01/08(月) 13:02
ダヴィンチもミケランジェロもルネサンスの最高峰じゃないよ。むしろ衰退期
の作家でしょ。
28空耳:2001/01/08(月) 16:34
>こんたけさん
私はレオナルドやミケランジェロが正確にはルネサンスのどの時代の
芸術家なのかは知りませんでしたが、
ミケランジェロの建築の中にバロックへの流れと見て取れる
非常に大胆な階段を見たことがあって、
実際に正統派ルネサンスというよりもバロックに近い
芸術家なのかもしれません。
レオナルドに関しては非常にルネサンス的な芸術家だと思いこんでいたので、
(調和のとれた色彩、構図)
具体的にどのあたりが次の時代を予期させるのか教えて頂きたいです。
ところで、衰退期の芸術家であると言っている事は、
別に芸術家の最高峰であることを否定しているということでは
ないんですよね?
29メロン王子:2001/01/08(月) 21:46
>24 よっちゃん

   __∧ ∧_     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 /\ ( ゚д゚)\ <  バッハってヅラだったの?
 \/| ̄ ̄ ̄ ̄|\ \_____________
   \|____|〜


30わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/08(月) 22:36
>こんたけさん
そうですね。同時代ではフィレンツェ派よりもヴェネツィア派の方がマザッチョ
やピエロ・デッラ・フランチェスカの流れを正当に受け継いでいるといえるし、
そちらのほうが芸術として優れた作品があるという気がしますよね。レオナルド
は結局、美術形式に関しては洗練のようなことしかしていない気がします。
31goatsong:2001/01/10(水) 01:05
>こんたけ氏

「盛期ルネサンス」(大体1495〜1520)であり、その代表格が
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ。ルネサンス美術の
中のルネサンス美術がラファエロであることに疑問を呈す研究者
は、まずいないだろう。

ただし、ラファエロやミケランジェロ(ミケランジェロの後期は
完全にマニエリスム)はもちろん、レオナルドの晩年にさえ、
マニエリスムの萌芽を見ることができる。ルネサンスの正に最盛期
に、同時にその崩壊の兆しが見られることは事実。
32goatsong 31は失敗:2001/01/10(水) 01:08
なんか、フィレンツェ美術の衰退と勘違いしてない?いわゆる
「初期ルネサンス」とは、中世美術の要素が完全には抜けきれて
いない過渡的な時代。ルネサンス美術の完成は、言うまでもなく
「盛期ルネサンス」(大体1495〜1520)であり、その代表格が
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ。ルネサンス美術の
中のルネサンス美術がラファエロであることに疑問を呈す研究者
は、まずいないだろう。

ただし、ラファエロやミケランジェロ(ミケランジェロの後期は
完全にマニエリスム)はもちろん、レオナルドの晩年にさえ、
マニエリスムの萌芽を見ることができる。ルネサンスの正に最盛期
に、同時にその崩壊の兆しが見られることは事実。
33goatsong :2001/01/10(水) 01:10
>>30
>同時代ではフィレンツェ派よりもヴェネツィア派の方がマザッチョ
>やピエロ・デッラ・フランチェスカの流れを正当に受け継いでいる
>といえる

べッリーニ?ジョルジョーネ?彼らが、レオナルドやミケラン
ジェロ以上に「新様式」(ドナテッロ、マザッチオの系譜)を
受け継いでいる??色彩や人体等の問題は今避けて、例えば
自然の扱いという、ただ一点のみを比較しても、明らかに異なる
系譜に属していると思うけど。

>結局、美術形式に関しては洗練のようなことしかしていない気

レオナルドの絵画が一体、どういうものから導き出されて
きたものか、素描や著作にもっと触れませう。(ところで、
ルネサンス美術の歴史の一端として、まさにその「洗練」が
あるとしたら?)
34わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/10(水) 05:07
ってゆうか、ダヴィンチと書いてる時点で、こんたけの情報は信用できないだろ。
35わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/10(水) 17:16
>>34
鋭い!
3630:2001/01/12(金) 00:00
>「明らかに異なる系譜に属していると思うけど・・・
そうでもないと思います。たとえばロベルト・ロンギの論攷はご存じですか?
彼は「形態と色彩の遠近法的総合」という興味深い概念を提出しながらマザッチョや
ピエロ・デッラ・フランチェスカから、アントネッロ・メッシーナおよびベッリーニを経て、
ジョルジョーネやティツィアーノにいたる流れを跡づけています。ちなみに彼の
フレンツェ派に対する評価は極めて低く、モナリザは感傷的誘惑と心理学的逸脱に
はなはだしいものとみなされ、ラファエロに至っては造型芸術としてはとるにたらない
視覚文学とまでいわれてしまいます(ロベルト・ロンギ「イタリア絵画史」筑摩書房)。

さてgoatsongさんのいわれることが一般的に正解とされるルネサンス美術史であることは
僕も認識しています。ついでにいうと、こんたけさんが衰退といっていることに
僕は必ずしも同意するわけでもありません。ただ僕は(ミケランジェロには個人的に
興味をもっているのですが)レオナルドやラファエロの作品にはそれほど魅力を
感じないんです。ましてやルネサンスのすべてがそこに集約されているといったような
あまりにも教科書的な見解(goatsongさんの立場はこのようなものに近いように
みえてしまうのですが)には疑問を感じているんです。この点ではこんたけさんも
ルネサンスを頂点があって底辺がある単純な形をした山のようなものとして捉えて
いるのだとしたら同じことかもしれません。ルネサンスがいかに一筋縄ではいかない
多様なアマルガムであったかは、おそらくgoatsongさんも十分に知っているはず。
ルネサンスとは一つの歴史ではなく交錯する複数の歴史の束であった。
フランカステルやパノフスキーの著作を読んでいてわくわくするのは結局そういう
ところではないですか?僕はルネサンスをそのような複数の、ときには矛盾を孕みながらも
展開する諸系列の重なりあいのようなものとして見ていくことに興味があるんです。
たとえばgoatsongさんがレオナルドとミケランジェロの相互補完性という面白いことを述
べられているのもその一つだといえるでしょう。でも僕にはラファエロにおいてこの両者が統合
されているとはとても思えないし、歴史においてそのような統合という物語を無理につくる必要も
ないように思うんです。

そして、一般的なルネサンス美術史においていつも抜け落ちているか、きちんと説明されていない
ように感じられるのが、ヴェネツィア派の流れなんです。ルネサンス初期>盛期>マニエリスム
といった単純な物語ではヴェネツィア派の説明が不十分になってしまうと感じたことはありませんか?
僕はべつにヴェネツィア派こそがルネサンスの頂点であるといいたいわけではありません。
だた、ベッリーニやジョルジョーネ、そしてティツィアーノたちが成しとげたことは、
系譜的にも、成果としても、レオナルドやラファエロのそれよりもはるかに豊かなものに
思われるんです。レオナルドのことを洗練と述べたのは、彼がルネサンスの無数にある種(たね)から
きわめて限られたものを選別し、しかもそれは自ら播いたわけでもなく、いくらか育てた上で、
むしろ刈り取ってしまった人の一人のように感じられるからです。それに対して、ヴェネツィア派は
はるかに多様なルネサンスの種を吸収し、創造的に育てあげ、さらには後の世代に新しい種を
播きさえしたように思えるのです(公正を期するために述べておくと、ヴェネツィア派が吸収した
種のなかには、後に、たしかにレオナルドのスフマートも混ざり込むわけですから、彼はいくらか
種を播いていたわけですが)。

