1 :
わたしはダリ?名無しさん? :
2009/02/08(日) 19:19:49
らーめんばあ
6 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/08(日) 20:24:51
ワット
7 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/08(日) 22:04:59
古谷さんに嫉妬して自演してスレ回転させている奴うざ。
古谷勢力絶賛拡大中だな
しかし、石屋よりしょうもないファンがこのタイミングでスレにやってくるとは思いもよらなんだ
10 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/08(日) 22:09:38
1も古谷ファンだろ 意味不明だし
>日本にはそもそも(大学という「制度」というような意味での)「芸術」という枠が存在しないから、「席」がはじめから用意されているわけではない。
つまり1は10を自演してるんだな 自演すんな
>書き込み人特定などの煽りはスルーしましょう。 これあってよかったよな
これは日本のコンテンポラリーダンスをものすごく馬鹿にしているエントリでしょう
ま、こいつの言ってる「自演」「うざ」は 「むかつくレスすんなこら」ってだけだろう そして根拠は無し
>>16 あまり知らない領域だからこそ、
繊細な大胆さと慎重な観察力を行使するかと思いきや、
絵画論よりも酷い姿勢になりましたとさ、ってオチだよな
ろくでもねえ・・
>>18 粗雑な舞踏擁護者だってここまでひどくはなかった
こう言うのも変だけど 古谷を真似したイカれた子供が書いた文章かと思うぐらいに 今日のエントリは劣化が酷いw
地理的認識もやばいw >今のヨーロッパの(カナダのカンパニーだけど、まあヨーロッパということでよいと思う)アートシーンというのは
まあなんていうかさ・・・・ スレに教育効果はない、ってことだよな これはいい教訓だったんじゃないだろうか? どんだけ・どのように駄目出ししても無駄、っていう・・ 対古谷的スレ機能は無いってことが判明した
>>21 そんな問題が些事に思えるぐらいのことになってるから、今回ばかりは気にならんw
「一流大学の難関学科」って書き方が、もうね。
>>20 エントリに時間が掛かったのにも理由があるのかもね
観たからって、書くことないんなら(知らないんなら)書かなきゃいいのに
>>23 ※ただしアメリカは除く
ってなりそうじゃね?
ようするにケベックなわけで
フランケンズは自腹で行くべきだな
ほんとに、どうでもいい手料理話のほうがまだいいよ あ・・チケットもらったから書かないと、って心理があったのか 観てる間、いろいろ考えることだってあっただろうに、 まさかエントリの内容みたいなことしか考えてなかったのかな それはそれでかなりやばいだろ・・
しかもあれだぜ、コンテンポラリーが身体固有性を使う方向性を 欽ちゃんの仮装大賞 の構造とうまくアナロジカルに言ってたのは岡崎なわけでさ、 そのアイデアすら焼きなおしなんだぜ 論旨の水準は1桁ぐらい落ちてるが
30 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/08(日) 22:35:17
スガキシオがヨーロッパで開かれた国際展に呼ばれたりしてた頃、 同じようなことを言ってたよ、 ヨーロッパの芸術はもう出来上がっていて面白くないって言い方だったけど、 銀座の画廊街を歩いているほうがまだ面白いって、 今では、銀座の画廊は廃れてしまったけどね。
貧しい食生活が眼や手まで貧しく…おっと また「自演するな」「嫉妬か」「数学」が始まるかなw
スガシカオかと思った きしおも終わってるだろ
岡崎乾二郎は桜井圭介とも交流があったんじゃなかったっけ? ドメスティックなシーンについての批評家は桜井とか木村覚がすでにいるよ しかも彼らはここまでの暴論は吐かない
どうでもいい
フランス語圏だから自動的に嫌悪感が呼び起こされたんじゃないの セザンヌもマティスもアレなわけだが
コンテンポラリーダンスってミニマリズムの流れだと思うんだが、 古谷はジャッドならルイスを選ぶんじゃなかったっけ
どっちかといえばダメな舞台のほうが悪い ダメな対象相手じゃろくな文章書けないだろ 黙ってるほうが得策なのに
ルイスはミニマリズムではない
>>38 つまり絵画という枠にとどまってるわけでしょ?
古谷はそういう絵しか褒めてないぜ
セザンヌがルーヴル通いの熱心な勉強家だったのはすでに常識 マティスがピカソよりも優れている点も美術史をよく学んでいたから
もう絵画もやめちゃった方がいいかもわからんね
ピカソは美術史をよく学んでなかったのか?
>>42 あくまでもマティスとの対比だが、手癖に回収する傾向が強い
ようするに身体能力が高すぎてそれが「枠」になった
要するに、セザンヌもマティスも美術史を身体の外部にあるものとして受け止めたことが重要なのに、古谷さんにとってはそういうのは駄目な象徴界ってことになる
45 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/08(日) 23:01:37
ピカソも古い絵をよくみてそうだけどね。 印象派的な絵に対する解釈がものたらないんだよね。
ピカソも凄いんだけどすべてを体内化しているところに弱さがある
ここのところ、気分としてはわかるんだが論理的によくわからない 身体技能が低い方が「作品」の力で勝負しやすいってなんで? >身体技能という点ではヨーロッパに見劣りするかもしれないけど、自分たちの「作品」の力によってその「席」そのものをつくりだすしかないというような場でやっている分、
日本という悪い場所
49 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/08(日) 23:34:06
身体技能は低いけど、自分たちの作品の力で席そのものを作り出すしかないという場でやっている分 と読むべきではないの?
十年たったら、忘却されているだけのはなし、
>>49 技能が高いと作品の力が弱まる理屈がわかりにくい
素人芸の方がよいと?
ピカソは身体能力高いだろ
>>53 ピカソより身体能力で劣って見えるマチスのほうが好きそうではある
>>54 でも古谷理論で行くなら美術史を学んじゃ駄目だろ
>>55 自分が学ぶのがメンドクサイだけで他人が学ぶのはアリなんじゃない?
>>56 他人の作品もそういう基準で批評しているのではないかと思うよ
そもそも、ピカソが身体能力において、マチスに勝っているのかい?
万人にわかりやすい画力は圧倒的でしょう マティスは成人してから絵を描いたんだし
60 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/09(月) 00:08:51
官能小説
色彩を感じるのも身体でしょ?
>身体技能という点ではヨーロッパに見劣りするかもしれないけど、 >自分たちの「作品」の力によってその「席」そのものをつくりだすしかないというような場でやっている分、 だから、最初の部分は抜かして読んだほうがいいのではないかな、 >自分たちの「作品」の力によってその「席」そのものをつくりだすしかないというような場でやっている分、
ピカソは職人的な意味で腕は確か。 芸術やらずに絵関係で食っていける。 技術者。 マティスやセザンヌはスキルはないよね。 アートはあるけど。
「作品」の力って具体的にどういうことなん? 呪力とか?
古谷さんはもうアートに興味ないんだと思う。 山下清的な意味での「絵」に向かいつつある。
>>64 それでいうと村上隆がピカソでフルヤンがマティスか
だから、 スキルを作品に外在化させて語るというのが、そもそも間違いだって、アドルノさんも言ってるよ。
アドルノって絵わかるの? 音楽馬鹿じゃないの?
69よりはわかるだろ。
>>68 スキルの意味も分かってない馬鹿乙。
これだから技術も知らない低脳は。
ピカソが身体的、マティスが理知的ってどんだけステレオタイプなんだか。
スペインの田舎での美術教師の息子は他者の趣味を習得するために訓練を受ける必要があった。 それに比して、フランスのそこそこ金のあるインテリ階級出のマチスは、自分の階級社会の趣味について改めて学習する必要はなかったかもしれないのだけど、 あんまし、面白くないね。こういう論の立て方。
>>76 お前当時のスペイン社会、経済、宗教も知らないでしょ。
基礎知識ないのにそれらしく言ってもダメ。
脊髄反射で全部に即レスしてるウンコがいるね。
お前もナ
古谷は正しい。 アートなんてとっとと終われ。 日本人らしく、アニメとかやったほうがいい。 絵画のさらなるオタク化を期待する。
でもって、 フルヤンは三年浪人をして、必死に他者の趣味を訓練したのかな。
デッサンは趣味じゃない。 技術。
オタクも限界芸術みたいなものだからなあ
絵画のオタク化におびえる美大さん乙。
82はNT-Xとかいう人?
このスレきもいね 必死で自演して回している。 カーボン。
美大も黒瀬みたいなオタクが多いんじゃない
まあ、脳科学に回収されるんだからどうでもいいっしょ。
受験のデッサンって、 古典の解釈に向かうものなの? アイダの絵をみてると疑問を感じるけど、
>>92 デッサンしたことないの?
スポーツと同じで、できる奴とできない奴がいるだけ。
すると、美大は体育大学と一緒?
古谷の根底は体育会だろう
古谷の運動神経には疑問を感じるのだが、
>>96 だからああいうエントリになっているんだろう
日本の批評業界にも古谷みたいな人のための「席」があるから今の地位があるんだぜ
99 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/09(月) 02:45:17
やっぱり、このスレはいつも(とくに平日昼間)自演で回ってたんだね。 禁句かと思ってたけど、言っていいんだね。ずっと同じ文体だし、 100とか続いたと思うと途切れてぱったり。 不自然すぎると前々から思っていた。 となると、誰の仕業か
自演説を唱えたり特定とかもういいから
古谷のファンは古谷と似た体質でもあるのかね そういえば古谷もみんなが同じに見えると言っていたのだった
文体の特定すらろくにできないのは、文字は記号だからよくわからんのですよ
あまり自演自演と怒らない方がいいよ >でも、今日は、土鍋を火にかけたままネットを見ていて、ご飯を焦げ焦げにしてしまった。
>>99 のレスでやっとわかったんだが、この人はずっと
自分以外は一人しかこのスレにいないって意味で「自演」と言ってたんだね。
んなわけねえよwww
まあ、
>>99 以外と俺以外に2〜3人ってとこだろ
ここは短文チャットみたいなレス応酬だから、同じ人らしきレスに見えるのも仕方ないが
自演ってのは古谷自ら盛り上げるとか、 奇妙な意見なのに不自然な同意が相次ぐとか、そういうのを指す
>>103 スレフォローなのかな
そう読むのに慣れてしまった自分が嫌だ
107 :
104 :2009/02/09(月) 03:24:29
>>105 ああ、そのぐらいの意味か
このスレの連綿たる文脈の蓄積からすると、別に奇妙でもなんでもないしなぁ
無理矢理好意的に受け取るなら、 一緒に飲んだ演出家がコンプレックス丸出しなのかもね
よって自演はない 俺も自分の意見に同意とか下らないことはしないし
>>108 2/8エントリじゃなくて、2/7エントリの方の、
ヨーロッパか日本かって意味のコンプレクスってこと?
俺がふと思ったのは、身体=下部構造/台本=上部構造に見立てられ、
台本がメタレベルになってて、台本をからごころ的に分割し、
不純物として排撃するような発想から、
あの日記の「制度」だのなんだのっていう意見になったのかと推測した
しかし、ここまで推測する時点で好意的な読解過ぎるわな
>>110 どうせおごってもらったんだろうし、無責任に相手に同調してるかもなあと思って
実際にはそういうのこそが同調圧力なんだけども
古谷はあれだね、意見はショボくても肩書きが「芸術家」だから、
一定の仲間を集めることができるんだろうね
>>111 >意見はショボくても肩書きが「芸術家」だから、
ぶっちゃけ、映画批評に参入できたのもそれ
大寺眞輔の古谷への全く留保なき押し出し方は気持ち悪かった
「画家」ってのが絶対利いてたね
鬱屈したナショナリズムの表明も、アーティストにはまま見られるもんなあ すごく情けないし、ヨーロッパ芸術の敵視は信じられないぐらい変だと思うが でも作家の愚論というのは、その人が素晴らしい作品を残すから甘受できるわけで
>>35 の「フランス語圏だから」反感説は意外にありそうだと思ったな
たしかに古谷はストローブユイレもゴダールも、
語るときに妙にハイコンテクスチュアルなもの(政治性含む)を好んで排除し、
やたらと素朴なことにだけ注目することが多いんだ
まあ、慣れ親しんだロメールだと気にならない、みたいな恣意性があるようだが
かくしていつものようにこのスレの話題は 古谷の論旨のつまらなさから、古谷の精神分析、動機分析へと移行していくのだったw これはもはや定番ループになりつつあるな
>>115 いい絵を描いていれば目をつぶれることの方が多いから仕方ない
映画におけるエロとか、ビーバップや80年代アイドルの制度性は不問に付すんだよな 懐古中年だな
数年前は、岡崎とはまた違う路線を開拓できてもいいはずなのになあ、もったいないなあ、 いわば岡崎は現在の地平でマチス、セザンヌをやり直してるようなものだとして、 いまの地平といっても岡崎なりの選択があるんだから、 古谷なりに別の攻め方から行けるはずなのになあ、と思ってたんだが 最近の古谷の成長の無い歩みを見るにつけ 期待は間違っていたんだな、と思うようになった いい絵を描ける画家になっててもおかしくはないぐらいの 余暇時間も刺激のチャンスもあるはずなのになあ・・
藤枝史観の最後の犠牲者なんじゃないかと思えてきた
>>117 そりゃ、単純に、慣れない・反発をするものを排除して
憂さ晴らしするためのレッテルでしかないもの
頭も感性も硬直してるんだよ
その古谷システムの自己防衛挙動みたいなもんだ
>>119 ここまで硬直してると、可哀想にすらなるよね
せめて反面教師として若い人はしっかり学んでいただきたい
118の期待したようにならないのは、 いつまでたっても古谷の美術史がグリーンバーグ=フリード路線の日本的矮小化から出ないため
>>120 その意味では、嫌悪しているらしい80年代の申し子なんじゃなかろうか
124 :
29 :2009/02/09(月) 08:06:30
>>33 まさに桜井との対談(数年前のBT所収)でこのアイデアが出てた
固有なもろもろのパフォーマンスの身体と、それに対してメタレベルとなるキュレーション、
といった論旨だったような。
ここって泣き言を書いて食い物をもらうブログ?
最近、土鍋でご飯を炊くのがけっこう上手くなってきて、ほとんど失敗しないようになった。 湯気の出方と音とでだいたいちょうど良い炊きあがりがわかる。でも、今日は、土鍋を火にかけたままネットを見ていて、ご飯を焦げ焦げにしてしまった。とはいえ、お茶漬けにして食べれば、焦げ焦げもそれなりに美味しい。 以前、大分の展覧会の図録を送った方から、お礼としていただいた紀州の梅干しをほぐしてご飯にのせ、海苔を散らして、お湯をそそいだ。最近の食生活の多くが、いただきもので成り立っている。
こんなことしていると中年以後体力がガタ落ちになるよ
嫁をもらって、せめて食生活(健康面)を充実させることを、真面目におすすめしておくよ。 フルヤンが倒れて日記が閉じてしまったら後味がわるい。
まずは畑耕して自給自足だな 話はそれからだ
でも柿の木とかやたら田園風景を強調してるが、 NT-Xのストーカじみた散歩写真を見る限り、実際にはそんなに田舎じゃないでしょ
いい加減電気釜買えよ フルヤン
買ってねーのかw もしや電子レンジもないとか?
時事ネタに全く触れなくなったころぐらいからつまらなくなった 以前のフルヤンだったら肯定的であれ否定的であれオバマに触れてもおかしくなかったのに やはり石原とブッシュが再選されたことの絶望は深いのか、あるいはネット論壇みたいなものに触れすぎてそうなったのか イラク戦争の時、鈴木謙介が良いと書いてるのを見てエッ?と思ったが
どうかな
政治嫌いというか非政治化。
いや昔は触れていたよ 同時多発テロにももちろん反応して、柄谷の悪名高い文を引っ張ってくるぐらいだった 今はチベットにもイスラエルにも全く反応無し イラク戦争のbefore-afterぐらいで変わった どちらが原因かは知らないけど、柄谷や浅田と精神的に距離を取り始めたのと同時期だと思う
右寄り左寄りという違いはあるが、東浩紀と近いね
イラクで最初に誘拐があったときも反応していて、その後の誘拐には死人が出たのはそれ以降なのに反応 しかなったところを見ると、その間に転向があったと見るべきか
まあ基礎知識ないから政治語れないってことでしょ。
でもそれだと「ヨーロッパの芸術」も危うくなるぜ
なんで?
基礎知識がないからと言いたいんだろう
基礎知識がないから
一番しっかりした知識があるのは80年代アイドルだと思う けっこうどうでもいいけど
www
土鍋と炊飯器だとどっちが安くつくの?
文化しか知らないからね。この人。 しかも西洋近代以降という特殊な分野。
>>148 お前が何も知らないだろ……
今の流れをみて、「西洋近代」の知識があると思えるのはスゴイ
そのうち縄文くらいまで一気にトリップするだろ
>>147 食事の準備時間がめんどくさいとか、そういう理由でジャンク化するとえらく高く付く
その金で炊飯器買える
岡本太郎は嫌いなんじゃないの なんとなくの予想だけど
呪術性について相当投げやりになってないか? 土曜日の原始のシミュラクルとかああいう扱いと似てる
<おまえらの特徴> ○ 部屋は汚いが、片付け始めるとトコトンやる ○ 公の場では綺麗に使うよう心がける、友人の家も綺麗にする ○ 熱しやすく冷めやすく、一度冷めたらどんなに中途半端でもヤ〜メタ ○ 基本的に無気力だが、変な事には異常にこだわりを持つ ○ 洗濯物はタンスに入れず、出かけるときは無造作に置いてある中からチョイス ○ 家に帰ると即効で着ていたものを脱ぐ ○ 夜中に昔の痛い自分を思い出してあああああああああとなる ○ 人の悩み事は親身に聞くが自分の悩みは話さない ○ 人情話に弱いが実際に人と接する場はあまり好まない ○ コンビニでお釣りの渡され方を妙に意識してしまう ○ 寝てたわけじゃないのに「ごめん寝てた」の言い訳を使うことがある
>>156 まさに、おれ達であり、古谷であり、お前自身だよなw
三面鏡のようだ
158 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/09(月) 17:35:08
○ 寝てたのに「いや、寝てないよ」の言い訳も使うことがある
おれ達はつまり… ひとりなのかw
つか前スレぐらいから古谷カキコんでんだろ?
