【18世紀】応挙先生と芦雪君【円山派】

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287わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/25(土) 06:09:13
今日から開催の和歌山県立博物館「特別展 きのくにの精華」に、
芦雪の以下の作品が展示される。興味ある人は足を運ばれては如何か。
《花鳥群狗図》(8面のうち4面)、《朝顔図》、《群猿図屏風》

開催日:4月25日(土)〜6月7日(日)
288わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/26(日) 23:10:11
蘆雪の朝顔ってどんなのだっけ?
289わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/27(月) 00:05:18
>>288
水墨のかな 京博の常設で見たような気がする
290わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/27(月) 00:20:26
イタチが2本足で立っている水墨の襖絵・・・
291わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/27(月) 19:14:00
和歌山といえば以前南紀串本の
無量寺に行ったとき、白髪頭でギョロ目の
チンチクリンなジジイが付き纏ってしつこく
下手な解説をされて欝とおしい
事この上なかったなぁ。
寺の総代とかって名刺までくれたが
普通そういう役職ってボランティアだろ
名刺なんか作るなよ、配るなよ。
292わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/28(火) 00:22:55
>>288
この3点はいずれも、和歌山県立博寄託のもので、
《花鳥群狗図》が成就寺、《朝顔図》《群猿図屏風》は草堂寺が所有者。
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/seika/mokuroku.pdf

>>289氏指摘の京博の常設展は、2008年に芦雪の《朝顔の蛙図襖》が出ていた(余談だが、
このとき同時に出ていた応挙の《群鶴図屏風》が抜群に良かった)ので、それと混同されて
いるのでは? これ以前に《朝顔図》が京博に出ていたならば、ご容赦を。

>>290氏指摘のイタチが出ているのが《朝顔図》で、2007年に府中市美術館
「動物絵画の100年 1751−1850」に出展されていたようだ(私は未見)。
下記ブログがこのことに触れているようなので、参考にされたし。
http://cardiac.exblog.jp/6638612/
293わたしはダリ?名無しさん?:2009/04/29(水) 21:52:34
▲無断転載とか盗撮は剣呑剣呑。
294わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/01(金) 22:25:20
我が携帯は応挙寺は変換出来るのに応挙は変換出来ない
2955月12日ニューボンド通:2009/05/06(水) 04:52:33
Lot 57
浜千鳥図 円山応挙 六曲一双 紙本淡彩 江戸時代(1785年)
Estimate:\23,000,000 - 26,000,000
http://www.bonhams.com/cgi-bin/public.sh/pubweb/publicSite.r?sContinent=EUR&screen=lotdetailsNoFlash&iSaleItemNo=4243675&iSaleNo=16788&iSaleSectionNo=1

Lot 67
福蛙図 長沢蘆雪 一幅 紙本淡彩 江戸時代(18世紀後期)
Estimate:\1,200,000 - 1,500,000
http://www.bonhams.com/cgi-bin/public.sh/pubweb/publicSite.r?sContinent=EUR&screen=lotdetailsNoFlash&iSaleItemNo=4243681&iSaleNo=16788&iSaleSectionNo=1
296わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/08(金) 05:32:32
一双屏風ということもあるのだろうけど数が残ってる割に高いんだな。>応挙
一、二年前に応挙の屏風が一億数千万で欧州のコレクターに落札されたって記事があったが、
不況の今この値段で買い手つくかな?
297わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/10(日) 14:40:37
芦雪は落款がカッコイイ。
298わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/15(金) 11:23:41
>>295
蘆雪は売れたが応挙は売れなかったか?
299わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/15(金) 14:55:05
東京→札幌→大阪と巡回して、現在、高島屋京都店で開催中の「東本願寺の至宝展」
(このあと名古屋松坂屋美術館へ巡回)、百貨店で行われるには惜しいぐらいの品が
出ている展覧会だが、応挙の作品も数点含まれている。

中でもこの展が初出の衝立、《雪中松鹿図/渓流香魚図》は表の《雪中松鹿図》が応挙、
裏の《渓流香魚図》は断定できないが芦雪の可能性が高い、と見られており、
師弟のコラボレーション作がまた一つ加わる点で、見ておいて損はない。

