1 :
わたしはダリ?名無しさん?:
日本では絵画・彫刻などが美術作品として著名ですね。
絵を描く人から、
「写真が美術だあ??バカか、おまえ」
「しょせん写真なんて、記録という価値しかないんだよ」
なんて言葉をよく耳にします。悲しい。
二科展なんかも写真部門は「写真」のみの提出で、
「作品」として自分の表現したい大きさに伸ばすことはおろか、
自分の意図するマットや、額装することさえもできない。
(いや、自分は鑑賞する側なんですが)
日本では写真作品に美を感じ、”美術作品”として鑑賞する人は少ないのかな?
−−− 大辞林第二版から抜粋 −−−
【美】び
形・姿・色などがうつくしいこと。きれいなこと。また、そのさま。
「―を追求する」「調和の―」「自然の―」
【美術】びじゅつ
美の視覚的・空間的な表現をめざす芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。
〔fine arts の訳語。明治時代には音楽・文学も含んだ〕
【芸術】げいじゅつ
特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して
美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。
建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、
演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
2 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 16:56
アラーキーは英国では絶賛されてるね。
3 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 17:05
美術館・企画画廊でも「写真はお断り」って所が多いよねぇ
4 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 17:09
>4
え〜と、「展示物の写真撮影禁止」」
という意味ではないですよ
説明不足だな、ごめん
6 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 17:36
7 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 18:57
まだ日本では写真というとフォトジャーナリズムとしての受け入れられ方のほうが
強いからアートとして見られにくいのかな?
写真のプリントにも色々な手法があって、そういったものの中には
写真ていう概念を超えたような作品もたくさんあるのに、
頭ごなしに「写真はアートにはなりえない」と決め付けられるのは
なんだかちょっとさみしいです。
8 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 19:37
>>3 >美術館・企画画廊でも「写真はお断り」って所が多いよねぇ
これって、
「格調高いわたくしたちの展示サロンでは、格下の写真なんて展示できるはずはありません」
なんて思っているのかなあ?
9 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/17 19:46
写真=アートなら
録音テープ=アートとなってしまうように思うのだが・・・
やっぱ作曲・演奏してこそアートでしょ。編集だけでアートだなんてズゥズゥしい
ギリギリ、ウォーホールの塗り絵が評価されてる程度。これが現実
10 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 20:05
>9
録音テープ=アートとなってしまうように思うのだが・・・
そんなことを言うと、CDのマスタリングエンジニアさんに怒こられるぞ
マイクで拾った音をそのまま録音なんて、とても聴けたもんじゃないぞ
自然を見て「美しい」と感じる人もある。
ならその移り行く自然のひとコマを、その人の視線で切り取って、
その写真を観て美しいと感じるなら、
立派な美術作品と言えるんじゃないのかな?
11 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/17 21:41
いや、漏れはマスタリングエンジニアってのも認めてないから・・・
使えないモノを使えるようにアレンジするのがアートだって
いう気か??単なる作業だよ、それ
自然を見て美しいと感じるヒト=風景写真もアートだと思うヒト
ってか? 全然別だって。むしろ自然の美しさを知れば知るほど
写真=アートだとは感じられないと思うが・・・写真アートだと思ってる
ヤツはすぐに紙に絵を描くといい。好きなように、思うがままに書くといい
で、好きな写真もとってみな。
そして現像した写真と自分の下手糞な絵を見比べてみろ
そのとき、自分がどう感じるか、その感覚がそのヒトにとっての答えだ
果たして写真はアートであるか?漏れにとっては違う
あ
13 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/17 23:17
age
14 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 00:59
私は写真にも感動出来るものは存在するのでそういう意味では芸術と
呼んでもいいと思う。
ただ写真ではタブローほど作家の個性が出しにくいというか..
その写真自体が有名になってはじめて「ああ、これはあの人が撮ったものね」とやっと分る。
例えばゴッホのマイナーな油絵が落ちていても「これゴッホじゃない?」と
分るだろうけど、
ブレッソンのマイナーな写真が落ちていても、
「これ、ブレッソンかな?ドアノーかな?アーウィットかな?」
てな感じだろうなー。この3人好きなだけに余計にそう感じる。
というわけで写真自体は芸術になり得るが、写真作家は芸術家足り得るのか疑問です。
15 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 01:14
それこそ、ライカからF2ぐらいの世代なら、瞬間を切り取るという写真本来の
価値が成立していたが、現在においてはもうその価値は成立し得ないと思う。
16 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 01:54
>>11の写真に対する認識は極端だね・・・
戦前の欧米には抽象画を写真にしたような抽象写真のブームがあり、
「写真=現実を写すだけの機能」という定義はすでに無効と化してたと思う。
抽象やシュルレアリズムの影響を受けた写真で、同様の絵画とはまたちがう
印象を受ける作品だ。
日本にも丹平写真倶楽部という人たちがいたので検索してみては。
その辺の人らの作品は、大阪市や東京都写真美術館が持ってると思う。
戦後は、パフォーマンスやランドアートなど後に残らない芸術の記録の
ために、再び写真が盛んになって今に至ってる。
公募団体のような旧弊そうな世界ならいざ知らず、日本の企画画廊は
絵画や彫刻をやるように写真、映像を普通にやっている。
東京ならツァイトフォトサロン、タカイシイギャラリーあたりが写真・映像
中心のギャラリーとして有名だ。写真専門でなおかつカメラ・フィルム業界
とは無関係のギャラリーは、大阪などにもいろいろ存在する。
現代美術系の貸し画廊でも、写真作品を見るのはもはやザラ。
写真専用の美術館だってあるだろ。(東京都写真美術館・・・経営は苦しそう
だが写真の歴史や動向の研究はちゃんと行われている・・・)
アラーキーはすでに美術館で何度も特集されてるし、畠山直哉あたりも
今年は岩手県美と大阪の国立国際美術館で別々に大規模個展が予定されている。
東京国立近代美術館でも、ここ数年若手の写真展が相次いで開かれてた。
美術館も、一応写真をする人の作品を美術と考えてるわけだよね。
写真というメディアについて、その可能性に疑問を持ったり、何ができるか
模索したり、というのは今も続けられているけど、少なくとも、一定量の人が
写真は現代美術の欠かせない分野だと考えて展覧会をやっている。
その事実はちゃんとある。
17 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 02:19
同意。
>> 11のやつ
うまく描けた絵と写真比べて意味あんのか?
絵だってそこに対象がなかったら描けないもの、たんまりあんだろ。
写真で芸術やってるヤツは、現像の段階でいろんな手法使って表現すんだ。
表現したい内容が重要で、手法に認めるもなにもねーよ。
コノ分類好きが、もっとその目を養ってからものいえ。
>> そのとき、自分がどう感じるか、その感覚がそのヒトにとっての答えだ
矛盾してんなー、おまえ。
19 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/18 04:11
いやいや。まあ矛盾してたかも知れんが、漏れ的には違うんだ写真
他のヒトがどう思うかは自由ってことさ。芸術の定義なんて多様だ
けど、スレタイがスレタイだけに主張するとこは主張する
現段階で写真=アートって概念が成立しつつあるのは知ってる。けどさ
実際お前らさ、ダチに写真やってるヤツとかいるか?
いたら聞いてみ。写真ってアートなのってさ
大概、君らが思ってるような答えは返ってこないよ(少なくとも漏れのダチではいない)
まあ、漏れの好きな写真って報道系が多い。君らにとってはどうだか知らないが
あまりに受動的なんだよ。どんなに趣向を凝らしても
けして難民は生み出せない。戦争はうつせない。ないものはうつらない
しかし現地に行けばそれはある。技術も何も関係なく、それはネガに焼きつく
それはアートでなく、記録だ。すごい手段だとは思うが、けしてアートではない
20 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/18 04:25
いくぶん挑発的な書き込みになっているかも知れないが、悪気はない
18の書き込みは(まるでガキ)挑発的すぎて不快だ。もっと練ってレスしてくれ
漏れはそうしてる。最低限の礼儀は守れ
アートはけして記録ではないんだ
ってことが言いたいわけよ。要約すると
対象がなくちゃ書けない絵画もあるだろうが、そこに「絶対」という枕詞がないことが
重要でない? あるものしか写せないってのはチト違うように思ふ
21 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 12:14
おれも、同じような理由で
>>11の意見に共感だ。
実験的なアート写真というジャンルもあるだろうが、やはり写真は
報道的な意味合いを色濃く伴ってしまわざるを得ない表現方法だと思う。
その多くは、対象に面白さのほとんどが存在するものであって、創作という
感覚があまりにも薄い。対象を面白く見せる能力というものは確かにある
と思うが、その能力は対象を超えるものではなく、超えてはいけないという
場面すらあると思う。ちょっと例えは悪いと思うが、同じような理由で
おれは、演奏家というジャンルも芸術として看做していない。
同じ物体が表現者によって全く変わることに気づかないなら、
それもよし。
そうすると、生け花とかフラワーアートなんていうのも、既存の材料
組み合わせてるってことで、対象外(誰もおまえに対象とか言われた
くないだろうが)か。
キミの芸術範囲、極端にせまい。
23 :
写真を撮影する人:02/08/18 14:33
いやあ、色んな書き込みがありますな。 >22さんと同じような意見ですが
写真を撮影する、その時には撮影する対象が絶対に必要となる。これは真実でしょう。
そのために私は、
対象物を越える、自分の感情そのものの表現ができないという写真の限界を感じたり、
自分の感情を対象物という制約無しに、紙の上に表現できる画家さんを
うらやましく思ったりすることも、しばしばあります。
(絵であっても、ほとんどが2次元の世界、光・音・風・温度を伴わないという制約がありますが)
しかし写真であっても
うれしい・楽しい・ホンワカ・鋭い・厳しい・柔らか・悲しい・怒りなど、
さまざまな感情を同じ一本の木・一輪の花であっても、撮り分けることによって、
表現は可能です。絵でも同じですよね。
対象物が絶対に必要、ということにおいては、写真の創造性は低いかもしれない。
しかし写真であっても、見る人に何らかの感情を起こさせることはできると思う。
そういうことで、
美術 < 美の視覚的・空間的な表現をめざす芸術 >
と呼んでもいいんじゃないかなと思うのですが。
24 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/18 16:14
おーなんか議論になってきてるな
オモロイ。マターリ進めましょう。
写真がもたらす感動にさ、作者の腕がどれくらいのウェイト占めてると思う?>22、23
前述のアラーキーの撮った美女写真ですら、ボチボチの腕のカメラマンが
フィルムに焼き付けた、キャラメルを幸せそうに頬張るアフガンの少年に
勝てるとは思えないんだよね。写真ってのは
手段としてあまりに優秀すぎると言うか、センスより、運。そう感じてしまう
写真=アートってヒトは報道写真がもたらす感動や衝撃をどう解釈してる?