こういうのって誰にも当てはまるようにうまく散らすんだが、俺は全然違うかな でも面白い
>>160 前スレでも同趣旨のレスがあったが、俺にはあんまりそういう印象ないなあ。
まさか俺の書き込みがそう思われてるのか? などと無駄に恐怖してしまい、
なかなか言い出せずにいるんだがw
古谷っぽいレスってどういうときに感じた? (レス特定はしなくてもこれは言えるでしょ
○ 部屋は汚いが、片付け始めるとトコトンやる 部屋は片付けない。汚くてもほっとく。時間がもったいない。 ○ 公の場では綺麗に使うよう心がける、友人の家も綺麗にする たしかに。 ○ 熱しやすく冷めやすく、一度冷めたらどんなに中途半端でもヤ〜メタ それはない。時間の無駄は最初からしない。合理主義。 ○ 基本的に無気力だが、変な事には異常にこだわりを持つ 無気力ではない。 ○ 洗濯物はタンスに入れず、出かけるときは無造作に置いてある中からチョイス 意味不明。タンスの意味ないじゃん。 ○ 家に帰ると即効で着ていたものを脱ぐ んなわけない。 ○ 夜中に昔の痛い自分を思い出してあああああああああとなる 夜はすぐ眠る。無駄な思考はしない。時間の無駄。 ○ 人の悩み事は親身に聞くが自分の悩みは話さない 人の悩みも聞く環境はない。自分の悩みは話さない。 ○ 人情話に弱いが実際に人と接する場はあまり好まない 人情話は聞かない。時間の無駄。 ○ コンビニでお釣りの渡され方を妙に意識してしまう 意味不明。 ○ 寝てたわけじゃないのに「ごめん寝てた」の言い訳を使うことがある 意味不明。
トッシーは書いてないでしょ。 トッシ‐に嫉妬して自演しているのが一匹いる。
書き込んでないだろ
読んではいて、いらいらしてそうだとは思うが、書き込んではないと思うね 書き込んだらいろいろ悪循環が生じるし、日記も引きづられやすくなるだろうから、 いまの日記の雰囲気から考えてそれはないと考える
でもチケットくれた人に失礼だろとか、食い物差し入れの件とか、 的確に反応しているのは間違いない
そうか。
私は
>>160 ではないが、自分のスレに自己批判を書き込むようになってからイライラしなくなったから、あるいはと思ったのだが、みんなが言うならそうなのだろう。
あ。特定はやめてね。
ああ、なるほど、前スレの古谷批判が、自分でやってるんじゃないかと。 それだったらそれで、古谷の足取りも迷いながらも違うところに行くと思うので、 2/7エントリみたいな記事は出ないと思うよ。 イライラ解消に関しては、最近になって観劇や別の読書を活発にやってるのが相当してると思ってる。 まあ、いろいろ触れるのはいいことなので、それ自体は別に非難しようとは思わないが。
日本人とは何か?この極東の陰気な一人種はいったい何であろう? アメリカ化された黄色いサル。これが戦後日本人に与えうるもっとも適切な定義である。 アメリカ化とは、ギリシャに端を発する文明の最終形態のひとつであり、それに日本が染まったことは、 この太陽系惑星における、たんぱく質機械たる知的生命体の文化の極相がアメリカだったということなのである。 それは、カリフォルニアの空のようにどこまでも青く、乾いた風がいつまでも吹きつづけるひとつの荒野だ。 そこには、文化的なものは事実上存在しない。文明だけが存在するのだ。 愛国心、宗教、神話、伝統、風習などは、ひとつの非科学的な野蛮としてしか存在しえない。 科学的に教育された大衆はもはや何も信じていない。 彼らにとって政治とは、リソースの配分の最適解の探索でしかない。政治は科学になったのだ。 彼らにとって文化とは、第一に娯楽であり、脳に与える効果の探求、応用大脳生理学である。 そこにはかつてあった、神話的伝統や神々の栄光は何ひとつない。綺麗さっぱり水に流してしまったのだ。 これが今の中東とアフリカ、極東のいくつかの社会を除く大部分の社会であり、すなわちわが国日本である。 カリフォルニアの州面積は、日本全土よりなお大きく、一年間の降水量はたったの400mmでしかない。 手塚治の生み出したアストロボーイは、科学の子であり、それはどこまでも愛されつづけるだろう。
内田樹みたいだな
こういう言い方は権威主義的だけど、この人教養がないからなあ。 哲学も数学も科学も工学も法学も政治も経済も歴史も知らないわけでしょう。 文化的には、専門だからか、20世紀ヨーロッパ絵画はある程度詳しいけど。 それを分析する段になるとボロが出るのは、やはり知識がないからでしょう。
>>173 その20世紀ヨーロッパ絵画の知識がないんだってば
それがわからないということは、
あんた自身も芸術を知らないので、やたらと威張らない方がいい
>>171 こいつが古谷ではないことだけは断言出来る
古谷でもここまでバカじゃない
でもまあ居てもいいかな…
たまに出て来て「嫉妬すんな」「自演すんな」「ハイデガー知ってんのケ?」とか言ってほしいw
あ、バカ、生きてたのかと思えるよ
日記が更新されれば生きてるよw
へえ〜w
古谷はハイデガーろくに読んでないと思う
ラカンみたいにハマるとまたうるさいから読んでほしくない
最悪の当て嵌めばかりをする読み方になるから、読まんほうがいい気もするな しかし、それを言い出すと何も読まないほうが良い、となるので、 ハイデガーはともかく、根本的に読書姿勢を改善してもらわないと。
ハイデガーを読む以前に大学教養レベルの知識を身に付けてほしい。 ハイデガーなんて苦労して読んでもスキルやアートにはならんし。
まずは言語論、記号論あたりがよさそうだが それか美術史
そのへんだね ある程度じっくりやってほしい それと平行してなら、樫村持ち上げだろうとラカン好みだろうといいんだけど
20世紀美術史をやり直すのがいいよ
653 :名無しさん@明日があるさ:2009/01/24(土) 22:11:35 O 最近バイ多いのかな? 自分はゆずの北川と小池徹平が好きなんだが・・ 654 :名無しさん@明日があるさ:2009/01/24(土) 22:41:58 0 俺も最近美少年、美青年に犯されたくてしょうがない。 一回りくらい年下の男に主導権を握られて犯される。。。 刺激に飢えているのかもなw 655 :名無しさん@明日があるさ:2009/01/24(土) 23:38:34 O 俺今大学院に行ってるんだが、文系の修士って結構なイケメン率だよw 瑛太似の後輩のモッコリを思い出しながら、誰もいない研究室でオナってしまったw このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) ●ゆず 146巻● [邦楽グループ] 人間としての最下層まで墜ちたな俺と思った瞬間 [生活サロン] 【自分探し】古谷利裕の偽日記10【幸運な出来事】 [美術鑑賞] 男を部屋によぶとき [同性愛]
そんなスレをIEで見てるお前がおかしいわw
おまいが見るから入っちゃうんだよw
オルタナティブ通信
スルーしてりゃいいものを、乗っかってあげるスレ民のやさしさw
文系修士のガチホモが常連ってことか
ガチホモで流れが止まった・・・
この流れワロス
また食い物をたかる話になってるw
そりゃこんな日記読んでたら「今度会ったら何かおごってやろう」とか 「そういえば、お歳暮でもらったハムが冷蔵庫にあったな」とか思うだろ
買い物の仕方を教えた方がいいんじゃないの
ギャラが豚カツなんだからしょうがない
>こういう食欲をずっと忘れていた。 もっと大事なことも忘れてると思わん?
>>185 読んでちょっと興奮してしまった俺がいるorz
もしかしてそっちの気あんのかな
数年前は偽日記はまだしも 制作・批評・風景描写・身辺雑記がバランスよく混ざってて 「偽日記」というタイトルにコンセプトを感じさせたが いまは「古谷利裕の生活日記・食日記」って感じだな 昔よりさらにそっちが濃くなった
少なくとも「制作」は完全に無くなった
トンカツあげると文章書いてくれることが分かった
友人だからだろ
生活諸事、食、夢、にこのところ話題が集中してるところを見ると、 まあ、原稿書きになった分、日記に文字通り「書くことがない」んだろうな それならそれで質の維持のために週1日記にするなどの手もあるんだが、 質の維持・向上よりも、「毎日更新の偽日記」「惰性」に引っ張られてるんだろう まるで体面のために更新されているようだ この前の2/7も結局、「チケットもらったから書かないと」が先にあるんだろうし、 チケットくれる人も、古谷に書いてもらうために、って流れになってる (実際には違っても古谷にはそういう不安は生じちゃうだろう)ようだし 何かと面倒くさい日記になってきてるな
飯を送りつければ書いてくれるよ!
石屋っぽくいうなら無意識のリソースがかなり痩せ細ってるってことじゃん 危険
石屋が書き込んでたレスを、当時なんじゃこりゃと思って読んでいたものだったが、 そういう視角から突付けていたのは重要だったな 実証的には指摘しがたい問題だが、たしかにそういうのも大事だね
>>204 差し引き無しで的確な分析。
しかし「評論」などは昔から書いていた訳だから、並行できなくなった理由はなんだろう?
それが「小説」に代わったから?
前スレで日記こそ「小説」というレスがあったけど、古谷の持論からするとそれは「私小説」にならないとダメな訳で、カブるから、日記の方のネタが劣化していくのかな?
とんかつの描写はやや叙情性が過剰だったよ ああ〜みたいなw
>>208 単に、批評の対象、つまり作品と触れてないってことじゃないかな
あるいは、批評的な言葉と作品経験が乖離してきている
後者だとして、古谷のことだから、「既成の批評言語は「制度」と化している、
ゆえに僕は暗中模索をしているのだ」と言うだろうが、
俺が見るに、単につまらないことしか言えてない
なぜか
ロジカルな模索の蓄積がないから、
単に「何か」「不意に立ち上がるもの」「感(触)」という語彙に漠然と流れたからだ
思うに、古谷は自分の経験と文章との間に悩んでない
だから上記の語彙に写し取ったとき、何かしらの満足が起きてしまい、
そこで終点となってしまう習慣が形成されてしまっているんじゃないか
日記という、即時的で一過的な文章の場が、その習慣をこじらせてしまっている
もともと偽日記って美術からの逃走過程で生まれたサイトだから仕方ないんじゃね?
単に、とんかつ食ったら「何か」が起ち上がっちゃったんだろ? もうセルフパロディじゃんw セックスしたって同じように書くよ
日記は「日記」なのか? 「作品」なのか? だから「偽」なのでは?
>>213 作品と非作品を区別することはそもそも無理だよ
ジャンル論的な分別でもしないことにはきりがなくなる
問題は作品かどうか、じゃなく、どんな作品か、
それを論じることに何の可能性や価値がある作品か、だ
今見ると2年前の古谷の方が冴えてるように思うから困る
ttp://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20070120 >「段取りも説明も文脈も」関係なくなにかが「いきなり」成り立つという点がことさら強調されるのは
>(そして観客がことさら「いきなり」であることに魅了されるのは)、八十年代的な作品の特徴とも言えて、
>つまり、文脈から切り離されたようにみえる作品も実は、
>八十年代的な時代の文脈に拘束されているということなのだった。
>いかにも八十年代的な作品を(...)(自分がそこから多大な影響を受けているということまで含めて)
>受け入れられるようになったのはここ最近のことだ。(...)
>八十年代は、ようやく普通に「過去」になったということだろうか。
全然古谷のなかで過去になっていないことがよくわかる
80年代的自分をようやく普通に自己肯定するようになったということなのだろうか
人から恵んでもらった話ばかりだな、最近は
>>215 つまり古谷の論述スタイルも80年代的なんだろうね
「裸の大将」説があったけど、どどどどどちらかというと「山頭火」みたいなんだな
両方に失礼
真面目な話、アウトサイダーアーティストの方が真摯だと思う 古谷の論理的帰結はアウトサイダーだけど、そこまでの必然性はない
朝青龍に似てる
あんなに強かったらこうはなってないよ
おまい、ちょいちょいと… スレの方が電波化してどうすんだよw
たしかにフルヤンは一度ぐらいアブダクションされてみればいいのかも
古谷はUFOにもお化けにも向き合うつもりはないでしょう エロもな 映画批評の全体がそれこそ「記号的なフェイク」なんだぜ
美術館は制度、美術大学も制度。 和田問題というスキャンダルは美術の制度的問題が露呈したもの。 古谷の書いていることって、実は空っぽなのかも。
自分にとってしっくり来る制度は叩かないと思うよ なぜなら「自然」だから
古谷いじめが激しくなってますね。 古谷に嫉妬か。
展覧会のためのテキストの原稿料として、ギャラリー近くの国分寺の駅ビルの店で、井上君にトンカツをごちそうになる。トンカツを食べたのは何時以来だろうか。 まるで若者みたいに、ガツガツと「がっつくように飯を食う」というようなことをしたのは何時以来だろうか。ご飯をかっこむように頬張ったのは何時以来だろうか。 揚げ物の油を体が欲していると感じたのは何時以来だろうか。おかわり自由のご飯をおかわりしたのは何時以来だろうか。お腹はいっぱいなのに、口や喉がまだ何かを飲干したがっていると感じたのは何時以来だろうか。こういう食欲をずっと忘れていた。
タダ飯の味を覚えるとやばいぞ・・・
>>220 なんか、
描くことの根源に触れてしまったがゆえに必然的な躓きだったのである
とか正当化してそうな気がする
だって、そうでなきゃ、描くべ?
最初から岡崎や樫村なんてなかった。 アウトサイド!
寄り道だった 無駄な時間を過ごした
アニメ大好き
樫村はアウトサイダーだからいいんじゃないの
量子力学や分析哲学をしっかり勉強した上でのアウトサイダーと 何も勉強しないで否定しているアウトサイダーは違う。
その前にマルクスとラカンが重要でしょ
☆古谷氏のアウトサイダー化現象 古谷さんはアウトサイダーになったことは、樫村批判
この人何も知らない。 CDの原理もわからないんじゃないの?
工学万能君か
CDが工学って・・・常識でしょ
だって事例の出し方が美術に関係ないものばかりじゃん
でも工学化という現象があるわけでしょ。
東スレ住人かよ ネットの人口比率の問題でしょ
セックス階級って何?
駄スレ化しようとしているのが古谷ファンってことね
ファンファン大佐か
/\ \ __/ / ̄/ /\ _\/ /_\ / / ̄ ∧_∧ \/__( ;・∀・) セックス階級って何? / と ノ ハァ / 人 Y ハァ \/し’(_)
セックス至上主義者のこと
ここを荒らすなら食い物送ってやれよ
ttp://blog.livedoor.jp/gotenyamanoushi/ 昨日シアトルでの初日を終えた。
数人のスタンディングオベーション、海外チェルでは初だ。いや、日本でもないから世界初?
バンクーバーでも徐々に噂が広がったのか楽日は満席だった。 北アメリカ大陸3都市目だがどこもめちゃくちゃ受けている。もっと正確にいうと大声で笑っている。
そういえば日常生活でもよく笑うし、あかの他人でも必ず挨拶し、今さっきこんなことがあったぜみたいな話しをし始める。
外側から見たアメリカと実際来たアメリカ(アメリカは初体験)のギャップが少なからずあり、自分は結構内向的人間ということを大きく自覚した。
実際は欧州より頭が古かった前大領から本当にあっけらかんと「Change」していきそうな潜在力を感じる。
「三月の5日間」行脚も折り返し地点。翻訳という壁を超えて「Five days in March」のメッセージは着実に伝播してる気がする。
227はHannibal? 制度制度いってる芸風から察して・・
ほら、肉なんか食ったら目覚めちゃったぞ 久し振りにドキドキするエントリだと思ったら、最後はやっぱり金の無心でガッカリだよ でもスレには確実に反応してるようだね
ただの文筆家宣言だろ 自分を含めた多方面への根回し文章に反吐が出る あと写真展やりたいんで企画募集中〜♪ 対談は、写真が趣味の女子作家でよろしく あ あと誰かお金貸して ↑ 「古谷に嫉妬か」 先に言っとくw
たとえ分かってくれる「個人」がいたとしても、発表さえしなかったらその「個人」にも届かないじゃないか。
セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホのポスト印象派の三羽烏と同じく、 隠棲のうちで新しい絵画原理を模索しようとするなら、 ネットも引けないような田舎に行くほうがいいと思うんだよな。
これ普通にビックリした。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-05-13 優れた作品というのは、
多くの人には分からないというのは、
会田誠さんが、セザンヌが分からないという話を、
美術手帖で話した時にも、明確になった。
さすがに辰野登恵子さんは、
セザンヌが分からないという事は、言わない。
当たり前なのだが、
そのときに、私がセザンヌの尊敬していたニコラ・プッサンの名前を出したら、
辰野登恵子さんも会田誠さんも、古谷利裕さんも、3人とも知らなかった。
これには私は驚いて、二の句が継げなかった。
芸大を出て、日本を代表する画家が、ニコラ・プッサンも知らないのは、
教養が無さ過ぎる。
野蛮人である。
フルヤンはプッサンの画集を持ってるようだから、それは嘘だな。 会田は本当に知らないかもしれないがw
260 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/11(水) 11:09:53
>で、具体的に、どんな作品について、どんな話をしようかと考えながら、夜中に、好きな画家の >画集を沢山積み上げて(セザンヌやマティスやボナールやティツィアーノやヴェロネーゼやプッサンや >ジオットや...)、じっくりと時間をかけていろいろと眺めていたら(ry 2006-06-18の日記。知らないどころか、好きな画家のようだ。 いくらフルヤンでも、あれだけセザンヌ好きだと言っておきながら、プッサンを知らないことはありえないだろ。
プッサン知らないと言われても反論しないとは大人だな
385 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/15 16:28:38 彦坂スレっていつ見てもフルヤンのスレより、下になってるな、、 ここらで、本人に登場ねがえないものかと、 内輪のメーリングリストで、数人の子分みたいな若者相手に熱弁を振るうよりは、 エキサイティングだと思うのだが、
古谷はそのランキング入りする事自体を嫌悪してそうだぜ
ぼくがんばってきたんだよ92年からずっと(03年以外は) もうちょっとやさしくしてよ 誰かがんばったねって言ってよ へんな電波がうるさいんだよ 嫉妬しないでよもう
浅田がちょっと褒めたおかげで仕事が出来たが、作家としては芽が出なかった 文芸評論家にならない場合も同じような絵だったのは間違いないけど
評論家になれただけでも良かったじゃないか
まあね アンチ評論っぽいスタンスで何人かの作家と仲良くやれるのはおいしいかも
はい 評論家にはなれたんですけど、ついでに小説家にもなりたいんですよね あと写真家にも なので今年は絵の方はちょっと すみません才能があって
デジカメの写真管理すらしてないみたいだからどうなんだろ 撮りっぱなしの日常に満足しているだけではないか
文壇で素人写真が流行ってるらしいね 福田和也とか
人物ドローイングが描けるならあと十年は食えるのに……
写真とドローイングがついたエッセイ集とか、それっぽいし古谷向きだと思うんだが 風の旅人じゃなくてもっとメジャーなエッセイ誌の巻頭連載とか
それで時々芸術論を開陳するの 「現代美術は「枠」に囚われていて「何か」を逃していると思う」とか何とか
でも断固として美食方向には走らず、清貧キャラで売る 実際に稼ぎが増えても営業上そういうところは見せない
繰り返すのもうんざりだけど、あんな制作でセザンヌやマティスに導かれるって嘘だろ
>こんなだから、現代美術のシーンや文脈の中で自分の居場所が(評価が)ないというのも、それは仕方がないかとも思う。 これって古谷がレビューを書いてる仲間の画家に失礼だと思うんだが 彼らは居場所あるし。 古谷の絵の質の問題を、業界の体質に転嫁しているだけのような気がするんだよな
>>280 セザンヌもマティスを出すことで、
「一見現代美術より古臭いことをやってるかもしれないけど……」という図式を作ってるみたいだけど、大間違いでしょ
古谷は1970-90年代の日本のペインターの伝統に忠実なんだから
セザンヌ「や」マティスだったね おかしいのは、だったら非具象はないだろうという疑念が放置されていること
この人、評論家なの こんなんで評論家なれるんだったら皆評論家じゃない?
