2 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/13(月) 02:30:03
糞スノッブスレ
極限も知らず、行列式の意味も知らないクズスノッブが、
海外のアーティストやセンセイの益体もない洋書をアマゾンで買いあさり、
流行の議論を必死にフォローして理解した気分になっているいろいろ痛い感じのスレ。
でもしかたない!
彼らはそれしか道はないんだもん。
その果てにある者は――?
迫り来る科学主義の波に呑まれようとする日本言論界。
ポモスタイルはいかにして生き延びるのか。
乞う、ご期待!
3 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/13(月) 02:50:57
「マラルメの想像的宇宙買ったわ。マラルメってすごい作家よね」
「そうね。蓮見さんがお褒めになるのもわかるわ」
「やはり、エクリチュールよね」
「そうね。エクリチュールだわ。グラマトロジー的な意味でね」
「わかる?デリダ思い出しちゃったわ」
「脱構築的でもあるわよね。ポストモダニズムの香りがする」
「マラルメをデリダから読み直すのも面白いかもしれないわ」
「あら、奥さん、それはすでに定石でしてよ」
「そうなの?」
「そうよ、おまけにそこにボルヘスやバタイユも加えるのよ」
「へえ、そうなの。私、恥ずかしいわ」
「平気よ。私も最近知ったのだもの。アマゾンで洋書を買うのよ。
そうすれば、最新の流行がわかるわ」
「嬉しい! こう見えても私英語、独語は得意なのよ」
「それなら、たんとお読みなさい。批評を書くなら出典を隠すのがコツよ」
「ところで、脱構築って何かしら?」
「そんなことは気になさらないでいいのよ。その言葉がどのように使われ
ているかだけ注意をすれば、後は見よう見真似で何とかなるものよ」
「そうよね。私難しいことは苦手だもん。数学も高校レベルだし」
「安心して。そのためにポモがあるんだから」
「うん。ありがとう。私頑張って批評を書くわ」
「間違っても思想地図は避けなさいね。では頑張って」
「黒瀬氏と古谷氏の、どこか緊張を含んだ儀礼的無関心」
磯憲べた褒め
馬乳酒はヨーグルト味
マラルメは、精神のコルセット
8 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/13(月) 22:17:39
他のスレに激しくスレ違いな事、専門外分野への偏見に満ちた荒らしを行なう。
いい歳をして社会人たる努力を怠ってきた人間特有の、モラルに欠けた言動の数々に辟易する、他スレの住人。
本当に本当にいい加減にしてください。 不快です。
443 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 01:36:08
哲学板→古谷スレを経由して湧いてくるんだよね...、他スレにも。
美術なんて何も知らないんだからさっさと巣に帰ってほしい、マジで
444 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 01:39:27
批評を知ってたら感性が鈍いことにされちゃうのさ
446 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 01:44:13
>>445 海外動向はジャーナリストにやらせているじゃん
松井みどりとかああいう手合い
448 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 01:47:56
>>446 たのむから帰って・・・・
449 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 01:51:41
>>446 頭ごなしに偏見的だから、書き込まないで。貴方の知らない世界もあるんだからさ
9 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/13(月) 22:18:23
451 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 02:02:25
古谷スレは本当にどうにかならない物なんだろうか?
453 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 02:07:31
俺はこの板に滅多にこないけど、他板にいて古谷スレ宣伝されるのを見ると心底うんざりする
偏向した上で特定の議論がされてるのなら微笑ましいけど、そういうスレじゃ全然なくて、
議論は人頼みのやたらプライドの高い住人が多い
457 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 02:24:44
たしかに、そやね
458 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 02:33:22
>>451 乗り込めばいいじゃん
459 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/03(金) 02:37:32
>>457 >>458 なるほど、プライド高い
関係ないフリして引っかき回してももう無駄
元々ここ過疎ってるし 勝手にやってれば
531 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/11(土) 06:37:33
暮沢の解説ひどいな
これじゃ老アートは貧乏人とバカのためのアートって意味になる
532 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/11(土) 15:53:28
暮沢なんてそんなもんだろ
548 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/12(日) 17:29:26
暮沢は評論家なの?
10 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/13(月) 22:23:20
このスレで何をどう語ろうがそれはあなた方の勝手です。
しかし、「自分が分からない」、知らないからといって、他の路線や分野で業績を上げている人たち
を誹謗中傷するような書き込みは控えてください。
知っているなら「なぜだめなのか」をいえるはず。しかしあなた方は悪口を言うだけ、しかもスレには関係がない。
書き方も非常に陰湿であり、見るに耐えません。学問を志したはずが、どうしてそうなってしまったのですか?
ていうか他スレのコピペするのはやめてくれ。ただの荒らしだろ。
そんなスレ見てないから何を言いたいのかも分からない。
つりだろ。悪質な。
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 00:20:25
うん♪
せめてテンプレ貼ろうぜ
16 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 00:50:46
2から14までがテンプレ
もうなんでもありですよ奥さん
19 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 03:17:52
眠い。この業界の最新流行教えて。
20 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 03:23:26
>>10 正論だけど、美術批評には当てはまらないよ
オカザキとか、数学基礎論からの発想だし、
他の領域に依存しまくり
当の古谷も、幽霊論はラカンだし、ラカンはラカンで、
アレだし。
モダニズムは、起源はロースとかの建築論だし、
それは要するに、機能=科学主義
現代美術は、芸術は、突き詰めると、二十世紀前半の、
思想に行き着く。
おとなしく自分のシマで誠実に仕事をして、業績を上げる
のは無理な分野
だからちょっと貴方の意見は違う。
21 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 04:31:28
つか、フーコーじたいが、ブルバキのパクリだし。
科学君とか揶揄するアホは、「知の考古学」とか読んで
読んでないのかな。
ポモのグルが、(擬似)科学君だった、というオチ。
知の考古学はフランスやアメリカでは相手にされてない。
分析哲学の支配するアメリカはともかく、
フランスでもほとんど読まれてないってどういうこと?
いかに日本の一部の大学テニュアが偏向していたか、がわかる。
日本のアカデミズムはどの領域もちょっとおかしい。
やっぱアメリカ行こうかなあ。
22 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 04:40:00
ネットで批評というジャンルを発見した俺は、批評業界を検証した。
結果、ポモというグループが今の文化批評の大元らしい、とわかった。
日本ポモはフランスポモのコピーだともわかった。
フランスポモを読んでみた。全然わからなかった。
しかしポモが実は数学基礎論や集合論、代数学、複雑系などから影響を受けていることがわかった。
「なんだ、それならこっちのほうが詳しいや」
今もポモの妖怪は暗躍している。シネフィルが典型。
批評は、もっとシンプルに技術的にやるべき。
いきなり廃墟
24 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 04:46:13
ラカン理解はC言語学習の30倍は労力が要るけど、
C言語習得したらゲームで遊べるが、ラカンを理解しても、
どうしようもない。精神は言葉では理解できない。
メタ言語は存在しないから。
これがラカンの理論なんだから、まったく笑ってしまう。
ラカンはインチキ。
エス=扁桃体ネットワーク
超自我=前頭葉
批評は、こんなインチキとはすっぱり縁を切るべきだ。
ラカン禁止。
テンプレ貼れないんだが……
26 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 04:50:21
批評の課題として最近俺は、
経済と文化の関係について根本的に考えなおしている。
ここから何かいえないものか、と。
業界とお金の周りを勉強することから始めている。
この探求の動機は、ゴンゾだ。
ただ難しいね。
あんたはアニメスレを活性化させろよ
28 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 05:01:33
アニメを活性化するにはアニメを作らないといけない、という
結論に達したよ、おれは。
アニメの批評では、活性化は難しい。
というのは、アニメを批評する連中は何も知らないから。
結局ポモ理論に落とすことしかできない。
それ以前に語る必要のあるアニメじたい最近ない。
作家性が存在してないから。ゆえに批評をすると空回る。
というわけでアニメを作ろうかな、と計画中。
ただ資本がないから当面夢だけどね。
作品性があれば十分だぜ
30 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 05:13:11
要するに今のアニメは商人が作っているんだ。
完全に商売。
カップラーメンに批評は要らない。
むしろ経済と脳を分析したほうが早い。
作品批評とは、いかにしてそれが作られた、かを
解明してゆくことなのだが、
カップラーメンは、そんなことするまでもない。
作家性の完全な不在。それが現代アニメ。
俺は、ほとんどアニメを見なくなったよ。商人アニメだからね。
おまえはアンチ芸術なんだからそれでいいだろw
32 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 05:20:08
>>29 でも、誰かひとり作家がいないと、作品にはならないわけでしょ。
最終的に誰かのセンスでコントロールされるわけだから。
そのセンスを作家性といえば、今のアニメは、作家性がない。
商人のセンスが最終的に作品の決定権を握っている。
「面白いか?」ではなく「売れるか?」。
芸術性、作家性が消えて、商人のあさましさが出てきちゃっている。
たしかにアニメは商品として流通しているが、それは建前だった。
しかし今はそれが本音になっている。
作りたいアニメを作る、という素朴なプロセスが消えたんだね。
プロアニメになっているわけよ。
モダニズムに敵意を持つお前にはぴったりじゃん
34 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 05:30:36
敵意は持ってないよ。無関心なだけ。
いっていることは当たり前。
モダニズムというのは、過去との決別のことで、
理想の追求のことだ。
理想社会、理想表現、理想技術・・・・
これで社会は発展する。
最終的には、理想人類をバイオテクノロジーで作り、
人類は消える。
他方で、理想を追求しなくなったら、あとは無限ループ。
ポモはこれだった。
右翼思想と相性がよかったのは、これだろう。
反復にささやかな差異を見出す、という蓮見は東大総長だった。
35 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 05:40:38
モダニズムとは、科学のことだ、といっていい。
正確には、科学技術なのだが。
人類が世界の法則を理解し、その応用でエネルギーの
流れを変え、社会は発展していった。
他方で、表現も要するに応用大脳生理学の一分野なので、
素人的にゆっくり発展していった。
ただ表現は、技術ではあるが、理解するのにセンスが必要
な点がサルでも原理的には理解できる科学技術とは異なる。
芸術センスは、先天的なもので、俺の観察では、20人に1人程度しか
持っていない。他の19人は、本質的には芸術を理解できない。
でもそういう奴でも、漫画やアニメは作れる。技術だから。
しかしべつに面白くない。表現のほとんどがこれ。
また芸術センスのある奴が、全員表現に向かうものでもないから、
(同時に知能も高い場合は、数学や基礎物理に行く可能性もある)。
さらにその割合は小さくなる。
芸術や表現の発展というものは、少数の偉大な奴が作った歴史で、
それを見極めるのは本当に難しい。
36 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 05:55:23
また、見極めたところで、その人間に技術がなければ、どうしようもない。
美術批評やシネフィルがこれ。
技術とは、世界を意図したように変えることだ。
世界を変えること、つまり世界への介入。
これは、人間行為の最高の形態といえる。
動物は世界を変えることはない。
芸術も、世界を意図したように変えることだが、その世界は自分の脳だ、という点が違う。
脳を変えることが、芸術だ。
素人応用大脳生理学。N=1の実験。
これは、個人の最高の行為形態といえる。
自分の脳を目的としている点で、世界の否定でもあり、自己の神格化でもある。
一般に流通している作品は、その世界のエキスである。
しかし、たいていは、失敗だ。
技術がないから。何も変わらない。エラー、エラー、エラー、エラーメッセージだ。
プログラミング失敗。
これが6割の作品。残り4割は、まあ、コンパイルされて実行される。
でもたいして面白いとは思わない。ダメ作品。
ごく少数の作品だけが、面白い。それは成功した作品だ。
世界は変わったのである。意図されたように。
ちなみに、意図されざる変化は、ポモである。
ジョンケージの偶然性とかデュシャンの泉とか。
たしかに変わる、でも意図されてない。
これだけでポモは、害悪といえる。
37 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 06:01:56
作家は、神になった人ともいえる。
大衆は、現象であり、地球の惑星表面の熱力学的現象にすぎない。
彼らが何をしようと、それは遺伝子の生存確率を上げるためにすぎない。
そして生命とは、エントロピーのもっとも効率的に増大させる装置だ。
人がいなければ、石油エネルギーは解放されなかった。
エネルギーを低くさせる機械、これが生命、大衆の実相だ。
しかし人間は、生物、自然現象であると同時に、形而上学的存在でもある。
ただし、ごく一握りの人間が、である。
歴史の時間に習う人間は、遺伝子と生命、つまり熱力学に対する抵抗だった。
人間だけが自殺する。
ここに芸術の奥義がある。
芸術とは自己の創造であり、凡俗への痛罵としてしかありえない。
そして芸術を理解し、いかに作られたかを解明することも、自己の実現である。
自己実現は神への道である。
38 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 06:17:34
芸術とは、アルゴリズム化しえないものともいえる。
アルゴリズムとは何か、コンピュータにできることのすべてだ。
原理的にいえば、技術はアルゴリズム化できる。
大衆の仕事はすべて原理的にアルゴリズム化できる。
自己の感性はアルゴリズムで、つまり代数的には、表現できない。
ここに芸術が大衆と違う点が示されている。
作品を作るには、作家がいなければならない。
作家は、技術で作るが、評価するのは心でする。
しかしセンスはたしかに生存確率を上げるもので、一般化すると熱力学現象だ。
かわいい女の子を描く作家のセンスなど明白すぎる。
しかし先にもいったように、センスを意図的に変えることが芸術だ。
やはり作家の意図が上に来る。作家はセンスを冷静に感じ、それに介入する。
自分が神になる過程が、作家の個人史にはある。ある意味作品は永遠ではない。
作品を作る過程が大切。
39 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 06:39:49
わっかりますたあああああああ
40 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 06:39:58
たとえば、
むらむらきて適当に女の子のおっぱいを描くこと、これ自体は技術である。
コンピュータにもできる。
しかし意図したようなおっぱいを描くこと、これは、次元が違う。
感性が入ってくる。感性はプログラミングできない。
これが表現。作家性はその意図性と判断の感性にある。
しかし、いかなるおっぱいが良いか、は、自然現象でしかないのも事実。
要は、生存確率を少しでも上げるような形や質感や色の最適化。
このままじゃある意味遺伝子に支配されているとさえいえる。
しかし感性は脳からは離れられない、生物学の例でしかない。
科学を知らない芸術家は永遠に脳科学者に怯える。
脳科学で感性は解析できるからだ。
しかし解析はできても、それを作ることはできない。
シミュレートできない。
作るとすれば、実物を作ることしかない。
バイオテクノロジーによってこそ人工知能はできる。
しかしそれは別の話だ。
ハエにはハエの芸術があるように、次の進化ステージの存在には特有の芸術がある。
個人は、個人だけの芸術を理想として追及するよりほかはない。
ここに個人の神への道があるといえる。
神になること。これが芸術の実相だろう。
そう思えば、作品として形象化されたものは、その影にすぎないともいえる。
41 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 06:49:13
人間(個人)の重要な活動、使命
@知識(宇宙はいかにしてあるか、次になにが起こるか、の探求)
A表現(漫画やアニメ、ポルノも当然含まれざるをえない)
※B科学技術、社会設計(いかにしてエネルギーを変えるか)
この三つのうち重要なのは、@だ。
というのは、@がなければ、宇宙における表現や技術の意味が理解できないから。
一番下等なのはBだ。
これは技術じたいはまあまあだが、それが実際に使われるのは、生存確率を上げることだ。
結局熱力学の範疇。そして技術それ自体は存在しない。
Aはその最低の形態ではBと変わらない(商人のアニメ)のだが、最高の形態では、
@を超えていく、ともいえる。
というのは、至高のきわみの個人は自然現象であるが、形而上学的存在であるからだ。
個人は、その深部において、宇宙と並ぶ神になる。
それが表現や芸術によって示されている。
42 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 06:55:25
つまり、自己実現のためには、表現をしないといけないということになる。
表現、というのは、感性への介入であるから。
感性じたいは、表現をしない奴ももっている。アインシュタインはモーツアルトを好んだ。
けれど、その感性はそのままでは、自然選択の結果そのようにしてある、ものにすぎない。
女の子のおっぱいを描くことは、誰が見ても、商人がビジネスする理由とそう変わらない。
もっと高等な表現も結局同じで、むしろ高等に見えるだけ質が悪い。
となると、感性だけではダメということになる。
それを変化すること、つまり表現、あるいは想像が必要になる。
これはつまり自分の脳をプログラミングできるようになることだ。
ここに@が出てくる。そしてそれを超える。
ただし至高の表現は、時間において永遠ではない。
永遠なのは、表現をしているときの個人であり、その瞬間が
@と並ぶこの宇宙のハイライトだ。
43 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 07:02:52
私は、神だ。
これが芸術家の前提である。
表現は、それがどんな下等なもの(エロ)でも、大衆への、つまり本質的には機械でしかないもの、
痛罵たらざるをえない。
私は、二度と生まれない。
私の仕事は、大衆のそれと違って、原理的にコンピュータで作れない。
(もちろん、文章をアウトプットする機械は作れる。しかし表現は人間の脳の感性を必要とし、
それをアルゴリズムでシミュレートはできず、人為に作るには実物を作らないといけない。
実物は、人間と同じかそれ以上の存在で、結局コンピュータ(アルゴリズム)ではない)
芸術への道は神への道であり、それ以外にはありえない。
44 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 07:15:44
つまり、科学は、宇宙を神格化し、
表現は、自分を神格化する。
世界へと滲み出す、という表現は間違い。
滲み出した世界は、自分の脳だから。
脳は宇宙の要素だけど、それを変える必然性は、自分にしかない。
自分のために仕事するという点に芸術家のすべてがある。
ではなぜ表現は他者にもわかるのか?
それは、脳がハードとして似ているから、センスが共通している部分もあるから。
ただし重要なのは、自分にとって、だ。
そうでないと、商人のアニメになる。テレビや原子爆弾と同じ。
よくよく考えれば遺伝子に操られている。
自分が求める理想を追求せよ。そしてそれを正確に精密に作れ。そのための技術を手にいれろ。
つまり脳の仕組みと形態の仕組みを理解せよ。
これが芸術の前提で、すべての行為はここから出てくる。
下等な表現も、この動機なら、それは宇宙の存在に匹敵する価値だ。
正しい動機の表現は宇宙よりも重い。
しかし悪い動機で作られたアニメや漫画はゴミでしかない。
自分のためではなく、売れるために作られた作品はプロセスに心が関与してないから、機械で
作れる。ハーレークイーンロマンスを自動的にアウトプットする機械はたしかあった。
作品は心の現象であり、動機が大切。
我々大衆には永遠に理解できないが、ある意味しかたない。
芸術家はある意味神であるのだから。
45 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 07:35:59
科学者は、宇宙を予測し、
芸術家は、自分の理想、心のために宇宙(要素=脳)を作り変える。
技術者は、社会の発展のために、宇宙を作り変える。
商人は、自分の生存確率を伸ばす(実は商人ではなくその遺伝子が)ために宇宙を利用する。
商人が利用する宇宙の要素には、科学者や芸術家も含まれるから、
結局商人の動機が前に来てしまうのが常だ。
とくに芸術の場合、それは致命的で、というのは表現は今説明してきたように、
最初から最後まで個人の心の現象だから、商人に少しでも入られるとそれで終了。
心の現象は、動機がすべて。
最近のアニメがつまらんのも、そこが関係している。
商人に妥協すると、次第に活性が落ちて、だらしなくなる。
芸術は至高の心の現象で、人間全員が心を持っているわけではないため。
機械のように冷たくなってゆく。技術があるけど、心がない。面白くない。
ぼんやりしている。
いずれにせよ、アニメがそうなってしまったのならば、別にしかたない。
人類の芸術は終わったからだ。
ほとんどやり尽くされている。
心が終わった、ともいえる。
人類は生化学を推し進め、心を作ること。これが今後の大きな道。
とはいえ、アニメを作りたいとも思うんだよね。
以上、さておちるか。
(-.-)y-~~~
(_ _)zzZ
あ〜よく寝た
きっと羊の肉を食べたせいだな
みんなはまだ起きて来ないようだな…
また寝るか
49 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/14(火) 18:03:09
どうやらひとりの真性キチガイが、症状をフル発揮してるね。
他スレも迷惑被ってるんだな。こいつの単独犯だろ。哀れな奴。
なんか本当に精神病んでる感じがする
美術云々なく洒落になんない病的スレ
まだ若いうちに自分なりのかまわれ方を模索しといたほうがいいよ
2ちゃんねるで気違いのフリをしても空から肉とか酒とか素麺とか切符とか降ってこないよ
ねえねえ、みんなで中井久夫氏の著作読まない?
>>51 モンゴル料理や花見もなw
世故に長けているとは思えない古谷が、処世術をいつ会得したのだろう?
マジでテンプレ廃止かよ
スレ立ったときに貼ればよかったのに
なぜか俺の環境だと貼ったレス投稿が無効だったんだ
アクセス規制に近い処置として、URL添付だと投稿が撥ねられることあるね
たぶん同様のケースが
>>1におきたんだろう
誰か代わりにテンプレ貼ってやれよ
これの前松浦寿夫展行ってきたけど、独り占めでした。
>>62 自分のほかに見物人がいなかったって話ですね?
平日のギャラリーなら普通じゃん
65 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/16(木) 07:23:08
また断言ですか・・・・
萌えアニメどれぐらい見ているんだか・・・・
シスプリに謝れ、といいたい。
いや、この界隈ってたいてい断言ですよ・・・・
奇妙な自信のある人しかいません。
オタクをあなどるのもいいかげんにしてほしいものですね!
>>64 休日の、一応金取る美術館ですからw
まあとても小さいけど。
こうやって急に書き込みが激減することあるよね、ここ。
急に増えたりとか。
今スレは廃墟すぎ
一番熱心だった人が浅田スレいっちゃったが戻って欲しい
70 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/16(木) 22:52:23
125 :わたしはダリ?名無しさん?:2008/05/31(土) 19:06:50
俺ゲイだけど、林道郎はタイプど真ん中。シンポジウムでも話より股間のモッコリに釘付けだったよw
あのオヤジ臭い体に抱かれながら、耳元でアートを講釈してほしい。
126 :わたしはダリ?名無しさん?:2008/05/31(土) 19:47:52
特にあの腰回りがなんともエロい。インテリな風貌とは似ても似つかず、
セックスはかなり激しそうだ。汗ばんだ裸をぴったりと密着させて、互いの息子を
舐めてみたい。
林道郎といえば、今度の土曜日に竹橋で講演するね。行ってみようと思う。
ゲイの方も来たらいかが?
