1 :
わたしはダリ?名無しさん?:
現代芸術家として、世界的に著名であったが、パートナーのマドリン・ギンズとともに、1981年以降「宿命反転」という構想を掲げる。現在、死に抗する建築の実現に向け、ラディカルな活動を続けている。
代表的建築物
* 奈義の竜安寺
* 養老天命反転地
* バイオスクリーヴ・ハウス(ニューヨーク、建築中)
名古屋、三鷹でも宿命反転住宅を建築中
3 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/27(水) 23:33:32
荒川修作がいかに時代遅れで愚かな作家か
検証するスレッドです。
4 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/28(木) 13:16:07
80年代であれば見る価値があったかもな・・・・
5 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/28(木) 21:27:29
世界のアラカワですか。あーそうですか。
6 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/29(金) 09:33:13
「ニューヨークで待ってるからな!」
「ニューヨークで会おう!」
しかし、あの番組の子供たちの学習能力と技術力には脱帽しますた。
7 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/05/01(日) 08:11:28
ひどいな。
8 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/05/01(日) 15:50:16
トイレットペーパー
9 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/05/08(日) 17:32:14
名古屋で展覧会やってるけど、建築に行く直前、
80年代前後の絵画は素晴らしいぞ。
10 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/05/09(月) 15:01:13
確かに良かった。
しかし最終日混んでてうざかったな…
11 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/05/09(月) 17:46:03
建築やると儲かるの?
最近やってることが、SimCity。
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/05/09(月) 18:29:23
いつまでも万博やってろ!ヴォケ!
母校を間違える(笑)
15 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 15:17:53
> 荒川さんは「確かに私の勘違いだったが、このような勘違いを批判する日本社会の性質はおかしい
ヴォケ!
普通、出身校を間違えるわけないだろう?
それとも、都合によって使い分けてるのか?
お前の勘違い建築で怪我人もでたんだろ!
16 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 18:40:36
ワロス
17 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 23:39:17
>>15 怪我人がでたけど、何か?
そのようなことを批判する日本社会の性質はおかしい!何か?
もんくあんのか?
ヴォケはアンタやろ!
18 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/10(金) 01:45:10
俺も15はバカでつまらないと思う。
19 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/10(金) 19:48:55
荒川修作っていわゆるグロ、ゲテモノだろう、建築のジャンルでいえば
つか、建築家っていっても自力で建築物の設計はできないだろ
誰かの協力がなければせんずりも書けない。
20 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/10(金) 20:25:36
とはいっても ガウディだってタイル製作者の協力
がなかったら魅力は確実に減るしなあ
はっきりいって、つまらんね
こういうゲテモノ・何でもあり系はすぐに
淘汰されちゃうべき存在
もう時代遅れなんだろ
23 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/24(金) 19:07:05
都会人が特に必要としてる建築だね。
荒川建築は。
24 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 15:52:22
いんや、いらない
25 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/13(木) 09:07:39
じつは、荒川さんかなり以前から愛知万博を狙って自ら売り込んでいたのです。
アメリカに渡れたのも大阪万博で儲けた金が元。
万博は彼にとっての夢と欲望を実現する舞台なのです。
結局どこにも相手にされず、万博の企画を叩き売っているのが
これらの建築なのです。
26 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/13(木) 20:37:57
27 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/14(金) 22:57:27
荒川修作のダメなところって
アイデアを常に哲学、現代思想、科学から
得ているところだろ。
ある意味最も簡単な制作手法だからな
28 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/17(月) 01:21:48
>>27 アイデアはどっからもってくればいいの?
ある意味ってどんな意味?
>>28 >アイデアはどっからもってくればいいの?
