1乙
もう話題なくないか?わかりきった事ループしてるだけやん
美術批評総合スレだからいいんじゃね
今年の四谷とかさw
煽りはスルーで
岡崎先生を煽る奴は…絶対にスルーだ!
普通に批判すればいいのに
『亀』の方がずっと重要だろうが
photographer's galleryは古谷にオファーするべき
スタジオボイスおもしれーぞ
ここを荒らしたい人は岡崎の悪口をかくといいよ
即30レス位で封じ込めにかかるから、見てて面白い
煽りはスルーで
>13
でたな
41の番付師。 還暦ちぇんちぇい 。
何これ・・ドン引きなんだけど
http://assaito.blogzine.jp/ レビューハウス☆ドリームナイト開催!!
渋谷UPLINK FACTORY
18:30開場19:00スタート
Charge ¥1,500(1ドリンクつき)
プレゼン+ディスカッション+オークションの3つのステージ=3つの価値基準から
公募作品を徹底分析。批評誌Review Houseが始動させる、ブレーン・ストーミング・
オブ・アートのためのイベント!!
RH03は間違いなく買わない。金もうけイベントサークルかよ
そんな、編集の奴らが儲かることじゃないと思うよ。
トチ狂ったのかRHw
若手作家と組むイベントじゃないの
もともとRHにはそういう路線が入っているだろう
モダニズムのハードコア熟読系じゃないから
前スレで煽り過ぎたがら閉じてしまった
あんまりいじめると小学生のまま眠り続けるぞ
身辺雑記になったってことか
ああ、なるほど
>昨日は朝まで起きていた(つまり今朝まで起きていた)ので、夕方まで寝てしまう。
スレを見てたんだろうか
前スレ見てたらそりゃ凹むだろうな
当たってるだけに
眠るしかない
しかし明日ケロッと逆襲してほしい気もする
これは痛手じゃね
フルヤンほとんど「自閉症者」みたいだし
メモのために再掲
自閉症者はこのような自己システムの混乱を回避しようとするために、情動的コミュニケーションの接続を遮断してしまう。
言い替えるなら、彼らはシステムの安定を優先させることによって、「社会化」を犠牲にしているのである。
そのため、自閉症者においては情動の回路がほとんど形成されないか、あるいは形成されたとしても、その作動の様式はきわめて狭められたものとなってしまっている。
この傾向は、自閉症者が彼らなりの言語の回路を形成するときに、いっそう顕著なものとして現れる。
私たちは先に、言語を獲得することはコミュニケーションを行うことと同じだと述べたが、自閉症者にとって言語とはそのようなものではない。彼らにとって言語とは、何よりも事物との対応関係を示す記号なのである。
言語をこのような記号として習得するならば、言語を発するさいの行為遂行的な次元はなくなってしまう。
つまり、そこに言語的コミュニケーションが引き起こす意味の曖昧さや多重性、取り違えや誤解、発話行為がもたらす力の側面などは廃棄されてしまうのである。
それゆえ、彼らの言語の使用においては、事実確認的な水準と行為遂行的な水準との差異はなく、コミュニケーションの連鎖が形成されない。
そこには、理解もなければ、誤解もなく、ただ記号の伝達があるだけなのである。
自閉症者がこのように言語を記号へと変換してしまうのも、彼らが言語的コミュニケーションがもたらすノイズを回避するために他ならない。
でもなんかやったらすぐ馬脚になるんじゃないの
それを避けるなら高踏派として隠居が一番
今日の日記を見て、
ああ、鬱の人ってこういう文章書くよなあ、としみじみ思ってしまった。
誰か彼を助けてあげられないのか。
嫁を作るといいよ
またはペット
いい感じに湿気ってるな
うんと悪くなるまでほっておこう
酒量を増やしたり隣近所に喧嘩売りまくったりして孤独を深めてくれ
仲間になれそうな創作家に寄り添って対話するスタイルにするつもりかね
作家同士の交流に力を入れれば三流ライターに終わらないで済むんじゃないかと
フランケンズは延々見続けるんだろうし
37 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/20(火) 17:30:37
38 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/20(火) 18:39:06
驚くべきこと
いまだ他に知らない
が出てくるときは
お付き合いエントリー
39 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/20(火) 20:02:43
渡米したら?
アメリカの景気わるそうだからきついでしょう。
アメリカに行ってる奴らって、年金とか保険とかどうなってんだろうね。
古谷は、中身は20歳ぐらいの(青臭い映画や小説の大好きな)小僧かもしれないが、実際は40を越えたおっさんだ。
いくら自閉症で、周りとの軋轢に耐えきれないとはいっても、今さら八王子からアメリカに行ったら自殺行為だろ。
中身が20歳ならもう一度刺激をうける必要がある
最近は学生の卒業製作に刺激を受けて、言語障害化に拍車がかかってる
鬱気分で映画リハビリ中
本当は批評みたいなことやらない方がいい人なんだろう
PFFの自主映画を褒める人みたいになってる
46 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 12:46:22
批評に取り付かれているんだよね。
最近はオカルトがかってきたし。
学生映画だもんな
ならなぜインスタレーションの類だとアレルギーを起こすのか
http://fussa.underhead.jp/?day=20081002 「にほんかいいもうとといぬ」小林恵
【作品紹介】
「にほんかいいもうとといぬ」は1シーン1カットで撮られた映画作品である。この作品を見て、強風吹きすさぶ日本海の波打ち際を撮影者と妹と飼い犬が散歩しているだけの映像だ、と言うことは簡単だ。
だが、この作品に内包された複雑な情報と撮影者が見つめる被写体へのまなざしを体感したとき、私たちが無意識のうちに刷り込まれてきた映画の見方などは揺らぎに揺らぐことだろう。10min
【作家紹介】
小林恵
1984年 新潟県生まれ。
現在、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科4年在籍。
48 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 12:53:09
また映画を見始めているね。
あの手の日常を描いた映画は身にしみるから
嫌いでアニメへ移行中だったようだけど。
>>43 画家や作家なら、他人の作品に刺激を受けて言語障害に陥ることもあろう
画家や作家なら、そこから逃れるためには自己の内面に向かい、己の作品に向かうもの
画家や作家ならな
50 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 12:59:28
画家や作家でも批評家でもないヌエ的な存在を目指している
わけでしょう、いわば。
だったらはてなじゃなくてサイトに戻すべき
52 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 13:02:20
「べき」、という書き方は、カチンとくるからやめたほうがいいよ、お姉さん。
52がカチンときても全然問題なし
54 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 13:19:20
2ちゃんの世間はそんなものだと心得るべき
学生映画を否定する気はないが、そこで起こる奇跡は「その年齢」にしか撮れない、言わば「たまたま」だ
それを(必要以上に)有り難がる古谷は、自分にも「特別に幸運な何か」が降って来ないかと天を仰ぐ(占星術)ワケだが、当然そんなものは降って来ない
で、口を噤み、眠りに墜ちる
小学生となって
ピカソの画業を天性の才能で済ましたがってたじゃん
…『決壊』寸前じゃないか…
電脳コイルを見て寝るといいと思う
>>58 いいんじゃないか?
憧れのルイスが決壊したのも41歳だった
こいつはすべて形(フレーム)から入るんだよ
八王子はボルチモアに非ず
62 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 13:51:25
数学へ移行すべき
ルイスは奥さんもいたし、後輩のケネス・ノーランドがいた
64 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 13:56:56
プログラミングでアートをするとか。
リハビリに自主映画を撮るのかもね
小説は苦手意識があるでしょう
口を滑らすべきw
とは知ってても滑らす勇気はない
古谷は頭で考え過ぎなんだよ
一度ブッ壊れりゃ「何か」になる
かもしれない
67 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 14:06:13
映画と小説だな
69 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 14:11:39
>>67 ここにいる俺もお前も何者でもない
何者にもなれない古谷を見て安心してるかイライラしてるかのどっちかだ
いい加減、気付よ
特定の流れか
逆にスレ民が何者かだったらこえーよw
何者にもなれない古谷断定ってw
ネット上の何者かだと思うのだった。
実社会において何者かではあっても、このなかでは何者でもない(何者かにはなれない)。
という意味ではそうだな。
そんなやついねーだろ
ニート中心
「何者」を「何様」に置き換えたら笑えるぞ
明日の日記で
「にほんかいいもうとといぬ」
についてのクドいエッセイ
というのが、いつものパターンだが
80 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/21(水) 21:27:16
この人って隠れ知の王者って感じがする。
樫村の弟子でしょ。
81様、趣味は何ですか?
82の趣味はなんですか、答えなさい。
諏訪敦彦つながりで非常勤とかやるんじゃないの
教えるのは無理そう
86 :
82:2009/01/22(木) 01:22:57
paiotsu
>>80 何の王者だって?
ただの樫村ノイローゼだぞw
十川には興味持たないだろうなあと思う
>>79 確かに
クドいな
>何かを提示していると思われる。
「何か」をね
ほんとだw
よくみるとしょっちゅうこのパターンで二日分埋めてるんだな
ということは、もうスレは見てない?
>何か
を知りたいんだけどな
>>5 だな
古谷のおなじみの芸だ
そろそろ飽きてきた
>>91 見てると思う
前に樫村の写経をしたのと同じで、
辛いときには「何か」を繰り返し見たり書き写したりするのが古谷さん
95 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/22(木) 14:36:09
知のスーパー・エディター古谷。
ありとあらゆる「何か」をしなやかに、しかし
したたかに、繋ぎ、セカイへと滲み出てゆく。
隠れ知の王者ってハイデガーの別名じゃんw
97 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/22(木) 15:51:50
>>96 ひひ。おまえはハイデガー知っているのか?
知っているつもり、でしょ?どうせ。
数学も技術論もわからねえ。経済は?政治は?
知っているのは、なにかね。ww
古谷がお気軽に使う「世界」って、八王子発→てめえの脳とチ〇ポの先から滲み出す程度の「世界」のことだろ
樫村の言う「世界」と一緒にすんなよ
ただのストーカーだろ
樫村の理論を利用しているだけの保坂の(いい意味での)ズルさと、妄信してしまっている古谷の(悪い意味での)青臭さ。
そもそも樫村とは環境が違い過ぎる。
逆玉ねらいなら一発逆転も。
>>101 ないないw
占いに頼ってる時点でナイから
>>95 >>97 絵筆はしなやかに沈黙してから何年にもなるぞ
去年、したたかに本は出したがなww
今やってる松浦寿夫展って行く価値ある?
ある
そうか、じゃあ時間見つけてなるべく行くようにしようかな
近くで中西もやってる
ああ、そういえばそうだった。それはちょうどいいな。ありがとう。
109 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/23(金) 00:00:49
ほっとけって
青622-3 p.211-
エミール(下)がどうした?
114 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/24(土) 06:29:54
予想どおりヤバクなってきてるね。
電波化。
書くことでギリギリ「それ」から回避できているのであった。
単にパニック障害に罹ってただけじゃないのかな。
117 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/24(土) 08:29:22
税金払ってるのだろうか
全額免除申請したら通るかもしれない
政治は関係ないから税金も免除
面白くねえよ
では面白い書き込みどうぞ
↓
とにかく、単調で、無意味で、しかし具体的な行為をひたすら繰り返し行う
未だに米と家賃は仕送りなのか
すげーな
貧乏といってもそんなもんか
喫茶店は贅沢だろ
古谷は食材の買い方に根本問題があるんじゃないかな
買い物下手なんだろう
>ご飯にごま塩かけて飢えをしのぐ状態で(お米が食べられること、住む部屋と電気ストーブがあることに感謝しています)、
これって、別に仕送りということではないだろう?
少ないながらも、仕事があることに感謝ということかもしれないし、、
本当のところはわからないけれど。
>>126 日記でわかるじゃん
ライフラインのうち光熱費は自腹なんだろう
そういえば、電気かガスか何かが止まったとか書いてあったな。
四十男が親からの仕送りで生活しているとなると厳しいかもしれない、
それが負い目になって、恋人がつくれないなんてことになるかもしれないし、
その負い目を取り除くのが精神分析なんておちがなければいいけどね。
樫村の文章を写経すれば大丈夫
初期の偽日記だと、女の子と会って云々みたいな気楽なエントリーをよく見た
初期って幾つぐらいのとき?
最初の二年間ぐらいかなあ
学部時代に付き合ってたらしい彼女の話とかも見た
この路線で頑張った結果がこれだよ!
特に初期の偽日記は反面教師として重要
>イメージによって記憶する、といっても、それは明解な視覚像によるものではない。(ぼくは視覚をそれほど信用しない。)イメージは、どうしてもあるあやふやな『気分』のようなものとしてしか記憶できない。
>しかし、人がある気分を持つとき、そこには十分な理由があるはずだ。というか、気分とは、ぼんやりとしたスカスカなものではなく、そのなかに情報が(処理できないほど)ギッシリと詰まった『塊』なのだと思う。
>気分を『気分的に』ではなく、理知的に把握すること。できるだけ正確に、厳密に、把握すること。
なんだ、128は嘘情報だったのか、
仕送りはあるでしょ
138 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/24(土) 16:59:10
ないみたいだよ。
過去ログで、親戚のヒトに対して自分は
親の金をもらってないんだ、といってた気がする。
米も?
米を仕送りって発想がよくわからない。
実家は農家ってこと?
帰省時に主食だけ差し入れってよくある話だよ
収入が不安定だったらあるかもしれないな、
年収ってどのくらいなんだろうね。
腹巻かなんかもらった話は書いてあった
米が食えることに感謝しているのは、そういうことだろうね
でも親が死ねば遺産で食いつなげるでしょ
キルケゴールのようじゃないか
高等遊民ってこういう人のことを指すための言葉だよな
喫茶店で何時間粘ってるんだろ
ノートPCを持ち歩いてるんだろうか
散歩3時間喫茶店3時間くらいか
絵の才能がこの程度なのにバイトしないで食えてる時点ですげーよ
自分が恵まれていることに気付いていないんじゃないか
>>150 たしかに。恵まれてる方だと思う。
電気止まってるわけでもなく、ネット使えてて、本も読めるだろう。
その気になれば図書館を使えるはずだし。
当人が思ってるよりは、恵まれてると思うんだがな。
むろん、服をどんどん買うような余裕、貯蓄まではできないだろうが…
三潴 末雄(ディレクター)
>>152 あの程度の絵心で画家を挫折していないことの幸運に気付いていないんじゃないのかと
普通ならやんわりと定職に就くことを求められる
155 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/24(土) 22:32:05
長い文の日記は中を抜いて始めと終わりだけ読んでる
正直に言ったほうがかえって親切かもしれないので言っておく
本人に面と向かって言ってやれよw
駄目出しするってことは、みんなフルヤンの個展にちゃんと行って本物の絵を見たりしてるわけ?
ああ、見るまでもなかったかとがっかりだわ
國文学か
160 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/25(日) 00:44:47
映画の中にぼくを見つけるのだった
って人がやってるのを見るとかなり恥ずかしい
それと全然関係ないけど無職って確定申告をやったほうが圧倒的に得なんだな
俺とか確定申告をやれば今年は住民税を払わないで済んでしまうかもしれない
古谷は無職の先輩だからそこらへん詳しいだろうな
そのへんは年収にもよるだろ
いきなり駄目出しして距離感を取ろうとしている
本当は古谷は気軽に作品の欠点をあれこれいいたい人なんだろうけどねえ
163 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/25(日) 16:18:42
>>162 それやると仕事減るんだろ
金さえ貰えれば無分別にイイ イイ とよがりだすくらいの芸がなければ
食っていけない
>>163 でもべったりにならないように『えび』に駄目出ししてるんだよな
喫茶店で過ごすのは暖房代を浮かすためっぽいけど、
つまり冬場はろくに絵を描いてないんだろうか
今日は早いエントリーだ
文字組みが変わっている作家って誰だろう?