>「素描や著作にもっとふれませう・・・
ぜひご教示ねがえたらと思います。だた、レオナルドに関する多くの思考は、しばしば、
現代においてそれをパロディ化したあのマルセル・デュシャンに関しての無数の思考に似てくる
傾向があると思いませんか? ロンギが感傷的誘惑と心理学的逸脱にはなはだしいといったように、
いつのまにか作品を離れて、はてしもない哲学的あるいは文学的な議論に落ち込んでいく傾向が
あるように思います。僕はもちろん、それがレオナルドの作品のなかにそのような要素が実際に
含まれているということの証であるとは思いませんけれども。


なんか、スレッドの内容から離れてしまってるし、そのうえ長くなってしまいました。
みなさん、ごめんなさい。
3730:2001/01/12(金) 01:15
訂正 造型芸術→造形芸術 ですね
                                 でした。
38goatsong:2001/01/12(金) 02:22
そう言えば、本屋にあった、ロベルト・ロンギ。暇があったら、
立ち読みしてみます。すごく過激な研究者ですね。かつ、主観的
傾向が強すぎさえする。ラファエロが取るに足らない視覚美術
とは(笑)。

まあ、読んでないのでなんとも言えませんが、ヴェネツィア派
がレオナルドやラファエロより、優れて見えるのは、その写実的
度合いによるのではないかと。ヴェネツィア派の絵画は自然も、
人間も非常に生き生きとして、実際、手を伸ばせば触れられるか
のような現実感を伴っている。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/titian/p-titian18.htm
それに較べれば、レオナルドの絵画は、自然の描写も、肌の
質感も嘘っぽくてまるで現実味を帯びておらず、ちっとも「上手
く」見えないわけです。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/vinci/p-vinci25.htm

しかし、ルネサンス美術が志向したのは、決して、「手を伸ば
せば触れるかのような」描写ではなかったわけです。例えば、
ラファエロは非常に写実的、現実的な肖像画も描いている。
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/raphael/p-raphael3.htm
しかし、これはもう、ご存知かと思うけど、ルネサンスの理想
から外れてくるもの。
39goatsong:2001/01/12(金) 02:23
ヴェネツィア派は感覚的なものに信頼を置く美術。それ故に、
非常に現実的な感覚を持っている。しかし、ルネサンス美術
と中世美術をわけるメルクマールは何か、と言えば、一つには
たんなる感覚主義からの超克ということがある。周知のように
後期ゴシック、国際ゴシックの美術は、極端な感覚主義に走る。
時にそれは、非常に写実的表現を生むわけだけれど(例えば、
ヤン・ファン・アイク)これは、明らかにルネサンス美術とは
異なる。

では、ルネサンス美術は何に基を置くのか、と言えば、現実的
空間と同時に、その(現象の)背後に潜む、理知的な幾何学的、
構造的秩序、要するに自然主義と古典的比例による理想の美な
わけです。なぜ、アルベルティが、その建築の比率にこだわる
のか(実際には、目ではわからない)、ウッチェッロが、不自然
なまでに線遠近法に固執するのか、レオナルドがウィトルウィウス
的人間を書いたのか、デューラーが人体比例に狂ったのか。

その意味において、そういった配慮に欠けるヴェネツィア派の
美術を(例え、それが見た目にいくらフィレンツェ派の絵画より
も、上手く見えたとしても)ルネサンスの代表選手に挙げるわけ
にはいかないのです。(ただし、マンテーニャやベッリーニら
の作品の幾つかにはそれが実現されているのは事実)
40goatsong:2001/01/12(金) 02:24
「ルネサンス」という定義にも問題がある。歴史学では単純に
ある期間に含まれる諸々の現象と捉えていいのかもしれないが、
美術の場合、どこかに規範を置かなければならない。中世美術の
一線を画くす何者かをまず見出し、それをルネサンス美術を
ルネサンス美術たらしめるものとするなら、それをもっとも実現
した人物こそが、ラファエロなわけです。(今日、それが面白い
かどうかは別問題)

>ルネサンスのすべてがそこに集約されているといったような
>あまりにも教科書的な見解

これは教科書的な見解ではないです。私はヴァザーリの塁に
拠って、ルネサンスに一種のユートピズムを見る幻想家なわけで、
芸術に未だ、「進化」を希求したいアナクロニズムなのです。

>素描や著作にもっとふれませう・・・

私はとてもケチで、種明かしはちょっと苦手です。素描に
関しては、例えば、植物のデッサンにこんなものがある。
http://www.jrea.co.jp/leonard/plant/plant1.html
これは、現実の植物の形態からは程遠い。この渦巻きは
明らかに単なる観察から離れるものですね?このように
レオナルドは実存の背後に、万物を成り立たせている
幾何学的な秩序である根源を見ているわけです。

http://www.jrea.co.jp/leonard/figure/figure6.html
これは、「三博士の礼拝」のための習作ですが、あなたなら
一目見て、これが、いかにアルベルティ的な、ピエロ的
な世界であるかが、わかると思います。ピエロは、正に
その幾何学性ゆえに、我々には不自然に感じる。しかし、
レオナルドもまた、同様の世界観を下敷きにしているにも
拘わらず、殆ど違和感を感じさせない。これがレオナルドの
天才です。
41goatsong:2001/01/12(金) 02:34
>モナリザは感傷的誘惑と心理学的逸脱にはなはだしいものとみなされ

まあ、それに関しては、よく言われることで、古くはポール・
ヴァレリーなんかが書いています。私も、「微笑み」がどうとか、
アンドロギュネスがどうとか言われるのに対して、「どうでも
いいよ」と常々、思っていたりします。しかし、レオナルドの
代表作として、「モナリザ」を持ち出すあたりは、研究者と
して、どうなんだろ。
42goatsong:2001/01/12(金) 02:48
もう一つ、追加。忘れてはならないのは、

フィレンツェ派の画家→時に、建築家であり、彫刻家であり、
工芸家であり、詩人であり、思想家であり、数学者であり、
作曲家であった。

ヴェネツィア派の画家→専門的な職業画家。
43わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 03:10
goatsongtって何者?
絵はあんまし理屈で見ると目が曇るよ。素人の人?
モナリザの「凄さ」はあの凄く不気味で、美しい手の表現を見れば
一目瞭然。
44goatsong:2001/01/12(金) 03:27
>ルネサンスを頂点があって底辺がある単純な形をした山のようなものとして捉えて
>いるのだとしたら同じことかもしれません。ルネサンスがいかに一筋縄ではいかない
>多様なアマルガムであったか

>>40を読み返してみたら、なんかルネサンス=古典主義って
いう17世紀人みたいなお堅い美術論になってた(笑)。誤解
されるかもしれないので、補足しておけば、30氏の上記の
書き込みは、正しくその通りです。(ただし、ルネサンス美術
には、技術の発展史という側面があるのは事実であり、「自然
らしく描くこと」が、同時に創造的行為であった)

