317 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/07(火) 05:07:36
写真は他のメディアとはちがうんだと中の人が考えちゃったのが、
不幸のはじまりの様な気がする。
>>316
俺の今年の個展は写真。いままで立体をやっていたがミックスする
このアイディアが世間に出れば、まじでパラダイムシフト起きるぜ
待ってろよ。公開するのは年末かなあ
ゴォッホン。次どうぞ
320 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/08(水) 19:03:43
写真が対象をそのまま写すものだとしたら、人間の目に映る対象はそのままだ
とあまりに直接的というか、指示性が強いというか、方向性を持ちすぎるとい
うか、そんな感じで、たとえば犬を写真で写した場合には誰が見ても犬になっ
てしまい、つまりあまりに対象に縛られてしまうが、絵画は違ふ。裸の女を目
の前に立たせて富士山を描くことだってできる。そんなふうにあまりに強いリ
アリティを持つ物をそのまま写し取ってしまうかぎり、写真を芸術の域にまで
高めるのは難しいと思いまふ。芸術とは対象の模倣とはたぶん反対の所にある
ものだと思ふから。……ちょっとオシッコ行ってきます。
321 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/08(水) 19:58:26
その絵を観た人は富士山の絵なんでしょ?
あ、例え話か、すいません。
今は心霊写真なんかもCGでいくらでも作れる時代なので、
僕は写真には幽霊を合成して観衆をうならせるような技術が芸術的には必要だと
思います。
かなり例え話です。
ちょっとうんち出そう・・・
写真は芸術なのか?カメラ触る人は結構悩むというか、疑問を持っているのではないかと思います。
自分の周りにもカメラ触る人が多数います。
ネガから作り込みまるでC
写真は芸術なのか?カメラ触る人は結構悩むというか、疑問を持っているのではないかと思います。
自分の周りにもカメラ触る人が多数います。
ネガから作り込みまるでCGのような一枚にする人。
ありのままを撮す人。
持ち手が違うだけで同じ場所、同じ人でも違うのです。
どこをどのように、どの瞬間にシャッターを切るのか?
そこに持ち手の表現があると思います。
ですが絵を書いてる人の物と写真を比べると少なくても写真は芸術?
と足を止めてしまうことがあります。絵と敢えて比較すると表現の自由の幅があまりに狭いのです。
そこで自分なりに写真は素材だとあくまで自分の写真において。
完結しました。
真面目に書こうと決めたのに失敗して連投
申し訳ありません。
325 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 00:14:36
自分に素直な感情と自分の人生のせて写せば芸術じゃないかい?
ただの記録と人生のせた作品の違いがわかる人は少しながらいるよ
皆わかっちゃったら皆芸術家だよ
やっぱ日本人だと報道写真のが感動的なもの多そう。
327 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 16:23:47
写真が芸術になるひとが稀にいるんだということだよ。
カメラに連結された思考の正しさが写真を芸術にするわけです
328 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 23:18:08
325> さん、私もそう思いますよ、
自分も写真を使った作品つくりますが(インスタレーションとか)
撮る目的次第だと思います
329 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 23:51:14
ロレッタ・ラックスとかどう思う?
330 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/30(木) 00:50:35
>>325 人生がどうこうと、芸術かどうかは何も関係ないと思うけどなぁ。
ロレッタ.ラックス
勉強してからまた来ます!!
332 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/01(土) 15:15:34
どうやら皆さん、小西六は嫌いなようでw
333 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/01(土) 15:45:22
うん 嫌い
334 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/02(日) 10:45:11
ロレッタ・ラックスは明らかに美術作品だよな?