まとまった作家論。
去年の後半、数ヶ月かけて柴崎論を書いてたから…まあ、ナオコーラだろうな。
3月売りの『文藝』だろう。
「描く作家論」で売り出していくんだろうな
これなら誰が来ても負けないし、編集受けもよい
『文藝』系女性作家御用達か
阿部和重じゃね?
もう一度、柴崎友香。
でも古谷は挿絵画家になれんだろ……
つーか、古谷って人間とかちゃんと描けんの?
下手糞
バイオモルフィズムの抽象画しか描けない
そっちにしたって特段すごいわけじゃないしな
でも古谷よりいい画家もあまり思い浮かばない
そんなもん、いくらでもいるだろう。
ていうか
175は画廊なんてあしをはこんだことがない香具師。
芸大の油絵科には古谷以上の連中がゴロゴロしているんだが
芸大って、会田の母校だっけ。
いくらでもいるなら、具体名挙げてくれ。
ある程度知られてる画家で。
また抽象のことを「象徴」と言った例の馬鹿がでてきたのかな
そんな必死に古谷を貶めなくても
ここまで貶したい動機って何なのかね。
嫌いなら無視しておけば済む程度の存在だろ、フルヤンなんて。
嫉妬?
歯磨きしながら部屋を徘徊しなくてはいけない男の、どこに嫉妬を?
>>180 古谷のやりたい事ってデッサン力がないと無意味だと思う
本人も気づいてかクロッキー行ったりしてるよね
素直に十年間具象を鍛えていれば、柴崎とかナオコーラのイラストができたのに
具象から象徴に行くひとはいても、象徴から具象に行って成功したひとはいない。
象徴ってわざとかよw
イラストレーターになれれば凄いと思う
そっちの勉強すれば良かったのにもったいない
でもフルヤンの植物イラストは象徴みたいなもんだよな
>>195 自演じゃねえよw そう見えるかもしれんが。
抽象=象徴
抽象嫌い、抽象理解できない人が荒らしてるのかもな。
だからデッサン、デッサン言うんだろう。
違うよ
抽象が好きな人なら古谷の誤ったバイオモルフィズムは容認しがたいはず
バイオモルフィズムなのか?
だって本の装幀は脳みそだし
plantとかそんなのばかり
>>199 荒らしは例の数学バカだけだろw
美術系と文学系がいるから、お互いにイマイチ理解出来てない
だから「象徴?抽象?」みたいなことが起こるし、逆に、作家論は展開しない
古谷アレルギーがあるとスレば、絵描きが古谷レベルに嫉妬するとは考えにくいので、文学系の人達なのでは?
つまり
「たかが三流画家崩れが書評家気取りかよ」と
ちなみに俺は美術系
>>203 ならわかると思うが、ここまで絵が下手でも名が売れるんだなあと思わん?
ここは美術鑑賞スレなのにな。
既に古谷は文芸の住人なんだろうな。
もしくはヌエ。
201みたいなレスが出ちゃうんだもんな
でもこの板って半分ぐらいは骨董とか販社とかだし
>>204 端的に言えば、古谷はいわゆる「ブログで売れた人」の中の一人なんでしょう
たまたま
まあ、そんなには売れてないよw
>>204 絵で売れてるわけじゃないでしょ
美術界全体のレベルが低いのもあるが
古谷も自分を分かってるから、活字への活路を見つけるのに必死なんだろうな
樫村、保坂、『文藝』系女性作家にぶら下がる
で、まとまった作家論と
>>207,208
だから「名」が売れたと書いたのさw
最近はダンサー(?)や、若手映像作家にも
ほんとに必死だ
じゃあ古谷利裕が最終的に目指してるものって何なの?
結婚とか言うなよw
売れると叩かれるのは有名税みたいなもんなのか
>>213 このスレが叩きに見えるのは甘過ぎ
古谷愛に満ちすぎている
だって欠点とその矯正法を同時に提示してるんだもの
>>212 いや、ギャグじゃなく結婚だと思う。しかも運気のいい今年中に。
そうすれば長生き出来るよ。
>>219 じゃあ古谷のために人柱になってくれる女性作家ヨロ
>>209 ああ。つまり「まとまった作家論」ってラブレターなんだ?
納得。
「自分探し」じゃなくて「嫁探し」じゃないか
嫁は幸運な出来事だと思う
良妻ならいいけど悪妻つかんだら大変
芸術家には悪妻の方がいいらしいぞ
あ
芸術家じゃないか
子供作って離婚するのも一興
結婚して引退
スレ民が嫁になってやれよ
昨年末から、調子にのって、展覧会とかダンスとか演劇とかイベントとか映画とかにずいぶん行ってしまったので(でも、
そのおかげで幸運にも良い作品がたくさん観られた)、いよいよ苦しくなって、ご飯にごま塩かけて飢えをしのぐ状態で(お米が食べられること、
住む部屋と電気ストーブがあることに感謝しています)、基本的に、喫茶店で本を読んだり原稿を書いたりしているのだけど、そこでの毎日のコーヒー代(300円)も厳しくなりつつあり、マクドナルド(コーヒー120円)への移行を検討中
230 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/27(火) 01:52:41
貧乏ネタ使いすぎだろw
嫁募集中ってことさ
232 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/27(火) 03:33:10
229
マクドナルドは何杯でも「お代わり」ができるぞ。
おかわりどころじゃないらしいぞ
コーヒーこぼしていっぱいいっぱい
【嫁探し】古谷利裕の偽日記10【不幸な出来事】
>探し物が見つからず(何故見つからないのかがさっぱりわからない)
いろんな(見つからない)ことを象徴wしとるな
かなり動揺してる。
もう、すぐそこまで「それ」が来ているのだった。
「終わってる」という主旨の意見もあるが、いやいや、このスレって面白いな。
長いスパンで(前スレから)見直して見ると、古谷がリードしてスレ民が釣られる時もあれば、明らかにスレに影響されて、意地になったり凹んだりする時もあるようだ。
ネタが毎日更新だからライブ感がある。
暇つぶしには持ってこいだ。
【嫁探し】と「まとまった作家論」がズバリだったんじゃねえの?
前に否定されたから、いっそう極貧を強調しているようだ
おかわりできるのはミスド
241 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/27(火) 18:14:52
古谷の自演
UFO大好きとか、いかにも嫁探しっぽいノリだと思った
305 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2009/01/27(火) 16:36:32 O
ガストのモーニングコース最強過ぎるだろ
390円でごはんとおかずがついて、さらにドリンク・
スープ飲み放題だし、Tカードでポイント貯めれるし
244 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/28(水) 01:32:55
もはや岡崎絡みのシンポジウムですら話題にならなくなってきたな
だれか近美行ってないの?
特定厨がウザ過ぎたんじゃないの
>>150 文章で食ってない頃は警備員のバイトをしてた
日記にもそう書いてある
248 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/28(水) 01:59:03
240
マクドナルドもお代わりできるんだよ、知らねえの? ボケ 死ね
古谷が通い詰めている喫茶店ってファミレスでしょ?
300円ならドリンクバーだろうし
探し物は見つかったかな?
嫁はけっこうたいへん
見つかったってさ
嫁じゃねえよw
酒はやめらんねえ〜
豚肉細切れ、197円。もやし、35円。発泡酒ロング缶、175円。
ため息、プライスレス。
肉買わねーで酒二本買えばよかったじゃん
煙草やめれてない俺からすると、煙草代>食費 になってないだけ羨ましい
喫茶店と酒に気を取られているけど、絵はどうしてんの?
「お酒が困るのは、とても美味しいということろだ。」
ファックスなんていらんだろ
260 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/28(水) 11:50:59
発泡酒なんぞで美味しいと言ってしまっていいのだろうか?
第三のビールのほうが安いのにな
値段まで書く執拗さ
何日もかけて極貧日記で引っぱるのはミスリードで、落としどころがある…訳ねえか
嫁候補が食い物を差し入れてくれるのを待ってる
貧乏を疑われたら根底が揺らぐから
このスレがなぜこれ程駄目になったか↓
まともな事書くと特定ネタで埋まるからでしょ
しろいろやら池田やら黒瀬やら石岡やら
豆腐50円は高い
野菜買えよw
もやし25円大根100円
もやしは結局高く付くんだぜ
そういや『影の歴史』って面白いの?
近所のブクオフに置いてあって半額だから面白いなら買おうかと
キャベツのほうが量あるからな
日記を通しての、特定の誰かさんに金の無心、といったところだろう
又ぞろ観たい舞台やら映画やら展覧会やら…
どうしようもないな
>>272 古谷はそういう基本的なところで頭が悪そうだ
週に二、三回バイトすれば楽になりそうだがダメなのか?
>>273 金の無心じゃなくて、タダ券を送ってもらいたいんだと思う
絵を描く時間のためにバイトをやめたんじゃなさげなのが本末転倒
これならたしかにバイトした方が絵に時間を使えそうだ
ついに野菜の買い方にまでダメ出しされるあたりw
>>276 ただ券て
2月1日(日曜日)
横浜開港記念館
『We dance』
●ダンス・コミュニティ・フォーラムとして、様々なアーティストによる15プログラム。
1日通し券:1.999円
これかい?
古谷が年末に観に行って以来、大のお気に入り【神村 恵カンパニー】のステージも当然ある。
>>279 ダンス、映画、小説はできるだけ無料で済ませる方針だろう
レビュアー人生
>>279 確かに、八王子から横浜までの交通費とかチケット諸々合わせたら 3.000〜4.000円か
これはイタいな
>>281 大人ならどうすると思う?
簡単だよ。
我慢する。
283 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/28(水) 15:07:24
改札越しに物品を手渡して電車賃を節約
↑
古谷氏の行為は
立派なキセルになるわけだけど・・・
とうとう偽日記も炎上か
>>282 古谷の中身は20歳ぐらい
夢の中では小学生だよ?
>>283 貧乏自慢も度が過ぎると墓穴ほるから気をつけなきゃ
1日のイベントのことが図星で、古谷がこのスレを見ていたら、後ろめたさから、明日のエントリーでは貧乏ネタが排除される訳だが。
多分こうなる
頑張って「まとまった作家論」の原稿を金曜日までにUP→【文藝】編集部に原稿料を前借り→発泡酒ロング缶じゃなくてビールで祝杯→無事、日曜日にも横浜に行ける→ビール→ビール→貧乏
288 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/28(水) 15:59:27
ビール→発泡酒↓チューハイ↑焼酎←アル中
だっておいしいんだもん〜
古谷が美術(鑑賞、批評)に言及すると、一気にレスが増えてきて叩きになる
身辺雑記が続くと、こういうユルいレスが続くが
それもわるくない
292 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/29(木) 00:24:08
じゃあ東シンポのレポよろしく。
>>271 美術史的に面白いけど、あまり知られていないエピソードが考察の対象に多数取り上げられててよい。
>>286 斯くして貧乏ネタは本日のエントリーから排除された
本当にどうでもいいエントリーだ
フルヤンは、日記でどうでもいいことを書くとスレが過疎化しやすいことを知ってんだよ。
絶頂期の相原勇の目の下のクマが懐かしいな
なあ古谷君
源一郎や詠美より、古谷氏の書いているもののほうが、カレと同世代のヒトには響いている。。。
さすがニート
>午前中は、大塚か薬丸か中山と過ごすことが多い。
ニート? は?
w
80年代の芸能界の思い出語りだと生き生きとしている
>>299 そもそも古谷とは違う世代の作家をなぜ比べるの??
特に古谷が言及している作家でもないだろ?
>違う世代の作家をなぜ比べるの?
その“違う世代の作家”が読者として想定している先は?
今の状態が作家だな
フルヤンはフィクション書いてもだめだ
フルヤンが感じているのは、”フィクション”が成立しないという条件なのに!!
古谷はまだ何もしてないぜ?
『文藝』にぶら下がってるだけだ
ちょうちんライターに過ぎない
>>309 大学の“文学部“(笑)の紀要って読んだことある?
(下をみてもしょうがないか〜 汗)
やっぱり原稿料が食い扶持だときついな
じっくりと良いものが書けない
>原稿料が食い扶持
1頁1000円〜5000円!程度
フルヤンは長い文章得意だから得なのか?
>>310 意味がよくわからんが?
大学の“文学部”で紀要書いてるヤツなんてほとんどがちょうちんライターだよ
あ、オレ309じゃないよ
ホントいうと、フルヤンが書いているような雑誌は、原稿料がなくても“得”(もしくはヤメテくれー!)のひともいるわけで、、
青土社+修士で、エンがあって御自身がイヤでなければ、非常勤の口はある
青土社ってそんなに凄いの?
非常勤が凄いということ?
そうじゃなくて、書いただけで就職のプラスになるなんて権威あるなと思って
319 :
317:2009/01/29(木) 22:13:00
単著+修士+恩師(の穴埋め)で、非常勤だと、、
コネ+修士で非常勤も無論いるよー
博士でも都内常勤となると、t大でも、、
ヤメテくれー!
の意味が分からん
とにかく古谷が今いちばんやらなくちゃいけないことが「まとまった作家論」の脱稿で、行きたいところが1日の横浜というのが事実!
そんな画家だw
美大の教員ってどうやって決まるの?
建前上、公募。倍率は分野によって、、3桁いくかな〜、
実質、抜けたあとは雇わないということで人員を減らしているから、
その教員を雇ったことで、入学生が増えるとか、、
あとはやっぱ地味でもそれまでの信頼かな〜
>>320 表(雑誌)にでるというのは、(元)官立ではそれなりに、、
>>323 青土社の雑誌に国公立教員書きまくりじゃん
そんなので嫌われるって、ガチガチの保守的な人脈でもない限りないだろ
>>324 すまん、それは確かに。やっぱり嫉妬があるので、うーん。
じぶんがダメだったのにって、あるんすヨ、、
国公立教員も文章ではピンキリだから
>>325 つまり貴方自身がアカポス持ちだが文章は書けない地位にいる、ということですか?
アカポスではないですが、半ば代筆というかリライトしています
そんなチンケな嫉妬心ではだめでしょう
古谷はスレ民が駄目だしできるようなレベルだけど、書き手として勝ち組
それは認めないと
嫉妬心 という時点でダメでしょう
そう?大物でも嫉妬心全開の人は多いよ
そういう人はうまく「昇華」している
世間的にでしょ
羞恥心という時点でダメでしょう
スルドイ
317は東大じゃないんでしょ?
その時点で学者として大きなハンデ
学部は中退です
>>334 東大生のレポートってみたことあります?
>>336 レポート?小論文教師ですか?
今話題になってるのは文藝やユリイカでしょ?古谷スレ的に考えて
<m(__)m>
>>169 『まとまった作家論』
やっぱり阿部和重のような気がする。
以前、東浩紀が文庫の解説を書いてた。
股先生とそっくりの道を歩んでる
原稿依頼があったから読むとか
「プラスティック・ソウル」
最近読んだのか
ナンシー関の後釜にいいな
>>299 >>304 世代論を展開するんなら、むしろ阿部和重とかだろ。
古谷が67年生。
阿部が68年生。
94年デビュー作が
『アメリカの夜』
00年『インディヴィジュアル・プロジェクション』文庫版の解説が東(だったかな?)
系列の最初の作品が
04年『グランド・フィナーレ』
からの
07年『プラスティック・ソウル』
以前の日記では、系列下に福永、中原を位置付けてた。
いろいろ符合はするようだが…
保坂の阿部和重批評(?)を賞賛していたから、違う視点を見つけたのかな?
これで違ったらw
古谷に釣られた。
>>343 解説ご苦労さまw
しかし文藝が新潮だろうとも、ちょうちん持ちに変わりはない
保坂だから賞賛してたとしか思えない
古谷は党派性がちょっと露骨すぎる
星野智行じゃない?