>>67 どこの美術館?
府中?
だったら、館長が私物化して、客が引いてるのかもしれないよ。
>>69 悪いが古谷関心が激減してて、スレでしゃべる気分がなくなってしまった
>>74 古谷を神輿にしておくと、他の美術ネタでも荒れにくいというメリットがあったわけだが
いわゆる哲学方面の関心が強いんだろうからそこまで期待しちゃ駄目かな
土屋の実力なんかで教員になれるんだな。
前にここでアカポスとれないとか書かれたから、さぞ悔しかったんだろうな。
全くどうでもいい訳だが
土屋は大器じゃないし、僻地で小さくおさまるぐらいがちょうど良いと思うよ。
おめでとう。
>>72 東京アートミュージアム。
ちなみに府中は館長替わった。任期が切れたんだろうけど。
>>75 最近美術ネタ仕入れてないから総合スレ的にも俺はお呼びじゃないという問題がな
特にどこかに書き込みすることなく、なんとなく考えてるトピックのほうが多いな
手元に確認できるかたちで
October: The First Decade, 1976-1986, (MIT Press, 1987)持ってる人いる?
ちょっと確認したいことがあるんだけど
フルヤン、とうとう妊娠か?
ペドロ・コスタとは、シネフィルの極みにも抵抗なくなってるな
博論終わったら研究しまくるぜ〜!と、ほのかに期待してたけどそんな時間はなく。
止まらない業務の波状攻撃で、ああ4月も17日か!ぜんぜん平気だけど!合間縫って動物園通い。
ときどき美術館。記憶喪失からなんとか抜け出して学生の前でしゃべったり。
こういうときくだらない作品見るとほんとうに怒りが湧くけど、「ヴィデオを待ちながら」展は
期待をはるかに超えて充実。とにかく。とにかく!ウォーホル《アウター・アンド・インナー・スペース》(1965)がすごすぎる!
平倉ブログか
順調だね
研究しまくるぜ〜!
研究っつっても何もその先にないよね。
空しくならないんかな。
>>81 何かが生まれようとしているみたいだから、ある意味そうなんだね
ちなみに、友達に言われてこんなのを見つけてしまいました→
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20090402 「黒瀬氏と古谷氏の、どこか緊張を含んだ儀礼的無関心」とかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
うーーーーん… 美術の世界の闇は思っていたよりずっとずっと深いのでは?? いやこれはもはや美術の世界というか、2chというか、某Hスレというか、、、
ぼくが言えることはただひとつ、 「自演じゃないですよ」 ・・・以上!
ttp://d.hatena.ne.jp/kaichoo/20090413/1239590930 爆笑したwwwwwww
いや、黒瀬の感じ方がもっともだと思うよ
永瀬のあの記事は、何あれ?
状況見取り図を書くツラをしながら目立って自分の思い通りに
一種の文壇政治(のウェブ版・美術批評政治)やりたいってだけの卑屈さが出てるだけでしょう
あの永瀬の記事は志がクソすぎて、失笑で迎えてあげるのが最適だと思った
最適かどうかどうやって判定した?
凡俗はなべて理なし。
永瀬って考えなしの対立構図をすぐ語るじゃん
無言及→儀礼的無関心 ということでいうのなら、
美術批評に属さないが影響をおよぼした批評家も、柄谷とかいるわけで、
では、黒瀬がたとえば柄谷、藤枝、阿部について語らないのは
「儀礼的無関心である!」となるか? なるわけねえよ
現時点での関心が合う合わない、言及する理由があるないによるのであって、
声高に取り上げることでもないだろう
それとも全方位的に人名辞典をつくるように言及すべきとでもいうのかね
永瀬は古谷に仮託して「黒瀬は俺に言及しろよ」とでもいいたいのかと
ああいうマッピング作業の慣習って浅田以来どんどん強固になってるけど
志のない、そのくせ文壇政治性を発揮したい不勉強なやつにかぎってどんどんより悪化したかたちで身につけていく
卑劣って言おうとして卑屈って書いちゃったのかな
卑劣と屈折が合体して卑屈になったのかな
このへんの業界ってかなりスモールワールドだからね。
ある程度手つきは見える。
めいめい馬鹿だし、安心する。
余裕ができたらおれも批評に乗り出そう。
今のところ尼で洋書読んで学習。
まあ、専門のほうの勉強とスキルアップをおろそかにしない
程度に。
94 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/18(土) 19:31:33
美大ファイン出の奴の文章なんて、
高校生が音楽雑誌に投稿するような文章とレベルはかわりませんね。
むしろ、状況をしらけさせてしまってるのではないかと思いました。
・・・・なにこれ、? えっ 40の親父が書いてるの!! って、
うーん、まあ人文系もそうですよ。
ああいう文章は、羊の文章で、
柵がとっぱられてしまえば、通用しない。
「えっと、デリダによると文字は」
「は? 自然言語がどうしたって?」
実は、人文屋は、洋書読んでいるだけなんです。
だからそれを教えてあげて、基本教養を
リストアップして、パターン化してやれば、
彼らのアドバンテージはなくなるはず。
僕の望みは、批評が、頭のいい奴のケンカになることです。
批評というのは、一匹狼からしか生まれません。
小林秀雄や吉本隆明などは自分が一番頭いいんだ、と自信があった。
ところがある時期から、知の解放とマルクス主義の崩壊といろいろで、
本を読んでいる奴よりコード書ける奴のほうが頭いいという空気が出来た。
(実際は、分かりません。ただ批評は空気のなかで書くので)
今後は社会が殺伐としていくから、ますます実用主義な知識のほうが
偉い、すごい、賢い、という空気が大衆に共有されると推測します。
最近趣味で批評を勉強していると、そこまで馬鹿にできたものでもない、と
感じるときもあって、柄谷なんかアホですが面白いこともいっている。
貨幣論なんかは彼に刺激を受けました。
ただ数学的にもっとキチント示せないものか、とも思うんです。
そこが彼の限界でしょうね。
いずれにせよ洋書を読んでいるだけの連中のアドバンテージを
いかに潰していくか、ネットで僕はこれをちょっとだけ考えているところ。
ここのところ電波臭がすごいな、ここは。お前ら楽しい?
木の芽時と言うじゃないか
黒瀬の言う某Hスレってなんのこと?
Hなスレのことだよ
101 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/18(土) 22:02:03
>「作家は黙って作品を作れ」というイデオロギー
永瀬のいうそれって、つまりあれでしょ、
「ことばをもって音をたちきれ」を受けて岡崎のいった
感性と悟性の切断。しかしそれは、恣意的な業界マップの
作成とは全然ちがう話。
空気の読み合いどころか、いちばん空気を読みたがってるのが
永瀬自身という罠。しかも誤読だらけの。
どれだけ失笑を買ってるか、もうすこし想像力をふくらませた方が吉。
>>99 フランス語風のつもりか
Hスレなんて言わずにはっきりと古谷スレと言えばいいのに
>>96 あたかも文学板におけるコテハン「獲る狸」のような酷い常連が常駐して連投してるからな
スレを廃墟化して楽しくてしょうがないらしい
憐憫のまなざしで見守ってあげるといいよ
ああ、狸と似てるかもな
ちょうど先日ジュネスレで狸と長時間やりとりになって、
まあなんとも言い逃れとごまかしと一貫性の欠如の連続で、感触が似てるなあと思ってね
タチの悪さはよくにてる
よく頑張ったなw
狸は中途半端な知性のせいでめんどくさいキャラだよな
だれの目にもよくわかるぐらいにぼこぼこにつっこんだから、
あらぬ幻想を狸に対して持つやつは、少なくともあのスレでは皆無になっただろうことが、
強いて言えば収穫だろうか
それ以外は時間の無駄だったけど
狸と(o^v^o)や(o`.´o)が自演だってのも判明したが、
狸と武陽がうまがあってるってのも、あるいみ示唆的だった
糞コテには共通性があるんだろうね
通ぶりたくてしょうがない、とか、言い負かされたら○○のロジックを持ってくる、とか
とはいえ、それならそのエネルギーをここの電波にも費やして欲しい気がする
狸より悪質だし、もうここの糞と俺は何度もやったから懲りてるよw
コテハンがあるってのはNG Name登録できるだけ良いことなのだ、とすら思えてくる
狸は一応、自分の主張に一貫性があるがごとく取り繕うんだけど、
ここの電波は過去のレスを引き合いに出してたずねると「はぁ?」になる
狸よりひどいってのはそういうところね
突っ込むだけ馬鹿らしい展開になる度合いが、狸よりひどい
永瀬批判も同じ人?
>>112 ならいいんだ
永瀬は威勢もいいし志はあるんだろうが、やってることがゴシップなのでガッカリする
あとeyckって何様w
久しぶりに見たらここはひどいな。
糞ねらーの集まりか。
かまってもらえて
>>2も嬉しいんだろう
>>114を見て感動の涙を流してると思うよ
>>88 >「自演じゃないですよ」
2ちゃん語全開で言われても説得力ないな
そこまで特定ネタをやりたい?
土屋とか石岡とかの話題が嫌なんじゃね
ちっちっちっ
古谷以外の話題が出るとすぐ特定だし
廃墟化するのもしょうがねえよなあ、こういう流れになると
じゃあ最近の岡崎について
昨日林道郎の講演を聴いてきた。面白かった。石岡氏も聞きに来てたね。
頭の様子ですぐ分かった。
ミニマリズムとポストミニマリズムにおける彫刻について主に話して、それにヴィデオを絡めた感じ。
クラウスのヴィデオや彫刻に関する議論も参照しながら。
なるほど。絵画は二度死ぬシリーズっぽい話か。
展覧会とカタログはどんなだった?
展覧会はなかなか充実してると思う。今の時代よくこんな展覧会ができたもんだと思った。
林氏もかなり褒めてた。これだけ60年代、70年代の重要なヴィデオ作品を集めた展覧会は国内外で見たことがないと言ってた。
カタログもよく出来ていると思う。
カタログいくらだっけ?
古谷とか永瀬はこういうのに興味なさそうだな
1500円くらいだったかな?
確かにフルヤンや永瀬とは縁のない世界だなw
そんな安いのか。3000円ぐらいかと思ってたぜ。買うか。
訳はどう?
フルヤン普通に個展やりそうだよな……
レシートみたら、1400円だった。
石岡氏の訳したクラウス論文までしか読んでないけど、それは訳注もしっかりしてて訳も良かったとおもう。
ナイス禿だな
展覧会の方は、ちゃんと見ようとすると相当時間が掛かるよ。
4時間ぐらいいたけど、最後のほうは少しおざなりになってしまった。
ナウマンとか最初から最後まで見る必要はないのも多いけど。
ビデオアートってつべで見れそうじゃね?
4/26(日)「絵画を再起動する」対談:千葉雅也×池田剛介
女性作家は半端なく褒めるな
女性なら映像作家でも褒めるんだろう
あれ、フルヤンもヴィデオ展見たいと言ってるんだな。今回逃がすと二度と見られない作品がいろいろあると
林氏も言ってたし、見に行ったほうがいいと思うけど。
阿修羅展はめちゃくちゃ混んでるから気をつけたほうがいい。平日の閉館一時間前くらいに行ったらある程度
余裕を持って見られた。池田亮司はガラガラだった。
ところで利部志穂ってそんなに面白いの?
としちゃんはすぐ、おねだりするなあ。
食生活を切り詰めるより、高い本とか買うのやめたらどうだい?
>利部志穂ってそんなに面白いの?
興奮するほどでもない
招待券はゲット出来たとしても、JRは無理だよフルヤン
ヴィデオ展カタログ欲しさに行ってきた。
貴重な映像たくさん観れてよかったが、
さすがに疲れたな。
時間のある人は何回かに分けて行ってもいいと思う。
欲を言えば、現代の作品ももう少し取り入れて
ああゆうヴィデオアートのその後の帰趨を辿れる
ようにして欲しかった。
疲れるよねえ。おれはもう一回ぐらいは行くつもり。
一回じゃなかなか見きれないね。
上野ならいい方法があるよ古谷。
上野公園で野宿すれば1日分の往復運賃が浮く。
今時分なら風邪をひくこともないだろう。
俺も貧乏学生の頃、上京してやった事がある。
なんと行きたくなるレスの応酬・・・!
これは俺も今月末に一度行かなくてはなるまい
153 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/20(月) 16:23:46
ビデオ展(笑)
おスノッブすぎだぜ。
>>153 スノは友達いないんだな
かわいそうに
おれ達ぐらいしか構ってくれないんだろうな
ヴィデ展、来てもいいよ
そんな展示行く暇ないし。
どうせ行く前からわかるし。
芸術は出尽くしているから。
黒瀬の新作論文がパンドラに載ってるようだが
レビューよろ
スノッブ有志が集まって上野公園で生活しよう
俺は嫌だけど
>>156 本屋で見たけど腹減ってたから読まなかった
今度読むわ
159 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/21(火) 01:04:59
このスレでは黒瀬は胡散臭いという事で満場一致しているが?
満場一致の意見なんか一つもない
162 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/21(火) 10:15:46
池田って吐き気がするほどきも知和類
履いちゃいそう
自分で気付いてないのか?
特に顔と肌質
そういうスレじゃないから
オカマって美意識から作家の容姿を叩くのが好きだよな
>>161 >>129 さすがに度が過ぎるし、不愉快になる気持ちも分かる。
池田の参加するものは、脈絡なく必ずここに貼られる訳でね
これで自演と思われない方が不思議だろう。気味の悪いイージーな宣伝だと思われても仕方がない。
ヴィデオ展のどこに池田が参加してるんだ?
貼った一人だが認定厨マジウザイ
スレを廃墟にしておきたいんだろう
たなみに俺は石岡、土屋、黒瀬と認定されてきました
俺は石岡認定されたことがあった
石岡は一体何人いるんだw
永瀬恭一ぱねっす
儀礼的関心ですね
容姿がキモイとか言い出したらきりがない
スレ主涙目
池田批判なら、あやふやな態度を疑いたい
永瀬がなんか書いたのか? と思ってブログチェックしていたけれど、
「アートのメルクマール」1・2について各人の反応についてコメントしてたのね
ざっと読んで
>>91のように思っていたのをやや修正したが、つまりこれは
商業出版(出版による収益)とそれに対する同人誌規模雑誌(RH)、
美術市場とそれに対する各大学の意欲的関与、それらをざっとマッピングする記事だったのか
うーん、池田の「(しかしながら)こういう「まとめ」には飽きてきています。」という感覚の方が近いな俺は
なんていうか、「出版」「同人」「その他動向」「市場」「大学」ってマス目に割り振って、
はい、いまこんな感じです、という情勢論ってとてもつまらないと思うのだが・・
おのずと認定君の利害が浮かび上がってくる
でも認定は不毛だし、今スレ最初の廃墟は最悪なので、どんどん貼った方がなんぼかまし
認定君=XXX=電波 だろうからな
自分以外の話題が嫌なんじゃね?
自分のためにスレがあってほしいんだろうw
「告知させてください」とか「管理人様、不適切でしたら削除願います」とか
わざと間抜けらしく定型文を添えたらどうだろう
それでも自演認定を免れないかもしれないけどやってみる価値はある
どんな手を打っても、認定厨はあることないことを理由に
無理矢理こじつけるだろうし、効果ないんじゃないかな
そもそもここで宣伝して動員効果があるかっていうとたいしたもんじゃないし、
宣伝疑惑なんてこじつけみたいなもんだろう
このこじつけにあってはリンク集すら「若手批評家宣伝乙w 本人紹介ww?」とかいくらでも言えることになるわな
認定厨・特定厨は「このスレはこんなに注目の的で、本人もレスしてるんですっ」
とスレに埋没してる自分の自意識を肥大させたいだけ
バトル系の少年漫画みたいな頭になってるんじゃねーの
このスレ20人くらいしか見てないだろ
いやー、20人も見てるって見込みはなかったな・・・
書き込んでるのが3,4人、見てるのが10人ってぐらいを想像してた
いや200人ぐらい見ている。書き込んでいるのは40人
この業界の関係者ほとんど見ていると思う。
古谷でググるとこのスレ出るし。
情報を知りたいと思うなら、このスレ見ちゃう。
何せ本人すら見ていたらしいから。
2ちゃんてもはや公器でさ。
おれが執拗にこのスレに書き込む理由はそこ。
そうやって意識改革していくんだ。
抑圧ともいうが。
電波君乙
妄想はたいがいにしてくれ
あと、お前さんは「俺に注目してデビューさせて〜」とか思ってるのかもしれないが、
だったら普通にRHなり何なりに投稿するなり努力しろ
ここはお前さんの巣スレではない
2ちゃんによってだんだんメディアが変質していく。
40代以下で自意識のある奴は、ほぼ全員見ているだろう。
嫌いな奴もいるだろうが、少なくともその存在は知っている。
リアルをコントロールしているのが2ちゃん。
実は今ってかなり思想が画一化されちゃっている。
ネット右翼とかってつまりそういうこと。
このスレも例外ではない。
古谷という微妙な人間によってリアルが動いている。
美術畑の人間はつねに古谷さんを意識していると思う。
誰も口に出さないだけで。
文芸誌の小説とか古谷的なセンスに答えているような
小説がここ数年増えているのに気づかない?
そうやっていつのまにか現実が動かされている。
ほかでもない、このスレによって!
あるとすれば、「東スレ住人でこっちを見ている人は数人はいる」説ぐらいじゃないかな
第一、古谷個人の注目度が高く、かつ、このスレが注目されているとしたら、
まず古谷のはてなキーワード登録がすでになりたってて、
暗に陽にスレ言及するブログぐらい出てくると思う
ぶっちゃけ、このスレは居酒屋の隅っこで議論っぽいことをしているというものだし、
「業界人が注目」とかマジありえねえ
黒瀬が言及したからって、2ちゃんだけで埋没してる馬鹿が調子づいてはいけない
黒瀬も言及しちゃったことは若干後悔してそうな気がするし
先週といい、火曜日も出没タイミングになったようだな
そろそろコテハンでもつけてくれね?
>>185 そうかなあ。
おれが業界人なら必ずチェック入れるけどなあ・・・
おれが編集者でもチェックするなあ。
2ちゃんの影響力は馬鹿にできない。
たしかに居酒屋だけど、偏在する居酒屋だから。
案外アンテナへ向けての発信源だったりする。
ブログもこのスレのおれの発言を受けたような
のがちらほら見えている。
フーコーを微分幾何で叩く、とか。
自意識のある大学生はたいてい見ていると思うし、
ある意味啓蒙のつもりでやっている側面もある。
評価のリファレンスに2ちゃんしかないお前と、それ以外の人脈・付き合いを持ってる業界人を一緒にするなよ
人脈論に逃げるなよ。
ひさしぶりに君の相手でもするか
なんか煽りっぽくないし、ちょっと本音っぽい言い回しのレスになってるからな
>業界人なら必ずチェック入れるけどなあ
横目でちらっと見る、ぐらいのチェックをしてる人はまあいないこともない、と思う
担当編集者とか古谷本人とかね
ただ、スレの傾向や扱えてる視角が全部あるわけじゃないし、偏りや不足はめちゃくちゃある
業界人であればあるほどその欠如の部分は感じやすいと思うね
だから「横目でちらっと」が主になるし、あと、自分の問題設定を抱えてる人はこの種のスレはそんなに見ない
古谷もスレ閲覧よりは読書や作品などとの付き合いの方がはるかに主軸だろうしね
>2ちゃんの影響力は馬鹿にできない。
そうでもないけどな
学術・理論系統にかぎるとして、2ちゃん黎明期のころはいわば「サイレント・マイノリティ」としての院生の認識、
みたいなものが見えやすかった面があるし、ある意味有意義な議論もなかったわけではないが、
現在の2ちゃんってかなり落ちてきてて、面白い影響力というのはないよ
ネガティブな影響力、完全にテンプレ化したようなやりとりの悪しき影響力ならあるだろうけども
>フーコーを微分幾何で叩く、とか。
ミシェル・セール以来のというか、厳密に科学用語から構造主義を理解していく立場は昔からあるから、
別にフーコーをそっちから突付くのは新しくも何でもない
ましてやエピステモロジーをかじってる人ならなおさら
>自意識のある大学生はたいてい見ていると思う
悪しき意味で、それは実情ではあると思う
永瀬のマッピング記事も、その読者層狙いの閉塞感が強く感じる
ハナから語るに平易な対象層を据えて、問題意識のない情勢論をやってしまうというね
「啓蒙」は言い訳にならないし、啓蒙と称した怠惰が浅田以来、定型と化してるな
で、そういう自意識ばかりが自己循環しがちな学生の傾向というのはかなり強く、
「業界マッピングには詳しいが、くだらないことしかいえない馬鹿」が増えてる
重力前後期の大杉の発言なんか、その意味で「学生みたいなやつだなあ」と思ったものだ
人脈っていったのは、個人的に会話や情勢理解についての評価や感想を交わす間柄をそいつらは持ってて、
そのリファレンスが2ちゃん一辺倒になることがないって意味だ
そんなこともわからないのか
>>191 そんなことより微分方程式解けるのか?
周りにいるのが似たようなスペックじゃ話にならんぞ。
話題すり替えしか能のない電波君乙
「そんなことより○○わかってるのか?」は便利だね
そんなことより構造主義とフーコーの関係を理解しているのか?
断言の山の連投荒らしよりマシだと思うよ
永瀬はしょっちゅうここを見てるはず
あんな恣意的なマッピングのソースはここしかありえない
すると実際の儀礼的無関心は石岡と永瀬だろう
ここに何人も石岡認定されたやつがいて、
永瀬のマップに不自然なぐらい石岡がいないのがエビデンス
永瀬がここ見てて、あのマッピング書いたってのは同感かな
悪しき意味で2ちゃん的自意識に傾いてあんな記事を書いたんだろう
その意味では黒瀬の苦笑的応答もわからんでもないんだよな
>すると実際の儀礼的無関心は石岡と永瀬だろう
それは思いつかなかったけど、鋭い指摘かもしれないw
まあでも、「お前、○○無視するなよ」は、割と言いやすいし、つねに言えるから、あんまりいってもしょうがないけどね
エビデンスと言いつつ妄想なのは否定しないw
でもあの永瀬図式は石岡を入れると崩壊するような気がした
色々な勢力に顔を出しているから
永瀬の関心では切り分けにくい人物でしょう
儀礼的無関心というか石岡と永瀬って接点が無さそうだが
興味ないからマッピングされてないんじゃないの?