報道の写真だってノースキルで撮れるモンじゃない事は理解してるよ
けど、だったらその先は?何が左右するのか、何が求められるのか?
25 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/18 16:22
なんで24って表示されナインだ??
26 :
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27 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 16:24
美の世界って、勝ち負けで決める世界なのか?
おれはそうは思わないけどな。
>>22 表現者によって千差万別、という意見はそのとおりだと思う。
しかしながら、被写体(写真)植物(生け花)という対象物なくして
作品が成立しづらいという意味でも、創作の可能性において幅広さに
欠けてしまうと思う。それを度外視して根本から創作しようとするなら、
写真は絵画になるし、生け花は工芸もしくは園芸になってしまうだろう。
そういう意味では、
>>23の意見と似ているかも。
写真というジャンルは、茶道なんかに似ていると思う。どちらかと言うと
作品そのものよりも、その作家の姿勢や感性が作品であるといった感じかな。
そういう「道」系の活動によって生み出された物を、創作あるいは作品と呼んで
いいのか、ちょっと戸惑う。
いいなあ、レス欲しいなあ...
30 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/18 22:59
あげ
31 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 00:08
「アート」ってものの見方を示すものだと思うんだよね。
そういう解釈でいくと、写真にもアートと呼べるものと
そうじゃないものがある。荒木さんや畠山さんは素晴しい
写真家でありアーティストだと思うよ。もちろん報道写真
の中にも「アート」と呼べるものがあるかもしれない。
ついでに言うと、内面とか感情とか自己表現とかって、
よくアートの目的みたいに言われるけど、そんなの後から
否応なくついてきてしまう程度のものであって、アーティ
ストが自覚して制作の第一前提にするようなものなんか
じゃないと思う。
32 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 08:42
33 :
MICA卒業:02/08/19 17:13
美しいモノを撮る=カメラ家
美しいと思うものを撮る=美術家
かなっ・・・・。むずかしい事はよくわかりませぬが・・・・。
34 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 17:28
多くの人は「創作された写真」を知らないのさ。(観た事が無い)
単に記録された物を元に語ろうとするから、アートじゃ無いなんて思う。
極端な例だが、考え方の一端を挙げると、例えばB(バルブ撮影って分かります?)
真っ暗な部屋の中でシャッターを開けっ放しにしてセットし、
12色のペンライトの光跡で暗黒の空間に絵を描いたら如何でしょうか。
そうして、写した(描かれた)「写真」なら、絵画と同等の芸術と認めますか?
上記はあくまで、撮影者の意識を素人の目に見える形で表すとした一例ですが、
手法はどうあれ、作者の意図が込められて無い写真は単なるコピーです。
だから、世の中の多くの写真は単なるコピー(記録)です。
35 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 17:50
「写真の記録の要素は、写真がアートとなりうる足かせだ」みたいな
カキコが目立つんだけど、写真メディア特有の「記録」って、
写真が現代美術に入っていくときの大きな武器になりうるよ。
ベッヒャー関係なんて、その点、バリバリ。
フォンクベルタなんて「記録」を逆手に取ったりしてるし…。
36 :
MICA卒業:02/08/19 17:58
記録は写真の基本。
「創作された写真」はカメラ&フィルムを使った”お絵かき”と
いう認識が強い(・・・強かった・・・90年代米国)。
学生時代、「創作された写真」をやるヤツは絵のかけないヤツの逃げ道
なんていわれたなぁ〜。PCグラフィックもそうだったけど・・・。
今は違うのかなっ!?
37 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 18:22
34です
突っ込みどうもです。35・36さんは色々な写真を知っておられるから、
否定も肯定もできる訳ですよね。(認識あり)
34はあくまで、創作例を挙げた訳ですが、写真=記録(写し)では
やはり、=芸術と言うのは受け入れられ難いと考えます。
例え記録であっても、意図が込められていれば作品だと考えますが、
作画意図の無い写真は単なるコピーです。例え感動したとしても。
他例を挙げてみますが、カーレースの写真を近所のおばさんが
写しに行きますと、カメラ任せのオートで、殆んどが車が静止するか、
逆にブレブレの写真になります。(意図は写し止める事にあり)
プロだと、背景を流したり、逆光を利用して強いコントラストを
演出したり、作画意図が込められた写真を狙う訳です。
これは「単なる記録」ではありません。
写真=何々と言うより、その絵に作画意図が反映されているかどうか、
この部分が「創作された写真」であり、立派なアートだと考えます。
ですよね?
38 :
MICA卒業:02/08/19 18:36
>>37 ・・・ですね!
でも、どんな美術にしろ゛創る前に頭使うヒト”はやはり作品がイマイチ!
我々ボン人に制作意図がわかるような作品(=写真でも)はつまらないでしょ!?
>プロだと、背景を流したり、逆光を利用して強いコントラストを
>演出したり、作画意図が込められた写真を狙う訳です。
>これは「単なる記録」ではありません。
↑こ〜ゆ〜風に我々に見抜かれてる写真って退屈でしょ!
39 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 19:09
>>38 …ですが
では逆に質問。
作画意図を見抜かれずに、「込める」一例を挙げて下さい。
>どんな美術にしろ゛創る前に頭使うヒト”はやはり作品がイマイチ!
これには少し異論があります。私は事前の準備は怠り無くあるべきだと
考えます。その上に立って偶然性や閃きの昇華部分があると考えます。
少し違いますが、小学生が描いたピカソもどきをアートとは認めない。
40 :
MICA卒業:02/08/19 19:32
・・・文字での作例は難しいけど、結構あると思います。
”デュエイン・ルー”というベトナム人作家の写真。
NYで観たけど・・・・・文字にできません。
わかりやすいとこでは金村修とかね・・・彼、ホントに何も考えずにシャッター切ってる。
「観るヒトが勝手に判断してくれっ!」て感じで・・・。
小学生の作品・・・好きです・・・私・・・・。
甥っ子達の描いた絵なんて大人じゃ〜描けないなぁ〜。
写真を撮る場合(写真に限りませんが)、”頭”よりやはり゛センス”が
大事かと・・・・。考えて創るヒトはかなりセンスがないような・・・。
じゃなきゃ〜アラキの゛ピンぼけ・ぶれぶれ写真”は海外では評価されないでしょ!?
考えて撮ってないからアラキしか撮れない写真なんてね・・・(偉そうですね・わたし!)
・・・単に頭使ってモノ創るヒトが嫌いな私・・・・だったりして・・・。
41 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 19:56
うへ〜
ケンカ売るつもりは全くありませんが…
小学生の甥っ子の作品を芸術とは認めません。(たくないのかも?)
アラーキは大嫌いな写真家です。
デュエイン・ルー、金村修は研究してみます。
ただ単に常に前へ前へと進んで行く芸術家が好きなだけかも…
自分の理想は死ぬ直前の最後の作品=最上になれば良いです。
(写真なら可能かも知れないし…)
確かにセンス=閃きは大切な要素ですね。
42 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 20:06
追加
「意味ありげな作品を意味ありげに語る」作風はアートじゃ無い。
何処まで行っても似非アート。金村氏がそうでない事を祈りたい…
43 :
MICA卒業:02/08/19 20:45
結構、テレビ&雑誌に出るヒトって”言わされてる”事・・・多いですよね!
実際にあって見ると、”単なるオヤジ(orお兄ちゃん)”だったりします。
作品を好きになる事も大切ですが、好きな作品があったらその作家と一言でも
良いから話して見るのも良いかも・・・・。
・・・死んでしまった作家とは話ができないので残念無念ですが・・・。
44 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 21:17
そういう意味では、私はGeorges de La Tour と話したいです。
ルーヴルで暫く動けなくなったのは、唯一その前だけでした。
まぁ、死んだ方が作家なら「会話」できますけどね。
残してくれたメッセージは多いですから…
話して感じる(伝わる)のは邪道です。(人柄から得たものとしても)
言葉で伝えないから芸術なのですからね。
あぼーん
>>14です。
写真が一様のスタイルが限定されていてタブローほど他者との差別化が
できにくい点についてはみなさんどう思われますか?
47 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 21:25
「記録」の話に戻っちゃうんだけどさー。
グルルースキーが師匠のベッヒャー夫妻に叱られた(批判された)ことってあったじゃない。
誰か、その内容を知っている人いない?
教えてホスィー。
で、勝手に内容を想像したりしちゃったりするんだけど、
ベッヒャー派の基本って「記録→観察→分析」だよね。
それをグルースキー、卓越したデザインセンスでPCを使ってバリバリレタッチして
「記録」という要素がえらく希薄になってきたじゃない。
見た目はベッヒャー派なんだけど、基本理念を何処かに忘れちゃってる感じがするんだよね。
そこにベッヒャー夫妻はグルースキーに苦言を呈したんではないかと…。
ボク的にはデザインセンスバリバリのグルースキー好きですけどね。
48 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 21:33
>>46 認知度の問題もあると思います。例えば教科書に載るというような。
(歴史が浅いのも関係ありかな)
でもピアノの演奏家はもっと可愛そうでは?
ショパンと分かる人は多いが、誰の演奏だと答える人は少ない。
49 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 21:59
>46
リテラシーの能力で見た場合、絵画よりも写真の方が自由度があるよ。
要は、自分の表現したいことに対して、適したメディアを選べばいいだけ
ですよ。
例えば、ソフィ・カルが、一連のプロジェクトを絵画でやったら、
ほとんど、コント紙芝居になってしまうわけよ。
50 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/19 23:47
写真作家や広告写真家の多くは被写体に演出を施したりするなどして、
自分のイメージをフィルムに記録する。
で、スタジオ撮影などを見たことある人は分かるだろうけど、
その被写体は大抵肉眼で見ても格別に美しいと思えるものじゃないよ。
例えば、広告の商品なんかを普段肉眼で見ても、対してきれいじゃないのに、
広告写真なんかではやたらに美しく見えたりする。
写真家は自分が面白い、美しいと思うイメージをフィルムに記録する。
れっきとした芸術家だと思うが。
ある写真家は『まずイメージありき』と言っています。
写真は他の芸術と違って、用途、ジャンルがいくつもあるから、
それが一番障害になってると思う。
藤井秀樹(APAの会長)の写真なんかすごいよ。
以上つれづれに書いてみました。
51 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/20 11:10
写真を撮るにはとても技術を要求するよ。
その上に感性も要求する。
写真って言っても色んなジャンルがあるから一概には言えないけど、
れっきとして「美術」だよ。
ただ歴史が浅い(160年位)からまだまだ認知されてないのでは?