ルネサンス美術っていうのは、要するにルネサンス期に制作
された美術、総てをさすわけなんだけど、やはりどこかに基準
をとらなければ、そもそも中世とルネサンス、ルネサンスと
バロックを区別するのは不可能。ルネサンスをルネサンス
たらしめている、明らかに他の時代とは異なる諸特徴は何か、
と考え、その特質(すなわち、マザッチオ、ピエロの系譜
に見られるそれ)が最も反映されている美術を挙げれば、
それはラファエロである、と>>40では言いたいわけです。
つまり、ルネサンス美術の代表選手として。
45goatsong:2001/01/12(金) 03:28
従って、ルネサンスの最高峰という話になれば、或いは好み
の問題となるのかも。別に、フラ・アンジェリコでも構わない
し、ボッティチェリでも良いわけで。反論があるでしょうけど、
しばらく、ここに来られないので、レスできないと思います。
悪しからず。

>>43
あなたよりは曇ってないようなので、安心したよ!
46わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 03:42
CG職人が泣いて喜ぶうんちくだねえ。
47わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 08:15
goatsongさんはプロの批評家だよ。
48わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 08:38
モナリザ一つ取っても、奥深いんだね。
芸術は深遠です。
49わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/12(金) 15:34
goatsongはただの検索エンジンです。
ちょっぴり自分を批評家と勘違いしてるだけなのです。
50CG職人:2001/01/12(金) 21:17
そうでしたか、ただの権作猿人だったのか。ヤッホーとか他で言ってたほうがいいよ。
レオナルドの凄さはその時代、地域性を超えた「普遍性」にあると思う。
一度池袋だかにきたレオナルドの老人の絵を見たが、
本で見た時には褐色の強い絵だとしか思わなかったが、
実際は計算されて手馴れた強靭な下地、明確な補色対比等、認識が変わった。
「普遍性」から見れば東洋的な境地さえ感じさせた。
凄いよね。
51わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/13(土) 00:04
漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」では
モナ・リザの手を見て勃起しちゃった
手フェチのキャラがいたなあ。
確かにあの手はなんとも言えない
魅力を感じる。
52わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/13(土) 00:43
ゲイジュツとしてはすばらしいだろうけど、
あんな女、全然感じないなあ。
ていうより、女でも男でもないような。
5330:2001/01/13(土) 23:35
おくればせですが 36のレス訂正
   アントネッロ・メッシーナ→アントネッロ・ダ・メッシーナ

>goatsongさん 長いレスどうもありがとうございました。
54goatsong:2001/01/14(日) 02:35
>>50
その意味においては、今日、鑑賞に堪えるあらゆる芸術が、
洞窟壁画から、巷の落書きまで、絵として認識できる時点で、
あなたの言う「その時代、地域性を超えた普遍性」を備えて
いるはずだろう。この語によって、レオナルドの「凄さ」
の幾らかが伝えられるのなら苦労はない。

(一言、付け加えておけば、あなたの言う「普遍性」など、
単なる儀礼的修辞に過ぎない。もし、「モナリザ」の前に、
古代ケルト人、西欧中世人、イスラム教徒や未開社会の
人間が立ったとき、果たして彼らが、この絵画にどれほどの
「普遍性」を感じるのだろうか?)

私は職業的な批評家ではないが、常に批評的精神を持ちつづ
ていたいと思う。素人が一批評家であって、なんの不都合
があるのか。それとも、職業的批評家のみが、批評行為
をゆるされるとでも言いたいのか。

批評とは、「主観的な印象を通して評価の客観性に近づこう
とする努力のうちにある」。単なる主観主義は、信仰告白
に過ぎず、それは、異教を信仰する人間にとって、いかなる
響きも与えない。ちょうど、あなたの文章に、私が何も感じ
ないように。それこそ排他的ムラ社会であるyahooにでも
行けば、あなたの言語も通じるはず。

>「普遍性」から見れば東洋的な境地さえ感じさせた。

東洋的境地って何?具体的に一体、どのあたりが通じている
わけ?
55わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 04:10
現代人が「モナリザ」をルネサンス人と同じ目で見るのは不可能だと思うな。
だいいち美人の基準が違う。あの顔をみればわかる。
「普遍性」なんて幻想にすぎない。
56わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 05:20
煽りスレっぽかったのに、いつのまにかハイレベルになってるね。
57わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 07:04
-しばらく、ここに来られないので、-
goatsong

だったらこないほうがかっこいいよ。
58:2001/01/14(日) 12:56
以前何かの番組で、モナリザの顔を科学的に分析とやらした結果「あれは実はダヴィンチの
自画像だったのだ!じゃーん!」て感じの結論に持って行ってるのがあったなあ。
いや、ふつう人物画って意図しなくても画家本人に似る傾向があるものなんじゃ…
(デッサンとかやった事ある方なら、たぶんこういう↑経験ってあると思います)

ダヴィンチはかなり長期に渡ってモナリザに筆を入れ続けていた(=モデルを見ながら
写実した、というよりはイメージの絵に近いと思われる)そうですから、なおのこと。
59カッコ悪いやつ:2001/01/14(日) 17:50
>>45
来てるじゃねーか
だいたいgoatsongのはソースを明かさずに
パクって書きこんでるだけだろが
60わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 18:23
引用先を明かさずに文章を引用するのを「盗作」「パクり」といいます。
アメリカのアカデミックな場ではプレイジャリズムは最もしてはいけない
行為です。
モナリザについて熱く語るのもいいけど、そういうルールをまず
知っておくべきでしょう。
ほんとカッコ悪いし、書き込み長くてウザい。
なに熱くなってんの、たかが2ちゃんで。
61わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/14(日) 22:45
つうかブスだからいいんじゃないの。
美人なら好き嫌いができる。
あの絵は意図的にそういうモノ超越している。である種の女性像の
本質を抽出している。(聖母像とか美人も描いてるがわざとモナリ
ザは美人にしていない)

なんかここの論争馬鹿臭い。
62マジレスさん:2001/01/15(月) 01:27
たかが2ちゃんで、とか言う方が馬鹿っぽい。
63っていうか:2001/01/15(月) 14:54
そんなことにマジレスしてる人も相当馬鹿ですね。
64わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 07:07
自然界の黄金比やフィボナッチ数列をみせてもらっても、いまどき誰もそれ
を芸術だとは感じないってこと。

ちっとも深くないよ。煽り扱いかな。
65goatsong:2001/01/16(火) 15:32
>>59-60
>引用先を明かさずに文章を引用するのを「盗作」「パクり」と
>いいます

「パクり」なる語を使用する時点で、オツムの程度が知れるのだが、
一応、レスを付けておこう。(plagiarismというぐらいなら、「出典」、
「剽窃」ぐらい覚えておきましょう)

1、まず、人を剽窃の廉で糾弾しようと思うのなら、その証拠、
即ち、その剽窃されたであろう、出所である「特定の」書物なり、
人物の名を挙げなければ、始まらない。出典を特定できず、一体
如何なる秘術によってそれが、盗用であると判断できるのか。

2、出典を明かさず、文章を引用することは、必ずしも「盗作」、
「パクり」ではない。盗作、剽窃というのは、(引用だけでは
なく)他人の言説、作品をあたかも自分の創出として、公に
することである。私は>>54で鉤括弧を使っている。これは、
私自身の生み出した言葉ではなく、引用であることを明確に
示す記号である。「そういうルールをまず知っておくべきで
しょう」>>60