>あんな恣意的なマッピング
そこだよな・・マッピング作業自体のまずさもあるが、
マッピングの偏りもよく考えるとおかしい
第一、俺は藤枝追ってないから内容知らないけど、
藤枝のやってる編著『絵画の制作学』が入ってないとか、永瀬のこだわりの推移からすると不自然だ
あと、マーケットやギャラリーとのつながり、それらが出版とどうつながってるかとか、
キュレーターの動向推移などの分析もない
池田が
>現在の日本の美術批評とその周辺の動きを捉える上で、おおよそ的確な見取り図となっているようにおもう。
>(...)様々な動きを束ね上げるような大きなメディアを想定することも難しい状況だ
と返しているが、これを的確だと言ってしまうあたりに、
彼らが自分たち付近の人間動向しかつかめてないことが反映されてるんじゃないかな
永瀬はこれに
>各アクションを統合的に統括する「大きなメディア」はなかなか難しい。
と返答したが、二人にとってこのスレが、一種擬似的にそういうメディアとして錯覚されてしまっているのでは
そういう効果があってしまった可能性も含めて、でも、これは
やっぱり2ちゃんスレの悪しき影響の方だと思う
>>199 互いに興味がなさそうな黒瀬・古谷の二人をくっつけて、
ここにあるのは互いへの儀礼的無関心である、とでっちあげたのが永瀬なんだから、
永瀬自身に「なるほど、お前は○○に対して"儀礼的無関心"をおこなっているのですねww」
と返してあげるのは、よくできた皮肉であると思う
つまり、その程度のいいかげんな話なんだよ、永瀬のいう儀礼的無関心ってやつは
むしろそこで永瀬自身の思惑や利害が見えるかのようだ、という邪推をしてからかって書いたのが
>>91
二人とも美術・アニメオタクなのは共通だけど黒瀬は小説に興味ないし、古谷はニコ動に興味ないんだよな
あと、恣意的なマッピングでいうと、
>若手研究者の活動の場として四谷アート・ステュディウムは機能している。
として四谷にかんする言及をあらかじめ「若手批評家の場」に限定してしまっているのも、
このスレからの悪しき影響だと思う
講師陣の方を見ると、四谷というのは平倉だけじゃなくて石岡も講師としても活躍しているし、
岡崎やスガも講師やってるし、不定期開催のTHEORY ROUNDTABLEでは林道郎、岡田温司がいるし、
岡田がらみを持ってくると阪大の総合人間学部あたりの動向もリンクしていると言えるんじゃないかな
また、建築農業工作ゼミでは中谷礼仁がいるわけで、
永瀬の記事はスレの「若手批評家リンク」的なこのスレのテンプレを暗に前提にしてしまってて、
はっきりいって楽な議論しかしてないのでは
あと、何気に誰も気にしてないが、たしか日野晃って大阪コミュニティカレッジ側とコミットあって、
東京じゃなくて大阪のほうはまた別の演劇・身体関係の動きもあるんだよな
四谷だけじゃなくていろいろあるんだが、そこも抜けてる
うーん、しかしこのスレでのマッピング空気を短文でまとめたものとしては割とできてるのかw
しかしそんなのを書かなくてもいいよ、と言いたくなるなあ
まとめサイトをやりたがる学生ブログじゃないんだからさ・・・
どっちにしろ美術業界ではマイナーな動きなんだからマッピング記事の一つや二つあってもいいんじゃない?
学生か?というのは同感だけど
205 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/21(火) 20:00:09
いやだから、俯瞰的なマッピングのつもりが永瀬自意識のたれ流し
ってオチだろ。
「儀礼的無関心」なんてマジックワード使えば
いくらでもリンク作れるんであって、
欲望の反映以外のなにものでもない。
>>198 >でもあの永瀬図式は石岡を入れると崩壊するような気がした
儀礼的無関心以外の箇所を見ると、
>既存の出版構造の中で、既に単著も出し安定した露出を見せるのが古谷利裕氏で、文芸批評を書く傍らで映画や美術に関するtxtも発表している。
>(...)数ジャンルを同時に批評しうる二人の多ジャンル性という大きな共通項で、美術言説だけでは収益性がない以上、この多ジャンル性は不可避
>(...)日本の美術批評が文芸批評に従属したものだというのは私が今期「組立」フリーペーパーで触れたモチーフだが、
>だとすれば思想地図+黒瀬陽平氏、文芸誌+古谷利裕氏という組み合わせは自然なものだろう。
この箇所は、紙面媒体と諸領域がどう配置されてるかって話だね
収益上、美術批評は成立できていないので他ジャンル化してると言ってるが、これは思いつきみたいな論理だと思う
ならば、映画批評が文芸誌に載ったりするのは美術批評と同じだとなるのか
批評が多ジャンル混交してるのは、批評自体に備わってる側面なんじゃないかな
80年代のころからたとえば浅田は映画、美術、文芸に書き散らしたわけだし、
蓮実は映画、文芸に書き散らしてきたわけだし、そういう慣習は昔からあるんだろう
暗に藤枝のイメージと対比して「多ジャンル化」と言ってるだけな気がするし、どこの世界もしんどいんじゃないか
論の発表経路にはいくつか隙間もあって、黒瀬も古谷も旧来的な経路からデビューしてないですね、
ってだけのことを、”二人のイメージを活動媒体から対比しましょう〜♪(対比するだけ)”したみたいな・・・
批評の諸系譜とそれぞれの媒体と、その経路ってところから見れば、別段不思議でもなんでもないし、
それこそ石岡だってあちこち首突っ込んでるよね
やっぱり永瀬の対黒瀬的自意識ばかり感じるわ・・・
池田が
>現在の日本の美術批評とその周辺の動きを捉える上で、おおよそ的確な見取り図となっているようにおもう。
>(...)様々な動きを束ね上げるような大きなメディアを想定することも難しい状況だ
と返しているが、これを的確だと言ってしまうあたりに、
彼らが自分たち付近の人間動向しかつかめてないことが反映されてるんじゃないかな
激しく同意 誰も叱りつけてやる人がいないし。池田って言い捨てばっかで根拠が何も見えない
つかここで名前挙がらない美術批評家なんて腐るほどいる訳だが
>>208 そうそう
良くも悪くも、総合スレ化発端は古谷/岡崎-四谷という軸だったから、
こういうリンク集になってしまったというのがあるわけで、いろんな意味で
実際の動きの反映がこのスレの見取り図にあるわけではないし、そこは住人の関心に沿って絞ってあるわけよね
もともと岡崎と四谷のスレが必要かどうかという経緯でこうなった
単独スレに反対多数だった
Bゼミスレと同様に荒れる可能性があるので、
当初「古谷は岡崎をどうも読めてない」という指摘が繰り返されたこともあって、
総合スレ化、という感じだったっけ
池田は学生時代、浅田の自主ゼミに出席してることを公の場で自慢げに語ってしまう子
>>202 知の欺瞞乙。
あの人たちアニメオタクじゃないからw
アニメをろくに見てないのに口だけはだしたくなるのは勘弁。
ソーカルしちゃうよ?
>>212 石岡の話題が多いのも、岡崎解説が発端だったはず
>>207 >叱りつけてやる人
で言うと、むしろ池田や永瀬たちは、変にこのスレの空気に影響されたり
あたかもこのスレのリンク集に状況の全体像があるなどといった勘違いをするよりは、
俯瞰図を書くなら書くで、実質的にこのスレを叱りつけるような水準のものを出してほしい
それは、別にこのスレを名指しにして批判するということではなく、
議論水準におけるこのスレの盲点・欠点から一つのパースペクティブを突きつけるといったことや、
業界世間話みたいなレベルじゃない議論をするということだ
そういう類の記事ではないけど、たとえば石岡の文化資本に関するブログ記事などの方が
よっぽど背面からなんというか、(スレに対してだったり状況をとりまいている空気に対してだったりに)叱りつけている面白さがあるんだけどな
なんていうか、「それじゃだめだろ・・・」感を池田や永瀬に感じてしまう
>>213 ああ、そうだったのか、それは知らなかったな
藤枝・浅田対談の企画をやったのはそういうつながりが効いてたのか
>>215 そういやそうだったね
岡崎受容問題と、岡崎論旨整理問題の線で石岡言及が出てきて、
あと古谷による気持ち悪い石岡無言及とかがあって〜 だったか
また、古谷と平倉の話から映画批評絡みの話が多くなったんだったな
アニメぐらいきちんと見て批評してよ。
それが礼儀ってもんでしょ。筋通しなさいよ。
アクエリオンで対抗ってまさにソーカル(科学者としての雑魚的に考えて)
電波君にレスしちゃ荒れるからよせってw
コイルよりかはマシ。
別に誉めてはいない。
アニメを見るから勝ちって変だろ
浅田みたいな人が、見たら負けみたいに言いがちだから逆手にとってるんだろうけど
具体的な分析しない限り古谷に勝てないだろ
いつ古谷さんが具体的な分析をしたっけ?
フルヤンに勝負を挑んでどうするの
でも今ノッテイルじゃん。
いい加減馬鹿は放っておけばいいと思うよ
勝手なイメージだと石岡はアニメも相当見た上でにわかと自称しそうだ
ある意味、にわかと自称する介入のあり方は、柄谷的批評(共同体に対する社会・交通)から考えると
批評の立ち位置としては別におかしくはないんだけどな
にわかという装いにおいても、古谷と石岡は対照的なのかもしれないね
西部劇のチョイスからしてあやしい
交通w
いいかげんダサいってことに気づけ。
石岡は知らない。
ま、アニメ見てお勉強すればいいと思うよ。
得意の趣味のお勉強をね。
使えないクズ。
念のため。
罵倒のあて先は石岡個人ではない。
レスミス。
批評が個人罵倒になったらオシマイ。
あくまで叩くのはポモだから。
柄谷用語なんだから語彙選択はしょうがないだろ
一応マルクス用語から援用してるものだし、造語的にこっちが言い換える方がかえって気持ち悪いと思うが
それとは別に、柄谷の構造/構造以前の交通 って図式はいろいろ微妙な問題がある気がする
基礎知識すら知らないで機械工学知識をあたりかまわず自慢したい人は、アニメ板でもいけば?
教祖みたいになれるかもよ
ほんと自分の思い通りのレスじゃないと駄々こねるお子様だなあ
気分は「僕の思想を世界に発信!」ですか、うわーw
>>232 いや、ベティカー見てるだけで断定するわけにもいかないけどね
まあでも、誰しもにわかなのか玄人なのか怪しい不分明な閾にあるわけで、
石岡のにわか自称は「ふつつかものの新人ですが、お願いします」的挨拶ぐらいに読んでおけばいいんじゃないかと
アニメを評価する人は広い意味でポストモダンだろう
罵倒対象を間違いすぎ
岡崎も古谷もみんなアニメ嫌いとはいってないし
ようはかなり硬直した藤枝みたいなやつにしか使えない批判
この電波を自動あぼーん処理にしてくれる便利な機能ってないものかねえ
基礎知識は今勉強していますよ。
アマゾンから届いた、批評歴史のコンパクトにまとまった洋書読んでいます。
まあ、批評じたいが基礎知識の上の洒落ですが。
マルクスが古典派の上にあるように。
マルクスや柄谷ばかり読んでいても、何もわかりませんよ。
何かいえた気になるだけです。
しかも柄谷のいう構造って要は、群論とかのことでしょ。
準同型性とか。まあ私も数学はすでに忘れつつありますが。
皮肉で言ってるってわからないとは、相当頭に血が上ってるなw
また、レスに毎回スノッブを署名代わりに入れてくれよ そしたら君にとってここは居心地がよくなるから
>>236 ドゥルーズのシネマを参考に映画を見てたという発言が肝だろう
ああ、そっちね
まあでも、いいじゃないの、シネマを補助線にしても・・ぐらいに思うけども
ポストモダンって時代区分のことですよ。
もともと建築から出てきた用語です。
アメリカだとポストモダニズムとしてリベラルとほとんど同義です。
あっちでは失笑単語みたいですよ。
アニメはただの表現です。それ以上でも以下でもない。
ポストモダンとか気味の悪い単語をくっつけないで。
それ以上でもそれ以下でもないアニメを特権的に言及する理由を述べよ
>>241 こっちも皮肉ですが。おまえもなー。
あと、シネマってクズ本。
日本語でちらっと読んでみましたが、読解不能に近い。
まあいわんとしていることはおおよそ分かった。
ベルグソンを持ち出しての煙に巻き具合がナイス。
そこは面白い。ただギャグが足らない。
電波は山形とか転叫院みたいな肩書きにコロッとやられる典型的なアレ
すげーw ポモ名指しして叩き始めたのは電波君自身なのに、
「それがポモだから」が今度は批判理由になってる
人物Xはポモだとされている→ポモだから駄目 のループか
トートロジーになってますね
っていうか、柄谷がローティ的なポモ=文化左翼の批判対象にされるって、かなりズレてるし、
柄谷はそういうポストモダニズムを批判することばかりやっていたんだが
「〜とされている」という気分だけが命なんですね、わかります
なんで電波君このスレに沸くん?
古谷スレに常駐する理由がちっとも見当たらないのだが
ブログでもやって、理路整然と自分の関心と論点を提示した方がブログ間付き合いが生まれて
君にとってよっぽど面白いことができそうなのに
トートロジーという言葉を使いたがるのがポモの特徴。
批評は気分のなかで書かれる。
>>249 大きなお世話。
ブログはすでにやってます。
といっても批評とは関係がないからわからないよ。
ここに常駐するのはこのスレが支配力をもっているから。
批評やるような連中はここを見るでしょ。
>支配力
もってねーよw
お前さんの中でスレが支配力を強めているという事態になってることはわかったが、
にもかかわらず荒らし扱いにしかされてない実情は、なるほど
支配力のある場所でおこなう最適な行動がこれだということですね
支配力はあると思うけどね。
実際Hスレとして有名化しつつある・・・・
気分で書いてんのどっちだよ、
って言われたくなければ
>>245に答えてね
特権的という言葉がすでに痛いのでパス
いや・・・正直、黒瀬、長瀬、池田がこのスレを見ているのは事実だろうが、
かといって彼らの行動に多大な影響力をもてているわけではない
彼らには彼らの背景があって、大体は既存の批評言説がそれで、それらを漠然と敷衍してるわけね
既存言説の方が影響力があると言っていいんじゃないかな
で、彼らはものすごく半端に言説空間と折り合いをつけたり、自意識で横目で見てるので、
このスレのリンク集的なものににコロっと便乗するという悲惨なことになってるだけ
支配力、と言うのなら、それこそドゥルーズやら柄谷やらブルデューやらフーコーやら、
阿部やら岡崎やら藤枝やら・・・という言説の様々な蓄積の方が圧倒的に主導してると思う
実際スモールワールドだからこのスレの影響力はかなりあるよ
スノッブスレだからまともな人は読めない。
ただスノッブということで、お前らスノッブやめたくなるだろ?
こうしておれが世界を変える。
>>256 じゃあ、
>>245の「特権的」を「集中的」に入れ替えてもいい
アニメ論に言及が集中する理由を述べよ
ただ、前スレ505や543で
>広い意味で絵の追求なら、漫画やアニメを無視できないと思う。
>高度に発達した現代絵画は日本の商業アニメと見分けがつかない。
とか吹きまくったくせに、いまさらよく言うよな
ほんと獲る狸並の言い訳ばっかりだ
>>260 批評家がアニメに集中的に言及しているなんて事態はないよ。
文芸誌見てみろ。
>>259 まあがんばって2ちゃんで世界変革でも何でもやってくれ
だが、注目スレぐらい自分で作れば?
実際、面白いスレなら人も寄ってくるだろうし、古谷スレよりも注目ぐらい浴びるだろう
人に便乗しなきゃ何もできないカスは、自意識だけは立派だな
それ以前に人文的批評じたいが消滅しつつある。
すべてインチキだったからな。
これからは頭のいい奴が批評をやる。
社会の楽しみ方のひとつになる。
新しいエンタメ。
まあ、知的エリートの娯楽。
といってもベンヤミン、柄谷知っていますの雑学博士には用はない。
>>261 おいおい、またこじつけですり替えか
>>245は>244に宛てられたレスなんだから、主語は君だ
というわけで、
それ以上でもそれ以下でもないアニメを君が集中的に言及する理由を述べよ
いつから批評家一般の話になったんだ
結局、自分でスレなりブログなりを盛り上げることもできない非力なお子様の駄弁か
がんばって他スレで世界変革してね
とモノを知らない無知が怒っております。
もう話題すり替えで優越感にひたるレスはいいから
まともに問いにも答えられない君が影響力を与えれれると本気で思ってるの?
そういうのは誰からも見向きもされない
269 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/21(火) 22:31:43
こうなった理由は単純で、電波がスレ立てに成功してテンプレ貼らずに粘着できると勘違いしたから
俺は試みたがurl入りレス規制のせいで防げなかった
World is mine.
俺もurl入りレス規制のせいで詰まったことが一度あったな
いずれにせよ、古谷スレもかつては過疎スレだったのだし、
面白い議論なり論述なりがあれば人がやってきてやりとりぐらいになるだろうから、その人次第だろう
電波がこのスレで面白いやりとりどころか不毛なログ消費にしかならず、荒らし扱いなのを考えれば、
たとえ「古谷スレは注目されている」というのを百歩譲って踏まえたとしても、
「注目されている古谷スレで荒らしだけを続けているどうしようもない人」という位置にある
しかし
>>187のように「俺は啓蒙している」という妄想で糊塗し続けているのなら、本当に病院に行ったほうがいい
というか、そもそも人のレスに対しtごまかしとすり替えとこじつけでしか応答できない人の議論が
注目されたり、ましてや支配力を持つことなどありえない話なんだがな
どこまでおめでたい頭をすればこういう勘違いをし続けられるんだ
259 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/21(火) 21:50:47
実際スモールワールドだからこのスレの影響力はかなりあるよ
はあ? 2ch脳末期
環ん先生の最新刊とか読んでみようかな
本業は医師っていう戦略的迂回(をしていないかもしれませんが)がポジチブに効いていそうな気がする環ん先生の場合
肩書きしか見てないんだな
275 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/22(水) 01:56:02
>>274 肩書きを見たら肩書きしか見てないってことにするのか馬鹿は
Hスレって古谷スレのことじゃないと思うんだが・・
278 :
107:2009/04/22(水) 06:31:01
>>108 というわけで昨日、こっちでもエネルギーを費やしておいた
これで勘弁しておくれ
279 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/22(水) 07:14:18
大巨匠である彦坂さんの話を聞きたいのですが・・
>>276 そう? 他に想起したスレとかあったのかな
俺はガチで古谷スレのことだと思った
とはいえ、黒瀬の言ってることは「古谷スレの悪癖と似たようなノリで平気でよくこの人(永瀬)は書くもんだね、呆れた」
ぐらいのことだし、俺が当事者なら黒瀬と同様にカチンときそうだけどな
永瀬の意図はどうあれ、ああいう書かれ方をしたら、書かれた当人には永瀬が
「業界通が高じて黒幕になりたがる自意識馬鹿」みたいに見えるのは当然だと思う
永瀬の記事がたとえば「僕は古谷氏と黒瀬氏の二人は現在の批評言説の状況がよく見える対比なのではないか。
この図から考えられることは意外に多いのかもしれない。たとえばこんなことを考えてみた」
というふうにはじまり、批評の諸系譜やその吟味、刺激的な論考などとして展開されていたのならばともかく、
あんなフィクサーきどりの業界人自意識と自分の欲望を人に投影して
さも中立のように自分の立場を透明にして自分の党派的な欲望を暗に陽に書いてしまっては、
その人形劇のコマに使われた人間にはたまったもんじゃないだろう
何気に彦坂も永瀬マッピングで思い切り漏れてる人だよな
このスレのテンプレはもともとは古谷-藤枝/樫村/岡崎という図からはじまってるものだから、
岡崎近辺の「若手批評家リンク集」って面があって、漏れてる人間はめちゃくちゃ多いんだしね
もちろん、網羅を目的にしているわけじゃないのだから、絞ってあるのは別にいいいわけだが
だ、だめだ・・・・w
>>281と書いてしまった手前、ひさしぶりに彦坂ブログを新規記事から順に見ていったが、
北野誠についての記述で人相学みたいになっていく上、
象徴界/現実界/想像界の語彙の使い方があまりに独特すぎるし、
しかも無茶援用なのに言ってることは単純に聞こえて仕方がない
前々から彦坂ブログは苦手なんだが、
>《想像界》の眼で《第41次元》のデザイン的人格
とかこういう記述をスルーし続けて読むのは大変すぎる
石岡スルーを含めて、四谷オワタと言いたいのが欲望かね
>もちろん、諸戦線は複雑な形態をなしており、塹壕は意外な場所で連結/分断されている(このエントリの欲望は、一見無関係な文脈にあるものが意外な連結をし、逆に別な所では分断が起きていることを示すことにある)。
>そもそもそれまで中心だったと思われていた場所の陥落スピードがあまりに早く、周辺→中心という交代劇自体がなりたたなくなりつつある。
そこの段落を、引用されて初めてじっくり読んだが・・・・
論旨がぐちゃぐちゃで、それこそ永瀬の欲望ぐらいしか明確にならないね
>特徴的な事は、各カテゴリ−すなわちジャーナル、マーケット、アカデミーが
>現状の経済情勢という下部構造の地盤沈下に苦戦しながら、というかそれ故に、
>潜在的に現れていたバラバラな各タレント(才能)を再-属領化し、
>自らの活性化につなげていこうとする構造的展開
これって上記三領域に関わるのは、再領土化(=制度化とされているように読めてならない)で、
>それまで中心だったと思われていた場所の陥落スピードがあまりに早く、
>周辺→中心という交代劇自体がなりたたなくなりつつある。
とつなげられ、制度化によって「エネルギーが失われ過去のものになりまあす」という宣告にしか読めないし、
その上で
>繰り返すが、問題は制度化ではない
などと言われても嘘つけ、としか思わん
ここは切実だなw
>多くの(若い)作家は正直に盲目に作品制作に邁進して殆どの人が人生の貴重な時期を棒にふり、たまたま幸運な人がわずかな期間メディアに載せられて数年で忘れられます。
286 :
284:2009/04/22(水) 10:55:41
最後の段落は、論の運びに息切れしてるくせに自分のアリバイだけはほしくて
言い訳を先に打ってごまかしている気がしてならない
潜在的エネルギー/制度化の対立に根ざしつつも、それ以外の発想ができないでいて、
しかし人からそう言われたくないし、代替論も出せないけど自分はそうじゃないと自称だけはしておきたいという
制度化されて「陥落」すると言うが、その自分は絶対に「陥落」しない立場として傍観できるっていう神みたいな話だろう
やっぱり業界通気取りのゴミ記事なんじゃない?