感材やレンズの技術的な発展もまだまだだし。
それに記録という概念から離れて表現を求めるようになったのはまだ半世紀位なんでは?
しかも大量に複製できるメディアは「美術」として認められずらいのかもね?
大量複製の時代って20世紀に入ってからだと思うし。
能書きはど〜〜でも良いわけで・・・・。
皆さん、”アート写真”撮ってますぅ〜。
私はしっかり撮っては写真で食ってますよ!!
言うのは簡単、撮るのは大変・・・失礼しました!!!
53 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/20 11:32
54 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/20 15:00
>>52 アート写真で食ってらっしゃるんですか?売れますか??
55 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/20 15:32
Hな写真をなめた事はあるが、食べてはいない。
>>54 ”売れる”んじゃ〜なくて”売る”。
買い手がもっとも嫌がる事・・・・それは能書き・・・・。
偉そうな私・・・・バカですね・・・・。
>>56 どうやって写真を売るんですか?
絵みたいにいかないですよね?
あぼーん
59 :
まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/21 00:05
絵の方が売れないでしょ〜>57
写真は雑誌への売り込みじゃないかな?
アシ時代や学生時代のコネやツテを主に。。。苦しい月は結婚式用やエロ写真で小遣い
稼ぎもしてるだろうし。撮りたい写真=売れる写真
でもないだろうし。その辺は、ある意味スンゲーアートっぽい罠
まあ現在、写真の置かれてる状況ってのは江戸時代の浮世絵に似てるんかもな
写楽や北斎が単なる包み紙だったり、ふすまの補修に使われてたらしいしw
その頃の浮世絵師も「ちんけな絵描きやがって」とか「浮世絵師が画家気どんなw」
とか言われつつ、頑張ってたんだろうな。既に確率された芸術が失いがちな「反骨」が
ありそうで羨ましい。それが荒木みたいなアナーキストを生み出した源かもね
>59
雑誌への売り込み、撮りたい写真=売れる写真でもない・・という観点だと、
絵に置き換えるとイラストレーション的な扱いですね。
そういう路線なら普通に需要が有ると思いますよ、絵の分野でも。
私は52さんのアート的な写真で食ってる、という話しに興味が有ったのですが..
61 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/21 01:12
写真は美術ではないけど芸術ではある、かも
62 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/21 05:25
【美】び
形・姿・色などがうつくしいこと。きれいなこと。また、そのさま。
「―を追求する」「調和の―」「自然の―」
【美術】びじゅつ
美の視覚的・空間的な表現をめざす芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。
〔fine arts の訳語。明治時代には音楽・文学も含んだ〕
【芸術】げいじゅつ
特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して
美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品。
建築・彫刻などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、
演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられる。
63 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/22 07:22
美術は表現の域を出ないが
芸術は表現以外の活動も入る、と考える。
芸術であり美術でない。
ただこれは、現実を写し、加工していないのみの写真に限る。
それを素材として加工した度合いが、あるレベルを越えれば美術と言える。
64 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/22 14:57
プラチナプリントなどだったらコレクターがいますよ
65 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/22 16:14
う〜〜〜ん、ちんぷんかんぷん・・・・。
何じゃこりゃ!?
66 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/22 16:15
他の分野に比べて安いよね。
でも高いのだと1000万以上する。
複製が容易だからかな?_
でもいいプリントは熟練した人間じゃないと出来ないんだけどね。
67 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/22 17:48
巷にあふれる
使い捨ての商業写真やアイドルのカタログ写真
そんなによくないものでも、光の使い方や技術や技法で
要らないものまでその気にさせてしまう力を持ってますよね、写真って。
報道写真でも書いてる文章で写っている事実さえもねじ曲がってしまう
恐さもありますよね。表面を撫でるように見過ごしてしまっては
いけないと、思いますよ。
だれかがつけた写真の、作家の、確からしい付加価値に踊らされるより
そこに何が写ってるか注意深く見ないと。世界を知ることや見ること
できなくなるのでは。判断するのはあなただから。
現実世界の複写でしかないんだから写真は。
68 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/23 03:36
アーティスティックな表現方法の一つとして写真を使えば
その作品はアートとして成立するでしょう。
アートに対する個人の主観の問題と
写真機をどう使うかの問題ではないでしょうか?
私はプロの写真家ですが、
私の場合は自分をアーティストと思った事や
作品をアートと考えた事はありませんが。
69 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/23 08:55
アラーキーの写真集日本語版でるね。
修正されてるらしいけど。
70 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/23 12:05
森山大道の新宿が写真だよ。
いいよね、森山大道。
エロティックな質感がたまらん。
72 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/23 13:51
写真莫迦
73 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/23 17:42
結局1は他人から認められたいだけ
そのためのてっとり早い手段が写真だった、と。
違う?
68に同意
74 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/23 21:19
>73
おれは>1を読んで、1の個人的な事を言っているようには読めないけどなぁ
75 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/24 13:18
あげ
>>1-75 これ全部ネタでしょ?
いまさらこんな議論しないよね…
え! ま、まさかh(略
77 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/24 17:17
バルス!
78 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/24 18:02
うぁぁぁあああ!
目がーーーー、目がーーーー
って、違うだろ、オイ! (藁
写真学生(もしくは美大生)のつまらん屁理屈を書きこむスレ!
まさか、プロ(もしくはアーティスト)が書きこんでる事はないでしょう!?
で、もう終了!!!!!!
80 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/24 22:22
なんで終了やねん?
−−−−− 再 開 −−−−−
>>79 プロとアーチスト厨をいっしょにすんじゃネー
82 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/24 23:43
>>68 さんのような考えの人、多いんだよね。
一線で写真に係わっている人に限って、
アートじゃ無くて記録だと言うよね。
自分のはアートなんかじゃないから、と頑なにアートを拒絶するやつは、
自らの世界に引きこもるオタ臭い職人気取りのやつ・・・。
と言ってみるテスト。
84 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/08/25 12:10
>>82 だってそんなもんだもん。
アートがドウとか逝ってるカメラマンがいたっていいけど、少なくとも
プロとはいえないだろう。
見る人がそれにアートを感じるかどうかは全く別問題だがね。
85 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/04 10:09
>82
具体例を挙げてみて。
86 :
女性専用女性の方訪れてください:02/09/04 10:38
何度話しても、メールしても、納得はしてもらえないでしょう。意味不明ですいません!それだけ、溝は深いって事です。 二人の、人生感が違うのでしょう。
絵だって元々は記録として描かれたものでしょ。
写真は記録というのはどうかな?
>>40 アラーキーを「ブレボケ」なんて言ってるようじゃ、このスレのレベルが知れるな。
バカラシ。
90 :
LXVZ ◆ibwDsswc :02/09/05 21:03
>>89 ・・・・というよりこの板自体の・・・・・・・・・。
写真は美術に成り得るかという質問は
バナナはおやつに入りますかという質問と同じ。
92 :
LXVZ ◆ibwDsswc :02/09/05 23:59
arakiは確かにぶれてる、ぼけてる。
雑誌の仕事だと、アシスタント君がセットしてシャッター押すだけ。
さすがです・・・・かなっ。
93 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/06 03:08
94 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/06 03:23
写真にはマグレ当たりがあるよ結構ね
カメラなんざフルオートでもシッカリ写るんだからさ。
写真の種類にもよるけどね
広告写真は訓練の比重が大きくなるだろうけど
95 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/08 01:36
このスレの前の方で32が今話題の写真家のHPを紹介しているな。
でも、さすがに今は入れないみたいだな。
97 :
アンパンマン ◆k.2TvaTY :02/09/09 09:44
age
98 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/09/23 01:40
>94
写真にマグレ当たりなんてほとんどないよ。
自分でやってみたらすぐわかる。藁。
本人が当たったぁと思ってもたいがいはハズレ。
仮に当たりがあっても撮った本人が気がつかないから、
当たりにならないんだな、これが。
>>91 に禿同。
つーか、君たち、写真がアートなのかどーかより以前にアートってなんなのかって基準なしに語りすぎ。
それなしに、写真がアートなのかどーかなんて語ることが時間の無駄。
抽象概念を弄ぶことにしかならんよ。それじゃぁ。
そんで、写真が記録だからアートでないなんて理屈たれると、肖像画も全てアートでは無くなるという罠に気づいてちょ。
だいたい、もし、「これがアートだ」って基準があると仮定しても(個人的にはないと思ってるけどね)
それはジャンルによって決められるもんではなく、作品の質で決められるもんでしょ。
んで
>>98 の言うように、まぐれ当たりに気づく能力のない人にはまぐれ当たりはない。
つまり、「写真ってまぐれ当たりって要素が強いでしょ」なんて言う人に
木村伊兵衛や森山大道やブレッソンやアーウィットやユージン・スミスやキャパみたいな写真は絶対に撮れないということは言っておきましょう。
つまり、なにげない風景に見えるものでも一流の人間の写真にはびっしりと作意が込められてルんだよ。
それは「まぐれ当たり」と切り捨てる人間には決して手に入れることのできない上質な作品として結晶するんだよ。
(ちなみに漏れも今までにその結晶を手に入れたことはないんだが。。(苦笑))
ちなみに、
>>1が言っていることはアート云々の仕切りの話ではなく、写真を取り巻く社会的情勢のことだとおもうけども。
であれば、このスレがまさにその情勢の縮図となっているような気もしないでもない。
100 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 15:12
おおむね同意
ただし、「ブレッソン」ではなく、カルティエ・ブレッソンと
きちんと呼んで欲しい。レスから読みとれる程度の尊敬の念があるのなら。
「森山」を「山」と略するような感覚。
101 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 16:10
おれも同意。というか、当たり前の話でしょ(笑
まぐれ当たりといっている人も、無意識に作為があったから
その景色をとったわけでしょ?
