@ サルがこっちをミテいるアイダにカバはずっと。 @
>物質に帰結する限りはこの板のように寂れ廃れ
それでは何事も精神性重視、物質主義糞喰らえという価値観ならば、この板のように寂れ廃れる事は回避できるのだろうか?
残念ながら、20世紀後半〜21世紀にかけての記録では、極めてネガティブな結果を残すのみ。例えば新興宗教に活路を求めた人々がどうなったか。
ここには科学を宗教的に捉えた弊害(疑似科学)も含まれる訳だが、人々の精神もまた、物質であるという科学的な前提に立ち戻れば、精神論の破綻も当然といえる。
心の動き、揮発的、不揮発的な記憶もまた、質量を持った物質なのである。論理的な思考は必ず更新可能な科学でなければならないのだ。
現代社会において宗教は、科学的な思考について行けない人々が、心の空虚に詰め込むおが屑として、あるいは社会儀式用に機能する。
話がインスタレーションから逸れたような気がする。まあようするに、この板が寂れ廃れるのはエントロピーなのであって、誰の所為でもない。
活発な時期を長持ちさせたければ、みんなで馬鹿になれば良いだけの話である。こうしている間も誰かが他板で良質な馬鹿をスカウトしている事だろう。
馬鹿といっても、心の空虚に宗教というおが屑を必死に詰め込む馬鹿じゃないよ。全てを知り尽くした、さいはての馬鹿を差す。
全てを知り尽くした、さいはての馬鹿はカッコいいとは思わないかね?コマーシャリズムに則り、「馬鹿」を一般受けする言葉に置き換える作業が残ってはいるが。
バカにカワるコトバはクールのハンタイでサールがイーからに。
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>>198 うむ、Coolの逆でサール。流行るか否かは
>>1の新作にかかっている!とプレッシャーを与えてみようか。期待しているよ。
活性的博識を持って、インスタレーションの解説を誰にでもわかりやすく、応用しやすい形でこなす所存だったのだが、不覚にも自分の言葉に酔ってしまった。
全てを汁さいはてのサール。なんと素晴らしい存在だろう。このような人は昔から様々な名で呼ばれてきた。粋人、仙人、超人、鉄人、暇人、黒人・・・
決して自称できる名称ではなく、至ろうにも及ばない存在。せめて目指す目標でありたいものだ。時代によってこのような目標を指し示す媒体が異なるわけだが
別に古い時代に示されたメディアに、機能的不足があるわけではない。単に普及の度合いによる差異に過ぎず、新しいもの好きの大群衆に受け入れられやすいメディアが容器となる。
さて、ここでやっとインスタレーションの機能と役割に話が戻るわけだが、新鮮な価値観と新鮮な言葉は、その時代を反映する容れ物と方法で発せられねばならない。
200 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/22 14:23
>Coolの逆でサール。
???
201 :
気付き@幸せ掴む:03/08/22 18:47
人は豊富な物に取り囲まれて生活をしていても、精神的な不安や満たされない感じが強くなり、
何かを求めようと奔走しますが心の空しさは消えないものです。多くの人々は安心できる何かを
求めようと金品があるに任せて享楽ばかり貪っていても魂が満足しませんから、それを紛らわす
ために次々と奔走し、さらに変わった快楽を求めて享楽に身を持ち崩すのです。ところが、それ
でも心の空しさは消えず絶望感や孤独感に襲われるというジレンマに陥るのです。
人として人格の品性を高め徳を積まないと、激動する社会の流れや流動する資産などに心を奪わ
れて、自らを見失い本来持っている能力さえも発揮できなくて大切なチャンスを逃すものです。
この件に関する出典の説明があるHP↓に注目。参考にしよう。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
>>200 つまりCoolの逆で、Salmanderの俗語のSaalと。あまりにも苦しすぎるか。もうNGワードはわかっただろう。
さて、宗教について補足すると、心に空洞をあるままに放置するよりも、歴史を経て安定したおが屑を、詰めないよりは詰めた方がまし、という考え方もあるだろう。
おが屑にも集団儀式や政治的な使い道はあって、今だに機能している訳だが、実のところ科学・数学・メディアの母胎としての役割を既に終えて、弊害ばかりが際立つ時代と言える。
最大の弊害は宗派間や異教徒間の対立だが。