わかりやすい感性批評で付き合いやすいから、作家との対話がやりやすい 友達の作家ってそんな感じ
古谷に嫉妬する馬鹿が多いな
むしろ憐憫
惻隠の情
●とはいえ、ぼくにとって現実的に問題なのは、今年はどうするのか、というより、来月の生活費をどうするのか、ということなのだが。
ちゃんとオチをつけるな
細かいネタがだんだん身についてきた
フランケンズに絶対行くんだろ で、また飯をおごってもらうと……
愛されてるな
美術館を優先しろよw
もうすぐでロスコ展始まるぞ、フルヤン。 シーグラム壁画はあまりお好きじゃないようだが。
セザンヌもマティスもすでに知った気でいるから 他はイラネ
フルヤンは抽象表現主義と真面目に取り組んでいるように思えない
もうすぐロスコの悪口言いそう
ていうか枠に囚われていることの面白さみたいなものだからな
300 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/12(木) 00:10:14
宗教性
世の中成功疑いなしの作品ばっかでツマンネ
セザンヌとかなw
いやいやw
芸術犬のシンポどうなったの?
なにそれ
事前に知ってれば行ったのに…… 土屋だし 最近特定厨のせいでイベント情報が貼られないのが面白くない
土屋は人気あるな 代表作はどれ?
近年の美術手帖組の中では一番まともでしょう 個人的には平倉よりいいと思う
チケットはどうなっているのかと調べたら、観るのには一日パスというのを四千円で買う必要があるらしい。今月はフランケンズの公演もあるし、 すごい高い本も買っちゃったしで、それ以外では、ほとんど身動きができない感じになる。 美術館とか映画館とかには、しばらくは行けなさそう。入場無料のギャラリーに行くのだって、交通費がかかるし(都心は遠い)。
いつも四千円の壁が・・・
すごい高い本って夜戦と永遠?
絵栗
『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』 佐々木 中 以文社(税込¥6.930) 保坂も薦めてたから、そうなんだろうな
なんか節操なくチケットおねだりするようになった 必死じゃん
そんな文脈なくてもわかるようになったw 古谷との同調圧力高すぎw
これよんでフルヤンもラカン越えをする(つもり)か?
UTCPの若手か 本物が出てくると古谷も黙るしかなくなるな 読んでないので俺も黙っとく
十年前から買い物の仕方を変えてれば今頃100万くらいは貯金があったろうに
>>319 もしかして古谷って東大京大の人にからきし弱い?
古谷ダブスタすぎだろ 身体技術の蓄積があったうえでそれを崩しているのに >神村 恵 KAMIMURA Megumi 幼少よりバレエを学ぶ。2000年より1年間、オランダのロッテルダム・ダンス・アカデミーで学ぶ。
>>317 ラカン越え?
佐藤の『権力と抵抗』
東の郵便本みたいなもんなの?
誰か読破した人いないの?
本は読んでないけど、図書新聞のインタビューは面白かった 図書館で探してみ
西谷修の弟子筋でしょう ルジャンドルにこだわっているから
批評の現在に出た千葉雅也が書評書いてるよ
表象のドゥルージアンw
駒場ってデリディアンの方が多いよな
石岡はドゥルーズジアンだが。 しかし『夜戦と永遠』買って「すごく高い本」って、 人文書買いなれてないな古谷は。 博士論文の書籍化で、新人で、あの厚さで、6000円台はむしろ安い。 人文じゃ8000、9000円台の本なんてザラにあったりするんだぜ (美術研究書もそうだけど)
石岡ってドゥルージアンなのか クラウスとかそっち系だと思ってたぜ
>>330 古谷がどうして展覧会をやらない宣言したのかが気になるぜ
>>331 たしか修士ドゥルーズ、博士フーコーだったはず
だから正確にはドゥルーズとフーコーの人というところだ
クラウスとかも平気で読み進めるあの姿勢は、
ドゥルーズの美術論をどうつなげるか って発想があるからだと思う。
たとえば10+1の40号で彼は、『襞』で引用されている建築理論家ベルナール・カッシュの著書の一部を
翻訳し、石岡自身も「抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム」を寄稿している。
>>333 美術の理論をやりたいってことね
でもサブカル系じゃね?
>>334 サブカル系ってわけでもないんじゃない?
といいつつも、石岡のその手の論は水木論とうめず論しか読んでないが、
水木はヴァールブルク的な論立てだったし、田中純系統の図像学で、
うめず論は岡崎の論を継承するものだったという印象がある。
スピルバーグ論は知らん
書籍で6600円だなんてなななななんて高い本なんだな ぼぼぼくはこんなの買う余裕ないんだな、だな ってところか この分だと河本真理の『切断の時代』とかも古谷は買ってないんだろうな・・
>>337 そう思いたいが、むしろ逆だろ?
2003年まで引き合いに出して、先に言い訳してるんだからw
「何か」でデビュー宣言だろ
2003年って、まともに岡崎に興味持ち出した時期じゃね?
あと、年一の個展程度で勤勉っていうのは、他の画家を愚弄していると思う
写真帳が受けてムッとしたとか、無駄に攻撃的だよな たぶんそれでどこかの雑誌に掲載されることが決まってるんだぜ
ムッとすんなよw
古谷に嫉妬ニャ? フルヤン分かりやす過ぎw
誰にも見せていないけど続けているって、そんな黒歴史ノートを公表されても困る
期待が高まる・・・
ある意味、古谷はバカじゃないよ。 10年やって日記の使い方を分かってる。 誰が読んで、自分にどうアクセスしてほしいかも。 企画のプレゼンも招待券のおねだりも金の無心もな。 もしかしたら板の煽り方も…それはないかw
写真日記にするといいよ photographer's gallery系の批評家に色々言ってもらえるし
>>347 年齢考えればそれぐらいの達成は当然でしょう
去年、吉祥寺『百年』の柴崎のトークショーで、同時期に柴崎の写真展もやってたから、それ見て「イケる!」って思ったんだろ 結構、売れてたみたいだし ポラロイド(?)買ったのもその辺だった
カメラ・アイ(愛)かw
写真批評家全否定とかやりそうな予感w というか読者がそれを期待していると思う
「百年」は、あるな
これくらいの老練さは当然・・・か・・
文化人の素人写真ブームですか わかります
>>354 素朴や無垢を装うとか、作家の基本でしょ
神村恵もカンパニー マリー・シュイナールと同じロジックで否定できちゃうんだぜ
いいかげん古谷の進歩のなさに呆れてきただろう。 マジで総合スレとして分離させね? 俺は古谷の文章を追っかけるのが苦痛になってきた まるで成長のない子供を見てるようだもの。
総合スレは荒れるからなあ…… 工学君とかも図に乗るだろうし、ジジイの岡崎アンチとか色々前例がある
特定厨が自重するだけでいいんじゃないかと思うが ようは様々なurlを色々貼り付ければいいのさ
361 :
360 :2009/02/12(木) 18:52:55
でも、この頃から他人の引用でごまかす甘ったれぶりは一向にかわっとらんな Aがいる、Bがいる、僕はBに付くんだからね! みたいな身振りしか取れんのかこいつは そういえばほぼリアルタイムでこの日の日記を見たとき、 こいつは20歳代の学生なのだろうとなぜか思っていたのだった
362 :
360 :2009/02/12(木) 19:02:55
多摩美シンポ組に妙なコンプレックスを見せたあたりからはじまっている
364 :
360 :2009/02/12(木) 19:22:21
2005年ぐらいに何度か岡崎の文章のコピペ&コメントの日記をやってるね 多摩美シンポあたりで岡崎弟子筋たちが前景化したこと、四谷が発足したことを機に、 僕は岡崎ファン長じゃないんだい、みたいな自意識が出たんだろうけど・・・ ぶっちゃけ、そっちの方がマシだったんじゃね? 素朴なままに岡崎に対して反措定した途端、試行錯誤の力量差が丸見えに。 俺は岡崎の個々の理論以上に、岡崎の持続力や、 80-90年代の風潮から距離をとりつつ岡崎がコンセプトを練り上げたこと等々 に感動するけど、そのしんどさ、すごさは古谷にはわかんないのかな その種のしんどいことを古谷って何にもやってないじゃん
岡崎弟子筋よりは勝ち組なんじゃないの? 石岡とか誰も知らないし
366 :
360 :2009/02/12(木) 19:30:31
いや、30前後で知名度狙いになってもしょうもないと思うよ。 雑誌媒体で短文書き散らすようになって疲弊するケースが多い。 石岡はそういう志向でもなさそうだし、別にいいんじゃないかなあれで。 畑違いだがアルチュセールが人に知られるようになったのは40代後半でさ、 林さんだってかなり遅いだろう。早けりゃいいってもんじゃないよ。 古谷なんて今後どれだけ伸びるのかというとかなり怪しいし。
367 :
360 :2009/02/12(木) 19:33:15
ただ、古谷個人に限って言うと、彼は研究としての場所なり職種にもないから、 何にもしてないよりは、文芸誌等々に出ていけたのは彼にとっては良い展開になったと思う。 だが、古谷自身の成長がないのなら、どこに出ようが出まいがどうでもいいことだ。
でも40近いでしょ
教養を糧にする職業において若いうちから注目を集めるなんて、 浅田・柄谷のようなごく一部の例外を除けば、 ほとんどが時代の気分といっとき一致しただけ、 すぐに食い潰されて終わる。
370 :
360 :2009/02/12(木) 19:38:32
アルチュセールや林の例を出したのは理由があって、 彼らは40近くまでこつこつと基礎的なことから何からじっくりやってるわけよ。 で、それが40代後半になって仕事として結実する (アルチュで言えば『資本論を読む』とか『マルクスのために』とか)。 古谷は、今基礎をやりはじめてるような段階じゃない? しかもひねくれた体裁繕いや言い訳ばかりして、それすら打ち込まない甘えた身振りで。 だから同じ40代といっても全然違うと思う。
371 :
360 :2009/02/12(木) 19:40:24
>>369 岡崎が充電しつつ、考え続けた歩みはマジですごいと思うんだよね。
たとえ理論に対しては全面同意しないとしても、あの姿勢には敬服する。
批評空間で面白かったのは岡崎と東だったな
374 :
360 :2009/02/12(木) 19:46:37
>>372 少なくとも批評空間の新人輩出の意義はあの二人しかなかっただろうね
浅田も岡崎を裏でサポートするだけじゃなくてガンガンやり合えばよかったのに。
どう考えても判断一致してないんだろwww って箇所があるわあるわ
>>374 浅田は作品を作りまくれとしか思ってないでしょう
作家崇拝がちょっとナイーヴだと思う
古谷もその琴線に触れたのではないか
376 :
360 :2009/02/12(木) 20:10:31
他方で「すばらしい批評家でもあられる岡崎さん」といった紹介の仕方をするんだよな。 浅田のあの批評家として/作家として遇するときのバランスの悪さと 何かが抜けてる感じはかなりやばい気がする。 古谷の甘さを見抜けなかったのもそこから来てるように思うな
人を育てるのが無理ってことかね 黒瀬とも交流ありそうな感じだけど
樫村晴香とか、ネットで過大評価されているやつに注目したのはちょっとうまかった 本人とも交流できたのは偉い
ハルカで消化不良になって今こうなっている
そうなのかもね 田崎英明とか上野俊哉と一緒に本を出してたこととか知ってるのかな
381 :
360 :2009/02/12(木) 20:35:49
>>377 社交性はあるんだろうが、相手に介入して変化させる能力が
浅田に関する一般イメージと比べると乏しいように思う。
東対応のときだって微妙だったでしょう。
東のときも奇しくも同じく「紙面に紹介」の口利きに浅田がなっただけという共通性もあるが。
>>378 過去の人の業績を振り返ってるような文章だなw
でもそれはたしかにうまかった。
2000年代初頭のネット環境、批評空間近辺の動揺、
その中で柄谷浅田の語彙にうまく入らない連中をピックアップして、
画家というプロフィールを売り物にして、文章を書いていったのは明らかに効果的だったね。
382 :
360 :2009/02/12(木) 20:36:45
>>379-380 基礎をやらずに美文にはまると駄目になるというファンの典型ではなかろうか
浅田は芸術家にしか興味ないんだよ
理解できないでしょ、いきなりハルカは。 マルクスとラカンなんて(いい意味で)色物中の色物を理解するには、 「本物の知性」が必要。そうでないとただのソーカル的批判かオカルト妄想になっちゃう。 正式な経済学、社会学と生物学や大脳生理学、心理学をマスターしてはじめて、 マルクス思想やラカン思想がわかる。 その過程は、もちろん大学教養レベルの数学とか語学とか入ってくるので困難だけど、 フランスのエリートが必死でやったところをオミットして、楽に済まそうとしたのが、この人 とか他の最近よく目に付く無名の樫村シンパでしょ。 しかも、樫村読解にはそれだけでは不十分。量子力学、統計学、分析哲学、ギリシャ哲学、 近代哲学、近代代数学、ニュートン力学、少女漫画、価値論・・・・ まあ・・・ これをやらないで樫村の文章を読もうと思えば、批評なので読めるようにはできている。 でもそれは・・・・ 結局そうなると、樫村のいっていることを鵜呑みにするしかないし、それは樫村マジックに 自発的にかかろうとする行為で、これほどハルカから遠いものもないわけでしょ。
保坂みたいな俗流ハルカ主義も出てきちゃうのは、そういうこと。 保坂の小説は、まるで興味ないんだけど、彼の小説がこうして日本の裏でひそかに支持され ているという点はもっと考えられるべき。 ハルカ理論からいえば、小説なんてただのイデオロギー装置でしかなく、マンガとかオンガクとか ソフトウェア工学とか手軽なもの作りがこれほど豊富にある時代に、そんなものに手をつけること じたい悪しき反動なわけで。
386 :
360 :2009/02/12(木) 20:51:32
マルクスやラカンを、そういう諸学の王にしてしまうのはいかがかとは思うが… ある程度じっくりやってかないとわかるはずもない、ってのは正しい。 >結局そうなると、樫村のいっていることを鵜呑みにするしかないし、 古谷は結局「鵜呑み」だけを偉そうにやってきた馬鹿だから、鵜呑み対象を求めてふらつき続けるに過ぎん。
樫村にとっては小説より漫画の方が上ってのは事実だろう でも樫村の漫画論ってピンと来ない
384は東スレの工学君かな 文学や美術の最良の成果をどうにかできない限り、 「マンガとかオンガクとかソフトウェア工学とか」で代替するのに限界あるって
映画も付け加えるべきかな このスレでは小説・美術・映画をどうにかすることが肝要
ボルチモア
夜戦と永遠 この本はすごい 投稿者:保坂和志 投稿日:2009/02/06(Fri) 00:30 No.839 サブタイトルは「フーコー・ラカン・ルジャンドル」 いかにも硬派、しかも定価は6930円。 しかし、この本は絶対読むことを薦めます。 とくに何かを書いたり作ったりしている人は読んでるうちに、ふつふつと 勇気が沸いてくる。 もう勇気が沸騰すると言ってもいい。 自分が、作ること、書くこと、表現することを目指したのはなんのため だったのか、を思い出す。つまり、いまこうして生きていることを。 第一部がラカン。第二部がルジャンドル。第三部がフーコー。 で、わたしはルジャンドルという人を全然知らなかったし、今日、第一部 を読み終わったところでしかないんだけど、 それでも、もう、この本を絶対に薦めます。 たしかに難しいところもいっぱいあるけど、わからなかったらわからない 箇所にあまり拘泥せずに、とばして先に進めば、わからなかったところが 別のわかり方をするようになっている。 たしかに高いけど、2回か3回、何かの用事を飛ばせば、7000円くら いにはなるし。 なんかもうすごいんですよ。 最近の論調というのは全体として、情報いっぱい仕入れて、精密に分析 して、頭よくないとダメみたいな感じだと思うんだけど、この「夜戦と永 遠」は、そんなことは全然関係なくて、革命や新しい世界を信じていた頃 の自分を思い出せ、それを忘れることが自分をダメにしていたんだって、 そんなことは全然書いてないけど、書いてあるのはそういうこと。 とにかくすごいよ。 すごい、すごい、ばかりで、わかんないだろうけど、すごいんだ。この本。
シシリア人
393 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/12(木) 21:40:04
たまたまロムった者ですが、貴方達少し、一線を越えてしまっていますね。 読んでいて不快なのは無論ですが、人として正常な感覚を取り戻しなさい。 あなた達がここでやっている事は立派なネットいじめ。 有形無形、直接間接に、ここで行なっている事は全て、いつしか貴方達の身に返ってきますよ。 遅くないうちに気づきなさい。
たまたまじゃないっしょw そもそも改善案を提示している時点でネットいじめにはならないよ ただの罵倒じゃないし
>>393 古谷自身が多方面に対して無自覚の攻撃性を発揮しているのだから、
その問題点は指摘するべきでしょう?