少し勉強してきました。デジタルカメラだとアナログに劣る部分があり、その逆も当然ありますが、補填するためにデジタルで加工をすると、途端にアレルギー反応みたいに拒絶する人もいます。
自分はデジタルカメラで撮る時にデジタル処理を前提に撮ります。
ロレッタの画像少し見たのですがビックリしました。
でも写真作品のカテゴリーにはないのかもしれない。
そんなふうに感じました。アナログなCG、そんな感じがしたのです。
二年前に国近美で「ドイツ写真の現在展」やった時に見たな。
絵画的にデジタル処理した作品だ。
別にこの作家でなくても、フツーの写真作品で美術作家的なポジションにいるのはいくらでもいるだろ。
むしろ写真家としては周縁的なとこに位置するんじゃないかと。
http://www.lorettalux.de/
このスレ難しいですが、楽しいです。
色々勉強したくなりました。
写真も、曲の編集も、芸術の域まで行ってるのはある。
だが他人の作った芸術を弄ってるだけだったら、やっぱり記録・作業の域を出ないと思う。
(被写体の芸術性が写真家の生み出した物でない場合。音楽なら
他人の作った曲を注文通りに編集してるなど、編集者の創意が薄い場合の話)
続き
ただ写してるだけ、ただ編集してるだけ、ではその芸術の第三者だ。
撮った写真はまだ素材でしかない。上から描き加えるとか、コラージュに使う
などしてやっとその人の作品になる。
勿論、たまたま(もしくは苦労して)魅力的な被写体に巡り合って撮った写真でなく、
イチからセッティングして撮った写真は、それだけで芸術だと思うよ。
なんかの写真雑誌で、泳いでる人にまとわりつく水の動きを
まったくピンボケせずに写しててスゲーッて感動したことある
ああいうのなら芸術と呼べるんじゃないだろうか
341 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/12/02(日) 02:34:06
342 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/12/05(水) 20:57:44
>>336 その時も出てた作家だけど、グルスキーなんかは
デジタル加工の作品で四億以上の値が付いてるね。
一枚の値段では写真最高じゃない、どうだろう?
写真だろうが何だろうが、海外で評価されたら
日本でも美術品として評価されるよ
海外で評価される為には新機軸とコネクションが必要だな
日本の場合、写真は木村賞とかステップアップのシステムってけっこう完備されてるだろ。
写真と現代美術の二股かけられるし。
写真集出版とか商業系の仕事もある。
いわゆる食って行ける構造は美術とかより上。
海外云々の逆輸入構造はここんとこの若手では聞かんな。
紋切り型の台詞で、知ったかぶりたいて気持ちはわかるが。
登竜門や食っていく手段の話じゃないよ
>日本では、写真作品は「美術」になれないのか?
ってスレタイ通りの話をしてるんだよ
日本のアートマーケットでは写真作品はあまり求められてないじゃん
写真集ってグラビアとか景色、動物とか?
これは「美術品」として流通してるとは言えんでしょう
>>345 >写真集ってグラビアとか景色、動物とか?
あんた、ズレすぎというか無知すぎ
何でこの板にいるの?
大御所の森山大道とか中平卓馬、杉本博くらいは知ってるでしょ?
写真使ってる美術家もいれば、現美のエリアで認められてる作家だっているよ・・
>>346は論点がズレ過ぎw
そもそも
>>343では美術品としての写真作品そのものの流通の話をしてる
商業で使ってもらえるとか写真集がとか、版権使用料の話なら美術品でなくても
挿絵でもファッションでも可能じゃん
一般的な日本人は写真好きだけど、美術品として高額出して写真作品を買うほど
意識の高い人は少ないし、
>>1で挙げられてる公募団体の募集要項も相変わらず
骨董屋やオークションで写真作品が焼物や絵画のように盛んに取引されるようになれば
「日本では、写真作品は『美術』と認識されている」と言えるだろうね
日本人の好む伝統文化は皇室をも巻き込んだ強固なヒエラルキーが美術品を権威付けている
写真作品が有難がられてないなら、日本人が権威に弱いのを利用すればいいと言ってるだけ
>>347 写真は近代以降のものだから骨董とか伝統絵画と比べるのは無茶である
美術作品としてだったら、60年代以降というか現代にかなり近くなってからだ
認定も現代美術の文脈でだな
もともと記録メディアとしての歴史があるからね
それとは別に写真界自体の権威付けは日本にもある
旧上野の団体展とか、二科展みたいなとこで写真が重要視されてないっても、あそこはそんなとこでないしw
ちよっとジャンルが違う
あんたの見てる美術界とこっちがズレてるんだろう・・
杉本博のプリント作品はかなり高価だが、やはり海外のアートマーケットとリンクしてる
ただ、これは写真だからというよりも国内での格付けに限界があるってだけだ
絵画並みの大判のプリントが出来るラボの存在も近年だしね
写真自体は美術界で市民権得てるけど、日本の一般コレクターがもてはやすにはもっと時間が必要だろう・・・
でも若い作家はけっこう人気あるみたいだけどな
あと、写真の場合は作家の写真集がそのまま作品集となっているわけね
絵画とかと違って、元から複製メディアだからオリジナルプリントが絶対てわけでない
美術品としての写真は、やっぱ大判プリントが出来るようになってからね
ここら辺は、美術品として流通するために美術市場のルールを適用してると言っていいのかもしれない
写真はそれ自体が自立したメディアなのだから、そちらに行くのに批判的な意見ももちろんある・・
KMOPAとかもあるけどな
>>347 村上厨乙。
> 骨董屋やオークションで写真作品が焼物や絵画のように盛んに取引されるようになれば
焼き物や絵は、物品に唯一性がある。
音楽(レコード芸術以降)や写真は、複製芸術、再現可能性がある。
どんだけ遠投の保全してんだよ・・・・
353 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/06/19(木) 20:39:26
写真って、美術「商品」の性格としては、版画に似ているのか?