それで現像してみたら成功してたって思うのは
まだ、経験が浅いからだと思う。
経験をつんでくると、成功を予想できるんでしょ?たぶん。。
「まぐれあたり」っていう人も、実はプロとしての眼を
もってるんだけど、左脳がそれを認めてないっていうこと
だとおもう。
素人意見だけど、なんとなくそう思った。
102 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 17:42
写真はアート足りうるかって問題は、いうまでもなく、
さまざまな文脈で語られるべき問題。大きく分けるとこんな感じになるかな。
1)鑑賞者サイド(一般大衆および業界)
2)プリント・マーケット等のインフラ
3)制作側の心構え(みたいなもん)
すでにそれなりの意見は出てるし、長くなるので敷衍は避けたい。
問題は、一般・業界・制作者のあいだでの認識の差に加え、
制作者というカテゴリー自体が均質でないところからきている、ともいえる。
マグナム創立のころ、アーティスト派のカルティエ・ブレッソンと、
写真家でいいじゃん派のキャパがよくもめた、という話は結構有名。
「これさえなければ(アンリも)いい奴なんだがな」と。
103 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 17:49
ブレッソンは画家を目指していたという背景があるから余計に
アーティストと呼ばれたかったのだろうて
104 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/01 18:05
まあ、昔はそういう人が多かったですね。
105 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/02 01:35
1>>
絵を描く人から「写真が美術だあ??バカか、おまえ」
「しょせん写真なんて、記録という価値しかないんだよ」
なんて言葉をよく耳にします。悲しい
こんな絵を描く人はたいしたことはないでしょう。。
106 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/02 01:38
>>105 >こんな絵を描く人はたいしたことはないでしょう。。
こんなことを言う人の描く絵はたいしたことはないでしょう。
と言いたいのだろうが、、
107 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/02 02:02
こんな「絵を描く人」はたいしたことはないでしょう。。
108 :
おこたに ◆O3wDk0sI :02/10/02 06:31
メイプルソープもアーティストと呼ばれたがったらしい。
109 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/02 06:53
写真センスある絵描きいないね。
恥ずかしくて人に見せられないんだそうです。
( ´,_ゝ`)プッ
110 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/03 19:38
あげたから、だれか、カキコすれ
111 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/04 06:59
メープルシロップもアーティストと呼ばれたらしい
( ´,_ゝ`)プッ
112 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/10/22 21:54
age
日本人ってきっと、写真より絵の方が好き、ってことなんじゃないの?
部屋を飾ったり、コレクションするのは。
絵にしたって、日本人の好みって、はっきり現れているでしょう?
そんな好みの延長形だと思う。
写真を買う人はいないが、
写真のカレンダーを買う人は多いですよ。
マイケル・ケンナは日本人の感性にあう写真家なのでは?
サラ・ムーンが流行った時期もありましたね。
私自身で言えば、部屋を飾るには、写真は飽きるし、
ガラスに反射してよく見えない...藁。(無反射ガラスにしろって?)
ヴォーグ等の切り抜きを上手に飾っている人は多いよ。
ところでホントに外国、つーか欧米って写真の価値、高いの?
>>113 写真の価値が高いかどうかは別として、プリント・コレクターの層は
ケタ違いです。
手堅いのは19世紀カロタイプ、20世紀初頭、1950ー70年代あたり。
デジタル買うのは現代美術系の別のコレクター層。
115 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/11/14 17:38
116 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/11/19 15:03
age
117 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/11/24 18:47
あげ
118 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/12/07 17:39
写真が芸術かどうかは、91さんの発言内容が答えだと思います。
それより作品を楽しもうよ。
細江英公なんかどうでしょう?
119 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/12/27 15:07
韓国では今「写真展」がブーム
湖巌(ホアム)ギャラリーでは『米国現代写真1970-2000』という“名品展”が開かれて
おり、一民(イルミン)美術館では荒木経惟が破格的で挑発的な性的イメージで観客を引き
付けている。
写真作家の崔秉寛(チェ・ビョングァン)は、錦湖(クムホ)美術館で静かな“自然の線”
を展示し、最近オープンしたハンミギャラリーは写真と彫刻、建築の空間性を統合する彫刻家、
高明根(コ・ミョングン)の“透明な造形感覚”を披露している。
デリム美術館は現在と過去が複雑に入り乱れ、破壊と建設が同時進行しているベルリン
を、ドイツとフランスの写真作家らの視点で捉えた写真を展示している。こうした写真展が
大型美術館や高級ギャラリーを賑わせている。
120 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/12/27 15:07
相次いで開かれる写真展や写真を取り巻く好況は、今年の冬に限ったことではない。
2000年を皮切りに韓国の代表的な美術館は、先を争うように写真展を企画し、展示を行った。
写真を品格のない機械的芸術、安っぽい商業的芸術と考えていた韓国の美術界は、国際
アートフェアやビエンナーレに参加し、写真が現代美術の主要媒体であることを一足遅れて
認知した。
1970年代以降に米国を中心に、写真専門のギャラリーが盛況を博し、写真に基づいた美術
批評が多大な力を発揮しているという事実を美術界は悟るようになった。そして写真を無視
して見下せば、保守的な美術館、時代錯誤的な評者、世情に疎い作家だという認識が広がった。
それに加え写真展示会は、一般的に観覧客動員の面でも成功を収めた。写真イメージの
直接性や、あらゆる展示形態にも順応する写真のフレキシブルさ、そして写真の分かりやすさは、
一般大衆を引きつけた。2001年春に行われた姜運求(カン・ウング)の写真展『村三部作』は、
週末には一日1000人の観覧客を動員した。
121 :
わたしはダリ?名無しさん?:02/12/27 15:08
写真が最新美術の主な媒体に浮上したのは、大きく二つの理由がある。
第一は「抽象表現主義」、「幾何学的抽象」といった美術の傾向が窮地に陥ると、現代美術は
具体的な現実に執着するようになり、写真はこれに対する適切な方法論的な道具となった。言い
換えれば、現実の具体的な証拠である写真は、美術の抽象的傾向を代替する最も適切な代案として
浮上した。
第二の理由は、1960年代以降に現代美術の主な傾向として定着した大部分のアース・アート、
ボディ・アート、パフォーマンスが、最初から写真の記録と写真イメージを通じた展示、出版を
意図していたというものだ。
こうして写真が現代美術の代案として定着すると、機械的芸術や商業的芸術と思われて
きた写真は、急速に伝統的な純粋美術の地位に到逹した。
その結果、写真コレクションの価格は急騰した。写真史上で“傑作”と評価される当代
作家らのオリジナルプリントは、40万ドルから80万ドルに達し、世界的な作家の場合、最高
約20万ドルの値がつく。韓国作家の場合、海外コレクションでの最高価格は、5000ドル未満
と推定される。
米国やヨーロッパより20年ほど遅れて、しかしどの国よりも盛り上がりを見せている韓国
の写真ブームは、しばらく続きそうだ。首都圏にある大学の写真学科の人気は相変らず高く、
何よりも新たな写真を模索する若い作家層が厚くなっているからだ。
チェ・ボンリム=写真評論家
あぼーん
123 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/01/12 22:26
あげてみる
(^^)
あぼーん
便器にサインしたやつがアートだと認められるのなら、
写真は絶対にアートになりえます。
127 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/23 21:05
11 :まむ〜コロン◇ ◆czcDinEo :02/08/17 21:41
いや、漏れはマスタリングエンジニアってのも認めてないから・・・
使えないモノを使えるようにアレンジするのがアートだって
いう気か??単なる作業だよ、それ
自然を見て美しいと感じるヒト=風景写真もアートだと思うヒト
ってか? 全然別だって。むしろ自然の美しさを知れば知るほど
写真=アートだとは感じられないと思うが・・・写真アートだと思ってる
ヤツはすぐに紙に絵を描くといい。好きなように、思うがままに書くといい
で、好きな写真もとってみな。
そして現像した写真と自分の下手糞な絵を見比べてみろ
そのとき、自分がどう感じるか、その感覚がそのヒトにとっての答えだ
果たして写真はアートであるか?漏れにとっては違う
↑みたいな発言してるバカは、
自分の力がどれほどかを知ったほうがいいよ。
なんでも知ってる的な発言。それで自分と合わない意見は間違えだ!みたいな。
そういうのって「自分はバカです」って言っているようなものですよ。
きっと自覚症状なんだろうけど、現実社会で↑みたいな奴は後ろ指さされて
失笑の的でしかない。こういう人っているんですね。。。
128 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/24 00:05
>>127 >>11って、自分で創造したものしかアートと呼ばせない人なんじゃないか?
ある物を自分なりにアレンジしても、所詮は付け足し作業であって、アートではない。っていう感じかな?
絵や彫刻やってる人には多い考え方だよ。
絵や彫刻も、材料を自分なりにアレンジしている事に過ぎないのだけどね。
漏れは、「『美しい』と感想を漏らさせる力を内蔵した作品」を「美術作品」と呼ぶ考えだが。
129 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/02/24 01:28
金儲けでやってる人を認めたくないという気持ちはあるけど、
その作品をいいと思う人はきっといるんだろうからその作品を否定しないし。
結局は好みの問題だし。美術に関しては128さんと同じ意見ですね。
あぼーん
あぼーん
132 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/03 10:47
なんであれ、人間の作るものは作り手に「作家格」があれば芸術になる。
例えばある種の料理も芸術だ。
あぼーん
134 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/03/04 01:55
芸術や美術の定義には興味ないが。
俺はずーっと写真は、表現としてはなんか嘘臭い感じがして嫌いだった。写るのも撮るのも。
「撮影者の臭いがまったくしない写真を目指してます」なんていう、プロカメラマンの発言
を聞いたりしてもアホか、と思って絵画ばっかやってた。
でも、ある時一眼レフで写真を撮ることがあった。
人物写真を録った。撮影行為はなんか面白かった。出来上がったものも面白かった。
しばらくカメラばっかやった。絵画は忘れてた。
でもなんか煮詰まって・・また絵画やった。描けた。
どっちも面白いとは思う。でも基本的に別々な才能が必要なんだと思う。そのくらい違うもの。
でも違うから面白いと思う。
135 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/07 10:49
そんなこともないでっしょう。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
138 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/25 14:06
age
139 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/25 15:57
芸術は自然(内的、外的対象)の抽象である他に再構築(別物を一から作り上げる手仕事)でもあろうから「写真」はチョトきびしい。同様に自然物のオブジェを持ってきて見方を変えて観てというアバンギャルド美術も認められんな。
140 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/04/25 16:00
要はコピペは創作じゃないっつー事か。
141 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/05/12 14:51
そうでもないであろう。
142 :
”管理”人:03/05/12 14:58
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
145 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/05/22 10:19
美術な写真をとってる人はいくらでもいるでしょ。
146 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/05/24 00:11
初期の小山穂太郎は?
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
148 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/06/02 00:15
あげげ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
好きな人、嫌いな人がいるのは結構だけど、民族規模で悪口言うのやめない?