例えば「ヨーロッパの芸術」否定論の乱暴さ、
その文脈で真摯にやっている人の頭ごなしの否定、
と思いきや、気に入ったダンサーだけは批判を免除、などなど。
396 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/12(木) 21:45:52
だから総合スレ分離しようぜ、と。 もうみんな古谷に呆れることはあれど、 期待はほぼゼロだろう。 俺は古谷の文章を読むことすらうんざりしてきてる。
>>396 繰り返すけど、分離した方が荒れるって
ここに話題を持ち込んだ方がマシ
それを厭う理由がわからないぜ
399 :
396 :2009/02/12(木) 21:58:47
>>397 そっか。じゃあ分離にこだわるのはやめとくか…
総合スレって何の総合なんだろう。 近代美術? 芸術理論? 美術批評? 芸術論壇?
>>399 他の話題をすることに及び腰にならなくてもいいと思うぜ
昔岡崎スレがあったときとかひどかったから、その再燃を恐れる
四谷スレとかRHスレとか立っても特定の濫発で廃墟化しそうだし
すでに1には色々な総合スレって書いてあるし
403 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/12(木) 22:20:02
>393 私はこのスレに無関係な者ですが、こんなに叩かれる人ならばたいそうな方に違いありません。 2ちゃんで叩かれてなんぼじゃないですか有名な方は。 このスレを擁護するつもりも批判するつもりもないですが。
無関係なら尚更スルーしとけって
古谷は底意地が悪い人だと思うんだよね
でも確かにちょっとスレの雰囲気がイジメっぽくなった気はする 前スレあたりから
やっぱり夜戦と永遠だったね
スレ民の辿る顛末予想 古谷の父親が実は上々一部企業の役員 ↓ 息子が実名でネットで叩かれているのを知り ↓ 会社絡みの人脈で2chに圧力 弁護士を立てプロバイダーから書き込み本人を特定 ↓ 起訴 名誉棄損 ↓ 書き込み本人の多くは大学院生や教員w ↓ キャリア、人生総崩れ
名誉毀損と批判はキッチリ分けるべき ここに名誉毀損はほぼないでしょう
>>408 スマイリーさんのとこみたいな書き込みはないから、それはいくらなんでも無理だなw
まあ法律的に問題なくても、ただの悪口書いたりするのはどうかと思うけどね。
408はファンでしょ
身体技法で行けると言いたいわけだ
いじめかなあ? フルヤンの書き込みがみっともないのが原因じゃないの 情けねえっていうツッコミ
エリートによる天才政治を期待する。 樫村イズム!
415 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/12(木) 23:19:53
池田は事前にネタバレしすぎw
どこまでも鋭い岡崎乾二郎氏の言葉を借りれば、キーファーは『そのずばぬけて時代錯誤的なドン・キホーテみたいな大げさな滑稽さ』 が面白い作家であって、映画監督て言えば、ヘルツォークみたいな人で、決してジーバーベルグではないのだった。
419 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/12(木) 23:33:19
行ってないって、内容はブログ見れば十分だろ。
どこまでもウンコな誰それの言葉を借りていうなら、キーファーは「そのずばぬけて 逆説的な真のヒュ‐モア」が面白い作家であって、映画監督でいえば、ヘルツォーク みたいな人で、決してジーバーベルグではないのだった。 ヒュ‐モア。でもCDの原理わからねw
いんちき文人画家だなと思う。 そもそも、ノートに素人写真を貼り付けて展示するなんて、 プランからして、間違った趣味の世界にしかならないような気がする。 本人的には、小細工きかしているつもりかしら、
422 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/13(金) 00:05:07
古谷叩きがネタの域へと昇華されてますな
古谷はヒップホップとかやってみるといい。
また絵がつまらなくなってきたみたいだね。 初期に戻りつつある。
フルヤンって、ややっこしいこと書いているけど、 絵に関しては、オオタケシンロウなんかに似た体質なのかもしれないね。
そんなこと言ったら怒られるぞ
歴史上誰にも似ていないユニークさゆえに受け入れられていないだけでしょ 古谷の絵画を受け止める度量が現代日本には欠けているんだ これは日本の文化的損失といっていい
日天意神示
そのうち日があたるよ 50年もすれば
絵画の準備を、とか読んで影響受けちゃった口でしょ、この人。 あの手の絵画論ってポモ系のバイアスがかかりまくっていて、 意味不明な点は多い。
よく理解できないからって「ポモ系のバイアス」とか、 古谷の「制度」とかわりゃしねーぜ?
とはいえ、
>>430 が「ここのくだり、よくわかんないんだが・・・」
という箇所があれば、抜き出してくれると嬉しいな。
意外に、読んでる間は見当がつくが、
人に説明できるほどの理解かどうかと言われると俺は怪しいから。
そんなかたちでつかの間、『絵画の準備を』読解進行になっても全然okだし
2/12エントリの「身体技法」のどうかと思われるところは、 >フィジカル-原初的な次元での身体 これだ。身体を物理的にしかフィジカルにしか考えられてない。 むしろテクストを折り曲げなおす構成体といった二重性があるだろう。 結局、基底を探せば「身体」があるんです、みたいな単純な話になってるだけちゃうんかと思う。
松浦オタ乙
「ポモ系のバイアス」なんてものが存在するかは別として、バイアスのない完全に 「客観的」な絵画論なんて存在するのかと。
巨泉の絵画紀行くらいかな
脳科学とか言いたいんじゃないの というか「客観的」を禁じ手にしろよ objectiveの訳としては日本語の場合に変な含意持ちすぎ
430は断言したかっただけの病人なんでしょう
人文や芸術の議論の場合、妙に客観性を定義すると、 全ては主観的→だから恣意的 みたいなろくでもない方向にしか行かない
バイアスかかってるから駄目という議論がそもそもおかしいんだな。
「俺このバイアス嫌い」にしかならない 古谷が身体論大好きという立場で色々斬っているのもそういう態度 狭量だけどそれしかないんだろう
池田こーすけって、自分が参加するイベントの告知を必ずここで宣伝するよね。 もう自演バレバレすぎるのにスルーしてあげるスレ民の優しさときたらw
また特定厨か べつに誰がイベント告知貼ってもかまわねえよ
むしろどんどんいろんなイベントをここに貼ってもらいたい 美術関係に限らず、リンクするようならどんどん
いやまったく 全員関係者の自演でもかまわんから
ほんとほんと。貼られて、え、こんなのあったの? なんて企画もざらなんだから たとえば一月にUTCPで十川の無料公開セミナーがあったけど、 俺は気づけずに行き損ねた・・
情報交換板になってもいいと思うよ
レビューハウスのイベントってどうなったの
100円ショップの商品で作品作れってやつか 四谷っぽいな
実際には生真面目なんじゃない
人文書・美術書の面白い動向にかんする古谷のアンテナの弱さは異常 かつて当人が言ったように「その程度にはミーハー」であろうぜ。 (というわけで、イベント情報交換スレ化は賛成だ。こっちまで古谷並みになることはない)
佐々木中かあ 食指が動かないんだよな
佐藤嘉幸は読もうと思ったが佐々木は当分本棚で埃をかぶりそうだ
フランス思想研究は大変だからこうなるんだろうけど、 ちょっと自己目的化している気がする
>>454 古谷と保坂の書評を見て、「それは読まねばなるまい」
と思うかと言うと、まったくそうではないことは間違いない。
>>456 あいつら、「俺好き!!」ぐらいのことしか言うとらんもんな。
そんなんで人に通用すると思ってる甘ったれぷりが憐憫を誘う。
いかにして読む価値があるか、論の精度がどこまで達しているのか、を言わないと、
あんな評なんぞいくらあっても、場合によっては逆効果ってのがわかってないんだろう。
コンセプトのない書評ほど無意味なものはない。
理系厨的な意味で保坂・古谷の書評を腐したんじゃないんだよ 哲学板の佐々木スレえのインタヴュー要約のほうがはるかに俺には惹句として響いた
圧倒的な分量と圧倒的な理論的射程から、現代思想の絶対的な 更新を試みる。フーコー、ラカン、ルジャンドルの不穏な共鳴が 導く「永遠の夜戦」の地平とはなにか? これまで誰も正確に掴むことのできなかったラカン、フーコーの 概念を根底から捕まえ、ルジャンドルの碩学とのモンタージュの 中から、生き抜き、戦い抜くための武器を磨く。 なんで本屋ってこういう大げさな紹介文書くのかな 売りたいのはわかるけど
版元が空回りしかねないぐらいに大袈裟な宣伝文句を書いてしまうのは、 まあしょうがないと思おう。編集者の意欲がちょっと誤って出てくると、こうなりがち。 「そのぐらいに担当者が気合入ってるんだぜ」ぐらいに受け取った方がいい。
ルジャンドル読んだけど全然だったわ
インタヴューを見る限り、めっさドゥルージアンの匂いがする。 著書でルジャンドルがどういう位置なのか不思議だ。
>>461 気持ちはわかるんだけど、かえって手に取る気持ちが萎えるからできるだけ控えめにしてほしい
サルトルがマルクスについていってたような「乗り越え不可能な地平」ってやつじゃないの だいたいはドゥルーズのフーコー論で足りる問題
思想業界もスターがいないとビジネスにならないってことか・・・
スターになるとはあまり思わない 偏屈キャラすぐる
>>465 それはマルクスについてではなく、マルクス主義についてであり、
仏共産党路線との両立を意味する言葉ではなかったか。
>>468 もちろん皮肉っすよ
佐々木スレでベタ褒めしている人(もしあんただったらごめん)も、
自分が見たいものをそこに投影している感が強かったでしょう
フランス現代思想って、実際のところデリダとドゥルーズの地平が強いから、
ラカン・フーコー・ルジャンドルとやっても、
残り二者との対決を念頭に置いてしまうんですわ
たしかにドゥルーズ・デリダをどう超えるんだコラ、という疑問は当然出てくるわな・・
>>469 インタヴュー要約1-9にベタぼめ返答したのは俺だが、
ぶっちゃけ著書を読了した時点でどう判断するかは不安だ。
読んでないからこその、見たいもの投影にはたしかになってる。
で、ドゥルーズおよびドゥルーズ的フーコーを単にうまく語ってリバイバルしてるだけじゃね?
といった、あなたの懐疑もある程度当たりそうだよなぁ。
ま、既に買ってしまった以上、いずれ読むさ。
>>471 一応俺がルジャンドル嫌いだからかもしれないけどね
そういう偏見は認めますわ
でも現代思想のための現代思想になってそうでさ
ルジャンドルで宗教学なら具体的な「霊性」の事例に取り組んでほしいわけよ
>>472 なるほどね
乱暴に類比すると、松本潤一郎的・白井聡的「ハッタリ」みたいな匂いへの懸念か。
左派現代思想業界内には効果的に受けるだろうが、しかし、と。
だからサルトルにおけるマルクス主義を例に出してたわけね
653 :名無しさん@明日があるさ:2009/01/24(土) 22:11:35 O 最近バイ多いのかな? 自分はゆずの北川と小池徹平が好きなんだが・・ 654 :名無しさん@明日があるさ:2009/01/24(土) 22:41:58 0 俺も最近美少年、美青年に犯されたくてしょうがない。 一回りくらい年下の男に主導権を握られて犯される。。。 刺激に飢えているのかもなw 655 :名無しさん@明日があるさ:2009/01/24(土) 23:38:34 O 俺今大学院に行ってるんだが、文系の修士って結構なイケメン率だよw 瑛太似の後輩のモッコリを思い出しながら、誰もいない研究室でオナってしまったw このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) ●ゆず 146巻● [邦楽グループ] 人間としての最下層まで墜ちたな俺と思った瞬間 [生活サロン] 【自分探し】古谷利裕の偽日記10【幸運な出来事】 [美術鑑賞] 男を部屋によぶとき [同性愛]
フルヤンってそっち系の人に人気あるのかも
フルヤンかどうかにかかわらず、 芸術関連にはゲイが多いだろ。ゲイ術なだけに。
477 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/13(金) 20:56:56
一応w
古谷と保坂が褒めたのはとりあえず読む
479 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/13(金) 21:18:35
男の10人に1人は、同性を性的対象として観ているという統計結果がある。 お前らも素直にここでカムアウトしろよ
火もついてないのに必死w
おめえらがモーホーかなんてフルヤンが形式的にAVを観て外在的に把握しえない何かを感じた瞬間射精してんのかどうかってぐらいどうだっていいんだよ
荒らすなら、せめて次のネタがエントリするまでもたせろよw
481 どちらかというと後者のほうがグロい件
いつもウンコみたいな書き込みする人、 最後に一行余計な改行を入れるからすぐわかる。
分かって欲しかったw
フルヤンの性、語るのってなんかタブーっぽいからヤメね?
484 それコンピューターの仕様だよ。ネット喫茶なんかで書き込んでると分かるようになる
ウンコにはウンコのことが分かるって事ですね? わかります。
キモイスレ。 ポモの末裔の低脳どもが嫉妬まみれに「ウンコな議論」(山形)を しつづけている。
やあ、工学君!
しつこいモーホーネタは工学くんかよも〜っw
工学くん=山形信者=東スレ住人=ポモ最低=脳最高=モーホの白い馬
やまがたはオカマキャラで売れなかったからウンコ
普段は噛み合わない美術部と文学部が、こういうバカが出て来た時だけ手を組むのが面白いね。 俺も一行、空けとくか。
東:そういう点で日本のポストモダニズムは本当に不幸なんですね。 二十年前にポストモダニズムを導入していた連中はさっさと降りちゃって、 残ったのは、一九八〇年代にニューアカに乗れず、いまだにポストモダニズムの 弊害を説きつづけている人ばかり。とっくの昔に死に体になっているのに、いまでも ポストモダニズムを仮想的にしたくてしかたない人たちばかりが残って、 延々と悪口ばかり言っている。山形浩生さんとかそうだと思うけど、 でもいま問題なのは、むしろ、ポストモダニズム的な知への信頼が あまりに墜落したせいで、理論的であることや抽象的であることへの信頼すら 落ちているということなんです。そして、また、その背景にある知的伝統も 忘れられつつあるということ。 北田:とにかく「知の欺瞞」の臭いがしたものに対しては徹底的に叩くということに なってしまっている。ニューアカ的なメタゲーム、言葉遊びの匂いのするものは 一切やめてくれと。アラン・ソーカルの「いたずら」自体がそうですけど、現代思想的な メタゲームをやめてくれ、もう降ろしてくれ。デリダもドゥールーズもちゃんと読んだことは ないけど、こんな偉い自然科学者たちが批判してるらしいから、これはもうダメなはずだ、と。 人文学的な解釈ゲームに対する違和感が、そのまま「反人文主義」へと直結し、ゲームを 終結させてくれる自然科学的な言説への無条件的な信頼へと直結する。デリダの言ってることも ソーカルが言っていることも実は同じぐらいよくわからないんだけれども、ソーカルを信じたほうが 解釈学から解放される、安心できる。そういう妙な安心感は、「細かい理屈はよくわからないけど、 安全を保証してくれるなら監視カメラOKでしょ」というリバタリアン的な感覚とすごく似ている。 東:まったく同感ですね。『「知」の欺瞞』について言うと、ニューアカやポストモダニストにバカが 多かったことは、僕は当事者ですから十分わかっている(笑)。しかし、だからといって、 人文的な問題提起全体がくだらなくて、世のなかすべてが工学的、技術的な発想で 解決可能かと言えば、それは違うでしょう。
泣きながら殴ってくるタイプだなw 困った時には引用ってところも誰かさんにそっくりだ ごめんごめん もう言わないから許してくれ
みんな、工学くんを許して!
お、早速馬鹿が沸いているな。 永遠にルジャンドルと聖夜でもやってろ。 ろくでもないポモ。 おれはルジャンドル変換をする。
また要らんところで腹立ててるんじゃねえよwww >迷惑メールの数が半端ではない。去年の秋ころまでは、一日に五十通くらいだったのが、 >今では、一日に百通以上は来る。ネットの回線がダイヤルアップだから、これらを受信するだけで >けっこう時間がかかるし、その時間も電話代が発生しているのだと思うと腹もたつ。
石屋の忠告を受けて、通常のセキュリティ対策として @を_at_とかで表示して、「@に置き換えてください」とかやればいいのに、 ブログにそのまんま乗っければ、そりゃ迷惑メールぐらい山ほど来るっての。 腹が立つもなにも自業自得だろうこれは。 それとも何か、被害妄想的にスレ住人の仕業だとでも思ってるのか・・?