出典を明かさず、文章を引用することなど、日常茶飯事であろう。
「神は死んだ」という語句に、一々、出典を明記する人間はいない
だろうし、ある種の熟語、成語に、その出典である故事を書く
人間もいない。あなたが「矛盾」という言葉を使ったら、その
出典(である故事を)書くような人間であるなら、話は別だが。
66goatsong:2001/01/16(火) 15:33
3、「アカデミック」が何を指しているのか、知らないが、
「学術的な」という意味で使っているのなら、「アメリカ」は余計
である。剽窃が(黙認ではなく)容認されている先進国の学会など
ないだろう。

さて、あなたは「たかが2ちゃんで」>>60という。これは自家
撞着ではあるまいか。まさか、この匿名の掲示板で、そこまで
(学会レヴェルまで)要求しているのなら、およそ場を把握できて
いない、それほどの知能も持ち合わせない人間と理解できる。

ところで、(私憤ではなく)この程度のことで、ギャーギャー喚く
あたりを見ると、あなたは余程、実情を知らない鈍い人間であるか、
さもなくば、私の及びもつかないほど正義感にあふれた、高踏の人
だろう。実際のところ、剽窃のない研究者など、私の知る限り
まずいない。(学会誌など、剽窃のオンパレードである)

名著とされているベルクソンの「笑い」は、その核となる思想を
先行するある思想家に、殆ど拠っているにも拘わらず、出典一覧
には、抜けているというのは有名な話である。そもそも、もの書き
は、自分が最も参考にしている書物を明かしたがらない。澁澤
などは、最たるもの。(極限すれば、あなたの思考も「刷りこみ」
による一種の剽窃である。とすれば、あなたの存在自体が、最も
あってはならないことになるはずだが?これは脱線)
67goatsong:2001/01/16(火) 15:34
私に言わせれば、芸術に片足を突っ込んでいる人間が、「盗作、
パクり」と過剰に喚いていること自体がおかしい。そもそも
剽窃のない芸術家など、この世にいるのだろうか?剽窃とは、
文化を継承する最も適当な手段である。人類の文化史そのものが、
剽窃の歴史であることを、およそあなたはご存知ないようだ。

プラトン以後の西洋哲学は、プラトンの注釈に過ぎない、という
有名な言説があるが、そのプラトン自身が剽窃の哲学者であった。
或いは、文学ではギリシアの古典、中世のロマンスは言うに及ばず、
近代にあっても、イギリス文学の王座を占めるシェイクスピアも
また、偉大なる剽窃家であった。(モリエール、スタンダールも
名高いが、私は彼らを殆ど知らないので、触れておくにとどめる)
ラファエロからピカソ、モーツァルトからポスト・モダンまで、
美術も音楽も同様である。(技術の伝承とは、剽窃そのものでは
ないか!)

まあ、以後、まともな反論がない限り(とてもあなたにできる
とは思えないが)、無視することにする。
68goatsong:2001/01/16(火) 15:34
ちなみに、ここの私のほぼすべての書き込みは、直接の出典はない。
幾つかの本を読んで、消化、吸収し、それを自分なりの言葉で
書いたつもりである。特に>>40の素描に関する考察。(それは、
剽窃であるかもしれないが、同時に単なる剽窃ではない。自分が
納得した時点で、自分の意見と呼んで良いに違いない)>>54の1
5行目は、私の尊敬する批評家に拠った。
69わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 16:20
>goatsongさん
プッ ギャーギャー喚いてるのはどっち?
つっこみどころ満載の長たらしい書き込みご苦労さま!!
70わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 16:27
なんか、結局、剽窃であることを認めているように読めちゃいますよ!
71goatsongは上祐に似ている:2001/01/16(火) 18:15
「パクリ」なんて意味が通ればいいことに必死になるな
しかし相変わらず詐欺師みたい長文書いて
結局 剽窃しているいうことだね
72わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 21:25
煽りを無視できないのも厨房だと思う。
goatsongさんも流せばいいものを。
73わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 23:41
一概に煽りとも言えないけどね
74わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/16(火) 23:57
>>65>>66>>67>>68
疲れない?
75空耳:2001/01/17(水) 02:10
うーん、いつも考えてしまうんだけど、
芸術はまだいいとしても歴史の勉強って引用、剽窃が
どうしてもつきまとっちゃうよね。
レポートと書いてるといつも悩んでしまう。
歴史なんか文献資料であるわけだし、ほんとに。
考古学についてのレポートなんか特に、自分が堀りにいけるわけじゃないから
ほとんど写しみたいなものになってしまう。
自分の目で確かめられれば剽窃じゃなくなるけど。
まあたかが一へなちょこ学生のレポートなんだからそんなもんだろうけど、
へなちょこなりに罪悪感を感じてしまう。
文学のレポートの場合はまだ自分のやってることに納得できるけど。
歴史なんかほんとに剽窃を前提とした学問だよなあ。
だから、芸術も歴史としての学問がある以上剽窃は仕方ない気がする。
というか、歴史学は、先人の説を踏み台にして
もう一つ上の段階にいければそれで良しなんじゃないかなあ。
そういう学問の気がする。
科学なんかはそこらへんはきっちりしてるよね。
これは何々の法則って。
76わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/17(水) 04:39
考えるまでもないことじゃ。
77わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/17(水) 13:23
剽窃であるかどうかではなく独創性の問題だと思う。
私はgoatsongさんの幅広い見識や、それをものすごいスピードで編
集しながら論を展開していく言語能力にいつも感心してます。
これは決して生半可な知識ではできないものだと思う。
でも一方で私は、goatsongさんのことを独創的だと感じたことは実
はあまりない(ごめんね!)。それはgoatsongさんが正統なことを
言う人だからだと思う。
もちろん正統なことを言って非難されるいわれはないし、必ずしも
独創的である必要もない。それに空耳さんが言ってることを考える
と独創的なことを言うのにもそれなりの基盤がいるということね。
でも、私は、美術の知識をあんまりもってない人の方がかえって新
鮮な見方をするということもあると思うんだけどな。とくに2chは
そういうことが言えてそういうことが聞ける貴重な場だと思ってる。

だから・・・みなさんもっといい加減なことをどんどん言いましょう!!
私はそういう意見がもっと聞きたい。
78goatsong:2001/01/17(水) 20:24
ははは。私自身、自分が独創的な意見を言っているとは、全く思って
いないです。人が生涯に、真に独創的な言説を得るなんてことは、
まあ、余程の才能に恵まれていない限り、ないでしょう。それは、
高名な思想家、芸術家、科学者でさえ、そうであって、まして我々
凡人が、というものです。

私は最近、中世文学に夢中なのですが、今日存在するほぼすべて
の小説なり映画なりのストーリーのプロトタイプが、すでにそれら
の中に出揃っているわけです。(しかもその類型は、決して多く
なく、今日の「創造」とは、その変奏に過ぎない)それを見るにつけ、
人間の想像力とは、如何に制約されたものなのか、思い知らされる
わけで。(同様にルネサンス以後の西洋美術は、すべてルネサンス
以前にその原型を見ることができる)