それがわかったら誰でもアーティストになれるよ
>ある意味
哲学、現代思想、科学に興味を持てば荒川的な
コンセプテュアルな作品はいくらでも作れる
まあ40年前はあれでも通用したけどね
30 :
↑:2005/10/20(木) 02:17:38
<Marquee>普通のマーキー(左へ進む)</Marquee>
31 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/21(金) 01:47:34
荒川って80年代まではNYに居ながら日本の市場を頼りにようやく生きていたけどいまのNYじゃ彼の名を知ってる美術関係者すらごく少数になった。
ちなみにシュウサクアラカワでググッてみるとほとんどが日本関連でしか検索できない。
河原温や草間弥生は生き延びたけど彼や篠原ウシオは無理だった。かわいそうに。
それでもNYにいたい。この住宅の利益もNYの生活費として消えるのだろう。ハナエモリが世界的なファッションデザイナーっていまでも呼ばれている現実と変わらないということだ。
老人いじめは好きじゃないけど、作家って結局は作品次第なんだろうな。
32 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/21(金) 02:59:50
SHUSAKU ARAKAWA
で引いてみること
カタカナでは ダメヨ
それから
syusaku もだめよ ローマ字だから
日本関連でしかないことは確かだ
34 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/05/06(土) 14:25:14
おっぱいクオリア!
荒川って芸大じゃないよね?
粉砕ってうらやましーのかもね。
だから、芸大生にクズって、、、
>>34の音声の最後で、加害授業の件について突っ込まれてるね。
本人は素で勘違いしてたと認めてるが・・
小さい頃、母親のことさえよく間違えたってマジかいな。w
37 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/04(水) 18:56:21
入居者募集してるよ ヘンな建築
38 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/13(水) 10:21:44
こうやって荒川のバケの皮が剥がされていくんだね
そうかなあ…
彼の建築に足を踏み入れてから書き込んでいる人間、一体どれだけいるんだ?
行くまでもない、なんて言うなよ。実際にそこでしか味わえない感覚があって
日常生活の自明性を揺さぶるのは確かなんだから、机上の空論で叩いたって意味がない。
40 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/06/05(火) 20:39:49
東京藝術大学の授業が行われました
ttp://www.architectural-body.com/mitaka/archives/2007/06/post_49.html 6月2日(土)、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科で教鞭をとられている正木基氏が、
同氏の「戦後視覚文化論」授業枠で作家・荒川修作の研究授業を行いました。
(中略)
初期の立体作品については、戦後日本の高度経済成長に対する非合理精神、東京が洗練されていく中で、
人間の生はこういった形でいいのだろうかという立ち止まって考えようという精神を。
絵画作品の中からは「考える」ということ見るものに要求し、死から生への転移のメッセージを。
その後の建築作品では今までの「生」に対する考え方が「死なない」というメッセージになり、
見るもののを変えていく装置としての作品づくりという3つのタームに分けてご説明されていました。
正木先生からは
「荒川が「死なないため」にといったのは生きるということだから、「生きるため」にということなんだと思うんだよね。
どうやって生きるんだということを考えているんだと思う。その中で、どうやって生きるかという能動性の問題を解いている。
死なない生き方をしようということは初期の立体作品から三鷹天命反転住宅まで全く変わっていない。」
というご指摘をいただきました。
(後略)
「死なない」というなら広義のモダニズムだと思う。
商店街からスーパーマーケットに、石畳をアスファルトに。その過程にある
のは、効率化、合理化。死を含めて人に都合の悪いことを排除するという
ことかな。
荒川さんの建築作品を見て思ったのは、死に抗うどころか、死を肯定する
ということ。なにしろ床が傾斜していたり、廊下が狭かったり。快楽(=生、
モダン)のアンチテーゼのように思えた。
一種の倫理観の表現なのかなあ。
荒川の著作を読んでないので正確には言えないんだけど、
最近の講演などでの彼の発言を聞く限り
彼の作品は死でなく生へ向けたものだと思う。
彼の建築は、不具合を感じ続ける場に人間をおくことによって
日常では背景化してしまっている身体の中に宿る力を逆照射し、
人間がそれを捉え続けることを可能にするための装置なのだ、
というようなことを言っていた。
例えば、きつい運動をした後に飲む水は、そうでないときよりおいしく
感じられる。欠乏した状態があるからこそ、そのあとに喜びや力を実
感できる。
人の命も、死という抑圧を無意識に知っているからこそ、真剣に考え
ようとするのではないかな。もし科学技術が人を死なないようにした
らどうなのか。倦怠を感じないでもない。
荒川氏のいう「生きる」とは、抑圧があるから分かる人生の喜びや
力なのでしょうか。反対に、そういったダイナミズムが失われた世
界で得る永遠の命こそ死だと。
物理的な死は肯定し、だからこそ精神の生を豊かにということなの
でしょうか。
44 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/06/29(金) 01:57:46
うp
45 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/10/28(日) 21:21:29
彼が養老天命反転地で言っている場についての言葉がよくわからない
「(知覚・イメージ・建築の)降り立つ」とはどういうことだろうか?
