雛子とおにいたまのナイショのしみつきち3

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おジャ魔女どれみは 最終話に向かってどれみらの成長ははなはだしく、 ライバ
ルの木之本桜がすぐ「はにゃーん」などというのに比べて より大人に感じた。 だが
今まで何回も空を飛んでいたのに見つけられなかったのが、 一人前の魔女になっ
ているはずなのに、 みんなに正体を知られるなど不自然な方向に進んでいき、 お
んぷが倒れるなどわざとらしくなり、 おジャ魔女どれみ#第1回目は最後まで見た
が、 2話のどれみが子育てするというのに、 ママが特に反対もしないというご都合
主義に見る気をなくした。 小学三年生の娘がどこの誰か判らない赤ん坊を持ってき
ながら、 誰の物か、親はどうしているか、どこで拾ってきたのか、 うやむやにするな
ど、新潟拉致事件容疑者の母親なみである。 はじめは魔法は使うがご都合主義は
なるべくなくしていた。 ご都合主義が多いと見る気がなくなる。 監督によると子供を
育てることによって いかに自分が愛されてきたか判るということを テーマにしている
らしいが、 子供をアダルトビデオに出演させた親もいたり 、てくるはのるや新潟拉
致事件のように、 子供にとってはいかに自分を守るかが問題となっているのではな
いでしょうか? これも児童ポルノ法案や盗聴法などの悪法が可決されたため Hシ
ーンなどの規制が厳しくなっている影響でしょうか? つまり無理矢理PTA受けしや
すいテーマにしたので 作品が破綻したものだろうか。 以前はあいこの親の再婚話
のように、 魔法は使うがそれだけではうまくいかず、 それなりに悩んだりしていた。
その様子を見て感動したりしていた。 魔法で何でも解決するなら見る気がなくなる。
それではどのくらいが効果的かというと、 魔法少女は正体を明かしてはならないこ
とや 魔法少女の 年齢から子供売春のようなものを暗示 しているなら効果的演出
になるのではないかと思い、 研究中です。 「おジャ魔女どれみ」は「カードキャプタ
ーさくら」 への対抗馬として作られた色合いが濃く、 妹尾あい子は母親がいないこ
とや運動が 得意なことから木之本桜が原型になっており、 葉月はお嬢さんで算数
が得意なことから 大道寺友世が原型になっているらしい。
主人公のどれみはその
ような原型が見あたらない。 また両者のような得意科目も無く、 また主題歌も 「教
科書見ても、書いてないけど」とか 「テストで三点」とか どれみが 司敬「おとこ拳」の
主人公・トニーのように 「学校に向いていない人間」であることを暗示させる。 しかし
テレビというメディアでそのようなことを 主張すれば PTAからの圧力がかかるため
か、 上記のような友人がいたり、 担任の山口先生は 間違っても盗撮ビデオなどし
かけないようないい人である などの理由で、 少なくても表面上問題にしていない。
そうすると「おジャ魔女どれみ」 では学校などの体制批判がテーマになっているの
に 「#」では正反対に親などの体制盲従がテーマになっており、 魔法をきっかけに
した 子供の自立というテーマが最低最悪の結果に終わったと思います。 こうなった
原因は、主題歌二番の「歯医者さんはずっとお休み」とか 哲学なく子供の心情を持
ち上げた点にあるのではないでしょうか? はじめは「子供が世界を救う話は作らな
い」と監督も言っていたのに、 中盤から、「女王様」とかがでてきたり、 担任の山口
先生が椎名林檎のような個性は美人だったり、 どれみや友人があまりロリコン受け
しないような顔だったり、 いままでとはちがった美意識を演出しようとしていたのが、
瀬川おんぷは顔は木之本桜に似てロリコン受けを狙っており、
http://piza.2ch.net/test/read.cgi?bbs=anime&key=963414871&ls=50 内揉み上げと
いう髪形は綾波レイ、紫の配色と芸能界で活躍するキャラは クリーミーマミを原型
にしたもので、 それでもはじめは敵役だったのに、節操なく味方としての役割を 演
じるようになるなど、大人社会に取り込まれていきつつあるのは 明白だった。

これはもしかして大人社会に対抗して 子供売春をしたものの妊娠してしまい、出産・育
児に追われる中で 反抗していたはずの大人社会に取り込まれていってしまったと
暗示しているのでは? 一方「カードキャプターさくら」で木之本桜がすぐ「はにゃー
ん」などと いうのはロリコン受けを狙ったものだが、ロリコンという固定支持層が あ
るため、必要以上にPTA受けを狙わなくて済んだため作品の破綻は 避けられた。
しかし「なかよし」の連載が終わってみると なんら独自色を打ち出せず、ひたすらロ
リコン受けする要素を パッチワークしたような印象しか受けない。 あとどれみは「春
風どれみ」という名前だけど春風らしさは 感じさせられずに終わった。 「キャンディ
キャンディ」のように明るい性格で事態を解決するという 作品にしたかったのだろう
が、 脇役の方が魅力的な上、 魔法少女物なので魔法が問題解決の中心となって
しまった。 要するに借りてきた力では実にならないのだろう。 後半からはキャラクタ
ーグッズを売り出すためのアイテムもよく登場した。