ナオコーラでなくなったのは確実w
やっぱスレ読んでんだな
>>342 ああ…
描く作家論ってアレかw
しかし似顔絵は下手そうだ
ナオコーラだったらもっと熱心だし距離感がないはず
>>348 しばらくは古谷風の抽象でいいんじゃないかな
編集者はその路線で売り込むべき
嵐山光三郎が下手糞な似顔絵描いてるw
自分なりの体系を作ろうと必死
>>351 そこは「作品の似顔絵」とかなんとかごまかせるw
わたしじゃなかったなんて友香悲しい〜
この人は自主映画系邦画と元J文学残党を分析すればいいと思う
でもそこから出たらフルボッコだろうな
>>342 ナンシー関取は文章が面白かった
そこが決定的に違う
古谷は分析だけは出来てるが
退屈過ぎる
それは根本的に間違っていると思うがどうか?
古谷は本人の存在がちょっと面白いけど分析は出来ていない
そりゃ古谷より中原の文章の方がおもしれーよな
つかヤンフルに面白さとか求めてなくね?
分析はもっと求められていないよ
古谷のは「分析」という客観性からは逸脱した「思い込み」論で、半ばストーカーじみている。
(樫村ラブしかり。柴崎論しかり。)
しかしそこが特徴なので、存在価値としてはアリ。
面白いと思うか気色悪いと思うかは、あなた次第。
じゃあ何を求められてるんだw
そりゃあ無名アーティストのWildLifeだろ
>>362 貧乏白書だろ?
そのタイトルでPHPから出したら100万部だ
>>364 時代的にパクられそうだから早く出した方がいいな
貧乏白書-無名アーティストのwild life
PHP出版 1300円
内田樹とかああいう人と対談すればいいよ
印税130×100万
八王子からボルチモアへ移住
来年の日記
>急に日本のもやしが食べたくなって取り寄せた。
30万程度で済んだので安くあがったのだった。
ドラマ化映画化されたら一生左団扇ですな
『バカの壁』『女性の品格』に比べると『貧乏白書』じゃ、ちと弱い?
ワイルドライフでおk
『貧乏でハクションッ』
>>372 「僕に顔が近いのはオダギリ君しかいないと思うんですよね〜」
どっちみち今日明日の脱稿はムリそうだな
ナンシー関をはじめて読んだとき、
テレビマニアになったバルトが『神話作用』を延々と書きつづけているみたいだな、
と思った。
>>378 北田暁大がそこに注目してたけどショボかった
銀行に寄るが、今日も出版社からの振込はなし(残高はついに四桁に!)。今日ないということはつまり、月曜までは確実にないということで、さて、どうしようかと歩きながら考える。
とりあえず、すぐに現金を得るために考えられるのは、本を売ることくらいだろう
そんなにしてまで2/1のイベントに行きたいのか
スレが内容を先行している日記を読むほどマヌケに見えることはないw
必要な値段まで合ってるし
古谷はスレ見てないのか?
でも横浜行けるといいな
行けない方に発泡酒ロング缶一本
つうか行くなよw
この人借金はあるんだろうか?
借りれる担保がない
日曜日まで、このライブ感を楽しめそうなのだった。
予告「古本屋で足下を見られる」の巻
>>386 ろくでなしの作家や画家が友人に借金だらけってのはポピュラーな話だw
こっち行こうぜ
クリティカルワークショップ「近代芸術の教え」
講師:林道郎/松浦寿夫/岡崎乾二郎
■日時:1月31日(土)16:00〜18:00
■参加費:300円
■会場:東京アートミュージアム
(展覧会「Phirosophiae naturalis principia artificiosa-自然哲学としての芸術原理-」に関連したシンポジウム)
もう歩いて両方行けよ
自転車で
そういや古谷の自転車どうしたのかな
盗まれたのかな
東京アートミュージアム ってどこ?
松浦と岡崎のだけ見に行こうと思う。
安藤の建築らしいね。
>>396 行ってらっしゃい
あとでレポよろ
古谷は古本屋かな?
¥3.000以上行けばいいな
398 :
396:2009/01/31(土) 14:30:17
>>397 トークじゃなくて展覧会のほうだよ、念のため。
古本屋がスレ民だったらオモロいんだけどな〜
「あっフルヤン来た」とか言って
今日の日記を大胆予想
5000円ぐらい何とか確保して、明日は無理矢理出かける
そうまでして会いたいのかよ(泣)
ワカた
もう行け
というかコレクターいないってことかよw
俺が古本屋だったらいつも偽日記見てますよ!とか言って
2,900円しか出さない
貧乏画家の日記とか読むと、ドローイングを何とか売り払ったりしてるよな
イベントがあると書き込みが減る
第一稿、脱稿おめでとう
間に合ったなフルヤン
古本屋には触れてないが、これで心置きなく横浜に行けるなあ
見たかな
アルコール中毒にカフェイン中毒か
むしろ、ダンス中毒
見る方じゃんw
柴崎中毒・・・
柴漬け
福居って駄目な写真家だよな ネットで名前売ろうとするとかならず駄目になる
古谷の写真版
福居は無自覚症状のデンパ
行ってらっしゃいフルヤン
一日通し券が¥1.999だから、早く行った方がお得だぞ
スレ民でダンスに興味ある奴は…
そりゃいないわなw
よってレポなし
>>419 福居もそんな糞野郎に言われたくないだろうな
糞野郎にも言論の自由があるからな
糞野郎に限って偉そうなんだよな。むしろ偉そうだから糞野郎なのかもしれんが。
そういや古谷も昔は偉そうだった
俺は正直そのころの毒舌の方が生き生きしてたと思う
それだけ偉くなったってことか
10年前よりは偉い
昨日の日記が金についての泣き言じゃなかったのは、
やっぱり本がそこそこの金になったんだろうなw
岡崎を批判するまでになったからな。
昔は岡崎べったりだったのに。今は保坂べったりだけど。
まあ利害関係が絡んでるからというのもあるんだろうが。
428 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:21:15
岡崎批判って、なんのこと?
どこに書いてんの?
>>427 樫村ラブ度が強すぎて保坂には引かれてる感がある
去年の3人のトークショー見て思った
保坂とはビミョーになってるかも
三角関係か
>>428 岡崎にはつねに批判を入れるじゃん
しかも彼がやりたいことには無理解で、そこと全然関係ないところを褒める
>>429 どんなニュアンスで樫村ラヴ丸出しだったの?
過ぎたるは・・・
434 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:29:34
>まあ利害関係が絡んでるからと
端からみていると、そのようにみえてしまうのだけど、
それを嫌なものとおもうのはなんでだろう。
。
岡崎のことは全然理解できてないな
第一人者みたいになってるけど
>>434 古谷は素朴に何かを褒めているかのようなスタンスだからじゃない?
利害関係から自由な書き手だと思いこみたいファンが多いのは間違いない
昔は岡崎の写経をよくやってたけど、最近は全然やらなくなった。
440 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:37:13
そりゃ、
第一人者は、松浦だろ。
441 :
429:2009/02/01(日) 14:40:56
>>432 目がハートになってた
樫村の言うことに合い(愛)の手しか入れられなかったし、たまに樫村の言うことに保坂がツっ込むと古谷が「キッ」みたいなw
「なんだこれ」
会場も失笑
442 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:42:56
なんだ、宗教みたいだな。
基本オタクだからね
(滲む)本のあとがきにも樫村ラブ度満開で、一方、保坂には特に言及してなかったと思う
>>442 >>443 つーかストーカー体質なんだよ
今日の横浜に対しての執着が物語ってる
ってホントに行ってんだろーな?
>>441 それはひどいw
だから体質的には叩く方が自然な荒川修作を褒めるのか
447 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:52:42
横浜にたいする執着って、なんのこと?
スレ民がストーカーってこと?
448 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:54:22
荒川ほめると、どここから、お金が沸いてくるんじゃないのかな。
昔だと宇佐美とかも荒川をほめてたし。
449 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 14:56:48
450 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 15:00:43
>>449 演じられた”萌え”な態度といっしょだな。
>>343 プラスティック・ソウルは、単行本こそ07年だが発表はその10年前だぞ
>>448 いや、単に樫村が褒める物を褒めてるだけだと思う
藤枝で培われた古谷の狭い美術史で言うなら、
コンセプチュアルから野外インスタレーションに進んだ荒川は真っ先に忌むべき「敵」でしょ
455 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 15:17:13
フルヤン自身によるフルヤン だろ
「複数の人間」の主張がこうも矛盾なく連続するのってどうなの?
自作自演って掲示板上では最悪のペテンなんだが、そのことについて何か弁明ある?
これってれっきとしたペテンじゃんw
これがペテンでなくて何なのw
460 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 15:42:20
みんな、フルヤンが好きなんだね。
コピペにつられるってw
なりふりかまわず、政治的に立ち回らないと、やっていけない世界のだろうけど、
皆さん、話をしてみると結構わかっているようで、
結局、しょうもない言説や作品をつくっている主体というものはなんなんだろうと。
実はたった3人で回してたりしてw
>>462 >皆さん、話をしてみると結構わかっているようで、
何のことを言っているのか
おおかた2chなんてそんなもん。
「党派的行動」とは、ようするに主観性を排して客観的にものを見ることを放棄した、現実的または仮想的な集団による「私的利害」に発した利己的な行動に過ぎないのであり、だからこそどんな世界にも存在している。
しかも、多くの場合、最も党派的に振舞う者とは、そのことをまったく自覚していない者でもある。いや、むしろ、その自覚がないからこそ、彼や彼女は最悪の「党派的振る舞い」を平然と行い、また公然と行えるのだ。
ごめん
おれ今、1日付けの日記で本当に横浜のことがエントリーされるかどうかにしか興味なくて
ほら噛み合ってないじゃん?
あ、別に記事冒頭だから作品として当人も認識してるとはかぎらない、
と言ってしまえば、別に些細な差に過ぎないか・・・。
どっちにしても、ブログがあまり良くないって話になるけど
よくわからんが、
フクイは、元刑務所にまで出かけていって、どこで撮っても大差のない
床タイルの写真をとったということか?
そりゃ、駄目カメラマンだな。
ベッヒャー派の写真が好きなんだろうなあ、とは思う。
そして俺も好きなので、たまにふと惹かれることある。
だけど、「そんなにいいと思う?」と真顔で突っ込まれるとよくわからない。
ベッヒャーはいいんだけど、
フクイのは、なんかファッションというか、デザインというか、イラストみたいに見えるんだよ。
ここら微妙なのだけど、
にわかに福居が話題になってるのはなぜに
そりゃ、写真がつまらないくせに偉そうだからだろ、
>ファッションというか、デザインというか、イラストみたいに見える
わかる。ブログの軽薄さとあいまってさらに印象悪くなるよね。
雑踏とかは割といいんだが、写真家としてどうなの、これでいいの? まだやれることあるでしょう?
って突っ込まれると俺は返答に窮する。
写真語るの下手だから&経験不足だからってのもあるけど。
関係ない話だが、
ttp://d.hatena.ne.jp/n-291/20090123 これ見て、アテネフランセの向かい側かと勘違いしたが、全然違うところだったな
池田は、そんな暇があったら、ましな作品をつくれっていいたいよ。
というか、このスレにでてくる作家って口先ばかりで、
ろくな作品をつくらねーじゃないか。
その癖、党派つくったりして、ダニみたいな連中だ。
藤枝先生に一喝してもらうしかない。
>>481 お前も2ちゃんに書き込んでないで(ry
486 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 18:31:04
お前らは間違えている。
フルヤンは清く貧しく美術について瞑想する仙人のようなブロガーだ。
カントのように散歩を日課としていて、
道端にさいた花をめでたり、武蔵野の雑木林を吹き抜ける風の音に耳を澄ます心をもった、
いまどき珍しいお人だ。
カントは金に汚くて遺産を現行日本円換算で3億残したときくが
488 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 18:36:34
そこが、カントとフルヤンのちがうところだな、
カントは所詮、ナチスとかわらないドイツ人だしな、
ヤンフル>カント>岡崎
こういうことか
486はもちろんネタだろ
491 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 18:52:57
>>483 いやいや
日本の写真界の老害被害を考えれば
福居に固有名が付与されるのは歓迎すべきことなのですよ
固有名獲得ゲームからの退場者は妬まずに
その培われた炯眼で
たしかな批評活動を展開していただければ
そう思います
492 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 18:53:13
才能がない作家がいかにして生きていくか、
お前らの関心はそこだろう。ちがうか?
自分に才能がないことをしってるから気になるのだろうな。
493 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 18:59:30
固有名獲得の代償として
ヒステリー症者のディスクールに巻き込まれてしまうこと
半ばオートマチックに他者の位置を占めてしまうこと
それは仕方のないことなのですよ
494 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 19:01:19
>固有名獲得ゲーム
プッ、
自分で書いててはずかしくないか?
495 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 19:03:42
固有名を獲得したうえでなお素朴に振る舞うことはいかに可能か
496 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 19:08:39
>固有名を獲得したうえで
なにをいいたいの?
古谷がブログに写真をうぷすればおk
498 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 19:18:17
スレの流れをよんでいると、
フルヤンはもともと、素朴ではなかったといわれているのだろう。
岡崎をほめ殺しにしたり、保坂を、、、、とか、
にもかかわらず、素朴なフリをしていたとかいわれている。
80年代用語では、ブリッコとかいうやつだな、
”キャー、オカザキ先生 スゴーイ、ワタシ、感動しちゃった!!”
それを、ここらのやつらは苦々しく見てたわけだ。
”自分が仕事がほしいからに決まってんだろうが、よくいうよ。”
”恥をしれよ。”
で、党派性とか政治的とかいわれているわけだ。
499 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 19:22:11
495はフルヤンの信者か、
フクイの亡霊かだな。
フルヤンは自分でも書いてるだろ、
友達がいたおかげで絵をかいてこれたから、友達のことを褒めますとか、、
501 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 19:31:11
>>498 フルヤンはそういう体質なのw
酸素ボンベ一本でだいぶ永いこと沈潜してたんだから
フルヤンも娑婆遊びがしたくなったんだよ
別にいいじゃない
別にいいんだが、
495みたいな、阿呆な信者がついてくるとむかつく。
>>498 馬鹿=素朴から単に党派的になるのは蓮実派の層が何度も転んだ道だと思うw
変化っていうよりは表裏一体の移行だと思うね
80年代後半のバブル期に怨念みたいなもんがあって、逆に今、青春をやり直してるのかな?
ああ、僕も踊りたいのだった。
思い返したように素朴に踊りたがるのは、60年代以来の素朴な左派の典型じゃないかなw
生きている、生きている、バリケードの中で生きている。
508 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 20:14:20
今の時代
こういう素朴さは反感かうもとなんだなてことがよくわかるw
509 :
505:2009/02/01(日) 20:15:32
仲正昌樹による高橋哲哉批判みたいな意味だよ
高橋と比べるのもなんだが、馬鹿なやつほど簡単に疎外論的な素朴さに転ぶ。
510 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 20:31:37
直接的・間接的に古谷の言説に迷惑したやつが結構いるってことかw
俺は樫村熱から冷めたので大感謝している
反面教師として馬鹿を散々やって欲しいね。資質としてはそれしかない。
>>491 自分でwikipedia書けば固有名って獲得できるの?
>>513 wikiに自分の名前を書く作家もいるよ。
515 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 21:26:33
はてなキーワードもな
516 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 21:36:29
518 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 22:06:02
古谷も結局素直になった
それでいいよ
520 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 22:32:07
福居ってHPのアップ頻度異常じゃね?