>美術の知識をあんまりもってない人の方がかえって新鮮な見方を
>するということもあると

あるパラダイムが、高度に発展し、その可能性の限界に近づく時、
それを破壊し、新しい枠組みを導くのは、しばしば「愚者」(別に
ネガティヴな意味ではない)であることは事実です。(例えば
トリスタン・ツァーラー)しかし、それは極めて稀であって、
それになるのを望むよりは、常に、努力し、高みに近づこうと
する方が、遥かに有効(?)だとは思いますが。
79わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/17(水) 20:41
やっぱりさすがです。感心しました。
80わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/17(水) 23:49
独創性なんて問題にしてないぜ。

「正しい」美術史の観念に準じた作品論・作家論なんて面白くないって言ってるんだ。
81わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 00:00
レスつくたびに必死になるから どんどんおかしくなる
なぜ自分はこんなに反感買うのか研究したらどうか?
82わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 00:27
>しばしば「愚者」(別に ネガティヴな意味ではない)であることは事実です。

その例をあげるならツァラより
ルソーやルーセルの方が「正統的」だろう。
意識的なモダニストは少なくとも「愚者」とはいえない。
このスレッドは
『モナリザの良さを教えてください。』
です
84わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 15:34
>83
そのとうりですが・・・
>goatsongさん
べつにパラダイムや愚者をもちださなくても・・・
私が言いたかったのは自分の今までの経験から、美術の知識をあま
りもってない人でも、作品を観て、ときに鋭いことを言うことがあ
るということです。
goatsongさんはそのような経験をされたことはないですか?
それもやはり「極めて稀」なことなのでしょうか?
だとしたらあなたはなぜ2chに来るのですか?

85わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 19:51
goatsongさんは天才だね!
86わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/18(木) 23:21
いやはや本当に大天才だ。超凄!!
大統領!!
87わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 00:04
88わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 00:30
>goatsong
絵、描いたことある?
89わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 00:56
90わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 02:38
goatsongはいつも大体まともなことしかいってない。
奴の書込みは俺にはすんなり理解できることが多い。
「反感」は少ししか感じないな。
91わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 03:07
理解できないという「反感」じゃないと思うよ
92わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 05:24
パラダイム? ツァラ?
おれにはなぜこの文脈で時代の転換期の話をするのか理解できないよ。。
93わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 09:25
技術的なことにほとんど触れないので頭でっかちなヒトなんだなって思っちゃう。
個人的には評論なんか不要だと思っていることもあるし。
94わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 14:34
トリスタン=ツァラじゃないけど、美術は概念化からつねに逸脱
してゆくべきものであって、評論によって枠を嵌めることは美術の死
みたいな感じがする。というか美術の基本はやはり感性っていうことかな。
95goatsong:2001/01/19(金) 16:38
>>77
77氏の発言にはちょっと問題がある気がするので、幾つか。

独創的な意見というのは、常に背後に明晰な論理がなければ、
ならない。そうでなければ、それはただ、奇を衒った意見で
しかないわけです。そんなことは、誰でも言える。

例えば、「セザンヌは遅れてきたルネサンス人だ」と言った人
がいるとする。こんな言説は聞いたことがない、ある意味では
非常に「独創的」な意見ではある。しかし、そう言うためには
それなりの義務を伴う。何故、そういう考えが導き出されたのか、
その理由を言わなければならない。別に、一人で勝手に思っている
分には一向に構わない。しかし、ひとたび公で発言したなら、
説明責任が伴うわけです。

そして、私たちはそれについて吟味する。そして、その言説が
貴重な示唆を含んでおり、一考に値すると思われた時、初めて
独創的な意見と呼べるわけです。逆に、そこで完全に論駁される
こともある。そういう手続きなしに、ただ新奇な意見を、独創的
である、と奉られても、私に言わせれば、それこそ批判的精神が
欠如しているに過ぎない。

ここまで言えば、「独創的」な意見を提出するのが、どれほど
大変なことなのか、わかったはず。(逆に言えば、独創的でなけ
ればならない道理など、全くない)
96goatsong:2001/01/19(金) 16:40
>>93
どこをどう読めば、そうなるわけ?良く読み、理解してから、
書いて頂戴。私はこのスレッドでは、15番以下、終始一貫、
絵画における技術の問題を論じてきたわけだけど。そして、
ルネサンス絵画史には技術の発展、洗練という側面があると
言ってるんだけど>>33>>44

ルネサンス美術の特徴として、以前にもどこかに書いたが
「意識」(観念と言っても良い)と「技術」が深く結びついて
いる、ということがある。「技術」は「意識」であり、「意識」
は「技術」であった。ここの317番も参照のこと。
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gallery&key=972245839&ls=50

>>94
ある意味ではその通り。ただ、芸術が概念を逸脱すると言うより、
実存が概念に先行する。まず現象があって、それを概念化するわけ
です。概念化されたものを、作品に戻せば、それは浅薄にならざる
を得ない。(ゲーテなんかは、この問題に触れている)

>評論によって枠を嵌める

残念ながら(?)評論にそこまでの力はありません。できたとして、
それは概念化(或いは抽象化)であって、実存を言語化しているわけ
ではありません。
97わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/19(金) 22:34
あなたの文はレス一つ一つ取り上げればすごく立派ですが
スレッド通して読むとただの荒らしに見える。
実際、あなたが書き込むとスレが壊れていくし。


9893:2001/01/20(土) 13:04
「技術論」じゃなくて具体的な「技法」に関してってこと。
まーどうでもいいけど。
9977:2001/01/20(土) 20:26
>>goatsongさん
私がgoatsongさんについてさほど独創性を感じない、と述べたことにこだわっ
ているようですね。どうやら文脈を見失っておられるようなので補足すれば、
>>77で私が述べたあなたの独創性についての見解は、それ以前の、あなたに対
して向けられていたパクリ疑惑(?)に関する私なりのコメントを述べたもの
になっているはず。あなたが他の人からパクリだの検索エンジン(?)だの揶
揄されるのは、あなたの意見が実際に剽窃であるからというわけではなく、そ
れが単に多くの人にとってつまらないものに感じられているということのもた
らす効果なのではないか、と推測しているわけです。
そのような文脈の中で述べられている、あなたの独創性に関する私の印象に対
し、あなたが中世以来のプロトタイプや、「愚者」によるパラダイム転換のよ
うな、独創性に関する壮大な歴史的ストーリーを持ち出しているのだとしたら
、それはたいへんな自己陶酔&誇大妄想であると言わざるをえません。誰も、
あなたにそのようなレヴェルの独創性をここで期待してはいないでしょう(笑)。

私は2chの話をしてるんです。
繰り返しになりますが、私が言っているのは美術の知識がそれほどなくとも、
作品を観て、ときに鋭いことを言う人がいるという事実です。
2chは私にとってそのような意見を聞けるかもしれない可能性に満ちた場所で
す。
goatsongさんはそのような経験をされたことはありませんか?(これは是非聞
いてみたいです)
それとも、goatsongさんにとってはそれもまた、ご自身の壮大な歴史的ストー
リーの中で述べられていたように「極めて稀」なのでしょうか?
だとしたら、その壮大な歴史的独創に向け「常に、努力し、高みに近づこう」
とされておられるような方がなぜ2chに来ているのですか?
100goatsong:2001/01/20(土) 20:33
別にどうでもいいよ。
10177:2001/01/20(土) 21:12
それと、>>95のgoatsongさんの発言について・・・
<独創的な意見というのは、常に背後に明晰な論理がなければ、な
らない。>
これは、私も同感です。ただし、必ずしも「独創的な意見」を述べ
た発言者がその「明晰な論理」を持っている必要はない、というの
が私の考えです。この板にはgoatsongさんのようにすぐれた言語能
力を持たない人もいるのです。ある人が直感的に述べたことに対し
、他の人がその妥当性をめぐって吟味をし、その結果、事後的に、
「明晰な論理」に至ればいいわけです。したがって、そのような意
見がすべて「奇を衒った意見である」と私は思いません。

そして私のこの考えと同じようなことを、なぜか、あなたは第3節で
述べられている。
第3節
<そして、私たちはそれについて吟味する。そして、その言説が貴
重な示唆を含んでおり、一考に値すると思われた時、初めて独創的
な意見と呼べるわけです。逆に、そこで完全に論駁されることもあ
る。そういう手続きなしに、だた新奇な意見を、独創的である、と
奉られても、私に言わせれば、それこそ批判的精神が欠如している
に過ぎない。>
全く同感です。(ところで私がいつ「ただ新奇な意見を、独創であ
る、と奉った」のでしょうか?)

