「日の丸」は「日食」と「月食」の象徴か

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52名無しさん@お腹いっぱい。
「日の丸」は江戸時代、薩摩藩の船章であった。当時薩摩藩の勢力圏は
北は日向から南は琉球まで延び、その距離は本州とほぼ同じ距離(長さ)で
あった。薩摩の船は広い海洋で、支那、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ等の
外国の船と頻繁に行き交った。その際、船の所属を明確にするために
船章として日の丸を掲げた。1854年、藩主島津斉彬公は西洋式軍艦
「昇平丸」 を建造し幕府に献上するとともに、日の丸を日本船章に
すべきだと献策し、幕府はこれを受け入れ、明治政府もそれを引き継いだ。
無知か故意か産経新聞はこのいきさつに触れていない。
http://www.hinomaru-birthplace.info/
53名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/09(木) 09:24:07.33 ID:d/UjDrnG
日の丸は江戸時代の薩摩藩の軍艦旗であった

わが国の国旗 (日本国総船印) として、日の丸が制定されたのは安政元年 (1854年) 7月11日、
時の副将軍 徳川斉昭 (なりあき) の時でこの頃日本は、ペリーの再来、日米和親条約、
日露和親条約の締結など国際的に多難なときであった。

幕府はこのような外交交渉のため日本国を象徴する旗印を必要とした。そこでその国旗として
日の丸を制定するよう幕府に建議し、努力したのが薩摩藩主 島津斉彬(なりあき)公で
あった。斉彬公は、たまたま天守閣の四角の窓に昇る太陽を見て 「これぞわが日出る国のみ
印なり」 と思ったと言うことである。

安政2年2月 薩摩藩が幕府に献上するため江戸に向わせた日本で最初の様式軍艦「昇平丸」
のマストにはわが国最初の日の丸の国旗がひるがえった。

http://ameblo.jp/masagt40/entry-10261701344.html