どうでもいいけど〜(・▼・)
絵も写真も 私はアートだと思います。『自分の目で見た物・感覚・印象を、他の人にみてもらう手段』
自分のファインダーを通して だれかに伝えることだと思ってました
だって そうじゃなかったら写真なんて 誰が取っても同じ。絵なんか描かなくたってみんな写真とりゃあいいってことになるじゃん
>>1・・・辞書がコトバのすべてじゃないぞよ
写真て撮るの簡単だね
156 :
無料動画直リン:03/08/03 11:35
あ!タイ―ホたいーほ
158 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/04 18:28
体験しましたか?『超過激&かわいいイエローキャブのライヴチャット登場』
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159 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/14 15:42
写真はフィルムに像を焼き付けるために指一本動かすだけ
いいカメラといいフィルムがあれば誰の指でも似たようなものを
撮れるわけで作品とはとても言い難い。
シャッタースピード等の変化で撮影者の個性は多少表れるものの
やはり酷似した写真を撮るのは簡単。
絵画は長時間かけて頭脳を駆使して描き上げる努力の賜物
まさに作り上げられた品。
かくゆー俺も写真を趣味でやってるけど作品とはとても恥ずかしくて
言えない。俺も写真を記録という。
160 :
わたしはダリ?名無しさん?:03/08/14 19:43
「記録」とか「真実」とかいう写真特有の性質があるからこそ、
今では現代美術で取り上げられてるんだよ。
「記録」「真実」の曖昧さを扱った作品は写真作品の醍醐味だよ。
黒いヒモパンが妙に色っぽい女性です。
ちょっと年はいっているようですが円熟味のあるSEXシーンを演出してくれています。
見てくださいフェラの時のほっぺのくぼみ。
カリ首にまとわりついて離れない強力スロートですよ。
他の援交美女も乱れてます。
無料ムービーでお楽しみ。
http://www.geisyagirl.com/
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
ぷじょー!!!
そもそも photograph を「写真」と訳したのが
そもそもの誤解のはじまり。
そうだね。「光画」とかが良かったかもね。
167 :
わたしはダリ?名無しさん?:05/01/18 22:56:00
光画マン参上ーーーーーー!!
168 :
わたしはダリ?名無しさん?:05/01/19 04:49:08
間宮善三郎が来たぞーーー!!
169 :
?w??}?O`:05/01/19 05:27:10
170 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/21(木) 07:43:28
>>159 > 絵画は長時間かけて頭脳を駆使して描き上げる努力の賜物
> まさに作り上げられた品。
そんなのただの「手段・手法」の問題に過ぎないんだよ。
じゃあ、君はキース・ジャレットみたいなジャズの即興も
美術・芸術として認められないんだね、
最後に出てくる成果、アウトプットこそ全てなのさ。
できあがってきた作品に美を感じられるなら、小学生の落書き
だって、神社の大鳥居だって、海を映しただけのVTRだって
バッハの鼻歌だって、すべて「美術」なんだよ。
171 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/22(金) 12:26:11
有名な藤田画伯の、コロタイプの猫の額を勧められてるんですが、コロタイプ
って写真、版画、印刷、どれなんでしょうね。
172 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/23(土) 19:43:44
173 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/23(土) 19:50:07
174 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/23(土) 19:53:16
175 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/25(月) 21:56:41
コロタイプは印刷。
でも印刷も版画って言うんでしょ、アートの世界じゃ。
そうだね
177 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/27(水) 16:10:07
写真家は、表現の自由を守るために、もっと戦え、児童ポルノを撮れ、児童
売春合法化のために死ね。
178 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 20:26:18
>>177がまずさっさと氏ぬのが世の中のためだと思うがどうか。
179 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 20:37:29
>>百七十
同意するなあ。芸術なんてどれだけ美果を生み出すことが出来るかにかかってる。
でその実を食えなければもう!これは最高。フフ
食ってしまったら終わりで食えそうで食ってみたら排他、具合悪くなったというのが良い。
癒し系と吐く系が最強さ。
180 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 21:00:30
美果を作り出すにはまず心が美しく無ければならない。
傲岸さとは無縁の境地だな。
然し独尊は必要だ。写真も含めてすべての芸術家を偉大だと俺は思っている。
仏像が崇められてるように、(少し紛い物だが)そういう対象ではあって欲しいと俺は思っているのさ。
そういう気持ちを持たないと芸術作品から有益なものを得ることができないんですよ。
無感動でみたって何も次ぎのアクションは起こらないでしょう?
181 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 21:09:29
↑一方的な崇拝者です。
182 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 21:26:09
大辞林から得た美術の定義の反対だと思ってる。オレ
183 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 21:29:04
写真は残酷な現実作品だ。
184 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/04(土) 21:31:58
確かに古美術よりの言い換えれば、骨董品崇拝に近いような
立場にある方の意見のようですが、ぼくは嫌いではないですね。
日本は、歴史のある国だから、これらの考えを持つ人間と、
いわゆる、美術の概念を持つ人間が何処で、接点を取り、互いに
融解できるか。相手の取るとこを理解したうえで、自分の取るべき
方向を主張できるならいいと思うけど。これ以上はスレ違いに
なると思うので。
185 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 02:05:24
同じカメラを持たせて、同じ場所に連れて行ったとする。
同じ美男、美女、子供や動物を撮れと求めても、いろんな違う写真が撮れると思う。
同じ画材を持たせて、同じ場所に連れて行ったとしてもね。
どうして写真は美術じゃない(芸術じゃない)と言いたがるのか、そっちのほうがすごく新鮮で不思議だった。
「世界の切り取り方」に芸術性…?が要らないとお思いか?すごく不思議。
シャッタースピードや露出、ライティングなどの、写真特有のメカニカルな技術もさりながら、それは置いておいても、
「なぜこの絵、瞬間、角度、焼きかた…のショットでなければならないのか、なんでそれを選んだのか、その必然性」があるわけでしょう。
それは絵画なんかでも一緒じゃないのかな?
芸術「論」なんかにはトーシローだけれども。
なんでキャンバスのこの、ここの点にこの絵の具を置いたの?と同じだと思うんだが。
記録と同じだなんて…古いな、おっさんか?と思ってしまう。
写真家がベストショットを手に入れるために、アマでさえ何百枚以上の試行錯誤を繰り返すことを知っていますか?
芸術論なんかには全然くわしくないんで、見当違いなことを言っていたら悪いが、逆にものすごく不思議なんだけど。
186 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 02:06:41
写真は趣味だよ 誰でもできるし
187 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 02:23:15
>>186 絵画やなんか芸術も趣味だよ 誰でもできるし
188 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 02:25:43
あはっ
189 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 02:28:16
>187 その通りです。写真は誰にでもできる
190 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 02:46:56
>>189 出来ればもうちょっとおもしろい芸術論をかましてくれプリーズ
191 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 06:24:05
写真だって美術作品あるじゃん。
どういう観点から美術作品といいたいスレなんだろ?
192 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 10:15:48
写真は芸術ではない。これは世間の多くの人間の認識です。
193 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 10:54:54
>>191 美術作品
海外の二番せんじばかり。よくアンな作品に賞を与えて恥ずかしくないよな
あるいは、ホントに独創的とでも思ってるのか?
賞を取った人間は一発屋で終わるしさ
194 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 23:05:02
↑かなり絞ってるが、どんな作品?
195 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 23:21:20
わからないのですか? もう少し勉強しろ
196 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/08(水) 23:56:17
美観なんて観る人それぞれだし、賞を与えるのも「人」なんだよ。
どれがそれほど納得できない賞なのか判らないのも自然でしょうに。
もし写真をやっているなら、あんたとは美観の違う人は山ほどいる
ってことを学んだほうがいい。
197 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:06:01
>>196 問題はそう言う事ではないんですよ。そんな初歩的なことではなく
写真界が芸術として認められるための努力をしてないという点ですよ
少し美術に詳しい人なら誰でもパクリとわかるような物に対して
賞をやり、自らの恥を晒している。このような状況では優秀な
人材は他の分野に行っちゃうよ。ちなみに私は他分野ですけどね
結構批判されてますよ
198 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:16:42
日本の権威が能力を持たず未来を見ないということで、
下でうごめいている者はどうしようもないということ。
とりあえず芸術なんて曖昧な位置じゃなくてとりあえ
ず美術の枠のスレ。
199 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:24:48
>>198 どこの世界でも権威はいますよ。しかし、下でうごめいている人たちは
いません。写真はそういうことを言って甘えてるのではないでしょうか
200 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:37:28
じゃ動けない当事者が悪いので国内では芸術にも美術になれないのは必然ですねw
201 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:40:57
そうだな もうだめかもな
202 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:47:05
まとまっちゃったぞ。
203 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/09(木) 00:52:34
とりあえず結論が出て良かったな
乾杯。
205 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/23(木) 13:58:57
写真はタブローではない、大量に印刷されるのを前提としているだけに芸術とはいいがたいかもしれない
206 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/23(木) 14:07:21
写真やってる人って毒強い感じがあるよね。
人の粗とか、隠したい部分を追いかけて無理矢理作品にするみたいな。
207 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/23(木) 14:12:57
↑それはやっちゃいかん。人をとるならいいところを引き出せる人が、うまい写真家という
208 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/23(木) 14:16:02
むしろ記録としての写真というところに、写真の最大の依り所があるのでは
209 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/23(木) 20:32:26
日本には写真を美術品として扱う市場は無いに等しい。
アメリカにはちゃんとある。
日本は文化後進国だから仕方が無い。
210 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/24(金) 02:01:46
ああ、
>>207うまいな。
私見で悪いが、この上なく上手く撮られたポートレートなんて、どうしようもなく下手な肖像画なんかよりも(以下略
中版くらいで自然光で、最高のマチエールをとらえて、被写体の一番いいところを撮った至高の1枚なんて…。
>>206は、パパラッチとかそういう写真だけしか見たことがないのかな?戦争写真とか。
そうじゃないと思うよ。センセーショナルな1枚だけが写真じゃない。
ただ、芸術性がどうこうはともかく、ネガがあるんで、オリジナル1点だけっていう「画廊の商売」には結びつきにくいのかもしれない。
不勉強だったらスマソだが、アメリカなんかじゃネガからの焼き増しにも著作権とか…進んでそうと想像。
(版画なんかはどうかな?)
211 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 01:26:18
土門拳は凄いと思う。
212 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 07:07:05
うちの家族は写真は芸術ととらえている。
このスレを見て芸術としては認知されてないことを知り、びっくりしてしまったよ。
日本の市場ではというか。
213 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 08:11:09
版画と同じで普通写真のプリントにはエディションがあります。
ない人もいますが。
214 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 09:51:02
日本は世界に冠たる後進国だから、
芸術写真も税関で没収されてしまうぞ。
世界中に恥をさらしている情けなさよ!
215 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 10:19:03
そこに、道具、文字、言葉、人、他諸々。日常の全てが芸術になりうる。そういう意味では誰もがアマ。その段階から対象を鑑賞に耐える、絵画や音楽と同じ高揚を与え感じとれるのがプロのレベル。どんなジャンルも商業ベースが介在すると潔癖好きの至上主義が難癖をつけたがる?