因みに、私が見た大阪なんば高島屋での展示は、ガラスケースなしの直で見ることができた。
それはいいのだが、裏の《渓流香魚図》側のすぐ近くにパネルがあり、
その解説に見入る人多数で、ほとんど衝立に観客の足が近接している有様。
見ているこちらの心臓に悪い展示方法は改めてもらいたいw
300わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/15(金) 23:12:40
>>299
難波は手狭だからね 凄い見辛かったよ
301わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/16(土) 13:01:53
狩野博幸さんが「十九世紀に入ると京都画壇は活力を失い、絵画の中心は江戸に移った」
という意味のことを言ってましたが、何か違うんじゃないかと最近思うようになってます。
幕末〜明治前期の画家たちの作品をたまに見る機会があると、
自分みたいなニワカ素人には次代の栖鳳や春挙、玉堂に遜色ないんじゃないかと思えてきます。

文麟、清暉、寛斎、竹堂、松年、景年等の作品をまとめて見られる機会がもっと欲しい。
美術関係者や研究者、骨董好きの人はともかく、
貧乏一般人の自分には展覧会や美術館に出てるのを単発で見るのが関の山なので・・・。
江戸狩野派の再評価の機運が著しいようですが、今度は是非京都派を・・・。
302山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/05/16(土) 22:31:39
狩野といえば、近年は永岳が取り上げられることが多いですね。
彼の周辺も含めて見ると、そう悪くは無いと思うのですが。
岸派の諸家や幸野楳嶺も好きです。
(円山・四条派ではありませんが、永岳や連山は影響を受けていたのでご容赦を)

絵の面で取り上げるのはどうかと思われるかもしれませんが、楳嶺が一時
漢学を教授してもらっていた山中信天翁の絵もいいですよ。

以下は余談。
柴田是真が京へ訪ねて来た時、塩川文麟が各所を案内して回った。
文麟「どうだね、江戸は富士ぐらいで、こういう絵になる風景はあるまい」
是真「いや、まったく。しかし、その割に京都の絵師が下手なのは何故なのかねえ」
これには、文麟もぎゃふんとさせられて二の句が継げなかった由。

雰囲気は異なるものの、自分は文麟の絵も是真の絵も好きですけどね。
前者は現代の目から見ると「つまらない」のかもしれませんが。
303わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/16(土) 22:45:46
文麟は好きですけどねえ。
何となく同時代のコローと対比したくなる。
文麟は何気に欧米で人気だとか聞いたことがあるような。
304わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/17(日) 23:53:54
え〜?
京都の絵師は下手という評価だったんですか?
自分は幕末明治の京都の絵師にはいつも「上手いなぁ〜」と感心するんですが・・・。
分かってたことだけど知識と鑑賞経験が足りなすぎるな・・・。

永岳いいですね。
連山も好きです。
平安四大家でも中島来章だけは今のところピンと来ませんが・・・。

19世紀には応挙のような革新的天才は出現しなかったかもしれませんが、
やっぱり着実に一歩一歩新しい何かを積み上げてるんだなあと感じます。
近代化の波に揉まれながらの試行錯誤も見えますし。

しかし、日本画の近代化という国家的目標があったからには
栖鳳等こそが到達点であり、幕末明治世代は表現に前近代的を限界を抱えていた、
という評価になってしまうのでしょうか?
応挙と栖鳳をつなぐ通り道に過ぎないと。

以前、新聞の記事である美術史家が
「栖鳳はどこから見ても完全に応挙を超えている」
断言してるのを見て近代日本画幻想の根強さを感じたことがあります。
305わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/18(月) 21:15:08
何をもって超えたとするかの問題では?
応挙以来の伝統を栖鳳が乗り越えた部分は多々あると思う。
306山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/05/18(月) 23:43:34
応挙も来章も、同時代の評価は、単に絵がうまいということに留まらず、格
式というか、腰の据わりが要求されたということもあったのでは。
今のように誰もかれもが見るというのではなく、元々一部士人の鑑賞するも
のだった訳ですし。
当然、敷居の高い(あえて誤用)家に相応しいものが誉められる。