ただ、版画は初刷り神話とかエディション数の限定は生じるけど、
写真は無限生産できるのでは??
そのあたりお詳しい方、ご教授くださいな。
354 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/06/26(木) 15:01:06
パソコン時代になると撮ったものを加工することもできるが、そうでない場合
には、写真はあまりに写す対象物に支配されすぎて、それを芸術の高みにまで
持っていくのは至難のわざだろう。絵はミカンを前にしてリンゴを描くことも、
リンゴの中に神様を描くこともできるが、パソコン加工なしの状態で写真にそ
うした、写したものの向こう側に何かを浮かび上がらせることはほんとに難し
いと思う。
便器にサインして芸術って手もあったよね
356 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/08/23(土) 16:37:23
写真が芸術かどうかはF1がスポーツか?に近いものがあるよな
機械に左右されすぎなんだよな
358 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/24(火) 22:14:03
>>357 機械的複製こそが
神秘性に
付け入る隙を与えないのだけど?
神様みたいに有り難がる対象はお金だけで我慢しておけば?
359 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/27(金) 02:44:10
このスレも七年目か…
360 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/21(土) 18:56:28
_________________________
<○ノ
‖
くく
しまった!ここは糞スレだ!
オレが止めているうちに他スレへ逃げろ!
早く!早く!オレに構わず逃げろ!
_________________________
<○√ <○√
‖ ‖
くく くく
お前だけにいいかっこさせられるか!
_________________________
Oノ
ノ\_・'ヽO.
└ _ノ ヽ
〉
お前等はこんなとこで終わっていい奴等じゃない!生きるんだ!!
361 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/21(土) 22:06:21
逃げろ〜!
362 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/22(日) 05:51:58
美術になれないとは言い切れないと思う。
銀塩のバライタプリントは一種の工芸品に該当する可能性はあるけど、
技術的に同クオリティで複数作品が作成可能なので、商業的には、いいとこリトグラフ並の価値しかない。
写真は俳句のようなもの。
写真表現という行為が文化的な意味では、芸術または美術の一種である可能性はあるが、
ポジフィルムやプリントなどの実体は作品の内容そのものじゃないし、
それらが美術「品」には該当しないという件は歴史上の既出。
365 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/12/15(火) 18:27:22
写真は芸術か否か。
両方に頷ける。
でも、日本では「否」だろう。この先もずっと。
自分も芸術として提供されている写真より、報道として世に出てくる写真のほうが好きだ。
銀塩からデジタルになって、何でもイジれるようになった今は、余計にジャーナリズムとしての写真に魅力を感じる。
>>365 芸術を美術と混同していないか。
写真は文章や図画と同じように媒体にしか過ぎず、媒体が芸術か否か問うのはおかしい。
写真は、画像の生成過程が機械的かつ描写が写実的なので記録用途に向いていて
印刷するという文化にも造詣が深い技術なので、ドキュメンタリーや報道にも盛んに使われてきただけ。
写真は嘘を本当のように見せてしまうし、報道は事実の断片であってそこに必ずしも真実があるとは限らない。