もともと短気で粗暴なタイプなんだろう そういう雰囲気あるよ またいじめとか言う奴出るから彼の性格については放置してやれよ
それとメールで仕事を受けてるから非公開もないだろうし
にしても酒と食い物でさっそく知人に心配かけてるんだなw さすがにこれは
古谷利裕のおねだり日記化は順調なようだ
ADSLや光が導入不可なアパートなんだろうか そうじゃなければ貧乏物書きならコスト面からも導入するだろ
光にした方が絶対に得だよなあ? どうせ、惰性でダイアルアップのままなんだろうけど。
先々月ぐらいに言ってた「天然」に向けて鋭意自己開発中なのだ、 と受け止めたいほどに、狙いすましたおねだり日記をやってるからなあ
テレホすら入ってなかったりしてw それだとかなり馬鹿みたいなことになってるはず
少なくともスレ民はここで言いたいこと言えてるから、迷惑メールは送ってないよフルヤン 個人的な怨みもねえしな 案外あの…
突撃行為、リアル迷惑行為は禁止 スレさえ見なきゃ「犬がほえてるようなもの」 スレはそんなもんで一応いいのである。
あれってスクリプトだからはてなを見る奴が増えれば勝手に増えるぜ それとwebmailでフィルターかけろよ……
●昨日の夜、ある人から電話があり、その人とは別の人からのメッセージを間接的に伝えられた。「お前、酒やめろ」と。いや、 完全に止めるのは無理なんだけど、最近、分量は随分少なくなってます。あと、お酒を飲むと花粉症の薬が効かなくなるので、 その点からも、春は飲酒量が減ります。 リアルでスレ民と同じような忠告するひとがいるんだな
というかスレ民の一人だろw
ダメ出しと揚げ足取りに終始していると言われれば…まあそうなんだが、さすがに誰も「××」とかは言わないしな 正直それ以上関わるつもりも無いし、ヒマじゃない 工学くんのあの性格の方がヤバいだろ 「脅し」や「モーホー」ネタまで手を替え品を替えだ
いい加減ダイアルアップやめろよ、フルヤンw
アルコール依存症者を家族に持って苦しんでる友人を知ってるけど、
その人づてに聞く「アルコール依存症者特有の言い訳」にそっくりだ。
>>513 で抜粋されてる日記の文章が。
「断酒は無理」「でも節酒できてる」「よって自己管理は成されているから問題ない」
の三段論法は、大概、真ん中の「節酒」がそれほど大した成果じゃなかったりする。
なんつうんだろう。
自称クリエーター志望が、「作品は作ってない」「でも勉強はしてる」と言ったとき、
絶対大した勉強じゃないことが火を見るより明らかなのと同じ感覚。
俺も明日から本気出すわ
俺も年度が明けたら本腰入れるわ
「断酒は無理」の時点で依存症だろ
春は飲酒量が減るって、夏に増えたら意味無しw
>>520-521 そうそう。
フルヤン、体調管理を補助してくれる家族もいない状況で、
いまのままの生活を続けていたら、本当に50代で病死するよ。
更年期障害の病は苦痛が長引くものが多いし、そこまで行かなくても
アルコール依存症の時点で手先の細やかな感覚と論理的思考能力が奪われる。
(友人いわく、アルコール依存症者が断酒を1年続けると、目に見えて頭が良くなってくるらしい)
糖尿病になったら目もおじゃんだ。
電話料金と酒をなんとかするだけでけっこう蓄財できるんじゃね NYやパリにとっとと行けよ
書籍より酒のほうが金食ってんだろうなあ
525 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/14(土) 12:00:20
空きっ腹に酒いれるとつまみのようなものしか食わなくなり 体に良くないと思う 飯しっかり喰うと酒呑みたくなくなるでしょ
526 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/14(土) 12:05:20
空きっ腹に入れるアルコールこそがたまらないのだろうけど。
寝起きはコーヒーとか言ってなかったっけ?
目が覚めたら、 まず、一杯。 これが、きくんだよ。 フルヤンも試してみ、
カフェインとアルコール中毒 食べ物は適当 ネットで叩かれまくり 内臓ボロッボロなんだろうなあ。
>>529 そうかな
こういうスレが立つときにはファンも同数ぐらいいるでしょ
感性重視のポーズって普遍的に人気あるぜ
●九日の日記を読んでくれたのだと思うけど、昨日電話をくれた人は、トンカツくらいだったら、今度ごちそうするから、と言ってくれていたし、今日会った編集者も、古谷さん、 トンカツ食べますか、と言ってくれた。でも、別にぼくは特にトンカツが好きなわけではないし、どちらかというと、重たい揚げ物はそんなに得意ではない
選民意識丸出し、その実、過剰防衛気味のアカデミーちゃんは、大衆の支持を得にくいだろうけど、 かといって、フルヤンの文章も作品も、依って立っているはずの趣味が悪すぎて、冗談のようにみえる。
>>532 こういうのが底意地悪いと思うが、好意を無にしているようで笑えるw
アカデミーちゃんって誰?そもそもそういう奴の文章を見ない
ペットがSchadenfreudeな メシウマ
538 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/14(土) 14:53:00
なんだ、やっぱり、少数の人たちしか書き込んでないんだな。
なにで判断してるんだか ドロッセルコピペ?
常連ですら、住人は大勢だなんて一言も言ってNEeeee! 逆に少数だと常連の方から何度も断り書きのように言ってるじゃねーか 病気の人はご自愛してください
アルトン・ドロッセルかと思った
会話が面白いよ
544 :
541 :2009/02/14(土) 16:42:28
見てきた。たしかにこういうのはウケるだろうね。俺にはどうでもいいけど…。 いや、「深い退屈」(ハイデガー)とポストヒューマンとか、 そういうつなげ方すれば意外に違うコンセプトに引っ張ってきて作品群の射程を考えられるのかな。 でもそれって岡崎のA.I.へのこだわりかたとどこまで違うものになるのか。 とりあえず、高橋透が取り上げそうなアニメではあると思った。(高橋ははよMal d'archive訳せ)
いにしえのSFオタが好きそうなウイットだからな
テッド・チャンとかが好きな人も好むんじゃないかね 俺はチャンをあまり読んでないが
変分法も知らない奴がチャンとか読んでも楽しめないでしょ。 変分法どころか微分積分さえ怪しい奴いるし。 SFは教養人、知識層だけが読めばいい。 大衆は、純文学。
…ふぅ(-.-)v-~~~ 知識層ってのがあるとして、毎日スレに来るほどヒマじゃないっしょ 工学くんも負け組なんだから、みんなも優しくしてやってよ
ごめん工学 もう分かったからw
チャン挙げたのは俺が悪かったから、工学くんw
一部SFオタには無意味な文系嫌悪があるんだよな 工学君はその戯画
べつに文系だから嫌悪しているわけじゃないし。 ただ馬鹿かつ無知なのに偉そうにしているから可笑しなだけ。
>>547 >SFは教養人、知識層だけが読めばいい。
>大衆は、純文学。
これはw
たぶんそのとき、ラカンは大いなるSFとして回帰するだろう、と 高らかに冗談のようなことを言っていた赤間を思い出した。
今の赤間の研究って冗談みたいだよな 工学君も喜ばないだろうし誰得
フルヤンと一緒で、俺ら別に工学を嫌いな訳じゃねえよ モーホーでもヲタでも差別はしない 区別はするけど
工学くんは「ポストヒューマン」云々の議論領域が英米系における 工学や脳科学等々の領域と、存在論、身体論、媒体論など人文領域の交差点になってることを知らないんだな。 ずいぶんドメスティックな工学くんだ
>>558 そうそう。
ただ古谷は割と振幅あって、言語蔑視の延長に工学蔑視してるときもあるが、
別に基本軸としては工学嫌悪を先にあるようなタイプでもない。
工学系への配慮という言説状況に割と合わせてる人でもあるしね。
>>557 ラカン研究を人類学サイドで勉強しておきながらやってのけた人間が、
東工大工学部の外語教師になるという曲折も無茶苦茶なんだが、
工学部でそのまま院の理工学研究科の教授になったというあのポストに合わせるかのように
不思議な研究領域に向かってしまった。
もともと認知言語論とかが好きなタイプなんだろうし、
クリプキについての言及もかなり早かった人だけど、変なところいっちゃったよな。
ほんとに誰にとって意義のある研究なのかいまいちわからん。
>>561 佐々木中に興味が持てないのは、
今はどうあれ赤間のような路線の方が面白いと思うからなんだぜ
ラカンとフーコーって、素で考えるなら「何か」wを考えようとしない限りつなぐ意味がないんだが、
それが「抵抗」とか「夜戦」ってのもなあと
ラカンなんてインチキ大王でしょ。 国民の血税で研究するようなもんなのかね。
うーん 見るからにスレが低質化するんだよな 東スレに行って欲しいw
クリプキに言及、ゲーデルに言及、複雑系に言及 なんだ・・ポモの定石じゃん。
>>562 まあ、そこのところは「読了してから判断するわ」と言いたいところだが・・・
>>473 であまりに短縮して言ったことを言い直すと、
サルトルにとってのマルクス主義の護持とマルクス読解としての独創性の無さと同様に、
ラカンやフーコー(おそらくはドゥルーズ的フーコー)というエンブレムを掲げ、
抵抗のだしに使って自分の身振りを出してるだけちゃうんかっていうのがあなたの疑いだよね。
バディウ、ジジェクの近年のレーニンやマオなどへの入れ込みようを
ついつい嫌いになれないロマンティックな左翼心情が残る俺には、
佐々木みたいな人はあまり嫌いにはなれない。
しかし、95年時点でどこかラカンおよびフランス思想に冷徹で、
「フィクションの原理」として再接収すべきだ、と言い放ってた赤間には独特の爽快さがあって、
あっちの方が実は多産的なんじゃないの、と言いたくなる気持ちもわかる。
それにしてもポモくせえスレだな。 フーコーなんてフランス本国でさえ学術でも何でもないような 雑文ライターを極東の浅田とかスノッブなバイヤーが流行を 捏造するために持ってきただけの人なんだよ。 フランス行ってフーコーとか言い出してもあっちの学問エリートに は通用しないんだよ。どの国にもいるようなスノッブな芸術家とか オサレ気取りの映画監督とかしか読んでいない。 グーグルでドゥルーズの差異と反復フランス語で検索してみれば わかる。
以後、工学くんは総スルーで。 相手して200レス分ぐらい平気でログが無駄になるのはもう勘弁。学習しない猿だから相手にしないに限る。
的確な指摘すぎてスレ凍結中
>>568 彼は工学君じゃないでしょ。潜在的にはもっとその手の人は多い。
工学くんその人であるかどうかではなく、 工学くんと同程度に浅識と偏見にのっとった人であれば、 黙ってスルー対象と見なせばいいんじゃないかな。
>>570 シンパシーあるわけね
ネットだと嫌人文がデフォだからか
東浩紀はそういう気分に乗っかってるよな 本人は違うと言うだろうけど、めんどくさい人文はそういう気分で潰している気がする
というか、大学の文学部じたいが「嫌人文」だから。 アカデミズムとサブカルチャーの区別はつけるべき。
>>574 それはない
文学部出身者なので断言できる
もちろんSFはサブカルチャーね
東浩紀が批判してるのは、一世代前の人文学者たちの政治的態度。
また非国民は帰れって話かよ
579 :
568 :2009/02/14(土) 19:34:11
工学くんか否かという争点を作ること自体、避けたいんだけどな・・・。
>>570 >>567 の言ってることは幾重にもずさんな認識なので、工学くんだと思うよ。
>>571 が的確にスルー指示を出してくれているが、書いてしまったから一応レスする。
1.
フーコーが「文筆家」に近い存在だというのはこれはたしかだ。
ただし彼の(ニーチェ経由の)系譜学的手つきは、同時に
エピステモローグの知性の連続性云々の発想の延長でもあるので、
フーコーの歴史分析問題は、単に「はいはい、文筆家」と言っては簡単な問題になりすぎる。
さらに言うと、歴史家フーコー、という議論でもないに関わらず勝手にそう思い込んで叩き出してる
567は、山形の訳したフーコー批判論文経由でいきまいてるだけだろう。
2.
「[日本人が]流行を捏造するために持ってきただけ」は誤り。
フランスでも良くも悪くも「流行」だったという事実があるからな。
そこに浅田の名を出す必然性はゼロ。むしろフーコーを日本を紹介した層は、
精神医学系統、文学系統などと四散していたし、
ゆえに思想史的インパクトが正確に受容されなかったとする仲正の概説の方が適切。
3.
「あっちの学問エリート」。
曖昧に「フーコーを何の領域の研究者だとする誤認があるとして」という前提で言ってるのかを
隠蔽してるのが卑劣。歴史研究については上記のとおり。
あるいは政治学? 政治哲学や政治学において必ずしもフーコーは必須でもないだろう。
ENAだったかグランゼコールだったかでキムリッカが
教科書に使われているという話を聞いたことがあるが、そんなもんだろう。
4.
例も挙げずに噂みたいなことをぺらぺら言ったり、
ぐぐればわかるとでも言うのはもはや相手にもする必要が無いだろう。
しかもそこで『差異と反復』を例に挙げるのがさらに文脈不明。何の学問領域の話をしたいんだ?
580 :
568 :2009/02/14(土) 19:36:50
やはり相手にすべきではなかったかなあ。俺はもう相手しないよ。すまんかった。 PC閉じて読書にでも戻るわ。
「相手するからには、ここまでする」という態度は好感持てる、乙。
>政治哲学や政治学において必ずしもフーコーは必須でもないだろう。 馬鹿ですか? フランス語できるなら、カリキュラム見たら? 政治学科では、フーコーのフの字もないよ。 そもそもフーコーってアメリカの西海岸の左翼崩れにゲイリブなどの文脈で受容されアメリカのスノッブに流行したもの。もちろんアメリカのまともな大学のまともな学科では相手にされていない。 つまり、世界的に相手にされてない。 だから、フーコーの考えたことが学術的価値がない、とまではいえないし、判断できるほど歴史学とかに知見はないんで。 ただ、フーコーで歴史や政治を語るという手法が学術的には異端で歴史学や政治学でフーコーの学説は認められていないという点は知っておくべきだと思うよ。 まあ、山形のホームページ見れば詳しいことは書かれている。
>567は、山形の訳したフーコー批判論文経由でいきまいてるだけだろう。 >567は、山形の訳したフーコー批判論文経由でいきまいてるだけだろう。 >567は、山形の訳したフーコー批判論文経由でいきまいてるだけだろう。
そいつ人文学はヒューマニズムだから左翼とか良く言ってる馬鹿だよ スルー推奨
何?東スレとかで有名なバカなのこれ?
東んとこでも相手にされないから、こっち来ちゃったのか じゃ工学スルーで
山形もスルー
おっさん
続きの部分には批判的な気持ちになってるんだろうな だから数日間は本について書かない
普通に読んでないだけだと思うよ。 一冊を通読せずに終わるのも珍しくないっぽいし。
佐々木中は図書新聞インタビューのはったりが成功した。 著書のほうは、無駄にいきり立った文体が空疎で、 内容は冗長極まりなく、独自の論点が不明。 というか、実質的には、ちょっとマイナーなラカンやフーコーの書の内容をたどってるだけだろう。
こういう安易に文学的な表現を見ると作家は無理だなあと思った >ぼくは簡単に幸福になってしまうのだった。
少しはぐらかして、スレの反応見ようと 最近このパターン 斯くしてスレも停滞中
評判が気になるのかな
評判はどうでもいいから現代美術拒否なんじゃなかったの
ちっとも読んでないんだけどさ、ぱらぱら頁をアトランダムにめくって文章を見るかぎり、 「無駄にいきり立った文体」と言われるのはしょうがないね。 ある種の「文体家」であることは間違いないし、 この文章を書ける性格ならばあのインタヴューになるのも道理だ。 なんでこんなに厚いんだろう、注付けが多いからだろうか(1700個ぐらいある)? と思っていたんだが、文章量が論旨に比してリダンダントだ。 ただし、文体に引っ張られてやっとものが読めるような人間には 「狭苦しい研究の枠には収まらない刺激的な書」と賞賛されるだろう、 ある種の文体にはなってるので、好きな人は入れ込むだろうね。 最近こういう人は若手であまり目にしなかったので、懐かしいものを食わされた感がある。
まあこの路線でクリエーターと仲良くやっていくのが正解なんだろうな なぜか理論肌だと思われているだろうし
どっちかというと佐藤の方が理論肌って感じだね
だんだん団塊ジュニア世代の論客が出揃ってきたというところか
佐藤嘉幸だろ
佐々木中と佐藤嘉幸、他には?
「本書は、若き外国人哲学者たち――とりわけ日本の――が今日行ないつつある、20世紀フランス哲学の読解の輝かしい鋭さ、 深さ、独創性を示している。そうした読解を通じて、新たな新鮮さ、新たな視座、新たな問題が、そして、かつて熱心に行なわれた 議論の再開が、適切な時期に私たちへと到来するのである。これらの議論への参加者として、私は他の参加者たちとともにその すべての道筋をたどったと信じていたが、それは大いに間違っていた。私は、これらの議論の批判的な回帰と再燃を、大きな悦 びをもって歓迎する」(バリバール)。
57 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 10:37:24 0 むしろ保坂古谷界隈に宣伝されて欲しくなかったぜあの本はよ あいつらの選民気分のダシに使われるんじゃねえの?
>>604 このスレで挙がっている人間だと
石岡じゃね?
石岡は単著を早く出せ 話はそれからだ
だな
われら石岡期待派
いや、どうせメッキが剥がれたとか言われると思う 漫画やゲームのオタみたいだし
樫村以下、みんな梅図かずおを語りたがるw
大島弓子とかな
石岡は大島信者
樫村の楳図論はあまりうめずっぽくなかった
今年は池田将に写真を見せてアドバイスをもらいます
古谷ってどれぐらいUFOが好きなんだろ
フルヤンは浅野いにおを切り捨ててたけど、本来漫画よりアニメが好きなんだろうな。
浅野いにおは柴崎関連の嫉妬じゃね?
