2009年の古谷さんは、老いとどう付き合っていくかを考えるといい
あとへんてこ理論はやめようぜ
5 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/29(月) 23:45:39
画家かつ評論家という二重底
もう画家じゃなくなりつつある
何がやりたいのかよくわかんないよね。
画業に全力ついやしてるように見えないし。
批評や文章も本腰入れて取り組むんなら、
専門なり美大なりの講師になってから、
(いまさらだけど)一般教養を構築しはじめるべき。
講師になって「から」教養を構築なんて、世間を甘く見るな!
書評家の時代ならではの評論家ですよね
結局前スレで色々言われていた批評の現在はどうだったの?
2008年をもって古谷スレを卒業します。
絵で飯を食うのは難しい。
その点、文芸批評ってのは金が貰えるわけだ。
金がもらえて、名前を流通させることが出来るということであれば、
これを頑張っておいて損はない。
でも言語を舐めてるのが萎える
美術まわりの人達って、
あんまり頭よくないから大丈夫。
アート(価格)バブルと同じで批評家バブルも年内に崩壊しました
さすがに崩壊後の話をはじめてるでそ
美術手帳をバックナンバーのバックナンバーを読んでいれば、
バブルもなにも、この数十年、頭わるかったみたいだから、
バブルが崩壊しようがしまいが頭悪いことにはかわりないっしょ。
じゃあ四谷かといえばそれもない訳で(笑)
彼奴らは、批評の語り口について指南している批評という、自身の空虚に早く気づくべき。違う意味で頭悪い
美術手帳って不思議な雑誌だよな。。
美術手帖を馬鹿にしないで下さい
天下の黒瀬が「崖の上のポニョ」論を上梓していた立派な美術雑誌です
そうそう、
>「崖の上のポニョ」論
こういうのが、なんとかならんかなと。
宮崎アニメって、言語に親しいところがあるわけで、
そこが本人の真剣さとは裏腹に、阿呆な売文屋の餌になってしまうところがある。
批評=糞って認識の書込みは萎えるわ
からごころは死ねって発想がいかにも美術系ならではの頭の悪さ
批評が糞とは思わないが、
あまりに安易にパッチワークしている文章はあきまへんな。
もしかして、24は黒瀬君?
黒瀬に君づけとかいらないから
「僕には」面白くなかったと書いた時点でただのモンスター・クレーマー、2ちゃんねらー
29 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 06:10:40
批評とか所詮遊びでしょ
批評も制作も共に遊びといえば遊びなんだろうけど、
遊びであることを忘れて没入してるとそれなりに充実感があるのかな。
没入できないとつらいかな。
31 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 10:23:20
32 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 10:23:44
逆だよ。批評には、没入できない。
没入できるものを探すと、創作や研究、科学になる。
だって子供は、絵を描いたり、工作したりするけど、批評なんてしない。
それはつまらないからだよ。
大人になって社会的感情を身につけると、ファッション感覚で批評が
楽しく感じられる時期があるけど。
まあ、自分の大好きな何かをトモダチ同士で語るという行為は、
大学のサークルの延長で楽しいけど、それはハスミとかの意味での批評
じゃないんでしょう?
”フレーム”とか”アルゴリズム”とかいう言葉をなんとなく使って、
なにか了解をえられているかのような気分に浸るのは批評ではないということか。
34 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 11:08:38
いや、批評は適当な言葉使っても受ければオーケーだし、そこはいいと思う。
>大人になって社会的感情を身につけると、ファッション感覚で批評が
>楽しく感じられる時期があるけど。
>
>まあ、自分の大好きな何かをトモダチ同士で語るという行為は、
>大学のサークルの延長で楽しいけど、
黒瀬さんが手がけるRHを悪く言うな!!
受ければokって、芸人みたいだ。
37 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 11:30:40
まあオカザキとか浅田とかあのあたりの基準では違うだろうけど、
厳密な定義で論を展開するような学術ではないところに批評が
あるとすれば、やはり芸事に近づくような。
適当、というかファジーかな。
制作は受けなくてもいいのかな?
昨今は性急に受けをもとめたがる傾向だけど、
ここ数レスはちょっとレベルが低すぎる
しろいろがいないとすぐこうか
近代批評はボードレールだろ……
阿部良雄ぐらい読むべき
批評の現在 行ったけどつまらなかったよ
その感想はがいしゅつ
レポを書いてね
ボードレールはファジーかもしれないな。
44 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 14:01:50
若造が売名で何書いたってくだらねえんだよ
よいお年を
古谷を若造ってあんたいくつよw
匿名の場所で売名って意味不明 何いってんの?
>>40 それ歴史学的に間違っている。
ボードレールはジャーナリスト
48 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 14:06:33
多分、古谷のことではないだろう。
49 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 14:09:02
批評ってジャーナリズムの一種?
>>48 でも古谷より年上っぽくね?
批評の現在の最年長は37歳だぜ?
>>47 間違ってないだろ
だから阿部良雄ぐらい嫁
52 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 14:13:19
嫌われ者のグリーンバーグは、劇作家だったか、
美術史の専門家ではなかったし、
ローゼンバーグも劇作家だったっけ、
いずれも、ファジーといえばファジー、
でも大きな役割をはたしたことは疑いようもないわけで、
美術史家だってもともとは貴族コレクションの鑑定人
貴族コレクションの鑑定人だから厳密ということ?
ベレンソンとかな
英国の美術史家は王室と癒着
フランスは共和国の宝を管理
批評じたいはあるべきだけど、
むしろネットの登場で批評が増殖している。
どうなのかな、
大学にこもってる勉強をしているような人を批評家といえるかとか、
オクトーバーの人達だって、自分達のダメさそのように表現するわけで、
その尻馬に乗っているのが、黒瀬、池田、伊藤あたりか。正直どれも才能を感じない
平倉も突出した何かをもっている訳ではない。人徳で伸びてきたクチ
まあそういう議論を呼ぶからこそ批評ともいえるわけで。
存在じたいがファジーというか。
ただ、漱石とかデリダとか出せば批評家として認知される
という姿勢は問題。
漱石出すのはいいけど、衒学でしかないことのほうが多い。
福住廉という存在のDQNぶりには誰も勝てないw
そこで上崎ですよ
佐々木敦が批評とは何かって本を出してるようだ
誰か読んだ?
64 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 17:00:02
福住廉みたく、あごが外れるほど下らない文を書くライターが、堂々と「美術評論家」なんていっている
そういう美術界だから、林道郎周辺は厭世的に身を引いている
そこに鉄砲玉のように出ていったのが黒瀬、池田
こういう事でしょう
石岡について書くとなぜかいつも荒れる。
じゃあハゲネタで
石岡も林道郎周辺に入るね
彼も結果的に厭世的だと思う
飛べないみたいだから コピペで
美術評論ってジャンルじたい、もうあごが外れるほど、だからねえ。
批評はもっと社会へ向かう必要もある。
古谷さんのような人がじゃかじゃかネットで表面化している、っていう
事態のほうがよほどアクチュアルだろうね。
71 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 17:14:49
「能ある鷹は爪を隠す」
脳ないヤツは自作wikiページで売名 これはガチ
でも樫村さんとか脳があっても能がない人もいるしねえ。
隠すっていうのもいろいろあってさ。
福住のウィキ 糞ワロタwww
>九州大学大学院比較社会文化学府博士後期過程単位取得退学。尚、これより以前の学歴は非公表である。
ここなw
>>70 >批評はもっと社会へ向かう必要もある。
そういう発想が福住を生むんだぜ
でも批評に社会性って必要じゃない?
ハスミ的なのもいいんだけど、そればかりはね。
ルカーチ以降からのマルクスの読み直しとかいろいろやることはある。
でも結局アクチュアリティを獲得していないんだよねえ。林さんも。
やっぱ年齢の問題かな。
正直なとこ、アニメ作ってみたいんだと思う、この人。
厭世的よりは鉄砲玉の方がずっといいと思う
鉄砲玉といっても、美術手帳みたいなお馬鹿雑誌めがけて飛んでいく事はできないっしょ ある程度の知識人なら。
美術の媒体がおのれの責任を果たしていない これに尽きる
土屋誠一には頑張って欲しいなあ
だよな BTの芸術評論賞が排出したのが、木村 福住 土屋の3人。
前二者はとっくに化けの皮がはがれた。残すは土屋のみか。。
つーかこの賞自体価値が低そうだよなw
その回では古谷も応募してたみたいだし、石岡も落ちたらしいじゃん
2009年にもう一度評論賞があるから、スレ民が応募するといい
サブカルが面白いと言ったら、それだけで化けの皮がはがれた扱いになっちゃうんじゃね?
浅田彰の呪縛は大きい
そこでモーリス・ルイスですよ
モーリス・ルイスはもうだめだと思うなあ。
あの手のとこから議論作るのってもうみんな飽き飽きでしょ?
そういう意味では浅田さん以降ってつらいものがある。
次の批評は別の分野から出てくると思うなあ。
美術という分野自体が駄目って見解?
それこそニヒリズムじゃね
実際には福住も木村も化けの皮なんか剥がれないと思う
だって「モダニズムのハードコア」の基準からそれ以外を叩く身振りに意味はないもの。
彼らもそれを知ってるから適当にチンポムを褒める。
>>88 セザンヌとマティスとルイスで十分と言い切る古谷さんは今売れっ子じゃないですか
>>90 適当に褒めている輩だから化けの皮がはがれてるんだろw
>>92 俺が言ってるのは、誰も彼らを引きずり下ろすことが出来ないって事
失笑されてても、出続ければ勝ち
仲俣や佐々木敦と一緒
モダニズムのハードコアっていっても所詮20世紀の西欧の基準で。
普遍的妥当性はいささかも持ってない。
浅田もそのローカリティに十分自覚的だけど、彼以降の人間がその
へんに自覚的とは思えないなあ。
>>92 それと、モダニズムの規範に沿って批評する路線はさすがに難しいと思うよ
そうなると誰しも化けの皮が剥がれることになるんじゃないの
だから厭世的な人が増えた
>>94 大衆文化に触れただけで嫌がるような人は今なお多いでしょ
ニコ動だから駄目とか、その典型
>>93 それは、批評の宿命でしょ。
スポーツや学問なんかだと白黒決まるけど、
批評はどうしようもないとこだから。
プロレスでもないんだよ。
>>94 自覚的な人間が誰もいないわけないでしょ
だってあんた自身がその問題自覚してるんだからw
>>97 だから、ここで失笑しているだけじゃ駄目だろってことさ
木村はダンスの方面だから、このスレの基準とは無縁。
モダニズムって美術とはとくに関係ない。
建築とか数学とかの概念でしょ。
画家としてのセザンヌやマティスは、もっとイロジカルなわけでしょ。
結局ロジカルで押していくって路線が破綻したってことなんだと思う。
浅田さんはロジカルな人だから、そこのところがいまいち理解できてなかった。
木村は論文を書ける奴が適当に流して書いてる感ありあり
やる気のないポーズでしょ
>>101 おいおい……基礎教養がなさすぎるだろ
関係あるって
そうそう。
ニコ動だから、という理由で敬遠する人って結局「大衆」から逃げているんだと思うなあ。
そういう振る舞いを正当化してしまっているよね、このへんの批評は。
もちろん浅田あたりの基準でいえば、プレモダンへの回帰ってことなんだろうし、
実際質もよくないけどねえ。
変なのが連投してるね。前に広島ピカで粘着して荒らしたヤツかな
福住ほど出鱈目で卑怯な売名ライターはいない これだけはガチ
>>103 うん?
モダニズムが美術と関係あるって具体的には?
まさか松浦さんとかの本読んで感化されただけじゃないよね。
>>106 まさか建築以外の芸術にモダニズムがないとか言い出さないよねw
>>104 岡崎はそういう逃げ方はしないよね
作家だからできる振る舞いかもしれないけど
美術や音楽が富裕層向けという事実は永遠に動かないと思う
文学や映画と比べて、批評がろくでもない理由の一つ
>>107 絵画のモダニズムって戦後のアメリカの連中の後づけだよ。
もともとのモダニズムって近代建築の様式のこと。
>>110 イギリスのモダニズムを知らないのかいな
ウルフが評伝書いてるクライヴ・ベルとか
>>110 それとMoMAは1930年代に存在してたぜ
グリーンバーグ憎しのあまり、逆に狭い発想になってる
113 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 19:47:34
今10chでUFOの番組やってるお。
サブカルが美術とか言うヤツって
UFO評論家とか霊能者とか、ああいうのを思わせるw
なんの基準もないから、写真の中の適当な模様指さして「ほら、これが顔です」とかいうの
福住、木村は完全にこの手合い
映画も基本的にはサブカルなんだが……
113はただの権威主義だろ
>>111 ブルームズベリー・グループは、社会改良主義者であってね。
モダニズム云々より労働党絡みで整理したほうがわかりやすいのよ。
まああそこらへんを理解するには、かなりの教養が要るけどね・・
BT=ムー
日本では社会的に影響力があると、それだけで芸術趣味と相容れなくなりやすい
だから芸道がお稽古事になっていくのさ
>>115 あんたのモダニズムの定義がわけわからんよ
アンチグリーンバーグって事だけはわかる
ベルがモダニズム??
文学のモダニズムは明らかにそのへんの連中
あれをモダニズムと呼ばないことは無理
121 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 20:00:51
俺、木村何度かあった事あるけど、す〜〜〜〜んげえ媚びうる人だよ。
偉い人とか美術関係者にゴマ擂りまくる人なんよ木村って。
何が言いたいかって?う〜んと、「表に出まくればそれでおk」って考えは、何時か上手くいかなくなるって事だな!
そう?建築の五十嵐太郎もそれで成功したよ?
あの世代はみんなそうやってる
>>120 根拠は?
まさか誰かがそういってた、って話じゃないでしょう?
モダニズムをジャンルの自律性という点でざっくり理解して、
それを文学史に適用すれば、パースがいっているように、
ジョイスこそハイ・モダニストだ、とはいえるけど、でもそん
なん今では誰もがいえる視点であって・・
モダニズムっていう概念は、アメリカの連中が文化を握る
ためのイデオロギーなんだよね、結局。
五十嵐は実力もあるから木村とは比較できない
>>123 それこそあんたの定義じゃね?
モダニズム=アメリカ人のイデオロギーってのは極論だよ
嫌いな範疇のみがそこに収まるようになってるわけで
>>124 実力があろうが媚び売りまくりという事実は残る
個人的には、美術批評は、マルクスの読み直し以外から始まらないと思う。
大衆や階級を避けてとおってきたのが80年代だったわけでしょう。
たしかに美術自体の問題はあるし、それも論じていくべきだけど、
あまりに作家、批評家から社会性が失われていると思うねえ。
全共闘やモノ派まで戻る必要はないけど、しかし最近の人っていくらなんでも
楽天的すぎると思う。幼稚化という粗雑なことばでくくりたくはないけど・・
モダン五つの顔ぐらいよめと
>>127 木村も十分中年なんだが……
それを最近の人って
>>128 おまえは線形代数ぐらいできるようになれw
一応福住はそのへんやってるつもり
線形代数で美術批評ができるなら誰も苦労しないよ
>>125 うーん。
いいたいことはわかるけどね。
でもアメリカ的なものって重要だと思う。
モダニズムやフォーマリズム、ポップといったスタイルって
結局アメリカの文化支配の正当化として機能しているわけでしょ。
ロックフェラーとユダヤ的な問題系も絡んで手に負えないわけ。
>>134 でも最低限ってものはあるわけでしょう。
抽象なんだし。
>>135 そう機能しているとしても、潜勢力までイデオロギーに塗れているとはとうてい言えない
そこを混同する議論は悪しき社会反映論になる
もちろん近年は反映論がもう少し増えてもいいぐらいだと思うけどさ
>>136 それは二流の理系にありがちな発想ですよ
昔「キュビスムと相対性理論」みたいな与太があったけど、
その手のどうでもいいアナロジーに終わりやすい
>>137 社会反映論というか、単純に事実をいったまでよ。
モダニズムというルールで画家は動いてないでしょ。
セザンヌもマティスもさ。
モダニズムの言説を真に受けた人って古谷ぐらいなもので。
結局歴史や政治を見ていくと、モダニズムってアメリカの
覇権主義なんだ、とわかる。
ジャンルの自律性や形式主義っていうなら、モダニズム以前にあるし。
>>139 繰り返すけどそれは
「モダニズムってアメリカの覇権主義」
というあなたの定義の問題。
言説と作家の創作をそこまですっぱりわけてしまうのはどうよ?
142 :
140:2008/12/30(火) 20:33:54
>>141 定義の話ではないでしょう?
それをいうならそもそもモダニズムじたいの定義、整理をしたのはアメリカの連中だし。
まあ、歴史を勉強すればよくわかりますよ。
哲学も数学も科学も文化も全部戦後はアメリカになっちゃったからねえ。
・・・・・・
言説と作家の問題は、難しい。
関係性の数だけ関係性があるわけでしょう?
言説史の洗い直し それこそ博論になるようなモダニズムの文脈史というテーマをここであーだこーだいっても...
145 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 20:36:53
そのアメリカの連中が ドイツから来たってのはどうしてくれるんだ
四谷の誰かさんが降臨しているなw年末くらい穏やかに過ごせよw
>>143 ここで「俺は教養あるぜ」って言われても困る
148 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/30(火) 20:38:08
ブルームズ ベリーには アメリカ人の年上親父のロジャー・
フライがはいっていたしね
四谷じゃないだろ
ほとんど荒らしのレベルだねコレ
どれが荒らし?
このスレにはふわっと沈み込むみたいな空間の構造が必要なんですよ
アクチュリティとはなんぞや?
ブルームズベリー・グループって、
そういえばケインズもいたよな。
ヴィトゲンシュタインも
四谷とか言われてる書込みの何割かはこいつだろうな
美術にはモダニズムがないとか、どんだけ馬鹿なんだ
教養が高まればわかるらしいから俺はもっと歴史を学ぶよ!
上で木村だのふくすみだの行ってるが、どっちも大して活躍してねーだろ
>>156 このようつべの画像何??静止画像の顔面が怖すぎてプレイボタン押せないんだけど(笑
椹木野衣の次世代がそいつらだったからだろうな
福住は本だせば将来何とかなると思って、無理矢理引っ掻き集めた感ありあり
ナディッフでも全然売れてなさそうだった
普通の神経してたら買わない
批評の現在に出てた奴らは福住をなんとかしろよ
167 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/31(水) 00:59:22
NT-Xって、村上の道場にいた人?