さて、そうであるならば、第2節で述べられていることは必ずしも
必要なことではないはず。
第2節
<「セザンヌは遅れてきたルネサンス人だ」と言った人がいるとす
る。こんな言説は聞いたことがない、ある意味では「独創的」な意
見ではある。しかし、そう言うためにはそれなりの義務を伴う。何
故そういう考えが導き出されたのか、その理由を言わなければなら
ない。・・・ひとた公で発言したなら、責任義務が伴うわけです。>
「セザンヌは遅れてきたルネサンス人だ」と言った人が本当に心か
らそう感じている、しかしながら理由はうまく説明できない、とい
った場合、goatsongさんは、それなら、ただ黙っているべきだ、と
言うわけです。しかし、単なる煽りや自らもいいかげんと知ってい
るような場合は別として、当人が心から感じているような場合には
、私はそのような発言も無意味だとは思いません。
「セザンヌは遅れてきたルネサンス人だ」という発言が、他の人に
示唆を与え、その人が分析を加えてくれ、本人にも納得のいくよう
な「明晰な論理」で説明してくれるかもしれない。あるいは吟味を
加えていくうちに、それが間違った考えであり、とるに足らない要
素に本人が拘泥していたことに起因していたことがわかるかもしれ
ない。あるいは理由がわからなくても「私もそう感じていた」とい
う人がいたとしたら、それだけでも意味があることなのでは?
そもそもgoatsongさんが2chをどのような場所として想定されている
のか私にはさっぱりわかりません。
102goatsong:2001/01/20(土) 22:10
>77氏
ホント、どうでも良いんだけど。あなたが、これからこの板
でHNを持ち、自分の全発言に対して、責任を持つ自信がある
なら(無論、HNを持ったところで、いつでも「名無し」で
書き込めるわけだが、それは誓いに対する、良心の問題だろ
う)答えるけどね。いつでも、書き捨てできる立場にいる
人間と議論してもしょうがない。
103わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 22:34
77さんはHNはもってなくても
「自分は77番の意見書いた者です。」って
明記してあるんだから
私みたいに傍観・たまに書き捨てしてるようなのとは
違ってるのでは・・・?
104わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/20(土) 23:11
さんざん反論してたくせに都合悪くなるとHNがどうこう言いだす
固定HNのgoatsongさんは自分の全発言に責任取ってるように
見えないけどなあ
105わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 00:25
goatsong 敗れたり
106わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 07:13
シュナーベルをいいと思ってるようなら少し考え直したほうがいい。
107わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 08:26
goatsongさん、敗れなくていいです。
わたしも観念的な人間なので、goatsongさんの意見は
客観的な基準として聞いてます。
この板に欠かせないコテハンさんですよ。
108わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 10:09
goatsongさんの話、私もとても面白いです。
今まで権威を持って話していた人が
形勢不利になったと判断した途端に叩きレスが多くなるあたりに
人間のどうしようもなさを感じます。
109わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 13:46
77の反論はgoatsongが>>95で述べたことに対するまっとうな応答。
「どうでも良い」のなら、最初から他人の発言について「問題がある」などと
言うべきではない。
110わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 14:33
goatsong馬鹿丸出し
111goatsong:2001/01/21(日) 15:11
私の糾弾になると途端に、書き込みが増えるんだよね、
この静かな板が。まあ、私に恨みがある人間の輿論作り
だろうけど。(あんまり書かない方が得策だよ。一人で
書いてるのがわかるから)

言うのも馬鹿馬鹿しいが、別に、形勢が不利になったから
HNに触れたわけではない。さて、焦点がただ、美術の
知識的問題、解釈の問題であるなら、HNを持とうが、
持たなかろうが一向に問題ではないが(それは一つの
スレッドに収まるものである)77氏が言及しているのは、
それを超える、方法論であるとか、観念形態、美術に
対するあり方、(或いは2chの問題)なわけである。

そうであるならば、そこには一貫した思想がなければ
ならないはず。そこから、77氏の言説、態度、すべてが
導き出され、すべて収斂できるであろう一貫したイデオ
ロギー。氏の私に対する批判が、単にその場限りの批判
(「揚げ足を取る」という)、ではなく、氏のイデオロギー
から導かれたところの必然的産物でない限り、私が答
えなければならぬ道理はない。
112goatsong:2001/01/21(日) 15:11
さて、発言にはそれなりのリスクが伴う(説明責任について
はすでに触れた)。批判もまた然り。誰かを批判するという
のは、自分が批判されてもしょうがない、という条件に
たたねばならない。コテハンの場合、逃げは許されない
わけで、当然、発言や批判には慎重になる。特に、批判
をする際には、充分な批判材料とその妥当性が必要なわけで
ある。(かつて、私は空耳氏を批判したことがあり、また、
空耳氏も私を批判した。それには、それなりの信念と勇気
もいる)

然るに、「名無し」にはそれがない。いつでも逃げることが
可能であるし、同じく、いつでもリセットができる。散々、
無茶苦茶な発言を垂れ流したとして、次の瞬間には純粋無垢
のキャラクターで登場できるわけである。その場その場で
適当に反論して、その全発言を通せば支離滅裂である言説に
どうして私が、いちいち真面目に応対しなければならないの
か。論駁されれば、過去を背負わず(その発言の責任を背負
わず)、またリセットするだけの発言者に対して。

ところで、私の批判者は、その8割が解釈の相違ではなく、
私憤によるところが多いようである(つまらぬ罵倒レスを
書きこむ低脳どもは、私にかつて「完全に」論駁されたさ
れたであろう畜生に相違ない)。(77氏の発言の端々にも
似たようなものを感じるのだが)そうではなく、純粋に
「知」的レヴェルにあるならば、その態度で示せばよろしい。
113よっちゃん:2001/01/21(日) 16:49
リセットの話だけど、それならコテハンも名無しも同じだと思うけどな。
「goatsong」ってハンドルは所詮偽名なんだし、ハンドル
を持ちながら名無しで書き込むこともできるだろうし。
ただgoastsongはそういうこ事をしない人なのかもしれないけど、
他人にとっては同じ事じゃないですか?
114よっちゃん:2001/01/21(日) 16:59
って、話をどんどん逸らしてしまってるな。
さげ
115わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 21:08
議論好きなひとがコテハンを使う場合、かなりきついものがあるよ。
駄レスだけつけるつもりでコテハン使っている場合とは違うと思う。
そういう意味では、goatsong氏は偉いと思う。

>goastsong
ghostsong?冗談キツイ。
116わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 23:42
悪口を書いた人を一人だと決め込み、思い込むとは・・・。
117わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/21(日) 23:51
罵倒をカキコしている人がみな
論駁されたとは限らんだろう。
単にgoatsong氏の口調が気に入らないだけじゃないのか?