多領域に対して中立を装い軽率で平易なラベリングを平気で行い、終わりさえも通告できるが、
その自分はつねにそれを免れることができる、というただの一方的な暴力性を筆記しているだけではないか
うんうん、岡崎なり何なりを知ったような口で、カテゴライズしてまともにぶつかりもせず、
藤枝、サワラギ、岡崎、云々という業界通史的まとめでぶった切ってはいおしまい、
と(実質的に)それで済ましたように、つねにあらゆるものを「再-属領化」しておのれの楽ちんな話にまとめあげてるのでは
「交代劇」という言葉がなかなか皮肉な意味で示唆的だが、
この人はつねに劇の観客であって、劇のシナリオを書く側に回りたいだけの、
その上有意義な議論の何一つできないどうしようもない人間だと思う
きっと岡崎すらも、すでに「交代劇」では過去のシーンなんです〜 なんだろうね
最低の発想だ
チンポム事件とか一切絡めないのも謎と言えば謎だろう
四谷とRHに対する自意識過剰エントリですな
288 :
284:2009/04/22(水) 11:06:08
>>285 「追記」のとこか
そこはその直前の「タグ付けによるソート」云々からつながってるけど、
タグ付けってのは、要するにキーワードを付属させることだよね
そのキーワードによってコンテンツ間を接続できるっていう
そういうのは批評言説も含めて存在し、そういう作業を制作や作品につなげておくと
作家としての生き残りには役に立ちますよ、って話だな
まあそれはそのとおりなのだろう
マッピング記事も、批評や論立てとして読むと半端きわまる悲惨な記事にしか見えないが、
「こっちのみーずはあーまいぞ〜」「このあたりで仕事が沸きそうじゃね?」
っていうアンテナ観測結果を人に伝えてるだけの記事だと思えば、割とすんなり読める
役に立つかどうかは知らんが
やっぱり永瀬自身の処世術(についてという意味の/記事発表自体が自己宣伝になるという意味の)記事なんじゃないの
289 :
284:2009/04/22(水) 11:14:49
>>287 両者に関わってるわけじゃないし、でもその二つは(少なくともこのスレ的には)注目されてて自分は影薄いし、
という所感のなかにありながら、それでも「ほら、僕を見て、僕」の自意識を発露をさせようと、
"いろいろな活動が展開されていますが、再領土化されることでしょう、さあ、次は何かな?"と
超越的に振舞って状況に対して優位性を獲得しようとしたって感じだね
中身は「古谷スレログまとめ」みたいな水準(つまり別に刺激的でもない物見高い業界動向集)でありながら、
さも超然かのように振舞えるマジック
すっげえ下劣なことをやってるように思うのだが・・・・
290 :
284:2009/04/22(水) 11:20:23
状況に遅れまいと状況物知りになることに呑まれていってしかも問題設定をぼんやりさせた典型じゃないかなあ
頭がいいことをアピールしようとして状況解説のための状況論をただただ邁進する、っていう
単に自意識が肥大したような話って最近多いよね
「僕、業界認識が秀でてる」ランキング競争なんかやっても不毛だってのがわかんないのかなこの人
作品について執拗に論じた方がよっぽど射程を手にできるんじゃないか
俺はそういう意味では有賀が最近はじめた岡崎絵画作品の読解記事の方がよっぽど関心をもてる
ttp://d.hatena.ne.jp/argfm/20090420
永瀬の想定層がこれ読んだら、かえって「作家は黙って作品を作れ」という気分になるんじゃないのかw
>しかし、例えば22才で今春美大を卒業した人、あるいは18才で美術学校に入学した人が、そこから一歩を踏み出そうとするとき、ざっくりとした指標があるとないとでは大違いな筈です。
>>290 古谷や永瀬の岡崎総括?をひっくり返しそうな期待があるな
293 :
284:2009/04/22(水) 11:27:26
>>291 まあ好意的にも意地悪にも読めるけど、意地悪に読むと、
「人から伝えられた「指標」なしでは制作できないやつなんかどうしようもないだろ
→ 指標なんて要らないよ」
みたいに受け止められるんじゃね? とは思うね
というか、こういう作品を模索しよう云々、
美術史のなかにある自分に納得できる制作のあり方に沿っていこう云々
をまったく考えないタイプの作家って(前批判的な水準をのぞけば)いないだろ・・・
むしろ永瀬にはその「美術史をどう考えるか」というのがすっぽり欠落しているがゆえに
無節操な業界追跡情熱に駆り立てられ、
しかも平易なラベリングだけで諸動向を済ませるお手軽業界便乗作戦しか説けなくなってるんじゃないか
この人、ものすごく無時間的に、すでに問いを捨てて「様々なる意匠」の世界にいるような気がする
294 :
284:2009/04/22(水) 11:30:00
>永瀬の岡崎総括?
まあ、あれを真に受けている層はあまりいないだろうし、
誰しもが「あんなもん、学部一年生向けの利いた風な解説文だね」ぐらいに思ってるだろうから、
総括は実際のところされてないだろうけど、
業界意識などに興味がない有賀のほうがよほど先手を打てているという皮肉なことになっている
業界物知りになっても無意味だといういい例というかw
永瀬ブログ「eyck」の名前負け感が半端ない
盲目に作品制作に邁進することが人生を棒に振ることだとは思えない
くだらない記事書くよりはマシ
現に古谷はそうやって棒に振りかけた
制作してなきゃ批評家にもなってないから結果的に良かったが、
画家としては駄目でしょう
298 :
284:2009/04/22(水) 11:41:02
>>113じゃ永瀬には志はあるし、と言われたけど、
俺はやっぱり
>>91等で言ったように永瀬には志をぜんぜん感じないんだよね
>>92に返答しておくと、「卑屈」というのは、
知ったような浅い業界通史ばかりを繰り返して実質的に状況に対してイエスマンとして振舞った磯田光一
に対する柄谷の評を思い出して言ってた
「70年くらいまでの印象では、磯田さんは卑屈に見えたね。
磯田さんはいわば極端に役割を演じていて、誰に対しても何に対しても理解する、というかたちで書いていました。
印象としては、だから卑屈に見えた。(....)彼は、どの人もそれなりに評価し整理しうる
ポジションを持ってまして、そこから批評するでしょう。八方美人に見えるんですよ。」
(秋山駿との対談、1987年。ダイアローグIV、p.159)
もちろん、単に無理解であれとか、単に喧嘩しろというわけではなく、
そいつの問題設定が見えない状況解説者って卑屈な(しかしながら尊大な)イエスマンにしか見えないんだよ
299 :
284:2009/04/22(水) 11:42:37
298に付記しておくと、磯田の不気味なまでの八方美人性に比べると、
むしろ永瀬の場合は中立を装った党派的欲望 の方が目に付くから、そっちもやばいんだけどねw
日本の学芸員みたいなもんだなw
301 :
284:2009/04/22(水) 11:44:09
>>296 俺はこうやって(ネットで?)プレゼンスを獲得できてるから、あいつらとは違うんだぜ〜
的な自己慰撫、自己救済の欲望で永瀬は書いてるんじゃねーの って邪推をしたくなるよね
日本の学芸員はそろそろ中立を気取るのをやめるべき
303 :
284:2009/04/22(水) 11:51:00
>>297 古谷が棒を振りかけたのは、作家として制作に付き合ってた姿勢の問題もあると思うw
俺はどっちかというと何らかのかたちではあれ、美術史のなかで考えて試行錯誤すべきじゃないかな、と思うので、
永瀬の言うタグ付け云々はともかく、制作一本ってのはありだとは思うけどね
生存術としてはどっちがいいのかはよくわからん
304 :
284:2009/04/22(水) 11:54:06
>>302 いわばその矮小形として「まとめサイト」的中立性と問題設定の放棄、がいま爆発してるのかもね
>>301 そうだね
でも結局最後は作品の質が問われる
でも結局古谷は棒に振ったままだと思うけどなあ
セザンヌやマティスの捉え方を変えないと駄目そう
セザンヌやマティスにこだわりすぎなんじゃないの
こだわり方が藤枝的すぎるんじゃないか
二人とも題材が重要だけど、裸婦とか絶対古谷はやらないだろ
フルヤンは「フレーム」を禁句にした方が前に進めるんじゃないかな
一日みないだけでこのスレ驚くほど伸びてるな
やっぱり200人説は正しいのかw
>>310 持続性がないでしょ
マティスの連作はモデルがいないと無理
セザンヌの水浴図も変な抑圧のおかげで面白い絵になった
>>311 コアで平日自由な人が多いだけ。たまにチャット状態だし
>>287 RHってこりずにまた出すのか?w
確実に黒瀬と伊藤の趣味本になっていくんだろから、カワネ
RHは出ない方が駄目だろ
HスレってRHのことか
同人誌って相当金かかると思うんだが、よく次々出せるな
伊藤ブログにある、RHドリームナイトとかいうのの批評文がまじ低レベル
こいつら何がやりたいのかさっぱり
同人誌なんだから自腹覚悟で、売上を次号につぎ込むんじゃないの
>>317 あんたは池田叩きにも言えるが、ちゃんと具体的につついてほしい
どこが駄目とか言わないとゴシップスレになってしまう
池田なんて叩いてない。これでゴシップならここはとっくにゴシップスレだろ
うRL貼るのは酷だから自分でみるといい。ブログに載ってる。
百円ショップかなんかの物を使って即席に作品を作らせるイベントだっけ?
伊藤の連想ゲームみたいな批評文も吹飯ものだが、これを教育と称しているあたりにRHの素人開き直りが顕著
見たけど、たんにあんたが伊藤嫌いなだけじゃん
あれは可も不可もなくっていう文章で、かなりどうでもいい
噴飯ものってほど心が動くのはすげーと思う
古谷は腹を括って近代文学を色々読むとよい
そういや石岡blog最近更新ないな
召喚魔法ktkr
召還魔法が成功してるようなのだがw
それならまだしも日本近代アニメを見たほうがいい。
柄谷もいっている。もう文学はダメだって。
大江のアレは萌えとしてもよく書けているが、アニメはもうそういう次元を超えている。
いや、正確には超えていた。
今のアニメはダメ。つまらなくなっている。
もうアニメも終わりだろうな。文化じたいが終焉しているから。
変なの召喚されたw
異物を排除しようとするな。
それでもポモか。
ポモ思想は、疑似科学と「リベラル批判をするリベラル」の二つに分解できる。
前者はソーカルと分析哲学でアウト、後者はネトウヨを生み出した。
ドゥルーズをファシストと呼んだのは、バディウだが、彼のポモ批判は必聴だらう。
カキ氷で頭が痛い。
現代アート=擬似アニメ
・村上、奈良
ルネサンス(ダビンチ)→セザンヌ→マティス→ポロック→オカザキ→古谷→アニメ
ポモが科学に落ち着いたように、
芸術も最終的にアニメに落ち着いた。
古谷は、エヴァの絵コンテから学ぶものはあるといっている。
5時キッカリに仕事が終わるなんて、スノは公務員かよw
しかも終わってすぐレス(仕事中は参加しない)って、どんだけ真面目な奴なんだw
岡崎の後に古谷ってねえよw
あんたは、柄谷も言ってるとか古谷も言ってるとかそんなのが多過ぎ。
で、こちらからの問い掛けに反論出来なくなると「じゃあさじゃあさ!お前ら化学式解けるのかよ!」
って小学生かとww
分析哲学も具体性のない言及だよな
その、終わっているアニメを、お前さんは作るんだろ?
その時はKワークスの二の舞だろうな
おれ達はカウンセラーじゃないんだよ
とりあえず仕事お疲れ
メシ食っとけ
病人にはもっと相応しい場所があるよ
>問い掛けに反論出来なくなると
っていうレベルじゃなくて、そのはるか前に小学生反応するからな・・・
「なるほど、じゃあ論点をちょっと明確にしてもらおう。どういう意味で言ってるんだ?」
ぐらいの問いかけでもう音を上げる
で、ただの断言の羅列と「誰々も言ってる」などの連発
これは論立てができないと自称しているようなものだ
そもそも山形などがポモ批判をしたときに敵として念頭にあったのは
「議論になっていないレトリカルな断言癖」みたいなものも含むわけで、
電波小学生は、自分が同じ穴の狢だと自分で言ってるようなものなんだが
前批判的なレベルのレスしか出さない馬鹿に付き合うこともないだろう
落ち着け。
論立てなどいちいち教えてもらうことはない。
論点を明確にするコストとか計算しないのか?
わかるやつだけにわかる文章を書いている。
鼻から頭の固まったお前には書いてない。
話のすり替えとゴリ押しだけで返答する馬鹿が何言ってるんだ?
議論介入の仕方が毎回実に拙劣だし、言いっぱなしの断言の羅列だらけになってる
お前はしたいのは「啓蒙」じゃなくて「教化」だろう
あらかじめ教祖のように断言を受け入れてくれる人にしか通用しない
かなり前にスレに理系の人がいたが、あの人がしたお前への指摘はいまだに有効で、
基本的な忠告はあそこですでに出ている
あの人は呆れきったから相手にしなかったんだろうがな
本当にお前、病院いった方がいいぞ
前に分裂病気味の人とメッセでやりとりをしたことがあったが、君とところどころ似たものがある
人のブログを見て、「これは俺の影響だ!」とか・・
まあ、その手の人には言っても言っても何の効果も無かったが…
実は、批評というジャンルは、エンタメとしてかなり可能性がある。
大人向けコンテンツとして。
社会を変えることは、おれたち凡人にはできない。
ただ、出てくるものを変えることはでき、そのひとつが批評や評論と
いった情報のコントロールだ。
十年前はそれは夢物語だった。
本や雑誌しかなかった。同人雑誌を作っても所詮誰も読まない。
しかし今やネットがある。
このスレは美術雑誌より読まれているのではないか?
メディアをコントロールすることで、社会は変えられる。
そのことに気づいたときおれは正直なところ少し面白いと感じた。
とはいえ、批評や評論の世界は、政治系と専門系を除けば、
人文的なものが大半だった。これはネットで変わったが、
文化を論じるときいまだにその界隈の語彙を使うアホは絶えない。
このままでは文化は活気がなくなる。
東浩紀がお得意のポモタームを封印した理由はそこで、彼は信用できる男だ。
古谷さんもラカン本を窓から投げ捨てることからはじめてもらいたい。
せっかく認知科学づいているんだから、幽霊やフレームなどをもっと
脳や認知から検証していくことはいかがか。
妄想乙
いいから死ねよお前
ま、このスレが廃墟になるのはこの病人が巣食ってるかぎり不可避なようだな
またしばらくこのスレから消えるわ俺
さいなら
病人はここでずっと吠えてるといいよ
せいぜい「俺は有名人」とか誇っていてくれ
>>347 というか、品質管理だよ。
ヤマカンとかシネフィルが出てきて、アニメが詰まらない方向になりつつある。
今後も似たような連中が出てくるだろう。
それをあらかじめ「おまえ、それ痛いよw」と釘を刺すことで、
出てこないようにする。
このスレはその計画のいくつかのプロジェクトのひとつでしかない。
お前と話なんかする意図はないよ。
文化は水ものだからね。案外有効な手だよ。
>>349 低脳乙。一生意味不明なアート議論やっててください。
迫り来る脳科学に怯えながらね。
よかったね、ここがきみのあたらしいすだよ!
>>350 煽りに弱すぎるって
あんたの良くないところだと思うよ
脳科学は十九世紀以来ずっと迫ってきたことになってるのでよろ
勘違いしている連中がいるが、
文化批評とは、品質管理の技術である。
作品の分析は、原理的には自分の脳と作品の分析でしかない。
古谷さんがやっていることは、彼の脳の仕組みの素人実験、観察だ。
では、文化批評とは?
それは、自分の意図した方向へ文化をコントロールするための
行為を意味する。
「おまえ、それつまんねー」ということは感情の報告であり、同時に
作家へのパンチだ。
その高尚なバージョン(といっても知の欺瞞とどっこい程度)が文化
批評だ。
馬鹿馬鹿しいが、品質を管理するには未だこうした原始的手段しか
ない。
批評の論理の精緻化など二の次、5の次だ。
まずはパンチ。話はそれからだ!
いや、俺が完無視してても、周りが延々つきあって、どんどんログ消費が進んでる
単に相手にしなきゃいいのに、相手にするからそのたびに何度も同じようなやりとりが反復
過疎スレだからって馬鹿相手にするほど目線下げる必要は無いんだから、ほっとけばいい
そのくせ、廃墟化だ〜 誰々到来望む、とか虫が良すぎだろ
かといって自分で何らかの話題を引っ張る気も無いみたいだし、やる気なさすぎ
どうせこの馬鹿は浅田スレや古谷スレぐらいしか荒らしに来ないんだから
(2ちゃんにかぎらず)別のところ行けばいいだけのことだし、
馬鹿に付き合う面白さって何も無いでしょう
>>357 相手にしない場合、別の話題を書き込まないと駄目
ただの放置だと、このスレの初期のようなことになるだけですよ
おれは煽ってない。
お前らスノッブ頭にはそう響くだろう。実際そう計算している。
おれが話しているのは、お前たちじゃない。
批評という領域の外にいる連中だ。
ただし、批評に興味のある連中だ。
東浩紀や副島など批評の本筋に還る運動が最近ある。
この流れは今後加速していくだろう。
社会や文化を論じることは、真面目にやらないといけない。
もともと不真面目な行為だからだ。
だから、スノッブが一匹紛れ込んだだけで、馬鹿馬鹿しくなる。
これが80年代以降の日本。
真面目な議論やケンカが消えた。
文化人w微分方程式解ける?連立方程式解ける?wという空気が生まれたのは、
文化関係者にも責任はあると思う。
馬鹿が文化を論じ、ヤマカンみたいな才能のある人間も堕落していった。
その点昨日は久々に面白かった
永瀬検証につきるけども
>>359 >東浩紀や副島など批評の本筋に還る運動
これはひどい
副島コピペ貼ってるのはお前か
初期に戻ってもいいんじゃない?
永瀬のようなスレ傾向の陰画が出たことで、世間話を繰り返すことのつまらなさも歴然としてきているだろう
俺がそういうのに興味が特に希薄なだけかもしれないけど
mixiでも何でも移行すればいいだろうし、
話題投下しても、それこそ単に流れていって一言レスの中で終わるだけだし、
スレ傾向と古参住人レス慣習の悪循環が結構厳しくなってるように思う
あと、相手にしないならば話題を書き込む必要あり、というのはどうかな・・・
無視してればそれも要らないと俺は思ってるし、
むしろ、荒らし→話題投下→荒らし→別の話題投下・・・
という言及の詰めが甘い雑談だけが物見高くループする原因になっているように思う
俺は別に浅田スレをそんなに好んでるわけでもないけど、
単純に言っても、ここのレス見てて興味惹かれることがあまりにも乏しいよ
スレから離れる第一の理由は「書き込んでてもつまんない」ってのが、煽り抜きにしても大きい
ネットの偉大点は、言説を民主化し、オープンな議論を生んだ点だ。
それまでは大学テニュアの議論しかなかった。
それは、言説における競争原理だ。
馬鹿は相手にされず、頭のいい連中の言葉は遠くまで聞こえる。
ネットの登場は革命的で、歴史の節目のひとつといえる。
ネットの空気は、じょじょに静かに活字媒体や社会にも浸透している。
これが意味するところは、言説による現実の実効支配だ。
はてなの「非モテ」という言葉のように現実を再解釈していく。
ネット言説市場で勝つには、切れのあるパンチと科学的分析能力が不可欠だ。
なぜなら、科学的分析は気持ちいいし、それ自体エンタメだ。
パンチはネットなら痛くもない。むしろ快楽だ。
こうしてその種の言説だけが生き残る。
>>362 というか、あなたの場合は美術に関心薄いのかな?
>>364 それもちょっとあるけどw、それ以上に、あんまり情勢論に興味ないってのがあるかな・・・
有賀みたいな地味な作業の方が好きだし、
古谷への幾ばくか残ってる好意にしても、地味に作品と付き合ってるような姿勢なんだよね
あとおれの発言の大半はコピペだぞ。
浅田スレと古谷スレはそのリサイクル場所でしかない。
この二人はそれなりに好感のある人だが、
その信者にはスノッブがやたら多いので。
釘を刺すと効果はきっと出てくる。
ポモターム全滅の日は近い。
恥ずかしくて使えないようになる。
>>365 ダミッシュとかユベルマンとか、思想系の美術論の話題が少ないのが良くないんだと思った
ヴィデオ展カタログのテクストを検討したっていいはず
>>366 お前がスノッブなんだと思う
自覚ないでそ
エー子「デリダ・・・・いや、デリダ出すと痛いと思われちゃうわ。
私、恥をかきたくないもの。今お洒落なのは、ポモじゃないのよね」
お洒落競争=スノッブたちのしていること。
↓
批評の消滅←いまここ
今後、お洒落の場所が、科学やアニメになり、やっと正常化する。
つまり、思いのほか表象文化論っぽくないスレなんだと思うよ
>>367 気を遣わせて申し訳ないけど、
俺もチェックしているとも限らなかったりするから、応答できるとも限らなくて、
心細いというか「うむ、それなら」と即答できない悲しさが・・w
俺の関心も割と散漫だったり、たまたま読んでるものに主導されていたりするから、あまりフォローはできないのだ
かつて言及されたコミュにでも落ち合ってダベりながら(まず読書会というのではなく)議論の関心でも折り合わせていった方が、
ここでスレを数個消化するより面白い展開にできそうな気がするんだけどな
>>369 たった一レスで自己矛盾してるしw
つまりお前は「新しいオシャレとしての科学とアニメ」を主張している
しかしそれってポストモダンの基本ですが
>>371 mixiは超監視社会だから嫌いなのですよ
>>370 俺自身、表象やUTCPの動向や諸文脈に自信があるほどの理解があるわけでも、めちゃくちゃかぶるってわけでもないからねえ
>>373 いや、分岐的にコミュを特定ユーザー間だけで作って許可制参加・非公開仕様で
単にだべりの場所として使うって手もあるんで、
日記/全公開コミュ の二択だけじゃないやりようは割とある
何気にグーグル検索の対象にならないところも、痕跡消しには使いやすいから、
ぶっちゃけ、はてなのプライベートモードよりは使い勝手あるよ
>>374 分かったからそういう動向や諸文脈は、他所でやれ。
>>743 他人に頼るな。自分から検討しろよ。ほら、ほら。
>>375の付記
それでも残る「mixiって〜〜なところがちょっと気にかかる」というところがあるとすれば
非公開コミュだろうがなんだろうが、コミュ→ユーザー→その人の日記 という経路のあたりかな
これは、日記を廃墟化してmixiの日記でのコミットは「マイミクの日記へのコメだけにする」と人からはたどれなくなる、とか
日記を数個もつとか(携帯アドレスを複数個ないと使えない)、まあ手の打ちようはあるんだがな
ブログをやりつつも、mixi側とは完全独立させておいて、同じ人がやっているように思わせないようにしておけば、
「→ユーザー→その人の日記」をそこで潰せるし
永瀬の整理でも「アカデミズム」が相当いい加減だったような
オーソドックスな美術史の人とか、ガン無視のようだし
科学崇拝も困ったものだ…
クオリア厨のような副産物が生まれる
>>378 配慮ありがたいけど、グーグル避けとか特に関心ないのですよ
自分で言っておいてアレだけど、
まだヴィデオ展も見てないのでゴールデンウィークにいってみます
いや、俺もグーグル避けはあまり興味ないけど、グーグルは被監視不安の一つだったりするからな
実際のところその手のヲチしてるやつなんてそうそういないんだが
コミュ→日記で、身元ばれ、プロフばれ、交遊関係ばれ が嫌ならば、
一つの日記を廃墟化させるなり、事前にブログ側に移行させておいて廃墟化させるなり、という手があるということ
mixiだ、コミュだ、となるといきなり縛りがきつくなるという不安があるのならば、
それをある程度防ぐ段階的なやり方なり仕組みなりではじめれて、
縛りが必要なならばそれに応じて派生的な場所を設置すればいいだけのことでね
セクシスト乙
永瀬は表象と芸術人類学にしか興味ないのかよ
386 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/22(水) 23:04:42
ナガセは放っておけよ、痛すぎる。
アズミ某のフルヤについての読みは笑ったけど、
本人の絵画感はかなり痛い。
>>386 >アズミ某のフルヤについての読み
どこに?