っていうか、ここの人たちって、みんな道場にいたの?
ゼロアカ道場もいそうな予感
線形代数君とか
169 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/31(水) 01:32:53
椹木野衣
諸悪の根源
悪なのかなあ?
椹木もある時期までは頑張ってたと思うんだが
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20081230 >はじめて、東浩紀が喋っているところをナマで見た。凄かった。今、テレビに出ているどんなお笑い芸人よりも鋭く
流暢な喋りをする東さんのパフォーマンスを見て、そこで語られている内容とは全く別のことを強く印象づけられた。
>東さんの、観客への(捨て身の?)過剰なサービスへの情熱というのは、一体どこからくるのだろうか、この強迫症的な
>テンションの高さは、一体何に向けて捧げられているものなのだろうか、と。
初期の偽日記みたいな東批判はやらないんだろうな……
それがもったいない
全面戦争してもいいんじゃないかと思うが
174 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/31(水) 17:34:17
金じゃね
大人の男で
娘と嫁抱えてたら
きみみたいに素朴を
謳歌してるわけにはいかないんだよ
東に限らず
栗キントン作ってはしゃぐ夫婦もいるよ
つくづく古谷は素朴派だよなあ
素朴派でいいじゃん
フルヤンが鋭かったら逆に怖いわ
まあな
>>174みたいな奴の批評は読みたくないわw
2009年のテーマはズバリ愛≠ゥ
人恋しくなってきたのだろう
180 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/12/31(水) 18:47:51
おれは、174に金をはらって立派な批評=宣伝文を書いてもらいたい。
露悪的マッチョじゃん
さすがに今日はみんな帰省してるのか
あけおめ
184 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/01(木) 00:22:18
はい、おめでと、
そのセンス、お前NT-Xだろw
NT-Xは今年批評家デビューします
よろしく
NT-Xは荒川修作なんかにこだわるのをやめろ
ことしもよろしく
190 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/01(木) 14:11:21
この人最近文章が電波化している。
最終的には陰謀論とか書いてそうな気がした。
でもこの路線で正解でしょ
イメージとフレームは禁句にするか、もっと厳密に定義し直すべきだと思う
192 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/01(木) 14:23:58
正解なのかねえ?
イメージとフレームという言葉ですべて語れる、と
信じきっているところが危ういと思う。
だって生活スタイルを変えたら負けだと思ってるんだよ?
20年どころかジジイになっても受験デッサンを呪っているはず
一番いいのは柴崎でも誰でもいいから結婚すること
今はナオコーラw
古谷と結婚して得られるメリットって何なの?
ねえじゃん
結婚したらそれこそお終いでしょ?
独身ってとこがポイントなんだし。
こういう人って微妙にモテると思うけどね
学生時代は彼女がいたんだし
>>195 生活スタイルを変えるチャンスは、同棲とか結婚とか子育てぐらいでしょう
永瀬が駄弁を控えて子供に専念してるのはいいこと
結婚って転機になる人もいるけど、古谷さんはどうなんだろう。
それ以外に転機になりそうなことが思いつかないんだよね
実際には出版が転機で、ライターにはなれたんだけど……
転機とかは、学者とかスポーツ選手とかある程度白黒つく領域の人だけの話でしょ。
画家だって国際的に売れれば転機になるよ
でも古谷さんの場合、そのためには作風を大きく変えないと
国際的ってw
>>196 モテルかな?
でも「恋愛」ってバブルの思想でしょ?
東京ラブストーリーとか。
>>203 >
>でも「恋愛」ってバブルの思想でしょ?
すげえなw
20代か?
エッセイを書ける素朴な芸術家
モテるだろ
>>190 同意。ここ二ヶ月ちょっと変。
「ダイヤモンド地下街」がどうとか意味不明すぎて
ついていけない。
意味不明か?この程度で電波とは思わないが
>>210 地理的な説明が下手糞で意味不明になってるだけだろ
ウェブ日記だと自宅特定を避けるためにわざと曖昧にしている人も多い
こういうのは適当に読み流してるが
わからない=電波というレッテルは面白くない
でも軽い電波でしょ、なんだか・・
逆にわかる、と思い込んでいる人の自信が謎。
解説よろ・・・
だから、日記の地理的な説明がわかりにくいことを、そんなに問題視する意味が分からないんだよね
具体的にどこが電波なの?この程度で気持ち悪いとか?
解説もなにも、横浜を歩いていたら三浪時代のことが思い出されたってだけでしょ
>>214 地理的なわかりにくさって何?
私が問題にしているのは、そこじゃなくて、
記事の全体のほう。
「時間の感覚が消滅」なんでしょ?
こういう文章の方が面白い
>>216 時制を持たないイメージなんて、基本中の基本じゃないですか?
プルーストのマドレーヌ経験とか。
>>218 プルーストねえ。
私はわからないかなあ。
プルーストは重要だけど、あくまで作品の中の話でしょ?
いきなり日常で時間の感覚が消滅とか、何だか意味不明なんだよね。
ボルヘスと日記に書いてある
プルーストって、おもしろいか?
>>219 真に受けすぎですって
「偽日記」ですよ
ぶっちゃけ小林秀雄のモオツァルトみたいな作り話でしょう
事後的な記憶ってやつですよ
>>222 それは少し意地悪すぎない?
基本的にこの人嘘はつかないと思う。
だから余計に電波的で心配という。
>>220 ボルヘスとプルーストの関係って結構難しいところがあって。
今日の話もいちがいに決め付けられないところがある。
>>223 作り話は嘘ではないですよ。虚構なんです。
過剰な駄目人間ぶりが、狂気スレスレのところまでいくというのは
我々の知るフルヤンの味じゃないか
つうか俺は最近の日記で安心した
ワイルドライフ健在!
NT-Xってart marmarにもいたよな
こいつ来ると何時も話題が荒れる
思い切ってニューヨークに移住とかどうだ
グラントに応募すればいいんだよね
でも古谷はそういうのも毛嫌いしてそう
目標は決まったなw
英語が出来る嫁を獲得ということで
グラントって何?
NT-Xって 彦坂の子分の住職だとかいう噂もあるぞ。
なんにしろけっこうな歳だよな
40年会的な世代感覚の持ち主では
年齢なんてどうでもいいだろ、
ませたガキが背伸びしてんのかもしれないし、
それはない
あきらかに感性がオヤジ
それとも年齢が問題になると困る御方ですかw
岡崎と決別したようで何より
>去年、観られて本当によかったと思ったもの(今、パッと思いつくかぎりで)。神村恵カンパニー「配置と森」(横浜STスポット)。モーリス・ルイス展(川村記念美術館)。
利部志穂展(なびす画廊)。宮崎駿「崖の上のポニョ」(歌舞伎町スカラ座)。チェルフィッチュ「フリータイム」(六本木スーパーデラックス)。
古谷さんかっこいい
パネっす
おー画風変わるのかな
古谷がまた日記で曖昧なレビューを書くんだろうな
そういや古谷が嫌ってる言語論的発想って、まさに松浦寿夫だな
無意識に喧嘩売ってると思う
ジュテルはなあ、どうなんだろう。
トンデモ?
松浦が言語論的ってどういうこと?
244 わたしはダリ?名無しさん? sage New! 2009/01/02(金) 21:15:29
松浦が言語論的ってどういうこと?
パラディグムとサンタグムの話とかじゃね
松浦の絵は変わんないね
時々変わる徴候を見せては戻る
「徴候」だってw
覚えたての言葉(文学者wの業界用語
じゃあそういうことでいいよ
「徴候」って文学者の業界用語だったのかよw
どうせなら的確な批判をしろよ
利部志穂って評判いいみたいだけど、
ものを使ってってナンセンス劇を作ってる感じで、
もの派のインスタレーションを思い出して徒労感を感じたよ。
菅木志○みたいに芸化してるんだよな。、
、、俺もすっかりオヤジだな。
最近もの派が復活してきたな
そういえば、利部ってタマビだったな、
いい加減、教える側には、もの派っていなくなったはずなのに、
学生の中には、ほそぼそと作り続けているのがいるんだろうな。、
転叫院
もの派なら言語抜きの感覚でなんとかなるからじゃね
古い言葉をしてるやつがいるんだな。
もの派の作家さんたちもポンティとか好いてたね。
日本の文学界って、自分にとって面白いとかつまらないとかいった次元ですまないほど政治的に深刻な問題がいろいろとある
影響力だってある
もうプロなんだから、ネガティブな側面を無視しないでくれと言いたい
>>261 無視も何も、そんなことフルヤンは全く知らないだろ?
4〜5人しかちゃんと読んだことないんだから
フルヤンってアル中だったのね
>>261 つかフルヤンは政治性についてイノセントであることが期待されているはず
>>263 熊谷守一みたいな長生きは無理そうだよなあ
人間は社会的動物だから社会性からは逃げられない、と思う。
もちろん画家としてクールベみたいな絵を描け、ということではなくて。
>>265みたいな政治的中立を標榜するへたれ(だが、おれもそうだ)が
社会の中心にいる時代になっているからなあ。
芸術や娯楽がおれたちの逃避になっているんだよなあ。
その逃避場所を必死で守ろうとしちゃうんだよねえ。
とはいえ、今後は世界情勢も暗いし、ベケットやカフカといった怒りへ
の意欲を持った作品が主流になってはくると思う。
>>267 265だけど、俺は中立性なんか標榜してないだろw
曲解するなよ
そういうミクロな政治は面倒だぜ
あと、古谷は怒りの意欲に満ちあふれてるだろw
断固として非社会的になってやんよ!て感じ
>>268 うーん。いっていることはわかるけど、
やっぱ現実生活では、中立でしょ?
そうあらざるをえないんだよねえ、僕たちは。
戦後民主主義的というか。
できれば闘いたくない。戦争はごめんだし、汚いものは見たくない。
で、娯楽や抽象的な芸術へ、と。
それは悪いことではないと思うけど、
今後もこれでいいのか、とたまに思って。
ベケットやカフカ、ピカソを非政治的なものとしてみていくってのは、
ドゥルーズ以降のやり口だし、それは正しいんだけど、
でもほんとにそれでいいのか?って。
ここまでファシズム化している日本でそれはアリなのか、と
たまに良心を感じるときもあって。
>>270 ドゥルーズを非政治的な思想家にしちゃうのかいな
>>271 でも、バディウがいうように結局、彼は非政治的な人でしょう?
政治という言葉の定義を変えちゃえば、何でもあり、だもの。
ドゥルージアンがよく政治だ、なんだというけど、
苦笑してしまうんだよねえ。
いや非政治的な立場というのは正しいし、それは弱さとしてありだ
けども、カンチガイして自分が政治的だ、と思い込むのは、ちょっとね・・
おいおい……
そんな粗雑な水準でいいのかよ
芸術に興味がある=非政治的ぐらいいい加減な話になる
バディウみたいなマオイスト信奉してもろくなことにならんって
新左翼的な大義に殉じないと駄目って議論かよ
新左翼的な大義っていってもイロイロある。
バディウ=マオイストという粗雑な議論では解決できないし。
大義そのものは否定してないわけね
ようは目に見える闘争をしろと。
だったらチンポムはけっこう闘争してるんじゃないですかね
汗水垂らして戦わない若造のドゥルージアンが政治w
みたいな団塊ジジイの発想だなあ
藤原書店の信者に多いよね
フーコーの権力定義は拡げすぎとか、その種の古典的議論で言えば、
みんな非政治的って事になってしまうよ
>で、娯楽や抽象的な芸術へ、と。
これは娯楽や抽象芸術をハナから馬鹿にしてるから不快だなあ
たしかにそう考える奴が多いわけだが、
あなたもその図式に乗って政治を考えてるわけだろ
でも実際そうじゃない?
ドゥルーズはいいけど、気取って政治というのは醜悪でしょ?
大義そのものはここで片付けられない問題だし、
現実問題大義に殉じるなんて不可能な社会でしょ?
「目に見えない闘争をしているんだ、僕は」とそこまで零落する
のはどうなのかなあ、とたまに思うわけ。
何やら真面目に悩んでいるようなので、何も助言も参加もできないながらも、嬉しく思った。
>>278 抽象的なものについて語るなら、歴史的にバウハウスまで
やらないといけないからねえ。
ただベンヤミン=アドルノ=デリダ路線の正義へのエクリチュールが
実際ほんとうに現代日本でアリなのか、とは思うんだよね。
それで気負ってもねえ、と。
それならベケット=カフカ路線の怒りへの意欲が勝るような社会になる
と思うんだ。中原さんとかそうでしょ。
>>281 アリだと思ってるからいきなり俺を非政治呼ばわりしてるんじゃないの?
>>265 この発言は、今の文芸誌が古谷に特定の役割を期待しているという観察以上のものではないぜ
>>279 >
>「目に見えない闘争をしているんだ、僕は」とそこまで零落する
>のはどうなのかなあ、とたまに思うわけ。
これ誰?
具体例が浮かばん
藁人形叩きになってませんかね
284 :
280:2009/01/03(土) 14:25:54
>>283 それは古谷を指して言ってる文意なんじゃない?
というか、
絵画はともかく、
純文学は、現実的な政治から逃げちゃダメでしょ。
80年代以降、政治なんてくだらないね、という姿勢が一般化した。
具体的には、高橋さんや村上春樹や保坂など。
彼らはいい作品もいっぱい書いているし、その通りなんだけど、
それが今では全面的に展開している。
あくまでポーズだったものが今ではベタにそうなっている。
これは危ういでしょ。
>>283 いや古谷さんじゃないよ。
彼はドゥルージアンではない。
でも、いっぱいいる(いた)でしょう。
>>285,286
あんたは文芸批評の政治が懐かしいだけで、美術の事情がまるでわかってないんじゃないのかなあ
>>286 だから誰よ?
具体化しない曖昧な叩きは気持ち悪いよ
289 :
280:2009/01/03(土) 14:31:20
>>285 その感覚は非常に同感だな
ドストエフスキー、マルケス、中上あたりのラインが今再読解・やり直しが必要になるのかな、
と何となく俺なんかは思ってた
ただ、「ンヤミン=アドルノ=デリダ路線の正義へのエクリチュール」を
今の日本で小説家が展開すると、どういうかたちになるのか、俺にはうまく想像がつかないなあ
ケイズ的経済政策を語りましょう、労働論をやりましょう、というのとは違うものなんだろうけど
>>287 うーん。モノ派とかあのあたりも政治的だったわけでしょ、カッコつきではあるにせよ。
結局文芸批評と美術批評というのはそろって非政治化したのが80年代。
でもそれはバブルだった、というのが露になったのが、最近でしょ。
政治化せよ、とはいいたくないし、おれも政治は嫌いなんだけど、
ただここまでアッケラカンとしていていいのか、と思うんだよねえ、たまに。
結局時代が裁くことなのかもしれないけどね。
別にふざけたわけじゃなくて、チンポムの人たちの主張は、
そういう旧来の政治性で読めばわかりやすいし、だから受けてるんでしょう?
292 :
280:2009/01/03(土) 14:33:24
>>286 丹生谷とかかなあ
あと、俺なんかは古谷にはそういったドゥルージアンからの影響が強いと思う
いかに言語論批判をしようとも、気分はあのへんにあるんじゃないかな
293 :
280:2009/01/03(土) 14:34:49
>>290 表象の政治ではあれ、それすら無くなった現状、言説の状況はどうよ、
という意味では同感だな
あんたらの物言いは、文芸批評と「現代思想」読者の典型ではあっても、
ぶっちゃけ美術に関心が薄そうなんだよね
丹生谷は価値判断において左翼の大義を念頭に置いてるでしょ
>>289 そうそう。
中上は露骨に政治的なところからゼッタイ読まれ直さないといけない、と思うね。
浅田さんなんかは趣味として嫌うだろうけど。
青山さんがそのあたり熱心にやっているけど、映画では媒体的に政治は無理でしょ。
シネフィルの限界というか。いや、映画じたいはとてもいいんだけど。
アドルノとデリダ路線というのは、エクリチュールとしての政治学のこと。他者の絶対化。
つまり文化左翼的な読み。
東なんかは、それは否定神学だ、というし、おれもその通りだと思う。
日本で他者論はできないんだよね。一神教がないから。
古谷のイメージ論は、言語論批判じゃなくて、
勉強しなければいけないから反発してるだけだと思う
そこに批評性は薄い
勉強が規律訓練だから嫌、みたいな批評なんだろうけどw
298 :
280:2009/01/03(土) 14:38:28
表象の政治としてあり、かつ不徹底であったってのがここで
「だからこそ(好きではないが)チムポムを議論しておかねばならない」
と繰り返してる常連の、
>>276の主旨でしょ?
何もずれてはいないと思うんだが。美術批評家の固有名詞が出ませんって話?
で、mixiはどうだったの?
>>298 文芸批評だけに当てはまるような、
かなり狭い政治性が問題になってるから、
絵描きがどう政治的かという議論がやりにくいんじゃないの?って疑問。
だって、コレクションの問題が絡むから、
教条左翼にとってみれば永遠にブルジョワ的な構造を持ってるんだぜ?
>>292 二ビーも若干そうだけど。
具体的な名前を出すと荒れるから、悪いけどパス。
だいたい分かるでしょ。
「政治的といいつつ、まったく通常の意味で政治的じゃない人たち」って。
バディウは今こそ読まれるべきだと個人的に思う。
古谷じたいは、ドゥルーズの影響が強いというのは同感で。
樫村読んでいるけど、典型的なドゥルージアンでしょ、彼は。
アウトサイダーアートを最初に誉めたのはドゥルーズだし。
最終的には美術史や美術制度よりも、脳とか生物学的な興味が主軸にあるのもそう。
ピカソを否定しきれないのは、そこでしょ。
302 :
280:2009/01/03(土) 14:44:07
>>296 >中上は露骨に政治的なところからゼッタイ読まれ直さないといけない
わかるけれど、その上で限界を考え、中原を超える射程を言説で作った方がよさそうだね
>青山さんがそのあたり熱心にやっているけど、
へえ、そんなのやってたの。どこまで論じれてるのかなあ・・・
>アドルノとデリダ路線というのは、エクリチュールとしての政治学のこと。他者の絶対化。
>つまり文化左翼的な読み。
悪いけどうまくイメージできない。
なんとなっくわかるようなわからんような
303 :
280:2009/01/03(土) 14:47:44
>>300 作品の発表、値付け、スポンサーシップとの関わりで
美術固有の問題が付きまとうというのはその通りで、
ゆえに階級差、象徴資本の格差とかが出てくるのはあるけど、
それをもってして狭い政治性と言われるのはちょっと。
同時に両面やんないと、って意味では同感だけど。
>>302 うーん、文化左翼、批評空間的といえばイメージできる?