前にも誰かカキコしてたけど、goasong氏も
罵倒や中傷を無視すればいいのに
(上の<低脳>だの<畜生>だのいう言葉を見ればわかるように)
彼らをよけいに逆なでさせるような事言うんだよね。
プライドが高いから、<低脳>の侮辱にも
我慢できなくて応戦しちゃうのか?


118俺のチンポは燃えている。:2001/01/22(月) 00:23
終了
119わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 02:47
1人じゃないよ きっと
少なくとも今見ている109〜118に自分無い
ほんと傲慢な人だねgoatsongは(w
120わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/22(月) 13:42
いくら頭に来たからって低脳とか畜生はどうかと思いますよ
少し非常識ではありませんか
121goatsong:2001/01/22(月) 22:14
数年前、新聞の一面に、描かれた当初の色彩を復元した
という「モナリザ」の図版が掲載されていて、その記事
によれば、フランスのある美術雑誌の企画で、500年の
歳月を経て変色してしまった「モナリザ」をCGによって、
500年前のそれに再現するのだという。今、それを思いだ
してみると、褐色の「モナリザ」の肌は明度の高い肌色で、
背景もまた、明度の高い水色だった。

当時、私は、ほぼ同じ時期に描かれた「聖アンナと聖母子」
が、未だ美しい水色を留めてること(同じ年月、環境、
を経ている。或いは同質の絵の具を使用しているかも
知れない)、ルーブル美術がその企画に加わっていない
らしいこと(絵の具の材質がわからないだろう)から一蹴
していまったのだが、よくよく考えてみると、「モナリザ」
な背景は明らかに、おかしい。

今、レオナルドの真作と考えられるものの中で、背景を
伴うものを思えば、すべてが青みを帯びている。レオ
ナルドはその手記のなかでも、物体は遠くに行くほど、
青みを帯びていく、と記している(いわゆる「空気遠近
法」)。だが、「モナリザ」だけが青ではあるが、かなり
茶がかっている。そう考えていると、あれは案外正しい
のかもしれないとも思った。
122空耳:2001/01/23(火) 01:44
えーそうだったんですか!
私はあのくらーい色調が好きだったんだけど、
当初は違ったんですね。
少しがっくりです。
最後の晩餐もパステルカラーですもんね。
123院生:2001/01/26(金) 11:40
モナリザの良さを知りたければ、ダ・ヴィンチの他の作品もご覧下さい。

モナリザの良さ=ダ・ヴィンチの良さ

ヂヴィンチの良さがつかめたら、モナリザもおわかりになると思いますよ…。
124わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/27(土) 15:59
fusianasanしてない時点でコテハンとしては失格です(ワラ
125わたしはダリ?名無しさん?:2001/01/31(水) 04:54
最初は何がいいんだかわからんブスの絵だと思ってたが、見つめているうちに
くるくると顔の表情・・・というか印象が変るので気味が悪くなった。
それ以来何か畏敬に近い感情をもっている。
何か技術的なうらづけがあるんスかね〜?

目眩をおこしたわけじゃありませんよ(藁
126わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/01(木) 13:24
goatsongさんはおれの大学のゼミの先生よりためになるわあ。
127わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/01(木) 20:04
本当。 大天才!! 大統領!!
128わたしはダリ?名無しさん?:2001/02/13(火) 01:00
小さな子供だったころ、父親が複製のモナリザを買ってきて
リビングに飾ったのだけれど、私は怖くて怖くてしかたなかった。
泣いて頼んで、外してもらいました。

今もちょっと怖い。モナリザ…。
125の人が言っていることは、とてもよくわかります。
129名無しさん:2001/02/13(火) 08:43
    ∩_∩  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   ( ´∀`)<  もなーりざ |
   (    ) \_____/
   | | |
   (__)_)
130お絵描き君:2001/03/01(木) 14:16
ぼくんちの子供はぼくが飾ってるモナリザを怖いと言います。
で、すきなのはポケモンです。モナリザの良さを説いても好きになってくれません。
ポケモン以下なのがくやしいです。

これによって学んだ事。価値とは主観的存在である。しくしく。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/04(日) 18:25
上げてみる。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/04(日) 18:26
下げちゃった。

133あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/03/14(水) 21:53
昔、ルーブルで見たけど防弾ケースに入ってロープも張ってたしなぁ

同じ階の階段踊り場にあったニケの彫像の方がインパクトあった。

俺は美術知識ゼロだけどな
134わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/15(木) 17:13
「モナリザに似ている」は
ほめ言葉たりえないんだな。
薄々気づいてはいたが。
なんて遠まわしな嫌がらせだろう。
氏ね>齋藤
135わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/16(金) 16:07
スレ初心者の素人だけど、ここのgoatsongさんって凄いよね。
俺が昔なりたかったけど諦めたものに向かって真直ぐにつき進んでる感じがする。
憧れのようなものを感じてしまうよ。
136わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/20(火) 02:31
素人だけど、書き込んでいい?

モナリザは、何がいいのかさっぱりわからない。
手とか普遍性とかいろいろあるみたいだけど、平凡な絵のような気がするよ。
ルーブルはあれのために行くところではないというのが正直な感想だったよ。

それより>>40の「三博士の礼拝」のための習作の方が圧倒的にいい。というかよくわかる。
といっても、あのリンクの画像はだめだめだけどね。
地面に書かれた方眼が地平線まで続いてて、
レオナルドはちゃんと計算してたんだということがよく分かる。
>>46じゃないけど、現在のCGデザインもかくや、という感じだったよ。
まあ彼がすごいのは常識ジャンという冷めたかたなら、別にさほどの感動はないんだけどね。

ところで俺的には、ルネサンスではフィリッポ・リッピがいいと思うのですよ。
というか、彼はルネサンスに分類していいのか?という気がしますが。
そこが惹かれる原因だったりなんだり。
137わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/20(火) 05:09
タルコフスキーの「サクリファイス」で「三博士の礼拝」が出てきたよね?
郵便屋が「私はレオナルドが恐いんです。ピエロ・デラ・フランチェスカの方が良い。」
とか言ってた。あれはタルコフスキー自身の感じたことなのかな?
138ils:2001/03/20(火) 07:25
タルコフスキーがレオナルドを怖いと思ってるかどうかは
わからないけれど、タルコフスキーの映画を見て受ける全
体的なイメージとレオナルドはあまり合わないように思う。
レオナルドの作品が使われることが相応しくないというの
ではなくて。
タルコフスキーは、言葉は変かもしれないけれど、だらだ
らししつつもニューエイジのような胡散臭さのない瞑想然
とした感じ。
レオナルドは素画によく現れているように緻密かつ圧倒的。
科学的でもある。
自然を崇高なものという考えは同じと思うのだけど、関心
の向け方はかなり異なるのでは?
http://www.jrea.co.jp/leonard/index.html
上のサイトに出ているレオナルドの言葉を幾つか読んだけ
れど、凡そタルコフスキーは連想されないような気がした。

