266氏のシナリオ、ひとまず終了ですか。乙です。では今のうちにこっそり駄文を。
タイトルは「歯車」。すみれ&紅蘭の平凡なSSです。
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その日の朝、紅蘭はご機嫌だった。
光武・改の総点検を理由に、(彼女にとっては)楽園へ足を踏み入れるから。
そして、すみれは不機嫌だった。
紅蘭の案内役を米田に命じられて、気の進まない場所へ足を踏み入れるから。
神崎重工・川崎工場。帝都の重機器工場の要であり、帝国華撃団とも深いつながりを持つ。
光武の原型である試作機「桜武」生誕の地。霊子甲冑の原点とも言えるこの場所は、機械を愛する紅蘭には
楽園……いや、もはや聖域にさえ昇華している。
「夢や……まさに夢のようや!」
潤んだ瞳で一歩一歩を噛み締めるように歩を進める彼女とは対照的に、どこか張りつめているような、
何故か思い詰めたような表情で、仕方なしに紅蘭の後を追っているすみれの姿があった。
「全く、支配人もどういうおつもりなのやら。いつもは帝劇の地下格納庫で点検してるじゃありませんか。」
「今回は細部にわたってのチェックや。動作確認から何から、徹底的にやるねん♪」
説明する声の弾み具合が、紅蘭の心情を物語っている。
「うちも毎回整備しとるけど、ここほど機材は充実しとらんからなあ〜。」
一人幸せに浸りながら、子供の探検ごっこのようにあちこちをうろつく紅蘭に、すみれは小さく溜め息をついた。
『……今日も、おそらくいらっしゃってますわね………。』
そう、彼女がこの工場に来るのをためらう理由。それはたった一人の人物のせい。
ぎこちない態度。途切れる会話。会えばいつもそうなってしまう。会いたい時には一切会えなかった人。
現場主義の彼は、自らも油にまみれながら陣頭指揮を執る。今日も必ずどこかで出会うだろう。
「……………!紅蘭?どこに行ったんですの?」
ふと我に返った時、辺りに紅蘭の姿は見えず、すみれ一人だけが取り残された。
「勝手にうろつくなとあれほど申しましたのに……!」
猫にマタタビ、メカに紅蘭。言葉だけの制止など聞こう筈もない。自分がうっかり目を離したのもうかつだったが
それを認めないのがすみれである。
「……やっぱりその方法ですやんなあ!なんかうちら気ぃ合いますなあ〜♪」
「この声は!」
たまたま通りがかった整備室の前で、ようやく紅蘭を捕捉したすみれだったが、いざ捕らえんと扉を開けたその瞬間
彼女の思考は停止した。
「ははは、そうだな。確かに都市エネルギーと霊力の融合は難しいが、この方…法……なら………。」
もう一人の声の主、紅蘭と楽しげに談笑していた人物が動きを止める。
「?どないしはったん、工場長はん?」
扉に背を向けていた紅蘭には、情報が伝わるのが遅いようで、まだ状況を把握できていない。
「………ここにおりましたの、紅蘭。」
「え!?わ、すみれはん!いつからおったん?」
「つい今ですわ。さ、参りましょう。」
妙に抑揚のない声と硬い表情だった。その事に紅蘭が気づいたのはもう少し後だったが、なんとなく冷たい空気は
感じて取れたので、この場はおとなしくすみれに従うことにした。
「……元気か。」
紅蘭を伴って部屋を出ようとしたすみれに、独り言のような問いが投げかけられる。
その言葉に改めてすみれは向き直り、頭を深々と下げながら、告げた。
「…お陰様で。失礼致しました……お父様。」
「……ああ…。」
そのまま黙って、部屋を出てゆく。只の一度とて振り返らずに。
それが、数ヶ月ぶりの、父娘の対面であった。
「いや〜まさかすみれはんのお父はんやったとはな。全然分からんかったわー。」
「名乗らなければ分かるはずありませんわ、あの姿では。」
「せやけど、ほんまに良かったん?ろくに話もせんと出てきてしもて。」
「話すことはございませんから。」
「……。」
すみれの言葉には棘があった。語句ではなく、語感に。それを感じ取った紅蘭はひとまず黙る。
「…堪忍な、すみれはん。勝手にほっつき歩いて……。」
「別に、怒ってませんわ。」
その割に言葉の刺は抜けていない。ならば原因は何なのか、紅蘭には分からなかった。
分かる筈もなかった。
「…………私も……。」
「ん?どしたん?」
「……私も…機械が好きなら良かった……。」
「へ?!ど、どないしたんや急に!!」
すみれの脳裏には、先ほどの整備室の光景が浮かんでいた。
心から楽しそうに会話を交わす紅蘭と……自分の父親。それは端から見れば、父娘の姿にも見える。
自分はここにいるのに。
貴方はそこにいるのに。
何故、共にはいられないのだろう。父娘なのに。貴方と自分こそが父娘なのに。
『子供の嫉妬じゃあるまいし。』