んで具体的に何が笑えたん?
会田我路のエロセンスを笑う企画を会田誠がやってくれないかな(やらないだろうけど)
会田我路って苦手なんだ俺
なにそれ
フルヤンズっていうファーストフードやったら儲かるかも
野菜を煮たものが出てくるのか
>クラブとボールはゲートボールのものだが、ルールはパターゴルフのようなものらしくて、
フルヤン、それは「グランドゴルフ」という競技です
本を買う金がないので、とかいちいち書かなくて良いよ
>>395 そういえばフルヤンはスポーツに関しての言及はなし!
完全スルーな
そのうち美大生向けの小説、映画鑑賞の授業をやりそう
でも美術関係の講義はなし
>>398 専門学校では去年、もうやってるしな
じゃあ需要はあるんじゃん?
>>400 でも絵を教えるのは無理
美大生はシビアだから古谷の絵だと説得されない
402 :
395:2009/04/23(木) 17:35:17
>>397 なんかフルヤンの記述だと、あたかも老人たちが自主的にブリコラージュして珍奇な競技を作ってるみたいに見えたもんでな
そういう視点自体は面白いっちゃ面白いけど
高年齢層にはかなりグランドゴルフは普及してて、釣り並みに定着してると思う
スポーツに興味ないってのは草食系男子の特徴だろ
まあフルヤンは粗食系中年だが
>「ちい散歩」。
ほのぼの系無内容に真面目に救いを求めるのって自身の創作意欲にとってどうなんだろう
古谷が楽しければそれでいいんだけど普段の自己正当化が五月蝿えから軽く厭味言いたくなるんだけど
ここにいる奴の半分くらいは要心療内科通院だよな。文面がもう
近藤の実家がすさまじい資産家と聞いたが本当か??
資産家かあ
うらやましいなあ
近藤はやたら羽振りよさそう
石岡の実家がすさまじい極貧と聞いたが本当か??
フルヤンは実作が足を引っ張ってしまっている。
K治Y ←こいつ態度が無理... 自分特権視オーラプンプン 苦手な人多いと思う。
そんなことなかったよ
誰だよ
ほとんど全員に私怨が沸くんだなw
保坂和志 東京芸術大学講義
予測どおりオカルト化しているね。
関係妄想というのだっけ?
古谷さんは腰を据えて、科学を学ぶべきだと思う。
認知と脳の理論から絵を分析する段階にきていると思う。
もう素人の言葉遊びでは飽き足らないのでは?
>>327 柄谷が言ってる近代文学の終わりというのは正確には文芸評論(福田和也が言うように小林-江藤-柄谷と続いてきた
通常考えられているよりも狭いジャンル)が終わったって事
別に対象をアニメに変えれば延命できるというものではない
うーん、文芸評論っていうジャンルは、レッシグまで遡るからちょっと違うよ。
終わったのは、日本の人文知識人による評論であって、アニメや小説などについての
評論、いや、意見、感想の交換かな、は終焉してはいない。
むしろネットの登場で量的には拡大している・・・・・
なぜかというに、それは娯楽だから。快楽のある行為は終わらない。
延命をしないといけないっていう人はどうぞご自由に。
でも救命ボートは自分で探してね、と。
たとえば、映画でも黒沢清や青山シンジなどなかなか良い作品を作っている。
でも青山がどっかで言ってたけど、批評がそれに追いついてないんだって。
結局映画や文学といったジャンルって受け手の知能レベルが低いんだと思う。
だから作り手がいくら高度なことをやっても評価されない。
逆にアニメは、批評はない代わりに、受け手のレベルが高いから、いくらでも
高度な表現ができてきた歴史があるんだよね。
たとえばSFアニメなど知識がないと楽しめないアニメも普通にある。
エヴァのような実験性の高いアニメも支持されるほど幅は広い。
結局表現を選択する時点で、映画や文学を選ぶことがすでに知能の低さを示している。
文学では、20世紀にカフカなどが登場して、意味の解体を行った。
でも、意味の解体なら、アニメやマンガのほうが進んでいる。
結局カフカは、二十世紀前半にアレをやったからすごいのであって、
今の時代にカフカを読む意義はあまりない。
意味が解体されると、解体作業にも意味がなくなるから、
そうなると文学は、本筋に還り、エンタメをやることになる。
これがアバン・ポップ以降の流れだろう。
すると、エンタメ化した純文学よりも最初からエンタメでしかないアニメのほうが
価値観的に上になる。
これがラノベブームだったと思う。
結局人文的な評論、批評って、「ヨーロッパ人の趣味の優劣」を評価するゲームが実相。
でも、趣味を突き詰めると、日本人のアニメや漫画になる、という必然性がある。
で、実際今はせいぜいアニメや漫画ぐらいしかないでしょ。
するともう人文的文芸批評に用はない。柄谷もそれに気づき、経済や数学や政治に向かったんだろう。
これが80年代の話。
で、90年代になると、山形や黒木玄などの登場で、人文は終了した空気になる。
人文リベラルの存在意義だったソ連共産主義が終わったのが一番デカイ。
00年代の批評シーンは、これを受ける形で人文をパージすることで進行した。
東浩紀がポモを捨てて、思想地図を作ったり、ネットで転さんなどが活躍する。
他方で古谷氏も、人文思想から抜け出し、脳や知覚の研究へと踏み出した。
また哲学も分析哲学が一般化した。
今現在ベンヤミンとかアガンペンとかの引用で論を書き、アニメや現実の社会に
それを押し付けるような批評は誰からも期待されてない。
このような環境はある意味自然でまっとうな環境といえると感じる。
おれが批評に興味を持ったのはここ数年だけど、批評というと、
すぐに「○○(外国の偉い人)の○○という概念によれば〜〜」という
話になる人がネットでは予想外に多くてびっくりした。
こういう人らは、肝心の作品について語ることができないんだろうな。
作品を分析する能力ってやっぱり200人いたら9人程度しかないもの
なんだと思う。
そしてその9人は、作り手か、それと同程度の技術力がある人なんだよね。
あとの191人は、作品をほんとうには理解していない。
だからその9人だけがほんとうの意味で評論ができる。
でも現実は、191人が批評をやっている。
だから、そこで論じられているものは、もうどうしようもなくつまらない。
本当はそういう人たちは、正直な感想や印象を主張すべきなんだけど、
つまらない分析をしてしまう人も多い。
作品や現象の分析ができている人はほんとに少ない。
みんな批評や評論をなめている。
たとえばたまに人文屋が社会や経済について可笑しな分析をすると、山形みたいな
のが叩くよね?
ああいう叩きが、作品に対する批評にも必要なんだと思う。
トンでもない批評や分析ばかりが横行している。
ライトノベルブームのとき、ネットでいろいろ批評を読んだけど、
ほとんどたいしたことなかった。
みんな何も理解していないんだなって思った。
注目すべき文化現象を分析することはそれなりに重要だけど、
できる人間は限られてて、そういう人はたいていその道のプロ
として作り手にまわっている。
だから表に出ている批評って、ほとんどカスなんだよね。
本当の批評って業界の中にしかない。
そしてそれは絶対にこっちには出てこない。
分かる奴だけが分かる。
こういうシビアなルールをこのあたりの人文系の人らは、理解してない。
本ばっかり読んでいるから、言葉として流通してないものにすごい鈍感。
ある意味脳天気ともいえる。
ただ忠告として書いておくけど、君らが理解していると思っているものは、
ほんとうにごく一部なんだよ?
セザンヌやマティスがどうとか言葉で理解しているだけではほんとにどうしようもない。
草なぎ剛の(正確な)なぎの字が、俺の携帯から検索出来ない事を初めて知った
こんな事でも無かったら知り得ない発見だった
東浩紀は、これからの批評や評論に必要なのは、諸科学を踏まえた、現実の社会の分析能力と
場を盛り上げるための努力だ、といっている。
ただ、東浩紀は、今現在の批評屋の中では認識としてはレベルが高いほうだけど、
いっていることは、間違ったことも多い。
たとえばエヴァの批評が叩かれたのは、東があまりにもアニメ制作に無知だった点が大きい。
アニメはスケジュールの都合などで内容は変わるし、監督がすべてを支配しているわけじゃない。
こういう知識がない人がアニメを分析したりしてきた恥ずかしい歴史が日本にはある。
「じゃあ、もう批評って絶望的じゃん?」
たしかに、そう。
そもそも批評って、ほんとうにできる奴は限られている。
人間のする活動で一番難しいともいえる。
たとえばアニメの批評は、アニメを本質的に理解してないとできない。作り手でさえ理解してない人も多いのに。
作り手のなかの多くて1割、現実には1パーセント程度の人が批評に値する主張ができている。
あるいは受け手でもその道何十年といったオタクだけが聞くに値することをいえる。
そういう意味じゃ、批評というジャンルじたいはほんとうに難しい。
多大な時間と金をかけるのは当然として、センスがない意味がない。
そしてセンスのある奴は批評をやる暇がない。作り手にまわっちゃうから。
だからたとえばドゥルーズのシネマというくだらない本よりかはゴダールの言説に価値があるのは、
ゴダールという人間がまがりなりにも映画を撮ったという一点につきる。
実際、ゴダールの映画はなかなかよくできている。
センスはあまりないけど相当映画を勉強した人なんだなと感心する。
フルヤンも深酒には気をつけてね。
フルヤンがフルチンになったらシャレにならない。
ちなみに、ゴダールという人は理解されたためしがない。
蓮見系の批評を読むたびいかに勘違いがひどいかがよくわかる。
ゴダールを理解するには、自分で映画を撮影した経験がないとダメ。
でも、ただ映画を撮ったよという人でもダメ。
蓮見系の本を読んで映画を撮りいかにそれが役立たずのインチキだったか分かることが
ゴダールを理解するミニマム。
話を戻すと、そういう意味じゃ、スピルバーグや庵野秀明などだけがほんとうの意味で作品が分析できる。
「でも、それなら、批評って素人は厳禁?」
いやそれは違う。受け手にもやれることはある。
それは、感想や印象を正直に告白することだ。
こうすることで、受け手の感じたことが作り手にもフィードバックされる。
そういうことはわりと重要だったりする。
ネットなんかでは、感想を目的としたブログが多いが、結構意義のあることだろう。
少なくとも誰も読まないような人文的批評よりは社会的に正当化できる行為だ。
それと、印象や感想は馬鹿にできない。
結局センスって、そこにあるから。言葉にならないから稚拙に思われがちだけど、一番大切なこと。
今の批評や分析には、理知的なものがやたらと多い。
しかしそんなのはカスだ。
表面的に論理的だけど、内実はなにもない。スカスカに感じるのは、それが表面的だってこと。
ほんとうに大切なことは、手を動かさないと見えてこなかったりする。
それが君たちの弱点だったりする。
>それにしても、もう既に寒くはない春の真夜中に、誰もいない公園で全裸になるのは、さぞ気持ちのいいことだろうと思った。
やりたそうだw
この流れワロスwww
皮肉を理解できない人もいたりする。↑
おれならやりたい。
つか、よくやってるなw
こういう社会常識のなってないような人が批評をしたがることも多い。
>>419 そういう意味ではそうだけど(たとえば蓮実は柄谷はやめるだろうけど自分はやめないといっている)、
東とかがやってるのは柄谷の批評のアニメへの置き換えでしょ
聞け!諸君!
ネットの登場は革命的なのだ!
言説による現実の実効支配だ!
我が軍の切れのあるパンチと科学的分析能力によって、ポモターム全滅の日は近いのである!
ジークジオン!
ああ‥(笑)
連ポモ軍みたいな?
歳が分かるぞ
蓮見の批評は、批評としてはくだらない。
映画評論屋がアレを神輿にかついだことで失ったものはでかい。
多分、蓮見は映画について肝心なことはわかってないと思う。
だから実作を避ける。バレるから。
というか映画評論じたい読むべきものはほとんどない。
せいぜい黒沢清の書いたものぐらいか。
実は、日本の映画評論って本質的なことがわかってない奴が多い。
もしスピルバーグが蓮見の批評を読んだら、鼻で笑うと思う。
生き馬の目を抜くような世界で映画を撮りつづけた人とそれ以外では
もうぜんぜん次元が違う。鼻から勝負にならない。
こういうシビアな事情を見ていない人は、意外に多い。
前述の東も、アニメを語ると馬脚をあらわす。
アニメを本質的に理解したいなら、最低1年はそれだけを勉強する必要がある。
日本の戦後商業アニメを理解するのは一番難しい。
アニメ批評がないのは、難しいから。
東は、批評が期待されていないというけど、それは間違い。
業界からは期待されている。
ただ、出てくるものの水準が低すぎて、とても食べられないだけ。
そういう高度な水準で日本のアニメは作られていた。
(今は違うけど)
そもそもアニメ業界に入るというのは、そういうこと。
本気でアニメを作る気がないと、とても割に合わない。
あるいはよほど腕に自信がある奴か。
そういうハイレベルな業界から出てきたものを素人が分析なんかできやしない。
だから必然的に批評はなかった。
当然東にも分析なんてできない。あまりにもレベルが高くてびっくりしたんだと思う。
だからもっとぬるいギャルゲや社会評論に移った。
ちなみに、ギャルゲは面白い作品も中にはあるけど、ジャンルのレベルは低い。
決定的な作品はまだ出てない。カノンや月姫はいい作品だけど、実は驚くべき作品ではない。
それほど日本の戦後アニメはレベルがけた違いに高かった。
それを今さら美術系の人間が分析なんてできるはずがない。
何ひとつ理解できてないんだから。
蓮実のはこのスレでも過去に散々言われていたけどディテールにこだわるオタク系でしょ
ディテールを無視して三角関係とかの人物関係とかを切り出す柄谷とは180度違う
ここから柄谷は国民国家批判につなげたりしたんだけど、そういうことに意味がなくなったというのが最近の柄谷の主張
それをやらないから蓮実は続けられる
逆に言えばアニメに蓮実を使うのはオタクとして王道過ぎてつまらないと思ってやる人が少ないのかもしれない
この指摘は、東だけではなく、ほとんどすべての人にいえる。
古谷氏も例外ではなく、彼はセンスはずば抜けてよく、潜在的には本質を
理解するタイプなんだけど、くだらない本の読みすぎで本質から離れている人。
蓮見やラカンをいくら読んでもアニメや現実を理解できない。
そこが怖いところ。
本当に一歩道を誤っただけで、ぜんぜんおかしなことになるのが、人生だったりする。
一見価値のあるような本がクズ本でしかないことはよくある。
ちなみに幅の広い教養というのは、こういう誤作動を事前に防ぐためにある。
古谷さんは、アニメを分かったつもりになっているようだけど、勘違いが多い。
センスのある古谷さんでさえこうなっているところが、怖いところ。
たとえば、ウテナやフリクリについて論じているけど、全然的外れだったりする。
アニメというものがどのような仕組みでできるのか、という原理的な考察がない。
そのためただの感想にしかなってない。
たとえばフリクリは性的なモチーフがメカアクションがあるおかげで不思議と嫌味には
なってないね、という程度のことしかいってない。
しかしメカアクションと一言でいっているけど、何も本質は理解できてなかったりする。
また、性的なモチーフは、商業上の理由だったりする。
こういう観点がすべて間違っているので、古谷さんのアニメについての文章は、
密度がスカスカになる。
ほかの文章は読むに耐えるなかなかよいものだから、なおさらアニメは怖いな、って感じる。
>>439 ぜんぜん違う。
そもそも蓮見はオタクじゃないし。
それにディテールにこだわるのがオタクといわけでもない。
オタクについて理解してない人にオタクは分からない。
もうまるっきり認識がズレている。
歴史観じたいが事実とかけ離れている。
こういう人が批評をやっている、関心のあるのが現状だとすれば、
もうほんとどうしようもない。
批評をやるには、あらゆるジャンルの知識と技術、業界に精通しようという気概がないと
だめ。
鼻からあきらめているようじゃ面白いものは書けない。
現実には有限な時間でそれはできない。
でもそういう限界的なことを前提にしないと、批評なんてできないよ。
ほとんどの人は批評や評論を理解してない。
評論や批評という世界があると思っている。
しかしそんな業界はどこにもない。
一見あると見えるのは、人文系大学テニュアの意味のまったくないスノッブ仕事。
本質的な批評や評論は、人類のすべき重要な仕事のひとつだけど、
そんな仕事はほとんどない。
そういう仕事のできる人間は、そんなことをする暇がない。
ここに批評というジャンルの悲しい宿命がある。
何がオタクかどうかはともかく、柄谷が文芸評論が終わったというのはそういう意味だよ
それを受けて対象をアニメに変えただけではどうしようもない
逆に言えば柄谷にとっての批評と違うものなら対象が文学でも可能ってこと
たとえば、歴史を知らない人がいい批評を書くことはできない。
でも歴史を勉強してもセンスがないと意味がない。
センスとは、たとえば娯楽なら何が面白いかを理解できていること。
しかしこれが理解できている奴は、人に話さない。自分で作品を作るから。
だから批評を書く奴は、センスがないか、自信がないか、自分の仕事の片手間に
センスのある奴が書くか、のいずれかしかない。
最後は、業界人の批評。でもこれは本当のことはいわない。
センスの欠落した批評は、本質的な仕事ではなく、歴史家の仕事だったりする。
ジャンル論とかすべてそれ。
そんなのでは本質的なことは何もわからない。
日本人は批評が好きな民族だけど、今まで批評についてその価値を理解した人は
ほとんどいない。
それを理解するには、批評以外のことを知らないとならないけど、たいてい批評屋は
知識を欠落している。だから自分が何をしているのかさえあやふやのままだったりする。
こいうことはこの現実ではよくある。
ある領域では当たり前のことが他の領域ではぜんぜん理解されてなかったりすることは多い。
たとえばドゥルーズがいうことは、理系の大学二年程度で簡単に学習しているようなことだ
ったりする。デリダの本も、プログラミングの知識があれば、何をいっているのかわかったりする。
こういうことはよく起こる。そこが現実の怖いところだったりする。
ひとつボタンを掛け違うだけで、見えてくる世界が全然違っていく。
本を読んでいるだけではわからないことも多い。
自転車に乗るには、自転車に乗ってみないとはじまらない。
こんな簡単な事実がしばしば無視されている。
アニメを分析するには、自分でアニメを作ってみるべきだけど、やる人は少ない。
作ってみてどんなに稚拙でも、その経験がないと、実質のないことしかいえない。
実は、批評に関する勘違いとして、
「素人でも批評はできる。なぜなら批評はそれ自体独立したジャンルだからだ」という意見がある。
しかしこれはうなづける点もあるけど、
やはり違う。
たしかにプロ以外でも作品を理解し、正確に分析できる人はいる。
でもそういう奴は潜在的にはプロと同レベルの感性がある。
批評という独立したジャンルはない。
東は、ある、という。でももし批評というジャンルがあるならば、
批評についての批評は批評ではない、となる。しかし現実には、東なんかは、
批評の歴史について批評したりしている。となると無限に批評の批評は続き、結局収束しない。
アニメについてのアニメはないし、野球についての野球もない。
批評とは、分析することだ。分析されるものと同じ次元にはない。
>>443 柄谷なんかに批評が何かは理解できない。
彼は面白いこという人だけど、実は重要ではなかったりする。
じゃあ柄谷の名前出してアニメ批評の優位を語るなよ
いつおれがアニメ批評の優位を語った?
