が、がおして1時間以内に叩かれなければお米券76枚目
769 :
名無しくん、、、好きです。。。:
「最強の24人」と星野仙一監督が豪語し「金メダル以外いらない」と宣言して北京に乗り込んだ野球の日本代表は、銅にも届かず4位に終わり、野球王国のプライドは地に落ちた。
敗因は様々挙げられるが、戦い方やチームの雰囲気が「国際仕様」になりきれなかったことが大きかった。
北京五輪を制した韓国と戦った8月22日の準決勝。星野監督は「総動員」を明言した。しかし、投手起用に限って見ても、現実の采配は形にとらわれすぎていた。
同点の8回。投入した岩瀬仁紀(中日)が勝ち越し2ランを浴びる。1次リーグで2敗と岩瀬の不調は明らかだったが、監督は自分の決めた「勝利の方程式」にあくまでこだわった。
ブルペンには1次リーグ最終戦の米国戦(20日)で好投したダルビッシュ有(日本ハム)も上原浩治(巨人)も待機していた。
負ければ終わる国際大会は、調子のいい選手から使うのが定石。だが星野監督に、嫌な流れを断つための柔軟さはなかった。
出番のなかったダルビッシュは「残念です」と無念さを隠さなかった。
一方、3位決定戦では、4点をリードされた8回からダルビッシュを登板させた。
エースと指名した選手を、敗戦処理のように起用する。これが指揮官の言う「総動員態勢」だったのか。
攻撃も同様だ。つなぐ野球を掲げたはずが、特別な策は見られなかった。出塁した軸に代走を送ってまで1点を取りに行った韓国とは対照的だった。
代表チームのサポートにも歴然とした差があった。優勝した韓国は五輪期限終了まで公式戦を中止。決勝で戦ったキューバ代表を直前合宿に招き、実践練習を組む周到さを見せた。
だがシーズンを中断しなかった日本の24選手が初めて集まったのは、北京出発の約10日前。東京都内のホテルに泊まり、川崎市の練習場で直前合宿をした。
準備期間の短さには同情の余地もあるが、東京在住者が多いチームでは合宿という雰囲気に欠けた上、練習の中身はぬるく、一体感も築かれぬまま北京入りした。
その「緩さ」に「金メダルは義務」と言われ続けた重圧が加わり、選手たちの覇気を奪っていく。味方のファインプレーにも盛り上がらないベンチは象徴的だった。
指揮官は「日本の野球はこんなもんじゃない」と強がった。では日本の野球とはどんなものなのか。「何かが足りなかった」というが、答えはまだ聞けていない。