スピヴァクとかド・マンとか。
ああいうひねくれたカッコにカッコしたような「政治」は、
日本ではできないんだよね。
ハスミ以降の人らはカンチガイしてできると思ったようで、
エクリチュールへと向かった。しかしそれは幻想だった。
それが中原みたいなのが出てきてようやくわかった。
ああ、セリーヌね、と。
306 :
280:2009/01/03(土) 14:50:15
>>301 >だいたい分かるでしょ。
たしかになんとなくわかるから、詳しい列挙は要らないな。
しかしバディウかぁ。あんまり読んでないからか、うまくピンとこないな・・・
なんか、デリダ→シュミットの決断主義 みたいな印象ぐらいしかない。
「心情的には」共感するんだが。
>>303 そうじゃなくて、政治の人(と呼ばせてもらう)の定義だと、
美術批評は基本的に非政治的な営みってことになってしまうでしょ
政治的次元を読みこまない作品論はお遊びぐらい言いそうだし。
その時、社会的事象を必然的に孕む文学なら簡単だけど、
絵画や彫刻の場合、どうしても表象の政治性を経由しなけりゃ駄目だと俺は思う。
でもそういうのが非政治的とか言われるなら、
ハンス・ハーケみたいな作品しか残らなくなる気がするぜ
308 :
280:2009/01/03(土) 14:51:58
>>302 ああ、わかった。
なんとなくそっちかなとは思ってたけど、よくわかった。
なるほどなあ・・・
>>304 浅田さんは、本人は違うというだろうけど、まあそうでしょ(苦笑
彼も今では反省しているようで古典的左翼の見直しをやっている。
問題なのは、それに影響を受けた人というかさらに深刻なのは、
いま無自覚に増殖しているドゥルージアンモドキのほう。
ドゥルーズなんて読まれてないけど、戦後民主主義的空間では、
ドゥルーズがいちばん親和性がある。
「政治なんて汚いのはキライ。でも、ベケット楽しい」という。
それはバディウが徹底的に反動だといいつづけている。
バディウは全然読まれてないし、読まれる気配もないけどね。
>>305 それは「もの派」の粗暴さと似た諦念じゃないかな
まるで日本が「悪い場所」だとでも言いたげだよ
多神教的空間では多元論は機能しないから福本イズムが必要とか、
その種の話?
311 :
280:2009/01/03(土) 14:54:21
>>309 >いま無自覚に増殖しているドゥルージアンモドキのほう。
名指すべきでしょ
じゃないと嘲笑で勝ちっぱなしになる
>>309 まあ、あまり言われないけどその通り
彼が「美しい」というときにその対象についてオミットしているものなんて、酷いもんだ
しかもきわめて巧妙に隠蔽するし
ああいうのが最もやばいというのはあるね
>>311 309を読む限り、表象の政治性じゃなくて普通に政治的にやれって言ってるように見える。
セリーヌとか中原昌也が好きなんだろうし。
で、それを美術にあてはめると、誰がいるの?
そこが疑問なのよ。
>>307 んにゃ、美術は政治的であれ、とはおれはいってないよ。
文学として古谷の話が出ているから、
文学的な領域ではいかがなものか、といったまで。
いや、古谷の書くものはいいんだよ。素質がないだろうし、政治は。
ただ、業界全体が今ではそうでしょ。
評論家ですら大半は政治を主題にしてない、という異常な事態になっている。
これは文学ではもうないわけで、ミステリやSFのマニア雑誌と同次元。
浅田は階層社会の上に成り立つエリーティズムだから仕方ないんでしょ
>>315 宇野の決断主義がSFやミステリの文脈で受けてるじゃんw
あいつ福田和也とか江藤淳に露骨に接近してるし、
その意味であなたの観察はもう当てはまってないんじゃないの
318 :
280:2009/01/03(土) 14:58:47
>>316 アドルノ自称するならするで、きちっとやれと思う。
浅田はかなりやばいよ
>>315 でも政治的なものを真善美の上に置くわけでしょ?
それだと文学に比べて美術は予め劣ることになるんじゃないのかね?
320 :
280:2009/01/03(土) 15:00:46
>>314 そこは答えるの難しいよねえ
一つ思うのは、岡崎は明らかにそういう問題を回避してるよね、ということかなあ。
彼は鶴見の限界芸術論を褒めていたこともあったが、
鶴見の政治性のまずさをきちっと批判できるようなことを彼はやれているのだろうか、と思ったりする。
>>318 やばいけど、奴の趣味性を体現した上で潰さないと生き残っちゃうでしょ
>>320 岡崎じゃなくて、欧米の現代美術での例ね
323 :
280:2009/01/03(土) 15:02:24
>>321 それはわかる。延命させないように潰しておかないといけないというのはその通りね。
324 :
280:2009/01/03(土) 15:04:08
>>317 『探偵小説のクリティカル・ターン』での渡邊論文による宇野の摂取の仕方を見てると、
脱政治化された形で読解されているという気がするがw
>>317 宇野というのはあまり読んでないけど、
義務wとして目を通してそれなりに解釈してみた範囲では、
呉智英あたりのサブカル路線をオタクまわりでただ継承しているだけ、でしょ。
宝島文化ってやっぱバブルのもので、批評空間を叩くことしかできなかった。
2ちゃんの登場で終わったわけだけど、宇野はそのあたりを読めていない。
決断主義といっても、通常の意味で政治ではないわけでしょ。
大学生の延長というと意地悪だけど、そうとしかいえない。
>>323 で、それを現実にやれるようなハイソは、
日本では金持ち喧嘩せずで出てこないわけよ。
やまとごころの国だから、言挙げする奴が自動的に野暮って風土なわけ。
だったら俺は浅田の野暮さを支持するけどね
同じ事はニセ貴族の蓮實にも言える
327 :
280:2009/01/03(土) 15:05:44
>>325 >呉智英あたりのサブカル路線をオタクまわりでただ継承しているだけ、でしょ。
俺もそのラインでの印象だったな。
あとは浅羽・大月あたりの「リアル生活でうまくやっていきましょう」話。
>>325 >呉智英あたりのサブカル路線
この人なんだかんだいって大衆文化論の雛形になったから、
生き残っちゃってると思うんだが。
左翼の大義で一蹴しても無意味な程度には根を貼ってるんじゃないの
329 :
280:2009/01/03(土) 15:08:35
浅田って野暮かねえ・・・
「T.J.クラークは大物美術批評家でありながら、アクティブに活動している。これは賞賛するほかない」
といいつつ、決してアクティブにはなろうとせず、
むしろその口振りでごいまかそうとする。
あるいは「ソンタグは決して是々非々なしで議論することなかった、すばらしい」と
まさに是々非々なしで速やかに追悼する浅田。
体裁のとり方ばかりがやたらうまくなってるように思う
啓蒙主義=左翼学生の吹き上がり
みたいな対立図式が消えないのはしょうもないと思うんだけどさ
でも左翼の大義って本当に有効か?
>>329 発言してるだけで十分唐心だろ
欧米と比べて日本が駄目だと思うのは、
教養層が言説を通じて趣味を吟味しないからだと思うし
332 :
280:2009/01/03(土) 15:10:18
>>328 だからこそ、新左翼以降の「民衆文化に注目しましょう」となった言説の
政治性を再考し、考え直さなきゃいけないってなるんじゃないの
>>319 真善美というのは19世紀以前の概念だから、難しい。
実際問題、真善美というようにきっちり分かれていないでしょ?
前頭葉を切除した人間は反社会的になるわけだし、
美の感覚それじたいもドゥルーズがいうように進化論的な意味を持っている。
そういう意味で中原がやっていることは、かなり正しいんだけど、
彼を評価する基準が純文学的になっちゃっているのが問題かね。
334 :
280:2009/01/03(土) 15:10:59
浅田がマシだ、という議論は、
そうだね、マシだね、って話にしかならないよ。
>>328 そう。
呉智英って頭痛の種なんだよね。
彼じたいは自身でいっているように大した人ではないと思うんだけど、
批評空間やバブルという時代状況と異様なまでにシンクロしちゃった人。
彼の登場でカンチガイしちゃった人は存外多くて。
今も熱心に彼を真似して現代芸術を叩いている人がはてな界隈でいるけど、
それこそ悪しき表象としての政治(言語ゲーム)の復活でさ。
しかもその対抗が浅田彰でしょ?
バディウがいない日本で浅田しかいないってのは相当深刻。
>>334 俺が言ってるのはもっと深刻な話で、
浅田並みの育ちの良さがないと、ああいう言説を実効的に潰すことは出来ないが、
そういう人は金持ち喧嘩せずだろってことさ
日本はそういう国だぜ
俺は教養ないしw
>>335 バディウってそんなに偉大とは思えんがw
呉智英ってマンガの学会では普通に重鎮なんだぜ
俺が疑問視している「左翼の大義」ってのは、
要するに文化資本をひっくり返す武器のことなんだよね
美術や音楽のような、富裕層がベースの芸術では、
その武器はあまり効かないと思う。
もちろん文学は貧者の高級芸術だから一番偉いんだけどさw
そういうのもなあ
文化資本をひっくり返すという点では、まさに呉智英がやってきたこと
なんだけど、それがネトウヨまで行くと、さすがにやばい、と。
日本の不幸は、バディウがいなかったこと、これに尽きる。
中国絡みもすべてそこ。
横槍で申し訳ないけど、浅田の育ちの良さって何なのよ?
偏差値40の馬鹿美大に転職したのも、オファーされた年収に釣られたのがみえみえじゃない。
国立助教授塩漬けより稼げる方を選んだんだから、浅田の立ち位置って実際そんなもんでしょ
だから文化資本って言ってるではないですか
美大を偏差値で考えること自体が民度の低さを物語ってますって……
バディウのベケット本を翻訳で読んで元気になってる人がいるみたいだが、
あんな党派的な奴の言うことを真に受けても不毛だぜ
ベケット論は読んでないが『世紀』は好きだったな
バディウのドゥルーズ批判ってほとんどイチャモンだから
フランスの知識人同士のコメントは偏りすぎているから、
その人の最良の部分とは無縁の駄弁になりがちなんですよ
何にしろ古谷はベケットぐらい読むべきだろう
>>267さんはスレ常連に興ざめしたのか中座されたようだが(その方でよかったと思うが)、
中原を政治的に読む、セリーヌとつなげてみるという発想はうならされた
いくつかの箇所でうなづかされる線が引かれてて、興味深い話だった
興ざめとかじゃなくてこの板には連投規制があるよ
一定時間で解除される
古谷んはバディウ読むべき。
その前に集合論勉強しないといけないから、
記号的認識を馬鹿にする古谷んは無理か。
ドゥルーズも微積なんですけどね
たしかにバディウ受容で「数学やんないといかんのかな」という不安はなきにしもあらず。
でも、数学素養無くても読めると思うよ。
ラカン通過したハイデゲリアンとして読めば筋はわかりやすい。
とりあえず論理学を一通りやれば条件はクリアじゃね
>>352 君、ほんとにバディウ読んだの?
ギリシャの存在論を集合論の形式で解釈しなおしていたりする
わけで、集合論がわからなければ何も読めない。
サイエンスウォーズ以降なので、ドゥルーズのような感じではないよ。当たり前だけど。
とりあえず集合論じたいはきちんと運用している。
なので、軽く集合論勉強してから読むことをお勧めする。
サイエンスウォーズ以降って……
存在と出来事の刊行年を考えろよ
四谷の自演が正月で静まった事はありがたいが、学者(の卵)の皆さん、あまりやりすぎるとリアルに特定されますよ、狭い社会でしょ?w
石岡乙
パディウがどうの書いてるのは前スレで代数幾何の話をしてたヤツね
東スレからの流入に乗っ取られ石岡ナミダメw
もういっそぜんぶ石岡でいいよ
>>356 ん?
狭くないぞ。別にバディウ関係の研究やっているわけじゃないし。
そもそもバディウなんていかがわしいの研究されているの?
まあ、美術屋は特定される程度に狭いみたいやけどな。
古谷んは、認知科学や生物学を勉強したほうがいいと思う。
視覚理論とか脳科学では進んでいるし。
>>360 勉強したからタイトルに脳とか付けちゃってるんでそ
やれアフォーダンス、進化論、生理科学をデザイン・建築ではなく「近代美術」に活かすのって、
まだまだ難しいというか、ある程度の飛躍を伴わないと難しい気がするけど、あれかな。
現状、フルヤンがグリンバーギアン特有な「主観の言い逃げ」が癖づいちゃってるから、
ひとまず主観を語る前段階として、フィジカルなものの素養を積めってぐらいの話?
>>362 >アフォーダンス、進化論、生理科
何も知らないようですね、分かります。
「ニューロ・マーケティング」で検索してみ。
ピカソの絵を成分分析して脳のどこがどのように反応している、とか
それが他の抽象画家とどの程度異なるとか、結構アメリカ
などではやられています。英語で検索すればペーパー見れると思う。
クオリア(笑)
>>338 亀だけど、むしろ漫画研究の界隈においてこそ老害。
吉田戦車を「キャラクターが可愛いからウケただけ」と一蹴。
褒めるも貶すも作品のシナリオのみに依拠。
たまにグラフィックについて語れば、
「男組」が「漫画におけるバロック」だとか、
花輪和一が「マニエリスム」だとか、
知りもしない美術用語の乱用。
現代思想を用いる若手の漫画論者は、
“いつもの”やり方でひとまず叩いておく。
>>367 だろうな。重鎮と言っても、実証研究サイドにとっても呉は困った存在では・・・とか思ってた
>>363 なんか唯美主義の畸形化でしかないような気がすんだけど
一昔前のヴァーチャルなんちゃらとかのマイナーチェンジ
>>367 分かる。
でも呉みたいなのに心酔してしまう哀れな奴が一定数いつも
いてさ、まあ浅田彰に心酔する馬鹿がいる限り同時発生して
しまうものだからしかたない。
呉、山形、唐沢というラインは、古谷んの最大の敵となりうる。
>>363 よく知らんけど、ニコラス・ハンフリーとか、ピンカーみたいな脳機能論との接合なのかな
>>363 ほえー、ニューロ・マーケティングは知らなかった。
ただ、ググって軽く調べてみた感じ、
アフォーダンスとかの範疇に余裕で収まるような…。
やれ丸いとどうとか、この色を用いると脳のどこが反応するとか、
そういう方法でもピカソなり過去の巨匠の絵を分析して、
やっぱすごいねーみたいな話をすることはもちろん可能だけど、
その分析手法自体は、やれデザインや建築のように、
文化や世代を問わないような、普遍的な理解・実用を前提としたものであって、
一方、モティーフや額の形なんかに、高度に凝縮された意味を見出すような、
(形式主義的な)読解を前提とした近代美術に、脳だの進化論を
適用させるのは難しいんじゃないかって、そういう話なんだけど、あれかな?
ニューロ・マーケティングってそれすらもクリアできるもんなの?
山形は稲葉と同様のケインズ的経済政策云々を語るタイプの、
政治性のある意味で無い人ではあるが、
呉、唐沢よりいいものがあると思うわ。
ある種の世界的視野みたいなものはあると思う。
ただし、なんていうか、文明論が好きな人なんだが。
>>371 いや、ふつうに神経科学系。
ペーパーもたくさん出ているから英語でそれらしい検索してみればわかるよ。
ところで、
呉智英は、論客として使命は果たしたんじゃない?
インテリ大戦争とかインテリがいなくなった今じゃ通用しないロジックだしね。
マンガ評論は先達として偉大。
375 :
371:2009/01/03(土) 22:12:18
>>372 >一方、モティーフや額の形なんかに、高度に凝縮された意味を見出すような、
>(形式主義的な)読解を前提とした近代美術に、脳だの進化論を
>適用させるのは難しいんじゃないかって、そういう話なんだけど、あれかな?
俺もそこで疑問になるなあ。
もちろん、美術読解が秘教化しちゃいけないとは思うけど、そう簡単に適用できるのかしらと。
東スレの住人に完全に乗っ取られたなw
いつも思うが美術作品が言論から抜け落ちている
日本の批評の悪いところだがそれでまったく支障がないのも日本の特徴
>>374 >マンガ評論は先達として偉大。
俺はその軸すらよく見えなくてさ、
漫画評論で生業を立てる枠を定着させたという感はあるが、
偉大さがどうも見えてこない・・
>>376 良くも悪くも、美術とは疎遠な人でここにくるのが多いからね
そこに「お前ら美術作品挙げろ」をいくらコールしてもあまり効果はないと思われ
>>378 同感 いつも(現代)美術は埒外という人の方が鋭いし反射神経いいんだよね
現代ビジュといえば木村や福住だもの 歪んだ言論状況だよ
そこで平倉&石岡ですよ
東スレの連中はアキバ行ってオナニーでもしてろ
382 :
378:2009/01/03(土) 22:29:24
>>379 そこを急速に東以降の文脈に接合しようとしているのが黒瀬なんだろうけど、
もうちょっとやるべきことがあるような気がするね。
批評言説の領域ごとのバラつき、差が酷くなってて、そのあおりを食らってる状況であり、
したがって「いや、美術批評としてやらないと」とスレで言い続けるあなたのような姿勢は
やはり必要なものではあるんだろうな。
「やらないと」とまでは俺も思うが、その後まではできないな。
不意に到来しますからね、美術というのは。
ニューロ・マーケティング。いいじゃないですか。
閉塞した言論状況を実証的に切り開く。
古谷んも脳に興味出てきたようですし。
384 :
371:2009/01/03(土) 22:31:43
対決するかたちで自説を整理・反省するという意味で否定的媒介にするという点も含めるならば、
そういうのもOKだろうとは思うね。
いろいろ接して考えましょうよ、と。
美術手帖の評論に応募すればいいと思うよ
そうすれば福住・木村・土屋の次世代になる
批評というか、漫画に対して一貫して趣味判断しかしてないよ。呉は。
漫画評論の主著である『現代マンガの全体像』だって、
作家や作品ごとに寸評を寄せ集めただけの本だし。
ただ、「文芸誌が漫画を特集する」という地盤作りに貢献したぐらいであれば、
否定のしようがないけど、それを尊敬しろって言われても、キツいでしょ。
呉のおかげというか、明らかに時代の流れだったわけだし。
唐沢は?