そもそも批評のジャンルに優位なんてないよ。
そんな立派な分野じゃない。
ほとんど絶望的なジャンル。
ただそういうことを理解してない人があまりにも多い。
批評というものは独立して存在してない。
ポモは、科学からメタファーを持ってきた。
批評も、実際のアニメや小説がないと意味がない。
大事なのは、科学や表現のほう。
批評や思想それじたいは、科学や表現のほうがわかっている奴が、
手を出すべき分野。
下積みをきちんとやらないと、意味不明なことしかいえなかったりする。
もうこのスレの人は頭が固まった人だからどうしようもないけど。
これから批評をやろうという人は、批評の歴史や技術(そんなものはない)を
勉強する時間があれば、語るべき内容を手に入れたほうがいいと忠告する
ために書いている。
それほど最近の批評屋はだめ、ということ。
> それならまだしも日本近代アニメを見たほうがいい。
> 柄谷もいっている。もう文学はダメだって。
> 大江のアレは萌えとしてもよく書けているが、アニメはもうそういう次元を超えている。
たとえばおれがアニメについて理解したことを話そうとしても、300人中1人通じるか
どうかでしかない。
ほとんどの人間はアニメに限らずモノを理解しようとしていない。
これは偉そうに響くだろうけど、実は本当のことなんだ。
全然次元が違うわけ。
もちろんおれよりアニメについて知っている奴は多い。おれよりアニメを愉しんでいる奴も
多い。でもそれは歴史や個人の脳の問題。
アニメというジャンルを原理的に考究している奴って実は少ない。
だから、プロとしか話ができなかったりする。
ほんとうの批評というのは、実は業界の中にしかない。
ネットはギリギリまだしも、活字になったものは、もう全然レベルが低い。
そしてプロは、絶対に核心はいわない。
なぜならそれをいうと自分のアドバンテージが消えるから。武器の詳細を明かす馬鹿はいない。
本当は、それを突き止めて、「お前の武器はもう使えないぜ」ということで、
ジャンルを刷新するのが、批評家という職業の使命なんだろうけど、
なかなかできる奴はいない。
そうなるといつまでたっても受け手はなめられ続ける。
作り手を脅かす批評こそほんとうの批評。蓮見の批評は、作り手へのラブレターだ。
人文大学テニュアなんかに何も大切なことはわからない。
ここが恐ろしいところ。
>>449 君は文章を解析できない人だね。
それのどこがアニメ批評の優位になるんだい?
せいぜいどう悪意的に解釈しても、
「日本近代アニメ>日本近代文学」だよ。
批評ではなく、実作を比較しているだけ。
アナベルリイよりシスプリのほうが面白い。
これを主張しているのであって、批評の優劣を比較なんてしてない。
そもそも批評になんて興味はない。
おれが関心があるのは、現実の現象。
それを他人がどう語ろうがどうでもいい。
ただそのせいで現象がおれの嫌いな方向に変わる可能性があるので、
それを防ぐために釘を何本も刺しておくだけ。
ポモがダメなのは、批評を実作と同列にした点。
アメリカでは、純文学は批評は実作と並んでいる。
どっちも創作コースの講師が書き、読んでいる。
ポモによれば、批評も実作もどちらもテクストであり、
テクストの正解はない。よって批評は分析ではなく、
無限の解釈を産出するひとつの芸術である、という
ようなことがくどく書かれてある。
一見正しそうに見える。
が、やはり違う。
作品の正しい解釈はある。それは脳を調べればわかる。
自分の脳がその作品によってどのように働いたか、を
記述すれば、それは正しい記述、正解になる。
ただ今の技術では(あるいはいくら経っても)厳密には
無理だから、所詮解釈は近似でしかない、ということ。
無限の解釈なんてない。
他人の脳と自分の脳は違うので、解釈が違うだけだ。
ただそれだけ。
ポモはこの簡単な事実から、批評や分析の価値を
貶め、結局堕落させた。
分析をしようと思うには、正解があるはずだ、という期待が
ないとやる気がしなくなる。
東のような才能に恵まれた人間もポモに汚染され、批評の意義を把握できなかった。
批評は、分析以外にやることはない。
そもそも分析以外の批評って何だ?
感想や印象を記述して報告することか自分の脳や作品の知覚構造を分析する以外に
やることなんてない。
「海外の誰それがいっていることによれば、この作品はこう解釈できる」
そんなの批評じゃない。
海外の誰それがウンコといえば、ウンコになるのか?笑い話もたいがいにしてもらいたい。
たとえば、古谷氏が樫村にひかれたのは、樫村の科学哲学や認知科学の側面であって、
思想ではない。
樫村の思想は、ストア主義的な自然主義、科学主義だが、そこでは芸術活動には何の価値もない。
古谷氏とはまるで認識が違う。
なのに樫村に参照しつづけるのは、樫村の別の側面が新しかったからだろう。
樫村のテクストじたいは、おれはよく分からないものが大半だが、
科学哲学、認知科学や言語理論、脳科学の独自仮説を提唱しているらしい。
古谷さんは、そっちの方面の知識を手に入れたほうがよいと思う。
いつまでも「幽霊」と「宇宙人」の違いや、情報の順序の違いなんて考えている場合ではない。
要するに、「幽霊」は作品の表情、「宇宙人」は原理、ということでしょ。
電波さらしあげとともにスルー検定実行中
ポエマー?
>>457 総合的には一応買っておくか、って感じの特集号だな
ついでにnobodyのイーストウッドインタヴューが入ってるやつとかと合わせて、ってところか・・
しかしながら、吉本のようなやつの論の方に惹かれてしまうのだった
今知ったw
いけねー誰かレポよろ
クリティカルワークショップ「近代芸術の教え2」
パネリスト:
林道郎(上智大学教授、美術批評家)/米田尚輝(日本学術振興会特別研究員、 近代美術史)/荒川徹(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、芸術哲学・芸術科学)/松浦寿夫(画家、西欧近代絵画史)/岡崎乾二郎
■日時:4月25日(土)14:30〜17:30(開場14:00)
■参加費:300円(東京アートミュージアムにて入場券を購入)
■会場:仙川アヴェニューホール(東京アートミュージアム向かい建物2F)
■問合せ:東京アートミュージアム(03-3305-8686)
(展覧会「Phirosophiae naturalis principia artificiosa-自然哲学としての芸術原理-」に関連したシンポジウム)
460 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/25(土) 17:26:36
芸術を理解する道は険しい。
ほとんどの奴は門までは来れるけど、そこまで。
たしかにセザンヌやマティスは重要な作家だけど、
日本人ならアニメや漫画をくわしくやるほうがいい。
馬鹿にしているけど、エロ漫画ですら理解するのは
ほんとーに難しい。
理解する=自分で作れる、ってことね。
当たり前だけど、鑑賞は万人に開かれている。
でも制作は一部の奴だけ。
セザンヌの良さを理解しているかどうかは、
そいつの絵を見ればわかる。
文字(もんじ)で精神は示せるけど、文字では精神をほんとうには
証明できないのよ。OK?
461 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/25(土) 22:32:16
柄谷
「いま、いわれたことで、またしても構造主義のことを思い出すわけでうけれどもね。
構造というのは、形のことではないわけです。つまり変換規則。・・・トポロジーでも皆
そうですけど。・・・・・批評というのは、科学である」
「 闘争のエチか」より
チケット下さい!
レポまだあ〜
464 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/26(日) 02:21:45
自分でやれよ・・・・・
他人に依存するな
念のために今日一日かけてエヴァとフリクリとウテナを見返してみたけど、
やっぱ古谷氏のいうことは的を外しているよ。
エヴァの後半の心理描写がいたくお嫌いのようだが、あれはスケジュール
の都合でそうなったもので、本来は現在映画として再構築されているような
アクションの主体となった活劇でしめくくられる予定でした。
そこを無視して作品を評価すること、できてしまうのだ、という思い込みって
怖い。
フリクリに関しても大雑把すぎることしかいえてない。ウテナも。
やっぱダメだ。
アニメは本気で語るほどのことではないってわけですねぇ。
失礼
浅田スレでFrameの話題出してる人、本当ならこっちだろう
Frameの頃の浅田はあまり美術好きじゃなかったし
472 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/26(日) 12:29:52
おやはや(笑)度もどもですねぇ(笑)おやはや(笑)
ついでに説明して置きますれば(o^v^o)と(o`.´o)と武陽が同一人物であるかは私は存じませんけれども、少なくとも私とは別人だと申しておきましょうかねぇ(笑)おやはや(笑)
古谷はプラトニズムをもっとリスペクトしたほうがいいな
狸がここ見てるのかw
うわ、うっぜぇ
電波小学生一人でもタチ悪いのに、狸まで沸いてきたのかよ
ますますゴミスレ化しそうだな
柄谷
「いま、いわれたことで、またしても構造主義のことを思い出すわけでうけれどもね。
構造というのは、形のことではないわけです。つまり変換規則。・・・トポロジーでも皆
そうですけど。・・・・・批評というのは、科学である」
「 闘争のエチか」より
たまには面白いこともあったのに、終わった。残念だ。
池田に再起動される絵画ってなによ。
オブジェ作家には、オブジェについておしゃべりさせとけばいい。
池田は現代アートのアンファン・テリブルや。
古谷さんはアニメを勉強したほうがいい。
アニメを見ることで心がすっきりする。
日ごろ難渋な現代芸術に触れている人ならなおさら。
ところで「若い心」と書いて「惹かれる」と読む。
何かに惹かれっぱなしの古谷さんにとってアニメの持つ
まるで屈託のない子供のようなナチュラルな精神は貴重なものだ。
柄谷
「いま、いわれたことで、またしても構造主義のことを思い出すわけでうけれどもね。
構造というのは、形のことではないわけです。つまり変換規則。・・・トポロジーでも皆
そうですけど。・・・・・批評というのは、科学である」
「 闘争のエチか」より
池田に再起動されるような絵画ってどこにあるのよ?
485 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/27(月) 02:19:59
フルヤンの絵は再起動してもらったほうがいいかも。
>>485 おまえは絵が描けないけどな。
この現実ってこんなんばっか。
道で千円札三枚拾った
こないだ古谷が落とした金ではないと思う
ムリしてでも、めぐみタン観れてよかったよなあ
描けないとだめだろw
490 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/28(火) 00:25:29
池田は絵の描き方をしらないが、再起動はできるらしい。
>>486 現実ってなんだ、
ネットで画家を自称しているうちに、
現実社会でもいっぱしの画家として扱われるなれるのではないかというのが古谷の謀だろ。
古谷はめぐみタンに夢中
これが唯一の現実だろ
>>493 そこ復活してたのか
ある時期放置になって見なくなってたけど
496 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/28(火) 22:02:18
ここは詳しそうなひと多いから聞くんだけど、
林道郎とかがパワポで発表するとき、タブロー
のスライドみたいなのみせるけど、あれって
どこからひっぱてきたものなの。
WEB上に絵画アーカイブみたいのがあるのかな?
497 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/28(火) 22:15:02
>>490 もはやめちゃくちゃだよなあ。
彼らがしていることは、
絵をネタに使った言説構築ゲームであって、
実際の絵とは関係がない。
こういうのは、浅田彰やオカザキの弊害だよなあ・・・・
絵画を再起動する前に、自分が一から絵を学んでよ。
松浦とか一応がんばってるじゃん。
やっぱそこに気づいたんだと思う。
柄谷
「いま、いわれたことで、またしても構造主義のことを思い出すわけでうけれどもね。
構造というのは、形のことではないわけです。つまり変換規則。・・・トポロジーでも皆
そうですけど。・・・・・批評というのは、科学である」
「 闘争のエチか」より
相当ダンスに入れ込んでいるね。いつものパターン。
次はアニメの時期か?
500 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/28(火) 23:32:56
なんでこんなに荒廃してんの?
>>493 なぞの女だ。
ある意味、けっこう仮面みたいだ。
ダンス、ダンス、ダンス
>>502 ここを総合スレにした人が浅田スレ行っちゃったから
岡崎の話まで向こうでやってる
>>505 ちがう、ガイキチが2、3匹徘徊してるから
>>506 スレ維持人が煽り耐性低いからってのも大きい
その程度でいなくなるんだぜ
>>506 一匹だよ
ご丁寧に携帯とPC使い分けてる
あの電波、東スレに常駐してるけど、
自己主張はあそこでやらないのが悪辣だぜ
時々転叫院を「転さん」とか呼んでるのでなんとなくわかる
フルヤンネタは出尽くした感があるしなあ
ビデオ展はどうだった?
一回だときつかった
カタログ買ったからもう一回行ってみる
資料充実で1400円は安い
セラとかナウマンとか楽しみなんだよね
「きつい」というのは時間が足りないということ?それとも情報量が多すぎて疲れるということ?
時間が足りない
ブクローのセラ論は難解だな
ナウマン、セラ面白かったよ。必見の展覧会だと思う。
カタログ見ながらUBUWEBで見直すと楽しい
>●大江健三郎の
そういえば大江健三郎賞って第三回も該当作があったんだな
それ別人。
理系エリートwのおれにそんな時間ないw
今書き込みしているのはここだけ。
東スレには失望した。
転さんといっている奴はおれの影響を受けたんだろ。
こうしておれは世界を変えていく。
ビデオ展とか見て喜んでいるお前らかわいいなw
あと、他人を電波tとか排除ヤメロ
ガタリも電波だがお前ら排除するのか?
電波あっての芸術だ。
芸術史をもっと勉強したほうがいい。
柄谷
「いま、いわれたことで、またしても構造主義のことを思い出すわけでうけれどもね。
構造というのは、形のことではないわけです。つまり変換規則。・・・トポロジーでも皆
そうですけど。・・・・・批評というのは、科学である」
「 闘争のエチか」より
構造主義とは、批評における科学の導入である。
ブルバキズム!
>こうしておれは世界を変えていく。
>ガタリも電波だがお前ら排除するのか?
理系エリートw君を排除しないよ
加藤智大だって小泉毅だって少しは世界を変えただろ
あの二人エリートじゃないし・・・・
いずれにせよこのスレも書く意義なくなってきたかなあ。
4月入ってから客層が若干変わったような気がする。
だからアクティヴな人が浅田スレ行っただけだってば
今、アンチオイディプスのリーダーズガイドが届いたので読んでいる。
電波ゆんゆんだけど、なかなか面白いこともいっている。
基本的にドゥルーズという哲学者のいいたかったことは、
心理的な時間を大切にしろよ、ということなのかな。
まあ、精神分析を分子生物学や脳科学で叩く、という図式と同じことだと思う。機械状無意識というのは、新皮質の層構造とか意識しているのかな。
ドゥルーズじたいはポモだから深入りしたくないけど、
新鮮で面白い。
>>524 浅田スレでやっていることは、スノッブの末路。
アクティブでも何でもない。
あれをアクティブと解釈するのは駄目。
スノビズムというのはどの領域にも生まれる悪性腫瘍。
数学や理論物理とかでも多い。
技術や表現など実際的なことから離れた学問は、学者犬の
遊びに堕落する。
古谷さんは影響されやすい人。
いまは磯崎なんとかって人の文章に影響されているのではないか。
(読んだことないけど)
影響って怖い。
実は、近代以降の表現の世界では影響を受けずにモノを作ることはできない。それを文化という。でも影響によって表現を始めることは不可避だ
けど、どこかで自分なりにモノを作ってみないと駄目になる。そうしないといつまでたっても技術から離れられない。他人を上手く模倣するというのは芸術ではなく技術だから。
古谷さんは技術を芸術と考えているのではないか。しかし実は芸術は、技術から始まり、それを超えるものなんだが。感性は自分だけのものだ
から。
しかし古谷氏は、どうも感性を普遍的なものと解釈している。しかしたしかにそうなんだけど、それならアニメや漫画といった娯楽のほうが向いている。
ところで、磯崎以前には保坂に影響を受けていた。
保坂はなかなかいい小説を書く人だけれど、いっていることは
保守的なことばかりだ。最近こういう輩が多い。
その昔フランスにヌーボーロマンという芸術運動があった。
これは小説を映画に近づける運動だった。今の保坂にも近い。
でも小説は映画ではないから、結局保坂のいっていることは、
半分正しくて半分間違っている。それを保坂はさも普遍的な事実
であるかのように書いている。でも表現は方法であって、どのよう
に小説を書くこともできるから、こういう考えは保守的だよ。
ライトノベルはあまりいい小説を生まなかったけど、こういう
スノビズムに対する劇薬として歴史的に富を残したと思う。
小説を書いたことがあれば、おれのいっていることはすんなり理解
できると思う。
保坂は小説をわかってない。
彼のいっている「小説」というのは、彼の理想の小説でしかないのに。
ひとりひとり理想は違う。そこが見えてない。
もちろん理想が共通部分はあるし、意外と大きい。
でもそれはエンタメ小説などがやっている。
純文学は個人の理想の追求。
だから、保坂のいっていることや書いていることに影響されるというのは、
保坂という人物に影響されているってこと。
でも、保坂を知るには保坂にならないと駄目。そうじゃないと勝てない。
そうじゃないといつまでもパクリや模倣になってしまう。
でも、当たり前だけど保坂にはなれない。脳やそれまでの経験が違う。
ファイン・アート(という区分は人為的虚構だけど)では、影響というのは、
悪いことだったりする。
ポモがパクリを引用と言葉遊びした結果、影響を受けて作品を作る人が
増えた。それは悪いことだと思う。
実は影響を受けることが創作に+になる表現ジャンルというのはある。
漫画やアニメがそれ。あれらは一般性のある感性を対象にしているから、
影響を受けて作ったほうが間違いがない。
そういう意味で古谷さんはアニメや漫画を作る資質の人だと思う。
ほんと表現の道は狭く厳しい。
技術と違ってすぐに評価されるわけじゃない。
表現を理解している人なんてもっと少ない。
みんななーんも見えてない。
見えているフリをして、やれ技法だ、やれ文脈だ、と
いっている。
しかしそれなら始めから、技術や文芸批評をやればいい。
表現の道は狭く厳しい。
レオナルドダビンチぐらいか、人類で表現を正確に把握
してたのは。
でも、レオナルドの絵は、実はあまりたいしたことはない。
ただ表現が何かを知っていた。
レオナルドを理解できた人間っていない。
科学者とか芸術家とかそんな枠におさまる男じゃない。
でも天才、という言葉でもふさわしくない。
それならモーツァルトとかハミルトンとかいっぱいいるだろjk
何だろう・・・・
神秘家?それに近い。
レオナルドの表現は実はそれほどではない。
もちろん現代アートなどより偉大である。でもそれは職人の仕事。
今でいえばアニメとか。
レオナルドにとって絵は重要だが、数あるうちのひとつでしかない。
それに彼は文化を知らない。
でもレオナルドを理解することは表現の何たるかを理解するために
重要。
ある意味芸術の再起動は、レオナルドを理解することをおいて他には
ない。
とはいえ、芸術はもはや再起動しない。社会がそう。
そういう神話化がまだできるということは、芸術が健在ということかな、
それとも、531が単に鈍いということか、
レオナルドレオナルドって
ダチかとww
レオナルド熊のことだろ。
確かに、死んでしまっては再起動はむずかしい。
537 :
このスレを建てた者です:2009/04/30(木) 00:55:57
いわゆる総合スレ化してそれが終わってから悪くなった
ずっと前から常駐してる俺にとっちゃいわゆる総合スレ化も意味不明だった
だから「テンプレ」を貼らなかったわけだが
あえて印象操作するならアレだ、正義の革命軍が独裁政権を粉砕→世界中からテロリストが流入→平民の暮らしが前より悲惨って感じ
廃墟化はお前のせいだろ
所詮は古谷を冠したスレだ、
限界があって当然、
次は、古谷の名を出さずにスレをたてよう。
レオナルドの人体比例図とかいまの日本人のほうが上手い。
浅田スレなんか見ているよりこのスレ見ておれの発言を聞いたほうが
参考になると思う。
そういう人のほうがきっと素直な絵を描いたり、批評をすると思う。
いってみれば、あっちは時代と場所に限定されたファッションで、
おれのいっていることは、宇宙論的なスケール、本質だ。
最終的にはこっちが勝つ。
というのは、そういう視点でモノを語っているから。
浅田彰はいい趣味をしている人だけど、やっぱり二流。
いろいろなことを分かっている。でも何も為さない。
そういう人の信者なんかには何も大事なことはわからない。
結局そうして消えていく。
人生は想像以上に短い。くだらないものに時間を使う暇はない。
したがって、何がくだらないかを理解するセンスがある。
これをどうやって身につけるのか?
これはひとつの芸術的問いだ。つまり普遍的な正解はなく、
個人のそれぞれの正解しかない。
浅田の間違いは、それを普遍的な事実と解釈したとこ。
ゴダールが素晴らしいのは、浅田個人の感性であって、
場所が変われば、エヴァのほうが素晴らしいという人もいる。
浅田はもっと一匹狼であるべきだった。
森毅なんかとタッグを組んでいる暇はなかったのである。
543 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/30(木) 01:55:19
どう縦読みしても要精神科診察レベル
>>543 いつも茶々入れているけど、そうした返答は分かっている。
おまえ女だろ?
啓蒙とは、こういうことだ!
なによ!失礼しちゃう!
こうなると案外、古谷の俗っぽさが救いだな
少なくとも宇宙からの電波を受けることはない
>フィジカルで即物的であると同時に、高度に抽象的な感触と興奮。
電波もろくに知らないからね。
また、その感触か。
ほんと異様なまでにひとつのことのまわりをまわっているな。
550 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/30(木) 02:13:47
啓蒙も何も、誰も読んでやしませんよ。逆効果です。
せっかく壮大な思想をお持ちなのですから、
もっと戦略的に発信すべきです。
まず長文の連投を止めて、住人のレスの流れを
操作するところから始めてみては?
人心掌握もできなければ、それはたんなる独り言というのですよ。
これだけ疎まれてしまっては台無しです。
>>550 誰も読んでないわけない。
200人ロムっているだろうから、30人ぐらいは読んでいるん
じゃないかな。
おれのレスは毒があって面白いから、結構読まれていると思う。
スレをコントロールするのは、コストがかかりすぎる。
そこまでの意義はまだない。
おれのこういうレスは他のことしながら休みのときにぱっと書いている。
552 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/30(木) 02:28:11
たしかにコストがかかりますね。
まずは30人程度に読まれれば、その後影響力を拡大できるでしょう。
しかし毒だけでは啓蒙に手が届きません。そうでしょう?
残り170人から電波と誤解されていては、思想の伝達はありえません。
これは希望ですが、何かを批判するのではなく、肯定の言葉を聞いてみたい。
どんどん症状が悪化している
まじで心配になってきた、恐い
>>507 たぶん彼は2ちゃんが初めてだったんだよ
くだらない短レスにも返答してて怪しいと思ってた
で、当然まとまった煽りが来て、去っていくっていう、ごく普通のパターン
556 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/30(木) 13:21:47
>夕日
何をやったらいいのかまったく思いつかないなら俺様が助け舟を出してやろう
とりあえず原田泰治の絵みたいなのでいいですかって依頼人にきいてみれ
557 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/30(木) 13:28:05
だまれ凡人
画家が、絵を描く前に言い訳から先に書く。という手法。
新しい。
作家論を書いている時には作家名は明かさないのに。
>>538 >>557 狭い空間内で愚劣度を競うゲームなら負けない自信があるんだよなあ俺(笑)
>>558 つーか「古谷利裕」に夕日を描いてくれって頼む人ってどんな人だよ
わざ描けそうもない絵を頼んだのかそれとも単なる誤解なのか
>一度は、真剣に考えた方がいいと思う。
それでも5月3日は行くんだろうな。
散歩どころじゃない。
豚インフル。
インフルヤン
耐性低そうか?