216 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 14:28:28
芸術と感じれない作品は写真であっても終わってるでしょう。
芸術とは長年の修練技術の積み重ね。それによって保証されてゆく感性。
商業ベースに乗れる大胆さ、計算高さ。害毒。
日常とは切り離していいもの。
日常すぎるものとは違うもの、天上に近づくもの。
兎に角、そういうもの だから、美術教育的なものにはおさまってはいけない。
頭も、手も、目もすべて切り離してみること。
下品な言葉は使わないこと。
217 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 21:09:42
ここにいる人って本当に美術関係者?
218 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 22:31:18
芸術とは長年の修練技術の積み重ね、それによって保証されてゆく感性。
ビシット背伸びさせてキャンバスに立ち向かう。
でなければ精気精力が逃げ去ってゆく。
219 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/25(土) 22:46:21
>>215 俺は筆で描いている。
無心に描く。
芸術的技巧を駆使しているという意味。
絵画には音楽のもたらす効果はあまりできないかも。
220 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/26(日) 00:29:39
日常からかいりし過ぎると、力、野趣を無くすのでは?平安から鎌倉の推移は彫刻の世界にも大きな波。万葉集から新古今和歌集、写真も白黒アナログからデジタル処理。思想の変遷、道具の進化、時代の推移。その進化や時代を反映しながらも、時間を超越して訴えてくる力が芸術。
221 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/26(日) 02:03:01
日常からの乖離
それが恐ろしく怖い、本当に怖い。何なんだろうかと気持ち悪い。
けど逆らえないものでしょ?
222 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/06/26(日) 11:19:45
日常のアンテナも大切と。アカデミー派が印象派に圧倒される瞬間、戦争高揚に利用されたワーグナー、アカの排除や差別主義にポストモダンで抵抗した米国アート。 泥臭く古典的で、斬新で基本技術も大切にしミーハーで頑固。未来の観客の目を信じ今の空気にも敏感な芸術家。
ヴェネツィアビエンナーレの日本館写真だってさ
独り占めだったな。
225 :
通行人A:2005/08/28(日) 00:43:19
どうも始めましてm(__)m
自分は大学3年生です。
ちなみに、美術系のトコです。
1年や2年の前半くらいまでは、7〜8割ぐらい絵を描いてましたが、
今ではすっかり(10割)写真です。
写真を撮る時は、誰かに気に入ってもらおうとかっていう考えは
まったくしてません。自分の気に入った場所で、アングルで、撮り方で…
って感じに撮影してます。
ココのスレは全部は読んでないけど、最初の方は少し読みました。
写真っていうのは、「絵と違ってソコに何か対象物が無いと撮れない」
という感じの発言があったように思います。
でも、実際のところ、それは間違いです。
写真は、「光が無いと撮れない」ものです。光の全く存在しない所があるとして、
絵はそこでも描けると思います。キャンバスとか絵の具があれば、落書きみたいな物は
描けるはずです。でも、そんな所が存在したら、どんな性能の良いカメラを
持っていっても、写真は真っ黒です。まぁ、それを作品と言ってしまうと意味ないですが(^_^;)
少しでも光があれば、写真は撮れます。そこにリンゴや花が無くとも撮れます。
自分は、写真は美術だと思います。
そう思って撮ってるからです。
227 :
通行人A:2005/08/29(月) 13:42:33
age
228 :
いのこにびつくり:2005/08/29(月) 13:47:18
何を言ってるか。w写新作品はろうたける美術作品です。
私はこれを譲る気はさらさらありませんよ。
今時単なる記録というなんてばかばかしすぎるし、そんな視点で撮られた
捨身作品に意味はあるのか。
229 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/29(月) 22:02:37
>>1 いや、君が写真好きだからそう思うかもしれないけど、
実は写真に限ったお話ではないよ。
要するに、伝統的な絵画、彫刻表現だけが歴史や市場
的な作用によって特権な位置にあるのです。ですから
相対的に他の表現は下に見られてしまうということな
んですよ。
230 :
いのこにびつくり:2005/08/30(火) 00:42:28
写真を未だに記録することに当ててるのは好きじゃない。
撮って記録すると言っているならば表現からはかけ離れて行ってしまうから。
それに陰部を顕せる存在として考えている。
231 :
通行人A:2005/08/30(火) 01:01:38
写真は記録することだと思うけど、
そうじゃないって人の方が多いのかな?
俺は写真は、撮影者の見方や考え方を写真として残す(記録する)ものだと思う。
232 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/08/30(火) 01:08:00
写真は芸術になりにくい
けど現代美術にはなりやすい
233 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 01:29:50
具象描いてる人にとって、写真は貶めておかなければならない存在
なんじゃないの?
写真でも絵画でも彫刻でもメディアアートでも同じ事じゃないの?
別に写真に限った事じゃないだろー。
ぱっとしないことは確かだが。
235 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 13:24:07
確かに写真は現代美術の分野に入るかもしれないね。澤田知子とか、扱いが現代美術。
236 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 16:27:31
撮影することに寄って新しい考え方見方が生み出されたときに写真は荘厳だといえるかもしれん。
237 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 16:33:15
写真なんて押しゃいいだけ。サルでも撮れる。
238 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 16:49:15
絵画は死んだ といわれもしましたが、どっこいどっこいだ!
239 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 18:00:06
>>237 たしかに、押せば写真は撮れるが、
サルはカメラを扱えるか?無理だろ
240 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 18:02:53
サル先生はシャッター切るだけですよ。あとの作業は人間の助手がやるのです。
241 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/15(木) 21:15:52
杉本博司を知っていますか?
>>1 もう既に美術として十分認識されてる希ガス。
244 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/18(日) 00:34:25
青山でブルース・ウェーバー展。
どんなものかな?
美術(アート)と呼べるか呼べないか、っていう二元論的なのってなんか違和感がある。
たしかにお高くとまったところで、写真を美術とは認めないという考えもあるのかもしらんけど、
アートっていうのはそもそも、「芸術ってなんだ?」
「今まで漠然と思ってた芸術とか真実って、実はひとつじゃないんだ」っていうことを追求していく性質も持ってるのだから、
写真は美術じゃない!ていう考えに対してカウンターパンチをくらわせる表現としての写真、ていうのもありなんじゃないの?
アート界に認められて、その中でアート然としたものを表現していくのがそんなに…!とちょっと思ってしまう
アートだとかそうじゃないとか認めてるのは誰だ?っていうところに切り込んでいけるのは、写真の可能性じゃないのかな
別にこんなことにこだわんなくても全然構わないけど
それに作品ていうのは、作品そのものが持っている力と、その作品を見る人とのコミュニケーションだと思う
つまり、見たり聞いたり体験してるときに、今までまったく思い出さなかった記憶がよみがえったりとか、
考えもしなかったことを思いついたりとか、もっと簡単に言えばいろんな気持ちになったりだとか
コミュニケーション能力は、写真だろうが絵だろうが音楽だろうが、表現手法に限られないと思う
全文通してわかりにくかったらごめん
関係ないかもしれないけど、写真は美術展とかのプレゼンテーションが地味で単調になりやすいよね
だからこそ勝負のしがいがあるジャンルなんだと思うけど
246 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/19(月) 20:53:44
土門拳とかすごいと思うけどね
247 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/30(金) 02:06:15
写真家の中には駄目な意味での職人意識が強い連中が多い
技術系に共通する特徴だけど
たぶんそういう香具師の存在が、芸術としての認知を妨げている
248 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/30(金) 07:20:34
ストレートフォトグラフィの思想が、ピクトリアズムに批判的すぎたせいかもね。
249 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/09/30(金) 07:32:32
「写真集」という言葉が、「女性のグラビアだ」と脳髄反射を起こして
しまう男の責任かもw
250 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/09(日) 19:59:56
つまらん街角の風景を撮ってアート気取り
251 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/09(日) 20:17:06
いいじゃない、ほのぼのして。写真とるの意外に難しいし。
252 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/09(日) 20:20:44
楽しい街角の写真ならいいのか?
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ /\ < >>コンニチハ
/ \ / \ | キム沢で〜す!
/ \_/ \ \_______
/ \
/ ヽ___ ___
/ / ヽ__/ \ / ゙Y" \
| │ / / \
| 丶/ / \
\ / ̄ ̄ ̄ ̄) * ( ̄ ̄ ̄ ̄)
ヽ_____| ─< |\ >─ (
| ) / (|ミ;\ ( )
ヽ  ̄ ̄) /(___人|,iミ'=;\ (  ̄ ̄ )
/" ̄ ̄ ̄ ̄ / 《v厂リiy\  ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ゙|,/'' v:,,、.¨)z,_ \
/ / ミ/ .-─ .゙》z、 \
/ / 〔」″ノ‐ 、u ¨\ )
( / ゙|, ..冫 .rー  ̄\_ |
| 〔 ミ./′ ..r-ー __,,ア┐ |
| | {. .,,,, .′ .´′ .¨\|
| | ∨ ノ冖′=vvvvvv¨\
| / ミ. ,i' .゙\_
| / .{. ノ ,r¬″ .¨
写真も人間活動のひとつでしょ。芸術でよいじゃないのさ。
255 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/26(水) 17:13:46
どんどんデジタルになっていくから骨董品になるな
256 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/10/26(水) 17:59:52
写真はもう終わり。これからは映像作品がリードする。
まだまだ写真はイケるぜ。川内倫子も絶好調。
写真は写真だよ
写真がアートかどうかなんて論じる意味は無い
絵画はアート、彫刻はアート、写真は写真
つまり写真は唯一無二で、ほかに並ぶものは無い
写真はアート様のお仲間に入れてくださいなんて言わない
写真というものはただ写真としてある
写真は孤高
259 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/17(木) 00:54:49
260 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/17(木) 21:31:51
杉本博司のほかはただの写真です
スゲーカッケーシキレイダヨナ。
262 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/17(木) 22:22:55
森美術館の杉本展をみました。
ノックアウトされました。
写真家ではなくアーティストですね。
>>262 そうそう、凄いと思いました。
最高ですね。
びっくりしました。
ファンが多くてさらにびっくり。
264 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/28(月) 04:41:32
写真なんてよい機材があれば誰でも撮れるだろ。
265 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/28(月) 04:45:19
266 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/11/28(月) 05:17:29
267 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/03(土) 02:08:18
プロきどりのアマチュアカメラマンが多すぎだからだろう
268 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/03(土) 08:50:06
おめーら、早崎治の写真知ってるか?半端ないぞ
269 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/03(土) 11:41:11
>>264 は概ね正解だが、そうでない写真も稀に存在する。
270 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/03(土) 22:04:59
なんかこんなことが書かれてるの見ると、日本の写真に対する意識って遅れてると思う。
fine photoだろうとart photo自分が楽しめればいいんじゃないの。っていうか、みんな作品買ったことあるわけ?