>>386 そのぐらいの評価だよねえ
なんで尊敬されてるのか、俺なんかには不思議だもの
60年代以来の左翼言説の一つのねじれた転向結果だと見なせば
すっきり立ち位置が整理できるのかなあ? ってぐらいの印象
だからスレで鶴見俊輔が言及されてるのは偶然じゃないんじゃないかと
んなこといってないで、さっさと脳調べればいいんだよ。
>『現代マンガの全体像』
これってたしかダヴィンチ連載だったよね。
初期だけはちょっと見てた。
書籍と並べて作品読解の文脈を作るといった短評スタイルだったけれど、
その文脈作りの背景そのものが、
>>386の言う「時代の流れ」、
>>388の言う「60年代以来の左翼言説の一つの」帰結となってると思う。
呉にかぶれる人ってそういう思想史がわかってない無知な若年層なのでは。
>>387 唐沢はヘイトスピーチに加担しちゃう奴だからね……
呉はそこまではやってない
唐沢は批評言説という意味では呉以上の論外であり、無知だと思う
笠井潔が最近唐沢を批判してたが、あの程度の潰し方でちょうどいいんじゃないの
唐沢はでも、弟が優秀だし、結構デカイ存在だと思う。
あの人いろいろ批判されているけど、相当面白い人でしょ。
オタキング、唐沢、呉、山形といったメンツが90年代以降の
文化批評のスタンダードになっているのは事実だし。
はい、オタク論壇スレになりました。
いやあ、
>>393は唐沢過大評価だと思うわ
彼の人気ってオタク内でしか通用しないレベルでしょう
岡田と同様、商品品質管理の目利きたるべし、
というオタクの振舞い方の規範になってて人気があるだけでは
たしかにそのへんが90年代以降の文化批評の軸を形成しているってのはある。
まあ美術手帳以外の分野で、だが。
でも波はきっと美術にも及んでくる。
山形とか粗雑なマッチョだけど無知な若者はきっとそのレトリックで美術界隈に
来るだろう。ああ、鬱。
>>396 おたく論壇はどうでもいいね
左翼言説と政治性という焦点から、
そのおたく論壇的現在という意味で唐沢・呉などが言及されただけであって
焦点は「どうすんの、政治性って」ってあたりでは
東スレは山形みたいなやつばかりだよ
工学がどうのとかそんな
>>399 じゃあ大塚英志はどうなの
新保守→戦後民主主義みたいな転向をしたでしょ
402 :
399:2009/01/03(土) 22:55:30
>>401 正直、大塚はあんまりよく知らん
が、彼の語る「公共性」って字面だけ言ってるだけのような、
発言とか読んでて「別にこいつ読む必要ないよな・・・」と思えてならない
しかし特にチェックすらしてないんで、詳細に突っ込まれても返答できない
>>400 設計主義ですね、わかります
おたくって俯瞰したがる病があるから、ああいう発想が好きでしゃあないんだろう
まあ東が左派を嫌うのは、思想的体質と合ってていいんじゃないの
アメリカみたいに芸術も脳調べればいいんだよ。
>>385 美術手帖の評論に応募すればいいと思うよ
そうすれば福住・木村・土屋の次世代になる
なりたくない訳だが。
審査員が松井みどりだっけ?BTってのはもう理解不能の治外法権だから。
>>406 そこだろうな、皆が抱えてる問題は。
なりたいやついねーよなあ、という・・・・
>>406 外から叩くよりは実効的な批判になると思うけどなあ
土屋はまだ終わってないよ
批評家になれるチャンスがあるなら、なったもん勝ちだよ。
たとえBTからでも。まあもともとは由緒ある賞だし。
唐沢にやけにこだわっている人がいるけど謎。
山形とオタキングはたしかに批評の枠組みを作った。
今後東派から批評は出てくるだろう。
美術批評もその波に呑まれていくだろうね。
オタクは空気読めないけど、逆にいえばしがらみがないってこと。
気づいたら、工学管理されないように。
本人見てたらごめんな。俺、土屋ってあんまり才能ない気がする。
文章力も観点も、なんか一本芯が通ってないというかね。突出した個性もなければ。
本人ずっとやってくつもりなんだろうけど、何か特化した強みを持つべき
>山形とオタキングはたしかに批評の枠組みを作った。
正直ピンとこねぇ・・・・
東の動ポモの先駆に大塚の消費論と岡田の技術発想がある、ぐらいの意味でなら理解できるが
ゼロアカ見てると当分は大丈夫そうだw
>>414 山形さんのサイト行って読めるだけテクスト読んでくればわかる。
批評というのは美術だけじゃない。
只今、オタク論壇と美術批評レスが激しく交錯しております。
読みにくくご迷惑をおかけしておりますが、今しばらくお待ち下さい。
ハイブリッドなだけです
419 :
414:2009/01/03(土) 23:16:18
>>416 昔よく読んだが、どういう意味でだろう
イノベーションとフリーやハッカー的行動の関係性とか、
それらとケインズ的立場のつなげ方とか
(それによる思想の軽視とか)、
ネグリ的左翼に対して嘲笑的に振舞うとか、ああいう感じのこと?
あとは、「海外シンクタンク経験」から作品をセンチメンタルに語るのがうまいね、彼は
批評なんて脳科学で全滅でしょ、最終的には。
>>416 あいつ尊敬しちゃってるの?なんで?
「ポモの人文野郎を罵倒してくれてる」みたいな動機じゃね?
呉の封建主義の新ヴァージョンにしか見えないんだが
いつだったか、このスレで「やっぱりマルクス読み直しからやった方がいいよ」
というレスがあったけど、それが大事なんじゃないかなあ。
福田和也のモリス論にしたって、結局、
労働から労働手段による疎外を抜いて、「手仕事」にしましょうって話だってことだし、
集団製作ってモリス・柳的な問題がもう一度突っ込まれる補助線として復活するのでは。
>>419 ケインズって君どれだけケインズ知っているの?
それによって。
まあいい。
山形さんは、思想を軽蔑しているんじゃなくて、
思想がない、の。
思想の効用を冷静に分析するタイプ。
あんな低レベルな脳科学で文学や芸術を語ってたのかよwってことになるんだろうな、将来的には
このスレ、久々に覗いたらえらい雰囲気変わってるな
行き場を失った美術批評家の卵の受け皿になってるのか?
なんか脳脳言ってるやつが一人いるね
無思想を標榜する人って、最悪の思想だぜ
>思想の効用を冷静に分析するタイプ。
そのことを言ってるつもりだったのだが。
冷静を装って分析するタイプだな
今日の議論から見えてきたのは、
・政治から逃げるな
・脳科学、認知科学など科学で批評は消える
・呉、山形などの反批評空間系の言論
・東派のオタクがどんどん出てきている
>>430 いや、半年とか一年前は売れない作家と美大生ばかりみたいな感じだったと思うんだ
434 :
414:2009/01/03(土) 23:27:20
>山形とオタキングはたしかに批評の枠組みを作った。
結局、この発言の意味がまったく明確にならんのだが。
「僕、岡田と山形に影響受けました」言いたかっただけ?
思想の効用分析、技術的設計、これって東に受け継がれたものだし、
原東的なるものだとは言えると思うけど、わざわざ二人の名を挙げてまで言うことなのだろうか。
>・脳科学、認知科学など科学で批評は消える
どこらへんからそういう結論を見出したの?
>>433 たまには気分転換も含めて、流れ次第でこういう話もしてみたかった人がいたってぐらいに考えよう
>>432は2〜4個目が検証バイアスかかりまくってるだろww
今お勧めの展覧会ってありますか?
脳脳言ってる人は、お手軽なところとしてBTにあった斎藤環と岡崎の対談でも読めばいい。
>>442 人文も芸術も脳科学でおkだから読んでもだめでしょ
>>434 影響を受けるなんて青臭いぜ。
ただ山形と岡田程度でしょ、マトモなのは。
逆にマトモな人っている?
よし、オナってから落ちる。
>>433>>440 ただ、一人ぐらい、前のスレにはいなかった「オタク論壇についてみんなどう思ってるの?」
という感じの人が来てるって感じはするね
他は、特に差は無いだろう
>>261の人が新しい人なのか否かは、どっちでもいいや
既出かもしれないけど、ダンボール一箱送られてきた仕事って、新人賞の下読みかな?
オナニーも脳科学でOKだからやってもしょうがないでしょ
>>443 茂木健一郎批判を取っ掛かりに、
「脳で美を語る? 現状の科学力からしても、
そもそも論理的に考えても無理だからw」
みたいな話をしてる。
いや、こういうツッコミは
>>443自身はわきまえているんだろうけど、
その背後にいるであろう脳太郎くんに向けて書いた。
論理的に考えても無理って?
茂木はたしかにアレだけど。
ピカソの絵をちょっと修正して、そのつど
被験者の脳パターンを定量的に測定して、
絵の成分と脳のパターンとの相関をとってやるだけで
面白いことがいえる。
ふふふ。
脳太郎はひとまず俺の
>>372に答えてほしいんだな。
>>457 その返しが本気で分からん
画家と会話してみればいいよ
459 :
453:2009/01/03(土) 23:44:30
>>456 君の批判はわかるよ。
要は、絵の技術的側面は分析できても、意味論的側面はできないってことでしょ?
でもできるんだよ。
意味論って、要するに脳内の辞書のこと。
ピカソの絵を見たときの印象と、他の文化的事象のときの類似度を調べればいいだけ。
頭の中で今、何の言葉を発しているのかさえ分かる時代だぜ?
いや、
>>453の要約はいくらなんでも乱暴すぎると思うww
茂木に対する評価:
クオリアは固有名論の言い換えであり、小林秀雄的トートロジーになる、
脳論について:
近代美術の転換点は、外界よりも身体内部感覚、脳内の生理的反応の重視があったし、
脳と目のチューニングってのもあるよね
こんな感じかな。岡崎はこれこれの脳議論が面白いとは言ってはいないが、否定してもいない。
精度的にまだ満足していないんだろうという意味で
>>453はそうまとめたんだろうけど。
>>454の言う相関の話は、面白そうだとは思うよ。
>>460 >意味論的側面
>ピカソの絵を見たときの印象と、他の文化的事象のときの類似度を調べればいい
俺はつい特異的圧縮はあるんじゃないかなあ、とか思っちゃうけど、
これは単にロマンティシズムなんだろうか・・・
いや、
>>460の言ってることは面白いんだけどさ。
>>462 何を、って事実関係をだよw
ノーベル賞受賞の利根川さんも文学を脳科学でやるといいって昔いってた。
>>461 岡崎がいっていることは、信用できない。
固有名論ってアメリカの哲学の話でしょ。述語論理という数学の分野があって、
それに基づいた話なんだよ、実は。数学。
脳内の生理反応は、印象派以降重要でしょ?
固有名論はクリプキだけじゃねーよ!!
レヴィナスも絡んでるから、大陸・英米どっちもやってるんだよ。
というか、クリプキの元ねたの一つはライプニッツの議論だよ
>>463 特異的圧縮って?
局所的に圧縮はされていないらしいよ、皮質全部にコード化されているみたい。
>>464 読まずに勝手に軽視してるだけか……
どうせあんたアニオタでしょ?
あの手の文化的事象はどうやって脳から見ていくの?
山形に関してガチでいえる事
それは奴がクローゼット・ゲイだという事だけだ
469 :
453:2009/01/03(土) 23:55:20
>>461 むしろ斎藤側の論旨をおおざっぱに書いたカンジ
470 :
463:2009/01/03(土) 23:57:09
>>463 要するに、ピカソで言うと、ピカソ個人特有の意味的な凝縮があるとか、そういう意味。
俺は
>>372の
>モティーフや額の形なんかに、高度に凝縮された意味を見出すような(形式主義的な)読解
というのを、作家や独特すぎる面白い読解者におきてる意味論的な側面があり、
それは一般化しにくいんじゃないか、という疑問として読んだ。
>>468 浅田とのやり取りはそこが一番の面白ポイント
>>465 クリプキって?
ともかく調べたところ、述語論理の話みたいだが。
ライプニッツはそれこそ脳科学派でしょ、今いたら。
>>467 あの手のって、別に君らの美術と変わらないよ。
むしろオタクのほうが単純な意味で量的に複雑でしょう。
まあ、アニメは物語だし解析は美術に比較してずっと難しいと思う。
完全に解析はまず不可能。
ヒトの人生全体よりも系が複雑だともいえるし。
それはまず絵や画像のヒトへの感性的な影響がどのように記述できるのか、
をクリアしていかないと。
おいおい、クリプキも知らないんじゃ話にならないだろ
474 :
456:2009/01/04(日) 00:00:56
なんかもう、反論するのもアホらしいレベルというか…
>>460 脊髄反射でほかの人たちが批判してくれてる様子だから、
俺は落ちるわ。
脳議論最初はおもしろかったけど、段々ペダンティックになってきたな
476 :
461:2009/01/04(日) 00:02:15
>>469 なるへそ、斎藤側の論旨では
>>453に近いね。
コンテクスト(「コンテクスト」は斉藤定義)は、経験の連続体の区切りで、
コンテクスト全体は不可視で、パターン認識とは異なり、情報量として扱えない
(したがって、暗に、脳科学でうまく語れないのでは、と言ってるように見える)。
こういうことかな。
>>363 偉そうかつスレ違いですまん。さっき投稿しようと思って静観していたけど、
終わらないようだから投稿する。
神経回路の実験屋からすればそんな研究はハッタリでしかない。少なくとも、
どこら辺が発火するかのマクロな観察はできるが、そんなものを観察しても
何のメリットもない。もっといえば今の技術力ではミクロでの分析はできな
い。大体ここが発火する程度のマッピングしかできない。つまり熱があるこ
とは分かっても、熱分子の運動は議論できないという意味で熱力学における
ボルツマン以前の精度の議論しかできない。
しかも、そうしたマッピングは脳という物理的な機構の解明に何の寄与も
果たしていない。
神経回路の実験屋が目指しているのは知覚に対応する場所を特定するなんて
チンケなことではなくて、思考と呼ばれるプロセスを物理的に基礎付けられ
るか否かという勝負だ。つまり物理学で、人間を全て解明しようという野心
だ。だから実験を作る。
猿が基数概念や序数概念を訓練によって修得することができるということを
、実験を通じて神経回路の可塑性から示した論文がある。この実験のすごさ
は、猿に基数や序数を教えることができるかという着想にあるわけだが、同
時に、数という思考の根幹をなす概念を物理的に基礎付けたという点にある。
まだたかが基数とか序数のレベルの議論しかできていないし、言語とか美や
倫理なんて100年以上先の話だろう。脳と言語、美、倫理なんて唱っている
やつは基本山師だ。相手にされない。
ニューロマーケティングとかにはまる前に、実験屋ともっと議論するといい。
もちろん、下條さんの研究がアウトだなんてことは俺は思っていないし、
物理学や実験を修めていない認知科学者は香具師だというドグマを俺が抱え
ていることも事実だが。
>>470 そりゃ、あるでしょ?
ピカソにとってのピカソの絵と他のヒトにとってのそれは別というだけの話。
ピカソが死んでいる以上その解析は出来ない。
ただ、今生きている人間にとってのピカソの絵の与える脳的影響というのは、
脳を調べれば分かるわけ。
ピカソの絵を、右半分修正したり、要素ごとに形態や色彩を変化させ、そのつど脳を調べれば、
分かる。というかすでにアメリカで何年も前からなされている。今後日本でもされるだろう。
脳科学君を相手にしちゃうのってどうなの?
とりあえず
472は巣に帰れ
>>477 やっぱ人文はしねとか思っちゃう時多いの?
>>472 ちょ、お前が
>固有名論ってアメリカの哲学の話でしょ
って言い出したから、そりゃクリプキのことだね、ってことで
クリプキしか視野に入ってなさそうだったから、
>>465でああ返したのに。
クリプキ以外にもいるのかどうかは俺は知らないが、
それを前提の知識のように語られては困る。
国内批評論壇で権勢を振るい、ラカン派(ジジェク)から東にいたるまで
多くが語っていたのはクリプキについてだよ。
背景にはレヴィナスをめぐる気分みたいなのもあったかもしれないけど。
つうか
>>478みたいなこと言う奴をまともに相手にしちゃ駄目でしょ
ねえ、東スレからこんなところに来て何が面白いの?
485 :
453:2009/01/04(日) 00:08:09
>>476 俺もその美術手帖を本棚から取り出しかけたけど…
いや! そういう真摯な議論をするまでもなく、
神経系の実験や構造解析によって、意味論やコンテキストが記述できるわけがない、
脳科学から演繹して、チェスマシーンのごとく、セザンヌをコピーできるわけがない、
とか、これぐらい当たり前な話でいいんじゃね?
脳科学が有効に使える場面もあるだろうが、すべてが脳科学でOKなんて短絡的すぎる
>>477 それはわかっているよ。
でも、山師呼ばわりはどうなの?
化学だって量子論の言葉ですべて原理的に記述できるけど、
実際は違うわけで。現象論的にやっていくのも大事。
>>482 哲学はどうでもいい。
大事なのは述語論理という数学が議論の出発だということ。
岡崎はそれを理解しているのか、ってこと。
読んでもないのに、「哲学はどうでもいい」w
>>477 俺は門外漢もいいところなんで、そうなんすか、としか返せないけど、
>今の技術力ではミクロでの分析はできない。
>まだたかが基数とか序数のレベルの議論しかできていないし、言語とか美や
>倫理なんて100年以上先の話だろう
やっぱ今はそういう段階なのか。
十川も「脳科学と精神分析の交差は今のところ、既存言説の焼き直しを
脳科学用語でアナロジカルにやってる水準が多い」と言ってて、
楽天的な脳科学賞賛はしてないね。
ニューロマーケティングって、ドゥルーズを脳科学で接収して、山師が吹いてるのかと思ってた。
ロジックを数学に入れるかどうかは言葉の問題に過ぎないだろ
哲学を軽視しすぎだなこいつ
十川の講談社メチエって面白いの?