近年、美術館の専門性を薄めて大衆向けにする運動が盛んになっています
が、逆に言えば、美術館にも元々はエリート意識があったということで。

栖鳳の場合、卑近な題材に対する写生(応挙でも一定の様式はあった)とか、
没骨的な表現とか、乗り越えたというか、新しい時代を作り上げたのは、間
違いないと思います。
対するに、栖鳳と同時代に生きて、信玄と謙信とも言われた山元春挙の場
合は、松原巌濤と綽名されたように、巌や松といった堂々たるもの中心。
今では、完全に栖鳳>春挙という評価だと思いますが、ブログなどで意
見を見てみても、悪い意味で春挙の絵を「古い絵」と言っていることが多
いですね。
しかし、栖鳳・春挙の時代を境目として、これより前に武家なり大商家な
りに選択させたとすれば、好まれたのは春挙の方だったのではないかと思
います。
栖鳳の絵は誰でも楽しめるでしょうが、それだと困る世界もあった訳で。
上田秋成、中林竹洞あたりが生きていたら、かなり辛い点だったのでは。

現代の美術評論で評価されるのは、当然といえば当然ながら、現代の価値
観から見て誉められるもので、当時評価されていても、今は意識されない
どころか、寧ろ邪魔に見えるものは、あると思いますよ。
307山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/05/18(月) 23:58:14
>やっぱり着実に一歩一歩新しい何かを積み上げてるんだなあと感じます。

現代人から見ると、新しい=いいことであって、こうした言葉には、何ら
違和感を感じません。
しかし、確かに、江戸期を通じて実際に新しいものは出ていましたし、評
価もされていましたが、一方では、尚古の立場から絵画を見るとか、画家
に古人の模倣を求めて個性を求めないということもあった訳です。
(このあたり、春挙世代からは流石に離れますが)

「古い絵(=狩野派)に対する飽きから生まれた」と言われていた沈南頻派
の絵が、実際は「唐画」に対する憧れに応じる代用品として需要があったか
ら広まったとかいう、興ざめな話もありますが。
曾我蕭白の絵というのも、欲情や狂者を肯定的に捉える、同時代の陽明学派
の影響を考える説があります。

どうも、今の絵の評価というのは、画家個人の業績に注目して、時代の流れ
に乗っていたら非、時代的に特異なら是と見られることが多いようですが。
それらは、近代になってartの訳語として使われてきた芸術・美術の面から
の判断で、絵の存在を他から切り離して、その地位を高みに押し上げ過ぎ
ではないかという気がします。

もっと単純に、家具・消耗品・商品としての面も考えて、その時代の枠の
中で考えれば、誉めるべき点も出て来ると思うのですが。
実際、絵というのは俗なものですよ。少なくとも、前近代のそれは。
308山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/05/19(火) 00:18:28
勿論、前近代を以って完全に尚古・無個性の志向された時代とする気はありません。
ただ、求められたものは今とは異なる面があったのに、そのことを無視して応挙な
どを否定する美術評論家の先生が多いのではないかと、不満に思ったのです。

狩野派の再評価というのも、狩野派内にいた個性派の再評価で、無個性な絵を無個
性ゆえに(その時代での役割を)評価するには、未だ至っておりませんし。
もっとも、ここまで来ると鑑賞上の評価とは言えなくなるかもしれませんが。
309山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/05/19(火) 12:40:21
誤解を招くような表現があったかもしれないので付け加えておきたいのですが、
私としては、「新しい何か」に注目された>>304氏の見方を否定・侮辱するような
意図は、毛頭御座いませんので、不適切な表現については、ご容赦願います。
申し訳御座いませんでした。
310わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/19(火) 20:27:00
>>301
>>299氏が触れられてる東本願寺の至宝展はご覧になりましたか?
まさしくその時代の絵師たちの大作が豊富に出品されてますよ。
もちろん応挙の優品も。
311わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/22(金) 00:25:43
>>306-309
ご丁寧なレスありがとう御座います。
私には少しレベルが高すぎるかも・・・。
謝られる必要なんて全くありませんよw
よく考えもせずに感想を書き散らしてるだけですから、自分は。

