ヤフオクの悪徳美術商をあげる

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924わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 17:52:32
釉膚、土味は別途掲載の参考画像をさらにご覧ください。
925わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 17:53:05
いずれにせよ、この茶碗の釉肌
の色は、いわゆる無地唐津の色とは違います。
926わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 17:53:40
ほんとうに変幻きわまりない窯変を何度も繰り返したような、それでいて、
しっとりした吸いつくような蠱惑があります。
927わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 17:54:15
この秋に寄せての想いから、出品いたしました。
928わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:10:54
時代の欅盆(無垢・素木) 勝手に独酌盆
929わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:12:06
径36・6cm 立ち上がり3・3cm
930わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:12:44
いい古木の味わいになっているのに、まったく狂いが来ていません。
931わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:13:24
しかも、轆轤を噛ました跡が非常に古いタイプです。
932わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:14:15
ほどよく熟成していますから、あとは貴方の手入れしだいです。
933わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:15:12
秋の独酌にむけて出品しました。
934わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:15:44
この大きさだと徳利、ぐい呑みのほか、
ちょっとした肴を二、三品好きに並べられます。
935わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:16:17
なに、徳利を林立させたい?
936わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:16:51
自分が真っ赤に紅葉してどうします、
さきは病葉(わくらば)、身はひとつ。
937わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:17:26
いまどき痛飲は野暮の骨頂。
938わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:17:57
古い!
939わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:18:38
李朝初期・総鉄砂(濃栗皮色)盤口徳利 黒の到達点
940わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:19:11
胴径8cm 高さ11・4cm 
容量180cc(1合ちょうど) 桐の用心箱
941わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:19:49
普通には黒釉というべきなのかもしれませんが、
黒高麗の血統を直かに引く、このような渋い光沢の、
仇光りを殺した黒釉陶磁は、
多く高麗末から李朝初期にかけて精作されたものです。
942わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:20:23
たとえば、高台まわりをご覧になってください。
943わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:20:55
これだけのものが造られているのです。
944わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:21:28
高麗・官窯さながら、
砂目もぎりぎり抑えた上手(じょうて)のつくりです。
945わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:22:01
朝鮮の陶磁器には二つの柱があると思います。
946わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:23:08
白(白釉・白磁)と黒(黒釉・黒磁)です。
947わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:23:52
それが、白磁ばかりがやかましく取りざたされてきて、
いまだ黒の世界はおざなりになっています。
948わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:24:26
黒の世界は、民窯の産といえるかもしれません。
949わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:24:58
しかし、おなじように丹精を込められていたものが、
時代が下るにしたがって
民窯と官窯の落差は埋めがたく懸隔してゆきます。
950わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/03(日) 18:25:35
とくに「朝鮮の役」の後、いったんは途絶えた李朝の焼き物は、
そののち官民の差が非常に激しくなります。
951わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:28:08
後期・末期の民窯は粗雑に堕していきます。
952わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:29:30
砂目というより、砂礫をまぶしたような高台、どんよりした鼠色の磁胎に乱暴な染付け、日本の巷に氾濫しているのはほとんどこれです。
953わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:30:04
はっきり言って投げやりです。
954わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:30:35
それを面白し、と思う気持ちは、やがて倦み疲れます。
955わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:32:38
中世的な「律令制度」がそのままつい
に宿痾となった朝鮮の19世紀後半、疲弊し、
喘ぐ国民の姿を、李朝の最後に立ち会った旅行者イザベラ・
バードはつぶさに描いています。
956わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:33:30
なるほど、陶は政なり、なのかもしれません。
957わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:34:10
あるいは、高麗に遡るかもしれませんが、
この徳利のような陰翳をもった黒の世界は、求めて捜しても、
なかなか完器伝世の遺作は少ないのです
958わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:35:04
どうか手にとってご覧になってください。
959わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:37:14
江戸期古唐津・窯変黒唐津半筒茶碗 美濃・唐津茶会記
960わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:38:15
口径12・5cm 高さ8cm 桐合せ箱
961わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:39:00
ずしりと重い茶碗です。
962わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:39:42
まずは、この黒唐津の窯変した黒の変幻を
(画像ではなかなか難しいのですが)
見ていただきたいのです。
963わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:40:17
掘抜き井戸の底に蒸したコケのような深緑をたたえた黒、
流れる狭霧のような藁灰の淡淡とした白に乗った藍色のビードロ釉。
964わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:40:56
堂々たる茶碗です。
965わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:42:10
桃山江戸初の古唐津は、茶陶としての方向性を模索するに際して、
当時「国焼」
の先頭を独走していた美濃の影響を真正面から受けています。
966わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:43:21
朝鮮の渡来陶工たちは、のっけから、文禄の役で九州・
後詰めだった古田織部重然(しげなり)の足下にいたということ。
967わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:43:52
さらに旧来の岸岳城主(波多野氏)は、
秀吉に文禄2年(1593年)改易滅亡させられ、
進駐してきた唐津城主が、寺沢志摩守(しまのかみ)
という美濃出身の茶人(利休門下で織部とは同門)だったこと。
968わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:44:57
そして決定的だったのが、慶長はじめに
美濃焼の旗頭であった加藤景延(かげのぶ)の来訪滞在でした。
969わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:45:28
火を噴くような技術交流があったはずです。
970わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:46:51
景延は、唐津式の連房登り窯を美濃久尻に持ち帰るのですから
971わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:47:57
この茶碗に、美濃の行き方は顕著です。
972わたしはダリ?名無しさん?:2006/12/04(月) 14:49:00
半筒型の口縁はなだらかな「山道」になっていますし、
高台造り、さらには、瀬戸黒に見られるような
「水釉(みずぐすり=鉄分を含んだ釉を水に薄めて施釉し、
高台を磨耗から保護する)」。
973わたしはダリ?名無しさん?
この茶碗の時代は、もちろん即断はできませんが、
茶陶として姿をはっきりとった古唐津の迷い
のない時代にさかのぼるものと考えています。