もう脳科学はいいよ、、美術作品との学際的ブリッジにしたってここにいる全員素人なんだからw
古谷スレへと滲み出す脳―俗流理系の論理 (¥2,730 税込)
批評における作品の不在
おまえらの議論から言えるのはこれだけ
497 :
461:2009/01/04(日) 00:17:55
>>485 >>477の意見を下地にして言うならば、
つまるところ、脳科学から意味論まではいきなり飛躍できないのでは、ということだね。
俺もそういう感じかなあ
もういいんだよ!!失せろボケ!!!
脳太郎君はスルーでもういいや
>>491 いや、哲学はよう知らないんでね。
重要なのは、述語論理を岡崎が理解していっているのかってこと。
実はマスターしてないでいっているのかな、と。
それだったらいかがなものか、と。
まあおれも述語論理はやってないんだけどw
ただエラソーに評論する奴おりますでしょ。
そういうヒトがどこまで勉強家なのかなーと。
ome-yoka benkyoka da
しつこすぎ 正月にむなしくないのか
>>502 www
>ただエラソーに評論する奴おりますでしょ。
そういうヒトがどこまで勉強家なのかなーと。
脳はもういいから、政治性の話は大事だよ
と言って俺は寝る
左派と右派のそれぞれの発言と脳状態を比較すれば色々分かるんじゃねw
お正月は政治性もいいけどカレーもね。
>>354にかんして言っておくと、別にバディウの議論は集合論を経由したものばかりではない、と付言しておく。
ハイデガー〜ラカンである程度読めちゃうだろう。
『世紀』にしたって『ドゥルーズ』にしたって『悪について』にしたって
その種の論はあまり言及されて無いように思う。
「それだけでは見えない視角があって、これこれの議論をするためには」というのならまだ理解できるが。
>>507 それはすでにアメリカでやられているんじゃない?
冗談に付き合ってはならないw
古谷んが、脳というから、脳の話題が出てるだけでしょ。
当の古谷んが脳というんだから、脳科学君がきてもおかしくない。
滲み出していくわけでしょ。
もう岡崎、樫村なんていってられない、ってことでしょ?
512 わたしはダリ?名無しさん? sage New! 2009/01/04(日) 00:37:57
冗談に付き合ってはならないw
>>502 固有名論って別に述語論理に基づいて ないけどな。
propositional modal logicの完全性とかはクリプキ
証明してるけど。名指しと必然でも、述語論理の話
とかほぼ出てこないし(補足でquantified modal l
ogicにおけるスコープの問題とかうんぬんしてるけ
ど)。ライプニッツの話も不可識別者同一とかの議
論で出てくるだけで。基本は読めば分かるけど、
ミル/フレーゲ/ラッセルの話。
岡崎氏はカラタニの「探求」シリーズを議論の前提
にしている。したがって、別に述語論理の知識は必
要ではない。なぜなら、日本における議論文脈を前
提にしているからだ。文脈ってやつね。
あと、さっき山師とかいったのは悪かった。茂木さ
んみたいな人は必要だよ。税金利用の説明責任を一
手に担ってくれているしね。
ところで、古谷氏の単著ようやく読んだ。面白かっ
た。ただ、フリクリの話が一番面白かったというの
はこの板的にあれかもしれんが。。
>>513 その話は、本の表紙の模様が脳っぽいということで結論が出たはず。
あのフリクリ論はがっかりだった
オタクとサブカルの対立図式に寄りかかりすぎている
>>515 >税金利用の説明責任を一手に担ってくれているしね。
たしかにその効用はあるんだろうな・・・
>岡崎氏はカラタニの「探求」シリーズを議論の前提にしている。
意外にフレーゲ、ウィトゲンシュタインあたりはじっくり読んでるんじゃないか
と妄想はしてるんだが、あまり確証が無い。
岡崎はヴィトゲンシュタイン好きでしょ
映画撮ってるし
過去スレでウィトゲン〜クワインで岡崎を考えちまおうぜって提案されたこともあったね
脳じゃなくてマルクスに滲み出せば面白いのにね。
古谷はアンチマルクスだろうな
じゃあ何を肯定しているわけ?
自分の脳? イメージは測定できる。
実際脳波でもいいからいっぺん測定でもしてみたら、楽しいだろう。
ロバート・モリスだな
今の樫村はマルクス読んでねえの?
ダメだ、このスレッドのヒト。
山形も理解できてないみたいだし。
頭が凝り固まっている。
>>525 古谷は樫村からヘーゲル・マルクスを抜いてる
>>526 山形は「理解」しちゃだめだろ
そういう解釈は文化左翼の仕事w
脳科学君=山形信者という認識であってる?
結局、
>>412の
>>山形とオタキングはたしかに批評の枠組みを作った。
に対しては「読めばわかる」(
>>416)と返し、
じゃあこういうこと? と
>>419>>434と返された返答が
「マトモ」という断言のみで(
>>444)、
挙句の果てには説明放棄の上に人を罵倒するってどうよ
>>527 同感。ヘーゲル/マルクスの系譜に取っ組み合ってると、
樫村がラカンからヘーゲルに舞い戻ってる云々の発言には、
もうちょっと介入できてもいいはずだし、突付きようがある。
マルクス抜きの樫村は単なる脳科学もどきなんだよね
>>532 そうだね。
>>301の指摘で、ア、たしかにそうだわ、と思ったけど、
古谷はドゥルーズの脳論の気分から樫村脳論に刺激を受けていった、という順序なんだと思う。
>>531 おまえ大丈夫か?
ラカンとか・・
つソーカル
気取って言説界に通じているつもりやろけど、
言論界なんて芸能界と同じで、意味はないんだよ。
今からでも数学でもやったほうがいい。
読まないで知ったような顔してる馬鹿はどうでもいいよ
ソーカルによる批判ってマテーム云々の後期ラカンだろとか5行ほど書きかけたが略
きりないわ
でもバディウの人も、
ドゥルーズがソーカルにやられたと思っちゃってるみたいだから、
そこは脳科学君と大差なし
脳科学君こそ人文系に対する科学用語の乱用じゃない
山形の朋友の黒木はポモだけでなく、ちゃんと茂木みたいなのも批判してるよ
ラカンのマテームは、
あれを出す事自体が精神分析過程に組み込まれてるから本当はやっかい
>>536 俺は
>>354とその前の「政治的バディウは重要」の人は別人だと思った。
主旨や関心があまりにあそこで飛んでる。
354が=脳太郎かとも思ったが、哲学嫌悪ぶりからして、また別人なんだろうな。
ここだけの話。ソーカルは、実は、間違っているんだよね。
まあ、アメリカのポモは論外として。
ソーカルがラカンやドゥルーズを批判しているが、
「それは科学用語として定義が間違っている」といっているだけ。
ラカンが、コンパクト性を定義する有名なくだりがあるが、
「それは数学でのコンパクト性と定義が違っている」といっているだけ。
しかしラカンは医学部卒でしょ?当然、微積分は知っているわけだから、
まず、コンパクトの概念も知っているわけだ。
コンパクト性という数学の定義は、ラカンも知っているわけで、
単純に別の意味で使っているだけ。
まあ衒学といえば、そうかも。でも、彼の心理論は面白い仮説が多い。
>>538 その構造を鋭利に突いたのが十川だと思ってる
>>540 別の意味で、言ってるってのはもう、ラカニアンにとって周知のことだったからね・・
ソーカルの批判でダメージ受けたラカン読者って実はそんなにいなかった。
十川は臨床的経験から切れて超越論化してるって意味でマテームあたりを疑問視してたと思う。
つまり理論と経験のフィードバックの完結性が酷くなってるというような感じかな。
>>538 嘘つけ。マテームとかほんまは知らないんでしょ、おたく。
精神分析に組みくまれているってどっかで読んで、
とりあえず言っておくか、と書いているだけやろ?
しかし、マテームw
トンデモもここまで行くと、立派だよ。
将来ラカン理論は、20世紀のトンデモとして唐沢みたいな
奴に批評されるだろうな。
>>543はいいから黙ってな。
>>538が言ってるのは
「[ラカン理論を批判するかたちでマテーム概念を]出す事[を経由して議論すること]自体が
[ラカンの教育分析ツールとしての理論化というラカン派特有問題である]精神分析過程に組み込まれてる」
から批判の経路がいろいろ面倒だって意味だろう。
お前は本当に何も知らないんだな・・・・
もうこれあれだね
通報しておくよ
トンデモ大集合ですね。
ラカンみんなで渡れば怖くないですか。
・・・いや、待てよ。
おたくら、精神分析関連のヒト?
精神科はとうの昔に生物系になっているはずやけど、
まだちらほらいるみたいだから、樫村経由でこのスレ
にいてもおかしくない。
それこそ精神分析はいの一番に脳科学へ還元されるぜ。
フロイトがそう願っていたしな。
たしかに超自我みたいなのはある。
でもそれは18世紀の磁力みたいなもので、下手に体系化
すると危うい。
クリプキをそのまま表象理論に持ち込もうとしている奴の馬鹿さ
>>545 解説ありがとう
そういうことです
精神分析がいわゆる学問とどう異なるのかを考えることは、
批評言説の意義を捉える上で興味深いと思うんだけど、
十川は芸術に疎いし、斉藤環はそのへんいい加減な気がしてならない
まさか唐沢スタイルで「トンデモ」呼ばわりすれば済むと思ってるのか……
本当に読まずに語る反面教師みたいなこと言ってるなあ
十川自身がラカン内部からのラカン批判の急先鋒なんだが。
誰もラカンなら臨床OK! みたいなこと言ってないだろう。
さらに言うと、フロイトにおける生理学的関心云々は十川自身、
新著で議論してて、本当に勉強家だよ。脳論までかなり読んでるらしい形跡が見られる。
臨床的にもビランやクラインなどもよく読んでるみたいだし、ラカン一本槍では全く無い。
ヘーゲル・ハイデガー近辺の問題としてのラカンの議論は
明らかに臨床や精神医学の問題とは別箇。
で、樫村もそういうタイプの人だし、つながってはいるんだよ。
ラカンなんて知る必要はないですよw
時間は有限でしょう。せきたてられたほうがいいですよw
ビラン?ビオンっしょ
メーヌ・ド・ビランも面白いけどさ
554 :
551:2009/01/04(日) 01:34:43
>>553 そうだった。福本修が訳してるね。
書き込んだ後、なんかおかしいな、と首をひねってたところだった
何をどういおうが掲示板ルールに反している輩のいう事に意義はない
人文科学は無条件に嘲笑できるって考えなんでしょ
さっきいた本職の科学者にそのへんの見解を聞きたいところだね
>>551 そもそも十川って人誰なの?
いつのまにか議論に入ってきているけど?
このスレ何かどういう奴等で構成されているのかよう分からない。
脳科学君と山形厨とバディウ厨と分哲厨と精神分析厨と
常連の美大系と東スレのオタク?
今通報してきた
551はアク禁くらうまでガクブルしとけ
562 :
545:2009/01/04(日) 01:39:44
>>549 >批評言説の意義を捉える上で興味深いと思うんだけど、
>十川は芸術に疎い
(斎藤は無視してるからノータッチにしておく)
十川はそこまでやってくれないでしょうね。
読む側がかなり換骨奪胎して議論を接続するしか手は無いと思う。
>>494の真意はそこです。
難しいけどね・・・・
バティウ=山形=脳科学=述語論理君が全部同一人物だと仮定して。
間違ってたら、すまん。
山形だのソーカルだのといった名前を挙げて自身の主張を正当化する
のは弁論としても低級だし(アリストテレス「弁論術」)
、いわんや君の好きな科学とか数学において不可欠なはずの推論行為
としては虚偽なわけだが。
数学やら脳科学やらに君が興味を抱いているならば、同程度の興味関心
を批評なり美術なりにも注いでみて、それから「やっぱり数学できなき
ゃ評論は無理」とか言ってみてもいいんではなかろうか。だめかな?
その場合には、数学やら脳科学の最低限の教養が批評や評論の必要条件
であることを示さないとだめだ。めんどくさそう。俺にはできない。
批評なり美術なりに興味がないならば、こんな辺鄙な場所に来る必要は
ないし、興味があるならば、それなりのリスペクトを払うはずだ。たと
え批判するにしても。愛のあるディスになるはずで。
たとえば、バティウなんて、エピステモロジー的にはかなり怪しくて、
ドゥルーズの方が全うだという主張をする人もいる。名前は挙げないが、
若手で、論理学や数学を学んだうえで、ドゥルーズがどうして数学に興味
を抱いたかをきちんと論じている人もいる。観点が変われば、こうも評価
が変わるということの一例。数学も科学も万能ではない。いわんや哲学や
批評をや。それぞれの領域で、それぞれの問題関心を進展させているわけ
で。クロスさせることはとても大切だけど、クロスさせるには誰かと組ん
だり、あるいは人の2倍の勉強が必要になる。ぜひ頑張って欲しい。なん
か、説教じみててすまんね。とはいえ、俺もラカンはわからん。ミレーユ
とか追っている暇もないし。やっぱ、ラカンわからんと古谷氏の議論の半
分もわかんないんだよね。。orz
>>561 電波はこの辺でしょ
脳科学君と山形厨とバディウ厨と分哲厨
東スレにうずまく魑魅魍魎
565 :
551:2009/01/04(日) 01:43:50
まさか俺が通報される流れになるとはwww
ラカンを用いてる古谷のスレッドで俺が通報されるとは思ってなかった。
>>557 精神分析絡みの話は過去スレでも何度か出てたよ。あなた
>>425=
>>433の人?
脳科学君=山形厨で、バディウの人は今書き込んでないだろう。
分析哲学の人は前にもちょっと書いてた、基本ROM専の人じゃないかね。
脳太郎が酷いんでつい書いたってところではないか。
保坂の小説を脳科学とか認知科学とかで読み解くのも面白いでしょ。
彼は科学ファンだし。
作中の概念や要素をグループ化して、扁桃体あたりの血流量を
調べるだけでも面白いことがわかりそう。
石川さんは、「まったりしているのが保坂の小説」と主張しているけど、この
仮説を検証してみるとこからスタートとか。
>>563 今日一日の300くらいのレスの中で一番まともなレス
十川はいまや引退気味の赤間と組むべきだと思うんだ
>>565 こんだけ渾然とすると誰が荒らしか分からなくなったんだと思うよ
荒らし通報はコテでないとレス番で特定されないはずだから安心していいと思う
>>566 同意。
文芸批評も仮説を形成する科学であることには変わりないわけで、
仮説を立てた以上検証が出てくるのも当然なんだよね。
これまで道具が整わなかっただけの話。
572 :
551:2009/01/04(日) 01:50:26
>>563 >若手で、論理学や数学を学んだうえで、ドゥルーズがどうして数学に興味
>を抱いたかをきちんと論じている人もいる。
ああ、いるよね。興味深い人だと思う。
>とはいえ、俺もラカンはわからん。ミレーユ
>とか追っている暇もないし。やっぱ、ラカンわからんと古谷氏の議論の半
>分もわかんないんだよね。。orz
なんで古谷に関心もってるんだろうなあ、と若干疑問だったんだけど、
ラカンで引っかかっちゃうだろうね・・・・
そのドゥルージアンって誰?國分?
>>567 まとも、じゃなくて、自分が「一番落ち着く気分になるレス」なだけでしょ?
不良とケンカして仲直りという。落ち着く、という。
バティウ=山形=脳科学=述語論理君が全部同一人物
多分そうだと思う
元の住人が戻れない場所にしてしまったね。
576 :
551:2009/01/04(日) 01:54:33
>>573 ちがうちがう
だけど、あなたがドゥルーズをめぐる研究論文をある程度追ってるならわかる。
その程度には発表してる。
彼は2ちゃんで言及されるのをちょっと嫌がっていたっぽいし、
かつてドゥルーズスレで最初に言及してしまった俺としては、
申し訳なくて実名を出すわけにはいかんわ・・・。
俺は
>>563の意を汲んで名を挙げずにしておく。
577 :
551:2009/01/04(日) 01:56:01
>>575 そうかなあ・・・・
俺は中原や中上を政治的に読解しようというあの感覚を脳太郎には感じないなあ
>>572 興味深いというほどのものでもないでしょ?
ドゥルーズなんてもうそういうアプローチでしかダメじゃん。
哲学は、分哲へ移行するか、カントとかをチマチマやるしかない。
やっぱ今後は、脳科学じゃyない?俺は脳科学君じゃないし、
文化現象は、脳科学で記述できないだろうと思っているけど。
(まあ、絵画あたりは解析できそうだが)
脳インターフェースの開発で、直接信号送れるようになれば、
芸術も新しい形態になるだろうし。
>>576 じゃあ最後にヒントをくださいな。
D&Gの現在か現代思想2008年12月号に書いてる?
581 :
551:2009/01/04(日) 01:57:43
>>578 フランス・エピステモロジー以来の歴史の再検討という意味では俺にはとても興味深い人だよ
>>574 まとも、じゃなくて、自分が「一番落ち着く気分になるレス」なだけでしょ?
不良とケンカして仲直りという。落ち着く、という。
今日初めて書き込んだけど?
ある意味おまえのこのレスが「一番落ちつく気分になるレス」だな。
なぜかは言わないでおいてやるよ。粘着されても困るし、もっとお前もここで発散したいんだもんな、何時間はり付いているかしらないが。
583 :
551:2009/01/04(日) 01:59:31
>>579 もうバラすのも同然になるが、前者に書いてる。
ようやく基地外就寝か
12時間で300以上伸びたか。
なんというかあれだな。
良しも悪しも、ここにいる人たちは別にフルヤンじゃなくてもよくて、
ただ現代思想と美術との接点に関するスレがここ以外ないから、
たむろってる感じなんだろうな。
フルヤンも災難だろうに。
>>586 そうでもないよ
日記更新があれば普通に古谷スレです
今日は久々にしろいろさんが復帰したのと、脳科学君が東スレから乱入してこんなになってる
おそろしく浅いスレになったな
ピカソと脳とか、古谷が好きそうなテーマじゃね
>>587 東スレがカオスになってるからだろ
過疎スレのほうが議論しやすい
議論、だったのか?
