【藤原彫刻】定朝VS運慶【鎌倉彫刻】

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33わたしはダリ?名無しさん?
奈良・興福寺の仏頭、運慶作だった(2007年3月22日)

 奈良・興福寺に伝わる鎌倉時代の仏頭(重文)が当時の住職の日記により仏師運慶の作
だったことがわかった。
 この像は、江戸時代に体部を焼失し、頭部と手首などが国宝館に保存されているが、前
後矧ぎの矧面に「西金堂釈迦」の墨書があることから、平氏の焼き討ち(1180年)によっ
て焼失した西金堂の本尊釈迦如来像の鎌倉時代の再興像と考えられている。
 頭部の高さは約98cmで、像高は推定約2.5mの丈六仏だったとみられる。
 古記録『類聚世要抄』を調べたところ、興福寺別当だった信円が書いた文治2年(1186)
1月日記の写本がありその中に、「興福寺西金堂の本尊が運ばれてきた。大仏師運慶に賞と
して馬を与えた」とあったという。
 本像の作者についてはこれまで、作風から運慶の父・康慶や兄弟子・成朝が挙げられて
いた。