1 :
わたしはダリ?名無しさん? :
2006/02/08(水) 19:31:49 のんまり語りましょう(・∀・)アヒャ♪
,,..-‐::''''''::ー:.、 .,r"::::::::ハ::::∧:::::::`.、 /::::::::::/,/'レ' 'ヽi、::::::', .i::::::::::/ ⌒ ⌒ヽ、::i <♪ヒューヒュー♪ .!::::::::::i (●), (●)i':::i |:::::::::::| ,ノ(、_,)ヽ、 i::::i <♪ヒューヒューだよ♪ |:::::::::::i `-=ニ=- ' |:::i i::::::::::::i `ニニ´ ノ::::i i::::::::::::i|`ー-- r-一'"::::::::i
ローリング!! ∧∧ (゚Д゚,,) ⊂⊂,,ヽ (_ ( )ノ クルン /⌒⌒ヽノ ))) ( )て ) ((( ∨∨⊂ノ ズサギコ!! (´´ ∧∧ ) ≡≡≡≡≡(´⌒(´≡≡ ⊂(゚Д゚⊂⌒つ ≡≡≡≡(´⌒;;≡ (´⌒(´⌒;; 3げっとーーーーーーーーー!!!
4 :
コヒキ :2006/02/09(木) 16:59:47
毎日の晩酌のお供に欠かせません。
5 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/02/09(木) 17:42:42
先日、雲鶴狂言袴茶碗「疋田筒」を写した湯呑を購入したので、毎日愛用してます。
6 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/02/12(日) 12:37:37
武末日臣の井戸茶碗使ってるが、本歌に劣ることない手触りがいい。
7 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/02/12(日) 15:51:48
ネットでも買えるんですね♪
8 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/02/12(日) 21:02:56
9 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/02/12(日) 23:59:50
粉引がいいんじゃない?
10 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/02/14(火) 14:25:07
焼きが甘くて育ちすぎるんですが。貫入も細かく入りすぎで 使うとすぐ薄汚れた感じに。黒高麗はなかなかいいと思います。
11 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/10/12(木) 23:58:08
武末日臣の個展情報ありませんか?
12 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/11/24(金) 18:09:57
これほど真に迫った写しは初めて見ました。ここに至るまでの作家の苦労が偲ばれます。 しかし、人形が本当の人間に似てくれば似てくるほど(生き人形のように)、 ある種の気味悪さを帯びてくるように、 武末さんの写しも、ある種の不気味さを帯びてきているように思いました。
13 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/11/25(土) 04:40:35
天才だな。
14 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/12/05(火) 09:35:13
東五のパクリだって本当ですか?
15 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/12/05(火) 12:01:14
弟子入りしてたんでしょ? まあ二人とも李朝のパクリだしな 作品は今、どっちが上(本歌に近い)だろうか
16 :
わたしはダリ?名無しさん? :2006/12/12(火) 09:35:07
東五は三島はよく見るが井戸はみたことがない 武末は作品自体みたことがない どこにありますか?WEB上で見れるところでもいいです。
20 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/01/26(金) 00:32:01
21 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/02/05(月) 20:22:51
age
22 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/04(日) 09:44:23
朝鮮半島に統一国家が存在した場合は、例外なく、 中国の属国なんだよな。
23 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/04(日) 22:14:36
武末さん良いんだけど何かが足りない。 風格と伸びやかさかな・・・東五さんの井戸は、質にばらつきがあるけど、 出来の良い井戸は本当に凄い。個展でもめったに見れなかったけどね。 随分と両者の個展にも行ったし、両者の井戸茶碗をもってるけど、 東五さんのほうが本歌には近いですね。 造形は出来不出来がそれぞれあるけど、土の質感、釉薬の質感は、 東五さんが本歌に非常に近くて断然上だと思う。
24 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/05(月) 20:01:05
なんだかんだ言っても、高麗ものでは小林東五を超える作家はもう現れないでしょう。
25 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/06(火) 09:26:54
小林東五ってそんなにいいかな? 本家に比べたら小林も武末も他の作家もどんぐりのせいくらべじゃないか? そうじゃないって言うなら小林の、いい井戸の画像を見せて。
26 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/06(火) 18:59:18
小林と武末と他の作家もどんぐりのせい比べだなんて、見る目なさすぎ。 もっと勉強しな。
画像はないの?