「知覚される場」「イメージしやすい場」「建築的につくられた場」
というなら意味が解かるけれど、「降り立つ」って言われると???
他にも疑問があるので、誰か詳しい方、解説をお願いします。
荒川の言説や作品は、そもそも解読しきれるものなのだろうか?
46 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/10/28(日) 21:41:03
「降り立つ」→「自分の意識の中で自然に形成される」
という意味なのかな。ああ荒川の言葉が解らない。
47 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/11/01(木) 04:21:08
何かの本で「荒川建築のある街」を宮崎駿が描いてる絵を見たけど
あれが現実味があって住みやすそうで良かったな。
一回誰かが租借してから作らないと。作風にクセがありすぎるよこの人。
絵画で稼げなくなると環境だ建築だと
まるで状況やマーケットを意識してるとしか思えないスタイル変遷。
いまさらこじつけたような死だとか生だとかの言説が笑える。
49 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/11/06(火) 21:58:34
>>48 なんだかね・・・共感するよ。
彼らのやっていることから感じること
・美術における錯覚の理論(ルネサンス、19世紀末〜20世紀前半に流行)
に対して、建築において身体と平衡感覚に着眼すれば、さらに色々と出来る。
・体験と記憶は双方とも建築といえる。(これは彼らの作品に限らない)
・自然と建築は認識においても意味においても異なるからこそ、
人工的に自然をつくる意味がある。
このレベルなら、荒川のやってることは理解可能。しかし彼らが口にする
「オートポイエーシス」「救済」がね。もうわからない。
オートポイエーシスで彼らの建築のどこが説明しうるのかよくわからない。
養老・・・を体験すると、なぜ死から救済されるのも全くわからない。
オートポイエーシス自体が、ものの見方でしかないし。ああわからない。
通勤時毎日
三鷹の宿命反転住宅
を眺めておる者です
なかなかの風景のアクセントになっております
電信柱との折り合いが悪いような気はしますが
やぱり、楳図先生ほど話題にはならなかったな
デカいの ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
デカいの ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
デカいの ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
ブチ込んだ ブチ込んだ ブチ込んだ アォー
パラッパッ ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
エロッ ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
エロッ ブチ込んだ 最後までブチ込んだ
ブチ込んだ ブチ込んだ アォー
53 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/01/17(土) 20:19:23
54 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/11(水) 16:11:09
三鷹天命反転住宅にお住まいになったことのある方、
フォローなしの素直な住み心地が聞きたいです
宜しければご意見聞かせてください
55 :
わたしはダリ?名無しさん?:2010/05/20(木) 01:47:07
56 :
わたしはダリ?名無しさん?:2010/05/20(木) 14:34:51
養 老 天 命 反 転 地 へ 行 く ぞ!!
57 :
わたしはダリ?名無しさん?:2010/05/20(木) 14:35:45
三 鷹 天 命 反 転 住 宅 に 住 む ぞ!!
万博マンセー!
亡くなったねぇ
あんなに、ぴんぴんしてたのに
本人に、気分を聴いてみたい
60 :
わたしはダリ?名無しさん?:2010/05/22(土) 16:55:26
み ん な
ニ ュ ー ヨ ー ク で 会 お う
from arakawa
独特の語り口の若々しい方でしたね
慎んでご冥福をお祈りいたします
養老天命反転地、行ってみたいなぁ