プロフィールみると編集者とあるが、平日日中2,3時間で大量にアップされてたりすんのよ
ほんとに仕事してんのかな、この人。
あとうろ覚えだが、一度あのサイトをNT−Xのよーに叩いたブロガーがいて、
そこのコメント欄でヒスって書き込んでるのをみた時は引いたな・・wwwとか多用してた
>>520 2ちゃんねらーみたいなオタクっぽい人って言われてたな
522 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/01(日) 22:36:42
>>520 ドゥルーズガタリ
マルクスエンゲルス
マッチャンハマチャン
ストローブ=ユイレ
523 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/02(月) 00:02:49
>>520 仕事してるやつが、よなよなカメラもって、うろうろできるかという疑問もある。
大概、一日働いたら、へろへろになるし、
525 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/02(月) 00:33:38
526 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/02(月) 00:35:51
黒瀬への嫉妬だな
527 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/02(月) 00:43:30
>>523 このキティーちゃんはどういうセンスなんだよwwwww
編集者って、平均寿命がみじかいとかきいたよ。
>三十枚と釘をさされていたにもかかわらず、五十枚越えちゃってるし。
編集者の中の人もストレス溜まるだろうな
だからわざと入金を遅らせて俺様がコントロールしている感を確保するんかな
納期管理と金銭管理は別人かもしれんが
スレの予想通り「横浜」エントリー
ここ数日間に比べて、この饒舌なことw
最近、夢の中だけではなく、しばしば小学生に戻ってしまうようだったのだ
幸せなんだろうねこういうのが。
マイナス成長と注目度と低遅発ライター稼業が交差するめどのつけ方が成り立ってきたな
何がすごいって、語ることで満足するための言葉にひたすら邁進してることだ。
自分はこれを論じて、なにか胸を貼れるものを出したい、と焦燥に駆られることもなく、
絵で応答してやろう、と俄然絵に向かうわけでもなく、
そうだ、小説をやってみよう、と筆を取るわけでもなく。
感想言って満足するための作品との関係。
やっぱり根本的に動機形成が糞だなあ。
フレーズ出して、文章でまとめて、嬉しいのかね、この人。癒されるのか。
俺だったらその言葉と関係に反吐が出て、日記消したくなるけどな・・
発表してないだけで描きまくってるかもよ
カキまくってるだろうよ
「時間が経ってしまった」んだよ古谷
「その事の方がダンスより強く残ってしまう」のは悪い事じゃない
それはつまりな
「俺こんなところで何やってんだろ」
って事なんだから
気づけ
な?
古谷愛に満ちているスレだなw
この人の舞台芸術評は駄目じゃね?
人間古谷利裕のファンなら楽しめると思うが……
見た者勝ちだからライバルが少ない
売り物がないからって批評の業績もないのに、早々と
「人間古谷利裕のファン」向けの文章しか作れないって、典型的な「ブロガー」だよな。
20歳代の浮かれたガキの日記みたい。
しかも成長可能性は絶たれたガキ。
うはぁ、不毛・・・
単行本で演劇について言ってることがヤバすぎるんだもの
チェーホフは戯曲を読むだけでいいとか、
マイケルフリードの美術批評をそのまま使うとか……
2/1エントリーで出てくる「感じ」or「感」or「感触」は
第1段落: 11個
第2段落: 11個
第3段落: 2個
第3段落: 8個
言葉を濁せばスタイルを作れるって便利だね
「というか」や「感じ」が、古谷だと概念・理論などに相当する。
無内容な概念だが、使えば「ほら、僕は理論に回収してないでしょ?」
「ほら、僕は感性の人でしょ?」とアリバイまで作れるからやりたい放題。
古谷なりの「見かけ」工作といったところですか。
さもしい見かけだな。
古谷の「何かがある・現れる」は「何もない・現れない」としてつねに読める。
だって、何かがある、と 何もない、は何も言ってない意味では一緒だからね。
「人間古谷利裕のファン」なら「何か」が届くのだってことかな。
だったら、それ「何か」と濁してる意味もないし。
メタ言語を批判するようでいながらその実メタ言語のようなあり方に親和性が高く、
社会学的文化批評のごとき結論先取り型のアプローチしかできない古谷は、
第2段落で早くも作品について語るのを放棄し、人柄を語りだす。
でもこの文体で新書を書いた方がいいんじゃないか
新書というものは、できうるならば、
紙面の少なさという縛りの元で、まともな著書のある人がコンパクトに書くという試練として
入門書・解説書・ジャーナリスティックな記事の増補的拡大 を遂げるべきで
まともな本を書けもせず、むやみやたらに長文しか書けない人間が書くのは良いことではない。
まあ、そういうあんまり良くない新書が多いのも事実だが。
でもそういうのはえてして「ジャーナリスティックな記事の増補的拡大」に相当して、
職業柄、ライターや記者などとして生きてる人間が、トピックを絞って書いてるものだよ。
古谷はその水準にすら達してない。
その定義はもうあてはまらない
事実上専門書の代替物として機能しているものも多いし、
名が売れていればチャンスはある
だからフルヤンは十分有資格者
定義、じゃなくて、「べき」の話だよ。
かつて岩波・中公で丸山や加藤なんかが書いてた時期の良さをまとめるとそうなるってこと。
マーケットとしては文庫同様に、もちろん混在してるし、
単にレーベルなんだから、いろいろある。NHKブックスだって新書枠っぽく出してるんだし。
でもさ、
文芸批評でもう一冊書かせてもらえるかもしれないけど、
普通に考えたらそれで頭打ちじゃん
なら新書でハジケるのが「人間古谷」にとっては重要でしょう
人間古谷といわずに、そこは古谷のライター家業にとって、
と言いたいところだけど、主旨はよくわかるよ。
あやふやゆえにいろいろできる新書マーケットから違うルートや書き方
を確立しようって意味ではそれも望ましいんじゃないかな。
俺は文字数の限られた連載レヴューを請け負うのもいいんじゃないかとも思う。
だけど、古谷みたいな自分でなんにも成長できない人間にさ、
外在的にチャンス与える必要あるかなあ・・・という気持ちが。
>>549 書評家市場ではこういう人は面白いんじゃないの
編集者という人種に受けているのは間違いない
うーん、そうかなあ・・面白いのか。
ブロガーの傾向と比較すると相対的に、って落差の方が大きいような。
俺には目新しさがちっともないんだけど・・・
いや、面白さもあるのかもね。
書評家・編集者にとって古谷の面白さに見える箇所をまとめてみたくなる。
俺は前スレの山形厨じゃないけど、山形は書評家としては割といいと思うときがあってさ、
書評でもって何かにつなげる、ってことを彼はよくやるし、
彼にとっての書評の価値はそこにあるんだと思う。
つなげてみること。これって批評の価値の一つだよね。
別のコンテキストに移行させて可能性を反射させてみる。
山形で言うのも何だけどドゥルーズにもそういうところある。
しかし、古谷にそういう目線、ぜーんぜんない。
「僕の感慨」に接続するだけだね。何この甘ったれ坊や、っていつも思う。
山形の罵倒芸は一番嫌悪するタイプのものだが……
ああいうのは各分野の専門家が失笑するべく存在している
真面目な話、古谷の主要読者は編集者
前々スレのこのレスが俺にはうなづけるものだったんだけど、
古谷は結局自分の鏡としてしゃべることしかできないし、
その鏡に映し出されてる像もまた貧相なだけという効果がこれなんじゃないかな。
自分のことを語りたい! っていうナルシシズムが強すぎるんだよ古谷は。
つなげるっていったって別に既知のものに回収するわけじゃなくて、
互いに倍音のようにそれこそ「何か」のつかみどころのなさとして増殖させることだってできるわけでさ。
そういうセンスが何にも無いんだよな。単に、「日記」。
495 名前:わたしはダリ?名無しさん?[sage] 投稿日:2008/12/13(土) 14:39:41
>>494 いえ
補足すると、注目しているのは主に文芸誌の編集者です
意外ですが、読者にはやや引かれています
「書評がゲームの攻略本のようで、本自体を読む気が失せる」
と言われました
反省しています
>>552 いや、罵倒芸は俺も大嫌いだよ。
罵倒とか論壇プロレスめいた言及は本当要らんと思う。
俺がかろうじて好きなのは、アイアンマウンテン報告の書評とか、
OUT連載の書評のいくつかって程度。彼の反人文的理系、といったスタイルはつまらないね。
>>554 やまがたの罵倒はオカマ芸を混ぜれば愛敬があったんだよ
そのへんクローゼット系だから今は消えてしまった
でもフルヤンがこれだけ褒める神村恵は一度見てみたいと思う
たしかに名前は覚えるね。
目利きライターとして頑張ればいいのにな。
そのための修行もしたりしてさ。
その線なら俺はあんまり悪く言うつもりもないんだが・・
目利きは無理じゃないかな
否定的言辞を隠し持った人だけど、それを公言しだしたら保たないんじゃね
このスレ程度でアレだし
そこを、グッと押さえて、ライターとして訓練して、字数も過不足無く駆使して・・
となってもらえればなんとかいけそうだが、肝心の古谷が努力嫌いだからあれこれ言い訳して逃げるだろうな。
美大三浪したのも単にそれだけの理由だろうしねえ
このスレぐらい古谷愛に溢れた場所は他にないのだから、
利用するぐらいの度量が必要
どう利用すんのさ?
学習の手引き?
自分を見つめなおすための鏡としてw
映った姿に耐えられなくて鏡割られたわけだが
そのときの「理論に回収したいやつらはこう言うだろう!」という罵倒も
余すところなく古谷の反転自画像みたいなもんだったね。
いくつかの語彙を変えるとほぼ一致する。いつも自分の自己像投影で切れてるんだよな。
だからこそ、その構造について考え直せとw
566 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/02(月) 20:26:37
建て前と本音の使い分けが見えやすいひとになってしまたね
なんで嫁のこと母体って書くんだろう
古谷君って、もともと映画少年だったんだろう。
しかし、日芸の映画は難しいから、油を描いて美大受験したという流れかと、
そういう奴、結構いたよな。
あの絵をみて、絵に対する想いが強いというようには思えないんだけどな。
、いっぱい展覧会をやってるけどさ、
川崎の展覧会で、ポートフォリオみたんだけど、
絵をきちんと撮った写真なかったよ。
自信がなかったのかな。
壮絶だな、
やけに見える。
571 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/03(火) 00:12:54
警備員のバイトやめたあとどこから生活費を得ていたのかね
野菜泥棒かw
原稿料じゃないの?
結構、あっちこっちに文章を書いてたじゃん。
573 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/03(火) 01:03:05
しかし、どうしたらこんなに出鱈目な絵が描けるのだろう。
どこが、セザンヌでマチスなんだろう。
これでは、落とし前のつけようもないな。
セザンヌとマチスを合わせるとこうなる
なるか・・・・?
ならないね
そこがオリジナル
2002年ぐらいに一見岡崎風になってるけど、それこそ岡崎とは「フレームがちがう」。
昔の絵は四隅の処理がショボいw
岡崎の絵ってどの辺が面白いの?
ペインタリーじゃないところ
それならミニマルでいいから説明にならん
どのレベルで聞いてるか教えてよ
じゃないとこっちも徒労に終わる
じゃあ、美術史的に評価すべきポイントを教えて
ポストミニマルの視点でセザンヌとマティスをやってる
古谷はミニマリズムどころか抽象絵画の理解すら怪しい
>かなり面白い映像作品を完成出来た夢を見て
予告北
夢を嬉々として文章に書くとか、一体どういう羞恥心してるんだろうねw
カフカにでもなったなったつもりなのかこいつは・・・(全然違うが)
売り物がない人間ってここまで悲惨になるといういい例だ
でもきっとこのほうがいいw
古谷は抽象絵画から何を学んだんだろう
>>587 人柄が絵に出るということw
たぶんマジで
>>589 一笑にふすことができないなあ
少なくとも、もののとらえ方、反省方法、自己定位のありよう
このへんは反映的になりやすいよね。ましてや古谷みたいな人はとりわけ。
>>590 というか、カンディンスキーからやり直して欲しい
でもカンディンスキーは嫌ってそうだ
構成主義も嫌悪してるのではないか
だからこそ、人柄から外に出るすべがない
>>588 >ここで参照すべきなのは抽象表現主義ではなく、むしろセザンヌやフォーヴィズムとの関連である。
このへんか。
しかしこのテキスト、岡崎本人からかなりチェックが入ってそうだな。
絵筆ペタリ→おお、出来事が・・!
このループをやめないとたぶん何にも変化なし
人柄主義が教科書に載る日
>>593 公式解説だから、厳密には「論」じゃないものな
でもコンパクトで便利
岡崎は人柄を抽象化するのが好きだけど、古谷はそこを譲らない
固有性の橋頭堡
>>600 フルヤンはジャッドが駄目だと思ってるから無理
>>597のはどうかと思うけど、岡崎の彫刻はイイぜ?
どこがといわれると困るけど・・・なんていうかなあ、ムーアをポストミニマル以後の地平でやってる感じ
風の旅人なんて雑誌、はじめて読んだが、
29号の古谷「ナイフと傷、反復と共鳴」は、
日記と文体といい字数との兼ね合いといい、日記と何もかわらんのな・・・。
古谷的には「これがぼくの固有性、特異性だからいいんだい!」ってことか。
岡崎の彫刻にはムーアとかカロのようなイギリス趣味がある
>>602 ポストミニマルっていうのは絵画と彫刻共通なんだな
>>605 ミニマルが一度絵画と彫刻の区別を見直して、
岡崎はそれ以後の絵画や彫刻
古谷はたぶんフリードの受け売りでミニマルは受け付けない
でもフリードが好きな抽象もきっと嫌い
泰西名画としてのセザンヌ翁が好きなんだろう
だったらフルヤンも「象徴」はやめて具象やればいいのに
609 :
603:2009/02/03(火) 13:24:01
まとめると、
・1/23エントリーのような「世界の中の孤独」を水泳授業で経験
・感覚はみな共有不可能な個人的なもの
身体は生きる「私」を受け入れる交換不可能な原-私の場所。
・そこには社会性はなく、制作のときにはいつも感じる「なにものか」。
(唐突にTVでみた番組の話に) 日記と全部同じノリやな・・
・比叡山の行者や儀礼の番組だった
・同じシステムを1200年続け、経験の同一性を確保している(←岡崎の荒川論焼き直し)
・これが歴史、伝統だ! → 孤独vs「システムの帰依」のドラマに仕立て上げられる
(続く3段落分の野際陽子におきたであろう経験の話は冗長。蛇足じゃないのこれは。1/6字数で書けないか?)
・野際が感動したのは、難行の草履という「物質」や行者の「身体」現前を媒介におきる
システムが大きな媒介、身体現前は小さな媒介
・作品を見るときの感覚は説明しがたいもの。その重要な局面は言葉では表象できない。
(言葉と「解説や説明や常識」と等置されている)
現前の形而上学そのものだなあ・・・
一次的なもの:「物質」「感覚」「身体」/二次的なもの:言語
による神学的なドラマだね。
ロシアアヴァンギャルドをくぐる必要があるなこりゃ
記号論からデリダの流れと抽象絵画から構成主義の流れ、
両方抜けてる
613 :
603:2009/02/03(火) 13:36:15
現前と言いつつも、媒介項が現前してるというわけわかんないことになってる。
行者の経験は現前不可能ってことじゃんこれは。
(ちなみに、作品は、作者の経験の現前を媒介する装置にされてしまい、
作者の経験こそが目指すべき起点として語られる)
しかも代替物を媒介に経験を「共振」によって接近するとなると、
再現前によってしか現前をつかめないと自白してるようなもんだ。
古谷用語では現前=なまなましくそこにあること なんだろうな。
ハイデガーの現(Da)を超チープにしたようなもんか。
614 :
603:2009/02/03(火) 13:38:03
システムなまさに身体行為や物質使用とともに成立してて、
コンタミナシオン(混濁)があるんだから対立にならないじゃん、古谷のばーか、の一言で片付けてしまいたいなw
615 :
603:2009/02/03(火) 13:38:48
訂正 システムは
しかし今回、僕が横浜で見つけてきたのが新たな武器(言い訳、逃げ道)であるところの「人柄」論
これでまたしばらくは大丈夫
ホッとしたら眠くなってきたムニャムニャ…
617 :
603:2009/02/03(火) 13:44:16
>>611 言葉にしても身体行為に近い遂行性はあるからねえ。
根本的に言葉は一義性でしかありえないとトチ狂ってるんだろうな。
十川のその引用で言えば「対応関係を示す記号」と前提されてしまっている。
誰よりも一義性を信奉したがっているのは古谷ですね、乙。って感じ。
多義性を読者として勝手に見出したりしてものを読んだことないのかしら?