28 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/10(土) 15:22:55
ない
東吾の作品見たこと無いだろ。 情報に踊らされて見た事もないのにすごいすごいって妄信してるだけじゃないか? 現物は大したことない
30 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/12(月) 23:21:25
能書きたれる前に自分の言葉を見直してね。 「東吾」じゃなくて「東五」ね。 ちなみに、東五の井戸茶碗、粉引茶碗、古三島茶碗、井戸徳利、井戸盃、 粉引盃、三島盃、イラボ盃をもてますが。
所詮写しは写しそんな物いくつあっても満足できませんが。
33 :
わたしはダリ?名無しさん? :2007/03/13(火) 21:15:36
普通の感覚の人間なら、嬉しそうにわざわざ写真なんてUpしないだろ。
age
36 :
わたしはダリ?名無しさん? :2008/04/27(日) 18:53:32
37 :
わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/08(日) 16:27:53
東吾の作品はばらつきがすごい いいものはずば抜けていいが、それ以外は見れないものが多いよ 武末は小物と奥高麗がいいね 茶碗はまだ硬いかな
38 :
わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/11(水) 08:05:28
ふたりともだめだな。所詮、写しの世界。 こえるものがないとな。 それに感動しているようでは、あんたらも所詮、にせもの。
39 :
わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/15(日) 16:51:30
そりゃ、本歌がいいに決まっている。 しかし、作家もので良い井戸となれば、37の言うように、東五くらすしかいない。 武末も良いものを作るが、ちまちましている感じで、おおらかさがいまひとつ。 意図的に成形しようと思わず、土に逆らわずひき上げられるようになったら、 大らかさや伸びやかさが茶碗に出てくる。 東五の井戸も、ものによって素晴らしいものがあるが、多くの井戸が不出来だな。 大井戸より青井戸に良い物があると思う。 東五の良い井戸は、持ち主が離さないから、今となっては入手は難しいね。 但し、大井戸の酒盃には、良いものが割と多いね。 茶碗より入手しやすいし、出てくることも多い。 ただ、酒盃と言っても、出来の良いのは10万から15万はするけどね。
俺は雲鶴文の狂言袴の筒盃もってて これで飲むと最高
おれは井戸盃です
42 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/08/17(月) 01:07:29
李氏朝鮮を建国した李成桂って女真人って本当?
43 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/08/18(火) 02:16:39
李氏朝鮮 ── 1392年の成立から1910年の日韓併合まで、実に27代500年余の間、朝鮮半島に君臨したコリア史上最後の王朝です。 李朝の創業者である李成桂 ── 太祖は、高麗王朝に仕える有力な武将として、自身の出身地である半島東北部の咸鏡道の守備軍を統率する「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」と言う官職にありました。 李成桂は半島東北部・咸鏡道の出身であるのですが、問題はこの地域が、南から移住した高麗人(朝鮮人)と、北から移住した女真人(満州人)の混雑地域だったと言う事です。 つまり、高麗人と女真人の混血がいたとしても何ら不思議では無い地域、それが半島東北部であった訳です。それでは、李成桂の家系はどうであったのか?と言う事になります。 李成桂の父は名を「子春」と言い、子の成桂と同じ「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」の官職を高麗王朝から授かっていました。 然し、問題は「子春」のもう一つの名前です。彼には「吾魯思不花」(ウルス-ブハ Ulus Buqa)と言う蒙古(モンゴル)名があったのです。 そればかりか、李成桂の伯父達、詰まり、李子春の兄弟も、完者不花(オルジェイ-ブハ Ol?ei Buqa)、那海(ノカイ Noqai)、 塔思不花(タシ-ブハ Tasi Buqa)と言った蒙古名を皆持っており、これらのの事実から、李成桂の家系が純粋な高麗人では無かった事は明白です。 高麗人と女真人が混雑していた出身地・咸鏡道の地域性と、父親兄弟が皆、蒙古名を持っていた事実から、李成桂の家系が、高麗人に女真の血が混じった混血だった可能性が高い訳です。 そして李成桂の家系が、むしろ、女真人に高麗の血が混じった混血、あるいは、女真人そのものだったのでは無いかと推察できます。
45 :
韓国人が直視すべき真実の歴史「千年属国」 :2009/08/25(火) 06:06:58
韓国人の歴史歪曲捏造は余りにも酷く、目に余るものがある。 これが日韓の感情的なもつれの根本的な要因であり、双方に摩擦を生み出す元となっているのだ。 韓国人はよく日本の歴史歪曲を指摘するが、実際は韓国で教えられる歴史こそが、そもそも歪曲と捏造に満ちたものだから話にならないのである。 近代史からの因縁の日韓の歴史の齟齬は「日本は朝鮮の独立を奪ったのか?」という点から始まる。 結論から言うが、奪ったも何も、元々朝鮮は中国歴代王朝の千年属国であり、主権さえ認められていなかった国なのだ。 日本が下関条約の第一条で初めて朝鮮の中国からの独立を明記するまで、千年の長きに渡り朝鮮は、中国の属国となっていた事実を、韓国人達は決して認めたがらない。 今回はその千年属国の真実を示すことで韓国人の歴史認識がいかに歪曲されたものであるかを証明したい。 朝鮮の歴史を紐解くと、初期の高麗朝を除きほぼ全てに渡って中国歴代王朝の属国としての地位に甘んじてきた。 その有様は、事大主義(小国が大国に媚びへつらって生きていく主義)に代表されるように千年属国朝鮮の悲惨な姿を現している。 しかしながら当の朝鮮は事大主義に生きることを選択し、それを誇りとしているのだから何をかいわんやである。 朝鮮のこの事大主義は、時には何と朝貢を受ける中国王朝の方が、迷惑がる事もあった。
46 :
韓国人が直視すべき真実の歴史「千年属国」 :2009/08/25(火) 06:08:22
例えば、宋の時代に、宋王朝は北方の契丹人や女真人に国境を脅かされており、その為莫大な貢ぎ物を契丹人の遼王朝、女真人の金王朝へ送ることにより国境の安定を図っていた。 ところが、こんな時代でも当時の朝鮮高麗王朝は、宋に対し朝貢と册封を要請したきたのである。自分から宋に朝貢させて欲しい、册封して欲しいと頼んでくるなど、これぞまさに筋金入りの属国根性である。 宋王朝は先の北方の強国から誤解を受けかねないと、この朝鮮の朝貢に難色を示したことが当時の史書に記されている。 さらに朝鮮の事大主義は益々エスカレートしていく。高麗王朝から王位を簒奪し、李氏朝鮮初代の王となった李成桂は、王位につくやすぐさま、当時誕生したばかりの明王朝に伺いを立て国号を決めて貰っている。 この時、李成桂は、箕氏朝鮮の旧号「朝鮮」と李成桂の生地「和寧」の二つの名前を持ち出し、明の太祖の朱元璋から「朝鮮」の国号を使うことを許されている。 世界史の中で様々な国が存在するが、他国に自国の国号を決めて貰った国など、後にも先にも朝鮮ただ一カ国である。 本来ならこの一時を持って、朝鮮が中国の属国であった事を、何よりも物語っているのだが、韓国人はこれでもまだ朝鮮が中国の属国であったことを認めないのである。
47 :
韓国人が直視すべき真実の歴史「千年属国」 :2009/08/25(火) 06:09:03
さて、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。 この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。 即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。 直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。 中国王朝の属国における歴代国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。 ちなみにこの当時、朝鮮を実質的に指揮監督していたのは、中国王朝の北洋大臣や直隷総督などである。 つまり国王というのは形ばかりのものであって、決して主権国家の元首として扱われていたのではないのである。 さらに朝鮮国王の中国王朝からの使節の出迎えは余りにも屈辱的である。 満州人の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。 王太子は慕華館(迎賓館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。