フルヤンの学生映画賛辞には、特にツッコむまでもなさそうだな
素直に自主映画の人やってればよかったのに
でも学生映画ってだいたいあんな感じだろ。
古谷が感動しているダンスだって技術は度外視だもの その人たちにも技術はあるのに
新発売の美術手帖 「日本の若手アーティスト特集」 本屋でひと通り立ち読んだが、古谷は無論、ここで話題になってる黒瀬や池田も評論家にガン無視されてるぞw
レイアウトがごちゃごちゃで200人くらい紹介されてるので誰という感じでもない ちなみに「評論家」は福住廉、松井みどりとか糞みたいな感じ。 とにかく読みにくい。ここの住人の興味には引っかからないとオモ
馬鹿なアーティストしか求められてない
629 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/17(火) 00:24:25
ってもクロセ、イケダもたいして制作してないだろw
池田のブログはじめて見たが、ドミニク・チェンの劣化版みたいだな 新奇なレトリックで煙に巻くという 批評のレベルが劣化してきてるのは何となく分かったw
と石岡が言って(ry
石岡ってどんな仕事してるの
>>631 dividualとか言ってるからドミニクを連想したんだろw
でも池田とドミニクだったらドミニクの実力の方が格段に上だろ 学歴もそうだが
ドミニクの文章には誰得感が漂ってる
「これを読んでいったい誰が得をするんだよw」ってことか だがそれをいったら批評なんて多かれ少なかれそんなもんじゃね
いや、特にドミニクはその度合いが強い だったら池田の方が地頭はともかく少しは使える
>>637 「ウォーバートン、あるいは死文字の力」おすすめ
京都造形を馬鹿にするなよ
偏差値40(爆)
美大は偏差値の割に地頭と育ちがいいやつが多い
646 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/17(火) 14:14:44
育ちいいのはようある話 将来の可能性低いのに学費だけやたら高い。懐にかなり余裕のある家ってのは自然なパターン 林周辺の三十路後半中年ボンクラが良い例w
>>646 >林周辺の三十路後半中年ボンクラ
誰?へんな私怨があるみたいだけど
近藤とか?
めがねかけない自慢か…… 老眼?
石岡はボンクラじゃないだろう
石岡はそもそもあんまり林周辺じゃなさそう 加治屋は先生やってる となると近藤かね
むしろ石岡は育ちが良くない
マスクをつけると呼吸が身近に感じられ、距離感が変わる。 マルチセンセーションとして嗅覚や視覚の混合もあり、普段は意識しないけれど、 マスウ一つで結構感覚が変わってしまって面白いのだった、 と考えてもいいのに、そういう発想無いみたいだな。 もっと柔軟にあれこれ考えようぜフルヤン。
こういう軽く流すエントリが続くね 自分ツッコミ芸とか
>>655 くだらない内容を長々と書くよりは好感もてるので、
「毎日更新」をやめないのなら、このぐらいの分量で生活日記化するのも許せるかなと思ってる。
そんなに帽子が気に入ってるのか フルヤンが写真で顔つきがちょっと変なのはメガネをかけないからじゃね? 眼を細めたりしてしかめっ面になりやすい
確かに でもビミョーに引いてしまう髪型ってどんなだろう? そういえばフルヤン(写真を含めて)見かける時っていつも帽子な
エロ本とかだとまだ愛嬌があるけど、何か微妙に引いてしまう「えーっ」みたいなものが。
>>659 そういうドン引きキャラを気に入ってるとしかw
ねじれたナルシシズムっぽい
ドン引きされて喜ぶタイプ
無名の割には随分スレがのびて人気者だが ここに書いてる人ってやっぱり暇な貧乏芸術家が多いのかな
暇なオカマ文系院生がいる
加治屋はインテリハゲだな
>>663 人気は、ネット上でマメに文章書いてるから。
これに尽きる。
めんどくさがりやなのに書き込みはマメなのが謎
林道郎って実家金持ちなの?
そりゃそうさ 近藤學は 1972年 ルーヴァン(ベルギー)生まれ。 らしいから金持ちだなw
林の亊聞いてんじゃないのか、と一応ツッコミ
林も金持ちだって ギャラリーやってるし
なぜ金持ちかどうかにこだわる?
美術系に貧乏人は少ないでしょ 少なくとも石岡は極貧
石岡に金を持たせれば日本は変わる
石岡褒め殺しの流れか?
フルヤンの貧乏自慢はなんかなあ 誘い受けだよね
近視は意外だった
熊谷守一に憧れてるなら近視放置は論外だよな あと長生きもしないと
近視って治るの? レーシックは怖いしなあ
めがねかけるのが一番いいよ
野生にこだわってるんじゃね
683 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/17(火) 21:49:31
まじどうでもいいしw ロスジェネ世代はスルーでいいんじゃね
ロスジェネ世代って誰?フルヤン?
古谷は67年生まれ
マジで誰のこと言ってるのかわからん 近藤?
私怨はスルーで
ロスジェネってザックリ71〜75年生まれぐらい? 佐々木は73年生まれ
71〜75年生まれは団塊Jr.だろう。 ロスジェネは70年代後半から80年代前半生まれの印象なんだけど。 就職氷河期に直面した世代。
失われた10年て95〜04か96〜05だろ
まだ団塊ジュニアすら出揃っていないのが現状 でも80年代前半生まれはデビューに有利っぽい
ここまで出た若手のまとめ 佐々木中 1973年 佐藤嘉幸 1971年 石岡良治 1972年 加冶屋健司 1971年 近藤學 1972年
美術犬とかいうおぼっちゃまたちのシンポはどうだったのかな
おぼっちゃまを悪口に使い出したら駄目でしょ 美術嫌いなのかよ
この世界は本人が貧乏でも親族は金持ってたりするんだぜ フルヤン親も小金あるっしょ
某林とか近藤とか アメリカの博士留学だと生活費含めて余裕で1000万はかかるだろ 30代半ばなのにそんな金出すってのは、親が富裕層でないとムリだぜ。 しかし研究者でそういう実家資金に頼った生活してると、遺産相続で取り分が圧倒的に減る罠。 早くから自活してる兄弟がいたりすると、親の遺産食いつぶした奴の取り分は必然的に少なくなるからな。 自己先行投資を回収できるのは上智で高給取りの林くらいなもんか。
そういう奴の度量は、貧民とどう付き合うかで分かれるね
林って確か実家北海道だR 北海道に資産家いるのかよw
北海道は成金の巣だろ 山口昌男の本嫁
金持ちしか研究者になれないとすると、 石岡の存在は、美術批評にとって非常に クリティカルな意味を持つことになるな。
石岡ってそんなに貧乏なのかよw
703 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/18(水) 15:38:49
いや、中流だろw
石岡はリアルで下流 でもいいかげん話題変えるべきだろw
じゃあ偽日記で >池田さんからは、自作のDVDだけでなく、池田さんが気になっている他の作家の作品や、後輩の作品などもたくさん送っていただいていて やっぱりこういう作家に好かれるポジションを確立したよね ある種のインテリ嫌悪も好かれる理由だなこりゃ
いまや若者のカリスマ
毎月作家論書いてね? 実質的に文芸評論書きまくり そういや国文学で色彩がどうのって文章書いてたみたいだけど、話題にならないよね 紙媒体の文章の内容を語ってる人が皆無だw
普段文芸雑誌なんて金と時間の無駄に思えて買わない人間にとっては 古谷を読むだけのために買うことになるからな。 そこまでして読むほどの文章を書いてることがあるかというと、 決してそうじゃないわけで、したがって言及はされない。
國文学は研究論文も載るけどね
しかし研究論文は目的買い以外では買わんだろう。 漠然と研究誌を買う人はいないと思うが・・・。 執筆者や特集テーマで選ぶということになる。
図書館行け
つまりは何だね。 君たちはブログの文章だけを読んで、 古谷君について偉そうに語っているわけだな。 甘ったれんな! そんなんで開き直っていいと思うのか! ちゃんと本人が本気で書いた文章に当たってから物を言え! まあ、俺も読んでないけど。
ここ数日間、日記の内容がユルいせいで、スレまでユルくなってるんだよな〜
今日から(23日まで)フルヤンお待ちかねのフランケンズの公演が日暮里で始まった 「絶対に行く」 金の工面はついたのかな?
金の話してないから確保してあるでしょw
詳細は明日の日記で
何度かフルヤンの評論に期待して雑誌買ったけど全部がっかり 特に映画論が駄目だと思う
718 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/18(水) 23:25:33
前から怪しいと思ってたが、ここの住人はあまり小説読んでないな。 文芸誌の扱い方を見てよくわかったよ。
板名を見ろよ
>>712 古谷の本は読んだが、言及する意欲がわかない
小説を読むことと文芸誌をむさぼるように追うことは別だろ
外国文学は読むけど文芸誌は興味薄い 古谷の逆だな
>>722 数としては情けない量しか読んでないが、路線としては俺もそっち
出来はB級だが、ビラ=マタスの小説なんかも去年は訳されたし、 割と本格的に面白いもので言っても、続々とW.G.ゼーバルトも訳が出てるのに、古谷は見向きもしないもんな。
今のフルヤン路線だと浅田は嫌いだろうな
ドメスティックに逃げ込んで甘えてるだけ、と辛辣に突っぱねるだろうな、浅田なら。
まあ俺もドメスティックだけどな
意識としては何らかの世界性を志向したいものではある むつかしいけど
英語ぐらいはなんとかするつもり
外語で作品読むところまでは俺は行けなかったな・・・ 英訳でもいいから読もう、と学生のころに思うべきであったか
理論書の方が余裕だよな
「既に常に」そうなんだが・・・ ろくに引用もしないで批判するっていうか、悪役に仕立てあげるっていうあのやり口がねえ 古谷ってそこいらへんの汚さとかジコチューぶりに気が付かないのかね
つうか『マクベス』原作に由来する要素がマイナスってあんたは……
古谷の今回の評を見ても、何がどう失敗で、 >『マクベス』の何がやりたかったのか、あるいは『マクベス』で何がやりたかったのか、 >というところまでは行けてなくて、『マクベス』の一つのユニークな解釈、みたいに見えてしまう の差異が何なのかもわからん。 この二つを区別するって言葉遊びの段階にしか見えないな。 本当に自己中だよね。 古谷の評をいくら見ても、フランケンズの何がいいのかさっぱり見えてこないのだが。 >舞台の空間の使い方がすごく面白い とか、手先の話にしか見えないし、そういう評しか書けないんだね、としか。 で、こんな評で見たいと思うか? となると、 「人間古谷俊裕のファン」以外はそう思わないんじゃないかな。 文章を書いて(ドゥルーズ風に言うならば)問題をそこに立ち上げることをナメきってやがる。
フランケンズの人もこれじゃああまり参考にならないだろ もう一回最終日に見に行けよw
結局のところ、身体性とか感覚をテクストが邪魔するっていう発想なんだろ 佐々木中への留保もそうだし、全部そういう斬り方
>>736 それは佐々木の立場と真っ向から対立するよな。
それでも気にしないでほっかむりするのが古谷のやり方か。
じゃあ書く必要ないじゃん
>>738 テクスト否定論をテクストで書くと、
何も考えなくても内的矛盾やら脱構築やらが生じやすい
作家は無意識にこういうことをやりがち
だから緊張感が勝手に生まれるw
緊張として消化し、取っ組み合ってるのならいいけどね・・・ 古谷のあの行状を見るとそう思えない
古谷は作品至上主義のフリをしているだけで、いつも自分が大事な人だからねぇ
作品に寄り添って作品を記述しようと悪戦苦闘したらあんな文章に絶対ならねえよ
「無名アーティストのWildLife」が作品 ドローイングもライフの中にある
>大きな物語――まさに物語ですよ――に対する批判は >まずは「小説的なもの」として現れるでしょう。「物語批判」としての小説です。 >また、「物語批判」は政治的な批判そのものであり、なおかつ科学を正当化する言説の産出や >その根本的な問い直しを行う「科学以外の学」の存在理由そのものである。 >物語批判を妙に審美的な文化論のなかに自閉させてはいけない。 この佐々木の主張自体は同意できる箇所もあるが、 審美的な圏域に自足する保坂・古谷サイドじゃわからんだろう。(文化論じゃないだけの差)。 言いたいことはわかるんだが、単に反科学、反文化論への鬱憤晴らしとして読まれそうだなあ。 美学的回収への抵抗として理解すべきな主旨で、 佐々木はその意識が弱いのかもしれないが、美学への回収こそが今大流行してるんじゃないかな。 表向きは「今の批評ってだめだね」なんて面をしながら実際はこれが大流行してるだろう。
>>745 俺の意見は別だな
一見審美的な圏域にだって批評性があるのに、
無視して美学と切り捨てる人の方が多い
いや、その屈託は俺もあるよ。 美学はある意味で不可避だし、たしかに乱暴に切り捨てちゃいけないとはいえ、 美学の中から批評性、政治性をうまくつなげる行為が出てきにくいっていうかな・・。 古谷の「自己中回収」とか最悪の美学化とでもいうか・・ ああいう丸まり方、すごく多いと思う。
その手の美学の政治化って、実際には安手のPC路線に陥るじゃん
佐々木 現実を言語の外部として実体化してしまう考え方はいまだに跋扈していますが、実に退屈です。 言語の外部がありそれは絶対的に語れないというような、もしくは言語の外すらもすべて語りうる、という ような考え方もね。実は言語と言語の外を分けた時点で同じ穴の狢です。言語はつねに言語の外を含む し、言語の外においてこそ言語として生成する。僕はこの本で「言語は、滲んで溶ける水溶性の染みでで きた、斑の身体を持つのだ」と書きました。言語と言語の外を截然と分ける思考からはもう何も生まれませ ん。
>>748 それこそ単純な見方じゃないかな。
こうすれば政治化です、なんてあり方を措定したがってる話に聞こえるが。
>>750 たとえばフランス思想で政治的によさげな鵜飼が支援する造形美術って、
けっこうベタなアクティヴィズムだけって印象
それは単に鵜飼がつまらないだけのことでしょ 鵜飼にそんな面白さは期待できないよ
その点で興味深い思想研究者っているのかい? 俺は政治性の安易さの方が蔓延していると思う
正直言って国内にはおらんと思う (海外では? と言われると、知らんとしか言いようがない)。 岡崎もこのへんで手が伸び悩んでるよね。 ただ、現状の言説だけで「政治化することってのはこういうことだろ?」 みたいに考えてほしくないんだ。 きっと何かやり方があるんじゃないかとは思うんだが・・ たしかに安易に、「こういうふうにやれば政治化」みたいなのは ある意味蔓延してるかもしれない。美学系統とこの種の政治化傾倒が同時に起きていて、 共倒れみたいな状況はあるのかもしれないね。
ぶっちゃけVOLの芸術論がつまらなかったんだよね
ああ、読んでないけどたしかにつまらなさそうな記事になりそう・・w
今の政治の議論って、 往々にして英米系の政治学やってないと入り口にも立てないでしょ? ということは、フランス思想系の人は、 実際には左翼政治か文化の政治をやるべきだと思うわけだよ 佐々木中の「革命」もそうでしょ でもその場合に出てくる言葉がたいしたことなさげ
その意味では、アガンベンなんかが、いきなり 新聞なんかで政治的な発言したりするのは凄いと思う。 カッチャーリもそう。 アガンベンやカッチャーリは本来は美学者だと思うので。
>>758 それは心底そう思いますね
浅田や磯崎みたいなタイプが少ない
アガンベンがシュミットを論じるとか、ああいうのは素晴らしいと思う
チェーホフの戯曲は読むだけでいいや、みたいな本の議論とパターンが一緒だね
762 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/19(木) 16:48:29
日記で扱う作家とお仕事で扱う作家を分けはじめてからダメになってる 阿部和重論書いてると日記で宣言してしまうと 古谷の書きそうな阿部和重論をネットの誰かが先に書いてしまうからだろう
763 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/19(木) 16:49:13
ダメにはなっていないが日記がつまらなくなってはいるだろう
764 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/19(木) 16:49:36
余計なお世話だ
>>762 ピカソの時は偽日記で野生万歳のわりにユリイカでは無難なコラージュ論だった
使い分けは目立つね
本音と建前
そろそろ浅田彰を叩く時期が近づいていると思うんだ
哲学板の浅田スレでやってろ
なんで? 古谷の教養嫌悪はそろそろ浅田とぶつかる頃でしょ
770 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/20(金) 04:41:12
イルミナティでしょ、アメリカの現代美術って。 ユダヤ資本がバック。
パソコンが欲しいらしい
脂っこくない食べ物が欲しいらしい
読者が嫁になってやれよw
暖かいファンが欲しいらしい
スレ民の暖かさは異常
物を大事にしそうだから壊れかけのパソコンも気に入ってるのかもな
このノートパソコンは既にけっこう作動が怪しい事があるので、喫茶店とか、外には怖くて持ち出せない。もしこのパソコンが壊れたらまったく仕事ができなくなるのだが、といって、新しいのを買える余裕はまったくないから、こわごわと大事に使うしかないのだった
故障フラグだなこりゃ
最近の偽日記は編集者やお友達に向けたおねだり日記として読むと整合性がある。 ごはんネタ →おごってください パソコンネタ →新しいのください フランケンズとかもろもろ →原稿依頼してください、僕、いま〜〜に興味ありますよ? チラ裏ならぬチラ表というかね。 営業・宣伝みたいなもんなんじゃないかね。 いわば稼動し続ける自己紹介欄。 そしてスレ住人にとっては読む価値のない日記(古谷の書く内容ぐらい予想がつく)。 「続きは原稿にて!」ってことなんだろうけど、雑誌原稿読んで良かったことないからなあ・・・
>>732-733 すでに
>>110 が予言的批判になっていることに自分でウケて爆笑した。
まあ、
>>110 書いたの俺だから、自演というか自己レスだけど。
本当に手に取るように発想が読まれきってるなこの書き手は。
一応スレ予想(?)では阿部和重ということになってる、まとまった作家論。 いったい何ヶ月かかってんだよ? 河出は原稿料安いから50枚書いても12万弱とかだぞ。
それ「文藝」の原稿料?