昨日はこのテンプレ主が乱入したんじゃね
タレス(最初の哲学者であり、数学者でもある)
「幾何学知らぬものこの門より先入るべからず」
プラトン
「数学を理解しない人間に哲学はできない」
ライプニッツ(微積分の生みの親 解析力学の祖 運動エネルギー概念の父)
「形而上学への道は数学の原理的考察からはじまる」
デカルト(デカルト座標の生みの親 運動量概念の父)
カント(ニュートン力学の崇拝者)
ヘーゲル(曾孫がルディ・ラッカー。法律と数学の知識は当時のトップクラス)
フレーゲ(プール代数から哲学を開始。ヒルベルトに衝撃を与える)
「哲学は数学よりも手ごわいので、数学で悲鳴をあげてはいられない」
ラッセル(プリンキピア・マティマティカ「数学の原理」の著者)
フッサール(元数学徒。後年ゲーデルが崇拝する)
ベルグソン(元数学徒。特殊相対性理論批判は有名)
「生化学の進展で、(人文的)人間の定義は終了する」
ハイデガー(フッサールの弟子であり師の数学概念の検討から出発)
ウィトゲンシュタイン(元工学徒。分析哲学の父)
タルスキ(哲学では、真理関数意味論の父 数学では、バナッハ=タルスキの定理)
クリプキ(様相論理の完全性定理の証明を高校のとき行う。後年、柄谷や宮台、東に影響)
「文学者の文学論ではなく、機械論者の文学論へ」
ドゥルーズ(腐っても仏のエリート学校出身。ソーカルに批判されるが、ソーカル自身も正しく読めてないとも)
アラン・バディウ(ジジェクと並ぶ仏のエリート。代数幾何での仕事も トンデモ?だがそれがいい)
なんかすげく権威主義的なパッチワークまとめだな
それこそエピステモロジーでも復活してもらいたい
金森とか赤間に続く人が出ないからねえ
学者として小さくまとまっちゃってる人ばかりで
ネット言論だと、実証史学か非歴史的な科学主義が目立つ。
科学史や哲学史に関わるようなエピステモロジーは蔑視されている
分析哲学における認識論で事足りるって割り切った奴が多いんでしょ
当のフランスもほとんどそうなってる
>>596 金森はエピステモロジーから知識社会学的な英米系科学論に転身しちゃったし
赤間はダゴニェ師事していたような来歴から(さらにはラカニアンとしての立場からも)遠くなっちゃったし
これという人が欠けている感は否めない
つつき方しだいではとっても面白い領域だと思うんだが
>>599 金森は(特に後期)バシュラールを嫌っちゃったのが痛い
物質的想像力を煮詰めていけば面白いのに
科学プロパーじゃなくても
と無知がいっています。
偉そうなこと言う前に自分も勉強しよう。
偉そうなのはあなた
揚げ足取りは無視な
605 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/04(日) 20:01:51
今や、浅田君も中沢君も美大教授というのは、どうしたわけかな。
中沢君のために東大を辞めた人までいたとおもうのだけど、
果ては美大教授、しかも怪しげな芸術人類学ということでは、中沢君としては申し訳なくはないのだろうか。
科学主義のウイークポイントが芸術ってことでは
607 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/04(日) 20:06:58
で、詐欺師が芸術に逃げ込むということ?
芸術が詐欺だと思ってるならそれでいいんじゃないですか
「話を大きくすれば、20世紀の半ばぐらいに、ひとは無意味なものでも感動できるのだ、
文化とは結局脳の生理的反応のことなのだ、というパンドラの箱がひらかれてしまった
んだ、と思います」
東浩紀
巣に帰れ
脳厨は誰にも相手にされなくてここに来た
ここでも相手に去れないから自演してるだけ
>>605 給与待遇で釣られたんだよ 全入時代・倍率低下で美大が一点豪華主義の買い物をした
614 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/04(日) 23:54:07
>>613 今や、豪華ではないのではないでしょうか?
中沢にいたっては、他にどこにも行くところがなかったという話もきいています。
でも多摩美はすっかり中沢仕様になった
617 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/05(月) 00:20:55
>>616 >でも多摩美はすっかり中沢仕様になった
、具体的にどんな具合ですか?
建畠派の追放
619 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/05(月) 00:32:33
なるほど、
参考までに、
建畠派って、具体的に誰のことですか?
現代美術系の人たち
典型的なサブカル連中のスレになっているなあ。
そうやって蔑まないでロジックでやっつけないと
いや、ロジックでしょ。メタ・ロジック。
仕事始め疲れた
なんか荒れてるねw
今日から散歩始めかな
626 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/05(月) 18:11:12
>>540 でもさ〜。ドゥルーズの数学は酷いよ。ありゃ、そーかるに
やられるのももっともだね。そーかるは、それほど批判して
ないけどな・・。ま、ラカンのは数学じゃないし。がたりほ
どとんでもないか?
えっとね・・微積?そんなんで数学とかいってるやつがいるの?
うぅ〜ん・・・現代じゃない・・としかいえない。。。
もうその話題終わったからw
美術と絡めて話して
最近の画家でいい人っているの?
マルレーネ・デュマスとかああいうのが多いけどさ
内海聖史はどう?
和風のセンスが云々みたいな売り方ができそうかな
元の住人はあとかたなく消えたな
消えてない
300レスの時にしろいろもいたし
元の住人てどの辺りまでをいうのか
初代スレを立てた俺は今もいる
>>626 一応つっこんどくか。
ソーカルとやらの権威借りなければお前は何も語れないんだな。
お前がカスだと思っているドゥルーズとやらに粘着して何か生まれるのか。
数学科の学部生程度のトリビアルな知識で数学徒面してて恥ずかしくないのか?
2chなんて見ずに勉強しろ。カスが。
636 :
633:2009/01/06(火) 00:43:45
俺も初代からいる緩いヤンフルファン
ぶっちゃけた話、古谷も含めて、まともな美術の議論はネットに出ていないんじゃないの。
ネットに出す必要があるかどうかわからないけど、
内輪でまとまりつつ、みんなそれぞれ自分たちが一番アタマイイと思ってはいそうだ
このスレでも感じるけど、ネットのコミュニケーションにそもそも否定的な奴が大杉
>>631みたいな人、すぐに沸くねここのスレ。
具体的に何スレ目のこれこれといった話題が見たいと言えばいいのに。
きわめて漠然とした牽制で、「で?」という気になる
>>635 まあまあw。そう頭にこないでw。血圧あがるよ〜おじさん!
おじさんも、ソーカルくらいの算数がわかるようになろうね♪
>>640 そんな神経質になるな
たんに住民層を探りたいだけだろ
このスレレベルがひどくなった
2ちゃんでまともな話なんかできるはずないんだな、やはり。
お気に入りのナオコーラが芥川賞候補に選出。
良かったねフルヤン?
年末に古谷が下読みのバイトをしてたっていうアレか?
小説読んでお金もらえるなんていい仕事
とても小説とはいえないような「小説」ばかりだぜw
新人賞に応募するとフルヤンにバレるの?
素読みって苦痛だと思う
小論文採点をやったことあるが死ねた
フルヤンが新人賞に応募したことあるのもバレてる
下読みって新人賞じゃなく文学賞?
結果的に古谷の目利きは証明されたのか、単にこういう流れを知っていて乗っかっただけなのか?
ナオコーラって面かねあれは
aquiraxみたいだな
古谷は目利きじゃないと思う
10年選手の柴崎に、もう芥川賞(一応、新人賞)は無理と判断して、若いナオコーラに乗り換えた格好
古谷もワルい男だなw
しかし、結果的には鹿島田真希か津村記久子が獲りそうだ。
>>656 編集者?
ヤンフルも完全に文芸界の人間なんだな。
まあその方が現実(金)なんだからしょうがない。
もう絵も手慰み程度になるだろう。
こちらからの忠告も虚しいだけだ。
だって絵についての文章が一番硬直してるんだもの
ここのスレにいるような人になら紹介したいと思うブログをたまに見つけても
ここの住人がどんなコメントをするか不安になり
下手に紹介すればしろいろのようにこちらが特定されたり揶揄されかねないと思うと
とても紹介できない
こうして俺が紹介をやめるような流れで
このスレはただひたすら閉じていったんだろうな
それは自意識過剰ってものだよ
自意識過剰はそのとおりにせよ、ここでそのブログが悪く言われ
本人乙的連鎖になるのを想像すると、紹介できない気分になるのは避けられない
研究者じゃないタイプのブログならより一層そうなる
このスレきもいね。
本人乙を一度受け入れれば楽になるんじゃないの
大学で学んでる分野と平均IQの関係
http://motls.blogspot.com/2006/03/iq-in-different-fields.html IQ 分野
130.0 物理学
129.0 数学
128.5 コンピュータ科学
128.0 経済学
127.5 化学工学
127.0 物質科学
126.0 電気工学
125.5 機械工学
125.0 哲学
124.0 化学
123.0 地学
122.0 生産工学
122.0 土木工学
121.5 生物学
120.1 英文学
120.0 宗教学/神学
119.8 政治学
119.7 歴史学
118.0 美術史 <−−−−−−
117.7 人間学/考古学
116.5 建築学
116.0 商学
115.0 社会学
114.0 心理学
114.0 医学
112.0 対人コミュニケーション
109.0 教育学
106.0 行政学
米国事情はあてはまらんよ
英文学に優秀な人材が集まるところが日本文学との大きな違いだね
どの学問も総じて平均100越えという時点でギャグ
北米の平均値って相当低いんじゃないの
670 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/06(火) 20:26:52
長生きの家系らしい
前IQ調べたら160あった
_,,,
_/::o・ァ
∈ミ;;;ノ,ノ tyuntyun
IQ160はそんなにめずらしくない
古谷さんってダンディよね。
ギャラリーを作るにはどうしたらいいんですか?
場所を確保して壁を綺麗に塗れば完成
ありがとうございます
え?
スレ民がうっとおしいなら写真日記にするといいと思う
いや、多分アップできないと思うよ。
さんざん「美(術)にはうるさい」キャラでやってるから、
視覚作品をアップするにはかなり足踏みするだろう。
本業の絵だって、日記にはまったくアップしないんだし。
なら相変わらず樫村モドキのままか
先月このスレにキレたんだから、路線を変えないと駄目だと思うんだが
写真、以前はアップしてなかった?
中平卓馬っぽいやつ
好きな写真家とかいるのだろうか
偽日記読め
この人、映画だとけっこうエロ絡みの部分に注目する
汁男優とか
好きな写真家とかいるのだろうか
いません
福井
ぼくも古谷さんみたいに立派な美術批評家になるんだい!
古谷さんは美術批評家じゃなくてライターさんだよ
古谷さんってダンディよね。
えー
695 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/10(土) 13:41:49
ライターと批評家ってべつものなのかしら?
ライターの方が編集者からみれば使いやすい
697 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/10(土) 13:55:14
最近は、芝居をよくみるみたいだけど、関係者から入場券をもらってるのかな、
観劇は経験の直接性に頼れるから向いてるよな
699 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/10(土) 14:19:09
もともと、インスタレーションの盛時に絵をかこうとしてた香具師だし。
自分では思っている以上に時代に捉われていたのだろうね。
>「映画」という枠組みが強いるものが、ぼくにはほとんどどうでもよいものとしか感じられなくなっていた。
これって偽日記を始めたときの美術に対する気分と一緒だなw
映画という枠組みは古谷にはあってないよ。
テレビアニメとかが今は好きなんじゃない?
根はオタクだろうけど萌えが嫌いだから無理なんじゃないの
嫌いじゃないよ多分。
じゃあ抑圧があるってことかい?
なぜに?
らき☆すたを理解してはいけないと思うみたいなこと書いてたんじゃなかったっけ?
萌えが嫌いじゃないなら、嗜好性の違いとして扱うはずだと思う
>>707 そもそも俺は、古谷が萌えを嫌いだと思っているので、
その前提が違うならば抑圧してるのかな?って考えた
「答えなさい」ってw
>>708 「抑圧」ってフロイトの意味で使っているのかね?
であれば、古谷が何をどのように抑圧しているといいたいのか?
>>709 あなたが703ならその根拠を教えなさいw
東スレにも沸いてる池沼か
古谷がオタクコンテンツに抵抗があることは自明でしょう
めんどいので繰り返すけど、
702で書いた理由でテレビアニメが好きとは考えにくい
「テレビアニメ」という枠組みが強いるものが、ぼくにはほとんどどうでもよいものとしか感じられなくなっていた。
ってなるに決まっているよ
俺が信じていない仮定についての推論を説明する意味ってあるの?
ヲタとかきもいんだよ
717 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/10(土) 16:19:29
俺は713ではないが、
40を超えたオヤジがアニメなんぞみるなと言われそうだなとフルヤは思っていて、
それゆえに、ネタにしずらいのではないかということでは?
しかし、電動コイルとかについては、楽しそうに語っているわけで、
>>715 抑圧という言葉を出したのはあなたでしょう。
それであなたが何をいいたいのか知りたいので具体的に教えてほしい、といっている。
電脳コイルって昔の少年探偵団みたいなノリがあるから中年に受けると思う
>>718 精神分析学的に正しく使えっていいたいの?
というか、「萌えが嫌いじゃない」のに今のような批評を展開しているのなら、
そこには批評基準のブレがあるってことになるだろう
>>720 いいから何が具体的に抑圧されていると考えたのかいいなさい。
古谷自身はポストモダン的解離が好きじゃないでしょう
>二次元萌えのような「健全さ」から遠くにある人たち
という他人事のような言い方をしている人が二次元萌えだったら、それこそ抑圧があるといえる
これは古谷自身が斉藤環を用いて使っている論法ですね
ビーバップの映画がなんで好きなんだろ
>>701 ジャンルの好悪の話じゃねーだろ。
つうか
>「映画」という枠組みが強いるものが、ぼくにはほとんどどうでもよいものとしか感じられなくなっていた。
って蓮實の表層主義が念頭に置かれた発言でしょ?
こないだの『他人のセックスを笑うな』に対する以下のコメントとつなげれば、より明らかだけど
>つまり、いきなり「映画」がぎっしりつまっている。次のカットでトンネルが出て来て、その次には、たった一人でいる女と対比されるように、軽トラックの狭い座席に押し込まれたいかにも「仲間」という三人が騒々しくあらわれる。
>ああ「映画」だと思う。しかしそれは、ぼくが既に「映画」として知っている何かの忠実な反復であって、こんなに「映画」なのは、ちょっとわざとらし過ぎるのではないかという警戒心が湧く。
ただ、なんだろう。このアホらしさは。
自分が勝手にこれまで表層主義的な映画語りに依存してきたのに、
突然、それがまるで外部から押し付けられた枠組みであるかのように、
「どうでもよい」とはほざきだす、この知的倫理の欠片もない感じ。
フレームと言わずに枠組みと言い替えたのは成長じゃねw
いや、元から「映画というフレーム」なんて物言いはさすがにしないだろ。
でもこの人のいうフレームって、基本的には枠組みで済む話
自分の知覚 =「フレーム」
外からの押し付けに感じられたとき= 「枠組み」
自分のエッセイを数年後に読み直して、違和感を持ったらそれも「枠組み」
自分の書いたもの=知覚 という輪が途切れれば(当然起こる)それも「枠組み」になる
かくしてただの機会原因主義となり、うつろうのみ
そうスッキリいくかな?
岡崎の絵はフレームがどうので駄目なんじゃなかったっけ
古谷が岡崎を批判したのは、「リテラルなフレーム」と評してのこと
これは「枠組み」の意
実際のキャンバス境界によって、外からの押し付けによって
古谷の知覚が制御されているようにみなした
古谷はそのため「フェノメナルな」「フレーム」といった志向
もちろん岡崎のキャンバス境界がそのような作用でしかないのかは疑問に付されるが
732 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/10(土) 23:25:56
映画をただ観したくて、関係者に催促をしているとしか思えない。
精神分析はインチキですよ・・・
だから抑圧についてうるさかったのかよ
映画が苦痛になってきたんだろうね。
で、小説やアニメを見る。
この人はルソーと取っ組み合ったらいいんじゃないかな
同属嫌悪から自己反省がはじまると思う
そしてルソーの歩みもまたそのようなものだった
ムージル読み直してるみたいだし、それでいいんじゃないかな
教養的にも初期近代の作家は無理があるでしょう
無理はないでしょ。
勉強といっても量子力学をやれ、という程度でもないし。
無理でしょ
岩波の赤を読むとか嫌ってそう
「文学」という枠組みが強いるものが……
740 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/11(日) 19:48:19
べつにそんなことないしょ、
むかしは無邪気に、ジョイスとかリルケとかいってたんだから、
じゃあなんで無邪気さを失ってしまったんだぜ
寄る年波でしょ。20代がうんたらかんたら、いっているけど。
最終的には小説家になってそう。芥川もとるかもね。
文学や映画とか制度的なものにいよいよ耐えられなくなっているみたいだね。
本来資質的には、山下清とかあのあたりに位置する人なのかも。
あるいはクオリアの茂木さんとか。
世間が怖いんでしょ、わかるわ、その気持ち。
ムシル好きはセザンヌ好きセザンヌ好きはムシル好き、それから宮澤賢治
ムージルの小説は社交界の描写にも優れているからその図式は嘘
thx
748 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/12(月) 01:11:48
制度的なものって、批評とかやってるといつまでも気になるのかな。
制度を無視できるという発想はあまりよくないと思う
芸術は人為的なものだから
750 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/12(月) 01:27:20
勿論、無視はできないだろうけれどもね。
ある程度、制作とかをしていると、それほど、そこで躓くことはなくなると思うんだよ。
批評の場合だと、ちょっと違うのかなとおもってね。
ム汁とか良く読めるな。うつ病のおっさんの妄想を読んでいる漢字で
ちょっと気分↓。数学やって↑だから良かったけど。
>>750 芸術って野生の状態から生まれるわけではなくて、
先行作品との関係を無視できないと思うのですよ
古谷は無視できると確信しているようだけど。
たしかにインスピレーションは湧き出るものだけど、
それを形にするとき、制度的なものは必ず関わってくる
枠組みってやつね
>>752 それは何でもそうですよ。
そうじゃないものはないでしょ。
>>753 古谷さんはそう考えていないようなのでなんだかなあ、と。
樫村の一見すると非社会的な理論の背景には、
言外に語られないヘーゲルやマルクスに由来する社会認識があるわけで、
そこを捨象しているから、
芸術をまるで本能的な活動であるかのように描いてしまうのでしょう。
というか本能的な活動はそもそも人間にないでしょう。
膝叩くと脚が上がる、程度。
そこで世界へと滲み出す脳ですよ
芸術は、制度の塊でしょ、むしろ。
まず一番低いレベルは、脳や感覚器官の物理的性質。
次に、本人の感情的な性質。
で、社会的、文化的な伝統。
古谷は、二番目の層にこだわっている。
社会、文化的制度と物理学的規則が無化されている。
一応脳とか言ってるから一番目の層は好きなんじゃね
藤枝的なフォーマリズムの伝統にこだわってるんですけどね
ムージル読んだのって、先月、いそけんが書評で褒めてたからだろうな
そんなきっかけでもないかぎり、古谷はムージルなんて読まないだろう
で、「〜〜の細部は濃厚!」と指差し確認して今回も終わるんじゃね?