そう言い聞かせながら、だけど紅蘭を見られない。そんな自分が情けなくて………悲しかった。
その後も色々話しかけてきた紅蘭に、すみれは多くを語らなかった。
けれど彼女は、そのニュアンスからすみれの心理をある程度理解していた。
「…なあ、すみれはん。親子てすごい思わん?」
返事はない。が、全く構わず紅蘭は続ける。
「喧嘩しても、誤解があっても、いつかは必ず分かり合える。不思議なもんや。」
「……………。」
「……これ、うちの父様の形見やねん。」
「!」
初めてすみれは反応した。振り返った視線の先に、金色の懐中時計が映る。
「うちは今でも、これで父様と話をしてんねん。この時計には、父様の心が宿ってはるからな。」
「こころ……。」
にっこりと笑って、紅蘭は更に続ける。
「せや。自分の心のままに喋るんや。別に共通の話題なんかいらんやん。親子なんやから。」
「心の…ままに……。」
「何でもええんや。甘えてみたりとか、ワガママ言うてみたりとか。」
すみれは遠慮しかしたことがなかった。
甘えもワガママも許されない環境。聡明な少女は、親を困らせたくないが為に、言わなかった。
「……言えるうちが華やで。うちはもう、言いとうても言われへんよって。」
「!!!」
滅多に見ない紅蘭の憂い顔とその一言は、すみれの胸の奥に激しく響いた。
「さーて、ぼちぼち光武・改の搬入終わったかいな?何せ数が多いさかいなあ。」
時計を懐にしまい込みながら、いつもの明るい調子で紅蘭は格納庫へと赴く。
…………すみれを置いて。
父の姿は、執務室に移っていた。机の上には山とそびえる書類の束が確認できる。
どこにいても仕事からは逃れられないのが、彼の宿命であった。愛娘が同じ敷地にいてさえも。
《コンコン》
扉がノックされる。たいていは書類の追加か現場への復帰の合図だったりするが、今日は違っていた。
「失礼致します。」
「!……すみれ!?」
思わず椅子から立ち上がってしまう。その目には驚きが、やがて喜びが広がっていくのがはっきり分かる。
「お仕事中に邪魔を致しまして、申し訳ございません。」
「…構わんよ。よく来てくれた。」
それでも父親の威厳は保って、なるべく平常心を心がけつつ答える。
そんな父の前に、すみれは静かに歩み寄ってゆく。まだどことなく言葉は硬いが、表情がさっきとは違う。
何というか、何かを期待するような、または大きな決心をしているような、そんな表情だった。
「どうしたね。何か……あるのかね?」
滅多に会わないとはいえ、やはり父親である。娘の心の変化は感じ取っていた。
「お父様………私、お父様にお願いがありますの。」
「お願い?」
「ええ。どうしても欲しい物がございまして。」
父にとって、予想外の言葉であった。生まれてこの方、我が娘のおねだりは一度も聞いたことがない。
しかしそれは、普通の親ならかえって変なのだ。
今まで何も要求してこなかった娘の、初めてのおねだり。例えそれが何であっても叶えようと父は心の中で決めた。
「何だね。言ってみなさい。」
「実は………。」
外はすっかり暮れて、星も輝き始めている。そんな夜道を一台の蒸気自動車が走り抜けてゆく。
「いや〜〜充実した一日やったわ!」
後部座席のシートにもたれかかって伸びをしながら、紅蘭は幸福な溜め息をついた。
「ちゃっかりと整備班に混じるなんて、貴女らしいですわ。」
「当ったり前やん!第一帝劇に戻ったらうち整備するんやで?手順を叩き込むには実践が一番やさかいな!!」
勢いが収まらない紅蘭だったが、ふと、動きを止めた。
「そういやすみれはん、お父はんに会うたんか?」
「え?あ………。」
言われて思い出したのか、すみれは何かを袂から取り出して紅蘭に差し出す。カードのようだ。
「何これ?」
「貴女に差し上げますわ。」
「そらおおきに………て、ちょっ!これ、通行証ちゃうの?!」
「ええ。本来神崎グループの関係者しか持てない特別製の通行証。これがあればどの工場でも顔で入れましてよ。」
これが、すみれが父にねだった物だった。確かにこれは特権でも使わない限り手に入らない代物である。
いつどこで調達したのか、紅蘭の顔写真もちゃんと貼られている。
「貴女は帝撃の機械の要。有事の際は最も重要な役割を担うのですから、持つのは当然でしょう?」
父に訴えた時の台詞を、そのまま紅蘭に伝える。
そしてこれは、すみれなりの彼女への感謝の気持ちでもあった。面と向かってはとても言えないが、せめてもの“心”。
「お……おおきにすみれはん!!ほんまに嬉しいわ!うち頑張る、立派な帝撃の機械の要になるで!!」
涙目ですみれに抱きつきながら、紅蘭はその喜びを全身で表現する。彼女の“心”が伝わってくる。
『貴女の腕は確かですわよ。私の…外れた歯車を直してくださったのですから。』 〜完〜