>>493 何者かは知らないが、俺もそのブログ、たまに見るよ/見てたよ
上田和彦が以前コメント欄にいたりしたな
しばらく前の過去スレで「知名度がないだけで、古谷より面白いブロガーはいるよな・・」
とかレスつけたときに念頭にあったブログの一つだった
ちなみにプロフ画像はトリン・T・ミンハなのでブログ主の手がかりにはならず
>>498 wikipediaコモンズをはじめとしてたくさんある
作者名、作品原題などを抑えてて、目的もって探せばさらに容易だろうね
あるいは画集のスキャン
お前ら真性のガイキチに侵されたスレでよくやってんな
大方はこのスレ見捨てたというのに
整理してオシマイ・・・
古谷のダメなとこ
1 絵の仕事しなさ過ぎ、少なすぎ、内容薄すぎ
2 何かとその場しのぎの対応(例/岡崎をパクったことは隠そうとするがブライス・マーデンをパクったことには開き直る)
3 硬い(シモの話題がつまらない)
4 すり寄ってくる批評家にしか耳を貸さない
5 おんち(いろんな意味で)
6 電波に対する親和性の高さ
良いとこ
1 平凡(ほっとする)
2 人の頼み事をすぐ聞く
3 毎日のように一つのことを続けている
4 有名人の知り合いが何人もいる
5 美術への愛がなんとなくある
6 文学への愛がとんでもなくある
7 ダンスへの愛がときどきある
8 散歩をこよなく愛している
>ああ、幽霊だ。
>>567 >3 毎日のように一つのことを続けている
これ、画業に結実するならいいんだけど、無理そうなんだよな
ファンはそのだめっぷりを愛しているはず
184 名前:わたしはダリ?名無しさん? :2009/05/01(金) 02:47:14
保坂健二朗とかいうのもかなりヒドイ
学者になれない浅学をごまかすのに「大衆に分かりやすく」とかいう詭弁
昔から定期的にでてくる似非インテリ。誰も評論家と思ってないからw
185 名前:わたしはダリ?名無しさん? :2009/05/01(金) 03:39:05
保坂の文が未熟なのは業界ではガチだろ。
571 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/01(金) 11:35:14
>>564 >念頭にあったブログ
他にもあれば情報よろ
>>567 その場しのぎでコンフォーミスティック、
そのくせ意固地ってのはたしかにある
意固地なのを誇りにしてるから変わらんだろうな
>一度は、真剣に考えた方がいいと思う。
わざわざ喫茶店に行って本を読んだり原稿を書いたりするのは何だろう
そんな無駄使いしてるくせに毎月電気代が払えないとか慌てる
家だとゴロゴロしちゃうんだろう
分かるよ
雷おじさん。
ネットカフェに行くのは「動画を見れるネット環境ではない」という驚愕の理由があったわけだが、喫茶店はよくわからんな
本を定期的に読み進めるには、電車や食べる場所など、
自宅以外にいろいろ作っておいた方がいいってのはあるけどね
ただ、出勤中の電車とかならまだしも、古谷にそんな金銭的余裕があるのかと・・
夕日の絵かけたのかな
半ば意地悪な意味で興味があるんだけど
ヘンリー・ダーガーの雲でもコピーしてできましたって言って金貰っちまえよ
>>578 でも、技術書とか読んだことないでしょ?
すでにネタフレーズと化してるなw
夕日だろうがなんだろうが、いつもと同じ絵になるというオチ。
そもそも普通のリアル絵描けないんじゃないの?
セザンヌもマティスも具象画なのになw
誰も彼の具象画、というか普通の風景画や人物画は見たことがないの?
シルエットという表現方法を発見したみたいなのだった。
テンプレが1にないせいでスレとブログの往復が出来ない
スレ潰そうとした奴はマジで反省しろよ
前、クロッキーがupされてたけど、
半端仕事のようにみえた。
趣味のおじさんと同じくらい、疑問をもたずに描いているような、
描線がかなり適当
考えたり練習したりしたら負けだと思いこんでいる
思いつきの純粋さにかけているのか?
石の上にも三年ってやつ
最初から躓いているという発想をしたら負け
592 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/02(土) 13:56:55
>>587 豚インフルエンザが流行したのはお前のせいだ
ブタ野郎はマジで反省しろよ
あそこにUPされていた絵は壮絶なものが多かった。
たとえていえば、交通事故の現場に居合わせて、思わず目を閉じたくなってしまうという感じだったが、
あれは、古谷のラジカルさによるものなのか?
「絵描きのエッセイスト」として一生を終えるといい
御用ライターみたくなってるのが現状。
母校にかえりみちを見つけたいというところでハイジマってかしら、
だからアキレスと亀に嫌悪感を剥き出しにしたんでしょう
発想だけで技術ゼロってことですか?
それじゃあハナからアニメや漫画はムリじゃないですか?
シルエットロマンス
大森某の彫刻でシルエットロマンス ってあったよ。
うすっぺらい陶器みたいなやつ。
たしか抽象的な形態だったとおもうけど、
下手をすると平倉の方がいい絵を描く可能性があるんじゃないか?
動物の観察とか、趣味も似てる
>>600 >下手をすると平倉の方がいい絵を描く可能性
それはないだろ、どちらも駄目で、駄目なものに順位はつけられない。
それはあんたの信念だな
順位は付けられるだろ彦坂的に言えばw
結局言説ゲームの人。
セザンヌやマティスとの対話によって可能と
なった絵。
ここにいる馬鹿どもよりはるかに才能はあるけど、
宇宙論スケールでは、それもありふれた才能。
ただ批評の才能、というか素直な感受性はある。
しかし今の批評は、腐っているので、
古谷氏もそっちに飲み込まれている。
イーストウッド論とか最悪だった。
>>603 お前もその馬鹿どもの中の一人なのが悲しいなw
言説じゃ駄目っていう二分法はフルヤンそっくりw
>>604 別に悲しくはない。
お前ら低脳とは違う。
絶対的宇宙真理を知っているからだ。
私は
神だ。
UFO大好きな人?
糞ども。
ゴミクズ
数学知らない。理解できないゴミクズ
調和振動子の物理もろくに知らず、
何も知らない。絵も描けなければ、プログラミング
さえろくすっぽやろうという気力がない
いっつも本ばかり読んで、他人の批評を腐す。
真面目に分析する奴を馬鹿にして
メタゲームを繰り広げて勝った気になっている
すかした鼻持ちならねークズスノッブ
ゴミ
古谷って、アニメ制作すべき時期に来ていると思うんだぜ?
だぜ、だぜ、だぼはぜ。
古谷さんに自主制作アニメ勧める奴いないのかね。
もうセザンヌとか飽き飽き。
もう踊るっきゃない。、
古谷って最高なんだぜ?
しょぼーん。例のAA。
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????■ ■ ????????■
? ? ■???? ?
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▼ ???? ?? ?? ? ??? ? ?
?? ???? ??? ?? ?〓? ???▲
?? ▼? ? ???? ?
■ ? ?
>「でも、それなら、批評って素人は厳禁?」
>いやそれは違う。受け手にもやれることはある。
>それは、感想や印象を正直に告白することだ。
_¢(。。;)コソコソ
古谷について語るより、なぜいい歳こいて学問やってるとこのように発狂するか
を語る方がよっぽど有意義
学問やってないだろ
ここが完全にクソスレ化してると古谷は安心だろう
それはいわない約束なんだぜ?
ぜ?ぜ?ぜ?ぜ?ぜ?ぜ?
下衆の勘ぐりやめろ低脳
語尾が「スノッブ」または「低脳」
>>606 あっモンスターエンジンか
今わかったww
ここがクソスレ化して困るのは古谷だろう
少なくとも今まではウェブ上における彼に対する言及の盛り上がりが彼の知名度を先行していたわけだから、
このスレが終われば彼を安定に導いていたその秩序が部分的にではあっても崩れることになる
古谷批判が盛り上がって、もっとも利益を享受するのは古谷自身だよ
どうでもいいな
なぜなら暇つぶしでしかないから
仕事が忙しくなったら来ないだけだ
うん♪ワーキングプアなんだ
はたらけど はたらけど わがくらし・・・・・
学問は楽しい。人間の精神の最良のものだと思う。
アテクシはデリダを読んでいるのよ。
毎日優雅にね。
2つ年上で、エリート商社マンで、成城に家を建てた磯崎。
『終の住処』で、次の芥川賞も決まりだろう。
いまさらその「正しさ」に打ちひしがれるとはな‥
もっと根性を据えて臨んでいるのかと思っていたよ。
ワイルドライフとやらに。
夕日は観にいけなかったんじゃなくて、観たくないんだろう。
本当に「一度は、真剣に考えた方がいいと思う」よ。
罠を恐れすぎてなんの成果も得られない
僕は成果主義を軽蔑する…よ(弱気)
631 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/03(日) 13:15:34
三丁目の夕日はみる必要ない。
セザンヌだって疑い深い性格だったらしいし、
だからこそ、絵という他者と深く関われたということもあるし、
その感情を文章にするんじゃなくて絵には、出来ないんだよなフルヤンは
セザンヌは若い頃美術史を熱心に学んでたんですよ
どっちみち今日もめぐみタン観に行っちゃうんだろうしな
案外、鈍感なのか?
>三丁目の夕日はみる必要ない。
そう
だから古谷君の場合は何かのコピーでいいの
自己の資質を誤らなければ小じんまり(誤)と成功できるの
和田画伯だって長いこと問題にならなかったんだ
遠近法や明暗法と脳内で戦っている場合ではない
どんなに根性据えてても、打ちひしがれることもあるだろう。
売文でやってく根性は据わってきたんじゃないかな
おまいら、やさしいね
>>638 でも、罠とかいって自己欺瞞から目を逸らすやり方は感心しない
けど応援してますよ?
西八王子住人だったのか
てっきり北野かと
高尾寄りって前から言ってますがな
おそらく家賃三万円くらいだろうな
もっと山奥へ行くと自家用自動車が必要になるから却って金が掛かるというか、
そもそも物件が無い
俺も塩山一之瀬高橋あたりに住みたいのだが、、
たしか自殺の名所だったはず
>>644 じゃあはっきり言うと、古谷の「罠」って言い方はただの自己憐憫だから速攻やめるべき
でもファンはそういうのが好きなのかもしれない
古谷氏とのつきあいはどのくらいあるの?
え?偽日記を通じて数年来の付き合いですよw
あんたもそうだろ?
言葉でなにがわかるの?
わかることとわからないこと、両方あるよ
少なくともライターなんだから言葉の使い方をもっと変えた方がいい
>>わかることとわからないこと、両方あるよ
同じです、そう思います
>>少なくともライターなんだから言葉の使い方をもっと変えた方がいい
そういうのって(つまらないか、親切な、汗)編集サイドの意見でしょ?
>>650 もしかして古谷の「罠」に共感してるのか?
衰弱のこと?
うーん、衰弱っていいかたはよくないね。。
古谷が言葉は罠だ!って警戒するのは色々間違ってるぜ
デリダ以前っぽい
そうなのか・・・
古井由吉かとおもってた。。。
>>デリダ以前っぽい
って、デリダ、1冊も読んだことないひとにとって
どういうことかな〜? 比喩でも適当な喩えでもとっかかりになれば
ぜんぜんOKなのだけど、ペコリ
>>656 すげー不正確な単純化をする
デリダの人はきっと怒るけどな
記号が全然関係ない「想い」の方が重要みたいな発想の危うさをデリダは問題にした
そういう認識は記号のおかげで生じるという議論
いわゆる言語じゃなくても身振りだって記号
感覚と絵画の関係にも同じ事が言える
古谷のドローイングは、「絵にならないこの感覚」に囚われすぎていると思うぜよ
>記号が全然関係ない「想い」
信仰?
>>659 取りあえず感覚でいいと思うよ
フルヤンは哲学的には身体論だと思う
うーん、そうなると、文章が意味するところよりも、文章それ自体がとるかたち―テンポとか、うねりとか、息切れとか、それこそ筆跡とか・・・
語っている内容よりも(というかそれらをともなって)、
そりゃあ芸術家は「意味」にだけ閉じこめられちゃだめなわけだが、
それを罠とか言って敵視するのは間違ってるでしょ
罠から解放されている人は変な警戒とかしないし
かれを萎縮させる(た)なにかがある(あった)と考えるのが自然じゃない?
それって、そのひとのせいか?
素直に考えると浅田や岡崎から樫村や保坂への鞍替えかね
でも浅田や岡崎が表だって古谷を批判したわけでもなさそうだから、
青山真治に批判されたことか
浅田や岡崎 というかたのこと(ほとんど)しらないのだけど、
そのおふたりは後継者を育てるのが下手ということ?
古谷は後継者じゃないからしらんよ
知らないふりもなんかアレなんだが、ていうか、古谷ファンなの?
669 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 00:44:21
浅田におもねようとして、村上とセザンヌがどうの書いた時点で駄目だった。
アズミに馬鹿にされてもしょうがない内容だよ。
単純にもし一緒に呑むなら、
アズミって誰?
安積
そんな批評家いないっしょ
674 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 00:59:50
ブロガーだ。
なんだ、ブロガーか
じゃあなんでもありだからなあ
>「絵にならないこの感覚」
いやいやいや、たんてきに言葉でいいと思う。
677 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 01:07:24
古谷のドローイングって、a-thingでだしたやつ?
装飾だとおもったよ。
いや、言葉にとらわれすぎ。
680 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 01:10:41
歴史に収まっていないということが、
自分の存在理由だということで、
いつまでも下手糞でいられる。
>>679 古谷はそう思ってないぜ
フレームとか枠組みとか制度とかそんな罠が嫌い
682 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 01:15:53
>フレームとか枠組みとか制度とかそんな罠が嫌い
そりゃ、絵の描き始めがミニマリズムのモノマネだったからだろ。
四角を均等に塗り分ければ、わけもなくできてしまうようなことをして、
自分なりの達成感を得ていたことにたいする反省があるのではないか。
でもマティスになってねえよな
685 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 01:28:14
爺がまざってるな。
nt-xか?
NT-Xはスレで紹介される古谷以外の連中をどう思ってるんだろ?
マティスというのは彼なりのスノビズムで、
本当のところはフランケンサラーとかデクーニングとか、
うんこ弄り系がすきそうだよね。
>>686 NT-Xは80年代の追憶に生きてる親父だからだめだろ。
マティスはモデル食いまくりだからな
デ・クーニングもフランケンサーラーもうんこ弄り系なんかじゃないよ
開発って誰?
687→691みたいなやり取りがとても好きだ
古谷スレはこうでなければいけない
要するに古谷の絵の見方が偏りすぎてるんじゃないの
藤枝の亜流でしょ
フルヤンはあと一歩の行動力さえあれば、作家やダンサーとやりまくりだったろ
ダンサーはムリw
体力もたない
歯の折れた、おそらくは匂いつきであるだろう中年男性と性交渉。。
匂い付きってw
あの年代なら全員そんなだろう
>そしてこのシルエットが、人体ではなく、動物である必要がある、
>という事実もとても面白い。それは、人間と動物とでは、
>その身体が含み持つ空間性、身体と周囲の空間と関係性が、かなり異なるということだと思われる。
>あるいは、人間の身体のもつバランスや形態は複雑過ぎて、マットな表現性や絵画のフレームとの相性があまり良くない、のだろうか。
僕にはナイーブ過ぎると思われるのだった。
絵画のフレームについて色々思いこみが激しいんでしょう
影の歴史でも読むといいよ
書くこと=メシのタネ
描くこと=言い訳前提
本当に踊りたくなってきている
散歩というステップで
散歩と偽日記が本体でしょう
はてなから抜けてもう一度ちゃんとサイトにするべき
そうすりゃユニークなwebアーティストとして話題になる
メタボとは無縁
山登りの人みたいな臭気を放ってそうだな
高山の冷気がフルヤンをよんでいる。
風呂なしアパートの自室をアトリエにしてるのか?
だから部屋だと原稿を書けない
風呂はあるだろ。
あったら洗髪しないで何日も放置とか信じられないんだが
日記から見ても風呂なしとみるが
散歩コースの川で沐浴
流しでお湯を使って体を洗ったみたいな日記を見たぜ
人が働いている時間に風呂に入ったとか得意げに書いてあったような気がした。
衣食住のみすぼらしさに関しては、誇張されすぎている気がする
改善する意志がないだけでしょう
有楽町のガード下と言わず、磯崎においしいものをごちそうしてもらえばいいよ
月2ペースでフルヤンの会とか開くといいよ
篤志家が飯をおごってやる感じで
というかフルヤンってなによ。
画家といいながら、美術についてはいい加減なことを書きなぐっているし、
絵も実にいい加減だし、
あつかましく、文芸批評をしているみたいだけど、やばくなると画家だからとかいいそうだし、
>>718 >やばくなると画家だからとかいいそう
ここが売りに出来るんだから立派でしょ
そういえばこねいだ前と後ろから頭が生えてる鹿がいてビビったのだが普通に二頭居るだけだった
逆光というかシルエットの魔法
犬切峠って場所
つーか中間住宅地あたりで動物のシルエットなんて実際に見るか?
シルエットも遠近法並みの絵画の約束事ってことで良くねえか?
>>720 それは、オシツオサレツっていう珍獣だよ。
猿どもが、イギリス人にくれてやって、ロンドンに連れて行かれたために絶滅したとか聞いていたぞ。
八王子あたりには、ハクビシンがいるらしい。
抽象画を気取るのを正式にやめる時期
散歩と柿と動物園をモチーフにするだけで売れ行きがだいぶ増える
しかも本人的に切実なテーマだから罠ってこともないし
やっぱ、具象ってうれるのですか?
最終的にはやさしいスレ民
電波が来ないだけで、こんなに牧歌的
>散歩と柿と動物園をモチーフにする
画家としては、それでもいいが、
批評業に差し支えがでるのではないかな。
あと、フルヤンに具象が描けるのかという問題もある。
>>726 まったく差し支えないと思う
それどころか小さな画集にして自分で編集すれば、
高校時代に褒められたような才能も発揮できる
しかし、フルヤンの描いた描きは、本当の惨劇としかいいようのないものになってしまったのだった。
描き
↓
柿
それってテーマ&バリエーションの模範じゃね?
保坂のコネで来年ぐらいから大学で非常勤講師をやるとみた
保坂にそんなコネがあるの?
一回だけゲストとか、それぐらいなら保坂枠でも出来る
学生に突っ込みを入れられて、いったん口ごもり、怒り出すフルヤン。
清兵衛と瓢箪
っていい噺だね
俺も好き
古谷の感受性の動きは粗暴だ
いらだちのほとんどは本人のせいだし
でも端から眺めている分には面白い
738 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 18:46:19
瓢箪と古谷に何の関係がある。
ほのぼのとした話題に逸らしたいという願望
瓢箪から駒の人生
古谷自身が「ユルくてOK」なのが問題ではなかろうか
742 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 18:52:02
緩いものが好きという趣向は持っているようだけど、
本人の作る作品は、そこを通り越してしまっている。
それでテンションがみなぎっていればいいのだけど……
国文学のエッセイを期待して読んだけど、それは残念なものでしたよ
ユリイカのイーストウッド論の方がずっとよかった
>>744 そのブログ、次スレからテンプレに入れるべきだね
>>744 面白い
他にもそういうマトモなブログあったら紹介してくれ
ntxみたいな、くだらないやつ以外ね
感性のありかたにはけっこうNT-X的なところもあると思ったが、作家としての問題意識で救われている
743の続き
で、イーストウッド以外にもスピルバーグ論も読んだ
ついでに石岡の文章もスピと諸星を読んだ
フルヤンはスピルバーグの頃は迷走してたな
最近やっとまた映画に戻ってきたんだろう
あと石岡はアメリカのアニメが好きみたいだ
立ち読みなので色々うろ覚え
>財布のヒモを硬くすることは、そのまま頭を硬くすることに繋がる。
>これからあたたかくなるので、ガスくらい止められてもなんとかなる。
ここで喫茶店やら電気代やら云々言ってたら、地味に反論してきた
いや、まぁ古谷自身が構わんというなら別にいいんだけど
有楽町から大手町の飲食街って、特別な店が並んでいるわけでもないのに…
去年の日記で、磯崎とウニの話があったね
君たちは古谷を、ほとんど動物なみにあつかっていないか?
それはないよ
むしろ友人に近いんじゃないか
よせやい、
友人が笑うぜ
不器用なふりをして、実は世渡り上手のフルヤンなのであった。
そろそろ親切な人が、動画が見れるパソコンを譲ってくれるころだろ…
>>755 NT−X氏の2006年2月16日の日記を見たまえ
NT-Xもたまにはいいこと言うと思うよ
でもやつは古谷以上に硬直してるんだよな
762 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/04(月) 23:04:33
うんこ弄りして他人を動かすフルヤン
nt-xだけは本当にくだらないと思う。
みんながネタとして扱ってるは分かるんだけど
なぜこのスレでたびたび名前が挙がるのか
やつがここの常連だからだろ。
やっぱりそうなるよな
これを言うと「特定」とか蔑まれるからやめといたが
この中に本人が混じって書いてるとしか思えん
NT-Xも自分のブログを読んで欲しくて必死なんだろうよ。
でも今日紹介された人のブログも微妙にNT-X臭が漂うのはなぜ
YouTube貼ったりしてるからか
マニアってキモイものだから、
そういう一般論じゃなくて
なんだろうね、
身構えてるように見えるからかな、
趣向というか、カルトっぽいのが好きそうなところかな、
古谷は当初は志が高そうにみえたのではないかな、
今となってはなんなんだが、
いや、年齢の割にピュアそうに見えた
>>744 だれかフルヤンに教えてあげたらいい
ちゃんと議論になるかどうか見守ってるぜ
フルヤンは逃げるよ
たぶんフルヤンここ見てるでしょ
フルヤンはいつも「今の僕にとっての切実さ」を担保にしているから、
やっぱりルオー以前がまともとはとうてい「感じられない」よ
小説論でも同じような大言壮語が目立つけど、
すべて「僕にとっての切実さ」でかわすつもりだから感覚をやたら強調している
でも自分の感覚が自分のものだなんてそれこそ罠なんですけどね
作品で応答しなければと思って久しぶりに絵筆をとったんじゃないかしら
文脈への憧れと嫌悪の間を忙しく揺れるぼくなのだった
キュンときた。
最近の古谷は、ブログで他の人を批判しなくなったけど、批判にも応答しないと思う
金持ちケンカせず
でも光と色のよくわからない二元論はどうにかしてほしいと思うのだった
フルヤンがリアルという言葉をやたら使いたがる世代には属しているらしいということはわかるのだった。
おもむろにキャンバスを裏返しに張りなおして、
ジェッソに顔料を混ぜる画伯。
まだ画伯と呼ぶには早いけど時間の問題
作品的には、立派に、巨匠クラスのわけのわからなさだよな。
気難しくて、口をひらくと、わけのわからないこと口走る。
いわく、
ちがう!! 光じゃない、色だ! 馬鹿野郎!