確かに当時の状況を知ることは必要でしょうね。
別に同時代の評価をそのまま受け入れろというわけではなくて。
普遍的な美などというものはありませんから、
ただ単純に現代の視点のみから評価を下すだけではなく、
当時の人々の立場に立ってみなければ分からないこともあるはずです。
もっとも、専門家の方々にはこんなことは常識かもしれませんね。

「新しさ」に関してですが、現代から見てモダンだと感じられるものが、
現代から見て古臭くて気真面目と感じられるものよりも当時において「新しく」見えたかどうかという問題もありますよね。
例えば若冲や北斎が「江戸時代とは思えない現代的表現」をしているという人がいる。
しかし、同時代において彼らの作品が応挙や探幽の出現よりも驚くべきものであったかどうか?
このことに疑問を感じることがあります。

「時代を百年二百年も飛び越えた恐るべき天才」と捉えるのではなくて
当時と現代に共通する美意識があり、
彼らはむしろ同時代のある種の美意識の代表的表現者と考えるべきではないかと。
浮世絵や琳派を「近代西洋美術に影響を与えたモダンアートの先駆者」と捉えることも同様ですよね。
日本は日本で西洋の美術を新しいものとして取り入れてたわけですし、
どっちが進んでたなんて話ではないんですよね。
312わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/22(金) 00:29:36
正直、この手の話は自分の今の知識量では到底検証は出来ないし、
散々同じことが一般向けの解説も含めて方々で言われてるのでしょうけど・・・。
でもネットの個人ブログなどを見ると一般のファンの間では
やっぱり個性派画家を時代を超えた天才として神格化する傾向が強いような?

何だか脈絡ない長文になってしまいました・・・。
ああ、もっと勉強しなきゃなぁ。
ちなみに私は北斎も若冲も大好きです。特に若冲。もちろん蘆雪も。
応挙ではなく蘆雪から円山派に興味持った口ですし、
若冲ブームにもあっさり飛びついたミーハーですからw

>>310
見落としてました。ありがとうございます。
でも、ちょっと遠いかな・・・。
313わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/22(金) 05:33:10
応挙せんせいは朝顔狗子が一番すきです
314わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/27(水) 06:09:25
東本願寺展の渓流図は伝蘆雪となってるけど
解説読む限りでは伝というよりは描写から推測してるだけか?
構図や渓流の描写はともかく確かに藤の描写は素人目にも応挙っぽくは見えないな。
315わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/28(木) 00:38:59
>>314
《雪中松鹿図/渓流香魚図》は「東本願寺の至宝展」が初出で(実はこの展覧会は
そういうものが多かった)、しかも《渓流香魚図》は伝が付く。念のため記しておくが、
そのような寺伝が東本願寺にあったわけではない。ではなぜ、伝をつけたのか?
まず《雪中松鹿図》から見ていきたい。

《雪中松鹿図》は一見して《松雪図屏風》(三井記念美術館蔵)の小ぶりなもので、同一作家の
似た画題で大小の作品が残る例としては、尾形光琳《燕子花図屏風》の根津美術館本と
大阪市立美術館本を想起させる関係にある。また、落款もあることから応挙筆として、
それに異論を唱える向きは少ないだろう。
316わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/28(木) 00:40:41
《渓流香魚図》はまず、応挙本人ではないことは一見してわかるが、筆法から芦雪と推定して
いるのはあなたの指摘どおりである。但し、以下の事実がある(ご存知の方も多かろうが)。

この作品、不自然に何かが消された後がある。多分、落款、若しくは印章があったと推定される
(この件、芦雪が他の応挙門人から疎まれていた、というエピソードを髣髴とさせる話ではある)。
このことがあるため、芦雪筆と断ずるのに躊躇せざるを得ないのは理解できよう。

よって結論として、なぜ《渓流香魚図》に伝を付けたのは、この作品に対する広範な研究者の
議論を喚起するための、鑑定者・狩野博幸氏の問いかけだろうと理解している。
317わたしはダリ?名無しさん?:2009/05/29(金) 15:28:33
先週東本願寺展行ってきた。
墨梅図は以前にも何度か見たけど、一見無雑作に思える筆触が的確に質感や立体感を捉えてて感心。
進出の衝立も応挙、伝蘆雪ともに良かった。
ところで望月玉泉って川合玉堂が師匠を見切った逸話の人?
そうは思えないほど上手く見えたな。
318山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/05/29(金) 17:22:56
師事していた時、師匠が自分用のお手本を描いていたのをよく見ると、前に
描いた絵の上からなぞり描きをしていたので、愛想をつかしたという話ですか。