解説本のような既成読解にすべてが一義的に回収されるに決まってるんだ! とか?
デュシャン読解にしてからが、古谷による勝手な読解、を自分で遂行しておいて、
世の中には遂行的読解がないとでもw
やっぱ自分だけが孤独で自分だけが独特で、俺はすごいって言いたいだけじゃねーの
>人柄論
ドゥルーズ的には「擬人化」でものを見ることほど馬鹿げたことはないような
初期ドゥルーズのスピノザ論とか、強度論などからやりなおせと
まずは声と現象を読むべきだな
というか『構造と力』でじゅうぶん
浅田彰はなんでこういう人を世に送り出したんだろう
最近夢≠ニ小学生≠ニいう記号が増えてきたところが気になる
浅田もボケてきたんじゃない?
フッサール論からいくと「知らない領域、きらい!」って逃げるだろうから、
まずは高橋哲哉の解説本からでもいいから読めばいいと思う。
あの本ではバタイユ的脱我で終わるのとは違うんですよ、とも強調されてるし、
(良くない点だけど)レヴィナス寄りにデリダをまとめてるから、
柄谷の他者論のレヴィナス臭さに慣れているだろう古谷にとっては入りやすいだろう。
まあでも、『シネマ』のときと同じように「ぼくの経験のプロセスと違うもん。作品こんなふうに見ないもん」
とか体よくパージされそうだが。似たようなプロセスで論じてる他人を見つけることはまず無理なんだが、
樫村ラブのように、ぴったり一致できるという幻想が備給されないと古谷はすぐに難癖つけるからなあ。
デビューさせたら浅田の嫌いな保坂に近づくとは皮肉だ
いや、構造と力は割とDG+バタイユ(+スピノザかな)で書かれてるから、
内在対外在、って感じで読める危険がある。
浅田は「構造とその外部といったおきまりのドラマではない」と再三強調したのにもかかわらず、
やはりそう読みやすいところが多い。
デリダやハイデガーに暗につながるポイントは
(決してデリダの名が出ないかたちで)あるとはいえ、
古谷の教養じゃ読めないで、「文体の雰囲気」に流されて最悪の読解をしかねない。
>>625 というか、浪人中に流し読みしてそうだよな
浅田は身体論の切り方が早すぎるから、
かえって身体論の横行を許している面がある
古谷もそのクチかと
>>626 あのときの浅田は、メルロポンティ的身体を生き生きした身体への回帰、
円環的調和観への退却、という割と古臭い手であっさり切り捨てすぎだからね。
しかしながら、古谷の現状はまさに、これだろうと。
意外に初期浅田にはデリダを読んで得た発想がところどころにあるのだが、
古谷ではまったくそこが見えないと思う。
「しかしこのセザンヌは、この十七年くらいの間に、ぼくの頭の中で育ったセザンヌなのだ。」
文学でも映像でもなく(というか、もうここではムリだから)
もしかしたら本気で「ダンス」という地平に「何か」を見出そうとしている?
踊る人柄
舞台芸術に本気出すつもりなら金がないと無理
24号は全文読めないで、最初の1ページ目が公開されてないけど、
ほかには25号の「停滞する時間、反復する時間」が全文読める。
・・っても、読む気にならないんだがw
活字にするクオリティーじゃないんだが田口ランディも載ってるからそういう雑誌なのか
話は変わるけど、なんで古谷はあの文体に固執するんだろうね。
古谷日記文体のみならず、樫村文体好みにも共通する、文体=経験現前の信仰になってるけど。
やはりこれもまた言語の一義性の信奉による産物なのだろうか。
「理論的に言葉で回収するような輩は僕を詩的だと言って馬鹿にするだろう」とか言うけど(雑にまとめた)、
この振る舞いで出てくる「輩」がすでに古谷の陰画、つまり自画像であって、
逆に言えば「詩みたいな文なら絶対に経験が現前する」と信じてるってことでしょ?
逆説的にというか、誰よりも言葉を一義的に使いたがっていて、ゆえに
特権的に振る舞える、詩的言語に行き着いてるわけだ。
上のまとめをひねって返すと、
「言語は一義的に回収するような輩は詩的言語に逃げて馬鹿にされるだろう」になる。
詩的言語そのものが必ずしもいけないというのではなく、その前提が問題という意味で。
で、一義的に書かないために、それこそ文字通り、意味作用の無い言葉を埋め込む。
「何か」「感じ」がその例だ。名づけなきゃ意味作用を抑えられるから、それでいいってわけ。
一義性の枠の中で、リテラルに、表象しない、という逃げ道を築いた結果があの文体なんじゃないかな。
あと、身辺描写は、経験の現前のために不可欠ってことになってる。
しかし一義的にそんなもん、当然出てくるわけもない。
スレタイにからめるならば、「幸福な出来事」ならぬ「幸福な錯覚」というべき事態。
新しい文体を作るのが面倒なのでは?
637 :
635:2009/02/03(火) 14:37:35
一度獲得したクセ、習慣のだらしない肯定という説だね。
それが最もありえるな・・・。
たまたま作り上げた文体やそのリズムでしかやらないっていう。
古谷の絵と一緒だね。
フラジャイルな主体だとか可塑性だとか言うのに、全くそうじゃないw
言ってる自分に酔ってるだけか。
「()」使ってるタイミングといい、慣れで書いてるのがみえみえ
書いた内容をザッハリッヒにまとめてさらに文体をひねっていくスタイルがない
言いたい事をばーっと書いて枚数クリアするのが精一杯で論理的な文章を構想する習慣がないんだよ
文芸誌に載った古井論がそうだった
小論文とか書いた経験が無いんじゃないかな
>>639 学部生の酔っ払ったレポート兼エッセーによくあるね
高校出たての子供かよ
だって小論文とか努力を強いるじゃんw
書き出す前にちゃんと構成とか考えてるのかね?
そういうのを嫌ってそうだけど。
努力、それは身体経験に逆らうもの、だとw
美大の卒論のひどさは異常
芸大の美術史ですらあやうい
>>642 そういうのは「現前」じゃない不純物扱いなんでしょ
絵と一緒。文体の持続感やリズムが、
ドローイングなどの「なんとなくフォルムの輪郭線を複合させてみた」に相当する。
で、その枠に疑いなく乗り、タッチのたびに、
おおぅ、出来事がきた、おお、なまなましい・・・と呟く。
この路線は中村一美みたいな絵どまりで終わるんじゃね?
岡崎が「身体はすぐクセになって包囲されちゃうよね」と言って切断しているのは卓見だった。
中村一美には、あのへんな形象で無理矢理構図を安定させるマチズモがある
>>644 美大生のみならず文学部あたりでもよくいるよ
蓮実にやられた学部生とか。
国文系で蓮実にころっとやられて、憧れてるやつとか、たまにいるんだぜ
>>647 古谷的漠然路線でまとめると中村がせいぜいになるんじゃないかな。
岡崎は、「構図」を安定させつつも、構図そのものの場所が「無い」ような
レベルになっててそこがすごいと思う。あれは漠然とやってては絶対に書けん。
文学部はそれでも語学が出来ればアカポスを獲れる
美大は絵さえ描ければ問題なし
フルヤンはどっちか磨くべき
蓮実文体で卒論とかw
文学部って小説書いても卒業させるところがあってさ、
美大の卒業制作枠なんかと似てるw
中村一美くらい力技があってもいいと思う
岡崎も強引なところはある
けどセザンヌ的には×なんだろう
>>653 ghostは小林正人の影響が強いよね
でも小林より小さくまとまってる
>>653 なるほどね。中村はまだしもタッチが浮き出る形象をやってて、
構図を飛び越える作用があるけど、古谷はそれすらないってことか。
古谷は多分、自分の絵のあの未完成ぷり、下手糞っぷりを
「より原初的」とか思ってるんじゃない? 中村のは「決まりすぎてる」とか。
しかしてその結果は、単に支持体の内部空間に回収されてるだけになってる。
たぶん、古谷はそこまで作品の構成を考えてすらいない気がするw
漠然とやってない岡崎を「よそよそしい方法論による演繹的手順」とでも言うように批判したじゃん?
構成について考えることは古谷にとってはタブーで、
「作者が描いたときの経験を想像しろよ!」ってことになってるんだろうと思う。
>>613で言うこれ。
>作品は、作者の経験の現前を媒介する装置にされてしまい、
>作者の経験こそが目指すべき起点として語られる
>>657 だから俺は構成主義を舐めたツケだと考えている
構成主義は人柄をかなりラディカルに再構成してしまうので、
彼はそれに耐えられない
>>656 おそらく、古谷にとってやりたいことって、小林、中村らの絵を
「こじんまりとする」ことしかにないんじゃないかな。
こじんまりとすればするほど、構成を考えないようにすればするほど、
現前にとって不純なものを排除できるから、当人視点では根源的、という錯覚に入り込めるから。
こじんまりとさせない構成の工夫は、「よそよししいからごころ」なんだろうw
>>658 オノ・ヨーコ→荒川のラインも、(メディウムとしては絵を使わないけど)
ラディカルな身体や行為の可塑性に向かう方向だよね。
やっぱ、現前/構成の二元論による形而上学になってるんだろう。
そしてそれは構成主義以来の美術史の根本的な無知に起因している。
岡崎は鋭く理解してこのポイントをよく言及してるのに、古谷はなんで気づけないんだろう?
>>659 何がまずいって、熊谷守一をその手本だと勘違いしていること
でも熊谷には抽象の誕生と言うべき荒々しい形の破壊があるんだぜ
>>660 フリードを斜め読みしたせい
シアトリカリティを使って演劇を論じてるのを見て痛感した
樫村のテクストは、固有な経験が奪われているという妄想が面白いのに、
古谷はその妄想を固有性に回収してしまっている
でもそのおかげで樫村の断言に惑わされることがなくなったぜ
自分の固有性を賦活してくれる、あるいはその賦活の幻想を抱かせてくれるもの
しか読めないんだろうなあ。可塑的というよりも恒常的というあり方だ。
絵・文章ともに、ものすごく無関心に書くようなスタイルで、
書くたびに書き方が変わってるような人間だったら、質はともかく一目置くんだけどな。
現行不一致すぎるし、当人がそれに気づいてもいなければ、危機感もないというのが気持ちわるい。
単に自分(+自分のクセ)を肯定して癒してくれる装置を求めて
ふらふらしてるだけの馬鹿じゃないのか。
でもこのスレをうまく使えば思いっきり成長できるのになw
こんなやさしい住人も稀だ
簡単にまとめると、絶望が無いんだよな。
固有性と他人との間の隔たりの絶望だとか、
自分のクセと他人のプロセスとの隔たりを解した上での発見とか、
絶望を経てそれゆえものにできることとか・・(構成etc.)。
そこらへんの芯が弱いから、すぐに泣付いちゃう。すがるものを探しちゃう。
>>665 いい方向になってくれる方が世のため人のため、若い人たちのためにもなるし、
何より俺たちも面白いしね。面白い方向になるのをみんな望んでるんだよな。
さすがに泣いてもいいんじゃないかな
泣いてもいいけど、樫村ラブみたいなのはやめるべきだと。
絶望を回避するための日記なんだろう
一般人ならそれでいいが、絵描きの発想ではない
前にスレにキレた時の伝家の宝刀が「見解の相違」だったのには閉口した
泣けたらまだマシ(というか再生するチャンスがある)で、小学生のまま頑固ジジイになってる
流れぶった切るが
風の旅人の連載陣、悪い意味ですごいね
こうも、ちょうどよく半端な層を集めるのって編集長の趣味か。
どうもいまいち、な連中ばかりが狙ったように揃ってる
前田英樹、保坂、田口、養老、茂木、森達也・・・
微妙さ加減で統一性があるw
きっと必要な絶望というのはあるんだろうな
芸術家(?)って、絶望できたらラッキーなんだけどな。
>>671 うん
出版物を売ろうと努力した布陣、ではあるね
読者受けしないのに編集に好かれる魅力ってどこだろ?
>>674 あ、そっか。これって売れてるのか。
この種の総合文芸誌、総合文化誌、総合エッセイ雑誌めいたものは
時間の無駄だからフォローしてないんで店頭で開いたこともなかったよ。
知らない諸学領域や知らない哲学の解説書や
未知領域のサーヴェイ論文読んでるほうがよっぽど面白いような・・・
最近は小野紀明なんかが拾いもんだった。小野はなかなかいいよ(脱線
うーん、人文系編集者ってタイプの連中はよく知らないけどさあ、
なんていうの、青土社っぽい雰囲気を漠然と好んでたり、
単にエッセイとしてベンヤミンを好むようなやつらっているよ。
最悪な意味で80年代臭いというか・・・・
>>640>>626みたいな雰囲気っていうかな。
素朴な身体論の復活、「実感」「直感」語りあたり。
俺は岡真理、鵜飼、港千尋も、残念ながらこの範囲に片足以上突っ込んでると思う。
残念ながら、というのは、根が割と勤勉な人らだったりもするから。
アクティヴィストの芸術経験はそんなもの
政治的には納得できてもなんだかなあと思うんだよな
彼らの芸術観という意味じゃないんだけど、ある意味似たような素朴さがあるかなあ、と。
>>679 でも彼らは実感レベルの差別を何とかしたいからああなってるんだろう
111 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/02/03(火) 17:03:56 ID:RDxIV1yg0
ナオコーラてwww
apuiraxみたいなもんか
古谷は隠れロリだと思う
電脳コイルってかなりアレだし
『論理と感性は相反しない』ってフルヤン理論?
昼は喫茶店、夜はファミリーレストランで原稿を書く。ドリンクバーと雑音が友達だ。「オレ」と男性を表現するときは、クールに仕上がる。
女性を書くのは緊張する。作品を通じて「自分っぽさ」を見られるのにも慣れた。現実と空想の境界線はあいまいなままでいい、という。
文章ができあがっていく瞬間を楽しんでいる。
「普通の女性として現実を生きている中で、創作意欲がわくわけだから、普通の生活から生まれる文章を。世界の肌触り、
みたいなものを描きたい。いつかは、源氏物語とか細雪、みたいな作品を書いてみたい、かな」
フルヤンは論理の基礎を知らないし、その種の事は言わないでしょう
>>680 宇野と宮台呼ぶのやめて岡崎呼んだほうがマシだったんじゃないの?
>>688 東の読者にとっては面白くないんじゃないの
>>689 東スレで磯崎がおじいちゃんって言われてたからな
古谷ってどの角度(分野)から見ても穴だらけなんだなあと、
このスレの盛り上がりを目にするたび、そして色んな本を読むたびに思う。
693 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/03(火) 19:53:26
。。。。お前ら、時間勿体ないと感じないの?