789 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/05(火) 20:30:49
やっぱ、うんこ弄りが好きな奴はつよいよな、
いや、弱いだろw
フルヤンの反論来たぞ
結局具象画が描きたいってことに尽きるじゃん
>そこを、例えば美術史のお勉強によって端折ることは出来ない
セザンヌもマティスもピカソも、
古谷が軽蔑する美術史のお勉強に熱心だった画家だろう
表象と類似の捉え方、すべてが抽象だとしてあらためて非具象をどう考えるか、
このへんもっと整理すればいいのに
極論の屁理屈いや、屁理屈の極論だ
しかし広げた大風呂敷
さぞかし素晴らしい「夕日」を拝ませてくれるんだろうね
こういう指摘をハナから馬鹿にしてるんだろうな
> もし、クロード・ロランやターナー、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ジャン=フランソワ・ミレーなど印象派以前の画家たちを抜いて考えたとしても、
ゴッホ、ムンク、モロー、ボナール、カンディンスキー、モンドリアン、クレー、ノルデ、ホッパー、ミルトン・エイヴリー、熊谷守一、フィリップ・ガストンなどくらいは、一瞬にして列挙できるほどです。
また“印象派が不正確に見えるのは、光と色とを混同しているからだ”という発言もビックリします。不正確じゃなくて、ある種の科学的な発見をしたパイオニアであることは誰だって知っていることでしょう。
フォーヴィズムだって、ただのサイケ・オップを目的にした色彩にも、ベタな意味での表現主義としての色彩に見えないでしょう。フォーヴィズムの画家の作品を見て、キャンバスの画面内での任意な色彩の選択によって作られているとはまったく見えません。
古谷はセザンヌの印象派批判を鵜呑みにしてるわけでしょ
ああいう乱暴なまとめは、
>ひとつひとつの作品の制作を通して、その都度、問い直され、探求され、実践される
以前にやっちゃいけないことだよ
つか極論てつまんね
ディベートもできねえ
古谷は野暮なんだよ
人間嫌いなんだろ
そのくせセザンヌのプッサンマニアとか理解するつもりなさそう
ふだん更新しない時刻に更新したな
さて古谷画伯は791より上のどの書き込みに切れたのでしょうか
犬とかウンコ弄りとか言われるのはわりと面白がってるフシがあるのだが
whaplog
>>796 それはバカにされても仕方ない
「夕日を描けたのはルオーだけ」の発言に対して名前あげて反論してもなぁ…
>>803 そうか?お勉強とか言って罠にはまってるのは古谷だろ
805 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/06(水) 01:54:42
まあ、くれぐれも、
フルヤンのうんこいじりにふりまわされないようにと、
806 :
801:2009/05/06(水) 02:10:41
いやwhaplogみたいなヒハソは画伯にとっちゃ今更すぎるだろうから
それだけでは切れないはず
散歩の途中に拾った枝を、おもむろに取り出してジェッソ壷に浸す画伯。
勿論、これはマーデンのもの真似なのだが、
その姿を、失笑抜きで想像しうる人間が、いったい、幾人いるものなのだろうか?
具象画書くべきっていうレスじゃないの
古谷はカンディンスキーやモンドリアンに対して閉じているから間違っちゃいない
マーデンも自分の絵は抽象じゃないっていってたよ。
厳密に考えるとモンドリアンぐらいしか残らなくなるよな
どーだろね。
モンドリアンの絵って実物みると、セザンヌみたいな感じで、風景にみえるんだろ。
どんなにアラベスクを抑制しても、トーンを 明、中間、暗 の三段階設けてあったりするし、
そこまで言ったら抽象画は存在しないって事になるぜ
というか、アラベスクの抑制って意味分からん
桑山のパネル一枚に一色で、
尚且つフレームをつけて並べている作品なんて、
抽象としかいいようがないよな。
>アラベスクの抑制
ごめん、筆跡を意識的に消してるやつね。
もともと筆跡を消す気はないでしょ
マックス・ビルみたいな、造形主義的な抽象絵画も抽象としか言いようがないかもしれない。
ステラはどうだろ、
>もともと筆跡を消す気はないでしょ
モンドリアンのはなしだよな、
いろいろな絵をかいてるけど、
マスキングしたりして筆跡を消してるように見える絵もあったよ。
やっぱり、君たちは、
フルヤンのうんこ弄りに振り回されてるよ。
フルヤンをなんとしても、美術史に残したくないのであれば、
フルヤンの土俵に上がっては駄目。
>>820 エッセイストの系譜には残ってしまうかもしれない
文学論を批判した方がいいのかもしれないが、そっちは空気扱いでスルーされ気味
俺も読んでない
>>819 マスキングはやってるけど、グラフィックデザイン的に直線を引くつもりはない
>>822 なるほど、
そういえば、モンドリアンは絵画において直線を否定するような発言をしてたね。
>>823 第二次大戦後のデザイン教育がモンドリアンを通俗化したからね
フルヤンも舐めてると思う
造型大ってその総本山だし
Whaplogのひとの言うことは正しい。
っていうか、古谷との議論にはなってないけどな。
古谷は表象ダメとか言ってるけど、結論はどうしたら絵が何かを表象できるんだろうという話だろ。
一生悩んでろってカンジ。
>>824 モンドリアンについては全然語ってないな
モンドリアンなめると`島みたいになる
造形大卒は半端なデザイン画が多い印象
>宇宙的スケール〜
とか言うと誰かを思い出すw
829 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/06(水) 12:14:41
俺も`島は酷いとおもうけど、学校云々のはなしではないだろう。
学校での専攻は版画ということだし、
岡村多佳夫って、そもそもなによ?
夕陽を思いながら、手首を右に、左に捻る。
ジェッソ壺に、カドレッドの顔料を落とす。
ダンスから学んだステップで、軽くキャンバスを飛び越えて、更に、スナップを加える。
キャンバス上の筆触が、夕陽を思念させるためには、
日が沈んでしまう前に、かき終えないといけない、急げ画伯。
>>832 一見して、造形出の作家が多いよな。
造形出の作家はこんなに活躍してますよって、宣伝になるから、学校としては大助かりだろうけど、
835 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/06(水) 14:44:00
空海は足にも筆を持てたそうだな、
フルヤンにも五筆和尚を目指してもらいたいものだ、
そして府中美術館で公開制作をしてもらいたい。
古谷は表象文化論が嫌いなだけなのに、
表象という単語にアレルギー起こしてるんだな
837 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/06(水) 14:52:01
838 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/06(水) 14:53:23
>表象文化論
古谷は、
そっち系の学生が、このスレで騒いでいると思ってるのではないかな。
そうかもね
お勉強とか言いすぎ
>夕日を表現するのではなく表象することなど、いまどきバカバカしいほど簡単だ。
キレてる?
フルヤンのドローイングを見る限り、けっして簡単じゃないだろ
嫌いな再現描写=表象
好きな絵画=表現
みたいな区別だね
842 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/06(水) 19:18:30
指標/表現みたいな図式をたてられて、自分を表現派に割り振られたら、
大概の画家は怒るわな、
指標として嫌悪されても怒るだろ
すぐ、批評家が勝手なことをいっている、とかいって怒るのだから、画家ってのは気難しくていかんね。
所詮、お前の絵なんて誰も欲しがっていないのだから、
大人しく、批評家のお勉強話の具になることに甘んじろって、いいたくなるね。
それは言いすぎw
だってよ、
誰も欲しがる奴がいない時点で美術品としては終わってるんだぜ、
あとは、学的研究の対象としての価値しかないってもんじゃねーか?
”近代絵画のいつ終わったのか”とか”近代画家の末裔を自称する香具師の精神分析”とか
ちがうか? 兄弟、
俺の絵を買うなら覚悟しなw安くはないぜ?って書いてたじゃん
確かに、覚悟は必要だろうと、俺も思うよ、
犬の糞みたいなもんだしな、
動物の方がいいよな
古谷が代弁者みたいになって、
迷惑をしている画家って意外と多そうだ。
永瀬の方が迷惑なのでは
ナガセはたしかに酷いというか惨いな。
あの無邪気に政治的なのが痛ましい。
なんなの? 宗教関係?
寒々しいんだな、ナガセの場合、
アートの話のはずが、、
壁にかければ絵画、とか床に置けば彫刻とか、馬鹿なこといって、
そんな調子で、何でもかんでもなし崩しになっていって、
結局、力関係みたいなもの以外、すべて消去されしまう。
そこで、陳腐な政治地図みたいなものに執着したり、
親が早くに死んで苦労したのかな、
半端に邪気に溢れているのがだめ
フルヤンの方が底意地が悪い
あっ
「シルエットやります」
の前振りかもしれない
古谷が言ってるのは、実際には蓮實の『「赤」の誘惑』の世界だな
シルエットって、90年代の中ごろにはやってたよね。
例えば誰?
例えば誰?
イシカワユキエ
フリップ・ターフ とかいうアメリカの画家もいたな、
もしかすると、アメリカから日本に輸入された傾向だったのかもしれない。
日本ではbゼミ出にそんな傾向の人が幾人かいて、石川はそのうちの一人だったか、
実際にOHPとかそんなものをつかって、影を転写しているとかいう噂だったよ。
流行とかそんなレベルの話としては、
フルヤンみたいな線描の仕事は80年代後半のはやりだったのではないかな、
付け焼刃の勉強が徒になってしまったということになるのかもしれないね。
小林正人とかな
南天子はBゼミ関係が多いね
石川は、身近な物体の輪郭を採り入れた絵画でデビューした。だが、そうした他者に頼ることをやめて絵画そのものを描こうとしたとき、
「描くことのうちに描くことそのものを客観化する」ために、絵画の記譜という手続きを考えたという。つまり「描くことがそのまま、その絵画
を組み立てるすべての要素の諸関係を数的に記述しなおす行為となる」。作品は、にじみを生かした大ぶりなストロークに、砂を混ぜた
円形の絵具を散りばめた絢爛たるもの。いい意味で「諸関係を数的に記述しなおす」なんて小難しい言説を裏切っている。
野暮ったいくらい大味な絵だよね。
ディズニーランド的というか、
なんでそれがディズニーランドなのw
868 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/07(木) 10:06:46
しかし5/7に追加でupされた文章を読むと
最悪のパターンだなって気がする。
あの作文じゃあ、「抽象性」の位置づけがほとんど茂木の
クオリアと変わらない。ロマン主義的アナクロニズム。
制作の現場では歴史も社会も関係ないのはある意味当たり前、
そこで生じる効果をあえてイリュージョンとかフィクションなどと呼ぼうが、
「抽象的な場」を神秘化するロジックを使ってる時点でアウトだろう
こういうナイーヴな大言壮語が何を反復しているのか、ふるやんは
もっと自覚したほうがいいよ
信仰の対象を言説によって説明しようとしたら、当然こんな感じになるわな。
周りをガチガチに固めて肝心なところは一切語らない、っていうふうにしないと。
不器用な古谷らしいけど。
>>868 じゃあ「抽象性」ってどう位置づけるべきだと思うの?
つまり、フルヤンは外から攻めるような言い方をしてる
集団的アレンジメントと言表秩序がOKなら、フラットベッドもありだと思うんだが、
具体的な敵がいるんだろうな
やっぱ岡崎か
>>870 非具象絵画との関係があやふやになりすぎだから、
抽象性と言わない方がいいと思う
つまり、うんざりするのが早すぎるよ
>>872 人間関係はよくわからんしスルーしたいなあ・・・
批評に私情を混ぜ込んだような、そんなの多いけどね
質問ばかりだけど、気を悪くしないでください、
フルヤンの大言壮語は何を反復してるの?
875 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/07(木) 13:20:01
私情っていうより消去法だろ
勝てない領域は回避するっていう
林道郎の仕事とか回避してるよな
スレの反応見て、感情的にはクールダウンしているような
なんですぐキレるんだろう?
カルシウム
でも夕日とPlantsだから、スレ民が言ったとおりの具象画になってる
モチーフから逃げなくなったのはよい兆しなんじゃないの
880 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/07(木) 17:28:16
フリードとかスタインバーグの名前を出すのもある種の忌避だよな
反論される恐れのない大御所ばかりを引用するのもふるやんの勝手だが、
それぞれの理論に対する理解がどんどん平板というかクリシェになってる。
つまり、自論のわかりやすさを否定して抽象性とか「何か」に走るものの、
批判対象の理解があまりにわかりやすいものへと陥ってるということ
表象文化論嫌いらしいけど、作品の理論化・解釈の果てに残るもの、
別言すれば、作品の表象不可能性を顕揚する態度は、むしろ表象文化論の一部が
多用してきた論の構成。同じ穴の狢。
それと、
>。フィクションは常に、何の保証もないまま現実のなかで建てられ、その外側の現実と通底しているので、
自分自身のための強固な地盤-根拠を固めることは出来ない(それをしようとした途端に間違う)。
作家は常に、その「無根拠さ」の前で途方に暮れる。しかし実は、その不確かで抽象的な場、
フィクションそのものこそが、人間にとっての「現実の設立」を可能にしているものなのではないだろうか。
ここは、結論にしては凡庸すぎる。作家が制作過程で直面する「無根拠さ」など当然すぎてお話にならない。ちょう甘い。
そんなもの後生大事にしてていいんか? だけどまあ、そんな程度の話を安易に集団的アレンジメントなどと置き換える詰めの甘さが
我がふるやん愛の根源なんだろうと思うけどな
881 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/07(木) 18:23:38
文化じたい終わっているから、何やっても真剣味に欠ける。
もうこの際宇宙論とかやってみたほうが面白いアイデア出るかも。
フルヤンの大言壮語は何を反復してるんだっつーの、
話が先に進まねえ
883 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/07(木) 22:04:06
科学と違って進まない。グルグルまわて墓場。歴史にも残らない。
そもそもこの手の現場主義的・作家至上主義的な物言いは
「小説のことは小説家にしかわからない」流の独断にはまりがち。
反復してるとしたらそんなもん。よくある視野狭窄。
ドゥルーズ、フーコーは関係ない。
885 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/07(木) 22:24:18
ドゥルーズ、フーコー←こいつらトンデモ
宇宙は隠れ方うまくなったなw
スレに馴染んできた
GWは満喫できたの?
887 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/08(金) 00:15:27
アメリカだからゴールデンウィークなんてない。
転叫院ってやつはこういうバカと馴染むんだな
889 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/08(金) 00:55:04
馬鹿はお前でしょ。
オヤジの説得力
>>890 何がどのようにこじれたの?
まったく思い浮かばないんだが
知ったかぶりしてとりあえず言ってみたんだろ?
それわかってて聞いたんだよ
遺伝子で人間の優劣が決まるとかオウムの幹部とか科学にもトンデモなヤシは多いが、
美術界は美術界で永遠のモラトリアムから抜けられないトンデモばかり
一体どうすりゃいいんだ?
>>894 しったかぶりじゃない
古谷の身振りは劣化保坂
「保坂に師事してこじれた」と何も関係なくなっちゃったけど
しっかり意見を言ったからいいわ
古谷は保坂よりはまだマシだと思うよ
保坂なんて「自分は漱石と並んで日本文学史に残る」って発言してるし
あんな電波が文壇の中心にいるんだから、まぁ日本現代文学もひどい有様だな
「イリュージョン」が悪いんでない?
フリードやクラウス以前、だよな
>>897 おれは
>>896 じゃないけど、保坂に師事して「バカ」をこじらせたって意味でしょ?
古谷の身振りが保坂の劣化版という意見には同意だな
保坂の誇大妄想は芸のうちだろ
笑えるか笑えないかは別として
フルヤンて、かなり肯定的に見たらピュアとも言えないか?
41歳だとイタいが。
901 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/08(金) 17:37:25
おまえよりマシ
ジジイの説得力
>>899 >>900 たしかに。保坂はまあ芸として読めるし、樫村は堂に入ったデムパだが、
フルヤンは天使。ナイーヴにして頑固な天使。愛され偽日記。
40過ぎても己のナイーヴさに賭けてるのは正直どうかと
「夕日」の依頼人が読んでいるであろうことは前提で「苦労している」制作過程を日記にしている古谷がピュアでナイーヴw
そもそも永瀬以上に政治的でしょ
絵が駄目だから外堀からということでしょう。
本当は文脈大好き
棟方志功とかセザンヌとか、昭和の洋画家みたいだぜ
いやだからそのミエミエな政治性を含めてピュアなんだってば
ふるまいのいちいちをここで解析されてしまうわかりやすさ
熊谷守一的スタンスで押し通そうにもそうはなりきれない半端さ
そのへんのヴァルネラビリティが愛されの肝
絵の質は、日本近代洋画だとおもう。
本人は嫌ってるけど、
一旦、外国から輸入されたものを、劣化コピーさせるという工程でそうなるのではないか、
近代日本洋画の枠組みだけが血肉化していて、
それ以外がぜんぶお勉強になってしまう
実際は造型大の学部教育の賜物なんだろうね
そもそも、熊谷って、そんなにいいの?
実物見た上で言ってる?
一応みてるよ。
そうか。こういうのはその人の価値観によるから、あんたが好きな画家を挙げてみ?
それと比べて劣るって事だろ?
モネ、セザンヌ、マチス、ブラック
そうそう、モンドリアンもすきだよ。
結局泰西名画かw
フルヤンと枠組み一緒やん
熊谷は侮っちゃ駄目だと思う
モネはぬるくね?
フルヤの場合は、ブラックとかモンドリアンは入らないだろ。
そこが味噌だ。
まあな
でも第二次大戦後全滅かよ
熊谷なめてんのはフルヤンだろ
しかしここも廃墟化したな
次スレでちゃんとテンプレ貼れば戻るよ
今スレの1の計画的廃墟化だし
書き込みからするとフルヤンってなんか
オードリーの春日みたいなキャラを想像するんだけど
違う?
トゥース!
スレの電波化に、フルヤンもデンパで応えてるね
‥繋がってるね
929 :
1:2009/05/09(土) 08:17:09
>今スレの1の計画的廃墟化だし
そんな計画があったとは知らなかった
それじゃお前さんの計画通り次スレもテンプレ無しで行こう
フルヤン信者かい?
婆ちゃんの知恵袋
1は少しでも皮肉をきかせると嫌みたいだから
【夕日】古谷利裕の偽日記16【Plants】
ぐらいでいいよ
933 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/09(土) 11:10:32
【美術批評】フルや【イラネ】
934 :
1:2009/05/09(土) 11:25:08
皮肉が嫌なのではなくて頭の良い陰謀論がムカつく
お前こそ「電波」だろって感じ
でも次スレにはテンプレ貼ってもいいよ
2ちゃんで意地張っててもしゃーねーわ
>保坂の誇大妄想
全然関係ないけどウイキペデアにある山下奉文の辞世の歌を連想した
保坂も右翼に転向すればいいのにって一瞬おもった
935 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/09(土) 11:26:08
【美術批評】フルや【イラネ】
頭の良い陰謀論って1じゃないの?
【線路を】【見おろす橋】って素朴派を気取りたいって事じゃん
937 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/09(土) 11:32:26
【美術批評】フルや【イラネ】
だって2から延々電波垂れ流したのが1なんだろ?
944 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/09(土) 11:40:04
結局前1かよ
946 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/09(土) 11:46:08
はあ?
勝手に四谷とかの話をテンプレ化して既成事実化してたの
お前だろ?
スレのルールも守れないのか?
947 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/09(土) 11:50:17
【美術批評】フルや【イラネ】
おい1これにしろって。
スノッブスレ。
>・・ムのなかに ブ ラ ン ク があること
マイル、16フラグ
スレ立てに関してだけは自治が必要だな
ブランクには余白って意味もあるんだからよお、
余白じゃないって言うんならそれなりに・・・なあ?
自分の経験でなく、誰かの経験 確かに字義通りに捉えるしかないのだけど、
だから、スレ民?が偽日記だけをみてなにかいうのはアブナイな
「男の子」同士が時間をともに過ごせるアソビってなんなんだろう
それなりに・・・ 具体的な描写が必要ってことだけど、
ブログっていうのは、語彙選択の次元で、抽象的になりやすくなる ということかもしれない…
草書じゃないしね(意味不明、笑い)
また、柴崎さん(ら)と遊びに行けばいいとおもうけれど、、(偽!日記に書く必要なし)
石屋って人はもう来ないのかな
名無しで書き込んでるのかな
石屋に対抗して厠って名乗ろうかな
もはや電波銀座w
電波向けの貸し画廊と化してる
フルヤンがあんまり薦めるんで柴崎友香を読んでみた
ここ数年、ちゃんと小説を読むようなことがなくなっていたし
おもしろかった
物語としては特に何も起こらないが、確かにクセになる文章
たまには小説もわるくない
不動の御三家
美術:利部志穂。文学:柴崎友香。舞踏:神村恵。
この3人、とてもエンタメとは思えんのだが?
柴崎は最後のJ文学作家
なるほど
ちなみに利部志穂って人は、この分野での第一人者なの?
962 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/12(火) 17:01:34
まだ若いよ
利部志穂って、
なんか”現代美術”を思い出すんだよな、
確かに80年代の香りがする
>画家は、自分の知らないことしか描けない。
蓋し名言?
うろ覚えのドゥルーズっぽい
岡崎批判だろ
そんなに岡崎嫌いなのかw
>「社会性が中学生以下」
おれも似たようなもん
スレ民=意地悪な「屈折」
自分=社会性はないがピュア
フルヤンの「ちょっといい話」には☆が付くね
「ちょっといい話」を期待されているということか
ちゃんと世俗的な「婚活」にも言及しているあたりw
孤独を語るあたり、ロマンチストなんだな
古谷って、泣きが上手になったよな。
ネット民なんて、こんなものって、馬鹿にしながら書いてるんだろうけど、
日記をかくことで、孤独を深めるフルヤンであった。
ぼくはきずついた。
ここを終わらそうとする律儀な人たちもいるんだね
そう思うんなら、あと20レス埋まるネタ提供して
こっちは今、電波いないから美術ネタでもいいよ
俺はいるよ。
平倉がBTにヴィデオ展の展評書いてた
どんなでしたか