小林古徑の下から岩崎巴人が去った理由が、師匠が描線を修正しているのを
見たからだったり、油断出来ぬものです。

なぞり描きが駄目だとか、描線の修正が駄目だとかいうのは、個人の定めた
規律の問題で、玉泉の絵は私も好きです。雪とか樹木とか。
319わたしはダリ?名無しさん?:2009/06/18(木) 00:09:39
大乗寺のデジタル再製
服従色によると酷評だな
実際どうなんだろう?
320わたしはダリ?名無しさん?:2009/06/18(木) 20:06:59
正直、応挙が一体何を変えたのかいろいろ解説読んでもよくわからん。
写生を元に描くのなら探幽も宋紫石もやってるし。
「見たままを描いて作品にしたのが革新的」なんて書いてる人も見るけど
どう見たって応挙の作品は「見たまま」には描いてない。
321わたしはダリ?名無しさん?:2009/06/20(土) 03:19:31
保津川図屏風を初めて実際に見たとき絵の世界に連れ去られそうになった
危なかったわー
322わたしはダリ?名無しさん?:2009/09/06(日) 09:32:48
age
323わたしはダリ?名無しさん?:2009/09/12(土) 22:12:30
「もっと知りたい円山応挙」
は発売中止になっちゃったんだろうか?
ビジュアル豊富で安価な応挙本、そろそろどこか出してくれ。

324わたしはダリ?名無しさん?:2009/09/13(日) 03:56:33
そんなの出る予定あったんだ。
解説は佐々木夫妻?
325わたしはダリ?名無しさん?:2009/09/13(日) 16:11:48
若冲の巻の以下続刊の欄に名前だけあるな
326わたしはダリ?名無しさん?:2009/11/14(土) 05:57:36
今月の別冊太陽が柴田是真特集みたいですね。
漆器中心の特集かもしれないけど、
人いないし一応円山四条派繋がりということで。
327わたしはダリ?名無しさん?:2009/11/15(日) 14:26:57
http://www.kyodoshi.com/news/3147/
応挙センセーとロセツ君の
力作がデジタル再生された
さて、クオリティーや如何に
328わたしはダリ?名無しさん?:2009/12/18(金) 15:02:05
最近ちょこちょこ新聞やテレビで紹介されているなぁ
見に行ってみようかなぁ
初日の出拝みがてら熊野三山初詣。
329わたしはダリ?名無しさん?:2010/01/04(月) 15:12:50
三井記念館で今年の10月に 特別展 円山応挙 -空間の創造 するよ
アンケートにすつこく 応挙 と書いた甲斐があったかもw
330わたしはダリ?名無しさん?:2010/01/05(火) 09:39:26
今日の読売に 芦雪の虎の絵があった
やっぱりかわいいw
331わたしはダリ?名無しさん?:2010/03/14(日) 13:23:41
南禅寺帰雲院のふすま絵と千葉美術館の雪景山水図を全て見られる画集、図録ってありますか?
332わたしはダリ?名無しさん?:2010/03/14(日) 19:58:21
>>331
帰雲院→京博「南禅寺」展図録 2004年
千葉市美→奈良県美「応挙と芦雪」展図録 2006年
333わたしはダリ?名無しさん?:2010/03/15(月) 21:12:11
>>332
その二つ、どっちも全部は出てないよ
ごく一部分だけ
334わたしはダリ?名無しさん?:2010/07/26(月) 02:29:48
>>329
HPを見てみるとかなり本格的で規模の大きなな展覧会っぽいですね。
多くの代表作に加えて新発見の作品も出展されるようで。
「空間の創造」をテーマとする切り口も面白そうだ。

しかし、応挙さんはよく大きな展覧会やるね。
やはり人気はあるのか。
335わたしはダリ?名無しさん?:2010/07/26(月) 09:36:03
>>331/332
京都新聞社の円山応挙画集は?
336わたしはダリ?名無しさん?
南禅寺の襖絵が発見されたのは多分その画集が出た後だと思う