いつも思うんだが
厳密に言えばみんな穴だらけだと思うよ
ただフルヤンは成長拒否が酷い
しかしここまで古谷を総括してしまっては、明日からの暇つぶしをどうしようw
何か新しいネタを提供してくれフルヤン
またちゃぶ台をひっくり返すというのはどうか
かっけーなw
"Monsters and Ghosts in the age of the information super highway" by Kenjiro Okazaki, artist, and Yoshinori Tsuda, artist
Fancy Space
702 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/03(火) 21:57:18
このひと基本設定がテレビなんだよなぁ
総地デジになったら買い換えるのかな
704 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/03(火) 22:03:19
作品との関係の仕方がテレビの視聴者ってことか
その前にネットの回線を太くするべき
いきなり金回り良くなってるw
ロメールで散財かよ
孤独だと「制度的枠組み」が嫌になるけど、
知人に励まされたので映画鑑賞に復帰といったところか
ただの甘ったれっぽいね
そーめんゲット
ファンに差し入れしてもらってるんだろうね
>>693 俺の場合、たまに空いた時間に飲みながらだべってる感覚に近い
>>710 古谷の日記を肴にw
古谷のこの享楽的な性格はロメールに合ってるな
>>577 近作は画面中央に集中することで四隅を処理してるね
ロメールの言及の仕方を見るかぎり、じっくりやってたという『シネマ』読解も、
平倉書評によってドゥルーズとの違和感を悪魔祓いしておしまいだったか。
なぜドゥルーズはこう読み、自分はこう読むのだろう、という一点だって
数年かけて考えるだけの論点にもなるのに。ズレはあっさり厄払いされるばかりだな。
あの平倉の書評はちょっと古谷と共鳴してたと思う
ロメール読解もやっぱり一義性を信じた読解だな。
「ああ、ロメールだ」「ロメール独自」「徹底して一貫」という字面を見て、なんか疲れる。
自分が読むのはこのポイントだけ、他、要らない、みたいな乱暴で興味深い読解はできないのかね。
「ゲームの攻略本のよう」な書評という評は言いえて妙だ。
その書評によって、ゲームシステムを超越的に捏造し、その預言者=書評者たろうとしてしまう。
無理矢理読めばいいのに、遂行的読解を微温的にしかできないんだろうな。
岡崎のストローブ=ユイレ『セザンヌ』の言及の仕方には
「自分はこうは読まないなあ」と思いつつも面白いと思ってしまうんだが、
古谷にはいつもそうした面白さがない。無駄に「忠実」なんだよな。
何のための忠実さなのだろう。けっして不忠実さに突き抜けない忠実さ。
そんなものが愛だとでも思ってるのかねえ・・
>>714 思考の資質や二元論の発想が似てるんだろう。
平倉のゴダール評、シネマ評について、根本的に何かやばいものがある、
たとえばイメージを「類似」に回収してしまっては、
近接させながらも間隙によってズレを持ち込むというゴダールの良さがまったくつぶれる、
という平倉批判をネットで読んだことがあったが、うなづかされるものだった。
こう言っちゃなんだけど
この人は同レベルのことやってても
日記さえ書いてなかったらここまで馬鹿が丸見えにならなかったのでは
「いつか古谷は面白くなる」と淡い幻想ももてたかもしれない
このスレに来て、スレ・古谷のやり取りをみたり
総括されているたびに、馬鹿っぷりがくっきりとしていった
同レベルの馬鹿はきっと多い。なのに古谷がこうも馬鹿に見えるのは、、
日記やってるからじゃないのか
ぶっちゃけ俺も同レベルの馬鹿だと思うが、泣き言で気を惹くのは恥ずかしすぎるw
719 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/04(水) 03:09:32
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【しょこたん】ぼくらの中川翔子ちゃん No.111 [女性アイドル]
まあ…番号を特定するのはやめておくが、たまに古谷もしくは古谷に近い〇〇のレスが入る。
古谷は、日記ではスレに二度と関わらない≠オ見ていない¢ヤ度を取りながらも結局見ているようだ。
しかしスレ民を論破できる言葉を持たないから、幼稚な抵抗に終始している。
お疲れさんw
スレは見てるだろ〜w
フルヤンのとぼけたふりは結構わかりやすいよ〜
神村恵のダンスを観に行って、会場で福永に会った
一緒に帰る
素麺はファンにもらったの?
当日、会っているはずなのに敢えて触れていない人がいるよね
ほらわかりやすいw
>>717 自分を知ってもらいたい
絶望を回避したい
日記を書くことは当時の古谷にとっては必然だったんだろう
10年以上書き続けるということは努力だけで出来ることじゃない
しかし今
その日記に自分の首を絞められている
どうしよう?
インターネット映画評ブログ発信者対談――
「古谷利裕の“偽日記”」古谷利裕×「映画をめぐる怠惰な日常」モルモット吉田
『映画芸術』No.424、2008年夏号
こんなのあった。
映芸がリニューアルして若手編集陣で再スタートしたとは聞いていたが・・
宮台や宇野なんかも書いてるのはそういうことか
>
>>716 たしかにそうだな。あの方向性はちょっとあぶないよ。
いただきものの素麺を茹でていて、もう、麺をお湯に入れてしまってから、麺つゆがないことに気づいた。どうしようかと思ったが、茹で上がった素麺を水にさらさずに、
あたたかいままでお椀に盛り、塩、胡椒をかけて食べたら、けっこう美味しかった。
今度はめんつゆも一緒によこせって?
727 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/04(水) 19:35:14
なんか永井みたいだな
こんな食生活じゃ長生きは不可能
>>697 総括を下地に過去の日記を読み返すと、
接続できて面白いよ。たとえばこれ。
ttp://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20060826 外的=開放系/内的=閉鎖系 の発想で
ここでは悟性を閉鎖的だと言いたがっているが、
他者・他なるものへの経路は、
外在的な指示対象が先行するとは必ずしも言えない。
目的論抜きで構成を過程の中で考えてみる、といったことを言ってる岡崎に
「欲望なき、他者無き動物ですね、わかります」と古谷が無茶苦茶なこといってるw
そりゃ別の問題だろう。
構成方法を考えると、まさに目的論的な終点設定は危険になるかもしれないんだから。
最後に岡崎に対置されるフリードの引用が陰湿で酷い。
「成功疑いなしの効果を生み出すような美術」をやってるかと言わんばかりだ。
これはつまり、
「他者への叫び」=「現前」 / 構成=効果の設計主義
となっていて、後者は一義的にまえもって決定してるからだめだ! と切れてる。
なるほど、岡崎の言うアルゴリズムの比喩は、
ゲームシステムと同様に、設計的に先験的にあるかのような印象を与えるが、
岡崎が文字通り超越的にそのような措定をしているかというと全然違うんじゃないかな。
上の二元論にとりつかれてる古谷は、
構成を厄払いして追い払うために必死。
>>642、
>>646、
>>657-658であたってるんじゃないかな。
演劇性については、林道郎がいろいろ書いてるからフルヤンはちゃんと読んだほうがいい。
浅田+岡崎の議論は、この部分にこそ最も強く対立する。岡崎氏は、ディシプリンが壊れた後にこそ、複数の異なった器官のあつまり
である身体が、外的なコントロールによらないそれぞれの自律性を見出すのではないか、と言う。(岡崎氏にとって「動物」とは「悟性」
のみに従う存在のことだ。)《アガンベンの書いた「剥き出しの生」が露呈してきたときに、完全にコントロールされてしまう社会が実現
するのか、逆にそうなった瞬間に、カントの啓蒙モデルではないけど、外的なコントロールによらない自律性が見出されるのか。
ぼくは後者だと思う。》
●《「文芸の哲学的基礎」という漱石の感動的な講演会があって、これは現在の東京芸大、美術学校で行ったものです。そこで漱石は
小説を書くのは国家をつくるのと同じくらいか、それ以上に重要だと言うわけです。小説家のことを暇人だとみんな思っている。確かに
昼寝ばかりしているうえに、宵寝もし、朝寝もする、ほとんど寝ているだけのようなものであるけれど、われわれは暇であることによって
国家ではない別の組織というか世界を構築しようとしているのだ、と。これはまんざら嘘ではなくて、そのための条件として、まず社会的
に登録されている私から離れなければならない。》(岡崎乾二郎)
>>734 うん。やっぱり動物化=悟性という理解みたいだ。
>ディシプリンが壊れた後にこそ、複数の異なった器官のあつまり
>である身体が、外的なコントロールによらないそれぞれの自律性を見出すのではないか、と
なんというか、カントの用語を使っているようでありながら、
実はドゥルーズ流スピノザ的生態観になってるようなw
その意味では、東の言う動物(欲望なし、他者なし)とは違い、
以前からの自律性の確保の議論と合流してるわけだね。
って、06/08/26から1週間も経たず、舌の根も乾かぬうちから
真逆の立場をとって岡崎を盾に東批判かよ。
古谷のドゥルージアン気分が癒されたからってこれはどうなんだ。
2年半前の
>>707シチュかよw
>《アガンベンの書いた「剥き出しの生」が露呈してきたときに、
>完全にコントロールされてしまう社会が実現するのか、逆にそうなった瞬間に、
>カントの啓蒙モデルではないけど、外的なコントロールによらない自律性が見出されるのか。
>ぼくは後者だと思う。》
これは岡田温司が紹介したエスポジトの論じるようなbio-powerの二義性のことだね。
コントロール権力に生態が包摂されるか(アガンベン)、
コントロール権力に対して生態的に自律化するか(ネグリ)、ていう。
「剥き出しの生」の用語を引っ張りながらも、わざとネグリ的にひっくり返して使ってるな。
その対談が載った号の雑誌は持ってたので読み返してるが・・・
古谷は「身体は、精神や外界を大きく超えた、制御できぬ怪物姓をもつ」(p.23)
などに漠然といつものように感情移入したんじゃね?
これは、古谷の抜粋の甘さと、岡崎の言い回しの甘さで、二重でやばくなってる箇所だと思う。
精神・意識を経由せず身体のレヴェルで主体がコントロールされる(生政治)
そこで、
>>737で抜粋した二つの箇所につながるわけだけれど、
同時に身体は自らのクセや慣習によっても包囲されているのだから、
その両義性は残るでしょう。
まあ、ゆえに抵抗の経路にもなるよ、ってことなんだけど。
古谷の引用では単に楽観的でその両義性が見えてないと思う。
739 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/04(水) 23:49:29
飯さえ喰えればそれでいい
↑
いまここ
麺つゆ、おろし生姜
210円。
『おやすみプンプン』四巻
514円+税。
露悪趣味
プライスレス。
741 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 09:08:06
また、青年モノが嫌になってきたみたい。
アニメ鑑賞の季節かな。
原稿書くようになってからは日記は二の次になってるのに
「偽日記の古谷さん」になってるからやめられないんだろうねぇ
しかも「毎日更新」「在野の書評家」などと
褒められてしまったのだからやめられない
かくして身辺ネタ仕入れ、露悪趣味日記、
低燃費執筆サイクル、思いつきの論立て、が立ち並ぶというわけだ
>>742 最初の三つはいいけど最後のはよした方がいいよなw
本業に響く
最初の三つは「普通の物書きの日記」になりましたよ、てことだしね
それは別にいいと思うし、原稿が良かったら許せるさ
だから風の旅人連載が日記と言葉も水準も変わらないのは痛いな
思考や制作と悪循環にならない日記内容ならば、
最初の三つに重点がおかれて論としてはつまらなくなってもいいんだけどな
745 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 10:03:23
いや、日記はいいと思う。
論文を書くわけではないし、美術系の論文なんて糞でしょ。
日記形式でダラダラいく。とんねるず的実存。
ただ古谷さんは、世界へ滲み出てない。
物理学知らないし。もっと知ることはあるのである。
746 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 10:11:41
生でダラダラいかせてよ、という実存でしょ。
アンチ・サラリーマン的。
>>745 >論文を書くわけではないし、美術系の論文なんて糞でしょ。
お前さんが糞だと思うが
美術史ウィーン学派なめんな
748 :
744:2009/02/05(木) 10:50:47
論と言ってもいろいろなわけでさ、
論文誌や紀要に載せる体裁、書式の「論文」じゃなくても、
岡崎の短文にも論理的構成はあるわけで。
別に長大な「論文」を偽日記でやれとは俺はまったく思ってないぞ。
もちろん、それとは別に、
>>747の言うように、
論文なめるべからず、というのもそのとおり。
745は人文系しねと言ってる東信者でしょ
東の問題意識は悪くないと思うが、芸術嫌悪を助長する部分があるからそこは嫌
750 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 11:00:07
>>748 というか偽日記の水準は低くない。
日本文学の高い水準。
751 :
744:2009/02/05(木) 11:03:48
>>750 ・どういう水準を前提にしての発言か
+下を見ればきりがない
+国文j研究はカルスタ隆盛だったり、何かと微妙さがあるから何とでも言えちゃう
・「日本文学の」が、日記そのもののことか、
国内文学作品の論の方かどっちだ
752 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 11:05:21
753 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 11:07:26
754 :
744:2009/02/05(木) 11:08:23
>>753 そっちの方か。高い水準かどうかはともかく、そういう分析はありだと思う
755 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 11:09:18
>>752 ちょっと前に日記で「書いたよ」って告知してたやつだね
日記に本文上がってたじゃん
switchpointって企画なのか貸しなのかよくわからん
>>753 言いっぱなしかよw
是非とも展開してくれ
無理だろ。単に断言したかっただけなんだろうし。
馬鹿はほっとけ。
フルヤンはぶっちゃけこの手で原稿料を稼いでいるとしか思えない
>例えば、原稿用紙二十枚の小説を書こうとして、結果として二百枚になってしまうことはあり得るし、五枚で完結してしまうこともあり得る。
>その不確定のなかにこそ、未だ書かれていないものの可能性が開けている。
>作家が何かを創造するのは、そのような、不確定であることによってはじめて開ける可能性のなかでだろう
>>761 それがばれて最近は編集者に釘刺されてる
書きまくるのはいいが、書きたいことの優先順位をつけて取捨選択しまとめる能力や
書く内容と字数のバランスを変える能力がない気配がある。
「枚数的に枝として削った箇所を日記で数回に分けてまとめてみようと思います」
って日記を使う手もあるのに。
取捨選択とかが嫌で嫌でしょうがなく、書いたらそれまでよ、になってるんじゃないかね
>>762 フレームが人間なら誤魔化しがきくもんな
美大じゃなくて映像か文芸創作系の学科の方が向いてたんじゃないの
自主映画だったらこういう人でも教師になりやすいし、
40代ならそれっぽい作品を撮れてたんじゃなかろうか
絵画というジャンルが不向きだったのでは
>>761 同意
いわゆる「天に唾」なんだけど、自分の頭に掛かってるって気づいてない鈍感亀くんだ
本日エントリーの
悪い意味での「文学」「露悪的リアリズム」がラノベ、エンタメに移行しているというのも一理あるが、てめえの日記にもなっ
ってオチ
いにおは自己嫌悪みたいなもんだろ
世間では古谷ファンとかぶるし
767 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 11:53:41
>>765の返し方と別の視点で
>>761の抜粋部について言うとだな、
「書く前には予期できないんです! 書いてる途中に出来事が来るんです!」
って言いたいだけだよね。おそらく、
暗に「出来事だからコントロールできないし、すべきでもないんです〜」が仕込まれてる。
>>637-642、
>>646、
>>657-658の文体→枚数ヴァージョンの話だな。
>>764 文学部の非常勤講師にいるよこういう人
ジャナ専とか
いるだろうなあ・・
>>769 もちろんそういう意味
でも美大の場合、古谷の画業じゃどうにもならないでしょ
どうして俺たちここまで古谷を心配してあげてるんだろ
>>767 おけ。
展開出来ないんなら黙っとけよ数学バカw
ほっとけってw
775 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 12:12:46
>>773 展開?