48 :
韓国人が直視すべき真実の歴史「千年属国」 :2009/08/25(火) 06:09:45
ここまでくればこれ以上の説明は必要ないだろう。誰がどう見ても朝鮮は、中国の属国若しくはそれ以下の扱いを受けていたのである。 現実に韓国以外の各国では歴史の教科書で、朝鮮関連の記述(これ自体殆ど記述されていないのだが)において、全て例外なく「朝鮮は中国の属国であった」と記している。 韓国が敬う中国でさえ朝鮮が中国歴代王朝の属国であったと明示している。 韓国よく引き合いに出す亜細亜のみならず世界各国が朝鮮は中国の属国であると認めているだ。 確かに、他国の属国であったという歴史は不快なものであろう。だがそれは決して恥じることではない。 現に、日本の殆どの歴史学者の言によれば「もし、日本海という壁がなければ日本も朝鮮のような中国の属国となっていただろう」と明言している。 これはまともな教育を受けた日本人なら誰もが認めるところだ。 運悪く海という壁がなかった朝鮮は、中国の属国として生きるしかなかっただけであり、それを認めることは何の恥でもない。いや、真実の歴史を覆い隠そうとすることこそが恥なのである。 千年属国として余りにも歪みきった朝鮮民族の精神は、日本によって独立を得られた100年では矯正出来ないかも知れない。 だが、事大主義・属国根性に染まった現代の韓国人の精神を健全なものとするには、まず最初の一歩として歴史の事実を認めることから始めなければならないのである。 韓国人よ、千年属国の忌まわしいコンプレックスから今こそ立ち直るときである。
49 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/08/26(水) 06:27:50
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129 世界の教科書
スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」
スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213 ◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
50 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/08/26(水) 06:28:50
◎ ポーランドの教科書 「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」 ◎ アメリカの教科書 「朝鮮は中国の従属国」 ◎ カナダの教科書 「朝鮮は、数百年間中国の属国」 「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」 ◎ イギリスの教科書 「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
51 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:47:37
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F 歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
52 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:48:30
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。 高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。 そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。 高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。 朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。 何しろ、文明が継承されてないんだもの。 満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。 高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。 百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。
53 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:49:20
54 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:50:08
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族 「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史) 前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す? 戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。 前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。 前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。 前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。 2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。 3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。 4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。 7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。 918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。 ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
55 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:51:20
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人だろ? それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな ※ 広辞苑より 【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。 また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。 【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。 中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。 都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。 【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。 靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を 併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。 【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である 粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。 【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。 五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を 建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。 一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。 馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。 なので 百済≒高句麗≒渤海 ≠ 三韓=朝鮮民族