271 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/03(土) 23:55:57
写真凄いよな、正直憧れますよ。写真撮影が出来ないと大抵の作家は駄目だとは思いますが。
272 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/04(日) 10:05:30
写真を撮るっていう行為の本質を理解してないやつが
撮ったものは写真とは呼ばないw
Sとかスピードと呼ばれるものが実は覚醒剤なんだという事実を
知らずにオシャレ感覚で吸引してる女と大差ない、憐れだよな、
自分のやっていることを理解できていないやつってのはさ。
自分が知らずして生み出してしまうものってあるんですよ、とくに
写真の場合はカメラという機械を扱うわけだからね。
273 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/04(日) 10:09:11
カメラというのはそれ自体が批評的な装置です。
作者の視線が撮られることで、カメラは作者に
自身の感情の客体視を訓練します。自分の視線に
対してメタレベルに立つということですね。カメラ
という機械を介した対象関係のもとに自己の存在を
確証することが可能になる。
つまり写真は常に自閉症的です。
274 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/04(日) 10:15:10
自分のけつの穴に自分の首つっこんで体内を覗き込んでるような
もんだからねえw
275 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/04(日) 10:16:57
アナルに鏡胴ぶちこんでシャッターを切ること、それが写真の本質。
ゲイ多いだろふぉとぐらふぁ〜って生き物にはよw
276 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/15(木) 04:58:22
アホな女子高生が撮ったスナップとかが写真集になったりしてる国に芸術は生まれない
277 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/17(土) 18:47:22
日本人の考え方に、自分の思考や感覚がどうなのか
より、他人の評価というか周りの見方や権威を重視する
特異な面があるので、評価されるべき人が無視されることもあると思う
しかし有名になるために撮るんじゃねーよ
情熱に押され暗いうちに起き1歩1歩山に登り良いシーンを写す
写真がたまったら個展でもするさ
278 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/17(土) 20:04:04
>>277写真がたまったら個展でもするさ
基本的に他人のせいにしていてひん曲がってるけど。
写真がたまったら個展と言うのは間違い。それでは単なる成果披露会になってしまいますよ
半年先や、1年後に期日を決めて実際に画廊に予約してしまいなさい。
そして、展覧買いのための作品を集めるのです。
279 :
277:2005/12/18(日) 10:53:08
>>278 >展覧買いのための作品を集める
教えて頂きたいのですが、画廊で展示即売してもらえるんですか?
280 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/18(日) 11:13:54
個展の場合は、展示販売のためにやるんですけどね。しかし、最初から売る気で開くと長く続かないでしょうね
多くの人に見てもらうのを目標に頑張った方が良いでしょう。売れないのが普通。
しかも、写真の場合は売るのではなく、美術関係者とのパイプを作るためにやった方が良いと思う。
身近な所では画廊のオーナーに熱意が伝われば、パンフレットや資料を作るときに声がかかる事もあるし
それ以外にも、大きなチャンスをつかむ事ができる可能性もある。
貸し画廊の場合は、オーソドックスな所では銀座や京橋を歩き回ってよさそうな画廊を見つける。
美術手帳で画廊の特集組んでたのでバックナンバーを調べて、めぼしを付けた方が良い。
画廊の選択が最重要と考えて良い。いくらすばらしい展示をやっても画廊によっては無駄になる。
良い画廊とは、評論家や美術関係者、固定客が必ず立ち寄る画廊です。
良い画廊を見つけたら電話か実際にあってアポを取る。そして作品ファイルを持っていき見てもらう。
そこでオーナーがOKすれば詳細を決めていけば良い。
281 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/18(日) 12:32:14
>>280 私の場合地方だし単なる成果披露会を今の所開催するしかない
ような気がする、わざわざ足を運んでくれる人脈が大切なように思う。
良いこともあるでしょ。ありがとう。
282 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/18(日) 12:40:30
>>281 地方だからと言って、東京でやるのをあきらめると必ず悔やむことになりますよ。
地方から東京で個展をやる人は多いです。
しかも彫刻や立体などの扱いにくい作品の作家も必死で搬入してきます。
それに比べて写真ならかなり簡単に搬入もできるでしょ。
一度、勇気をふりしぼって踏み出した方が良いと思いますよ。そんなに難しい事ではないからね
283 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/18(日) 18:25:52
確かに首都圏に文化的なものが一極集中して
それなりの目の肥えた人達が多いと思うのでやる価値は
あるように思う、機が熟したら考えます。
ありがとう。
284 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/22(木) 19:31:22
杉本博司さんとか、高く写真売っていると聞いたことが
あるけど、何枚くらいプリントするんかな
285 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/22(木) 22:47:04
確か
小さいほうがEd.10+AP
でかいほうがEd.5+AP
ぐらいだったはず
286 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 00:43:20
ここにいる写真家さんたちは、ジャーナリズム的?それともアーティスト的?どっちですか
287 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 00:54:00
ジャーナリズム的な方が良いと思う。
そして時々アーテイスト的な作品を作って鑑賞者を喜ばせれれば凄い。
288 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 01:55:58
>>287 ロバート・キャパのことは当然知っていますよね。
http://www.uraken.net/rekishi/spa2.jpg キャパはこの兵士の死の瞬間を捉えた写真で世界中に不動の地位を確立したが
あまりにもできすぎた写真であったため捏造疑惑も各方面から上がりました。
真層はさておき、キャパのように一発の劇的写真で有名になる方法は、現代では皆無に等しいでしょうね。
写真自体が補足的な媒体になり下がってしまったので当然の結果ですがね
写真家が現代において知名度を挙げる方法として、具体的にどのような事があると思いますか?
全然知りませんですよ。・∀・!!!!!!!!!!
290 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 04:49:24
>>288 素晴らしい写真ですね。
博識に敬意を表します。
291 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 08:20:38
http://galeria.origo.hu/kincses/kk06.html キャパと言ったらこっちのノルマンディの写真の方が有名かな。
キャパはインドシナ戦争で地雷を踏んで死んだ。
その時、彼が持っていたカメラは破損していたが、なんとか写真を復元できた。
その写真はラストショットとして知られてる。
彼は写真家と言うよりジャーナリストに近いかもね、現代に生まれてたらビデオカメラを片手に中東あたりにいるだろうね。
現代の写真家が活躍できる場所としては雑誌ナショナル・ジオグラフィックが良いと思ってる。
皆さんはどう思いますか?この雑誌に載る人たちは主に写真家と冒険家両方の特性を兼ね備えてる。
写真が補足的にではなく主役として有効的に使われている好例だと思うんだが
292 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 09:17:58
293 :
わたしはダリ?名無しさん?:2005/12/23(金) 10:40:11
>>292 悩んで自害するくらいなら、助けるべきだったな。
294 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/01/23(月) 00:47:36
捏造で思い出したが市役所前のキスは
もう一回やってってお願いしたんだっけ?
295 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/01/23(月) 08:33:54
「やらせ」と「演出」は紙一重。
報道番組の演出は、やらせ。
バラエティー番組の演出は、演出。
市役所前のキスは、報道写真じゃないからOK
296 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/01/23(月) 09:31:13
>>295 知った風な事を言うな、ボケッ !! いちど死んでしまえ
297 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/01/24(火) 05:55:30
298 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/02/23(木) 11:40:02
up
1は、もうこのスレ、見てないのかな?
299 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/10(月) 03:58:06
300 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/25(火) 07:32:14
日光写真
301 :
わたしはダリ?名無しさん?:2006/10/05(木) 14:35:10
303 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/08(日) 21:49:01
up
age
305 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/08(日) 22:40:49
ふむ
306 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/18(水) 11:33:25
up
307 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/22(日) 19:59:59
u
308 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/04/23(月) 16:19:37
芸大に書道が入らなかったように、写真も入らない。
写真って撮った人の背景よりも
撮られたものが何なのか、どうなのかってことに注目が集まるよね。
朝日が反射する湖面の写真だったら
こんな美しい風景があの場所にはあるのか〜と感動するけど、
たぶん撮影者もそう思って撮ったわけで、美しい風景を作り出したのは自然なんだよね。
あ、だからなんだってわけじゃないです。
なんとなく思っただけで。
310 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/05/10(木) 11:27:11
u
311 :
画廊:2007/06/19(火) 10:55:51
なりえます。来歴と保証をたんぽすれば。
312 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/06/19(火) 12:24:56
>>1 むしろ日本国においては
絵画より写真を飾っている人が多いだろうと思う。
313 :
画廊:2007/06/19(火) 22:11:04
具体的に言って作品に落款をいれるとか、
ネガをつけるとか。
314 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/07/13(金) 14:24:08
p
315 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/07/13(金) 15:51:46
がろううざすぎ
日本で写真を芸術として捉えてないのは写真家自身では?
いつまでも森山大道とか荒木経惟が評価されてるようじゃ駄目だろうね。
317 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/07(火) 05:07:36
写真は他のメディアとはちがうんだと中の人が考えちゃったのが、
不幸のはじまりの様な気がする。
>>316
俺の今年の個展は写真。いままで立体をやっていたがミックスする
このアイディアが世間に出れば、まじでパラダイムシフト起きるぜ
待ってろよ。公開するのは年末かなあ
ゴォッホン。次どうぞ
320 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/08(水) 19:03:43
写真が対象をそのまま写すものだとしたら、人間の目に映る対象はそのままだ
とあまりに直接的というか、指示性が強いというか、方向性を持ちすぎるとい
うか、そんな感じで、たとえば犬を写真で写した場合には誰が見ても犬になっ
てしまい、つまりあまりに対象に縛られてしまうが、絵画は違ふ。裸の女を目
の前に立たせて富士山を描くことだってできる。そんなふうにあまりに強いリ
アリティを持つ物をそのまま写し取ってしまうかぎり、写真を芸術の域にまで
高めるのは難しいと思いまふ。芸術とは対象の模倣とはたぶん反対の所にある
ものだと思ふから。……ちょっとオシッコ行ってきます。
321 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/08(水) 19:58:26
その絵を観た人は富士山の絵なんでしょ?
あ、例え話か、すいません。
今は心霊写真なんかもCGでいくらでも作れる時代なので、
僕は写真には幽霊を合成して観衆をうならせるような技術が芸術的には必要だと
思います。
かなり例え話です。
ちょっとうんち出そう・・・
写真は芸術なのか?カメラ触る人は結構悩むというか、疑問を持っているのではないかと思います。
自分の周りにもカメラ触る人が多数います。
ネガから作り込みまるでC
写真は芸術なのか?カメラ触る人は結構悩むというか、疑問を持っているのではないかと思います。
自分の周りにもカメラ触る人が多数います。
ネガから作り込みまるでCGのような一枚にする人。
ありのままを撮す人。
持ち手が違うだけで同じ場所、同じ人でも違うのです。
どこをどのように、どの瞬間にシャッターを切るのか?