それに数学って何だよ。
嫉妬見苦しいぞ。お芸術やってろ女々しい
芸術蔑視の古谷ファンっていう存在が可能なのが、
ブログの面白いところかもしれないw
>>772 食生活が一番心配だw
酒も切らしてないんだろうし
778 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 12:58:28
746 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/05(木) 10:11:41
生でダラダラいかせてよ、という実存でしょ。
お前らの年齢が推定できましたww
十代は少ないだろうなあ
20代後半から40代前半まで
10代のファンはロム専といったところか
2ちゃんはそもそも年齢層高いよ。
十代が多いのはニコ動
福居が参加した企画展にテキストを寄せている川崎市市民ミュージアム学芸員の人が
不倫相手に刺されて重傷な件について
ttp://otd7.jbbs.livedoor.jp/pg_web/bbs_tree?base=3486&range=1 >坂本政十賜、福居伸宏、湊雅博、山方伸…本展に集う四人は、それぞれに自らが選んだ光景を指差し、そこに向けて走り出す。
>深川雅文 川崎市市民ミュージアム学芸員
ttp://www.sanspo.com/shakai/news/090203/sha0902030502012-n1.htm 神奈川県警青葉署は2日未明、交際相手の男性(51)をナイフで刺したとして殺人未遂と銃刀法違反容疑で、
川崎市の岡本太郎美術館学芸員で市職員、杉田真珠(しんじゅ)容疑者(43)=同市麻生区=を逮捕した。
男性は命に別条はないが重傷という。
調べによると、杉田容疑者は1日午後3時50分ごろ、横浜市青葉区のコンビニの駐車場に止めた、
写真史家で川崎市市民ミュージアムの学芸員、深川雅文さん=同区=の乗用車内で、深川さんの左胸を刃渡り
12.3センチの果物ナイフで1回、刺した疑い。
事実関係を認めているが「いつ、なぜ刺したのかわからない」と供述している。
杉田容疑者と、妻と娘2人がいる深川さんは6−7年前から不倫関係だった。
1日は深川さんの誕生日で、会おうとしない深川さんを杉田容疑者が携帯電話のメールで何度も呼び出し合流した。
車内で「離婚の話はどうなったの?」などと叫び、車を運転中の深川さんの腕や顔を手やバッグで乱打。
「落ち着いて話そう」と深川さんが駐車場に車を止めたが、叩き続け、バッグに入れていたナイフで刺した。
両手を血で染めた杉田容疑者がコンビニに駆け込み、店員が119番した。
捜査関係者に、深川さんと「いつかは一緒になりたい」と話したという杉田容疑者。
結婚の望みを叶えられず、芸術ならぬ痴情を爆発させてしまった。
>>783 これってそのままプンプンの第4巻じゃないかw
文学的だね
フルヤンも刺されるぐらいの甲斐性があればハクがつくのに
いま話題のナオコーラ先生とか
ブログにネタ供給しすぎだろ
深川って昔割とよく眼にしたなあ
ヴィレム・フルッサーを訳してたし、
学芸員になる気もないのに彼の『学芸員になるには』も手にしたし、
たしかHPなんかもあって、ちらっと読んだ。
90年代にベッヒャー夫妻、ベッヒャー派の写真展もやってたと思うよ。
俺もフルッサー読んでたw
こういう場合社会的に終わっちゃうのかね
2/5エントリー、『アストレ』続論かな?
と思ったら、ラカン三界説でクロソウスキーをやけに簡単にやっつけてる・・
後半でロメールと比較して持ち上げられてるけど、
クロソウ〜ドゥルーズの言葉を思いつきみたいにラカン三界説で読んじゃいかんだろ
>>789 学芸員なのにフルッサー訳すとか、
意欲的な企画展やってるので、すごいなあ、とは思ってたよ。
まあ私生活については知らんさ。
『学芸員になるには』では「学芸員ってのは実態は雑芸員なんでしんどいよ」と書かれてるが。
>これは、誰か招待券下さいというメッセージではなく、自腹で行くという決意表明。
常駐確定かw
>>792 スレフォローしてくれて、こっちは喜ぶべきなんかねw
これはクロソウスキー読者のほぼ全員が激怒するだろ
>クロソウスキーにおいては、イメージ(想像界)かほぼ完璧にテキスト(象徴界)によって押さえ込まれていて、
>イメージの次元では、新たなもの、現実的なもの(ぶっちゃけ現実界)が到来する余地がない。
そうなんだよ
クロソウスキ〜ドゥルーズのニーチェ読解と
そのドゥルーズにおける比重や接続、のちのドゥルーズにいたる波及
までを考えずに、てきとーに切りすぎ。
思いつきで書くぐらいなら、「これは手強さそうだ・・」
って書いて筆を止めてくれたほうがよっぽど好感もてるよ
>イメージ(想像界)かほぼ完璧にテキスト(象徴界)
この箇所だけ見ると、いつものとおりのイメージ現前の形而上学で蹴ったってだけか
永遠回帰と無限の戯れが対立するってのも変だし(戯れつつ回帰してるんじゃないの)、
反復や回帰を字面だけで「はいはい、システムね」って読んで、新たなものを対置させるってのも変。
それを言うなら、無意識に「新たなもの」はあるんですか? とかいくらでも切り返されるだろう。
流れ豚切るけど
今更だがHPトップにある「Bibliography」ってなんだよw
Biography(来歴・履歴)だろ、普通
Bibliographyじゃ参考文献一覧や初出一覧かと思っちゃう
古谷の雑誌寄稿一覧かと勘違いした
9年間も気づかず、誰にも突っ込まれなかったの?
>>797 「偽日記」だからそういうコンセプトかと思って放置してたわ
たぶんみんなそう
なるほど、嘘日記的な意味で
単に言葉間違ってるww
>>796 そもそもニーチェを馬鹿にしてると思う
これだとよくみる「ニーチェ=電波」みたいな揶揄と同じだぜ
>>800 ニーチェ・スピノザ・ベルクソンが三つ巴をなしてるドゥルーズにぜーんぜん突き当たってないんだろうな
なんでそれなのにドゥルーズにこだわってるのかわからん
丹生谷とか松浦、蓮実の言葉で読んで知った振りして癒されてただけ?
最悪じゃん
>>801 ドゥルーズを感覚論としか捉えていないんだと思う
それでいてベーコン論における感覚をめぐる議論も読んでる節がないw
ベーコンとか嫌ってそうだ
ベーコンは嫌いかもしれないし、岡崎もたぶん持ち上げないと思うんだよ
だけど、「ドゥルーズがベーコンに"どう"こだわったか」は換骨奪胎できるだろうし、寄り添うことだってできる
(っていうか、
>>729-730の主旨でなら、ベーコンとやり合ってもいいだろうに、とすら思う)
結局、蓮実・藤枝的な趣味の選別的コードに合わないと
「こいつは敵!」って感じなんだろうな。今日のクロソウスキー評も結局それだろ
システムvs孤独とか言ってても、
>>609の記事の最後じゃ
その孤独からシステムへの信憑を基礎付けてもいたし、
風の旅人のほかの記事では「絵画というシステム」とか平気で言ってる。
結局は、一義的なシステムがあって、統合可能って立場なんじゃね?
ドゥルーズに関してはかなり半端なやつだよな
80年代以後の国内ドゥルージアンが単に疎外論的気分でしかなかった
というのが嫌というほどわかる
古谷は最近になってはじめてドゥルーズの本読んでるんじゃないのw
>>585 >>621 たぶん最近の「夢」言及の多さは古谷の現前云々の感覚に由来してるんだろう
たまたまこんなブログを読んでたんだが(日本在住のドイツ人のブログ)
ttp://hendayo.blog37.fc2.com/blog-date-20070508.htm >@夢というのは一人一人見ていて、自分だけのものだ。
>そしてそのA、一人で夢を見ているとしても、見ているときに「夢の世界」というネットワークと繋がっている。
前者が特に古谷の動機解説になってるように思った
夢って見ている間は話の進行に不思議な必然感があって
それでいて無茶苦茶な連想めいた進行をするし、
それが「自分だけのもの」で、「言葉にすると必然感が失われる」
というところに古谷はこだわってるんだろう
808 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 08:22:58
>これは、誰か招待券下さいというメッセージではなく、自腹で行くという決意表明。
ぜったいココ観てるだろww
>>804-805 ベーコンに絡めると、斉藤環による加藤泉のインタヴューがある(『境界線上をアーティストは踊る』所収)
加藤:僕は作品を発展させることができるんですよ。
僕自身の問題でいうと、それをやることによって、僕も真っ当な人間になっていく。
そいうことができると。(…)(彼らの作品には)発展はない。(…)そういう面がない。
(…)絵と自分の関係が進化したりとか、たとえば、ああ、おれは絵に向いていないんだなとか、
そういう確認を僕らはできるんだけれども、病気の人はできない。
――そうなんですよ。いま、絵との関係というかなり重要なことをいわれた。
作家と絵の関係性の問題なんですよね。アウトサイダーの人は、
作品との関係をもてないというか、密着しすぎていて、距離がない。
作品に入り込みすぎていて身動きがとれないから、批評ができない。
これと似てるんじゃないの、古谷の絵のつまらなさの敗因は。
だから
>>657みたいに言われちゃう。十川の
>>29と似てるな。
>>807 柄谷の『意味という病』に入ってる「夢の世界」って文章を思い出す
そこでは、夢の中での観察は事後性による距離がない観察で、
カフカに近い、リアリズムとは異なるリアリスティックさがある、と評されていた
しかし、このような事後性/事後性なき直接的把握という議論進行自体が、
疎外論に近い転倒があるんじゃないだろうか。
この文章の柄谷は、構造とその外部を対置させるような疎外論的傾向を持ってる。
蓮実・柄谷は一面で疎外論的傾向で結託していた、という指摘が今では必要になるんじゃないかな。
>>806 ドゥルージアンは別に疎外論じゃないだろ
古谷がそういうモチーフだけ拾い集めているんじゃないの
ドゥルーズはそうでないにもかかわらず、
古谷が典型として、そういう読みの欲望が結構強かったんじゃないかな、と。
でもデリダ好きってドゥルーズに興味薄いじゃん
このスレはデリダを高く評価してるし
だから偏見も絶対あるだろ
まあ逆も真だが
疎外論とか否定神学とか、
相手に貼った者勝ちのレッテルの使用には注意が必要だ
古谷なら別にいいけどw
レッテル貼りは思考を止める
古谷のラカン三界説はレッテルに堕してる
>>815 まあ、デリダとドゥルーズの共存が難しい問題なんだけど、
スピノザをどう位置づけるかってことになるんじゃないかな。
ハイデガー-デリダは、デリダ自身認めてるように、スピノザを思い切り捨象している。
ドゥルーズの初期は後期ハイデガーに飽き足らず、
そこにスピノザを架橋したというのが根本的な構想だったんだろうと思うが、
スピノザ的実体、スピノザ的「自然=神」の扱いを、どう評価できるのかって難しい。
しかもここにこだわってる研究者がほとんどいないw
>>819 いや、みんなこだわってるだろ
その整理はおかしい
ようするに浅田の好みに日本人は引きずられてるんだろう
ネグリは疎外論だから駄目だろっていう予断な
スレ民もそのクチだな
いや、ハイデガー-デリダ以後の視線において、
後期ハイデガーとスピノザが混ざってるような構想を、どう評価できるか、
という意味では「みんな」はこだわってないよ。
スコトゥス-スピノザの「存在の一義性」は、デリダと馴染みが悪くて、手強い。
スピノザ-ドゥルーズの関係にこだわってる人は多いけど。
ネグリはいいんじゃないの。
彼の評価も、DG的スピノザとその後の政治的展開という意味で、
ヘーゲルと比較して評価すべきだと思うんだが。
浅田のバディウ軽視、ネグリ軽視は気に入らないね。
>>822 >後期ハイデガーとスピノザが混ざってるような構想
どのへんよ?
哲学への寄与の出来事論とか?
いろいろあると思うけど、すぐ思いつくのは
・ユクスキュルへのこだわり(『現象学の根本諸問題』)
・アリストテレス読解を経た「(ロゴスで把握できない)そのつどそこにあるもの」
(『プラトン『ソピステス』』) →スコトゥス経由でドゥルーズ「このもの性」
・最も表層的な部分=最も外部的な部分が「現(Da)」の根本的性格とする手つき
(『アリストテレスについての現象学的解釈』)
→ヴァレリーを引いて「最も深きもの、表層」とするドゥルーズ
・「無底」の重視
あたり。
二重襞(ハイデガー)→襞(ドゥルーズ)とか。
『シネマ2』7章冒頭で、精神衝撃(nooshock)が出てくるが、
ハイデガーのアリストテレス講義で出てくるヌース(nous)の重視に端を発してるように読める。
ヌースはロゴス以前にあり、論証の小前提を形成するとされる(二コマコス倫理学)。
この発想がもろに出てるから、あれはベタにヌース的衝撃でいいんじゃないかな。
即座にスピノザの自動機械に接続されるけど。
なるほど
そんなドゥルーズ論はいくつかあると思うが
日本人だと少ないかもしれんね
>映画の自然主義とは、イメージの場に、現実的なものの「しるし」が宿ることへの信によって成り立っている。
ナチュラリズムとリアリズムの区別ないでしょw
自然こそが実在するってことで、リアリズム=ナチュラリズムになってるんだろうねぇ
しかしスピノザ的には、あらゆるものが神の属性になるんだから(スピノザ流一元論)、
古谷のような実在するもの/しないもの(言葉) なんて素朴な対立を超えているw
そこは日本文学の「自然主義的リアリズム」みたいな言葉に惑わされているんだろう
>>828 ここで考えるべきなのはスピノザじゃなくてゾラだよ
たぶん存在論から考えると個別の作品の批評がかなり大ざっぱになる
たぶんセザンヌとカフカを混ぜたような発想からじゃないかな
カフカのリアリズムではないリアリスティック に
実際の自然対象をその次元で描いたセザンヌ、という感じで
あるいは、ストローブユイレのセザンヌ好みも挿入されてる
だけど、実際に自然対象であるかどうかは派生的な問題だとすると、
自然主義と呼ぶのは、対象の外在的実在性があるから実在論を補強してくれるから要請されてるのか
>>831 それドゥルーズの事言ってんの?それとも古谷?
ゾラの自然主義についてはクセジュおすすめ
>>830 そうなんだけど、言葉とイメージをある意味で区別しないドゥルーズの立場から
スピノザ的にやればいいだろ、と古谷に突っ込んでみた
実際にスピノザ概念で作品論できるかって言うと、まあ、無理だろうな
>>832 古谷の方。
ゾラについてはあまり知らないからそのクセジュ、覚えておく。
>>833 ドゥルーズの「シーニュ」てのが、イメージも言葉もどっちも指す記号なんだよね
だから言語学じゃない記号論にこだわった
●もうすぐフランケンズの、『遊び半分』以来の、久々の本公演『44マクベス』がはじまるのだが、これは絶対に行く。
フランケンズが「マクベス」やるんだから観ないですませるわけにはいかない。S席、当日券四千円だけど、何とかする。『友達』(確か、当日券五千円)の時には、直前に専門学校のレクチャーの仕事が入って助かったけど、
何もなくても何とかする。これは、誰か招待券下さいというメッセージではなく、自腹で行くという決意表明。
>>835 そうそう。だからC.S.パースを持ち込むんだよね。
あまり自信ないけど、念頭にはベルクソニズムというよりは、スピノザがあるように思う。
ドゥルーズの中ではアルトーがスピノザと混ざってる。
「スピノザこそ、このような固有な記号系を考察しながら、
最も深い預言主義の理論を作った人である」(ミルプラトー邦訳p.144)
「すべての器官なき身体はスピノザをたたえる」(p.178)
ミルプラトー5章は丸々記号系の議論と言っていいんだけど、
言語が記号系としてメタに優位に立つわけではない、というような書き出しから始まる。
それゆえにシネマは記号としてのイメージを扱ったわけだし、
イメージvs.言語にするのはおかしいと思うね。
>>837 ドゥルーズのベルクソンは、かなり異端でしょう
みんなの予断と違って、パース的な着想も受け入れる人として考えている
>>838 いろんな発想を複合した上で、その上でベルクソン概念を使ってるから、
とりわけ『シネマ』のベルクソンはかなり異様な、面白いものだとは思う。
ニーチェまではいってるし(偽なるものの力能)。
古谷はシネマを読み直せばいいのに……
フランケンズだけ見てても演劇批評は無理だろうなあ
そう難しくないかもしれないけど、木村覚みたいな奴を倒さないと
フルヤンにはブレヒトも足りない
ブレヒトいいね
最近出たベルトルト・ブレヒトの仕事は好企画
845 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 17:08:02
馬鹿かここの奴ら。
「シネマ」読む前にもっと基礎知識勉強しろ。
数学とか政治とか。
「シネマ」はいい本だが。
どうもこのスレの連中は勉強意欲はあるんだが、
基礎抜きに「シネマ」とか水ものを読んでいる。
それじゃ古谷化する。
まあ基礎知識ある奴もいるだろうが・・・
845は美術や映画について語ってみるべき
そうじゃないならただの煽り
だいたいゾラとかブレヒトの話をするとき、数学とか持ち出す方がトンデモだし
849 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 17:15:15
現代思想も、深くやると、数学とか政治とか歴史とかいろいろ基礎知識が必要になるよ。というか基礎知識を外していると突っ込まれるような作りになっている。といってもソーカル的なことをいいたいわけじゃなくてね。
科学主義に囚われないのは科学を知っている人だけっていう話さ
水ものとは何だ、水ものとは
852 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 17:33:48
たとえば、現代思想って、実は、不動点定理を結構隠し味に使っているんだけど、不動点定理が理解できなきゃ何もわからない作りになっているんだよね。浅田さんが現代思想のキーパーソンたりえたのは、彼が経済で鼻が効いていたから。
といっても不動点定理じたいそこまで理解が難しいわけじゃない。学部レベルの数学。まあ基礎知識。そういう知識を現代思想でも使っているんだよね。向こうは、さすがに
エリートなわけで。芸術と科学にお利巧に住み分けてソーカルに怒られないようにやるような奴らはそもそも現代思想なんてやらないわけで。
浅田スレのお馬鹿さんがきちゃったかな
>>853 いや
この数学バカは前からずっと居るよw
なんなんだろう
よく流れを止めるよね
855 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 18:44:48
>>854 はい?俺はこのスレのぞいたのここ一週間ですよ。
というか、数学馬鹿でも別にいいからこのスレに沿った話題をして欲しい
できないから文系は馬鹿みたいな暴論でお茶を濁すんだと思うが、
それは単なる無知への居直り
どうでもいい話だが
はてなキーワードに古谷が登録されていないこと
について語るのはタブーなんだろうかw
858 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 18:54:33
>>856 あのお、文系馬鹿なんて誰がいってますか?