うん。 作家のランクにもよるけど、フルヤンならいちばん下だろうから。
500枚書けば120万か
ユリイカの1枚1000円と比べればすげー大金ですよ
え?そうなの? ページ1.000円ってすごいな。 ごめん。じゃあ文藝、もう少し安いかもしれない。
どっちみち編集者も、古谷に50枚以上は頼まんだろ
>>786 ページ1000円だったら誰も書かんよw
2ヶ月かけて10万〜12万なら、やっぱ安い でもノート買えるね
このままあと3ヶ月ぐらいずっと同じ原稿書いてたら逆に楽しい
フルヤンの月収って12万ぐらいしかなさそう
まあ生きてないこともない数字
訂正 生きていけないこともない
ノートを買わずに安めのデスクトップ買っちゃえばいいよ。 ついでに光かADSLにして、ブログのメル欄も改善して、メールフィルターを装備すること。 あーでも喫茶店執筆だとノートの方がいいのか。
つーか、既に前借りしてるだろ 年末の横浜やら何やら 作家論、今月中に上げないと採算合わない なんでこんな心配…w
おまいら優し過ぎw
なんでこんなに心配してあげなきゃいけなんだろうねw 俺たちの生活だって安泰じゃねーのによう
フランケンズも期待はずれだったみたいだしなw これからは最終日に行けよw
フルヤンみたいな発想だと、生まれ持った身体が運命にならね?
ユリイカって載ることに意義があるようなもんだろ 1枚2000円以下のはず
ユリイカは載ることに意義があるのかないのかさっぱりわからない雑誌だと思う
ま、載る人にとっては意義があるってことで
フルヤンがユリイカに書いた藤田嗣治論はかなり最低だったよ
村上春樹のアレについてなんか思いつきを書いてくれ
806 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 02:28:09
ユリイカって、つまらない雑誌だと思うけど、なぜか続いているね。 そもそも、詩人の日銭稼ぎのための雑誌だったのかなとか、
村上春樹は、何か舞い上がっているな。 昔から空気読めない人だったけど。 浅田や重彦に馬鹿にされつつ何時の間にか彼らなんかよりはるかに世界的に有名になっているのが愉快ではある。
浅田とかどうでもいいでしょ。
ユリイカとかよく買えると思う。 騙されている感じがしないのかね。 とくに大学教授が片手間に書いたような意味不明なナルっぽい作文。
最終日に行けばよかったと言ったら、最終日に行けることになり、(お礼に)やはり最終日に行ってよかった、初日とは全然ちがうのだった、と来週の日記に書き…3月5日の神村恵カンパニーにも絶対(自腹で)行くぞと言い…
ユリイカって2年に一度も買わんな・・・
812 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 09:10:47
>>810 見限ってくれ
本人がそう公言しているのだし
ユリイカは美術とオタク関係は駄目だけど、 文学とか映画とか漫画だといい特集の時もあるよ
映画は…うーん、どうだろう。
ロメール特集、ゴダール特集などは、
そもそも「いまやああいう特集をする紙面そのものがなくなった」ために
ユリイカが光らざるを得ないだけであって、ユリイカの映画特集がいいかっていうと微妙。
文学にしても海外文学の特集などでは、
「〜〜新訳出たから便乗便乗」みたいな企画ばっかり。
しかも寄稿文章の大半が、
>>809 の言う
>とくに大学教授が片手間に書いたような意味不明なナルっぽい作文。
のごとき短文エッセー。
漫画は、うーん、数年前の漫画論特集とか?
宮本大人とかあのへんがフィーチャーされてたね。
見てないから特集内容はどうとも言えないが、
水木特集とかうめず特集とかは悪く言うほど酷くはなかったかも・・。
でも映画と同様、「ああいう特集をする紙面そのものがなくなった」事情ゆえの目立ち方だよな。
ユリイカなんて馬鹿が読む雑誌でしょ。
なんていうかアレよね。 「見限ってくれ」てさ、 「水準以下の文章を世に出していても批判されずに済むアリバイ」ってことかと。 まあ日記だから「そんな大げさな」ってことになるんだが、 いまネットで面倒なのはこういう公私の境界が曖昧なのを利用して適当なことばかり書く人間なんじゃないか。
817 :
814 :2009/02/21(土) 09:23:26
>>815 まったく同意だ。90年代前半ぐらいのは割と好きな号もあるけど、
この10年ぐらいの内容は買っても即本棚の奥に放置。
3年に1冊も買わないな最近は。
大学教授が書いているという時点でアウトでしょ。 エッセイを書きたくて仕方ないんだろうけど、ならネットで頼みます、という。
819 :
814 :2009/02/21(土) 09:28:05
しかもまた、「ユリイカに書きたかったんですぅ」みたいな人も沸いてくるから気持ち悪いよね。 城殿とかには猛烈にそれを感じた。 小谷野は何かの文章で「文芸誌から依頼がきて多彩に活動して、売れっ子になりたかった頃がある」 みたいに初期の頃を書いてて、その文章読んだときは 「ええっ、マジでこんなふうに憧れるやついるの?」と愕然としたものだが、 そういう大学教授って結構いる感じがする。
絶対的に判断したら、 最盛期の批評空間だって、欧米のハイレベル雑誌と比べりゃ糞だろ……
批評空間は休止したことで「あの頃はまだよかった」などと回顧されやすい状況に現在あるけれど、 あの雑誌の単発的なアクチュアリティといい、 「所詮、連載で翻訳してるだけやんか」みたいなノリといい (浅田の目に留まった面白い論文紹介雑誌でしかないというか)、 まずい面はかなりあるよ。 本当は批評空間は漠然と回顧されるべきじゃなくて、 「じゃあ今、雑誌ってどこまでやれるんだろう、どういう編集方針やコンセプトの持続性がありうるんだろう」 という問いが重要なんだけど、そういうことを言う人があまりいないよね。
だからそこまで厳しい人にとっての良い雑誌なんてあるの? CritiqueとかOctoberの全盛期?
823 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 10:18:08
>>816 しかし彼だって 暮らさなければならない わけだ
駄文書き垂らす無恥な奴らへの当てこすりを
日々コツコツと積み上げてきた結果
今日のプレゼンスをゲットしている彼が…
というかね
まぁ彼のは駄文ではないわけだけど
>>823 フルヤンの紙媒体のテクストは駄文でしょ
825 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 10:20:36
ジジェクの斜めから見るってOctoberなんだね 最近知った
>>822 俺は「欧米のハイレベルな雑誌」を対置するつもりはないけど、
そもそも雑誌で良いということがあろうはずがなく、是々非々としか。
その雑誌であれば無条件的に定期購読、という雑誌を俺にあるわけでもないしね。
>>821 で書いたのは批評空間だって賞賛されるべきところじゃない独特のやばさあるよってことで。
>>825 単行本に入ってるかどうかは知らないが、ジジェクOctober(雑誌の方)でロッセリーニ論も書いてた。
90年代ぐらいだったかな。
Octoberも最近は落ち着いちゃったけどな
>>828 そうなのか。しっかり追ってなかったから知らなかった
俺は雑誌全滅論には与しないね webはもっとひどいし
>>829 Grey Roomと役割分担してるというか
たしかにwebの方がもっと酷いってのはあるね 全滅って言うか、まあ論者でばらばらに四散してるってことじゃないですかね、ぐらいにしか俺も思ってない。 ただ、特集の造り方を見ていて、こんなんしかできないの? とは思う。
Grey Roomってそういう雑誌だったのか。 名前しか知らなかった。ドイツの新たなメディア論とか特集してるんだね、としか記憶になかったな。
すでに語るべき文化じたいやり尽くしたし、こんなものでは? 文化は終わることはないけど、所詮人間のすることだし、いつまでも最盛期が続くはずない。 新しいメディアが出来て、1世紀程度でだいたい出尽くし、それへの批評も出尽くすものでは。 この点の認識は浅田とだいたい同じかな。 そういう意味じゃ、小説は言うに及ばず、映画も含め何も終わりつつある。 大衆文化がこの先変質化していくことぐらいかな、動向として批評すべき価値があるといえるのは。
SITE ZERO/ZERO SITEあたりはどうなの? 田中純周辺で若手が頑張ってて期待がもてそうだけれど。
836 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 10:42:18
持ち出し一方の WEB日記などはもう 色褪せてしまった回路 でしかなく 廃棄されたとしても 仕方のないことでしょう 最近のエントリーなんて油さしてるだけだし
写真関係では、photographers’gallery pressの雑誌が いい線いってるよね。
>>834 >大衆文化がこの先変質化していくことぐらいかな、動向として批評すべき価値があるといえるのは。
内容が追いついていないけど、東浩紀路線ってこれだな
>>837 あれはダメでしょ。
最初の頃はまあまあ良かったけど。
>>839 お前厳しすぎw
かといって欧米雑誌を購読してるわけでもないんだろ?
841 :
826 :2009/02/21(土) 10:57:13
>>835 しっかり読んでないけど、買ってはいるよ。
雑誌単位でどうこう言うつもりはないけど、頑張ってるし、いいんじゃないの、とは思ってるが。
基本的に「是々非々」としか言いようがないけど。
>新しいメディアが出来て、1世紀程度でだいたい出尽くし、それへの批評も出尽くす あまりこういうメディア交代論みたいな発想ってしないなあ そんな乗り換えバスみたいなもんかねえ
まぁでも雑誌と言うには 年に1回出るか出ないかってペースだと ちょっとプレゼンスが足りないなぁ。
>>835 GreyRoomがモデルなんじゃないかと思う
>>842 けど古谷の「セザンヌ・マティス」が冗談みたいなのも事実
あれは擦り切れた発想でしょう
なるほど、似たところがあるのか。参考になった。
古谷と対比されてもしょうがない。 古谷のあのセザンヌ・マティスなんて、もう呪文と化してるでしょう。 あれなら岡崎の言うセザンヌ・マティス、とかの方がまだしも好感が持てるし、 単に現在のメディア-技術編成に対する逃避もなってない。
共産主義がなくなったからねえ。 雑誌も組織しにくくなっている。
>>847 だって岡崎はメディアアートもやってるじゃん
最近もダンスでロボ作ってたし
藤枝は世代的にしょうがないけど、 その弟子の上田高弘が、インスタレーションは全部糞と言い出して、 和服まで着ちゃった時は冗談かと思ったw フルヤンにもそういう傾きがある
スノッブくさいスレ。
>>848 社会主義リアリズム以後って意味では、
第二次世界大戦後の雑誌はポスト共産主義だろうに
是々非々ってのが単なる冷笑に終わってる怖れは強いと思うよ こういう場所だとなんでも貶せるから
だって、のつなぎがわからないのだが、
岡崎は単に「新しいメディアが登場すればそっちに乗り換えればいい」という立場を表明してるとでも?
もちろん、単にペインタリーなものに回帰すればいいだなんてことは
>>842 でも俺は言ってないし、
そういうのは反動的でもあると思うよ。
まあ、個々人gは特定のメディウムにこだわるのは別に非難しようとは思わないが。
古谷のように単に偏狭に他のメディウムに対して攻撃したり、無理解を正当化するのは悪質きわまるけれど。
新たなメディアに対応すること、それによって技術や可塑性が刺激されること、
そこで思考が新たに開始されることは十分ありうるし、別に悪いことだとは思わん。
だが、
>新しいメディアが出来て、1世紀程度でだいたい出尽くし、それへの批評も出尽くす
>小説は言うに及ばず、映画も含め何も終わりつつある。
>大衆文化がこの先変質化していくことぐらい
だのといった主旨は、進化論めいた発想で
可能性がメディア推移にともなって乗り換えられていき、消え去るということを前提にしているだろう。
俺はそうは思わない、と言ってるだけだ。
そしてそれは、別に新たなメディアの拒否でもない。
政治化を期待する。
>>854 849は俺だがそういう趣旨さ
岡崎の絵画はメディアアートと問題意識はそう変わらんでしょう
ラウシェンバーグ好きなら当然というか
古谷は抽象表現主義すら消化してないでしょ
というか抽象も嫌いとしかいいようがない
なんで冷笑にされちゃうの?
個々の論文、個々の論者、号によっても特集によって良し悪しはありますね、
雑誌単体に対する総評など簡単にできないし、すべきでもないでしょう、ということなんだが。
それとも簡単に乱暴に「あの雑誌は良い」といった決め付けみたいな評価がほしいわけ?
俺はSITE ZEROに対して特に嫌悪感も苛立ちも持ってないけれど。
貶したがってるのは
>>853 じゃないの?
ただ、既存メディアは、主要な組み合わせや論点、概念は出尽くした、といっているだけ。 もっと細かいアイデアや洗練された華麗な組み合わせや、時代の推移に沿う論点は出てくるだろう。 そういう意味では、終わりはない。 でも、グリーバング的な意味で、あるメディアにそのメディアでしかできない特殊性があるとすれば、 その発見、発明の過程は、無限には続かないでしょ。 絵画でピカソのスタイルをもう一度やるのは、車輪の再発明だし。 無論ピカソのスタイルをピカソ以上に洗練してやるとか、日本的な意匠でやるとかいくらでも新しい ことはできる。でもその大元は出てしまっている、ということ。 それを無視してやるのは、自分が車輪を再発明していることに気づかないアウトサイダーでしょ。
俺は冒頭の >既存メディアは、主要な組み合わせや論点、概念は出尽くした この発想からして馴染めないけどなあ。 なんでそう簡単に決め付けられるのかわからん。
>>857 それが冷笑でしょ
日本の雑誌にろくなのがないって嘆きと一緒だから
>>858 >車輪の再発明
再発明が無意味ってのは芸術では成り立たないよ
ラクー=ラバルト読んだ?
古典主義とか完全に再発明なんだが
それと、アウトサイダーってのを蔑称に使っている時点で19世紀的な感性と言わざるを得ない 浅田彰をなぞっているんだろうけど、あの人自体がそういう趣味人です
いや、俺は日本の雑誌にろくなのがないなんて言ったこと無いけど。
>>832 で言ったように「論者でばらばらに四散してる」って認識ぐらいだけど、書いたのは。
「特集の造り方を見ていて、こんなんしかできないの?」ってのは
主としてユリイカの特集のことを言ったのであって、日本の雑誌はだめだ、なんて決めつけてないけどなあ。
一体どんな幻想を相手に批判してるんだと言いたい。
批評がつまらなくなっているのは、彼らの社会へのまなざしが弱体化したことに尽きるなあ。 教養というか基礎知識じたいが年々批評家から消えているでしょ。 自分の専門しか知らない奴は大学で何かしていればいい。今では批評家は小さい大学教授。 事実関係の研究ではなく、事実そのものを変質させるのが批評家なのにね。 一方で事実に手を入れることは、恐ろしいことだし、できれば危ない橋は渡りたくない。 だから専門の中で細かい仕事を丁寧にしよう、という意図はわかるんだけど、それなら雑誌で やる意味がない。
モダニズムも古典の再発明ですってば 詩になっちゃうけど、エリオットやパウンドとか、ほとんど反動スレスレだし
>>861 再発明かつ、ミメーシスに宿る変形的な継承って感じだよね。
ラクーラバルトのミメーシスってそういう意味合いがある。
流れ的にろくな雑誌はないってなってるやん photographer's gallery pressも糞とかさ
>>861 古典主義は、「再発明」ではないでしょ。
まったく同じものを作っているわけじゃない。
「流れ」とか言い出したよ。どういう妄想の正当化だよ。 PGが駄目って言ってるのは1レスだけじゃん。 俺はあんまり読んでないからコメントできないって立場。 まあお前さんが「スレ住人は決め付けたがってる! 俺は違う!」 と叫んで悦に浸りたいのはわかった。しかしそのために勝手にこっちの立場まで決め付けんな。
>>866 今どき批評家はそれに乗っちゃいけない、でしょ。
芸術を社会や心理に還元していく作業が今は必要だと思う。
芸術主義は、80年代に日本ではやり尽くしている。
再発明って言葉がすでにそういうものなんだよ。 全く同じものを作る継承なんてどこにあるんだと。 ものすごく単純な媒体観しか持ってないんだな。
>>866 メディウム・スペシフィックと技術決定論は別の問題なのにね
でしょ、とか言われても。 なぜ乗っちゃいけないの? 継承としての再問い直しが完全に無くなること、 事後的な理解においても無くなることなんてありうるわけ? 870は気持ち悪い前提を押し付けすぎ。 いきなり「芸術主義」などと言われても何がなんだか。 ラクーの論は社会を特に捨象してたっけ?
>>869 いきなり妄想とかどんだけ沸点低いんだよ
実際に冷笑的な部分があるから怒っているようにみえるよ
ネットだとただでさえ「様子見」で高所から叩くのが容易だから、
俺はこういう場でやたらと物事を否定するのは好まないけどね
>>871 じゃあ「効用性」はどうなるの?
常に差異はある、というドゥルーズ的な意見は分かるけど、
やはり同一性も大切でしょ。批評は、抽象化の作業だから、違うものを同じものにする。
ピカソをもう一度繰り返してそこにささやかな差異を見つけ、愛でるということより、
批評家にはほかにすることはあるでしょ。そのジャンルの人間でもないし。
批評全体が、ドゥルーズをいい訳にして、自分の狭い領域で細かい仕事に引きこもったのが
ここ30年程度の批評の歴史なわけで。
それはもうやめるべきでしょ。
何だかんだいってジジェクは立派だよ。重彦なんかよりよっぽど。
まあ、雑誌や批評家の“最低限”の仕事ってのは、 有能な人にしかるべき表現の場を与え、 且つそれが学会や市場にまかり通る論理を提供することだと思うので、 ユリイカも問題点が腐るほどあろうが、一応及第点だろう。
社会学主義や心理学主義はもっと糞だろ 芸術至上主義を安易に考える奴が多すぎる 実際に芸術の政治を考えるなら一度至上主義にならないと駄目なんだぜ 内在批評がいちばんまっとうでしょ
スノッブなスレ。気持ちの悪い議論が続いております。
だってレス指定しない形で「スレの流れ」だ、とか勝手に決め付けるんだもの。 いや、俺そう思ってないけど、と反発食うのは当然だろ。 で、反発受けたら「沸点低いなw」かよ。好き勝手に言いたいだけちゃうんか。
>>875 ドゥルーズを蓮實に引きつけて矮小化しすぎてね?