139いるす:2001/03/20(火) 07:39
>ピエロ・デラ・フランチェスカ
http://artchive.com/artchive/P/piero/baptism.jpg.html

リッピの作品に出てくる人は優しそうでレオナルドとはまた
違ったよさがあると思った。
140わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/21(水) 12:24
タルコフスキーはキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観て、
「映画は科学を見せるものじゃない」と言ったらしい。
確かに科学者でもあったレオナルドとはイメージは重ならない。
141わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/26(月) 21:41
尭毋溌溢鵁慂桔牲鈞啻禮闢釀鑒蠱躅蠅蠶躪靂蠅鞴鱧鹽鱧諞断認涕淋恠筑殊促
倖誌怏悦妊児祝俳啝醢軅蠱蟹羇躑鱧躅蠹闢觸靂觸靂蠹韈躅躅悃砿泄淕逑琺癸
淞途依拉紵区店癬蟷蠡圜羈魏羸翻繭鱧躑蠅蠶躪闢觸靂躪闢觸靂騰惇耿兌釆召
攷咲気世洗秋落覊鹽翻讎國義覇圏疆韈醒蠶躪闢觸靂觸靂轆蠶躪靂馳倥洗焚矣
怐弖袢牡來夜鑠韈讎囮迥捗髟侠栓姙釶蜜轢鞴蠅蠶觸靂轆轆觸靂觸蠶帚坂怠貳
活矜况妙住濠醴麺卮勾才儿Ωヰ災中甸逹箪關鑼蠹闢觸轆轆靂觸轆觸雖茉溶包
啖攻中佚桴殱翩奧抔Ζヒゅχで∋辷Н竏鴆暉醵韈蠅蠶轆轆觸靂觸靂觸罫孝玉
怜村沿泊梧翻艤余ゴеスぇクqСゲΒ灯芝徽簾闇躑躪靂觸靂躪靂觸靂靈拶忿
珍及古波軸躑靠泌РUСpеゎづどひ凵殳員軽黶幗韈蠅躅觸靂觸靂轆轆幎切
岱没丱鋒蟹靈茸台дらΡPΤヅ广Ьи行吽呈褄皹孅圜壘躪闢蠅靂轆轆轆酷密
叺本呼搗纒醫澹仔ξ♪N卞Э±кカ什払市良鯲崟厩賺藺闢觸蠶觸轆轆轆躪献
ぬ丈鳫譖鹽覲投ぎす卞グウ≒Nグ‡力仕仗况戎煢薮鰓醫醒醒躪闢觸轆轆靂閾
М宅麈矚輾陲粭叉かギサУ‖≡六ぉか匕お禾功拔寧盧圜蠹蠹靂轆靂觸轆轆圉
巾准腰轎軅罌仙匕ΕЕネΖβやW禾佶未命功形岐販聲鹽觸靂觸靂轆靂觸轆覊
坏鳫鰊鹽鞴薩恬芒浙悛衣今Еき柴頽憲卿敝種載耨麌輌羅靂觸靂觸轆觸靂觸團
埓鬚輌羅壘蠧懶篩乕郡褊珎込偐飃霾肅荼琵贓鹽鱧蟹國蠡蠅靂觸靂轆靂轆靂蠅
烽蹉屬醜躅韈轢躁嫖繭属狙尸綣墨鬟卓腰鱧蠡闔繩窯蜈圈蠹觸闢觸轆轆靂觸蠶
母鄙團翻靂鞭聢渝鬥堽鯰狩今嚆腰培化估緋斐腎仲双宥賺躅靂蠅靂觸轆觸靂觸
廖鰾釀韈觸椢炊正舮懷申谷Ξ駑胄凹并珱筏脊礼打許熾魑闢觸靂觸轆轆靂觸靂
鮭匯轜鞴靂瀾冂ぁΒ⇔从мж魚秧中ひOエπ匸泱溺躾嬲蠅靂躪靂觸轆轆靂觸
朧蝠譁軅觸蟯日爿Åн夲だポ峡泯沿∃ピヱКΦ向旆嫖釀蠶觸闢蠅蠶觸靂觸靂
臟韆韈闡輾躍矜工В九止Σめ捗濛夸びれн儿芥凋偶匯韈觸靂蠅蠶觸闢觸蠶躪
鱧鹽鱧躑軅壘涙й幺め伐今土庇簓忌き父尓共液癌鰭蟶輾靂觸蠶躪靂觸靂觸靂
鹽闡躑鱧靂觸楜矜文礼祉Ц似蟋濔虱ж斤庁究病嚼輌驢蠹觸靂躪靂蠅靂觸靂蠅
鱧躑鞴闢蠅靂蜀耗佑矛卆臥棚韈鱧墟允於咬刺鍾聲靄醴躅靂觸靂蠅蠶觸靂轆靂
輾躅軅蠅蠶觸躡繪吏毛分示蹇屬駟漲熱尿姙旁曉踝蠖圜躅觸靂觸蠶觸靂觸轆觸
鱧醒蠅鹽壘闢鱧霆銃疑游芹絋菖鑠豐鷭哽粘晧錬欝顳繭躪靂觸靂觸靂轆轆轆轆
鹽躅韈闡輾蠅靂畴級拷倉滂黛籍鯖襯誼赦祐硫岫弸鑒鱧闢觸靂觸靂觸靂轆轆觸
釀鹽壘韈觸靂轆鹽戰有冷辺詒詭樋靼樟孤叟駒鵑擱靈躅蠅靂觸靂觸轆轆轆轆靂
轜蠱蠹蠅靂觸轆轆繭狒迚茫抉酊絏熹蓼暗霆膈蠢轢躑醒靂觸靂觸靂轆轆轆轆觸
閻醍鱧蠶觸靂觸靂轆醴奥代Вざ市啾箍崕頼醋藺鹽鞴蠶轆靂轆靂觸靂轆轆轆靂
鋤醍躑躪輾蠅蠶觸轆轆羈島矢注瘁髪蜿麗驢鱧鹽鱧輾觸轆觸轆轆靂觸靂轆靂觸
間轜壘輾蠅蠶躪轆轆轆轆髑董蓑耡邏圏鹽闡躑躅靂觸闢蠅靂觸靂轆靂觸轆轆靂
142わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/27(火) 01:00
>>141
スゲェ。ちょっと感動した。
143わたしはダリ?名無しさん?:2001/03/27(火) 01:26
>>142
わりと古典的(?)なAAだけど
初めて見ると結構驚かされるよな。
144☆☆☆:2001/04/05(木) 01:54
>142
良いです!ホットしますネ。
やっぱりモナリサはイイですね。
絵描きだったら、やっぱりこのような普遍的なもの
を描きたいんじゃないのかな。
たしか最後までダビンチが持っていたんだよね。
145わたしはダリ?名無しさん?:2001/04/12(木) 21:02
レオナルドage
146goatsong
うーん、久しぶりに自分の書き込みを読み返してみたけど、全く
未熟だなぁ。レオナルドとミケランジェロの藝術の相違を造形的
な面からしか、接近してないし。今、書き込むなら、宇宙論的な
アプローチをするだろうなぁ。たった4ヶ月なのに。