文系理経論争に持ち込むつもりは毛頭ありません。
俺は学部理系→院経済の現代思想好きですが、文系を馬鹿にしてなんかいません。
ただ現代思想をやりたい人がいれば、数学も政治も歴史学も法律学もかなーりやっておいたほうがいいよ、というアドバイスです。絵画なら(脳科学や認知科学的アプローチを
別にすれば)あまり諸学問の知見は関係ないでしょうが、このスレをざっと見るかぎりでは現代思想好きが多いようなので大きなお世話を焼いてみました。
>>858 ここで自分のバックボーンを誇ることの意味って何?
美術は脳科学で説明とか言ってた人かな
>>858 >絵画なら(脳科学や認知科学的アプローチを別にすれば)あまり諸学問の知見は関係ないでしょうが
教養を軽視する社会科学者にありがちの嫌「人文」ですね
文学・美学・芸術学・美術史・表象文化
このへんの学問の妥当性は半ば批評の領域に入ってるから、
外から見ると極めてうさんくさいのは仕方ないかもしれないけれど、
実際にこの分野の学術書を読めば、その分野内でのレベルの違いや妥当性の有無は一目瞭然ですよ
何でもありにはなっていない
たいていこの種の人文批判だと、
インパクトファクター重視のアメリカの学問イメージを投影している人が多い。
でも当のアメリカの美術史では、
20世紀についてはクラウスも十分引用に足る著者という扱いです。
だからポスト構造主義=擬似学問という切断にはなっていません。
展覧会カタログや関連学術誌を読めばわかりますよ
本来なら保坂さんの文章も象徴界的な「記号」なんじゃねw
筑波大卒でたぶん廣瀬の教え子。フランス哲学専攻。デリディアン。
四谷には一度も訪れずに色々内情をしってるひと。
保坂だと何が書かれていても裁断しないんだな
868 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/06(金) 23:35:30
いよいよ神がかってきた。
パーフィットを読めばいいんじゃないの
ほんっと、人の話聞かないね、古谷は
良いリアリズムと悪いリアリズムの区別がついてないじゃん、またしても
>>867 >>870 保坂離れを指摘されたこのスレを読んでの反論と
困った時の「引用」だ
何も変わってない
いや
もしかしたら、このスレを指差しての「そこにオレがいる」なのか?
「お前たちはオレだ」
なのか、単に
「カキコミしてんだけどw」
なのか
でも、フルヤンを擁護する書き込みも見受けられないし、
そしたら、ブログでは絶対やらない自己批判を、彼はこのスレでやっていることに…!
4000円のチケットに事欠く人が真夜中買っちゃうとか、
食費のケチり方が健康を考えていないとか、
そんな感じだよな
柴崎にそうめんもらったんだっけ?
>>874 自分のスレから自己批判をすると、気が楽になるのかもな
なくはない
真夜中って股先生が喜んじゃうような雑誌でしょ
なんだかなあ
風の旅人とか真夜中とか、そういう路線に好かれるのね
股先生とか栗原みたいなサブカル編集者
でもスタジオボイスはない、みたいな。
貧乏人には金を貯める発想がない
たまに金が入ったら、何に使おうかと考えてしまう
古谷の場合、服でも食い物でもなく、ひたすら本と酒だよね
貨幣を資本に転化できないってことさ
俺、酒もタバコもギャンブルもやらない人間だけど、
本は買っても買っても足りないなあ。
とくに美術書になると万単位のものが珍しくないし。
安い洋書の画集とか、理論的な美術史の本とか、そういうのを避けてるんだと思う
英語読めないから高い洋書も買わないしな。
田中純や岡田温司あたりが紹介する人たちも避けてるっぽい
蓮實に言及しないのと一緒か
ゴンブリッチでさえ、読んだことがあるのって『美術の物語』だけっぽいしな。
単純な話、お絵描きの範囲を超えた「美術」が嫌いなんじゃないかと思う
美術館だって制度だから云々とかなんとか
でもそれ正しいよ。
美術ももう斜陽だし。
正しくないって
そういう終焉論はたいていその人の狭さしか示さない
今まで何度歴史の終焉が叫ばれてきたか
でも実際にはその人の好きなスタイルが終わるだけ
例えばフルヤンが好きな80年代のテレビの世界は、民放大赤字で危うくなっている
そういう問題でしょう
金貯めてパリかニューヨークにいい絵を見に行けばいいのに
イタリアには行ったんだけどねえ。
ルネサンスからバロックのキリスト教絵画じゃ参考にできないでしょ
ルーヴル・オルセーとMet・MoMA制覇ぐらいは義務だよ
参考になるから行ったんじゃないの
>>898 のうみそドローイングの参考になったのかな
実は、裸の大将路線でしょ、この人。
岡崎とか80年代思想に感染した(結果的に良かったのかも)。
でも資質としては、アウトサイダーアーティスト。
岡崎理論は難解で古谷さんは二割も理解できていない(でも美術系の人間にしてはすごい)。
でも、理論が爆発した結果、脳がセカイへと滲み出たから結果オーライ。
そうでなければ、うにょうにょした絵を何十年も描きつづけられない。
半可通な理解でも、そういう効用はあったわけ。
滲み出ていくことは、保坂ー柴田ラインと暗黙のうちに結託しているという時代性を打ち破る力たりえるのか?という
ブルバキ的問題はありうるけどね。
今号の真夜中が柴崎、ナオコーラ、保坂とフルヤン路線満載の件
そりゃ買うわな
浅野いにおにこだわるのは、柴崎の本のイラストをやってるからか?
若い漫画家になんか友香を取られてたまるか!
>>902 >裸の大将路線
顔が人柄を表すからそうなるw
そこの糞ブログもなあ
ぶっちゃけ罵倒オヤジなだけで内実は風の旅人でしょう
実際、ある程度才能があって技術もセンスもあれば、今の時代だったらどのジャンルを選んでも成功できると思うんです。
だったら、やっぱり今なら音楽をやると思いますよ。そこから少しずれた形で映画をやったり美術をやったりという層があって、
そのいずれにも挫折して追いつめられていくと、最後に小説を書く。大芸術を装っているけど、小説の内実なんて、今ではそういう
人たちが大量に吹きだまっている状態にすぎないと思うんです。まあ、だから面白いとも言えるんでしょうが。
そういう寝言をコピペされても困る
>>908 藤枝派の残党みたいなオヤジが最近多い気がする
>>911 その筆頭がフルヤンだというのが俺の見解
言いっぱなしだと良くないので敷衍します
藤枝芸にかぶれて染まった先人上田高弘がいたけれど、
やっぱりああいう人はすぐに隠居してしまうし、編集者はあまり付き合いたくないと思う。
ART TOUCHも半端に国士だったりするので紙媒体に移行するのは無理。
そうするとフルヤンのような人材が貴重になる。
>>909 それ、サワラギノイのパクリでしょ。
もっといえば今どきあえて「文化」を選ぶことじたい終わっている。
20世紀で文化は、上から下までほとんど出尽くした。
電脳化、バーチャルリアリティなど技術革新が起きない限り新しい文化はない。
だから今文化やっている奴は、すでに負け戦。
強いていえば、ドメスティックな批評は、ほんの少し可能性があるかも。
今までの学者によるバタ臭い批評ではなく、大衆によるドロドロしたルサンチマンまみれの批評はまだやることある。批評は最後に大衆化される文化だから。
文化終焉論とか信じちゃうのは痛いから注意な
>>918 >電脳化、バーチャルリアリティなど技術革新が起きない限り新しい文化はない。
これ、18世紀の機械論以来のクリシェじゃん
>>919 18世紀に電磁波は知られていませんけど?
>>923 現状ね
でもネット媒体はもっと弱い
がいして文化関連弱すぎる
914みたいな粗雑な見解が多数派に見えてしまうぐらいに
スレで主観語らなくてどうすんのw
俺理系だけど文系はみんな主観的で駄目だから数学やればいいと思うよw
>>926 言い出しっぺはそっちでしょうw
ホントに芸術関係は紙媒体が弱いの?
ネットで芸術語る奴なんているの?
これ、どうやんの?
>さらに言えば、目の前にあるポットとか、スプーンとかの感じる触覚すらも、私のものとして経験することも可能なのではないか。
>目の前にあるドライヤーを指差しながら、「ほら、オレがそこにいるだろ」と言うことも可能になる。私が「あなた」を指差しつつ、そこにオレがいる、とさえ言える。
>>930 だからそれが電脳化でしょ。
求心神経を延長化すればいいだけ。
たとえばスプーンの温度変化を信号にする。
脳科学君?
Grey Room購読すればいいんじゃね
ネット媒体も原稿料出れば質が上がるよ
いよう低脳どもw
こんな煽りがそこそこ効く状態はよくないな
昨日付けの日記のエントリーがないから、みんなネタがなくてイライラしてるな
禁断症状かw
つーことでフルヤンよろ
文化しねよの人は土日に来るからわかりやすい
どうせ文化は消えないんだけどね……
NT-Xはセンスが昭和40年会なんだよな
松陰とかと近いものがある
古谷さんじたいもう文化に飽きているし。
飽きてないだろ
フランケンズに必死になる時点で
制度に我慢ならなくなっているのはたしか。
年のせいもあるのか、気が短くなっている。
芸術は爆発だから脳をセカイへともっともっと・・・
浅田牽引
フランケンズに女がいるの?
>>945 ちょうど偽日記の初期と同じぐらい破壊衝動に目覚めているような気がする
周期性なんだよね。太陽黒点も関係してそう。
古谷利裕の生態系w
そもそも美術にアクティヴに関わっているようにみえない。
古谷が軽蔑しそうな作風の人たちの方がずっと真摯だと思う。
>>950 嫉妬する意味ってあんの?
羨ましくないぜ
美術なんてアクティブに関わるもんじゃないよ。
コソコソ後ろめたく関わるしかない。
今日のエントリーも開き直りに満ちた文章だな
裸の大将恐るべし
駄目なドメスティックだなこりゃ
つうかフルヤンにチケットやるのよせよw
あげた人もかわいそうに
こりゃ萎えるわ……
コメントするのもはばかられるというか
いくつかの岡崎論を叩いたときと論法一緒だな
さすが目利きだな
今日のエントリはひどいと思った。
柄谷行人の言葉を使えば「知的にも倫理的にもカス」。
無知と偏見と決め付けに満ちてるな
なるほど、こういうツラをさせるためにみんな招待券をあげてるんだね
これなら12/28エントリーの、作品に即して、
あそこがだめ、ここが気に入らない、と言ってる方がはるかにマシ
「藤枝制度」の中で息苦しく退屈な絵しか描けない人間が何を言ってるのかと
エントリーに対していくら批判的なレスが多いこのスレといえど、
ここまで満場一致で×をつけられる文章もないわ
これなら2/6エントリーの方が、鏡像と自己感のブレをめぐっててまだ評価できる
これだとクラシック音楽やバレエ・モダンダンス・コンテンポラリーダンス・演劇など、舞台芸術の技術継承システムを全否定だもの
これだとまるで芸術コンプ持ちのサブカル批評家みたいじゃん
>しかし、「面白い作品」って、絶対そんな風には生まれない、という気がぼくはする。
古谷の馬鹿モード+怨念モードだけで書いたような文章だよな
高校生にでも書けるんじゃね、こんなの
これって技術習得に時間が掛かる分野の芸術はぜんぶつまらんと言ってるに等しいよ
この流れを見てフルヤンはプルプル震えだしているに5000ペリカ
だからいったろ。
古谷さんは文化に飽きているんだよ。
スレで言われてた「構成」が「技術」のところに来てしまったんだろうよ
ほんとに馬鹿だなこいつは
このスレ自演が多いな。
古谷に嫉妬か。
>>972 半ばそうかもしれんね
散歩してるだけで幸せなのかも
>>972 その自然/文化 なる、古典的二分法自体が罠なんであって、
古谷のあの言い回しがすでに「文化」だろう
古谷があらゆる種類のメチエに嫉妬してるんだと思う
からごころ批判以外の何物でもないじゃん
>>974 マジな話、あんなことを言ってのける古谷に嫉妬するやつはおらん
年とればこんなもんでしょ。
文化に夢中な人にはアレだけど
このエントリーの失望ったらないだろ
古典を取り扱う演劇って、原作を知ってから観るのが大前提だと思うんだけど、
(じゃなきゃ、理解しようがないものが多いし)
そういうとこを全部スルーしてるぜと開き直って、
さらには印象のまま「お高いゲージツってのはよお」と批判するのって、
社交で足を運んだだけの成金実業家がキャバ嬢相手にすることだと思うんだよね。
前の炎上騒ぎ並みのどうしようもない記事だぞこれは
露悪日記がまだましにみえてくる
電脳化してセカイへと滲み出ること。
趣味判断・規定的判断にどっぷり浸かってるけど自称モダニスト
自演うざ
このスレ回して古谷さんに嫉妬している奴誰なのよ。
「自演」の言葉の使い方、おかしくないか?
>>984 フリードで演劇を斬ろうとしてる時点である程度予想できた
古谷のいっていることはもっともでしょ。
まあ、言い方はあれだけど。
このスレの住人はせいぜい3〜5人、
一時的に多くて10行くか行かないかってところだ
常連が見ても、「4人はいるだろうな」って感触だろう
別に水増ししてるほどの極端な「自演」(勢力・人数偽装)はないだろう
>>992 美大に偏見持ってるような芸術嫌いならよくある意見
あれは実は在野かつ学績もない自分からこそ面白い何かが立ち上がってくるんだというポジティブなメッセージが隠されたエントリーなんです。
というか、このエントリみたいなのって初期によくあったけど?
一周してきただけ。
この論法だと、横尾忠則の画法に駄目出しした古谷も絶対に面白い作品を作れないことになります
まあ、カンパニー・マリー・シュイナールは実際につまらないのかもしれない
見てないけど、そこはそうだとしても、だ
ヨーロッパだろうと日本だろうと、当然、面白いやつもいればつまらないやつもいる
そういう認識で「これはつまらなかった」と言うのなら別にここまで言われない
古谷の場合、突如「ヨーロッパ一般」に論理が飛躍して無茶苦茶言ってるわけだぜ?
単に、そのカンパニーについてじっくりここがまずい、たぶん、
自分は〜〜に興味があるからだ、などと書いてるのなら、スレ住人はいつものように
「まあ古谷だからな。自分なりに見てるんだろう」などと微笑みながら読んでただろう
しょせん文化
しかも船舶品
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