WHO IS 東洲斎写楽?

このエントリーをはてなブックマークに追加
561阿波の十郎兵衛
斎藤十郎兵衛と蔦谷のつながりは、非常にあるのです。
十郎兵衛の息子が、同じ敷地(八丁堀の小役人の敷地を二軒で借りている。)にすむ、村田春海の娘(多勢子)の養子になっている。
(内田さんは、十郎兵衛の孫と勘違いしているが、十郎兵衛の実子)
村田春海は蔦屋からいくつか本を出版している国学者。

では、これはどうですか。


さい とう じゅう

とう しゅう さい

江戸の人は、言葉遊びが好きなのです。
だれか、確率に詳しい人、この確率は?

私は数学に弱いので、お手上げでしたが、
この確率を解いた人は、マスコミに大きく取り上げるられるでしょう。
だれか挑戦してみてください。





562阿波の十郎兵衛:2009/01/09(金) 22:57:42
表章さんの(喜多流の成立と展開)という本をご覧ください。

その本の、江戸城内の上演回数をみると、なぜ十郎兵衛が絵が描けたかが分かります。
阿波お抱えといえど、禄は少なく、謡を教えたり、上演した時の御手当で、補っていたのです。
十郎兵衛は、正確には喜多流ではありませんが、喜多流の系統であるので、同じ上演回数と思われます。

阿波お抱えといっても、江戸のお抱えは、給金は阿波候が支払い、(他の藩も同様)上演は江戸城内が多かったようですよ。

興味のある方は、喜多流の成立と展開をぜひご覧ください。
あっという事実がそこにあります。
(これはまだ、世の中に出てない証拠です。)常に写楽研究は先に進んでいるのです。