1 :
わたしはダリ?名無しさん?:
あ
2 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/01(金) 19:35:14
い
3 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/01(金) 19:39:26
うっ
4 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/01(金) 21:28:17
えっ、うっ
5 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/01(金) 22:09:11
おしまい
6 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/01(金) 22:13:55
いや、はじまったばかりだ
7 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/02(土) 01:02:21
始まってもいねえ
8 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/02(土) 01:06:31
ご愁傷様、迷わず成仏してね こんな糞スレ
死んだの?何故?詳しく教えて。
10 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/02(土) 02:53:25
>>9 その屈折した精
神で身体を屈伸させて、て
めえのチ
ンポとケ
ツを舐める事が出来たんな
ら詳しく教えてやるよ。
芸の途に生きる
術のすべてが
はめこまれた
死のようにかあ
んと澄んだ
だりのだまし絵
しょっちゅう氏んでる。こんどぁ誰が終焉を語ってんの?言っとくけどぉヘーゲルとデュシャンは既出
だからぁそこんとヨロシクっつかそろそろウザイんだけどぉ
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/04(月) 11:53:28
経済学者の岩井克人の言葉を芸術に関して解釈すれば、
貨幣が貨幣であるのは人々が貨幣をつかっているからに過ぎないのと同様に、芸術を芸術足らしめるものは人々がそれを芸術と認識しているからに過ぎない。
あたえられた差異を媒介することから始まった資本主義が意図的に差異を作り出すポスト資本主義となっていったのと同様に、元々ある個人の差異ではなく意図的に個人を作り出すのが現在の芸術。
14 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/23(土) 08:01:36
541 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/07(水) 15:02:27
っていうか、画廊なんてものは、この世にあってもなくてもいいもの
(要するにどうでもいいもの)を売っていて、わざわざそれを買いに行く人が
いるわけだからボッタクリもくそもないわけですよ。
‘どうでもいいものに大枚をはたく自分’に酔いしれる、または酔いしれたい
成金オヤジやITバブルのあぶく銭をつかんだジャリタレが、
自尊心を満足させるために存在しているもの、それが美の本質である。
実際、高い絵を買っていく奴に限って美術を理解している人なんて皆無だして。
要するに、高級キャバクラで座って何万円も払ってるバカどもと同じなわけですよw
カエルはそろそろ冬眠だろまで読んだ
目が死んでるって事だろうね。