56 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:52:39
57 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:53:53
58 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:54:35
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』 【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は 古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が 現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。 満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、 一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。 では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。 高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。 高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが 女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する 『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、 この『後金国』が清国へと発展していきます。
59 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:55:26
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。 〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕 見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、 韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ 満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。 韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、 野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。 ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、 韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し 歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は 最初から別種なのだ。
60 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/09/12(土) 13:56:39
61 :
わたしはダリ?名無しさん? :2009/10/14(水) 05:28:47
東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018 公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」
とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」
と記述した。また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、
「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。
「王建は決して<朝鮮>半島の新羅人の子孫ではなく、
中国・淮河流域から来た漢人の末裔・・」と主張し、933年に後唐の明宗が
太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。
冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、
この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、
太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国」と主張している。
62 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/02/07(日) 06:53:12
高麗王朝がツングース系女真人国家って本当? どういう理論なんだろ?
「ジュシン」という民族名を中国様が「女真」と当て字したニダ 「柔然」「粛慎」「蠕蠕」「苪苪」「茹茹」「蝚蠕」もみんな同じニダ 「朝鮮」とも当てたニダ マンセー、マンセー という理論
64 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/05/10(月) 12:08:26
ウィキペディア- 李成桂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82 女真人説 [編集]
池内宏[8]や山内弘一[4]らは李成桂が女真人或いは女真人の血を引いている可能性を指摘している。
状況証拠としては次のことが挙げられる。
李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。
李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。
のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。
モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれいないこと。
ダルガチは原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。
千戸として女真人の統治を行っていたこと。
姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)
65 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/05/10(月) 12:09:08
岡田英弘と宮脇淳子は13世紀モンゴル時代の朝鮮半島と大陸の関係と李氏朝鮮勃興を概説し、 朝鮮の太祖李成桂女真人説について次のように論証している[9]。 その上で史料証拠として『李朝実録』の冒頭『太祖実録』の内容[10]を用いて次のことを挙げている[9]。 『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、 第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、 前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、 そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」 これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。 彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。 これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。 女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。 『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。
66 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 12:24:15
李成桂のオヤジの女真名って何? あと、李成桂も女真名あるの?