ひさしぶりに日記見ると、相変わらず20代の学生みたいだな
引用、「こいつはいい」、ほら、ここ見て見て、終わり
こんなもんに釣られる層には馬鹿しかいないって考えたことないのかな
システムの科学か
思想地図を買ったんだろうな
オートポイエーシス、自己組織化あたりを古谷は全く読んでなかったみたいだから
これを機に手を伸ばしてみるといいんじゃね
スレ民の古谷愛は異常w
いそけんは、チェ・ゲバラが好きか、好きになる、、
他にもあるよw
でも古谷は確実にそうだろうな
>オートポイエーシス、自己組織化
いきなりんなの読んでも教養がないと何もわからないでしょ。
まずは、古典的制御理論やっておかないと。
>>768 >古典的制御理論
そうやって「勉強」におわせるとアレだろ
哲学から接近するやりかたもある
>>769 哲学(一般論)から接近するにも、当たり前だけど、工学の知識、勉強がないと意味がないよ。
古谷って、制作にかんしては先行作品を意識しすぎて、
行き詰まってた訳でしょ?
それこそ、藤枝フォーマリズム系の作家のモノマネとかから初めて、
余白を強調した峰村和洋フォーマリズムにながれて、
殆ど、学習途上的な作品しか作れなかったわけじゃないですか。
その苦しさが、野生への憧れにつながるのではないですか?
野生への憧れって何?
「システムの科学」とかム汁とか最近はむしろガチガチの理論に移行しているような。
いや、新しい理論を「読書」としては楽しめていても、
それと製作との緊張関係が全然ないのが問題。
>>773 しばらくは、なくていいんじゃない?
何でも絵と結びつけようとしてきたことのツケがまわってきているんだと思うなあ。
>>774 それを言うと、「藤枝フォーマリズム系の作家」に留まりつづけることになるんじゃじゃないかなあ。
ただ、「何でも絵と結びつけようとしてきたのツケがまわってきている」は同意。
ルネサンス美術とて、古代ギリシャの詩や建築の理論を無理やり絵画に
適用させたことによって、後代の作家たちが行き詰まることになるわけだけど、
そういう過剰且つ盲目的な「人文主義」の行き詰まりは現代でも反復されていると思う。
(『経験の条件』はモロそういう問題意識で書かれた本だよね)
>>775 そのとおり。人文主義というより広く形式主義の問題かな。
数学のブルバキの問題から岡崎は発想を得ているからね。
何にせよいったん過度にアブストラクトになることの危うさというものはある。
そこで忘れられている実験、観察といった愚直なアカデミズム精神こそ
その停滞を打破する上で必要なわけでさ。
>>776 まあ、大枠は同意してもらったとしてw
人文主義と書いたのは、「読書と制作」という流れがあったから。
人文主義的な美術ってのは、乱暴に言えば解釈学を美術でアウトプットする人たちだから、
惰性化した作家は、とにかく理論(というより最近読んだ本)と制作とを無闇に接続しまくる。
理論がそこに適用できるかどうかの精査が足りない。
>実験、観察といった愚直なアカデミズム精神
これは実証主義ってことかな?
たとえば色に関して、感じ方のアンケートを取るとか。
アンケートって発想は幼稚すぎるだろ
コマール&メラミードかいな
>>777 なるほど。
お互いちょっと混線しているところは置いておくとして、
古谷が節操を忘れだらしがない作家になりつつある、ということ?
たしかにそれはそうかもしれない。
ただそれは彼の特性ではないかね。
>これは実証主義ってことかな?
そう。広い意味でのアカデミズムのこと。
アンケートというか、自分自身の感覚の精査や分類。
いにお
いにおは相当好きだろ
782 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/13(火) 03:46:00
なんでこんな英語文献も哲学書も読めない3流ライターをネタに盛り上がれるんだ???
白米に塩かけて何杯でもいけるクチですか、皆さん?
それ褒めすぎだろw
ベーシックな日常食か?
数学もできないみたいだし
数学は心底どうでも良い
>>785 自分ができないから(あるいは興味がないから)ってそれだけ排除するなよ。
哲学書読むのに数学の知識が要ることもあるし、システムの科学とか科学
関連の本を批判的に読むのにも必要だろう。
古谷が良い画家になる上で数学はいらんよ
なんでこのスレに俗流科学主義者がいつくんだか
>>789 せめて二十世紀以後の例を挙げてよ
芸術音痴なのはわかるけどさ
ムージルが磯崎からなら、浅野いにおと『亀』の監督、池田将は去年、柴崎が対談している。
古谷のこのアンテナの狭さってw
脳系を視覚と結びつける知識は、フランシス=クリックだろうな〜
>>787 良いもなにも、日記読んでれば古谷がもう絵は描けないのは明白
去年ぐらいからの風景描写はイヤミなぐらい小説(風)だ
文壇デビューのためのウォーミングアップなのだろw
人文系は数学アレルギーが凄いな
数学が話題になったらここで偉そうにできないもんなw
アレルギー以前に数学じたい学ぶ機会がないしね、彼らは。
そもそも芸術の話ができない科学信者がここで何をやってるのかと
科学は宗教かよw
芸術は科学ですか?w
このスレを数学スレにする野望がふつふつと
>英語文献も哲学書も読めない3流ライター
これはまったくそのとおりなんだよな
昔は気にならなかったが最近うんざりしてきてる
で、なんで古谷スレが美術-映画-文学-精神分析系の雑多な批評総合スレと
なってるか、古谷をほっといて移行しないかというと…微妙な問題がごろごろ
・古谷腐してると楽でいい
・議論が進展しない住人多すぎる&要求はするが実行しない住人多い
・特定レスばかりになるから、余計及び腰
・美術鑑賞板で独立スレ立てると荒れそうで不安
結果、あたかも「とりあえず古谷アドバイススタイルで適当にやってこうぜ」
が今のスレ状況。
たしかに間違ってるな。
…いや! このスレのポテンシャルは古谷アドバイスなどに収束すべきではないし、
実際そうではないはずだ、という願いとともに、
あたかも、実際は違うのだが、そうであるかのように、今はそうなのだ
ということにしておこう。
英語も哲学も勉強する必要ないでしょ。
とりあえずどっちも大して重要とも思えないし。
それに英語は読めるんでないの?
そして数学も必要ないんじゃ・・・・
科学は重要だけど、ねえ。
現実の社会的な状況とリンクしていくっていうほうが重要なような。
外野としては。
数学は特に必要はないだろうな。
好きな人、自然科学をやる人は、そりゃやっておいたほうがいいんだろうけど。
英語は、もののたとえだろうと思う。
既存の狭い論壇枠だけでもの読むなってことの。
バリバリに哲学読めとは言わんが、諸哲学というか、
理論に対して古谷は不慣れすぎじゃないかな。
だから自分の陥ってる事態が図式的で、どうしようもないということにあまりに気づかない。
社会的状況へのリンクにしても、そうしたバックグラウンドも含めて
かかわっていくといろいろ伸びるかも、ということで。
社会的状況とリンクした方が、というのは同感だけど、
よくよく考えると「社会的状況って何よ」と思えてくるのもあるな。
もちろん、今の古谷の状況を正当化するつもりなんざないが。
哲学の理論って具体的に何をいっているの?
哲学っていってもいろいろだし・・・・・
社会的状況っていうのは、
たとえば、ドゥルージアンなのに彼の(というかドゥルーズガタリの)社会理論にまるで何も考えてないとか、
ドゥルーズ〜アガンベンの動物論を読みもしないとか、
遡ってハイデガー、コジェーヴあたりを読む手もあるのにものすごい鈍感とか、
ラカンを漠然と読むくせに『精神分析の四基本概念』のまなざし論は無言及とか、
ラカンのまなざし論に潜むサルトルや弁証法の含意をまったく読めてないとか、
樫村の良さを古谷なりに見出すにせよ、ろくに何も提示してないとか、
ラカン→政治的・社会的議論をやるとしてどういうスタンスでやるつもりなのか未提示だとか、
ジジェクの社会学的振る舞いに対してはこいつどうするつもりなのよとか
脳・神経系の議論をやるにしても何も読んでないとか、
生物学的器官による基礎付け論でやるつもりなのかもそうでないのかも曖昧模糊すぎて馬鹿みたいとか、
生物学的基礎付けと記号読解はどう一致させるつもりなんだか全く姿勢が曖昧だとか、
具体的に「〜〜が無い」という意味ではこんなふうにいろいろ挙がる
>>806 なるほどねえw
たしかにドゥルーズ読んでも資本主義への考察がなかったり、
ラカンをほんとに読んでいるのか疑わしかったり、
アヤシイ人ではあるw
まあ、でもこの人の関心って、要するに一般に複雑系と
呼ばれているジャンルになるから、ラカンやドゥルーズよりも、
やっぱ工学的な教養が要るのではないかね。
きっとラカンを小説のように読んで「感動」しちゃって終わってるんだろうな。
それだと、ラカンと弁証法の関係がさっぱりわからんだろうと思う。
あるいはバタイユと踵を接して蓮実と意外に似てるとか、そのへんも。
古谷は「だからこそ」ラカンに素朴に好感もってるのかもしれんけど。
資本主義でいうと、ネグリは意外に面白いところもあるし、
党-作家による設計主義抜きで、いかに芸術をいま考えるか、って
議論もやろうと思えばやれるはずだし、
パオロ・ヴィルノの言う「フレキシブル」批判なんか、いろいろつながる気がするね。
彼も間接的に人間/動物 論をやってもいる。
>複雑系
最近は、河本を介してドゥルーズ読みの中でもオートポイエーシス系統の議論は出てきてるんだよ。
工学ってよりは、ドイツ観念論以来の生命論、自己制作論、発生論経由で、って感じかな。
実際、河本はオートポイエーシスの祖をシェリングだとみなして論じてるし。
ヘーゲルとシェリングは実際、このへんの祖になると言えると思う。
で、精神分析でも河本に惹かれてる人がいて、それがこのスレで挙がってる十川幸司。
彼はラカン読みから離脱して、別の理論構想を組みつつある(まだ途上というところかな)。
河本近辺への精神分析への国内での歩み寄りの先駆は、赤間だったりする。
彼は臨床じゃない仏文系統の人だけど、制作的な発想、美術絡みもあって稀有な人だったが、
人工知能、認知系の研究に鞍替えしちゃった。ある意味で東の転身の先駆でもある。
古谷は単に何も読まないで安楽してるおっさん。
作品の目利きとしてやっていくと割り切ってるかと思いきや、そうですらないわけでしょ。
なのに何もしないで甘えてる。話にならん。
数読む必要はない。
オートポイエーシスもトンデモが多いし、
それならしっかりした工学テキスト一冊マスターしたほうが効率はよい。
数読めばいいってわけでもないし、国内情勢に釣られちゃ駄目な面もあるのは正しい。
きっちりマスターせよ、あるいは、目標でも立てろ、という意味では全くそのとおりだと思うよ。
三流ライターで終わるか批評家として脱皮できるかの瀬戸際だな
批評家wなんてならんでいいw
俺は三流ライターで終わるに一票。
なまけ癖も20年続けばもう直らん。
20代後半〜30代前後ぐらいなら、チャンスはあると思うが、
古谷は自尊心と習慣ができあがってしまってる。
日記を見ていると、古谷の怒りって、ほとんどの場合、習慣が揺さぶられることが原因だったりするような。
変化を憎むあまり、こわばっている。
まさか。それは君の投影でしょ。
古谷は怒りは、人間関係でしょ。
他人に干渉されたくないのはあると思う
人間関係と習慣は認知機能として近いところがあるかもしれんよw
十川だと、情動回路が対面的人間関係に相当するし、
情動回路の連動によって欲動回路が安定するわけだ。
他にも欲動回路が安定に力を貸すのは言語回路になるんだが、
情動:習慣や人間関係、反感 で作動が一度途切れる
言語:日記や「これ濃厚!」で欲動回路に安定させる作動 からかわれたら作動が途切れる
こんな感じなんじゃないかと。
古谷は、工学勉強するしかないなあ、もうw
俺は工学知らんからなんとも言えんけど、
ごまかしの利かない別分野に浸って、そこできっちりやるってのは
古谷の場合、絶対にいいだろうな。
批判よりも過度の干渉がこのスレに対する怒りにつながった気がする
スレでスレタイ人に突っ込まれるのはどこでもあること。
それを干渉と思うようなら2ちゃんなど見ないほうがいい。
にもかかわらず見て切れて、干渉だの何だのトチ狂ってる方がおかしいよ。
あの一件で明らかになったのは
「2ちゃんあんまり見ないってのは本当だったんだな」と
「ここまで頭が悪いとは思ってなかった。こっそりいろいろ読んで勉強してるものだと思ってのに」
の二つ。後者は重要。幻想がなくなるのはいいことだ。
干渉っていってもネットでしょ・・
というよりなんで2ちゃんなんか見てたんだ?
そっちのほうが気になる。
ファンの人に薦められたのかなあ? たまに、あるんだよね、そういう現象。
真面目なアンチスレって2ちゃんじゃたまにあってさ、
「俺、ここで列挙された問題点、作者に伝えてくるよ・・メールとかで」
って言い出す人が出てくる。それに近いことが起きた可能性がある。
このスレは、きついつっこみ、からかいもあるとはいえ、
そういう系統のスレの中じゃかなりまっとうな方だぞ。
まあ、「2ちゃんの中では」ってのを免罪符にしちゃ駄目、と言われたら通用しないけどさ。
俺が古谷だったら、ズタズタに傷ついてるな。
画家やめろとか、頭悪すぎとか、もっと本読めとか、顔が悪いとか。
2ちゃんなんて見る必要はないでしょw
このスレまっとうか?
スレ自体は批評空間webの時代からあるみたいだし定期的に自スレをチェックしてたんじゃない?
いや、画家はやめろというより、トレーニングしろよ、の方が言われてるだろ。
本読めは、実際読んでねーもん。いくらなんでも読まなさすぎだろ。
大量に読めとは言わん。せめて目標を持ってやれと。
顔はどうでもいい。
傷つくようならスレは見ないほうがいい。本当にそれが最善策。
なのに見てしまって、お前らが俺に干渉する! スレの批判は「炎上」だ! って・・・
いつからここはお前さんのブログのコメント欄に。
画家は辞める以前に始まってないじゃん
>>826 めっさ、2ちゃん内の話にかぎっての、相対的な形容なので、
それにしてもたかがしれてるまっとうさである、というのはそのとおり。
福田和也みたいにワーカホリックになって、
ネットなんて1日10分も見る暇がないような状況になればいいのに。
そういう状況だと、たとえネットで悪評を見たとしてもあまり気にならなくなるし。
お笑い芸人にはマネージャーが見せないらしいね
傷ついて芸に支障が出るから
>>831 マジでそんなもんでちょうどいいと思う。
あるいは、いそけんとかいろいろつながって議論できる友達作っていくとか。
スレ見るなんて不毛なんだってことでいいんだよ。
>>831 今はもう見てない可能性も十分あるんだけどね。
福田は彼なりに面白い人と会ってるんだろうし、そっちの方が彼にとっては効率いいんだろう
古谷もいろいろつながっていけばいいんだよ。せっかく本も出したんだから。
>>836 文壇ってそういう場所なんだろ?
よく知らんが
ファンと交流してるよ
ただしネットでw
希望かw
>>832>>840 漫画家にも近い状況はあるらしいよ。
編集者にとっては見せるのを禁止させるべきかどうか悩みの種になるとかどうとか。
フルヤンが四ツ谷に参加して、ゼミが終わったあとに、
「これからつぼ八行く人、この指とーまれ!」とか叫んでたら、
俺行ってもいいよ。
>>842 なんかいいシチュだなそれ。俺もよろめくかもしれん
で、他愛もない話してな。楽しい酒飲みになりそうだな。
ほら、フルヤン、知友を作る方法はいくらでもあるんだ。
そのゼミが2ちゃん禁止でもいいな。
俺も古谷と飲みに行く。
四谷が呼ぶかな?
個人的には平倉と対話してほしい
現状の、誰でも呼んでやろうオーラからすると、
古谷招聘イベントぐらいあってもおかしくなさそうではある
四谷を含め、大学教員は絶対できないと思う。
四谷が雇い上げることはありえん。イベントで招聘、が関の山。
四谷は2ちゃん禁止令が出てるみたいだよな
授業の内容を2ちゃんに書くなってこと?
