「やっぱり千砂ちゃんはすごいね」
的場について僕は思わず感嘆の声を上げた。
千砂ちゃんが放った矢はその大半が見事に直径36cmの小さな的に的中していたのだ。
さすがに“弓道の天才少女”の二つ名は伊達ではないようだ。
僕がそう言うと千砂ちゃんは照れた。
「そ、そんな。たいしたことではないですよ」
「そうかな? さっきの千砂ちゃんの話だと的に当てるの、とっても難しいみたいだけど」
「それはその…慣れれば簡単なんですよ、きっと」
「きっと…って?」
「時田さん、手伝ってくださるんですよね?」
「あ、うん。そのつもりだけど…」
「それでしたらおしゃべりはお終いです。はやく片づけましょう」
僕は千砂ちゃんに押し切られる格好になってしまった。
一本一本丁寧に、黙々と的から矢を抜き取る僕と千砂ちゃん。
すると遠くの方で空が鳴った。
「何でしょう? 雷かな」
「えっ…だってまだ晴れているのに?」
だが空を見上げてるとさっきまでの夏の強い日差しが嘘のように黒い雲が空を覆い始めていた。
「何だか夕立が来そうな天気だね」
「そうですね。急ぎましょうか」
「そうだね」
雨が降り出す前に帰ろうと手を早める僕と千砂ちゃん。
だが夏の天気は変わりやすい。
僕たちが全部の矢を回収した頃にはもう雨は降り始めていた。
「時田さん、戸締まりしますので雨戸閉めるの手伝ってください」
「わかったよ」
僕と千砂ちゃんは雨戸を閉めていく。
こんな時ばかりは大きな道場である事が恨めしい。
二人で急いで雨戸を閉めるのだがそうこうしているうちにも雨はどんどん強くなる。
最終的に道場の戸締まりを終えた頃には雨は集中豪雨状態になっていた。
「傘、持っています?」
千砂ちゃんの言葉に僕は首を横に振った。
「雨が降るなんて考えてもいなかったから…。千砂ちゃんは?」
「わたしも持っていないです…」
「雨宿りしておこうか? 大会前に風邪引くのは良くないよ」
「そうですね…」
千砂ちゃんが頷いたその時、ピカッっと光が走った。
それと同時にものすごい轟音が響き渡る。
「わっ!!」
「きゃあ!!」
道場の照明が一瞬にして消える。
そして悲鳴とともに千砂ちゃんが僕の体に飛びついてきた。
「ち、千砂ちゃん!?」
いきなりの出来事に僕は千砂ちゃんに呼びかける。
しかし千砂ちゃんは僕の体に力一杯抱きついて離れようとしない。
「こ、怖いです…」
それは僕だって同じだ。はっきり言って今の雷は無茶苦茶近かった。
だが怖がっている女の子の目の前で男である僕がおびえるようなそぶりなど見せられるはずがない。
僕は千砂ちゃんを力一杯抱きしめると耳元にささやいた。
「大丈夫だよ、千砂ちゃん。僕がついてる」
「は、はい……」
ぎゅっと千砂ちゃんが僕を抱く手の力が強くなる。
それに応えて僕も力一杯抱きしめる。
「千砂ちゃん、雷は苦手なの?」
僕の言葉に千砂ちゃんは頷いた。
「は、はい…なぜか昔から……」
やがて雨は相変わらずであるものの雷の音は遠ざかって行く。
それに比例してか千砂ちゃんは落ち着きを取り戻しつつあった。
「もう大丈夫?」
その様子に僕は腕の中の千砂ちゃんに声をかけた。
すると千砂ちゃんはコクンとうなずき、そしてハッと顔を赤らめた。
「あ、あのう…時田さん……」
「ん? 何かな」
「あの…その……」
やけにモジモジしているけど千砂ちゃんどうしたんだろう?
そこで僕ははたと気が付いた。
僕の腕の中に顔を真っ赤にしている千砂ちゃんがいることに。
「ご、ごめん…」
「い、いいえ…わたしが抱きついたんですし…」
僕の腕の中でモジモジする千砂ちゃん。
その姿に僕は千砂ちゃんを抱きしめた手をゆるめないと…理性ではそう考えた。
しかし感情はそれを拒絶する…この手を緩めてはいけないと。
このまま千砂ちゃんの温かみ、そして甘い香りをを感じていたい。
だから僕はそのまま千砂ちゃんをもっと抱きしめた。