>>879 コテ名乗ってないんだから、「スレの流れ」を対象にするのは間違っちゃいないだろ
あんた自身完全特定を避けるために匿名にしてるんだから
>>876 腐ってもユリイカだと俺は思うんだよね
少し前の現代思想の方がピンと来なかったし
>>876 それができてないから問題なんだよ。
ユリイカが及第点って・・・ずいぶんめでたいなあ。
批評は、文化からいったん離れるべきだと思うね。
今はもう文化産業しかないわけで。
市場しかない。なら市場を分析するほうが有益でしょ。
>>875 今度はドゥルーズかよ。
俺はドゥルーズを念頭においてなかったけどなあ。
しいて言うなら、デリダの不忠にして忠実な翻訳、とか、
可能性の遺産相続、とかを思ってた。
>やはり同一性も大切でしょ。批評は、抽象化の作業だから、違うものを同じものにする。
前後の主旨のつながりからして何が言いたいのかさっぱりわかりません。
ドゥルーズで言うなら、それこそ、差異かつ同一性があるんだろうし、
誰が差異だけを顕揚したんだ?
>批評全体が、ドゥルーズをいい訳にして、自分の狭い領域で細かい仕事に引きこもった
せめて国内の誰のことなのか明確に言ってくれ。
何を、どんな論立てを叩いてるのか明確にならない。
80-90年代の国内のドゥルーズ受容ってあまりいいものだとも俺は思ってない。
ある種、ジジェクの方が文化批評になっててクリティカルな面もあるよ、ってのはうなづけるかな。
蓮実なんか論外だから比較する気にならんけど。
中川がラオコーン像を触ったのには吹いた
>>884 この人、883を見る限り例の東スレ住人みたいよ
>>883 >今はもう文化産業しかないわけで。
嘘つけw
>批評は、文化からいったん離れるべきだと思うね。 >今はもう文化産業しかないわけで。 >市場しかない。なら市場を分析するほうが有益でしょ。 同じ穴の狢だと俺が思うが。 そういうふうにメタ批評になれば回避できる、って発想こそが、 文字通りシニシズムなんじゃないの。 アルチュセールではないが、イデオロギーの外部に立つことは不可能だ、という ジジェクのシニシズム論の先駆みたいな発想をしちゃうけどな俺は。
>>886 それっぽいねえ。スルーしておきますか。
というか無駄な改行が入ってるあたり、
>>883 ってまたあの(ピー音)じゃないのか。
すでに終わっているだけでしょ。 やっぱ20世紀前半が最盛期だったと思う。 後半に大衆文化が花開いた。 まあ、大衆文化の真面目な批評は結構やること残されていると思う。 でもそれにしても市場や社会の視線は必須でしょ。 そういう意味では、カルスタもいわれているほど悪くなかった、と思うんだよね。 ただカルスタとは違うアプローチで、いわば内在批評として作品やジャンルの規則や性質を 分析する作業は必要。でもなかなかみんな大衆文化には手を出さないw これも危ない橋なのかな。オタクとか馬鹿だけどいちいち煩いからねw
>>883 いや、その発想で言えば、
フクシマリョーダイにサブカルメディア論を連載させてるユリイカは偉いってことになるw
>>890 いや、俺もたまに改行するから、そう言われると何か無駄に傷つくものがw
改行はともかく、883はろくなもんじゃないな。
こういうメタな立場が簡単に手にできるって発想こそが危険なんじゃないの。
社会心理学的な議論も大事だとは思うが、それでもって解消できるみたいな話は勘弁して欲しい。
>>891 ユリイカがそういう場所だろ
それこそ楳図とかあの辺の特集がそれだ
>>892 福嶋はあの路線の連中のなかではいい方でしょ
蓮實が褒めてたらしいじゃん
まとめっぽく言うと、ここ10年は斉藤環が幅を効かせすぎたんじゃないかな
まあ、ほっとこう。 俺は長谷正人の『表象』2号に乗ってるアドルノ論書評なんかをふと思い出してしまった。 「大衆文化批評」自体がドグマ的に推奨されており、むしろアドルノのような屈託も大事じゃないかなあ、 みたいな発想だけど、気持ちとしてはわからんでもなかったな。 それだけ言うてもしょうがないけどな、とも思ったが。
古谷は内在批評だけどけっこう精神分析に還元してるけどね。 ラカンを理解してないから、それが精神分析なのか怪しいけど。 「何か」をそう理解しているフシがある。ユリイカ的。
>>897 長谷は二転三転する上けっこう適当だからなあ
逆のことも言ってなかったか?
>>897 そのとおりでしょ。
長谷は悪くないよ。彼は結構面白いこという人。
戦後の文化はハイもマスも所詮産業でしかない、という論点は大切。
それをなかったかのように、芸術大好き、文化大好き、批評大好きというナイーブなファンが出てきちゃったのがここ30年だしね。屈託がないっつーか、ニーチェ的な意味でのイディオットとでもいおうか。
フルヤンは映画批評から逃げすぎ
福島は基礎知識がない。アイデアはいいんだけど。
「〜でしかないわけで」の人はピントがぶれすぎている 良くある芸術否定論でしかない
>>899 そう、逆のことも言っててね・・。
昔、映像という名の快楽、だったかなあのへんの本では
大衆文化に対して無理解だから駄目みたいな叩き方をアドルノ&ホルクハイマーに対してしていた。
そのときはずいぶん単純な評だなとは思ったんだが、
表象2号の書評は、まあいいこと言うじゃないの、と見直した感じ。
>>902 あの世代はみんなそんな感じ
でも変な衝動があって面白い
>>904 長谷は社会学者だけどシネフィルというポジションの妙で売ってた人でだから、
中村秀之という上位ヴァージョンの存在で用済みになっちゃったと思う
長谷の微妙さってあるよね。 だけど、new german critiqueなんかもよく読んでたらしいことを書評で漏らしてたんで、 「そっちの紹介者になればいいのに」とマジで思った。 彼の現在までの論はあまり面白くない。
>>907 竹峰にそういうのはやってもらおう
学者で終わらないならの話だが
芸術否定論は必要ないでしょ。市場が「イラネ」といっているし。 むしろ擁護すべき。 ただ、それを踏まえていうけど、大衆文化は否定する時期に来ているでしょ。 産業でしかない、という現実を突きつけてやる必要はある。 作家は「そうですよw」というでしょう。だからみんなそれをやりたくないわけで。 でもここまで大衆文化が力を持ってきちゃったわけで、アドルノする必要はある。
>>909 ドゥルーズでやったってかまわんだろうに
適当な予断が大杉
でもnew german critiqueって、まっとうな文系院生ならみんな読んでたんじゃないの
なんか軽率な判断と先了解の「でしょ」があまりに目に付くなあ。適当すぎる。
スノッブなスレ。
>>911 そりゃそうだろうけど、訳も含めて紹介、導入がどれほどあったかというと疑問。
それこそ批評空間ぐらいでしか訳されてなかったという記憶が(ヒュイッセンとか)。
むかついたらスノッブだの気持ち悪いだの言い放てば何とかなるという(ピー音)の暴れまわるスレですね。
>>908 長谷書評では、竹峯の本はあまりにアドルノをベンヤミン化しすぎてはいないだろうか、という批判でね。
簡単にアドルノをベンヤミンに摺り寄せることなく、
しかもなおギリギリまでこの二人の差異を見ていくべきではないか、と提言していた。
アドルノ生誕百年で出てきた資料類を駆使してさまざまなアドルノのエピソードを紹介しているという
竹峯の本は面白そうではあったが、大丈夫なのかなこの本、と思わないでもない書評ではあった。
>>916 うーん書評に引きずられすぎじゃないか?
専門家じゃないならそういう判断になりそうだけど
竹峰自身があの雑誌に絡んでいるから意識的に辛い採点にしたんじゃないか?
そもそも長谷よりは実力高いでしょ
>>914 ヒュイッセン英語でしか読んでねーや
何が訳されてた?
そっか。まあでも書評読んで「ちょっとこれ読んでみたいな」とは思ったのは確かなので、 一応いずれ目にしてみようかなとは思ってるよ。 長谷にアドルノを論じる蓄積は無いが、竹峯にはあるだろ、というのはそりゃそうよね。
920 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 12:18:16
大衆文化を否定するなんて簡単にいうけど、 皆さん、映画やロックや漫画を否定したら、入り口がなくなっちゃうのが現状。 アドルノだって、文化産業の教育的効能はみとめるでしょ。 また、主に音楽に関してだけど、才能ある作家が文化産業に流れている状況だって認めていたわけだし、
美術や音楽って、今でも富裕層じゃないと厳しい世界だからね ダンスもか
>>918 批評空間の目次データベースでも見ればわかるけど、
2本訳出があったよ。
あと、みんな忘れてるけど、II-2,(1994.7)以後は編集顧問にヒュイッセンいるんですよw
Andreas Huyssen, <Monumental Seduction>, New German Critique, no.69, 1996
が批評空間II-14に(「モニュメントの誘惑」(高橋明史訳))、
Andreas Huyssen, <The Voids of Berlin>, Critical Inquiry, vol.26, no.1, Autumn 1997
が批評空間II-25に(ベルリンの空虚」(田中純訳))、
あと数本あった気もしたけど、調べて見ると2本しか訳されてなかった。
>>920 アメリカ時代のアドルノは単に孤独だったんじゃなくて、
ハリウッドの連中と意外にいろいろやってて、面白いし、
単純に否定してたのとは違うんだよ、ってエピや文章をたくさん紹介してるのが
竹峰の本なんだよ。何を言ってるんだお前は。
>>922 thx
翻訳はI期が一番やる気あったからねえ
日本の論壇的にはII期なんだろうけども
竹峰本は装幀がダサ過ぎてかわいそうだw
それは青弓社の宿命としかw
田中純も批評空間デビューだよね 福嶋は漱石が言文一致を発明とかぬかしよる
田中はうーん、『建築文化』でも書いてたよ。商業誌デビューではあっちの方が早いような。 95年ぐらいにはそのへんで書いてるし、96,7年にはすでに10+1で執筆陣にはいってる。 あ、でもモダニズムのハードコアが1995年で、このときに寄稿してるか。 それ以前となると、92年の現代思想(生命機械特集)ぐらいしかないな。 俺は違うと思ってたけど、彼も批評空間デビューの人だってことで適切かもね。 言文一致は四迷(実作)と逍遥(理論的に準備したが実作は適用できなかった)だろw 漱石はその後の人。福嶋は無茶苦茶だなあ
>>928 実際のデビューはそうだろうと思うけど「実質的には」批評空間でいいと俺も思う
岡崎もそうだけど批評空間には人材をブレイクさせる力があったね
柄谷+浅田の黄金時代w
フルヤンは遅れてきたひとでwebにかろうじて間に合った感じ
東みたいに誌面で浅田に鍛えられてたらまた違ったと思う
>言文一致は四迷(実作)と逍遥(理論的に準備したが実作は適用できなかった)だろw 漱石はその後の人。福嶋は無茶苦茶だなあ 文芸評論家を肩書きにしちゃいかんだろw
竹峰とかどう考えても批評空間向きだったよな
福嶋のそれってweb?文字媒体?
ひさしぶりに田中サイト&ブログをちらちら見てたら、
新著の紹介ページがなぜかジーバーベルクHPとリンクされてるw
ttp://before-and-afterimages.jp/Site/Welcome.html 一体何がおきてるのだろう。ジーバーベルクが日本語読めるとも思えないのに入念に写真添付されてるとは。
>>929 ああ、正確にやらんとな、ということで批評空間総索引で調べなおしたら、
・田中純「終わりの時代の建築家:ダニエル・リベスキンドの署名」(批評空間no.10, 1993.7 特集=芸術の理念と<日本>)
・田中純「虚のファルス:建築家ミース・ファン・デル・ローエの誕生」(批評空間II-1, 1994.4)
があったよ。
で、その後でモダニズムのハードコア(95.3)がきて、
田中純「美術史の曖昧な対象:衰退期について」が載る。
だから、実質的にも実際的にも批評空間経由でいいかもね。
95年ぐらいからツテを作ったのか、建築雑誌にも書き始めるよ、って感じかと。
訳者絡みも含めて、批評空間には人の輩出の一定の力、役割はあったんだ、ということは認めたいね。
>>933 活字媒体じゃなければ根本的なダメージにはならないんじゃね
こういうところがwebの駄目さなんだが
>>935 活字媒体だったらそれこそヤバイでしょう
編集者の校正能力が無いってことだから
937 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 13:36:56
土屋のレクチャー聴いたことあるけど ひどかったわ
>>931 なるほど、そういう感じの人なのか。面白そうだな。
まあでも、堀とか平倉も竹峰とはまた別かもしれないが、批評空間向きの人だったよね。
石岡はあまり批評空間っぽくない
石岡はユリイカが合ってる
批評空間硬派とか、そんな感じでいいんじゃないでしょうか。
スノッブスレ。無知かつ馬鹿どもの饗宴をお送りしています。 提供 日本批評家ワナビー
(ピー音)は自分の大好きな著者を批判されるとすぐにいきり立つから反応が同じで笑えるね。
944 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 13:51:41
物知りだけどセンスが内奴は掃いて捨てるほどいるのだった
お前はなーんも知らないけどな。
フルヤンとかな あ、物知りですらないか
イルミナティイでしょ。現代美術って。
基礎知識ないから、ここの人たちって。
>>947 いや、福嶋大好きっ子なんでしょう
土屋・近藤絡みは知らん。
前の方のログで学歴言及のことを言ってるのかもしれないが、あの流れはよくわからなかった。
949が何の基礎知識を持ってるのか謎である。 社会学だとか心理学だとか吼えて恫喝してるだけの無知が何を言ってるんだろうか。
次スレはちゃんとしようぜ たぶん1が粘着の人だろう
>>950 福嶋はそう悪くないでしょ
中国文学に関してなんか仕事するべきだが
でしょでしょはもういいから
>>953 そうか、それは悪かったw
福嶋はなあ、うーん、馬鹿ではないんだろうけど、
かといって面白いと思ったこともないんだ。
だからコメントは差し控えたいかな。
印象程度や好き嫌いで悪口言うわけにもいかんし。
あんまり興味ない、ってのが率直なところ。
>>956 オタクコンテンツを文学並みのテンションで語れば面白いと思ってる
東浩紀は作品論を迂回するけど福嶋は退路なさげだから
タカリ芸に味をしめつつあるな スレ民にキレたのが効を奏したか?
959 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 14:40:53
みっともないひとたちだなぁ
おっぱいファクトリー!いえい
古谷はso-netなんだから、 webからログインして迷惑メールにフィルターかければいいのに……
●ということで、『44マクベス』を最終日にもう一度観ることが出来ることになって、嬉しい。
フランケンズからすりゃあ営業妨害になりかねないもんな……
傍目から勝手に意地悪に推測すると、 今度は褒めろよ、というお達しに見えるから困るw
966 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 15:03:04
ただ飯食いの、料理評論家といっしょね。 ”ぼくは料理評論家だ、雑誌に連載ももっている、 場合によっては、君の店をあつかってあげるよ。どう?”
うひゃひゃひゃ。
>>965 というか、古谷に古典の現代化を論じさせるのは無理では?
演劇業界の奴がきっちり潰すべきじゃないかな
俺はそこまで利害ないけど、常識的に考えて演劇という営みを丸ごと否定しているも同然だろう
969 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 15:07:18
フルヤンの場合は辻斬りにちかいからたちが悪い。 いきなり、インターネットに、”・・・・まずい”としまって、 被害者が焦って、チケットを送ってくるというパターン。 これって、やりようによっては、金になるかもしれないね。
岡崎の代弁者風だった時期?も、マルチプル全否定だったように、 フランケンズがやりたい古典の解釈を全否定してそうだぜ?
>>969 やりようもなにも、すでに金になってるじゃんw
辻斬り浪人ってのは言い得て妙かも
おっぱいファクトリー!いえい
ただ見して尚且つけなしたら批評家として認めよう
>>974 岡崎とかはすでにそんなじゃね?
批判がすっかり予想の範囲内だから効力は皆無だけど
976 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 15:42:12
>>968 確かにそう
手ぶらなふりしてるから質が悪いっていうかね
名誉毀損になるんじゃない、そのスレタイ。 やめたほうがいいと思う。
979 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 15:51:48
失うものがなさそうなのがこわいよね。
名誉毀損ってのは事実無根の悪口でしょう
981 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 16:13:36
ふつうにかんがえたら、 金がなくて、独り者で、あちこちに出現して、インターネットで喚く人って、怖い。
だからライターになったんじゃないですかね 最低限の文責は発生しますし
983 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 16:35:03
だから、フルヤンの雑誌や本の文章はつまらないのね。
無責任に放言してる方が面白かったというのは確実
985 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 16:58:31
ふくいアンチのふるやシンパか……
荒らしまがいの1のスレタイには(あまり)文句がつく動きにならなかったのに 今回に限ってこうも騒ぎ立てる人たちって何なんだろ
>ネットだって、文責ってあるのだろ? この台詞、古谷にそっくり返してえ とてもそのようなモラルのない劇評ばかり
このスレの1が騒いでるんだと思うよ ようするに駄スレ化することで古谷を守ると
なんだこいつら。アホすぎ。 とっととそのスレ削除して別のスレ立てろ。
991 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 17:14:57
別のスレはとっくにたっているよ
プッ
執拗に福居伸宏を攻撃してた人だったのかw
いやいや、福居批判には俺も混ざってたけど、 「あいつの写真は肖像権無視しててあざとい」とか、そういう批判はしてなかった。 俺は福居はもうちょっと落ち着いて自分の問題構制を手にしてやってください、とは思うし、 それが無い限り「ネットのそこらにいるガキかよ」という評価は変わらんけど、 この1みたいな批判とは違うなあ。
福居はなんだかんだいっても古谷的な意味でネット営業に成功している人って印象だ
996 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 17:55:06
フクイは撮ってる写真が受け入れやすいからね。 好き嫌いはあるだろうけど。
雑踏とか街角の写真をああいうブログスタイルで使うってのは割といいセンスだとは思う。 個々の写真の出来は首をかしげたりいろいろだが。
でも古谷と一緒の欠点だな ああいう写真はブログ映えするけど、焼くとイマイチなんだよ
999 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/02/21(土) 18:02:18
ブログ写真はブログ写真だろw 焼くってw
腰をじっくりすえて「場所性と記録」とか、 「場所の固有性とその移動」とか、「監視技術と視線」とかでいいから 更新速度はゆっくりでいいから議論したり読解したりしながらやっていってれば 「ちょっといいブログだよね」ぐらいには一目置くんだけどねえ……。もったいない。
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。