最近の平均的なネトウヨ ・在日乙、チョン乙、ルーピー乙 ・小沢が430兆の借金を作った ・子ども手当て2.6兆のバラマキのせいで日本がギリシャになる ・鳩山イニシアチブは中国への1兆7500億のプレゼント ・小泉さん戻ってきてください ・アメリカを怒らせてはならない ・親中国は売国奴、日本を中国に売る気か ・郵政法案の強行採決をやめろ ・大企業優遇は雇用の確保 ・失業者、派遣、母子家庭は自己責任、努力が足りない ・自民の支持率が低く、民主の支持率が高いのは日本人が愚民だから
【“朝鮮半島の2000年史”の歴史は朝鮮人の歴史ではなかった!!】 1 檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない 2 箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。『史記』巻38宋微子世家「武王既克殷、 訪問箕子、於是武王乃封箕子於朝鮮」 3 衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家で、燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権 4 もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない『史記』朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也(朝鮮王、満は燕国人である)」 5 衛氏朝鮮もBC108年に前漢の武帝に滅ぼされ、故地に楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地 6 『後漢書』に「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。」とあり、 箕子朝鮮の最後の王、準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その馬韓が百済になった 7 百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない 8 高句麗と渤海はツングース民族で、同じツングース民族の満州族系 「高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)」
9 濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」、黄文雄「遼東や北満の地は、か つて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」 「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数 民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄著『満州国は日本の植民地ではなかった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世 紀末、ツングース系の?族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】 中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、 4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、森安孝夫 「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系 の民族国家(Yahoo!百科事典)」、藤本和貴夫「7〜10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建て られた(Yahoo!百科事典)」、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、 大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」 10 新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国 11 『北史』新羅伝「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、 馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。」「新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地 は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来 した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている」
12 『後漢書』辰韓伝 「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、 行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。」「辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界 の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と 呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。」 13 唐が高句麗・百済を滅ぼし、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府とした為、朝鮮半島全域が一時期中国領となった 14 結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖。でも・・・悲しいことに 15 その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。 金氏王統の始祖瓠公は日本人 (瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物) 『三国史記』新羅本紀 「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」 (瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。 初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。) 昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人 『三国史記』新羅本紀 「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」 (脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。)
16 それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした 『隋書倭人伝』 新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來 (新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として 敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。) 広開土王碑文 百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民 そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。 しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。 17 ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が 「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。 18 高麗を征服した元は朝鮮半島北西部に東寧府、双城総管府の植民地を設置 19 1259年、高麗の太子(のちの元宗王)がフビライに降り、その息子忠烈王は、1260年に大ハーンに即位したフビライ の娘婿となった。これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、 父の死後、高麗王の位を継ぐのが習慣となった。高麗王の母は、みなモンゴル人になったの 20 李氏朝鮮も実は、朝鮮人王朝では無く、女真族王朝だったの。なのに女真族ををオランケと呼び差別していた 21 15世紀の李氏朝鮮の世宗の時代に侵略して併合し、朝鮮の領土に組み込むまでは、李成桂の出身地の咸鏡道を含む 朝鮮半島北部(咸鏡道、平安道)は女真族居住地域であり、女真族の領土だったの 22 李成桂は女真族の酋長の李之蘭と義兄弟の契りを結ぶなど、李一族は女真族の配下を多数抱えていたの