推測だけど、ここに上がるのが伝聞情報ばかりだから。
浅田ゼミとかああいうブロガーが出ないし
俺はこのスレ見るまで禁止令って知らなかったな。
道理で講義漏れしないものだと思ったものだった。
浅田の自主ゼミもたしかに同じように漏れてないよね。
だから特定はほぼ嘘だろう。もちろん見てるだろうけど。
俺、四谷に通ってたことあるけど、2ちゃん禁止令は聞いたことがないなあ。
ただ、2ちゃんやブログに書いてチヤホヤしてもらえる内容でもないし。
それにゼミごとの人数も知れてるし、あんまり匿名的な気分にならないってのもある。
四谷がマイナー過ぎるからでしょ
コレージュドフランスとかならレポートが出るはず
>>858 そっかあ。まあでも、いいじゃないかね。禁止令があろうとなかろうと。
なんか本なりpdfなりでいいから、成果を数年おきにまとめて出して欲しいな、と。
俺はそれだけだ。
861 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/14(水) 13:02:18
あれはいい
これはだめ
やるのは自由だけど
判断した基準くらい
示してほしいな
苦手 とか言われてもね
今更なに引用してんだろ?
こんなこと明文化しなければ気が付かなかったとは驚きだ
口を滑らすように手を滑らせなければ何も生まれないんだよ?
描けない言い訳とかもういいからw
「巧妙な」とかマジウザい
見捨ててくれと言ってたから俺はもう見捨てるわ
じゃ
腐すつもりはないんだけど、いい加減、絵なり小説なり「作品」で示してくれないと、ちゃんと向き合えないのは事実
今年はいい星回り(?)なんだから、新人賞の下読みのバイトとかじゃなく、頑張ろうよ
引用のタイミングとか、いまだにスレを見てるっぽいな
習慣はなかなか変わらない
入念なウォーミングアップに余念がないわりには、いざとなると、やれ足首だ太ももの付け根が痛いとか言って結局走らない…
古谷ってそういう奴
で、走ってる奴のフォームがどうこうw
なんか2チャンの民の体質と変わらないじゃないか
だから2ちゃんねらーなんでしょ
日記を続けて上達したのは言い訳だけか
>>867 『ミスター助走』
『助走マスター』とも
ちょっとヒド過ぎるぞ
火ィ付けんなよ
>>864 考えたら、古谷に芥川賞の下読みなんかまわってくる訳がないし、それなら磯憲の「世紀の発見」が候補に入るはずだし、新潮か群像の新人賞の下読みだったんだな。
あれは新人作家にまわってくるバイトで、そこそこ金はいいんだよなあ。
矛盾だらけで話しにならないっす
芥川賞候補のリストづくりに参加するわけが(ry
芥川賞なんて意に介さないでしょ
ラカン派の身振りをとることで阿部・中原・福永らから距離をとろうという話に見えるな。
古谷にとってはラカン理論が頼みの綱なのか
ラカンはトンデモ。
ラカーン
■Media Practice 08-09
東京芸術大学大学院映像研究科メディア映像専攻 年次成果発表会
会期:2009年1月17日(土)- 25日(日)
11:30-19:00 会期中無休
オープニングパーティー:1月17日(土) 18:00-
会場:BankART Studio NYK / 3F
入場:無料
《トークセッション》
アーティストになることーメディア実践とキャリアパス
田幡浩一×名和晃平×藤井光×森弘治×山川冬樹
司会進行:遠藤水城(アーカス・プロジェクトディレクター)+桂英史(東京藝術大学大学院映像研究科准教授)
日時:2009年1月18日(日)16時開演
定員:120名先着順 入場:無料
会場:BankART Studio NYK / 3F
中原昌也ならもともと近くないだろ
このスレきもい。
885 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/15(木) 17:45:31
ここで空騒ぎしてる奴らも
彼にとってはいい営業さんだな
ほんとに関心なければ
レスしないし
にちゃんねるは
レスがつくことが重要で中身はどーでもいい
東スレは凄いということか
再び過疎スレ化させて古谷を見捨てるのが、一番ためになりそうだな
>>863みたいに俺も見捨てるわ
では
たんに毎日更新のネタがあるからだよw
日記がなかったらこんな速度でレスは入らない
つまり、2ちゃん向けにある意味で特化されてるわけだなw
古谷の未成長のねらーぶりと連動するかたちで。
やはり、古谷は2ちゃんとやたら似てるんじゃないのw
890 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/15(木) 19:43:46
喋り方とかネラー丸出しだよ
語尾が常に w なひと
チャーリーと気が合うタイプだな
芥川賞は津村。
古谷お気にのナオコーラは逃した。
____
/⌒ ⌒\
/ ( ●) (●)、
|:::::⌒(_人_)⌒:l キュムキュム
ヽ:::.. ー 丿
〉 ..K
〈_ノ .::l-'
ト、 ):ノキュム
ヾニノ
自分もおっさんじゃないか
派手なジャージのおっちゃんと、股ずれジーンズのおっさんの会話
「いい写真撮れましたか?」
「ええまあ…」
「いつもこの辺を?」
「ええ…まあ…」
「写真家さん?」
「いえいえ…まあ…」
「…?」
「絵を…文章も少し…」
「絵描きさん?」
「はい…まあ…(苦笑)」
>>895 「税務署かと思った。」「…え?」「税務署。」「…税務署?」「税務署。見てこいって。女房が。でも違った。近づいたら違うって分かった。」「…はあ」「あんたは税務署の人じゃなかった。」「はい…。」
電波系のスレに
ここ2〜3日でかなりスレ民が離れたな
そうやって戻す気満々なわけだ
うん
900越え、ありがとう
打ち消しながらも「本当の自分」「自分探し」を期待しているとしたら、薄気味悪いおっさんだな
占星術のような体系を問題視しているはずが、お決まりの言語批判に落ち着いてて吹いた
テクストと体系を等値してる時点で語るに落ちてる
なんてかわいそうな人・・・
絵画にも体系性ってあるよな
岡崎のルネサンス論ってそういう話だったんじゃないの
あと、内的一貫性で済むのは論理学だけでしょう
科学は適用対象を必ず持つ
数学だってそうなのに
もうちょっと言葉を使って説明しないとよく分からない
テクストと体系を等値してる
でも等値できるモーメントもあるんじゃないの?でなきゃ歴史って存在しないでしょう。
そういう事じゃなく、もっと考えが浅いって事?
歴史は体系とは別の問題だよ
テクストには体系性も歴史性もあるけど、
古谷は基本的にその価値を貶める意図で思考しているから粗が目立つ
こういう思考で「感情や生」を確保している人は、まさに転倒を必要としている
>世界の記述として、世界に従ってあるはずだった言語-記述の体系が、その関係が裏返り、世界が言語の体系に従って展開されるかのような役割を担わされてしまう。
>この転倒を批判することはたやすいが、人の思考が(感情が、生が)そのような裏返りのなかに閉じこめられてしまうことの必然性の外に出ることは困難だ。
>>909 要するに素朴な疎外論だよな
20世紀って何だったんだろうな…
>>907 テクストを読む際には、他のテクストが召還され、
それらとの間の作用が響き渡る、というのが60年代以後のテクスト論の主眼。
体系を言うにしても、諸々の体系との接続を見出すこともできるし、
単一体系に簡単に回収できるとも思えない。
それこそ、歴史があるがゆえに、そうしたものが出てきちゃう(読めちゃう)わけね。
古谷の場合、「俺は単一体系に帰したりしないもんね、へへん!」と威張ってるだけだね
当たり前だ。そんなのを素朴に確信してる馬鹿などいない。
「俺はこっちの接続を重視して、こう読む」とやってるだけのことだ。
「俺は体系にならないうつろいのなかにあるんだぜ〜」と言って、
しかも、何も考えない、いつもどおりの古谷でした まる
>>905 体系性と言っていいのかわからないが
うつろいだけではない構成というものはあり
岡崎はそういうものを瞠目させるかたちで論じるね
>>913 壁画の場合、画面というものが決して単一ではないってのが、例の画像解析のキモではなかったかい?
古谷は「タブローの所有」がすべてだと思っているような気がする
だから抽象表現主義ですらない
前に話題になった十川の本に素晴らしい記述があった(83-84)
自閉症者はこのような自己システムの混乱を回避しようとするために、情動的コミュニケーションの接続を遮断してしまう。
言い替えるなら、彼らはシステムの安定を優先させることによって、「社会化」を犠牲にしているのである。
そのため、自閉症者においては情動の回路がほとんど形成されないか、あるいは形成されたとしても、その作動の様式はきわめて狭められたものとなってしまっている。
この傾向は、自閉症者が彼らなりの言語の回路を形成するときに、いっそう顕著なものとして現れる。
私たちは先に、言語を獲得することはコミュニケーションを行うことと同じだと述べたが、自閉症者にとって言語とはそのようなものではない。彼らにとって言語とは、何よりも事物との対応関係を示す記号なのである。
言語をこのような記号として習得するならば、言語を発するさいの行為遂行的な次元はなくなってしまう。
つまり、そこに言語的コミュニケーションが引き起こす意味の曖昧さや多重性、取り違えや誤解、発話行為がもたらす力の側面などは廃棄されてしまうのである。
それゆえ、彼らの言語の使用においては、事実確認的な水準と行為遂行的な水準との差異はなく、コミュニケーションの連鎖が形成されない。
そこには、理解もなければ、誤解もなく、ただ記号の伝達があるだけなのである。
自閉症者がこのように言語を記号へと変換してしまうのも、彼らが言語的コミュニケーションがもたらすノイズを回避するために他ならない。
そこの、自閉症者、統合失調症者の記述の箇所は面白いよね。
近年の十川は情動回路に求心的になっているようで、ちょっとどうか、
と思わないでもないが、興味深い箇所は多い。
積極的に論じてはいないが、イメージと言語の連動みたいな議論もしてる。
古谷については、彼自身が読みにおける誤解、ノイズから逃げ、
その上で「〜〜みたいなやつらは逃げてるんだ!」と、投影的に空気批判してるばかり。
お前さん自身がそうだろ、と言わずにはおれない。
>>862、
>>867は煽り口調ながらピリリと鋭く指摘してて、
口を滑らし、手を滑らしながら、予期できぬコミュニケーションの中に入るしかないのに、
いつまでたっても入らないための言い訳、空気批判なんだよな。
「自閉症者」を「古谷利裕」に置き換えるとまんまで笑えるw
社会とか文脈に対する憎悪とか
十川は臨床のセッションに重点を置いた理論形成になってるから、
情動回路についてどうもface to faceなリアルスペースでのコミュニケーションの場を
念頭において論じている気配があるんだけど、
読むこと、読みについて書くこと、論じること、さらに読み返し、変貌すること、
自分の読みとテクストとの間で悩み、再び歩みを進ませること、
これだっ情動回路に近いコミュニケーション性があると思う。
古谷の行動ってその一歩、歩みに向かわない「ためにする」言葉ばっかりで、
あんた何言うてるの とか呆れるわ。
訂正 これだって
フルヤンは社会化を犠牲にしない方が良いよな
いろんなかたちでの社会化がありうるが、それらは大事なものだ。
なお、
>>915の引用箇所のあとには、自閉症者が
地図やカレンダーにこだわることについても触れていて、興味深い。
地図自体を分裂生成的にやったら今度はどうなるんだ? などと
十川の関心外からさまざまに考えたな、あの章は。
河原温もそのクチかね?
>>922 Todayシリーズなどのカレンダー的な要素ってこと?
俺はそんなに河原作品知らないけど、
一種オノ・ヨーコ〜荒川的な社会性もあるんじゃないかな。
手法としてはミニマル、しかし、何らかの社会科への経路を作ってもいるのでは。
あんまりうまく言えんけど。
ここは批評マニアが多いから、スレ民が現代美術に疎いのが欠点だよな
その弱点さえ無ければもっと充実して面白くなるのかもね
批評や美術から政治の季節へ。
労働問題と階級闘争が復活しつつある。
そういう二元論が成り立つと考えちゃう時点で駄目
そもそも日本にかつて階級闘争があったのかどうかが疑問。
階級の流動性が著しく低い国
フランスよりマシだろ
おまえら展覧会とかちゃんと行ってるの?
ギャラリーも時々行くぜ
石岡、平倉、上崎 現代美術の語義が70年代までのそれで終了している件 勿論展覧会なんか行かない。軽蔑してるから。
上崎、近藤辺りはスミッソン時代以降の美術を糞かゴミと同じだと本気で思っていそうだなw
そうなの?
933,934は知り合いなの?
エクセプト岡崎
岡崎を持ち上げて弟子筋を落とす論法をはじめたのはフルヤン
優秀な弟子っているの?
石岡、上崎、中井あたり
有賀にも期待
有賀はブログを大々的にやるべき
石岡、上崎、中井あたり
自演組w
有賀のブログの頑張りようを見てると、古谷は有賀の爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる
そうやって自演ネタでお茶を濁すんじゃなくて、そのへんの面々はマジで頑張るべき
編集者に受けないんだろうな
>>944 ちょっと見たけど友達を増やせばいいのに、と思った
今年はなんか動きないの?
有賀はもう少し文章を整理して書いてくれ
観てないから何とも言えないが『亀』はきっといい映画なのだろう。
たかがエッセイの揚げ足は取りたくなかったが
>特別に幸運に何かが作用し〜
>何か特別に充実した驚くべき幸福な出来事が〜
>決してそれだけでは説明出来ない、特別に幸運な力が作用し、幸運な何かが〜
言語障害も甚だしいぞ古谷。
大丈夫か?
>>950 でも、君は数学できないだろう?
同じようなれベル。
数学厨が住みついちゃったね
スレ民は荒らしが一人いるだけで萎縮するからそれを狙ってるんだろう
よって無視することを強く推奨します
他には認定厨もスルーした方が良いと思う
テンプレとは言わないまでも、
次スレ以降のガイドラインにするとよいのでは
自分探し
↓
問い「おれって誰?」
↓
答え「おれは自然現象」
↓
自分消滅
↓
脳ブーム
脳
↑(決定)
遺伝子、社会環境、親との関係、所得、文化資本、学校体験、科学知識・・・
問い「自然現象であるところのこの脳はじゃあ何によって制御されているのか?」
↓
答え「資本家」
→階級闘争的リアリズム
幸運と幸福が今年のテーマでは
大切なことだから何回でも言います
>>950 さらに前日の「占い」に関しての日記と照らし合わせてみると
「啓示」
のようなものが降りてきてくれることを期待しているかのようだ
しかし自らがアクションを起こす気はないのだろう
「本当の自分」探しも「特別に幸運な何か」頼みということか
上崎ってほとんど文章発表してないだろ 過大評価すんな
古谷はむしろ「自分なくし(※提唱みうらじゅん)」を考えた方がいい
それが「口を滑らす」ということにもなるのだから
みうらじゅんに転がされるのもほどほどに
火星人のマイナスって、柴崎もそうらしいね(柴崎スレより)
>>960 >何か特別に充実した驚くべき幸福な出来事が
やめれ〜
だいたい残りがこのくらいになると無駄遣いが始まる
スレ民は減ったが、黒瀬、伊藤をふくむ四谷系の話題誘導の自演が減って、よかったと思う。
あれは自演じゃねーよ
クリティカルワークショップ「近代芸術の教え」
講師:林道郎/松浦寿夫/岡崎乾二郎
■日時:1月31日(土)16:00?18:00
■参加費:300円
■会場:東京アートミュージアム
(展覧会「Phirosophiae naturalis principia artificiosa-自然哲学としての芸術原理-」に関連したシンポジウム)
「近代芸術」と「批評」って相いれない。歴史 対 対象のアクチュアリティーだから。
林、岡崎って、この齟齬は完全スルーしてる訳だけど、ここの住人もそうだよね?
時代的なズレはガン無視という。
ここら辺を焦点にすれば新しい事言えると思う 次スレね
お前ボードレール読めよw
研究と批評は違うみたいな話?
ついでに小林秀雄も
967の俺様定義が意味不明すぎる
もう少し噛み砕いてくれないとどこが相容れないのかもわからない
四谷の人は国際展とか見てんの?
ん?968はリオタール読んだ事ある?完璧な人間なんていないんだから、崇めても神格化はやめような。
>>971 見てないだろw 今の欧米の芸術なんて芸術だとも思ってない筈 だから同時代性の代替としてゲームとかアニメに走る
いかに美術が不可能かをやっている
基本、商売にならないよね
リオタール読んだけど、美術史や芸術理論についてはまるで無知な奴が、
「近代芸術」のキンダイの字を見て、ああ、ポストモダンに対するアレかという
超誤読のもとで、かつ自分定義も混ぜこんでモノを語っているということは、
推察できる。
967完全スルーでいいってことね
四谷はラウシェンバーグとか好きだよ
やる気のあるやつらで雑誌つくればいいのに
岡崎批判を一ミリでもするとお前らがカッカして必死のレスするから面白いだけでは。
975の感情に任せたような悪文がいい例
ラウシェンバーグって同時代じゃないじゃんw
岡崎っていうか林を舐めすぎ
>この齟齬は完全スルー
そう思うなら質問すると良いよ
岡崎先生を批判する奴は…許さない! ギッタギタにしてやる!
岡崎親衛隊の巣窟?
また特定厨か
よく分からないけど、967は舐めてるような文には見えない。同意はしないけどね。
971 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/18(日) 23:34:17
四谷の人は国際展とか見てんの?
折よくこんな質問が出てるから、これに合わせて考えてみると、例えばヴェネチア・ビエンナーレなんてものが
ある訳だけど、そういう世界の流れでの新しい美術には、岡崎や林は特化してないって事をいいたいんでしょう。
ただ何事も役割分担ってのがある訳で。それについて触れない批評家がいけないとは言えない。
ある一定の言説環境の枠内にある事で、岡崎や林はそれが全能だとも思ってないと思うよ
岡崎が現代美術嫌いって思われてるんだよな
そして古谷がそのフォロワー
そういうイメージは根強い
アールエッチって何?
岡崎が現代美術について書いたのって荒川とかボルタンスキーくらい?
林先生を批判する奴は…許さない! ギッタギタにしてやる!
アールエッチでググったけど?
茨城のラブホテル、これでいいの?意外と下世話なんだね、ここw
残念ながらアールエッチはそんなに下世話ではない
>>994 ワラタ
岡崎は現代美術好きでしょう。
実際、彼の指導のもとで作られているワークショップの学生たちの作品は、
360度どの角度から見ても現代美術なわけだし。
ただ、PCや「サブカルチャーはサブカルチャーでやれよ」な作家・作品が嫌いなだけで。
サブカルチャーはサブカルチャーでやれよって誰だ?
奈良美智?
チンポムとか村上だろ
どっちも岡崎は好きだろ
1000なら古谷が今年小説家デビュー
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