そこに持ち手の表現があると思います。
ですが絵を書いてる人の物と写真を比べると少なくても写真は芸術?
と足を止めてしまうことがあります。絵と敢えて比較すると表現の自由の幅があまりに狭いのです。
そこで自分なりに写真は素材だとあくまで自分の写真において。
完結しました。
真面目に書こうと決めたのに失敗して連投
申し訳ありません。
325 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 00:14:36
自分に素直な感情と自分の人生のせて写せば芸術じゃないかい?
ただの記録と人生のせた作品の違いがわかる人は少しながらいるよ
皆わかっちゃったら皆芸術家だよ
やっぱ日本人だと報道写真のが感動的なもの多そう。
327 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 16:23:47
写真が芸術になるひとが稀にいるんだということだよ。
カメラに連結された思考の正しさが写真を芸術にするわけです
328 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 23:18:08
325> さん、私もそう思いますよ、
自分も写真を使った作品つくりますが(インスタレーションとか)
撮る目的次第だと思います
329 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/29(水) 23:51:14
ロレッタ・ラックスとかどう思う?
330 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/08/30(木) 00:50:35
>>325 人生がどうこうと、芸術かどうかは何も関係ないと思うけどなぁ。
ロレッタ.ラックス
勉強してからまた来ます!!
332 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/01(土) 15:15:34
どうやら皆さん、小西六は嫌いなようでw
333 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/01(土) 15:45:22
うん 嫌い
334 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/09/02(日) 10:45:11
ロレッタ・ラックスは明らかに美術作品だよな?
少し勉強してきました。デジタルカメラだとアナログに劣る部分があり、その逆も当然ありますが、補填するためにデジタルで加工をすると、途端にアレルギー反応みたいに拒絶する人もいます。
自分はデジタルカメラで撮る時にデジタル処理を前提に撮ります。
ロレッタの画像少し見たのですがビックリしました。
でも写真作品のカテゴリーにはないのかもしれない。
そんなふうに感じました。アナログなCG、そんな感じがしたのです。
二年前に国近美で「ドイツ写真の現在展」やった時に見たな。
絵画的にデジタル処理した作品だ。
別にこの作家でなくても、フツーの写真作品で美術作家的なポジションにいるのはいくらでもいるだろ。
むしろ写真家としては周縁的なとこに位置するんじゃないかと。
http://www.lorettalux.de/
このスレ難しいですが、楽しいです。
色々勉強したくなりました。
写真も、曲の編集も、芸術の域まで行ってるのはある。
だが他人の作った芸術を弄ってるだけだったら、やっぱり記録・作業の域を出ないと思う。
(被写体の芸術性が写真家の生み出した物でない場合。音楽なら
他人の作った曲を注文通りに編集してるなど、編集者の創意が薄い場合の話)
続き
ただ写してるだけ、ただ編集してるだけ、ではその芸術の第三者だ。
撮った写真はまだ素材でしかない。上から描き加えるとか、コラージュに使う
などしてやっとその人の作品になる。
勿論、たまたま(もしくは苦労して)魅力的な被写体に巡り合って撮った写真でなく、
イチからセッティングして撮った写真は、それだけで芸術だと思うよ。
なんかの写真雑誌で、泳いでる人にまとわりつく水の動きを
まったくピンボケせずに写しててスゲーッて感動したことある
ああいうのなら芸術と呼べるんじゃないだろうか
341 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/12/02(日) 02:34:06
342 :
わたしはダリ?名無しさん?:2007/12/05(水) 20:57:44
>>336 その時も出てた作家だけど、グルスキーなんかは
デジタル加工の作品で四億以上の値が付いてるね。
一枚の値段では写真最高じゃない、どうだろう?
写真だろうが何だろうが、海外で評価されたら
日本でも美術品として評価されるよ
海外で評価される為には新機軸とコネクションが必要だな
日本の場合、写真は木村賞とかステップアップのシステムってけっこう完備されてるだろ。
写真と現代美術の二股かけられるし。
写真集出版とか商業系の仕事もある。
いわゆる食って行ける構造は美術とかより上。
海外云々の逆輸入構造はここんとこの若手では聞かんな。
紋切り型の台詞で、知ったかぶりたいて気持ちはわかるが。
登竜門や食っていく手段の話じゃないよ
>日本では、写真作品は「美術」になれないのか?
ってスレタイ通りの話をしてるんだよ
日本のアートマーケットでは写真作品はあまり求められてないじゃん
写真集ってグラビアとか景色、動物とか?
これは「美術品」として流通してるとは言えんでしょう
>>345 >写真集ってグラビアとか景色、動物とか?
あんた、ズレすぎというか無知すぎ
何でこの板にいるの?
大御所の森山大道とか中平卓馬、杉本博くらいは知ってるでしょ?
写真使ってる美術家もいれば、現美のエリアで認められてる作家だっているよ・・
>>346は論点がズレ過ぎw
そもそも
>>343では美術品としての写真作品そのものの流通の話をしてる
商業で使ってもらえるとか写真集がとか、版権使用料の話なら美術品でなくても
挿絵でもファッションでも可能じゃん
一般的な日本人は写真好きだけど、美術品として高額出して写真作品を買うほど
意識の高い人は少ないし、
>>1で挙げられてる公募団体の募集要項も相変わらず
骨董屋やオークションで写真作品が焼物や絵画のように盛んに取引されるようになれば
「日本では、写真作品は『美術』と認識されている」と言えるだろうね
日本人の好む伝統文化は皇室をも巻き込んだ強固なヒエラルキーが美術品を権威付けている
写真作品が有難がられてないなら、日本人が権威に弱いのを利用すればいいと言ってるだけ
>>347 写真は近代以降のものだから骨董とか伝統絵画と比べるのは無茶である
美術作品としてだったら、60年代以降というか現代にかなり近くなってからだ
認定も現代美術の文脈でだな
もともと記録メディアとしての歴史があるからね
それとは別に写真界自体の権威付けは日本にもある
旧上野の団体展とか、二科展みたいなとこで写真が重要視されてないっても、あそこはそんなとこでないしw
ちよっとジャンルが違う
あんたの見てる美術界とこっちがズレてるんだろう・・
杉本博のプリント作品はかなり高価だが、やはり海外のアートマーケットとリンクしてる
ただ、これは写真だからというよりも国内での格付けに限界があるってだけだ
絵画並みの大判のプリントが出来るラボの存在も近年だしね
写真自体は美術界で市民権得てるけど、日本の一般コレクターがもてはやすにはもっと時間が必要だろう・・・
でも若い作家はけっこう人気あるみたいだけどな
あと、写真の場合は作家の写真集がそのまま作品集となっているわけね
絵画とかと違って、元から複製メディアだからオリジナルプリントが絶対てわけでない
美術品としての写真は、やっぱ大判プリントが出来るようになってからね
ここら辺は、美術品として流通するために美術市場のルールを適用してると言っていいのかもしれない
写真はそれ自体が自立したメディアなのだから、そちらに行くのに批判的な意見ももちろんある・・
KMOPAとかもあるけどな
>>347 村上厨乙。
> 骨董屋やオークションで写真作品が焼物や絵画のように盛んに取引されるようになれば
焼き物や絵は、物品に唯一性がある。
音楽(レコード芸術以降)や写真は、複製芸術、再現可能性がある。
どんだけ遠投の保全してんだよ・・・・
353 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/06/19(木) 20:39:26
写真って、美術「商品」の性格としては、版画に似ているのか?
ただ、版画は初刷り神話とかエディション数の限定は生じるけど、
写真は無限生産できるのでは??
そのあたりお詳しい方、ご教授くださいな。
354 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/06/26(木) 15:01:06
パソコン時代になると撮ったものを加工することもできるが、そうでない場合
には、写真はあまりに写す対象物に支配されすぎて、それを芸術の高みにまで
持っていくのは至難のわざだろう。絵はミカンを前にしてリンゴを描くことも、
リンゴの中に神様を描くこともできるが、パソコン加工なしの状態で写真にそ
うした、写したものの向こう側に何かを浮かび上がらせることはほんとに難し
いと思う。
便器にサインして芸術って手もあったよね
356 :
わたしはダリ?名無しさん?:2008/08/23(土) 16:37:23
写真が芸術かどうかはF1がスポーツか?に近いものがあるよな
機械に左右されすぎなんだよな
358 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/24(火) 22:14:03
>>357 機械的複製こそが
神秘性に
付け入る隙を与えないのだけど?
神様みたいに有り難がる対象はお金だけで我慢しておけば?
359 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/02/27(金) 02:44:10
このスレも七年目か…
360 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/21(土) 18:56:28
_________________________
<○ノ
‖
くく
しまった!ここは糞スレだ!
オレが止めているうちに他スレへ逃げろ!
早く!早く!オレに構わず逃げろ!
_________________________
<○√ <○√
‖ ‖
くく くく
お前だけにいいかっこさせられるか!
_________________________
Oノ
ノ\_・'ヽO.
└ _ノ ヽ
〉
お前等はこんなとこで終わっていい奴等じゃない!生きるんだ!!
361 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/21(土) 22:06:21
逃げろ〜!
362 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/03/22(日) 05:51:58
美術になれないとは言い切れないと思う。
銀塩のバライタプリントは一種の工芸品に該当する可能性はあるけど、
技術的に同クオリティで複数作品が作成可能なので、商業的には、いいとこリトグラフ並の価値しかない。
写真は俳句のようなもの。
写真表現という行為が文化的な意味では、芸術または美術の一種である可能性はあるが、
ポジフィルムやプリントなどの実体は作品の内容そのものじゃないし、
それらが美術「品」には該当しないという件は歴史上の既出。
365 :
わたしはダリ?名無しさん?:2009/12/15(火) 18:27:22
写真は芸術か否か。
両方に頷ける。
でも、日本では「否」だろう。この先もずっと。
自分も芸術として提供されている写真より、報道として世に出てくる写真のほうが好きだ。
銀塩からデジタルになって、何でもイジれるようになった今は、余計にジャーナリズムとしての写真に魅力を感じる。
>>365 芸術を美術と混同していないか。
写真は文章や図画と同じように媒体にしか過ぎず、媒体が芸術か否か問うのはおかしい。
写真は、画像の生成過程が機械的かつ描写が写実的なので記録用途に向いていて
印刷するという文化にも造詣が深い技術なので、ドキュメンタリーや報道にも盛んに使われてきただけ。
写真は嘘を本当のように見せてしまうし、報道は事実の断片であってそこに必ずしも真実があるとは限らない。