23 女真族はモンゴル名を持っており、父李子春は吾魯思不花というモンゴル名を持っており、さらに祖父李椿は孛顔帖木兒、 李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟も完者不花、那海などモンゴル名を持っており、モンゴル語で書かれた 一族の家系図から、李一族のモンゴル名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないの 24 元に仕える行政長官ダルガチは、原則としてモンゴル人か色目人が任用されたが、元初期には一部の南人や契丹人、 女真族が、モンゴル名を持つことでモンゴル人とみなされ任用されたが、李成桂の四代前の高祖父李安社はダルガチだったの 25 千戸長として女真族の統治を行っていたの 26 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。 生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。(三海陽にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、 度祖(李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟である。彼は女真で育ち(女真の族長になった)、 腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった)」 という記事があり、女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然なの ※朝鮮民族が建てた朝鮮民族による朝鮮民族の為の国家は有史以来存在しません。 箕子朝鮮は中国の殷の中国人箕子の国で、衛氏朝鮮は中国の燕の中国人衛満の国で、 箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、馬韓が百済となり、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され、 朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族と同系で、 新羅は『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国で、 その後、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域を支配して、 高麗王朝時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、 李氏朝鮮の創始者で朝鮮王の李成桂は女真族。
73 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/08/21(土) 04:32:30
ウィキペディア-WikiScanner
http://ja.wikipedia.org/wiki/WikiScanner 駐日アメリカ合衆国大使館から接続のIPユーザーが朝鮮の歴史の朝鮮近代史の項目を削除し、「朝鮮に歴史なし 昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」と書き込む
ウィキペディア-朝鮮半島を中国とみなす記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%99%E8%A8%98%E8%BF%B0 スペインの有力紙『エル・ムンド』(El mundo) は、朝鮮は建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年
間にわたって中国の植民地だったと紹介した。『エル・ムンド』は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に
1895年まで属していたが、1910年の韓国併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた。
CNNは韓国が元々中国植民地だったと報道し、ヒストリーチャンネルは平壌を中国植民地だと報道した。
台湾政府の外郭団体である中国語ネットワーク教育センターは、ホームページ上に「歴史的に、韓国は中国の植民地だった」と
掲載している。
ヒストリーチャンネルはウェブサイトで韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったと紹介し、「韓国は韓国の全ての歴史
をひっくるめて中国と日本から強力な影響を受けた国家(Chinese and Japanese influences have been strong throughout
Korean history)」と叙述し、また「韓国を最初に建国したのは中国の学者箕子で、韓国は中国の植民地から最初の国家が始ま
った中国の植民地国家だった」と叙述した。また、丙子胡乱以後は中国の植民地になり、外国との接触を絶って「隠遁の王国」
に転落したと紹介した。
1478年から現在まで、アメリカをはじめ、日本、カナダ、中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の
出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領
土に含ませている。
74 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/08/21(土) 04:35:43
外国教育機関、百科事典、博物館、図書館などで中国の漢、元、清などの歴史を紹介する世界地図が朝鮮半島全体を中国領 と表記している。例えば、中国の国営放送CCTVのサイトは元の時期の世界地図に朝鮮半島全体を中国の土地として紹介し、 米国のミネアポリス美術館のサイトも元の時代の朝鮮半島を中国の領土と表記している。また百科事典「グロリア」と歴史サイト 「ハウ・ツー・フットワーク」、図書館サイト「アイビブリオ」は清の時代に朝鮮半島を中国の土地と同じ色で塗り、百科事典「ニュ ー・ワールド・エンサイクロペディア」をはじめとして学術機関「カルチャー・チャイナ」「ピッツバーグ大学」「ミネソタ州立大学」等 のサイトは漢江北側を、中国紹介サイト「スーパートレース」と「NEN」などは全羅北道北側地域まで中国領としている。 世界銀行、イギリス公共放送局チャンネル4を含めた外国教育機関、教科書出版社、ポータルサイト、百科事典など34の機関 の世界地図で韓国を中国領として表記している。例えば世界的なファーストフード会社のバーガーキングは自社のホームペー ジで朝鮮半島を中国領として表記している他、アメリカの有名旅行情報サイトのゲート1トラベルは北朝鮮を中国領として表記し ている。また、ニュージーランドの茶販売会社ベル・ティー・カンパニーは、自社サイトで韓国を中国領としている。 バロンズ社が発行しているアメリカの大学進学適性試験の教材は、新羅を朝鮮半島で初の国家と表記している。 Yahoo!シンガポールはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していた。 2006年にCIAが国家情報報告において、「韓国は1000年間独立国家だったが、日露戦争により日本が占領した」と紹介した。 これに対してVANKは、「これは西暦1000年以前は独立国家ではなかったという意味だ」と批判している。 世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、韓国を中国の属国に定義付ける世界史の試験 問題を出題している。 アメリカの世界史教科書では万里の長城が鴨緑江近隣までのびている地図が掲載され、「1640年代に韓国は中国・清王朝の 属国になった」と記述されている。
75 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/08/21(土) 04:38:12
アルゼンチンの教科書には「韓国は中国語使用地域」と書かれている。 「朝鮮は近代に至るまで、その国内での抵抗にかかわらず、中国と日本の属国だった」(オーストラリアの教科書) 「朝鮮は、その歴史の大部分で中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹 立することによって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」(フィリピンの教科書) 「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」(タイの教科書) 「朝鮮は中国の従属国」(アメリカの教科書) 「朝鮮は、数百年間中国の属国」(カナダの教科書) 「朝鮮は永らく中国の属国だった」(インドの教科書) 「紀元1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」(ポーランドの教科書) 「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀のことだった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、 唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」 (ドイツの教科書) 「朝鮮を中国の属国」と記し、「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」「朝鮮は言論・宗教の自由が制 約を受ける国」「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」(インドネシアの教科書) 「(日清戦争で)日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(『中等世界史』 韓国・英志文化社 1959年) 「朝鮮は清の半属国だった(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年)」
76 :
わたしはダリ?名無しさん? :2010/08/21(土) 04:39:56
黄文雄は、著書で「これまで清国の伝統的な属国であったベトナムはフランスに横取されてしまったが、残る伝統的属国の朝 鮮は、もう誰にも渡すわけにはいかない。(略)そこで、新疆や台湾のように、朝鮮も中国の属領から正式な領土にするため「朝 鮮省」を設立し、郡県制とする断行案を検討した。そうすることで、列強諸国に対して朝鮮は清国の絶対不可分で永久割譲の固 有領土だとアピールした。(略)呉長慶は、この反乱をうまく鎮圧できれば、「遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障」、つ まり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたのである。(略)なかでも有名なのは、科挙状元 出身のエリートで、呉長慶の幕下に身を投じて積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』である。それについて は、田保橋潔氏(京城帝国大学教授)が大要をまとめているので、ここで引用したい。『1.漢四郡建置の例に従ひ、朝鮮国王を 廃し、其地を清の一省とする。2.朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従ひ、監国を置く。3.有力なる軍隊を派遣して。其海港 を清の監理の下に置く。4.朝鮮の内政革新を断行する』これ以外にも、張謇は『六策』で次のようなことを言っている。「あるいは 内政の自己改革と新軍の訓練を、我が東三省とつらねて、一気と為す」。清国の東三省から朝鮮省をも含めて「東四省」とし、 (略)張謇が提案した、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前の早い時期にも あった。明の太祖朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位だけを下賜あい、国王の地位を与えなかったのも そのためだ。中国人からすれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部なのだ。中国の歴代王朝の封国といえば、漢時代の「呉楚 七国の乱」で知られる呉や楚が挙げられるが、それよりもさらに一段下の外藩、つまり外様大名ていどしか見なされていなかっ た。そもそも、朝鮮をつくったのは中国の箕子だと、中国人は主張するほどなのだから。そのため、張謇の『朝鮮善後六策』のよ うな考え方は、中国人の一般的な伝統的朝鮮属国観なのだ。中国が中華民国になった近現代でも、この中国人の朝鮮版図観
77 :
わたしはダリ?名無しさん? :
2010/08/21(土) 04:42:07 はたいして変わっていない。たとえば、蒋介石は、太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に出席した当 時、船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。もちろん、ルーズベルト大統領は、このとんでもない要求を拒 んでいる。朝鮮人も属国であることにマヒしているため、「朝鮮省」の設置をむしろ、「小中華」から「大中華」への昇格だと喜び、 中国を恨むどころか、恩恵と謝恩を感じるべきだと思っていた。とくに、これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなか った支那人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵なのである」「モンゴル人が明によって万里の長城の外まで追われ ると、朝鮮朝の太祖である李成桂は高麗朝から政権を奪い、モンゴル人を叩いて事大の対象を元から明へと鞍替えした。明が 遼東半島に進出していたころ、朝鮮人は明の先頭を切って満州人を征伐したため満州人から恨まれた。そのため、満州人の朝 鮮人に対する大規模な逆襲である丁卯胡乱と丙子胡乱が起こり、朝鮮は清の属国となった。明から清に主人を替えた後の朝 鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に馳せ参じ、2回の羅禅遠征と明の征伐に従軍した。父として明を敬っていたはずなの に、新しい父を迎えた途端、明に対して残酷無情な態度を取った。(略)満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友 のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度 は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。(略)明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝 鮮は宗主国である明から国号を下賜された。しかし、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、 明人を虐殺した」「長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し 脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらありません。朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみだった のです。『四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもなら ない』と嘆きつつ亡くなった林白湖という儒者がいるほどです」と書いている。